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[24764] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/11/08(Wed) 16:09  

http://jiddu-krishnamurti.net/jp/krishnamurti-the-urgency-of-change/krishnamurti-the-urgency-of-change-01-awareness


これでゴトさんがただ見るということの言っている意味が理解できました。
ようするに判断・解釈以前の気づきをただ見ることとおっしゃっているのですね。




[24763] Re:[24760] 生の中の聖なるもの(3) 投稿者:宮啓 投稿日:2017/11/08(Wed) 15:21  

> クリシュナムルティ: さて、私は調べるところです。なぜなら私は何が起きようとしているか知らないからです。私は結果を求めていません。私はそれを見つけることあるいは見つけないことを望んでいるのではありません。なぜなら私の主張は、心は自由に調べることができなければならない、したがって一瞬の歪みも決してあってはならないということだからです。動機があるとき歪みがあります。私は動機を持っていません、私は気にしていません。その心が存在するか、存在しないか気にしていません。私の調査は動機がなく、終りがなく、どんな権威も、過去も未来もまったく持っていません。したがってそれは自由に調べることができます。さあ、あなた、私と一緒に動いてくれますか。
>
> さて、私は何を調べているのでしょうか? 私は自由に調べることができます―何を調べます? 睡眠? あなた方は皆とても黙っています。
>
> 質問: 自由に見ることができる?
>
> クリシュナムルティ: 自由に見ることができる―何を見る? 木、山、緑、素晴らしい きらめく牧草地。
>
> 質問: それは機械的な...
>
> クリシュナムルティ: 推測しないでください。
>
> 質問: 私は推測していません。何かがあるとき、それは空間を作り出すのが直ちに見えます。そして心はいつも空っぽでなければなりません。
>
> クリシュナムルティ: 「私は知らない」と言うとき、心は空です。それが「私は調べている」と言うとき、それは「何を私は調べているのか」と言います。私は死、それは生の一部です、を調べているのでしょうか? 私は睡眠、それは生の一部です、を調べているのでしょうか? 仕事、恐怖、私は何を調べているのでしょうか?
>
> 質問: 私がうんざりしているという事実...
>
> クリシュナムルティ: ええ。
>
> 質問: ...そして私は違ったふうに生きることができるかどうか私自身に尋ねています。そして私は本当に知りません。
>
> クリシュナムルティ: あなたは知りません。それで何故あなたはそこから出発しないのでしょうか? 私はどうやって葛藤を終らせるか知りません。私は葛藤、矛盾、などなどの中に生きています―私たちはその細部のすべてを調べたくありません―私は葛藤の中に生きています。私はそのことを調べています。なぜなら私は何が起ころうとしているか知らないからです。待ってください。私は葛藤を調べています。それを超えることがいったいできるのかどうか私は本当に知らないと言う心でもって。しかしあなたは「私は本当に知らない。私は葛藤の中に生きているがどうやってそれを解決するか知らない」という心で出発しています。待ってください。一歩一歩それを調べてください。しかしあなたは知らないで出発します。したがってあなたは自由で出発します。
>
> 質問: さらに観念を調べるなら...
>
> クリシュナムルティ: あなたは見出そうとしているのです、あなた―まだそれを言葉にしないでください。
>
> 質問: (聞き取れない)
>
> クリシュナムルティ: いいえ、奥様。私達はこれらの質問をすべてしたのではないでしょうか。生は死、睡眠、葛藤、病気、教育、感情に対抗する思考、思考に対抗する感情です。私たちはあらゆるこれらの質問をしてきました。私はどこから出発すればいいでしょうかと言いました。このすべてを解決する中で―このすべてを理解する中で―私はどこから出発すればいいでしょうか? 私はここやあそこで始めるべきかどうか本当に知らない、それゆえ知らないで私はそれら全てに出会うと言います。それをわかりましたか? 私は知らないので、したがってそれらすべてを見る能力を持ちます。これは神秘化しているのではありません―どうやってあなた方皆と私は進むことができるでしょうか? ねえ、それを調べるなら、これは本当に素晴らしい主題なのです―二三人の人と一緒に多くをすることが出来るかもしれませんが、非常に多くの問題とその他何もかもでは、それは途方もなく困難になります。
>
> 私は瞑想が何であるか知りません。私は死が何であるか知りません。争いなしに、どんな種類の争いもなしに、生を生きることが出来るかどうか知りません。しかし私は自由に調べることができます。さて、私は自由であるので、調べようとしています。睡眠の意義は何でしょうか? 私はそれを取り上げています。私たちのたいていが持っている睡眠は妨害です。いいえ? それは妨害ではないでしょうか、夢を伴って、光景、悪夢を伴って、あらゆる種類の物事が起こっていないでしょうか?
>
> 質問: 他の種類の睡眠もまたあります。
>
> クリシュナムルティ: あなたはそれを知っていますか?
>
> 質問: はい。
>
> クリシュナムルティ: それは何ですか?
>
> 質問: 私が夢やら何やらを何も知らないとき。
>
> クリシュナムルティ: そう、脳が夢に疲れたときそれは静かになります。それですか?
>
> 質問: ええ、たぶん―はい、そう思います。
>
> クリシュナムルティ: あなたは調べているのですよ、思うことはできません。
>
> 質問: 彼は思わなければなりません。何故なら眠っている間のことを調べることはできないからです。彼は今は目覚めており、あなたに答えなければなりません。
>
> クリシュナムルティ: それは私の言っていることです、あなた。ほら、私たちは睡眠の問題を調べているのです。私は私自身に尋ねています。昼の間、私の一日は妨害された生存です。私は一日中妨害されています。私は仕事をし、そこで私は侮辱されます。昼の間大きな混乱を受け入れます。そして夜、同じ運動が続いています。それは中断ではありません。それは夢に翻訳されます。


>昼の間、私の一日は妨害された生存です。−−、生の自然の流れが妨害されている。


> 質問: 他の種類の睡眠があるかどうかあなたは尋ねました。
>
> クリシュナムルティ: 私は知りません―私は見出そうとしています。昼間の間、私の生は妨害されていることが見えます。私の脳は葛藤の中にあります。私は人をこき使います。私は支配され、あるいは支配します―それは絶え間のない脅威、絶え間のない苦痛、絶え間のない快楽、等々です。それは私が就眠するとき、すなわち夢を見るとき、持ち込まれた同じ運動です。それで私は自分に言います。「私は調べている。昼間の間、私の生活に秩序をもたらすことが出来るだろうか、なぜなら、眠っているとき、夢が秩序をもたらす手段であるからだ」。眠りに就く直前にときどき脳がこう言うのに気づいたことがありますか、「どんな種類の昼間を私は持っただろうか? 眠りに就く前に秩序をもたらす時だ」。それに気づいたことがありますか? おお、ない、私に告げないでください―元気を出して。あなた方のいくらかは気づいています。したがって眠る前、脳は秩序をしこうとします。秩序をしかないなら、そのとき眠っている間に脳は秩序をつくり出そうとします。それが夢、解釈、その他のすべてです。それは明確ですか? 私は調べています。私は何が起こるか知りたいと思いません―私はこの事実を見ます。
>
> さて、私は昼間の間、生活に秩序をもたらすことが出来るでしょうか?―できないなら私は夢を見るでしょう。できないなら私の脳は休みを持たないでしょう。そして脳は休みを持たなければなりません。さもなければ、それは七十年働いている機械に似ています。それ自身をすり減らします。それゆえ、それは完全に休まなければなりません。
>
> ゴト: 睡眠と絡んでKは人の日常の生が無秩序であること明らかにし、その無秩序をずっと今回の(3)の部分で取り上げます。


