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[25224] Re:[25163] お金がなぜ人格を養うか。 投稿者:blue sky mercy 投稿日:2018/04/17(Tue) 15:49  

> 喧嘩をしないと人間性は深まらないんじゃないでしょうか。企業ってのも喧嘩をさせないシステムに思えます。不生産的な人間を排除してしまうと思うんです。

そうですね。社会は上司にはむかったらやめさせられるケースが多いですね。


[25223] Re:[25222] [25221] [25220] [25219] [25218] [25217] [25216] [25215] [25214] [25213] [25212] [25211] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/04/17(Tue) 13:59  

> > > > >  動物は自己中心的です。人と動物の差異は、動物は自己中心性に対して非難・正当化しない。それに対して、人は自己中心性に対して非難・正当化する。
> > > > >
> > > > >  人は現にあるものに対する非難・正当化によって、真実を歪曲してしまう。この歪曲化によって、混乱と無秩序の更なる増大が生じているように感じます。。
> > > >
> > > >
> > > > 「自己意識」があるのは人間だけだと思います。つまり鏡を見れば自分とわかる。ここが動物の意識と人間の意識の違いです。だから自己中心性は動物にはないのではないか。動物の意識は生存のための意識で、そこに人間のような「自己意識」はないと思います。
> > > >
> > > > この人間の意識は言語を操れる身体とあいまって動物とは違う意識(=精神性)を持つに至り、ここを平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。文明社会を築き上げると同時に種々の問題点を創り出したと言えるのかもしれません。ここを理解し平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。
> > >
> > >
> > >  動物の意識と人間の意識の差異について、ゴトさんと見解の相違があることが分かりました。
> > >
> > >
> > >  私の見解はこうです。
> > >
> > >  動物は自己中心的であると見ます。しかし、ある個体が自己中心的であるという理由で疎外されたり危害を被ることはない。
> > >
> > >  その自己中心性を動物から受け継いだ人間が、その自己中心性に振り回され、これをコントロールできずに、自己中心性に対して暴力と報償で対処しようと試みる哲学が、人類の歴史であるように見えます。
> > >
> > >  よって、自己中心性を有する人間は、「生」の流れの中でそのように仕組まれており、そして「生」の流れの中で、これに対応してゆく。その対応のひとつが覚者の出現ではなかろうか。。
> >
> >
> > 動物は授かった身体の生理的愉楽とその持つ力の原理がすべてがで、それに基づく生を営んでいるのかなと思います。
> >
> > それを人間も本能的に受け継いでいるのはその通りですが、自己中心性は人間におけるように自己と同じような意識を持った他者という意識が明確で、精神的・観念的な意思のぶつかり合いの段階に達するときの意識にあるのではないかと思います。
> >
> > 動物と人間の間に差を置くのは、一つはKが自然界(動物も含まれていると見ています)には秩序があると言っていることです。もう一つは人間の意識が飛躍的発達をして、自他の関係が精神的関係が主要となっており、闘争の場面でなくとも、比較、利己的競争が常態となっているのを見るからです。
> >
> > そこらのことをはっきりと説くのが哲学ではないのかと思っているのですが。
> >
> > つまり原罪というものは人間になってからのことであるかと。そして覚者のしてきたことは人間のなしていることに対し説話的に道を説いてきたのであり、それなりに人間の当時の現実をよく見て説かれているのですが、現実の変貌の速度が近代以降あまりにも早いので、追いつかない何かがあるのではないかと考究しています。
>
>
>
>  NHKの「ダイアモンド博士の”ヒトの秘密”」第10回は、「集団虐殺はなくせるか」というテーマで、3月9日に放映されていました。
>
>  集団虐殺(ジェノサイド)は、ヒトだけではなく、チンパンジー、オオカミ、ハイエナの3種でも見られるとのことです。縄張りと群れをめぐっての争いにおいて、一方の群れが他方の群れを皆殺しにして、その縄張りを奪うのです。
>  その一つの実例として、チンパンジーが長年をかけて相手の縄張りを奪う様が記録されていました。その奪う手法は、相手のチンパンジーを一匹ずつおびき寄せて数頭で襲うのです。これを繰り返して、相手の勢力を弱体化し、年数をかけて相手の縄張りを奪ってしまったのです。
>
>  また、BS11で4月4日に放映された「ディスカバリーチャンネル傑作選〜未知の映像博物館 第1回〜」では、南アフリカにおける雄ライオンの群れ同士の抗争が記録されていました。
>
>  一般的にはライオンの群れは、一頭のボス雄ライオンがハーレムを形成し群れをなしますが、この地では、珍しく雄ライオン同士が5〜6頭で群れをなし縄張りを構えているのです。一般的にはハーレムの外に追い出された雄ライオンは一匹オオカミ的に放浪するのが常ですが、場面が進むにつれて、なぜ群れをなすのかが分かってきます。
>  ここのライオンは一騎打ちではないのです。集団で襲いかかってきます。すなわち、いくら強くても数で負けると勝てないのです。
>  それで雄5頭のある群れにスポットを当てて長期にわたっての記録をとっているのです。生まれたての頃から老齢に至るまでの記録。
>  若くて5頭揃っているときは無敵です。縄張りも広く構え悠々自適。狩りも連携し頭脳プレーでスムーズです。
>
>  しかし、年老いていくにしたがって、力は衰え、群れも二つに割れたころ、別の若い6頭組の群れが侵入してきました。その6頭は相手が単独でいる時を狙って、集団でその一頭を殺害しました。その一頭目は夜間であったので、映像的には暗くてあまり見えませんでしたが、もう一頭の殺害は日中でした。数頭のライオンが一頭のライオンを惨殺する様は残虐以外の言葉はありませんでした。背骨を折られ後ろ足がマヒしているにも関わらず、いたぶるのです。疲れたら休み、休んだらいたぶる・・。放置してもその日のうちに死ぬであろう傷ついたライオンを更に痛めつける。
>
>
>  動物には「自我」が芽生える以前の「自我の根」がないでしょうか。。
>
>
>  ヒトの脳は周辺部を哺乳類脳、その中心部を爬虫類脳という分類のしかたがあります。脳の中心部の層は爬虫類の脳と似たような形をしているのです。また、機能的にも爬虫類のそれと近い機能をしているとのことです。
>
>  その深いところからの「自我の根」があるように感じています。
>
>  自己中心性はこの深いところの根から連なっているように見えるのです。
>
>
>  おわりに、クリシュナムルティの陳述を記します。
>
>  「動物には葛藤がある」。 


