クリシュナムルティを読む

ゴトの読書室

参考

クリシュナムルティとの邂逅

「クリシュナムルティとの邂逅」 ププル・ジャヤカール 

 1948年1月のボンベイでのことだった。インド独立後まだ五ヶ月余りしかたっていなかった。私は、新たな人生の戸口に立っていた。私の政治活動への参加が差し迫っていた。それ以前の数年間は、私は社会福祉、共同組合、村落産業に関連した団体活動に熱心に従事していた。分離(インドとパキスタンの)余波の中で、私はいつの間にかボンベイで設立された主要な救済団体の中心に位置するようになった。

 ある日曜の朝、私はマラバール丘(インド南西岸)にある古い、とりとめのないバンガロー(平屋)に住んでいた私の母に会いに出かけた。つくと、妹のナンディニが居あわせていたが、彼女は出かける用意をしていた。どこに行くところか尋ねると、二人はクリシュナムルティに会いに行くところだと言った。私の心は1920年代、私が通っていたベナレスの学校のことに舞い戻った。私はクリシュナムルティを見たときのことを思い出した。白衣姿の繊細で美しい人物が足を組んで座っており、五十人の子供の一人だった私は彼の前に花を置いたのだった。

 その朝何もすることがなかったので、私も母に同行したいと申し出た。ナンディニはややためらっているように見えたが、しかし結局は同意し、そしてわれわれはクリシュナムルティの滞在先である、カーミカエル通りのラタンシ・モラルジー宅に着いた。私は入り口の外に、自由運動の英雄の一人アチュット・パトワルダンが立っているのを見た。私は彼とは1920年代以来の知己で、われわれはごく短時間、立ち話をした。

 われわれがクリシュナムルティを待っていた居間はがらんとしていた。精巧に彫刻された椅子があったが、しかしわれわれは椅子に座った。クリシュナムルティは静かに部屋に入って来た。すると私は突然、光輝と美とを強烈に知覚した。彼はほっそりとした弱々しい体つきをしており、そして実際の背丈よりも高く見えた。彼はその存在で部屋を満たし、一瞬私は圧倒された。私は、彼をじっと見詰める以外何もできなかった。

 ナンディニは私の母を紹介し、次いで私に移った。われわれは再び座り、そして母は数年前に死んだ私の父のことを話した。彼女は彼をとても愛していたこと、そしてぽっかりと開いた大きな穴をどうしても埋められないでいることを話した。彼女はクリシュナムルティに、来世で私の父に会えるかどうかと尋ねた。私は、そのときまでに最初の高められた知覚の強烈さが鈍ったことを見出し、そこでじっと座って、クリシュナムルティから私が慰めになると期待した答を聞こうとした。多くの悲しみに暮れた人々が規則的な間を置いて訪問してきたに違いない、そして彼はきっと彼らにとって慰めになる言葉を知っているに違いない。
 すると突然彼は言った。「あいにくですが、あなたは訪ねる人を間違えたようですね、私はあなたに、あなたがお求めの慰めを与えることは出来ません」 われわれ一同はやや当惑したが、しかし彼は話し続けた。「あなたは私に、あなたが死後あなたの夫君に会えるかどうか教えてもらいたがっておられる。が、どの夫にお会いになりたいのですか? あなたと結婚した人ですか? あなたが若い頃あなたと一緒にいた人ですか? なくなった人ですか、それとも、もし生きていたら今日いたであろう人ですか? どの夫君にあなたは会いたいのですか? なぜなら、確かに、死に赴いた人はあなたが結婚した人と同じ人ではないからです」 私は自分の精神が、あたかも何か並外れて挑戦的なことを聞いているかのように、熱心に、ぱっと注意深くなるのを感じた。私の母は、もちろん、これを聞いてひどく当惑しているようだった。彼女は、時間が自分の愛していた者に何らかの相違をもたらしうるということを認める覚悟ができていなかったのである。彼女は「私の夫は変わったりしません」と言った。するとクリシュナムルティは、「なぜ彼に会いたいのですか? あなたが、いないのに気づいて寂しく思っているのは夫ではなく、彼の思い出なのです。奥様、どうかご容赦ください」 彼は両手を組んだが、私は彼のしぐさの完璧さに気づきはじめた。「なぜあなたは彼の思い出を生き続けさせようとするのですか? なぜ自分の心の中で彼を再現しようとするのですか? なぜ悲しみのうちに生き、悲しみと共に生きようとするのですか?」 私の頭の中でぴんとくるものがあった。私の精神は、彼の言葉、その明晰さと正確さに応ずるべくさっと飛び上がった。私は、彼が伝えようとしていた何かとてつもなく大きなものに自分が触れていたのを知っていた。言葉はきびしかったが、しかし彼の目にはいやす力と優しさが宿っており、そして話している間中彼は私の母の片手を握っていた。

