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[24877] 『英知へのターニングポイント(思考のネットワーク)』 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/02(Tue) 22:38  

 『英知へのターニングポイント(思考のネットワーク)』を読み終えました。

 後半のアムステルダムトーク(全2回)は、自身の「家」を秩序だて整頓することが、「瞑想」の大前提であるという陳述と、そして「瞑想」について述べられています。

 ゴトさんが述べるように、クリシュナムルティの神髄が、本人のダイジェストとして、わずか全2回のみに集約されているように感じます。

 1981年アムステルダムトークをご紹介頂き感謝しております。
 


[24876] Re:[24875] 心を変える瞑想(1) 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/02(Tue) 16:32  

> 心を変える瞑想
>
> J.Krishnamurti Madras 4th Public Talk 15th December 1974
>
> Meditation Which Transforms the Mind
>
> K: 私たちはこの三週間の間、聞くという問題、見る術と学ぶ術について一緒に話しあってきました。言われていることに少々の注意を払った人たちは、自分の環境、社会的条件、貧困、退廃、人々の集団全部の堕落に気づいたに違いありません。人はこの国が経ている堕落の事実のみならず、また新たに生まれ変わるとはどういうことか、単に思考の玩具に過ぎないのではなく、それ自身にはいり込み、探究し、思考の不幸と破壊的な性質のすべてを持つ思考のすべての運動を、独力で発見することができる心を持つということはどういうことか、気づいたに違いありません。そしてまたそのような心の意味だけでなく、深さと美と実際を理解するためには、宗教とは何かという探究を通じてそれに到達しなければなりません。多分私たちは有益に、宗教でないものを最初に見ることができるでしょう。明らかにそれは思考の産物ではありません。
>
> ゴト: 今ここにいる人は聞くという事、見るすべ、学ぶすべを話し合ってきた人です。この社会の堕落に気づき、思考の破壊的性質を自分の中に入り込んで独力で気づいたに違いないとのこと。
> そして今深さと美を実際に理解するためには、宗教は何かという探究を通じてそれに到達しなければなりませんと。これがこのトークの主旨ですね。
>
> K: 私たちの宗教はすべて、西洋であろうが東洋であろうが思考に基づいています。その救世主、その導師、そのシステム、その信仰と教義、儀式、そして毎日耽る取るに足りない小さな礼式のすべてを伴う宗教的構造の全体は、本質的に思考の産物です。私たちの宗教のすべては思考の運動に、恐怖、希望、そして私たちが存在すると願うものへの信仰の感覚に基づいています。そういったすべては、非常に注意深く念入りに観察するなら、この思考の運動の産物であり、それは物質的です。それゆえこれらの宗教の中には精神的なものは絶対に何もないのです。いいですか?
>
> ゴト: これらの宗教の中には精神的なものは絶対に何もないと厳しく言われています。私の心はシンとなり、沈黙します。
>
> K: 私たちはこういったすべてを共有し、探索しています。受容したり否定したりしているのではなく、共に探究し、それゆえお互いに伝達しています。私たちが自分の私的な思考、意見、判断を持つなら、お互いに伝達すること、交流することはできません。そしてそれは調査することを、探究すること、探査することを不可能にします。そして私たちがいましているように、言葉の上だけでなく言葉を超えて、共に伝達しあっているときは、言葉を、言葉の意味を理解するだけでなく、また言葉の間に横たわっているものを見いだし、行間を読むことができるように努め、言葉の背後にある特別な深い意味を聞くことが必要です。そういったすべてが伝達の中に含まれています。それは生の問題に関わっている真剣な二人の友として、一緒に熟考することです。
