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[24904] 消去の過程 その5 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/10(Wed) 21:39  

 この消去の過程の後、以上すべての非本質的なものから手を切った後に何が残るでしょう?お教えしましょう。動揺させられることのない静謐な精神と心、柔軟で、活気に満ち、情熱的な精神と心です。それらすべてを拒否した人の精神と心はバランスがとれ、強く、確信に満ち、恍惚とし、明晰で純粋で、決然としているのです。
 そしてあなた方がその状態に至ると、永遠なるものの衣を纏うことができるのです−−それに至る以前にではなく。もしあなた方の精神と心の中に少しでも腐敗因子があれば、あなた方は腐敗を免れることはできません。
 さらに人間は、自由であるがゆえに、進んでみずからに制限を加える[訳注:好き勝手なことをしたり、放縦になることをみずからに許さない]のです。すなわち、人間は、彼を導くいかなる外部の権威も持たず、いかなる神の支配も受けないがゆえに、まさに自由に自分の望みどおりにするのです。彼は元来自由なのですが、みずからに制限を加えることによってみずからを自由にすべく努めていくのです。自由であるがゆえに(非本質的なものを)拒絶し、そのようにしてみずからを制限することによって、自由へと成長していくのです。あなた方は自由ではないでしょうか?まさに自分の望みどおりのことをしています。誰もあなた方を導いておらず、何が正しく何が間違っているかを誰もあなた方に教えてはいません。あなた方は、自分がすべき行為の選択、自分が感じるべき感情の選択、自分が考えるべき思考の選択においてまったく自由なのです。あなた方はまさに自由であるがゆえに、制限されるのです。たとえあなた方を導き、監督し、支配している超人的存在がおり、その存在は自由だとしても、あなた方自身はなお制限され、自由ではないのです。まさにあなた方は自由に自己選択できるがゆえに、あなた方の選択は制限され、それゆえあなた方の願望、思考は制限されるのです。自由であるがゆえにみずからに制限を加えるのです。獲得し、しかる後に放棄し、集め、しかる後に捨てることによって、あなた方は自分が意識するしないにかかわらずその部分になっているあの(本然の)<生>に他ならない自由に向かって成長するのです。自由であるがゆえに、あなた方は願望によって経験を蓄えるのです。願望は経験を求めます。経験はそのはけ口なのです。そして経験によってあなた方はあの状態−−すべての経験を味わい、あらゆる願望を持ったがゆえに至る、それらを越えたあの状態−−へと成長していくのです。
 あなた方が「私」の本質、その純粋さ、その力を知らないかぎり、「私」に対して鈍感なのです。あの輝ける「私」を発見し、あの静謐、あの乱しがたい状態、あの力と確信を備えるためには、以上述べたような消去の過程を経なければなりません。もし「私」が腐敗を免れ、完全に至るべきなら、それは徹底的に不完全さを免れなければなりません。なぜなら、完成はすべての不完全を拒むからです。消去、拒否、放棄−−あるいは、これらに相当するあなた方のお気に入りのもの−−の過程によって、あなた方は「私」が静謐で、明晰で、純粋で、決然とし、エネルギッシュで情熱的な状態にある、そういう精神と心の状態に至らねばなりません。で、あなた方がその状態に至る時、あなた方は「私」を教育し始めることができます。精神と心を永遠なるものの見地で陶冶するためには、すべての非本質的なものを取り除かねばならないのです。別の機会に言いましたように、非本質的なものは恐怖によって引き起こされるので、それらを取り除くことによって、あなた方は永遠なるもの、永続的なるもの、すなわち「私」に至るのです。それは、あなた方が世界を離れ、修道院に籠もり、あるいは出家しなければならないという意味ではなく、「私」の表現であるこの世界に住みながら、「私」の本性を理解しなければならないということです。そしてこの「私」を発見するためには、(非本質的な)あらゆるものを剥ぎ取らねばならないのです。それが唯一の直進路なのです。

 − − − 以上引用 − − −

 つづく


[24903] 消去の過程 その4 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/10(Wed) 21:37  

 さらにあなた方は慣習、隣人たちが言うことへの恐れから自由でなければなりません。が、これはかなり困難です−−神々への恐れから自由になることよりもずっと困難なのです。慣習は弱虫たちのために作り上げられるのであり、弱虫は慣習によって作り上げられるのです。が、慣習への恐れからの自由は放縦を意味するわけではありません。慣習は、弱い人を力づくで道を外させないようにしておくために作り上げられます。が、もしあなた方が慣習への恐れから自由なら、それは自分が正しい行為をするよう、より厳しい要求を自分自身にすることを意味しているのです。あなた方は皆、殺人を犯そうと望んでいる一般人から慣習の束縛を取り除いたらどうなるか、心配しています。それは、誰の心にもすぐに浮かぶ問いです。心配無用です。彼を生み出し、彼の弱さ、彼の願望を生み出したのはあなた方なのです。なぜなら、あなた方自身が恐れていたからです。ですからあなた方が変わり、隣人たちが言うこと、家族が考えていること、社会が考えていることへの慣習的な恐れ、グルへの恐れといった、すべての無数の幼稚な恐れから自由にならなければならないのです。
 それからあなた方は喪失と獲得−−金銭的、物質的、感情的、精神的喪失と獲得−−への恐れから自由にならなければなりません。あなた方は自分自身に対する責任があります。これは、変わりやすいあらゆるものに言えるということにどうか注意してください。お金、力、愛といった無数のものには喪失と獲得両方の可能性があるのです。よくよく考えてみれば、おわかりになるでしょう。
 再び、生と死への恐怖から自由でなければなりません。<生>には生も死もありません。それは連続的過程であり、けっしてやむことなく、常に変化していくのです。<生>の中には、ある瞬間に誕生が、そして他の瞬間に死があるということはありえません。変わるのは身体的表現だけです。で、あなた方は皆生よりも死の方をより多く追い求めており、生において何が起こるかよりは死後何が起こるかにより多く関心があるのです。なぜなら、あなた方には生と死、すなわち誕生と死があるからです。昼と夜、光と闇があるように、誕生と死があるのです。あなた方はそれについての恐れから自由にならなければなりません。もしあなた方が自分自身の純粋さを発見し、自分自身の基準を立てることを願うのであれば、そうした恐れから自由にならなければならないのです。
 次に、孤独への恐れや仲間欲しさに駆られてはなりません。あなた方は独りぼっちでいることを恐れ、単独であることができません。誰か頼れる人がいてくれることを望み、励まされ、叱咤され、あるいは「よくやった」とほめてくれる人を欲しています。ちやほやされ、お世辞を言われたいのです。あなた方の全宗教はまさに賞罰に訴え、寄り添って、孤独をまぎらわしてもらいたがる心性につけ込むのです。火なしには純金を生み出すことはできませんが、ちょうどそのように、逆境なしには強い人間を生み出すことはできません。理解するためには泣き笑いしなければならないかもしれませんが、しかし<生>には笑いも涙もありません。あなた方は孤独や仲間付き合いに無頓着にして、単独でなければなりません。なぜなら、もしあなた方が<生>を愛すれば、孤独を恐れたり仲間欲しさに駆られたりしなくなるからです。それは”ただある”のです。
 さらにあなた方は、不確かさへの恐れから自由にならなければなりません。ここに聞きに来られた方々およびキャンプに滞在している方々の大半は不確かです。ある基準が掲げられていたのですが、それが崩されてしまったので、今や不確かになっているのです。あなた方は皆、問題を解決し、どうすればいいか教えてくれる指導者が欲しいのです。が、指導者たちが問題を解決してくれるわけではないのです。なぜなら、ここで話しているような種類の問題においては指導者も子供もないからです。あなた方が自分自身で問題を解決し、一定のことが疑う余地もなく正しいとみずから確信すれば、まさにそのような確信があなた方を不確かさへの恐れから自由にするのです。


