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[26296] 最初のザーネン講話2−1 投稿者:ゴト 投稿日:2018/12/07(Fri) 11:10  

1961年講話 2回目ー1

非常に重要なことは、特に、この討論の間に、どんなふうに聞くかを見出すことであると私は思います。私たちの極く少数のひとが傾聴します。私たちは単に聞いているに過ぎません。私たちは、町の中のあの外部の雑音を聞くように、上滑りに聞くのです。そしてその聞くことは脳にごく僅かしか入りません。私たちがただ上滑りに聞くことを、ほんのちょっとしたことで私たちは投げ捨てます。しかし違った種類の聞くことがあります。その中で脳は努力なしに注意を払っており、関心があり、真面目で、何が真実で何が虚偽であるか見出そうとしています。何の意見や判断も出さず、翻訳することや言われたことを既に知っていることと比較することをせずに。例えば、いま禅に関心を持つのが最近のはやりです。それは大流行です。そしてこれらの講話の間に、言われたことを読んだことと比較しようとするなら、その過程の中であなたはまったく聞いていないのです。聞いているでしょうか? あなたは単に比較しているに過ぎず、そしてこの比較は怠惰の一形態です。ところが、あなたが学んだり聞いたり読んだりしたことの媒介なしに聞くなら、そのときあなたは直接聞いており、何の偏見もなしに直接応答しているのです。あなたは言われていることの真実や虚偽を見ています。そしてそれは単に比較、評価、判断することよりずっと重要です。
 それで私が聞くという芸術を学ぶことは非常に難しいということを、繰り返し話し続けてもいやがらないことを期待します−それは見ることと同じように難しいのです。そして見ることと聞くことの両方とも必要です。


ゴト: 入院にまであと3日ですが、読みましょう。次の本題の秩序に入る前に、聞くというすべについて話しがありました。これが基礎中の基礎ですね。


(続く)


[26295] Re:[26294] [26292] [26291] [26288] 最初のザーネン講話1−2 投稿者:ゴト 投稿日:2018/12/07(Fri) 08:36  

> > > 以前ゴトさんは迷惑な私をアクセスブロックなされて懐柔した方を許されました。それも振る舞いの型じゃないんですか、あと職業を金銭でしか見てないのも世間的な型だと思います。
> >
> > 中西さんをアクセスブロックしましたか。当時の事情を鮮明に覚えていません。間違ったことをしたかもしれません、まだ未熟でしたから。
> >  それから職業を金銭で見ていた覚えはありません。
> > 私はゴトさんがクリシュナムルティを読んでるとは思えないです。ゴトさんは老後の暇潰しにクリシュナムルティを利用しているのだと思います。