 認知症とは「休まない脳」であり、苦悩多き人生であったようです。
 一昔前(私が子供の頃)は、30代から「おじさん」、60代から「おじいさん」の様に見えました。一昔前は苦悩多き時代であったのかもしれません。
 先進国における科学技術の進歩は、苦悩に対しては一定の働きがあったようです・・。
 クリシュナムルティ理解は、そのような科学技術の進歩にも頼ることなく、苦悩に応じ、脳を若く保つようです。ブッダも80代、クリシュナムルティも90代まで脳は冴えていた。おまけに、ゴトさんも80代とは思えませぬ。


> 質問: 科学者たちは夢は必要であると言います。科学者たちはまた、夢の間に複数の状態があると言います。さて私たちは、心が非常に完全に疲れて、秩序をしこうとすることをあきらめてしまうかどうかについて調べることができます。実際にそれはあまりに疲れ切っています。
>
> クリシュナムルティ: その通りです。
>
> 質問: そしてあなたが尋ねていることは、第三の種類の睡眠があるということだと思います。
>
> クリシュナムルティ: ええ。私は昼間の間の私の生活を秩序の中に置きます。私は持ちます―あなたではなく。私にとっては、それはものすごく重要です。これ、葛藤を持たないこと。それで私は秩序を持ち、この秩序は、私が、無秩序がいかに滅茶苦茶であるか見るときのみ、もたらされることができます。理解と検討、無秩序の調査、を通して、秩序はもたらされます。秩序は私が規則正しくしたがう型、私が盲目的に受け入れて進む青写真ではありません。秩序は無秩序の洞察の理解から生まれるものです。したがって私の昼間の生活は規律正しいのです。次に夜。何が起こりますか? 睡眠はそのとき夢がありません。私はあなたに話していて、それゆえあなたはそれを受け入れているのでしょうか、それともそれはあなたにとって事実でしょうか?
>
> 質問: あなたは私たちに話しています。なぜならまさに事実...
>
> クリシュナムルティ: したがって、それをそのままにしておいてください。
>
> 質問: それが私たちが昼間のこと、目がさめている状態について語ることしかできない理由です。
>
> クリシュナムルティ: そのとおりです―それゆえ私の調査はあなたのものよりも更にいっそう進むことができます。なぜなら、私は思うのですが、私は秩序を生活にもたらしており、そして無秩序があるならどうすればいいか知っているからです。そして脳はそのとき、眠っているとき、絶対的に休んでいると私は言います。そして休んでいる間に何が起きるか、そしてさらに先は、それは私の探求です。あなたの探求ではありません。したがってそれには入りたくありません。何が起こるか聞くことはあなたにとってわくわくすることなのは知っていますが、それは価値がありません。
>
> ゴト: Kは昼間の生に秩序を敷いているので、そこから先に探求を進めることができます。ただしそれはKの探求であって、秩序を敷いていない人の探求ではないと断わりが入りました。


 とてもわくわくする様なことが起こっているようです、睡眠中は更に思考はゼロに近づくゆえ・・。しかし、その先は、シャーマニズム的世界同様、一般ピープルにとっては誘惑が大きい割には探求の役に立たないようです。よって、クリシュナムルティは立ち入ることを本意としない。


> 質問: ある科学者たちは誰かを目を覚まし続けておく実験をしました。
>
> クリシュナムルティ: 知っています、あなた、私はそのすべてを知っています。
>
> 質問: そのとき彼らはその実験から夢を見なければならないと結論します。もちろんそれは昼間無秩序であるのを示しているだけです。そのときその人は...
>
> クリシュナムルティ: そこで私の質問はこうです。あなたは、人生の目が覚めている間に秩序をしきましたか?
>
> 質問: 夢を見るので明らかにそうではありません。
>
> クリシュナムルティ: したがって明らかにそうではありません。したがって何故あなたは秩序をしかないのですか?
>
> 質問: どうすればいいのか私は知りません。
>
> クリシュナムルティ: 待ってください、私はあなたに告げているのです。
>
> 質問: しかしうまく処理すべきことが非常にたくさんあるのです。うまく処理すべき無秩序がありませんか?
>
> クリシュナムルティ: いいえ、ありません。女性の方がうまく処理すべきことが非常にたくさんあると言います―ありません。あなたがうまく処理していることが無秩序です。
>
> 質問: おや、うまく処理すべきこの無秩序があります。うまく処理すべき無秩序があるのではないですか?
>
> クリシュナムルティ: いいえ、無秩序は多くの形を持っていますがそれは無秩序です―性的無秩序、精神的無秩序、お互いとの私たちの関係の中の無秩序、私の身体の中の無秩序、無秩序―心理的、生理的、心身相関的、それが何であろうが―無秩序。何故私はそのすべてに秩序をもたらさないのでしょうか?


 >うまく処理すべき無秩序がありませんか?    いいえ、ありません。−−、ここが洞察のしどころのようです。>あなたがうまく処理していることが無秩序です。−−、無秩序を「感受」したとき、「思考」が対抗します。感情に対抗する思考。教師はそうします。親はそうします。それが破壊のようです。大サーカス地獄。


> 質問: あなた、どうするか私は知らないからです。それであなたに教えて欲しいのです。
>
> クリシュナムルティ: それをあなたに示しましょう、あなた。あなたはこの無秩序に気づいていますか?
>
> 質問: はい。
>
> クリシュナムルティ: ではそれを見守ってください、あなた。あなたはこの無秩序に気づいています―あなたはそれをどうしますか?
>
> 質問: (聞き取れず)
>
> クリシュナムルティ: あなた自身の無秩序を見てください―あの紳士の無秩序ではなく。彼の無秩序はあなたの無秩序です。彼は言います。「私は無秩序の中にいる。私はそれをどうしたらいいか知らない」。何故知らないのです? 無秩序とは何でしょうか―矛盾、そうでないでしょうか? 基本的に、不調和―矛盾―私はあることを考え、別のことをします。あることを言い、違うやり方で行動します。私は感じ、感じてはなりません。私は平和を望み、暴力的です。それらはすべて矛盾です。したがって私の生は、それは無秩序ですが、矛盾の結果です。神経症の人が何かを信じ、それにしがみつくとき、その人にとって無秩序はありません。なぜなら彼は「これはそうなのだ」と言うからです。私はものすごくイエスや仏陀を信じ、それで終りです―私は無秩序を持っていません。なぜならそれは私には現実であり、他のあらゆるものは非現実であるからです。
>
> そこで秩序がなければならないなら、あなたはあなたの生の中の無秩序を調べなければなりません。それは矛盾によってもたらされています。それは「あるがままのもの」を何かほかのものに変えることを願って、「あるがままのもの」を現に見ないことです。それが無秩序です。さあ、あなた。
>
> 質問: 歩いているとき、私は無秩序の本質である中心に気づいています。そしてそれを変えたいのです。私はなおそれを取り除き、秩序を見出したいのです。
>
> クリシュナムルティ: 私が言うことをよく聞いてください―あなたはあなたの無秩序に気づいています。無秩序は基本的に矛盾を意味します。それは「あるがままのもの」に直面しないこと、見ないこと、そして「あるがままのもの」から離れることです。「あるがままのもの」から離れるとき、それが無秩序です。それを超えようとするとき、それが無秩序です。それを抑圧しようとするとき、それが無秩序です。しかし、あなたが「あるがままのもの」を見るとき、あなたはそれを超えるためのすべてのエネルギーを持ちます。それが秩序です。わかりましたか―私の言葉の上の説明ではなく、実際に、それに真剣に取り組みましたか。
>
> ゴト: 無秩序にどう向き合うか明確に述べられました。真剣に取り組んだか!とも。
> 真剣に見ることは、ほかのあらゆることを吹き飛ばす高いエネルギーの現前です。(このことが脳科学的にどういう状態を意味するのだろうか?)


