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[26277] 老い 投稿者:無明 投稿日:2018/11/28(Wed) 09:30  

老いと向き合うとは結局は死と向き合うことでもある。
身近に、同年代の人がたくさんいるが、死について話題に上がることは、ほとんどない。おそらく考えてもしょうがないことだと思うのではないか。それよりも「楽しい」ことをさがして 余生を暮らすというのがほとんど。
いざ、癌宣告でも受けない限り、人は「死」と向き合おうとしないのではないさろうか。
ようするにそのときになってみなければわからない。


[26276] Re:[26259] [26255] [26254] 無題 投稿者:無明 投稿日:2018/11/25(Sun) 08:44  


> > 話変わりますけど、サイコパスに敵意を抱くのは人間の本能?なんか掲示板でもほとんど誰とも上手くいってないじゃないですか、黄昏さん。実社会ではこういう話せず世間話で上手くやってるんですか?
> > それともシェアインター仲間だけ? いろんな人から感謝されてます。

あとの文章が南方さんの質問に対する黄昏氏のコメントと思われます。
しかし、人の質問に対して、黄昏氏は何で行をかえないのだろうかか?
これでは会話のていをなさない。何でこういった基本的なことができないのだろうか。不思議でならない。しかも答えはいつも単発な短絡的なものばかりで筋違いのことを言う。
人とのコミケーション能力ゼロ。だとすると普段の日常生活でも、そうなのかと疑われることになる。
普通に日常で会話してるのだろうか? という疑問。
ここの掲示板でも、何で普通に会話できないが不思議です。
彼の言うことは全て知識の受け売り。「生活」というものが、全く出てこない。自分の言葉で話そうとはしない。
自分の言葉で話すと言うのは「シェア」の知識なしで話すということです。
しかし最大の疑問は、何でいつまで、ここの掲示板にいるのだろうか?次々ペンネームを変えて。もう、7、8年位いるのではないか。管理人さんが何も言わないことをいいことに。それに何回も出入り禁止。
しかも、よその新しい芽の掲示板、寓さんの掲示板にも入り込み、自分の思いを吐き出し続けた。人とは会話しない。一方的。
そのエネルギーを他へ向けたらいいと言うと思うが。誰も相手にされないなら、ここにいる必要はない。
それともただ自分の思いを発散したいだけのようだ。
だとすれば自分で、サイトやブログ、ツイッターを作って発信すればいいし、ここにいる意味はない。それこそエネルギーの無駄。

追記
この掲示板も、そろそろ終焉を迎えたようです。
これがホントの「自我の終焉」
以前はそれなりに活気がありました。
昔「ガチャピン」というペンネームの方がいました。この人のいうことは、いつも真理をついていて、だいぶ学ばさせていただきました。
寓さんの掲示板も、結構いろんな人がいて、終わって残念です。



[26275] Re:[26274] [26273] [26271] 自我崩壊の危機 投稿者:宮啓 投稿日:2018/11/23(Fri) 09:30  

> >  生存本能に従う行動は「自我の奮闘」すなわち「地獄の壁の装飾」とならずに済むように思うのですが。。
> >
> >  ただ、「ヘルプ」と言いたいが、まだまだ言えない。。等々の人間関係にまつわる事柄において、痩せ我慢等々などで「自我の奮闘」「地獄の壁の装飾」となりうるように思うのですが。。
> >
> >  「全的な否定」において、「全的な否定に含まれない事柄」として、生殖本能、子育て本能、そして生存本能は、種を維持するという合理的機能を有するということと、脳に深く条件づけられているということで、否定する必要がないように感じられます。。
> >
> >  それよりも、深く深く、その生存本能の中に入ってゆくことによって、赤子の気持ち、親を求めてやまないところの気持ち、その生存本能、子育て・子育ち本能をも理解することができるのだろうか。。
> >
> >  これらの本能は、「全的な否定」に含まれない事柄として感じられます。。
>
>
> おっしゃることはよくわかります。しかし人間においてはいつも人間意識と絡むことが起こるので厄介です。社会問題としては常にそうです。
>
>  さて、私は老衰だけでなく、病にかかっている可能性があり、来週には検査するので、またはっきりしたことがお話しできると思います。


