雑感
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[27113] 無題 投稿者:trimurti 投稿日:2019/04/26(Fri) 20:10  

恋愛は冷徹なものぢやないだらうが、決して間の抜けたものぢやない。それ処か、人間惚れれば惚れない時より数等利口になるとも言へるのである。惚れた同士の認識といふものには、惚れない同士の認識に比べれば比較にならぬ程、迅速な、溌剌とした、又独創的なものがある筈だらう。(……)

理知はアルコオルで衰弱するかも知れないが、愛情で眠る事はありはしない、寧ろ普段は眠つてゐる様々な可能性が目醒めると言へるのだ。傍目には愚劣とも映ずる程、愛情を孕んだ理知は、覚め切つて鋭いものである。


[27112] 気の毒 投稿者:南方 投稿日:2019/04/26(Fri) 20:06  

生まれもって人と形式だけでも常識的に対話できない方を本当に気の毒に思う。




[27111] 無題 投稿者:trimurti 投稿日:2019/04/26(Fri) 20:04  

かつて私は、現実を超え、現物を感じさせる女を、「広辞苑」に内緒で、女優と定義したが、実は、女は、すべてが現実を超えていて、現物なのである。女は、すべて女優なのである。


[27110] 無題 投稿者:trimurti 投稿日:2019/04/26(Fri) 18:46  

しょっちゅう、このような地獄にまきこまれます。


[27109] 今日の修羅場の一部を公開 投稿者:trimurti 投稿日:2019/04/26(Fri) 18:45  


私を1番に考えて行動してくれる人が良いので、後、長男は、無理!やっぱり、婿養子か、茨城県に、住んでくれて、仕事をしていて収入があって、車の免許がある方でないと、無理です。
18:26 t スタンプ
18:27 ♡♡♡ 現実を、生きるには、
仕方ないです!
18:28 t スタンプ
18:30 ♡♡♡ 不安神経症なので、車の免許がない方は、やっぱり何かあった時に困るし、毎日不安になると思う。経済的にも。こちらを頼りにする男性は、ヒモみたいだし、男性として、見れないのです!

現実の生活を送る上で
最低限のマナーも必要かと!
18:30 t がんばる。
18:31 ♡♡♡ 結果を、見てからでないと、答えられないです!
18:31 t がんばります。みててください。
18:32 ♡♡♡ お母さんが絶対的になると思いますよ!泰志さんの場合は、日々の習慣の様にお母さんが1番だから!無理だと思います!
18:32 taishi ohira そんなことないよ。

18:42 ♡♡♡ 私は一人っ子なので、椅子からこの前転倒した母を見て、私が守ってあげないと!と想ったのです!私の理想は、私のお母さんを大事にしてくれて、仕事をしていて、車の免許がある人、長男以外、婿養子的になれる方、障害者ではなく、私と私の母を守っていただける方!お父さんみたいな、本当の男性!責任感のある、礼儀正しい人です!ごめんなさいね🙇‍♀️


[27108] Re:[27107] 無題 投稿者:南方 投稿日:2019/04/26(Fri) 15:49  

> かわいい女の子みて、興奮するのは思考ではなく本能では?
>
> 逆に、ブス見て、この人は高年収だ、顔はいやだが、一緒に暮らしてその金で浮気しようとかは、思考のきがする。



かわいくても、好きというハートの感情がなければ興奮も半減する。


[27107] 無題 投稿者:trimurti 投稿日:2019/04/26(Fri) 11:53  

かわいい女の子みて、興奮するのは思考ではなく本能では?

逆に、ブス見て、この人は高年収だ、顔はいやだが、一緒に暮らしてその金で浮気しようとかは、思考のきがする。


[27106] Re:[27105] [27085] [27082] 思考と事実 投稿者:南方 投稿日:2019/04/26(Fri) 11:15  

>
> > > そこに思考と木があるのではありません。事実は木だけです。
>
> > 思考なしでは違った事実が見えてくる、というのが正確な表現ではないでしょうか。「違った」事実が見えてくるのである、ということは、思考もまた事実の一部だということになります。違って見えるということは、事実の一部で関係し合ってなければ起こらない現象ですから。
>
> 確認しておきますが、「木」というのは外部のものです。
> 私たちに目に見えるもの。
> 思考というのは、いうまでもなく私たちの頭に起きてくるものです。
> 外部と内面
> その辺のところを混同してませんか。
> 別なものをいっしょにしてませんか
>


思考を全体としての現象の一部、として捉えれば、外部と内部という表現は適切ではないことが、わかると思います。
「私」という感覚が強く、全体性を失っているがために、内部と外部という言葉使いが出てくるのだと思いますが、いかがでしょうか?