 子供はそのエネルギーで泣き出します。泣きはらした後、すっきりしている。そのエネルギーのことかもしれません。違うかもしれません。


> 質問: あなた、妥協についてはどうでしょうか? それはときには必要です...
>
> クリシュナムルティ: 妥協についてはどうか―それはときには必要です。よろしい、妥協。何故あなたはそれを問題にするのでしょうか?―私はズボンをはくのに妥協しなければなりません。革靴をはかなければならないとき、妥協しなければなりません。何故あなたは妥協を問題にするのでしょうか―妥協してはならないという原則を持っているから?
>
> 質問: さて...
>
> クリシュナムルティ: 待ってください―それをどこまでも追求しましょう。ひとは小さなことについて妥協できます。しかし戦争は国家主義、原因の一つ、によって引き起こされるという事実が見えるとき、妥協がありますか? そこに何かの妥協がありますか?
>
> 質問: はい。
>
> クリシュナムルティ: 何ですって?
>
> 質問: はい。あなたが戦わないなら、結果は彼らがパスポートと国籍を取り上げます。
>
> クリシュナムルティ: そのときはパスポートを取り上げさせましょう。しかし幸運にも彼らは私に一つ与えました。そしておまえは旅行できないと言うなら、よろしい、私は旅行しません。私はいるところに留まります。
>
> 質問: しかし私は飢えるかもしれません。
>
> クリシュナムルティ: 飢えるなら飢えます。よろしい―あなた方はひどく脅えています。移りましょう。それで私は生活、昼間の生活、目がさめている時間の中に秩序をもたらしました。秩序があり、したがって脳は絶対的に静かであり、その状態の中で腐敗しません。そして目が覚めるとき、活力が得られました―それはあなたのものではなくて、私が言っていることです。
>
> ゴト: 妥協の問題は些事についてはいいですが、事が「人間であることの条件」であるとき、黙らざるを得ないこととなります。それでKは話しを移します。


 子供は妥協できる事柄では泣きだしません。


> クリシュナムルティ: さて、私は知らないので調べています―私は瞑想を調べています。それは何を意味するのでしょうか? 私は最初に、心は絶対的に静かでなければならないことを見ます。なぜならそれが静かでないなら、明確に見ることができないからです。それがすべてです。(続く)


 >あなたが「あるがままのもの」を見るとき、あなたはそれを超えるためのすべてのエネルギーを持ちます。それが秩序です。−−、そのとき静かな心がある。


[24762] Re:[24758] [24756] 聖なるもの? 投稿者:南方 投稿日:2017/11/08(Wed) 15:05  


> > Kの意図や、その理解者の意見が聞きたい。
>
> 真我や純粋意識(これはフッサールの用語?)は後でこの公開対話の中に出てくると思います。私は宗教学や哲学的概念ではないかと疑っています。これを思考で議論すると暗礁に乗り上げる気がします。
>


河の支流があるとき水源があるように、思考があるときその源があるのではないでしょうか。

真我、純粋意識等は思考の産物というより思考「を」産出したものだと言えるでしょう。

それは未知なるもの聖なるものというより、在るのではないか。水源があるように当然在る、ということ。

ただ沈黙として在る。


[24761] Re:[24756] 聖なるもの? 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/08(Wed) 13:33  

 そもそも「生の中の聖なるもの」の聖なるものって何?
 相変わらずわけのわけらぬ言葉を駆使して読者をけむに巻く。こうした抽象的な言葉を使うから、読者はイメージがわいてしまうのである。
 思考なしで見るといっておきながら、抽象した言葉を駆使してイメージをわかせる。こんな矛盾した話はない。
 誰でも知っているモノならイメージが湧きようがない。即時にわかる。



> 質問です。
> 何故Kは真我や気づき、純粋意識等のことは言わないで

 真我、神、宇宙意識、ブラフマンというのは、Kにいわせれば思考の産物といってとりあわない。これら言葉として指し示すものというものKにとって理解出来ないようである。
 そもそも、戦争ばかり起こす人間に、「聖なるもの」などあるはずもない。
というのがK信者の主張。
 それでいて、何で「生の中の聖なるもの」か?
 矛盾きわまりない。

> 心や幻聴のことばかり話すのでしょうか?
>
> ここで取り上げられている「未知のもの」がそうかな、と考えましたが、気づきは在るだけであり、働くというような言い方は適切ではないと思うのですがどうでしょうか?
>
> Kの意図や、その理解者の意見が聞きたい。


[24760] 生の中の聖なるもの(3) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/08(Wed) 08:56  

クリシュナムルティ: さて、私は調べるところです。なぜなら私は何が起きようとしているか知らないからです。私は結果を求めていません。私はそれを見つけることあるいは見つけないことを望んでいるのではありません。なぜなら私の主張は、心は自由に調べることができなければならない、したがって一瞬の歪みも決してあってはならないということだからです。動機があるとき歪みがあります。私は動機を持っていません、私は気にしていません。その心が存在するか、存在しないか気にしていません。私の調査は動機がなく、終りがなく、どんな権威も、過去も未来もまったく持っていません。したがってそれは自由に調べることができます。さあ、あなた、私と一緒に動いてくれますか。

さて、私は何を調べているのでしょうか? 私は自由に調べることができます―何を調べます? 睡眠? あなた方は皆とても黙っています。

質問: 自由に見ることができる?

クリシュナムルティ: 自由に見ることができる―何を見る? 木、山、緑、素晴らしい きらめく牧草地。

質問: それは機械的な...

クリシュナムルティ: 推測しないでください。

質問: 私は推測していません。何かがあるとき、それは空間を作り出すのが直ちに見えます。そして心はいつも空っぽでなければなりません。

クリシュナムルティ: 「私は知らない」と言うとき、心は空です。それが「私は調べている」と言うとき、それは「何を私は調べているのか」と言います。私は死、それは生の一部です、を調べているのでしょうか? 私は睡眠、それは生の一部です、を調べているのでしょうか? 仕事、恐怖、私は何を調べているのでしょうか?

質問: 私がうんざりしているという事実...

クリシュナムルティ: ええ。

質問: ...そして私は違ったふうに生きることができるかどうか私自身に尋ねています。そして私は本当に知りません。

クリシュナムルティ: あなたは知りません。それで何故あなたはそこから出発しないのでしょうか? 私はどうやって葛藤を終らせるか知りません。私は葛藤、矛盾、などなどの中に生きています―私たちはその細部のすべてを調べたくありません―私は葛藤の中に生きています。私はそのことを調べています。なぜなら私は何が起ころうとしているか知らないからです。待ってください。私は葛藤を調べています。それを超えることがいったいできるのかどうか私は本当に知らないと言う心でもって。しかしあなたは「私は本当に知らない。私は葛藤の中に生きているがどうやってそれを解決するか知らない」という心で出発しています。待ってください。一歩一歩それを調べてください。しかしあなたは知らないで出発します。したがってあなたは自由で出発します。

質問: さらに観念を調べるなら...

