雑感
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[25230] 無題 投稿者:blue sky mercy 投稿日:2018/04/17(Tue) 20:28  

“私たちこそ、自分の苦しみの原因となる唯一の人、幻想と分離を間違って認識する原因となる唯一の人、そしてこれほど多くのパワーをもっている唯一の人だという事実をしっかり把握することです。”


[25229] 無題 投稿者:blue sky mercy 投稿日:2018/04/17(Tue) 20:28  

希望と恐怖を捨てたとき、いても立ってもいられないほどの気力がわいてくるだろう。
やることが一つに絞られ、それをやらずにはおれない、というシンプルな気力がわいてくるだろう。
希望や恐怖は、それを邪魔しているものなのだ。


[25228] 無題 投稿者:blue sky mercy 投稿日:2018/04/17(Tue) 18:36  

正しい教育は人格形成まではできる。

社会的幸福、人格にまだ到達してない人には有益だ。

しかし、知覚のレヴェルにいたるには、徹底的な反逆が必要だ。

さらに、知覚を超えて統一意識にいたるには、謙虚さが必要である。


社会性 幸福 人格
人間性 知覚 至福
自然性 統一意識 安らぎ


[25227] Re:[25223] [25222] [25221] [25220] [25219] [25218] [25217] [25216] [25215] [25214] [25213] [25212] [25211] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2018/04/17(Tue) 16:05  