私が全然知らなかった、動物の生態についての新しい話をどうもありがとうございました。グループをつくり、グループの利益のために活動するのは自己中心性ではないようにも思いますが、グループの利点という狭い視野で行動するのも視野の狭小ということではおなじかもしれません。

そもそもの「自己中心性」はピアジェの用語で、乳幼児が自分の立場、一つの視点からしか見ることができないこと言うらしいです。私も経験がありますが、母親が他人に子供を預けて外出するのが初めての時は泣いて大変です。だがそれもほんの一時期のことで、子供はすぐにそれを理解します。世界が広がるのですね。

というふうに、世界は成長とともにどんどん広がりますが、傷つくことなしに進むといいですね。あまりにもそれが速く進んでも適応しかねるという事が起こりそうです。その辺のことはいい教科書ができているのでしょうか?保育所から始まる教育課程に理解の目は行き届いているのでしょうか?

教育学というものはどんな活動をしているか全く知らないでいることがわかりました。


[25222] Re:[25221] [25220] [25219] [25218] [25217] [25216] [25215] [25214] [25213] [25212] [25211] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2018/04/16(Mon) 21:03  

> > > >  動物は自己中心的です。人と動物の差異は、動物は自己中心性に対して非難・正当化しない。それに対して、人は自己中心性に対して非難・正当化する。
> > > >
> > > >  人は現にあるものに対する非難・正当化によって、真実を歪曲してしまう。この歪曲化によって、混乱と無秩序の更なる増大が生じているように感じます。。
> > >
> > >
> > > 「自己意識」があるのは人間だけだと思います。つまり鏡を見れば自分とわかる。ここが動物の意識と人間の意識の違いです。だから自己中心性は動物にはないのではないか。動物の意識は生存のための意識で、そこに人間のような「自己意識」はないと思います。
> > >
> > > この人間の意識は言語を操れる身体とあいまって動物とは違う意識(=精神性)を持つに至り、ここを平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。文明社会を築き上げると同時に種々の問題点を創り出したと言えるのかもしれません。ここを理解し平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。
> >
> >
> >  動物の意識と人間の意識の差異について、ゴトさんと見解の相違があることが分かりました。
> >
> >
> >  私の見解はこうです。
> >
> >  動物は自己中心的であると見ます。しかし、ある個体が自己中心的であるという理由で疎外されたり危害を被ることはない。
> >
> >  その自己中心性を動物から受け継いだ人間が、その自己中心性に振り回され、これをコントロールできずに、自己中心性に対して暴力と報償で対処しようと試みる哲学が、人類の歴史であるように見えます。
> >
> >  よって、自己中心性を有する人間は、「生」の流れの中でそのように仕組まれており、そして「生」の流れの中で、これに対応してゆく。その対応のひとつが覚者の出現ではなかろうか。。
>
>
> 動物は授かった身体の生理的愉楽とその持つ力の原理がすべてがで、それに基づく生を営んでいるのかなと思います。
>
