雑感
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[24657] Re:[24656] [24655] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/11(Wed) 13:31  

> > 人間社会は人間と社会の相互作用を繰り返しながら進んでいく。これはまさに「創発」現象そのものでしょう。
> >
> > どうも人の予想を許さないものであるような。
> >
> > 瞑想とか、あるがままとか、気づきとか、観察、見守るという言葉は、今は普通に使われている。ただ、そこから何が出てくるかはまだまだ不明ですね。Kの話を読んだ世代のものが、そこに何らかの方向性を与えることができるだろうか?
>
>
>  まず、その存在が、人をクリシュナムルティ理解へと誘うように思います。
>
>  また、その存在は、クリシュナムルティ理解を求める人にとって支えとなるように感じます。
>

今普通に使われている常識みたいなものはどういう事が言われているのか、比較的ポピュラーな本で読んでみました。その本はタイのヴィパッサナー系の坊さんと日本の脳外科医の対談で、「脳と瞑想」と題されています。きっちりとした書き方ではなくお話ふうに書いてありますが、私の印象のままにその関係するところの概要らしきものを書いてみます。

まず人間の脳についてですが、それは動物脳に人間脳が次々と追加された形でできているとこの人は言います。動物脳はサバイバル主体で生きる強いエネルギーを持っているが、報酬や不安恐怖に左右されて行動します。

では人間らしい心の働きを持つ人間脳はどのように動物脳と接続し相互作用をしているかというと、脳に帯状回という部位があって、ここが全部をつないでいる司令部(自己・セルフ。独裁者という意味ではない)ではないかと篠浦脳外科医は推察しています。

この帯状回は入り口に今のすべての情報が集まるところで、それは動物脳、情動などに関係する偏桃体、海馬にその情報が伝わると同時に、帯状回の最後の細胞から人間脳、前頭葉とか側頭葉に伝わります。さらに、左脳、右脳の機能分化ががあります。左脳は言葉、合理性(成熟しないと機械的になる)、精度ある判断に長け、右脳は関係性を広げる方向に長けています。

それで人は報酬系(ドーパミンなどによる)のとらわれがちであったが、徐々に理性的に生きるようになったと言えるのかどうか。

そこでいわゆる瞑想に入ります。これは私には漠然としてわかりにくいのですが、勇気を出して書いてみます。タイのプラユキさんという坊さんの話の私の抜き書きです。

瞑想の中には集中的な瞑想があり、それはドーパミンだの脳内物質と関係するのか、神を見たとか、天国を見たとか一種の幻覚に陥ることがある。これは一種の報酬系で、自己啓発セミナー的なものにもあるから用心しなければならない。集中がうまくいって無心になる、その無心は空と違う場合があるという事かも。

それに対しヴィパッサナー系の瞑想は「気づき・観察系」の瞑想だそうです。
感情的な問題で消耗しない瞑想的な対応という分かりやすい話がありました。

自分の意見や気持ちを相手に押し付けようとするのが自我的。
自分の意見も相手の意見も等しく見て発言できるのが瞑想的。

相手の言葉にすぐ反応するのが自我的。
相手の言葉をいったん受け止めて、相手の気持ちに思いをはせるのが瞑想的。

問題にすぐ白黒をつけようとするのが自我的。
学びながら、より良い関係、解決策を見つけていこうとするのが「瞑想的」。

こういうことが常識的に浸透していくことはいいことのように思いますが、クリシュナムルティという芯棒がないと危ない気もします。
日常生活の中で相手の言う事を聞いていることが瞑想の生ですが、この最後の自我的と瞑想的の話で通じるならいいのですが、いかがでしょうか。



[24656] Re:[24655] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/10/10(Tue) 20:34  

> 人間社会は人間と社会の相互作用を繰り返しながら進んでいく。これはまさに「創発」現象そのものでしょう。
>
> どうも人の予想を許さないものであるような。
>
> 瞑想とか、あるがままとか、気づきとか、観察、見守るという言葉は、今は普通に使われている。ただ、そこから何が出てくるかはまだまだ不明ですね。Kの話を読んだ世代のものが、そこに何らかの方向性を与えることができるだろうか?