クリシュナムルティ: あなたは見出そうとしているのです、あなた―まだそれを言葉にしないでください。

質問: (聞き取れない)

クリシュナムルティ: いいえ、奥様。私達はこれらの質問をすべてしたのではないでしょうか。生は死、睡眠、葛藤、病気、教育、感情に対抗する思考、思考に対抗する感情です。私たちはあらゆるこれらの質問をしてきました。私はどこから出発すればいいでしょうかと言いました。このすべてを解決する中で―このすべてを理解する中で―私はどこから出発すればいいでしょうか? 私はここやあそこで始めるべきかどうか本当に知らない、それゆえ知らないで私はそれら全てに出会うと言います。それをわかりましたか? 私は知らないので、したがってそれらすべてを見る能力を持ちます。これは神秘化しているのではありません―どうやってあなた方皆と私は進むことができるでしょうか? ねえ、それを調べるなら、これは本当に素晴らしい主題なのです―二三人の人と一緒に多くをすることが出来るかもしれませんが、非常に多くの問題とその他何もかもでは、それは途方もなく困難になります。

私は瞑想が何であるか知りません。私は死が何であるか知りません。争いなしに、どんな種類の争いもなしに、生を生きることが出来るかどうか知りません。しかし私は自由に調べることができます。さて、私は自由であるので、調べようとしています。睡眠の意義は何でしょうか? 私はそれを取り上げています。私たちのたいていが持っている睡眠は妨害です。いいえ? それは妨害ではないでしょうか、夢を伴って、光景、悪夢を伴って、あらゆる種類の物事が起こっていないでしょうか?

質問: 他の種類の睡眠もまたあります。

クリシュナムルティ: あなたはそれを知っていますか?

質問: はい。

クリシュナムルティ: それは何ですか?

質問: 私が夢やら何やらを何も知らないとき。

クリシュナムルティ: そう、脳が夢に疲れたときそれは静かになります。それですか?

質問: ええ、たぶん―はい、そう思います。

クリシュナムルティ: あなたは調べているのですよ、思うことはできません。

質問: 彼は思わなければなりません。何故なら眠っている間のことを調べることはできないからです。彼は今は目覚めており、あなたに答えなければなりません。

クリシュナムルティ: それは私の言っていることです、あなた。ほら、私たちは睡眠の問題を調べているのです。私は私自身に尋ねています。昼の間、私の一日は妨害された生存です。私は一日中妨害されています。私は仕事をし、そこで私は侮辱されます。昼の間大きな混乱を受け入れます。そして夜、同じ運動が続いています。それは中断ではありません。それは夢に翻訳されます。

質問: 他の種類の睡眠があるかどうかあなたは尋ねました。

クリシュナムルティ: 私は知りません―私は見出そうとしています。昼間の間、私の生は妨害されていることが見えます。私の脳は葛藤の中にあります。私は人をこき使います。私は支配され、あるいは支配します―それは絶え間のない脅威、絶え間のない苦痛、絶え間のない快楽、等々です。それは私が就眠するとき、すなわち夢を見るとき、持ち込まれた同じ運動です。それで私は自分に言います。「私は調べている。昼間の間、私の生活に秩序をもたらすことが出来るだろうか、なぜなら、眠っているとき、夢が秩序をもたらす手段であるからだ」。眠りに就く直前にときどき脳がこう言うのに気づいたことがありますか、「どんな種類の昼間を私は持っただろうか? 眠りに就く前に秩序をもたらす時だ」。それに気づいたことがありますか? おお、ない、私に告げないでください―元気を出して。あなた方のいくらかは気づいています。したがって眠る前、脳は秩序をしこうとします。秩序をしかないなら、そのとき眠っている間に脳は秩序をつくり出そうとします。それが夢、解釈、その他のすべてです。それは明確ですか? 私は調べています。私は何が起こるか知りたいと思いません―私はこの事実を見ます。

さて、私は昼間の間、生活に秩序をもたらすことが出来るでしょうか?―できないなら私は夢を見るでしょう。できないなら私の脳は休みを持たないでしょう。そして脳は休みを持たなければなりません。さもなければ、それは七十年働いている機械に似ています。それ自身をすり減らします。それゆえ、それは完全に休まなければなりません。

ゴト: 睡眠と絡んでKは人の日常の生が無秩序であること明らかにし、その無秩序をずっと今回の(3)の部分で取り上げます。

質問: 科学者たちは夢は必要であると言います。科学者たちはまた、夢の間に複数の状態があると言います。さて私たちは、心が非常に完全に疲れて、秩序をしこうとすることをあきらめてしまうかどうかについて調べることができます。実際にそれはあまりに疲れ切っています。

クリシュナムルティ: その通りです。

質問: そしてあなたが尋ねていることは、第三の種類の睡眠があるということだと思います。

クリシュナムルティ: ええ。私は昼間の間の私の生活を秩序の中に置きます。私は持ちます―あなたではなく。私にとっては、それはものすごく重要です。これ、葛藤を持たないこと。それで私は秩序を持ち、この秩序は、私が、無秩序がいかに滅茶苦茶であるか見るときのみ、もたらされることができます。理解と検討、無秩序の調査、を通して、秩序はもたらされます。秩序は私が規則正しくしたがう型、私が盲目的に受け入れて進む青写真ではありません。秩序は無秩序の洞察の理解から生まれるものです。したがって私の昼間の生活は規律正しいのです。次に夜。何が起こりますか? 睡眠はそのとき夢がありません。私はあなたに話していて、それゆえあなたはそれを受け入れているのでしょうか、それともそれはあなたにとって事実でしょうか?

質問: あなたは私たちに話しています。なぜならまさに事実...

クリシュナムルティ: したがって、それをそのままにしておいてください。

質問: それが私たちが昼間のこと、目がさめている状態について語ることしかできない理由です。

クリシュナムルティ: そのとおりです―それゆえ私の調査はあなたのものよりも更にいっそう進むことができます。なぜなら、私は思うのですが、私は秩序を生活にもたらしており、そして無秩序があるならどうすればいいか知っているからです。そして脳はそのとき、眠っているとき、絶対的に休んでいると私は言います。そして休んでいる間に何が起きるか、そしてさらに先は、それは私の探求です。あなたの探求ではありません。したがってそれには入りたくありません。何が起こるか聞くことはあなたにとってわくわくすることなのは知っていますが、それは価値がありません。

ゴト: Kは昼間の生に秩序を敷いているので、そこから先に探求を進めることができます。ただしそれはKの探求であって、秩序を敷いていない人の探求ではないと断わりが入りました。

質問: ある科学者たちは誰かを目を覚まし続けておく実験をしました。

クリシュナムルティ: 知っています、あなた、私はそのすべてを知っています。

質問: そのとき彼らはその実験から夢を見なければならないと結論します。もちろんそれは昼間無秩序であるのを示しているだけです。そのときその人は...

クリシュナムルティ: そこで私の質問はこうです。あなたは、人生の目が覚めている間に秩序をしきましたか?

質問: 夢を見るので明らかにそうではありません。

クリシュナムルティ: したがって明らかにそうではありません。したがって何故あなたは秩序をしかないのですか?

質問: どうすればいいのか私は知りません。

クリシュナムルティ: 待ってください、私はあなたに告げているのです。

質問: しかしうまく処理すべきことが非常にたくさんあるのです。うまく処理すべき無秩序がありませんか?

