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[25692] 既知からの自由5−4 投稿者:ゴト 投稿日:2018/07/22(Sun) 18:58  

5章の4 [恐怖の終わり]

 恐怖をどんな結論もなしに、恐怖について蓄積してきた知識のどんな干渉もなしに見つめることができますか? できないのなら、その時あなたが見つめているものは過去であり、恐怖ではありません。出来るならば、その時恐怖を始めて過去の干渉なしに見つめているのです。

 心が非常に静かなときにのみ見つめることができます。誰かが言っていることを聴くことができるのは、心がそれ自体でおしゃべりしていたり、それ自体の問題や心配について対話をしたりしていない時だけだというのと丁度同じです。同じように自分の恐怖を、それを解決しようと努めることなしに、その反対物、勇気を持ち込んだりせずに見ることができますか ― 実際にそれを見、それから逃げようとしないことができますか? 「恐怖を制御しなければならない、それを抜け出さなければならない、それを理解しなければならない」という時、あなたはそれから逃げようとしているのです。

 あなたは雲や、木や、川の流れを、それらは自分にとってあまり重要でないので、かなり静かな心で観察することができますが、自分自身を見つめることは、そこでは要求はとても実際的だし、反応はとても素早いので、遥かに困難です。そこで恐怖、または絶望、孤独、嫉妬、あるいは何かほかの醜い心の状態に直接接触するとき、心がそれを見るのに充分静かなほど、あなたはそれを非常に完全に見ることができるでしょうか?

 心は恐怖の種々の形ではなく、恐怖を知覚できるでしょうか ― あなたが恐れているものではなく、恐怖全体を知覚できるでしょうか? 恐怖の細部だけを見たり、自分の恐怖を一つ一つ処理しようとするなら、恐怖と共に生きることを学ぶという核心には決して到達しないでしょう。


 恐怖のような生きているものと共に生きるためには、途方もなく敏感で、何の結論を持たない、それゆえ恐怖のあらゆる動きについて行くことができる心とハートが必要です。そして観察しそれと共に生きるなら ― そしてこれはまる一日はかかりません。恐怖の全性質を知るのは一分か一秒でできます ― 非常に完全にそれと共に生きるならあなたは当然尋ねます。「恐怖と共に生きている実体は誰なのか? 恐怖を観察し、恐怖の中心的な事実に気づいているだけでなく、様々な形の恐怖の動きの全てを見つめているのは誰なのか? 観察者は、自分自身についてのたくさんの知識と情報を蓄積してきた死んだ実体、静的な存在なのだろうか、そして恐怖の動きを観察し、それと共に生きているのはその死んだものなのだろうか? 観察者は過去のものなのだろうか、それとも彼は生きているものなのだろうか?」あなたの答えは何でしょうか? 私に答えないで、自分自身に答えてください。あなた、観察者、は生きたものを見つめている死んだ実体ですか、それとも生きたものを見つめている生きているものでしょうか? なぜなら観察者には二つの状態が存在するからです。

 観察者は恐怖を望まない検閲官です。観察者は恐怖についての彼の全経験の総体です。それゆえ観察者は恐怖と呼ぶそのものとは別です。それらの間には空間があります。観察者は永久に恐怖を克服しようとし、あるいはそれから逃げようとします。そしてそのために彼自身と恐怖の間の戦いがあります ― この戦いはエネルギーの大変な浪費です。

 見つめるにつれて、観察者は何の確実性も実質もない単なる観念と記憶の束に過ぎないが、しかし恐怖は現実であること、そして自分が事実を抽象で理解しようとしていることを学びます。そんなことはもちろん出来ないのですが。しかし、実際のところ、「私は怖れている」という観察者は観察されるものつまり恐怖と何か異なるのでしょうか? 観察者は恐怖です。そしてそのことが実感されるときもはや恐怖を免れようとする努力の中でのエネルギーの浪費はなく、観察者と観察されるものの間の時空の隔たりは消えます。自分が恐怖の一部であり、それと別のものではないことを ― 自分が恐怖であることを ― 見るとき、あなたはそれについて何もすることはできません。その時恐怖は完全に終わります。

(5章 終わり)


