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[25521] エネルギーは外部から 投稿者:虚無 投稿日:2018/06/19(Tue) 09:57  

 >全く恐怖のない ― 過ちを犯すという恐怖のない、正しいあるいは間違ったことをするという恐怖のない ― このエネルギーを持つとき、その時そのエネルギー自体が変容ではないでしょうか? 私たちは途方もない量のエネルギーを必要とし、それを恐怖を通じて浪費していますが、あらゆる形の恐怖を捨て去ることから生じるこのエネルギーがあるとき、そのエネルギー自体が根本的な内面の革命を生み出します。それについてしなければならないことは何もありません。
>

その変容を起こすエネルギーは、どこからやってくるか。
クリシュナムルティに聞くと「あちら」から。
ようするに、そのエネルギーは「外部」からやってくる。体の内部からではない。
ここは目に見えないものを認めない唯物論者には理解できないところ。
逆に、唯心論者は、「神」あるいは「仏」「大宇宙」「おおいなるもの」などと名付けるだろう。
ようするに 我々を司る「宇宙意識エネルギー」。これ無しでは我々は生きられない。

よもすると、答えようによっては、オカルチックになるので、慎重に発言を選び「あちらから」とKは言った。
このへんのところの渡辺氏の解説は「非物質」「非存在」と表現している。 渡辺氏は物理学の大家、並びに仏教に造詣が深い。
滅多にいない「二刀流」の人である。
クリシュナムルティはボームとの対話で、このへんのところをつっこまれ返答に困る場面が、しばしば向けられる。
考えてみれば、我々は内部だけでなく、外部から様々な影響を受けている。様々なあらゆるエネルギーによって。又、人間以外の動植物は目に見えない交換(コミュニケーション)作用によって、互いに交信しあって行きていける。例えば場所を移動できない植物は天候の変化にものすごく敏感に作用する。逆に思考に頼りがちの人間は自然の中では疎外者となる。
神智学では、人間の想念(ソート)は、エネルギー状となって外側に伝播すると当たり前のように書かれているが、(精神科学) 今だ現代科学はその域に至っていない。今だ目に見えないものを認めない唯物論がのさばっている。今の医学がその典型。切ったハッタの世界。



[25520] Re:[25519] [25517] [25487] 既知からの自由1−5(3) 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/19(Tue) 07:59  

> > >  「私は変わりたい、どうやるか教えてください」と言う人はとても熱心で、とても真剣なように思われますが、そうではありません。自分の中に秩序をもたらしてくれると期待できる権威を望んでいるのです。しかし権威は本当に内的秩序をもたらすことができるでしょうか? 外から押し付けられる秩序は常に無秩序を生むに違いありません。あなたはこの真理を知的には理解するかもしれませんが、しかし心がもはやどんな権威も、本、教師、妻や夫、両親、友人や社会の権威を投影しないように、それを実際に適用できるでしょうか? なぜなら私たちは常にある方式の型の内部で機能しているので、方式がイデオロギーと権威になるからです。しかし「どのようにして私は変わることができるでしょうか?」という質問が新しい権威を組み立てることを本当に見る瞬間、あなたは永久に権威を終えたのです。
> >
> >
> > クリシュナムルティは権威を終える人を望み、そうでない人は大衆(群れる人達)の中に返す気なのだろうか?
> >
> > 受け売りから抜け出す気のない群れる人達のつくる社会は、ソドムとゴモラのように行き止まり破滅するので、心ある人は抜け出て、隠れアウトローとして暮らせと言っているのだろうか。そうすれば人類は生き延びると。
> >
> > しかしそれでは死んでも死にきれないぞ。その群れる人たちの目を覚まさせなくちゃ! これが想像力の夢ならいいが。。
>
>
>  私の場合、まず私自身、まだ完全に目を覚ましていないようだ。。
>
>  内側に、>私たちは常にある方式の型の内部で機能しているので、方式がイデオロギーと権威になるからです。−−、これがあるようだ。。
>
>  若いころと比べて、だいぶ順応してしまっている。。