> > > > > >  動物は自己中心的です。人と動物の差異は、動物は自己中心性に対して非難・正当化しない。それに対して、人は自己中心性に対して非難・正当化する。
> > > > > >
> > > > > >  人は現にあるものに対する非難・正当化によって、真実を歪曲してしまう。この歪曲化によって、混乱と無秩序の更なる増大が生じているように感じます。。
> > > > >
> > > > >
> > > > > 「自己意識」があるのは人間だけだと思います。つまり鏡を見れば自分とわかる。ここが動物の意識と人間の意識の違いです。だから自己中心性は動物にはないのではないか。動物の意識は生存のための意識で、そこに人間のような「自己意識」はないと思います。
> > > > >
> > > > > この人間の意識は言語を操れる身体とあいまって動物とは違う意識(=精神性)を持つに至り、ここを平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。文明社会を築き上げると同時に種々の問題点を創り出したと言えるのかもしれません。ここを理解し平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。
> > > >
> > > >
> > > >  動物の意識と人間の意識の差異について、ゴトさんと見解の相違があることが分かりました。
> > > >
> > > >
> > > >  私の見解はこうです。
> > > >
> > > >  動物は自己中心的であると見ます。しかし、ある個体が自己中心的であるという理由で疎外されたり危害を被ることはない。
> > > >
> > > >  その自己中心性を動物から受け継いだ人間が、その自己中心性に振り回され、これをコントロールできずに、自己中心性に対して暴力と報償で対処しようと試みる哲学が、人類の歴史であるように見えます。
> > > >
> > > >  よって、自己中心性を有する人間は、「生」の流れの中でそのように仕組まれており、そして「生」の流れの中で、これに対応してゆく。その対応のひとつが覚者の出現ではなかろうか。。
> > >
> > >
> > > 動物は授かった身体の生理的愉楽とその持つ力の原理がすべてがで、それに基づく生を営んでいるのかなと思います。
> > >
> > > それを人間も本能的に受け継いでいるのはその通りですが、自己中心性は人間におけるように自己と同じような意識を持った他者という意識が明確で、精神的・観念的な意思のぶつかり合いの段階に達するときの意識にあるのではないかと思います。
> > >
> > > 動物と人間の間に差を置くのは、一つはKが自然界(動物も含まれていると見ています)には秩序があると言っていることです。もう一つは人間の意識が飛躍的発達をして、自他の関係が精神的関係が主要となっており、闘争の場面でなくとも、比較、利己的競争が常態となっているのを見るからです。
> > >
> > > そこらのことをはっきりと説くのが哲学ではないのかと思っているのですが。
> > >
> > > つまり原罪というものは人間になってからのことであるかと。そして覚者のしてきたことは人間のなしていることに対し説話的に道を説いてきたのであり、それなりに人間の当時の現実をよく見て説かれているのですが、現実の変貌の速度が近代以降あまりにも早いので、追いつかない何かがあるのではないかと考究しています。
> >
> >
> >
> >  NHKの「ダイアモンド博士の”ヒトの秘密”」第10回は、「集団虐殺はなくせるか」というテーマで、3月9日に放映されていました。
> >
> >  集団虐殺(ジェノサイド)は、ヒトだけではなく、チンパンジー、オオカミ、ハイエナの3種でも見られるとのことです。縄張りと群れをめぐっての争いにおいて、一方の群れが他方の群れを皆殺しにして、その縄張りを奪うのです。
