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[24818] K語観察会 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/16(Thu) 18:44  

過去のK語・観察会2017.7.30(デザイン・クリエイティブセンター神戸 KIITO/神戸)

趣旨
 J. クリシュナムルティの思想を理解するために特に重要におもえる言葉を毎回一語取り上げ少人数で語り合う会である。
 クリシュナムルティは、自身の到達した深遠な理解を、日常の語彙とあいまいさの少ない文体で、簡潔に、直截に表現する努力を怠らなかったひとである。
 そこで、われわれとしても、なによりも、幼児のような感受性を発動させることからはじめたい。考える以上に感じる。知が自ずと流入するのを赦す。そういう時間を共有したい。


第13回 【憎悪】Hate
 孤立から憎悪が生まれる。そこで、憎悪は、愛と接点を持たない、とKはいう。
ヘイトスピーチに愛がないことは分かりやすいが、もっと潜在した、不可視の意識に働く憎悪にわれわれはちゃんと気づいているだろうか。

第12回 【理解】
 日常のことばとして「理解」という語は、なんとも穏やかな意味をもつ。健全な脳が正常な仕事をしているかぎり、大方の疑問は「理解」に至るようにおもえる。
 理解しているけれど、どうもしっくりこない。煮え切らない「理解」の用例だが、Kにおける「理解」は、ほとんどこれとは別のことばのように厳しい。また、思考水準の納得とは思考水準の納得とは隔絶した質を求める。
 Kの「理解」を体得すれば、「理解」においてすべての葛藤が消滅し、不安が解消されそうだ。「理解」は強力な解毒薬であり、狭量な分別に対する爆弾である。

10回 【感受性】sensitivity
「あなたに優れた感受性がそなわっていれば、努力なく生きていける」とクリシュナムルティはいう。人は努力を賞賛する一方で、努力に疲れている。
 感受性に潜む大いなる力に気づかず、日々時間に追われながら、もがいているだけだとしたらそれは大きな損失だ。

 第8回 【気づき】awareness
 知ることによっても、経験する事によっても、解消しない問題が、一瞬の気づきによって、解決される場合がある。
 こうした気づきの働きは、どこからやってくるのか。また、どのようにもたらされるのだろうか。
「気づきに気づく意識はない」とクリシュナムルティはいう。
「気づき」に彼は何を見いだしたのか。

 第1回「観察」する。observing
 見れば分かるのに説明するのは難しいものがある。見ているひとは、それを知っているので、ひとに伝えるには言葉だけが障害になっている。
「見る」力は、観察力に基づいている。考えるよりも、直接的に見て理解できる能力はどのように作動しているのだろうか。


 さわりの一端を紹介したが、興味深いテーマがならぶ。残念ながら遠方では参加するのが困難。



[24817] Re:[24815] [24814] [24811] [24806] アダムスキー関連 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/16(Thu) 11:07  

> > > Kのいうことを理解して、改めてカバラを読み返すとカバラも統合を書いてあることに気づきました。気づきについても書かれていました。
> > >
> > > カバラはあるがままが分離した後の、タイプ(両極)善悪等を統合するということではないかと今のところ推測しています。
> > > ここがKと違うところかなと思ってます。Kはつねに出発点のあるがままに戻ることを言っています。
> > > カバラはあるがままが分離したあとの思考のタイプを分けてみるという試みだと考えました。
> >
> > カバラは平河社出版のコリン・ウィルソン著オカルトでしか知りません。イエス以前のグノーシス派あたりから出たものという事ですが、原始的な人間の在り方と言う意味で興味があります。地上に降りた人間がまた天上に戻るという系統図みたいな暗喩に満ちたものでしょうか。
> > なんか感じられたら話してくださるとうれしいです。
>
>
> 今のところ、カバラでもシュタイナーでも共通している、私が抱えている問題といえば情熱でしょうか。
>
> 「なる」というときに純粋な「なる」というものがあるかどうかみつめています。今のところそれはないように感じられますが、なるということとあるとうことの統合がなければならないことは確かです。
>
> そのなるというものを洗練さしていったところに人間の本来のあり方、社会のありかたがあるような気がします。
>
> とにかく野心、野望といったものが動機でない純粋ななる、言い換えれば純粋な情熱があるかどうかということです。
>

