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[26292] Re:[26291] [26288] 最初のザーネン講話1−2 投稿者:ゴト 投稿日:2018/12/05(Wed) 15:40  

> > 1961年講話1回目―2
> >
> >  それで、世界中で人間の心は型にはめられ、制御されていますね―宗教によって、神の名において、平和、永遠の生、などなどの名において。そしてまた政府によって、絶え間ない宣伝を通じて、経済的強制を通じて、仕事、銀行預金、教育などなどを通じて。それでその終りには、あなたは単なる機械にすぎないのです。ある方向における電子計算機のようにいい機械ではないけれども。あなたは情報で一杯です。それが教育が私たちにしていることです。そこで私たちは徐々に、ますます機械的になっています。あなたはスイス人、アメリカ人、ロシア人、イギリス人、ドイツ人、その他のどれかです。あなたは皆生活のために型の中に刻印されています。何かの空想的な宗教や空想的な信念に逃れるのを除いては、ごく僅かのひとがこの恐怖から逃れるだけです。
> >
> > (注: 前回の最終項再掲)
> >
> >
> >  それでそれが生です。それが私たちが生きている環境です。ときたまの希望、束の間の歓喜があるかもしれません。しかしそのすべての背後に恐怖、絶望、死があります。そしてどんなふうに私たちはその生に出会いますか? その生に出会う心はどんなですか? 質問がわかりましたか? 私たちの心はこれらのものごとを避けることのできないものとして受容します。私たちの心はその型に順応し、ゆっくり、しかし確実に私たちの心は衰退します。それゆえ本当の問題はどうやってこのすべてを粉砕するかです―外部世界の中でではなく。あなたはできません。歴史の過程は進んでいます。あなたは政治家が戦争をすることを止められません。たぶん戦争があるでしょう―ないのを希望しますが、多分あるでしょう。おそらく、そこここではなくて、どこか気の毒なはるか離れた不幸な国において。私たちはそれを止められません。しかし、私は思いますが、私たちは社会が私たちの中に造り上げたすべての愚かさを、私たち自身の中で粉々に壊すことができます。そしてこの破壊は創造です。創造的であるものは常に破壊的です。私は新しい型、新しい社会、新しい秩序、新しい神や新しい教会の創造を話しているのではありません。私は創造の状態は破壊であると言っているのです。それは振る舞いの様式、生き方を作り出しません。創造的な心は型を持ちません。一瞬一瞬、それはそれが創造したことを破壊します。そして世界の問題を処理できるのはそのような心だけです。狡猾な心ではなく。知識を与える心ではなく。自分の国を考える心ではなく。断片化の中で働く心ではなく。
> >
> >
> > ゴト: 自分はこの社会が自分の中に作り上げたこの愚かしさを粉々に破壊する! 決して新しいパターンを作り出すのでなく。
> >  これこそが全的否定です。これをクリシュナムルティは明らかに説いてくれました。
> >
> >
> >  それゆえ、私たちがかかわっていることは、新しいことが起こることができるように心を粉砕することです。そしてそれが私たちがこれらの集会のすべてで討論しようとしていることです。どうやって心に革命をもたらすか。革命がなければなりません。昨日のものすべての全面的な破壊がなければなりません。さもなければ、私たちは新しいものに出会うことができないでしょう。そして生は、愛のように常に新しいのです。愛は昨日や今日を持っていません。それはいつも新しいのです。しかし飽満、満足を味わった心はその愛を記憶として貯め込み、それを崇拝します。あるいは写真を愛のシンボルとしてピアノの上や暖炉の上に置きます。
> >
> >  それゆえ、あなたが望んでいるなら、それがまたあなたの意向であるなら、私たちはどうやって鈍い、疲れきった、脅えている心を変容させるかという問題を調べましょう。悲しみにとらわれている、そんなに多くの苦闘、そんなに多くの絶望、そんなに多くの快楽を知っている心、非常に古くなってしまい、若いということは何であるか決して知っていない心。あなたが望むなら、私たちはそれを調べましょう。少なくとも私はそれを調べるつもりです。あなたが望もうと望むまいと。ドアは開いており、あなたは入るも去るも自由です。これは嫌でもそこから逃れることのできない聴衆ではありません。それゆえ、あなたがそれを好まないなら、聞かない方がいいでしょう。なぜならあなたの聞くことは、聞きたいのでないなら、あなたの絶望に、あなたの毒になるからです。それであなたは、まさに最初から話し手の意図が何であるか知ります。すなわち、私たちは一つの石もひっくり返さずには残すまいとしています。心の秘密の隠れ家のすべては探検され、開かれ、内容が破壊されることになっています。そしてその破壊から新しいもの、心のどんな創造物ともまったく異なる何かの創造があることになっています。
> >
> >  このためにはあなたは真面目さ、一生懸命さを必要とします。私たちはゆっくりと、ためらいがちに、しかし容赦なしに追跡しなければなりません。そして多分そのすべての終りに―あるいはまさにその始めに、なぜなら破壊的過程には始まりも終りもないからですが―人は測ることのできないものを見出すかもしれません。突然眼の扉が、心の窓が開き、名付けることのできないものを受取るかもしれません。時間を超えた、空間を超えた、測定を超えたそのようなものがあります。それは描写したり、言葉にすることができません。それを発見することなしには、生はまったく空虚で、浅薄で、愚かで、時間の浪費です。
> >
> > (続く)
>
> 以前ゴトさんは迷惑な私をアクセスブロックなされて懐柔した方を許されました。それも振る舞いの型じゃないんですか、あと職業を金銭でしか見てないのも世間的な型だと思います。

