雑感
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[24282] 無題 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/24(Thu) 23:32  

魚座の時代ではさ、相手が納得しようがしまいが、とにかく救ってやろうとして、無理やりひきずりこむようなものなんだ。ちょうど、泉があるとするでしょ。そうすると、その泉に人を連れてゆくことができるわけさ。俺は泉の水を飲んだことがある。じゃあ皆を連れてゆく。連れる時点からさ、わざわざ手をとって、僕はまだ行きたくないんだというのを、無理やり連れて行ってさ、おまけに、その泉までついたらさ、無理やり僕飲みたくないというのを、ばか、飲め!こういう感じ(笑)これが魚座の時代のグルの姿なの。

 現代の、つまり水瓶座時代のグルの姿というのは、どういうのかというとね、さあ、あすこに、ここに、泉があるよ。それだけ。で、あと、彼自身がそこまで歩いて、彼自身が飲みたくなるのをただ見ているだけ。

 で、それはどうしてかというと、魚座の時代は愛の時代であり、水瓶座の時代は自由の時代だから。この愛と自由というのが、完全に調和したかたちで現われた時にね、僕たちは全く、今まで一度も人類史上経験した事のないようなすてきな時代を経験することができる


[24281] 無題 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/24(Thu) 21:14  

安らぎとは、個が全体にきえさったときに起こる。


[24280] Re:[24279] [24277] [24276] [24253] 愚さんの言葉 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/24(Thu) 17:21  

> > > > 煩悩即菩提
> > > >
>
> > > この愚さんの言葉はゴトさんの言われていることを代弁しているように思います。
> > > ゴトさんは「見る」「気づく」をよく使われるが、ここの「腑に落ちる」という言葉の方がぴったりくると思いますが、どうなんだろう。
> > > もし、愚さんの言葉とクリシュムルティの言葉と違うとすれば、どこが違うのだろう。
> > > 彼はクルシュナムルティよりも禅が主体です。ただ座れ。
> > >
> > > 禅とは古くから伝わる伝統的な修業形式。クリシュナムルティは伝統的なものを否定している。生活即瞑想。
> > >
> > > 禅の人いわく、それはわかるがむずかしい。まず形から。
> >
> >
> > 形からというとこで修行が残っていますね。
>
>  以下の言葉を読みますと、やはりあなたの独学でしたね。愚さんの言ってることは、よくわかりますが、あなたのいってることはよくわからない。見る、聞くだけでは。
>  聞くだけ無駄でした。もう伺いません。人のいっていることには興味ないようです。参考にもしない。
>  私自身、本を一人読むだけでは、独善的になりやすく、自己流の解釈になりやすい。そこでKの訳者である何人かの人に伺った。高橋氏、大野氏、森本氏、藤仲氏、飯尾もそうです。皆それぞれニュアンスが微妙に違う。
>  禅をやってる人に何人か、お聞きしましたが、正直いってKの言っていることは難しいという正直感想。
>  自身の感想は、見る、聴くは即座だが、持続は困難ということです。
>  だったやらない方がいいという結論。
>  Kの気づきなど一切やりません。又、Kはやれともいっていない。
> >
> > 日常生活の中で、判断・解釈なしに(ただ)見ている、聴いている、知覚している。そこから行為が出る。
>
>  ですから、具体的にどういうことですか。見る聞くなら、だれでもやってます。それと何が違うの?