 ですからあなた方はあらゆるものを疑い、まさにその懐疑の炎の中で確信を得るようにしなければならないのです。ものごとにうんざりしている時、不幸な時に疑ってはだめです。それなら誰にでもできます。あなたが恍惚に浸っている瞬間にのみ疑わなければなりません。なぜならその時、それでもなお残るものが真実か虚偽かを見出すことができるからです。
 再び、あなた方は権威から−−私の権威だけでなく、他のあらゆる権威から−−自由にならなければなりません。「私たちは、何世紀も前から今まで、これこれのことをするようにと言われてきました」とあなた方は言うかもしれませんが、それではだめです。あなた方は、誰かに言い聞かされる子供ではないのですから。霊的・宗教的なことがらにおいては、権威というものは一瞬たりとも通用しないのです。重要なのはあなた方の個人的体験であって、権威ではないのです。あなた方は、世界中のあらゆる宗教の中で、あなた方自身の理解によってのみ、あらゆる虚偽を拒絶することによってのみ真実を見出すと、繰り返し言われてきたにもかかわらず、なおも権威に従うのです。なぜなら、その方がずっと楽だからです。権威への恐れから自由になりなさい。それは木のように切り倒し、完全に崩すことができるのです。
 それからあなた方は、身体的、感情的、精神的慰藉への願望から自由にならなければなりません。慰藉は避難場への願望を生み出し、避難場は神の形をとって現われ、そしてその神は神殿、教会または寺院に祀られるのです。その神は恐怖から生まれるのです。ですから、身体的、感情的、精神的慰藉あるいは鼓舞から自由になりなさい。私が提供しているのは冷淡な哲学ではありません。私は<生>について話しているのであって、それは熱くも冷たくもなく、哲学でもなければ学説でもないのです。
 さらにあなた方は愛着や憎しみから自由でなければなりません。すなわち、自分が好かれているかいないかへのこだわりから自由であり、また自分が憎まれているかいないかに無頓着でなければならないのです。あなた方自身の行為は、愛憎からではなく、あなた方自身の固有の願いから生まれなければならないのです。どうかこれについて熟考していただきたい。愛着や憎しみを介在させてあなた方の判断を歪めさせてはならないのです。もしあなた方が、誰か特定の人への愛着ゆえに一定のことをしたり、一定の仕方で変わるのなら、それは本当の愛でもなければ、行為への本当の理由でもないのです。行為は無私なる動機から起こるべきです。なぜ私がこういったすべてをしていると思いますか?あなた方全員が私を好きだからですか?私がこうしているのは、それが正しいと思うからであり、他の誰かのせいではありません。私がこうしているのは、あの不変不易の<生>、終わりも誕生も死も持たず、いかなる恐怖の獄舎にも縛られていないあの<生>と和合しているからです。が、これはあなた方がお互いに愛し合ってはならないという意味ではありません。
 さらに、自分自身を表現しそこなうことへの恐れがあります。が、もしありのままの自分のことを知らなかったら、いかにして自分自身を表現することができるでしょう?ありのままの自分を見出すためには、以上述べたようなすべてのものから自由にならなければなりません。
 願望にまつわる恐れ、野心、嫉妬、羨望、競争にまつわる恐れ、さらに苦痛や悲しみへの恐れ−−最後に残る永遠なるものを発見するためには、あなた方はこれらすべてから自由でなければならないのです。自分が自由であると想像し、その自由を身体的表現に移してごらんなさい。もしあなた方が世界を変えるつもりなら、そのいずれかの部分に属することはできないのです。
 少しだけ変えても無駄です。完全な断絶がなければなりません−−それが前進するための唯一の道なのです。

 − − − 以上引用 − − −

 つづく


[24902] 消去の過程 その3 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/10(Wed) 21:36  

『白い炎』p99 より引用 (コスモス・ライブラリー 発行 大野純一 編訳)

 <以下は、1929年にオランダにある「星の教団」の拠点アイルダー城で、団員に向かっていかにして理解力を働かせ、真理の実現にとって不要なものを消去したらいいかを説いたトークである>