中西さんをアクセスブロックしましたか。当時の事情を鮮明に覚えていません。間違ったことをしたかもしれません、まだ未熟でしたから。
 それから職業を金銭で見ていた覚えはありません。



[26291] Re:[26288] 最初のザーネン講話1−2 投稿者:中西 投稿日:2018/12/05(Wed) 13:02  

> 1961年講話1回目―2
>
>  それで、世界中で人間の心は型にはめられ、制御されていますね―宗教によって、神の名において、平和、永遠の生、などなどの名において。そしてまた政府によって、絶え間ない宣伝を通じて、経済的強制を通じて、仕事、銀行預金、教育などなどを通じて。それでその終りには、あなたは単なる機械にすぎないのです。ある方向における電子計算機のようにいい機械ではないけれども。あなたは情報で一杯です。それが教育が私たちにしていることです。そこで私たちは徐々に、ますます機械的になっています。あなたはスイス人、アメリカ人、ロシア人、イギリス人、ドイツ人、その他のどれかです。あなたは皆生活のために型の中に刻印されています。何かの空想的な宗教や空想的な信念に逃れるのを除いては、ごく僅かのひとがこの恐怖から逃れるだけです。
>
> (注: 前回の最終項再掲)
>
>
>  それでそれが生です。それが私たちが生きている環境です。ときたまの希望、束の間の歓喜があるかもしれません。しかしそのすべての背後に恐怖、絶望、死があります。そしてどんなふうに私たちはその生に出会いますか? その生に出会う心はどんなですか? 質問がわかりましたか? 私たちの心はこれらのものごとを避けることのできないものとして受容します。私たちの心はその型に順応し、ゆっくり、しかし確実に私たちの心は衰退します。それゆえ本当の問題はどうやってこのすべてを粉砕するかです―外部世界の中でではなく。あなたはできません。歴史の過程は進んでいます。あなたは政治家が戦争をすることを止められません。たぶん戦争があるでしょう―ないのを希望しますが、多分あるでしょう。おそらく、そこここではなくて、どこか気の毒なはるか離れた不幸な国において。私たちはそれを止められません。しかし、私は思いますが、私たちは社会が私たちの中に造り上げたすべての愚かさを、私たち自身の中で粉々に壊すことができます。そしてこの破壊は創造です。創造的であるものは常に破壊的です。私は新しい型、新しい社会、新しい秩序、新しい神や新しい教会の創造を話しているのではありません。私は創造の状態は破壊であると言っているのです。それは振る舞いの様式、生き方を作り出しません。創造的な心は型を持ちません。一瞬一瞬、それはそれが創造したことを破壊します。そして世界の問題を処理できるのはそのような心だけです。狡猾な心ではなく。知識を与える心ではなく。自分の国を考える心ではなく。断片化の中で働く心ではなく。
>
>
> ゴト: 自分はこの社会が自分の中に作り上げたこの愚かしさを粉々に破壊する! 決して新しいパターンを作り出すのでなく。
>  これこそが全的否定です。これをクリシュナムルティは明らかに説いてくれました。
>
>
>  それゆえ、私たちがかかわっていることは、新しいことが起こることができるように心を粉砕することです。そしてそれが私たちがこれらの集会のすべてで討論しようとしていることです。どうやって心に革命をもたらすか。革命がなければなりません。昨日のものすべての全面的な破壊がなければなりません。さもなければ、私たちは新しいものに出会うことができないでしょう。そして生は、愛のように常に新しいのです。愛は昨日や今日を持っていません。それはいつも新しいのです。しかし飽満、満足を味わった心はその愛を記憶として貯め込み、それを崇拝します。あるいは写真を愛のシンボルとしてピアノの上や暖炉の上に置きます。
>
>  それゆえ、あなたが望んでいるなら、それがまたあなたの意向であるなら、私たちはどうやって鈍い、疲れきった、脅えている心を変容させるかという問題を調べましょう。悲しみにとらわれている、そんなに多くの苦闘、そんなに多くの絶望、そんなに多くの快楽を知っている心、非常に古くなってしまい、若いということは何であるか決して知っていない心。あなたが望むなら、私たちはそれを調べましょう。少なくとも私はそれを調べるつもりです。あなたが望もうと望むまいと。ドアは開いており、あなたは入るも去るも自由です。これは嫌でもそこから逃れることのできない聴衆ではありません。それゆえ、あなたがそれを好まないなら、聞かない方がいいでしょう。なぜならあなたの聞くことは、聞きたいのでないなら、あなたの絶望に、あなたの毒になるからです。それであなたは、まさに最初から話し手の意図が何であるか知ります。すなわち、私たちは一つの石もひっくり返さずには残すまいとしています。心の秘密の隠れ家のすべては探検され、開かれ、内容が破壊されることになっています。そしてその破壊から新しいもの、心のどんな創造物ともまったく異なる何かの創造があることになっています。
>
>  このためにはあなたは真面目さ、一生懸命さを必要とします。私たちはゆっくりと、ためらいがちに、しかし容赦なしに追跡しなければなりません。そして多分そのすべての終りに―あるいはまさにその始めに、なぜなら破壊的過程には始まりも終りもないからですが―人は測ることのできないものを見出すかもしれません。突然眼の扉が、心の窓が開き、名付けることのできないものを受取るかもしれません。時間を超えた、空間を超えた、測定を超えたそのようなものがあります。それは描写したり、言葉にすることができません。それを発見することなしには、生はまったく空虚で、浅薄で、愚かで、時間の浪費です。
>
> (続く)