[25691] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/07/22(Sun) 18:54  

自発的で楽しんで過ごしなさい。完璧でなくていい10%それができれば悟れる。


[25690] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/07/22(Sun) 18:50  

青空にとけていきそうだ。


[25689] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/07/22(Sun) 18:46  

頭で知ろうとするな。腹から知れ。


[25688] Re:[25687] [25685] [25677] 既知からの自由 5-3 投稿者:ゴト 投稿日:2018/07/22(Sun) 12:51  

> > > 5章の3 [思考の断片化]
> > >
> > >  思考の機能の一つはいつも何かに占められていることです。私達の大抵は、心が絶えず何かで占められていることを望み、その結果実際のままに自分を見ることを妨げられているのです。空っぽであることを恐れています。自分の恐怖を見ることを恐れています。
> >
> > 占有とは興味深い課題ですね。することは本来いっぱいあるのに、少し疲れている時などやりたくない。その時休むという事がなかなかできない。何か楽しみ・刺激を求めて、かえって疲れてしまう。空っぽでいることができない。
>
>
>  することがない場合がある。すなわち暇なとき。
>
>  私たちは、テレビをつけるのではないでしょうか。あるいはパソコンに向かう。新聞・チラシ等々。
>
>  なぜそうするのか・・。それをクリシュナムルティは説明している。
>  それが、思考の機能のひとつである、と。
>
>  占有を望み、占有無き「空きスペース」の存在を忌み嫌う。
>  試しに、テレビとパソコンのコンセントを抜いてみると分かる。
>
>  思考が「空きスペース」を忌み嫌い、占有を望むことが。

暇があるときはそれが今ある課題、どうするか、今朝2回ほど読みましたが、読みましたが、今レスにトライしています。

>  思考の占有の場で、フィルターなしに「見る」ことはできないとクリシュナムルティは述べる。
>
>  そして、思考の占有の場では、その恐怖、すなわち>空っぽであることを恐れています。自分の恐怖を見ることを恐れています。−−、そのような現にある恐怖を見ることができない。思考のフィルターがかぶさっているがゆえに。
>
>  この思考の機能の一つが、クリシュナムルティ理解の普及を大きく阻害していることが見えてくる。
>
>  思考のフィルターの場で、クリシュナムルティを読んでも、ピンとこないのではないだろうか。現にあるものには気づかない世界で生きている人々にとっては。クリシュナムルティの陳述が、現実と無関係に思えてしまう。

そう見える時、それは重要な問題となる。それは岐路であるから。また出会う事のないかもしれない岐路であるから。

> > >  意識的には自分の恐怖に気づくことができますが、心のより深いレベルで恐怖に気づくでしょうか? そして隠され、秘められている恐怖をどうやって見いだしますか? 恐怖は意識的なものと潜在意識のものに分けられるでしょうか? これは非常に重要な質問です。専門家、心理学者、分析医は恐怖を深層と表層に分けてきましたが、もしあなたが心理学者の言うことや私の言うことに従うなら、私達の理論、定説、知識を理解しているのであって、自分自身を理解しているのではありません。あなたは自分自身をフロイトやユングに従って、あるいは私に従って理解することはできません。他人の説は何であれ少しも重要ではありません。恐怖が意識的なものと潜在意識的なものに分けられるのか? という質問をしなければならないのは、自分自身についてです。あるいは種々の形に解釈されているただ一つの恐怖があるだけでしょうか? ただ一つの欲望があります。欲望のみがあります。あなたは欲します。欲望の対象は変わりますが、欲望は常に同じです。ですからおそらく同様に恐怖のみがあります。あらゆる種類の物事を恐れますがただ一つの恐怖があるだけなのです。
>
>
>  クリシュナムルティが意思疎通の手法のひとつとしているものが、「問い」である。
>
>  クリシュナムルティが発する「問い」を聴く。
>
>  すなわち、>恐怖は意識的なものと潜在意識のものに分けられるでしょうか? これは非常に重要な質問です。専門家、心理学者、分析医は恐怖を深層と表層に分けてきましたが、もしあなたが心理学者の言うことや私の言うことに従うなら、私達の理論、定説、知識を理解しているのであって、自分自身を理解しているのではありません。あなたは自分自身をフロイトやユングに従って、あるいは私に従って理解することはできません。他人の説は何であれ少しも重要ではありません。恐怖が意識的なものと潜在意識的なものに分けられるのか? という質問をしなければならないのは、自分自身についてです。あるいは種々の形に解釈されているただ一つの恐怖があるだけでしょうか?−−
>
>
>  「問い」に対しての向き合い方も、ここで説明されている。これまで身につけた知識・記憶・経験(すなわち、心理学・精神医学的権威)を脇において、自ら自身に問うことが重要である旨。
>  一般的に、知識は心理的に権威ではないだろうか。

物理や数学の世界では先人の業績を踏まえて、自分が何を新しく見つけたかはっきり示さなければならない。だが思考の心理的な分野では全く違う。そこでは古い問題が堂々巡りしている。現にある課題を今看破する必要がある。