{判断・解釈なしに(ただ)}見ている、聴いている、知覚している。この{ }の中の言葉をあなたは無視して、見る、聴くなら誰でもやっているという。この{ }の中はそれほど簡単ではないです。

それは本当に重大な時こそ、判断なしに見ることが必要なのであって、では普段はどうでもいいというわけではありませんが、何というか、注意はおのずとされているようになるのです。Kの本を関心を持って読んでいれば自ずとそうなります。

それからそれを持続するという事をひどく重視していますが、それは達成願望にとらわれています。(ゲームのように勝ったり負けたりしながら進んでいけばいいとKが言っています)。

> > やり始めのうちは、実際はそうはいかないで種々の反応が出てくる。それもできるだけ心のうちで見ている。そのようにただ見、聴き、知覚している状態が聖なる全体です。
>
>  やはり「見る」ことを実践するということですか。あきらめずに。

そう言うと従来の伝統と同じになってしまいます。そこに成り行こうとする過程が入っているのです。努力と挫折の過程です。
そのことが、だれかが言ったからではなく、自ずと自分のこととして見いだされると理解があります――それがが理解です。

> >
> > 私の言う事はこれに尽きます。
>
>  はい。ぼとぼちあせらずに。
> >
> > 蛇足で言えば、心理的思考の創り出すゆがみは果てしなく増殖して世界に混乱を生んでいます。これは世界の人が気づいて何とかしなければならない課題です。
> > さもなければ人間社会はバベルの塔のように崩れ落ちるでしょう。
>
>  何でいつも世界のことを心配するのか。憂うのか。私など身の周りの雑事をこなすだけでせいいっぱい。

ようやく周りのことが見えだしてきたからかな。心配しているのではないですが。

> >
> > もう一つ、大乗仏教は哲学的発展の上に出来上がっています。それで思考で理解するにも修業が、時間がかかります。下手をすると頭でっかちになります。禅は日本で一番発展したと言っていいものですが、なお結構難しい古典的な述語があります。
>
>  仏教を勉強しましたか。

まあ、ある程度読んでいます。

> > Kは術語を使わず、日常単語で話しています。その語に深い意味がないとは言いませんが、そこは読む人が感じ取っていくしかありません。
> > 大いに感じましょう。
>
> どうも「信念」をお持ちのようですね。これしかないと。人が何いようとこれでいく。

私は独学ではありませんよ。Kの本を読んだし、新しい芽さんに教わっています。F氏にもです。まさかグルめぐりをしなければだめだとおっしゃるのではないでしょうね。


[24279] Re:[24277] [24276] [24253] 愚さんの言葉 投稿者:外野 投稿日:2017/08/24(Thu) 14:18  

> > > 煩悩即菩提
> > >

> > この愚さんの言葉はゴトさんの言われていることを代弁しているように思います。
> > ゴトさんは「見る」「気づく」をよく使われるが、ここの「腑に落ちる」という言葉の方がぴったりくると思いますが、どうなんだろう。
> > もし、愚さんの言葉とクリシュムルティの言葉と違うとすれば、どこが違うのだろう。
> > 彼はクルシュナムルティよりも禅が主体です。ただ座れ。
> >
> > 禅とは古くから伝わる伝統的な修業形式。クリシュナムルティは伝統的なものを否定している。生活即瞑想。
> >
> > 禅の人いわく、それはわかるがむずかしい。まず形から。
>
>
> 形からというとこで修行が残っていますね。

 以下の言葉を読みますと、やはりあなたの独学でしたね。愚さんの言ってることは、よくわかりますが、あなたのいってることはよくわからない。見る、聞くだけでは。
 聞くだけ無駄でした。もう伺いません。人のいっていることには興味ないようです。参考にもしない。
 私自身、本を一人読むだけでは、独善的になりやすく、自己流の解釈になりやすい。そこでKの訳者である何人かの人に伺った。高橋氏、大野氏、森本氏、藤仲氏、飯尾もそうです。皆それぞれニュアンスが微妙に違う。
 禅をやってる人に何人か、お聞きしましたが、正直いってKの言っていることは難しいという正直感想。
 自身の感想は、見る、聴くは即座だが、持続は困難ということです。
 だったやらない方がいいという結論。
 Kの気づきなど一切やりません。又、Kはやれともいっていない。
>
> 日常生活の中で、判断・解釈なしに(ただ)見ている、聴いている、知覚している。そこから行為が出る。