以前ゴトさんは迷惑な私をアクセスブロックなされて懐柔した方を許されました。それも振る舞いの型じゃないんですか、あと職業を金銭でしか見てないのも世間的な型だと思います。


[26290] Re:[26289] 生きている 投稿者:ゴト 投稿日:2018/12/04(Tue) 18:47  

> > > 私がもし、癌宣告を受けたなら、生と向き合うだけである。
> > > 人の本など一切読まぬ。それは単なる言葉にすぎぬ。
> > > 生イコール死。生と向き合うことは死と向き合うことと同じである。
> > > 全てのもの一切衆生のものは生かされて生きている。
> > > 現に「生きている」という事実のみがある。
> >
> >
> > 現に生きているというのはあなたの観念ではなかろうか? 
>
> 現にこうして生きているというのは紛れもなく事実です。
> 何で観念なのですか?
>
> 生を受けて以来、今まで何十年も生きている。あなたも私も。
> それで何で観念ですか?
>
> 実際にこうして毎日生きているでしょう。わかりませんか?
> 何でこうした単純な事実を認めようとしないのか不思議です。

毎日生きているのが単純な事実であると思えるのはあなたが物質主義者であるからです。あるいはあほ科学者だからです。
 人が毎日、弱い人間を脅して金品を取り上げ、悪代官に貢いでうまい汁を吸っている悪徳商人であるとしましょう。それが生きていると言えますか? そして生きるためにはしょうがないと言ってその手先になっている人はどうですか?
 それらは時代劇の中の話であって、現代はそうではないというなら、なぜ現代にいじめがあるのですか?
 物理的に生きて居る話とは全く別のことを私たちは話してきたのではないですか?

