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[24835] テレパシー 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/25(Sat) 10:05  

精神感応「テレパシー」無言の会話術 1978年発行
ジョージアダムスキー著 久保田八郎訳

まえがき

 精神感応力(テレパシー)は、あらゆる生きものに本来そなわっている能力であって、これによって自分の感じていることを他のすべての生きものに伝えることが出来ます。
 「自然」はいうまでもなくこの法則に従っていて、「自然」のいずれの要素も一つの統一された全体として「現われ」の成就をもたらすために自身を解放しています。
 人間とは「活動してる想念(ソート)」です。
 しかし、理解力の乏しさから、人類は様々なゆがみをひきおこし、そのために現在いたるところに見られるような大混乱を生じるに至りました。
 人間は働くための道具を色々もっていますが、無我の自己表現というもっと大きな分野で人間に奉仕する力が自分の中に具わっているという自覚は失ってきています。
 低劣な想念を高く向上させて押し進めてゆく人間の能力は、円、三角、四角の形をしたものが収めてある万華鏡にたとえることができます。
 回転するごとに新しい模様が展開します。
 同じ模様は一つもありません。
 人間が宇宙と一体であるという自覚に達するとき、万華鏡の場合と同じ「変化の法則」が絶えず変転し生長してやまない模様を描き出して、充実した生命観を人間におこさせるでしょう。
 この目的を達するために、触感とは神経の反応にすぎませんが、「感じ」とは「注意の状態」であるということを理解する必要があります。
 真の「注意の状態」とは意識的な意識であって、これこそ包容する「宇宙の英知」です。
        ジョージ・アダムスキー

追記 
 「注意の状態」について。
 本文では、そこのところが「警戒の状態」となっていたが、ある人から「注意の状態」の訳が方がふさわしいといわれ修正したものである。はたして原文の英語はどうなっているのだろうか?現在となってはわからない。
 警戒する、注意するの原文は? awareness ? なのだろうか。




 



[24834] Re:[24832] 絶対的な価値 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/24(Fri) 11:29  


> このような心にとっての価値とは、特に絶対的な価値とは何だろうかと思って、Kの本や、最近出た竹田青嗣の欲望論1,2の2巻目「価値」の原理論を読んでいます。なお、1巻目は「意味」の原理論です。いずれも500ページの大著ですが、読んでみるつもりです。私にはかなりしっかり書かれた哲学書に見えます、啓蒙書ではありません。絶対的な価値がもし見えてきたらうれしいのですが。

 ちょっと一言。
 著者がどのような方か知りませんが、たんなる学者の本では頭の組み立てに終わるだけです。つまりはたんなる「意見」「考え方」いわば「思考の構築」にすぎません。意識や心の問題を扱うというのなら、真理を実現した人の本を読むあさるべきでしょう。
 真理というものをいかに言葉に表すかを学ぶ。人に伝わなければ意味はありません。
 真理を実現した人とは、悟ったと見受けらる人、あるいは真理を把握し神秘体験を得た人たちです。日本でもたくさんいます。本も出されています。私が関係した人たちでも、沖正弘、山口修源、島田明徳、山本佳人など。その他ヨガ仏教関係でも。
 宗教界についてもいろいろな人がいます。宗教者、宗教家、宗教学者、宗教研究家など。あるいは評論家。
 日本のK関係では、真理を実現していないたんなる頭でっかちの学者が訳者となってKを訳したにすぎません。
 いずれにしろ、真理を語るには「宗教体験」が不可欠。それらの人の本を読んで、真理とは何たるかを「知る」。