> > >  恐怖が分けられないことを実感するとき、あなたはこの潜在意識の問題を全く捨ててしまったこと、そしてそれゆえ心理学者と分析医を免れたことが分かるでしょう。恐怖は単一の動きでありそれ自体を種々のやり方で表現することを理解するとき、そしてその動きを見て、動きが進む対象を見るのではないとき、その時あなたは巨大な質問に直面しています。どうやってあなたはその動きを、心が育成してきた断片化なしに見ることができるでしょうか?
>
>
>  クリシュナムルティは、更に進んで、「問い」の手法で導こうとする。
>
>  我々は、焦らず、ついてゆくことができるか。。
>
>
>
>  一般的には、即決の報酬がないと、待てずに、いらだち、別の快楽探求へと旅立ってゆく。
>  それゆえに、クリシュナムルティ理解が普及しにくい。

殆どの聴衆は即時の理解を自分自身が得ることなどできるわけがないと思い込んでおり、答えあるいは何らかのヒントを待つだけです。そして古い思考で議論するのみ。
>
>
>
> > >  全体的な恐怖があるだけですが、断片的に考える心はどうやってこの全体像を見ることができるでしょうか? できます? 私達は断片化した生を生きてきました。そして恐怖全体を思考の断片的な過程を通じてだけ見ることができるのです。思考の機構の全過程があらゆるものを断片に砕くことです。愛しそして憎む、敵と友、私の独特の個性と傾向、私の仕事、私の地位、私の名声、私の妻、私の子供、私の国とあなたの国、私の神とあなたの神 ― その全ては思考の断片化です。そしてこの思考が恐怖の全体の状態を見、あるいは見ようと努め、そしてそれを断片にしてしまいます。従って心がこの恐怖全体を見ることができるのは、思考の動きがない時だけであることがわかります。
>
>
>  恐怖を見るとき、その恐怖は「私の恐怖」として見ている。現にある恐怖は、本当に「私の恐怖」なのか。。もしも、「私の恐怖」であれば、全身全霊で自我は反応するのではないでしょうか。
>
>
> > > (続く)
> >
> > 思考のすべてを断片化してしまう事をこのような形で受け取ったのは初めてです。愕然として受け取りました。
> >
> > 虫の目で見るのと鳥の目で見るのとの違いですね。その違いの淵源はこんなところ(思考)にあったのか!
> >
> > 個々の恐怖から免れるのと違って、恐怖を一丸として終わりにするとはここから出ているのかとわかりました。


次は5章の最終回です。


[25687] Re:[25685] [25677] 既知からの自由 5-3 投稿者:宮啓 投稿日:2018/07/22(Sun) 09:30  

> > 5章の3 [思考の断片化]
> >
> >  思考の機能の一つはいつも何かに占められていることです。私達の大抵は、心が絶えず何かで占められていることを望み、その結果実際のままに自分を見ることを妨げられているのです。空っぽであることを恐れています。自分の恐怖を見ることを恐れています。
>
> 占有とは興味深い課題ですね。することは本来いっぱいあるのに、少し疲れている時などやりたくない。その時休むという事がなかなかできない。何か楽しみ・刺激を求めて、かえって疲れてしまう。空っぽでいることができない。


 することがない場合がある。すなわち暇なとき。

 私たちは、テレビをつけるのではないでしょうか。あるいはパソコンに向かう。新聞・チラシ等々。

 なぜそうするのか・・。それをクリシュナムルティは説明している。
 それが、思考の機能のひとつである、と。

 占有を望み、占有無き「空きスペース」の存在を忌み嫌う。
 試しに、テレビとパソコンのコンセントを抜いてみると分かる。

 思考が「空きスペース」を忌み嫌い、占有を望むことが。

 思考の占有の場で、フィルターなしに「見る」ことはできないとクリシュナムルティは述べる。

 そして、思考の占有の場では、その恐怖、すなわち>空っぽであることを恐れています。自分の恐怖を見ることを恐れています。−−、そのような現にある恐怖を見ることができない。思考のフィルターがかぶさっているがゆえに。

 この思考の機能の一つが、クリシュナムルティ理解の普及を大きく阻害していることが見えてくる。

 思考のフィルターの場で、クリシュナムルティを読んでも、ピンとこないのではないだろうか。現にあるものには気づかない世界で生きている人々にとっては。クリシュナムルティの陳述が、現実と無関係に思えてしまう。



