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[24702] Re:[24699] [24697] [24695] [24687] [24681] [24678] [24672] [24663] [24662] Kの言っていること―あるいは瞑想 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/17(Tue) 12:16  

> > > > 大変興味深い話をありがとうございました。私は今マインド、脳、思考といった問題に関心を持っていることがわかりました。
> > > >
> > > > それでひょいとKの「思考のネットワーク」渡辺 充 訳 という本を引っ張り出して読んでいました。購入した当時はあまりピンとこなかったのですが、今私の関心にぴったりという感じで読んでいます。
> > > > 1981年のザーネン講話と同年のアムステルダムでの講話です。上記和訳は1991年の発行です。
> > >
> > >
> > >  私もこの本を読んでみました。
> > >
> > >  『英知へのターニングポイント』と改題された本です(平成22年初版発行)。
> > >
> > >  数年前に読んだ時と比べて、多くを学んでいます。理解が深まって学ぶことが多く陳述されています。
> > >
> > >  その読むきっかけを与えていただき感謝しています。
> > >
> > >  今、第3回講話まで読み終えました。
> >
> >
> > 私が過去読んできたKの本は1945年ごろか1970年ちょっとまでで、そこでは見る、聴くという事が取り上げられ、それは戦争にも関連していたのですが、読み手側の問題もあるでしょうが個人的苦悩からの解放という捉え方が多かったと思います。
> >
> > それで見る、聴くは最初の入り口で、もしかすると最後のものであるかもしれないとはいえ、少しは平和に、葛藤なしに生き始めると何か足らないものがあるという感じが私にはあったのです。
> >
> > それで「時間の終焉」を経て、1981年の「思考のネットワーク」を読むと、個人の意識が人類の意識であること、それが現在の社会の戦争を頂点とする深刻な問題を引き起こしている、それは出来事に対し個別的に対応し、記憶し知識として広めてきた人類の意識、構造に起因することが明確に述べられています。
> >
> > その人類の意識のやり方、構造を(深く強いエネルギーで真に)よく聴き、理解し、新しい生き方、社会を実現することはKの言う事を聴いた私(ヒト)にかかっています。
> >
> > 私はようやくここまで来ました。
>
>
>  おもしろいことに、ゴトさんは、ずっと以前から、そのことを識っていたかのように、振る舞っておられる。
>
>  邦訳とネットでの公開。そして掲示板の運用。
>
>  これが、今できる最大限の人類への貢献ではないでしょうか・・。
>
>  ひとつ不思議なことは、渡辺さんなど、名だたるクリシュナムルティ翻訳者たちは、なぜ、そこまでに至っていないのか・・?
>
>  >しかも、もし人が言葉の上でではなく、自分自身の心(ハート)、精神(マインド)の奥深くで、自分の存在の一番深いところで実際に確かめてみれば、時間は問題を解決しないことがわかるでしょう。−−(『英知へのターニングポイント』p67より引用)。
>
>
>  自我は強大で、執拗に中心から増長しようと時間にしがみつく。
>
>  F氏とて、それから逃れられなかったのか・・。
>
>  なぜ、クリシュナムルティを軸に据えることができなかったのか・・。
>
>  渡辺氏も・・。
>
>
>  だからこそ、クリシュナムルティに耳を傾けねばならぬ。
>
>  それを、人々に伝えること。
>
>  それが、今できる最大限のことかも・・・


これまでのヒトの生き方は精神の安定、不安の解消を求めて宗教に縋り付いていました。それゆえ昔は祭政一致だったのです。教義は統治と結びついて共同体の中に広まっていたのです。

クリシュナムルティはそういう意味では神智学会など異色の経由で世に広まりました。それ以前にオカルト(隠されたもの、秘教、ESP:超常知覚等)の時代がありました。これについては南方さんへのレスという意味でも書くつもりですが、それは少し後にして、Kが世界にこれだけ広がったのは不思議なことです。

