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[24774] Re:[24773] [24772] [24770] [24769] [24767] [24764] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/10(Fri) 07:24  

> > > > 私の言う「ただ見る」を追っかけて、直接の知覚・気づきのようなものだととらえてくださったようで、どうもありがとうございます。
> > > >
> > > > 心の状態について話し合えるといいですね。
> > >
> > >
> > > 今朝がた気づいたのですが、Kを読んで世の中と不調和になっている自分の心が何故そうなったのかと観察、実験していました。それでKを教えとしてではなく実際のことを言っているかどうかと思いましたが、まだ確証はできませんが実際のことを言っているのかな・・・という段階で止まっておいて自分で確認することにします。
> > >
> > > そしてKを読んで、ああ世の中はこうだと判断、解釈して絶望している自分に気づきました。Kは判断、解釈なしに実際を見なさいといっていますが。
> > >
> > > ここのところはどうですか?
> > >
> >
> > 判断、解釈なしに実際を見ているは、短く言えば、ただ見ているであり、そこから理屈抜きに行為が出てくるというふうに、割合単純に生きています。この掲示板に書くときはかなり考えが浮かばないで探している時間が多いです。
>
>
> ただ見ているは感情が無いですか?
>
> 感情が揺さぶられる時、判断解釈が生じてます。なくすと感情が消えます。それは喜びでも楽しみでも注意が必要ですね。

感情が何を指すかが問題ですが、判断から生じる怒りとか好き嫌いという感情なら、それは反応ですからありません。あるなら、ただ見ることができない感じですが。

ただ自由に見ている時のフィーリングのようなものがあるときもある気がします。


[24773] Re:[24772] [24770] [24769] [24767] [24764] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/11/09(Thu) 18:34  

> > >
> > > 私の言う「ただ見る」を追っかけて、直接の知覚・気づきのようなものだととらえてくださったようで、どうもありがとうございます。
> > >
> > > 心の状態について話し合えるといいですね。
> >
> >
> > 今朝がた気づいたのですが、Kを読んで世の中と不調和になっている自分の心が何故そうなったのかと観察、実験していました。それでKを教えとしてではなく実際のことを言っているかどうかと思いましたが、まだ確証はできませんが実際のことを言っているのかな・・・という段階で止まっておいて自分で確認することにします。
> >
> > そしてKを読んで、ああ世の中はこうだと判断、解釈して絶望している自分に気づきました。Kは判断、解釈なしに実際を見なさいといっていますが。
> >
> > ここのところはどうですか?
> >
>
> 判断、解釈なしに実際を見ているは、短く言えば、ただ見ているであり、そこから理屈抜きに行為が出てくるというふうに、割合単純に生きています。この掲示板に書くときはかなり考えが浮かばないで探している時間が多いです。


ただ見ているは感情が無いですか?

感情が揺さぶられる時、判断解釈が生じてます。なくすと感情が消えます。それは喜びでも楽しみでも注意が必要ですね。


[24772] Re:[24770] [24769] [24767] [24764] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/09(Thu) 17:33  

> >
> > 私の言う「ただ見る」を追っかけて、直接の知覚・気づきのようなものだととらえてくださったようで、どうもありがとうございます。
> >
> > 心の状態について話し合えるといいですね。
>
>
> 今朝がた気づいたのですが、Kを読んで世の中と不調和になっている自分の心が何故そうなったのかと観察、実験していました。それでKを教えとしてではなく実際のことを言っているかどうかと思いましたが、まだ確証はできませんが実際のことを言っているのかな・・・という段階で止まっておいて自分で確認することにします。
>
> そしてKを読んで、ああ世の中はこうだと判断、解釈して絶望している自分に気づきました。Kは判断、解釈なしに実際を見なさいといっていますが。
>
> ここのところはどうですか?
>

判断、解釈なしに実際を見ているは、短く言えば、ただ見ているであり、そこから理屈抜きに行為が出てくるというふうに、割合単純に生きています。この掲示板に書くときはかなり考えが浮かばないで探している時間が多いです。


