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[24747] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/03(Fri) 11:30  

随分長くなりました。用事の間には休養と、私のサイトの特別掲載:「生の中の聖なるもの」 「心を変える瞑想」を読みました。

よくもこの2編を訳して掲載しておいてくれたと思いました。
これは訳した当時はほんとにはわからないでいて、今読むとまさに仕上げの、締めのトークでありました。


銀河系宇宙の中に太陽系が生まれ、地球というかなり質量のある惑星ができ、水と空気を保持し、生物:植物、動物が生じた。そしてついに言葉と結びついた意識を持つ人間: 我々が生まれる。

この生き物というものは長い時間の間には多種多様の変化が生まれた。シーラカンスのように3〜4千万年も変わらない種もあるが。人間は急速に発達する社会生活が進行しており、それは多くの悲劇喜劇を生み、それがどこに行くか誰も知らない。

それを我々はどのようにして探究し、見出していけばいいのか⁉ そこに上記の2編は真正面から触れている。


[24746] Re:[24745] [24744] また、驚異的な本に出会う。 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/29(Sun) 22:25  

> > 興味あるのは左脳の機能が崩壊するとき、自分というものがどう意識されるか記述されていることです。自分という肉体があって、それは外界とはっきりした境界を持って区別される個体であるという意識、あるいは認識は左脳が創り出した認識で、左脳の機能が止まると崩壊するらしい。この認識は人間という生物が生き延びるために発達した機能なのでしょうね。
> >
> > では、肉体という境界のない世界はどういう世界か、右脳はどのように認識するのかというと世界はエネルギーと原子、電子といった粒子の流れであり、流体のように境界がなく、宇宙は一つなのです。そして右脳は{いま}の宇宙の全情報を感じているという形で、過去、現在、未来という形はない、そこには非常な安らぎ、愛という感覚があるという事です。ニルバーナ、それが一番ぴったりした言葉のようです。
> >
> > それで、本から離れて現実の問題に戻ると、右脳意識だけでは、人間と言う生き物としてやっていけません。左脳の意識をこの脳卒中にかかった著者も一生懸命リハビリして8年かかって再開発しました。
> >
> > 右脳と左脳はもちろん太い神経の束でつながれており、我々は統合された人格を持って生きていると思っています。だがその二つの意識のかかわり方というのはいったいどういうふうにすればいいのでしょうか? Kの示唆の持つ意味を分かりたいです。
>
>
>  この女性は以前NHK特集でも取り上げられていました。私はその番組で知りました。
>
>  >その二つの意識のかかわり方というのはいったいどういうふうにすればいいのでしょうか?−−、ということですが、その一つとして大事なことは、監獄の扉の鍵を自ら持つということではないでしょうか。すなわち、たとえ監獄の網に囚われてしまったとしても、必要に応じてその鍵を自由に行使してその外に出ることができる、ということが重要になると思います。そのための左脳。

あ、そういう番組があって、ご存じだったのですか、それならお互いに話し合えます。ゆっくりと考えて話したいのですが、明日からとびとびに用事が入っていますので、暇な時に書きます。

>
>
>  『英知へのターニングポイント(旧タイトル:思考のネットワーク)』を読み終えました。
>
>  数年前に読んで、しばらく読んでいなかったのですが、新たに読み返し感無量です。
>
>  読み返すきっかけをいただきました。ありがとうございます。