>
> ゴト: これは言葉上の議論でなく、探求を共にする重要な事柄です。
>
> K: それで世界の中に進行している事を観察するとき、アラブとユダヤの間、ヒンズーとイスラムの間などなどの政治的、経済的分離の世界の中だけでなく、また様々な宗教をも見るとき、それは決して人類に平和をもたらしませんでした。とんでもない。そしてそれらの分裂、そしてそれらは本質的に思考に基づいているので分裂するに違いありません。それで宗教とは何でしょうか? その言葉で私たちは何を意味しているのでしょうか? 私たちはそうでないものを知っています−宗教の名前で進行するサーカスのすべて。どうか侮辱されたと思わないでください、私たちはただ事実を述べているだけです。すべての教会と寺院とモスク、思考によって組み立てられてきたすべての建物は、美しいけれども−いくつかの礼拝堂、いくつかのモスク、いくつかの寺院は途方もなく美しいのですが、しかしそれは真実とはまったく何の関係もありません。そして人が本当に、言葉の上でなく、そういったすべてを捨てるとき、誰かがそれを捨てなければならないと言うから、あるいはあなたより良く知っているとあなたの感じる誰かが「これは宗教ではない」と言うからではありません、そのときはあなたは捨てていません、それは単に権威を受け入れているに過ぎないのです。そして精神的な事柄であなたが権威を受け入れるとき、それは腐敗、堕落の本質そのものです。いいですか? あなたはなお私と共にいますか? 言葉の上で、それとも実際に?
>
> あなたがそのすべてのナンセンス、それは意味がないということですが、を捨てるとき、そのとき、真剣であるなら、宗教が何を意味するか私たちは見いだし始めることができます。おわかりですか? 儀式、祭式、寺院とあなたが毎日の醜い生活に対する補償として行なう誓い。あなたは寺に行くことを誓い、そして補償としてあらゆる種類のことをします。そういったすべて−信仰、教義、儀式、私的礼拝は、宗教がそうであるものの真実と何の関係もありません。
>
> ゴト: 今行われている宗教的儀式等は権威を受け入れることと関係している限り、何の意味もなく、そこでは日頃の行いの補償的行為があるのだろうかと。
>
> K: そして人がまじめであるなら、宗教は新しい文化の核であるので、宗教なしに文化はありません。そして世界に宗教はないので文化はありません。あなたは美しい絵を持ち、すばらしい文学作品を書き、とても並外れた絵を描き、すばらしい音楽を作曲するかも知れませんが、それは文化ではありません。それは心の新しい性質をもたらしません。そして私たちの周りの世界全体が崩壊、堕落しているとき、私たちは心の新しい性質を必要とします。そして、ある人々がしようとしているように、単に古い宗教を復活させることは無意味です。しかし、そうでなければなりませんが、深く関心がある人間は、もし世界に、 飢餓に、戦争に、崩壊に、偽善に、進行している不正直の全体に関心があるなら、ひとはまったくのまじめさの中で、宗教的な心の真の意義が何であるか見いださなければなりません。なぜなら新しい文化をもたらすことができるのはそのような心だけであるからです。ある宗教的な心ではなく、一人のひとの宗教的な心ではなく、人間の宗教的な心です。それはあなたです、それは一緒にということです。昔は、歴史の中を観察し周りのものごとを見つめたなら、宗教的指導者がありました。その言葉そのものがまさに宗教の否定です−宗教的世界の指導者。おわかりですか? なぜなら宗教的な事柄の中に運動があるとき、その運動そのものが堕落の要因であるからです。なぜならそのときあなたは従っているからです、単に他の人の権威を受け入れているに過ぎないからです。権威の性質と構造を理解するとき、それに洞察をもつとき、精神的な事柄の中には話し手のそれを含めて権威はありません。
>
> ゴト: 新しい文化をもたらす新しい心は宗教的な心です。新しい宗教的権威者の運動ではありません、そこには従う心があるからです。その新しい心は人間の宗教的な心であって、それはあなたです。それは一緒という事ですと。
> この辺あたりまでが序論でしょうか。ここでいったん区切ります。


