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[24247] Re:[24246] [24245] [24244] [24243] [24242] [24241] [24239] [24238] [24227] [24224] [24203] 個人とは 投稿者:南方 投稿日:2017/08/22(Tue) 17:41  

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> > > 食う飯にこまる人は、霊性どころじゃない!
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> > 野菜を育てるそれ自体を愛すること。野菜一つに宇宙をみること。自給自足であっても霊性と並行することはできる。
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> 育てる野菜もないアフリカで飢え死ぬことしかできない人たちをほっといて霊性などない。



では、まずあなたのそのレベルの高い霊的探究を辞めて、アフリカにいってボランティアでもしたらどう?

まぁこれは冗談としても、まず足元固めなきゃね。


[24246] Re:[24245] [24244] [24243] [24242] [24241] [24239] [24238] [24227] [24224] [24203] 個人とは 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/22(Tue) 17:31  

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> > 食う飯にこまる人は、霊性どころじゃない!
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> 野菜を育てるそれ自体を愛すること。野菜一つに宇宙をみること。自給自足であっても霊性と並行することはできる。


育てる野菜もないアフリカで飢え死ぬことしかできない人たちをほっといて霊性などない。


[24245] Re:[24244] [24243] [24242] [24241] [24239] [24238] [24227] [24224] [24203] 個人とは 投稿者:南方 投稿日:2017/08/22(Tue) 17:05  

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> 食う飯にこまる人は、霊性どころじゃない!


野菜を育てるそれ自体を愛すること。野菜一つに宇宙をみること。自給自足であっても霊性と並行することはできる。


[24244] Re:[24243] [24242] [24241] [24239] [24238] [24227] [24224] [24203] 個人とは 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/22(Tue) 16:50  

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> > > > 私も、3回ほどぶち込まれたことがあるし、
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> > > それはご愁傷様。我々は出てこれただけでもラッキー。こうして平日の昼間からパソコンで書き込み。優雅なもの。
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> > > > 貧乏はいけない。貧しさはなくさねばいけない。
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> > > 今、生活保護は10万弱でしょう。いくらあればいい?15万、20万。そうすると働く人がいなくなる。共産主義、資本主義の闘争になった結果が今という時代。
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> > > > ただ、その格差を生み出してるのは一人ひとりの人間なのは明白な事実。
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> > > > ただ、このままいけば地球の滅亡は確実でしょうね。
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> > > 先に人類が滅亡するかも。
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> > そんなことはない。資源の再分配を行えば、週に一日しかも、数時間の労働で生きていけるといわれている。
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> > 有り余る富を再分配すれば、働く人がいなくなるという論理は、現代社会では成り立たない。
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> そうなればいいんですかね?物質面での理想郷という論理がいまあるんですか。それは昔で言うマルクスみたいなもの?
> でも、結局はそれを実現するために闘争するしかない。そして、戦争へと。繰り返しの歴史。

いやマルクスがいったことじたいは間違ってない。

問題は無理やり押し付けたことにある、ある程度の人数の自発性と寡頭政治蜷らないための民主主義的な性格にかけていたからだ。

今、北欧の社会システムは、問題は多いが、部分的にはうまくいっている。


食う飯にこまる人は、霊性どころじゃない!


[24243] Re:[24242] [24241] [24239] [24238] [24227] [24224] [24203] 個人とは 投稿者:南方 投稿日:2017/08/22(Tue) 16:30  

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> > > 私も、3回ほどぶち込まれたことがあるし、
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> > それはご愁傷様。我々は出てこれただけでもラッキー。こうして平日の昼間からパソコンで書き込み。優雅なもの。
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> > > 貧乏はいけない。貧しさはなくさねばいけない。
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> > 今、生活保護は10万弱でしょう。いくらあればいい?15万、20万。そうすると働く人がいなくなる。共産主義、資本主義の闘争になった結果が今という時代。
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> > > ただ、その格差を生み出してるのは一人ひとりの人間なのは明白な事実。
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> > > ただ、このままいけば地球の滅亡は確実でしょうね。
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> > 先に人類が滅亡するかも。
>
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> そんなことはない。資源の再分配を行えば、週に一日しかも、数時間の労働で生きていけるといわれている。
>
> 有り余る富を再分配すれば、働く人がいなくなるという論理は、現代社会では成り立たない。



