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[25350] Re:[25349] [25343] [25339] [25337] [25334] 人間の持つ五感 投稿者:宮啓 投稿日:2018/06/04(Mon) 11:57  

> > >  ところで、で人類の課題は戦争をなくすことなのか覚者になることなのかという問いが浮かんできました。これはおかしな問いでしょうか?いや、戦争をやめることは個人ではできず、個々の国家をも超えた人類の問題です。覚者になることは個人的に現れるようです。この違いが妙に引っ掛かります。
> >
> >
> >  二者択一的な問いとして考えてみるということですね。
>
> ああ、そうでしたね、なんかこの質問は変な感じがしていたのですが、二者択一と言っても同じことの両極の選択でなく、異質なものが出てきたという感じなのですね。どうしてなのだろう。
>
> >  一番の理想は、覚者が増えて、自ずと人類が変容し、戦争が止む。これが一番なのですが、それが難しいとして、覚者を増やすことを優先すべきか、戦争を無くすることを優先すべきか・・?
> >
> >  この二つの中から選ぶということですね。
>
> うーん、なんなのだろう。覚者を増やすといってもそれがどういう事かはほとんどの人にとっては観念的ですが、戦争をやめるという事はかなり実際的です。
>
> >  今後、覚者が増えることなく、人類が何百年と科学技術的な発展を遂げた暁には、何が起こるのでしょうか。
> >
> >  ヨーロッパ人が新大陸の先住民を駆逐して、その血の上に国を作ったように、他の知的生命体が住む惑星を、第二のアメリカにすることがないでしょうか。
> >
> >  しかし、時間の存在であり、なりゆく過程にある、自我は、それを受け入れるのではないでしょうか。
> >
> >  中世のヨーロッパ人が、インディアンを虐殺したときに、それをヨーロッパの老若男女が受け入れたように。
> >
> >  生は、それを許すのでしょうか。
> >
> >  この地球において、家畜の解放はいつになるのでしょうか。。
> >
> >  永遠に不可能でしょうか。
>
>
> 戦争は人類社会の創発の例だと思います。創発はウキペディアによると部分の性質の単純な挿話にとどまらない性質が全体として現れることで、局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成されるのだそうです。
>
> 人間は主体性をもって自由に生きることができると私は思っていますし、実際にそうしているといいますが、この複雑な社会は国家レベルでも思ったようにはならないし、世界的には大変な状態です。戦争反対と叫べば止まるというようなものではないです。原発の核のごみの最終処分場でさえ決まらないではないですか、しかし突然何かが起きて、何とかなってしまうかもしれないけれど。
>
> 結局、個人の変容は人類の変容で、それしかないのそれは戦争をやめるという事とは違う何かで、幸福が何かの副産物であるように、戦争がなくなるのも副産物の一つなのかもしれません。


 はい。


 まず、クリシュナムルティ理解に取り組んでいる者たちは、互いに繋がろうとするのではないでしょうか。。

 ここで行われているように。

 今ここで、国内の離れた地域で繋がっているように、国の内外を問わずに広く繋がってゆけるように思います。

 コンピュータによる翻訳によって、世界共通語である英語が身近になっています。

 [25346]で紹介したサイトも、右クリックで出てくる「日本語へ翻訳」で、読むことができました。

 私は国際クリシュナムルティ財団へは、一度しかメールでのやり取りを行ったことがありませんが、コンピュータの翻訳を頼りに、これから世界との連携が為される可能性を感じています。

 身近にクリシュナムルティ理解に取り組んでいる人が、圧倒的に少ない現在では、住んでいる距離には関係なく、どんなに遠くても、言葉が通じなくても、繋がってゆこうとすることでしょう。

 これが恒久平和への動きなのかもしれませんね。。


[25349] Re:[25343] [25339] [25337] [25334] 人間の持つ五感 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/04(Mon) 02:23  

> >  ところで、で人類の課題は戦争をなくすことなのか覚者になることなのかという問いが浮かんできました。これはおかしな問いでしょうか?いや、戦争をやめることは個人ではできず、個々の国家をも超えた人類の問題です。覚者になることは個人的に現れるようです。この違いが妙に引っ掛かります。
>
>
>  二者択一的な問いとして考えてみるということですね。

ああ、そうでしたね、なんかこの質問は変な感じがしていたのですが、二者択一と言っても同じことの両極の選択でなく、異質なものが出てきたという感じなのですね。どうしてなのだろう。

>  一番の理想は、覚者が増えて、自ずと人類が変容し、戦争が止む。これが一番なのですが、それが難しいとして、覚者を増やすことを優先すべきか、戦争を無くすることを優先すべきか・・?
>
>  この二つの中から選ぶということですね。