 「消去の過程」の章 <消去の過程>

 正しい価値、正しい基準を見出すためには、消去の過程を経なければなりません。が、それは単に知的または感情的にそうすれば済む問題ではありません。消去し、片付けたら、それは具体的な結果として現れなければならないのです。ここで注意すべきことは、真に理解する人にとっては、放棄とか自己犠牲はないということです。いかにしてありうるでしょう?自分に押しつけられたすべてのもの、自分が身に付けてきたすべてのものを片付け、何が自分の全存在の本質的核心なのかを見出すこと。そのように片付けることは放棄ではなく、"浄化"なのです。
 すべての外面的なものからの自由を持ち、自分の真の本質を発見するためには、恐怖から自由でなければなりません。
 まず第一に、救いにまつわる恐怖から。なぜなら、あなた方自身以外の誰もあなた方を救うことができないからです。いかなる教会を建てようと、いかなる神々や神像を崇めようと、いかなる祈りや崇拝や儀式をおこなおうと、それによってあなた方はあの内なる理解と静謐さを与えられはしないのです。どうか私が掛け値なしにこう申し上げているということをご理解いただきたい。後で、「あの人が言いたいことは違うことなのだ」と言わないようにしてください。強い人間、腐敗しない人間、明晰なビジョンを持ち、明晰な理解を持った世代をこの世界に生み出すこと−−それが私の関心なのです。
 次にあなた方は古代および現代の神々から自由にならなければなりません。あなた方はどうされようとしているのですか?自由になろうとしていますか、それとも弱い子供のように、導かれ、助けの手を差し伸べてもらおうとしているのですか?結局、人はたくましく成長し、すべての神々から自由にならなければなりません。なぜなら、"彼自身が潜在的に神的な存在だからです"。彼は唯一の神であり、他のいかなる神もいないのです。ですから、なんの価値もない外部のものをなぜ崇めるのですか?奇妙にも、あなた方は常に神々を崇めていますが、けっして野良仕事をしている人、あなた方自身、労働者を崇めようとはしません。あなた方が崇め奉る神とは誰なのですか?どうやって隣人と仲良く暮らしたらいいかも知らないのに、ずっと遠くにいる神様を崇めているのです!
 次にあなた方は、伝統的な正邪の観念から自由にならなければなりません。あなた方は今何をしているでしょう?古い信念、伝統、恐怖、神々、マスター、神、人類が至らなければならない何かについてなのです。しかるにあなた方は中間的な段階のものを崇めており、それはなんの価値もないのです。もし世界を変えたければ、−−それを覆っている影を払い、健全で、純粋で、強固なものにしたければ、−−あなた方自身が強くなり、そういったすべてへの恐れから自由にならなければなりません。それこそは私があなた方に望んでいることです。あなた方は偽りの、非本質的なもの、迷信や混乱をもたらすものを打破しなければなりません。で、そうするためには、あなた方自身が恐怖の魔手に捕らえられてはならないのです。
 さらにあなた方は、罰への恐れと報いの誘惑から自由でなければなりません。あなた方の多くがなぜここにおられるのか、私にはわかりません。私に聞くことによって何か特別の報い、特別の天国を手に入れられるとでも思っておられるのですか?それとも、聞かなければ罰を受けるとでも思っておられるのですか?あなた方は自分自身の本質によって報われ、自分自身の思考によって罰せられるのであって、他の誰もあなた方を妨げたり、罰や報いをあなたに与えたりはできないのです。ですからあなた方は、世界中に存在しているあの脅しから自由でなければなりません。「正しいことをすれば報われるであろう。悪いことをすれば罰せられるであろう」。あなた方はヒンドゥー教やキリスト教の伝統的な天国と地獄は片付けたかもしれませんが、しかしそれらに劣らず災いの元で、非現実的で、偽りの、別のそれらを考え出してきたのです。もしあなた方が自分自身の清浄さ、自分自身の理解、自分自身の力を発見したければ、賞罰の観念から自由にならなければなりません。

 − − − 以上引用 − − −

 つづく


[24901] 消去の過程 その2 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/10(Wed) 21:34  

(後略)これより先、「消去の過程」の実践的説明が述べられています。


 私は、あの<生>−−万人の<生>、変化するがにもかかわらず不変不易のあの<生>−−について話しているのです。なぜなら、不完全が個人性を生み出すからです。そして自由に他ならないあの完成は、あらゆる人間の開花なのです。相対的で制限されたものではなく、絶対的な<生>あるいは真理に他ならない完成を遂げるには、その前にそれに至るいかなる道もないことを悟らなければなりません。真理に至るいかなる道もないのです。それは道なき領域なのです。大洋はすべての道を受け入れます。ある川はある国を通り、他の川は他の国を通り、異なった気候にさらされ、異なった樹木、民族、人種を養い、あるいは砂漠地帯を通過するかもしれません。けれども、それらはすべて同じ海へと向かいます。ちょうどその道なき海のように、この真理には道がないのです。
 <生>は自由であり、無条件であり、制約できず、そしてそれに至るためには、あなた方は束縛され、制限されたいかなる道をたどってもならないのです。なぜなら、真理は全体であって部分ではないからです。むらのある、中途半端に発達した知性と感情でそれに至ることはできません。なぜなら、真理は完璧な調和、精神と心の完璧な均衡、つまりは<生>だからです。あらゆる男性、あらゆる女性、この世のあらゆるものは、悲しみ、苦痛あるいは恍惚を味わいつつ、すべての生の完成・成就であり、けっして乱されることのないこの自由を求めてもがき、苦闘しているのです。
 あなた方は自由でなければなりません。いかなる神、いかなる宗教、いかなる宗派にも縛られてはなりません。過去または現在のいかなる権威にもへつらってはなりません。なぜなら、すべての権威は非生産的だからです。
 もしあなた方の精神と心が崇拝、祈り、恐怖、不安によって抑制されていれば、その時にはあなた方の観念は完成であるところのあの永遠なるもの、あの不滅なるものに根ざすことはできません。ですから、そういったすべてのものにとらわれないようにしてください。どうか私が言っていることを持ち帰って、「あの人は違うことを言いたいのだ。彼は私たちがこの特定の教会、またはあの特定の宗教、または他の特定のことのためにわれわれが働くように言っているのだ」と言わないようにしてください。それは、あなた方が真理を見出すことができないがゆえの言い訳なのです。あなた方はそういったすべてのものの奴隷であり、それらの影の中に生きているのです。どうすれば日光を理解できると思いますか?あなた方自身以外の誰も、あなた方を日の下に引き出すことはできません。他の誰かに救いを求めることは実に幼稚です。誰もあなた方を救い出すことはできないのです。あなた方自身が多大の努力を払って、影から飛び出さねばならないのです。もしあなた方が闇の中に留まっていれば、「私は闇の中で満足し、それを楽しむのだ」と言うでしょう。あなた方にはそうするための完全な権利があります。が、もし光とその明るさ、清浄さ、静けさを味わいたければ、あなた方は闇から抜け出さねばならないのです。
 すぐ外に一羽の大アオサギがいますが、それは魚を捕らえるため何時間もじっと集中し、一意専心して待ち続けています。同様にして、真の自己想起をおこなうには、集中する必要があるのです−−この一時間だけでなく、日中ずっと。で、それははるかに困難です。
 おしゃべりやうわさ話ばかりしてすべてのエネルギーを費やしてしまえば、あなた方は自分自身を発見することはできないのです。
 私が話していることはなんら超常的なことではありません。それは、個的および普遍的な生の極致、究極的完成のことなのです。このことを理解し、理論を日常的行動での実践に移すためには、あなた方はすべての外面的、客観的影響から自由でなければなりません。今まであなた方は一定の基準を持ち、それらに従ってこられたわけですが、しかし権威に反抗し、それを打破することによって、それらの基準をすべて切り崩さなければならないのです。が、それには大いなる気迫が必要です。今必要なことは各人が自分自身にとっての新たな価値、ガイドの役を果たしてくれる真の基準を確立することなのです。