 ですから、具体的にどういうことですか。見る聞くなら、だれでもやってます。それと何が違うの?
>
> やり始めのうちは、実際はそうはいかないで種々の反応が出てくる。それもできるだけ心のうちで見ている。そのようにただ見、聴き、知覚している状態が聖なる全体です。

 やはり「見る」ことを実践するということですか。あきらめずに。
>
> 私の言う事はこれに尽きます。

 はい。ぼとぼちあせらずに。
>
> 蛇足で言えば、心理的思考の創り出すゆがみは果てしなく増殖して世界に混乱を生んでいます。これは世界の人が気づいて何とかしなければならない課題です。
> さもなければ人間社会はバベルの塔のように崩れ落ちるでしょう。

 何でいつも世界のことを心配するのか。憂うのか。私など身の周りの雑事をこなすだけでせいいっぱい。
>
> もう一つ、大乗仏教は哲学的発展の上に出来上がっています。それで思考で理解するにも修業が、時間がかかります。下手をすると頭でっかちになります。禅は日本で一番発展したと言っていいものですが、なお結構難しい古典的な述語があります。

 仏教を勉強しましたか。
>
> Kは術語を使わず、日常単語で話しています。その語に深い意味がないとは言いませんが、そこは読む人が感じ取っていくしかありません。
> 大いに感じましょう。

どうも「信念」をお持ちのようですね。これしかないと。人が何いようとこれでいく。


[24278] 無題 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/24(Thu) 13:32  

実際の瞑想者であり、修行者でないひとが、瞑想を語っても、あまり説得力ない。

私は、10年瞑想を続けているので、言えるが、実際の瞑想は、結構、体力的にもしんどいし、生易しいものじゃない。


[24277] Re:[24276] [24253] 愚さんの言葉 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/24(Thu) 13:03  

> > 煩悩即菩提
> >
> > 愚さんの言葉を引用させてもらいました。やかりこの人はただものではない。わかっていらっしゃる。
> >
> > 「
> >  お金が欲しい、偉くなりたい、あいつを殺したい・・、これらは自然にわいてくる思考や感情であり、これら自体は煩悩でも悟りでもありません。
> >  これらを取り込んで自己同一化し、自分の思考、自分の感情と位置付け、それらに振り回されてしお金を得るためには偉くならなければならない。
> >  そのためには、あいつが邪魔だ。あいつを陥れるためにはどうすればいいか・・という具合です。
> >
> >  安心を得るためには悟らなければならない。そのためには自我が邪魔だ、自我を滅却するにはどうすればいいか・・も同じ構図です。
> >
> >  自然にわいてくる思考や感情の源は自我ではなく、全体です。
> >  自我は、自分の波長に合うものを取り込み、自己同一化する機能に過ぎません。
> >
> >  自然にわいてくる思考や感情は止められない。けれども、それらは自分のものではない。
> >  ということが腑に落ちれば、自己同一化することなく眺めておいて、瞬間瞬間に現れることを、黙々とこなしていくことが出来るようになります。
> >  それが今の私の日常ですが、全く飽きることもないし、何が起こるか分からないのでそれなりに楽しませてくれます。
> >  そしてこの日常が、これまで必死に求めても得られなかった、「安心」の状態なのかもしれません。
>
> この愚さんの言葉はゴトさんの言われていることを代弁しているように思います。
> ゴトさんは「見る」「気づく」をよく使われるが、ここの「腑に落ちる」という言葉の方がぴったりくると思いますが、どうなんだろう。
> もし、愚さんの言葉とクリシュムルティの言葉と違うとすれば、どこが違うのだろう。
> 彼はクルシュナムルティよりも禅が主体です。ただ座れ。
>
> 禅とは古くから伝わる伝統的な修業形式。クリシュナムルティは伝統的なものを否定している。生活即瞑想。
>
> 禅の人いわく、それはわかるがむずかしい。まず形から。