> >  その一つの実例として、チンパンジーが長年をかけて相手の縄張りを奪う様が記録されていました。その奪う手法は、相手のチンパンジーを一匹ずつおびき寄せて数頭で襲うのです。これを繰り返して、相手の勢力を弱体化し、年数をかけて相手の縄張りを奪ってしまったのです。
> >
> >  また、BS11で4月4日に放映された「ディスカバリーチャンネル傑作選〜未知の映像博物館 第1回〜」では、南アフリカにおける雄ライオンの群れ同士の抗争が記録されていました。
> >
> >  一般的にはライオンの群れは、一頭のボス雄ライオンがハーレムを形成し群れをなしますが、この地では、珍しく雄ライオン同士が5〜6頭で群れをなし縄張りを構えているのです。一般的にはハーレムの外に追い出された雄ライオンは一匹オオカミ的に放浪するのが常ですが、場面が進むにつれて、なぜ群れをなすのかが分かってきます。
> >  ここのライオンは一騎打ちではないのです。集団で襲いかかってきます。すなわち、いくら強くても数で負けると勝てないのです。
> >  それで雄5頭のある群れにスポットを当てて長期にわたっての記録をとっているのです。生まれたての頃から老齢に至るまでの記録。
> >  若くて5頭揃っているときは無敵です。縄張りも広く構え悠々自適。狩りも連携し頭脳プレーでスムーズです。
> >
> >  しかし、年老いていくにしたがって、力は衰え、群れも二つに割れたころ、別の若い6頭組の群れが侵入してきました。その6頭は相手が単独でいる時を狙って、集団でその一頭を殺害しました。その一頭目は夜間であったので、映像的には暗くてあまり見えませんでしたが、もう一頭の殺害は日中でした。数頭のライオンが一頭のライオンを惨殺する様は残虐以外の言葉はありませんでした。背骨を折られ後ろ足がマヒしているにも関わらず、いたぶるのです。疲れたら休み、休んだらいたぶる・・。放置してもその日のうちに死ぬであろう傷ついたライオンを更に痛めつける。
> >
> >
> >  動物には「自我」が芽生える以前の「自我の根」がないでしょうか。。
> >
> >
> >  ヒトの脳は周辺部を哺乳類脳、その中心部を爬虫類脳という分類のしかたがあります。脳の中心部の層は爬虫類の脳と似たような形をしているのです。また、機能的にも爬虫類のそれと近い機能をしているとのことです。
> >
> >  その深いところからの「自我の根」があるように感じています。
> >
> >  自己中心性はこの深いところの根から連なっているように見えるのです。
> >
> >
> >  おわりに、クリシュナムルティの陳述を記します。
> >
> >  「動物には葛藤がある」。 
>
>
> 私が全然知らなかった、動物の生態についての新しい話をどうもありがとうございました。グループをつくり、グループの利益のために活動するのは自己中心性ではないようにも思いますが、グループの利点という狭い視野で行動するのも視野の狭小ということではおなじかもしれません。
>
> そもそもの「自己中心性」はピアジェの用語で、乳幼児が自分の立場、一つの視点からしか見ることができないこと言うらしいです。私も経験がありますが、母親が他人に子供を預けて外出するのが初めての時は泣いて大変です。だがそれもほんの一時期のことで、子供はすぐにそれを理解します。世界が広がるのですね。
>
> というふうに、世界は成長とともにどんどん広がりますが、傷つくことなしに進むといいですね。あまりにもそれが速く進んでも適応しかねるという事が起こりそうです。その辺のことはいい教科書ができているのでしょうか?保育所から始まる教育課程に理解の目は行き届いているのでしょうか?
>
> 教育学というものはどんな活動をしているか全く知らないでいることがわかりました。