そういうふうにヒトは、太古から不安を鎮め安心を得ようとしてきました。その結果はたくさんの出来事を記憶・蓄積し、より良い対処法を考え、次第に改良していくという脳のやり方です。これが進化の実際です。そういう意味で人類の脳は同じ構造です。今あるコンピュータがすべてノイマン式であるように。これでどうなった行くかわかりませんが、それは創造ではありません。混沌です。無秩序なのです。

なぜ無秩序かというと、そこに実際でなくイメージが見られているからです。人間が発達させてきた脳が、残念ながら言葉・思考と共にイメージを生に持ち込んでしまったからです。

イメージを実社会に持ち込むのをやめましょう。イメージにはイメージと気づきましょう。これが一人一人の実社会でしなければならないことです。

ーーーーーー
すみませんが、 今ちょっと同窓会の手伝い役で忙しいのです。しばらく投稿が少なくなるかもしれません。


[24701] Re:[24696] マインドの性質 投稿者:外野席 投稿日:2017/10/17(Tue) 11:35  

> 見ることをすればこれは幻想ですが、それを前提で書きます。
>
> マインドには4つの世界があり、それぞれに7段階のレベルがある。地水風火。

 マインドというのは、一般に人に内在する思考感情です。つまりは心。精神。情緒が加わるとハートになる。
 人間にはまず「意識」があります。この意識というのは全生物共通。「原理」といわれるもの。その生物はすべて何かに向って志向する性質をもっている。「意識する」というのはある対象に向って「気づき」の状態を指す。
つまりは意識というのは志向性を有するということです。
 意識が志向する対象に対しての判断、推理、評価するというのが、心の領域を云われるものです。いわば思考。
 その思考の隙間から、ふと英知がやってくる。これがテレパシーです。
 宇宙空間のあるアカシックレコードからやってきます。
>
> それをどうやって体験するかは幻想と知りながらその世界に入って世界がどう見えるかを感じるしかないんですね。
> これはこれで楽しいもんです。
> LSDを服用するとこんな感じかな、とかです。

 私がインドに旅行したとき、ある人からマジックマシュルーム(幻覚キノコ)をすすめられました。素晴らしい体験が得られると。
 その人が炒めたものを食しました。6時間後に効き目が現れ、笑いが止まらなくなりました。(笑い茸の一種かも)
 そのとき記憶が一切消え、自分がいったい誰なのか、何でそこにいるのかわからなくなりました。外を見ますと、何もかも輝いて見てぎらぎらしています。知覚が普段より拡大し、普段聞こえないもの、見えないものがはっきりみえました。空を見上げると雲が生き物のようにせまってきます。太陽光線の一本一本がはっきり見えるのです。
 生きとし生きるもの、すべてなつかしく感じ、至福の感情にあふれました。
そこらへんの石ころや雑草さえもなつかしく感じるのです。しかもうれしくてうれしくて楽しくて楽しくてしょうがないのです。
 こうした至福の時間は半日続きました。
 覚者のいう「恍惚の境地」あるいは「至高体験」というのは、このようなことをいうのではないでしょうか。

 余談ですが、ネパールで「ハッシーケーキ」を食べたらひどい目にあいました。すぐにまだら模様の幻覚に悩まされ、ひどい下痢に見舞われました。
 このように使い方をあやまると大変なことになります。
>
> あくまで僕の趣味の範囲ですので。
> マインドに興味を持っていると言うことでしたので書きました。
>
> これも幻想と前提で書きますが僕の魔術としてユダヤ包囲網というのをその人に術をかけることが可能な時もあります。メディア、魂、霊的に包囲するんですね。入院中は手が震えて飯が食えないほど人をビビらせたこともあります。
>
> あとはテレパシー。
>
> こんなところです。


[24700] Re:[24699] [24697] [24695] [24687] [24681] [24678] [24672] [24663] [24662] Kの言っていること―あるいは瞑想 投稿者:外野席 投稿日:2017/10/17(Tue) 10:53  


>  おもしろいことに、ゴトさんは、ずっと以前から、そのことを識っていたかのように、振る舞っておられる。

 違います。ゴトさんの文章をよく読んで下さい。
>
>  邦訳とネットでの公開。そして掲示板の運用。

 それは新しい芽氏もやってきたこと。こことの違いは「力量」に差があること。
 新しい芽氏は探求はとうに終えたが、ゴト氏は今だ探求中であること。つまりは求めている。
>
>  これが、今できる最大限の人類への貢献ではないでしょうか・・。