クリシュナムルティ: いいえ、ありません。女性の方がうまく処理すべきことが非常にたくさんあると言います―ありません。あなたがうまく処理していることが無秩序です。

質問: おや、うまく処理すべきこの無秩序があります。うまく処理すべき無秩序があるのではないですか?

クリシュナムルティ: いいえ、無秩序は多くの形を持っていますがそれは無秩序です―性的無秩序、精神的無秩序、お互いとの私たちの関係の中の無秩序、私の身体の中の無秩序、無秩序―心理的、生理的、心身相関的、それが何であろうが―無秩序。何故私はそのすべてに秩序をもたらさないのでしょうか?

質問: あなた、どうするか私は知らないからです。それであなたに教えて欲しいのです。

クリシュナムルティ: それをあなたに示しましょう、あなた。あなたはこの無秩序に気づいていますか?

質問: はい。

クリシュナムルティ: ではそれを見守ってください、あなた。あなたはこの無秩序に気づいています―あなたはそれをどうしますか?

質問: (聞き取れず)

クリシュナムルティ: あなた自身の無秩序を見てください―あの紳士の無秩序ではなく。彼の無秩序はあなたの無秩序です。彼は言います。「私は無秩序の中にいる。私はそれをどうしたらいいか知らない」。何故知らないのです? 無秩序とは何でしょうか―矛盾、そうでないでしょうか? 基本的に、不調和―矛盾―私はあることを考え、別のことをします。あることを言い、違うやり方で行動します。私は感じ、感じてはなりません。私は平和を望み、暴力的です。それらはすべて矛盾です。したがって私の生は、それは無秩序ですが、矛盾の結果です。神経症の人が何かを信じ、それにしがみつくとき、その人にとって無秩序はありません。なぜなら彼は「これはそうなのだ」と言うからです。私はものすごくイエスや仏陀を信じ、それで終りです―私は無秩序を持っていません。なぜならそれは私には現実であり、他のあらゆるものは非現実であるからです。

そこで秩序がなければならないなら、あなたはあなたの生の中の無秩序を調べなければなりません。それは矛盾によってもたらされています。それは「あるがままのもの」を何かほかのものに変えることを願って、「あるがままのもの」を現に見ないことです。それが無秩序です。さあ、あなた。

質問: 歩いているとき、私は無秩序の本質である中心に気づいています。そしてそれを変えたいのです。私はなおそれを取り除き、秩序を見出したいのです。

クリシュナムルティ: 私が言うことをよく聞いてください―あなたはあなたの無秩序に気づいています。無秩序は基本的に矛盾を意味します。それは「あるがままのもの」に直面しないこと、見ないこと、そして「あるがままのもの」から離れることです。「あるがままのもの」から離れるとき、それが無秩序です。それを超えようとするとき、それが無秩序です。それを抑圧しようとするとき、それが無秩序です。しかし、あなたが「あるがままのもの」を見るとき、あなたはそれを超えるためのすべてのエネルギーを持ちます。それが秩序です。わかりましたか―私の言葉の上の説明ではなく、実際に、それに真剣に取り組みましたか。

ゴト: 無秩序にどう向き合うか明確に述べられました。真剣に取り組んだか!とも。
真剣に見ることは、ほかのあらゆることを吹き飛ばす高いエネルギーの現前です。(このことが脳科学的にどういう状態を意味するのだろうか?)

質問: あなた、妥協についてはどうでしょうか? それはときには必要です...

クリシュナムルティ: 妥協についてはどうか―それはときには必要です。よろしい、妥協。何故あなたはそれを問題にするのでしょうか?―私はズボンをはくのに妥協しなければなりません。革靴をはかなければならないとき、妥協しなければなりません。何故あなたは妥協を問題にするのでしょうか―妥協してはならないという原則を持っているから?

質問: さて...

クリシュナムルティ: 待ってください―それをどこまでも追求しましょう。ひとは小さなことについて妥協できます。しかし戦争は国家主義、原因の一つ、によって引き起こされるという事実が見えるとき、妥協がありますか? そこに何かの妥協がありますか?

質問: はい。

クリシュナムルティ: 何ですって?

質問: はい。あなたが戦わないなら、結果は彼らがパスポートと国籍を取り上げます。

クリシュナムルティ: そのときはパスポートを取り上げさせましょう。しかし幸運にも彼らは私に一つ与えました。そしておまえは旅行できないと言うなら、よろしい、私は旅行しません。私はいるところに留まります。

質問: しかし私は飢えるかもしれません。

クリシュナムルティ: 飢えるなら飢えます。よろしい―あなた方はひどく脅えています。移りましょう。それで私は生活、昼間の生活、目がさめている時間の中に秩序をもたらしました。秩序があり、したがって脳は絶対的に静かであり、その状態の中で腐敗しません。そして目が覚めるとき、活力が得られました―それはあなたのものではなくて、私が言っていることです。

ゴト: 妥協の問題は些事についてはいいですが、事が「人間であることの条件」であるとき、黙らざるを得ないこととなります。それでKは話しを移します。

クリシュナムルティ: さて、私は知らないので調べています―私は瞑想を調べています。それは何を意味するのでしょうか? 私は最初に、心は絶対的に静かでなければならないことを見ます。なぜならそれが静かでないなら、明確に見ることができないからです。それがすべてです。(続く)


[24759] 皆様の読書室のトラブルについてのお知らせ。 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/07(Tue) 23:32  

昨日、このサイトの試訳のザーネンの公開講話・対話のうち、1970年公開対話の項目だけ、クリックしてもテキストが出ないトラブルがあることに気づきました。

それで修正したのですが、試訳リストをクリックしてすぐ1970年の公開対話をクリックするとテキストが出ます。

しかし、その後、ほかのテキスト(例えばオハイ講話でも何でも)を選択して見た後、すぐ1970年公開講話を選択すると出ません。

対策として、ザーネンの公開講話・対話のうちの1970年公開対話の場合に限って、試訳リストを再度クリックしてから1970年公開対話を選択してください。

とりあえずの対策をしました。


[24758] Re:[24756] 聖なるもの? 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/07(Tue) 23:02  

> 質問です。
> 何故Kは真我や気づき、純粋意識等のことは言わないで
> 心や幻聴のことばかり話すのでしょうか?
>
> ここで取り上げられている「未知のもの」がそうかな、と考えましたが、気づきは在るだけであり、働くというような言い方は適切ではないと思うのですがどうでしょうか?
>
> Kの意図や、その理解者の意見が聞きたい。

真我や純粋意識(これはフッサールの用語?)は後でこの公開対話の中に出てくると思います。私は宗教学や哲学的概念ではないかと疑っています。これを思考で議論すると暗礁に乗り上げる気がします。

それから働くという言い方は適切ではないかという事ですが、確かに働くというのは私が説明言葉として使ったので不適切かもしれません。未知のものに出会って行為があるとき、その行為は知識から出るものでなく英知から出るとすれば、心が働いて行為が出るという言い方は疑問かもしれません。
そこらの言葉の問題(どれほどの妥当性をもって扱えるか)も後程出てくると思います。


[24757] Re:[24755] [24754] 生の中の聖なるもの(2) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/07(Tue) 22:36  