 学習によって脳の神経伝達経路が変化し、強烈な体験で脳の細胞が変化する。

 クリシュナムルティの言うところの変容は、脳の中心部(は虫類脳)の細胞レベルの変化を伴うとしても不思議ではありません。
 その理由は、かなりの困難を伴う(渡辺氏でさえ未だ道半ばとのこと)ことと、クリシュナムルティのプロセスが脳の中心部まで及んでいたこと。そして、動物的本能から連なるかもしれない自我の根っこ。

 千日回峰行やそれ以上の行がありますが、あきらかに脳の中心部まで影響が及びそうです。

 それをクリシュナムルティは「修行」なくして、それに至ろうとしているように思います。

 「修行」は脳の深部の細胞レベルの変容を促しはしても、自己理解を深めることはないのかも・・。

 また、教育や哲学による変容は、脳の周辺部(ほ乳類脳)までかもしれません。「わかっちゃいるけど・・・」がほ乳類脳レベルの変容の見分けとして、判別できるのかもしれません。

 教育は、世界最強の軍隊を形成することもできます。旧日本軍。

 最強のサラリーマン戦士軍団を形成することもできます。現在の本国。

 しかし、いずれにしても、教育は読み書き計算の技能と実用的知識以外には、心の成長にとっては「条件付け」以外のなにものでもないように思います。
 すなわち、幸福における宗教の働き同様、心の成長における教育の働きは、有害ということではないでしょうか・・。

 ここにメスを当てることを、クリシュナムルティは生前取り組んでいました。。

 今現在、学校現場では「道徳科」なるものが登場してきているところです。やがてすべての小中高で必修となるようです。

 これが思考の限界でしょうか・・。滅びの道程。


[25226] 無題 投稿者:blue sky mercy 投稿日:2018/04/17(Tue) 15:58  

悟りってのは、観念から抜け出て、地に足をつけろってことだ。




[25225] 無題 投稿者:blue sky mercy 投稿日:2018/04/17(Tue) 15:54  

人生は苦である。

苦と悲しみに限りないからこそ愛があり、

愛により行為の停止があるからこそ、

空がある。

あなたは空だ。

あなたは限りなき自由だ。


[25224] Re:[25163] お金がなぜ人格を養うか。 投稿者:blue sky mercy 投稿日:2018/04/17(Tue) 15:49  

> 喧嘩をしないと人間性は深まらないんじゃないでしょうか。企業ってのも喧嘩をさせないシステムに思えます。不生産的な人間を排除してしまうと思うんです。

そうですね。社会は上司にはむかったらやめさせられるケースが多いですね。


[25223] Re:[25222] [25221] [25220] [25219] [25218] [25217] [25216] [25215] [25214] [25213] [25212] [25211] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/04/17(Tue) 13:59  

