雑感
[トップに戻る] [留意事項] [ワード検索] [管理用]
おなまえ
Eメール メールアドレスは入力禁止
タイトル
コメント 【コメント中のURLは先頭のhを抜いて書き込んで下さい。】
コメント中には参照先URLと同じURLを書き込まないで下さい
参照先
暗証キー (記事メンテ用)

[25991] Re:[25990] [25987] [25985] 科学を絶対信じない 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/11(Thu) 11:18  

> 本当はKは心を整えるためには必要かもしれませんが、それ以上の教えは個人の特性に合わせて個人個人が「見えざる教師」を持つことが理想と言える。

それが理想かも知れないが、それもよくよく考えてみると何も明確な根拠はないのかもしれない。私は、Kを通じて(もちろん他を簡単に排除できるほどのうぬぼれも自信も持ち合わせていないが)、ごくごく基礎的な真の根拠を探求している。最初は個人的現世の苦悩の解決を求めていたのですが。。


[25990] Re:[25987] [25985] 科学を絶対信じない 投稿者:南方 投稿日:2018/10/10(Wed) 02:40  

> > 私は科学を絶対信じない。
> >
> > 何故なら統合失調症は治らないと言いきっているから。
> >
> > それには、よくよく考えてみると何も明確な根拠はないのである。
>
> その点については少し長い目で見ればそうかもしれない。結核だって昔は死病だった。しかし、いまはそんなことは誰も思わない。あらゆる病気?が治るようになるかもしれない。
>
> > 故に、私はKのような精神世界の合理主義を信じない。
>
> Kが超常感覚を持たない人が普通に体験できる事実の上に立っていることが精神界の合理主義者という意味であるなら、今の段階ではそれを(合理主義者という言い方はともかく)受け入れます。ただ最後のところでどうなるのかは私にはわかっていないので、この本は読み通すつもりでいます。
>
> > その信望者も信じない。
>
> 承りました。

カバラの歴史上でもカバリストが「肉体を持たない師におしえられた」という発言が波紋を呼び、偏狭な社会から迫害されたということが起こりました。

今の社会はそれよりも偏狭ですから、あえてKはそれらについて言及しなかったのだと思う。

迫害される恐れ、教祖化される恐れ、を考慮に入れて。

本当はKは心を整えるためには必要かもしれませんが、それ以上の教えは個人の特性に合わせて個人個人が「見えざる教師」を持つことが理想と言える。


[25989] Re:[25988] [25986] 机上の空論 投稿者:南方 投稿日:2018/10/10(Wed) 02:33  

> > 精神科に行って現場を目の当たりにすれば
> >
> > いかにあなた方の言ってることが机上の空論かがわかるだろう。
> >
> > 魂や霊、宇宙や神を考慮することなしには患者は救えない。
>
> 医学的症状については入らないことにしています。
> 救うというのは精神的、心理的な問題+環境の社会的問題があるでしょうが、ここではいまは人間社会の精神的、心理的問題の全体を見るという視点で私は読んでいます。


人間社会の精神的、心理的問題は天使や神々とも関わってくるという視座を捨てないようにしてほしいのです。

Kの文言だけでどうこうできる問題ではないのです。




[25988] Re:[25986] 机上の空論 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/10(Wed) 00:45  

> 精神科に行って現場を目の当たりにすれば
>
> いかにあなた方の言ってることが机上の空論かがわかるだろう。
>
> 魂や霊、宇宙や神を考慮することなしには患者は救えない。

医学的症状については入らないことにしています。
救うというのは精神的、心理的な問題+環境の社会的問題があるでしょうが、ここではいまは人間社会の精神的、心理的問題の全体を見るという視点で私は読んでいます。


[25987] Re:[25985] 科学を絶対信じない 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/10(Wed) 00:28  

> 私は科学を絶対信じない。
>
> 何故なら統合失調症は治らないと言いきっているから。
>
> それには、よくよく考えてみると何も明確な根拠はないのである。

その点については少し長い目で見ればそうかもしれない。結核だって昔は死病だった。しかし、いまはそんなことは誰も思わない。あらゆる病気?が治るようになるかもしれない。

> 故に、私はKのような精神世界の合理主義を信じない。

Kが超常感覚を持たない人が普通に体験できる事実の上に立っていることが精神界の合理主義者という意味であるなら、今の段階ではそれを(合理主義者という言い方はともかく)受け入れます。ただ最後のところでどうなるのかは私にはわかっていないので、この本は読み通すつもりでいます。