[24771] Re:[24768] [24763] [24760] 生の中の聖なるもの(3) 投稿者:宮啓 投稿日:2017/11/09(Thu) 11:52  

> 前中半を思い切って省略し、ここぞと思うところに縮めました。
>
> > >昼の間、私の一日は妨害された生存です。−−、生の自然の流れが妨害されている。
>
> そうです。人はなかなか、十分高いエネルギー状態で応答できません。
>
> 中略
>
> >  >うまく処理すべき無秩序がありませんか?    いいえ、ありません。−−、ここが洞察のしどころのようです。>あなたがうまく処理していることが無秩序です。−−、無秩序を「感受」したとき、「思考」が対抗します。感情に対抗する思考。教師はそうします。親はそうします。それが破壊のようです。大サーカス地獄。
>
> そうですね。人は見て対応が出る状態に、まれにしか入りません。
>
> > > クリシュナムルティ: 私が言うことをよく聞いてください―あなたはあなたの無秩序に気づいています。無秩序は基本的に矛盾を意味します。それは「あるがままのもの」に直面しないこと、見ないこと、そして「あるがままのもの」から離れることです。「あるがままのもの」から離れるとき、それが無秩序です。それを超えようとするとき、それが無秩序です。それを抑圧しようとするとき、それが無秩序です。しかし、あなたが「あるがままのもの」を見るとき、あなたはそれを超えるためのすべてのエネルギーを持ちます。それが秩序です。わかりましたか―私の言葉の上の説明ではなく、実際に、それに真剣に取り組みましたか。
> > >
> > > ゴト: 無秩序にどう向き合うか明確に述べられました。真剣に取り組んだか!とも。
> > > 真剣に見ることは、ほかのあらゆることを吹き飛ばす高いエネルギーの現前です。(このことが脳科学的にどういう状態を意味するのだろうか?)
> >
> >
> >  子供はそのエネルギーで泣き出します。泣きはらした後、すっきりしている。そのエネルギーのことかもしれません。違うかもしれません。
>
> 私にもわかりません。何とか変えようとしているのか、悲痛ととどまっているのか?……。私は孫を預かった時のことを思い出して言っているのですが。母親から離れるのがとても耐えがたく感じる時期があるようです。
>
> >
> > > クリシュナムルティ: 待ってください―それをどこまでも追求しましょう。ひとは小さなことについて妥協できます。しかし戦争は国家主義、原因の一つ、によって引き起こされるという事実が見えるとき、妥協がありますか? そこに何かの妥協がありますか?
> > >
> > > 質問: はい。
> > >
> > > クリシュナムルティ: 何ですって?
> > >
> > > 質問: はい。あなたが戦わないなら、結果は彼らがパスポートと国籍を取り上げます。
> > >
> > > クリシュナムルティ: そのときはパスポートを取り上げさせましょう。しかし幸運にも彼らは私に一つ与えました。そしておまえは旅行できないと言うなら、よろしい、私は旅行しません。私はいるところに留まります。
> > >
> > > 質問: しかし私は飢えるかもしれません。
> > >
> > > クリシュナムルティ: 飢えるなら飢えます。よろしい―あなた方はひどく脅えています。移りましょう。それで私は生活、昼間の生活、目がさめている時間の中に秩序をもたらしました。秩序があり、したがって脳は絶対的に静かであり、その状態の中で腐敗しません。そして目が覚めるとき、活力が得られました―それはあなたのものではなくて、私が言っていることです。
> > >
> > > ゴト: 妥協の問題は些事についてはいいですが、事が「人間であることの条件」であるとき、黙らざるを得ないこととなります。それでKは話しを移します。
> >
> >
> >  子供は妥協できる事柄では泣きだしません。
>
> ああ、そうですか、ええ。
>
> >
> > > クリシュナムルティ: さて、私は知らないので調べています―私は瞑想を調べています。それは何を意味するのでしょうか? 私は最初に、心は絶対的に静かでなければならないことを見ます。なぜならそれが静かでないなら、明確に見ることができないからです。それがすべてです。(続く)
> >
> >
> >  >あなたが「あるがままのもの」を見るとき、あなたはそれを超えるためのすべてのエネルギーを持ちます。それが秩序です。−−、そのとき静かな心がある。
>
> そう、それは神秘的な、あるいは特別な状態ではなく、はっきりと目が覚めたような、しゃんとした注意ある状態で、日常生活の中で現れることのできるものです。


