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[24682] Re:[24677] [24669] [24666] [24665] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/14(Sat) 14:39  

> > > > 私は{ただ}見るや{ただ}聞くことを目標としない。
> > > >
> > > > 避難正当化しているのを観ることに焦点を当てている。
> > > >
> > > > 前者を目標化することは無意味だ。
> > > >
> > > > と思う。
> > >
> > >
> > >
> > > そして{ただ}見るや{ただ}聞くは
> > >
> > > 避難正当化が止んだ「後」にくるなにかではなく
> > >
> > >
> > > 避難正当化がある「前」にあった、或いはあるものだ。
> >
> > 非難正当化を見ることに焦点を当てる。これは目標とするのとは違う意味を表現している。
> >
> > つまり報酬獲得的な意味での目標と違って、異質のエネルギーのがそこにあることです。見る、聴く、あるいは沈黙の中にあるエネルギーとでも言いますか。意志的なエネルギーと異なる。
> >
> > そのような異質な(異次元的でもよい)性が現れる時、マインドのありようの変化がある。
> >
>
>
> 非難正当化の背後にあるエネルギーは感じ取れますが
>
> マインドのありように変化はありませんよ。
>
> そのエネルギーからマインドを介さないで見ることはいつもできますが。
>
> マインドはマインドです。


どうも話がこんがらかっています。もう一度やり直してみます。

ただ見ることができず、非難正当化が出てきてしまう。――この時マインド(心)は騒いで介入してきている。

非難正当化なしにただ見ている。――この時マインドは静かである。

この二つの場合で、マインドはマインドかもしれないが、その状態は違うのではないかと言っています。たまたまのようで、出たときハッと気づき非難正当化に入って行かないようであるなら、非難正当化は終わります。憎しみでも嫉妬でも同じです。そういう事を言っていますが、ここが違うでしょうか?


[24681] Re:[24678] [24672] [24663] [24662] Kの言っていること―あるいは瞑想 投稿者:南方 投稿日:2017/10/14(Sat) 14:20  

> 個人の意識の変革がヒトの意識の変革をもたらすというのが回答らしいのですが、流行という事は非常に伝搬するけれど、意識についてはどうなのだろう?
> そんなところでまごついています。


意識についてもほぼ間違いなく伝搬します。
精神科というところは不思議なところで、足腰が立たない人が入院してきたりします。
足腰が立たない人が何故精神科へ?と思うでしょう。
でも
三か月も経つとその人はピンピン立って歩いて退院していくんですね。

精神科の入院生活と言うのは精神の変化が求められるわけですが、それが不思議と起こるんですね。精神科医という人は不思議な人です。そのメカニズムは意識の伝搬に繋がるものがあると思います。




[24680] Re:[24676] [24675] [24671] [24669] [24666] [24665] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/14(Sat) 13:49  

>  前々から、F氏について関心をもっていました。可能な範囲でプロフィールやゴトさんとのご縁などをご紹介いただけないでしょうか・・。

F氏は「Kコミ」というミニコミ誌を出していた方で、Kの読書会も開いていらっしゃいました。それで私も「Kコミ」の購入から、ついには初めてK関係の会合に恐る恐る出席しました。最初15分間の瞑想があったので、それがちゃんとできるか怖かったのです。これが最初のK関係の会合でした。懐かしいありがたい会でした。
F氏は精神界の人で、比較的早くそちらの方に入って(もどって?)行かれました。それでF氏と書いています。


[24679] Re:[24678] [24672] [24663] [24662] Kの言っていること―あるいは瞑想 投稿者:南方 投稿日:2017/10/14(Sat) 13:28  

> > > >
> > > > で、その状態とというのを一つの固定した概念として把握すると、それは偽物となるという事で取り扱いが難しいのです。
> > >
> > >
> > >  はい。それは再び同じ姿で現れない。現れるときは必ず新しい初めての姿で現れる。
> > >
> > >
> > > だがなんとかそれに取り組んでみたいと私は今思っています。このことが既に間違っているかもしれないのですが、誤りと気づけばやめるという事にします。何らかのチャレンジがやってきた!今ここでどうするかという事です。
> >
> >
> >
> > これまでの話のいきさつから上記のような試みは無意味だと判明しました。
>
> そうかもしれません。特に私のつけた表題はKが説いたことに対し不遜極まる感じがパッとしますね。
>
> ではそもそも何を試みようとしていたかという事もはっきりしませんが、ヒトは言葉と意識を持った。そしてこの文明と文化、競争・対立と不安の社会をもたらし、どこへ行くかもわからない。一体その持つ意味は何なのだろうという疑問がありました。
> 個人の意識の変革がヒトの意識の変革をもたらすというのが回答らしいのですが、流行という事は非常に伝搬するけれど、意識についてはどうなのだろう?
> そんなところでまごついています。


非難正当化の背後にあるエネルギーからマインド介さないで見たものはそれはそのままのものでしょう。

そして、マインドによる意味づけがある。そのマインドは原則的には機械のようなものであるが、家族・友人・環境・文化によってことなってくる。
そのマインドからみた宇宙がどう映るのか、背後にあるエネルギーは見たかった。
神が神を見たかった。

