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[26111] 肉体の反応 投稿者:無明 投稿日:2018/10/23(Tue) 11:45  

人間というのは、喜怒哀楽が起きる時、体に反応があらわれます。
喜びや悲しみはもちろん、怒った時、非難した時、如実に体にあらわれる。
人間の体というのは、様々な信号を出す。一番いい例は痛み。体の不調は何らかの症状によって訴えかける。
心もそうです。ショックな出来事があると、体はダメージを起こす。
まさに心身一如。

判断解釈なしに見る聞く知覚する、という大げさな言い方ではなく、その時起きた反応が見るだけでいい。反応を見る。
思考を見るというと、わけがわからなくなる。
思考によって起こした反応を見るということでいいのではないだろうか。わざわざ体が教えているのだから。
非難正当化するとき、肉体に明らかに変化が起こる。
反応というには肉体の反応。それは誰にも起こるもので、即座にわかることです。
思考を見る、思考を観察するというのは土台無理な相談。
座禅を組んで目を瞑る、そこで起きてくる思考を見る。それは可能。
しかし、目を開けて思考を見るなど不可能。
生活即瞑想という言葉は、かっこいいが現実に不可能。
肉体に起きた反応なら誰でも見ることが可能だということです。
ドキドキする。ムッとする。興奮する。あがる。


[26110] Re:[26109] [26108] [26105] [26104] [26103] [26102] [26101] [26100] [26096] [26095] 町を歩いて 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/23(Tue) 09:46  

> > > 「判断解釈なしに見る聞く知覚する」とどうなるか、という期待は捨てて、ただそうである状態の事実が剥き出しになるということでいいですか?つまりただ「判断解釈してない」という事実がある。
> >
> > 今たまたまか、じーっと継続くしてかはともかくとして、ただ「判断解釈してない」で心理的思考を見ているという事実が起こっている。その意味は何かあるかというと、心理的思考の感情面、怒り、苦しみ、嫌な予見などなどが消えているという事です。で、それだけかというとそれがのちにまた思い出されて出て来ない、あるいは出てもそれほどのことががないということです。そしてさらに同種のことが起きてもそれが嫌な出来事しての程度が落ちているという事がわかります。つまりこの種の心理的思考が解消するという事が起こります。
> >
> >
>
> なるほど構造は違えど結果は同じなのですね。私の場合ハートから溢れる愛のエネルギーに満たされ心理的思考が解消されています。
> 心の在り方は主観的なものですから、何もゴトさんのそれに合わせることもなく私のそれが絶対というわけでもない。
> ただお互いに至福を感じている。
>
> > > 心理的思考とは自分を中心にした思考としていいですか?
> > > 私が中心にある場合、正しく美しく考えることも心理的思考になってしまうのでしょうか?
> >
> >
> > 私にとって問題になる思考は嫌な思いのする思考なのですが。
> >
> >
>
> 最近嫌な思考というものがほとんど解消されました。
>
> > > では心理的思考は無くならないけれども、その外側に立つことができるということですか?結局中心の「私」は無くならない?
> >
> >
> > いえ、書くのが遅れましたが、いやな思考が起こるたびに、それを嫌だともだえるのではなく、ただ見ることはその種の心理的思考の言わば癖というか、造られたソフトを一つ一つ消している気がします。一度起きだすと進行は早い気がします。
> >
>
> いつもハートの愛のエネルギーが頭の自我を見守っている。これさえあれば私は生きていける、そう思えます。それが見ると微妙に繋がっている線でしょうか。


いつもハートの愛のエネルギーに見守られている・・・。私はハートの愛のエネルギーという感じはわからないのですが、見ている状態にすこしはいったところにいます。
 大変よい対話をさせていたただいて有難うございました。、


[26109] Re:[26108] [26105] [26104] [26103] [26102] [26101] [26100] [26096] [26095] 町を歩いて 投稿者:南方 投稿日:2018/10/23(Tue) 08:42  

> > 「判断解釈なしに見る聞く知覚する」とどうなるか、という期待は捨てて、ただそうである状態の事実が剥き出しになるということでいいですか?つまりただ「判断解釈してない」という事実がある。
>
> 今たまたまか、じーっと継続くしてかはともかくとして、ただ「判断解釈してない」で心理的思考を見ているという事実が起こっている。その意味は何かあるかというと、心理的思考の感情面、怒り、苦しみ、嫌な予見などなどが消えているという事です。で、それだけかというとそれがのちにまた思い出されて出て来ない、あるいは出てもそれほどのことががないということです。そしてさらに同種のことが起きてもそれが嫌な出来事しての程度が落ちているという事がわかります。つまりこの種の心理的思考が解消するという事が起こります。
>
>

