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[24814] Re:[24811] [24806] アダムスキー関連 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/16(Thu) 00:36  

> Kのいうことを理解して、改めてカバラを読み返すとカバラも統合を書いてあることに気づきました。気づきについても書かれていました。
>
> カバラはあるがままが分離した後の、タイプ(両極)善悪等を統合するということではないかと今のところ推測しています。
> ここがKと違うところかなと思ってます。Kはつねに出発点のあるがままに戻ることを言っています。
> カバラはあるがままが分離したあとの思考のタイプを分けてみるという試みだと考えました。

カバラは平河社出版のコリン・ウィルソン著オカルトでしか知りません。イエス以前のグノーシス派あたりから出たものという事ですが、原始的な人間の在り方と言う意味で興味があります。地上に降りた人間がまた天上に戻るという系統図みたいな暗喩に満ちたものでしょうか。
なんか感じられたら話してくださるとうれしいです。


[24813] Re:[24812] [24810] [24808] [24805] [24796] [24776] 生中の聖なるもの(4) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/16(Thu) 00:12  

> > 至福を求めるというか、エネルギーの気に入るはけ口を求めているようにも思います。
> > そして結局思考を頼りにするのか、暴発を含むエネルギーの発露に頼るか、そんなふうに生きているようにも思います。
>
>
>  そんなふうな生の中で、クリシュナムルティと共に歩むことは、>新しい世代−−ではないでしょうか・・。

今、どうしても動物、そして人間とはどういう生き物なのかを、あるいは存在なのかを、哲学的に、あるいは現象学的に見つめ、調べなければならないように思います。やってみます。


[24812] Re:[24810] [24808] [24805] [24796] [24776] 生中の聖なるもの(4) 投稿者:宮啓 投稿日:2017/11/15(Wed) 21:53  

> > > >  >私たちの僅かの人がこれを一緒に見るなら、そしてそれが私のやあなたのものではないなら、しかしそれはそうなのですが、そのとき私たちは新しい世代をつくり出します。−−
> > > >
> > > >
> > > >  私も、クリシュナムルティと一緒に見たい、一緒に旅をしたい。と思っているが、実際は見たくもなく旅したくもない。ただ、至福の境地を欲しているようだ・・。
> > > >  だから、一緒に旅をすることが難しくなる。
> > > >
> > > >  これが、クリシュナムルティが普及しにくい理由ではないでしょうか・・。
> > > >
> > >
> > > とても示唆することの深い返信をありがとう。
> > >
> > > 私たちはいろいろなことを思い、それは全部意識の内容であると。そしてその内容の一つを聖なるものとしようと人はしていると。そのすべてがない空なる心は全く違ったものであると。
> > > あるいはそうでしょうが、もし、空であることを望めば、全部の内容物を見て終わりにするという事がいるという事でしょうか?、無意識内にあるそれ(内容)も含めて。
> >
> >
> >  クリシュナムルティが言っていることは、私たちは「空であることを望む」のではなく、至福を望んでいるということではないでしょうか・・。
> >  もしも、「クリシュナムルティ全集(邦訳版)」と「至福薬」のいずれかひとつを選択できるというプレゼントがあるとすれば、私たちは「至福薬」を選択するのではないでしょうか。
> >
> >  それゆえに、私たちはクリシュナムルティの話を聞いているのではなく、すなわち空を求めているのではなく、至福を求めているので、クリシュナムルティに耳を傾けることができないということではないでしょうか・・。
> >
> >  もしも、私たちが至福を求めていないならば、そのときにはすでに自我は終焉しており、すでに空ということではないでしょうか・・。
> >
> >  それゆえに、「いかにして・・?」の問いは、ここでは意味をなさず、ただ、ただ、覚者の話に耳を傾ける・・しかないのでしょうか。
> >
>
> 至福を求めるというか、エネルギーの気に入るはけ口を求めているようにも思います。
> そして結局思考を頼りにするのか、暴発を含むエネルギーの発露に頼るか、そんなふうに生きているようにも思います。


