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[24562] Re:[24560] [24559] [24558] [24557] [24555] [24551] 鬱病 投稿者:ゴト 投稿日:2017/09/10(Sun) 16:45  

> > > > > > 私も過去、何回か似たような症状をしたことがあるが、「鬱病」などとはっきり自覚したことはない。誰でも落ち込みことはあるだろう。そこで対策ということだが、たとえばクリシュナムルティの本を読めば鬱情は改善するのだろうか。「否」である。自己観察など到底不可能。かえって自己嫌悪におちいり、ノイローゼになる。
> > > > >
> > > > > 本物のスピリチュアルな本にありがちだが、レヴェルが高すぎて逆に鬱になると言う現象。
> > > >
> > > >
> > > > 世にうつ病と言われる状態は病であることもあるし、ひどい不幸な目にあった人の健全な反応であるもしれない。それゆえ、この板で取り扱うには不適切かと思う。
> > > >
> > > > それでKの教えに戻って、一点「見ることだけがある」という状態で見ていることがないなら、それは先入観、欲望、知識を持って見ていることになり、それに気づかない限り、益どころか害があるでしょう。
> > > >
> > > > この「見ることだけがある」状態は個別的な能力ではなく、普遍的なものです。これがホモ・サピエンスが現れて、どこで狂ったかは研究課題です。
> > >
> > >
> > >
> > > 世界を客観視して、それが何であるかを体験し洞察するためには、自我が必要だった。それを狂ったと表現するのは疑問。
> > > 健全な自我は洞察によって利己主義、羨望、恐怖などから自由になれる可能性がある。
> >
> >
> >
> > 狂ったという表現は不用意に使いました。すみません。取り下げます。
> > どう表現するかは難しいですが、例えばコスモスの秩序から著しく外れるとかになりますか。今はうまく思い当たりません。
> >
>
>
> うまく言葉にしてくれてありがとうございます。宇宙的な流れとも言えます。その流れに大きく抵抗しているもの。川の流れを川上に歩いているようなものですか。

大変よくわかります。

>
>
> > つぎに「世界を客観視して、それが何であるかを体験し洞察するためには、自我が必要だった。」ですが、ここがよくわかりません。
>
>
> 宇宙には無機物から植物が、植物から動物が、有機物から心が
> 心から自我がというふうに、全て無駄なものは生まれないという意味です。
>
>
> > 何より{自我が必要だった}の自我が何を指しているかがわかりません。
>
>
>
> 自我は体験、経験、情報、知識などからくる機械的反応を指します。


ウーム、なるほど。自我が必要だった!!! これがサピエンスの集団行動を可能にした……なるほど、そうかもしれません。それでヒトはよかれあしかれ、生態系の頂点を占め、巨大な文明と文化を創ったかもしれません。


>
>
> > また、客観視という言葉は自他がある際の言葉と私はとっていますが、それだと洞察という事があるかどうか、つまり、それは「見ることだけがある」と同じ状態なのかという疑問があります。
> >
>
>
> 体験するだけなら自我はいりません。こうやって何か普遍的なるものを共有する、そして人間として皆が完成する。
> そういうことを考えるなら、逆説的かもしれませんが自我で体験を洞察して自他の区別がないことを人間は伝えないといけない。それ以前に戻るために、一旦自我で洞察して言葉にしなければいけない。その後、見ることができる人はそうすればいい、と思います。


ウーム、そういう風にお考えですか。
私は「見ることだけがある」状態が、人と人が交感、あるいはテレパシー的に感じる、あるいは分かち合うことができる状態であると感じています。暗から明への転換。

>
> > 「健全な自我」というのは、洞察によって利己主義、羨望、恐怖などから自由であるとき、コスモスの秩序にたがう事なく働いている思考のことかと私は思います。
> >
>
>
> ですね。
>
> > ちょっと言葉不足のようですが、とりあえずお答えします。