>


[24833] Re:[24832] 絶対的な価値 投稿者:宮啓 投稿日:2017/11/23(Thu) 08:26  

> 自然科学での進め方は、どうも事物についての検討の一方法で、実験による検証を多くの人が行い、着実に成果を上げてよに認められてきました。
>
> しかし、事物にしても我々の進退がはっきり捉えれるものは感覚にしろわずかな範囲に限られています。昔に比べれば随分広がっていますが。
>
> で、そうでなく調べる方法というものはないかというと知覚する、見る、聴くです。
>
> この見る、聴くという事を単なる感覚として、写真のごときものと考えると全く違います。まず人間同士の話すこと、身振り、振る舞いから、相手の気分、関心、体の調子、そんなことがかなり分かります。相手がそれを隠しているならそれも察せるという具合です。予想も想像もできます。
>
> これが心の持っている能力です。その心はどのようにして今自分に備わってあるのでしょうか?
>
> 生まれたばかりの赤ん坊は、まずお腹がすけば泣いてその欠乏を知らせます。母親はそれにこたえて乳首を含ませ、赤ん坊は母乳を吸って欠乏を満たすことができて眠ります。
> 最初は生理的な欠乏の感覚が、泣くというその時赤ん坊の唯一能う事で欲求を伝えます。それに母が答えるだけですが、それは最初のわずかの間で、赤ん坊の肉体の発達は舌や手が加わり、排泄時の泣き声も加わるというふうに事態は発展し、泣き声のトーンが多様化し、母の声掛けによってコミュニケーションが試行錯誤的に始まります。
>
> 赤ん坊はすぐに、眠ってばかりでなく、覚めて遊ぶ時間が出現します。親にせがんで高く差し上げてゆすったりしてもらってよろこんだり。そして家の中を歩き回ったり外へ連れて行ってもらったりして世界を広げます。玩具やテレビやアニメなどをどんどん知っていきます。
>
> そして始めはすべて欲求は受容されたのですが、必ずしもそうでなくなり禁止にも出会います。次の子供が生まれると競合者となり、嫉妬や、孤独も味わいます。美(例えば花の美しさ)の意味を子供時代に知るなら、これは高度の感覚?が備わったと言えるかもしれません。
>
> どうやら心とはこのようなもので、これを脳の機能であると言ってもよいかもしれませんが、脳の機能そのものがブラックボックスの中にあるので、あまり役に立たないでしょう。
>
> さて、心とは始め母親からの言語を通じた全人的交流によって試行錯誤的に形成され始め、それに他者・社会も参加し、広がっていきます。そして大人の心も常に変転していくものでしょうが、そしてそれは世の中を渡っていくための自分でもあるわけですが、自我とも言っていいようです。いや、実際にどうなのかな?
>
> このような心にとっての価値とは、特に絶対的な価値とは何だろうかと思って、Kの本や、最近出た竹田青嗣の欲望論1,2の2巻目「価値」の原理論を読んでいます。なお、1巻目は「意味」の原理論です。いずれも500ページの大著ですが、読んでみるつもりです。私にはかなりしっかり書かれた哲学書に見えます、啓蒙書ではありません。絶対的な価値がもし見えてきたらうれしいのですが。


 私の場合は、「絶対的な価値は?」と問われれば、「色眼鏡なく歪みなく見える視座」と思うことでしょう。

 この視座がいかに困難かは、今の自他を見ても、歴史を見ても明らかに思います。

 伝統や時代による歪み・色眼鏡。人の見方をいかようにも、本末転倒的にでも、転倒夢想的にでも、いかようにも見せることができる色眼鏡。

 そんな中、「色眼鏡なく歪みなく見える視座」の価値が高まるようです。


[24832] 絶対的な価値 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/22(Wed) 13:05  

自然科学での進め方は、どうも事物についての検討の一方法で、実験による検証を多くの人が行い、着実に成果を上げてよに認められてきました。

しかし、事物にしても我々の進退がはっきり捉えれるものは感覚にしろわずかな範囲に限られています。昔に比べれば随分広がっていますが。

で、そうでなく調べる方法というものはないかというと知覚する、見る、聴くです。

この見る、聴くという事を単なる感覚として、写真のごときものと考えると全く違います。まず人間同士の話すこと、身振り、振る舞いから、相手の気分、関心、体の調子、そんなことがかなり分かります。相手がそれを隠しているならそれも察せるという具合です。予想も想像もできます。

これが心の持っている能力です。その心はどのようにして今自分に備わってあるのでしょうか?