 どうぞ、お大事に。。


[26274] Re:[26273] [26271] 自我崩壊の危機 投稿者:ゴト 投稿日:2018/11/23(Fri) 07:30  

> > この頃自分で語るとどうしてもひ弱い肉体と自我を持つ持つ自分という事になってしまうのですが、自我崩壊の危機に対して、いつも精神力が折れないように必死で戦っている気がします。
> >
> > あるがままにこの文明社会の中で老衰を受け入れると、ゴミ屋敷にならないためには掃除し続けなければならないし、自分の世話、つまり食事やトイレや洗面、入浴など、赤ん坊と違って、何とかやるのはのは思ったより大変でっせ!
> >
> > そのときの行動は自我の奮闘そのものみたいなもんです。
> > 子供と言っても定年を過ぎていますが、親のことはまだまた大丈夫としか思っていない。赤ん坊ではないと思っています。
> >
> > 老後の生活をどうするか、この創造的な問題が本人にとっては大変です。これは案外、若い人にはわからない問題だと思います。自分自身がどうなるかわからない。いくらでも物は配達してくれるが、そこから先の労働力が崩壊していきます。民生委員から見ると年に一度顔を合わせればいい、安心出来る老人と思われているようです。
>
>
>
>  生存本能に従う行動は「自我の奮闘」すなわち「地獄の壁の装飾」とならずに済むように思うのですが。。
>
>  ただ、「ヘルプ」と言いたいが、まだまだ言えない。。等々の人間関係にまつわる事柄において、痩せ我慢等々などで「自我の奮闘」「地獄の壁の装飾」となりうるように思うのですが。。
>
>  「全的な否定」において、「全的な否定に含まれない事柄」として、生殖本能、子育て本能、そして生存本能は、種を維持するという合理的機能を有するということと、脳に深く条件づけられているということで、否定する必要がないように感じられます。。
>
>  それよりも、深く深く、その生存本能の中に入ってゆくことによって、赤子の気持ち、親を求めてやまないところの気持ち、その生存本能、子育て・子育ち本能をも理解することができるのだろうか。。
>
>  これらの本能は、「全的な否定」に含まれない事柄として感じられます。。


おっしゃることはよくわかります。しかし人間においてはいつも人間意識と絡むことが起こるので厄介です。社会問題としては常にそうです。

 さて、私は老衰だけでなく、病にかかっている可能性があり、来週には検査するので、またはっきりしたことがお話しできると思います。


[26273] Re:[26271] 自我崩壊の危機 投稿者:宮啓 投稿日:2018/11/21(Wed) 21:08  

> この頃自分で語るとどうしてもひ弱い肉体と自我を持つ持つ自分という事になってしまうのですが、自我崩壊の危機に対して、いつも精神力が折れないように必死で戦っている気がします。
>
> あるがままにこの文明社会の中で老衰を受け入れると、ゴミ屋敷にならないためには掃除し続けなければならないし、自分の世話、つまり食事やトイレや洗面、入浴など、赤ん坊と違って、何とかやるのはのは思ったより大変でっせ!
>
> そのときの行動は自我の奮闘そのものみたいなもんです。
> 子供と言っても定年を過ぎていますが、親のことはまだまた大丈夫としか思っていない。赤ん坊ではないと思っています。
>
> 老後の生活をどうするか、この創造的な問題が本人にとっては大変です。これは案外、若い人にはわからない問題だと思います。自分自身がどうなるかわからない。いくらでも物は配達してくれるが、そこから先の労働力が崩壊していきます。民生委員から見ると年に一度顔を合わせればいい、安心出来る老人と思われているようです。