自分の立ち位置を計っている? 気になる? 影響されずにただ見ている。。


[25519] Re:[25517] [25487] 既知からの自由1−5(3) 投稿者:宮啓 投稿日:2018/06/18(Mon) 21:22  

> > [自己変容・エネルギーの浪費]
> >
> >  このような質問に対するあなたの反応はどのようなものでしょうか?「私は変わりたいと思いません」と言うかもしれません。そして多くの人々は変わりたいと思わないのです。特に社会的に経済的にかなり安泰な人や、教条的な信念を保持し、そのままのあるいは少しばかり修正した形の、自分自身と物事を受け入れることに満足している人はそうです。それらの人々に私たちは関わってはいません。あるいはもっと微妙に「ところで、それは難し過ぎて、私向きではない」というかもしれません。その場合にはすでに自分を閉ざしてしまい、調べることをやめてしまっており、さらに進んでも何にもならないでしょう。でなければ「自分自身の中に根本的な内面の変化が必要なことはわかりますが、どうやってそれをもたらすべきでしょうか? どうか道を示し、それへ向けて私を助けてください」と言うかもしれません。もしそう言うなら、その時あなたが関わっているものは変化それ自身ではなく、根本的な革命に本当に関心があるのではありません。単に変化をもたらす方法、体系を探しているだけです。
> >
> >  もし私があなたに体系を与えるほど愚かで、そしてもしあなたがそれに従うほど愚かならば、あなたは単にコピーし、模倣し、従い、受け入れているだけです。そしてそうするとき、あなたは自分自身の中に他人の権威を作り上げており、それゆえあなたとその権威の間に葛藤があります。これこれの事をするように教えられたので、それをしなければならないと感じますが、しかもなおそうする事ができません。自分が従うべきであると考える体系と相容れない自分自身の特有の傾向、成功、圧力をあなたは持っており、それゆえ矛盾があります。ですから体系のイデオロギーと日常の生存の実際との間で二重生活を過ごすでしょう。イデオロギーに順応しようとして自分自身を抑圧する ― ところが実際に真実なのは、イデオロギーでなくてあなたのあるがままです。他人にしてがって自分自身を学ぼうとするなら、あなたは常に受け売り人間のままでしょう。
> >
> >  「私は変わりたい、どうやるか教えてください」と言う人はとても熱心で、とても真剣なように思われますが、そうではありません。自分の中に秩序をもたらしてくれると期待できる権威を望んでいるのです。しかし権威は本当に内的秩序をもたらすことができるでしょうか? 外から押し付けられる秩序は常に無秩序を生むに違いありません。あなたはこの真理を知的には理解するかもしれませんが、しかし心がもはやどんな権威も、本、教師、妻や夫、両親、友人や社会の権威を投影しないように、それを実際に適用できるでしょうか? なぜなら私たちは常にある方式の型の内部で機能しているので、方式がイデオロギーと権威になるからです。しかし「どのようにして私は変わることができるでしょうか?」という質問が新しい権威を組み立てることを本当に見る瞬間、あなたは永久に権威を終えたのです。
>
>
> クリシュナムルティは権威を終える人を望み、そうでない人は大衆(群れる人達)の中に返す気なのだろうか?
>
> 受け売りから抜け出す気のない群れる人達のつくる社会は、ソドムとゴモラのように行き止まり破滅するので、心ある人は抜け出て、隠れアウトローとして暮らせと言っているのだろうか。そうすれば人類は生き延びると。
>
> しかしそれでは死んでも死にきれないぞ。その群れる人たちの目を覚まさせなくちゃ! これが想像力の夢ならいいが。。


 私の場合、まず私自身、まだ完全に目を覚ましていないようだ。。

 内側に、>私たちは常にある方式の型の内部で機能しているので、方式がイデオロギーと権威になるからです。−−、これがあるようだ。。

 若いころと比べて、だいぶ順応してしまっている。。


[25518] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/06/18(Mon) 17:25  

創造性は我がないところにしかない。美は我の不在である。


[25517] Re:[25487] 既知からの自由1−5(3) 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/18(Mon) 15:06  