生まれたばかりの赤ん坊は、まずお腹がすけば泣いてその欠乏を知らせます。母親はそれにこたえて乳首を含ませ、赤ん坊は母乳を吸って欠乏を満たすことができて眠ります。
最初は生理的な欠乏の感覚が、泣くというその時赤ん坊の唯一能う事で欲求を伝えます。それに母が答えるだけですが、それは最初のわずかの間で、赤ん坊の肉体の発達は舌や手が加わり、排泄時の泣き声も加わるというふうに事態は発展し、泣き声のトーンが多様化し、母の声掛けによってコミュニケーションが試行錯誤的に始まります。

赤ん坊はすぐに、眠ってばかりでなく、覚めて遊ぶ時間が出現します。親にせがんで高く差し上げてゆすったりしてもらってよろこんだり。そして家の中を歩き回ったり外へ連れて行ってもらったりして世界を広げます。玩具やテレビやアニメなどをどんどん知っていきます。

そして始めはすべて欲求は受容されたのですが、必ずしもそうでなくなり禁止にも出会います。次の子供が生まれると競合者となり、嫉妬や、孤独も味わいます。美(例えば花の美しさ)の意味を子供時代に知るなら、これは高度の感覚?が備わったと言えるかもしれません。

どうやら心とはこのようなもので、これを脳の機能であると言ってもよいかもしれませんが、脳の機能そのものがブラックボックスの中にあるので、あまり役に立たないでしょう。

さて、心とは始め母親からの言語を通じた全人的交流によって試行錯誤的に形成され始め、それに他者・社会も参加し、広がっていきます。そして大人の心も常に変転していくものでしょうが、そしてそれは世の中を渡っていくための自分でもあるわけですが、自我とも言っていいようです。いや、実際にどうなのかな?

このような心にとっての価値とは、特に絶対的な価値とは何だろうかと思って、Kの本や、最近出た竹田青嗣の欲望論1,2の2巻目「価値」の原理論を読んでいます。なお、1巻目は「意味」の原理論です。いずれも500ページの大著ですが、読んでみるつもりです。私にはかなりしっかり書かれた哲学書に見えます、啓蒙書ではありません。絶対的な価値がもし見えてきたらうれしいのですが。



[24831] Re:[24830] 反応に気づく 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/19(Sun) 20:10  

> > >  私の場合は、別に心が騒いでもいいわけです。それが反応ですから。
>
>  つけくわえると、それが普通の人間です。それでも反応が起きないというのなら検討はできません。
>  Kのいう「反応に気づく」という検討もできない。
>  Kのいうのは人は誰でも反応するが、反応に気づく人はいないということ。
>  鳥の声には気づくが、鳥の声に反応することには気づかない。

普通の人は反応する――それは全くその通りです。それが問題なのではないのですか?
妻が不倫した。夫は嫉妬し、怒り、理性も慈悲も失って、妻や不倫相手に酷い暴力をふるう。気が付けば大変な惨事になっていた。本人の苦しみはいかばかりか。見る人も思わず目を背ける。殺人まで行かなかったとしても心は痛く傷つきます。
しかもこれは他人ごとではなく、人間ならだれにも起こりうることです。それゆえ、Kのみならず多くの人が宗教心を探究し、話してくれたのではないでしょうか?

反応に気づく人はほとんどいない、では、反応に気づくことから始めましょう。

> それではお聞きしますが、あなたは人並みの喜怒哀楽の感情はないのですか? それとも無味乾燥な冷徹人間ですか。

私は葛藤、嫉妬、恨み、怒り等々のはらわたがねじれ、ちぎれそうになる来る苦しみを知っているからこそ、Kの本を読みだしたのです。

>  しかし、普通の人間は、逆に感情に振り回される。
>  ようするに思考感情を使う側に回れということ。使われるのではなく。

多くの人が感情を上手に使えないから問題が起きているのです。上手に使うっていったい実際にはどういう事なのですか?

