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[25996] リアリティ 投稿者:宮啓 投稿日:2018/10/11(Thu) 20:04  

 「現にあるもの」は「リアリティ」の用語でもクリシュナムルティは用いています。

 リアリティのひとつについての陳述を見つけました。

 Timeless Stillness page1 「思考のコントロール」より引用

 参照:http://timelessstillness.web.fc2.com/

思考のコントロール

Q:我々はリアリティーを知るために必要な平静な精神状態をもたらすために思考をコントロールしなければならないと言われてきました。どうやって思考をコントロールするのか語っていただけるでしょうか。
クリシュナムルティ:さて、この質問は思考をどうやってコントロールするかを求めています。まず最初に、思考をコントロールするためには、あなたは思考とは何か、そしてそれをコントロールするのは誰かということを知らなければなりません。それらは二つのの分離したプロセスなのか、それともつながった現象でしょうか。「思考をコントロールしよう」と言う前に理解しなくてはいけないのは思考とは何かということです。そしてコントロールするのは誰かということも知らなくてはいけません。思考なしにコントロールする者がいるでしょうか。あなたが何も考えないとき、思考者がいるでしょうか。思考者は思考なのです。思考は思考者から分離していません。それらは一つのプロセスを構成するものです。

ですから、あるのは思考だけで、それを思考する者はいません。あなたが「わたしは考える」という言葉を使っても、それはただの伝達の形式にすぎません。実際には思考が存在するある状態だけがあります。そして思考はそのとき彼の思考を伝達している思考者を作り上げます。その思考者はただの言語化された思考にすぎません。

だから、我々は思考とは何かをはっきりさせなければなりません。そのときそれはコントロールできるのかできないのか、あなたがなぜそれをコントロールしたいのかわかるでしょう。思考のプロセスを終わらせるための、コントロールによらないまったく別のアプローチがあるかもしれません。なぜならあなたがコントロールを行使するときは、意志的に努力していても、思考を理解してはいないからです。あなたはそのときたんに一つの思考を非難し、他の思考を正当化しているだけです。あなたが正当化するものはとっておきたいもので、非難するものは片づけてしまいたいものです。それでは、我々が思考によって意味しているものをはっきりさせましょう。

思考とは何でしょう。記憶なしに思考はありません。思考は蓄積された経験の結果であり、経験は過去です。過去なしに現在の思考はありえないのではないでしょうか。だから思考は現在の課題への過去(から)の反応です。ということは、思考とは記憶の反応にほかならないということです。しかし記憶とは何でしょう。 想起の連鎖、それは言語化された経験ではないでしょうか。課題があり、それへの反応があります―それが経験です―そしてその経験は言語化されます。その言語化が記憶を作りだします。そしてその記憶の課題への反応が思考でです。ですから思考とは言語化作用のことではないでしょうか。

あなたが言葉を使わずに考えようとしたことがあるかどうか分かりませんが、思考する瞬間、あなたは必ず言葉を使っています。私は言語化のない状態がないと言っているのではありません。我々はそういうことを議論していません。思考は言葉です。言語化なしに、言葉なしには、思考は、我々が知っているような思考は存在しない。だから、我々がその言葉――言語化作用――が思考のプロセスであることを見れば、そのとき問題になるのは思考のコントロールではなく、言語化である思考が止まることです。経験の言語化があるところには必ず思考があります。考えることは言語化することです。

そうすると、我々の問題は思考の制御ではなく、言語化しないこと、あらゆることを言葉に置き換えないことが可能かどうかということになります。なぜ我々は我々の応答や反応を言葉にするのでしょう。なぜそんなことをするのでしょう。一つの明らかな理由はコミュニケートするため、誰かに感情を告げるためです。また、我々は感情を強めるため、それを固定するため、それを見るため、去った感情を思い出すために言語化します。言葉は過ぎ去った感情の代わりになったのです。だから言葉がすべてにおいて重要なものになり、感情や反応や経験は重要でなくなります。言葉が経験することの代わりになります。そうして言葉が思考になり、それは経験することを妨げます。

我々の問題はこうなります。言語化しないこと、名づけないこと、呼び名を与えないことは可能だろうか、と。それは可能であるように見えます。無意識のうちにあなたはたびたびそれをやっています。危機に直面したり、突然難題に出会ったりしたときにはそこに言語化がありません。あなたはそれに全面的に直面します。だからそれができるのです。しかし、言葉が重要でないときというのは思考が重要でないという意味であり、思考が重要でないときというのは、理念が重要でないということです。理念が重要なのは当然だと思っていれば、形が重要になりイデオロギーが重要になります。そして 理念に基づいた革命が重要なものになります。しかし理念に基づいた革命は革命ではありません。それは継続にすぎません。古い理念、昨日の理念が修正されただけの継続です。