なるほど構造は違えど結果は同じなのですね。私の場合ハートから溢れる愛のエネルギーに満たされ心理的思考が解消されています。
心の在り方は主観的なものですから、何もゴトさんのそれに合わせることもなく私のそれが絶対というわけでもない。
ただお互いに至福を感じている。

> > 心理的思考とは自分を中心にした思考としていいですか?
> > 私が中心にある場合、正しく美しく考えることも心理的思考になってしまうのでしょうか?
>
>
> 私にとって問題になる思考は嫌な思いのする思考なのですが。
>
>

最近嫌な思考というものがほとんど解消されました。

> > では心理的思考は無くならないけれども、その外側に立つことができるということですか?結局中心の「私」は無くならない?
>
>
> いえ、書くのが遅れましたが、いやな思考が起こるたびに、それを嫌だともだえるのではなく、ただ見ることはその種の心理的思考の言わば癖というか、造られたソフトを一つ一つ消している気がします。一度起きだすと進行は早い気がします。
>

いつもハートの愛のエネルギーが頭の自我を見守っている。これさえあれば私は生きていける、そう思えます。それが見ると微妙に繋がっている線でしょうか。





[26108] Re:[26105] [26104] [26103] [26102] [26101] [26100] [26096] [26095] 町を歩いて 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/22(Mon) 23:53  

> 「判断解釈なしに見る聞く知覚する」とどうなるか、という期待は捨てて、ただそうである状態の事実が剥き出しになるということでいいですか?つまりただ「判断解釈してない」という事実がある。

今たまたまか、じーっと継続くしてかはともかくとして、ただ「判断解釈してない」で心理的思考を見ているという事実が起こっている。その意味は何かあるかというと、心理的思考の感情面、怒り、苦しみ、嫌な予見などなどが消えているという事です。で、それだけかというとそれがのちにまた思い出されて出て来ない、あるいは出てもそれほどのことががないということです。そしてさらに同種のことが起きてもそれが嫌な出来事しての程度が落ちているという事がわかります。つまりこの種の心理的思考が解消するという事が起こります。


> 心理的思考とは自分を中心にした思考としていいですか?
> 私が中心にある場合、正しく美しく考えることも心理的思考になってしまうのでしょうか?


私にとって問題になる思考は嫌な思いのする思考なのですが。


> では心理的思考は無くならないけれども、その外側に立つことができるということですか?結局中心の「私」は無くならない?


いえ、書くのが遅れましたが、いやな思考が起こるたびに、それを嫌だともだえるのではなく、ただ見ることはその種の心理的思考の言わば癖というか、造られたソフトを一つ一つ消している気がします。一度起きだすと進行は早い気がします。

レスも遅れたし、私が書き足りなくて少し話がかみ合わなくなったようで、さかのぼってレスしました。ではおやすみなさい。


[26107] Re:[26106] わかりました 投稿者:南方 投稿日:2018/10/22(Mon) 20:00  

> 「判断解釈なしに見る聞く知覚する」というのは
>
> 判断してしまったという主体から抜け出して
> 判断しているなというスタンスに立てればよいということですね。微妙なニュアンスですがこれで伝わるでしょうか?


考えてるのに何故か主体は外にあるような感覚。
これがゴトさんのいうことと合致しているでしょうか?


[26106] わかりました 投稿者:南方 投稿日:2018/10/22(Mon) 19:55  

「判断解釈なしに見る聞く知覚する」というのは

判断してしまったという主体から抜け出して
判断しているなというスタンスに立てればよいということですね。微妙なニュアンスですがこれで伝わるでしょうか?


[26105] Re:[26104] [26103] [26102] [26101] [26100] [26096] [26095] 町を歩いて 投稿者:南方 投稿日:2018/10/22(Mon) 19:46  