>  馬鹿野郎と言われたとき、瞬時に自分の意識を内面に向けるということです。
>  ですから、相手から馬鹿野郎と言われたとき、瞬時に「内面」に向ける。
>  これをやらないと、相手を非難し、正当化する過程が起きる。人間にはこの過程が習慣的に身に付いている。

>  見れば言いわけです。見れば思考は止まります。体験すればすぐわかります。
>  これまで同じことを何度も言っています。
>  いいですか。わかりやすい例をいうと、人から馬鹿野郎といわれたとき、踏み留まるんですよ。瞬時に。今までどうり、馬鹿野郎といわれて、言い返したら、今までと同じではないですか。

>  瞬時に踏みとどまる。それが思考の間隔ということです。やってみればわかかります。
>  瞬時に間をあければ思考の勢いは急に萎んでいきます。体験すればわかるでしょう。起きた事実を言っているわけですから。
>  つまり感情というのは思考の栄養がなければ大きくならないということです。
>  それと思考というのは、長時間「考える」というのができません。必ず止まる瞬間がある。脳がそれを要求する。それが思考の間隔。
>  自覚するしないのに関わらず、人間はそれをやっている。

>  客観的に見るということですが、こんなわかりやすい言葉はありません。かえって「見る」という言葉の方がわかりにくい。広すぎて。
>  あるいは自覚する。今何やってるのか、ということを自覚する。そのとき自分の行動を確認する。再確認。


思考というものは、向きを内面に変えて見ていれば、それはいつかは必ず止まるという事ですね。はい。

全体の筋を把握するために随分あなたの文章を省略しました。失礼を許してください。


[24830] 反応に気づく 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/19(Sun) 14:25  


> >  私の場合は、別に心が騒いでもいいわけです。それが反応ですから。

 つけくわえると、それが普通の人間です。それでも反応が起きないというのなら検討はできません。
 Kのいう「反応に気づく」という検討もできない。
 Kのいうのは人は誰でも反応するが、反応に気づく人はいないということ。
 鳥の声には気づくが、鳥の声に反応することには気づかない。
>
> ようやく違いが出てきましたね。まだよくわかりませんが。
> 私の言っていることはあなたの推定するような、なるべくカチンと来ないように、静かにするように、心が騒がないように心がけて見るという事ではありません。
>
> 見ている心の質が異なる状態であるので、騒ぐ、動揺する、反応するという事がないのです。

それではお聞きしますが、あなたは人並みの喜怒哀楽の感情はないのですか? それとも無味乾燥な冷徹人間ですか。
 喜んだり、笑ったり、悲しんだりといったことはないのかな。
 人は身近な人が急に亡くなったときは動揺しますよ。当たり前じゃないですか。
 Kの言ってるのは、人並みの感情を捨てろということではない。怒る時は怒るんですよ。権力に対して。理不尽さに対して。不正に対して。
 子供が悪さをしたら怒ります。当たり前じゃないですか。叱る時は叱る。
 このように覚者、賢者と言われる人は感情を上手に使う。
 しかし、普通の人間は、逆に感情に振り回される。
 ようするに思考感情を使う側に回れということ。使われるのではなく。


>しかし、車が来れば避けるという行為は直覚的に起こります。地震が来ればどうなっていくか見ています。大きければ何とか行動するでしょう。

 自転車がくればよけますよ。当たり前の話だ。
>
> 心が騒いでよい、つまり馬鹿野郎と言われればカッとし、お前こそ大馬鹿野郎だと言い返すという事でしょうか?