 まず、その存在が、人をクリシュナムルティ理解へと誘うように思います。

 また、その存在は、クリシュナムルティ理解を求める人にとって支えとなるように感じます。



[24655] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/10(Tue) 17:15  

人間社会は人間と社会の相互作用を繰り返しながら進んでいく。これはまさに「創発」現象そのものでしょう。

どうも人の予想を許さないものであるような。

瞑想とか、あるがままとか、気づきとか、観察、見守るという言葉は、今は普通に使われている。ただ、そこから何が出てくるかはまだまだ不明ですね。Kの話を読んだ世代のものが、そこに何らかの方向性を与えることができるだろうか?


[24654] Re:[24650] [24647] [24645] [24640] [24639] [24638] [24637] [24635] [24633] [24628] [24626] [24625] [24624] [24623] [24621] [24616] [24614] [24613] サバイバルとは? 投稿者:外野 投稿日:2017/10/10(Tue) 10:03  


> > >  ブッダの時には、時間を経るとともに教えが変容してゆき、今は見る影もない。
> > >
> > >  しかし、クリシュナムルティは違う、100年後も1,000年後も、今、まさに生きているかのように、正確に教えが伝わってゆく。

まさにたわごと。願望が含まれている。
> > >
> > >  ゴトさんが述べるように>これが世界の大きな流れとしてあるとき、分裂・矛盾のない社会がそこにあるでしょう。−−、これは実現可能かもしれません。

 これこそ「こうあるべきだ」という理想論。
 つまり自分の頭の中にある「クリシュナムルティ」(思考イメージ)を基準として、外部に対してあれこれ評価する。
 いいかげん目を醒ませ!
> >
> >
> > 実は自分で書いている時、そう思いました。これは、この本に書かれている核のことですが、それが簡単には言い難いのです。観念を収集して考えの中に世界を構築するのではないと言えますが、肯定的に言い表すのが難しいのです。
>
>
>  はい。早速、息子に断られました。「難しいから要らない。」と・・。
>
>  簡単にはいかないようです・・。

 それが現実だよ。
 なんで読ませる必要がある。大事なのは感受性を磨くことだろう。

> > これは彼女の最後の私たちへのメッセージというべき本だそうですが、彼女が姪の息子と共にした自然の息吹を書いたものです。奇しくも南方さんが話してくださったように、自然との触れ合い、そこにあるワンダーを次の世代の人に伝えるという事が大きなうねりを起こす基盤となるような気がするからです。自然にはただ見、耳を傾ける以外何もできないですから。

 Kがいうのは自然から学べと言うこと。大自然から傾聴せよと。
> >
> > 私たちの身の回りは自然が失われるばかりです。私自身にも、若い世代にもこれは耐え難いことのはずです。でも徐々に進んでいくので気づきません。ほかのことに知らない間に逃避します。生活の基盤が自然から離れだしています。それで自然との関係と言ってもごまかしなのでしょうか?

 都会に住んでる人間のことをいってるのだろうか。
> >
> > 私たちは何かに憑かれたように、文明社会を創り出しているようです。視界を狭められた馬車馬のように。
>
>
>  はい。

 何がはいだ。文明の恩恵を受けてるくせにだ。笑わせる。
 文明がいやだったら、山奥や離れ小島で暮らせ。
>
>  子供たちは外遊びがめっきり減りました。
>
>  庭の木になる実に見向きもしません。
>
>  私が子供の頃は、毎日が外遊びで、木になる実は見つけた者の早い者勝ちで、喜々として食べていました。
>
>  今の子は、自然から恩恵を受けることを知らず、それを教えても見向きもしないように感じます。
>
>  子供時代から馬車馬のように感じます。
>
>  簡単にはいかないかもしれません。

人のせいにするな。馬車馬のように教育したのおたくだろう。


[24653] Re:[24651] [24649] [24644] [24643] 正直なところ 投稿者:外野 投稿日:2017/10/10(Tue) 09:42  