「奇跡の脳」を読んだ今、もう一度読まなければという気がしています。


[24745] Re:[24744] また、驚異的な本に出会う。 投稿者:宮啓 投稿日:2017/10/29(Sun) 16:52  

> 金曜日の晩に夕食の材料を買いにいつものスーパーに行った。
> そこで行きがけに小さな書店をちょっと覗いたら、8刷めの新潮文庫の「奇跡の脳」という本が目に止まり、迷ったが安価なので買った。
>
> そのまま忘れていたが、もう寝ようとしたときにその本が目にとまり、読み始めた。それは驚くべき内容の本だった。
>
> それはアメリカの神経解剖学者(当時37歳、女性)が左脳内脳卒中で倒れ、8年かかって恢復する間の体験が書いてあり、左脳の機能が破壊され、右脳意識が残り、体も自由に動かせない中から、赤ん坊が成長するように左脳の機能が再生していくさまがよくわかります。
>
> 興味あるのは左脳の機能が崩壊するとき、自分というものがどう意識されるか記述されていることです。自分という肉体があって、それは外界とはっきりした境界を持って区別される個体であるという意識、あるいは認識は左脳が創り出した認識で、左脳の機能が止まると崩壊するらしい。この認識は人間という生物が生き延びるために発達した機能なのでしょうね。
>
> では、肉体という境界のない世界はどういう世界か、右脳はどのように認識するのかというと世界はエネルギーと原子、電子といった粒子の流れであり、流体のように境界がなく、宇宙は一つなのです。そして右脳は{いま}の宇宙の全情報を感じているという形で、過去、現在、未来という形はない、そこには非常な安らぎ、愛という感覚があるという事です。ニルバーナ、それが一番ぴったりした言葉のようです。
>
> それで、本から離れて現実の問題に戻ると、右脳意識だけでは、人間と言う生き物としてやっていけません。左脳の意識をこの脳卒中にかかった著者も一生懸命リハビリして8年かかって再開発しました。
>
> 右脳と左脳はもちろん太い神経の束でつながれており、我々は統合された人格を持って生きていると思っています。だがその二つの意識のかかわり方というのはいったいどういうふうにすればいいのでしょうか? Kの示唆の持つ意味を分かりたいです。


 この女性は以前NHK特集でも取り上げられていました。私はその番組で知りました。

 >その二つの意識のかかわり方というのはいったいどういうふうにすればいいのでしょうか?−−、ということですが、その一つとして大事なことは、監獄の扉の鍵を自ら持つということではないでしょうか。すなわち、たとえ監獄の網に囚われてしまったとしても、必要に応じてその鍵を自由に行使してその外に出ることができる、ということが重要になると思います。そのための左脳。


 『英知へのターニングポイント(旧タイトル:思考のネットワーク)』を読み終えました。

 数年前に読んで、しばらく読んでいなかったのですが、新たに読み返し感無量です。

 読み返すきっかけをいただきました。ありがとうございます。


[24744] また、驚異的な本に出会う。 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/29(Sun) 13:09  

金曜日の晩に夕食の材料を買いにいつものスーパーに行った。
そこで行きがけに小さな書店をちょっと覗いたら、8刷めの新潮文庫の「奇跡の脳」という本が目に止まり、迷ったが安価なので買った。

そのまま忘れていたが、もう寝ようとしたときにその本が目にとまり、読み始めた。それは驚くべき内容の本だった。

それはアメリカの神経解剖学者(当時37歳、女性)が左脳内脳卒中で倒れ、8年かかって恢復する間の体験が書いてあり、左脳の機能が破壊され、右脳意識が残り、体も自由に動かせない中から、赤ん坊が成長するように左脳の機能が再生していくさまがよくわかります。

興味あるのは左脳の機能が崩壊するとき、自分というものがどう意識されるか記述されていることです。自分という肉体があって、それは外界とはっきりした境界を持って区別される個体であるという意識、あるいは認識は左脳が創り出した認識で、左脳の機能が止まると崩壊するらしい。この認識は人間という生物が生き延びるために発達した機能なのでしょうね。

では、肉体という境界のない世界はどういう世界か、右脳はどのように認識するのかというと世界はエネルギーと原子、電子といった粒子の流れであり、流体のように境界がなく、宇宙は一つなのです。そして右脳は{いま}の宇宙の全情報を感じているという形で、過去、現在、未来という形はない、そこには非常な安らぎ、愛という感覚があるという事です。ニルバーナ、それが一番ぴったりした言葉のようです。

