雑感
[トップに戻る] [留意事項] [ワード検索] [管理用]
おなまえ
Eメール メールアドレスは入力禁止
タイトル
コメント 【コメント中のURLは先頭のhを抜いて書き込んで下さい。】
コメント中には参照先URLと同じURLを書き込まないで下さい
参照先
暗証キー (記事メンテ用)

[26212] Re:[26207] 過去からの自由16−4 投稿者:無明 投稿日:2018/11/03(Sat) 09:51  

> 16章−4 [情熱]
>
>  人間はなぜこのものを欠いているのか自問したことが今までにないでしょうか? 

「このもの」というのは、真理、実在、神、愛、美

>人間は子供を儲け、セックスを好み、優しさ、仲間同士、友人同士では何かを一緒に分け合う性質を持っています。しかしこのもの ― 人間がそれを持っていないには何故でしょう? 

「このもの」(以下真理に統一)を人間は持っていない。

>汚れた街を一人で歩いているときやバスの中で座っているとき、あるいは休日に海辺にいたり、森の中を沢山の鳥や木や流れや動物と共に歩いているとき、時たまぼんやりと不思議に思ったことはないでしょうか ― 何百万年も生きてきて、人間がこのものを、この途方もない、しおれることを知らない花を手にしていないのは何故かと問う気になったことがなかったでしょうか? 

日常生活で、いつも真理とは何かと自問するということですか



>何故あなたは人間として、そんなにも有能で、賢く、狡猾で、競争的なのに、このように素晴らしい技術を持ち、空や地下や海底に行き、途方もない電子頭脳を発明するのに ― 何故この大事な一つのものを持っていないのでしょうか?

大事なもの「真理」ですか?

 >あなたのハートがなぜ空虚なのかというこの問題にあなたが真剣に直面したことがあるのかどうか私は知りません。
>
>  もし自分自身にその質問をしたのなら、あなたの答えはどうなのでしょう ― どんな曖昧さあるいは狡猾さもないあなたの直接の答えは? あなたの答えはその質問をする中の強烈さとその緊急性に一致しているでしょう。しかしあなたは激しくも切迫もしておらず、それはエネルギーを、情熱であるエネルギーを持っていないからです。そして情熱なしには ― 背後に激烈さを伴う情熱、その中にどんな隠された欲望もない情熱なしには、どのような真理も発見できません。情熱はむしろ恐るべきものであり、なぜならもし情熱を持つなら情熱は自分をどこに運び去るかも知れないからです。

言ってることがよくわかりません。「このもの」が何でエネルギーと関係あるのですか。
>
>  それゆえ、なぜこの愛の気質が自分の中に失われているか、なぜハートの中にこの炎がないのか、自分自身で見出そうとするその情熱のためのエネルギーを持たない理由は、もしかすると恐怖でしょうか? 自分自身の心とハートを非常に綿密に調べてみるなら、なぜ情熱を持たないか知るでしょう。なぜそれを持っていないか見出そうとすることの中で情熱的であるなら、情熱がそこにあるのを知るでしょう。完全な否定によってのみ、それは情熱の最高の形態です、あの愛であるものが生まれます。

情熱って何ですか?燃え盛る炎のこと?それが愛


>謙虚と同じように愛は育成できません。謙虚はうぬぼれが完全に終わるときに生じます ― そのとき謙虚であることはどんなことか決して知らないでしょう。謙虚であるとはどんなことか知っている人間は虚栄心の強い人です。同じように、生の道を見出すため、実際のあるがままを見てそれを超えるため、自分の心とハート、神経、目、全存在を注ぎ、そして完全に、全体的に、いま生きている生を否定するとき ― 醜いもの、残虐なもののその否定そのものの中にこそ、そうでない他のもの(the other)が生じます。自分が沈黙していることを知り、自分が愛していることを知っている人は、愛が何であるか、沈黙が何であるか知っていないのです。


ここで知っていることは知らないというフレーズが何度も出てくる。
自分が沈黙していることを知っている人は、沈黙が何であるか知らない。
自分が愛していることを知っている人は、愛が何であるかを知らない。
謙虚が、どんなことか知っている人は、謙虚が何であるか知らない。
それは虚栄心が強い。
お言葉ですが、謙虚を知らない人間は、謙虚にはなれないでしょう。礼儀を知らない人間のように。自然と身につくものではない。
これらは教え込むのです。
愛を知らない人間は、愛することはできません。。
ようするに知らないことは人間できません。
何のために教育があるのですか?
>
> 終り (ゴト訳)