> >  自然から学ぶというのがない。
> >  このところ繰り返されるのは人間批判。あるいは文明批判。
> >  社会の対して、理想とか、こうあるべきだという話は、不毛の論議でしかない。
> >  クリシュナムルティの本を読んで、こういってる。ああいっている。だから何何だという話。
>
>
> 理想論は不毛ですが現実を見て、その関係の中で自分を見つめていくのは大切ですね。隠遁ではなく関係のなかでの発見。

 おっしゃるとおり。
 何で,人の争い事ばかり目を向けるのだろう。
 何で、自然の驚異に目を向けないのだろう。
 と思うこのごろ。


[24652] 人は神なり 投稿者:南方 投稿日:2017/10/09(Mon) 18:01  

人は神である。

よってそれぞれに責任がある。

それぞれの国において。

神だとは傲慢だというなら、神としての責任を負わないこと

のほうが傲慢である。


[24651] Re:[24649] [24644] [24643] 正直なところ 投稿者:南方 投稿日:2017/10/09(Mon) 13:58  

>
>  こういった何気ない日常の生活に、真理がちりばめられています。
>  瞬間瞬間の心のときめき。
>  私もこの前、ビルのコンクリートの隙間から雑草が生えていることに感動しました。まさに根性大根ならぬ根性雑草。たくましい生命力。
>  そういえばあるテレビで、石に生えた草の話をしていました。普通では考えられない。何で固い石に草が生える?


イキシノブというものがあるそうです。昔は石垣や岩に生えたものは風流として抜かずにとっておかれたとか。
イキシノブの姿を見て風流を感じる感性はすごいですね。


若い頃は桜島への橋建設に何故、借景という古いものにこだわって一部の大人が反対するのかわからなかったのですが、今になって、磯庭園から見る桜島の風景に近代的な橋があったら風流もなにもないなと感じます。


でも、そのうちできるでしょうね、橋。借景の貴重さを伝えるのも難しいことですし、理解するのも感性が必要。

>  一歩外に向ければ、このようなことはいくらでもころがっています。
>  この前は見事な十五夜でした。
>

月を見ていると、なんか儀式めいたものをしたくなり、そうしている自分の姿を想像して笑いたくなります。
そういう不思議な力というか波長が月にはあるみたに感じます。

>  新しい芽氏のサイトで好きだったのは、野菜菜園から支柱のお話。創意と工夫。あとは虫と野菜との関係の観察。まさに自然から学ぶ。
>
>  ところが、この掲示板は、こういった話は今まであまり出た試しはない。
>  自然から学ぶというのがない。
>  このところ繰り返されるのは人間批判。あるいは文明批判。
>  社会の対して、理想とか、こうあるべきだという話は、不毛の論議でしかない。
>  クリシュナムルティの本を読んで、こういってる。ああいっている。だから何何だという話。


理想論は不毛ですが現実を見て、その関係の中で自分を見つめていくのは大切ですね。隠遁ではなく関係のなかでの発見。


[24650] Re:[24647] [24645] [24640] [24639] [24638] [24637] [24635] [24633] [24628] [24626] [24625] [24624] [24623] [24621] [24616] [24614] [24613] サバイバルとは? 投稿者:宮啓 投稿日:2017/10/09(Mon) 11:31  