 宗教や哲学、思考の産物には精神的なものは絶対にない。

 これを聴いて、私たちは思考の産物に依存していることを知ります。

 日本神道や沖縄シャーマニズムの中にも、精神的なものは絶対にない。

 はい。ただし、現世利益はあるように感じます。

 シャーマニズムの現世利益については、『クリシュナムルティとは誰だったのか』に詳述されています。

 現世利益までは否定していない。と受け取りました。


 私たちは、宗教や哲学から得る現世利益(安心・安全等)に依存しがちであり、そして、依存は腐敗を免れ得ないと、クリシュナムルティは述べているようです。

 しかし、その現世利益をなかなか放棄できない。比較的楽に得られる特効薬の働きを有するがゆえに・・。

 比較的楽に日々を過ごし、安楽に生きたい。

 そこに「生」がやってきて、その平穏を破壊するのだろうか・・。

 生の全体性の中に、北朝鮮が含まれていることは、現にある事実だろうか‥。

 私たちは、いずれ死する時が訪れることは、現にある事実だろうか‥。

 これが生の全体性なのだろうか・・。


[24875] 心を変える瞑想(1) 投稿者:ゴト 投稿日:2018/01/02(Tue) 13:53  

心を変える瞑想

J.Krishnamurti Madras 4th Public Talk 15th December 1974

Meditation Which Transforms the Mind

K: 私たちはこの三週間の間、聞くという問題、見る術と学ぶ術について一緒に話しあってきました。言われていることに少々の注意を払った人たちは、自分の環境、社会的条件、貧困、退廃、人々の集団全部の堕落に気づいたに違いありません。人はこの国が経ている堕落の事実のみならず、また新たに生まれ変わるとはどういうことか、単に思考の玩具に過ぎないのではなく、それ自身にはいり込み、探究し、思考の不幸と破壊的な性質のすべてを持つ思考のすべての運動を、独力で発見することができる心を持つということはどういうことか、気づいたに違いありません。そしてまたそのような心の意味だけでなく、深さと美と実際を理解するためには、宗教とは何かという探究を通じてそれに到達しなければなりません。多分私たちは有益に、宗教でないものを最初に見ることができるでしょう。明らかにそれは思考の産物ではありません。

ゴト: 今ここにいる人は聞くという事、見るすべ、学ぶすべを話し合ってきた人です。この社会の堕落に気づき、思考の破壊的性質を自分の中に入り込んで独力で気づいたに違いないとのこと。
そして今深さと美を実際に理解するためには、宗教は何かという探究を通じてそれに到達しなければなりませんと。これがこのトークの主旨ですね。

K: 私たちの宗教はすべて、西洋であろうが東洋であろうが思考に基づいています。その救世主、その導師、そのシステム、その信仰と教義、儀式、そして毎日耽る取るに足りない小さな礼式のすべてを伴う宗教的構造の全体は、本質的に思考の産物です。私たちの宗教のすべては思考の運動に、恐怖、希望、そして私たちが存在すると願うものへの信仰の感覚に基づいています。そういったすべては、非常に注意深く念入りに観察するなら、この思考の運動の産物であり、それは物質的です。それゆえこれらの宗教の中には精神的なものは絶対に何もないのです。いいですか?

ゴト: これらの宗教の中には精神的なものは絶対に何もないと厳しく言われています。私の心はシンとなり、沈黙します。

K: 私たちはこういったすべてを共有し、探索しています。受容したり否定したりしているのではなく、共に探究し、それゆえお互いに伝達しています。私たちが自分の私的な思考、意見、判断を持つなら、お互いに伝達すること、交流することはできません。そしてそれは調査することを、探究すること、探査することを不可能にします。そして私たちがいましているように、言葉の上だけでなく言葉を超えて、共に伝達しあっているときは、言葉を、言葉の意味を理解するだけでなく、また言葉の間に横たわっているものを見いだし、行間を読むことができるように努め、言葉の背後にある特別な深い意味を聞くことが必要です。そういったすべてが伝達の中に含まれています。それは生の問題に関わっている真剣な二人の友として、一緒に熟考することです。

ゴト: これは言葉上の議論でなく、探求を共にする重要な事柄です。

K: それで世界の中に進行している事を観察するとき、アラブとユダヤの間、ヒンズーとイスラムの間などなどの政治的、経済的分離の世界の中だけでなく、また様々な宗教をも見るとき、それは決して人類に平和をもたらしませんでした。とんでもない。そしてそれらの分裂、そしてそれらは本質的に思考に基づいているので分裂するに違いありません。それで宗教とは何でしょうか? その言葉で私たちは何を意味しているのでしょうか? 私たちはそうでないものを知っています−宗教の名前で進行するサーカスのすべて。どうか侮辱されたと思わないでください、私たちはただ事実を述べているだけです。すべての教会と寺院とモスク、思考によって組み立てられてきたすべての建物は、美しいけれども−いくつかの礼拝堂、いくつかのモスク、いくつかの寺院は途方もなく美しいのですが、しかしそれは真実とはまったく何の関係もありません。そして人が本当に、言葉の上でなく、そういったすべてを捨てるとき、誰かがそれを捨てなければならないと言うから、あるいはあなたより良く知っているとあなたの感じる誰かが「これは宗教ではない」と言うからではありません、そのときはあなたは捨てていません、それは単に権威を受け入れているに過ぎないのです。そして精神的な事柄であなたが権威を受け入れるとき、それは腐敗、堕落の本質そのものです。いいですか? あなたはなお私と共にいますか? 言葉の上で、それとも実際に?