 大げさな。
 これを読んでゴトさんは苦笑いするでしょう。何であなたはこうして人を持ち上げるのか。
 ゴトさんがここで望んでいるのは、本の中身についての議論あるいは対話です。クリシュナムルティを持ち上げることではない。
 何であなたは今まで皆といっしょに検討しようとしないか。
 検討しなければ自分の間違いも正すことも出来ない。
 読書会の意義の一つに、皆思いを出しあって、自己流の解釈を正すことにある。
>
>  ひとつ不思議なことは、渡辺さんなど、名だたるクリシュナムルティ翻訳者たちは、なぜ、そこまでに至っていないのか・・?

 何であなたにそれがわかるのですか?あなたは彼らよりも悟っているのでしょうか?
 何であなたは、人を評価したがるのですか。あなたは評論家ですか。もしかすると「クリシュナムルティ評論家」ですか。
 ゴトさんは「至っている」、それ以外の人は「至っていない」とあなたは評価する。
 何でわかるの?
 その評価するあなたは、もっと「お偉い」のですか。
 つまり常に「上から目線」。上から物を言う。
 学ぶという謙虚な姿勢が微塵も感じられない。
 会社でも日常生活でもそうですか。常に上から目線。
 自分の意見が合う人には、大いに持ち上げるが、意見の合わない人には徹底的に嫌う。気に食わない奴には口も聞かない。
>
>  >しかも、もし人が言葉の上でではなく、自分自身の心(ハート)、精神(マインド)の奥深くで、自分の存在の一番深いところで実際に確かめてみれば、時間は問題を解決しないことがわかるでしょう。−−(『英知へのターニングポイント』p67より引用)。
>
>
>  自我は強大で、執拗に中心から増長しようと時間にしがみつく。
>
>  F氏とて、それから逃れられなかったのか・・。

 知らない人に向かって何いってんの?あなたは。何様なの。
>
>  なぜ、クリシュナムルティを軸に据えることができなかったのか・・。
>
>  渡辺氏も・・。

 何をいってんのおたくは。皆クリシュナムルティから離れて「自立」してるんですよ。クリシュナムルティは、ただの通過点。
 真理というのは自身で、つかまえるんですよ。本に頼らず。
>
>
>  だからこそ、クリシュナムルティに耳を傾けねばならぬ。

 今だ自立できないから、「クリシュナムルティ」に執着する。
>
>  それを、人々に伝えること。

 自分の家族にも伝えられないくせに。
>
>  それが、今できる最大限のことかも・・・

 おたくがやればいいんだよ。やりたければ。人のことは関係ない。

 新しい芽氏も、渡辺氏も、その他の人も「クリシュナムルティ」などとっくに卒業している。
 クリシュナムルティも他の覚者も、言ってることは「一つ」しかない。それがわかれば本等必要ないということだ。
 何が人類の貢献だ。



[24699] Re:[24697] [24695] [24687] [24681] [24678] [24672] [24663] [24662] Kの言っていること―あるいは瞑想 投稿者:宮啓 投稿日:2017/10/16(Mon) 20:21  

