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[24994] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/01/27(Sat) 15:15  

第二段階の自由への欲求と、第五段階の調和的自由を混同してはいけない。
第二段階の自由は、物理的安全や、安心からくる。
そして、しばしば、その途上において過激である。

第五段階の調和と自由は、自然と自分に適したことをして、本来の自分を輝かせており、それに自分をささげることからくる、安らぎである。

第一段階 平穏 感情的 初歩的善意 
第二段階 安心 当たり前に生きること 常識
第三段階 平安 理解のための忍耐 動じないこと 良識
第四段階 安息 行為者と存在の区別 義務の終焉 直観
第五段階 涅槃 二元性を超えた安らぎ 悲しみの終焉 直覚




[24993] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/01/27(Sat) 15:00  

人間の愛にたとえると、

第一段階 情欲 平穏な愛 知識への欲求 肉体 欲求
第二段階 愛着 召使の愛 自由への欲求 献身 専心
第二段階 愛情 友情の愛 幸福への欲求 理解 変容
第四段階 愛  親子の愛 義務への欲求 慈悲 放棄
第五段階 自由 恋愛の愛 悲しみの終焉 調和 自己実現


昔のカーストはこの五つの段階の描写であった。

1 アウトカースト 生理的欲求
2 奴隷 解放への欲求 安全 安心
3 商人 平等 家庭 幸福 実用性
4 戦士 義務 自尊心 自信 達成
5 僧侶 謙虚 創造性 道徳性 


[24992] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/01/27(Sat) 14:49  

私はこれまで、10人ちょっとの愛情の段階をクリアした人にあったことがある。

数人の愛の段階をクリアした人にあったことがある。

たった一人だけ、自由のだんかいにたっした人にあったことがある。


[24991] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/01/27(Sat) 14:40  

これまで、私の人生の中で、自由と調和の段階にたっした人は、一人しかみたことがない。

新しい芽氏である。


[24990] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/01/27(Sat) 14:37  

愛の段階に近いひとは、初期のクリシュナムルティや、イエスなどのように、徹底的反逆をする可能性がある。

今の中西さんがそう。

わたしも、もっと若いころは反逆の塊だった。

自由と調和の段階の人は、絶対的純粋さと、物事をありのままに見る謙虚さが特徴である。



[24989] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/01/27(Sat) 14:24  

この世界で、愛のだんかいにたっしたものは1000人もいない。

まして、自由と調和の段階にたっしたものなど、さらに少ない。

新しい芽は、自由と調和にたっしていた。


[24988] Re:[24986] [24985] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/01/27(Sat) 14:18  

> > 情欲とは渇望である。
> >
> > 渇望は愛着になる。
> >
> > 愛着とは憎しみである。
> >
> > 憎しみは経験を経て愛情に変化する。
> >
> > 愛情とは悲しみである。
> >
> > 悲しみは愛を花咲かせる可能性がある。
> >
> > 愛のエセンスは自由である。
> >
> > 自由があるからこそ、自在にすべてに愛を注げる。
> >
> > 情欲
> > 愛着
> > 愛情
> > 愛
> > 自由
> >
> > これは5つの愛のステージである。
>
>
> とにもかくにも、愛憎は成人になったら二十歳前半で片づけて、愛と自由に達してくれ、相手と共に。そうでないと苦悩と矛盾で大変だぞ。それでさえ、当たり前と思っている習慣の中に男尊女卑や支配癖がいっぱい詰まっているからな。しかし孫の世代はずいぶん変わっている。

99%の人間は、愛着にすらいかず、情欲で一生を終える。

支配欲が愛情にかわれば、三段階になる。ゴトさんはその途上ですね。

私は前世で愛情の段階に到達して、21歳で、愛の段階にたっした。


[24987] Re:[24984] [24978] [24977] [24975] [24974] [24973] [24969] [24966] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/27(Sat) 13:55  

