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[25144] 見ること 投稿者:ゴト 投稿日:2018/02/24(Sat) 17:08  

見ることについて順序立てて書こうとすると書けません。成り行き任せで書きます。
見ることとは何かというのは読書会でよく話題の種になりました。まだ読書会に行き始めたころ、「あなたは『見ること』をどういう事と思っているのか」という質問がみなに回されました。

いろいろな答えがありましたが、今は忘れました。自分のした答えは、新婚当時のことですが、職場から帰って夕食の時、食事が残り物の寄せ集めであまりにも粗末なので、怒って妻のほほをひっぱたいた時のことです。その時の私の予想は相手が言い返したり言い訳をすることだったかと思いますが、実際にそこに見えたのは目を見開いた妻の驚愕の表情でした。たぶん妻はそのような経験は全くなかったのでしょう。何か貴重なものを壊してしまった気がしました。そのあと妻に手を上げるようなことは全くしたことがありません。そのあとこのことは全く忘れていましたが、読書会のその日の問いで、そのことが突然思い出されました。心の中に再現されたのです。

人の評は、それはまれに起きた事件に関することで、日常の繰り返しの中での見ることが興味があるのだが、という事でした。確かにそうなんですが、それが小さくとも日常のパターンを超える時、ある種の事件性はあると思います。ある種の意外性、発見、理解、そして人格の変化。

その後私には見ることを獲得したいという思いが大きくなって、新し芽さんにどうすれが見ることができるかとお尋ねしました。
新しい芽さんは目を相手に向けるのでなく、自分の方に向けることをしていると、見ることがわかる、自然にそうなるという事でした。

これは当時の私には実践できませんでした。今振り返って思うとあまりにも能動的に、積極的に見ようとしているため、全体を受動的に見ている風にならなかったようです。自分に向いていて外部も知覚を通じて受動的に見えればよかったのかもしれません。

しばらくぽつぽつと書いてみます。質問があればいつでもどうぞ。


[25143] Re:[25142] [25141] 無題 投稿者:南方 投稿日:2018/02/24(Sat) 15:49  

> > この掲示板に書き込むことが、果たして主体性があるのか疑問に思う。何かに突き動かされて書き込むこともあるし、或いは自分の中で熟成されたものが突き動かしているのかもしれない。
> >
> > 人間以外は機械的かと観察すると、それは私の何かに呼応するという意味で機械的であり、また生かされていると考えると主体的である。
> >
> > ということが言えませんか?
>
> 主体的に、能動的に、あるいは受動的にとかの言葉は難しい言葉ですね。幸せになろうとするのと果報は寝て待てのようなもんかな。
>

違います。僕のはもっと深い意味があります。


> しかし生きるという事は能動性や主体性を連想させるが、機械的?思考するとわけがわからないという事だろうか。


わけをわからなくしているのはゴトさんかな。


[25142] Re:[25141] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/02/23(Fri) 23:36  

> この掲示板に書き込むことが、果たして主体性があるのか疑問に思う。何かに突き動かされて書き込むこともあるし、或いは自分の中で熟成されたものが突き動かしているのかもしれない。
>
> 人間以外は機械的かと観察すると、それは私の何かに呼応するという意味で機械的であり、また生かされていると考えると主体的である。
>
> ということが言えませんか?

主体的に、能動的に、あるいは受動的にとかの言葉は難しい言葉ですね。幸せになろうとするのと果報は寝て待てのようなもんかな。

しかし生きるという事は能動性や主体性を連想させるが、機械的?思考するとわけがわからないという事だろうか。


[25141] 無題 投稿者:南方 投稿日:2018/02/23(Fri) 16:05  

この掲示板に書き込むことが、果たして主体性があるのか疑問に思う。何かに突き動かされて書き込むこともあるし、或いは自分の中で熟成されたものが突き動かしているのかもしれない。

人間以外は機械的かと観察すると、それは私の何かに呼応するという意味で機械的であり、また生かされていると考えると主体的である。

ということが言えませんか?


