雑感
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[25054] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/02/01(Thu) 01:13  

エゴを捨てて柔和になった者は、尊敬を受けるに値するようになります。


[25053] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/02/01(Thu) 01:12  

地位はエゴを膨らませて弱みになることもあります。


[25052] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/02/01(Thu) 01:10  

今、周囲を見渡しても、社会のために犠牲を払おうとする兆候はほとんど見られません。人は、自分のことを偉大な帰依者だとか、霊性修行者、あるいは科学者であると自称するかもしれませんが、犠牲の精神がなければ、その人の中に偉大さはまったくありません。セヴァ(無私の奉仕)は生活に味を付ける塩です。犠牲の精神は生活に香りを付けます。人は60年、70年、あるいは80年生きるかもしれませんが、自分の人格を高めること、他者に献身的に奉仕することに自分の生活を捧げていないなら、長生きしても何の意味もありません。あなたが欲望の対象とすべきものは、建物や地位や工場や産業ではありません。あなたが獲得することのきる最高の財産は、善良な人格です。


[25051] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/02/01(Thu) 01:09  

愛のない人生は無意味です。あなたが愛すれば愛するほど、愛は育っていきます。本当の愛と、人や物への執着とは、区別されるべきです。執着は自分本位を基盤としています。愛は無私を基盤としています。愛は、あなたの善行という花が実を結んだ果実です。無私の奉仕に従事する時にのみ、その清らかな愛の果汁を味わうことができます。


[25050] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/02/01(Thu) 01:07  

かつて、仏陀は一つの死体を見ました。それから、一人の病人を見ました。さらに、一人の老いさらばえた男を見ました。このような光景を目の当たりにして、心に変容が起こりました。彼は仏陀(覚者)になりました。私たちは、たくさんの死体や、たくさんの病人や、老人を見ていますが、心は変わっていません。私たちは、石のようなハートの持ち主になってしまいました。私たちは、自分自身を変容しなければなりません。そうしてこそ、人間なのです。私たちは、「仏陀に帰依し奉る。僧に帰依に奉る。真理に帰依し奉る。法に帰依し奉る」(ブッダム シャラナム ガッチャーミ、サンガム シャラナム ガッチャーミ、サッティヤム シャラナム ガッチャーミ、ダルマム シャラナム ガッチャーミ)と、レコードのように繰り返しています。私たちのどこに真実があるでしょう? 私たちのどこに平安があるでしょう? どこにも何もありません。


[25049] Re:[25046] [25041] [25038] [25028] [25027] [24987] [24984] [24978] [24977] [24975] [24974] [24973] [24969] [24966] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/01/31(Wed) 22:58  

>  先日紹介しました、『真の瞑想 〜自らの内なる光〜 』コスモスライブラリー発行 は、まだ3分の1しか読んでいないのですが、お勧めします。
>
>  この文献は、クリシュナムルティをだいぶ読み込んでいなければチンプンカンプンでしょうが、読み込んでいる者にとっては貴重な文献と感じられるように思います。


推薦有難うございます。今、注文しました。


[25048] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/01/31(Wed) 22:33  

しかし、無理やり人の尊敬を得ようとする試みはどうしてもうまくいかない。
安らぎは、自分から愛するところにしかない。

無理やり人から、愛を掠め取ることはできないんだよ。


[25047] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/01/31(Wed) 22:31  

この世界は、きちんとしてない人でさえも、相手がきちんとしてるか見ていて、きちんとしていないと尊敬しようとしない。


[25046] Re:[25041] [25038] [25028] [25027] [24987] [24984] [24978] [24977] [24975] [24974] [24973] [24969] [24966] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/31(Wed) 21:12  