 要約いただきありがとうございます。

 >そうですね。人は見て対応が出る状態に、まれにしか入りません。−−。私の場合は、まだ、「その場で見て対応できる」や「日常生活の中で現れることのできるもの」というレベルではないようです。

 夜寝る前や休日、ドタバタしていないとき、比較的心が落ち着いているときに、内側を探索し、バックグランドのタスク(無意識の思考)を探ります。タスクを見つければ、見ることによってタスクを終了させていきます。
 なかなか終了しないタスクは、さらにそのバックグランドまで探ります。それを探り当て、見ると大きなエネルギーとともに終了するようです。その後は、静かな精神の祝福とともに眠りにつくことができるようです。


[24770] Re:[24769] [24767] [24764] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/11/09(Thu) 10:43  

>
> 私の言う「ただ見る」を追っかけて、直接の知覚・気づきのようなものだととらえてくださったようで、どうもありがとうございます。
>
> 心の状態について話し合えるといいですね。


今朝がた気づいたのですが、Kを読んで世の中と不調和になっている自分の心が何故そうなったのかと観察、実験していました。それでKを教えとしてではなく実際のことを言っているかどうかと思いましたが、まだ確証はできませんが実際のことを言っているのかな・・・という段階で止まっておいて自分で確認することにします。

そしてKを読んで、ああ世の中はこうだと判断、解釈して絶望している自分に気づきました。Kは判断、解釈なしに実際を見なさいといっていますが。

ここのところはどうですか?



[24769] Re:[24767] [24764] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/09(Thu) 00:14  

> > http://jiddu-krishnamurti.net/jp/krishnamurti-the-urgency-of-change/krishnamurti-the-urgency-of-change-01-awareness
> >
> >
> > これでゴトさんがただ見るということの言っている意味が理解できました。
> > ようするに判断・解釈以前の気づきをただ見ることとおっしゃっているのですね。
> >
> >
>
>
>
> ちなみに私は価値・判断が出てしまった後の対処法として
> ホ・オポノポノを使ってます。
>
> 価値・判断が出ずただ見ることがずっとできればそれがベストですが、なんせ人間なので判断しないということができない。
> 気づくことはできますが。
> 気づくだけでも結構ですが、その価値観の記憶をクリーニングするということで使用してます。
> ゴトさんから言わせるとカルトっぽいですが。しないよりはましです。

私の言う「ただ見る」を追っかけて、直接の知覚・気づきのようなものだととらえてくださったようで、どうもありがとうございます。

ホ・オポノポノは知らなかったので、ウィキペディアで引きました。南方さんはこういう方面はよく知っている方でいらっしゃるようですね。心の状態について話し合えるといいですね。
私がオカルト的な本で読んでいるのは、バーバラ・アン・ブレナン著「白い手」上下、「光の手」上下ぐらいです。これがオカルトのどういう位置づけにあるのか知りませんが、私の知識のありようの手がかりとして一応書いておきます。



[24768] Re:[24763] [24760] 生の中の聖なるもの(3) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/08(Wed) 23:28  

前中半を思い切って省略し、ここぞと思うところに縮めました。

> >昼の間、私の一日は妨害された生存です。−−、生の自然の流れが妨害されている。

そうです。人はなかなか、十分高いエネルギー状態で応答できません。

中略

>  >うまく処理すべき無秩序がありませんか?    いいえ、ありません。−−、ここが洞察のしどころのようです。>あなたがうまく処理していることが無秩序です。−−、無秩序を「感受」したとき、「思考」が対抗します。感情に対抗する思考。教師はそうします。親はそうします。それが破壊のようです。大サーカス地獄。