形からというとこで修行が残っていますね。

日常生活の中で、判断・解釈なしに(ただ)見ている、聴いている、知覚している。そこから行為が出る。

やり始めのうちは、実際はそうはいかないで種々の反応が出てくる。それもできるだけ心のうちで見ている。そのようにただ見、聴き、知覚している状態が聖なる全体です。

私の言う事はこれに尽きます。

蛇足で言えば、心理的思考の創り出すゆがみは果てしなく増殖して世界に混乱を生んでいます。これは世界の人が気づいて何とかしなければならない課題です。
さもなければ人間社会はバベルの塔のように崩れ落ちるでしょう。

もう一つ、大乗仏教は哲学的発展の上に出来上がっています。それで思考で理解するにも修業が、時間がかかります。下手をすると頭でっかちになります。禅は日本で一番発展したと言っていいものですが、なお結構難しい古典的な述語があります。

Kは術語を使わず、日常単語で話しています。その語に深い意味がないとは言いませんが、そこは読む人が感じ取っていくしかありません。
大いに感じましょう。


[24276] Re:[24253] 愚さんの言葉 投稿者:外野 投稿日:2017/08/24(Thu) 10:11  

> 煩悩即菩提
>
> 愚さんの言葉を引用させてもらいました。やかりこの人はただものではない。わかっていらっしゃる。
>
> 「
>  お金が欲しい、偉くなりたい、あいつを殺したい・・、これらは自然にわいてくる思考や感情であり、これら自体は煩悩でも悟りでもありません。
>  これらを取り込んで自己同一化し、自分の思考、自分の感情と位置付け、それらに振り回されてしお金を得るためには偉くならなければならない。
>  そのためには、あいつが邪魔だ。あいつを陥れるためにはどうすればいいか・・という具合です。
>
>  安心を得るためには悟らなければならない。そのためには自我が邪魔だ、自我を滅却するにはどうすればいいか・・も同じ構図です。
>
>  自然にわいてくる思考や感情の源は自我ではなく、全体です。
>  自我は、自分の波長に合うものを取り込み、自己同一化する機能に過ぎません。
>
>  自然にわいてくる思考や感情は止められない。けれども、それらは自分のものではない。
>  ということが腑に落ちれば、自己同一化することなく眺めておいて、瞬間瞬間に現れることを、黙々とこなしていくことが出来るようになります。
>  それが今の私の日常ですが、全く飽きることもないし、何が起こるか分からないのでそれなりに楽しませてくれます。
>  そしてこの日常が、これまで必死に求めても得られなかった、「安心」の状態なのかもしれません。

この愚さんの言葉はゴトさんの言われていることを代弁しているように思います。
ゴトさんは「見る」「気づく」をよく使われるが、ここの「腑に落ちる」という言葉の方がぴったりくると思いますが、どうなんだろう。
もし、愚さんの言葉とクリシュムルティの言葉と違うとすれば、どこが違うのだろう。
彼はクルシュナムルティよりも禅が主体です。ただ座れ。

禅とは古くから伝わる伝統的な修業形式。クリシュナムルティは伝統的なものを否定している。生活即瞑想。

禅の人いわく、それはわかるがむずかしい。まず形から。




[24275] 無題 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/24(Thu) 09:39  

舌を制するものはすべてを制する。

すべての感覚は、セクシュアルであるが、

食欲も性欲と結びついている。


味覚と五行の関係を古代中国人は研究したが、

かれらは、味覚を制するものが覚者であることを知っていたのだろう。

よく観察すれば、苦い感情をいだいてるとき、舌も苦さがあるはずだ。

人間が好む食べ物も、日々の内面の傾向の埋め合わせだったりする。

しかして、その人の調和と、味覚と言うのは密接に結びついてるのである。

クリシュナも、食べ物と人間の関係について述べている。


[24274] 無題 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/23(Wed) 23:59  

何かを創造するその根源の心と言うのは絶対的な純粋さである。


[24273] 無題 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/23(Wed) 22:44  

前世、母親は恋人であり、愛人が母であった可能性がある。


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