> それを人間も本能的に受け継いでいるのはその通りですが、自己中心性は人間におけるように自己と同じような意識を持った他者という意識が明確で、精神的・観念的な意思のぶつかり合いの段階に達するときの意識にあるのではないかと思います。
>
> 動物と人間の間に差を置くのは、一つはKが自然界(動物も含まれていると見ています)には秩序があると言っていることです。もう一つは人間の意識が飛躍的発達をして、自他の関係が精神的関係が主要となっており、闘争の場面でなくとも、比較、利己的競争が常態となっているのを見るからです。
>
> そこらのことをはっきりと説くのが哲学ではないのかと思っているのですが。
>
> つまり原罪というものは人間になってからのことであるかと。そして覚者のしてきたことは人間のなしていることに対し説話的に道を説いてきたのであり、それなりに人間の当時の現実をよく見て説かれているのですが、現実の変貌の速度が近代以降あまりにも早いので、追いつかない何かがあるのではないかと考究しています。



 NHKの「ダイアモンド博士の”ヒトの秘密”」第10回は、「集団虐殺はなくせるか」というテーマで、3月9日に放映されていました。

 集団虐殺(ジェノサイド)は、ヒトだけではなく、チンパンジー、オオカミ、ハイエナの3種でも見られるとのことです。縄張りと群れをめぐっての争いにおいて、一方の群れが他方の群れを皆殺しにして、その縄張りを奪うのです。
 その一つの実例として、チンパンジーが長年をかけて相手の縄張りを奪う様が記録されていました。その奪う手法は、相手のチンパンジーを一匹ずつおびき寄せて数頭で襲うのです。これを繰り返して、相手の勢力を弱体化し、年数をかけて相手の縄張りを奪ってしまったのです。

 また、BS11で4月4日に放映された「ディスカバリーチャンネル傑作選〜未知の映像博物館 第1回〜」では、南アフリカにおける雄ライオンの群れ同士の抗争が記録されていました。

 一般的にはライオンの群れは、一頭のボス雄ライオンがハーレムを形成し群れをなしますが、この地では、珍しく雄ライオン同士が5〜6頭で群れをなし縄張りを構えているのです。一般的にはハーレムの外に追い出された雄ライオンは一匹オオカミ的に放浪するのが常ですが、場面が進むにつれて、なぜ群れをなすのかが分かってきます。
 ここのライオンは一騎打ちではないのです。集団で襲いかかってきます。すなわち、いくら強くても数で負けると勝てないのです。
 それで雄5頭のある群れにスポットを当てて長期にわたっての記録をとっているのです。生まれたての頃から老齢に至るまでの記録。
 若くて5頭揃っているときは無敵です。縄張りも広く構え悠々自適。狩りも連携し頭脳プレーでスムーズです。

 しかし、年老いていくにしたがって、力は衰え、群れも二つに割れたころ、別の若い6頭組の群れが侵入してきました。その6頭は相手が単独でいる時を狙って、集団でその一頭を殺害しました。その一頭目は夜間であったので、映像的には暗くてあまり見えませんでしたが、もう一頭の殺害は日中でした。数頭のライオンが一頭のライオンを惨殺する様は残虐以外の言葉はありませんでした。背骨を折られ後ろ足がマヒしているにも関わらず、いたぶるのです。疲れたら休み、休んだらいたぶる・・。放置してもその日のうちに死ぬであろう傷ついたライオンを更に痛めつける。


 動物には「自我」が芽生える以前の「自我の根」がないでしょうか。。


 ヒトの脳は周辺部を哺乳類脳、その中心部を爬虫類脳という分類のしかたがあります。脳の中心部の層は爬虫類の脳と似たような形をしているのです。また、機能的にも爬虫類のそれと近い機能をしているとのことです。