> > > > >  動物は自己中心的です。人と動物の差異は、動物は自己中心性に対して非難・正当化しない。それに対して、人は自己中心性に対して非難・正当化する。
> > > > >
> > > > >  人は現にあるものに対する非難・正当化によって、真実を歪曲してしまう。この歪曲化によって、混乱と無秩序の更なる増大が生じているように感じます。。
> > > >
> > > >
> > > > 「自己意識」があるのは人間だけだと思います。つまり鏡を見れば自分とわかる。ここが動物の意識と人間の意識の違いです。だから自己中心性は動物にはないのではないか。動物の意識は生存のための意識で、そこに人間のような「自己意識」はないと思います。
> > > >
> > > > この人間の意識は言語を操れる身体とあいまって動物とは違う意識(=精神性)を持つに至り、ここを平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。文明社会を築き上げると同時に種々の問題点を創り出したと言えるのかもしれません。ここを理解し平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。
> > >
> > >
> > >  動物の意識と人間の意識の差異について、ゴトさんと見解の相違があることが分かりました。
> > >
> > >
> > >  私の見解はこうです。
> > >
> > >  動物は自己中心的であると見ます。しかし、ある個体が自己中心的であるという理由で疎外されたり危害を被ることはない。
> > >
> > >  その自己中心性を動物から受け継いだ人間が、その自己中心性に振り回され、これをコントロールできずに、自己中心性に対して暴力と報償で対処しようと試みる哲学が、人類の歴史であるように見えます。
> > >
> > >  よって、自己中心性を有する人間は、「生」の流れの中でそのように仕組まれており、そして「生」の流れの中で、これに対応してゆく。その対応のひとつが覚者の出現ではなかろうか。。
> >
> >
> > 動物は授かった身体の生理的愉楽とその持つ力の原理がすべてがで、それに基づく生を営んでいるのかなと思います。
> >
> > それを人間も本能的に受け継いでいるのはその通りですが、自己中心性は人間におけるように自己と同じような意識を持った他者という意識が明確で、精神的・観念的な意思のぶつかり合いの段階に達するときの意識にあるのではないかと思います。
> >
> > 動物と人間の間に差を置くのは、一つはKが自然界(動物も含まれていると見ています)には秩序があると言っていることです。もう一つは人間の意識が飛躍的発達をして、自他の関係が精神的関係が主要となっており、闘争の場面でなくとも、比較、利己的競争が常態となっているのを見るからです。
> >
> > そこらのことをはっきりと説くのが哲学ではないのかと思っているのですが。
> >
> > つまり原罪というものは人間になってからのことであるかと。そして覚者のしてきたことは人間のなしていることに対し説話的に道を説いてきたのであり、それなりに人間の当時の現実をよく見て説かれているのですが、現実の変貌の速度が近代以降あまりにも早いので、追いつかない何かがあるのではないかと考究しています。
>
>
>
>  NHKの「ダイアモンド博士の”ヒトの秘密”」第10回は、「集団虐殺はなくせるか」というテーマで、3月9日に放映されていました。
>
>  集団虐殺(ジェノサイド)は、ヒトだけではなく、チンパンジー、オオカミ、ハイエナの3種でも見られるとのことです。縄張りと群れをめぐっての争いにおいて、一方の群れが他方の群れを皆殺しにして、その縄張りを奪うのです。
>  その一つの実例として、チンパンジーが長年をかけて相手の縄張りを奪う様が記録されていました。その奪う手法は、相手のチンパンジーを一匹ずつおびき寄せて数頭で襲うのです。これを繰り返して、相手の勢力を弱体化し、年数をかけて相手の縄張りを奪ってしまったのです。
>
>  また、BS11で4月4日に放映された「ディスカバリーチャンネル傑作選〜未知の映像博物館 第1回〜」では、南アフリカにおける雄ライオンの群れ同士の抗争が記録されていました。
>
>  一般的にはライオンの群れは、一頭のボス雄ライオンがハーレムを形成し群れをなしますが、この地では、珍しく雄ライオン同士が5〜6頭で群れをなし縄張りを構えているのです。一般的にはハーレムの外に追い出された雄ライオンは一匹オオカミ的に放浪するのが常ですが、場面が進むにつれて、なぜ群れをなすのかが分かってきます。
>  ここのライオンは一騎打ちではないのです。集団で襲いかかってきます。すなわち、いくら強くても数で負けると勝てないのです。
>  それで雄5頭のある群れにスポットを当てて長期にわたっての記録をとっているのです。生まれたての頃から老齢に至るまでの記録。
>  若くて5頭揃っているときは無敵です。縄張りも広く構え悠々自適。狩りも連携し頭脳プレーでスムーズです。
>
>  しかし、年老いていくにしたがって、力は衰え、群れも二つに割れたころ、別の若い6頭組の群れが侵入してきました。その6頭は相手が単独でいる時を狙って、集団でその一頭を殺害しました。その一頭目は夜間であったので、映像的には暗くてあまり見えませんでしたが、もう一頭の殺害は日中でした。数頭のライオンが一頭のライオンを惨殺する様は残虐以外の言葉はありませんでした。背骨を折られ後ろ足がマヒしているにも関わらず、いたぶるのです。疲れたら休み、休んだらいたぶる・・。放置してもその日のうちに死ぬであろう傷ついたライオンを更に痛めつける。
>
>
>  動物には「自我」が芽生える以前の「自我の根」がないでしょうか。。
>
>
>  ヒトの脳は周辺部を哺乳類脳、その中心部を爬虫類脳という分類のしかたがあります。脳の中心部の層は爬虫類の脳と似たような形をしているのです。また、機能的にも爬虫類のそれと近い機能をしているとのことです。
>
>  その深いところからの「自我の根」があるように感じています。
>
>  自己中心性はこの深いところの根から連なっているように見えるのです。
>
>
>  おわりに、クリシュナムルティの陳述を記します。
>
>  「動物には葛藤がある」。 