 そんなふうな生の中で、クリシュナムルティと共に歩むことは、>新しい世代−−ではないでしょうか・・。


[24811] Re:[24806] アダムスキー関連 投稿者:南方 投稿日:2017/11/15(Wed) 16:43  

>
> > 今、Kと同時にアダムスキーを読んでいます。
> > アダムスキーは個人的想念と宇宙的想念をノートに書き記して、テレパシーの存在を確かめたそうです。
> >
> > 想念が周囲の人に伝播するのは、思考・私とうものは一つなぎである可能性が高いと思います。もちろん自分の身体にも。思考の罠を理解すると、やっと身体が動きはじめました。
>
>  アダムスキーを読んでるとは驚きました。ジョージ・アダムスキーをご存知でしたか。

外野席さんに教わって読み始めました。


>  アダムスキーとクリシュナムルティは共通点もありますが、相容れない点もあります。
>  私がアダムスキーを知ったのは1970年代に入ってからです。当時アダムスキーの啓蒙団体日本GAPの会合に、よく参加していました。
>  主催者の久保田八郎氏が亡くなってからは、この会は解散し、今はありません。久保田氏はアダムスキー著作の「宇宙哲学」「生命の科学」「テレパシー」の訳者です。
>  現在はアダムスキー全集として、大きな本屋においてあるのみ。
>  クリシュナムルティを知ったのはその前年。ふとしたきっかけでインドのヨガに興味を持ち、その流れからクリシュナムルティを知りました。
>  驚いたのは日本GAPの機関誌にKの訳文がのっていたことです。久保田氏訳で、邦題「未来への伝言」。原題「ライフヘッド」。
>  70年代から80年代は、ニューエージというかインドを中心とした精神世界ブームになった年代です。一声を風靡したスワミ・ラジネーシ(和尚・代表作「存在の詩」)もその時代です。
>  その後、オウムの影響によって、そのブームは日本では下火になりました。
>  UFOや超能力ブームが起きたのも、70年代から80年代にかけて。
>
>  アダムスキーの代表作
>  「宇宙哲学」「生命の科学」「テレパシー」「空飛ぶ円盤同乗記」「宇宙からの訪問者」など。
>  彼は想念観察法を提唱
>  日本GAPから、別れていくつかグループができましたが、その一つが「UFO教育グループ」主宰 韮沢潤一郎。彼はよくテレビに出ていて、現在は、たま出版の社長。グループは解散。
>  もう一つは山本佳人率いる「CRC」「SPNW」。現在解散
>  彼は、困難といわれた想念観察法を唯一為し遂げた人物と知られる。かってインド哲学の権威中村元氏は彼の著作を見て「天才」と評した。
>  宇宙意識との一体化経験多数。(「神秘体験」を検索すれば出てきます)
>  いわば宇宙哲学の実践的研究者。
>  主な著書「宇宙意識の哲学的研究」「生命宇宙論」「かみさまみたよ」「生まれ変わりの大法則」など多数。
>  特定の組織に属さず、真理の探究に没頭。研究の分野は多岐にわたる。
>  古代インド哲学、中世および近世神秘主義哲学、超越主義、現象学などなど
>  これらの研究は家族に迷惑を及ぼさない深夜に行ったという。普通にサラリーマン生活を経て、昨年没。ことさらに家族を優先させた。研究よりも。まさに「愛」の人といえる。
>  彼の著作を読めば、真理というのは何たるかがわかる。我々が真理を実現しなくとも。
>
>


Kのいうことを理解して、改めてカバラを読み返すとカバラも統合を書いてあることに気づきました。気づきについても書かれていました。

カバラはあるがままが分離した後の、タイプ(両極)善悪等を統合するということではないかと今のところ推測しています。
ここがKと違うところかなと思ってます。Kはつねに出発点のあるがままに戻ることを言っています。
カバラはあるがままが分離したあとの思考のタイプを分けてみるという試みだと考えました。




[24810] Re:[24808] [24805] [24796] [24776] 生中の聖なるもの(4) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/15(Wed) 16:04  