 その深いところからの「自我の根」があるように感じています。

 自己中心性はこの深いところの根から連なっているように見えるのです。


 おわりに、クリシュナムルティの陳述を記します。

 「動物には葛藤がある」。 


[25221] Re:[25220] [25219] [25218] [25217] [25216] [25215] [25214] [25213] [25212] [25211] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/04/16(Mon) 18:46  

> > >  動物は自己中心的です。人と動物の差異は、動物は自己中心性に対して非難・正当化しない。それに対して、人は自己中心性に対して非難・正当化する。
> > >
> > >  人は現にあるものに対する非難・正当化によって、真実を歪曲してしまう。この歪曲化によって、混乱と無秩序の更なる増大が生じているように感じます。。
> >
> >
> > 「自己意識」があるのは人間だけだと思います。つまり鏡を見れば自分とわかる。ここが動物の意識と人間の意識の違いです。だから自己中心性は動物にはないのではないか。動物の意識は生存のための意識で、そこに人間のような「自己意識」はないと思います。
> >
> > この人間の意識は言語を操れる身体とあいまって動物とは違う意識(=精神性)を持つに至り、ここを平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。文明社会を築き上げると同時に種々の問題点を創り出したと言えるのかもしれません。ここを理解し平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。
>
>
>  動物の意識と人間の意識の差異について、ゴトさんと見解の相違があることが分かりました。
>
>
>  私の見解はこうです。
>
>  動物は自己中心的であると見ます。しかし、ある個体が自己中心的であるという理由で疎外されたり危害を被ることはない。
>
>  その自己中心性を動物から受け継いだ人間が、その自己中心性に振り回され、これをコントロールできずに、自己中心性に対して暴力と報償で対処しようと試みる哲学が、人類の歴史であるように見えます。
>
>  よって、自己中心性を有する人間は、「生」の流れの中でそのように仕組まれており、そして「生」の流れの中で、これに対応してゆく。その対応のひとつが覚者の出現ではなかろうか。。


動物は授かった身体の生理的愉楽とその持つ力の原理がすべてがで、それに基づく生を営んでいるのかなと思います。

それを人間も本能的に受け継いでいるのはその通りですが、自己中心性は人間におけるように自己と同じような意識を持った他者という意識が明確で、精神的・観念的な意思のぶつかり合いの段階に達するときの意識にあるのではないかと思います。

動物と人間の間に差を置くのは、一つはKが自然界(動物も含まれていると見ています)には秩序があると言っていることです。もう一つは人間の意識が飛躍的発達をして、自他の関係が精神的関係が主要となっており、闘争の場面でなくとも、比較、利己的競争が常態となっているのを見るからです。

そこらのことをはっきりと説くのが哲学ではないのかと思っているのですが。

つまり原罪というものは人間になってからのことであるかと。そして覚者のしてきたことは人間のなしていることに対し説話的に道を説いてきたのであり、それなりに人間の当時の現実をよく見て説かれているのですが、現実の変貌の速度が近代以降あまりにも早いので、追いつかない何かがあるのではないかと考究しています。



[25220] Re:[25219] [25218] [25217] [25216] [25215] [25214] [25213] [25212] [25211] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2018/04/15(Sun) 20:05  

> > > どうも所信を述べてくださってありがとうございます。
> > >
> > > 地球外高等生物の話は分かりました。教育については、私はまだそれを受けたい身なので、やはり勉強を続けることしかないようです。
> >
> >
> >  実際に運営されているクリシュナムルティ・スクールの教師たちがゴトさんレベルにクリシュナムルティを理解しているようには思われないのですが・・。
> >
> >  クリシュナムルティを完全に理解したのちに教師の立場が許され、教壇に立つことができるのであれば、クリシュナムルティ・スクールはいつまでたっても立ち上げることはできないのではないでしょうか。
> >
> >  ゴトさんの子や孫は、ゴトさんによる影響によって、一定以上の真理に触れているのではないでしょうか。私の子らも同様に・・。
> >
> >  教育は、そのようにして変容していくのかもしれません。。
>
>
> うーむ、確かに教育者は完成に近い理解の人を要するわけではありませんが、ある程度の理解と、それに教科書が必要です。その教科書ができていないという事が問題です。それが難しい。私はそれが書けるような理解が欲しいです。
>
>
> > > 目下、生と自我に関心があります。そもそもこれらは何なのかと問うと自分の力では満足に答えることができないようです。
> > >
> > > 動物的な生と人間の生の違いは自我の有無にかかっているようにも思いますが、それだと自己中心性がなくなるとき、何が差を創り出すのかとか考えています。
> >
> >
> >  動物は自己中心的です。人と動物の差異は、動物は自己中心性に対して非難・正当化しない。それに対して、人は自己中心性に対して非難・正当化する。
> >
> >  人は現にあるものに対する非難・正当化によって、真実を歪曲してしまう。この歪曲化によって、混乱と無秩序の更なる増大が生じているように感じます。。
>
>
> 「自己意識」があるのは人間だけだと思います。つまり鏡を見れば自分とわかる。ここが動物の意識と人間の意識の違いです。だから自己中心性は動物にはないのではないか。動物の意識は生存のための意識で、そこに人間のような「自己意識」はないと思います。
>
> この人間の意識は言語を操れる身体とあいまって動物とは違う意識(=精神性)を持つに至り、ここを平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。文明社会を築き上げると同時に種々の問題点を創り出したと言えるのかもしれません。ここを理解し平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。