暇つぶしに見えますか…。



[26294] Re:[26292] [26291] [26288] 最初のザーネン講話1−2 投稿者:中西 投稿日:2018/12/07(Fri) 02:33  

> > > 1961年講話1回目―2
> > >
> > >  それで、世界中で人間の心は型にはめられ、制御されていますね―宗教によって、神の名において、平和、永遠の生、などなどの名において。そしてまた政府によって、絶え間ない宣伝を通じて、経済的強制を通じて、仕事、銀行預金、教育などなどを通じて。それでその終りには、あなたは単なる機械にすぎないのです。ある方向における電子計算機のようにいい機械ではないけれども。あなたは情報で一杯です。それが教育が私たちにしていることです。そこで私たちは徐々に、ますます機械的になっています。あなたはスイス人、アメリカ人、ロシア人、イギリス人、ドイツ人、その他のどれかです。あなたは皆生活のために型の中に刻印されています。何かの空想的な宗教や空想的な信念に逃れるのを除いては、ごく僅かのひとがこの恐怖から逃れるだけです。
> > >
> > > (注: 前回の最終項再掲)
> > >
> > >
> > >  それでそれが生です。それが私たちが生きている環境です。ときたまの希望、束の間の歓喜があるかもしれません。しかしそのすべての背後に恐怖、絶望、死があります。そしてどんなふうに私たちはその生に出会いますか? その生に出会う心はどんなですか? 質問がわかりましたか? 私たちの心はこれらのものごとを避けることのできないものとして受容します。私たちの心はその型に順応し、ゆっくり、しかし確実に私たちの心は衰退します。それゆえ本当の問題はどうやってこのすべてを粉砕するかです―外部世界の中でではなく。あなたはできません。歴史の過程は進んでいます。あなたは政治家が戦争をすることを止められません。たぶん戦争があるでしょう―ないのを希望しますが、多分あるでしょう。おそらく、そこここではなくて、どこか気の毒なはるか離れた不幸な国において。私たちはそれを止められません。しかし、私は思いますが、私たちは社会が私たちの中に造り上げたすべての愚かさを、私たち自身の中で粉々に壊すことができます。そしてこの破壊は創造です。創造的であるものは常に破壊的です。私は新しい型、新しい社会、新しい秩序、新しい神や新しい教会の創造を話しているのではありません。私は創造の状態は破壊であると言っているのです。それは振る舞いの様式、生き方を作り出しません。創造的な心は型を持ちません。一瞬一瞬、それはそれが創造したことを破壊します。そして世界の問題を処理できるのはそのような心だけです。狡猾な心ではなく。知識を与える心ではなく。自分の国を考える心ではなく。断片化の中で働く心ではなく。
> > >
> > >
> > > ゴト: 自分はこの社会が自分の中に作り上げたこの愚かしさを粉々に破壊する! 決して新しいパターンを作り出すのでなく。
> > >  これこそが全的否定です。これをクリシュナムルティは明らかに説いてくれました。
> > >
> > >
> > >  それゆえ、私たちがかかわっていることは、新しいことが起こることができるように心を粉砕することです。そしてそれが私たちがこれらの集会のすべてで討論しようとしていることです。どうやって心に革命をもたらすか。革命がなければなりません。昨日のものすべての全面的な破壊がなければなりません。さもなければ、私たちは新しいものに出会うことができないでしょう。そして生は、愛のように常に新しいのです。愛は昨日や今日を持っていません。それはいつも新しいのです。しかし飽満、満足を味わった心はその愛を記憶として貯め込み、それを崇拝します。あるいは写真を愛のシンボルとしてピアノの上や暖炉の上に置きます。
> > >
> > >  それゆえ、あなたが望んでいるなら、それがまたあなたの意向であるなら、私たちはどうやって鈍い、疲れきった、脅えている心を変容させるかという問題を調べましょう。悲しみにとらわれている、そんなに多くの苦闘、そんなに多くの絶望、そんなに多くの快楽を知っている心、非常に古くなってしまい、若いということは何であるか決して知っていない心。あなたが望むなら、私たちはそれを調べましょう。少なくとも私はそれを調べるつもりです。あなたが望もうと望むまいと。ドアは開いており、あなたは入るも去るも自由です。これは嫌でもそこから逃れることのできない聴衆ではありません。それゆえ、あなたがそれを好まないなら、聞かない方がいいでしょう。なぜならあなたの聞くことは、聞きたいのでないなら、あなたの絶望に、あなたの毒になるからです。それであなたは、まさに最初から話し手の意図が何であるか知ります。すなわち、私たちは一つの石もひっくり返さずには残すまいとしています。心の秘密の隠れ家のすべては探検され、開かれ、内容が破壊されることになっています。そしてその破壊から新しいもの、心のどんな創造物ともまったく異なる何かの創造があることになっています。
> > >
> > >  このためにはあなたは真面目さ、一生懸命さを必要とします。私たちはゆっくりと、ためらいがちに、しかし容赦なしに追跡しなければなりません。そして多分そのすべての終りに―あるいはまさにその始めに、なぜなら破壊的過程には始まりも終りもないからですが―人は測ることのできないものを見出すかもしれません。突然眼の扉が、心の窓が開き、名付けることのできないものを受取るかもしれません。時間を超えた、空間を超えた、測定を超えたそのようなものがあります。それは描写したり、言葉にすることができません。それを発見することなしには、生はまったく空虚で、浅薄で、愚かで、時間の浪費です。
> > >
> > > (続く)
> >
> > 以前ゴトさんは迷惑な私をアクセスブロックなされて懐柔した方を許されました。それも振る舞いの型じゃないんですか、あと職業を金銭でしか見てないのも世間的な型だと思います。
>
> 中西さんをアクセスブロックしましたか。当時の事情を鮮明に覚えていません。間違ったことをしたかもしれません、まだ未熟でしたから。
>  それから職業を金銭で見ていた覚えはありません。
> 私はゴトさんがクリシュナムルティを読んでるとは思えないです。ゴトさんは老後の暇潰しにクリシュナムルティを利用しているのだと思います。


[26293] 最初のザーネン講話1−3 投稿者:ゴト 投稿日:2018/12/06(Thu) 11:55  

1961年1回目―3

 そこでおそらく、私たちはいまや少々それを討論すること、質問を尋ねることができるでしょう。しかし最初に私たちは討論するとはどういうことか、質問とはどういうことか見出さなければなりません。間違った質問は間違った答えを受取ります。正しい質問だけが正しい答えを受取ります。そして正しい質問を尋ねることは途方もなく困難です。正しい質問を尋ねることは―私一人ではなく、あなた自身と私たち皆にとって―よく見抜く心、明敏な、油断のない、気づいている、見出そうとしている心を必要とします。それでどうか私たちが討論していることに関連のない質問をしないでください。そして討論の中で、学校の生徒のように討論しないようにしましょう。あなたが一方を取り、私が他方を取る―それは大学や討論する会ではいいのです。しかし私たちは見出すために討論しましょう。それは科学的な心の、恐れていない心の接近法です。そのとき、この様な討論はやる値打ちがあるようになるでしょう。そのとき、私たちは進み、私達自身で何が真実であるか、何が虚偽であるか、発見することができるでしょう。したがって話し手の権威はやみます。なぜなら発見に権威はないからです。権威を要求するのは鈍い、怠惰な心だけです。しかし見出したい、何かをすっかり、完全に経験したい心は発見しなければなりません、押し分けて進まなければなりません。そしてこれらの集会が、私たち一人一人が自分自身で―誰かの目を通してでなく―価値のあるもの、真実であるものと虚偽であるものを見るのを助けるように期待します。


ゴト: このようにして質問に入りますが、以下の質問は人がなぜ全否定に入ることができないかを間接的に示しています。そういう意味で実に示唆的です。少し長いかもしれませんが全質問を一挙に掲載しました。


質問: 何故私たちは正しい質問をすることが難しいのを見出すのでしょうか?