> > >  >私たちの僅かの人がこれを一緒に見るなら、そしてそれが私のやあなたのものではないなら、しかしそれはそうなのですが、そのとき私たちは新しい世代をつくり出します。−−
> > >
> > >
> > >  私も、クリシュナムルティと一緒に見たい、一緒に旅をしたい。と思っているが、実際は見たくもなく旅したくもない。ただ、至福の境地を欲しているようだ・・。
> > >  だから、一緒に旅をすることが難しくなる。
> > >
> > >  これが、クリシュナムルティが普及しにくい理由ではないでしょうか・・。
> > >
> >
> > とても示唆することの深い返信をありがとう。
> >
> > 私たちはいろいろなことを思い、それは全部意識の内容であると。そしてその内容の一つを聖なるものとしようと人はしていると。そのすべてがない空なる心は全く違ったものであると。
> > あるいはそうでしょうが、もし、空であることを望めば、全部の内容物を見て終わりにするという事がいるという事でしょうか?、無意識内にあるそれ(内容)も含めて。
>
>
>  クリシュナムルティが言っていることは、私たちは「空であることを望む」のではなく、至福を望んでいるということではないでしょうか・・。
>  もしも、「クリシュナムルティ全集(邦訳版)」と「至福薬」のいずれかひとつを選択できるというプレゼントがあるとすれば、私たちは「至福薬」を選択するのではないでしょうか。
>
>  それゆえに、私たちはクリシュナムルティの話を聞いているのではなく、すなわち空を求めているのではなく、至福を求めているので、クリシュナムルティに耳を傾けることができないということではないでしょうか・・。
>
>  もしも、私たちが至福を求めていないならば、そのときにはすでに自我は終焉しており、すでに空ということではないでしょうか・・。
>
>  それゆえに、「いかにして・・?」の問いは、ここでは意味をなさず、ただ、ただ、覚者の話に耳を傾ける・・しかないのでしょうか。
>

至福を求めるというか、エネルギーの気に入るはけ口を求めているようにも思います。
そして結局思考を頼りにするのか、暴発を含むエネルギーの発露に頼るか、そんなふうに生きているようにも思います。


[24809] Re:[24807] [24800] [24797] [24792] [24791] [24790] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/15(Wed) 15:52  

> > >   反応をどうこうしようとすることなしに見ている、よく感じていることがすべてです。それが理解です。
> > >
> > >  (注)これは事実?それとも仮説?

これは誰かとの会話の中で相手が反応した時、あるいは私が頭の中で反応した時、私にとって事実です。
(注)私は今まであなたはKの本を読んだ人として話してきましたがそれをやめて、全く新しく話し直します。

>  主観的事実も何も、あなたに起きた事実を述べるだけでいいのではないですか。
>  反応というのは誰でも起きるものでしょう。違いますか。人の心内はわかりません。覗くことはできない。だからこうして話し合っているのです。

はい、起きた事実を話しましょう。

>  たとえば、皆で共通の映画を見て、終わったあと皆が感想をいう。そこではじめて個個の考え方、感じ方の違いがわかるのではないですか。

そうですね。

> 再録
> > >   反応をどうこうしようとすることなしに見ている、よく感じていることがすべてです。それが理解です。
>
>  ある人に注意されて,イライラが起きる。そのとき起きたイライラした心をそのまま見るということです。

イライラが起きたとき、気づき、ただ見始めます。心は静かです。イライラしていません。思考が続けて文句を言えば、それは知覚します。

>  これは自身を見てればわかることではないですか。これは皆共通でしょう。

共通でないかもしれませんよ。イライラしない静かな心で見ていないかも。

>  イライラしている心をそのまま見ることが出来なければ、そのイライラに思考がつかまってしまうことは、私たちはよく経験します。

はい、そうです。私も昔そうでした。

>  イライラの過程に目を向くのではなく、そのイライラした原因の方に目が向き、原因とされた相手に意識の矛先がいってしまうということは私たちがよくやることです。そして相手を非難する。