うーん、なんなのだろう。覚者を増やすといってもそれがどういう事かはほとんどの人にとっては観念的ですが、戦争をやめるという事はかなり実際的です。

>  今後、覚者が増えることなく、人類が何百年と科学技術的な発展を遂げた暁には、何が起こるのでしょうか。
>
>  ヨーロッパ人が新大陸の先住民を駆逐して、その血の上に国を作ったように、他の知的生命体が住む惑星を、第二のアメリカにすることがないでしょうか。
>
>  しかし、時間の存在であり、なりゆく過程にある、自我は、それを受け入れるのではないでしょうか。
>
>  中世のヨーロッパ人が、インディアンを虐殺したときに、それをヨーロッパの老若男女が受け入れたように。
>
>  生は、それを許すのでしょうか。
>
>  この地球において、家畜の解放はいつになるのでしょうか。。
>
>  永遠に不可能でしょうか。


戦争は人類社会の創発の例だと思います。創発はウキペディアによると部分の性質の単純な挿話にとどまらない性質が全体として現れることで、局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成されるのだそうです。

人間は主体性をもって自由に生きることができると私は思っていますし、実際にそうしているといいますが、この複雑な社会は国家レベルでも思ったようにはならないし、世界的には大変な状態です。戦争反対と叫べば止まるというようなものではないです。原発の核のごみの最終処分場でさえ決まらないではないですか、しかし突然何かが起きて、何とかなってしまうかもしれないけれど。

結局、個人の変容は人類の変容で、それしかないのそれは戦争をやめるという事とは違う何かで、幸福が何かの副産物であるように、戦争がなくなるのも副産物の一つなのかもしれません。


[25348] Re:[25342] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/04(Mon) 00:45  

> みんなの前で上司が部下をひどく叱責したりする会社は伸びない。真実とは慈悲を伴う。慈悲なき真実は野蛮。民主主義、科学など表面的には真実とされる形式が旗印になるとき大きな害を及ぼしてきた。あらゆる考えは一理あるがその人によればという相対的条件がつく。真実とは理論や言葉よりその人の生きている全体、動機なども含む。

あらゆる考えは相対性のもとにあるというのも考え方の一つだが、思考、あるいは思想は、相対主義的な考え方をいつか役に立たない考え方の一つとして淘汰することはできないだろうか?


[25347] Re:[25341] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/04(Mon) 00:29  

> たとえば、チビがチビであるのは真実。あからさまにみんなの前でそれを言うのは真実でもよくない。しかも大抵の場合動機にも害意がある。


あなた言う事はその通りなんだが、チビである事は、真実はオーバーで事実ぐらいではどうでしょうか。
 ところでチビと言われて傷つく人もいるが、「そう、チビなんだよな」と一緒にケラケラ笑える人もいる。その人はチビを劣等とは見ていないんだよな。そういう人は比較や優劣という事を越えているのだろうか。


[25346] クリシュナムルティの国際委員会が日本にはない 投稿者:宮啓 投稿日:2018/06/03(Sun) 20:00  

 クリシュナムルティ・オンラインから辿って、「国際委員会」なるものが、世界各地にあることがわかりました。

 韓国やフィリッピンにはあるが、日本にはありません。

 参照:http://www.jkrishnamurti.org/committees


 なぜ、日本にはないのでしょうか。

 総括する適任者を探しているが、まだみつからないのか・・?

 あるいは、禅や仏教関係者との折り合いを見計らっているのでしょうか・・?

 この委員会の活動は、ゴトさんが示していた、世界・社会への働きかけと関連しているのでしょうか。


[25345] クリシュナムルティ・オンラインが変わりました 投稿者:宮啓 投稿日:2018/06/03(Sun) 19:43  

 クリシュナムルティ・オンラインが変わって、日本語字幕のコンテンツが探しにくく、やっと見つけても、字幕がうまく表示されませんでした。

 残念に思っていたところ、ユーチューブでも動画配信していることが分かりました。

 以下のサイトへ移動し、トップ画面の「サブタイトル ビデオ」で英語・フランス語・・・と上から順に並んでいるリストから、下へ辿ってゆくと(「もっと見る」をクリック)、更に下方に「日本語」リストがあります。
 日本語字幕リストからコンテンツを選ぶと、字幕で日本語を選択することができます。