 − − − 以上引用 − − −

 つづく


[24900] 消去の過程 その1 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/10(Wed) 21:33  

 >これから抜け出るのが難しいようです。−−、それを示唆する文面が、『白い炎』p89にあるようなので、引用します。
 長いのでいくつかに分けて投稿したいと思います。


  『白い炎』p89 より引用 (コスモス・ライブラリー 発行 大野純一 編訳)

 「消去の過程」の章

 <以下は、1929年にオランダにある「星の教団」の拠点アイルダー城で、団員に向かっていかにして理解力を働かせ、真理の実現にとって不要なものを消去したらいいかを説いたトークである>

 私は、私たち一人ひとりが根源的に変わらなければならない、そういう時が来たと強く感じます。−−すなわち、理解したがゆえに、過去のあらゆるものと手を切らなければならない、そういう時が。あなた方の内面にはまだ過去からの十分な断絶がありません。で、そのような断絶は、取り去られたものに取って換わる永続的な満足、理解、慰めを与えてくれる何かをあなた方が本当に真剣に見出そうと思っているときにのみ起こりうるのです。
 過去からのこの絶対的断絶なしには、あなた方は自分自身の中にも、外の世界にもけっして新たな何かを創造することはできないでしょう。
 あなた方がここに参集されたのは、私に傾聴し、私が言っていることを理解するためです。この理解にまず必要なこと、不可欠なことは、過去によって築き上げられたすべての障害物−−すべての迷信、すべての先入見など、明晰な検証と明晰な思考の妨げになるあらゆるもの−−を打破することです。過去からの断絶と過去への反抗があることが絶対に必要なのです。もしあなた方私が言っていることを理解すれば、あなた方は自分自身、自分の性質を理解し、自分があの自由という完成に向けて成長していることに気づき、ゆえにその成長を促すようになるでしょう。そのことを理解する時、あなた方は私を、ひいては他のあらゆる人を理解するようになるでしょう。が、自分自身を理解するためには、あなた方は常に自分の環境、伝統、自分が真実だと信じているもの、目標にとって不可欠だと思い込んでいるもの、人から言われたこと、自分が読んだことにとらわれないようにしなければなりません。あらゆるものを手放さなければなりません。あなた方が、身体的、感情的、精神的にまったくとらわれがなくなるやいなや、あなた方は人間の進化の全構造を理解することができるでしょう。
 あなた方は強くなければなりません。さもなければこの新しい夜明け、この新鮮な理解はだいなしにされ、消え失せてしまうからです。
 なぜ人々が霊的・宗教的な価値、精神的・道徳的な価値を破壊することを恐れるのか、私にはわかりません。結局、あなた方が何かを精神的、感情的に破壊する時、あなた方は何かその代わりのものを築いているのです。それについてどうか熟考してください。そうすれば私が何を言いたいのかおわかりになるでしょう。あなた方が外部の道徳によって縛られなくなり、もはやいかなる宗教的迷信−−過去のそれであれ、現在のそれであれ−−にも隷属しなくなる時、あなた方は自動的に、自分自身の不可欠の部分である何かを築き上げていくのです。
 私は、このことを理解し、それを身体的、感情的、精神的に−−統合的に、全体として−−生きる人々が欲しいのです。そのような人々が二千人いるか二人しかいないかは問題ではありません。私は、人数にも、どんな仕事をすべきかにも、どんな土地あるいは城を持つべきかにも、世界中に無数の地所を持つべきかどうかにもまったく関心はありません。そういったすべては取るに足りないのです。私たちがしなければならないこと−−少なくとも私がしたいこと、しようとしていること−−は、人間によって作り上げられてきた、真実性に欠ける、偽りのすべての古い伝統、観念、神々、迷信を破壊することです。で、まさにその破壊の過程によって、各人の内なる自治を確立しそれを支持する新しい伝統、たゆみない思考によって、永遠なるものからけっして離れない伝統となる、そういう新しい精神のあり方を生み出すのです。私は、自動的に行動に移され、他の人々の遇し方に現される、そういう新しい種類の思考、新しい種類の生き方を確立したいのです。
 あなた方自身の内にこの断絶を生み出すには勇気、弁別力が必要ですが、あなた方はまだそれをお持ちではない。あなた方は、自分に好都合な程度までは歩みますが、けっして最後まで歩もうとはしません。
 二種類の英知があります。一つはこの世界のそれ、もう一つは真実の世界に属するそれです。私が話しているのはこの世界の英知ではなく、真実の世界のそれです。すなわち、磨き抜かれた識別力で、真実で本質的なものと、偽りで不毛なものとを見分ける力を持った英知のことです。それが真の英知なのです。
 英知をもって反抗するためには、あなた方は集中しなければなりません。ただし、いわゆる瞑想などの実践によってではなく、一意専心によって−−弱虫の精神状態ではなく、強者の集中によって−−です。
 あなた方は、慣習とか他人の意見といった無数のものを恐れておられる。現在の瞬間を自分のまわりのあらゆるものと折り合わせようと望んでおられる。過去に語られてきたことを現在と折り合わせようと望んでおられる。相変わらずの旧態依然たる仕方で歩み、これまでどおりのマスターやグルを仰ぎ、崇拝形式や儀式を固守し、そしてそういったすべてを私が言っていることと折り合わせようと望んでおられる。あなた方はけっして過去および未来と共に生きることはできません。「私は弱く、だからこの支えを必要としている、私を励ましてくれる誰かを必要としている」とあなた方は言うかもしれません。が、それは本当の励ましではないのです。もしあなた方が自分の幸福、成長のために誰かを頼れば、あなた方はますます強くなるどころか、ますます弱くなってしまうからです。
 けっして外部からの救いを求めてはなりません。さもなければ、古い慣習のかわりに新しい慣習にとらわれてしまうでしょう。私たちが生み出さねばならないのは、みずからの内なる救いを確信しており、強く、自分の目的について確固としており、そして外部の慰め、権威、励ましを求めていない、そういう人々です。そのように集中するには、絶えず思慮深くあることが必要です。気づいていないこと、明晰に考えないことは、あなた方がおそらく持ちうる最大の不幸です。気づきの欠如は慰めへの必要を生み出します。あなた方は自分の人生の真の目的を絶えず想起しなければなりません−−ただし、おわかりのように人為的にではなく、バランスのとれた自己想起を充分にすることが必要なのです。
 では、あなた方はそれにどう乗り出しますか?あなた方がこれらの集会に参加して、毎日私の話を聞いても、もし明晰な理解が生じ、それによってそれが真に生きられなければ、何の意味もないのです。