確かに一般にそうです。その時見ることではなく、相手に批判の目が向いています。

>  クリシュナムルティの「アローン」というのは、人間は皆同じ悩みや苦しみを抱えているという意味で、「人類は一つ」といってるのではないでしょうか。心理的な意味でです。

これはあなたの意見ですね。あなたの事実はどうなのかな。

> > >  反応は頭の中だけで見られていることもあるし、咄嗟に声なり何なり表に出るのもあるでしょう。

ここまでは事実です。

> > > その分離をもたらすときは思考が行動の主体になっているわけです。

これは説明言葉ですね、分離がもたらされる場合の。しかし事実でもあります。カットしても結構です。

>  分離とおっしゃいますが何かことばにとらわれていませんか。あるいは「私」という言葉も,あなたはよく使う。
>  分離とか「私」というのは、Kが使う言葉であって、その意味をとらえればいいのであって、私たち同士の会話では使うことはないと思います。普通の言葉で話せばいい。
>  たとえば一般の人に「分離」といってもわからない。
>  クリシュナムルティをお互い読んでいるという了解の上で、分離という言葉を使っているのでしょうか。

そうですが。しかし分離が気に入らないならカットします。Kを知らない人として話します。

> > >  しかし、気づきの知覚がしっかりと見られている時は主体は思考ではなく気づき、知覚であるわけです。その時理解があります。
>
>  気づく「主体」がいるでしょう。つまり観音様です。この観音様が出現しないと、「観察するは観察される」というのは理解出来ません。

観音様は比喩的な表現で、事実を言うと、心は静かで事実を知覚している。観察者はいない状態ですね。

>  この観音様の出現が実は驚くべき状態でなのです。私でない私の発見。

これは説明もしくは意見ですね。

> >仏教の言葉で言うと妙観察知が働きます。心は全体、自分の全組織のみでなく、周囲にも働くようです。そしてその反応も自分を理解し消えていくようです。それはその場ではなく、のちにわかることですが。ここに書いたことはKの言った事ではなく、私の観察からの仮説です。
>
> やっぱりあなたの仮説ですか。了解。
>
> > >  これは自分自身に起きた事実のことを書いているのではなく「仮説」ということですか。つまり説明?

自身に起きて感じたことです。従って事実ではあるのですが、終わるというのは厳密にいうと何年たてば終わりと言えるかという事がある。しかし私には既に問題でなくなって忘れているなら終わりと言えるでしょう。禁煙が本当かと言うと30年以上たつが、来年も吸う事がぶり返さないかは誰にもわからない。それで終わるが入ると仮説と言っています。

> > 自分自身に起きる事実を自分の言葉で書いています。一般化して書いているので説明にもなっています。これも証明できることではありません。
>
>  証明といいますが、人の心内は見えないものでしょう。目で確認するものではない。何考えるかなんて、はたではわからない。だから会話するわけです。
>  ああそういうことかと。

そういうふうに書きましょう。

> > >  Kの言ったこと?ではなく、自論?ですか。
> > >  あなたはこれまでKのいったことを疑いもなくそのまま追随しておられるのではなかったか。意外な言葉です。

違います。何か自分で思うことなしに人の言葉通りに書くなどできません。

> > Kの言葉を自分で主観的に体験して、たぶんKの言う事はこういう事だろうと思ってはいます。ヒントとして受け取ってもいます。しかし体験を自分の言葉で描写し、一般化して言っています。それゆえ、自分で間違っていると思えば謝って取り消します。しかし自分が独創的に発見したという意味の自論ではありません。
>
> ?

こういうことは理解していただけないようだ。言うのをやめましょう。

> > >  観察とは自身で起きてることを、ただ見てるということではなかったか。

相手は伝えたいことを言ったらこちらの応答を求めます。何か行動しないといけない場合がほとんどでしょう。それが日常生活でしょう。自分だけでも、次々といろいろなことをするはずです。あ、洗い物を忘れていたとか。