それで、本から離れて現実の問題に戻ると、右脳意識だけでは、人間と言う生き物としてやっていけません。左脳の意識をこの脳卒中にかかった著者も一生懸命リハビリして8年かかって再開発しました。

右脳と左脳はもちろん太い神経の束でつながれており、我々は統合された人格を持って生きていると思っています。だがその二つの意識のかかわり方というのはいったいどういうふうにすればいいのでしょうか? Kの示唆の持つ意味を分かりたいです。


[24743] Re:[24740] [24739] [24738] なるべく具体的に説く 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/27(Fri) 12:00  

> > では、盤珪師、良寛師、一休師によって仏教は諸派に分かれずにまとまっているか、世界に戦争はなくなっているかというとそうではないようだが。
>
> 又話がそれますね。

話しを逸らしているのはあなたのように見えます。わかりやすく話した聖賢がいると言って、あなたは上記3名の名を挙げた。しかし仏教は一つの道にまとまってはいない。

戦争は5000年たてもまだ続いている。漸減しているそうだが死んだ市民や難民の数はどうなのか? たぶん、政権の教えに関係なく自然に推移しているだけだろう。今ですら宗教戦争的色彩がある。

>  何でそういうことが気になるのですか?
>  世界に戦争がなくなっているどうか?現実にありえないでしょう。戦争がないというのは。
>  報道はされませんがアフリカの国々は、今でも内線の連続です。同じ部族が殺しあっている。
>
> 以前、ある大新聞の「編集後記」に、意外なことに実は戦争による死者は序序に減ってきているとあった。一見各地でテロによる死者が増えてような気がするが。つまりは、人間大昔から「殺しあい」を常にやってきたという証拠です。現在より、以前の方が戦争による死者ははるかに多い。有志以来延々続く。しかし、今は昔より戦争による死者が減り、逆に人口爆発が増大している。
>
>  今、平和に見える日本も、戦前までは、各地で常に殺しあいをやってきた。外地にせよ内地にせよ。唯一の例外以外は。江戸時代の260年。
>
>  閑話休題。
>  もう「戦争のない社会」となどという幻想を捨てたらいかかですか。
>  それこそ願望、イメージの世界です。事実とかけ離れている。何で事実を事実として認めようとしないのですか。

いかにも事実の世界はそうです。だがその世界の中で生きることとはどういうことですか?、そこを考えて分かっていますか。金融資本で世界を支配し、世界最強の軍事力でにらみを利かしている国がいて、その顔色をうかがいながら世界は暮らしています。たまたま地政学的にも資源的にもあまり関係のない地域は平和に暮らせます。その他に対立する力のある勢力がいくつかあって、同調しながら隙あらばと機を窺がっており、自分の勢力を伸ばそうとしています。そのほかに多数の中弱小国があり、強国の様子をうかがいながら生存しているという事は、まさにそれが社会です。人の生活そのものです。

>  それでも世界の動向が気になるというのなら、一切外部の情報を断ったらいかがですか。
>  そうするなら、自分の周囲しか知らないわけです。情報のない昔はすべてそううです。今は情報過多で、人間がそれにふりまわされている。
>  知り合いに、テレビも新聞も見ない。携帯を持たないという友人がいる。
>  クリシュナムルティの探求者森本氏や翻訳者の藤仲氏は、一切情報を断っている。ネットはやらない。有害だからです。
>  この方達を見習ったら。

まず、世界の状況を神経質に気にしてはいません。関心を持って理解しようとしています。
そして残念ながらその人たちの向かう方向がどういう意味を持っているのかわかりません。その人たちも一人立つ人でしょうから、何らかの方向を持っているのか、あるいはこの世界の中で暮らすとき、必然的にそういう暮らし方になるのか、そこは私にはわかりません。

>
>  別に戦争がなくても、人類の破滅は遠い将来ではない。すでにバランスが崩れ始めている。人口爆発、資源の限界、限られた食料。などなど。最近おかしな天変地異もそうです。温暖化がすすめば、病原菌(ウイルス)が人間社会に巣食うでしょう。目に見えぬ細菌ほど恐ろしいものはない。いずれ人間は天罰を食う。
>  有志以来の資源の略奪行為。いずれ大自然からしっぺがえしを食うでしょう。