 私の母が動揺しているのを見て、ナンディニは会話を変え、他の家族のことをクリシュナムルティに話しはじめ、それから私に転じて、私が政治に関心がある社会奉仕家だと言った。彼は私に、なぜ社会奉仕に携わっているのかと尋ねた。私は彼に、自分の人生が充実していることを話しはじめた。彼は微笑した。それは私を不安で神経質にした。すると彼は言った。「われわれは、穴だらけのバケツに水を満たそうとしている人間のようなものです。水を注ぎ込めば注ぎ込むほど、それだけ水は多くこぼれ出して、バケツは空っぽのままなのです」 彼はとてつもない強烈さで私を見つめていた。「何からあなたは逃避しようとしているのですか? 社会奉仕、快楽、悲しみに浸りながら生きること - これらはすべて逃避、内なる空しさを満たそうとする試みなのではないでしょうか? この空しさを満たすことはできるでしょうか? にもかかわらず、空虚を満たすことがわれわれの生存の全過程なのです」 私は彼の言葉が非常に撹乱的であることを見出した。私にとっては活動が人生だったので、彼が言ったことは理解しがたかった。私は彼に、私が家にじっと座って何もしないでいることを望んでいるのかと尋ねた。彼は傾聴した。そして私は、彼の傾聴は私がこれまで知覚または経験したどんなものにも似ていないという、ある奇妙な思いを抱いた。彼は私の質問に微笑み返した。その後間もなくわれわれは去った。クリシュナムルティは私に言った。「またお会いしましょう」


 私はクリシュナムルティとの会見を求めた。彼に会うことを待っていることが、私を神経質にした。彼と共にいよう、彼に認められようとする衝動、そして彼の存在に遍満する未知の性質を探ろうとする好奇心が、私が恐れていた深みへと私を駆り立てた。が、私は離れられずにいた。二日間、私は彼に何を言おうか、それをどう言おうかと思案した。私は彼の居室に入った。彼は背をまっすぐにして、床に足を組んで座っていた。そして純白のクルター(裾が長くゆるやかで襟なしのインドのシャツ)がひざまで伸びていた。私を見て、彼は小鹿のような優雅さと繊細さで飛び起き、そして彼の長い花弁のような指を合わせてあいさつした。彼は私が神経質なのを見て、私に静座するよう求めた。しばしの後、私は話しはじめた。私は常に自信家だったので、ためらいはしたものの、すぐに自分がいつものように話していることを見出した。そしてあらかじめ言おうとしていたことが、どっとあふれ出てきた。私は自分の人生と仕事の充実ぶり、恵まれない人々への配慮、協同組合運動における私の役割、芸術への関心について話した。私は自分が言うべきことと、自分が生み出そうとしている印象にすっかり夢中になっていた。数瞬後、私は彼が聞いていないという不愉快な感じを抱いた。私が見上げると、彼はじっと私を見詰めており、そこには尋求と深い探求があった。私はためらい、やがて口を閉じた。ひと息ついてから、クリシュナジーは言った。「私はあなたが討論中にひと休みしているときの様子を見たことがありますが、そのときあなたの顔には大きな悲しみが浮かんでいました」