クリシュナムルティ: あなたは正しい質問をすることが難しいのを見出すのですか? あるいは、質問をしたいのですか? 違いがわかりますか? 私達自身は正しい質問をすることに関わっていないのではないでしょうか? それは正しい質問だけが正しい答えを受取ると述べた私でした。確かに、あなたはあなたの持つ問題を出すことにかかわっています。それで「正しい質問」にはまったくかかわっていません。しかしあなた自身の問題を理解したいなら、そのときあなたは問題が本当は何なのか調査しなければなりません。そしてあなたの問題が現実に何であるかの調査そのものが正しい質問をもたらすでしょう。わかりましたか? あなたが正しい質問をしなければならないということではありません。あなたはできません。あなたは知りません。しかし、問題が強烈であるなら、それが研究されてきたのなら、そのときあなたは正しい質問を尋ねずにはいられません。私たちは一般的に問題を研究しません。それを綿密に見ません。私たちはそれの表面をかすめ、表面から質問をします。そして表面的な質問は表面的な答えをもたらすだけでしょう。そして表面的な答えが私たちの知りたいすべてなのです。私たちが恐れるなら、「どうやって恐怖を免れればいいでしょうか?」と尋ねます。お金がないなら「どうやってもっとよい仕事を得、成功すればいいでしょうか?」と尋ねます。しかし、あらゆる人間が追いかけている成功の問題全体をあなたが探究し始めるなら、そしてそれを調べ、それの意味するものを、なぜこの衝動があるか、なぜ成功しないことのこの恐怖があるかを見出すなら―そして私は私たちがそれを調べるように期待します―、そのときそれを調べる過程そのものの中で、あなたはきっと正しい質問を尋ねるはずです。


ゴト: 自分の問題を調べる…


質問: 私たちが問題を深く調べることを妨げているのは何でしょうか?

クリシュナムルティ: 何が私たちを引き止めているのでしょうか? 多くのものがあるのではないでしょうか? 本当にあなたは恐怖の問題を非常に深く調べたいのでしょうか? それが何を意味するかわかっていますか? それは心のあらゆる隅を探ること、あらゆる隠れ場をもぎ取ること、心が避難しているあらゆる形の逃避を粉々に壊すことを意味します。そしてあなたはそれをしようと望んでいるでしょうか? あなた自身をさらし出そうと望んでいるでしょうか? どうかそんなに容易に「はい」と言わないでください。それはあなたがしがみついている非常に多くのものをあきらめることを意味します。それはあなたの家族、あなたの仕事、あなたの教会、あなたの神、その他すべてをあきらめることを意味するかもしれません。そうすることを望む人はごく少数です。それで一般の人々はどうやって恐怖を免れるかというような、表面的な質問を尋ね、そして問題を解決したと思います。あるいは神というようなそんなものがあるかどうかを尋ねます―そんな質問を尋ねることの愚かさをちょっと考えてください! 神があるかどうかを見出すためには、あなたは、すべての神を放棄しなければなりませんね、疑いなく? あなたは見出すために完全に裸でなければなりません。人間が神に関して築き上げた、すべての愚かしいものごとは焼き尽くされなければなりません。そのことは恐れを知らないこと、独りさまようことを意味します。そしてそれをすることを望む人はごく少数です。


ゴト: 私たちの大抵は問題の安易な解決を求めていて、真剣ではありません。クリシュナムルティは厳しく本格的な事項を示しています。


質問: 問題を調べることは非常に苦しいです。

クリシュナムルティ: いえ、いえ、奥様。それは困難ですが、苦しくはありません。ほら、私たちは「苦しい」というような言葉を使い、そしてその言葉そのものがあなたが問題を調べようとすることを妨げます。そこでまず、私たちが問題を調べようとするなら、どんなに心が言葉の奴隷であるのかを理解しなければなりません。どうかこれをよく聞いてください。私たちは言葉の奴隷なのです。おわかりでしょうが、「スイス」という言葉にスイスの人はぞくぞくします。キリスト教徒が「キリスト」という言葉に、イギリス人が「イギリス」という言葉にそうであるように。私たちは言葉の、象徴の、観念の奴隷なのです。そして、どうしてそのような心が問題の中に入って行けるでしょうか? 心がそうすることが出来る前に、まず言葉が何を意味するか見出さなければなりません。それはただの容易なことではありません。それは全体的に理解する、断片の中で考えない心を必要とします。

 見てください、あなた、問題は単純です。世界に飢餓があります―多分スイスやヨーロッパではそれは大したことではなくて、東洋でしょう。あなたは貧困、飢餓、退廃やそれらの恐怖などほとんどわかっていません。問題は解決されていないことではありません。なぜなら彼等は皆それを彼ら自身のパターン、共産主義のパターンや民主主義のパターンにしたがって、あるいは彼ら自身の国家的な概念にしたがって解決しようと望むからです。彼等は断片的にそれに接近しており、それゆえそれは決して解決されないでしょう。私たちがそれに、国籍や政党政治やその他すべてに関係なく、全体的に接近するときのみ解決することができます。


ゴト: 問題を調べることが苦しい!?、これは微妙な問題ですね。個別的な心理の迷路がある気がします。これも人の抱えている難しさの一つでしょう。Kは個別的なことに深入りせずに答えています。断片性から離れた心でないと古いものの破壊に入れないと。


質問: それゆえ、世界の中のこのもめごとを処理するためには、私たちは秩序を必要とします。

クリシュナムルティ: ちょっと待ってください、あなた。私たちは世界の中に秩序を望みますか? どうかよくそれを考え抜いてください。何といっても、秩序は共産主義者が提供するものですから。最初に紛糾、混乱、悲惨をつくり出します。そして次に、観念の特定のパターンのにしたがって秩序をつくり出します。あなたはあなたの生の中に秩序を望みますか、あなた? それをよく考え抜いてください。

質問: そのために支払わなければならない代価は何でしょうか?