> > > しかしこの本はそういう目で編集されていると私は感じます。これが世界の大きな流れとしてあるとき、分裂・矛盾のない社会がそこにあるでしょう。
> >
> >
> >  先ほど、この本を読み終えました(第三部を先に読んでいたので、第二部を読んで、読み終えました)。
> >
> >  高1の息子には、先だって『ボームの思考論』を渡していたのだが、難しいとのことでした。理系が得意なので興味をもつかと期待していたのですが難しいようです。
> >
> >  それで、次にこの本を私が読み終えてから、息子にこの本を紹介しようと常々考えていたところでした。
> >
> >  ちょうど、言葉の「意味」にも触れている本なので、入門的にも良いかもしれないと思っていますが、クリシュナムルティを読み込んでいないと、難しいのか‥、試しに勧めてみます。
> >
> >
> >  ブッダの時とは異なり、時間経過による風化がないクリシュナムルティ。
> >
> >  ブッダの時には、時間を経るとともに教えが変容してゆき、今は見る影もない。
> >
> >  しかし、クリシュナムルティは違う、100年後も1,000年後も、今、まさに生きているかのように、正確に教えが伝わってゆく。
> >
> >  ゴトさんが述べるように>これが世界の大きな流れとしてあるとき、分裂・矛盾のない社会がそこにあるでしょう。−−、これは実現可能かもしれません。
>
>
> 実は自分で書いている時、そう思いました。これは、この本に書かれている核のことですが、それが簡単には言い難いのです。観念を収集して考えの中に世界を構築するのではないと言えますが、肯定的に言い表すのが難しいのです。


 はい。早速、息子に断られました。「難しいから要らない。」と・・。

 簡単にはいかないようです・・。


> それで話が飛びますが、レイチェル・カーソン(「沈黙の春」の著者)の「センス・オブ・ワンダー」をご存知でしょうか?


 よく知りません・・。


> これは彼女の最後の私たちへのメッセージというべき本だそうですが、彼女が姪の息子と共にした自然の息吹を書いたものです。奇しくも南方さんが話してくださったように、自然との触れ合い、そこにあるワンダーを次の世代の人に伝えるという事が大きなうねりを起こす基盤となるような気がするからです。自然にはただ見、耳を傾ける以外何もできないですから。
>
> 私たちの身の回りは自然が失われるばかりです。私自身にも、若い世代にもこれは耐え難いことのはずです。でも徐々に進んでいくので気づきません。ほかのことに知らない間に逃避します。生活の基盤が自然から離れだしています。それで自然との関係と言ってもごまかしなのでしょうか?
>
> 私たちは何かに憑かれたように、文明社会を創り出しているようです。視界を狭められた馬車馬のように。


 はい。

 子供たちは外遊びがめっきり減りました。

 庭の木になる実に見向きもしません。

 私が子供の頃は、毎日が外遊びで、木になる実は見つけた者の早い者勝ちで、喜々として食べていました。

 今の子は、自然から恩恵を受けることを知らず、それを教えても見向きもしないように感じます。

 子供時代から馬車馬のように感じます。

 簡単にはいかないかもしれません。


[24649] Re:[24644] [24643] 正直なところ 投稿者:外野 投稿日:2017/10/09(Mon) 10:43  


> 今日はトマトソースリゾットを作りました。
> 缶詰のカットトマトを使った即席料理で、缶詰トマトの嫌な独特の臭みがあり、残念な味でした。
> 今度は生のトマトを煮込むところからはじめ、本格的な味を追求していきたくなりました。
> そして、夕食後、甲突川沿いを、涼しくなった風を感じながらゆっくりと散歩する。水の音、虫の鳴き声、葉と葉がこすれあう音に耳を傾け、お月さまを見上げる。
> 帰ってきたら、コーヒーと煙草で一服。
> そんな瞬間瞬間が心をときめかします。

 こういった何気ない日常の生活に、真理がちりばめられています。
 瞬間瞬間の心のときめき。
 私もこの前、ビルのコンクリートの隙間から雑草が生えていることに感動しました。まさに根性大根ならぬ根性雑草。たくましい生命力。
 そういえばあるテレビで、石に生えた草の話をしていました。普通では考えられない。何で固い石に草が生える?
 一歩外に向ければ、このようなことはいくらでもころがっています。
 この前は見事な十五夜でした。

 新しい芽氏のサイトで好きだったのは、野菜菜園から支柱のお話。創意と工夫。あとは虫と野菜との関係の観察。まさに自然から学ぶ。

 ところが、この掲示板は、こういった話は今まであまり出た試しはない。
 自然から学ぶというのがない。
 このところ繰り返されるのは人間批判。あるいは文明批判。
 社会の対して、理想とか、こうあるべきだという話は、不毛の論議でしかない。
 クリシュナムルティの本を読んで、こういってる。ああいっている。だから何何だという話。