ロマンチックに言えばそういえるでしょう。

暴力映画を神は見たかったのかもしれません。映画ランボーが大ヒットする(した)ことがそれを間接的に証明している。


これらは全部仮説ですが。


[24678] Re:[24672] [24663] [24662] Kの言っていること―あるいは瞑想 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/14(Sat) 13:09  

> > >
> > > で、その状態とというのを一つの固定した概念として把握すると、それは偽物となるという事で取り扱いが難しいのです。
> >
> >
> >  はい。それは再び同じ姿で現れない。現れるときは必ず新しい初めての姿で現れる。
> >
> >
> > だがなんとかそれに取り組んでみたいと私は今思っています。このことが既に間違っているかもしれないのですが、誤りと気づけばやめるという事にします。何らかのチャレンジがやってきた!今ここでどうするかという事です。
>
>
>
> これまでの話のいきさつから上記のような試みは無意味だと判明しました。

そうかもしれません。特に私のつけた表題はKが説いたことに対し不遜極まる感じがパッとしますね。

ではそもそも何を試みようとしていたかという事もはっきりしませんが、ヒトは言葉と意識を持った。そしてこの文明と文化、競争・対立と不安の社会をもたらし、どこへ行くかもわからない。一体その持つ意味は何なのだろうという疑問がありました。
個人の意識の変革がヒトの意識の変革をもたらすというのが回答らしいのですが、流行という事は非常に伝搬するけれど、意識についてはどうなのだろう?
そんなところでまごついています。


[24677] Re:[24669] [24666] [24665] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/10/14(Sat) 13:05  

> > > 私は{ただ}見るや{ただ}聞くことを目標としない。
> > >
> > > 避難正当化しているのを観ることに焦点を当てている。
> > >
> > > 前者を目標化することは無意味だ。
> > >
> > > と思う。
> >
> >
> >
> > そして{ただ}見るや{ただ}聞くは
> >
> > 避難正当化が止んだ「後」にくるなにかではなく
> >
> >
> > 避難正当化がある「前」にあった、或いはあるものだ。
>
> 非難正当化を見ることに焦点を当てる。これは目標とするのとは違う意味を表現している。
>
> つまり報酬獲得的な意味での目標と違って、異質のエネルギーのがそこにあることです。見る、聴く、あるいは沈黙の中にあるエネルギーとでも言いますか。意志的なエネルギーと異なる。
>
> そのような異質な(異次元的でもよい)性が現れる時、マインドのありようの変化がある。
>


非難正当化の背後にあるエネルギーは感じ取れますが

マインドのありように変化はありませんよ。

そのエネルギーからマインドを介さないで見ることはいつもできますが。

マインドはマインドです。


[24676] Re:[24675] [24671] [24669] [24666] [24665] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/10/14(Sat) 11:52  

> > > 非難正当化を見ることに焦点を当てる。これは目標とするのとは違う意味を表現している。
> > >
> > > つまり報酬獲得的な意味での目標と違って、異質のエネルギーのがそこにあることです。見る、聴く、あるいは沈黙の中にあるエネルギーとでも言いますか。意志的なエネルギーと異なる。
> > >
> > > そのような異質な(異次元的でもよい)性が現れる時、マインドのありようの変化がある。
> >
> >
> >  はい。
> >
> >  しばらくすると、それは元に戻っており、再現しようと意図しても、恣意的にはできない。
> >
> >  恣意的にはできないことを、よく分かっているので求めようとか、目標にしようとはつゆほども思わない。
> >
> >  それは忘れたころに、ふとやって来るものだから・・。
>
> まず異質のエネルギーと私は言ったのですが、それが気になったので一言。
> エネルギーに異質のものがあるというのは実際にどういう事かと言うと、食い入るように見ているその関心の質が違うという事でしょうか、星空を見ているように利己性がないというような。それで忘れたようなとき、ふと見てみようと思う事は妨げになりません。
>
> Kを読んで、最初、見るなり、気づきなり、そういう事をできるようになりたいという願望に憑りつかれることは多くの人にあることです。私もそうですが、F氏に「結局はそのエネルギーが見ることを可能にする」というふうなことを言っていただいた記憶があります。一言付け加えておきます。


 多様なご助言、ありがたく思っています。

 前々から、F氏について関心をもっていました。可能な範囲でプロフィールやゴトさんとのご縁などをご紹介いただけないでしょうか・・。


[24675] Re:[24671] [24669] [24666] [24665] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/14(Sat) 11:41  