[25140] Re:[25139] [25136] [25135] [25134] [25131] [25129] 『真の瞑想〜自らの内なる光〜』読み終えました 投稿者:宮啓 投稿日:2018/02/23(Fri) 09:18  

> >  >クリシュナムルティは真の瞑想とか、内なる光とかでこのことを説いています。これが何を指して言っているか自分のこととしてわからないと、本当にKがわかっていますかと言われた時に困ります。−−、ゴトさんは「真の瞑想」や「内なる光」を自分のこととして掴んでいらっしゃるのですね。
>
> あの後、『真の瞑想〜自らの内なる光〜』を読み終えました。内容は雑多でテーマは絞られていません。
> いまNHKEテレで「悪は根絶できるのか?、あなたもサイコパス?」を途中から見たところです。
> 何でこんなことを言うのかというと、例えばKの言ったようなことが実際に起こりうるのは万人に可能であるのか?という疑問が浮かんだからです。あなたのことを言っているのではありません。しかし今まで万人に可能だと私は思いこんでいて疑わなかったので。
>
> >  私は、あと一歩のところで、うろついているようです・・。
>
> 私は新しい芽さんにお会いしないでいたら、読書会にいらっしゃるいろんな人にお会いしなかったら、今のように見ることにはならなかったと思います。その辺の話をした方がいいでしょうか?個人的な、ちっぽけな経験でしかありませんが。


 是非とも、お話をお伺いしたく思います。

 よろしくお願いいたします。。


[25139] Re:[25136] [25135] [25134] [25131] [25129] 『真の瞑想〜自らの内なる光〜』読み終えました 投稿者:ゴト 投稿日:2018/02/22(Thu) 23:46  

>  >クリシュナムルティは真の瞑想とか、内なる光とかでこのことを説いています。これが何を指して言っているか自分のこととしてわからないと、本当にKがわかっていますかと言われた時に困ります。−−、ゴトさんは「真の瞑想」や「内なる光」を自分のこととして掴んでいらっしゃるのですね。

あの後、『真の瞑想〜自らの内なる光〜』を読み終えました。内容は雑多でテーマは絞られていません。
いまNHKEテレで「悪は根絶できるのか?、あなたもサイコパス?」を途中から見たところです。
何でこんなことを言うのかというと、例えばKの言ったようなことが実際に起こりうるのは万人に可能であるのか?という疑問が浮かんだからです。あなたのことを言っているのではありません。しかし今まで万人に可能だと私は思いこんでいて疑わなかったので。

>  私は、あと一歩のところで、うろついているようです・・。

私は新しい芽さんにお会いしないでいたら、読書会にいらっしゃるいろんな人にお会いしなかったら、今のように見ることにはならなかったと思います。その辺の話をした方がいいでしょうか?個人的な、ちっぽけな経験でしかありませんが。


[25138] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/02/22(Thu) 22:09  

人は主体性をもって自由に、能動的に生きる生き物なのだろうか、それとも観照していて、事があれば応答して生きればいいのだろうか。

こんなことを言うのは、歳をとると能動的に暮らすのは大変で、受動的でいたいとつくづく思うからです。でもヘラブナ釣りが下手なくせに、そして年の割には労働的負荷が大きいのに、ヘラブナがどういうふうに餌を食うのか推察が浮かぶようになると、それに合わせて餌の作り方を改善し、思ったような結果が出るか続けたくなる。

Kのトークを読むと、人間はやめた方がいいと言っても肉食も、カフェインや酒も飲むし、種々のエネルギーの無駄遣いをすることもやめそうにない、とあきらめているらしい。まったくその通りです。

人間は根本的は主体性を持って能動的に、自由に生きる動物であるという事でいいでしょうか?
人間以外の動物は機械的反応で生きているという事で、これもそれでいいでしょうか?人間以外の生き物は機械的?