 何をおっしゃってるんですか?馬鹿野郎といわれて、言い返すことではないですよ。それだと普通の喧嘩です。言い合い、ののしりあいじゃないですか。
 人に馬鹿野郎といわれたときは誰でも何かしらの反応というものが起きるでしょう。起きないと言わればそこで話は終わり。検討になりません。

>それなら同じ質の思考の過程が続いているだけではないでしょうか?

 違います。その思考過程をつぶさに見るということを言っています。
 今まで何回も例をあげて言ってるのですが。
 馬鹿野郎と言われたとき、瞬時に自分の意識を内面に向けるということです。
 人間というのは普段、意識は「外方」に向いています。
 座禅。瞑想というのは、意識を「内面」に向けることです。
 ですから、相手から馬鹿野郎と言われたとき、瞬時に「内面」に向ける。
 これをやらないと、相手を非難し、正当化する過程が起きる。人間にはこの過程が習慣的に身に付いている。
 クリシュナムルティは意識の方向性(志向性)を説く現象学を知らないので、こうした説明ができず、ただ見る、ただ聞くとしか言及しない。
 ただ見る、ということだけでは普通の人間にはわからないし、誤解を受ける。
>
> 見ることはどこにも起きていないと思います。

 見ることはどこにも起きていないって、どういう意味?

>しかし、あなたはそれを客観的に見ていると言います。見ていることが起こるなら、言い返しの思考の過程はどこで止まるのか、相手がまたお前は大馬鹿だと言いつのったら、またまた大馬鹿だと言い返すのでしょうか?、

何で言い返すんですか?それだと今までと同じではないですか。

>どこで思考の過程が終わるのですか?あなたのいうきゃっかんてきにみているじょうたいがよくわかりません。

 見れば言いわけです。見れば思考は止まります。体験すればすぐわかります。
 これまで同じことを何度も言っています。
 いいですか。わかりやすい例をいうと、人から馬鹿野郎といわれたとき、踏み留まるんですよ。瞬時に。今までどうり、馬鹿野郎といわれて、言い返したら、今までと同じではないですか。
 瞬時に踏みとどまる。それが思考の間隔ということです。やってみればわかかります。
 瞬時に間をあければ思考の勢いは急に萎んでいきます。体験すればわかるでしょう。起きた事実を言っているわけですから。
 つまり感情というのは思考の栄養がなければ大きくならないということです。
 それと思考というのは、長時間「考える」というのができません。必ず止まる瞬間がある。脳がそれを要求する。それが思考の間隔。
 自覚するしないのに関わらず、人間はそれをやっている。
 それでクリシュナムルティは、それを意識的にやれといってるわけです。
 意識的に「間」をあける。それが「見る」ということです。
 意識的というとすぐにあなたは抵抗するが、無意識ではできませよ。こういうことは。
 思考を静めるという意味というのは、新しいアイデアをもらうためでもあるわけです。ですから、様々な分野の人は、あえて自ら思考を止めるということをします。思考が再生する。

 客観的に見るということですが、こんなわかりやすい言葉はありません。かえって「見る」という言葉の方がわかりにくい。広すぎて。
 あるいは自覚する。今何やってるのか、ということを自覚する。そのとき自分の行動を確認する。再確認。




[24829] Re:[24827] [24825] [24824] [24809] [24807] [24800] [24797] [24792] [24791] [24790] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/18(Sat) 18:12  