あなたがそのすべてのナンセンス、それは意味がないということですが、を捨てるとき、そのとき、真剣であるなら、宗教が何を意味するか私たちは見いだし始めることができます。おわかりですか? 儀式、祭式、寺院とあなたが毎日の醜い生活に対する補償として行なう誓い。あなたは寺に行くことを誓い、そして補償としてあらゆる種類のことをします。そういったすべて−信仰、教義、儀式、私的礼拝は、宗教がそうであるものの真実と何の関係もありません。

ゴト: 今行われている宗教的儀式等は権威を受け入れることと関係している限り、何の意味もなく、そこでは日頃の行いの補償的行為があるのだろうかと。

K: そして人がまじめであるなら、宗教は新しい文化の核であるので、宗教なしに文化はありません。そして世界に宗教はないので文化はありません。あなたは美しい絵を持ち、すばらしい文学作品を書き、とても並外れた絵を描き、すばらしい音楽を作曲するかも知れませんが、それは文化ではありません。それは心の新しい性質をもたらしません。そして私たちの周りの世界全体が崩壊、堕落しているとき、私たちは心の新しい性質を必要とします。そして、ある人々がしようとしているように、単に古い宗教を復活させることは無意味です。しかし、そうでなければなりませんが、深く関心がある人間は、もし世界に、 飢餓に、戦争に、崩壊に、偽善に、進行している不正直の全体に関心があるなら、ひとはまったくのまじめさの中で、宗教的な心の真の意義が何であるか見いださなければなりません。なぜなら新しい文化をもたらすことができるのはそのような心だけであるからです。ある宗教的な心ではなく、一人のひとの宗教的な心ではなく、人間の宗教的な心です。それはあなたです、それは一緒にということです。昔は、歴史の中を観察し周りのものごとを見つめたなら、宗教的指導者がありました。その言葉そのものがまさに宗教の否定です−宗教的世界の指導者。おわかりですか? なぜなら宗教的な事柄の中に運動があるとき、その運動そのものが堕落の要因であるからです。なぜならそのときあなたは従っているからです、単に他の人の権威を受け入れているに過ぎないからです。権威の性質と構造を理解するとき、それに洞察をもつとき、精神的な事柄の中には話し手のそれを含めて権威はありません。

ゴト: 新しい文化をもたらす新しい心は宗教的な心です。新しい宗教的権威者の運動ではありません、そこには従う心があるからです。その新しい心は人間の宗教的な心であって、それはあなたです。それは一緒という事ですと。
この辺あたりまでが序論でしょうか。ここでいったん区切ります。


[24874] Re:[24873] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/01(Mon) 14:37  

> 新年明けましておめでとうございます。本年もどうかよろしく。
>
> 明日から「心を変える瞑想」を読もうと思って、ちらりとホームページを開いたら、「気づき、知覚、洞察の性質」が目に入って読んでしまいました。素晴らしい。こんな文章がこのサイトにはあってのか! 今はよくわかります。注釈はいりません。よかったら読んでください。
>
> 明日からは予定通り「心を変える瞑想」を読みます。


 新年、明けましておめでとうございます。

 さっそく、「気づき、知覚、洞察の性質」をプリントアウトしました。


 今年も、よろしくお願いします。。


[24873] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/01/01(Mon) 10:48  

新年明けましておめでとうございます。本年もどうかよろしく。

明日から「心を変える瞑想」を読もうと思って、ちらりとホームページを開いたら、「気づき、知覚、洞察の性質」が目に入って読んでしまいました。素晴らしい。こんな文章がこのサイトにはあってのか! 今はよくわかります。注釈はいりません。よかったら読んでください。

明日からは予定通り「心を変える瞑想」を読みます。


[24872] 読者の皆様へのご挨拶 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/31(Sun) 17:36  

今年も大みそかを迎えました。年間を通じて自分勝手に喚き散らし、相済みませんでした。

新年1年ぐらいは何とか生きていけるのではないかと勝手に思っています。

ではよい新年をお迎えください。皆様のご愛顧に深く感謝いたします。


[24871] Re:[24870] [24869] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/31(Sun) 17:19  