> あと何年生きるかもしれませんが、残りの時間を有意義に過ごしたいものです。
>
> 一番聞きたかったのは、あなたが癌と言われた時、どのように反応したかです。
>
>
> >実際は機械同様、言葉、シンボルに揺れ動いているだけの存在ではなかろうか?!
>
> それは全体の中ほんの一部の話でしょう。
> 自分自身をよく観察してみればいかがですか。あなたは毎日機械的に、言葉、シンボルに振り回されて生きているのでしょうか?
> 明らかに違うでしょう。

あなたは何で私個人のことが気になるのですか? 私達は人間の全体のことを話しています。生理的生の話ではなく。

> > それが見えて何の恐怖もなく世の流れを大死一番、全否定するとき、初めて生きることを知る。
>
> 知る?知識としてですか。

知識で知った定跡は将棋や碁でも役に立たないくらい、かなりへぼでも知っています。知識でなく理解、腑に落ちた理解が心的な探究には不可欠です。

> 機械的に生きていることが見え、何の恐怖もなく、全否するとき、初めて生きることを知る?
> そういうことですか。
> 回りくどいですね。異質のエネルギーを繰り出せば、一瞬のうちにそれらは崩壊するでしょう。



> 私は毎秒息を吸うたびに「生きている」ことを実感します。あと朝眼が覚める時。
>
>
> 全否定というのは、異質のエネルギー「愛」そのものです。
>
> 要するに、実に単純な真理を、頭でひねくりまわすことがよくわからない。
>
> このサイトでも、南方さんが、愛とは「異質のエネルギー」だと何度も行っているし、新しい芽氏やその他の方々も、同じことを言っている。
>
> この度、癌 が見つかったようで。このとき癌に対してどのような想念が湧いたかです。どのように反応したか。
> ここで試されるわけです。クリシュナムルティの言ってることを本当に理解したかどうか。
> 憎しみの念が湧いたか。あるいは逆に感謝の念が湧いたか。ありがとうと。それとも敵視したか。ということです。何も思わなかったか。
>
> そういう話はせず、いきなり「現に生きている」とは観念か、とは驚きました。

医学的事実を知っただけで、医者の説明はわかりやすく、理解できました。心理的な問題は起きません。


[26289] 生きている 投稿者:無明 投稿日:2018/12/04(Tue) 17:37  

> > 私がもし、癌宣告を受けたなら、生と向き合うだけである。
> > 人の本など一切読まぬ。それは単なる言葉にすぎぬ。
> > 生イコール死。生と向き合うことは死と向き合うことと同じである。
> > 全てのもの一切衆生のものは生かされて生きている。
> > 現に「生きている」という事実のみがある。
>
>
> 現に生きているというのはあなたの観念ではなかろうか? 

現にこうして生きているというのは紛れもなく事実です。
何で観念なのですか?

生を受けて以来、今まで何十年も生きている。あなたも私も。
それで何で観念ですか?

実際にこうして毎日生きているでしょう。わかりませんか?
何でこうした単純な事実を認めようとしないのか不思議です。

あと何年生きるかもしれませんが、残りの時間を有意義に過ごしたいものです。

一番聞きたかったのは、あなたが癌と言われた時、どのように反応したかです。


>実際は機械同様、言葉、シンボルに揺れ動いているだけの存在ではなかろうか?!

それは全体の中ほんの一部の話でしょう。
自分自身をよく観察してみればいかがですか。あなたは毎日機械的に、言葉、シンボルに振り回されて生きているのでしょうか?
明らかに違うでしょう。

> それが見えて何の恐怖もなく世の流れを大死一番、全否定するとき、初めて生きることを知る。

知る?知識としてですか。
機械的に生きていることが見え、何の恐怖もなく、全否するとき、初めて生きることを知る?
そういうことですか。
回りくどいですね。異質のエネルギーを繰り出せば、一瞬のうちにそれらは崩壊するでしょう。

私は毎秒息を吸うたびに「生きている」ことを実感します。あと朝眼が覚める時。


全否定というのは、異質のエネルギー「愛」そのものです。

要するに、実に単純な真理を、頭でひねくりまわすことがよくわからない。

このサイトでも、南方さんが、愛とは「異質のエネルギー」だと何度も行っているし、新しい芽氏やその他の方々も、同じことを言っている。

この度、癌 が見つかったようで。このとき癌に対してどのような想念が湧いたかです。どのように反応したか。
ここで試されるわけです。クリシュナムルティの言ってることを本当に理解したかどうか。
憎しみの念が湧いたか。あるいは逆に感謝の念が湧いたか。ありがとうと。それとも敵視したか。ということです。何も思わなかったか。