> その信望者も信じない。

承りました。


[25986] 机上の空論 投稿者:南方 投稿日:2018/10/09(Tue) 11:22  

精神科に行って現場を目の当たりにすれば

いかにあなた方の言ってることが机上の空論かがわかるだろう。

魂や霊、宇宙や神を考慮することなしには患者は救えない。


[25985] 科学を絶対信じない 投稿者:南方 投稿日:2018/10/09(Tue) 10:37  

私は科学を絶対信じない。

何故なら統合失調症は治らないと言いきっているから。

それには、よくよく考えてみると何も明確な根拠はないのである。

故に、私はKのような精神世界の合理主義を信じない。

その信望者も信じない。


[25984] Re:[25983] [25982] [25975] 既知からの自由13−2 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/09(Tue) 08:00  

> > > 13章ー2 [物] [思考の始まり]
> > >
> > >  多くを考える人は非常に即物的です。なぜなら思考は物ですから。思考は床、壁、電話機が物であるのと同様に物です。パターンの中で機能しているエネルギーは物になります。エネルギ−がありそして物があります。それが全ての生の実態です。私達は思考は物ではないと考えるかも知れませんが思考は物です。思考はイデオロギーのように物なのです。エネルギ−があるところではそれは物になります。物とエネルギーは相互に関係しています。一方は他方なしには存在できず、そして両者の間に調和があればあるほど、脳細胞はよりバランスがあり、より活動的です。思考はこの快楽、苦痛、恐怖のパターンを組み立てて、数千年もその中で機能してきました。そして自分がそれを造り出したので、そのパターンを破ることが出来ません。
> >
> >
> > よくわからないのですが「物」という言い方で思考のパターン性を言っています。>思考はこの快楽、苦痛、恐怖のパターンを組み立てて、数千年もその中で機能してきました。そして自分がそれを造り出したので、そのパターンを破ることが出来ません。−− そのようですね。
>
>
>  「思考は物質である」というクリシュナムルティの陳述に対して、『時間の終焉』の中で、ボームは、それは「思考は物質的過程である」という表現が適切ではないか・・とクリシュナムルティへ提案し、クリシュナムルティがそれを認めています。
>
>  脳の中で、記憶はどのように蓄えられているのでしょうか。NHK『サイエンス ゼロ』にて、一つの神経回路ルートが一つの記憶に対応している旨が、近年、細胞レベル(神経回路レベル)で確認できたとのことです。すなわち、思考は物質だったのです。


それは知りませんでした。しかし記憶とは何ですか? 写真のような記録ですか? それとも言語でまとめれた恣意的解釈の入った観念念的文章的記録でしょうか? そこに興味があります。


> > >  新しい事実は思考によって見られることはできません。新しい事実は思考によって、言葉の上で、あとで理解されることはできますが、新しい事実の理解は思考にとっては現実ではありません。思考は決してどんな心理的な問題も解くことができません。どんなに利口でも、どんなに巧妙でも、どんなに博識でも、科学や電子頭脳や強制や必要によって思考がどんな構造を造り出そうとも、思考は決して新しくなく、それゆえ途方もない問いには決して答えられません。古い頭脳は生の巨大な問題を決して解くことは出来ません。
> >
> >
> > ただ人口AIを創り出し、そのスピードの巨大さとビッグデータを取り扱う能力は人間の頭脳のそれを桁違いに上回っています。しかし、人間に肝心なものが欠けている? そこがはっきりしなければなりません。
> >
> > >  思考は何でも発明することが出来、そこにないものを見ることが出来るので歪んでいます。思考は最も並外れたごまかしを演じることが出来従って思考に頼ることは出来ません。しかし自分がどんなふうに考えるか、なぜ考えるか、自分の使う言葉、日常生活での振舞い方、人々に対する話し方、人々の扱い方、歩き方、食べ方の全構造を理解するなら ― これらのもの全てに気づいているなら、その時あなたの心はあなたを欺かないでしょう。そのとき欺かれるものは何もありません。心はそのとき要求するもの、征服するものではありません。心は途方もなく静かに、柔軟に、敏感に、単独になり、その状態の中には少しの欺瞞もありません。
> >
> >
> > 思考は他人を説得するために嘘をつけます。その想像推理には間違い、または錯覚が非常に多いです。それは人間のよく知っていることです。しかし、それをよく知って見はり、理解するなら思考は人間を欺かないとKが言います。疑ってその言う事を聞きましょう。
>
>
>  「思考」が欺かないのではなく、「心」が欺かないのではないでしょうか・・。。