> それに違った事実って何ですか。
> 違うも何も、そこに木があるだけでしょう。
> 思考なしに世界を見れば、ただ「あるもの」が存在するだけです。
> あるものとは、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、いわば感覚器官でとらえられるもの。知覚されたもの。
> ようするに外界。
>
>


上述したように、思考は全体の現象の一部でありますから、その一部が欠けた時には、当然世界も変わる、ということです。



> > > > > > そこに、木が汚いという思考があれば、それは汚い木になるわけです。
> > > > >
> > > > >  汚いというのは人間の観念であって、現実に「ない」ものです。
> > > > >  事実は、そこに木があるだけです。
> > > > >
> > > >
> > > >
> > > > 残念ながら、事実は木があるだけではないでしょうね、人間にとっては。仮に思考が無くなった時、木が今のままであるかというと、そうも言いきれない。
> > >
> > > 現実に今のままでしょう。野原を見てください。
>
> 人間がどうであろうと、自然は活動している。
> 木は年月が来れば枯れる。
> 人間に見えない世界でも、し烈に活動している。
> 目に見える世界は、ほんの一部。人間はそれしか知らない。
> 表面的なものしか。




そうでしょう、自然は人間がいようがいまいが活動している。ただ、繰り返しますが、全体の一部としての現象の思考が欠けたときは、必ず違う様相を見せるのです。
例えば、父親が亡くなり、母子家庭になった時の子供は、両親がいる時とは違う考え方になるように、です。




> > >
> >
> > この世界から人間の思考が無くなった時、世界は全く違う様相を現す、と思います。
>
>  同じです。人間がいようといまいと。星座を見てください。
>  人間が滅亡しようがしまいが、この大宇宙は活動している
> 。人間など地球から見れば、蟻んこです。はいつくばってるだけ。
>  それに人間がいようといまいと地球にとっては関係ありません。むしろ目障り。核なるものを作ったので。
>


目障りなのは、「私」という感覚に根付いた人間の思考が、自然を搾取し始めたからでしょう。
そこまで自己卑下しなくて、いいと思います。全体性を取り戻せば、人間もまた仲間に入れてもらえるでしょう。


>  (アダムスキーは、「真理とは活動である」といっている)
>
>  人間に思考が与えられたこそ、世界を認識できます。宇宙があると。
>  もしなければ認識できません。宇宙が「ない」のと同じ。
>  宇宙は基本的に暗黒。人間に光がわかる感覚器官が与えられたので、かろうじて、宇宙があることがわかる。


これは傲慢ですね。思考がなければ宇宙は無い、とはまさに人間中心主義。


> >
> >
> >
> > > >事物はお互いに関係しあっているのだから。思考が木に与える影響は計り知れない。とは、思いませんか?
> > >
> > > 全くありません。
> > > 自然環境においては、木は重要な役割をしています。そこには人間など入り込む余地はない。逆に人間は大地から養われている。
> > >
> > > その重要な資源を食い尽くし、次々に木を伐採しているのは、それこそ人間の思考でしょう。
> > > >
> >
> >
> > そうですね。自然と分離した感覚を持った思考は自然を食い尽くしてしまう。
> > しかし、自然と分離していない思考は自然に対する畏敬の念、共生の意識、生かし生かされているという実感を持ちうるでしょう。
>
>  自然と分離していない思考って何ですか?
> そもそも、思考そのものが分離です。
>  だからこそ、世界を認識できる。
>  それが思考の役目。
>  自分と対象、主体と客体。「みるもの」「みられるもの」
>
>


昨日書いたと思いますが、「分離していない」という表現は主体性を暗示します。全体としての現象の一部としての思考ですね。


>  世界をつなぐのは、内部にある共感作用です。コミニュケーション作用。
>  元々人間を除く、動植物は世界とつながっています。共感作用によって。それぞれ持ち分をわきまえ、一体生活を築いている。
>  
>
>


「私」という感覚が希薄なとき、共感もなにも、当然自分のこととして受け止められるのではないですか?
思考が邪魔なのではなく、「私」という感覚が邪魔なのでは?