 私の関心は新しい理論、新しい哲学、新しい方式、あるいはそれらの新しい組合せにではなく、もっぱら生きられることができる−−生きられなければならない−−観念、思考および感情にあるのです。私は自分にとって絶対的に確かなもの、絶対的に真実なもの−−相対的にではなく、絶対的に確かで真実なもの−−を見出したのです。ですから私は、自分が見出したそれらの観念が万人によって生きられうること、生きられねばならないことを示したいのです。それらは特権者たちのためのものではありません。完成は風変わりなことではなく、自然なことなのです。それは、たゆみない精進、たゆみない注意深さ、気づき、自己想起の結果なのです。それは、いかなる外部的環境、外部的権威、外部的影響、悲しみあるいは喜びによっても左右されえない真理に向けて絶えず傾注し続ける努力の結果なのです。
 もしあなた方が私の言っていることに同意なさるなら、あなた方はすべての外部的状態ないし条件からの自己解放を遂げるべく努力すべきです。
 私が到達したものは万人によって到達されねばなりません。それは少数者の特権ではなく、全人類、全世界の人々が遂げるべき開花なのです。世界中のあらゆる人が時間と空間、苦しみ、悲しみ、苦痛、快楽の輪にからみついているので、私は彼らがその輪−−つかの間のもの、非本質的なもの、真実ではないもの、錯覚に基づくものの輪−−から離脱し、そしてまさにその離脱によって、疑いの余地のない絶対的な確信をみずからの力で確立してほしいのです。
 あなた方の大半は、三年間にわたって私に聞いてこられましたが、にもかかわらず誰かに対して自分の確信を主張できずにいます。あなた方は私の言葉を引用−−誤って、または正しく−−しますが、それにはなんの価値もありません。私の言葉が真実であることをあなた方がわかり、ゆえに強くなるまでは、震えなしに他人の前に立つことはできないからです。が、それこそはまさに私があなた方にしてほしいと願っていることなのです。私は単に「ええ」とうなずく人々は望みません。が、もし同意するのなら、他のあらゆることに異議を唱えるほど完全に同意し、他のあらゆることを燃やし尽くす炎にならねばなりません。どちらか一方でなければなりません。中立的であることはできないのです。もしあなた方が炎の方なら、その時にはあなた方の全存在−−あなた方の顔つき、態度、感情、思考、体つきといったあらゆるもの−−がその炎の表現にならねばならないのです。もしあなた方が同意しないのであれば、同意するのと等しく激しくそれに逆らい、立ち去ってください。わたしがこう申し上げる理由は、あなた方が現在していることはまったく非生産的だからです。あなた方の同意にどんな価値があるのでしょうか?ないも同然です!
 どのようにあなた方は外の人々を変えましたか?どのようにあなた方は自分自身の環境、自分自身の人生を変えましたか?あなた方の同意はなんの変化ももたらさなかったのであり、ですから実は同意していないも同然なのです。あなた方は世間一般の人々と同じくびくびくしており、軟弱で、迷信や権威や慣習を恐れています。あなた方の同意は強い人間、あらゆるものに無頓着だがしかし自分自身の力を確信している、そういう人間を生み出さなかったのです。
 ですから両方とも持つことはできないのです。偶像崇拝者でありながら、にもかかわらず自由を口にすることはできないのです。聖画の崇拝者でありながら、にもかかわらず真実について話すことはできないのです。奴隷でありながら、同時に探求から生まれる真の理解についての内的確信から起こる解放について話すことはできないのです。方式の信奉者でありながら、同時に自由について話すことはできないのです。どちらか一方−−熱いか冷たいか−−でなければならないのです。もしあなた方が熱いのであれば、すべての外面的なものごとを焼き尽くし、すべての雑草、迷信、恐怖、神々、偽りのもの、人生の非本質的なものごとを一掃しなさい。もし冷たいのであれば、私が言っていることを顧慮することなく、利己的で、偏狭で、恐れていなさい。遠慮は無用です。いずれか一方を確信しなさい。一方を把握し、しかる後にそれを歪曲して他方に合わせようとしても無駄です。一方を歪曲して二つ−−新しいものと古いもの−−を折り合わせることはできません。そんなことをすれば、かえってよりおおきな悲しみ、より大きな誤解、より大きな苦闘を招くだけだからです。
 私はあなた方をいずれか一方に誘い込もうとしているのではありません。あなた方がわたしに同意するかしないかは問題ではないのです。結局は私は、全世界を向こうにまわして戦うほどこのことに一意専心するごくわずかの人を見出すだけかもしれません。が、そのような人が一人、二人、あるいは六人いれば充分です。ですからあなた方が私に同意するかしないかは問題ではないのです。で、結局は同意しないことでしょう。もし今同意しなければ、あなた方が同意するのは一億年後のことになるでしょう。私が話しているのは、世界の精華、全人類にとっての芳香、美のことだからです。
 私の願いはあなた方に催眠術をかけることではなく、あなた方が自分自身の目でものごとを明晰に見てほしいのです。あなた方は光と闇、確実と不確実、本質的なものと非本質的なものに同時に属することはできないのです。
 もしあなた方の思考、観念がつかの間のものに属するなら、その時には私が話していることを見出すことはけっしてないでしょう。それらが永遠なるものの花を生じる種子かどうかを発見するためには、あなた方は消去の過程、あなた方が身に付けてきたすべてのものからの完全な離脱の過程を経なければなりません。
 あなた方の観念は永遠なるものに根ざしてはいません。なぜなら、あなた方はまだ永遠なるものを発見していないからです。いったんあなた方がそれを見出せば、あなた方の理想は自然にあの不死、あの確かさの形をとって現れるでしょう。