[25137] 無題 投稿者:南方 投稿日:2018/02/22(Thu) 12:28  

幸せになることと、在ることを自分のなかで整理できればいいと思う、今日この頃。


[25136] Re:[25135] [25134] [25131] [25129] 『真の瞑想〜自らの内なる光〜』読み終えました 投稿者:宮啓 投稿日:2018/02/18(Sun) 09:28  

> > > >  『真の瞑想〜自らの内なる光〜』、読み終えました。
> > > >
> > > >
> > > >  この本の編集者が前作とは異なり、新しく知るレイ・マッコイ氏ということを、読み始める前に分かって、いささかがっかりしたことを覚えています。前作(デヴィッド・スキッド氏)があまりにもよかったので・・。
> > > >
> > > >  しかし、今、読み終え、レイ・マッコイ氏には、とても感謝しているところです・・。
> > > >
> > > >  クリシュナムルティの陳述を講話の初回から最終回まで通して聴くことも有意義だが、このように、的を絞った編集書を通して聴くことも、とても有意義と思いました。
> > > >
> > > >  ただし、これを読んでいて、クリシュナムルティを読み込んでいない人たちにはチンプンカンプンだろうな・・と感じつつ読んでいました。
> > > >  やはり、クリシュナムルティを読み込んでいない人たちにとっては、講話の初回から最終回までを通して聴くことが大事なことであることも感じながら読んでいました。
> > > >
> > > >  この本の厚みも、前作に比べると薄くて、読み始める前は損をした気分がいささかしていましたが・・、とても充実した内容でお腹がいっぱいになっています。。
> > > >
> > > >  本を通して、世界のクリシュナムルティ関係者と繋がることができるようでもあり、嬉しく思います。
> > >
> > > 私も読んでいますが、クリシュナムルティは真の瞑想とか、内なる光とかでこのことを説いています。これが何を指して言っているか自分のこととしてわからないと、本当にKがわかっていますかと言われた時に困ります。
> > >
> > > 私は真に見ることだけが持つその場をKがそう言っているとしか言えないのですが、Kの言い方は何か言葉の表現がとてつもない神秘性を言っているようにも見え、困惑する感じがあります。そのような目で慎重に読んでいます。
> >
> >
> >  この「神秘性」こそが、渡辺氏が、「Kが言っていることが起こらない・・(旨)」と陳述していたことかもしれません。
> >
> >  根源的な変容の困難さ・・。
> >
> >  私たちは、プチ変容に留まるのか・・。
>
>
> このことはどういうことでしょうか、プチ変容とは何でしょうか?
>
> 前進する自分があります。普遍的ですべてを知った永遠の「私」と統合するために。これは消去の過程ですね。その過程は自分の暗黒を消去するための気づきの過程であり、次々現れる各種の暗黒を見てその意味を悟り、それから自由になる過程です。
>
> その過程はまじめでなければなりませんが、強制的に制御するというのではなく、集中もリラックスもして進むべきものでしょう。つまり葛藤にすることがあれば、気付きの反対の状態にあるわけです。その見ることだけがあり、結果、つまり時間の中にないことが実現していなければ解消はありません。それでミニ悟りと言ってもある意味で神秘的というか超常的なところがあります。しかし、意識せずに通り過ぎる人も多いでしょう。
>
> この過程の中の一局面が、見ることがあるだけのKの言う瞑想の局面であり、Kの言う注意のある状態であって、この域に入れば個人が浄化されるという事も、人間の抱えている暗黒があれば気づくという事もあります。この状態を覚醒というなら、日ごろそういう状態にあり、不注意な時もあれば気づいてしゃんとした状態に戻ればそれで充分であると私は言います。
>
> Kは一度に全部に気づけないものだろうかとか、その先にある永遠の「私」との統合とか言いますが、この部分は私にはわかないと申し上げるしかありません。
>
> 私は途中の気づきと解放の経験を持ち葛藤なしに生を生きている価値に、少しでも多くの人が気づいてほしいと思います。