> > > > > > つまり、事実とは、思考から切り離された何かではなく、思考も含めてのものだということです。
> > > > >
> > > > >  だとしたらクリシュナムルティの言ってることは成立しません。
> > > > >  Kのいうのは過去の経験記憶である思考を手放し事実を見よ、ということです。
> > > > > >
> > > > >
> > >
> > > > Kの言ってる事は、観察者と観察されるものは分離してはいない、ということもあるでしょう。
> > >
> > > つまり見るもの、見られるもの、とは自分の作り出した思考ということです。
> > > 自分自身を対象化したものが思考。試しに目を瞑れば、いくらでも思考が湧いてきます。次々と。イメージとして。
> > > 人はそのイメージで、世界を見ている。そこに問題がある。
> > >
> >
> >
> > これは内部的に起こっている現象です。
>
> はい。内部の話。
>
> この世界は、実は自分の作りだした思考の投影ではないのか。
> という言説は、仏教の唯識でも語られたことです。
> 生長の家では、すべての減少では人間の心の影だと。
> >
> >


仏教も成長の家も興味ありません。ただ、先程も申し上げた通り、思考がなければ自然は存在しない、というのはあまりにも人間中心的であると思います。


>
> > > 影響って何ですか。クリシュナムルティは、そんなことは言ってないでしょう。
> > > それと全く思考のない木の有様って何ですか。
> > >
> >
> >
> > その有様は人間には分からないものでしょうね。
>
> わからない?

人間がいなくなったあとの世界を人間がわかるはずがないでしょう?


> >
> >
> > > 日常生活では、人間は思考なしで、事物を見ているのではないですか。
> > > 桜の花を見るときは、ただ見てるだけです。何かを感じます。それだけです。思考の入る余地はありません。
> > > 感じたものを表現するだけです。
> > >
>
> > そういう時もありますし、そうでない時もありますし、他の人がどうなのかは分かりません。
> >
> 何か対象について、興味関心がわくとき、人はじっと観察するのではないですか。何かなと。
> 展覧会のとき、人はじっと絵を見る。
> 桜が咲くと、人はじっと花を見る。
> 下賤な例で恐縮ですが、そこに女の子が歩いているとき、関心興味がわけば、じっと女の子を観察するでしょう。そのあと、判断評価という思考が出てくる。
>
>


思考があっても「私」という感覚が希薄であれば、思考は問題になりませんが、思考なしに見ている時もありますし、その後思考が発生することもあります。


[27105] Re:[27085] [27082] 思考と事実 投稿者:無明 投稿日:2019/04/26(Fri) 10:33  


> > そこに思考と木があるのではありません。事実は木だけです。

> 思考なしでは違った事実が見えてくる、というのが正確な表現ではないでしょうか。「違った」事実が見えてくるのである、ということは、思考もまた事実の一部だということになります。違って見えるということは、事実の一部で関係し合ってなければ起こらない現象ですから。

確認しておきますが、「木」というのは外部のものです。
私たちに目に見えるもの。
思考というのは、いうまでもなく私たちの頭に起きてくるものです。
外部と内面
その辺のところを混同してませんか。
別なものをいっしょにしてませんか

それに違った事実って何ですか。
違うも何も、そこに木があるだけでしょう。
思考なしに世界を見れば、ただ「あるもの」が存在するだけです。
あるものとは、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、いわば感覚器官でとらえられるもの。知覚されたもの。
ようするに外界。


> > > > > そこに、木が汚いという思考があれば、それは汚い木になるわけです。
> > > >
> > > >  汚いというのは人間の観念であって、現実に「ない」ものです。
> > > >  事実は、そこに木があるだけです。
> > > >
> > >
> > >
> > > 残念ながら、事実は木があるだけではないでしょうね、人間にとっては。仮に思考が無くなった時、木が今のままであるかというと、そうも言いきれない。
> >
> > 現実に今のままでしょう。野原を見てください。