> > とうとう竹田青嗣氏の欲望論を読み終えました。自然科学と違って人文系の学はその立脚点、正当性がどこにありうるか、いまだ不明でここから議論しなければならない状況にある。
> >
> > 上掲書は哲学の歴史を、最近の脳科学に至るまでその成果と過誤を述べて、、哲学の進め方に根本的な改定を加えるものであると私は読みました。
> >
> > 第2巻はそれに従って人間と社会がいかに生成されてきたかを示し、心がいかに生成されるかを論じています。
> >
> > 第3巻は倫理と正義をしっかりした立脚点に基づいて示してくれるとのことですが、刊行が何年後になるか不明とのことです。
> >
> > 哲学の来し方を見ると思考というのは実に迷路に入りやすい代物であるという事がわかります。だがそれによって社会をつくり、動物の生とは異なる生を営んでいます。そこに哲学はどのような秩序をどのようにして創ることができるでしょうか。
> >
> > またKの言っている世界は、竹田氏の言っている世界とどういう関係があるのでしょうか? 今の私にはまだ全然わかりません。
>
>
>  以下は、私の考察です。
>
>  「思考」がクリシュナムルティ的世界を理解するには、とてつもないエネルギーと緻密さを要するのではないでしょうか。
>
>  そして、そのエネルギーと緻密さを「脳」は備えている。
>
>  しかし、そのエネルギーと緻密さが「抜け目ない自我の防衛と快楽」に用いられている。
>
>  その抜け目なさは、竹田氏とて免れ得ていない。
>
>  上記が、>Kの言っている世界は、竹田氏の言っている世界との関係−−ではないでしょうか。


抜け目なさは愚かさというか限界があるのかもしれません。
ともかく哲学の出発点は、生きている人間のこの世界(人間のつくった社会を含む)で、いかに生きるかという点に立っています。
そして戦争のごとく、力のみが支配することをいかに避けるかがいまだに見えていない、倫理、道徳はいまだその立脚点を見出していないことが自覚されています。そのためには革命により支配者の交代を目指すのではなく、倫理道徳の原理が明確にされ人々の共同確信となる事でしか実現はしないと。

そしてその探究は人間が、その日常の正解を生きる中で起きる知覚と感じ、情動、意図を意識しつつ、言語交流の中から審判を受けて明確に形成される確信が、社会を動かす力として働く。この最後のところはその正確さについて自信がないのですが、まあこんなことかとしてください。

それで新年からはKの本を読んでみます。


[24870] Re:[24869] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/12/31(Sun) 08:26  

> とうとう竹田青嗣氏の欲望論を読み終えました。自然科学と違って人文系の学はその立脚点、正当性がどこにありうるか、いまだ不明でここから議論しなければならない状況にある。
>
> 上掲書は哲学の歴史を、最近の脳科学に至るまでその成果と過誤を述べて、、哲学の進め方に根本的な改定を加えるものであると私は読みました。
>
> 第2巻はそれに従って人間と社会がいかに生成されてきたかを示し、心がいかに生成されるかを論じています。
>
> 第3巻は倫理と正義をしっかりした立脚点に基づいて示してくれるとのことですが、刊行が何年後になるか不明とのことです。
>
> 哲学の来し方を見ると思考というのは実に迷路に入りやすい代物であるという事がわかります。だがそれによって社会をつくり、動物の生とは異なる生を営んでいます。そこに哲学はどのような秩序をどのようにして創ることができるでしょうか。
>
> またKの言っている世界は、竹田氏の言っている世界とどういう関係があるのでしょうか? 今の私にはまだ全然わかりません。


 以下は、私の考察です。

 「思考」がクリシュナムルティ的世界を理解するには、とてつもないエネルギーと緻密さを要するのではないでしょうか。

 そして、そのエネルギーと緻密さを「脳」は備えている。

 しかし、そのエネルギーと緻密さが「抜け目ない自我の防衛と快楽」に用いられている。

 その抜け目なさは、竹田氏とて免れ得ていない。

 上記が、>Kの言っている世界は、竹田氏の言っている世界との関係−−ではないでしょうか。


[24869] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/30(Sat) 21:08  

とうとう竹田青嗣氏の欲望論を読み終えました。自然科学と違って人文系の学はその立脚点、正当性がどこにありうるか、いまだ不明でここから議論しなければならない状況にある。

上掲書は哲学の歴史を、最近の脳科学に至るまでその成果と過誤を述べて、、哲学の進め方に根本的な改定を加えるものであると私は読みました。

第2巻はそれに従って人間と社会がいかに生成されてきたかを示し、心がいかに生成されるかを論じています。

第3巻は倫理と正義をしっかりした立脚点に基づいて示してくれるとのことですが、刊行が何年後になるか不明とのことです。

哲学の来し方を見ると思考というのは実に迷路に入りやすい代物であるという事がわかります。だがそれによって社会をつくり、動物の生とは異なる生を営んでいます。そこに哲学はどのような秩序をどのようにして創ることができるでしょうか。