クリシュナムルティ: それは問題ではありません。あなたは秩序を持つことができます。そして軍隊の独裁を通じて、心を服従させることを通じて、権力に順応することを通じて、などなどで代価を払います。また特定のグループに、特定の宗教的社会に属するとき、あなたは代価を払っていませんか? イエスがあります。モハメッドがあります。インドには他の誰かがあり、あなたは従います。そして秩序があります―あなたは何世紀も代価を払ってきたのです。さて、あなたは秩序を望みますか? それをよく考えて、その意味を見てください。あるいはそれは生きることの行為そのものの中に、それは破壊的なのですが、秩序があるということでしょうか?


ゴト: 秩序の理解一つでも大変ですね。


質問: 恐怖は疑いなく私たちが躓く最大の障害であり、進歩を妨げます。しかし私たちは最初からすぐに、あらゆるものを取り壊すことができません。さしあたり私たちは不徹底な手段で満足すべきではないでしょうか?


ゴト: この質問はよくわかります。


クリシュナムルティ: 私たちのような普通の人にとって、恐怖から自由になるためにあらゆるものを取り壊すことは難しすぎるとあなたは言います。そして、ことを行なう、より穏やかな、よりゆっくりしたやり方はないのでしょうか? 私はないように思います。ねえ、あなたは「進歩」という言葉と「恐怖」という言葉を使いました。外部の進歩は恐怖をつくり出すのではないでしょうか? 持てば持つほど―より多くの自動車、ぜいたく品、浴室などなど―それを失うことをますます恐れます。しかしあなたが恐怖を理解することにかかわっているなら、そのとき進歩は心を鈍くしたり、満足させたりしません。そして内的に進歩はあるのでしょうか? 私にとってはありません。即時に見ることだけがあります。そして即時に見るためには心は怠惰であってはなりません。
いいえ、どうか私に同意しないでください。なぜならそれは非常に難しいからです。ただそれを追ってください。明確に見るためには、それは常に即時の中にあるのですが、心はもはや選択する能力を持ってはなりません。ものごとをそうであるとおりに即時に見るためには、心は非難するのを、評価するのを、判断するのをやめなければなりません。それは進歩を要しません。時間を要しません。あなた、危険なものがあるとき、あなたは即時にものを見ます―あなたの反応は即時です。その中に進歩はありません。あなたがあなたの全存在で何かを愛するとき、知覚は即時です。

質問: しかし即時に見るその可能性に到達するためには...

クリシュナムルティ: あなた、ねえ、「到達する」という言葉は再び時間と距離を含んでいます。それで心は「到達する」という言葉の奴隷です。心が「達する」、「到達する」、「到着する」という言葉からそれ自身を解放できるなら、そのとき見ることは即時であるかもしれません。


ゴト: 今刮目して見るのみ。それが真剣さ。


(一回目の講話 終わり)