 動物の意識と人間の意識の差異について、ゴトさんと見解の相違があることが分かりました。


 私の見解はこうです。

 動物は自己中心的であると見ます。しかし、ある個体が自己中心的であるという理由で疎外されたり危害を被ることはない。

 その自己中心性を動物から受け継いだ人間が、その自己中心性に振り回され、これをコントロールできずに、自己中心性に対して暴力と報償で対処しようと試みる哲学が、人類の歴史であるように見えます。

 よって、自己中心性を有する人間は、「生」の流れの中でそのように仕組まれており、そして「生」の流れの中で、これに対応してゆく。その対応のひとつが覚者の出現ではなかろうか。。


[25219] Re:[25218] [25217] [25216] [25215] [25214] [25213] [25212] [25211] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/04/14(Sat) 15:49  

> > どうも所信を述べてくださってありがとうございます。
> >
> > 地球外高等生物の話は分かりました。教育については、私はまだそれを受けたい身なので、やはり勉強を続けることしかないようです。
>
>
>  実際に運営されているクリシュナムルティ・スクールの教師たちがゴトさんレベルにクリシュナムルティを理解しているようには思われないのですが・・。
>
>  クリシュナムルティを完全に理解したのちに教師の立場が許され、教壇に立つことができるのであれば、クリシュナムルティ・スクールはいつまでたっても立ち上げることはできないのではないでしょうか。
>
>  ゴトさんの子や孫は、ゴトさんによる影響によって、一定以上の真理に触れているのではないでしょうか。私の子らも同様に・・。
>
>  教育は、そのようにして変容していくのかもしれません。。


うーむ、確かに教育者は完成に近い理解の人を要するわけではありませんが、ある程度の理解と、それに教科書が必要です。その教科書ができていないという事が問題です。それが難しい。私はそれが書けるような理解が欲しいです。


> > 目下、生と自我に関心があります。そもそもこれらは何なのかと問うと自分の力では満足に答えることができないようです。
> >
> > 動物的な生と人間の生の違いは自我の有無にかかっているようにも思いますが、それだと自己中心性がなくなるとき、何が差を創り出すのかとか考えています。
>
>
>  動物は自己中心的です。人と動物の差異は、動物は自己中心性に対して非難・正当化しない。それに対して、人は自己中心性に対して非難・正当化する。
>
>  人は現にあるものに対する非難・正当化によって、真実を歪曲してしまう。この歪曲化によって、混乱と無秩序の更なる増大が生じているように感じます。。


「自己意識」があるのは人間だけだと思います。つまり鏡を見れば自分とわかる。ここが動物の意識と人間の意識の違いです。だから自己中心性は動物にはないのではないか。動物の意識は生存のための意識で、そこに人間のような「自己意識」はないと思います。

この人間の意識は言語を操れる身体とあいまって動物とは違う意識(=精神性)を持つに至り、ここを平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。文明社会を築き上げると同時に種々の問題点を創り出したと言えるのかもしれません。ここを理解し平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。


[25218] Re:[25217] [25216] [25215] [25214] [25213] [25212] [25211] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2018/04/14(Sat) 08:46  