> > > >  見落とされたかもしれないので、再掲しておきます。
> > >
> > > 見落としたというわけではないが、筆が重くて……、すみません。
> >
> >
> >  どういたしまして。。
>
> 有難うございます。
>
> >
> >  新しい芽氏も言っていましたが、もしも、クリシュナムルティが生きていて、掲示板に投稿してきたならば、それと分かるのか?との私の問いに対して、「分からない(旨)」の返答を新しい芽氏からもらいました。
> >
> >  覚者が真理を語ったとして、それが掲示板のような文面だけの情報であれば・・、それが本物か否か不確定としかならない・・ということです。
> >
> >  それゆえに、ゴトさんが真理を語ったとしても、それが本物か否かは・・文面だけでは「不確か」として受理されるということは、掲示板やネット上でのやりとりの中では、いたしかたないことなのかもしれません。。
> >
> >  ただ、こちらとしても、不確かなまま、「はい、それは真理です・・」と言うわけにはいかず、ぎりぎりまで確かめたいというところで、ゴトさんにはお手数をおかけしております。
> >
> >
> >
> > > > > > > > > >  親子の愛着は愛ではない。
> > > > > > > > > >
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 家族の関係は人間関係の基礎です。あなたの妻や子にたいする執着も唯一なる愛の表れなのです。
> > > > > > > >
> > > > > > > >
> > > > > > > > このレス、ほんとにありがとう。私も少し書いてみます。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 昔海軍の将校が妻に言った。母親の(良妻賢母型でなく)盲愛が一番。盲愛を受けて育った水兵は人間関係でトラブルになることはまずないと。私は盲愛するというのは子供に気遣い、ケアーを注ぐことで、これが愛でしょう。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 子供向けのテレビアニメを今日見ていた。サザエさんみたいな家族ドラマで、内容はなくなったおばあちゃんと家族全員がそろっている写真を、おじいちゃんの希望で探すという事だが、それがなかなか見当たらない。結局、親と孫が全員揃っておじいちゃんが写したのだが、その時、おばあちゃんが何かの所作をして全員がずっこけている写真を貰っておじいちゃんは帰ることになった。
> > > > > > > > 家族という単位は普通人間形成に直結しており、そこには言葉化が困難な何にかがあるとはいえ、アニメでは何か伝わる。家族は重要な単位である。
> > > > > > > >
> > > > > > > > だが主体性をもって自由な意思で生きていく一人の人間―ヒューマニズム、ルネッサンスからの時代は終わりを告げているという。これは別項で。
> > > > > > >
> > > > > > >
> > > > > > >  クリシュナムルティが述べる「愛」と、一般に言われる「愛」を混同するところには、混乱があり、破滅へと向かう錯誤があり、これが世界ではないでしょうか・・。
> > > > > > >
> > > > > > >  愛を語る者たちが、滅ぼしあっているのではないでしょうか・・。
> > >
> > > 愛を語る者たちが滅ぼしあっている……、実はどういうことかぴんと来ないのです。
> >
> >
> >  教育現場では愛が語られていないでしょうか・・。「教職は神職である」という言葉が一昔までありました。親が子を躾けるときにも、我が子を思う愛が語られないでしょうか・・。政治家や社会活動家は「愛」を動機として自己欺瞞に陥っていないでしょうか・・。宗教の世界では・・。
>
> 教育現場で愛が語られる?愛は愛という言葉で教えたり、示すことのできるものでしょうか?そうでなく、愛と関係が直接ない日常の教導の中にひらめくことでしょうか?それは何かの交感の瞬間です。それが愛の共有です。生徒の側からいえば教師に対する信頼の確信です。愛の言葉なんて関係ありません。
> 私も母から愛しているという言葉は聞いたことがありません。交感(コミュニオン)の共有があることが、あえて言葉にすれば愛の伝搬だと思います。この交感という言葉はキリスト教との結びつきが強くて不適切でしょうか?
>
> >
> > > > > > >  クリシュナムルティが述べる「愛」と、一般に言われる「愛」を混同するところには、混乱があり、破滅へと向かう錯誤があり、これが世界ではないでしょうか・・。
> > > > > > >
> > > > > > >  愛を語る者たちが、滅ぼしあっているのではないでしょうか・・。
> > > > > >
> > > > > > Kの言う愛の本質、それから普通に言う愛の本質を人の心がしっかり感じ取ることが、まず、重要です。
> > > > > >
> > > > > > Kの述べる愛となると特殊用語になりかねないので、愛の普遍的な意味・本質について話し合いましょう。
> > > > > >
> > > > > > 愛の本当の意味は人間同士の間の気遣い・ケアのことだと思います。それは心身の全体に向けられます。同一目線で、相手の主体性を尊重品ができる範囲の内で。それは周囲のすべて、道具、社会、動物、生物、自然すべてに広がっていきます。
>
> 私は交感を[24997]で、
> <憎しみを超える時、何が起きているのでしょうか?
>
> 局所的ながら、全体的な大いなる力・布置、大いなるものの臨在があるように感じます。その時とるに足らぬことが瞬間に理解され消し飛んでいるのです。必要な言葉は交わさるが、沈黙があります。>
>