はい、野心、野望と言うような状態があり、純粋とか情熱と言い表せる状態があることを、いわゆる科学的存在証明でなく、意識、心で実際に感じることを人は知っています。

そこからどこまで進めるか、本来それがKの進めている道なのかもしれませんが、進んでみたいと思います。

それで動物と人間の意識の差を含めて人間と言う存在をはっきりと見たいと思っています。竹田青嗣(哲学者)の欲望論を変な成り行きで第2巻から読んでいます。


[24816] Ksポイント 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/16(Thu) 10:11  

Ksポイント予定

11月23日 京都・嵯峨美術大学
テーマ「生と死について」
 クリシュナムルティのDVDを観て話し合う企画です。今回は1996年のカルフォルニアで収録された生と死について語られた映像を選びました。

12日2日 
KsPOINT 発足19周年記念パーティー

森本武主宰のKsポイントが19年も活動をしてるとはまったく知りませんでした。この会を知ったのはほんの3年前。定期的会合に出たいと思いますが、いかんせん京都では、遠すぎる。たまに東京で会合をもちますが、2度ほど教授にお目にかかっています。学生のとき、英国のクリシュナムルティファンデーションに1年いたとか。興味深くその体験を聞きました。





[24815] Re:[24814] [24811] [24806] アダムスキー関連 投稿者:南方 投稿日:2017/11/16(Thu) 08:42  

> > Kのいうことを理解して、改めてカバラを読み返すとカバラも統合を書いてあることに気づきました。気づきについても書かれていました。
> >
> > カバラはあるがままが分離した後の、タイプ(両極)善悪等を統合するということではないかと今のところ推測しています。
> > ここがKと違うところかなと思ってます。Kはつねに出発点のあるがままに戻ることを言っています。
> > カバラはあるがままが分離したあとの思考のタイプを分けてみるという試みだと考えました。
>
> カバラは平河社出版のコリン・ウィルソン著オカルトでしか知りません。イエス以前のグノーシス派あたりから出たものという事ですが、原始的な人間の在り方と言う意味で興味があります。地上に降りた人間がまた天上に戻るという系統図みたいな暗喩に満ちたものでしょうか。
> なんか感じられたら話してくださるとうれしいです。


今のところ、カバラでもシュタイナーでも共通している、私が抱えている問題といえば情熱でしょうか。

「なる」というときに純粋な「なる」というものがあるかどうかみつめています。今のところそれはないように感じられますが、なるということとあるとうことの統合がなければならないことは確かです。

そのなるというものを洗練さしていったところに人間の本来のあり方、社会のありかたがあるような気がします。

とにかく野心、野望といったものが動機でない純粋ななる、言い換えれば純粋な情熱があるかどうかということです。




[24814] Re:[24811] [24806] アダムスキー関連 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/16(Thu) 00:36  

> Kのいうことを理解して、改めてカバラを読み返すとカバラも統合を書いてあることに気づきました。気づきについても書かれていました。
>
> カバラはあるがままが分離した後の、タイプ(両極)善悪等を統合するということではないかと今のところ推測しています。
> ここがKと違うところかなと思ってます。Kはつねに出発点のあるがままに戻ることを言っています。
> カバラはあるがままが分離したあとの思考のタイプを分けてみるという試みだと考えました。

カバラは平河社出版のコリン・ウィルソン著オカルトでしか知りません。イエス以前のグノーシス派あたりから出たものという事ですが、原始的な人間の在り方と言う意味で興味があります。地上に降りた人間がまた天上に戻るという系統図みたいな暗喩に満ちたものでしょうか。
なんか感じられたら話してくださるとうれしいです。