> > ただ見るという「ただ」は自分の条件付けで反応しないという事を範囲を一般的に拡大して言っているわけです。非難正当化なしにとか、選択なしにとか観察者のいない観察とか、言い始めれば場合場合でキリがない。
>
>  反応が起きたとき、思考で色付けしないということです。言語化せずに見る。
>  イライラが起きたとき、そのままイライラの過程を見る。
>  Kはよく「思考過程」という。プロセス。
>  その見ている状態が、すでに「超越的」だということ。
>  チェンジオブステージ。舞台の転換。まさに変容。

あなたの言う事はお話、物語的で実際にイライラなり何なりをどんなふうに見ているかがわからない。超越的に見ていると言われてもこまるのですが、比喩でなく話すことはできませんか? ま、あなたが超越的に実際に見ているなら結構なことです。


[24808] Re:[24805] [24796] [24776] 生中の聖なるもの(4) 投稿者:宮啓 投稿日:2017/11/15(Wed) 15:18  

> >  >私たちの僅かの人がこれを一緒に見るなら、そしてそれが私のやあなたのものではないなら、しかしそれはそうなのですが、そのとき私たちは新しい世代をつくり出します。−−
> >
> >
> >  私も、クリシュナムルティと一緒に見たい、一緒に旅をしたい。と思っているが、実際は見たくもなく旅したくもない。ただ、至福の境地を欲しているようだ・・。
> >  だから、一緒に旅をすることが難しくなる。
> >
> >  これが、クリシュナムルティが普及しにくい理由ではないでしょうか・・。
> >
>
> とても示唆することの深い返信をありがとう。
>
> 私たちはいろいろなことを思い、それは全部意識の内容であると。そしてその内容の一つを聖なるものとしようと人はしていると。そのすべてがない空なる心は全く違ったものであると。
> あるいはそうでしょうが、もし、空であることを望めば、全部の内容物を見て終わりにするという事がいるという事でしょうか?、無意識内にあるそれ(内容)も含めて。


 クリシュナムルティが言っていることは、私たちは「空であることを望む」のではなく、至福を望んでいるということではないでしょうか・・。
 もしも、「クリシュナムルティ全集(邦訳版)」と「至福薬」のいずれかひとつを選択できるというプレゼントがあるとすれば、私たちは「至福薬」を選択するのではないでしょうか。

 それゆえに、私たちはクリシュナムルティの話を聞いているのではなく、すなわち空を求めているのではなく、至福を求めているので、クリシュナムルティに耳を傾けることができないということではないでしょうか・・。

 もしも、私たちが至福を求めていないならば、そのときにはすでに自我は終焉しており、すでに空ということではないでしょうか・・。

 それゆえに、「いかにして・・?」の問いは、ここでは意味をなさず、ただ、ただ、覚者の話に耳を傾ける・・しかないのでしょうか。



[24807] Re:[24800] [24797] [24792] [24791] [24790] 無題 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/15(Wed) 11:14  

> >   反応をどうこうしようとすることなしに見ている、よく感じていることがすべてです。それが理解です。
> >
> >  (注)これは事実?それとも仮説?
>
>
> 私は主観的にそう感じています。そういう意味で私の主観的事実です。これは精神的な問題なので、今は客観的に証明できません。そういう意味で仮説です。

 主観的事実も何も、あなたに起きた事実を述べるだけでいいのではないですか。
 反応というのは誰でも起きるものでしょう。違いますか。人の心内はわかりません。覗くことはできない。だからこうして話し合っているのです。
 たとえば、皆で共通の映画を見て、終わったあと皆が感想をいう。そこではじめて個個の考え方、感じ方の違いがわかるのではないですか。

再録
> >   反応をどうこうしようとすることなしに見ている、よく感じていることがすべてです。それが理解です。

 ある人に注意されて,イライラが起きる。そのとき起きたイライラした心をそのまま見るということです。
 これは自身を見てればわかることではないですか。これは皆共通でしょう。
証明も何もない。
 イライラしている心をそのまま見ることが出来なければ、そのイライラに思考がつかまってしまうことは、私たちはよく経験します。
 イライラの過程に目を向くのではなく、そのイライラした原因の方に目が向き、原因とされた相手に意識の矛先がいってしまうということは私たちがよくやることです。そして相手を非難する。
 クリシュナムルティの「アローン」というのは、人間は皆同じ悩みや苦しみを抱えているという意味で、「人類は一つ」といってるのではないでしょうか。心理的な意味でです。
>
> >  反応は頭の中だけで見られていることもあるし、咄嗟に声なり何なり表に出るのもあるでしょう。その分離をもたらすときは思考が行動の主体になっているわけです。