[26292] Re:[26291] [26288] 最初のザーネン講話1−2 投稿者:ゴト 投稿日:2018/12/05(Wed) 15:40  

> > 1961年講話1回目―2
> >
> >  それで、世界中で人間の心は型にはめられ、制御されていますね―宗教によって、神の名において、平和、永遠の生、などなどの名において。そしてまた政府によって、絶え間ない宣伝を通じて、経済的強制を通じて、仕事、銀行預金、教育などなどを通じて。それでその終りには、あなたは単なる機械にすぎないのです。ある方向における電子計算機のようにいい機械ではないけれども。あなたは情報で一杯です。それが教育が私たちにしていることです。そこで私たちは徐々に、ますます機械的になっています。あなたはスイス人、アメリカ人、ロシア人、イギリス人、ドイツ人、その他のどれかです。あなたは皆生活のために型の中に刻印されています。何かの空想的な宗教や空想的な信念に逃れるのを除いては、ごく僅かのひとがこの恐怖から逃れるだけです。
> >
> > (注: 前回の最終項再掲)
> >
> >
> >  それでそれが生です。それが私たちが生きている環境です。ときたまの希望、束の間の歓喜があるかもしれません。しかしそのすべての背後に恐怖、絶望、死があります。そしてどんなふうに私たちはその生に出会いますか? その生に出会う心はどんなですか? 質問がわかりましたか? 私たちの心はこれらのものごとを避けることのできないものとして受容します。私たちの心はその型に順応し、ゆっくり、しかし確実に私たちの心は衰退します。それゆえ本当の問題はどうやってこのすべてを粉砕するかです―外部世界の中でではなく。あなたはできません。歴史の過程は進んでいます。あなたは政治家が戦争をすることを止められません。たぶん戦争があるでしょう―ないのを希望しますが、多分あるでしょう。おそらく、そこここではなくて、どこか気の毒なはるか離れた不幸な国において。私たちはそれを止められません。しかし、私は思いますが、私たちは社会が私たちの中に造り上げたすべての愚かさを、私たち自身の中で粉々に壊すことができます。そしてこの破壊は創造です。創造的であるものは常に破壊的です。私は新しい型、新しい社会、新しい秩序、新しい神や新しい教会の創造を話しているのではありません。私は創造の状態は破壊であると言っているのです。それは振る舞いの様式、生き方を作り出しません。創造的な心は型を持ちません。一瞬一瞬、それはそれが創造したことを破壊します。そして世界の問題を処理できるのはそのような心だけです。狡猾な心ではなく。知識を与える心ではなく。自分の国を考える心ではなく。断片化の中で働く心ではなく。
> >
> >
> > ゴト: 自分はこの社会が自分の中に作り上げたこの愚かしさを粉々に破壊する! 決して新しいパターンを作り出すのでなく。
> >  これこそが全的否定です。これをクリシュナムルティは明らかに説いてくれました。
> >
> >
> >  それゆえ、私たちがかかわっていることは、新しいことが起こることができるように心を粉砕することです。そしてそれが私たちがこれらの集会のすべてで討論しようとしていることです。どうやって心に革命をもたらすか。革命がなければなりません。昨日のものすべての全面的な破壊がなければなりません。さもなければ、私たちは新しいものに出会うことができないでしょう。そして生は、愛のように常に新しいのです。愛は昨日や今日を持っていません。それはいつも新しいのです。しかし飽満、満足を味わった心はその愛を記憶として貯め込み、それを崇拝します。あるいは写真を愛のシンボルとしてピアノの上や暖炉の上に置きます。
> >
> >  それゆえ、あなたが望んでいるなら、それがまたあなたの意向であるなら、私たちはどうやって鈍い、疲れきった、脅えている心を変容させるかという問題を調べましょう。悲しみにとらわれている、そんなに多くの苦闘、そんなに多くの絶望、そんなに多くの快楽を知っている心、非常に古くなってしまい、若いということは何であるか決して知っていない心。あなたが望むなら、私たちはそれを調べましょう。少なくとも私はそれを調べるつもりです。あなたが望もうと望むまいと。ドアは開いており、あなたは入るも去るも自由です。これは嫌でもそこから逃れることのできない聴衆ではありません。それゆえ、あなたがそれを好まないなら、聞かない方がいいでしょう。なぜならあなたの聞くことは、聞きたいのでないなら、あなたの絶望に、あなたの毒になるからです。それであなたは、まさに最初から話し手の意図が何であるか知ります。すなわち、私たちは一つの石もひっくり返さずには残すまいとしています。心の秘密の隠れ家のすべては探検され、開かれ、内容が破壊されることになっています。そしてその破壊から新しいもの、心のどんな創造物ともまったく異なる何かの創造があることになっています。
> >
> >  このためにはあなたは真面目さ、一生懸命さを必要とします。私たちはゆっくりと、ためらいがちに、しかし容赦なしに追跡しなければなりません。そして多分そのすべての終りに―あるいはまさにその始めに、なぜなら破壊的過程には始まりも終りもないからですが―人は測ることのできないものを見出すかもしれません。突然眼の扉が、心の窓が開き、名付けることのできないものを受取るかもしれません。時間を超えた、空間を超えた、測定を超えたそのようなものがあります。それは描写したり、言葉にすることができません。それを発見することなしには、生はまったく空虚で、浅薄で、愚かで、時間の浪費です。
> >
> > (続く)
>
> 以前ゴトさんは迷惑な私をアクセスブロックなされて懐柔した方を許されました。それも振る舞いの型じゃないんですか、あと職業を金銭でしか見てないのも世間的な型だと思います。

中西さんをアクセスブロックしましたか。当時の事情を鮮明に覚えていません。間違ったことをしたかもしれません、まだ未熟でしたから。
 それから職業を金銭で見ていた覚えはありません。