それゆえ言葉は、経験することが重要でないとき、経験している意識がないときだけ重要なものになります。経験している意識とは言語化なしに、言葉のスクリーンなしに課題に直面することです。問題と出会うものが記憶であるとき、あなたがその記憶である言葉に命を与えます。なぜなら記憶それ自体は命をもっていないからです。言葉はそれ自体で意味を持っていません。それが活力を、強さを、起動力を満たされるのは過去である記憶が課題に出会うときです。

それゆえ、生きているものの外側で、その死んだもの(言葉)が命を得ます。そしてそれがそれ自身死んでいるもの(記憶)からより多く命を得るほど、思考がすべてにおいて重要になります。思考はそれ自体では意味をもたず、言葉にされた過去との関係のなかでだけ意味をもちます。それは思考をコントロールするという問題ではありません。逆に、コントロールされた精神は真理を受け取ることができません。コントロールされた精神は不安な精神です。抵抗している精神、抑圧されている精神、代用品の精神、そうした精神は恐れています。そしてどうすればその不安な精神を静かにさせることができるでしょう。どうすればその恐れている精神を平静にさせられるでしょう。精神がもう言葉の網に捕らえられていないときだけ、そこに静けさがありうるでしょう。精神がもはや各々の経験を言語化しないとき、経験の中に自然にそれがもたらされるでしょう。

〈経験すること〉があるところ、経験者も経験されるものも存在しません。その〈経験すること〉という状態は常に新しく、常に存在しています。人はその存在と言葉をつかってコミュニケーションできるとしても、言葉はその経験そのものではなく、それが意味するそのものではなく、言葉には内容がないことを知っています。その経験それ自体だけがその内容のすべてです。

そのとき〈経験すること〉は言語化されていません。〈経験すること〉は理解することの最高の形態です。なぜならそれは思考を否定することだからです。この思考の否定形こそ理解の最高の形式です。思考の言語化があるときには、思考の否定はありえません。ですから、これはすでにまったく思考をコントロールするという問題ではなく、思考からの自由という問題です。精神が思考から自由なときにだけ、ありのままのもの、永遠のもの、真実のものが知覚されます。

 − − − 以上引用 − − −


 上記が事実か否か。リアリティか?

 クリシュナムルティが真実か否かは、ただこのような陳述内容の信ぴょう性のみによる。


[25995] わからない 投稿者:南方 投稿日:2018/10/11(Thu) 17:22  

答えがイエスなら疑おうと信じようと完全にドグマに嵌まってる典型です。

答えがノーならもっと創造的な教えがあり、こうもしつこく追及しないだろうに。

わからない。。


[25994] Re:[25993] [25992] [25991] [25990] [25987] [25985] 科学を絶対信じない 投稿者:南方 投稿日:2018/10/11(Thu) 17:18  

> > > > 本当はKは心を整えるためには必要かもしれませんが、それ以上の教えは個人の特性に合わせて個人個人が「見えざる教師」を持つことが理想と言える。
> > >
> > > それが理想かも知れないが、それもよくよく考えてみると何も明確な根拠はないのもしれない。
> >
> > 違いはこうです。
> >
> > 目に見えない教師の言うことが現実として正しいのか確かめるか、目に見える教師の言うことが現実として正しいのかということを確かめるのか。
> >
> > ソクラテスは前者であり、あらゆる宗教哲学科学の盲信者が後者である。
>
> 盲信者であるかないかを看破する根拠は明白でないと思うのです。私は根拠そのものがないと言っているのではありません。相対主義者ではありません。しかし少なくとも今の人間は絶対的な根拠を見失っている。
>



疑問があります。あなたはKの見える聞いた文言に対話しているのですか?
ただ本当にそれだけ?





[25993] Re:[25992] [25991] [25990] [25987] [25985] 科学を絶対信じない 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/11(Thu) 16:43  

> > > 本当はKは心を整えるためには必要かもしれませんが、それ以上の教えは個人の特性に合わせて個人個人が「見えざる教師」を持つことが理想と言える。
> >
> > それが理想かも知れないが、それもよくよく考えてみると何も明確な根拠はないのもしれない。
>
> 違いはこうです。
>
> 目に見えない教師の言うことが現実として正しいのか確かめるか、目に見える教師の言うことが現実として正しいのかということを確かめるのか。
>
> ソクラテスは前者であり、あらゆる宗教哲学科学の盲信者が後者である。

盲信者であるかないかを看破する根拠は明白でないと思うのです。私は根拠そのものがないと言っているのではありません。相対主義者ではありません。しかし少なくとも今の人間は絶対的な根拠を見失っている。

> 後者の行き着く先はドグマにはまると歴史は証明している。前者は自由に生き、迫害に会う。

歴史の証明というのを私は疑って見ることしかできないのだが。


[25992] Re:[25991] [25990] [25987] [25985] 科学を絶対信じない 投稿者:南方 投稿日:2018/10/11(Thu) 13:25  