> > 私は見出したいのです。私の心は知識のレベルで生き、また同時に、知識を持ちながら未知を動かす両方をし、それでそれら両方が調和して一緒に生きている、一緒に動いていることができるかどうか? 私の質問がわかったでしょうか? さてそれを見出すことができるなら、そのとき私はあなたの質問すべてに答えているでしょう―あなたはあなた自身ですべての質問に答えているでしょう。既知のもの、数世紀にわたって蓄積された知識である既知のものをどうやって取り扱うか、そしてまた同時に、どうやって未知のものが動くことに入り、あるいは認め、そこで二つが調和して一緒に働くようにするか。それはあなたのすべての質問に答えるでしょうか?
> >
> > ゴト: ここは(1)の中に入っていますが、ここから再開します。ここは少し難しいです。
> > 知識を使い問題を理解する(心の)働きと、未知の動きの世界に入り理解する働きが調和して働くことがありうるなら、それがあるならあなたはすべての問題に自分で答えを見出すことができるのはないだろうかとKは言っています。
>
>
>  「既知のものからの自由」とは、「既知」を遠ざけることではなく、>知識である既知のものをどうやって取り扱うか、そしてまた同時に、どうやって未知のものが動くことに入り、あるいは認め、そこで二つが調和して一緒に働くようにするか。−−、ということのようです。
>
>
> > 質問: はい。
> >
> > K: あまり早く「はい」と言い、それからあとで物理的生存のことを持ち出さないでください。私は問題を持っています。ひとは問題を持っています。すなわち、睡眠、死、教育、強い感情、熱情、思考によって制御され、そして思考は次第に強くなり、人の感情、感受性、直感、好奇心のすべてを破壊します―これらすべてが生の問題です。私が堕落していない、汚れていない、歪んでいない、非常に明確な心を持っているなら、そのとき、そのような心はあらゆるこれらの質問に答えるでしょう。
> >
> > ゴト: 私の心は思考に頼り過ぎ、疲れて、直感や感受性、好奇心等は鈍くなっている。そのようなせいのもんだいもひとはかかえている。
>
>
>  >あまり早く「はい」と言い、それからあとで物理的生存のことを持ち出さないでください。−−、「はい、そうです・・」と言って、次に「それで、いかにして生計を立ててゆけるのでしょうか・・」と問わないでと言っています。
>
>  例えば、本国の禅僧がアメリカで生計を立ててゆけるのか・・。クリシュナムルティ理解に至った者は、国や地域に関わりなく、生計を立てることが問題ではなくなるようです。
>
>  生計を立てることに関わる問題も、>睡眠、死、教育、強い感情、熱情、思考によって制御され、そして思考は次第に強くなり、人の感情、感受性、直感、好奇心のすべてを破壊します―これらすべてが生の問題です。−−、それらの問題の内に含まれているようです。
>
>
> > さて、その心は何でしょうか―それはこれだとか、あれであると言わないでください。描写は描写されたものではなく、言葉はものではないからです。そこで直面するどんな問題も解決し進むその心は何であるか見出したいのです。それは荷物になりません。際限なく心配する何かになりません。
>
>
>  「その心」とは、>私が堕落していない、汚れていない、歪んでいない、非常に明確な心を持っているなら、そのとき、そのような心はあらゆるこれらの質問に答えるでしょう。−−。

そのような心はお荷物にならない――これは重要なことですね。そう思います。

>
> > さて、私たちは今朝しばらく、その心の性質が何であるかを見出そうとして過ごしていいでしょうか?―脳、感覚、肉体的組織全体、全体的なものである心、分割された身体、感情、知性、脳ではなくて、全体的存在。さてあなたはどうやって見出すことに取り掛かりますか? 生存は仕事、食事、衣服、住居を意味します。生存はこの労苦、この戦い、この苦闘、苦痛、心配、罪の意識、悲しみのすべてを意味します。生存は二人の人間の間の関係を意味します。生存は眠って過ごす時間を意味します。生存は愛を意味します。それは嫉妬、憎しみと解釈されています―そのすべて、それに睡眠、死、瞑想―そのすべてが含まれています。私は、本を読んだのではなく、私自身で見出したい。そして私はこのすべてについて何の本も読みたくないのです―私はその心が何であるか見出したいと思います。私は非常に好奇心があります。それを討論しましょうか? どうかそれについておざなりでないでください。**
> >
> > 質問: はい。
> >
> > ゴト: ここはハイと答えることに異議ありません。
>
>
>  その根。生のあらゆる問題の根。そして、その根を直接見ることができる心。ゆがんでいる心、汚れている心、明確でない心では、それを知覚することができないようです。

人は近代において神、仏、あるいは真善美というような絶対的な価値の存在を信じ、それを求める心を持つ人間の高貴さを精神性あるいは霊性を持つと言って、その理性的主体性を疑わずにいた。しかし21世紀にはいるに至って一切のそのような近代的価値観は崩壊したと言ってもよい。
私のようなやや古い世代の人間の関心は、今やその真理と称されるものが実際にあるのかないのか、あるとすれば何なのかのみにある。それで今Kのこの話しを聴いている。関心はここのみにある。もちろんこの身が生きていくため、買い物をし、食事をつくり、医者にも通わなければならないが、それはただするだけのこと。
それゆえ、関心を持って聴く、読むことができる。

>
> > クリシュナムルティ: 私はあなたの激励を望みません、おわかりですね―私はこれを私の歩みの中でしたいのです。さてどうやって私は見出しましょうか。非常に明確な心、葛藤を持たない心―理想ではなく、実際に葛藤を持たない―完全に静かであることができる心、眠るときそれ自身を新しくする、「ミー」の完全な不在の中で生きている心、「ミー」は葛藤の本質です。さて私はそれにどうやって取り組んだらいいでしょうか。なぜなら私は好奇心があります。私は十分なエネルギーを得ました。調査の結果が何であろうと、私は恐れていません。私はお金や食べ物を誰にも頼っていません―それは私に関心を抱かせません。あなたが私に食べ物をくれるなら受取るでしょう。くれないならそれで結構です。私は関心がありません。私の関心全部はこのことです。
> >
> > 質問: あなた、私は知りたがりません―私は脅えます。私はそれを獲得したいのです。
> >
> > クリシュナムルティ: 彼は知りたがりませんがそれを獲得したいのです。私はそれを得たいと思いません。どうして私の愚かな小さい心がそれを獲得できるでしょうか―それはできないのではないでしょうか。なぜなら私が獲得の見地で、成功の見地で、何かを得る見地で考えるからです。それが私の動機です。しかし私は言います。私は動機を持っていない。私はそのような心がどのようなものであるか見たい。違いがわかりますね?
>
>
>  犬や猫が道ですれ違う人を見るとき、いい人であれば食物をねだろうと思って、人を見てはいない。犬とすれ違うとき、犬好きの人に犬は寄ってきたり後をつけたりする。犬嫌いの人には近づかない。
>  犬や猫が道ですれ違う人を見るときのように、見ているか・・。
>
>
> > 質問: そのようなものがあるなら。
> >
> > クリシュナムルティ: 私は見出そうとしているのですよ、あなた。まさにそれです。それが存在するかどうか私は知りません。なぜなら、私は導師を持っていないからです。ありがたい。私は教師を持っていません。私は何の記述も、他人がそれについて何を言おうと受け入れません―私はそのすべてを無視します。それらは思い違いかもしれないし、彼らはペテン師であるかもしれません。そこで私はそれらに関心がありません。私はそのような心があるかどうか、ただ見出したいだけです。
>
>
>  犬や猫のように見ることは、肥大化した思考や膨大な知識を背負っていては容易にできないようだ。導師にそれを教えて貰うよりは、犬や猫に聞いた方がまだましだ・・。