[24813] Re:[24812] [24810] [24808] [24805] [24796] [24776] 生中の聖なるもの(4) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/16(Thu) 00:12  

> > 至福を求めるというか、エネルギーの気に入るはけ口を求めているようにも思います。
> > そして結局思考を頼りにするのか、暴発を含むエネルギーの発露に頼るか、そんなふうに生きているようにも思います。
>
>
>  そんなふうな生の中で、クリシュナムルティと共に歩むことは、>新しい世代−−ではないでしょうか・・。

今、どうしても動物、そして人間とはどういう生き物なのかを、あるいは存在なのかを、哲学的に、あるいは現象学的に見つめ、調べなければならないように思います。やってみます。


[24812] Re:[24810] [24808] [24805] [24796] [24776] 生中の聖なるもの(4) 投稿者:宮啓 投稿日:2017/11/15(Wed) 21:53  

> > > >  >私たちの僅かの人がこれを一緒に見るなら、そしてそれが私のやあなたのものではないなら、しかしそれはそうなのですが、そのとき私たちは新しい世代をつくり出します。−−
> > > >
> > > >
> > > >  私も、クリシュナムルティと一緒に見たい、一緒に旅をしたい。と思っているが、実際は見たくもなく旅したくもない。ただ、至福の境地を欲しているようだ・・。
> > > >  だから、一緒に旅をすることが難しくなる。
> > > >
> > > >  これが、クリシュナムルティが普及しにくい理由ではないでしょうか・・。
> > > >
> > >
> > > とても示唆することの深い返信をありがとう。
> > >
> > > 私たちはいろいろなことを思い、それは全部意識の内容であると。そしてその内容の一つを聖なるものとしようと人はしていると。そのすべてがない空なる心は全く違ったものであると。
> > > あるいはそうでしょうが、もし、空であることを望めば、全部の内容物を見て終わりにするという事がいるという事でしょうか?、無意識内にあるそれ(内容)も含めて。
> >
> >
> >  クリシュナムルティが言っていることは、私たちは「空であることを望む」のではなく、至福を望んでいるということではないでしょうか・・。
> >  もしも、「クリシュナムルティ全集(邦訳版)」と「至福薬」のいずれかひとつを選択できるというプレゼントがあるとすれば、私たちは「至福薬」を選択するのではないでしょうか。
> >
> >  それゆえに、私たちはクリシュナムルティの話を聞いているのではなく、すなわち空を求めているのではなく、至福を求めているので、クリシュナムルティに耳を傾けることができないということではないでしょうか・・。
> >
> >  もしも、私たちが至福を求めていないならば、そのときにはすでに自我は終焉しており、すでに空ということではないでしょうか・・。
> >
> >  それゆえに、「いかにして・・?」の問いは、ここでは意味をなさず、ただ、ただ、覚者の話に耳を傾ける・・しかないのでしょうか。
> >
>
> 至福を求めるというか、エネルギーの気に入るはけ口を求めているようにも思います。
> そして結局思考を頼りにするのか、暴発を含むエネルギーの発露に頼るか、そんなふうに生きているようにも思います。


 そんなふうな生の中で、クリシュナムルティと共に歩むことは、>新しい世代−−ではないでしょうか・・。


[24811] Re:[24806] アダムスキー関連 投稿者:南方 投稿日:2017/11/15(Wed) 16:43  

>
> > 今、Kと同時にアダムスキーを読んでいます。
> > アダムスキーは個人的想念と宇宙的想念をノートに書き記して、テレパシーの存在を確かめたそうです。
> >
> > 想念が周囲の人に伝播するのは、思考・私とうものは一つなぎである可能性が高いと思います。もちろん自分の身体にも。思考の罠を理解すると、やっと身体が動きはじめました。
>
>  アダムスキーを読んでるとは驚きました。ジョージ・アダムスキーをご存知でしたか。