私が全然知らなかった、動物の生態についての新しい話をどうもありがとうございました。グループをつくり、グループの利益のために活動するのは自己中心性ではないようにも思いますが、グループの利点という狭い視野で行動するのも視野の狭小ということではおなじかもしれません。

そもそもの「自己中心性」はピアジェの用語で、乳幼児が自分の立場、一つの視点からしか見ることができないこと言うらしいです。私も経験がありますが、母親が他人に子供を預けて外出するのが初めての時は泣いて大変です。だがそれもほんの一時期のことで、子供はすぐにそれを理解します。世界が広がるのですね。

というふうに、世界は成長とともにどんどん広がりますが、傷つくことなしに進むといいですね。あまりにもそれが速く進んでも適応しかねるという事が起こりそうです。その辺のことはいい教科書ができているのでしょうか?保育所から始まる教育課程に理解の目は行き届いているのでしょうか?

教育学というものはどんな活動をしているか全く知らないでいることがわかりました。


[25222] Re:[25221] [25220] [25219] [25218] [25217] [25216] [25215] [25214] [25213] [25212] [25211] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2018/04/16(Mon) 21:03  

> > > >  動物は自己中心的です。人と動物の差異は、動物は自己中心性に対して非難・正当化しない。それに対して、人は自己中心性に対して非難・正当化する。
> > > >
> > > >  人は現にあるものに対する非難・正当化によって、真実を歪曲してしまう。この歪曲化によって、混乱と無秩序の更なる増大が生じているように感じます。。
> > >
> > >
> > > 「自己意識」があるのは人間だけだと思います。つまり鏡を見れば自分とわかる。ここが動物の意識と人間の意識の違いです。だから自己中心性は動物にはないのではないか。動物の意識は生存のための意識で、そこに人間のような「自己意識」はないと思います。
> > >
> > > この人間の意識は言語を操れる身体とあいまって動物とは違う意識(=精神性)を持つに至り、ここを平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。文明社会を築き上げると同時に種々の問題点を創り出したと言えるのかもしれません。ここを理解し平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。
> >
> >
> >  動物の意識と人間の意識の差異について、ゴトさんと見解の相違があることが分かりました。
> >
> >
> >  私の見解はこうです。
> >
> >  動物は自己中心的であると見ます。しかし、ある個体が自己中心的であるという理由で疎外されたり危害を被ることはない。
> >
> >  その自己中心性を動物から受け継いだ人間が、その自己中心性に振り回され、これをコントロールできずに、自己中心性に対して暴力と報償で対処しようと試みる哲学が、人類の歴史であるように見えます。
> >
> >  よって、自己中心性を有する人間は、「生」の流れの中でそのように仕組まれており、そして「生」の流れの中で、これに対応してゆく。その対応のひとつが覚者の出現ではなかろうか。。
>
>
> 動物は授かった身体の生理的愉楽とその持つ力の原理がすべてがで、それに基づく生を営んでいるのかなと思います。
>
> それを人間も本能的に受け継いでいるのはその通りですが、自己中心性は人間におけるように自己と同じような意識を持った他者という意識が明確で、精神的・観念的な意思のぶつかり合いの段階に達するときの意識にあるのではないかと思います。
>
> 動物と人間の間に差を置くのは、一つはKが自然界(動物も含まれていると見ています)には秩序があると言っていることです。もう一つは人間の意識が飛躍的発達をして、自他の関係が精神的関係が主要となっており、闘争の場面でなくとも、比較、利己的競争が常態となっているのを見るからです。
>
> そこらのことをはっきりと説くのが哲学ではないのかと思っているのですが。
>
> つまり原罪というものは人間になってからのことであるかと。そして覚者のしてきたことは人間のなしていることに対し説話的に道を説いてきたのであり、それなりに人間の当時の現実をよく見て説かれているのですが、現実の変貌の速度が近代以降あまりにも早いので、追いつかない何かがあるのではないかと考究しています。



 NHKの「ダイアモンド博士の”ヒトの秘密”」第10回は、「集団虐殺はなくせるか」というテーマで、3月9日に放映されていました。

 集団虐殺(ジェノサイド)は、ヒトだけではなく、チンパンジー、オオカミ、ハイエナの3種でも見られるとのことです。縄張りと群れをめぐっての争いにおいて、一方の群れが他方の群れを皆殺しにして、その縄張りを奪うのです。
 その一つの実例として、チンパンジーが長年をかけて相手の縄張りを奪う様が記録されていました。その奪う手法は、相手のチンパンジーを一匹ずつおびき寄せて数頭で襲うのです。これを繰り返して、相手の勢力を弱体化し、年数をかけて相手の縄張りを奪ってしまったのです。

 また、BS11で4月4日に放映された「ディスカバリーチャンネル傑作選〜未知の映像博物館 第1回〜」では、南アフリカにおける雄ライオンの群れ同士の抗争が記録されていました。

 一般的にはライオンの群れは、一頭のボス雄ライオンがハーレムを形成し群れをなしますが、この地では、珍しく雄ライオン同士が5〜6頭で群れをなし縄張りを構えているのです。一般的にはハーレムの外に追い出された雄ライオンは一匹オオカミ的に放浪するのが常ですが、場面が進むにつれて、なぜ群れをなすのかが分かってきます。
 ここのライオンは一騎打ちではないのです。集団で襲いかかってきます。すなわち、いくら強くても数で負けると勝てないのです。
 それで雄5頭のある群れにスポットを当てて長期にわたっての記録をとっているのです。生まれたての頃から老齢に至るまでの記録。
 若くて5頭揃っているときは無敵です。縄張りも広く構え悠々自適。狩りも連携し頭脳プレーでスムーズです。