> > > 大変興味深い話をありがとうございました。私は今マインド、脳、思考といった問題に関心を持っていることがわかりました。
> > >
> > > それでひょいとKの「思考のネットワーク」渡辺 充 訳 という本を引っ張り出して読んでいました。購入した当時はあまりピンとこなかったのですが、今私の関心にぴったりという感じで読んでいます。
> > > 1981年のザーネン講話と同年のアムステルダムでの講話です。上記和訳は1991年の発行です。
> >
> >
> >  私もこの本を読んでみました。
> >
> >  『英知へのターニングポイント』と改題された本です(平成22年初版発行)。
> >
> >  数年前に読んだ時と比べて、多くを学んでいます。理解が深まって学ぶことが多く陳述されています。
> >
> >  その読むきっかけを与えていただき感謝しています。
> >
> >  今、第3回講話まで読み終えました。
>
>
> 私が過去読んできたKの本は1945年ごろか1970年ちょっとまでで、そこでは見る、聴くという事が取り上げられ、それは戦争にも関連していたのですが、読み手側の問題もあるでしょうが個人的苦悩からの解放という捉え方が多かったと思います。
>
> それで見る、聴くは最初の入り口で、もしかすると最後のものであるかもしれないとはいえ、少しは平和に、葛藤なしに生き始めると何か足らないものがあるという感じが私にはあったのです。
>
> それで「時間の終焉」を経て、1981年の「思考のネットワーク」を読むと、個人の意識が人類の意識であること、それが現在の社会の戦争を頂点とする深刻な問題を引き起こしている、それは出来事に対し個別的に対応し、記憶し知識として広めてきた人類の意識、構造に起因することが明確に述べられています。
>
> その人類の意識のやり方、構造を(深く強いエネルギーで真に)よく聴き、理解し、新しい生き方、社会を実現することはKの言う事を聴いた私(ヒト)にかかっています。
>
> 私はようやくここまで来ました。


 おもしろいことに、ゴトさんは、ずっと以前から、そのことを識っていたかのように、振る舞っておられる。

 邦訳とネットでの公開。そして掲示板の運用。

 これが、今できる最大限の人類への貢献ではないでしょうか・・。

 ひとつ不思議なことは、渡辺さんなど、名だたるクリシュナムルティ翻訳者たちは、なぜ、そこまでに至っていないのか・・?

 >しかも、もし人が言葉の上でではなく、自分自身の心(ハート)、精神(マインド)の奥深くで、自分の存在の一番深いところで実際に確かめてみれば、時間は問題を解決しないことがわかるでしょう。−−(『英知へのターニングポイント』p67より引用)。


 自我は強大で、執拗に中心から増長しようと時間にしがみつく。

 F氏とて、それから逃れられなかったのか・・。

 なぜ、クリシュナムルティを軸に据えることができなかったのか・・。

 渡辺氏も・・。


 だからこそ、クリシュナムルティに耳を傾けねばならぬ。

 それを、人々に伝えること。

 それが、今できる最大限のことかも・・・


[24698] Re:[24691] [24689] [24688] [24684] [24682] [24677] [24669] [24666] [24665] 無題 投稿者:外野 投稿日:2017/10/16(Mon) 14:30  

> チャレンジというのは何でもいいのです。たとえば何かの趣味の道具を買いに行った、するとたまたま店が休日で買えない、思ったとおりに事が運ばない。「くそっ!」はらわたが煮えくり返ります。それがなかなか収まらない、むしろ我慢しよとすると余計苦しい。実はその日が定休日であることは知っていた。だが、趣味の楽しいイメージがあってそんな事は思いもしなかったのです。そのように、憤りが噴出するとき、ただ見ているのでなく、心が観察者としてその場にいて、反応が起きます。

 定休日というのが前もって知っているとしたら、そんなに腹が立つ事柄ではないでしょう。自分はですが。
 定休日というのが知らなかったら、腹が立ってもおかしくありません。非は店にあるのではなく、自分にあるのですから。
 知らなかった自分に腹が立つ。
 前者も結局、道具を買い忘れた自分に腹が立つ。
 問題は、ここで「腹が立っている自分」に気づいているかどうか。
 言い換えると「腹が立っている自分」が見えているかどうか。
 わかりやすくいうと「腹が立っている自分」が客観的に見えているかどうか。
 「腹が立っている自分」というのは一人相撲なわけですが、その一人相撲の有様が,ありありと見えているかどうか。
 自分の演技をモニターで見る役者のように。
 手のひらで踊る二人の孫悟空を見る観音様のように。
 火中の栗から、飛び出す。
>
> で、そういうマインドを持っているわがままな私としては、万事についてそのような反応が直ちに起こることなしに見ることは難しいのです。

 起これば起こったで、その有様、振る舞う自分を見る。観察する。
>
> それがただ見続けている、見ることだけがあると言ってもいいが、ただその状態を知覚しているという状態が発生するというのはそのような私にとっては言わば小さい奇蹟なのです。