> > > > > > > 町を歩いて「判断解釈なしに見る聞く知覚する」を
> > > > > > >
> > > > > > > 試してみましたが、思考が瞬時に反応してしまいました。
> > > > > > >
> > > > > > > 何故その見るができないのか。
> > >
> > >
> > > 心理的思考、あるいは自己中心の活動は、それを遂行するのは優越感を味合ったり快感を得ようとか自分の空虚さを覆い隠そうとかの無意識的動機を有する場合が多いですから、自由に観察するのが難しいのは当然です。
> > >
> > > それで、一つには相手の話を遮らないでよく聞く、ついていくという事が普段からできるように心がけるのは有効です。
> > >
> > > 第二に実は心理的思考が出てくるときは普通その内容に夢中になっていて思考が反応していることに気づきもしません。ここで思考が反応しだしている、何を言うか見てみようと言い、そして見始めることが入り口です。
> > >
> >
> > ここまでは大丈夫です。傾聴しかつ思考を観察する。それはできてます。
>
>
> はい。
>
>
> > > 第三に、思考が出ることには気づくのですが、そこで見れないとか判断してしまい、思考を見始める、聴き始めることをしない場合があります。
> > >
> >
> > 思考を全て見る聴くのですか?それは普段はやってないです。ほとんど無意識的に動いてます。ただ判断があったときに、ああ今判断したなと観察してるくらいです。
>
>
> このあたりから場合場合でいろいろな状況があります。仕事についての話の途中で、もし自分に心理思考が入り気づかなければ話が通じなくなり始めます。それに気づき、自分の都合ばかり考えることからしゃんとした状態に戻って話しできれば、多少の曲折はあってもきちんと話ができるでしょう。これは心理的問題は見事に克服できる場合です。
>
> しかし、自分の心理的問題が根が深い場合はそうはいかず、自分の問題を長く、そのすべてを聴き続けなければ理解できないでしょう。これは仕事の場合などは困ります。結論を出さずに時間を置いたりします。両方がよくできた人であるときは話の中で閃きがあり、突然了解に至ることもあります。
>

「判断解釈なしに見る聞く知覚する」とどうなるか、という期待は捨てて、ただそうである状態の事実が剥き出しになるということでいいですか?つまりただ「判断解釈してない」という事実がある。

心理的思考とは自分を中心にした思考としていいですか?
私が中心にある場合、正しく美しく考えることも心理的思考になってしまうのでしょうか?

> > > 心理的思考をしているのは心理的思考者というか、自己中心というか、その思考を推進しようとしているものですが、そうでなくその思考についていて理解しようとするものが見、聴いているのでないと意味がありません。
> > >
> >
> > それは思考と同一化していない自分ということでいいですか?
>
> そうであるとも言えるのですが、同一化は実際の状態がわかって使われるというより、思考の領域にある観念的呼び名として考えの構築に使われそうで気になります。つまり、心理的思考の領域の外にいる状態、それが理解を生じる力となるのかなと思います。
>
> 思考が瞬時に反応することがわかり、そこで立ち止まるとき、心理的思考の領域の外側に立つ可能性があるという事でしょうか。ここの出入りが要点で、見ている地点に実際に立つことが定位置になることが最初の一歩かもしれません。


では心理的思考は無くならないけれども、その外側に立つことができるということですか?結局中心の「私」は無くならない?


[26104] Re:[26103] [26102] [26101] [26100] [26096] [26095] 町を歩いて 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/22(Mon) 19:01  

> > > > > > 町を歩いて「判断解釈なしに見る聞く知覚する」を
> > > > > >
> > > > > > 試してみましたが、思考が瞬時に反応してしまいました。
> > > > > >
> > > > > > 何故その見るができないのか。
> >
> >
> > 心理的思考、あるいは自己中心の活動は、それを遂行するのは優越感を味合ったり快感を得ようとか自分の空虚さを覆い隠そうとかの無意識的動機を有する場合が多いですから、自由に観察するのが難しいのは当然です。
> >
> > それで、一つには相手の話を遮らないでよく聞く、ついていくという事が普段からできるように心がけるのは有効です。
> >
> > 第二に実は心理的思考が出てくるときは普通その内容に夢中になっていて思考が反応していることに気づきもしません。ここで思考が反応しだしている、何を言うか見てみようと言い、そして見始めることが入り口です。
> >
>
> ここまでは大丈夫です。傾聴しかつ思考を観察する。それはできてます。


はい。


> > 第三に、思考が出ることには気づくのですが、そこで見れないとか判断してしまい、思考を見始める、聴き始めることをしない場合があります。
> >
>
> 思考を全て見る聴くのですか?それは普段はやってないです。ほとんど無意識的に動いてます。ただ判断があったときに、ああ今判断したなと観察してるくらいです。


このあたりから場合場合でいろいろな状況があります。仕事についての話の途中で、もし自分に心理思考が入り気づかなければ話が通じなくなり始めます。それに気づき、自分の都合ばかり考えることからしゃんとした状態に戻って話しできれば、多少の曲折はあってもきちんと話ができるでしょう。これは心理的問題は見事に克服できる場合です。