[26211] Re:[26207] 過去からの自由16−4 投稿者:南方 投稿日:2018/11/03(Sat) 09:47  

> 16章−4 [情熱]
>
>  人間はなぜこのものを欠いているのか自問したことが今までにないでしょうか? 人間は子供を儲け、セックスを好み、優しさ、仲間同士、友人同士では何かを一緒に分け合う性質を持っています。しかしこのもの ― 人間がそれを持っていないには何故でしょう? 汚れた街を一人で歩いているときやバスの中で座っているとき、あるいは休日に海辺にいたり、森の中を沢山の鳥や木や流れや動物と共に歩いているとき、時たまぼんやりと不思議に思ったことはないでしょうか ― 何百万年も生きてきて、人間がこのものを、この途方もない、しおれることを知らない花を手にしていないのは何故かと問う気になったことがなかったでしょうか? 何故あなたは人間として、そんなにも有能で、賢く、狡猾で、競争的なのに、このように素晴らしい技術を持ち、空や地下や海底に行き、途方もない電子頭脳を発明するのに ― 何故この大事な一つのものを持っていないのでしょうか? あなたのハートがなぜ空虚なのかというこの問題にあなたが真剣に直面したことがあるのかどうか私は知りません。
>
>  もし自分自身にその質問をしたのなら、あなたの答えはどうなのでしょう ― どんな曖昧さあるいは狡猾さもないあなたの直接の答えは? あなたの答えはその質問をする中の強烈さとその緊急性に一致しているでしょう。しかしあなたは激しくも切迫もしておらず、それはエネルギーを、情熱であるエネルギーを持っていないからです。そして情熱なしには ― 背後に激烈さを伴う情熱、その中にどんな隠された欲望もない情熱なしには、どのような真理も発見できません。情熱はむしろ恐るべきものであり、なぜならもし情熱を持つなら情熱は自分をどこに運び去るかも知れないからです。
>
>  それゆえ、なぜこの愛の気質が自分の中に失われているか、なぜハートの中にこの炎がないのか、自分自身で見出そうとするその情熱のためのエネルギーを持たない理由は、もしかすると恐怖でしょうか? 自分自身の心とハートを非常に綿密に調べてみるなら、なぜ情熱を持たないか知るでしょう。なぜそれを持っていないか見出そうとすることの中で情熱的であるなら、情熱がそこにあるのを知るでしょう。完全な否定によってのみ、それは情熱の最高の形態です、あの愛であるものが生まれます。謙虚と同じように愛は育成できません。謙虚はうぬぼれが完全に終わるときに生じます ― そのとき謙虚であることはどんなことか決して知らないでしょう。謙虚であるとはどんなことか知っている人間は虚栄心の強い人です。同じように、生の道を見出すため、実際のあるがままを見てそれを超えるため、自分の心とハート、神経、目、全存在を注ぎ、そして完全に、全体的に、いま生きている生を否定するとき ― 醜いもの、残虐なもののその否定そのものの中にこそ、そうでない他のもの(the other)が生じます。自分が沈黙していることを知り、自分が愛していることを知っている人は、愛が何であるか、沈黙が何であるか知っていないのです。
>
> 終り (ゴト訳)


愛、神を知らないが故にそれは照らし囁いてくれる。
知らないが故にということが府に落ちました。

http://


[26210] 無題 投稿者:明日を暗示する黄昏 投稿日:2018/11/03(Sat) 09:37  

ある日、清らかな修道院で解脱に達した、僧がいた。彼は全てを捨て、愛と慈悲に満ちた完成された人格者だった。 ある日酔っ払いを助けてくれとその聖者に頼む人がいた。彼は酔っ払いに清らかな生活の素晴らしさを語った。その言葉は彼の体験から出ていた真実であったが、酔っ払いは、怒って聖者を叩き出した。次に呼ばれた人は、清濁併せ持つ賢者で彼には、醜く汚い世界に入って行き楽しめる力があった。彼は酔っ払いの恨みや怒りの世界に入って行き、一緒に酒を飲み愚痴を言い意気投合してしまった。そうして彼は酔っ払いを救った。        第4段階の愛と慈悲だけでは、ひとは導けない、第5段階の自由とか力、不気味なもの闇のなかに入って行く力が必要なのだ。


[26209] Re:[26197] [26185] 既知からの自由16−3 投稿者:宮啓 投稿日:2018/11/03(Sat) 09:33  

> >  人はそのとき、招くことなしに、待つことなしに、求めたり探索したりすることなしに、このものに出会うことが可能かどうか自分自身に尋ねます ― ちょうど部屋の窓を開け放しにしておいた時に入ってくる涼しい微風のようにそれが起きることが可能かどうかを。風を招くことはできませんが窓を開けておかなければなりません。それは待っている状態にあるという意味ではありません。それは別の形の欺瞞です。受け入れるために自分自身を開かなければならないという意味ではありません。それは別種の思考です。
>
>
> 真理や神への希求はすべ虚妄であり、空なる心には居場所がない。