そういう話はせず、いきなり「現に生きている」とは観念か、とは驚きました。



[26288] 最初のザーネン講話1−2 投稿者:ゴト 投稿日:2018/12/04(Tue) 11:45  

1961年講話1回目―2

 それで、世界中で人間の心は型にはめられ、制御されていますね―宗教によって、神の名において、平和、永遠の生、などなどの名において。そしてまた政府によって、絶え間ない宣伝を通じて、経済的強制を通じて、仕事、銀行預金、教育などなどを通じて。それでその終りには、あなたは単なる機械にすぎないのです。ある方向における電子計算機のようにいい機械ではないけれども。あなたは情報で一杯です。それが教育が私たちにしていることです。そこで私たちは徐々に、ますます機械的になっています。あなたはスイス人、アメリカ人、ロシア人、イギリス人、ドイツ人、その他のどれかです。あなたは皆生活のために型の中に刻印されています。何かの空想的な宗教や空想的な信念に逃れるのを除いては、ごく僅かのひとがこの恐怖から逃れるだけです。

(注: 前回の最終項再掲)


 それでそれが生です。それが私たちが生きている環境です。ときたまの希望、束の間の歓喜があるかもしれません。しかしそのすべての背後に恐怖、絶望、死があります。そしてどんなふうに私たちはその生に出会いますか? その生に出会う心はどんなですか? 質問がわかりましたか? 私たちの心はこれらのものごとを避けることのできないものとして受容します。私たちの心はその型に順応し、ゆっくり、しかし確実に私たちの心は衰退します。それゆえ本当の問題はどうやってこのすべてを粉砕するかです―外部世界の中でではなく。あなたはできません。歴史の過程は進んでいます。あなたは政治家が戦争をすることを止められません。たぶん戦争があるでしょう―ないのを希望しますが、多分あるでしょう。おそらく、そこここではなくて、どこか気の毒なはるか離れた不幸な国において。私たちはそれを止められません。しかし、私は思いますが、私たちは社会が私たちの中に造り上げたすべての愚かさを、私たち自身の中で粉々に壊すことができます。そしてこの破壊は創造です。創造的であるものは常に破壊的です。私は新しい型、新しい社会、新しい秩序、新しい神や新しい教会の創造を話しているのではありません。私は創造の状態は破壊であると言っているのです。それは振る舞いの様式、生き方を作り出しません。創造的な心は型を持ちません。一瞬一瞬、それはそれが創造したことを破壊します。そして世界の問題を処理できるのはそのような心だけです。狡猾な心ではなく。知識を与える心ではなく。自分の国を考える心ではなく。断片化の中で働く心ではなく。


ゴト: 自分はこの社会が自分の中に作り上げたこの愚かしさを粉々に破壊する! 決して新しいパターンを作り出すのでなく。
 これこそが全的否定です。これをクリシュナムルティは明らかに説いてくれました。


 それゆえ、私たちがかかわっていることは、新しいことが起こることができるように心を粉砕することです。そしてそれが私たちがこれらの集会のすべてで討論しようとしていることです。どうやって心に革命をもたらすか。革命がなければなりません。昨日のものすべての全面的な破壊がなければなりません。さもなければ、私たちは新しいものに出会うことができないでしょう。そして生は、愛のように常に新しいのです。愛は昨日や今日を持っていません。それはいつも新しいのです。しかし飽満、満足を味わった心はその愛を記憶として貯め込み、それを崇拝します。あるいは写真を愛のシンボルとしてピアノの上や暖炉の上に置きます。

 それゆえ、あなたが望んでいるなら、それがまたあなたの意向であるなら、私たちはどうやって鈍い、疲れきった、脅えている心を変容させるかという問題を調べましょう。悲しみにとらわれている、そんなに多くの苦闘、そんなに多くの絶望、そんなに多くの快楽を知っている心、非常に古くなってしまい、若いということは何であるか決して知っていない心。あなたが望むなら、私たちはそれを調べましょう。少なくとも私はそれを調べるつもりです。あなたが望もうと望むまいと。ドアは開いており、あなたは入るも去るも自由です。これは嫌でもそこから逃れることのできない聴衆ではありません。それゆえ、あなたがそれを好まないなら、聞かない方がいいでしょう。なぜならあなたの聞くことは、聞きたいのでないなら、あなたの絶望に、あなたの毒になるからです。それであなたは、まさに最初から話し手の意図が何であるか知ります。すなわち、私たちは一つの石もひっくり返さずには残すまいとしています。心の秘密の隠れ家のすべては探検され、開かれ、内容が破壊されることになっています。そしてその破壊から新しいもの、心のどんな創造物ともまったく異なる何かの創造があることになっています。