 客観的に見ること自体が超越的。画期的なこと。
 ようするに思考過程(プロセス)を見るということ。
 どのように動いているか。どんなふうに気づいているか。
 全ての現象、事象、心模様は
 現われては消えていくものなり。

 店が休みで、思わず腹がたってしまった自分、これも一つの事象。
 はっきり明確に観察すれば、二度と繰り返すことはない。

> そのような変化が起こったという事は、私の条件づけられた物事の見方が変わったという事です。

 変化するのは周りの事象であって、真の私は「不変」です。
 つまりは「軸」がしっかりしないと見えません。
>
> それは何が原因、あるいは原動力になっているかというお尋ねだと思うのですが、私はKの発する問いを全体的に受け止め問いと共にとどまったという事で、マインドの在り方が変わったのではないかと思うとぐらいしか言えません。
 ?
>
> > また平和なマインドとうものがありうるでしょうか?
>
> 私はあると言いますし、それは自分が、おや、いつの間にか平和な心になったのかなと思ったことが以前にあるからですが、何せKのようにしっかり話ができないので、こんな言い方で勘弁してください。

 年をとれば、いつのまにか丸くなるもの。

 あなたとのスタンスの違いを明確に申し上げました。


[24697] Re:[24695] [24687] [24681] [24678] [24672] [24663] [24662] Kの言っていること―あるいは瞑想 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/16(Mon) 13:41  

> > 大変興味深い話をありがとうございました。私は今マインド、脳、思考といった問題に関心を持っていることがわかりました。
> >
> > それでひょいとKの「思考のネットワーク」渡辺 充 訳 という本を引っ張り出して読んでいました。購入した当時はあまりピンとこなかったのですが、今私の関心にぴったりという感じで読んでいます。
> > 1981年のザーネン講話と同年のアムステルダムでの講話です。上記和訳は1991年の発行です。
>
>
>  私もこの本を読んでみました。
>
>  『英知へのターニングポイント』と改題された本です(平成22年初版発行)。
>
>  数年前に読んだ時と比べて、多くを学んでいます。理解が深まって学ぶことが多く陳述されています。
>
>  その読むきっかけを与えていただき感謝しています。
>
>  今、第3回講話まで読み終えました。


私が過去読んできたKの本は1945年ごろか1970年ちょっとまでで、そこでは見る、聴くという事が取り上げられ、それは戦争にも関連していたのですが、読み手側の問題もあるでしょうが個人的苦悩からの解放という捉え方が多かったと思います。

それで見る、聴くは最初の入り口で、もしかすると最後のものであるかもしれないとはいえ、少しは平和に、葛藤なしに生き始めると何か足らないものがあるという感じが私にはあったのです。

それで「時間の終焉」を経て、1981年の「思考のネットワーク」を読むと、個人の意識が人類の意識であること、それが現在の社会の戦争を頂点とする深刻な問題を引き起こしている、それは出来事に対し個別的に対応し、記憶し知識として広めてきた人類の意識、構造に起因することが明確に述べられています。

その人類の意識のやり方、構造を(深く強いエネルギーで真に)よく聴き、理解し、新しい生き方、社会を実現することはKの言う事を聴いた私(ヒト)にかかっています。

私はようやくここまで来ました。


[24696] マインドの性質 投稿者:南方 投稿日:2017/10/15(Sun) 19:57  

見ることをすればこれは幻想ですが、それを前提で書きます。

マインドには4つの世界があり、それぞれに7段階のレベルがある。地水風火。

それをどうやって体験するかは幻想と知りながらその世界に入って世界がどう見えるかを感じるしかないんですね。
これはこれで楽しいもんです。
LSDを服用するとこんな感じかな、とかです。

あくまで僕の趣味の範囲ですので。
マインドに興味を持っていると言うことでしたので書きました。

これも幻想と前提で書きますが僕の魔術としてユダヤ包囲網というのをその人に術をかけることが可能な時もあります。メディア、魂、霊的に包囲するんですね。入院中は手が震えて飯が食えないほど人をビビらせたこともあります。