 生存本能に従う行動は「自我の奮闘」すなわち「地獄の壁の装飾」とならずに済むように思うのですが。。

 ただ、「ヘルプ」と言いたいが、まだまだ言えない。。等々の人間関係にまつわる事柄において、痩せ我慢等々などで「自我の奮闘」「地獄の壁の装飾」となりうるように思うのですが。。

 「全的な否定」において、「全的な否定に含まれない事柄」として、生殖本能、子育て本能、そして生存本能は、種を維持するという合理的機能を有するということと、脳に深く条件づけられているということで、否定する必要がないように感じられます。。

 それよりも、深く深く、その生存本能の中に入ってゆくことによって、赤子の気持ち、親を求めてやまないところの気持ち、その生存本能、子育て・子育ち本能をも理解することができるのだろうか。。

 これらの本能は、「全的な否定」に含まれない事柄として感じられます。。


[26272] お金 投稿者:南方 投稿日:2018/11/21(Wed) 18:07  

お金にそもそも俺のとか私のとかの観念が付随することがおかしい。


[26271] 自我崩壊の危機 投稿者:ゴト 投稿日:2018/11/20(Tue) 19:19  

この頃自分で語るとどうしてもひ弱い肉体と自我を持つ持つ自分という事になってしまうのですが、自我崩壊の危機に対して、いつも精神力が折れないように必死で戦っている気がします。

あるがままにこの文明社会の中で老衰を受け入れると、ゴミ屋敷にならないためには掃除し続けなければならないし、自分の世話、つまり食事やトイレや洗面、入浴など、赤ん坊と違って、何とかやるのはのは思ったより大変でっせ!

そのときの行動は自我の奮闘そのものみたいなもんです。
子供と言っても定年を過ぎていますが、親のことはまだまた大丈夫としか思っていない。赤ん坊ではないと思っています。

老後の生活をどうするか、この創造的な問題が本人にとっては大変です。これは案外、若い人にはわからない問題だと思います。自分自身がどうなるかわからない。いくらでも物は配達してくれるが、そこから先の労働力が崩壊していきます。民生委員から見ると年に一度顔を合わせればいい、安心出来る老人と思われているようです。


[26270] Re:[26269] [26267] [26266] [26265] [26262] ある本を読んでの感想 投稿者:宮啓 投稿日:2018/11/19(Mon) 16:08  

> > > > > この間ちょっと触れた植西 聰 著「怒らないコツ」を読みました。
> > > > > 現代の啓蒙書とはこういうものかとよくわかりました。
> > > > >
> > > > > 怒りが人間関係をいかに損ない、人生を歪めるかが淡々とわかりやすく多くの面から語られています。
> > > > >  そして怒ってしまう事を避けるためのコツも起こる前に十数えるとか、実際に有効性のあることがたくさん挙げられています。
> > > > >  せっかちな気性をゆったりとする肉体関係の実際的知恵、例えば呼吸とか入浴も述べられています。
> > > > >
> > > > >  そのようにして心に余裕を持って生活することなんですが、それには考え方の枠組みを一つに固執せず変えていくこともまた必要です。物事はこうあるべきという「べき思想」、これは持っていると怒りを引き起こすことになるようです。
> > > > >  そして怒りなしに生きることを、実際の在り方を良寛さんの逸話を交えて具体的に示しています。
> > > > >
> > > > >  私は非常に工夫され、問題を深いところまでさらっと、淡々と記述した立派な本だと信じます。
> > > > >
> > > > >
> > > > > さて、ではこの本を読んだ人は怒りがやむでしょうか? これが私の問題です。変わります。変わり得ます。必要なことはすべて述べられています。
> > > > >  人間関係での怒りの影響は、簡潔な記述ですが、私ですら恐怖を感じるくらいですから、怒りをやめようという強い意向を持つはずだと思います。しかし、それからが時間(葛藤)の過程に入るのではないでしょうか。それが私の感じる懸念です。クリシュナムルティは、そこに、真の洞察、直覚的理解の存在を説きます。そう言うと大事になりますが、聞き上手(この本にも出ています)という事はそれと別個のことではありません。
> > > > >  この洞察、直覚的理解の問題が無意識の領域に留まるのでなく意識の領域でその重要性を誰もが理解するようになりたいものです。
> > > >
> > > >
> > > >  この本で述べられていることは、地獄の壁の装飾ではないでしょうか。
> > > >
> > > >  知覚すべきは、その地獄の壁と、装飾行為ではないでしょうか。
> > > >
> > > >  そのような知覚なしには、いかに地獄の壁に富士山を描こうと、どんぐりの背比べではないでしょうか。。
> > > >
> > > >
> > > その後返信の前に羽生弓弦君が公式練習で足をひねったというニュースを見ました。天才は儚い。どうなるか胸がつぶれる思いでした。羽生君は一回手をつきましたが堂々の優勝でした。
> > >
> > > それでこんなことで影響されてますが、あなたの返信にレスしますと、あなたって本当の情熱にめざめているか、燃えているかではないかと感じます。どうかまず聞いている私たちを揺るがしてください。 
> >
> >
> >
> >  「全的な否定」という言葉をクリシュナムルティは用いることがあります。
> >
> >
> >  『ブッダとクリシュナムルティ』p310に「ありのままの否定」の章があります。
>
>
> 『ブッダとクリシュナムルティ』を引っ張り出し、p310を開いてそれ以降を読みました。自分が感じ取って変容しない限り、すべては地獄の装飾です、たとえクリシュナムルティの言葉にしても同じ事です。
>  その変容とは自分自身の姿をあるがままに(既知のものから自由に)見て、自分自身が全的に静まることです。ここに全焦点があり、人がそこを理解して通り抜けなくてはなりません。


