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[26621] Re:[26534] 無題 投稿者:南方 投稿日:2019/02/27(Wed) 18:19  

> 条件づけって言葉がいままでよくわからなかったのですが。
> 過去が今に影響を与えることを条件づけと言ってるのでしょうか?
>
> 過去が過去として見られるとき、過去は今に影響を与えないし過去から自由ということでしょうか?


「見られる」という言葉使いが味噌です。ということは見ているなにかがある、ということ?

> 例えば、過去に感情的になった。
> で、今思い出してみると、過去は感情的になったけど、今は、感情的にはならず、過去に左右されないで見られていると。
>
>
>


ここでもでてきました。「見られている」
これは炎のようにさんは無意識で使われているのですか?
教えてください。


[26620] Re:[25616] [25614] [25609] Timeless Stillness より 投稿者:南方 投稿日:2019/02/27(Wed) 15:59  

> > >  参考になるかもしれません。引用します。
> > >
> > >
> > > 気づきのプロセス
> >
> > ここから始めますが、かなり省略するつもりです。
> >
> > 前略
> >
> > > それではもう少し先へ進みましょう。あなたが自分が貪欲で暴力的で妬み深いということに気づくと何が起きますか? 妬みを取り上げてみましょう。自分が妬み深いことに気づいていますか? どうか私と一緒に一歩一歩進んでください。そして決まったやり方[公式]にしたがっているのではないことを心に留めておいて下さい。これを公式化すれば、すべての意味を失ってしまうでしょう。私は気づきのプロセスを包み拡げています。しかしたんにそれを心で描写することによって学ぶだけなら、今いる場所に居つづけることになります。それに反し、自分が条件づけられているのを見始めれば――それは私が今説明していることに、リアルタイムであなた自身の精神の作動に気づくということですが――あなたは実際に変容が可能になる地点にやってくることになります。
> > >
> > > そうやってあなたは気づきます。外の物事とそれらへ解釈にだけでなく、[無意識の]妬みにも気づき始めたのです。では自分自身の妬みに気づいたとき何が起こりますか? それを非難するのではないでしょうか? あなたはそれは間違っている、妬んではいけない、愛するべきであると言います。それは理想です。事実はあなたが妬んでいるということです。一方理想はあなたがそうあるべきものです。理想の追求のなかであなたは二元性を作り出します。そこには絶え間ない葛藤があり、あなたはその葛藤に捕われます。
> >
> > 老婆心で言いますが、条件付けから来る理想の追求があれば葛藤にとらわれます。
> >
> > > 私が描写しているプロセスにリアルタイムで気づいていますか? そこにはただひとつのこと、あなたが妬み深いということがあります。その他のもの、その理想は無意味です。それは現実のものではありません。そして精神が理想から自由であること、反対物から自由であることは精神にとって非常に難しいことです。なぜなら特定の文化の伝統を通して何世紀にもわたり、我々は英雄とその実例を、完全な人間の理想像を受け入れるように言われて、それに向かって奮闘してきたからです。それが我々が訓練されて来たことです。我々は妬みを妬まないことに変えたいと思います。しかし決してそれを変える方法を発見できません。そして終わりのない葛藤に捕らわれます。
> >
> > 嫉妬は醜いと言われてもどうしようもなく、開き直って嫉妬深くふるまうか、直そうとして葛藤に苦しむか、そこはみんな知っています。
> >
> > > さて、精神が自分が妬み深いことに気づいた時、まさにその妬み深いという言葉は非難的です。これについて来ていますか? その感情のまさにそのネーミングが非難がましいのです。しかし精神は言葉によってしか考えることができません。一つの感情がわき起こり、それとともにある言葉が定義されます。そしてその感情は決してその言葉から独立できません。妬みのような感情があるとき、そこに名づけがあります。それであなたはいつも新しい感情に古い観念や蓄積された伝統によってアプローチするのです。感情はいつも新しいのにいつも古い用語に翻訳されます。
> >
> > 命名が古い軌道を走り出すきっかけなのだ!とKが言います。
> >
> > > では、精神は妬みのような感情を名づけずに新しいものとして来たらしめることができるでしょうか? その感情の名づけそのものが、それを捕まえて古い枠組みに入れることでそれを古いものにしています。それでは精神は感情を名づけず、名前で呼ぶことによって翻訳せず、その結果非難したり受け入れたりせずにその感情を事実としてただ観察することが可能でしょうか?
> >
> > 名づけずに見ている。これが第一の関門ですが、これはコメントとしてはっきりしています。
> >
> > > 自分で経験してみれば、あなたはどれほど精神にとって言語化しないこと、事実に名前をつけないことが難しいかを見ることになるでしょう。それはある感情をもったとき、その感情を名づけないままひとつの事実として純粋に見つめることができるかということです。あなたが感情をもち、それを名づけずにその最後まで実際に追うことができれば、あなたは自分にとても不思議なことが起こっているのに気づくでしょう。現状では精神は事実にアプローチするのに意見や、価値観や、評価や、否認や受容を伴っています。それがあなたがしていることです。
> >
> > 名づけることなしに見ていることは困難だと言われればそうですが…
> >
> > > ここに感情があります。それは事実です。精神はその事実になんらかの用語や、意見や、評価や、非難がましい態度をもってアプローチします。それらは死んだものです。理解できますか? それらは死んでいるものです。何の価値もありません。それらはただの記憶、その事実のうえで働く記憶です。
> > >
> > > 精神は事実に死んだ記憶によってアプローチします。そのため事実は精神の上で働けません。しかしその精神が価値づけをせず、評価も非難も受容も同一化もせずにただ観察すれば、あなたはその事実それ自体が途方もない活力をもっているのを発見するでしょう。なぜならそれは新しいからです。新しいものは古いものを追い払えます。ゆえに、そこに妬まないようにしようとする奮闘はなく、妬みの完全な終止があります。力強さと活力をもっているのはその事実であって、その事実についてのあなたの評価や意見ではありません。その事実をまっすぐに貫いて、その最初から最後までを知ることが気づきのプロセスの全体です。
> > どうしても名づける前の嫉妬の感情の噴出に気づく! その時何が起こるかわかりませんが、それこそが多分唯一の入口でしょう。ここから先に進みましょう。
> >
> > > Bombay 8th Public Talk 28th March 1956
>
>
>  「条件付け」が目に見えるもの、内面で感じられるものにフィルターをかけているようです。。
>
>  したがって、外の現にあるものを、そのまま見ることはできず、内面にある現にあるものを、そのまま見ることができないようです。
>
>  このフィルターすなわち条件付けを見ることができるか。