人間がどうであろうと、自然は活動している。
木は年月が来れば枯れる。
人間に見えない世界でも、し烈に活動している。
目に見える世界は、ほんの一部。人間はそれしか知らない。
表面的なものしか。
> >
>
> この世界から人間の思考が無くなった時、世界は全く違う様相を現す、と思います。

 同じです。人間がいようといまいと。星座を見てください。
 人間が滅亡しようがしまいが、この大宇宙は活動している
。人間など地球から見れば、蟻んこです。はいつくばってるだけ。
 それに人間がいようといまいと地球にとっては関係ありません。むしろ目障り。核なるものを作ったので。

 (アダムスキーは、「真理とは活動である」といっている)

 人間に思考が与えられたこそ、世界を認識できます。宇宙があると。
 もしなければ認識できません。宇宙が「ない」のと同じ。
 宇宙は基本的に暗黒。人間に光がわかる感覚器官が与えられたので、かろうじて、宇宙があることがわかる。
>
>
>
> > >事物はお互いに関係しあっているのだから。思考が木に与える影響は計り知れない。とは、思いませんか?
> >
> > 全くありません。
> > 自然環境においては、木は重要な役割をしています。そこには人間など入り込む余地はない。逆に人間は大地から養われている。
> >
> > その重要な資源を食い尽くし、次々に木を伐採しているのは、それこそ人間の思考でしょう。
> > >
>
>
> そうですね。自然と分離した感覚を持った思考は自然を食い尽くしてしまう。
> しかし、自然と分離していない思考は自然に対する畏敬の念、共生の意識、生かし生かされているという実感を持ちうるでしょう。

 自然と分離していない思考って何ですか?
そもそも、思考そのものが分離です。
 だからこそ、世界を認識できる。
 それが思考の役目。
 自分と対象、主体と客体。「みるもの」「みられるもの」


 世界をつなぐのは、内部にある共感作用です。コミニュケーション作用。
 元々人間を除く、動植物は世界とつながっています。共感作用によって。それぞれ持ち分をわきまえ、一体生活を築いている。
 


> > > > > つまり、事実とは、思考から切り離された何かではなく、思考も含めてのものだということです。
> > > >
> > > >  だとしたらクリシュナムルティの言ってることは成立しません。
> > > >  Kのいうのは過去の経験記憶である思考を手放し事実を見よ、ということです。
> > > > >
> > > >
> >
> > > Kの言ってる事は、観察者と観察されるものは分離してはいない、ということもあるでしょう。
> >
> > つまり見るもの、見られるもの、とは自分の作り出した思考ということです。
> > 自分自身を対象化したものが思考。試しに目を瞑れば、いくらでも思考が湧いてきます。次々と。イメージとして。
> > 人はそのイメージで、世界を見ている。そこに問題がある。
> >
>
>
> これは内部的に起こっている現象です。

はい。内部の話。

この世界は、実は自分の作りだした思考の投影ではないのか。
という言説は、仏教の唯識でも語られたことです。
生長の家では、すべての減少では人間の心の影だと。
>
>

> > 影響って何ですか。クリシュナムルティは、そんなことは言ってないでしょう。
> > それと全く思考のない木の有様って何ですか。
> >
>
>
> その有様は人間には分からないものでしょうね。

わからない?
>
>
> > 日常生活では、人間は思考なしで、事物を見ているのではないですか。
> > 桜の花を見るときは、ただ見てるだけです。何かを感じます。それだけです。思考の入る余地はありません。
> > 感じたものを表現するだけです。
> >

> そういう時もありますし、そうでない時もありますし、他の人がどうなのかは分かりません。
>
何か対象について、興味関心がわくとき、人はじっと観察するのではないですか。何かなと。
展覧会のとき、人はじっと絵を見る。
桜が咲くと、人はじっと花を見る。
下賤な例で恐縮ですが、そこに女の子が歩いているとき、関心興味がわけば、じっと女の子を観察するでしょう。そのあと、判断評価という思考が出てくる。




[27104] 無題 投稿者:trimurti 投稿日:2019/04/26(Fri) 00:23  

私が言ってる「女」は必ずしも実際の女性ではない。

思考にとらわれた人間を「男」と呼び、
思考を超えた覚者を、「女」と呼んでいる。

男 思考 視覚 

女 直知 嗅覚


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