> [自己変容・エネルギーの浪費]
>
>  このような質問に対するあなたの反応はどのようなものでしょうか?「私は変わりたいと思いません」と言うかもしれません。そして多くの人々は変わりたいと思わないのです。特に社会的に経済的にかなり安泰な人や、教条的な信念を保持し、そのままのあるいは少しばかり修正した形の、自分自身と物事を受け入れることに満足している人はそうです。それらの人々に私たちは関わってはいません。あるいはもっと微妙に「ところで、それは難し過ぎて、私向きではない」というかもしれません。その場合にはすでに自分を閉ざしてしまい、調べることをやめてしまっており、さらに進んでも何にもならないでしょう。でなければ「自分自身の中に根本的な内面の変化が必要なことはわかりますが、どうやってそれをもたらすべきでしょうか? どうか道を示し、それへ向けて私を助けてください」と言うかもしれません。もしそう言うなら、その時あなたが関わっているものは変化それ自身ではなく、根本的な革命に本当に関心があるのではありません。単に変化をもたらす方法、体系を探しているだけです。
>
>  もし私があなたに体系を与えるほど愚かで、そしてもしあなたがそれに従うほど愚かならば、あなたは単にコピーし、模倣し、従い、受け入れているだけです。そしてそうするとき、あなたは自分自身の中に他人の権威を作り上げており、それゆえあなたとその権威の間に葛藤があります。これこれの事をするように教えられたので、それをしなければならないと感じますが、しかもなおそうする事ができません。自分が従うべきであると考える体系と相容れない自分自身の特有の傾向、成功、圧力をあなたは持っており、それゆえ矛盾があります。ですから体系のイデオロギーと日常の生存の実際との間で二重生活を過ごすでしょう。イデオロギーに順応しようとして自分自身を抑圧する ― ところが実際に真実なのは、イデオロギーでなくてあなたのあるがままです。他人にしてがって自分自身を学ぼうとするなら、あなたは常に受け売り人間のままでしょう。
>
>  「私は変わりたい、どうやるか教えてください」と言う人はとても熱心で、とても真剣なように思われますが、そうではありません。自分の中に秩序をもたらしてくれると期待できる権威を望んでいるのです。しかし権威は本当に内的秩序をもたらすことができるでしょうか? 外から押し付けられる秩序は常に無秩序を生むに違いありません。あなたはこの真理を知的には理解するかもしれませんが、しかし心がもはやどんな権威も、本、教師、妻や夫、両親、友人や社会の権威を投影しないように、それを実際に適用できるでしょうか? なぜなら私たちは常にある方式の型の内部で機能しているので、方式がイデオロギーと権威になるからです。しかし「どのようにして私は変わることができるでしょうか?」という質問が新しい権威を組み立てることを本当に見る瞬間、あなたは永久に権威を終えたのです。


クリシュナムルティは権威を終える人を望み、そうでない人は大衆(群れる人達)の中に返す気なのだろうか?

受け売りから抜け出す気のない群れる人達のつくる社会は、ソドムとゴモラのように行き止まり破滅するので、心ある人は抜け出て、隠れアウトローとして暮らせと言っているのだろうか。そうすれば人類は生き延びると。

しかしそれでは死んでも死にきれないぞ。その群れる人たちの目を覚まさせなくちゃ! これが想像力の夢ならいいが。。


[25516] Re:[25514] エネルギーを何に使うか 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/18(Mon) 11:42  

> そうすると、夜はエネルギーが低いので「見る」ことはできないということですか?
> 「見る」ことは昼間やる?

いえいえ、目も明けていられないほど疲れていたら別ですが、そうでないなら見れるでしょう。女の人の悲鳴でもしたら絶対気づく。家の中に入って遮音されたら聞けないですが。

> ですので、夜にトラブルが起きると葛藤にさい悩ませる。
> 葛藤のエネルギーは強大です。
> 夜遅く帰って、家族に八つ当たりする。何が不機嫌なのか「バカヤロー」と怒鳴る。
> 昼夜に限らず、どうこうしようとしている時はエネルギーが高まる。
> どうこうしようと「しない」ときは、エネルギーは、ない。
> というより、(生きる)エネルギーが均等になっている。
> ようするにそのエネルギーをどのように使うか。
> さっきのケースでは「怒り」に使うと言うことです。

一体どういう時に怒るのだろう?


[25515] Re:[25513] [25508] 既知からの自由1−5(2) 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/18(Mon) 11:17  