 分離とおっしゃいますが何かことばにとらわれていませんか。あるいは「私」という言葉も,あなたはよく使う。
 分離とか「私」というのは、Kが使う言葉であって、その意味をとらえればいいのであって、私たち同士の会話では使うことはないと思います。普通の言葉で話せばいい。
 たとえば一般の人に「分離」といってもわからない。
 クリシュナムルティをお互い読んでいるという了解の上で、分離という言葉を使っているのでしょうか。
> >
> >  しかし、気づきの知覚がしっかりと見られている時は主体は思考ではなく気づき、知覚であるわけです。その時理解があります。

 気づく「主体」がいるでしょう。つまり観音様です。この観音様が出現しないと、「観察するは観察される」というのは理解出来ません。
 この観音様の出現が実は驚くべき状態でなのです。私でない私の発見。

>仏教の言葉で言うと妙観察知が働きます。心は全体、自分の全組織のみでなく、周囲にも働くようです。そしてその反応も自分を理解し消えていくようです。それはその場ではなく、のちにわかることですが。ここに書いたことはKの言った事ではなく、私の観察からの仮説です。

やっぱりあなたの仮説ですか。了解。

> >  これは自分自身に起きた事実のことを書いているのではなく「仮説」ということですか。つまり説明?
>
> 自分自身に起きる事実を自分の言葉で書いています。一般化して書いているので説明にもなっています。これも証明できることではありません。

 証明といいますが、人の心内は見えないものでしょう。目で確認するものではない。何考えるかなんて、はたではわからない。だから会話するわけです。
 ああそういうことかと。
>
> >  Kの言ったこと?ではなく、自論?ですか。
> >  あなたはこれまでKのいったことを疑いもなくそのまま追随しておられるのではなかったか。意外な言葉です。
>
> Kの言葉を自分で主観的に体験して、たぶんKの言う事はこういう事だろうと思ってはいます。ヒントとして受け取ってもいます。しかし体験を自分の言葉で描写し、一般化して言っています。それゆえ、自分で間違っていると思えば謝って取り消します。しかし自分が独創的に発見したという意味の自論ではありません。


>
> >  観察とは自身で起きてることを、ただ見てるということではなかったか。
>
> ただ見るという「ただ」は自分の条件付けで反応しないという事を範囲を一般的に拡大して言っているわけです。非難正当化なしにとか、選択なしにとか観察者のいない観察とか、言い始めれば場合場合でキリがない。

 反応が起きたとき、思考で色付けしないということです。言語化せずに見る。
 イライラが起きたとき、そのままイライラの過程を見る。
 Kはよく「思考過程」という。プロセス。
 その見ている状態が、すでに「超越的」だということ。
 チェンジオブステージ。舞台の転換。まさに変容。


[24806] アダムスキー関連 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/15(Wed) 10:21  


> 今、Kと同時にアダムスキーを読んでいます。
> アダムスキーは個人的想念と宇宙的想念をノートに書き記して、テレパシーの存在を確かめたそうです。
>
> 想念が周囲の人に伝播するのは、思考・私とうものは一つなぎである可能性が高いと思います。もちろん自分の身体にも。思考の罠を理解すると、やっと身体が動きはじめました。