 しかし、年老いていくにしたがって、力は衰え、群れも二つに割れたころ、別の若い6頭組の群れが侵入してきました。その6頭は相手が単独でいる時を狙って、集団でその一頭を殺害しました。その一頭目は夜間であったので、映像的には暗くてあまり見えませんでしたが、もう一頭の殺害は日中でした。数頭のライオンが一頭のライオンを惨殺する様は残虐以外の言葉はありませんでした。背骨を折られ後ろ足がマヒしているにも関わらず、いたぶるのです。疲れたら休み、休んだらいたぶる・・。放置してもその日のうちに死ぬであろう傷ついたライオンを更に痛めつける。


 動物には「自我」が芽生える以前の「自我の根」がないでしょうか。。


 ヒトの脳は周辺部を哺乳類脳、その中心部を爬虫類脳という分類のしかたがあります。脳の中心部の層は爬虫類の脳と似たような形をしているのです。また、機能的にも爬虫類のそれと近い機能をしているとのことです。

 その深いところからの「自我の根」があるように感じています。

 自己中心性はこの深いところの根から連なっているように見えるのです。


 おわりに、クリシュナムルティの陳述を記します。

 「動物には葛藤がある」。 


[25221] Re:[25220] [25219] [25218] [25217] [25216] [25215] [25214] [25213] [25212] [25211] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/04/16(Mon) 18:46  

> > >  動物は自己中心的です。人と動物の差異は、動物は自己中心性に対して非難・正当化しない。それに対して、人は自己中心性に対して非難・正当化する。
> > >
> > >  人は現にあるものに対する非難・正当化によって、真実を歪曲してしまう。この歪曲化によって、混乱と無秩序の更なる増大が生じているように感じます。。
> >
> >
> > 「自己意識」があるのは人間だけだと思います。つまり鏡を見れば自分とわかる。ここが動物の意識と人間の意識の違いです。だから自己中心性は動物にはないのではないか。動物の意識は生存のための意識で、そこに人間のような「自己意識」はないと思います。
> >
> > この人間の意識は言語を操れる身体とあいまって動物とは違う意識(=精神性)を持つに至り、ここを平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。文明社会を築き上げると同時に種々の問題点を創り出したと言えるのかもしれません。ここを理解し平易な言葉で記述できるようになりたいと思って勉強中です。
>
>
>  動物の意識と人間の意識の差異について、ゴトさんと見解の相違があることが分かりました。
>
>
>  私の見解はこうです。
>
>  動物は自己中心的であると見ます。しかし、ある個体が自己中心的であるという理由で疎外されたり危害を被ることはない。
>
>  その自己中心性を動物から受け継いだ人間が、その自己中心性に振り回され、これをコントロールできずに、自己中心性に対して暴力と報償で対処しようと試みる哲学が、人類の歴史であるように見えます。
>
>  よって、自己中心性を有する人間は、「生」の流れの中でそのように仕組まれており、そして「生」の流れの中で、これに対応してゆく。その対応のひとつが覚者の出現ではなかろうか。。


動物は授かった身体の生理的愉楽とその持つ力の原理がすべてがで、それに基づく生を営んでいるのかなと思います。

それを人間も本能的に受け継いでいるのはその通りですが、自己中心性は人間におけるように自己と同じような意識を持った他者という意識が明確で、精神的・観念的な意思のぶつかり合いの段階に達するときの意識にあるのではないかと思います。

動物と人間の間に差を置くのは、一つはKが自然界(動物も含まれていると見ています)には秩序があると言っていることです。もう一つは人間の意識が飛躍的発達をして、自他の関係が精神的関係が主要となっており、闘争の場面でなくとも、比較、利己的競争が常態となっているのを見るからです。

そこらのことをはっきりと説くのが哲学ではないのかと思っているのですが。

つまり原罪というものは人間になってからのことであるかと。そして覚者のしてきたことは人間のなしていることに対し説話的に道を説いてきたのであり、それなりに人間の当時の現実をよく見て説かれているのですが、現実の変貌の速度が近代以降あまりにも早いので、追いつかない何かがあるのではないかと考究しています。



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