[26291] Re:[26288] 最初のザーネン講話1−2 投稿者:中西 投稿日:2018/12/05(Wed) 13:02  

> 1961年講話1回目―2
>
>  それで、世界中で人間の心は型にはめられ、制御されていますね―宗教によって、神の名において、平和、永遠の生、などなどの名において。そしてまた政府によって、絶え間ない宣伝を通じて、経済的強制を通じて、仕事、銀行預金、教育などなどを通じて。それでその終りには、あなたは単なる機械にすぎないのです。ある方向における電子計算機のようにいい機械ではないけれども。あなたは情報で一杯です。それが教育が私たちにしていることです。そこで私たちは徐々に、ますます機械的になっています。あなたはスイス人、アメリカ人、ロシア人、イギリス人、ドイツ人、その他のどれかです。あなたは皆生活のために型の中に刻印されています。何かの空想的な宗教や空想的な信念に逃れるのを除いては、ごく僅かのひとがこの恐怖から逃れるだけです。
>
> (注: 前回の最終項再掲)
>
>
>  それでそれが生です。それが私たちが生きている環境です。ときたまの希望、束の間の歓喜があるかもしれません。しかしそのすべての背後に恐怖、絶望、死があります。そしてどんなふうに私たちはその生に出会いますか? その生に出会う心はどんなですか? 質問がわかりましたか? 私たちの心はこれらのものごとを避けることのできないものとして受容します。私たちの心はその型に順応し、ゆっくり、しかし確実に私たちの心は衰退します。それゆえ本当の問題はどうやってこのすべてを粉砕するかです―外部世界の中でではなく。あなたはできません。歴史の過程は進んでいます。あなたは政治家が戦争をすることを止められません。たぶん戦争があるでしょう―ないのを希望しますが、多分あるでしょう。おそらく、そこここではなくて、どこか気の毒なはるか離れた不幸な国において。私たちはそれを止められません。しかし、私は思いますが、私たちは社会が私たちの中に造り上げたすべての愚かさを、私たち自身の中で粉々に壊すことができます。そしてこの破壊は創造です。創造的であるものは常に破壊的です。私は新しい型、新しい社会、新しい秩序、新しい神や新しい教会の創造を話しているのではありません。私は創造の状態は破壊であると言っているのです。それは振る舞いの様式、生き方を作り出しません。創造的な心は型を持ちません。一瞬一瞬、それはそれが創造したことを破壊します。そして世界の問題を処理できるのはそのような心だけです。狡猾な心ではなく。知識を与える心ではなく。自分の国を考える心ではなく。断片化の中で働く心ではなく。
>
>
> ゴト: 自分はこの社会が自分の中に作り上げたこの愚かしさを粉々に破壊する! 決して新しいパターンを作り出すのでなく。
>  これこそが全的否定です。これをクリシュナムルティは明らかに説いてくれました。
>
>
>  それゆえ、私たちがかかわっていることは、新しいことが起こることができるように心を粉砕することです。そしてそれが私たちがこれらの集会のすべてで討論しようとしていることです。どうやって心に革命をもたらすか。革命がなければなりません。昨日のものすべての全面的な破壊がなければなりません。さもなければ、私たちは新しいものに出会うことができないでしょう。そして生は、愛のように常に新しいのです。愛は昨日や今日を持っていません。それはいつも新しいのです。しかし飽満、満足を味わった心はその愛を記憶として貯め込み、それを崇拝します。あるいは写真を愛のシンボルとしてピアノの上や暖炉の上に置きます。
>
>  それゆえ、あなたが望んでいるなら、それがまたあなたの意向であるなら、私たちはどうやって鈍い、疲れきった、脅えている心を変容させるかという問題を調べましょう。悲しみにとらわれている、そんなに多くの苦闘、そんなに多くの絶望、そんなに多くの快楽を知っている心、非常に古くなってしまい、若いということは何であるか決して知っていない心。あなたが望むなら、私たちはそれを調べましょう。少なくとも私はそれを調べるつもりです。あなたが望もうと望むまいと。ドアは開いており、あなたは入るも去るも自由です。これは嫌でもそこから逃れることのできない聴衆ではありません。それゆえ、あなたがそれを好まないなら、聞かない方がいいでしょう。なぜならあなたの聞くことは、聞きたいのでないなら、あなたの絶望に、あなたの毒になるからです。それであなたは、まさに最初から話し手の意図が何であるか知ります。すなわち、私たちは一つの石もひっくり返さずには残すまいとしています。心の秘密の隠れ家のすべては探検され、開かれ、内容が破壊されることになっています。そしてその破壊から新しいもの、心のどんな創造物ともまったく異なる何かの創造があることになっています。
>
>  このためにはあなたは真面目さ、一生懸命さを必要とします。私たちはゆっくりと、ためらいがちに、しかし容赦なしに追跡しなければなりません。そして多分そのすべての終りに―あるいはまさにその始めに、なぜなら破壊的過程には始まりも終りもないからですが―人は測ることのできないものを見出すかもしれません。突然眼の扉が、心の窓が開き、名付けることのできないものを受取るかもしれません。時間を超えた、空間を超えた、測定を超えたそのようなものがあります。それは描写したり、言葉にすることができません。それを発見することなしには、生はまったく空虚で、浅薄で、愚かで、時間の浪費です。
>
> (続く)

以前ゴトさんは迷惑な私をアクセスブロックなされて懐柔した方を許されました。それも振る舞いの型じゃないんですか、あと職業を金銭でしか見てないのも世間的な型だと思います。


[26290] Re:[26289] 生きている 投稿者:ゴト 投稿日:2018/12/04(Tue) 18:47  

> > > 私がもし、癌宣告を受けたなら、生と向き合うだけである。
> > > 人の本など一切読まぬ。それは単なる言葉にすぎぬ。
> > > 生イコール死。生と向き合うことは死と向き合うことと同じである。
> > > 全てのもの一切衆生のものは生かされて生きている。
> > > 現に「生きている」という事実のみがある。
> >
> >
> > 現に生きているというのはあなたの観念ではなかろうか? 
>
> 現にこうして生きているというのは紛れもなく事実です。
> 何で観念なのですか?
>
> 生を受けて以来、今まで何十年も生きている。あなたも私も。
> それで何で観念ですか?
>
> 実際にこうして毎日生きているでしょう。わかりませんか?
> 何でこうした単純な事実を認めようとしないのか不思議です。

毎日生きているのが単純な事実であると思えるのはあなたが物質主義者であるからです。あるいはあほ科学者だからです。
 人が毎日、弱い人間を脅して金品を取り上げ、悪代官に貢いでうまい汁を吸っている悪徳商人であるとしましょう。それが生きていると言えますか? そして生きるためにはしょうがないと言ってその手先になっている人はどうですか?
 それらは時代劇の中の話であって、現代はそうではないというなら、なぜ現代にいじめがあるのですか?
 物理的に生きて居る話とは全く別のことを私たちは話してきたのではないですか?