私は精神的な対立が問題で、自然との関係で起こる目に見え易いことに関しては、人間のサバイバル力は非常に強いと見ています。


[24742] 見性 投稿者:外野席 投稿日:2017/10/27(Fri) 10:17  

ウィキより。


> > 私の行きついた見性とは忘我・エクスタシーであるが、それは
> > 我を忘れるというとコントロールが効かなくなるイメージがあるが、私の行きついた今のところの見性は「我を忘れて宇宙を、世界を思う」である。


見性(けんしょう)とは、人間に本来そなわる根源的な本性を徹見すること。性(しょう)は本来、煩悩に汚されることはなく、それ自体で清浄なものであり、この自性清浄心に気づくことを指す。
(しょう)を仏性、法性、心性ともいうので、見仏性、見法性、見心性、あるいは見心見性、などと使用する。


[24740] Re:[24739] [24738] なるべく具体的に説く 投稿者:外野席 投稿日:2017/10/26(Thu) 23:27  

> では、盤珪師、良寛師、一休師によって仏教は諸派に分かれずにまとまっているか、世界に戦争はなくなっているかというとそうではないようだが。

又話がそれますね。
 何でそういうことが気になるのですか?
 世界に戦争がなくなっているどうか?現実にありえないでしょう。戦争がないというのは。
 報道はされませんがアフリカの国々は、今でも内線の連続です。同じ部族が殺しあっている。

以前、ある大新聞の「編集後記」に、意外なことに実は戦争による死者は序序に減ってきているとあった。一見各地でテロによる死者が増えてような気がするが。つまりは、人間大昔から「殺しあい」を常にやってきたという証拠です。現在より、以前の方が戦争による死者ははるかに多い。有志以来延々続く。しかし、今は昔より戦争による死者が減り、逆に人口爆発が増大している。

 今、平和に見える日本も、戦前までは、各地で常に殺しあいをやってきた。外地にせよ内地にせよ。唯一の例外以外は。江戸時代の260年。

 閑話休題。
 もう「戦争のない社会」となどという幻想を捨てたらいかかですか。
 それこそ願望、イメージの世界です。事実とかけ離れている。何で事実を事実として認めようとしないのですか。
 それでも世界の動向が気になるというのなら、一切外部の情報を断ったらいかがですか。
 そうするなら、自分の周囲しか知らないわけです。情報のない昔はすべてそううです。今は情報過多で、人間がそれにふりまわされている。
 知り合いに、テレビも新聞も見ない。携帯を持たないという友人がいる。
 クリシュナムルティの探求者森本氏や翻訳者の藤仲氏は、一切情報を断っている。ネットはやらない。有害だからです。
 この方達を見習ったら。

 別に戦争がなくても、人類の破滅は遠い将来ではない。すでにバランスが崩れ始めている。人口爆発、資源の限界、限られた食料。などなど。最近おかしな天変地異もそうです。温暖化がすすめば、病原菌(ウイルス)が人間社会に巣食うでしょう。目に見えぬ細菌ほど恐ろしいものはない。いずれ人間は天罰を食う。
 有志以来の資源の略奪行為。いずれ大自然からしっぺがえしを食うでしょう。


[24739] Re:[24738] なるべく具体的に説く 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/26(Thu) 20:13  