あとはテレパシー。

こんなところです。


[24695] Re:[24687] [24681] [24678] [24672] [24663] [24662] Kの言っていること―あるいは瞑想 投稿者:宮啓 投稿日:2017/10/15(Sun) 18:43  

> 大変興味深い話をありがとうございました。私は今マインド、脳、思考といった問題に関心を持っていることがわかりました。
>
> それでひょいとKの「思考のネットワーク」渡辺 充 訳 という本を引っ張り出して読んでいました。購入した当時はあまりピンとこなかったのですが、今私の関心にぴったりという感じで読んでいます。
> 1981年のザーネン講話と同年のアムステルダムでの講話です。上記和訳は1991年の発行です。


 私もこの本を読んでみました。

 『英知へのターニングポイント』と改題された本です(平成22年初版発行)。

 数年前に読んだ時と比べて、多くを学んでいます。理解が深まって学ぶことが多く陳述されています。

 その読むきっかけを与えていただき感謝しています。

 今、第3回講話まで読み終えました。


[24694] Re:[24692] [24691] [24689] [24688] [24684] [24682] [24677] [24669] [24666] [24665] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/15(Sun) 18:01  

> > > それで先の話に戻るのですが。見ることがあるとき、マインドのありようの変化がある、とおっしゃっていましたが私はこれが疑問です。
> > >
> > > 観れば静になることは確かです。ありようも変わります。
> > > これは非難正当化に焦点を当てているから起きたことなのか
> > > 背後にあるエネルギーによる影響なのかという疑問です。
> > >
> > > 両者に違いがあるとすればどういったものだとお考えですか?
> >
> > チャレンジというのは何でもいいのです。たとえば何かの趣味の道具を買いに行った、するとたまたま店が休日で買えない、思ったとおりに事が運ばない。「くそっ!」はらわたが煮えくり返ります。それがなかなか収まらない、むしろ我慢しよとすると余計苦しい。実はその日が定休日であることは知っていた。だが、趣味の楽しいイメージがあってそんな事は思いもしなかったのです。そのように、憤りが噴出するとき、ただ見ているのでなく、心が観察者としてその場にいて、反応が起きます。
> >
>
>
> かなりのチャレンジ精神の持ち主ですね。

? 私は世界、あるいは運命に挑戦(いじめ)されたと思っているわけですが。もちろんこれは私のつくった投影・イメージ。

> > で、そういうマインドを持っているわがままな私としては、万事についてそのような反応が直ちに起こることなしに見ることは難しいのです。
> >
>
>
> 自分でチャレンジしたんでしょう?まぁ誰でも難しと思いますが。

ま、イメージなしに見ることに私が挑戦しているとも言えます。

> > それがただ見続けている、見ることだけがあると言ってもいいが、ただその状態を知覚しているという状態が発生するというのはそのような私にとっては言わば小さい奇蹟なのです。
> > そのような変化が起こったという事は、私の条件づけられた物事の見方が変わったという事です。
> >
> > それは何が原因、あるいは原動力になっているかというお尋ねだと思うのですが、私はKの発する問いを全体的に受け止め問いと共にとどまったという事で、マインドの在り方が変わったのではないかと思うとぐらいしか言えません。
> >
>
>
> Kや皆様のおかげで私もそれが起こったし、一度起こると後は芸みたいなもので、お笑い芸人になんで面白いこと話せるんですか?と聞くようなもので、それはいつでもできるし、どうやってはナンセンス。芸事は問答無用。

はい。一度見ることに入ると、錯覚には戻れないですね。

> > > また平和なマインドとうものがありうるでしょうか?
> >
> > 私はあると言いますし、それは自分が、おや、いつの間にか平和な心になったのかなと思ったことが以前にあるからですが、何せKのようにしっかり話ができないので、こんな言い方で勘弁してください。
>
>
>
> 私もあると思います。以前と比べると丸くなったなと自分でも思うくらいです。
>
> そこでこれが疑問なんですが本当に芯から平和な心があるとしたら、ただ見ることはもう必要ないんじゃないか?ということです。
>
> そこはどうなんでしょう?
>
> やはり、ただ見ることを今数秒やってこれを書いてますが、あった方が楽です。
>
> 楽と言うことは平和な心じゃないということですか。心は芯から平和でありうるか・・・?