 − − − 以上引用 − − −

 つづく


[24899] Re:[24898] [24897] [24896] [24895] 「心を変える瞑想」(5) 投稿者:ゴト 投稿日:2018/01/10(Wed) 18:49  

>  クリシュナムルティは死の直前に音声録音を行いました。そこでは、クリシュナムルティの周囲の誰もが根源的変容を遂げることはなかった・・旨が述べられています。
>
>  このことと、渡辺氏といえど、根源的変容が未だ訪れていない。
>
>  上記の二つにより、根源的変容をもしも遂げることができなかったとしても、特に大きな問題はないと感じています。
>
>  それよりも問題が大きいことは、根源的変容が遂げられていないにも関わらず、それを遂げたと誤って見ることではないでしょうか。
>
>  人にできることは、日常生活で見ること。クリシュナムルティの陳述を通して見ること。
>
>  >あなたはただ見ることができるでしょうか、それはあなたは見ることに気をつけるに違いない、見ることを愛するに違いないということです。−−、見ることを愛すること。


じっと物事あるいは社会を見守る。何か感じたとき、人はこうするのが普通なのですが、その後が何か活動したくなるのでしょうか? いつも見守るのがが難しいようで、何かしなければいられないのがもう一つの普通のように見えます。

これから抜け出るのが難しいようです。なぜなのでしょうか、不思議です。私もそうなんですが・・・



[24898] Re:[24897] [24896] [24895] 「心を変える瞑想」(5) 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/09(Tue) 21:40  

> > > ゴト: 人の生に時たまにせよ愛と美がきらめく時があるなら、周囲の人はそれに気づき、思考のみの競争的生を忘れ、愛と美の香気に気づきます。調和、秩序があります。
> > > それがないと、生の衰退堕落が進むのみです。これが自分の事実としてわかれば、人は新しい生を生きます。聖人とか覚者というイメージに煩わされることなしに。
> > > これで「心を変える瞑想」は終わりです。最後に重要な質問が並びました。
> > > (訳者: N.Goto)2003.09.掲載
> >
> >
> >  先日、『英知のターニングポイント(思考のネットワーク)』のアムステルダムトーク1回目が、クリシュナムルティ本人によるクリシュナムルティの発信の要約であり神髄である旨をゴトさんと確認しましたが、その要約とは、神髄というよりは、60年間のクリシュナムルティの講話内容の聴衆向けの要約であることを感じていました。
> >
> >  そこで、この「心を変える瞑想」は、もしも、ブッダとクリシュナムルティが語り合うことができたとすれば、クリシュナムルティがブッダに対して、要約して述べるであろう事柄のように感じています。その辿り着く先のことまで丁寧に述べられています。仏教でいうところの般若心経的なダイジェストのように感じています。
> >
> >  すなわち、もしも長い旅に出かけるとするならば、その時、何かクリシュナムルティの書物を持ってゆくとするならば、荷物として、最もコンパクトなこの「心を変える瞑想」をプリントアウトして持ってゆくということです。
>
>
> 私はとどのつまり、直感的に本質を見る(本質直感)、あるいは断片化せずに全体観的に一瞥のもとに観取する、洞察するところから行為が起こると言います。そこの基本がわかればむしろ簡単、と言う事ができるようなことです。見ることに入るとも言います。
> それを何年も、何十年もかけて精錬しなければと言うのは、見当違いでよくわからないからかと思うのです。
>
> だがそれが難しいのはみんなの目が、どうしても観念の中で断片的に見るのが自然だと思ってしまうからです。特に会社などの社会組織、国家間の間のことになると対立・抗争、未来を考えて不安、恐怖を感じ、安全を求めるように心理的時間の中に入り込んでしまいます。考えの世界の中に入り込んでしまいます。そう言われても私もわからなかったのですが…
>
> 竹田青嗣氏も哲学を再建しようとしていて、基礎にフッサールの現象学的意識の直感を置くのはいいですが、その現場は主体が能動的に直感に基づいて行動するのですが、そのエロス的欲望は、結局もっともっとと膨らんで、欲望の資本主義と言われるところに行きはしないか、主体とは何か、そこがよく読み取れません。
>
> そのなかに悪の発生とは何かという事が書いてあり、興味深くはあったが短く、第3巻が出なければ、それは善や正義、倫理を扱うらしいのですが、だいぶ先のことでしょう。この能動的に求めてやまないものの正体が何かがはっきりしない。竹田青嗣氏はフッサールの純粋意識とか知覚直感、本質直感には詳しく触れていてさすがと思いますが、このエネルギーが成長に伴ってどう動きだすかが問題だと思います。
>
> 実は倫理には現状は混乱を極めているというだけで踏み込んでいないけれど、意識が美や芸術を感じるとはどういうことかという事はかなり詳しく書かれていて、大いに関心があるのですが、よく理解できていないのです。この話はまた次の機会にしましょう。


