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[24672] Re:[24663] [24662] Kの言っていること―あるいは瞑想 投稿者:南方 投稿日:2017/10/14(Sat) 06:34  

> >
> > で、その状態とというのを一つの固定した概念として把握すると、それは偽物となるという事で取り扱いが難しいのです。
>
>
>  はい。それは再び同じ姿で現れない。現れるときは必ず新しい初めての姿で現れる。
>
>
> だがなんとかそれに取り組んでみたいと私は今思っています。このことが既に間違っているかもしれないのですが、誤りと気づけばやめるという事にします。何らかのチャレンジがやってきた!今ここでどうするかという事です。



これまでの話のいきさつから上記のような試みは無意味だと判明しました。




[24671] Re:[24669] [24666] [24665] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/10/13(Fri) 22:07  

> > > 私は{ただ}見るや{ただ}聞くことを目標としない。
> > >
> > > 避難正当化しているのを観ることに焦点を当てている。
> > >
> > > 前者を目標化することは無意味だ。
> > >
> > > と思う。
> >
> >
> >
> > そして{ただ}見るや{ただ}聞くは
> >
> > 避難正当化が止んだ「後」にくるなにかではなく
> >
> >
> > 避難正当化がある「前」にあった、或いはあるものだ。
>
> 非難正当化を見ることに焦点を当てる。これは目標とするのとは違う意味を表現している。
>
> つまり報酬獲得的な意味での目標と違って、異質のエネルギーのがそこにあることです。見る、聴く、あるいは沈黙の中にあるエネルギーとでも言いますか。意志的なエネルギーと異なる。
>
> そのような異質な(異次元的でもよい)性が現れる時、マインドのありようの変化がある。


 はい。

 しばらくすると、それは元に戻っており、再現しようと意図しても、恣意的にはできない。

 恣意的にはできないことを、よく分かっているので求めようとか、目標にしようとはつゆほども思わない。

 それは忘れたころに、ふとやって来るものだから・・。


[24670] Re:[24667] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/13(Fri) 20:54  

> なにがしかの状態を目標化するならオウム真理教となにも変わらない。
>
> ゴト氏も宮啓氏もそれを企んでいるのか?

達成願望的な過程で異なる状態をつかもうとするとき、それは直視することから外れてしまう(幻想に行きついたり)が、ふと(図らずして)自分の姿が見えることがある。気づくことがある。その姿が虚偽のものであるなら捨てられる。


[24669] Re:[24666] [24665] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/13(Fri) 20:29  

> > 私は{ただ}見るや{ただ}聞くことを目標としない。
> >
> > 避難正当化しているのを観ることに焦点を当てている。
> >
> > 前者を目標化することは無意味だ。
> >
> > と思う。
>
>
>
> そして{ただ}見るや{ただ}聞くは
>
> 避難正当化が止んだ「後」にくるなにかではなく
>
>
> 避難正当化がある「前」にあった、或いはあるものだ。

非難正当化を見ることに焦点を当てる。これは目標とするのとは違う意味を表現している。

つまり報酬獲得的な意味での目標と違って、異質のエネルギーのがそこにあることです。見る、聴く、あるいは沈黙の中にあるエネルギーとでも言いますか。意志的なエネルギーと異なる。

そのような異質な(異次元的でもよい)性が現れる時、マインドのありようの変化がある。



[24668] Re:[24665] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/13(Fri) 20:03  

> 私は{ただ}見るや{ただ}聞くことを目標としない。

その通り。目標とするとき、それは得られない。

>
> 避難正当化しているのを観ることに焦点を当てている。
>
> 前者を目標化することは無意味だ。
>
> と思う。

その通り。非難正当化しているのが見える時、こんなことではいけないという非難なしに見えたなら、見たのだ。気づいたともいう。


[24667] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/10/13(Fri) 19:45  

なにがしかの状態を目標化するならオウム真理教となにも変わらない。

ゴト氏も宮啓氏もそれを企んでいるのか?


[24666] Re:[24665] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/10/13(Fri) 18:12  

> 私は{ただ}見るや{ただ}聞くことを目標としない。
>
> 避難正当化しているのを観ることに焦点を当てている。
>
> 前者を目標化することは無意味だ。
>
> と思う。



そして{ただ}見るや{ただ}聞くは

避難正当化が止んだ「後」にくるなにかではなく


避難正当化がある「前」にあった、或いはあるものだ。


[24665] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/10/13(Fri) 17:54  

私は{ただ}見るや{ただ}聞くことを目標としない。

避難正当化しているのを観ることに焦点を当てている。

前者を目標化することは無意味だ。

と思う。


[24664] Re:[24662] Kの言っていること―あるいは瞑想 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/13(Fri) 12:27  