ただ見ることは普通の振る舞いになって、別に意識することではなくなっています。


[24693] Re:[24690] [24688] [24684] [24682] [24677] [24669] [24666] [24665] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/15(Sun) 17:37  

> > 見る状態において、観察者としてマインドが介入している状態と、介入していない(ただ見ている)状態があるのではないかと、私は言っています。
> >
> > 南方さんは、見ると言えば、それは常にただ見ていることを意味しているとわかりました。
>
>  そんなことは当たり前の話ではないですか。
>  「見る」というのは、ただ見ている、思考なしに見ている、という状態です。
>  意味しているということではなく、心の状態を指している。
>  こういうことは今まで、互いに了解の上では話していたはずです。
> 現に24644で
>  あなたはこう述べている
>  「非難正当化なしに聞く。無選択に聞く。動機、欲望なしに聞く。判断、解釈なしに聞く。知識をわきにおいて、初めて聞くように聞く。等々。このように聞くことが可能でしょうか?、とKは問います。」
>  これは「見る状態」ではないですか。

はい、ただ見ている状態です。

>  ところがあなたはここに来て、「見る」ということは二つあるという。
> 初めて聞きました。
>
>  あらためて再録しますが、
> > 見る状態において、観察者としてマインドが介入している状態と、介入していない(ただ見ている)状態があるのではないかと、私は言っています。
>
>  後の文はいいとして、前者の
> 「見る状態において、観察者としてマインドが介入している状態」
>  とは、どういう心の状態ですか?
>  マインドが介入した時点で、見る状態とは言えないでしょう。

マインドのつくったイメージを見ているという状態がありますね。それを実際と錯覚して見ている。それが気になるので、両方を見ていると言っていいかどうかが気になる。それは見ているに入れないと定義すればそれでいいです。その代りマインドの投影あるはイメージを見ている錯覚の状態を何というか示してください。

>  それともこれも「見る状態」ですか?

普通の人は投影なんかに気づいていないからどれも見ているに入れているのでしょう。
ちゃんと気づいていて、真正の見ているだけを「見ている」という人は、その人がそういうふうに言うとわかればそれでいいです。

>  そもそもそこでいうマインドというのは、どういう意味ですか。
>  思考をマインドと言い換えただけですか。

マインドは難しい言葉です。リンゴやミカンのように持ってきて触ることができません。
ここではマインドとは精神、意識、脳、思考、気分などの総称として使っています。

>
>  追記
>  議論したいのは、そういうことではなく
> 「非難正当化なしに聞く。無選択に聞く。動機、欲望なしに聞く。判断、解釈なしに聞く。知識をわきにおいて、初めて聞くように聞く。等々。このように聞くことが可能でしょうか?、とKは問います。」
>
>  この状態が、はたして一般の人がやっているのかどうかということです。
>  渡辺氏の疑問は、こういう状態というのは、一般の人が常にやっているのではないか、ということです。
>  ところが、一方ではKの文は一般の人は難しくて出来ないのではないかというイメージを与えてしまっている。例えば「気づきは難しい」と。
>  ですから、Kの読者にとって、ここでいう「ただ見る」「ただ聞く」ということが今イチ明確でないのではないだろうか。
>  渡辺氏の答えは簡単。ただ座れば「ただ見る」「ただ聞く」状態になる。だから「ただ座れ」という。形から入る。
>  形を否定するクリシュナムルティは「手がかり」がないと、仏教者は言う。
>

私は一般に見ると言ってもリアルに見ているのか、思考のつくったイメージを見ているのかがはっきりとは分からないでいると思います。
真実を見るのは決して容易ではないと思います。

それで人のやり方は形から入るという事です。これはパターンから入るということです。伝統のやり方です。何千年もやってきた。

Kは全く違う事を言います。何も知らずにただ見る、聴くという事から入る。必要なことは一生懸命それに取り組むことだけです。非難正当化なしにとかいう説明は、本当はいらないのでしょう。


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