ここのKの言葉はただ聞くことができるところです。

>
> > さて、どんなふうに私は始めればいいでしょうか、どんなふうに出発すればいいでしょうか? どうか進んでください。私を助けてください。どこから私は出発すればいいでしょうか? 私が想像することのできる、それゆえ現実でない未知の結果から? あるいは、矛盾なしに、努力なしに、否定、犠牲、強いることなしに対応できるこの心を見出すことを、どこから始めればいいでしょうか? どこから私は始めればいいでしょうか?
> >
> > 質問: この問題すべてが何故起こったかを尋ねることによって始めては?
> >
> > クリシュナムルティ: この問題すべてが何故生じるかを尋ねることによってあなたは始めたいのですか? 見てください、あなた、私たちは十日間、三週間にわたって話しました。そのすべてを経てきました。私はそのような心があるかどうか尋ねることを始めます。そして見出すためには私は知らないで始めなければなりません。私はそれについて一つも知りません。あなたは知っていますか? さあ、あなた。あなたは人々が何を言ったか読んだかもしれません。人々が何を言ったか聞いたかもしれません。私はそのすべてを捨てます。私が知っているすべては、私は知らない、です。あなたもまたその立場、そのような心が存在するかどうか、そしていったい、それに到ることができるのかどうか知らないという立場にいるでしょうか。あなたは知りません―振りをしないでください、それがすべてです。私は知りません。「私は知らない」と言う心は、それゆえ自由に調べることができます。
>
>
>  犬や猫に尋ねたとしても、「私は知らない」と言うことでしょう・・、もしも意思疎通が可能ならば・・。

たくさんのことを聴いたり論じたりしてきたがそれらを放り出して聴いている。私は難解であれば読み直すが、それで済みます。無意識でどう扱われているかは知らない。

>
> > > 自由があります。それは最初の一歩で最後の一歩です。それをゆっくりと踏み出してください。私は知らないと私が言うとき、誰にも、何の環境にも、過去のものや未来のもののどちらにも頼っていません。あなたはその立場にいますか? でなければ、あなたは隠れた大師、隠れた案内、隠れた記憶を持っていて、知らない振りをしているのです。
> >
> > 質問: 知っているのか知らないのかを私は本当に知らないと私は思います。
> >
> > クリシュナムルティ: どうか、このことはあまりにまじめなことです。言葉をもてあそばないでください。そのような心があるかどうか私は知らないと、あなたは正直に自分自身に言えますか? それゆえ私は自由に尋ねることができます。したがって探求は最初に自由であることを必要とします。最初に自由なこと、終りではなく―あなたの禅から自由なこと、あなたの瞑想、あなたの方式、あなたの神、あなたの神話、あなたの導師、あなたの概念から自由なこと―放棄してください、そういったすべてを放棄してください。あなたはキリスト教徒でも仏教徒でもイエスの信奉者でもありません―放棄してください。そのとき自由に探求することができます。それは心が恐れていない、一人であるのを恐れていないということです。

これはただ見る、聴くに入っている。あるいは見ること、聴くことだけがあるとも言える。

> >
> > さて、私は調べるところです。なぜなら私は何が起きようとしているか知らないからです。私は結果を求めていません。私はそれを見つけることあるいは見つけないことを望んでいるのではありません。なぜなら私の主張は、心は自由に調べることができなければならない、したがって一瞬の歪みも決してあってはならないということだからです。動機があるとき歪みがあります。私は動機を持っていません、私は気にしていません。その心が存在するか、存在しないか気にしていません。私の調査は動機がなく、終りがなく、どんな権威も、過去も未来もまったく持っていません。したがってそれは自由に調べることができます。さあ、あなた、私と一緒に動いてくれますか。(続く)
> >
> > −−−−−−−−−−
> >
> > ゴト: 何も言えず聞き入っています。
>
>
>  はい。
>
>  そして、それは生き物が自然に行っているような事柄で、超越的な天才のみが享受するものではないのかもしれません。

そう思います。たぶん言語を使う思考する能力を手に入れたからだと思います。それがなぜ動物の持つ自然さを損なうのか、明確な理解が私はありません。


[24756] 聖なるもの? 投稿者:南方 投稿日:2017/11/07(Tue) 17:01  

質問です。
何故Kは真我や気づき、純粋意識等のことは言わないで
心や幻聴のことばかり話すのでしょうか?

ここで取り上げられている「未知のもの」がそうかな、と考えましたが、気づきは在るだけであり、働くというような言い方は適切ではないと思うのですがどうでしょうか?

Kの意図や、その理解者の意見が聞きたい。


[24755] Re:[24754] 生の中の聖なるもの(2) 投稿者:宮啓 投稿日:2017/11/07(Tue) 16:24  

> 私は見出したいのです。私の心は知識のレベルで生き、また同時に、知識を持ちながら未知を動かす両方をし、それでそれら両方が調和して一緒に生きている、一緒に動いていることができるかどうか? 私の質問がわかったでしょうか? さてそれを見出すことができるなら、そのとき私はあなたの質問すべてに答えているでしょう―あなたはあなた自身ですべての質問に答えているでしょう。既知のもの、数世紀にわたって蓄積された知識である既知のものをどうやって取り扱うか、そしてまた同時に、どうやって未知のものが動くことに入り、あるいは認め、そこで二つが調和して一緒に働くようにするか。それはあなたのすべての質問に答えるでしょうか?
>
> ゴト: ここは(1)の中に入っていますが、ここから再開します。ここは少し難しいです。
> 知識を使い問題を理解する(心の)働きと、未知の動きの世界に入り理解する働きが調和して働くことがありうるなら、それがあるならあなたはすべての問題に自分で答えを見出すことができるのはないだろうかとKは言っています。


 「既知のものからの自由」とは、「既知」を遠ざけることではなく、>知識である既知のものをどうやって取り扱うか、そしてまた同時に、どうやって未知のものが動くことに入り、あるいは認め、そこで二つが調和して一緒に働くようにするか。−−、ということのようです。


> 質問: はい。
>
> K: あまり早く「はい」と言い、それからあとで物理的生存のことを持ち出さないでください。私は問題を持っています。ひとは問題を持っています。すなわち、睡眠、死、教育、強い感情、熱情、思考によって制御され、そして思考は次第に強くなり、人の感情、感受性、直感、好奇心のすべてを破壊します―これらすべてが生の問題です。私が堕落していない、汚れていない、歪んでいない、非常に明確な心を持っているなら、そのとき、そのような心はあらゆるこれらの質問に答えるでしょう。
>
> ゴト: 私の心は思考に頼り過ぎ、疲れて、直感や感受性、好奇心等は鈍くなっている。そのようなせいのもんだいもひとはかかえている。


 >あまり早く「はい」と言い、それからあとで物理的生存のことを持ち出さないでください。−−、「はい、そうです・・」と言って、次に「それで、いかにして生計を立ててゆけるのでしょうか・・」と問わないでと言っています。

 例えば、本国の禅僧がアメリカで生計を立ててゆけるのか・・。クリシュナムルティ理解に至った者は、国や地域に関わりなく、生計を立てることが問題ではなくなるようです。

 生計を立てることに関わる問題も、>睡眠、死、教育、強い感情、熱情、思考によって制御され、そして思考は次第に強くなり、人の感情、感受性、直感、好奇心のすべてを破壊します―これらすべてが生の問題です。−−、それらの問題の内に含まれているようです。