 クリシュナムルティ理解への取り組みの初めには、真実への希求がモチベーションとなって、難解な本などを読んでいく。

 しかし、真実への希求は、脳細胞の結線、すなわち過去から生じている。

 真実への希求の取り組みは過去の強化、時間の過程となる。すなわち、それは自我の枠内での取り組みとなっている。

 それゆえに、クリシュナムルティ理解への取り組みの後半からは、以下のようになるとのこと・・。

 >「理解しなければならない」という感情は見出すための活力をもたらします。しかし見出すこと、探索、は時間を意味し、そして、既に見てきたように、心を徐々に条件付けから外すことは適策ではありません。−−

 この「理解しなければならない」というモチベーションが、過去(自我)の強化となる。

 それゆえに、>人はそのとき、招くことなしに、待つことなしに、求めたり探索したりすることなしに、このものに出会うことが可能かどうか自分自身に尋ねます ― ちょうど部屋の窓を開け放しにしておいた時に入ってくる涼しい微風のようにそれが起きることが可能かどうかを。風を招くことはできませんが窓を開けておかなければなりません。それは待っている状態にあるという意味ではありません。それは別の形の欺瞞です。受け入れるために自分自身を開かなければならないという意味ではありません。それは別種の思考です。
−−

 待つことは脳細胞の結線の強化に繋がる。

 待つことなしに、風と出逢うことはできるのか。。。


 この本は、最重要な本と思います。

 この本は、出版されたのですが、翻訳者がアンチクリシュナムルティの方です。意味が分かり辛い文面でした。


 新しい芽さん翻訳の『既知のものからの自由』、あるいは、ゴトさん翻訳の「既知からの自由」が、出版されることがあれば、意味が分かりやすい丁寧な翻訳として重宝することでしょう。。 





> (次が最終回です)


[26208] 知っていることは実は知らない 投稿者:無明 投稿日:2018/11/03(Sat) 09:23  

>もはや努めることをしない心のその状態は真の宗教的な心です。そしてその心の状態の中であなたは、真理とか実在とか至福とか神とか美とか愛と呼ばれるこのものに出会うかもしれません。このものは招くことはできません。どうかその非常に単純な事実を理解してください。それは招くことができず、捜し求められ得ないのです。なぜならあの巨大な、あの広大なものにとって、あなたの小さな家に、踏みにじられ唾を吐かれたあなたの生の小さな片隅に招かれるには、心はあまりに愚かで、あまりに小さく、あなたの感情は余りに下劣で、あなたの生き方は余りに混乱しているからです。あなたはそれを招くことはできません。それを招くためにはそれを知らなければならず、あなたはそれを知ることはできません。誰が言おうと問題ではありません。「私は知っている」という瞬間、彼は知らないのです。あなたが自分はそれを見つけたと言う瞬間、見つけてはいないのです。それを経験したと言うなら、あなたは決して経験してはいないのです。それらは皆他の人間を搾取するやり方なのです ― 友達だろうと敵だろうとです。

4の情熱の箇所で、「知っていることは知らない」というフレーズが何度も出てきたので、初めてこの言葉が出てきた、3のエネルギーを振り返りました。

ここで「私は知っている」という瞬間、彼は知らないとある。いったいどういう意味なのか。
4でも、愛を知っているときというとき、愛は知らないとある。
3では、真理、実在を知っているというとき、実は知らない。

ここで「知っている」というのは、一般でいう知識、経験を指すのだろうか?
あるいは知恵、英知という言葉もある。叡智とも書く。それらも「知」という言葉がある。
それらも含むのか。

仏教では知恵、英知は最高の判断力とある。
それも「知っている」に入るのか。クリシュナムルティはそれも否定している?