> > > あなたのおっしゃることは論理明快でよくわかりました。
> > >
> > > そうすると、私たちは科学の進歩や社会の進化で、自分自身が自分で滅亡しないように精神も変化していかなければならないわけですね。たとえ僅かづつであるにしても。
> >
> >
> >  はい。
> >
> >  また、言葉を換えると、科学的発展により、知的生命体を有する太陽系外惑星を植民地支配する以前に自滅しなければならないということではないでしょうか・・。生がそのように働きかけるであろう、自然の秩序として。その働きを感じないでしょうか。。
> >
> >
> > > 人は外側の現象を見て騒ぐことはしますが、内部の精神状態に目が向いていることが要点でしょうか。しかし、個別的に人格の向上を目指すというような感じでいいのでしょうか?
> > > ここがいつも私は引っ掛かっているのですが、どうすればいいのかわかりません。
> >
> >
> >  まず以下の二つのことが基本となるように感じます。
> >
> >  その一つは、クリシュナムルティは「自分はインド人ではない(旨)」を述べています。心理的にはどの国籍にも属していないということです。
> >
> >  釈迦の存命中に母国が隣国によって滅ぼされましたが、釈迦がクリシュナムルティと同様にその母国人としてのアイデンティティを有していなかったならば、出身国の滅亡は釈迦を大きく取り乱すほどの出来事ではなかったのではないでしょうか。
> >
> >  これと同様に、地球人類の滅亡も恐竜滅亡と同程度の出来事に感じるのかもしれません。すなわち自身を地球人と自覚することなく、宇宙人類としての自覚が、地球人類の滅亡に際して、これを冷静に見つめることができるように思います。
> >
> >
> >  二つ目は、そのような冷静な目を有しながら、クリシュナムルティは、現実的な取り組みとして、学校を設立したということです。すなわち、教育にメスを入れることに着手したのです。
> >
> >  まず初めに一つだけ着手できるとして、教育以外に優先される事項があるのでしょうか・・。
> >
> >  そして、その着手後に、クリシュナムルティがぼやいたとすれば、それは「教師が足りない・・(旨)」が『クリシュナムルティの生と死』でクリシュナムルティによって述べられています。
> >
> >
> >  以上の二つの基本的事項があるように思います。
> >
> >  これをまとめて言い表すならば、「生の審判に従いつつ、教師を育てる」ということではないでしょうか・・。
> >
> >  もしも、ゴトさんが英語が得意ならば、世界の3ヵ所にあるクリシュナムルティスクールのどこでも教師が務まります。
> >
> >  そのような教師が足りないのです。
> >
> >  そのような教師を育てるということではないでしょうか・・。
>
>
> どうも所信を述べてくださってありがとうございます。
>
> 地球外高等生物の話は分かりました。教育については、私はまだそれを受けたい身なので、やはり勉強を続けることしかないようです。


 実際に運営されているクリシュナムルティ・スクールの教師たちがゴトさんレベルにクリシュナムルティを理解しているようには思われないのですが・・。

 クリシュナムルティを完全に理解したのちに教師の立場が許され、教壇に立つことができるのであれば、クリシュナムルティ・スクールはいつまでたっても立ち上げることはできないのではないでしょうか。

 ゴトさんの子や孫は、ゴトさんによる影響によって、一定以上の真理に触れているのではないでしょうか。私の子らも同様に・・。

 教育は、そのようにして変容していくのかもしれません。。


> 目下、生と自我に関心があります。そもそもこれらは何なのかと問うと自分の力では満足に答えることができないようです。
>
> 動物的な生と人間の生の違いは自我の有無にかかっているようにも思いますが、それだと自己中心性がなくなるとき、何が差を創り出すのかとか考えています。


 動物は自己中心的です。人と動物の差異は、動物は自己中心性に対して非難・正当化しない。それに対して、人は自己中心性に対して非難・正当化する。

 人は現にあるものに対する非難・正当化によって、真実を歪曲してしまう。この歪曲化によって、混乱と無秩序の更なる増大が生じているように感じます。。


[25217] Re:[25216] [25215] [25214] [25213] [25212] [25211] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/04/13(Fri) 19:32  