そうでしたね。Kはそう言っています。ただ私は欺く要因は思考しかないと思います。「私」、中心という赤ん坊の時から作り上げられた社交術的な駆け引きの心理てきなソフト。それがある限り心は思考の影響をそのまま受け欺くものになってしまう。だが思考は常に欺くものでなく、「私」、中心が消滅すれば矛盾のないものとしてそこにある。とまあ私はそう見ているのですが。。


> > >  あなたが完全な注意の状態にあるとき、観察者、思考者、中心、「私」は終わることに気が付いたことがありますか? 注意のその状態の中で思考は衰え始めます。
> >
> >
> > ああ、そうです。これは自分自身で観察できる事実です。これを人間は自分自身で試して理解しないと前へ進めません。
> >
> >
> > >  物事を非常に明確に見たいなら、自分の心は非常に静かでなければなりません、全ての偏見、饒舌、問答、イメージ、映像なしに ― その全ては見るために片づけられなければなりません。そして思考の始まりを観察できるのは沈黙の中でのみです ― あなたが捜し、問いを尋ね、答えを待っているときではありません。それゆえあなたが完全に静かで、まさに自分の存在を通じて「思考の始まりは何だろうか?」と問うときのみ、あなたはその沈黙の中から、どのように思考が形をとるか見始めるでしょう。
> >
> >
> > また何か、見ることが普通人と異なるような言い方が出てきました。これは全くの真実なのですが、そうではなく、一所懸命見るなら自ずと生じる事柄なのです。
> >
> >
> > >  どのように思考が始まるかの気づきがあるなら、そのとき思考を制御する必要はありません。私達は自分の思考を制御しようとして、学校ばかりでなく、生涯を通じてたくさんの時間を費やし、たくさんのエネルギーを浪費します ― 「これはよい考えだ、それについてもっと考えなければならない。これは醜い考えだ、それを抑えなければならない」。一つの思考と他の思考の間、一つの欲望と他の欲望の間でいつも続いている戦いが、他の快楽の全てを支配している一つの快楽があります。しかし思考の始まりの気づきがあるなら、そのとき思考に矛盾はありません。
> >
> >
> > うーんと、思考の始まる気づきが沈黙の中から出る時、動機はなく、思考は正直な思考です。私は思考に耳を傾け、制御することなど忘れています。
> >
> >
> > >  さて「思考は常に古い」とか「時間は悲しみである」というような陳述を聞くとき、思考はそれを翻訳し始めそれを解釈します。しかしその翻訳と解釈は昨日の知識と経験に基づいており、それゆえ自分の条件付けによっていつも解釈するでしょう。しかしあなたがそれらの陳述を見、それらすべてを解釈せず、ただ完全な注意(集中ではありません)を注ぐだけなら、あなたは観察者も観察されるものも、思考者も思考もないことを見出すでしょう。「どちらが先に始まるか?」と言わないこと。それはどこへも導かない小賢しい議論です。思考がない限り ― それは記憶喪失、空白状態を意味しません ― 記憶や経験や知識、それらは全て過去のものですが、それらから引き出された思考がない限り、思考者は全くないという事を、あなたは自分自身の中で観察できます。これは哲学的なあるいは神秘的なことではありません。私達は実際の事実を取り扱っており、そしてもしこの旅をここまで来たのなら、挑戦に対して古い頭脳ではなく、全く新たに自分が対応するのを、あなたは見るでしょう。
> >
> >
> > 新しい対応はある意味とてつもない変化ですが、ごく普通の気づいている注意深い状態です。
> >
> > > (終わり)
>
>
>  「実際の事実」すなわち「現にあるもの」についての取り扱い。
>
>  過去は、現在(今)は無いという実際の事実。
>
>  心理的思考は過去(記憶・経験記憶)に基づいているので「実際の事実」ではない。
>
>  実際の事実に気づき注意する。