> Kの言っていることは、実は普通のことであり、日常で(時には)無意識的に起きていることであるかもしれません。
>
> しかし、たまたま起きることではなく、それが時には間違えることがあってもやじろべえのように復元するのでなければ基本的に実際にある状態とは言えないでしょう。
>
> で、その状態とというのを一つの固定した概念として把握すると、それは偽物となるという事で取り扱いが難しいのです。だがなんとかそれに取り組んでみたいと私は今思っています。このことが既に間違っているかもしれないのですが、誤りと気づけばやめるという事にします。何らかのチャレンジがやってきた!今ここでどうするかという事です。
>
> チャレンジは、例えば嫌な例の奴が何かぐちゃぐちゃ言い始めたとか、Kの講話が自分の信念に反するようなことを言い始めた、どうもおかしいとか、そんなことで結構です。そこで自分はどう応じるかです。
>
> それに対して私は{ただ}見る、聴く、知覚していると言いました。Kのトークなら1時間も聴かなければならないかもしれませんが。そして{ただ}見るとか聴くという事は簡単には実行できないと言いました。一時間もそうしているなら瞑想と言ってもいいかもしれませんね。しかしそれはそう簡単ではありません。その辺から入っていこうと思います。 続く。

Kの言っていることの内容を歪みなく聞くことは大変です。ゆがみなくストレートに聞くための術(すべ・アート)があり、それが実現していないとKの道に入らないで終わるかもしれません。その術とは私は{ただ}聞くと表現していますが、生は多岐にわたる生きたものなのでいろいろに表現されています。

非難正当化なしに聞く。無選択に聞く。動機、欲望なしに聞く。判断、解釈なしに聞く。知識をわきにおいて、初めて聞くように聞く。等々。このように聞くことが可能でしょうか?、とKは問います。

実際にはかなりの人は自分をふるまいようを観察していないので答えられないでしょうが、ちょっと観察をするとすぐ自分がここに挙げられた様に反応していることがわかるでしょう。つまり、これらの典型的なパターンで反応することなしに、挑戦に直面することはかなり難しいようです。

さて、ここでは何が起こっているか実際に調べてみましょう。例を非難正当化にとって見ましょう。何が起こっているのかはそう簡単ではありません。

まず、実際の行われている現象があるのですが、それに対して正邪、善悪、という概念に従って区別が行われ、理論や行為、時にはそれを行っている人にもその評価により賞罰を与えるというパターンがあり、それによってこそ秩序が保たれるという
社会的通念があります。

それゆえ、関係の中でそれが反応し、情動的性向の強い人は感情を伴って反応が起こります。これは条件付けですが、だからそれから自由であるべきだと言っても何のことかわからないでしょう。社会的秩序の良識に沿っていると多くの人が思っているからです。

さて、私はそこに真正面から取り組んだ議論を知りません。ご存知の方は教えてください。そういう取り組み方は思考のドツボにはまる感じで避けるべきことかどうかも私にはよくわかりません。確かにKの言っていることは思考のスクリーンを介してでなく、つまり思考の投影や介入なしに{ただ}見る聴くという事です。

そこにすいっと入って行くのが一つあり、それが最善の道かもしれません。困難だと言えば見ることに入って行くエネルギーは消えていきます。反応なしに入って行けば行くほど見るエネルギーは高まります。
この岐路の持つ意味は何か、そこに慎重に入ってみたいと思います。 続く。


[24663] Re:[24662] Kの言っていること―あるいは瞑想 投稿者:宮啓 投稿日:2017/10/13(Fri) 10:17  

> Kの言っていることは、実は普通のことであり、日常で(時には)無意識的に起きていることであるかもしれません。
>
> しかし、たまたま起きることではなく、それが時には間違えることがあってもやじろべえのように復元するのでなければ基本的に実際にある状態とは言えないでしょう。
>
> で、その状態とというのを一つの固定した概念として把握すると、それは偽物となるという事で取り扱いが難しいのです。


 はい。それは再び同じ姿で現れない。現れるときは必ず新しい初めての姿で現れる。


だがなんとかそれに取り組んでみたいと私は今思っています。このことが既に間違っているかもしれないのですが、誤りと気づけばやめるという事にします。何らかのチャレンジがやってきた!今ここでどうするかという事です。
>
> チャレンジは、例えば嫌な例の奴が何かぐちゃぐちゃ言い始めたとか、Kの講話が自分の信念に反するようなことを言い始めた、どうもおかしいとか、そんなことで結構です。そこで自分はどう応じるかです。
>
> それに対して私は{ただ}見る、聴く、知覚していると言いました。Kのトークなら1時間も聴かなければならないかもしれませんが。そして{ただ}見るとか聴くという事は簡単には実行できないと言いました。一時間もそうしているなら瞑想と言ってもいいかもしれませんね。しかしそれはそう簡単ではありません。その辺から入っていこうと思います。 続く。


 はい。

 クリシュナムルティのよいところが出ているように思います。

 日常生活で、逆境や不本意なことに遭遇すると、それをチャレンジとして捉える。それゆえに、日常生活と直接的に繋がって理解が進む。瞑想が進む。自己理解が進む。

 これが既成の瞑想との相違と思います。




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