 >クリシュナムルティは真の瞑想とか、内なる光とかでこのことを説いています。これが何を指して言っているか自分のこととしてわからないと、本当にKがわかっていますかと言われた時に困ります。−−、ゴトさんは「真の瞑想」や「内なる光」を自分のこととして掴んでいらっしゃるのですね。

 私は、あと一歩のところで、うろついているようです・・。


[25135] Re:[25134] [25131] [25129] 『真の瞑想〜自らの内なる光〜』読み終えました 投稿者:ゴト 投稿日:2018/02/18(Sun) 00:23  

> > >  『真の瞑想〜自らの内なる光〜』、読み終えました。
> > >
> > >
> > >  この本の編集者が前作とは異なり、新しく知るレイ・マッコイ氏ということを、読み始める前に分かって、いささかがっかりしたことを覚えています。前作(デヴィッド・スキッド氏)があまりにもよかったので・・。
> > >
> > >  しかし、今、読み終え、レイ・マッコイ氏には、とても感謝しているところです・・。
> > >
> > >  クリシュナムルティの陳述を講話の初回から最終回まで通して聴くことも有意義だが、このように、的を絞った編集書を通して聴くことも、とても有意義と思いました。
> > >
> > >  ただし、これを読んでいて、クリシュナムルティを読み込んでいない人たちにはチンプンカンプンだろうな・・と感じつつ読んでいました。
> > >  やはり、クリシュナムルティを読み込んでいない人たちにとっては、講話の初回から最終回までを通して聴くことが大事なことであることも感じながら読んでいました。
> > >
> > >  この本の厚みも、前作に比べると薄くて、読み始める前は損をした気分がいささかしていましたが・・、とても充実した内容でお腹がいっぱいになっています。。
> > >
> > >  本を通して、世界のクリシュナムルティ関係者と繋がることができるようでもあり、嬉しく思います。
> >
> > 私も読んでいますが、クリシュナムルティは真の瞑想とか、内なる光とかでこのことを説いています。これが何を指して言っているか自分のこととしてわからないと、本当にKがわかっていますかと言われた時に困ります。
> >
> > 私は真に見ることだけが持つその場をKがそう言っているとしか言えないのですが、Kの言い方は何か言葉の表現がとてつもない神秘性を言っているようにも見え、困惑する感じがあります。そのような目で慎重に読んでいます。
>
>
>  この「神秘性」こそが、渡辺氏が、「Kが言っていることが起こらない・・(旨)」と陳述していたことかもしれません。
>
>  根源的な変容の困難さ・・。
>
>  私たちは、プチ変容に留まるのか・・。


このことはどういうことでしょうか、プチ変容とは何でしょうか?

前進する自分があります。普遍的ですべてを知った永遠の「私」と統合するために。これは消去の過程ですね。その過程は自分の暗黒を消去するための気づきの過程であり、次々現れる各種の暗黒を見てその意味を悟り、それから自由になる過程です。

その過程はまじめでなければなりませんが、強制的に制御するというのではなく、集中もリラックスもして進むべきものでしょう。つまり葛藤にすることがあれば、気付きの反対の状態にあるわけです。その見ることだけがあり、結果、つまり時間の中にないことが実現していなければ解消はありません。それでミニ悟りと言ってもある意味で神秘的というか超常的なところがあります。しかし、意識せずに通り過ぎる人も多いでしょう。

この過程の中の一局面が、見ることがあるだけのKの言う瞑想の局面であり、Kの言う注意のある状態であって、この域に入れば個人が浄化されるという事も、人間の抱えている暗黒があれば気づくという事もあります。この状態を覚醒というなら、日ごろそういう状態にあり、不注意な時もあれば気づいてしゃんとした状態に戻ればそれで充分であると私は言います。

Kは一度に全部に気づけないものだろうかとか、その先にある永遠の「私」との統合とか言いますが、この部分は私にはわかないと申し上げるしかありません。

私は途中の気づきと解放の経験を持ち葛藤なしに生を生きている価値に、少しでも多くの人が気づいてほしいと思います。


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