 このためにはあなたは真面目さ、一生懸命さを必要とします。私たちはゆっくりと、ためらいがちに、しかし容赦なしに追跡しなければなりません。そして多分そのすべての終りに―あるいはまさにその始めに、なぜなら破壊的過程には始まりも終りもないからですが―人は測ることのできないものを見出すかもしれません。突然眼の扉が、心の窓が開き、名付けることのできないものを受取るかもしれません。時間を超えた、空間を超えた、測定を超えたそのようなものがあります。それは描写したり、言葉にすることができません。それを発見することなしには、生はまったく空虚で、浅薄で、愚かで、時間の浪費です。

(続く)


[26287] いじめ 投稿者:ゴト 投稿日:2018/12/04(Tue) 09:17  

いじめを人間の暗部として取り上げよう。これは我々がよく知っている心理からなっている。

誰かがいじめの対象とされる。そいつをかばう事はやばい。それは自分が目立ち、次のいじめの対象になることを意味する。自分はワルにぼこぼこにされるかもしれない。こわい。「こいつっていやな奴だよなあ?」と衆人環視の中で同意を求められる。踏み絵を踏まされる。自分はどうする?

しぶしぶ同意して見せるか、積極的に同意するか? 「これはいじめだ。やめろ」と断固として言えるか。帰りにワルに仲間と待ち伏せされぶちのめされるかもしれないと時間の中の恐怖が走る。