外野席さんに教わって読み始めました。


>  アダムスキーとクリシュナムルティは共通点もありますが、相容れない点もあります。
>  私がアダムスキーを知ったのは1970年代に入ってからです。当時アダムスキーの啓蒙団体日本GAPの会合に、よく参加していました。
>  主催者の久保田八郎氏が亡くなってからは、この会は解散し、今はありません。久保田氏はアダムスキー著作の「宇宙哲学」「生命の科学」「テレパシー」の訳者です。
>  現在はアダムスキー全集として、大きな本屋においてあるのみ。
>  クリシュナムルティを知ったのはその前年。ふとしたきっかけでインドのヨガに興味を持ち、その流れからクリシュナムルティを知りました。
>  驚いたのは日本GAPの機関誌にKの訳文がのっていたことです。久保田氏訳で、邦題「未来への伝言」。原題「ライフヘッド」。
>  70年代から80年代は、ニューエージというかインドを中心とした精神世界ブームになった年代です。一声を風靡したスワミ・ラジネーシ(和尚・代表作「存在の詩」)もその時代です。
>  その後、オウムの影響によって、そのブームは日本では下火になりました。
>  UFOや超能力ブームが起きたのも、70年代から80年代にかけて。
>
>  アダムスキーの代表作
>  「宇宙哲学」「生命の科学」「テレパシー」「空飛ぶ円盤同乗記」「宇宙からの訪問者」など。
>  彼は想念観察法を提唱
>  日本GAPから、別れていくつかグループができましたが、その一つが「UFO教育グループ」主宰 韮沢潤一郎。彼はよくテレビに出ていて、現在は、たま出版の社長。グループは解散。
>  もう一つは山本佳人率いる「CRC」「SPNW」。現在解散
>  彼は、困難といわれた想念観察法を唯一為し遂げた人物と知られる。かってインド哲学の権威中村元氏は彼の著作を見て「天才」と評した。
>  宇宙意識との一体化経験多数。(「神秘体験」を検索すれば出てきます)
>  いわば宇宙哲学の実践的研究者。
>  主な著書「宇宙意識の哲学的研究」「生命宇宙論」「かみさまみたよ」「生まれ変わりの大法則」など多数。
>  特定の組織に属さず、真理の探究に没頭。研究の分野は多岐にわたる。
>  古代インド哲学、中世および近世神秘主義哲学、超越主義、現象学などなど
>  これらの研究は家族に迷惑を及ぼさない深夜に行ったという。普通にサラリーマン生活を経て、昨年没。ことさらに家族を優先させた。研究よりも。まさに「愛」の人といえる。
>  彼の著作を読めば、真理というのは何たるかがわかる。我々が真理を実現しなくとも。
>
>


Kのいうことを理解して、改めてカバラを読み返すとカバラも統合を書いてあることに気づきました。気づきについても書かれていました。

カバラはあるがままが分離した後の、タイプ(両極)善悪等を統合するということではないかと今のところ推測しています。
ここがKと違うところかなと思ってます。Kはつねに出発点のあるがままに戻ることを言っています。
カバラはあるがままが分離したあとの思考のタイプを分けてみるという試みだと考えました。




[24810] Re:[24808] [24805] [24796] [24776] 生中の聖なるもの(4) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/15(Wed) 16:04  