> >  意識的には自分の恐怖に気づくことができますが、心のより深いレベルで恐怖に気づくでしょうか? そして隠され、秘められている恐怖をどうやって見いだしますか? 恐怖は意識的なものと潜在意識のものに分けられるでしょうか? これは非常に重要な質問です。専門家、心理学者、分析医は恐怖を深層と表層に分けてきましたが、もしあなたが心理学者の言うことや私の言うことに従うなら、私達の理論、定説、知識を理解しているのであって、自分自身を理解しているのではありません。あなたは自分自身をフロイトやユングに従って、あるいは私に従って理解することはできません。他人の説は何であれ少しも重要ではありません。恐怖が意識的なものと潜在意識的なものに分けられるのか? という質問をしなければならないのは、自分自身についてです。あるいは種々の形に解釈されているただ一つの恐怖があるだけでしょうか? ただ一つの欲望があります。欲望のみがあります。あなたは欲します。欲望の対象は変わりますが、欲望は常に同じです。ですからおそらく同様に恐怖のみがあります。あらゆる種類の物事を恐れますがただ一つの恐怖があるだけなのです。


 クリシュナムルティが意思疎通の手法のひとつとしているものが、「問い」である。

 クリシュナムルティが発する「問い」を聴く。

 すなわち、>恐怖は意識的なものと潜在意識のものに分けられるでしょうか? これは非常に重要な質問です。専門家、心理学者、分析医は恐怖を深層と表層に分けてきましたが、もしあなたが心理学者の言うことや私の言うことに従うなら、私達の理論、定説、知識を理解しているのであって、自分自身を理解しているのではありません。あなたは自分自身をフロイトやユングに従って、あるいは私に従って理解することはできません。他人の説は何であれ少しも重要ではありません。恐怖が意識的なものと潜在意識的なものに分けられるのか? という質問をしなければならないのは、自分自身についてです。あるいは種々の形に解釈されているただ一つの恐怖があるだけでしょうか?−−


 「問い」に対しての向き合い方も、ここで説明されている。これまで身につけた知識・記憶・経験(すなわち、心理学・精神医学的権威)を脇において、自ら自身に問うことが重要である旨。
 一般的に、知識は心理的に権威ではないだろうか。



> >  恐怖が分けられないことを実感するとき、あなたはこの潜在意識の問題を全く捨ててしまったこと、そしてそれゆえ心理学者と分析医を免れたことが分かるでしょう。恐怖は単一の動きでありそれ自体を種々のやり方で表現することを理解するとき、そしてその動きを見て、動きが進む対象を見るのではないとき、その時あなたは巨大な質問に直面しています。どうやってあなたはその動きを、心が育成してきた断片化なしに見ることができるでしょうか?


 クリシュナムルティは、更に進んで、「問い」の手法で導こうとする。

 我々は、焦らず、ついてゆくことができるか。。



 一般的には、即決の報酬がないと、待てずに、いらだち、別の快楽探求へと旅立ってゆく。
 それゆえに、クリシュナムルティ理解が普及しにくい。



> >  全体的な恐怖があるだけですが、断片的に考える心はどうやってこの全体像を見ることができるでしょうか? できます? 私達は断片化した生を生きてきました。そして恐怖全体を思考の断片的な過程を通じてだけ見ることができるのです。思考の機構の全過程があらゆるものを断片に砕くことです。愛しそして憎む、敵と友、私の独特の個性と傾向、私の仕事、私の地位、私の名声、私の妻、私の子供、私の国とあなたの国、私の神とあなたの神 ― その全ては思考の断片化です。そしてこの思考が恐怖の全体の状態を見、あるいは見ようと努め、そしてそれを断片にしてしまいます。従って心がこの恐怖全体を見ることができるのは、思考の動きがない時だけであることがわかります。


 恐怖を見るとき、その恐怖は「私の恐怖」として見ている。現にある恐怖は、本当に「私の恐怖」なのか。。もしも、「私の恐怖」であれば、全身全霊で自我は反応するのではないでしょうか。


> > (続く)
>
> 思考のすべてを断片化してしまう事をこのような形で受け取ったのは初めてです。愕然として受け取りました。
>
> 虫の目で見るのと鳥の目で見るのとの違いですね。その違いの淵源はこんなところ(思考)にあったのか!
>
> 個々の恐怖から免れるのと違って、恐怖を一丸として終わりにするとはここから出ているのかとわかりました。


[25686] 雑観二題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/07/22(Sun) 00:57  

今日はNHKBS1でフェイクニュースとプライバシーという興味深い番組を観ました。

フェイクニュースは最近のネット上でのフェイクニュースの激増とその影響を、フランス大統領選挙の実際に起きた事実と合わせてその実態を伝えてくれるものでした。

少数の個人により流される偽情報が一日二日で何十万という規模に拡大します。追っかけて偽造文書が出ます。これがフランス自体からではない外国からの発信だそうです。フェイクニュースを調べて真偽を判定するメディアの協力活動もあります。選挙の直前にフェイクであると報道できたようです。