> > > > 私は{ただ}見るや{ただ}聞くことを目標としない。
> > > >
> > > > 避難正当化しているのを観ることに焦点を当てている。
> > > >
> > > > 前者を目標化することは無意味だ。
> > > >
> > > > と思う。
> > >
> > >
> > >
> > > そして{ただ}見るや{ただ}聞くは
> > >
> > > 避難正当化が止んだ「後」にくるなにかではなく
> > >
> > >
> > > 避難正当化がある「前」にあった、或いはあるものだ。
> >
> > 非難正当化を見ることに焦点を当てる。これは目標とするのとは違う意味を表現している。
> >
> > つまり報酬獲得的な意味での目標と違って、異質のエネルギーのがそこにあることです。見る、聴く、あるいは沈黙の中にあるエネルギーとでも言いますか。意志的なエネルギーと異なる。
> >
> > そのような異質な(異次元的でもよい)性が現れる時、マインドのありようの変化がある。
>
>
>  はい。
>
>  しばらくすると、それは元に戻っており、再現しようと意図しても、恣意的にはできない。
>
>  恣意的にはできないことを、よく分かっているので求めようとか、目標にしようとはつゆほども思わない。
>
>  それは忘れたころに、ふとやって来るものだから・・。

まず異質のエネルギーと私は言ったのですが、それが気になったので一言。
エネルギーに異質のものがあるというのは実際にどういう事かと言うと、食い入るように見ているその関心の質が違うという事でしょうか、星空を見ているように利己性がないというような。それで忘れたようなとき、ふと見てみようと思う事は妨げになりません。

Kを読んで、最初、見るなり、気づきなり、そういう事をできるようになりたいという願望に憑りつかれることは多くの人にあることです。私もそうですが、F氏に「結局はそのエネルギーが見ることを可能にする」というふうなことを言っていただいた記憶があります。一言付け加えておきます。


[24674] Re:[24673] 非難正当化 投稿者:南方 投稿日:2017/10/14(Sat) 10:35  

>  あなた方は、これまでの言動を見る限り、クリシュナムルティ(の言ってること)をまったく信じ切っているようだ。彼の言うことは正しいと信じて、一寸の疑いをかけようとはしない。ホントかどうかということ。
>  (教祖を敬う信者の心理と同じ)
>  仮に傍でクリシュナムルティを非難している人がいるとして、あなた方はその人に対しどのように反応するのだろうか。即反論を試みるのだろうか。あるいは内心「この人はなにわかっていない」と蔑視するのだろうか。
>  つまり、クリシュナムルティを非難する人に対し、どんな気持ちになるのだろうか?クリシュナムルティを守るため血相変えて怒るのか。あるいはその人に対し無視を決め込み。内心「こいつとは相入れない」
>


何年か前ある人にクリシュナムルティの本をすすめたところ、その人は三時の早起き会に入会して何年もたっている人でしたが、巻末のKの略歴を読んだだけで
「この人は無責任だ!」とそれ以降読まなっかです。
星の教団解散事件のことです。

それで今それを思い返して考えてみるのですが、Kは真理は組織だって追究されるものではない、と言っています。

この言葉と「この人は無責任だ!」という言葉を合わせて考えてみると、真理というものは集団で追い求めると、なにか抽象化観念化したものにならざるを得ない。具体性をなくす。

{ただ}見るという行為は具体的なものです。組織だって追求することではない。

そういうことを読む機会や精神を失わせるという意味でやはり三時の早起き会は表立って宗教とは言ってないが、やはり宗教なのでしょう。


Kを信望しているのではなく現実を見て判断しました。

>  こうしたことは日常でよくある。自分の信頼している人、あるいは仲のいい友人でもいい。傍から悪く言われたら、どんな反応をするか。すくなくともいい気持ちはしない。いわれなく中傷と感じるかもしれない。
>


残念におもったのは事実です。でも今はKはいいよ、とその人に言うと「また始まった」と笑いあえる仲です。そこまでお互いに排他的でもありません。
人間よほどのことがない限り原理主義にはならないのだなと思う。少なくとも表現の自由が担保されている日本では。



>  かって新しい芽氏がこういったことを思い出す。クリシュナムルティの言ってることは、正しいかもしれないが間違ってるかもしれない。だから一つ一つ検証すると。


それは大切だと思います。気を付けます。


[24673] 非難正当化 投稿者:外野 投稿日:2017/10/14(Sat) 09:32  

 あなた方は、これまでの言動を見る限り、クリシュナムルティ(の言ってること)をまったく信じ切っているようだ。彼の言うことは正しいと信じて、一寸の疑いをかけようとはしない。ホントかどうかということ。
 (教祖を敬う信者の心理と同じ)
 仮に傍でクリシュナムルティを非難している人がいるとして、あなた方はその人に対しどのように反応するのだろうか。即反論を試みるのだろうか。あるいは内心「この人はなにわかっていない」と蔑視するのだろうか。
 つまり、クリシュナムルティを非難する人に対し、どんな気持ちになるのだろうか?クリシュナムルティを守るため血相変えて怒るのか。あるいはその人に対し無視を決め込み。内心「こいつとは相入れない」

 こうしたことは日常でよくある。自分の信頼している人、あるいは仲のいい友人でもいい。傍から悪く言われたら、どんな反応をするか。すくなくともいい気持ちはしない。いわれなく中傷と感じるかもしれない。

 かって新しい芽氏がこういったことを思い出す。クリシュナムルティの言ってることは、正しいかもしれないが間違ってるかもしれない。だから一つ一つ検証すると。


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