> > > >それと私個人のことを言わないようにしましょう。それは個別的関心の誘導につながるかもしれません。
> >
> > >  新しい芽氏の話も、今イチわかりにくいのは、具体的話がほとんどなく、抽象的な話に終始しているからだ。
> >
> >
> > 私は抽象的に話をするのが、最高の教えではないかと思う。なぜなら、自分で疑いを持ち、考え(ここが難しいところで、下手をすると思考になる、本当の意味でのメディテイトする)、知らないことを知る応用の利く理解を持たせることがホントの教えであると思うからです。長いこと考えて何とかこう言えるようになりました。新しい芽さんが説明をしなかったおかげです。
>
>
> はい。
> あなたとは、まったく正反対です。
> あなたは聞く側の気持ちを考えていない。
> 話し手が抽象的に話せば話す程、聞く方はイメージを増幅してしまう。
> この事実をどうみるのか。そのことを考えて見たことがあるのだろうか。
> 聞き手に話が伝わらないとすれば、話し手の自己満足にすぎない。
> イメージを捨てろというあなたにとって、これほどの皮肉はないだろう。
>
> 聞き手が理解に至るには、話し手ができるだけ具体的にわかりやすく伝えることが肝要。
> 盤珪師、良寛師、一休師など、皆これらの坊さんは、一般庶民に対して、わかりやすく真理を説いている。
> せっかく高尚な教えがあっても人に伝わなければ何にもならない。
> 古来の仏教のお坊さん達は、その点の工夫をされたこそ、世に広まった。
>
> 結局、抽象的な言葉しか用いることが出来ないというのは、力量のなさのあらわれだろう。
> だから、様々な覚者、賢者の本を読んで学ぶ探求の意味がここにある。
> どのように伝えているのか、を学ぶ。
> つまりは具体的に説明しないから、聞く側はバラバラの見解になってしまうのである。
> 真理は「一つ」のはず。

では、盤珪師、良寛師、一休師によって仏教は諸派に分かれずにまとまっているか、世界に戦争はなくなっているかというとそうではないようだが。


[24738] なるべく具体的に説く 投稿者:外野席 投稿日:2017/10/26(Thu) 17:14  

> > >それと私個人のことを言わないようにしましょう。それは個別的関心の誘導につながるかもしれません。
>
> >  新しい芽氏の話も、今イチわかりにくいのは、具体的話がほとんどなく、抽象的な話に終始しているからだ。
>
>
> 私は抽象的に話をするのが、最高の教えではないかと思う。なぜなら、自分で疑いを持ち、考え(ここが難しいところで、下手をすると思考になる、本当の意味でのメディテイトする)、知らないことを知る応用の利く理解を持たせることがホントの教えであると思うからです。長いこと考えて何とかこう言えるようになりました。新しい芽さんが説明をしなかったおかげです。


はい。
あなたとは、まったく正反対です。
あなたは聞く側の気持ちを考えていない。
話し手が抽象的に話せば話す程、聞く方はイメージを増幅してしまう。
この事実をどうみるのか。そのことを考えて見たことがあるのだろうか。
聞き手に話が伝わらないとすれば、話し手の自己満足にすぎない。
イメージを捨てろというあなたにとって、これほどの皮肉はないだろう。

聞き手が理解に至るには、話し手ができるだけ具体的にわかりやすく伝えることが肝要。
盤珪師、良寛師、一休師など、皆これらの坊さんは、一般庶民に対して、わかりやすく真理を説いている。
せっかく高尚な教えがあっても人に伝わなければ何にもならない。
古来の仏教のお坊さん達は、その点の工夫をされたこそ、世に広まった。

結局、抽象的な言葉しか用いることが出来ないというのは、力量のなさのあらわれだろう。
だから、様々な覚者、賢者の本を読んで学ぶ探求の意味がここにある。
どのように伝えているのか、を学ぶ。
つまりは具体的に説明しないから、聞く側はバラバラの見解になってしまうのである。
真理は「一つ」のはず。


[24737] Re:[24731] [24729] [24726] [24723] [24718] [24717] [24714] [24713] [24712] [24711] [24709] オカルトについて 投稿者:宮啓 投稿日:2017/10/26(Thu) 16:42  