 私は自分が言おうとしていたことを忘れた。内なる深い傷以外のあらゆるものを忘れた。私は苦痛が伝わることを拒み続けていた。そのためそれはずっと奥深いところに埋もれていたので、滅多に私の意識的精神を侵すことはなかった。私は憐憫や同情を毛嫌いし、自分の悲しみを攻撃性の硬い殻でおおい隠していたのである。私は自分自身のことを誰にも話さず、自分自身に対してすらも自分の孤独を認めなかった。この無言の異邦人の前ですべての仮面が払いのけられ、私は彼の目をのぞき込んだが、しかしそこに映っているのは私自身の顔だった。そして私の悲しみの中に、強烈な知覚の瞬間に、私は人類の悲しみを見た。包みこむような慈悲心が彼の目、彼の存在から流れ出た。彼の沈黙は生き生きとし、触知することができた。

 そしてそれから、長い間せきとめられていた奔流のように言葉が出てきた。私は五人の子の一人で、臆病で柔和で、ほんのちょっとしたきびしさにも傷つく自分の幼い頃を思い出した。誰もが色白の家族の中で色黒の、顧みられない、男の子に生まれればよかった子。大きな、とりとめのない家の中で何時間も一人きりで、ほとんど理解できない本を読んでいる少女。幾星霜を経た大樹に面したベランダの上に座って、人食い女鬼や英雄、ハティム・タイやアリ・ババの伝説など、ミシンと一緒に座っていたイスラム教徒の白髪の仕立て屋イマムッディンの語るこの古い国の物語に一日中聞き入っている子。あるいは盲目の大うちわ(プンカ)クーリー(苦力)、ラーム・キラヴァンによって歌われるトゥルシダスのラーマ・チャリタ・マナスに耳傾けている子。私はアイルランド人の女家庭教師と散歩に出かけたこと、植物のことや花の名前をおぼえ、英国の王や女王のこと、アーサーやグウィネビァ、ヘンリー八世やアン・ブリン(処刑された)の歴史に歓喜し、決して人形と遊ばず、滅多に他の子供たちと遊ばなかったことを思い出した。私は父を恐れ、けれどもひそかに彼を敬慕していたことを思い出した。それから、十一歳で私の子宮でつぼみが開き、初潮を知り、そしてそれと共に奇跡的な開花があった。成長し、若者になることは陶酔だった。私は注目の的だった。崇拝され、激しく生き、乗馬、水泳、テニス、ダンスに興じた私。思う侭に、私は大急ぎで人生を駆け抜けていった。それから渡英し、私の夫に会い、インドに戻り、結婚し、子供を生んだ。主婦の役割を演じることを拒み、社会奉仕に飛び込み、ブリッジやポーカーに大金を賭けて興じ、ボンベイの社交界、知識人のサークルの中核で暮らした。やがて二度目の妊娠、そしてそれとともに、七ヶ月目にすっかり視力を喪失。当惑した暗黒の苦悶と、その内なる爆発的な色彩の嵐-空色やニールカンタ鳥の色。頭脳の荒廃、身体のけいれん、赤ん坊の死、心臓の鼓動の停止、子宮の重い沈黙。灰色の斑点として視力が戻り、形を作ろうとして一点に集まる。

 精神はひと息入れ、言葉はやみ、そして私は再び無言の美しい異邦人を見つめた。が、休止は一瞬間だった。そして父の死による激しい、しびれさせるように苦痛があふれ出した。かきむしるような、耐えがたい苦悶。

 私は続けた。言葉が終わろうとしなかったからだ。私は、生活上の多数の傷、生存競争、冷酷さの増大、ゆるやかな硬化、攻撃心と野心について話した。私の内なる、成功を求める衝動。やがて三度目の妊娠、そして美しい顔だが奇形の女児の誕生。しびれるような苦悶と子供の死。八年間の精神と心と子宮の不毛、それから死。

 話すにつれて、私は彼の面前にいると、忘却され、精神のらせん中に隠れていた過去、長いこと忘れられていた暗闇の中の過去が、明るみにその姿を現わすことを見出した。なぜなら、彼の存在は反映する鏡のようなもので、測定し、歪曲する評価者としての個人が不在だったからである。かってある会話中で、私は何かを隠しておこうとしたが、しかし彼は私をそこから前進させまいとした。今やその慈悲深い場には大いなる力、しなやかで、流動的で、それでいて揺るぎない、岩のごとき力があった。彼は言った。「もしあなたが見てほしいと言えば、私は見ることができます。が、それは何ら私の仕事ではありません。私は、あなたが私に見てほしいと求めるときにのみ見るのです」 こうして、何年もの間私をそこない続けてきた言葉が語られたのである。それを言うことは大きな苦痛だったが、しかし私は風や広大な水に傾聴されているような、そのような傾聴に触れたのである。