> > > >超越的に見ていると言われてもこまるのですが、比喩でなく話すことはできませんか? ま、あなたが超越的に実際に見ているなら結構なことです。
> > >
> > >  イライラしていることが起きたら、そのまま見ているだけです。手をつけずに。
> >
> > すると、見ている心は静かですね、それが私のただ見ている時の実際です。
> >
> > >  わかりやすくいえば、イライラしている自分を、客観的にみている。
> >
> > 客観的なら、見ている心は静かですね。それが私のただ見ている時の実際です。
> >
> > >  イライラしている自分と、そのことを見ている自分とは別なものだということです。
> >
> > つまり、見ている自分は別でその心は静かですね? それがただ見ている自分です。イライラしている思考は自分ではないことがはっきり見えています。
> > で、いつも静かな自分で見ているなら結構なことです。私はそのことばかり言っています。
>
>  あなたは「静寂」というものをそのように理解していることがわかりました。思考なしに、ただ見ていることが静寂だと。そのことを「静か」という言葉に結びつけている。
>  つまり平静を保つ。物事に動じない。それが不動心につながる。クリシュナムルティはそのように言っていると、あなたはとらえている。
>  いかなる場合でも、平静な心を保つ。
>
>  そのことと「客観的に見ている」状態とは別な事柄です。
>  イライラしているというのは、文字ドウリ心を騒いでいるということです。
>  その状態を客観的に見れるかどうか、ということです。
>  静かな心とは関係ありません。
>  家人から用事を頼まれ、カチンとくる。それを客観的に見れるどうか。
>  あなたの言ってることは、家人から用事を頼まれたとき、カチンと来ないように見ている、ということのように見受けられます。
>  それが思考なしに見る。違いますか。つまり人に言われたとき、なるべくカチンと来ないように心がけている。それが思考なしに見る。静かにするように。心が騒がないように。
>  私の場合は、別に心が騒いでもいいわけです。それが反応ですから。

ようやく違いが出てきましたね。まだよくわかりませんが。
私の言っていることはあなたの推定するような、なるべくカチンと来ないように、静かにするように、心が騒がないように心がけて見るという事ではありません。

見ている心の質が異なる状態であるので、騒ぐ、動揺する、反応するという事がないのです。しかし、車が来れば避けるという行為は直覚的に起こります。地震が来ればどうなっていくか見ています。大きければ何とか行動するでしょう。

心が騒いでよい、つまり馬鹿野郎と言われればカッとし、お前こそ大馬鹿野郎だと言い返すという事でしょうか? それなら同じ質の思考の過程が続いているだけではないでしょうか?

見ることはどこにも起きていないと思います。しかし、あなたはそれを客観的に見ていると言います。見ていることが起こるなら、言い返しの思考の過程はどこで止まるのか、相手がまたお前は大馬鹿だと言いつのったら、またまた大馬鹿だと言い返すのでしょうか?、どこで思考の過程が終わるのですか?あなたのいうきゃっかんてきにみているじょうたいがよくわかりません。

> >
> > >  夢を見ている自分と、こうしている日常眼が醒めて起きている自分とは違うように。
> >
> > この比喩が話を分からなくする。夢を見ている自分と醒めている自分は違うのかな?
>
>  これは比喩ではない。事実のことです。だいいち人間は毎日夢を見ます。
> >
> > >  (夢の話は、学習しないとわかりません。夢だけでも一大テーマ)
> >
> > そんな話なら比喩には使わないでください。
>
>  夢について探求しない人間は、この話を聞くと驚くということ。聞いたことがないので。
>  夢を見る人間に話かけると、返事をする。ところが、起きたときそのことを話しても本人はは記憶がない。
>  催眠術をかけられた人間は過去の記憶を話すが、本人が目が覚めている時は、本人にはその記憶はまったくない。
>  つまり私はある事柄について意識しているが、私の心は自覚していない。
> というパラドックスが起きる。
>  人間の心が二重構造になってることの証明。
>  詳しくはその方面の書物を読みたし。人間の意識の探求の一部。ほんのさわり。
> >
> > 随分長かったので、整理して、はっきりしているところだけにしました。

この部分は上記の問題とと直接関係がないようなので、このままにしておきます。


[24828] Re:[24826] [24823] [24821] [24820] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/11/18(Sat) 10:40  