> さて、その心は何でしょうか―それはこれだとか、あれであると言わないでください。描写は描写されたものではなく、言葉はものではないからです。そこで直面するどんな問題も解決し進むその心は何であるか見出したいのです。それは荷物になりません。際限なく心配する何かになりません。


 「その心」とは、>私が堕落していない、汚れていない、歪んでいない、非常に明確な心を持っているなら、そのとき、そのような心はあらゆるこれらの質問に答えるでしょう。−−。


> さて、私たちは今朝しばらく、その心の性質が何であるかを見出そうとして過ごしていいでしょうか?―脳、感覚、肉体的組織全体、全体的なものである心、分割された身体、感情、知性、脳ではなくて、全体的存在。さてあなたはどうやって見出すことに取り掛かりますか? 生存は仕事、食事、衣服、住居を意味します。生存はこの労苦、この戦い、この苦闘、苦痛、心配、罪の意識、悲しみのすべてを意味します。生存は二人の人間の間の関係を意味します。生存は眠って過ごす時間を意味します。生存は愛を意味します。それは嫉妬、憎しみと解釈されています―そのすべて、それに睡眠、死、瞑想―そのすべてが含まれています。私は、本を読んだのではなく、私自身で見出したい。そして私はこのすべてについて何の本も読みたくないのです―私はその心が何であるか見出したいと思います。私は非常に好奇心があります。それを討論しましょうか? どうかそれについておざなりでないでください。**
>
> 質問: はい。
>
> ゴト: ここはハイと答えることに異議ありません。


 その根。生のあらゆる問題の根。そして、その根を直接見ることができる心。ゆがんでいる心、汚れている心、明確でない心では、それを知覚することができないようです。


> クリシュナムルティ: 私はあなたの激励を望みません、おわかりですね―私はこれを私の歩みの中でしたいのです。さてどうやって私は見出しましょうか。非常に明確な心、葛藤を持たない心―理想ではなく、実際に葛藤を持たない―完全に静かであることができる心、眠るときそれ自身を新しくする、「ミー」の完全な不在の中で生きている心、「ミー」は葛藤の本質です。さて私はそれにどうやって取り組んだらいいでしょうか。なぜなら私は好奇心があります。私は十分なエネルギーを得ました。調査の結果が何であろうと、私は恐れていません。私はお金や食べ物を誰にも頼っていません―それは私に関心を抱かせません。あなたが私に食べ物をくれるなら受取るでしょう。くれないならそれで結構です。私は関心がありません。私の関心全部はこのことです。
>
> 質問: あなた、私は知りたがりません―私は脅えます。私はそれを獲得したいのです。
>
> クリシュナムルティ: 彼は知りたがりませんがそれを獲得したいのです。私はそれを得たいと思いません。どうして私の愚かな小さい心がそれを獲得できるでしょうか―それはできないのではないでしょうか。なぜなら私が獲得の見地で、成功の見地で、何かを得る見地で考えるからです。それが私の動機です。しかし私は言います。私は動機を持っていない。私はそのような心がどのようなものであるか見たい。違いがわかりますね?


 犬や猫が道ですれ違う人を見るとき、いい人であれば食物をねだろうと思って、人を見てはいない。犬とすれ違うとき、犬好きの人に犬は寄ってきたり後をつけたりする。犬嫌いの人には近づかない。
 犬や猫が道ですれ違う人を見るときのように、見ているか・・。


> 質問: そのようなものがあるなら。
>
> クリシュナムルティ: 私は見出そうとしているのですよ、あなた。まさにそれです。それが存在するかどうか私は知りません。なぜなら、私は導師を持っていないからです。ありがたい。私は教師を持っていません。私は何の記述も、他人がそれについて何を言おうと受け入れません―私はそのすべてを無視します。それらは思い違いかもしれないし、彼らはペテン師であるかもしれません。そこで私はそれらに関心がありません。私はそのような心があるかどうか、ただ見出したいだけです。


 犬や猫のように見ることは、肥大化した思考や膨大な知識を背負っていては容易にできないようだ。導師にそれを教えて貰うよりは、犬や猫に聞いた方がまだましだ・・。


> さて、どんなふうに私は始めればいいでしょうか、どんなふうに出発すればいいでしょうか? どうか進んでください。私を助けてください。どこから私は出発すればいいでしょうか? 私が想像することのできる、それゆえ現実でない未知の結果から? あるいは、矛盾なしに、努力なしに、否定、犠牲、強いることなしに対応できるこの心を見出すことを、どこから始めればいいでしょうか? どこから私は始めればいいでしょうか?
>
> 質問: この問題すべてが何故起こったかを尋ねることによって始めては?
>
> クリシュナムルティ: この問題すべてが何故生じるかを尋ねることによってあなたは始めたいのですか? 見てください、あなた、私たちは十日間、三週間にわたって話しました。そのすべてを経てきました。私はそのような心があるかどうか尋ねることを始めます。そして見出すためには私は知らないで始めなければなりません。私はそれについて一つも知りません。あなたは知っていますか? さあ、あなた。あなたは人々が何を言ったか読んだかもしれません。人々が何を言ったか聞いたかもしれません。私はそのすべてを捨てます。私が知っているすべては、私は知らない、です。あなたもまたその立場、そのような心が存在するかどうか、そしていったい、それに到ることができるのかどうか知らないという立場にいるでしょうか。あなたは知りません―振りをしないでください、それがすべてです。私は知りません。「私は知らない」と言う心は、それゆえ自由に調べることができます。


 犬や猫に尋ねたとしても、「私は知らない」と言うことでしょう・・、もしも意思疎通が可能ならば・・。


> > 自由があります。それは最初の一歩で最後の一歩です。それをゆっくりと踏み出してください。私は知らないと私が言うとき、誰にも、何の環境にも、過去のものや未来のもののどちらにも頼っていません。あなたはその立場にいますか? でなければ、あなたは隠れた大師、隠れた案内、隠れた記憶を持っていて、知らない振りをしているのです。
>
> 質問: 知っているのか知らないのかを私は本当に知らないと私は思います。
>
> クリシュナムルティ: どうか、このことはあまりにまじめなことです。言葉をもてあそばないでください。そのような心があるかどうか私は知らないと、あなたは正直に自分自身に言えますか? それゆえ私は自由に尋ねることができます。したがって探求は最初に自由であることを必要とします。最初に自由なこと、終りではなく―あなたの禅から自由なこと、あなたの瞑想、あなたの方式、あなたの神、あなたの神話、あなたの導師、あなたの概念から自由なこと―放棄してください、そういったすべてを放棄してください。あなたはキリスト教徒でも仏教徒でもイエスの信奉者でもありません―放棄してください。そのとき自由に探求することができます。それは心が恐れていない、一人であるのを恐れていないということです。
>
> さて、私は調べるところです。なぜなら私は何が起きようとしているか知らないからです。私は結果を求めていません。私はそれを見つけることあるいは見つけないことを望んでいるのではありません。なぜなら私の主張は、心は自由に調べることができなければならない、したがって一瞬の歪みも決してあってはならないということだからです。動機があるとき歪みがあります。私は動機を持っていません、私は気にしていません。その心が存在するか、存在しないか気にしていません。私の調査は動機がなく、終りがなく、どんな権威も、過去も未来もまったく持っていません。したがってそれは自由に調べることができます。さあ、あなた、私と一緒に動いてくれますか。(続く)
>
> −−−−−−−−−−
>
> ゴト: 何も言えず聞き入っています。


 はい。

 そして、それは生き物が自然に行っているような事柄で、超越的な天才のみが享受するものではないのかもしれません。


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