ここで頑として「やめろ!」と言える人間だけが生きているのだ。まじめで真剣な人だ。

子供は学園漫画で、こういうことはたくさん読んで知っているのだ。では腕力の強い子供はなぜワルになるのか? 学校教育の、いや、大人社会の根本が狂っているからか。

ではザーネン講話を先に進めよう。


[26286] Re:[26282] 最初のザーネン講話 1−1 投稿者:宮啓 投稿日:2018/12/03(Mon) 21:37  

> 1961年ザーネン講話 1回目−1
>
> 私たちがここに来た理由について、始めから非常に明確でなければならないと思います。私にはこれらの会合は非常に真面目なものであり、私はその言葉を特別な意味で使っています。真面目さは、私たちの大部分にとって、思考の一定の方向、特別の生き方を採用すること、選ばれた型の振る舞いに従うことを意味します。そして次第にその型、その生のやり方は規則となり、それによって私たちは生きます。私には、それは真面目さを構成しません。そして私は、もしも私たちが、私たちの一人一人が、私たちが真面目にと解しているものが何であるか見出そうとすることができるなら、それは非常に適した、価値のあることであると思います。
>
>  たぶん私たちのたいていは、意識的、あるいは無意識的に、いろいろな形の安全、財産においての、関係においての、観念においての安全を追求しています。そしてこれらの追求を私たちは非常に真面目なことと解しています。私には、再び、それは真面目さではありません。
>  私には、「真面目さ」という言葉はある心の浄化を意味します。私は「心」という言葉を特別にではなく、一般的に使っています。そして後ほど、その言葉の意味を調べるでしょう。真面目な心は絶えず気づいています。そしてそれによってそれ自身を浄化しています。そしてその中にどんな種類の安全を求める追求もありません。それは特定の空想を追跡していません。思考の何か特定のグループや、何かの宗教、教条、国籍や国家に属しません。そして生活の直接の問題に関わっていません。ひとは毎日の出来事に注意しなければなりませんが。ほんとうに真面目な心は途方もなく生き生きとしており、鋭いのでなければなりません。そのためそれは幻想を持たず、有益だとか価値があるとか楽しいと思われる経験に捕われません。
>
>  そこで、もしもこれらの集会のまさに始めから、どの程度、どれほど深く私たちが真剣であるかが私達自身にとって非常に明確であることができれば、それは賢明でしょう。私たちの心が鋭く、聡明で、真面目であるなら、そのとき私たちは世界中の人間生活の全パターンを見、そしてその全体の理解から特定のものに、個人に到ることができると思います。そこで、世界で起こっていることの全体を見ましょう。単に情報としてではなく、何か特定の問題―ひとつの国や特定の党派や社会、民主主義、共産主義者、自由主義のいずれにせよ―の究明ではなくて、むしろ世界に現実に起こっていることを見ましょう。そしてそこから、全体を見た後で、外部の出来事の意義の理解の後で―情報、意見としてではなく、起こっていることの現実の事実を見て―それから私たちは個人に到ることが出来ます。それが私がしたいと思っていることです。
>
>
> ゴト: 私がこの講話を読んでみたいと思ったのはこのまじめさ、真剣さを本当に理解したいと思ったからです。私は本当にまじめさ真剣さを知っているでしょうか?、いや、この講話を聴いてまた次の講話を読んでではなく、ここで聞いて終わりにする真剣さを持つことができなければ明日はないという真剣さ、まじめさを持つことなしにはこの生に意味はありません。
>
>
>  ご承知のように、意見、判断、評価は事実の前ではすべて全く無益です。あなたが何を考えているか、どんな意見を持っているか、どんな宗教や党派に属しているか、どんな経験を持ったのか―これらは事実の前ではまったく意味がありません。事実は事実についてのあなたの考えよりはるかに重要です。事実はあなたの意見、それはあなたの教育、宗教、特定の文化、条件付けに基いているのですが、それよりはるかに大きな意義を持っています。それゆえ、私たちは意見、観念、判断を取り扱おうとしているのではありません。私たちは、できるなら、事実をそれがそうであるとおりに見ようとしているのです。それは自由な心、見ることができる心を必要とします。
>
>  私はあなたが一体、見る、見えるということはどういうことなのかという問題を熟考したのかなと思います。それは単に視覚的な知覚の問題に過ぎないのでしょうか、それとも見えること、見ることは単なる視覚的な見えることよりはるかに深遠な何かでしょうか? 私たちの大部分にとっては、見えることは目前のこと、つまり今日起こっていることと明日起ころうとしていることを意味します。そして明日起ころうとしていることは昨日によって色づけられているのです。それゆえ私たちの見ることは非常に狭く、非常に閉ざされ、限られており、私たちの見る能力は非常に制限されています。丘を越えて、山を越えて、河と緑の牧草地を越えて、地平線を越えて―見る、見えることを望むなら、自由という特定の性質がなければならないと私は感じます。それは非常に安定した心を必要とします。そして心は、それが自由でないとき、安定でありません。そして、この見えるという能力を持つべきだということが私には非常に重要に思われます。単に見たいものだけでなく、私たちの狭い限られた経験による楽しいことでなく、ものごとがそうであるままに見えること。ものごとがそうであるままに見えることは心を解放します。それは実際に途方もないことです―直接に、単純に、すっかり知覚することは。
>
>  さて、その一般論と共に進み、世界で起こっているあらゆるものごとを見ましょう。あなたは多分それをたいそう多く知っているでしょう。なぜなら新聞、雑誌、論説を読んでいるからです。それらはすべて著者、編集者、政党の先入観にしたがって作りだされています。印刷された言葉は私たちの大部分にとって大変重要です。私はたまたま新聞を読みませんが、たくさん旅行し、とても多くの人たちに会いました。私は非常に貧しい人が住んでいる狭い横町にいたことがあります。また政治家、重要人物―少なくとも彼らは自分は重要だと思っています―と話しました。そしてあなたはあなた自身で何が起こっているか知っています。飢餓、悲惨、退廃、貧困が東洋にあります。彼等はたっぷりとした、十分な食事をするためには何でもするでしょう。したがって彼等は思考の、慣習の、伝統の限界を打破したいのです。それから、もうひとつの極端、巨大な繁栄、世界が決して知らなかった繁栄のある場所、そしてこの国におけるように、食べ物が豊富で、衣服は多く、家が清潔で快適な場所があります。そしてこれらの快適さは特定の満足、凡庸、ものごとを受け入れ、妨害されることを望まないという特定の態度を育てるということに気づきます。
>
>  世界は政治的に、宗教的に、経済的に、思想と哲学において、ばらばらにされています。そして世界の出来事はばらばらなのです。宗教と政治は人間の心を追っています。それらは人間の心を制御しよう、専門家、兵士、技師、科学者、数学者に型にはめて作ろうと望んでいます。なぜならそのとき、社会に役立つからです。そして組織化された宗教や信念―カソリック教や共産主義―が広がっています。あなたはこのすべてを非常によく知っているに違いありません。組織化された信念は人の心を型にはめて作っているのです。それが民主主義、共産主義、キリスト教、イスラム教の組織化された信念のどれにしても。このすべてを熟考してください。そして「このすべてを繰り返し話して、あなたは時間を浪費している」と言わないでください。私はしていません。なぜなら私は最初に何が現実に起こっているかを見たい。そして次に、可能なら、私達自身の中のそのすべてを破壊したい、それをすっかり破壊したいからです。なぜなら外部の運動は、それを私たちは世界と呼びますが、内部に向かう同じ潮流であるからです。外部の世界は内部の世界と違っていません。そして外部の世界の理解なしに内部に向かうことはまったく意味がありません。外部の世界、残酷さ、無慈悲さ、成功への凄まじい衝動―いかに強く何かに属することを、観念、思考、感情の特定の集団にかかわることをひとが望むか、理解することが絶対必要であると私は感じます。私たちがすべての外部の出来事を理解することができるなら、詳細にではなくてその全体を、先入観のない、恐れていない、安全を追求していない、それ自身の好みの理論、希望、空想の背後に隠れていない眼で、そのすべてを見ることによって理解するなら、そのとき内部の運動はまったく異なった意味を持ちます。私が真面目さと呼ぶのは、外部を理解してしまった内部の運動です。
>
>
> ゴト: クリシュナムルティがまじめさと呼ぶのは、外部の動きを大きく全的に理解、つまり看破してしまった内部の運動であると。
>
>
>  それで、世界中で人間の心は型にはめられ、制御されていますね―宗教によって、神の名において、平和、永遠の生、などなどの名において。そしてまた政府によって、絶え間ない宣伝を通じて、経済的強制を通じて、仕事、銀行預金、教育などなどを通じて。それでその終りには、あなたは単なる機械にすぎないのです。ある方向における電子計算機のようにいい機械ではないけれども。あなたは情報で一杯です。それが教育が私たちにしていることです。そこで私たちは徐々に、ますます機械的になっています。あなたはスイス人、アメリカ人、ロシア人、イギリス人、ドイツ人、その他のどれかです。あなたは皆生活のために型の中に刻印されています。何かの空想的な宗教や空想的な信念に逃れるのを除いては、ごく僅かのひとがこの恐怖から逃れるだけです。
>
>
> ゴト: 自分は社会によって形作られた機械、操り人形であるというのが事実であると。