[24648] Re:[24641] [24638] [24637] [24635] [24633] [24628] [24626] [24625] [24624] [24623] [24621] [24616] [24614] [24613] サバイバルとは? 投稿者:外野 投稿日:2017/10/09(Mon) 10:13  

>  私は以前から本国の禅とクリシュナムルティの整合性に関心がありました。
 禅とクルシュナムルティとは関係ない。
 
>
>  クリシュナムルティが本国の禅についてコメントしていないことと、渡辺氏が禅とクリシュナムルティの整合性を謳いながらも、「クリシュナムルティが述べることが起こらない」と吐露していたからである。

 何でここで渡辺氏が出てくるのか。
「クリシュナムルティが述べることが起こらない」?
 渡辺氏はそんなこと言ったためしがない。
 おたくは愚さんの掲示板で
「クリシュナムルティなんかどうでもいい」と言われたのではなかったか。
 いいかげん書を捨てろということだ。
>
>  この本を読んで、本国の禅とクリシュナムルティは整合性がないことに気づきつつあります。これはクリシュナムルティが常日頃から陳述していることでもあります(すべての既成の瞑想の否定)。

 おたくは何でクリシュナムルティと禅を比較したがるのか?
 おたくは何で渡辺氏が気になるのか?
>
>  渡辺さんにおいてクリシュナムルティが述べたことが起こらなかったのではなく、先に引用した「あなたが動機や方向をもっているなら、「こうしなければならない」と言うなら、そのときは、完全な注意を向けることはできません――それでは、何事も起こらないでしょう。」、これが起こったのではないでしょうか。

 何を寝言をいってるのか、渡辺氏が聞いたら失笑を買うだろう。
>
>  すなわち、渡辺さんにおいても、クリシュナムルティが陳述していたことが正に起こっていたのです。

 何を言ってるのか。そもそも渡辺氏とクリシュナムルティとはスタンスが違う。ユーチューブで彼の話を聞けば明らか。
>
>  これに気づいてほしいのですが・・今では連絡がとれません。

 これに気づいてほしい? おたくは何様か。まさに上から目線。
 渡辺氏を何だと思っている。彼は公案の達人であり、その手の免許皆伝を受けた方。
 連絡をとれないとは何だ。
 愚さんの掲示板を閉鎖に追い込んだのは、おたくがVAAMANAという男に愚さんの掲示板のアドレスを教えたことにある。その男は愚さんの掲示板に入り込み、掲示板荒らしをした。しかも画像の不適切な投稿をした。
>
>  渡辺さんにおいても、是非ともクリシュナムルティ理解に取り組み続けてほしいものです‥。

 まったくふざけた話だ。渡辺さんに対してクリシュナムルティ理解に取り組み続けてほしいとは。
 馬鹿言うなという話。本人とお会いしたことがあるがクルシュナムルティなど相手にしていない。彼はとても博識な人間。しかも禅の達人。今は参禅の日々。
 たまたま縁あってKの翻訳をしたにすぎないと。

 そういう人に向かってクリシュナムルティ理解とは?
 おたくとははっきりいって「意識レベル」が全然違いますよ。

 真理を体現した人は、もう書物などいりません。必要ないからです。
 ほんとうに何もわかってないね。おたくは。
 本を読むのは結構だが、それを人に対してああだこうだ言う筋合いはない。
 まず自分が理解して真理を体現すればいいわけだから。
 新しい芽氏から「クリシュナムルティ理解」って何とさんざん言われたのがわからないのだろうか。
 だから愚さんの掲示板でも相手にされず「クリシュナムルティ何かどうでもいい」と言われてしまうのだ。
 本を読めば読む程頭でっかちになり知識の塊になって、人に対してあれこれ評価したがるというわけ。
 自分の頭の中にクリシュナムルティという基準を設け、あれこれ人を評論する。つまりは「この人はクリシュナムルティがわかっていない」だから本を読めと人に強要する。何で身内に読ませようとするのか。


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