 はい。この核心部分を共通理解することができ嬉しく思います。

 「全的否定」と「部分否定」

 「全的否定」に含まれていない事柄。

 否定として「見る」、その「見る」行為。

 これらの全構造を一瞥して「見る」。


 その全構造の理解のためには、一定以上、クリシュナムルティを読み込まないといけないかもしれません。










>  有難うございました。
>
>
> >  これら第2部の各章は、「なぜわたしたちは変われないのか?」の副題のテーマで編集されています。
> >
> >  この章で、クリシュナムルティが陳述していることは、「わたしたちを変化させるものは何なのか?」の問いを受けて、その答えとして「全的な否定」を取り上げています。
> >
> >  この章の文末は以下の陳述で締められています。
> >
> >  「(前略) それが人間が何百万年もしてきたことであり、それを漠然と「進化」と呼んできたのです。愛は時間の果てにあるのではありません。いまあるか、ないか、どちらかです。そして、愛がないときは、この世界は地獄と化し、地獄のなかでいかに改革や変革を成し遂げても、それは同じ地獄の壁を飾り立てることしかできないのです。」
> >
> >
> >  変容を遂げない場合において、それは地獄の壁の装飾行為であることを見ることができるでしょうか。。
> >
> >  それを見て、「全的な否定」でクリシュナムルティが何を言わんとしているかを理解できるでしょうか。。
> >
> >  私の場合、これが変容における大きな鍵のように感じています。。


[26269] Re:[26267] [26266] [26265] [26262] ある本を読んでの感想 投稿者:ゴト 投稿日:2018/11/18(Sun) 22:00  