 私はクリシュナジーと二時間一緒にいた。部屋を離れるとき、身体がこなごなになっているように感じたが、しかしいやすような沈黙が自分から流れ出るのをも感じた。私は、はるかかなた、はるかな深みから、反応を交えない、新しい観察の仕方、新しい聞き方が彼から発散されてくるのを感じた。なぜなら私が話している間、またはKが話したとき、彼は、語られつつあったこと、表情、身振り、態度、そしてまた自分のまわりで起こりつつあったこと、窓の外の木でさえずっている鳥たち、花瓶から落ちつつある一輪の花をも、とてつもなく広がった気づきでもって注意しているように思われたからである。私のかまびすしい話しの間に、彼は私に言った。「あの花が落ちるのを見ましたか?」 私の精神はうろたえるのをやめた...
 最初の日から、私は彼の知覚の強烈さと、彼の気づきの範囲の広大さに気づいたのである。


 私は、一ヶ月間彼に傾聴し続けた。私は彼の講話に足を運び、討論に出席した。彼が言っていたことを熟慮し、友人たちと討論した。再び、私は彼に会いに行った。彼は私に、私の思考過程で何か異なったものに気づかなかったかと尋ねた。私は、それを告げることはできないが、しかし私は以前ほど多くの思考を抱かなくなっていると言った。私の精神は、以前はよく落ちつかなかったものだが、いまはそれほどではなくなった。彼は言った。「もしあなたが自己認識をためしてきたなら、自分の思考過程が速度を落としたこと、自分の精神がせわしなくうろついていないことに気づくでしょう。各々の思考を徹底的に理解するようにし、最後までやり遂げようとすると、それが非常に困難であることを見出すでしょう。なぜなら、ある思考が表われるやいなや、別の思考がその後に続くからです。精神はひとつの思考を完了させることを拒み、思考から思考へと逃避していくのです」

 その通りだ。私がひとつの思考について行こうとしたとき、いかにすばやくそれは注視者の目を逃れたことか? 私はそこで彼に、どうしたらひとつの思考を完了させることができるのか尋ねた。彼は言った。「思考は、思考者が自分自身を理解するとき、思考者と思考が二つの別々の過程ではないことを見るときに初めて終わりうるのです。思考者は思考なのですが、思考者は自己防衛や自己存続のために彼自身を思考から分離させるのです - そのように、思考者は絶えず変質、変化しつつある思考を生み出していくのです」 彼はひと息入れた。「思考者は彼の思考とは別個でしょうか?」 彼の文と文との間に長い間がある。あたかも彼は言葉が深く沈潜するのを期待しているかのようだった。「思考を取り除いてみれば、どこに思考者がいるでしょう? そこには思考者はいないことがわかるはずです。で、あなたがあらゆる思考を - 良いものであれ、悪いものであれ - その終りまで完了させる - きわめて面倒ですが - と、精神は減速します。自我を理解するためには、活動中のそれを注視してみなければなりません。これは精神が減速するときにのみありうるのです - そしてそれは、あらゆる思考を、それが起こる都度、その最後まで辿ることによってのみ可能なのです。するとあなたは、空っぽで完全に沈黙としてある意識の前にあなたの非難、あなたの願望、あなたの嫉妬が現われてくるのを見るでしょう」

 一ヶ月にわたり彼に傾聴しているうちに、精神は柔軟になっていき、もはやその外郭の下で結晶し、固くならなくなった。私は尋ねた。「しかし意識が偏見、願望、記憶でいっぱいのとき、どうやってそれは思考を理解できるのですか?」「いや、できません」と彼は言った。「なぜならそれは、たえず思考に働きかけているからです - それから逃避したり、それを建増しているからです」 再び彼は沈黙した。「もしあなたが各々の思考に、その完了までついて行けば、あなたは、その終りに沈黙があることを見出すでしょう。それから更新が起こるのです。この沈黙から起こる思考は、もはやその原動力として願望を持たず、それは、記憶で詰まっていない理解、気づきの状態から現われ出るのです。