いや、最後は同じことを言っているのかもしれませんが。


[24561] Re:[24528] 現状 投稿者:南方 投稿日:2017/09/10(Sun) 15:58  

>  現在クリシュナムルティ関連の活動はどうなっているのだろうか。
>  東京青山にあった会合は高橋氏が亡くなったあと、私は行っていないが、その後赤坂で定期的会合をもっているようである。「クリシュナムルティの会」として。その主催者笹原氏が渡辺氏のKJ会の会合にお見えになったのにはびっくりしました。聞けば「クリシュナムルティの会」の忘年会に参加してるのだという。
>  渡辺氏の会合はあくまで「禅」中心であってクリシュナムルティだけをとりあげることはしない。いわば仏教全般。
>  京都の藤仲氏が、読書会をやっていると聞いたことがあるが、今もやってるかは定かではない。
>  京都では森本氏が、Ksポイントという名称で、大学内で、不定期にクリシュナムルティ関連の会合を開いている。詳しくはネットで。
>  藤仲氏、森本氏は、理由は知らぬがネット嫌いだという。パソコンは使わない。
>  日本の出版社は、細々とクリシュナムルティの出版を続けている。それもあと何年かだろう。海外ではない。
>  クリシュナムルティと同時代に現れた、シュタイナー、スワミ・ラジネーシの本は大きな本屋で平積みされている。クリシュナムルティは本棚の片隅。
>  その差は何なのだろう。
>  
>



祝○川通信(ブログ名は一部伏せときます)というブログに

クリシュナムルティ財団の問題が掲載されてます。ご存知かとは思いますが。

色々、裏ではあるみたいで団体となると大変ですね。


[24560] Re:[24559] [24558] [24557] [24555] [24551] 鬱病 投稿者:南方 投稿日:2017/09/10(Sun) 15:05  

> > > > > 私も過去、何回か似たような症状をしたことがあるが、「鬱病」などとはっきり自覚したことはない。誰でも落ち込みことはあるだろう。そこで対策ということだが、たとえばクリシュナムルティの本を読めば鬱情は改善するのだろうか。「否」である。自己観察など到底不可能。かえって自己嫌悪におちいり、ノイローゼになる。
> > > >
> > > > 本物のスピリチュアルな本にありがちだが、レヴェルが高すぎて逆に鬱になると言う現象。
> > >
> > >
> > > 世にうつ病と言われる状態は病であることもあるし、ひどい不幸な目にあった人の健全な反応であるもしれない。それゆえ、この板で取り扱うには不適切かと思う。
> > >
> > > それでKの教えに戻って、一点「見ることだけがある」という状態で見ていることがないなら、それは先入観、欲望、知識を持って見ていることになり、それに気づかない限り、益どころか害があるでしょう。
> > >
> > > この「見ることだけがある」状態は個別的な能力ではなく、普遍的なものです。これがホモ・サピエンスが現れて、どこで狂ったかは研究課題です。
> >
> >
> >
> > 世界を客観視して、それが何であるかを体験し洞察するためには、自我が必要だった。それを狂ったと表現するのは疑問。
> > 健全な自我は洞察によって利己主義、羨望、恐怖などから自由になれる可能性がある。
>
>
>
> 狂ったという表現は不用意に使いました。すみません。取り下げます。
> どう表現するかは難しいですが、例えばコスモスの秩序から著しく外れるとかになりますか。今はうまく思い当たりません。
>


うまく言葉にしてくれてありがとうございます。宇宙的な流れとも言えます。その流れに大きく抵抗しているもの。川の流れを川上に歩いているようなものですか。


> つぎに「世界を客観視して、それが何であるかを体験し洞察するためには、自我が必要だった。」ですが、ここがよくわかりません。


宇宙には無機物から植物が、植物から動物が、有機物から心が
心から自我がというふうに、全て無駄なものは生まれないという意味です。


> 何より{自我が必要だった}の自我が何を指しているかがわかりません。



自我は体験、経験、情報、知識などからくる機械的反応を指します。




> また、客観視という言葉は自他がある際の言葉と私はとっていますが、それだと洞察という事があるかどうか、つまり、それは「見ることだけがある」と同じ状態なのかという疑問があります。
>