> > >  >私たちの僅かの人がこれを一緒に見るなら、そしてそれが私のやあなたのものではないなら、しかしそれはそうなのですが、そのとき私たちは新しい世代をつくり出します。−−
> > >
> > >
> > >  私も、クリシュナムルティと一緒に見たい、一緒に旅をしたい。と思っているが、実際は見たくもなく旅したくもない。ただ、至福の境地を欲しているようだ・・。
> > >  だから、一緒に旅をすることが難しくなる。
> > >
> > >  これが、クリシュナムルティが普及しにくい理由ではないでしょうか・・。
> > >
> >
> > とても示唆することの深い返信をありがとう。
> >
> > 私たちはいろいろなことを思い、それは全部意識の内容であると。そしてその内容の一つを聖なるものとしようと人はしていると。そのすべてがない空なる心は全く違ったものであると。
> > あるいはそうでしょうが、もし、空であることを望めば、全部の内容物を見て終わりにするという事がいるという事でしょうか?、無意識内にあるそれ(内容)も含めて。
>
>
>  クリシュナムルティが言っていることは、私たちは「空であることを望む」のではなく、至福を望んでいるということではないでしょうか・・。
>  もしも、「クリシュナムルティ全集(邦訳版)」と「至福薬」のいずれかひとつを選択できるというプレゼントがあるとすれば、私たちは「至福薬」を選択するのではないでしょうか。
>
>  それゆえに、私たちはクリシュナムルティの話を聞いているのではなく、すなわち空を求めているのではなく、至福を求めているので、クリシュナムルティに耳を傾けることができないということではないでしょうか・・。
>
>  もしも、私たちが至福を求めていないならば、そのときにはすでに自我は終焉しており、すでに空ということではないでしょうか・・。
>
>  それゆえに、「いかにして・・?」の問いは、ここでは意味をなさず、ただ、ただ、覚者の話に耳を傾ける・・しかないのでしょうか。
>

至福を求めるというか、エネルギーの気に入るはけ口を求めているようにも思います。
そして結局思考を頼りにするのか、暴発を含むエネルギーの発露に頼るか、そんなふうに生きているようにも思います。


[24809] Re:[24807] [24800] [24797] [24792] [24791] [24790] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/15(Wed) 15:52  

> > >   反応をどうこうしようとすることなしに見ている、よく感じていることがすべてです。それが理解です。
> > >
> > >  (注)これは事実?それとも仮説?

これは誰かとの会話の中で相手が反応した時、あるいは私が頭の中で反応した時、私にとって事実です。
(注)私は今まであなたはKの本を読んだ人として話してきましたがそれをやめて、全く新しく話し直します。

>  主観的事実も何も、あなたに起きた事実を述べるだけでいいのではないですか。
>  反応というのは誰でも起きるものでしょう。違いますか。人の心内はわかりません。覗くことはできない。だからこうして話し合っているのです。

はい、起きた事実を話しましょう。

>  たとえば、皆で共通の映画を見て、終わったあと皆が感想をいう。そこではじめて個個の考え方、感じ方の違いがわかるのではないですか。

そうですね。

> 再録
> > >   反応をどうこうしようとすることなしに見ている、よく感じていることがすべてです。それが理解です。
>
>  ある人に注意されて,イライラが起きる。そのとき起きたイライラした心をそのまま見るということです。

イライラが起きたとき、気づき、ただ見始めます。心は静かです。イライラしていません。思考が続けて文句を言えば、それは知覚します。

>  これは自身を見てればわかることではないですか。これは皆共通でしょう。

共通でないかもしれませんよ。イライラしない静かな心で見ていないかも。

>  イライラしている心をそのまま見ることが出来なければ、そのイライラに思考がつかまってしまうことは、私たちはよく経験します。

はい、そうです。私も昔そうでした。

>  イライラの過程に目を向くのではなく、そのイライラした原因の方に目が向き、原因とされた相手に意識の矛先がいってしまうということは私たちがよくやることです。そして相手を非難する。

確かに一般にそうです。その時見ることではなく、相手に批判の目が向いています。

>  クリシュナムルティの「アローン」というのは、人間は皆同じ悩みや苦しみを抱えているという意味で、「人類は一つ」といってるのではないでしょうか。心理的な意味でです。

これはあなたの意見ですね。あなたの事実はどうなのかな。

> > >  反応は頭の中だけで見られていることもあるし、咄嗟に声なり何なり表に出るのもあるでしょう。

ここまでは事実です。

> > > その分離をもたらすときは思考が行動の主体になっているわけです。

これは説明言葉ですね、分離がもたらされる場合の。しかし事実でもあります。カットしても結構です。

>  分離とおっしゃいますが何かことばにとらわれていませんか。あるいは「私」という言葉も,あなたはよく使う。
>  分離とか「私」というのは、Kが使う言葉であって、その意味をとらえればいいのであって、私たち同士の会話では使うことはないと思います。普通の言葉で話せばいい。
>  たとえば一般の人に「分離」といってもわからない。
>  クリシュナムルティをお互い読んでいるという了解の上で、分離という言葉を使っているのでしょうか。