しかし、自分の心理的問題が根が深い場合はそうはいかず、自分の問題を長く、そのすべてを聴き続けなければ理解できないでしょう。これは仕事の場合などは困ります。結論を出さずに時間を置いたりします。両方がよくできた人であるときは話の中で閃きがあり、突然了解に至ることもあります。

> > 心理的思考をしているのは心理的思考者というか、自己中心というか、その思考を推進しようとしているものですが、そうでなくその思考についていて理解しようとするものが見、聴いているのでないと意味がありません。
> >
>
> それは思考と同一化していない自分ということでいいですか?

そうであるとも言えるのですが、同一化は実際の状態がわかって使われるというより、思考の領域にある観念的呼び名として考えの構築に使われそうで気になります。つまり、心理的思考の領域の外にいる状態、それが理解を生じる力となるのかなと思います。

思考が瞬時に反応することがわかり、そこで立ち止まるとき、心理的思考の領域の外側に立つ可能性があるという事でしょうか。ここの出入りが要点で、見ている地点に実際に立つことが定位置になることが最初の一歩かもしれません。


[26103] Re:[26102] [26101] [26100] [26096] [26095] 町を歩いて 投稿者:南方 投稿日:2018/10/22(Mon) 13:49  

> > > > > 町を歩いて「判断解釈なしに見る聞く知覚する」を
> > > > >
> > > > > 試してみましたが、思考が瞬時に反応してしまいました。
> > > > >
> > > > > 何故その見るができないのか。
>
>
> 心理的思考、あるいは自己中心の活動は、それを遂行するのは優越感を味合ったり快感を得ようとか自分の空虚さを覆い隠そうとかの無意識的動機を有する場合が多いですから、自由に観察するのが難しいのは当然です。
>
> それで、一つには相手の話を遮らないでよく聞く、ついていくという事が普段からできるように心がけるのは有効です。
>
> 第二に実は心理的思考が出てくるときは普通その内容に夢中になっていて思考が反応していることに気づきもしません。ここで思考が反応しだしている、何を言うか見てみようと言い、そして見始めることが入り口です。
>

ここまでは大丈夫です。傾聴しかつ思考を観察する。それはできてます。




> 第三に、思考が出ることには気づくのですが、そこで見れないとか判断してしまい、思考を見始める、聴き始めることをしない場合があります。
>

思考を全て見る聴くのですか?それは普段はやってないです。ほとんど無意識的に動いてます。ただ判断があったときに、ああ今判断したなと観察してるくらいです。

> 心理的思考をしているのは心理的思考者というか、自己中心というか、その思考を推進しようとしているものですが、そうでなくその思考についていて理解しようとするものが見、聴いているのでないと意味がありません。
>

それは思考と同一化していない自分ということでいいですか?






[26102] Re:[26101] [26100] [26096] [26095] 町を歩いて 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/22(Mon) 12:59  

> > > > 町を歩いて「判断解釈なしに見る聞く知覚する」を
> > > >
> > > > 試してみましたが、思考が瞬時に反応してしまいました。
> > > >
> > > > 何故その見るができないのか。


心理的思考、あるいは自己中心の活動は、それを遂行するのは優越感を味合ったり快感を得ようとか自分の空虚さを覆い隠そうとかの無意識的動機を有する場合が多いですから、自由に観察するのが難しいのは当然です。

それで、一つには相手の話を遮らないでよく聞く、ついていくという事が普段からできるように心がけるのは有効です。

第二に実は心理的思考が出てくるときは普通その内容に夢中になっていて思考が反応していることに気づきもしません。ここで思考が反応しだしている、何を言うか見てみようと言い、そして見始めることが入り口です。

第三に、思考が出ることには気づくのですが、そこで見れないとか判断してしまい、思考を見始める、聴き始めることをしない場合があります。

心理的思考をしているのは心理的思考者というか、自己中心というか、その思考を推進しようとしているものですが、そうでなくその思考についていて理解しようとするものが見、聴いているのでないと意味がありません。

それが実現すると何が起こるか。その思いは断続しながら進むのですが、思いが全て述べ切られると終わります。そのときはわかりますし、その思い(コンプレックス?)は終わるようです。それに絡まる問題が解消しているようです。

ここまでにして、南方さんが不明箇所があれば伺って進み方を模索しましょう。



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