体験するだけなら自我はいりません。こうやって何か普遍的なるものを共有する、そして人間として皆が完成する。
そういうことを考えるなら、逆説的かもしれませんが自我で体験を洞察して自他の区別がないことを人間は伝えないといけない。それ以前に戻るために、一旦自我で洞察して言葉にしなければいけない。その後、見ることができる人はそうすればいい、と思います。

> 「健全な自我」というのは、洞察によって利己主義、羨望、恐怖などから自由であるとき、コスモスの秩序にたがう事なく働いている思考のことかと私は思います。
>


ですね。

> ちょっと言葉不足のようですが、とりあえずお答えします。


[24559] Re:[24558] [24557] [24555] [24551] 鬱病 投稿者:ゴト 投稿日:2017/09/10(Sun) 14:24  

> > > > 私も過去、何回か似たような症状をしたことがあるが、「鬱病」などとはっきり自覚したことはない。誰でも落ち込みことはあるだろう。そこで対策ということだが、たとえばクリシュナムルティの本を読めば鬱情は改善するのだろうか。「否」である。自己観察など到底不可能。かえって自己嫌悪におちいり、ノイローゼになる。
> > >
> > > 本物のスピリチュアルな本にありがちだが、レヴェルが高すぎて逆に鬱になると言う現象。
> >
> >
> > 世にうつ病と言われる状態は病であることもあるし、ひどい不幸な目にあった人の健全な反応であるもしれない。それゆえ、この板で取り扱うには不適切かと思う。
> >
> > それでKの教えに戻って、一点「見ることだけがある」という状態で見ていることがないなら、それは先入観、欲望、知識を持って見ていることになり、それに気づかない限り、益どころか害があるでしょう。
> >
> > この「見ることだけがある」状態は個別的な能力ではなく、普遍的なものです。これがホモ・サピエンスが現れて、どこで狂ったかは研究課題です。
>
>
>
> 世界を客観視して、それが何であるかを体験し洞察するためには、自我が必要だった。それを狂ったと表現するのは疑問。
> 健全な自我は洞察によって利己主義、羨望、恐怖などから自由になれる可能性がある。



狂ったという表現は不用意に使いました。すみません。取り下げます。
どう表現するかは難しいですが、例えばコスモスの秩序から著しく外れるとかになりますか。今はうまく思い当たりません。

つぎに「世界を客観視して、それが何であるかを体験し洞察するためには、自我が必要だった。」ですが、ここがよくわかりません。
何より{自我が必要だった}の自我が何を指しているかがわかりません。
また、客観視という言葉は自他がある際の言葉と私はとっていますが、それだと洞察という事があるかどうか、つまり、それは「見ることだけがある」と同じ状態なのかという疑問があります。

「健全な自我」というのは、洞察によって利己主義、羨望、恐怖などから自由であるとき、コスモスの秩序にたがう事なく働いている思考のことかと私は思います。

ちょっと言葉不足のようですが、とりあえずお答えします。


[24558] Re:[24557] [24555] [24551] 鬱病 投稿者:南方 投稿日:2017/09/10(Sun) 13:27  

> > > 私も過去、何回か似たような症状をしたことがあるが、「鬱病」などとはっきり自覚したことはない。誰でも落ち込みことはあるだろう。そこで対策ということだが、たとえばクリシュナムルティの本を読めば鬱情は改善するのだろうか。「否」である。自己観察など到底不可能。かえって自己嫌悪におちいり、ノイローゼになる。
> >
> > 本物のスピリチュアルな本にありがちだが、レヴェルが高すぎて逆に鬱になると言う現象。
>
>
> 世にうつ病と言われる状態は病であることもあるし、ひどい不幸な目にあった人の健全な反応であるもしれない。それゆえ、この板で取り扱うには不適切かと思う。
>
> それでKの教えに戻って、一点「見ることだけがある」という状態で見ていることがないなら、それは先入観、欲望、知識を持って見ていることになり、それに気づかない限り、益どころか害があるでしょう。
>
> この「見ることだけがある」状態は個別的な能力ではなく、普遍的なものです。これがホモ・サピエンスが現れて、どこで狂ったかは研究課題です。