そうなればいいんですかね?物質面での理想郷という論理がいまあるんですか。それは昔で言うマルクスみたいなもの?
でも、結局はそれを実現するために闘争するしかない。そして、戦争へと。繰り返しの歴史。


[24242] Re:[24241] [24239] [24238] [24227] [24224] [24203] 個人とは 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/22(Tue) 16:23  

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> > 私も、3回ほどぶち込まれたことがあるし、
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> それはご愁傷様。我々は出てこれただけでもラッキー。こうして平日の昼間からパソコンで書き込み。優雅なもの。
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> > 貧乏はいけない。貧しさはなくさねばいけない。
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> 今、生活保護は10万弱でしょう。いくらあればいい?15万、20万。そうすると働く人がいなくなる。共産主義、資本主義の闘争になった結果が今という時代。
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> > ただ、その格差を生み出してるのは一人ひとりの人間なのは明白な事実。
> >
> > ただ、このままいけば地球の滅亡は確実でしょうね。
>
>
> 先に人類が滅亡するかも。


そんなことはない。資源の再分配を行えば、週に一日しかも、数時間の労働で生きていけるといわれている。

有り余る富を再分配すれば、働く人がいなくなるという論理は、現代社会では成り立たない。


[24241] Re:[24239] [24238] [24227] [24224] [24203] 個人とは 投稿者:南方 投稿日:2017/08/22(Tue) 16:17  

>
> 私も、3回ほどぶち込まれたことがあるし、


それはご愁傷様。我々は出てこれただけでもラッキー。こうして平日の昼間からパソコンで書き込み。優雅なもの。



> 貧乏はいけない。貧しさはなくさねばいけない。
>


今、生活保護は10万弱でしょう。いくらあればいい?15万、20万。そうすると働く人がいなくなる。共産主義、資本主義の闘争になった結果が今という時代。


> ただ、その格差を生み出してるのは一人ひとりの人間なのは明白な事実。
>
> ただ、このままいけば地球の滅亡は確実でしょうね。


先に人類が滅亡するかも。


[24240] 本然の生 投稿者:宮啓 投稿日:2017/08/22(Tue) 16:03  

 2種のチップであるところの時間の中の個人が、時間を超えたところにある唯物的存在を脱した先にある事柄を、クリシュナムルティが陳述している箇所を引用します。


『真理の種子』p284より引用

 E・A・ウォードハウス:クリシュナムルティが少年時代の時の家庭教師。ドペルシュワルカール教授の恩師。

 1928(星の教団解散1年前:クリシュナムルティ33歳)


 ウォードハウスの問いかけ
「解放とは何か?我々は、解放された個人のことを、依然として何らかの仕方で活動的であるものとして考えるべきなのか?それとも解放は、寂滅を意味するのだろうか?多くの人々は、クリシュナムルティの教えを聞いて、解放を寂滅と考える。彼らはそれを、生に完全な終止符を打つことと取る。これは、一つには彼自身が、しばしばそれを『目標(ゴール)』として語ったため、一つには伝統的に(仏教その他で)それがまるであらゆるものの終わりを意味するかのように扱われているためであり、さらに一つには、個別的な生が普遍性へ溶け込んでしまったら、そこには、どのような種類のそれ以上の活動があり得るのか、多くの人々はそれを想像するのが困難であることを見いだすからである。」

 この難題に対して、クリシュナムルティは、解放を寂滅とみなすことは間違いである、と答えた。これは、図らずもタゴールの仏教理解と軌を一にしている。それは、より正しく言えば始まりなのである。それにもかかわらず、ある意味では、それは全くの始まりではない。なぜなら純粋な生は、完全に時間の外にあるからである。それでも、この特別の問いに答える目的のために、我々は、それを始まりとして話を進めてよいだろう、なぜならそれは、「真実の、あるいは本然の生」の始まりだからである。解放の時点までは、我々は見せかけの生を送っている。我々は、幻想の領域にいる。その後にのみ、我々は、それが真に意味しているものとしての生に入るのである。この観点からすれば、解放を「目標」として語ることは、確かにまぎらわしい。それに到達しようと努力している者にとっては、それは目標である。しかし本質的には、それは出発点というのがより本当である。