> > > > 私が統合失調症ならば、世間のほとんどの人は統合失調症ではないだろうか。
>
>  ウィキで、「総合失調症」を調べました。
>
> 「統合失調症は脳をはじめとした神経系に生じる慢性の病気である。
> 統合失調症は、さまざまな刺激を伝えあう脳をはじめとした神経系が障害される慢性の疾患です。詳細は不明な部分もあるものの、ドーパミン系やセロトニン系といった、緊張‐リラックスを司る神経系や、意欲やその持続に関連する系列、情報処理・認知に関する何らかの系列にトラブルが起きているといわれています。」以降省略。
>  
>
>  これを見ると、ある種の病気のようです。
>

このwikiの説はあくまでも仮説です。私が生きた証明です。統合失調症は治る病気です。脳の異常からくるものという仮説はロボトミー手術という非人道的な歴史をたどりました。今はそれが穏やかになり、薬という手段に変えているだけで、根本にある思想は変わりません。また精神の異常からくるものという仮説も魔女狩りという悲惨な歴史をたどりました。この二元性からのアプローチでは限界があります。そもそも二元性を作り出すところから「統合」失調症というのです。だから、世間の人も「統合」されていないという意味で統合失調症です。ただ、表立って迷惑をかけていないというだけで、内面は争い対立・葛藤だらけでしょう。
世界というものを一つの単位とし見た場合でも、明らかに統合失調症です。分離争い対立だらけ。それは誰が作っているかと言ったら世間一般に人でしょう。だから、世間一般の人は統合失調症なのです。



> > > >
> > > > Kのいうことを理解できないなら統合失調症では・・・。
> > > > 何故世間の人達は普通に暮らせているのだろうか?
> > > > 或いは狂気の沙汰で暮らしているのか。
>
>  Kのいうことを理解出来ない人は総合失調症ですか?
>  理解出切る人は正常?
>  しかし、世間の人は普通に暮らしてますよ。99パーセント。トラブルを起こす人は、ほんの一部です。
> > >
> > > 総合失調症というのはどんな症状ですか。
> >
> >
> > 一言で言うと「あるがまま」の分離です。
>
>  えっ?それは総合失調症と呼ぶ病気とは関係ないんじゃないですか。
>  「あるがままの分離」ってどういうことですか。
>  クリシュナムルティと関係あるのですか。


幻聴・幻視・幻味・幻臭、妄想が、おもな症状として表れます。アダムスキーは4感と心は繋がっており心とは想念を運ぶ媒体だと書いてます。つまり、あるがままの原初の想念がある種の分裂を起こし、コントロールがきかなくなった状態を病状として捉えることができます。治すには、分裂したあるがままの原初の想念に一旦戻り、コントロール機能を回復させる必要があります。そうすると、根本治癒に繋がるわけです。




> >
> > そして最後にはi am that iam で終わります。

調べてみましたが本来はi am that/i am (that)/i am /・・・
という風に続くようです。thatは関係代名詞。人が人や世界と交わるということを示唆してる言葉かと思われます。



[24827] Re:[24825] [24824] [24809] [24807] [24800] [24797] [24792] [24791] [24790] 無題 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/18(Sat) 09:42  

> > >超越的に見ていると言われてもこまるのですが、比喩でなく話すことはできませんか? ま、あなたが超越的に実際に見ているなら結構なことです。
> >
> >  イライラしていることが起きたら、そのまま見ているだけです。手をつけずに。
>
> すると、見ている心は静かですね、それが私のただ見ている時の実際です。
>
> >  わかりやすくいえば、イライラしている自分を、客観的にみている。
>
> 客観的なら、見ている心は静かですね。それが私のただ見ている時の実際です。
>
> >  イライラしている自分と、そのことを見ている自分とは別なものだということです。
>
> つまり、見ている自分は別でその心は静かですね? それがただ見ている自分です。イライラしている思考は自分ではないことがはっきり見えています。
> で、いつも静かな自分で見ているなら結構なことです。私はそのことばかり言っています。

 あなたは「静寂」というものをそのように理解していることがわかりました。思考なしに、ただ見ていることが静寂だと。そのことを「静か」という言葉に結びつけている。
 つまり平静を保つ。物事に動じない。それが不動心につながる。クリシュナムルティはそのように言っていると、あなたはとらえている。
 いかなる場合でも、平静な心を保つ。