> > > > この間ちょっと触れた植西 聰 著「怒らないコツ」を読みました。
> > > > 現代の啓蒙書とはこういうものかとよくわかりました。
> > > >
> > > > 怒りが人間関係をいかに損ない、人生を歪めるかが淡々とわかりやすく多くの面から語られています。
> > > >  そして怒ってしまう事を避けるためのコツも起こる前に十数えるとか、実際に有効性のあることがたくさん挙げられています。
> > > >  せっかちな気性をゆったりとする肉体関係の実際的知恵、例えば呼吸とか入浴も述べられています。
> > > >
> > > >  そのようにして心に余裕を持って生活することなんですが、それには考え方の枠組みを一つに固執せず変えていくこともまた必要です。物事はこうあるべきという「べき思想」、これは持っていると怒りを引き起こすことになるようです。
> > > >  そして怒りなしに生きることを、実際の在り方を良寛さんの逸話を交えて具体的に示しています。
> > > >
> > > >  私は非常に工夫され、問題を深いところまでさらっと、淡々と記述した立派な本だと信じます。
> > > >
> > > >
> > > > さて、ではこの本を読んだ人は怒りがやむでしょうか? これが私の問題です。変わります。変わり得ます。必要なことはすべて述べられています。
> > > >  人間関係での怒りの影響は、簡潔な記述ですが、私ですら恐怖を感じるくらいですから、怒りをやめようという強い意向を持つはずだと思います。しかし、それからが時間(葛藤)の過程に入るのではないでしょうか。それが私の感じる懸念です。クリシュナムルティは、そこに、真の洞察、直覚的理解の存在を説きます。そう言うと大事になりますが、聞き上手(この本にも出ています)という事はそれと別個のことではありません。
> > > >  この洞察、直覚的理解の問題が無意識の領域に留まるのでなく意識の領域でその重要性を誰もが理解するようになりたいものです。
> > >
> > >
> > >  この本で述べられていることは、地獄の壁の装飾ではないでしょうか。
> > >
> > >  知覚すべきは、その地獄の壁と、装飾行為ではないでしょうか。
> > >
> > >  そのような知覚なしには、いかに地獄の壁に富士山を描こうと、どんぐりの背比べではないでしょうか。。
> > >
> > >
> > その後返信の前に羽生弓弦君が公式練習で足をひねったというニュースを見ました。天才は儚い。どうなるか胸がつぶれる思いでした。羽生君は一回手をつきましたが堂々の優勝でした。
> >
> > それでこんなことで影響されてますが、あなたの返信にレスしますと、あなたって本当の情熱にめざめているか、燃えているかではないかと感じます。どうかまず聞いている私たちを揺るがしてください。 
>
>
>
>  「全的な否定」という言葉をクリシュナムルティは用いることがあります。
>
>
>  『ブッダとクリシュナムルティ』p310に「ありのままの否定」の章があります。


『ブッダとクリシュナムルティ』を引っ張り出し、p310を開いてそれ以降を読みました。自分が感じ取って変容しない限り、すべては地獄の装飾です、たとえクリシュナムルティの言葉にしても同じ事です。
 その変容とは自分自身の姿をあるがままに(既知のものから自由に)見て、自分自身が全的に静まることです。ここに全焦点があり、人がそこを理解して通り抜けなくてはなりません。
 有難うございました。


>  これら第2部の各章は、「なぜわたしたちは変われないのか?」の副題のテーマで編集されています。
>
>  この章で、クリシュナムルティが陳述していることは、「わたしたちを変化させるものは何なのか?」の問いを受けて、その答えとして「全的な否定」を取り上げています。
>
>  この章の文末は以下の陳述で締められています。
>
>  「(前略) それが人間が何百万年もしてきたことであり、それを漠然と「進化」と呼んできたのです。愛は時間の果てにあるのではありません。いまあるか、ないか、どちらかです。そして、愛がないときは、この世界は地獄と化し、地獄のなかでいかに改革や変革を成し遂げても、それは同じ地獄の壁を飾り立てることしかできないのです。」
>
>
>  変容を遂げない場合において、それは地獄の壁の装飾行為であることを見ることができるでしょうか。。
>
>  それを見て、「全的な否定」でクリシュナムルティが何を言わんとしているかを理解できるでしょうか。。
>
>  私の場合、これが変容における大きな鍵のように感じています。。


[26268] Re:[26263] [26261] 無題 投稿者:明日を暗示する黄昏 投稿日:2018/11/18(Sun) 14:03  

> > 夕日を見ると神様の怒りと許しを感じる。
>
>
> 愛は試されるものなのでしょうか?神の怒りは音楽的、全体的で美しい。あなた自身の怒りは、部分的で醜い。


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