 解放それ自体には、現象界でのさらなる活動をはばむものは何もない。もちろん、何の強制もあり得ない。なぜなら強制からの自由が、解放という観念に含蓄されているからである。しかし、もしも解放された生がそう欲すれば、それは物質の世界に現れることができる。そしてそれが物質の世界に入る限りにおいて、それはその世界の法則、すなわち進化の下に置かれるであろう。
 しかし、たとえそうであっても、解放後に引き続いて起こる成長は、解放前のそれとは異なった種類のものであるだろう。なぜなら、それは絶対的、または純粋な生を吹き込まれた成長になるだろうからだ。以前には、エゴがあった(またはあるように思われた)、そして成長はこれの展開として現れた。今や、もはやエゴはない。それは、解放で永久に消滅してしまったのである。それゆえ我々が把握しなければならないことは、もしも我々ができるとすれば−−そしてそれは容易ならざることだが−−普遍的な生が、その自己表現のための新鮮な道具を築き上げていくという観念である。これらの道具は形態の世界にあり、そしてそれゆえその世界で個性の外見を持っている。

 解放後の活動の主な徴(しるし)は、それが絶対的に自然で、自発的で、無意識だ、ということだろう。それは、それ自身の普遍性を実現しているだろう。そして物事を妨げるような、いかなる個別的な「私(自我)性」の意識ももはやないので、その活動は、花のそれのように単純かつ自然であるだろう。

 ウォードハウスの問いかけ

 そのような生は、我々が今持っているようなその「自我性」の意識に対応するような何かを持っているのだろうか?すなわち、その経験は、我々のそれのように、認識する中心に帰されるのだろうか?それは、何らかの種類の意識的な自己主体性(アイデンティティ)を残しているのか、あるいはそれともそれは、その普遍性のゆえに、それ自身と他者の生との一体化において、これを完全に失うのだろうか?

 ウォードハウスのこれらの質問に対するクリシュナムルティの答えは、次のようなものだった。それは、依然として自己主体性意識と呼び得るようなものを残している。それは、言うなれば、依然としてそれ自身の目を通して世界を見つめ、そしてそのすべての経験をそれ自身に帰する。しかしその「セルフ」は、エゴではない。それは、あのより一層霊妙なもの−−個人の独自性(ユニークネス)である。そしてここにおいて、我々は、我々の思考力の網をほとんどかいくぐるに違いないあるものにぶつかる。個人の独自性は、エゴがそうであるような形態上の区別化ではない。それは、生自体に固有の区別化なのである。そしてそれは、言うなればエゴが存在することをやめた時にのみ、十全な活動に入るのである。かくのごとき独自性は、あらゆる個人の生を、他のすべてから区別し、そしてそれに、それ自身の意識の中心を付与するのである。そして、たとえ普遍的な生が実現されても、この独自性はそのまま残るのである。人はそれを、個人性からいっさいのエゴイズムがはき出された時に残る、あの、個人性の純粋に抽象的な「形(フォーム)」として語ることができよう。

 それは個人的であると同時に、普遍的なのである。具体的な言語表現でそれに迫る一番の近道は、それを焦点として、それを通じて普遍的な生が解き放たれるところの焦点、およびそれを通して、解放後に普遍的な生が自由に現れるところの焦点として述べることである。人間にとって、「生の全体性」への消滅という意味での、絶対者への完全な没入はあり得ないのであって、この個人の独自性に伴う抽象的かつ希薄な区別化は、ずっと存続していく。そして、もしも解放された生がそう欲すれば、形態の世界でそれが依然として経験し得る、その後引き続く進化的成長を可能にするのは、この独自性なのである。

 それゆえ、そのような独自性は消えたり、あるいは「蒸発」するものどころか、それは、実のところ、我々各人が生に対してする最高の賜物なのである。なぜなら、ひとたびそれがいっさいのエゴイズムから浄化されるや、それは、言うなれば新たな窓−−それを通して普遍的な生がそれ自身を実現できる−−になるのである。すべての個人的な生は、このようにして、宇宙を増やすのである。なぜならそれは、絶対者に対して新鮮な世界−−その中でそれ自身の「存在」を発見し、そして再創造できる−−を与えるからだ。なぜなら、エゴが、自らの手で営々と構築してきたものを捨て去り、そしてより大いなる生がこれを引き継ぐのは、その時だからである。別の言い方をすれば、エゴは、「生」が生き得るために、死ぬのである。