そうですね。人は見て対応が出る状態に、まれにしか入りません。

> > クリシュナムルティ: 私が言うことをよく聞いてください―あなたはあなたの無秩序に気づいています。無秩序は基本的に矛盾を意味します。それは「あるがままのもの」に直面しないこと、見ないこと、そして「あるがままのもの」から離れることです。「あるがままのもの」から離れるとき、それが無秩序です。それを超えようとするとき、それが無秩序です。それを抑圧しようとするとき、それが無秩序です。しかし、あなたが「あるがままのもの」を見るとき、あなたはそれを超えるためのすべてのエネルギーを持ちます。それが秩序です。わかりましたか―私の言葉の上の説明ではなく、実際に、それに真剣に取り組みましたか。
> >
> > ゴト: 無秩序にどう向き合うか明確に述べられました。真剣に取り組んだか!とも。
> > 真剣に見ることは、ほかのあらゆることを吹き飛ばす高いエネルギーの現前です。(このことが脳科学的にどういう状態を意味するのだろうか?)
>
>
>  子供はそのエネルギーで泣き出します。泣きはらした後、すっきりしている。そのエネルギーのことかもしれません。違うかもしれません。

私にもわかりません。何とか変えようとしているのか、悲痛ととどまっているのか?……。私は孫を預かった時のことを思い出して言っているのですが。母親から離れるのがとても耐えがたく感じる時期があるようです。

>
> > クリシュナムルティ: 待ってください―それをどこまでも追求しましょう。ひとは小さなことについて妥協できます。しかし戦争は国家主義、原因の一つ、によって引き起こされるという事実が見えるとき、妥協がありますか? そこに何かの妥協がありますか?
> >
> > 質問: はい。
> >
> > クリシュナムルティ: 何ですって?
> >
> > 質問: はい。あなたが戦わないなら、結果は彼らがパスポートと国籍を取り上げます。
> >
> > クリシュナムルティ: そのときはパスポートを取り上げさせましょう。しかし幸運にも彼らは私に一つ与えました。そしておまえは旅行できないと言うなら、よろしい、私は旅行しません。私はいるところに留まります。
> >
> > 質問: しかし私は飢えるかもしれません。
> >
> > クリシュナムルティ: 飢えるなら飢えます。よろしい―あなた方はひどく脅えています。移りましょう。それで私は生活、昼間の生活、目がさめている時間の中に秩序をもたらしました。秩序があり、したがって脳は絶対的に静かであり、その状態の中で腐敗しません。そして目が覚めるとき、活力が得られました―それはあなたのものではなくて、私が言っていることです。
> >
> > ゴト: 妥協の問題は些事についてはいいですが、事が「人間であることの条件」であるとき、黙らざるを得ないこととなります。それでKは話しを移します。
>
>
>  子供は妥協できる事柄では泣きだしません。

ああ、そうですか、ええ。

>
> > クリシュナムルティ: さて、私は知らないので調べています―私は瞑想を調べています。それは何を意味するのでしょうか? 私は最初に、心は絶対的に静かでなければならないことを見ます。なぜならそれが静かでないなら、明確に見ることができないからです。それがすべてです。(続く)
>
>
>  >あなたが「あるがままのもの」を見るとき、あなたはそれを超えるためのすべてのエネルギーを持ちます。それが秩序です。−−、そのとき静かな心がある。

そう、それは神秘的な、あるいは特別な状態ではなく、はっきりと目が覚めたような、しゃんとした注意ある状態で、日常生活の中で現れることのできるものです。


[24767] Re:[24764] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/11/08(Wed) 20:15  