 『クリシュナムルティ・ノート(旧タイトル:「クリシュナムルティの神秘体験」)』p84(1961.8.20)より引用


 (前略)

 それはそれら全てを遙かに超えていました。それは目や耳で見ることも聞くこともできない荘厳さや轟と共に現れていました。それは、思考的な頭脳が、森の中の枯れ果てた葉のように全く色褪せてしまうほどの豊かさと力強さを伴って現れていました。それは愛であり、不可思議な創造であり、破壊でした。その他には何もありませんでした。
 深さの本質がありました。思考の本質は、思考が存在しない状態です。いかに深く広く思考が追い求められても、思考はいつも浅くて表面的なままでしょう。思考の消滅こそが、その本質の始まりです。
 思考の消滅は否定です。否定のための肯定的な方法はありません。思考を終わらせるための、いかなる方法もシステムもありません。方法やシステムは、否定への肯定的な取り組みですから、それでは思考は自身の本質を見つけることができません。その本質が存在するためには、それが止まねばなりません。存在の本質は非在です。非在の深みを”見る”ためには、何ものかになろうとすることから自由でなければなりません。継続性があると自由は存在しません。継続性があるものは時間に縛られています。あらゆる経験は思考を時間に縛り付けます。
 経験をしていない状態の精神が、あらゆる本質に気づきます。
 (以下省略)

 − − − 以上引用 − − −


 「事実」「創造」「破壊」の言葉がでてきます。

 前に読んだときには、「破壊」の意味がよく分かりませんでしたが、このザーネンの一番初めの講話で、説明がありました。








> (続く)


[26285] Re:[26284] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/12/03(Mon) 18:08  

> 私がもし、癌宣告を受けたなら、生と向き合うだけである。
> 人の本など一切読まぬ。それは単なる言葉にすぎぬ。
> 生イコール死。生と向き合うことは死と向き合うことと同じである。
> 全てのもの一切衆生のものは生かされて生きている。
> 現に「生きている」という事実のみがある。


現に生きているというのはあなたの観念ではなかろうか? 実際は機械同様、言葉、シンボルに揺れ動いているだけの存在ではなかろうか?! それが見えて何の恐怖もなく世の流れを大死一番、全否定するとき、初めて生きることを知る。


[26284] 無題 投稿者:無明 投稿日:2018/12/03(Mon) 17:19  

私がもし、癌宣告を受けたなら、生と向き合うだけである。
人の本など一切読まぬ。それは単なる言葉にすぎぬ。
生イコール死。生と向き合うことは死と向き合うことと同じである。
全てのもの一切衆生のものは生かされて生きている。
現に「生きている」という事実のみがある。


[26283] Re:[26280] 全的な否定 投稿者:無明 投稿日:2018/12/03(Mon) 17:09  

> 全的な否定とは何か? これがこのところ気になっています。


はい。
そこで、「全的否定」について、ご自分で、考え抜いてはいかがですか?
何も頼らずに。何も依存せずに。




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