 「が、もし再びそのようにして起こる思考が完了されなければ、それは残余を残し、かくして何の更新もなく、精神は再び記憶としての意識、過去、昨日によって束縛された意識にからみ込まれてしまうのです。各々の思考はそのとき、次のそれに対して昨日 - 何の実体もないもの - になるのです。


 私は再び、一人でクリシュナジーに会った。私は彼に自分の精神状態および私に付きまとっていた思考、静寂の瞬間、それから熱狂的な活動の爆発について、私の精神が順調に事が運ばないことの苦痛にとらわれていた日々のことを話した。私は、精神のぐらつきに悩まされた。

 彼は私の手を取って、静かに座り、そして言った。「動揺しているようですが、なぜですか?」 わからなかったので、私は黙って座っていた。「なぜあなたは野心的なのですか?」 彼は尋ねた。「あなたは、あなたが知っているあの功成り名遂げた人たちのようになりたいのですか?」 私は「いいえ」と言った。

 彼は言った。「あなたはよい頭脳、よい道具を持っているのですが、これまでそれは適切に使われずにきたのです。あなたは間違った方向に走ってきた衝動を持っているのです。なぜ野心的なのですか? あなたがなりたいと思っているのは、いったい何なのですか? なぜ頭脳を浪費したがるのです?」

 「なぜ私は野心的なのでしょう? 私は、いまのようでなくなれるでしょうか? 私は何かしたり、なし遂げたりするのに忙しいのです。私たちはあなたのようにはなれないのです。」

 彼の表情は奇妙だった。しばらくの間彼はただ何も言わずに、あるがままの私が表れるがままにさせた。それから彼は言った。「これまで、一人きりになったことがありますか? 本もラジオもなしに。それをためし、何が起こるか見てみなさい」

 「私なら気が狂ってしまうでしょう。一人きりでいることなどできません」  「ためし、そして見てみなさい。精神が創造的であるためには、静寂がなければなりません - あなたが自分の孤独に直面したときにのみ生まれうる深い静寂が。

 「あなたは女性ですが、にもかかわらず多大の男性を内に持っています。あなたは、女性性をないがしろにしてきたのです。自分自身の内部をのぞきこんでみなさい」

 私は、自分自身の内部に深い動揺を感じた。何層もの鈍感の殻の溶解。そして私は再び深い、焦がすような、かきむしるような苦悶を感じた。「あなたは愛情を求めているのです、ププル。が、あなたはそれを見出していない。なぜ自分の物乞い椀を差し出すのですか?」
 「いいえ、差し出しはしません」と私は言った。「それは私が決してせずにきたことです。愛情を乞うくらいなら、むしろ死んだほうがましです。」

 「あなたはそれを求めずにきた。それを抑えてきたのですが、にもかかわらず物乞いの椀が常にそこにある。もしあなたの椀がいっぱいなら、それを差し出す必要はないでしょう。それがそこにあるのは、それが空っぽだからです。」

 一瞬私は自分自身を見つめた。子供の頃私はとてもよく泣いた。いま、私は何ものも私を傷つけることを許さない。私は激しくそれをかわして、攻撃する。彼は言った。「もし愛していれば、そのときにはあなたは要求しない。そのときには、もしあなたが、相手があなたを愛していないことを見出せば、あなたは、たとえそれが誰か他人であっても、その相手が愛するのを助けるでしょう」
 私は明晰に自分自身を見た。苦い思い、無慈悲。私は彼に向かって言った。「見つめることはあまりにも恐ろしいことです。私は自分に何をしてきたのでしょう?」
 「自分自身を批判することによっては、問題は解決されません。あなたの内部に何の豊かさも開花していないのです。もし豊かなら、同情や愛を求めたりはしないでしょう? なぜ何の豊かさも持っていないのですか? 見てごらんなさい。これがありのままのあなたの姿なのです。あなたは、病気の持ち主をとがめたりはしないでしょう。これはあなたの病気なのです、それを冷静に、ただ慈悲深く見つめてみなさい。それをとがめたり正当化したりするのは愚かというものです。とがめることは、過去がそれ自身を強化しようとするもうひとつの運動なのです。自分の意識的精神に何が起こるか見てみなさい。なぜあなたは攻撃的なのですか? なぜあなたはグループの中心になりたがるのですか?