> http://jiddu-krishnamurti.net/jp/krishnamurti-the-urgency-of-change/krishnamurti-the-urgency-of-change-01-awareness
>
>
> これでゴトさんがただ見るということの言っている意味が理解できました。
> ようするに判断・解釈以前の気づきをただ見ることとおっしゃっているのですね。
>
>



ちなみに私は価値・判断が出てしまった後の対処法として
ホ・オポノポノを使ってます。

価値・判断が出ずただ見ることがずっとできればそれがベストですが、なんせ人間なので判断しないということができない。
気づくことはできますが。
気づくだけでも結構ですが、その価値観の記憶をクリーニングするということで使用してます。
ゴトさんから言わせるとカルトっぽいですが。しないよりはましです。


[24766] Re:[24765] [24762] [24758] [24756] 聖なるもの? 投稿者:南方 投稿日:2017/11/08(Wed) 20:10  

> > > > Kの意図や、その理解者の意見が聞きたい。
> > >
> > > 真我や純粋意識(これはフッサールの用語?)は後でこの公開対話の中に出てくると思います。私は宗教学や哲学的概念ではないかと疑っています。これを思考で議論すると暗礁に乗り上げる気がします。
> > >
> >
> >
> > 河の支流があるとき水源があるように、思考があるときその源があるのではないでしょうか。
>
> 水源というのは比喩として軽すぎるようです。それは雨水が地下をくぐって湧水として出るか、あるいは湖に蓄えられ少しづつ流出するか、いずれにせよ大きな循環の一節であるからです。思考は無から作り出されるものなのか、様々な入力に対し反応として出てくる出力であって、そこにはある種の変換がなされるシステムがあると思いますが、それを普通は心(マインド)と言うと思っています。
>


比喩は単純なほうが理解しやすい。そのための比喩です。メビウスの輪のような川を思い描いては?


> そこに真我とか、純粋意識と命名するとき、単なるシステムと違い意味がつけられていると思います。それは調べられなければならないものの一つではあるんですが……。
>


確かに調べる必要があるものだと思います。
あえてKの問答にイチャモンをつけるとするならそこです。
睡眠や夢を調べるのではなく、そこをKのいう知らない心で探求すべきだと私は思います。
ベクトルが内に向いているようで向いてない問答だったと思います。


> > 真我、純粋意識等は思考の産物というより思考「を」産出したものだと言えるでしょう。
> >
> > それは未知なるもの聖なるものというより、在るのではないか。水源があるように当然在る、ということ。
> >
> > ただ沈黙として在る。
>
> あるという事はわかりますが、それがどんなものかは気になります。


Kは探求してないんですか?


[24765] Re:[24762] [24758] [24756] 聖なるもの? 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/08(Wed) 19:20  

> > > Kの意図や、その理解者の意見が聞きたい。
> >
> > 真我や純粋意識(これはフッサールの用語?)は後でこの公開対話の中に出てくると思います。私は宗教学や哲学的概念ではないかと疑っています。これを思考で議論すると暗礁に乗り上げる気がします。
> >
>
>
> 河の支流があるとき水源があるように、思考があるときその源があるのではないでしょうか。

水源というのは比喩として軽すぎるようです。それは雨水が地下をくぐって湧水として出るか、あるいは湖に蓄えられ少しづつ流出するか、いずれにせよ大きな循環の一節であるからです。思考は無から作り出されるものなのか、様々な入力に対し反応として出てくる出力であって、そこにはある種の変換がなされるシステムがあると思いますが、それを普通は心(マインド)と言うと思っています。

そこに真我とか、純粋意識と命名するとき、単なるシステムと違い意味がつけられていると思います。それは調べられなければならないものの一つではあるんですが……。

> 真我、純粋意識等は思考の産物というより思考「を」産出したものだと言えるでしょう。
>
> それは未知なるもの聖なるものというより、在るのではないか。水源があるように当然在る、ということ。
>
> ただ沈黙として在る。

あるという事はわかりますが、それがどんなものかは気になります。


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