> > > > >  親子の愛着は愛ではない。
> > > > >
> > > >
> > > > 家族の関係は人間関係の基礎です。あなたの妻や子にたいする執着も唯一なる愛の表れなのです。
> > >
> > >
> > > このレス、ほんとにありがとう。私も少し書いてみます。
> > >
> > > 昔海軍の将校が妻に言った。母親の(良妻賢母型でなく)盲愛が一番。盲愛を受けて育った水兵は人間関係でトラブルになることはまずないと。私は盲愛するというのは子供に気遣い、ケアーを注ぐことで、これが愛でしょう。
> > >
> > > 子供向けのテレビアニメを今日見ていた。サザエさんみたいな家族ドラマで、内容はなくなったおばあちゃんと家族全員がそろっている写真を、おじいちゃんの希望で探すという事だが、それがなかなか見当たらない。結局、親と孫が全員揃っておじいちゃんが写したのだが、その時、おばあちゃんが何かの所作をして全員がずっこけている写真を貰っておじいちゃんは帰ることになった。
> > > 家族という単位は普通人間形成に直結しており、そこには言葉化が困難な何にかがあるとはいえ、アニメでは何か伝わる。家族は重要な単位である。
> > >
> > > だが主体性をもって自由な意思で生きていく一人の人間―ヒューマニズム、ルネッサンスからの時代は終わりを告げているという。これは別項で。
> >
> >
> >  クリシュナムルティが述べる「愛」と、一般に言われる「愛」を混同するところには、混乱があり、破滅へと向かう錯誤があり、これが世界ではないでしょうか・・。
> >
> >  愛を語る者たちが、滅ぼしあっているのではないでしょうか・・。
>
>
> >  クリシュナムルティが述べる「愛」と、一般に言われる「愛」を混同するところには、混乱があり、破滅へと向かう錯誤があり、これが世界ではないでしょうか・・。
> >
> >  愛を語る者たちが、滅ぼしあっているのではないでしょうか・・。
>
> Kの言う愛の本質、それから普通に言う愛の本質を人の心がしっかり感じ取ることが、まず、重要です。
>
> Kの述べる愛となると特殊用語になりかねないので、愛の普遍的な意味・本質について話し合いましょう。
>
> 愛の本当の意味は人間同士の間の気遣い・ケアのことだと思います。それは心身の全体に向けられます。同一目線で、相手の主体性を尊重品ができる範囲の内で。それは周囲のすべて、道具、社会、動物、生物、自然すべてに広がっていきます。


 そこで、飢餓人(世界で7億人が飢餓で苦しんでいる現在)が、これを聴いて何と思うか・・。


> 普通に言われる愛には同じようで、どうも恩恵の意味があって、お返しを暗に期待するところがあるようです。優者が劣者に与えるような感じもよくあります。宗教におけるように、認可・制裁を伴う場合もあります。だから愛憎の愛なのです。
>
> そこは人間は、普通の愛が愛憎の愛であること等は、かなりよく知ってきていると思います。アニメの影響は馬鹿にならないのではないかと思います。
>
> とりとめもないがともかく書いてみました。


 母子間の愛着は生理的強迫性が伴うのではないでしょうか・・。生理的強迫性とは空腹や年頃の性的欲求のような強い強迫的な欲求。

 鳥が巣を作り子育てに勤しむように、「私の子」と「他者の子」の区別、更には、「私」と「子」という区別が無いときには、白い炎としての「愛」があり得ることは、クリシュナムルティが陳述しています。

 しかし、ヒトの場合、「私の子」と「他者の子」の区別、更には、「私」と「子」は確かにあるのではないでしょうか・・。

 よって、ヒトの場合においては、この「区別」がある限り、変容に寄与することはなく、依然として時間の世界に留まっているように見受けられます。

 ただし、時折、予期せずして「区別」なく佇んでいる、あるいは勤しんでいることはありうることです、ただし、これは母子間に限らず・・。


 私たちは「愛着」を神聖化するように条件付けられているように見受けられます。
 特に過去(例えば死せる者との絆等々)の神聖化は著しいように感じます。

 そして、私たちは、よくその神聖化された対象物を拠り所として安心・安定を得ているように見受けられます。

 その場合において、この対象物を脇に置ききれない。捨てきれない。すなわち重大な執着物となっていることが多いように見受けられます。


[24986] Re:[24985] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/01/27(Sat) 10:11  

> 情欲とは渇望である。
>
> 渇望は愛着になる。
>
> 愛着とは憎しみである。
>
> 憎しみは経験を経て愛情に変化する。
>
> 愛情とは悲しみである。
>
> 悲しみは愛を花咲かせる可能性がある。
>
> 愛のエセンスは自由である。
>
> 自由があるからこそ、自在にすべてに愛を注げる。
>
> 情欲
> 愛着
> 愛情
> 愛
> 自由
>
> これは5つの愛のステージである。


とにもかくにも、愛憎は成人になったら二十歳前半で片づけて、愛と自由に達してくれ、相手と共に。そうでないと苦悩と矛盾で大変だぞ。それでさえ、当たり前と思っている習慣の中に男尊女卑や支配癖がいっぱい詰まっているからな。しかし孫の世代はずいぶん変わっている。


[24985] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/01/27(Sat) 01:22  

情欲とは渇望である。

渇望は愛着になる。

愛着とは憎しみである。

憎しみは経験を経て愛情に変化する。

愛情とは悲しみである。

悲しみは愛を花咲かせる可能性がある。

愛のエセンスは自由である。

自由があるからこそ、自在にすべてに愛を注げる。

情欲
愛着
愛情

自由

これは5つの愛のステージである。




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