[25983] Re:[25982] [25975] 既知からの自由13−2 投稿者:宮啓 投稿日:2018/10/08(Mon) 20:16  

> > 13章ー2 [物] [思考の始まり]
> >
> >  多くを考える人は非常に即物的です。なぜなら思考は物ですから。思考は床、壁、電話機が物であるのと同様に物です。パターンの中で機能しているエネルギーは物になります。エネルギ−がありそして物があります。それが全ての生の実態です。私達は思考は物ではないと考えるかも知れませんが思考は物です。思考はイデオロギーのように物なのです。エネルギ−があるところではそれは物になります。物とエネルギーは相互に関係しています。一方は他方なしには存在できず、そして両者の間に調和があればあるほど、脳細胞はよりバランスがあり、より活動的です。思考はこの快楽、苦痛、恐怖のパターンを組み立てて、数千年もその中で機能してきました。そして自分がそれを造り出したので、そのパターンを破ることが出来ません。
>
>
> よくわからないのですが「物」という言い方で思考のパターン性を言っています。>思考はこの快楽、苦痛、恐怖のパターンを組み立てて、数千年もその中で機能してきました。そして自分がそれを造り出したので、そのパターンを破ることが出来ません。−− そのようですね。


 「思考は物質である」というクリシュナムルティの陳述に対して、『時間の終焉』の中で、ボームは、それは「思考は物質的過程である」という表現が適切ではないか・・とクリシュナムルティへ提案し、クリシュナムルティがそれを認めています。

 脳の中で、記憶はどのように蓄えられているのでしょうか。NHK『サイエンス ゼロ』にて、一つの神経回路ルートが一つの記憶に対応している旨が、近年、細胞レベル(神経回路レベル)で確認できたとのことです。すなわち、思考は物質だったのです。



> >  新しい事実は思考によって見られることはできません。新しい事実は思考によって、言葉の上で、あとで理解されることはできますが、新しい事実の理解は思考にとっては現実ではありません。思考は決してどんな心理的な問題も解くことができません。どんなに利口でも、どんなに巧妙でも、どんなに博識でも、科学や電子頭脳や強制や必要によって思考がどんな構造を造り出そうとも、思考は決して新しくなく、それゆえ途方もない問いには決して答えられません。古い頭脳は生の巨大な問題を決して解くことは出来ません。
>
>
> ただ人口AIを創り出し、そのスピードの巨大さとビッグデータを取り扱う能力は人間の頭脳のそれを桁違いに上回っています。しかし、人間に肝心なものが欠けている? そこがはっきりしなければなりません。
>
> >  思考は何でも発明することが出来、そこにないものを見ることが出来るので歪んでいます。思考は最も並外れたごまかしを演じることが出来従って思考に頼ることは出来ません。しかし自分がどんなふうに考えるか、なぜ考えるか、自分の使う言葉、日常生活での振舞い方、人々に対する話し方、人々の扱い方、歩き方、食べ方の全構造を理解するなら ― これらのもの全てに気づいているなら、その時あなたの心はあなたを欺かないでしょう。そのとき欺かれるものは何もありません。心はそのとき要求するもの、征服するものではありません。心は途方もなく静かに、柔軟に、敏感に、単独になり、その状態の中には少しの欺瞞もありません。
>
>
> 思考は他人を説得するために嘘をつけます。その想像推理には間違い、または錯覚が非常に多いです。それは人間のよく知っていることです。しかし、それをよく知って見はり、理解するなら思考は人間を欺かないとKが言います。疑ってその言う事を聞きましょう。