> > >  もう一度はっきり述べましょう。私は自分が自分の存在の根源から完全に変化しなければならないことを見ます。伝統はこの巨大な怠惰、受容、服従をもたらしたので、私はもはやどのような伝統にも依存することはできません。変わるのを助けてくれるよう他人に頼ることはとてもできません。どんな教師にも、どんな神、どんな信念、どんな体系、どんな外部の圧力あるいは影響にも。その時何が起きるでしょうか?
> >
> > >  まず第一に、あなたは全ての権威を拒否できますか? もし出来るなら、それはあなたはもはや恐れていないことを意味します。何世代も自分と共に持ち運んできた偽りのものを拒否するとき、どんな種類の重荷であれ捨て去るとき、何が起きるでしょうか? あなたはより多くのエネルギーを持っているのではないでしょうか? より多くの能力、より多くの精力、より大きな強烈さと活力を持っています。もしこれを感じないなら、その時は重荷を捨て去っていません、権威の死んだ重さを捨ててはいないのです。
> >
> > >  しかしそれを捨て去り、全く恐怖のない ― 過ちを犯すという恐怖のない、正しいあるいは間違ったことをするという恐怖のない ― このエネルギーを持つとき、その時そのエネルギー自体が変容ではないでしょうか? 私たちは途方もない量のエネルギーを必要とし、それを恐怖を通じて浪費していますが、あらゆる形の恐怖を捨て去ることから生じるこのエネルギーがあるとき、そのエネルギー自体が根本的な内面の革命を生み出します。それについてしなければならないことは何もありません。
> >
> > >  それゆえあなたは自分自身と共に残されます。それがこのこと全てについて真剣である人にとって、あるべき実際の状態です。そしてもはや助けを求めて誰かや何かに頼っていないので、あなたはすでに自由に発見できます。自由があるとき、エネルギーがあります。自由があるときは決して間違ったことをすることができません。自由は反抗とは全く違います。自由があるときには、正しかったり、間違ったりするというような事はないのです。あなたは自由であり、その中心から行動します。それゆえ恐怖はなく、そして恐怖のない心は大いなる愛が可能です。そして愛があるときは望むことをすることができます。
> >
> >
> > クリシュナムルティは世界を根本的に変える変容の内容を、ここではっきり言ってくれました。実に明瞭です。
> >
> > でも私は疑問があります。人間の群れ集って言語を交わし伝達しあって進んでいくこの性質は、これまで同様大いに活用すべきものなのかどうか? もちろん変容してもですが。そこが私にはまだよくわかりません。
>
>
>  ネアンデルタール人は、この>人間の群れ集って言語を交わし伝達しあって進んでいくこの性質−−、これがホモ・サピエンスと比べて、非弱であったようです(NHK『人類誕生』より)。。
>
>  ただし、その分、観念の伝達も弱く、現にあるものと親密に交えることができたのかもしれません。すなわち、条件付けの伝搬も弱かったのではないでしょうか。。
>
>  知的生命体は、一旦は条件付けの世界へ落ちて、それから這い上がることがてきるのか・・。これが「生」として重要なことがらかもしれません。
>
>  もしも、条件付けの世界を知らない知的生命体(例えばネアンデルタール人もそうかもしれません・・)が生存していたとすれば、それは条件付けられた知的生命体に搾取されるからです。あるいは、条件付けられた知的生命体に対応する術を知らないと先々が危ぶまれるのではないでしょうか。。
>
>  条件付けの危険性さえ知っていれば、>人間の群れ集って言語を交わし伝達しあって進んでいくこの性質−−、これは有用に働くのではないでしょうか。。


人間の群れをつくる性質についてのコメントありがとうございます。

群れをつくると理性は働きにくくなるんでしょうか? 常に効果があるのは感情に訴える煽りとか、気をてらうパフォーマンス、オンオフ的な単純論理など感情を操作する術策です。専門家のコメントも常に賛成と反対があって何が正しいかわかりません、考え抜く気がしません。

人間といっても実態は世代ごとに違う社会で条件づけられ、考え方も、言語ですらも通じません。それで群れてやっていけず、閉じこもる人もあります。社会の混乱、矛盾の性質がどんどん変わっていく気がします。

老人はともかく若い人はどう生きるか、そこを見出すことが難しいでしょうね。自分も難しいですが。。


[25514] エネルギーを何に使うか 投稿者:虚無 投稿日:2018/06/18(Mon) 10:58  

寝につく時は疲れていて、溜まっているエネルギーが減って低い状態。
朝目が覚めたときは減ったエネルギーが充電されてエネルギーがたっぷり溜まっている、いわばエネルギー量が高い状態。

そういう意味で高い、低いと言っています。朝は一般に高い状態。夜は低い状態。

それで見るにはエネルギーを消耗はしませんが、溜まっているエネルギー量が低いとぼんやり見ている感じ。エネルギーがたっぷり溜まって疲労もない時は明晰に見える感じ。

エネルギーを消費しているという事ではない。努力していないから。情熱を注ぐのは見ることに対してでなく、溜まっているエネルギーが高ければ高いほど、明晰で敏感に気づく。

情熱を注ぐのは見ることに対してでなく、関心に向かって注ぐ。集中して見ると、見てもエネルギーを消耗する。受動的に見ている人は消耗しない。ヘラブナ釣りで、浮きの見方は前者はへぼ、認識しようとしている。初心者は仕方がないが。後者は達人、直覚している。

そうすると、夜はエネルギーが低いので「見る」ことはできないということですか?
「見る」ことは昼間やる?