> と表現しました。もう少しわかりやすい別の表現で書いたことがあったと捜しましたが、見つけられませんでした。確信の基準はそうした気づきというか、妙観察知というか、交感、あるいは洞察にあると確信します。
>
> > > > >
> > > > >
> > > > >  そこで、飢餓人(世界で7億人が飢餓で苦しんでいる現在)が、これを聴いて何と思うか・・。
> > >
> > > 私にはこの言葉は観念的で言葉上での感じがするのですが……
> >
> >
> >  すなわち、>愛の本当の意味は人間同士の間の気遣い・ケアのことだと思います。それは心身の全体に向けられます。同一目線で、相手の主体性を尊重品ができる範囲の内で。それは周囲のすべて、道具、社会、動物、生物、自然すべてに広がっていきます。−−、これは飢餓人へもたむけられているということですね。
> >
> >
> > > > > > 普通に言われる愛には同じようで、どうも恩恵の意味があって、お返しを暗に期待するところがあるようです。優者が劣者に与えるような感じもよくあります。宗教におけるように、認可・制裁を伴う場合もあります。だから愛憎の愛なのです。
> > > > > >
> > > > > > そこは人間は、普通の愛が愛憎の愛であること等は、かなりよく知ってきていると思います。アニメの影響は馬鹿にならないのではないかと思います。
> > > > > >
> > > > > > とりとめもないがともかく書いてみました。
> > > > >
> > > > >
> > > > >  母子間の愛着は生理的強迫性が伴うのではないでしょうか・・。生理的強迫性とは空腹や年頃の性的欲求のような強い強迫的な欲求。
> > >
> > > はい。
> >
> >
> >  強迫性のある欲求がクリシュナムルティが述べるところの「愛」とは思えないのです。
>
> 生理的な脅迫で無心に何かをする時は少なくとも邪心はないし、故に秩序の内にあるのではないかと思います。自然の仕組みを俗なものと思うか恩寵と思うかですか?
>
> >
> > > > >  鳥が巣を作り子育てに勤しむように、「私の子」と「他者の子」の区別、更には、「私」と「子」という区別が無いときには、白い炎としての「愛」があり得ることは、クリシュナムルティが陳述しています。
> > > > >
> > > > >  しかし、ヒトの場合、「私の子」と「他者の子」の区別、更には、「私」と「子」は確かにあるのではないでしょうか・・。
> > > > >
> > > > >  よって、ヒトの場合においては、この「区別」がある限り、変容に寄与することはなく、依然として時間の世界に留まっているように見受けられます。
> > >
> > > 自分の子と他人の子が見分けることができるのは実際に必要です。そのうえで他人の子と、自分の子と分離なしに接することはできないでしょうか?それと変容に寄与する?
> > >
> > > > >
> > > > >  ただし、時折、予期せずして「区別」なく佇んでいる、あるいは勤しんでいることはありうることです、ただし、これは母子間に限らず・・。
> > >
> > > もちろん分離なく実際に接していることはあります。しかし近所のだれだれちゃんという認識が同時にあっても一向に差し支えないように思いますが。
> > > 何か、区別とか分離という言葉がさしている内容が全く違い、話が通じない感じがします。
> >
> >
> >  クリシュナムルティが述べるところの「区別」は「個体識別」とは別のニュアンスがあるように感じています。
> >
> >  そして、「区別」あるいは「中心(自我)」があるところには変容はない旨がクリシュナムルティによって述べられています。
>
> つまり、識別ではなく差別があるという事ですね。あの子は貧乏で下品な言葉遣いをするから付き合わないようにって感じかな。この精神、心根は問題の塊そのものですね。非本質的なことです。もっとも非本質的なことが識別できることも重要ですが、それが分離的に扱われている。
>
> >
> > > > >  私たちは「愛着」を神聖化するように条件付けられているように見受けられます。
> > > > >  特に過去(例えば死せる者との絆等々)の神聖化は著しいように感じます。
> > > > >
> > > > >  そして、私たちは、よくその神聖化された対象物を拠り所として安心・安定を得ているように見受けられます。
> > > > >
> > > > >  その場合において、この対象物を脇に置ききれない。捨てきれない。すなわち重大な執着物となっていることが多いように見受けられます。
> > >
> > > 愛着を神聖化⁉、私はむしろドロドロした人間臭いこととしか思えませんが。執着があるなら。もちろん世の中には現実にいろいろなことがあるでしょう。神聖なものとは自分が今感じるものなのではないですか?
> >
> >
> >  その「神聖なもの」が過去(記憶)とは無関係であり、今、現にあるものとして感じているということですね・・。。
>
> 交感状態にあるときがそれです。たとえ一瞬でも。しかし意識するほどでもない時もある。普段は私は凡人状態です。でも心理的思考があるというわけではない。


 ご返答、ありがとうございます。

 真理の香りがいたします。

 先日紹介しました、『真の瞑想 〜自らの内なる光〜 』コスモスライブラリー発行 は、まだ3分の1しか読んでいないのですが、お勧めします。

 この文献は、クリシュナムルティをだいぶ読み込んでいなければチンプンカンプンでしょうが、読み込んでいる者にとっては貴重な文献と感じられるように思います。


[25045] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/01/31(Wed) 18:33  

つらいことや難事は真の安らぎをもたらす。つらいことを避けるな


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