 クリシュナムルティは死の直前に音声録音を行いました。そこでは、クリシュナムルティの周囲の誰もが根源的変容を遂げることはなかった・・旨が述べられています。

 このことと、渡辺氏といえど、根源的変容が未だ訪れていない。

 上記の二つにより、根源的変容をもしも遂げることができなかったとしても、特に大きな問題はないと感じています。

 それよりも問題が大きいことは、根源的変容が遂げられていないにも関わらず、それを遂げたと誤って見ることではないでしょうか。

 人にできることは、日常生活で見ること。クリシュナムルティの陳述を通して見ること。

 >あなたはただ見ることができるでしょうか、それはあなたは見ることに気をつけるに違いない、見ることを愛するに違いないということです。−−、見ることを愛すること。



[24897] Re:[24896] [24895] 「心を変える瞑想」(5) 投稿者:ゴト 投稿日:2018/01/08(Mon) 22:46  

> > ゴト: 人の生に時たまにせよ愛と美がきらめく時があるなら、周囲の人はそれに気づき、思考のみの競争的生を忘れ、愛と美の香気に気づきます。調和、秩序があります。
> > それがないと、生の衰退堕落が進むのみです。これが自分の事実としてわかれば、人は新しい生を生きます。聖人とか覚者というイメージに煩わされることなしに。
> > これで「心を変える瞑想」は終わりです。最後に重要な質問が並びました。
> > (訳者: N.Goto)2003.09.掲載
>
>
>  先日、『英知のターニングポイント(思考のネットワーク)』のアムステルダムトーク1回目が、クリシュナムルティ本人によるクリシュナムルティの発信の要約であり神髄である旨をゴトさんと確認しましたが、その要約とは、神髄というよりは、60年間のクリシュナムルティの講話内容の聴衆向けの要約であることを感じていました。
>
>  そこで、この「心を変える瞑想」は、もしも、ブッダとクリシュナムルティが語り合うことができたとすれば、クリシュナムルティがブッダに対して、要約して述べるであろう事柄のように感じています。その辿り着く先のことまで丁寧に述べられています。仏教でいうところの般若心経的なダイジェストのように感じています。
>
>  すなわち、もしも長い旅に出かけるとするならば、その時、何かクリシュナムルティの書物を持ってゆくとするならば、荷物として、最もコンパクトなこの「心を変える瞑想」をプリントアウトして持ってゆくということです。


私はとどのつまり、直感的に本質を見る(本質直感)、あるいは断片化せずに全体観的に一瞥のもとに観取する、洞察するところから行為が起こると言います。そこの基本がわかればむしろ簡単、と言う事ができるようなことです。見ることに入るとも言います。
それを何年も、何十年もかけて精錬しなければと言うのは、見当違いでよくわからないからかと思うのです。

だがそれが難しいのはみんなの目が、どうしても観念の中で断片的に見るのが自然だと思ってしまうからです。特に会社などの社会組織、国家間の間のことになると対立・抗争、未来を考えて不安、恐怖を感じ、安全を求めるように心理的時間の中に入り込んでしまいます。考えの世界の中に入り込んでしまいます。そう言われても私もわからなかったのですが…

竹田青嗣氏も哲学を再建しようとしていて、基礎にフッサールの現象学的意識の直感を置くのはいいですが、その現場は主体が能動的に直感に基づいて行動するのですが、そのエロス的欲望は、結局もっともっとと膨らんで、欲望の資本主義と言われるところに行きはしないか、主体とは何か、そこがよく読み取れません。

そのなかに悪の発生とは何かという事が書いてあり、興味深くはあったが短く、第3巻が出なければ、それは善や正義、倫理を扱うらしいのですが、だいぶ先のことでしょう。この能動的に求めてやまないものの正体が何かがはっきりしない。竹田青嗣氏はフッサールの純粋意識とか知覚直感、本質直感には詳しく触れていてさすがと思いますが、このエネルギーが成長に伴ってどう動きだすかが問題だと思います。

実は倫理には現状は混乱を極めているというだけで踏み込んでいないけれど、意識が美や芸術を感じるとはどういうことかという事はかなり詳しく書かれていて、大いに関心があるのですが、よく理解できていないのです。この話はまた次の機会にしましょう。


[24896] Re:[24895] 「心を変える瞑想」(5) 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/08(Mon) 17:34  

> ゴト: 人の生に時たまにせよ愛と美がきらめく時があるなら、周囲の人はそれに気づき、思考のみの競争的生を忘れ、愛と美の香気に気づきます。調和、秩序があります。
> それがないと、生の衰退堕落が進むのみです。これが自分の事実としてわかれば、人は新しい生を生きます。聖人とか覚者というイメージに煩わされることなしに。
> これで「心を変える瞑想」は終わりです。最後に重要な質問が並びました。
> (訳者: N.Goto)2003.09.掲載


 先日、『英知のターニングポイント(思考のネットワーク)』のアムステルダムトーク1回目が、クリシュナムルティ本人によるクリシュナムルティの発信の要約であり神髄である旨をゴトさんと確認しましたが、その要約とは、神髄というよりは、60年間のクリシュナムルティの講話内容の聴衆向けの要約であることを感じていました。

 そこで、この「心を変える瞑想」は、もしも、ブッダとクリシュナムルティが語り合うことができたとすれば、クリシュナムルティがブッダに対して、要約して述べるであろう事柄のように感じています。その辿り着く先のことまで丁寧に述べられています。仏教でいうところの般若心経的なダイジェストのように感じています。

 すなわち、もしも長い旅に出かけるとするならば、その時、何かクリシュナムルティの書物を持ってゆくとするならば、荷物として、最もコンパクトなこの「心を変える瞑想」をプリントアウトして持ってゆくということです。


[24895] 「心を変える瞑想」(5) 投稿者:ゴト 投稿日:2018/01/07(Sun) 08:21  

「心を変える瞑想」(5)

ゴト: Kのトークを終わって質問に入ります。

質問者: 愛とは何でしょうか?