 「思考」が欺かないのではなく、「心」が欺かないのではないでしょうか・・。。




> >  あなたが完全な注意の状態にあるとき、観察者、思考者、中心、「私」は終わることに気が付いたことがありますか? 注意のその状態の中で思考は衰え始めます。
>
>
> ああ、そうです。これは自分自身で観察できる事実です。これを人間は自分自身で試して理解しないと前へ進めません。
>
>
> >  物事を非常に明確に見たいなら、自分の心は非常に静かでなければなりません、全ての偏見、饒舌、問答、イメージ、映像なしに ― その全ては見るために片づけられなければなりません。そして思考の始まりを観察できるのは沈黙の中でのみです ― あなたが捜し、問いを尋ね、答えを待っているときではありません。それゆえあなたが完全に静かで、まさに自分の存在を通じて「思考の始まりは何だろうか?」と問うときのみ、あなたはその沈黙の中から、どのように思考が形をとるか見始めるでしょう。
>
>
> また何か、見ることが普通人と異なるような言い方が出てきました。これは全くの真実なのですが、そうではなく、一所懸命見るなら自ずと生じる事柄なのです。
>
>
> >  どのように思考が始まるかの気づきがあるなら、そのとき思考を制御する必要はありません。私達は自分の思考を制御しようとして、学校ばかりでなく、生涯を通じてたくさんの時間を費やし、たくさんのエネルギーを浪費します ― 「これはよい考えだ、それについてもっと考えなければならない。これは醜い考えだ、それを抑えなければならない」。一つの思考と他の思考の間、一つの欲望と他の欲望の間でいつも続いている戦いが、他の快楽の全てを支配している一つの快楽があります。しかし思考の始まりの気づきがあるなら、そのとき思考に矛盾はありません。
>
>
> うーんと、思考の始まる気づきが沈黙の中から出る時、動機はなく、思考は正直な思考です。私は思考に耳を傾け、制御することなど忘れています。
>
>
> >  さて「思考は常に古い」とか「時間は悲しみである」というような陳述を聞くとき、思考はそれを翻訳し始めそれを解釈します。しかしその翻訳と解釈は昨日の知識と経験に基づいており、それゆえ自分の条件付けによっていつも解釈するでしょう。しかしあなたがそれらの陳述を見、それらすべてを解釈せず、ただ完全な注意(集中ではありません)を注ぐだけなら、あなたは観察者も観察されるものも、思考者も思考もないことを見出すでしょう。「どちらが先に始まるか?」と言わないこと。それはどこへも導かない小賢しい議論です。思考がない限り ― それは記憶喪失、空白状態を意味しません ― 記憶や経験や知識、それらは全て過去のものですが、それらから引き出された思考がない限り、思考者は全くないという事を、あなたは自分自身の中で観察できます。これは哲学的なあるいは神秘的なことではありません。私達は実際の事実を取り扱っており、そしてもしこの旅をここまで来たのなら、挑戦に対して古い頭脳ではなく、全く新たに自分が対応するのを、あなたは見るでしょう。
>
>
> 新しい対応はある意味とてつもない変化ですが、ごく普通の気づいている注意深い状態です。
>
> > (終わり)


 「実際の事実」すなわち「現にあるもの」についての取り扱い。

 過去は、現在(今)は無いという実際の事実。

 心理的思考は過去(記憶・経験記憶)に基づいているので「実際の事実」ではない。

 実際の事実に気づき注意する。


[25982] Re:[25975] 既知からの自由13−2 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/08(Mon) 18:39  

> 13章ー2 [物] [思考の始まり]
>
>  多くを考える人は非常に即物的です。なぜなら思考は物ですから。思考は床、壁、電話機が物であるのと同様に物です。パターンの中で機能しているエネルギーは物になります。エネルギ−がありそして物があります。それが全ての生の実態です。私達は思考は物ではないと考えるかも知れませんが思考は物です。思考はイデオロギーのように物なのです。エネルギ−があるところではそれは物になります。物とエネルギーは相互に関係しています。一方は他方なしには存在できず、そして両者の間に調和があればあるほど、脳細胞はよりバランスがあり、より活動的です。思考はこの快楽、苦痛、恐怖のパターンを組み立てて、数千年もその中で機能してきました。そして自分がそれを造り出したので、そのパターンを破ることが出来ません。


よくわからないのですが「物」という言い方で思考のパターン性を言っています。>思考はこの快楽、苦痛、恐怖のパターンを組み立てて、数千年もその中で機能してきました。そして自分がそれを造り出したので、そのパターンを破ることが出来ません。−− そのようですね。


>  新しい事実は思考によって見られることはできません。新しい事実は思考によって、言葉の上で、あとで理解されることはできますが、新しい事実の理解は思考にとっては現実ではありません。思考は決してどんな心理的な問題も解くことができません。どんなに利口でも、どんなに巧妙でも、どんなに博識でも、科学や電子頭脳や強制や必要によって思考がどんな構造を造り出そうとも、思考は決して新しくなく、それゆえ途方もない問いには決して答えられません。古い頭脳は生の巨大な問題を決して解くことは出来ません。