 アダムスキーを読んでるとは驚きました。ジョージ・アダムスキーをご存知でしたか。
 アダムスキーとクリシュナムルティは共通点もありますが、相容れない点もあります。
 私がアダムスキーを知ったのは1970年代に入ってからです。当時アダムスキーの啓蒙団体日本GAPの会合に、よく参加していました。
 主催者の久保田八郎氏が亡くなってからは、この会は解散し、今はありません。久保田氏はアダムスキー著作の「宇宙哲学」「生命の科学」「テレパシー」の訳者です。
 現在はアダムスキー全集として、大きな本屋においてあるのみ。
 クリシュナムルティを知ったのはその前年。ふとしたきっかけでインドのヨガに興味を持ち、その流れからクリシュナムルティを知りました。
 驚いたのは日本GAPの機関誌にKの訳文がのっていたことです。久保田氏訳で、邦題「未来への伝言」。原題「ライフヘッド」。
 70年代から80年代は、ニューエージというかインドを中心とした精神世界ブームになった年代です。一声を風靡したスワミ・ラジネーシ(和尚・代表作「存在の詩」)もその時代です。
 その後、オウムの影響によって、そのブームは日本では下火になりました。
 UFOや超能力ブームが起きたのも、70年代から80年代にかけて。

 アダムスキーの代表作
 「宇宙哲学」「生命の科学」「テレパシー」「空飛ぶ円盤同乗記」「宇宙からの訪問者」など。
 彼は想念観察法を提唱
 日本GAPから、別れていくつかグループができましたが、その一つが「UFO教育グループ」主宰 韮沢潤一郎。彼はよくテレビに出ていて、現在は、たま出版の社長。グループは解散。
 もう一つは山本佳人率いる「CRC」「SPNW」。現在解散
 彼は、困難といわれた想念観察法を唯一為し遂げた人物と知られる。かってインド哲学の権威中村元氏は彼の著作を見て「天才」と評した。
 宇宙意識との一体化経験多数。(「神秘体験」を検索すれば出てきます)
 いわば宇宙哲学の実践的研究者。
 主な著書「宇宙意識の哲学的研究」「生命宇宙論」「かみさまみたよ」「生まれ変わりの大法則」など多数。
 特定の組織に属さず、真理の探究に没頭。研究の分野は多岐にわたる。
 古代インド哲学、中世および近世神秘主義哲学、超越主義、現象学などなど
 これらの研究は家族に迷惑を及ぼさない深夜に行ったという。普通にサラリーマン生活を経て、昨年没。ことさらに家族を優先させた。研究よりも。まさに「愛」の人といえる。
 彼の著作を読めば、真理というのは何たるかがわかる。我々が真理を実現しなくとも。




[24805] Re:[24796] [24776] 生中の聖なるもの(4) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/14(Tue) 23:30  