これは一市民の見分ける領域を超えています。今のIT技術の与える+と−はすごく巨大で個人の手には負えなくなるでしょう。組織の力に頼らざるを得ないですが、その組織が善と悪に分かれそうだし、小組織が力を持てるらしい。

人間(市民)が上部組織を制御できるかという問題は切迫した問題ですね。

プライバシーも同質の問題ですが、結局、上部組織にどの程度プライバシー情報を与えるかどうかという問題かも知れません。

古代ギリシャでは市民はなぜか個人情報を公開することが当然とされていたようです。個というものはとるに足らないもの?? 全体との分離がなければ個は明け渡せる? 現実はそうは行かない。極論を言えばヌード写真を役所やグーグルに渡せるかってなもんだ。誰が主人なのかだ。(これおかしい?)


[25685] Re:[25677] 既知からの自由 5-3 投稿者:ゴト 投稿日:2018/07/21(Sat) 23:32  

> 5章の3 [思考の断片化]
>
>  思考の機能の一つはいつも何かに占められていることです。私達の大抵は、心が絶えず何かで占められていることを望み、その結果実際のままに自分を見ることを妨げられているのです。空っぽであることを恐れています。自分の恐怖を見ることを恐れています。

占有とは興味深い課題ですね。することは本来いっぱいあるのに、少し疲れている時などやりたくない。その時休むという事がなかなかできない。何か楽しみ・刺激を求めて、かえって疲れてしまう。空っぽでいることができない。

>  意識的には自分の恐怖に気づくことができますが、心のより深いレベルで恐怖に気づくでしょうか? そして隠され、秘められている恐怖をどうやって見いだしますか? 恐怖は意識的なものと潜在意識のものに分けられるでしょうか? これは非常に重要な質問です。専門家、心理学者、分析医は恐怖を深層と表層に分けてきましたが、もしあなたが心理学者の言うことや私の言うことに従うなら、私達の理論、定説、知識を理解しているのであって、自分自身を理解しているのではありません。あなたは自分自身をフロイトやユングに従って、あるいは私に従って理解することはできません。他人の説は何であれ少しも重要ではありません。恐怖が意識的なものと潜在意識的なものに分けられるのか? という質問をしなければならないのは、自分自身についてです。あるいは種々の形に解釈されているただ一つの恐怖があるだけでしょうか? ただ一つの欲望があります。欲望のみがあります。あなたは欲します。欲望の対象は変わりますが、欲望は常に同じです。ですからおそらく同様に恐怖のみがあります。あらゆる種類の物事を恐れますがただ一つの恐怖があるだけなのです。
>
>  恐怖が分けられないことを実感するとき、あなたはこの潜在意識の問題を全く捨ててしまったこと、そしてそれゆえ心理学者と分析医を免れたことが分かるでしょう。恐怖は単一の動きでありそれ自体を種々のやり方で表現することを理解するとき、そしてその動きを見て、動きが進む対象を見るのではないとき、その時あなたは巨大な質問に直面しています。どうやってあなたはその動きを、心が育成してきた断片化なしに見ることができるでしょうか?
>
>  全体的な恐怖があるだけですが、断片的に考える心はどうやってこの全体像を見ることができるでしょうか? できます? 私達は断片化した生を生きてきました。そして恐怖全体を思考の断片的な過程を通じてだけ見ることができるのです。思考の機構の全過程があらゆるものを断片に砕くことです。愛しそして憎む、敵と友、私の独特の個性と傾向、私の仕事、私の地位、私の名声、私の妻、私の子供、私の国とあなたの国、私の神とあなたの神 ― その全ては思考の断片化です。そしてこの思考が恐怖の全体の状態を見、あるいは見ようと努め、そしてそれを断片にしてしまいます。従って心がこの恐怖全体を見ることができるのは、思考の動きがない時だけであることがわかります。
>
> (続く)

思考のすべてを断片化してしまう事をこのような形で受け取ったのは初めてです。愕然として受け取りました。

虫の目で見るのと鳥の目で見るのとの違いですね。その違いの淵源はこんなところ(思考)にあったのか!