> あと何年生きるかもしれませんが、残りの時間を有意義に過ごしたいものです。
>
> 一番聞きたかったのは、あなたが癌と言われた時、どのように反応したかです。
>
>
> >実際は機械同様、言葉、シンボルに揺れ動いているだけの存在ではなかろうか?!
>
> それは全体の中ほんの一部の話でしょう。
> 自分自身をよく観察してみればいかがですか。あなたは毎日機械的に、言葉、シンボルに振り回されて生きているのでしょうか?
> 明らかに違うでしょう。

あなたは何で私個人のことが気になるのですか? 私達は人間の全体のことを話しています。生理的生の話ではなく。

> > それが見えて何の恐怖もなく世の流れを大死一番、全否定するとき、初めて生きることを知る。
>
> 知る?知識としてですか。

知識で知った定跡は将棋や碁でも役に立たないくらい、かなりへぼでも知っています。知識でなく理解、腑に落ちた理解が心的な探究には不可欠です。

> 機械的に生きていることが見え、何の恐怖もなく、全否するとき、初めて生きることを知る?
> そういうことですか。
> 回りくどいですね。異質のエネルギーを繰り出せば、一瞬のうちにそれらは崩壊するでしょう。



> 私は毎秒息を吸うたびに「生きている」ことを実感します。あと朝眼が覚める時。
>
>
> 全否定というのは、異質のエネルギー「愛」そのものです。
>
> 要するに、実に単純な真理を、頭でひねくりまわすことがよくわからない。
>
> このサイトでも、南方さんが、愛とは「異質のエネルギー」だと何度も行っているし、新しい芽氏やその他の方々も、同じことを言っている。
>
> この度、癌 が見つかったようで。このとき癌に対してどのような想念が湧いたかです。どのように反応したか。
> ここで試されるわけです。クリシュナムルティの言ってることを本当に理解したかどうか。
> 憎しみの念が湧いたか。あるいは逆に感謝の念が湧いたか。ありがとうと。それとも敵視したか。ということです。何も思わなかったか。
>
> そういう話はせず、いきなり「現に生きている」とは観念か、とは驚きました。

医学的事実を知っただけで、医者の説明はわかりやすく、理解できました。心理的な問題は起きません。


[26289] 生きている 投稿者:無明 投稿日:2018/12/04(Tue) 17:37  

> > 私がもし、癌宣告を受けたなら、生と向き合うだけである。
> > 人の本など一切読まぬ。それは単なる言葉にすぎぬ。
> > 生イコール死。生と向き合うことは死と向き合うことと同じである。
> > 全てのもの一切衆生のものは生かされて生きている。
> > 現に「生きている」という事実のみがある。
>
>
> 現に生きているというのはあなたの観念ではなかろうか? 

現にこうして生きているというのは紛れもなく事実です。
何で観念なのですか?

生を受けて以来、今まで何十年も生きている。あなたも私も。
それで何で観念ですか?

実際にこうして毎日生きているでしょう。わかりませんか?
何でこうした単純な事実を認めようとしないのか不思議です。

あと何年生きるかもしれませんが、残りの時間を有意義に過ごしたいものです。

一番聞きたかったのは、あなたが癌と言われた時、どのように反応したかです。


>実際は機械同様、言葉、シンボルに揺れ動いているだけの存在ではなかろうか?!

それは全体の中ほんの一部の話でしょう。
自分自身をよく観察してみればいかがですか。あなたは毎日機械的に、言葉、シンボルに振り回されて生きているのでしょうか?
明らかに違うでしょう。

> それが見えて何の恐怖もなく世の流れを大死一番、全否定するとき、初めて生きることを知る。

知る?知識としてですか。
機械的に生きていることが見え、何の恐怖もなく、全否するとき、初めて生きることを知る?
そういうことですか。
回りくどいですね。異質のエネルギーを繰り出せば、一瞬のうちにそれらは崩壊するでしょう。

私は毎秒息を吸うたびに「生きている」ことを実感します。あと朝眼が覚める時。


全否定というのは、異質のエネルギー「愛」そのものです。

要するに、実に単純な真理を、頭でひねくりまわすことがよくわからない。

このサイトでも、南方さんが、愛とは「異質のエネルギー」だと何度も行っているし、新しい芽氏やその他の方々も、同じことを言っている。

この度、癌 が見つかったようで。このとき癌に対してどのような想念が湧いたかです。どのように反応したか。
ここで試されるわけです。クリシュナムルティの言ってることを本当に理解したかどうか。
憎しみの念が湧いたか。あるいは逆に感謝の念が湧いたか。ありがとうと。それとも敵視したか。ということです。何も思わなかったか。

そういう話はせず、いきなり「現に生きている」とは観念か、とは驚きました。



[26288] 最初のザーネン講話1−2 投稿者:ゴト 投稿日:2018/12/04(Tue) 11:45  

1961年講話1回目―2

 それで、世界中で人間の心は型にはめられ、制御されていますね―宗教によって、神の名において、平和、永遠の生、などなどの名において。そしてまた政府によって、絶え間ない宣伝を通じて、経済的強制を通じて、仕事、銀行預金、教育などなどを通じて。それでその終りには、あなたは単なる機械にすぎないのです。ある方向における電子計算機のようにいい機械ではないけれども。あなたは情報で一杯です。それが教育が私たちにしていることです。そこで私たちは徐々に、ますます機械的になっています。あなたはスイス人、アメリカ人、ロシア人、イギリス人、ドイツ人、その他のどれかです。あなたは皆生活のために型の中に刻印されています。何かの空想的な宗教や空想的な信念に逃れるのを除いては、ごく僅かのひとがこの恐怖から逃れるだけです。