> > ゴト: この最後の質問に、Kは思考が意識の内容の一つを聖なるものにしようとすることを、つまり快楽として手に入れようとすること、それゆえそれに聖なものはないことを含みの多い形で答えてくれました。これで補足的質問も併せて今回の公開対話話は終了しました。
> >
> > (訳者: N.Goto)2001.04.掲載
>
>
>  この文献はとても重要と感じました。
>
>  私たちは、過去の思い出、幼少の頃の記憶、今は亡き人との思い出、等々を神聖なものにして大切にします。
>
>  心の内容の一部を神聖にする。
>
>  しかし、それは過去に過ぎ去った灰であり、その実態である記憶(電気回路:脳神経回路)そのものは、神聖ではない。
>
>  電気回路ではなく、実体としての神聖はあるのか・・?
>
>  私たちは、「この生の中の聖なるもの」を探求することと、余暇を娯楽で過ごすのと、どちらを選ぶのだろうか・・。
>
>  私は、今日は娯楽で過ごしてしまった。
>
>  クリシュナムルティと一緒に旅に出ることは難しい。
>
>  言葉なしに聞くことは難しい。
>
>   >ありのままのあなたの生を―ありのままの―すなわち、私たちの葛藤、私たちの悲惨、私たちの悲しみを処理するだけであるなら、それの解決のなかに、他のもの(the other)が起こるかもしれないでしょうに。−−、現代文化や現代文明がそれらを処理しているように一見見える、が、>しかしあなたはそれを解決していませんが、他のものを望んでいます。−−、現代文明や文化は娯楽や物質的改善等々によって回避・逃避のネットワークで上手くかわしているだけであって、決して私たちの葛藤、私たちの悲惨、私たちの悲しみを処理してはいないと陳述しているのでしょうか。
>
>
>  >クリシュナムルティ: 待ってください、私はそれをあなたに示そうとしています。そこで心は思考なしにあることが、そして必要なときに思考を用いることが出来るでしょうか? それは思考がない心が思考を使用し、思考と共に生きることが出来るということです。調和して。一つのものともう一つのものではなく。そしてこれが瞑想です。そのため心は思い違いがありません。そして思い違いはあなたが達成することを望むとき起こります。あなたが「私はそれを獲得しなければならない」と言うとき、するとそのとき、あなたは獲得するものを発明することができ、それを得たと思います。しかし、常にあなたがマントルピースの上のあの木切れを思い出すことが出来るなら―おわかりですか?−−、重要な注意事項。瞑想とその落とし穴。
>
>
>  >それゆえ私の心、それゆえ私の心全体が神聖です―その内容が神聖なのではなく。私はあなたがこのすべてと出会っているかどうかなと思います―完全に空である心のその性質。そしてその空虚、空間、静寂から思考は作動できます。これはすべて私の描写です、わかりますか―それはあなたのではありません。−−
>
>  >さて、私たちの僅かの人がこれを一緒に見るなら、そしてそれが私のやあなたのものではないなら、しかしそれはそうなのですが、そのとき私たちは新しい世代をつくり出します。そしてそのときあなたは人々を変えることに、権力にある人々の心を変えることに悩まされないでしょう。彼らは変える価値がありません。権力にあるどんな人も腐敗しています。−−
>
>  >私たちの誰かは一緒に旅をしたでしょうか? ある点まで。それは充分でしょうか?−−
>
>
>  私は一緒に旅することが充分にはできなかったようです。
>
>
>  >聖なるものを見出すためには、心はそれ自身の全部の内容を知らなければなりません。そしてその内容が意識をつくります。おわかりですか、あなた。意識はその内容です。内容がないなら他の何かがあります。ないでしょうか? 私の心の内容が悩み、憤り、成就を望むこと、苦しさ、心配、恐怖、そんなにも多くの事への恐れ、これやあれをしたいと思うことであるなら、それが私の意識の内容です。内容がないとき、まったく違った何かがあります。そして私たちは内容の一つを聖なるものにしようとします。おわかりですか? それが全部の内容、意識や無意識を知らなければならない理由です。そしてそれは別の問題です。−−
>
>
>  この文献はクリシュナムルティの核心の要約のようであり、この文献を見つけて翻訳したゴトさんには感心しております。
>
>  それにしても、クリシュナムルティ理解は、何度読んでも、新しく学ぶことが大きくてフレッシュでダイナミックに感じます。
>
>  しかし、先進国の現代における娯楽のネットワークが、クリシュナムルティの学びのダイナミックさを凌駕しているようです。
>
>
>  >私たちの僅かの人がこれを一緒に見るなら、そしてそれが私のやあなたのものではないなら、しかしそれはそうなのですが、そのとき私たちは新しい世代をつくり出します。−−
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>  私も、クリシュナムルティと一緒に見たい、一緒に旅をしたい。と思っているが、実際は見たくもなく旅したくもない。ただ、至福の境地を欲しているようだ・・。
>  だから、一緒に旅をすることが難しくなる。
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>  これが、クリシュナムルティが普及しにくい理由ではないでしょうか・・。
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とても示唆することの深い返信をありがとう。

私たちはいろいろなことを思い、それは全部意識の内容であると。そしてその内容の一つを聖なるものとしようと人はしていると。そのすべてがない空なる心は全く違ったものであると。
あるいはそうでしょうが、もし、空であることを望めば、全部の内容物を見て終わりにするという事がいるという事でしょうか?、無意識内にあるそれ(内容)も含めて。
西欧の宗教で真理とされた教条の中にはヒトと動物の違いだけでなく、男女差も入っています。牛を聖牛と名付ける宗教もあります。世界は広いです。

秩序の内にあるものが神聖なのでしょうか? はて、読んだばかりのこの講話をもう忘れている。


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