そうですが。しかし分離が気に入らないならカットします。Kを知らない人として話します。

> > >  しかし、気づきの知覚がしっかりと見られている時は主体は思考ではなく気づき、知覚であるわけです。その時理解があります。
>
>  気づく「主体」がいるでしょう。つまり観音様です。この観音様が出現しないと、「観察するは観察される」というのは理解出来ません。

観音様は比喩的な表現で、事実を言うと、心は静かで事実を知覚している。観察者はいない状態ですね。

>  この観音様の出現が実は驚くべき状態でなのです。私でない私の発見。

これは説明もしくは意見ですね。

> >仏教の言葉で言うと妙観察知が働きます。心は全体、自分の全組織のみでなく、周囲にも働くようです。そしてその反応も自分を理解し消えていくようです。それはその場ではなく、のちにわかることですが。ここに書いたことはKの言った事ではなく、私の観察からの仮説です。
>
> やっぱりあなたの仮説ですか。了解。
>
> > >  これは自分自身に起きた事実のことを書いているのではなく「仮説」ということですか。つまり説明?

自身に起きて感じたことです。従って事実ではあるのですが、終わるというのは厳密にいうと何年たてば終わりと言えるかという事がある。しかし私には既に問題でなくなって忘れているなら終わりと言えるでしょう。禁煙が本当かと言うと30年以上たつが、来年も吸う事がぶり返さないかは誰にもわからない。それで終わるが入ると仮説と言っています。

> > 自分自身に起きる事実を自分の言葉で書いています。一般化して書いているので説明にもなっています。これも証明できることではありません。
>
>  証明といいますが、人の心内は見えないものでしょう。目で確認するものではない。何考えるかなんて、はたではわからない。だから会話するわけです。
>  ああそういうことかと。

そういうふうに書きましょう。

> > >  Kの言ったこと?ではなく、自論?ですか。
> > >  あなたはこれまでKのいったことを疑いもなくそのまま追随しておられるのではなかったか。意外な言葉です。

違います。何か自分で思うことなしに人の言葉通りに書くなどできません。

> > Kの言葉を自分で主観的に体験して、たぶんKの言う事はこういう事だろうと思ってはいます。ヒントとして受け取ってもいます。しかし体験を自分の言葉で描写し、一般化して言っています。それゆえ、自分で間違っていると思えば謝って取り消します。しかし自分が独創的に発見したという意味の自論ではありません。
>
> ?

こういうことは理解していただけないようだ。言うのをやめましょう。

> > >  観察とは自身で起きてることを、ただ見てるということではなかったか。

相手は伝えたいことを言ったらこちらの応答を求めます。何か行動しないといけない場合がほとんどでしょう。それが日常生活でしょう。自分だけでも、次々といろいろなことをするはずです。あ、洗い物を忘れていたとか。

> > ただ見るという「ただ」は自分の条件付けで反応しないという事を範囲を一般的に拡大して言っているわけです。非難正当化なしにとか、選択なしにとか観察者のいない観察とか、言い始めれば場合場合でキリがない。
>
>  反応が起きたとき、思考で色付けしないということです。言語化せずに見る。
>  イライラが起きたとき、そのままイライラの過程を見る。
>  Kはよく「思考過程」という。プロセス。
>  その見ている状態が、すでに「超越的」だということ。
>  チェンジオブステージ。舞台の転換。まさに変容。

あなたの言う事はお話、物語的で実際にイライラなり何なりをどんなふうに見ているかがわからない。超越的に見ていると言われてもこまるのですが、比喩でなく話すことはできませんか? ま、あなたが超越的に実際に見ているなら結構なことです。


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