個々の恐怖から免れるのと違って、恐怖を一丸として終わりにするとはここから出ているのかとわかりました。


[25684] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/07/20(Fri) 21:09  

Kと探求の旅ができるのは幸せなことだ。


[25683] Re:[25674] [25665] 既知からの自由5-2 投稿者:宮啓 投稿日:2018/07/20(Fri) 16:59  

> > 5章の2 [恐怖と恐怖全体]
> >
> >  恐怖は生においてもっとも大きい問題の一つです。恐怖に捕えられた心は混乱の中に、葛藤の中に生きており、それゆえ暴力的で、歪められていて、攻撃的に違いありません。それはそれ自体の思考のパターンからあえて離れようとせず、このことが偽善を生み出します。恐怖から自由にならない限り、最高峰に登り、あらゆる種類の神を創り出そうが、私達は常に暗闇の中に留まるでしょう。このような堕落した愚かな社会の中で、今のように生き、恐怖を生み出す競争的な教育を受けて、私達はみなある種の恐怖を背負っており、そして恐怖は私達の日々を歪め、捻じ曲げ、鈍くする恐ろしいものです。


 >それはそれ自体の思考のパターンからあえて離れようとせず、このことが偽善を生み出します。−−


 体面や群れる仲間等々が、事実よりも重要となり、事実は愛がないにも関わらず、愛を振る舞う。その恐怖が偽善の蔓延となり、地上にはびこる。

 これが腐敗した社会ではないだろうか。

 社会は腐敗していないだろうか。。


> >  肉体的恐怖もありますがそれは私達が動物から受け継いだ反応です。ここで私達が関わっているのは心理的な恐怖です。というのは深く根差した心理的恐怖を理解すれば、動物的恐怖に応じることができますが、最初に動物的恐怖に関わることは、心理的恐怖を理解する助けには決してならないからです。


 本能的な恐怖。大きな音、高い場所。その恐怖は身を守るために役立つ。これが肉体的な恐怖。
 今は、この肉体的な恐怖がない場合から始める。


> >  私達はみな何かについて恐れます。抽象の中に恐怖はなく、それは常に何かとの関係の中にあります。あなたは自分自身の恐怖を知っているでしょうか? ― 自分の仕事を失う恐怖、食物やお金を十分持たない恐怖、隣人または世間が自分をどう思うかや、成功しないこと、社会的地位を失うこと、軽蔑され、あざ笑れる恐怖 ― 苦痛や病気の恐怖、支配の恐怖、愛が何であるか知らないこと、あるいは愛されていないこと、妻や子を失うこと、死、死のような世界に生きること、まったくの退屈、他人があなたについて作り上げたイメージに沿って生きないこと、信頼を失う事の恐怖 ― これらすべてや数え切れない他の恐怖 ― あなたは自分の特別の恐怖を知っているでしょうか? またそれらについて普段どうしていますか? それから逃げていないでしょうか、あるいはそれらを覆い隠す観念やイメージをつくり上げてはいないでしょうか? しかし恐怖から逃げることは恐怖を増すだけです。


 恐怖の時は不快である。そして不快を解消する方向へ動こうとする。孤独の時、人と話をしようとするのではないだろうか。そうすれば、その恐怖は一時的には去る。これが恐怖から逃げているとクリシュナムルティは説く。


> >  恐怖の主な原因の一つはあるがままの自分自身に直面したがらないことです。そこで、恐怖それ自体と同様、それから免れるためにつくり上げた逃避のネットワークも調べなければなりません。頭脳を含む心が恐怖を克服し、それを抑圧し、訓練し、制御し、他の何かの言葉に翻訳しようとするなら、摩擦があり、葛藤があり、そしてその葛藤はエネルギーの浪費です。


 孤独の時、人と話をしようとするように、孤独の恐怖から免れるためにつくり上げた逃避のネットワークがあるのではないだろうか。それがあるところでは、自分自身に直面できないところのネットワーク。

 そのネットワークは、頭脳を含む心が恐怖を克服し、それを抑圧し、訓練し、制御し、他の何かの言葉に翻訳する場。

 その場では、何とつまらない話題しかないのだろう。。と思いつつ、友愛を育てるため、輪を、和を、絆を保つため、すなわち逃避のネットワークを維持・向上するため、エネルギーと時間の浪費を感じつつ、堪える。

 解散後、ほっとして帰路につく。葛藤のエネルギーの浪費。

 又、明日、飲み会がある。


> >  そこで最初に自分に尋ねるべきことは、恐怖とは何かそしてそれはどのように起きるか?です。恐怖という言葉自体は何を意味しているのでしょうか? 私は、自分が何を恐れるかではなく、恐怖とは何か、と自分に尋ねているのです。