 そのことと「客観的に見ている」状態とは別な事柄です。
 イライラしているというのは、文字ドウリ心を騒いでいるということです。
 その状態を客観的に見れるかどうか、ということです。
 静かな心とは関係ありません。
 家人から用事を頼まれ、カチンとくる。それを客観的に見れるどうか。
 あなたの言ってることは、家人から用事を頼まれたとき、カチンと来ないように見ている、ということのように見受けられます。
 それが思考なしに見る。違いますか。つまり人に言われたとき、なるべくカチンと来ないように心がけている。それが思考なしに見る。静かにするように。心が騒がないように。
 私の場合は、別に心が騒いでもいいわけです。それが反応ですから。

>
> >  夢を見ている自分と、こうしている日常眼が醒めて起きている自分とは違うように。
>
> この比喩が話を分からなくする。夢を見ている自分と醒めている自分は違うのかな?

 これは比喩ではない。事実のことです。だいいち人間は毎日夢を見ます。
>
> >  (夢の話は、学習しないとわかりません。夢だけでも一大テーマ)
>
> そんな話なら比喩には使わないでください。

 夢について探求しない人間は、この話を聞くと驚くということ。聞いたことがないので。
 夢を見る人間に話かけると、返事をする。ところが、起きたときそのことを話しても本人はは記憶がない。
 催眠術をかけられた人間は過去の記憶を話すが、本人が目が覚めている時は、本人にはその記憶はまったくない。
 つまり私はある事柄について意識しているが、私の心は自覚していない。
というパラドックスが起きる。
 人間の心が二重構造になってることの証明。
 詳しくはその方面の書物を読みたし。人間の意識の探求の一部。ほんのさわり。
>
> 随分長かったので、整理して、はっきりしているところだけにしました。


[24826] Re:[24823] [24821] [24820] 無題 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/18(Sat) 08:59  

> > > 私が統合失調症ならば、世間のほとんどの人は統合失調症ではないだろうか。

 ウィキで、「総合失調症」を調べました。

「統合失調症は脳をはじめとした神経系に生じる慢性の病気である。
統合失調症は、さまざまな刺激を伝えあう脳をはじめとした神経系が障害される慢性の疾患です。詳細は不明な部分もあるものの、ドーパミン系やセロトニン系といった、緊張‐リラックスを司る神経系や、意欲やその持続に関連する系列、情報処理・認知に関する何らかの系列にトラブルが起きているといわれています。」以降省略。
 

 これを見ると、ある種の病気のようです。

> > >
> > > Kのいうことを理解できないなら統合失調症では・・・。
> > > 何故世間の人達は普通に暮らせているのだろうか?
> > > 或いは狂気の沙汰で暮らしているのか。

 Kのいうことを理解出来ない人は総合失調症ですか?
 理解出切る人は正常?
 しかし、世間の人は普通に暮らしてますよ。99パーセント。トラブルを起こす人は、ほんの一部です。
> >
> > 総合失調症というのはどんな症状ですか。
>
>
> 一言で言うと「あるがまま」の分離です。

 えっ?それは総合失調症と呼ぶ病気とは関係ないんじゃないですか。
 「あるがままの分離」ってどういうことですか。
 クリシュナムルティと関係あるのですか。
>
>
> 上下左右前後にあるがままのものが分離していきます。


> 想像に想像を重ねて、その世界を自分で勝手に構築していきます。


思考のこと?
>
> そして最後にはi am that iam で終わります。ここは研究課題です。マハラジをご存じでしょうか?

 「私は誰か?」で有名なマハラシなら知っています。著書「不滅の意識」。

マハラジはi am thatで終わってます。 thatの後にiamと続くのが統合失調症の特徴ではないかと思ってます。


総合失調症は関係ないでしょう。
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> これは一連の気づきの中で起こっているという結論です。

気づき?


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