ただ人口AIを創り出し、そのスピードの巨大さとビッグデータを取り扱う能力は人間の頭脳のそれを桁違いに上回っています。しかし、人間に肝心なものが欠けている? そこがはっきりしなければなりません。

>  思考は何でも発明することが出来、そこにないものを見ることが出来るので歪んでいます。思考は最も並外れたごまかしを演じることが出来従って思考に頼ることは出来ません。しかし自分がどんなふうに考えるか、なぜ考えるか、自分の使う言葉、日常生活での振舞い方、人々に対する話し方、人々の扱い方、歩き方、食べ方の全構造を理解するなら ― これらのもの全てに気づいているなら、その時あなたの心はあなたを欺かないでしょう。そのとき欺かれるものは何もありません。心はそのとき要求するもの、征服するものではありません。心は途方もなく静かに、柔軟に、敏感に、単独になり、その状態の中には少しの欺瞞もありません。


思考は他人を説得するために嘘をつけます。その想像推理には間違い、または錯覚が非常に多いです。それは人間のよく知っていることです。しかし、それをよく知って見はり、理解するなら思考は人間を欺かないとKが言います。疑ってその言う事を聞きましょう。


>  あなたが完全な注意の状態にあるとき、観察者、思考者、中心、「私」は終わることに気が付いたことがありますか? 注意のその状態の中で思考は衰え始めます。


ああ、そうです。これは自分自身で観察できる事実です。これを人間は自分自身で試して理解しないと前へ進めません。


>  物事を非常に明確に見たいなら、自分の心は非常に静かでなければなりません、全ての偏見、饒舌、問答、イメージ、映像なしに ― その全ては見るために片づけられなければなりません。そして思考の始まりを観察できるのは沈黙の中でのみです ― あなたが捜し、問いを尋ね、答えを待っているときではありません。それゆえあなたが完全に静かで、まさに自分の存在を通じて「思考の始まりは何だろうか?」と問うときのみ、あなたはその沈黙の中から、どのように思考が形をとるか見始めるでしょう。


また何か、見ることが普通人と異なるような言い方が出てきました。これは全くの真実なのですが、そうではなく、一所懸命見るなら自ずと生じる事柄なのです。


>  どのように思考が始まるかの気づきがあるなら、そのとき思考を制御する必要はありません。私達は自分の思考を制御しようとして、学校ばかりでなく、生涯を通じてたくさんの時間を費やし、たくさんのエネルギーを浪費します ― 「これはよい考えだ、それについてもっと考えなければならない。これは醜い考えだ、それを抑えなければならない」。一つの思考と他の思考の間、一つの欲望と他の欲望の間でいつも続いている戦いが、他の快楽の全てを支配している一つの快楽があります。しかし思考の始まりの気づきがあるなら、そのとき思考に矛盾はありません。


うーんと、思考の始まる気づきが沈黙の中から出る時、動機はなく、思考は正直な思考です。私は思考に耳を傾け、制御することなど忘れています。


>  さて「思考は常に古い」とか「時間は悲しみである」というような陳述を聞くとき、思考はそれを翻訳し始めそれを解釈します。しかしその翻訳と解釈は昨日の知識と経験に基づいており、それゆえ自分の条件付けによっていつも解釈するでしょう。しかしあなたがそれらの陳述を見、それらすべてを解釈せず、ただ完全な注意(集中ではありません)を注ぐだけなら、あなたは観察者も観察されるものも、思考者も思考もないことを見出すでしょう。「どちらが先に始まるか?」と言わないこと。それはどこへも導かない小賢しい議論です。思考がない限り ― それは記憶喪失、空白状態を意味しません ― 記憶や経験や知識、それらは全て過去のものですが、それらから引き出された思考がない限り、思考者は全くないという事を、あなたは自分自身の中で観察できます。これは哲学的なあるいは神秘的なことではありません。私達は実際の事実を取り扱っており、そしてもしこの旅をここまで来たのなら、挑戦に対して古い頭脳ではなく、全く新たに自分が対応するのを、あなたは見るでしょう。


新しい対応はある意味とてつもない変化ですが、ごく普通の気づいている注意深い状態です。

> (終わり)


[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69] [70] [71] [72] [73] [74] [75] [76] [77] [78] [79] [80] [81] [82] [83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90] [91] [92] [93] [94] [95] [96] [97] [98] [99] [100]

処理 記事No 暗証キー
- LightBoard - Modified by isso