 「何を恐れているのか?」の問いには比較的答えやすい。

 「恐怖とは何か?」とクリシュナムルティは問う。


> >  私はある種の生を送っています。ある型で考えます。ある特定の信念や教義を持ち、それらの中に自分のルーツを持っているので、これらの存在の型が乱されるのを望みません。それらが乱されると未知の状態が生じるし、それが嫌いなので乱されたくありません。もし自分が知っていること、そして信じていることの全てから引き裂かれるなら、私が進もうとしている物事の状態がある程度は確かであるようにと望みます。ですから脳細胞は型を生み出し、そしてこの脳細胞は不確かかもしれない別の型を作り出すことを拒みます。確実から不確実への運動が、恐怖と私の呼ぶものです。


 「確実」とは、この場合はああなるので、こうする。あの場合はそうなるので、ああする。という、パターンが確立しており、よって恐怖が生ずる余地はない。常に備えている思考は、逃避のためのネットワークを確立している。

 しかし、常に備えている思考が想定していなかった挑戦がやってくる。「確実」ではなかったのだ。。

 >確実から不確実への運動が、恐怖と私の呼ぶものです。−−

 クリシュナムルティによると、これは脳細胞レベルでの反応とのこと。

 環境の急変による緊張等は、犬・ネコにもあるようだ。借りてきた猫。脳細胞レベルでの反応。恐怖の電気回路的実体。



> >  ここに座っている現実の瞬間、私は恐れていません。現在恐れていません、何も起きてはいないし、誰も私を脅かしたり、私から何かを取り上げようとしていません。しかし現実の瞬間を越えて、より深い心の層があり、それは意識的あるいは無意識的に未来に起こるかもしれないことを考えたり、過去からの何かが自分を襲うかもしれないと心配しています。このように私は過去を恐れまた未来を恐れています。私は時間を過去と未来に分割しています。思考が入り込み、「それが再び起きないように気を付けよ」あるいは「未来に備えよ。未来は危険かもしれない。今は何かを得ているがそれを失うかも知れない。明日は死ぬかも知れないし、妻が逃げ去るかも知れないし、仕事を失うかもしれない。決して有名になれないかも知れない。寂しいかも知れない。明日について万全にしておきたい」と言います。


 今は環境の急変の中には居ない。又、今はあの確実から不確実への運動はない。すなわち、今は、恐怖の電気回路的実体はない。
 思考は備える常に。あの豪雨・地震・津波・犯罪・事故・病気等々、環境の急変、あの確実から不確実への運動。すなわち、恐怖の電気回路的実体に備えよ。明日について万全にせよ。


> >  さてあなた自身の特定の形の恐怖を取り上げましょう。それを見てご覧なさい。それに対するあなたの反応を見守りなさい。それを如何なる逃避、正当化、非難あるいは抑圧の動きなしに見ることができるでしょうか? その恐怖を、その恐怖を引き起こす言葉なしに見ることができるでしょうか? 例えば、死の恐怖を引き起こす言葉なしに、死を見ることができるでしょうか? 愛という言葉がそれ自体の震え、それ自体のイメージを持っているのと同様に、その言葉それ自体が震えをもたらすのではないでしょうか? さてあなたが自分の心の中に死について持っているイメージ、あなたが見てきた非常に多くの死の記憶と、それらの事件についてのあなた自身の関連 ― 恐怖を作っているのはそのイメージではないでしょうか? それとも終わりを作っているイメージではなく、終わりが来ることを実際に恐れているのでしょうか? あなたが恐れる原因となっているのは死という言葉でしょうか、それとも実際の終わりでしょうか? 恐れる原因となっているものが言葉または記憶なら、それは全く恐怖ではありません。


 過去の恐怖の電気回路的実体の記憶・経験。それはイメージであり言葉であり、その電気的回路は今は存在しない。

 だから、電気的回路が恐怖ではなく、イメージ・言葉、すなわち記憶・知識・経験があの電気回路的実体と混同され、恐怖されているのでは。。

 混同さえなければ恐怖ではない。あの電気回路的実体は無いのだから。



> >  2年前に病気だったとしてみましょう。そしてその苦痛、その病気の記憶が残り、今記憶が作動して「気を付けよ。また病気にならないように」と言います。そこで記憶がその関連と共に恐怖をつくっており、そして実際にはこの瞬間にはあなたは非常に健康であるので、それは全く恐怖ではありません。思考は、それは常に古いのです。なぜなら思考は記憶の反応であり、記憶は常に古いからです ― 思考は、時間の中に、怖れているという感情をつくりますがそれは実際の事実ではありません。実際の事実は健康だという事です。しかし経験は、それは心に記憶として残っていますが、「気をつけなさい。また病気にならないように」という思考を引き起こします。