> > 本当はKは心を整えるためには必要かもしれませんが、それ以上の教えは個人の特性に合わせて個人個人が「見えざる教師」を持つことが理想と言える。
>
> それが理想かも知れないが、それもよくよく考えてみると何も明確な根拠はないのもしれない。

違いはこうです。

目に見えない教師の言うことが現実として正しいのか確かめるか、目に見える教師の言うことが現実として正しいのかということを確かめるのか。

ソクラテスは前者であり、あらゆる宗教哲学科学の盲信者が後者である。

後者の行き着く先はドグマにはまると歴史は証明している。前者は自由に生き、迫害に会う。




[25991] Re:[25990] [25987] [25985] 科学を絶対信じない 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/11(Thu) 11:18  

> 本当はKは心を整えるためには必要かもしれませんが、それ以上の教えは個人の特性に合わせて個人個人が「見えざる教師」を持つことが理想と言える。

それが理想かも知れないが、それもよくよく考えてみると何も明確な根拠はないのかもしれない。私は、Kを通じて(もちろん他を簡単に排除できるほどのうぬぼれも自信も持ち合わせていないが)、ごくごく基礎的な真の根拠を探求している。最初は個人的現世の苦悩の解決を求めていたのですが。。


[25990] Re:[25987] [25985] 科学を絶対信じない 投稿者:南方 投稿日:2018/10/10(Wed) 02:40  

> > 私は科学を絶対信じない。
> >
> > 何故なら統合失調症は治らないと言いきっているから。
> >
> > それには、よくよく考えてみると何も明確な根拠はないのである。
>
> その点については少し長い目で見ればそうかもしれない。結核だって昔は死病だった。しかし、いまはそんなことは誰も思わない。あらゆる病気?が治るようになるかもしれない。
>
> > 故に、私はKのような精神世界の合理主義を信じない。
>
> Kが超常感覚を持たない人が普通に体験できる事実の上に立っていることが精神界の合理主義者という意味であるなら、今の段階ではそれを(合理主義者という言い方はともかく)受け入れます。ただ最後のところでどうなるのかは私にはわかっていないので、この本は読み通すつもりでいます。
>
> > その信望者も信じない。
>
> 承りました。

カバラの歴史上でもカバリストが「肉体を持たない師におしえられた」という発言が波紋を呼び、偏狭な社会から迫害されたということが起こりました。

今の社会はそれよりも偏狭ですから、あえてKはそれらについて言及しなかったのだと思う。

迫害される恐れ、教祖化される恐れ、を考慮に入れて。

本当はKは心を整えるためには必要かもしれませんが、それ以上の教えは個人の特性に合わせて個人個人が「見えざる教師」を持つことが理想と言える。


[25989] Re:[25988] [25986] 机上の空論 投稿者:南方 投稿日:2018/10/10(Wed) 02:33  

> > 精神科に行って現場を目の当たりにすれば
> >
> > いかにあなた方の言ってることが机上の空論かがわかるだろう。
> >
> > 魂や霊、宇宙や神を考慮することなしには患者は救えない。
>
> 医学的症状については入らないことにしています。
> 救うというのは精神的、心理的な問題+環境の社会的問題があるでしょうが、ここではいまは人間社会の精神的、心理的問題の全体を見るという視点で私は読んでいます。


人間社会の精神的、心理的問題は天使や神々とも関わってくるという視座を捨てないようにしてほしいのです。

Kの文言だけでどうこうできる問題ではないのです。




[25988] Re:[25986] 机上の空論 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/10(Wed) 00:45  

> 精神科に行って現場を目の当たりにすれば
>
> いかにあなた方の言ってることが机上の空論かがわかるだろう。
>
> 魂や霊、宇宙や神を考慮することなしには患者は救えない。

医学的症状については入らないことにしています。
救うというのは精神的、心理的な問題+環境の社会的問題があるでしょうが、ここではいまは人間社会の精神的、心理的問題の全体を見るという視点で私は読んでいます。


[25987] Re:[25985] 科学を絶対信じない 投稿者:ゴト 投稿日:2018/10/10(Wed) 00:28  

> 私は科学を絶対信じない。
>
> 何故なら統合失調症は治らないと言いきっているから。
>
> それには、よくよく考えてみると何も明確な根拠はないのである。

その点については少し長い目で見ればそうかもしれない。結核だって昔は死病だった。しかし、いまはそんなことは誰も思わない。あらゆる病気?が治るようになるかもしれない。

> 故に、私はKのような精神世界の合理主義を信じない。

Kが超常感覚を持たない人が普通に体験できる事実の上に立っていることが精神界の合理主義者という意味であるなら、今の段階ではそれを(合理主義者という言い方はともかく)受け入れます。ただ最後のところでどうなるのかは私にはわかっていないので、この本は読み通すつもりでいます。

> その信望者も信じない。

承りました。


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