またKの言っている世界は、竹田氏の言っている世界とどういう関係があるのでしょうか? 今の私にはまだ全然わかりません。


[24868] Re:[24867] [24866] [24865] 気づきとは。 投稿者:宮啓 投稿日:2017/12/26(Tue) 16:19  

> > > クリシュナムルティを学んでいるものとして、さらに今哲学を読んでいるわけですが、気になることがあります。
> > >
> > > Kを読んでいると、心理的思考という語がよく使われますが、哲学では出てきません。情動、感情、不安、恐怖、欲望などと使われます。思考は理性的な面が、これら情動を抑制し、人間性を保つ役割を18,9世紀当たりでは期待されていたが、どうも思考(あるいは理性)は情動に勝てない感じがあって、そこらから混乱してしまったようです。自然科学の勃興が天地創造神話や神、絶対精神などに水を差し、主観を知るだけの人間が客観を認識できるのかという事が、物理的にはともかく、心的問題に入ると行き詰ったという事でしょうか。
> >
> >
> >
> >  思考が歪みなく見ることができるのか・・?
> >
> >  思考は「心理的思考」を「思考」から切り離して、「感情」等々と分類するするようです。
>
>
> 自分の心の中での思考感情、知覚などなどの動きを、私は思ったほど調べていないようです。思考がゆがみなく見れるのは、その件に思いを巡らさず無条件に見ている時なのかな。
>
> 心理的思考が分類されるというのは、心にとって異なる関係性の反応を起こさせるというとなのだろう。しかもそれが記憶される。
>
>
> > > それでクリシュナムルティの話に戻りますが、思考、情動、感情、不安、恐怖、欲望、怒りなどをあるがままに観察しているでしょうか?それらに押し流されて、何とか対処しようとあれこれあがいていることは知っています。実際にある衝動、その耐え難く迫る感覚を知覚しているのではなく、慌てふためいているという事でしょうか?
> > >
> > > そうでなくその強迫的な感情をしっかり知覚する、それが気づいているという言い方もされますが、知覚しているという言い方の方がはっきりして明晰でないかと思い始めました。その時、無意識という事はなくなるのかな。
> > >
> > > このように知覚して生きている時注意があり、Kの言う意味で瞑想の状態にあるあるという事ですか。
> >
> >
> >  知覚している中心がなく、思考(時間)ではない世界。
>
> この中心がないという事はわかっているようで、実はむつかしい表現ですね。実際にそれが起きていればそれまでなのですが。
> 自由に見ているという事は主体があっての話のような気がするし、行為があるとして、その行為は主体なしの行為なのかな??
> こういう質問を読書会でで聞いた記憶がありません。私もしなかった。どなたかコメントしてくださるかな。哲学の本を読んでいるとこう言うふうに頭はすっと働く。よしあし抜きに。


 猿は猿のことを知らず、思考は思考のことを知らない。

 地上にいて天動説と地動説、どちらが正しいか知覚できない。地球から脱してはじめて直接知覚できる。

 青春時代のただ中で「青春時代」を知らず、恋愛中に「恋愛」を知らない。

 時間の中にいて時間の世界を知らず、思考のネットワークの中に居て、思考の産物を知らない。
 

> > 今、『英知へのターニングポイント(旧タイトル:「思考のネットワーク」)』を読んでいます。昨日、第W章を読み終えました。
>
>
> 熟読しなければならない本が増えます。この頃疲れないように休み休み読まないと無理だとわかりました。年のせいですね。


 クリシュナムルティが述べるには(『英知へのターニングポイント』より)、講話をする度に、新しい発見がクリシュナムルティに起こるとのこと。

 探求にゴールはないようです。

 ただし、変容の緊急性は唱え続けています。

 世界がこの調子で進めば、20〜30年後には、核弾頭が数百発、朝鮮半島北部に保有されることでしょう。ロケットエンジン付きの弾頭。

 先進各国は、核シェルターの整備率が今現在においても高い割合を保持しています。

 本国は、国民一人あたり一千万円の借金があるので、核シェルターの整備費をクリシュナムルティ普及活動資金に回した方が、今ある借金が爆発的に増えない唯一の手法に思えるのですが・・。

 若い世代は、若い世代で苦悩が絶えないようです・・。


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