条件付けをみることができない、という思考が条件付けです。見ているのは見ているが、その思考を受け入れたくないので、どうこうする、という動きを見ることが困難なのではないでしょうか?


[26619] 無題 投稿者:無明 投稿日:2019/02/27(Wed) 11:23  

> その思考が詰まらない、「くだらない」あるいは思考なしにその瞬間にその思考が否定されている。

はい。まさに「くだらない」
思考が否定されるのではなく、何も「ない」状態です。
その「ない」状態を、否定と呼んでるだけ。


 >その瞬間にその思考が否定されている。−−、ここの「否定」は、非難・正当化の否定や拒否ではないと思います。

> そのような非難・正当化の否定や拒否ではない「否定」とは、どのような感じのものでしょうか?

感じ?
「ない」のだから感じも何もないでしょう。

 >クリシュナムルティも非難・正当化ではない「否定」の言葉をよく用います。

 お答えいただければ幸いです。

⇧
「まさに、くだらない質問」

この言葉に聞いて彼はどのように反応するのだろうか。
そのときの反応を見る。
カチンとくる。イラっとする、頭にくる
というのが、自分に起きたリアルタイムの反応。
具体的に申し上げました。


この人はクリシュナムルティや新しい氏の言ってることが一向にわからぬようなので。
何回も説明してるのだが、ダメなようで。
だから上記のようなトンチンカンな質問をする。

「否定」とは、どのような感じなのでしょうか?


短絡的な質問の繰り返しで、肝心の、
不安、恐怖を意識し、その思い、感情から動く葛藤まみれの意識があることと
どうこうしようとすることの、その思考の、もたらす事実に、直接気づいている、直接に知覚している状況などが何も述べられないので、一向に核心に入ることがない。




[26618] Re:[26607] [26603] どうしたら? 投稿者:無明 投稿日:2019/02/27(Wed) 10:42  

> > クリシュナムルティの本は、生活に役に立つもの。
> > というように宮啓氏というのはクリシュナムルティの本を「方法「手段」あるいは「処方箋」というようにとらえているのは、これまでの言動で明らか。
> > そこでゴトさんに、一杯質問をしたい。

> 一体あなたは何を探求しているのかな。どんな基準を持っているのか知らないが、文章が非難と正当化の見地から書かれているように見えてしまう。

これは宮啓氏への指摘です。
反論があれば、本人が言えばいいだけの話で、あなたがかばう必要はない。
逆に言ってあげたらどうですか?指摘したら?
それとも「いい人」でいたいですか。
あなたは今まで、人に注意をする、ということはないのだろうか。

批判と非難は違う。
新聞で、よく政府への批判記事を目にするが、これは非難ではありません。スポーツ選手も批判されますが、非難ではない。
逆にその記事を見てバネにする。