 https://www.youtube.com/kfoundation


 全コンテンツを表示させるには、[動画]画面で、膨大な動画を見ることができます(※日本語字幕はわずか)。


[25344] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/06/03(Sun) 18:46  

インディアンの虐殺は文明化という面を考えると善であった。


[25343] Re:[25339] [25337] [25334] 人間の持つ五感 投稿者:宮啓 投稿日:2018/06/03(Sun) 12:59  

> > > 人間の持つ五感は動物と違ったところがある。例えば、暖寒の感覚も衣服を着て育つことで、そうでない動物とは全く異なる。見る、聞くは見て取り、聴きわける。「空気が読める」である。言語はもちろんのこととして美醜を感じる。音楽を感じる。
> > >
> > > これらは五官そのものでなく、心の働きが付け加わっているのだろうか?
> > >  ある大数学者によると、思索中に妻が入ってきてお茶にしませんかと言った。あまりに集中していたので、それが人語ではなくただの音響として聞こえた。そして妻の声と聞こえ、その言っている意味が分かり、咄嗟に要らないと言おうとしたが疲れていることがわかり、貰おうと答えた。
> > >
> > > 私は自分の経験としてはないが、ただの音響として聞くのはありうると思う。だがそうめったにないのではないだろうか。視覚においては、ただの色彩の氾濫として見えるということはありません。半ノイローゼ気味の時は色付きセロファンの切り抜きのように見えたことがありますが。
> > >  このようなことで、私は単なる感覚として意識することはなく、分別がちゃんとされた像を見ていると思います。
> > >
> > > Kの言う命名なしに見ている、判断なしに見ていることは普通にあると思っています。せせらぎの音を聞いている。花に蝶が舞うのを見ている。分別はすでにあるが、それは命名したり判断したりすることとは別のことだと思います。Kを読んでいるほかの方はどう思うのかな。分別がしかねるような状況にいたらそれは異界にいること。とても平静ではいられません。それが未知の中に、神秘、畏怖の世界にいることで、Kはそのことを言っているとお考えでしょうか?
> >
> >
> >  私は、まだそこまで分かりません。。
>
> レスくださってありがとうございます。
> >
> >
> > > 先に進みます。私は世界が分別されて見えている状態、これが人類の見、聴いている状態で、それは生来的というより、生まれてから母と言語ゲームをやり、徐々に学校、社会とへと場を広げ、経験や知識を持ち、直覚的に働くように発生的に形成された状態であって文明社会と別のものではないと言います。
> > >
> > > 私は世界であり、私(註 人類のこと、6/1 20時追加)の感覚は世界と別ではなしに成長してきた。ひょっとして生の全体性ってこの事?!
> >
> >
> >  動物にとっては、世界とは外界のことではないでしょうか。
> >
> >  爬虫類が見ている外界。哺乳類の小動物が見ている外界。
> >
> >  哺乳類の大型動物が見ている外界。類人猿が見ている外界。
> >
> >  その見ている存在にとっての世界が、そのように見える外界。
>
> はい。その通りだと思います。
> >
> >  さて、人類にとっての外界(世界)とは・・?
> >
> >  動物では、外界がどのように見えるかで、見ている存在は爬虫類である・・等々と、見ている存在の感覚レベルを知ることによって、その存在が類人猿なのか、あるいは小型哺乳類であるかが判別できます。
> >
> >  人類においても、外界がどのように見えるかの感覚レベルを知ることによって、その個体の精神レベルが判別できるのではないでしょか。
>
> まあそうですが、それはどんどん変化します。個体同士の関係から、文明の変化との相互作用があって、それ等は複雑系として常に相互に関係しています。
>
> >  クリシュナムルティは述べています。「精神が聖なるものでなければ、聖なるもの、美・愛・聖を見ることができない」(『神話と伝統を超えてDVDブック 第1巻』より)。
>
> 美を見て美しいと感じる心は美と共鳴するというか、美そのものかもしれませんが、これも発生的に形成されていくものだと思います。それは親や言語や文明・文化、つまり世界と別物ではないと今思っています。
> >
> >
> >  その意味では、覚者であろうと娑婆人であろうと、観察者は観察されるもの(世界)である・・、これが当てはまるのかもしれません。。
>
> はい。まさしく観察者と観察されるものであるかもしれませんね。
>  ところで、で人類の課題は戦争をなくすことなのか覚者になることなのかという問いが浮かんできました。これはおかしな問いでしょうか?いや、戦争をやめることは個人ではできず、個々の国家をも超えた人類の問題です。覚者になることは個人的に現れるようです。この違いが妙に引っ掛かります。


 二者択一的な問いとして考えてみるということですね。

 一番の理想は、覚者が増えて、自ずと人類が変容し、戦争が止む。これが一番なのですが、それが難しいとして、覚者を増やすことを優先すべきか、戦争を無くすることを優先すべきか・・?

 この二つの中から選ぶということですね。

 今後、覚者が増えることなく、人類が何百年と科学技術的な発展を遂げた暁には、何が起こるのでしょうか。

 ヨーロッパ人が新大陸の先住民を駆逐して、その血の上に国を作ったように、他の知的生命体が住む惑星を、第二のアメリカにすることがないでしょうか。

 しかし、時間の存在であり、なりゆく過程にある、自我は、それを受け入れるのではないでしょうか。

 中世のヨーロッパ人が、インディアンを虐殺したときに、それをヨーロッパの老若男女が受け入れたように。

 生は、それを許すのでしょうか。

 この地球において、家畜の解放はいつになるのでしょうか。。

 永遠に不可能でしょうか。


[25342] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/06/03(Sun) 12:13  

みんなの前で上司が部下をひどく叱責したりする会社は伸びない。真実とは慈悲を伴う。慈悲なき真実は野蛮。民主主義、科学など表面的には真実とされる形式が旗印になるとき大きな害を及ぼしてきた。あらゆる考えは一理あるがその人によればという相対的条件がつく。真実とは理論や言葉よりその人の生きている全体、動機なども含む。


[25341] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/06/03(Sun) 11:58  

たとえば、チビがチビであるのは真実。あからさまにみんなの前でそれを言うのは真実でもよくない。しかも大抵の場合動機にも害意がある。


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