世界を客観視して、それが何であるかを体験し洞察するためには、自我が必要だった。それを狂ったと表現するのは疑問。
健全な自我は洞察によって利己主義、羨望、恐怖などから自由になれる可能性がある。


[24557] Re:[24555] [24551] 鬱病 投稿者:ゴト 投稿日:2017/09/10(Sun) 12:36  

> > 私も過去、何回か似たような症状をしたことがあるが、「鬱病」などとはっきり自覚したことはない。誰でも落ち込みことはあるだろう。そこで対策ということだが、たとえばクリシュナムルティの本を読めば鬱情は改善するのだろうか。「否」である。自己観察など到底不可能。かえって自己嫌悪におちいり、ノイローゼになる。
>
> 本物のスピリチュアルな本にありがちだが、レヴェルが高すぎて逆に鬱になると言う現象。


世にうつ病と言われる状態は病であることもあるし、ひどい不幸な目にあった人の健全な反応であるもしれない。それゆえ、この板で取り扱うには不適切かと思う。

それでKの教えに戻って、一点「見ることだけがある」という状態で見ていることがないなら、それは先入観、欲望、知識を持って見ていることになり、それに気づかない限り、益どころか害があるでしょう。

この「見ることだけがある」状態は個別的な能力ではなく、普遍的なものです。これがホモ・サピエンスが現れて、どこで狂ったかは研究課題です。


[24556] Re:[24552] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/09/10(Sun) 11:27  

> これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず

うむ、素晴らしい。何事によらないかもしれないが、それはヘラブナ釣りの極意だ。私は好きという事が認められて教えてもらった。今は楽しむことに入りかけている。せめてもう1年、健康で釣りができれば楽しむ境地に入るかもしれない。


[24555] Re:[24551] 鬱病 投稿者:vaamana 投稿日:2017/09/10(Sun) 11:13  

> ウィキより
>
> 私たちは、生活のなかのさまざまな出来事が原因で気持ちが落ち込んだり、憂うつな気分になったりすることがあります。しかし、数日もすると落ち込みや憂うつな気分から回復して、また元気にがんばろうと思える力をもっています。
> ところが時に、原因が解決しても1日中気持ちが落ち込んだままで、いつまでたっても気分が回復せず、強い憂うつ感が長く続く場合があります。このため、普段... 続きを読む >>
> うつ病の症状には精神症状と身体症状があります。また、これらの症状が、1日のなかで時間とともに変化するのも、うつ病の特徴です。多くの場合は、朝が最も悪く、夕方にかけて回復していきます。
>
> あと略
>
> 私も過去、何回か似たような症状をしたことがあるが、「鬱病」などとはっきり自覚したことはない。誰でも落ち込みことはあるだろう。そこで対策ということだが、たとえばクリシュナムルティの本を読めば鬱情は改善するのだろうか。「否」である。自己観察など到底不可能。かえって自己嫌悪におちいり、ノイローゼになる。

本物のスピリチュアルな本にありがちだが、レヴェルが高すぎて逆に鬱になると言う現象。


[24554] 無題 投稿者:vaamana 投稿日:2017/09/10(Sun) 10:58  

真理を明晰に知っているというだけでは、覚者からみたら最初の段階だ。

覚者とは、それを自在に楽しめるものである。


[24553] Re:[24549] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/09/10(Sun) 10:58  

独り立つ。

私が独り立ちしたのはいつかなあ……

就職、赴任して家を離れたときかなあ……

結婚を自分で決めたときかなあ……

仕事の成否、行方を天にゆだねたときかなあ……

単身赴任してカルチャーが全く異質の世界にいると不気味に思ったが、ついにそれを抜け出したときかなあ……

Kの言う「見ることだけがある」という状態が図らずして起こりだしてからかなあ……


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