> > あなたのおっしゃることは論理明快でよくわかりました。
> >
> > そうすると、私たちは科学の進歩や社会の進化で、自分自身が自分で滅亡しないように精神も変化していかなければならないわけですね。たとえ僅かづつであるにしても。
>
>
>  はい。
>
>  また、言葉を換えると、科学的発展により、知的生命体を有する太陽系外惑星を植民地支配する以前に自滅しなければならないということではないでしょうか・・。生がそのように働きかけるであろう、自然の秩序として。その働きを感じないでしょうか。。
>
>
> > 人は外側の現象を見て騒ぐことはしますが、内部の精神状態に目が向いていることが要点でしょうか。しかし、個別的に人格の向上を目指すというような感じでいいのでしょうか?
> > ここがいつも私は引っ掛かっているのですが、どうすればいいのかわかりません。
>
>
>  まず以下の二つのことが基本となるように感じます。
>
>  その一つは、クリシュナムルティは「自分はインド人ではない(旨)」を述べています。心理的にはどの国籍にも属していないということです。
>
>  釈迦の存命中に母国が隣国によって滅ぼされましたが、釈迦がクリシュナムルティと同様にその母国人としてのアイデンティティを有していなかったならば、出身国の滅亡は釈迦を大きく取り乱すほどの出来事ではなかったのではないでしょうか。
>
>  これと同様に、地球人類の滅亡も恐竜滅亡と同程度の出来事に感じるのかもしれません。すなわち自身を地球人と自覚することなく、宇宙人類としての自覚が、地球人類の滅亡に際して、これを冷静に見つめることができるように思います。
>
>
>  二つ目は、そのような冷静な目を有しながら、クリシュナムルティは、現実的な取り組みとして、学校を設立したということです。すなわち、教育にメスを入れることに着手したのです。
>
>  まず初めに一つだけ着手できるとして、教育以外に優先される事項があるのでしょうか・・。
>
>  そして、その着手後に、クリシュナムルティがぼやいたとすれば、それは「教師が足りない・・(旨)」が『クリシュナムルティの生と死』でクリシュナムルティによって述べられています。
>
>
>  以上の二つの基本的事項があるように思います。
>
>  これをまとめて言い表すならば、「生の審判に従いつつ、教師を育てる」ということではないでしょうか・・。
>
>  もしも、ゴトさんが英語が得意ならば、世界の3ヵ所にあるクリシュナムルティスクールのどこでも教師が務まります。
>
>  そのような教師が足りないのです。
>
>  そのような教師を育てるということではないでしょうか・・。


どうも所信を述べてくださってありがとうございます。

地球外高等生物の話は分かりました。教育については、私はまだそれを受けたい身なので、やはり勉強を続けることしかないようです。

目下、生と自我に関心があります。そもそもこれらは何なのかと問うと自分の力では満足に答えることができないようです。

動物的な生と人間の生の違いは自我の有無にかかっているようにも思いますが、それだと自己中心性がなくなるとき、何が差を創り出すのかとか考えています。


[25216] Re:[25215] [25214] [25213] [25212] [25211] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2018/04/13(Fri) 15:28  

> あなたのおっしゃることは論理明快でよくわかりました。
>
> そうすると、私たちは科学の進歩や社会の進化で、自分自身が自分で滅亡しないように精神も変化していかなければならないわけですね。たとえ僅かづつであるにしても。


 はい。

 また、言葉を換えると、科学的発展により、知的生命体を有する太陽系外惑星を植民地支配する以前に自滅しなければならないということではないでしょうか・・。生がそのように働きかけるであろう、自然の秩序として。その働きを感じないでしょうか。。


> 人は外側の現象を見て騒ぐことはしますが、内部の精神状態に目が向いていることが要点でしょうか。しかし、個別的に人格の向上を目指すというような感じでいいのでしょうか?
> ここがいつも私は引っ掛かっているのですが、どうすればいいのかわかりません。


 まず以下の二つのことが基本となるように感じます。

 その一つは、クリシュナムルティは「自分はインド人ではない(旨)」を述べています。心理的にはどの国籍にも属していないということです。

 釈迦の存命中に母国が隣国によって滅ぼされましたが、釈迦がクリシュナムルティと同様にその母国人としてのアイデンティティを有していなかったならば、出身国の滅亡は釈迦を大きく取り乱すほどの出来事ではなかったのではないでしょうか。

 これと同様に、地球人類の滅亡も恐竜滅亡と同程度の出来事に感じるのかもしれません。すなわち自身を地球人と自覚することなく、宇宙人類としての自覚が、地球人類の滅亡に際して、これを冷静に見つめることができるように思います。


 二つ目は、そのような冷静な目を有しながら、クリシュナムルティは、現実的な取り組みとして、学校を設立したということです。すなわち、教育にメスを入れることに着手したのです。

 まず初めに一つだけ着手できるとして、教育以外に優先される事項があるのでしょうか・・。

 そして、その着手後に、クリシュナムルティがぼやいたとすれば、それは「教師が足りない・・(旨)」が『クリシュナムルティの生と死』でクリシュナムルティによって述べられています。