ですので、夜にトラブルが起きると葛藤にさい悩ませる。
葛藤のエネルギーは強大です。
夜遅く帰って、家族に八つ当たりする。何が不機嫌なのか「バカヤロー」と怒鳴る。
昼夜に限らず、どうこうしようとしている時はエネルギーが高まる。
どうこうしようと「しない」ときは、エネルギーは、ない。
というより、(生きる)エネルギーが均等になっている。
ようするにそのエネルギーをどのように使うか。
さっきのケースでは「怒り」に使うと言うことです。




[25513] Re:[25508] 既知からの自由1−5(2) 投稿者:宮啓 投稿日:2018/06/18(Mon) 09:01  

> >  もう一度はっきり述べましょう。私は自分が自分の存在の根源から完全に変化しなければならないことを見ます。伝統はこの巨大な怠惰、受容、服従をもたらしたので、私はもはやどのような伝統にも依存することはできません。変わるのを助けてくれるよう他人に頼ることはとてもできません。どんな教師にも、どんな神、どんな信念、どんな体系、どんな外部の圧力あるいは影響にも。その時何が起きるでしょうか?
>
> >  まず第一に、あなたは全ての権威を拒否できますか? もし出来るなら、それはあなたはもはや恐れていないことを意味します。何世代も自分と共に持ち運んできた偽りのものを拒否するとき、どんな種類の重荷であれ捨て去るとき、何が起きるでしょうか? あなたはより多くのエネルギーを持っているのではないでしょうか? より多くの能力、より多くの精力、より大きな強烈さと活力を持っています。もしこれを感じないなら、その時は重荷を捨て去っていません、権威の死んだ重さを捨ててはいないのです。
>
> >  しかしそれを捨て去り、全く恐怖のない ― 過ちを犯すという恐怖のない、正しいあるいは間違ったことをするという恐怖のない ― このエネルギーを持つとき、その時そのエネルギー自体が変容ではないでしょうか? 私たちは途方もない量のエネルギーを必要とし、それを恐怖を通じて浪費していますが、あらゆる形の恐怖を捨て去ることから生じるこのエネルギーがあるとき、そのエネルギー自体が根本的な内面の革命を生み出します。それについてしなければならないことは何もありません。
>
> >  それゆえあなたは自分自身と共に残されます。それがこのこと全てについて真剣である人にとって、あるべき実際の状態です。そしてもはや助けを求めて誰かや何かに頼っていないので、あなたはすでに自由に発見できます。自由があるとき、エネルギーがあります。自由があるときは決して間違ったことをすることができません。自由は反抗とは全く違います。自由があるときには、正しかったり、間違ったりするというような事はないのです。あなたは自由であり、その中心から行動します。それゆえ恐怖はなく、そして恐怖のない心は大いなる愛が可能です。そして愛があるときは望むことをすることができます。
>
>
> クリシュナムルティは世界を根本的に変える変容の内容を、ここではっきり言ってくれました。実に明瞭です。
>
> でも私は疑問があります。人間の群れ集って言語を交わし伝達しあって進んでいくこの性質は、これまで同様大いに活用すべきものなのかどうか? もちろん変容してもですが。そこが私にはまだよくわかりません。


 ネアンデルタール人は、この>人間の群れ集って言語を交わし伝達しあって進んでいくこの性質−−、これがホモ・サピエンスと比べて、非弱であったようです(NHK『人類誕生』より)。。

 ただし、その分、観念の伝達も弱く、現にあるものと親密に交えることができたのかもしれません。すなわち、条件付けの伝搬も弱かったのではないでしょうか。。

 知的生命体は、一旦は条件付けの世界へ落ちて、それから這い上がることがてきるのか・・。これが「生」として重要なことがらかもしれません。

 もしも、条件付けの世界を知らない知的生命体(例えばネアンデルタール人もそうかもしれません・・)が生存していたとすれば、それは条件付けられた知的生命体に搾取されるからです。あるいは、条件付けられた知的生命体に対応する術を知らないと先々が危ぶまれるのではないでしょうか。。

 条件付けの危険性さえ知っていれば、>人間の群れ集って言語を交わし伝達しあって進んでいくこの性質−−、これは有用に働くのではないでしょうか。。


[25512] Re:[25509] クリシュナムルティの教えの欠点 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/17(Sun) 22:43  

> クリシュナムルティは人間の感情の問題についておざなりにしている。何でもかんでも「思考」という言葉にひとくくりにしてしまっている。思考と感情は違う。
> 何で人間は感情的になるのかという言及はない。

感情について、その役割はちゃんと言っている。おいおい出てくるさ。

そしてKは何もかにも言及しているわけではない。例を挙げると、彼は成熟した人に話しているので、赤ん坊からの精神の発育過程については何も話していない。


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