 そしてここにおいて、クリシュナムルティは、我々はこれこれの「解放を得る」という言い方は、用語の誤用であることが分かる、と指摘した。解放されるところのものは、個人ではなくて、常に生である。事実、そのような解放が達成されるのは、個人を犠牲にしてである。生のみがその取引によって益するのである。解放していく過程の両側に存続する個人の独自性は、それがエゴに属する代わりに、本当は、初めからずっと普遍的な生に属していたのだということを見いだすのである。しかしながらその発見は、解放時またはその後に行われるのである。解放への過程は、常に個人性を殺し去るようでなければならない−−このゆえにその苦痛がある。古いことわざである「汝は、生きるためには死なねばならない」は、依然として真実である。解放は、その時には、分離性の破壊による生の解放であり、それゆえその生は、その時以降は、個人の独自性の純粋な形によって、充分に働くことができるのである。そしてこれが、先に言及した「本然の生」である。解放において確立され、そしてまずそれ自身の手に入るところの−−。

 − − − 以上引用 − − −


[24239] Re:[24238] [24227] [24224] [24203] 個人とは 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/22(Tue) 15:47  

> > > >
> > > > 国家の統治者は民衆の個人の自己のありようの反映なのだろうか?
> > > >
> > > > 人を群れとして見る時、国家の中にいくつかの群れの流れという見方を入れる必要がないだろうか? これが今の私の中にある疑問です。
> >
> > さらに補足するとヒトは遺伝子、社会的自然的環境に恵まれるか否かで、世界的にいくつかの階層というか、格差というか、群れ、別れた流れを作る気がします。恵まれた人と恵まれない人、反抗の思いを持つ人等。人間の平等をうたう事は簡単ですが、冷厳な事実というものがあります。人類という種はこれに関してどのような対応のエネルギーを持っているのでしょうか?
> >
>
>
>
> ここでいう恵まれたとは何に恵まれた人恵まれていない人を指すのでしょうか?
> 今の日本で最下層の人を僕は精神病院で見ています。生活保護、障害年金、一時間200円前後の就労賃金など。
> それらの人でも価値観は千差万別。第一線に職場復帰して、競争社会をやり抜こうと言う人。
> 病状でもう社会的に普通の人たちとはいられないから、家族も半分見放して、死ぬまで入院生活を余儀なくされているかた。
>
> 学生時代の友人は家族を持って、人並みに暮らしている。
> でも呑みに行くと口から出るのは嫁の愚痴、金の愚痴。
>
> 平等でない社会だからイコール問題なのではないのではないでしょうか。
> セレブに憧れて生きていくそのスタンスが問題を生み出しているというエネルギーの方向転換。
> できるとしたら、それがエネルギー的対応でしょう。

私も、3回ほどぶち込まれたことがあるし、ホームレスもしたことがあるし、檻に入ったこともあるので言わせてもらうと、
貧乏はいけない。貧しさはなくさねばいけない。

ただ、その格差を生み出してるのは一人ひとりの人間なのは明白な事実。

ただ、このままいけば地球の滅亡は確実でしょうね。


[24238] Re:[24227] [24224] [24203] 個人とは 投稿者:南方 投稿日:2017/08/22(Tue) 15:39  

> > >
> > > 国家の統治者は民衆の個人の自己のありようの反映なのだろうか?
> > >
> > > 人を群れとして見る時、国家の中にいくつかの群れの流れという見方を入れる必要がないだろうか? これが今の私の中にある疑問です。
>
> さらに補足するとヒトは遺伝子、社会的自然的環境に恵まれるか否かで、世界的にいくつかの階層というか、格差というか、群れ、別れた流れを作る気がします。恵まれた人と恵まれない人、反抗の思いを持つ人等。人間の平等をうたう事は簡単ですが、冷厳な事実というものがあります。人類という種はこれに関してどのような対応のエネルギーを持っているのでしょうか?
>



ここでいう恵まれたとは何に恵まれた人恵まれていない人を指すのでしょうか?
今の日本で最下層の人を僕は精神病院で見ています。生活保護、障害年金、一時間200円前後の就労賃金など。
それらの人でも価値観は千差万別。第一線に職場復帰して、競争社会をやり抜こうと言う人。
病状でもう社会的に普通の人たちとはいられないから、家族も半分見放して、死ぬまで入院生活を余儀なくされているかた。

学生時代の友人は家族を持って、人並みに暮らしている。
でも呑みに行くと口から出るのは嫁の愚痴、金の愚痴。

平等でない社会だからイコール問題なのではないのではないでしょうか。
セレブに憧れて生きていくそのスタンスが問題を生み出しているというエネルギーの方向転換。
できるとしたら、それがエネルギー的対応でしょう。


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