 >思考は、時間の中に、怖れているという感情をつくりますがそれは実際の事実ではありません。−−

 私たちは、「感情」を「真実の尺度」にする傾向があるようです。

 愛他心を感じて、そこに愛があると確信する。「感情」が「真実の尺度」となっている。

 しかし、「感情」は「思考」であるとは、クリシュナムルティの言葉である。

 すなわち、>思考は記憶の反応であり、記憶は常に古いからです ― 思考は、時間の中に、怖れているという感情をつくりますがそれは実際の事実ではありません。−−

 その感情に注意する。すると、その感情は害をなさないのではないでしょうか。

 害を為さない感情はもはや「恐怖」とは言えない。なぜなら、「恐怖」とは>恐怖に捕えられた心は混乱の中に、葛藤の中に生きており、それゆえ暴力的で、歪められていて、攻撃的に違いありません。−−、そのように害をなすものではなかろうか。

 注意の中にある感情はもはや害を為さず、それゆえに、あの言葉としての「恐怖」とは別物となっている。それは「生」ではなかろうか。。

 それゆえに、実際の事実は生があるという事です。

 すなわち、それは全くの恐怖ではない。


> >  それゆえ思考が一つの種類の恐怖を生じさせるのがわかります。しかしそのことから離れていったい恐怖はあるでしょうか? 恐怖は常に思考の結果でしょうか、そしてもしそうなら、何か別の形の恐怖はあるでしょうか? 私達は死を恐れます ― つまり、明日、あるいは明後日、やがて起こる何かを恐れます。現実とそうなるであろうことの間には距離があります。さて思考はこの状態を経験してきました。死を観察することによって「私は死ぬのだ」と言います。思考は死の恐怖をつくり、そしてもし思考がつくらないなら、いったい恐怖はあるでしょうか?


 過去のあるときに、生の挑戦として恐怖の電気的回路が起きた。
 今は、その回路はない。しかし、思考がその擬似的回路を形成しなければ、その恐怖の電気的回路が、今あるのだろうか。

 思考による擬似的回路と本物の恐怖の電気的回路を区別できるだろうか。
 それを見ることができたときに、そこに恐怖があるだろうか。


> >  恐怖は思考の結果でしょうか? もしそうなら思考は常に古いので、恐怖はいつも古いのです。私達が言ってきたように、新しい思考はありません。私達がそれを認識するなら、それはすでに古いのです。ですから私達が怖れているものは古いものの繰り返し ― かつてあったものを未来に投影している思考です。それゆえ思考は恐怖に責任があります。こういうわけで、あなたはそれを自分自身で見ることができます。何かに即時に直面するとき恐怖はありません。恐怖があるのは思考が入ってくるときだけです。

 過去の「確実から不確実への運動」の記憶・知識・経験は思考である。今現在には「確実から不確実への運動」、これはない。

 そして、現在、今まさに何かに即時に直面するとき恐怖はないとクリシュナムルティは述べる。



> >  それゆえ今度の問題は、心にとって完全に、全的に、現在に生きることは可能か? ということです。そのような心のみが恐怖を持たないのです。しかしこのことを理解するためには、思考、記憶そして時間の構造を理解しなければなりません。そしてそれを、知的にでもなく、言葉の上でもなく、自分のハートで、自分の心で、自分のガッツで実際に理解する中で、あなたは恐怖から自由になるでしょう。その時心は恐怖をつくることなく思考を使う事ができます。


 その恐怖が自己への直面にフィルターをかける。自己に直面すれば、恐怖から自由になる。

 そのフィルターの正体。それは>恐怖それ自体と同様、それから免れるためにつくり上げた逃避のネットワーク−−。
 これらを、>知的にでもなく、言葉の上でもなく、自分のハートで、自分の心で、自分のガッツで実際に理解する−−。



> >  思考は、記憶と同じように、もちろん日常生活に必要です。それはコミュニケーションや仕事などするための唯一の道具です。思考は記憶への応答であり、記憶は経験、知識、伝統、時間を通じて蓄積されてきました。そしてこの記憶の背景から私達は反応し、その反応が思考です。それゆえ思考はあるレベルでは不可欠ですが、思考がそれ自体を未来や過去のものとして心理的に投影し、快楽だけでなく恐怖もつくり出すとき、心は鈍くされ、したがって不活発は避けられません。
> >
> >  そこで自分に尋ねます、「なぜ、なぜ、なぜ、そのような思考が恐怖をつくり出すことを知りながら、快楽と恐怖の見地から未来と過去について私は考えるのだろうか? 思考が心理的に止むことは出来ないのだろうか? というのはそうでなければ恐怖は決して終わらないから」


 すなわち、私が恐怖であった。




> この問いは複雑な問いというか、広く深く問う事が必要と思われます。とりあえず先に進みましょう。
> >
> > (続く)


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