自分で気づかないことを人に言ってくれた方がいいこともあります。
その時はカチンときても、あとで、ありがたったということもある。



[26617] 投稿者:南方 投稿日:2019/02/27(Wed) 07:53  

呼吸は生命の根本である。であるので呼吸になりきることによって見になることはできる。

ではなぜKはそういったメソッドを否定したのか?考えるに一つには見それが目標となってしまうからであろう。見になったからと言って別に偉くもなんともないわけだが、目標になればそれを言う人に追随者ができ、人間の階層化ができてしまうから。

もう一つは、Kは思考を否定しながらも、考えてください、としきりにいっていることにヒントがあるかもしれない。理想を投影された、或いは自己投影した思考からの自由は、見だけではできない、人間の本来のありかたが示唆されていると思う。

見を重視しすぎず、思考を重視しすぎず、いったり来たりでよく自己観察し、世間を観察し、事実何が起こっているのかを見極めることに人間の生があるのではないか。


[26616] Re:[26615] 皆さん一生懸命生きていた 投稿者:ゴト 投稿日:2019/02/26(Tue) 22:33  

> コンビニに行った。
> 思考なしに店内を眺めた。
> 皆一生懸命生きていた。
> 何故か泣けた。


Kの味がする。こういう事なんだ。……普遍的な言葉が欲しい。


[26615] 皆さん一生懸命生きていた 投稿者:南方 投稿日:2019/02/26(Tue) 20:29  

コンビニに行った。
思考なしに店内を眺めた。
皆一生懸命生きていた。
何故か泣けた。



[26614] Re:[26612] [26611] [26610] [26609] 言葉と思考は別物 投稿者:ゴト 投稿日:2019/02/26(Tue) 17:27  

> > > > 言葉から自由な思考はある。
> > > >
> > > > 何故なら思考が言葉を生み出したから。犬や猫を見れば分かる。言葉はなくても思考はしている。
> > >
> > >
> > > 意味は味である。感覚を研ぎすませば言葉に味があるのである。その味に脳が反応し行動が起こるというカラクリ。

意味は味である ― イヤーッ!実に味わい深い。独創的である。

> >
> >
> > この仮説どこかの研究機関が調べてくれないかね。
> > 実験可能だと思うんだけどな。。
>
>
> それでコーランの味がするチューイングガムとか新約の味するチューイングガムとかKの味するチューイングガムとか開発すれば戦争なくなりません?

これに現代社会の味がするチュウーイングガムを加えて味を想像したが、歯が立ちませんでした。


[26613] Re:[26608] [26598] [26590] [26581] [26576] [26538] [26533] 最初のザーネン講話 9-3 投稿者:ゴト 投稿日:2019/02/26(Tue) 16:55  

> > > > 小年時代は溺れそうになった時とか、ケンカしていた時などです。20年ぐらい前のは心がざわざわしている時、ふと見てみようと思ったら見ることに入ってしまいました。
> > > >  振り返って思うに、思考が自我意識(例えば 我意とか意志)から抜け出したときかな。
> > >
> > >
> > >  お答えいただきありがとうございます。
> > >
> > >  ふっと抜け出すのですね。。
> >
> > 素晴らしい的確な表現で、私自身がなるほどと思いました。
> >
> > >  溺れそうになったとき、喧嘩しているとき、心がざわざわしているとき、・・。。
> >
> > まさにそうです。
> >
> > >  普通は、自我を防衛する働きが強まるところで、ふっと抜け出す。。
> >
> > その思考が詰まらない、くだらない、あるいは思考なしにその瞬間にその思考が否定されている。
>
>
>  >その瞬間にその思考が否定されている。−−、ここの「否定」は、非難・正当化の否定や拒否ではないと思います。

その通りです。

>  そのような非難・正当化の否定や拒否ではない「否定」とは、どのような感じのものでしょうか?
>
>  クリシュナムルティも非難・正当化ではない「否定」の言葉をよく用います。
>
>  お答えいただければ幸いです。

言葉での表現が難しいですね。狐憑きが落ちたみたいに完全に終わりになる。別の世界になって完全に頭になくなる。こんな言い方ができます。心理的色彩がない記憶は何十年後のいまでもあるので、返事ができますが。


[26612] Re:[26611] [26610] [26609] 言葉と思考は別物 投稿者:南方 投稿日:2019/02/26(Tue) 15:41  

> > > 言葉から自由な思考はある。
> > >
> > > 何故なら思考が言葉を生み出したから。犬や猫を見れば分かる。言葉はなくても思考はしている。
> >
> >
> > 意味は味である。感覚を研ぎすませば言葉に味があるのである。その味に脳が反応し行動が起こるというカラクリ。
>
>
> この仮説どこかの研究機関が調べてくれないかね。
> 実験可能だと思うんだけどな。。


それでコーランの味がするチューイングガムとか新約の味するチューイングガムとかKの味するチューイングガムとか開発すれば戦争なくなりません?


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