(注: 前回の最終項再掲)


 それでそれが生です。それが私たちが生きている環境です。ときたまの希望、束の間の歓喜があるかもしれません。しかしそのすべての背後に恐怖、絶望、死があります。そしてどんなふうに私たちはその生に出会いますか? その生に出会う心はどんなですか? 質問がわかりましたか? 私たちの心はこれらのものごとを避けることのできないものとして受容します。私たちの心はその型に順応し、ゆっくり、しかし確実に私たちの心は衰退します。それゆえ本当の問題はどうやってこのすべてを粉砕するかです―外部世界の中でではなく。あなたはできません。歴史の過程は進んでいます。あなたは政治家が戦争をすることを止められません。たぶん戦争があるでしょう―ないのを希望しますが、多分あるでしょう。おそらく、そこここではなくて、どこか気の毒なはるか離れた不幸な国において。私たちはそれを止められません。しかし、私は思いますが、私たちは社会が私たちの中に造り上げたすべての愚かさを、私たち自身の中で粉々に壊すことができます。そしてこの破壊は創造です。創造的であるものは常に破壊的です。私は新しい型、新しい社会、新しい秩序、新しい神や新しい教会の創造を話しているのではありません。私は創造の状態は破壊であると言っているのです。それは振る舞いの様式、生き方を作り出しません。創造的な心は型を持ちません。一瞬一瞬、それはそれが創造したことを破壊します。そして世界の問題を処理できるのはそのような心だけです。狡猾な心ではなく。知識を与える心ではなく。自分の国を考える心ではなく。断片化の中で働く心ではなく。


ゴト: 自分はこの社会が自分の中に作り上げたこの愚かしさを粉々に破壊する! 決して新しいパターンを作り出すのでなく。
 これこそが全的否定です。これをクリシュナムルティは明らかに説いてくれました。


 それゆえ、私たちがかかわっていることは、新しいことが起こることができるように心を粉砕することです。そしてそれが私たちがこれらの集会のすべてで討論しようとしていることです。どうやって心に革命をもたらすか。革命がなければなりません。昨日のものすべての全面的な破壊がなければなりません。さもなければ、私たちは新しいものに出会うことができないでしょう。そして生は、愛のように常に新しいのです。愛は昨日や今日を持っていません。それはいつも新しいのです。しかし飽満、満足を味わった心はその愛を記憶として貯め込み、それを崇拝します。あるいは写真を愛のシンボルとしてピアノの上や暖炉の上に置きます。

 それゆえ、あなたが望んでいるなら、それがまたあなたの意向であるなら、私たちはどうやって鈍い、疲れきった、脅えている心を変容させるかという問題を調べましょう。悲しみにとらわれている、そんなに多くの苦闘、そんなに多くの絶望、そんなに多くの快楽を知っている心、非常に古くなってしまい、若いということは何であるか決して知っていない心。あなたが望むなら、私たちはそれを調べましょう。少なくとも私はそれを調べるつもりです。あなたが望もうと望むまいと。ドアは開いており、あなたは入るも去るも自由です。これは嫌でもそこから逃れることのできない聴衆ではありません。それゆえ、あなたがそれを好まないなら、聞かない方がいいでしょう。なぜならあなたの聞くことは、聞きたいのでないなら、あなたの絶望に、あなたの毒になるからです。それであなたは、まさに最初から話し手の意図が何であるか知ります。すなわち、私たちは一つの石もひっくり返さずには残すまいとしています。心の秘密の隠れ家のすべては探検され、開かれ、内容が破壊されることになっています。そしてその破壊から新しいもの、心のどんな創造物ともまったく異なる何かの創造があることになっています。

 このためにはあなたは真面目さ、一生懸命さを必要とします。私たちはゆっくりと、ためらいがちに、しかし容赦なしに追跡しなければなりません。そして多分そのすべての終りに―あるいはまさにその始めに、なぜなら破壊的過程には始まりも終りもないからですが―人は測ることのできないものを見出すかもしれません。突然眼の扉が、心の窓が開き、名付けることのできないものを受取るかもしれません。時間を超えた、空間を超えた、測定を超えたそのようなものがあります。それは描写したり、言葉にすることができません。それを発見することなしには、生はまったく空虚で、浅薄で、愚かで、時間の浪費です。

(続く)


[26287] いじめ 投稿者:ゴト 投稿日:2018/12/04(Tue) 09:17  

いじめを人間の暗部として取り上げよう。これは我々がよく知っている心理からなっている。

誰かがいじめの対象とされる。そいつをかばう事はやばい。それは自分が目立ち、次のいじめの対象になることを意味する。自分はワルにぼこぼこにされるかもしれない。こわい。「こいつっていやな奴だよなあ?」と衆人環視の中で同意を求められる。踏み絵を踏まされる。自分はどうする?

しぶしぶ同意して見せるか、積極的に同意するか? 「これはいじめだ。やめろ」と断固として言えるか。帰りにワルに仲間と待ち伏せされぶちのめされるかもしれないと時間の中の恐怖が走る。

ここで頑として「やめろ!」と言える人間だけが生きているのだ。まじめで真剣な人だ。

子供は学園漫画で、こういうことはたくさん読んで知っているのだ。では腕力の強い子供はなぜワルになるのか? 学校教育の、いや、大人社会の根本が狂っているからか。

ではザーネン講話を先に進めよう。


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