クリシュナムルティ: ここの紳士は愛とは何か知りたいと望んでいます。話し手が愛が何かを述べれば、あなたは愛を持つでしょうか? あなたが空腹なときに、あなたが食べようとしている食べ物を描写すれば、あなたは描写で満足するでしょうか? なぜあなたは愛が何であるか質問するのでしょうか、それはあなたが愛を持っていないことを意味します。あなたが愛を持っていないなら、愛が何であるか見出すことができるでしょうか? あなたができることのすべては、何が愛でないかを見出すことです。いいですか? 愛は嫉妬ではありません。あなたが力、地位を追求しているとき、あなたが性的快楽を追い求めているとき、愛はありません。あなたがするように、金を第一に置くとき、愛はありません。そこであなたは、愛が何であるか見出すために、あなたはあなたの野心をやめますか? あなたの嫉妬をやめますか? あなたの競争的攻撃性をやめますか? それは従順になるということではありません。あなたにとってそれらは愛より遥に重要なので、あなたはやめないのではないかと私は気がかりです。そして保証しますが、愛を持たないなら、あなたは思いやりを持ちません。あなたの社会は消えるよう運命づけられており、あなたの堕落は保証されています。そしてあなたは「はい、私は気にしません、私は私の野心、私の貪欲、私の金と共に進みましょう」と言います。あなたが関わっていることのすべては、あなた自身と共にあります。

ゴト: この質問「愛とは何でしょうか」は、思考で愛をとらえようとして出たものだと思います。愛や美は思考でとらえられるものでしょうか。しかし、心は愛(気遣いを持って見守ること)も美も意識せずとも知っているのではないでしょうか?
心の全体で生を感じ生きていきましょう。


質問者: 見るために、よく見るために、心は唯一の道具です。しかし心は過去のものからできています。

クリシュナムルティ: よく見るために、見るために、心は私たちの唯一の道具であり、その道具は過去のもので組み立てられています。したがって、どうやって私は過去のものなしに見たらいいでしょうか? あなたが木を見るとき、何が起きますか? ただちにあなたは木に命名したり、その木についての自分の偏見や楽しみを導入します。それゆえあなたとその木の間には、言葉のスクリーン、偏見のスクリーン、知識のスクリーン、あなたの欲望のスクリーンがあります。それゆえあなたはけっして、けっしてその木を見ないでしょう。あなたはあなたのスクリーンを脇にやることができるでしょうか、そのすべてを脇にやリ、ただ見ることができるでしょうか? あなたは隣人、政治家、教授、導師、妻と子供を、そしてあなた自身を、あらゆるイメージ、スクリーン、観念、偏見、恐怖なしに見ることができるでしょうか? あなたはただ見ることができるでしょうか、それはあなたは見ることに気をつけるに違いない、見ることを愛するに違いないということです。あなたの心があなた自身の欲望を背負っているなら、あなた自身の悲しみを背負っているなら、あなたは女性や男性や子供の美、天空の美、鳥の美、木の、山の美を見ることはできません。あなたが見ることを望むなら、それらの重荷は見るために捨てられるに違いありません。そしてあなたが見るとき、気遣いがあります、愛情があります、何かの美を見つめる愛があります。

ゴト: そう、これなんですね。


質問者: 時間を越えた心がどうやってこの世界で機能できるのでしょうか?

クリシュナムルティ: 何と容易にあなたはそのような状態−時間を越えた心−を、それについて何も知らないで、そのような心の息吹と香りを持つこともなしに受け入れるのでしょうか? そのような心がどんなふうにここで機能するのだろうかとあなたは尋ねています。私はあなた方に、私たちは共に新しい世界を創造する必要があると言いました。したがって、あなたがそのような心を持つ必要があります。話し手ではなく。話し手は重要ではありません。重要なことはあなたがそのような心を持つことです。そのときあなたはどんなふうに機能するか、どんなふうに違った生を生きるか、どんなふうに宗教的な心を持ち、この世界の中で生きるかを見出すでしょう。しかしそれを見出すことなしに「それについて思索してみたい」と言うのは、あなたはけっしてあなた自身で見出さないのではないかと気がかりです。それで、まずあなたの生に秩序をもたらしてください、あなたが毎日生きている無秩序の生に気づいてください−一つのことを言い 別のことをする、あることを思い ほかのことを装う−不正直、節操のない生き方。そのすべてに気づくことが、あなたの生に秩序をもたらすことです。あなたの日常の生活の中にその秩序なしには、瞑想は場所を持ちません、それはただの逃避です。そしてあなたが社会の変容に関わっているなら、あなたは変わる必要があります。社会は不道徳であり、腐敗しているので、社会はものすごい変化を要します。そして集団的にあなたが社会を造り出したので、集団的にあなたは変わる必要があります。なぜならあなたは集団であるからです。あなたは世界であり、世界はあなたです。あなたが集団として変わらないなら、かわいそうに。あなたは大きな危険に、大きな災厄に直面しています。あなたの家は燃えており、あなたは目を閉じることはできません。あなたは閉じたいかも知れませんが、しかしあなたの子供、あなたの孫は、あなたが今していることのために支払うでしょう。それゆえあなた方、あなたが自分の日常生活の中で秩序、美、愛を持っていないなら、あなたは美と愛のまさに本質である、あの名前のない、始まりも終わりもないものに出会うことはできません。

ゴト: 人の生に時たまにせよ愛と美がきらめく時があるなら、周囲の人はそれに気づき、思考のみの競争的生を忘れ、愛と美の香気に気づきます。調和、秩序があります。
それがないと、生の衰退堕落が進むのみです。これが自分の事実としてわかれば、人は新しい生を生きます。聖人とか覚者というイメージに煩わされることなしに。
これで「心を変える瞑想」は終わりです。最後に重要な質問が並びました。
(訳者: N.Goto)2003.09.掲載


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