 「自分の意識的精神を見つめるにつれて、徐々に無意識が夢の中で、また目覚めた思考状態においてすら、その暗示を投げ上げるのです」

 われわれは一時間余り話しあった。彼の面前では、持続としての時間感覚が萎縮する。私は、自分の人生に起こりつつあった変化について彼に話した。私はもはや、自分自身と自分の仕事に確信がなくなっていた。願望と衝動がなお起こったが、それらは何の活力も持っていないように思われた。

 私は彼に、私がしていた多くの仕事は自己権力の拡大にもとづいていたことに気づいたと告げた。私が政治活動に入ることは、もはや不可能に思われた。私の社交生活もまた、根本的に変わりつつあった。私はもはやポーカーをできなくなった。しようとしたのだが、しかし他人を出し抜こうという気持ちが欠けていることを見出した。私はポーカーをしている最中に気づきの瞬間を持つようになった。気づきと、ポーカーではったりをかけることとは両立不可能だった。彼は頭を後方に向けて笑った。

 私は彼に、時々大いなる内面的均衡を感じると言った。すべての願望は、それが起こる都度この中で解消し、尽きていった。またあるときは、どっぷりと達成願望に漬かった。私は、自分の精神的拠り所がなくなりつつあり、自分が漂っているように感じた。前方に何が横たわっているかわからなかった。私は、これほど自分のことを不確かに感じたことはなかった。

 Kは言った。「種子はまかれたのです。それが芽を出すようにさせなさい - それをしばらくの間休閑状態にさせておくのです。これはあなたにとってまったく新しいことだったにちがいありません。それに対して何の先入見、観念、信念もなしに出会えば、衝撃は直接的だったので、精神はいまや休息を必要とするのです。突き進めてはだめなのです」
 われわれは静かに座っていた。Kは言った。「自分自身を見守ってみなさい。あなたは、女性には数少ないほどの衝動を持っている。この国では男も女も、人生のごく早い時期に易々と消耗しきってしまいます。気候のせいでもありますが、それが常の生き方で、沈滞してしまうのです。自分の衝動が消え去らないように気をつけなさい。自分の攻撃性をなくさせることによって、無味乾燥で軟弱になってはだめです。攻撃性から自由になることは、軟弱になったり、卑下したりすることではないのです」
 繰り返し、彼は言った。「自分の精神を観察し、どんなに醜いものであれ、どんなに冷酷なものであれ、思考をひとつとして逃さないようにしてみなさい。選択し、計量し、判断することなしに見守ってみなさい。思考を方向づけたり、精神の中にそれを根づかせたりすることなしに、容赦なく見守るのです」

 私が部屋を去ろうとしていると、彼は、立ち上がってドアまで私を見送った。彼の顔は静止しており、身体はほっそりしており、ヒマラヤ杉のように直立していた。一瞬彼の美しさに圧倒されて、私は彼に尋ねた。「あなたは誰ですか?」 彼は言った。「私が誰であるかは問題ではありません。あなたが何を考え、何をしているか、あなたが自分を変容できるかどうかだけが重要なのです」

 家に戻ると、私は突然、私がクリシュナジーとした多くの会話の中で、彼が自分自身に関することは一言も言わなかったことに気づいた。いかなる個人的経験への言及もなく、自我の運動は一つも表われなかった。いかに人が彼を知っていようと彼をして異邦人にしてしまうのは、これだった。友情のしぐさ、気楽な会話のさなかに、人はそれ、突然の広大な距離、とてつもない非在感、何の焦点も持たない意識を感じた。にもかかわらず、彼の存在には無限の慈悲心がみなぎっていた。

1948年(ボンベイにて)
- 以上は、クリシュナムルティ・インド財団が出版した "Within the Mind"(1982年)に収録された “Encounters with Krishnamuruti"(Pupul Jayakar)全訳である(編集部)。

「クリシュナムルティの会」会報・第17号 p.9、1988年3月7日発行 
注: ここに(編集部)とあるは、「クリシュナムルティの会」の編集部です。

'98.01.掲載