 以上の二つの基本的事項があるように思います。

 これをまとめて言い表すならば、「生の審判に従いつつ、教師を育てる」ということではないでしょうか・・。

 もしも、ゴトさんが英語が得意ならば、世界の3ヵ所にあるクリシュナムルティスクールのどこでも教師が務まります。

 そのような教師が足りないのです。

 そのような教師を育てるということではないでしょうか・・。
 


[25215] Re:[25214] [25213] [25212] [25211] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/04/12(Thu) 21:52  

> > > > 「クリシュナムルティとは誰だったのか」をようやく第7章まで読みました。あと2章です。
> > > >
> > > > 私はKの教えを理解するほかには気を取られなかったのですが、この本はいろいろ問題はあるでしょうが、事実をも伝えてくれているので、いろいろはっきりしてきたことがあります。
> > > >
> > > > 明日には読み終わると思うので、またお話ししましょう。
> > >
> > >
> > >  私も、『クリシュナムルティの生と死』を、まもなく読み終えるところです。
> > >
> > >
> > >  いかなるIQの脳が絶妙な環境で過ごしたら、このような見地を獲得できるのか・・?
> > >
> > >  それは不可能なことのように思えました。パイロットなしに、そのような見地に到達することが如何に困難なことか・・。
> > >
> > >  それでは最初のパイロット(水先案内人)とは、いったい何なのか。。
> > >
> > >  そのような未知の世界に焦点を当てている本が、『クリシュナムルティとは誰だったのか』と『クリシュナムルティの生と死』の、この2冊のように思います。
> > >
> > >  両文献の翻訳者である大野純一氏が『クリシュナムルティの生と死』の翻訳者あとがきにて、示している内容がとても力強い真理を指し示しているように感じています。
> > >
> > >  クリシュナムルティの出現を含めた奇跡の意味を総括しているように感じました。
> >
> >
> > 「クリシュナムルティとは誰だったのか」を訳者のあとがきを含めて読み終わりました。
> >
> > どうやらKは脳に何らかの処理が与えられ、それは後々までプロセスと言われている後遺症を残したというふうに表現される出来事を背負っていたようです。
> >
> > 変容がその種のものであれば、変容した人が一人もいなかったというのも、そういう人が数人出現したら世界を変化させる可能性があるというのもうなずけます。
> >
> > しかしその処理のようなものが倫理的に人間として許容できるかには疑問を感じます。それから、Kの言う、これによって今後人類はコロンブスの味わった苦労なしに大西洋を渡れるように変容をすることになるという言い方には疑問を感じます。
>
>
>  『クリシュナムルティの生と死』で触れられていることは、クリシュナムルティの労苦は仏陀のそれに比べれば取るに足らないようです。「仏陀はそのすべてを経てきた(旨)」がクリシュナムルティによって述べられています。
>
>  従って、各々の覚者の出現は、全くのゼロからのスタートではなく、徐々にスムーズになってゆく流れが、「生」の中に仕組まれているように感じています。
>
>  仏陀 → クリシュナムルティ → 将来の覚者 →
>
>  この流れの中で、コロンブスの喩えがあるのではないでしょうか。。
>
>
> > 私は外部(人類以外・超人類を含む)のエイジェンシーのことを今まで考えたことがありませんが、なるほど、高等な?未知の生物と出会う事を考えると怖いですね。
> >
> > 結局、今どう生きるしかありませんからね。こんなことを考えました。
>
>
>  もしも、地球外知的生命体があったとしても、無しに等しいのではないでしょうか。すなわち、地球人類と接触できる程の科学的発展を遂げる前に自滅する原理が「生」の中で働いていないでしょうか・・。この人類を見れば一目瞭然の「壁」があるのではないでしょうか。
>
>  そして、その裏を返せば、もしも、地球人類に接触するほどの科学的発展を遂げた知的生命体があったとすれば、それは変容を遂げた脳を有する生命体ではないでしょうか。
>
>  それゆえに、そのような未知の世界は恐れるよりも楽しみに感じます・・。


あなたのおっしゃることは論理明快でよくわかりました。

そうすると、私たちは科学の進歩や社会の進化で、自分自身が自分で滅亡しないように精神も変化していかなければならないわけですね。たとえ僅かづつであるにしても。

人は外側の現象を見て騒ぐことはしますが、内部の精神状態に目が向いていることが要点でしょうか。しかし、個別的に人格の向上を目指すというような感じでいいのでしょうか?
ここがいつも私は引っ掛かっているのですが、どうすればいいのかわかりません。


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