> > > 私はクリシュナムルティは人類にその転機のための、最大の援助と私は言いたいのですが、指摘、示唆、ヒントを与えてくださったのではないでしょうか。
> > > ここで、「くださった」という言葉を使ったのはKを権威として敬語を使ったのではなく、感謝の意を表したい気持ちが湧いたからです。
> >
> >
> >  はい。
> >
> >  「活動」とは「逃避」のことである−−とは、クリシュナムルティの言葉です。
> >
> >  人は勤務中に何をしているのか・・、それは逃避である。人はなぜ結婚し家庭を築くのか・・、それは回避である。
>
> これは実際に見てのことでしょうか?、それとも最初の「活動は逃避である」という言葉からの論理的な結論として出てきたことなのでしょうか?
> 実際の仕事は単なる利己的な行為(=活動なのです。Kの用語法)と決まったものでしょうか? 結婚し家庭を築くことも逃避でしょうか?若い人が未知の世界に胸をどきどきさせながら入って行くという事はないでしょうか。それを見て分かっていくのでないなら、レッテル貼りになりはしませんか?


 およそ若者は、後先考えずに、結婚に踏み切ることでしょう。そこには>未知の世界に胸をどきどきさせながら−−が大きく含まれ、生理上の必要の炎が燃えたぎっていることでしょう。

 私がここで述べた「活動」は、そのような白い炎ではなく、30半ばに達し、そのまま老後を迎えることの不安に苛まれて、枯れる前に一花咲かせようとする煙立つ炎の活動のことです。

 また仕事においても熱血教師や理想を求めての活動もあり得ることでしょう。おおよそ若い時期に・・。あるいは、必要最小限の生計を得るための就業は生きる必要としての活動として白い炎となり得ることでしょう(「白い炎」の喩えについては、『境界を超える英知』参照)。



> >  日々の活動が幻想活動であり、それが幻想(イメージ)を強化し、それゆえ自我を増長させていく。
> >
> >  幻想という巨大な砂場に築かれた楼閣。すなわち社会。
> >
> >  そのど真ん中で生きているヒトに対して、現にあるものを見よ・・と示唆しても、それは見えず聞こえない。たとえブッダが、あるいはクリシュナムルティが声高に叫んだとしても。
>
> しかし幻像や幻聴でなく見る、聴く以外に道はないのではないでしょうか。自分で作った思考の投影を見るという事に気づいている人はたくさんいます。
>
> >  ヒトは巨大な砂場に築かれた楼閣にふっと気づいたとしても、社会に緻密に張り巡らされた娯楽による回避ネットワークに捕まると、その気づきは不要な個人的な心配事・不安として片付けられる・・。
> >
> >  それゆえに、死して30年も経ずして、逸れが生ずる。
> >
> >  そのように逸れやすいクリシュナムルティ理解において、クリシュナムルティの裾から離れよ・・と示唆するヒト達が、そもそもクリシュナムルティを十分理解しておらず逸れているのではないでしょうか。
>
> とにかく観察を続けましょう。


 上記の「砂上の楼閣」は、>Kのトークについては文章の記録もあるし、後期には録音、録画もあります。その中から真実のものを受け取ることは、たぶん、なぜか困難なのです。ましてそれが社会に、全体的に顕現するという事はなぜか困難なのです。−−、これを受けて、なぜ困難なのか?の問いに対応して、「砂上の楼閣」で表現されたものです。

 すなわち、たとえ>自分で作った思考の投影を見るという事に気づいている人はたくさんいます。−−、ヒトが一時的に「見る」に気づいても、そこから先には進まないのです。たとえクリシュナムルティの本を読んだとしても。そうではないでしょうか。


> >  クリシュナムルティ理解は、それほど生やさしいものではなく、十分な理解なしにはクリシュナムルティから離れてはならない、逸れてしまう、ということではないでしょうか・・。
> >
> >
> >  しかし、「逸れ」を許さないヒト達がいる。『ブッダとクリシュナムルティ』や『境界を超える英知』を編集したヒトなど・・。
> >
> >  言いたいことは、クリシュナムルティの陳述からの引用を用いて言う。これは逸れない。
> >
> >  そのような手法に、ただただ感心します。
> >
> >  そのような手法によって述べられる真理は、クリシュナムルティやブッダが述べる真理と同一と感じられます。


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