我々人間の生きる指針として、自分自身の体験、経験を基にして行動することが普通である。初めて出会う事柄については、自らの直感に頼るか、経験豊富な人に頼るしかない。
仏教では、思考よりも生きる知恵に重きをおく。いわゆる最高判断力。

クリシュナムルティは、全てを否定する。だとすると、人は何を基にして生きろというだろうか。
あるがまま生きるといわれても。情熱を持てといわれても。


真理の探究者というのは過去の聖賢と言われた人の文献を丹念に調べ調べ上げ、様々な人に尋ね、真理なるものを探究する。クリシュナムルティも文献の中に入る。
クリシュナムルティは、そういうことを一切否定し、真理をつかめと言っているのだろうか。何の手がかりもなしに。
知っていることは知らないと。

私個人のことを言えば、真理は実現していないが、真理は「知っている」ということです。様々な文献によって。
真理を実現している人の文献を読めばいいわけだから。ああこういうことかと。自分にはそうした「資質」はない。悟りを目指すとか。
自分自身に対して、厳しい生き方をしている人を何人も知っている。
エゴに妥協しない。私にはできないということです。

クリシュナムルティの言ってることは、高尚しすぎて、それではどうするのかという具体的なものは何一つ示されていない。

新しい芽氏は、クリシュナムルティの言っていることを自分なりにアレンジして「どのように気づいているか」をいわれているのだと思います。「どのように」の答えは愛ということが、遅まきなら判明しました。











[26207] 過去からの自由16−4 投稿者:ゴト 投稿日:2018/11/03(Sat) 06:38  

16章−4 [情熱]

 人間はなぜこのものを欠いているのか自問したことが今までにないでしょうか? 人間は子供を儲け、セックスを好み、優しさ、仲間同士、友人同士では何かを一緒に分け合う性質を持っています。しかしこのもの ― 人間がそれを持っていないには何故でしょう? 汚れた街を一人で歩いているときやバスの中で座っているとき、あるいは休日に海辺にいたり、森の中を沢山の鳥や木や流れや動物と共に歩いているとき、時たまぼんやりと不思議に思ったことはないでしょうか ― 何百万年も生きてきて、人間がこのものを、この途方もない、しおれることを知らない花を手にしていないのは何故かと問う気になったことがなかったでしょうか? 何故あなたは人間として、そんなにも有能で、賢く、狡猾で、競争的なのに、このように素晴らしい技術を持ち、空や地下や海底に行き、途方もない電子頭脳を発明するのに ― 何故この大事な一つのものを持っていないのでしょうか? あなたのハートがなぜ空虚なのかというこの問題にあなたが真剣に直面したことがあるのかどうか私は知りません。

 もし自分自身にその質問をしたのなら、あなたの答えはどうなのでしょう ― どんな曖昧さあるいは狡猾さもないあなたの直接の答えは? あなたの答えはその質問をする中の強烈さとその緊急性に一致しているでしょう。しかしあなたは激しくも切迫もしておらず、それはエネルギーを、情熱であるエネルギーを持っていないからです。そして情熱なしには ― 背後に激烈さを伴う情熱、その中にどんな隠された欲望もない情熱なしには、どのような真理も発見できません。情熱はむしろ恐るべきものであり、なぜならもし情熱を持つなら情熱は自分をどこに運び去るかも知れないからです。

 それゆえ、なぜこの愛の気質が自分の中に失われているか、なぜハートの中にこの炎がないのか、自分自身で見出そうとするその情熱のためのエネルギーを持たない理由は、もしかすると恐怖でしょうか? 自分自身の心とハートを非常に綿密に調べてみるなら、なぜ情熱を持たないか知るでしょう。なぜそれを持っていないか見出そうとすることの中で情熱的であるなら、情熱がそこにあるのを知るでしょう。完全な否定によってのみ、それは情熱の最高の形態です、あの愛であるものが生まれます。謙虚と同じように愛は育成できません。謙虚はうぬぼれが完全に終わるときに生じます ― そのとき謙虚であることはどんなことか決して知らないでしょう。謙虚であるとはどんなことか知っている人間は虚栄心の強い人です。同じように、生の道を見出すため、実際のあるがままを見てそれを超えるため、自分の心とハート、神経、目、全存在を注ぎ、そして完全に、全体的に、いま生きている生を否定するとき ― 醜いもの、残虐なもののその否定そのものの中にこそ、そうでない他のもの(the other)が生じます。自分が沈黙していることを知り、自分が愛していることを知っている人は、愛が何であるか、沈黙が何であるか知っていないのです。

終り (ゴト訳)


[26206] このもの 投稿者:無明 投稿日:2018/11/02(Fri) 22:42  



「このもの」の原文はthis thingです。
「このもの」とは何を指すかというと引用文のトップにあります。

 『真理とか実在とか至福とか神とか美とか愛と呼ばれる「このもの」』。

クリシュナムルティの使う真理、実在、至福、神、美、愛といった言葉は、全て同じものだということが明確になりました。
理解、沈黙、静寂、気づき、リアリティ、注意という言葉も同じ意味だと思います。

異質のエネルギー、それは「直覚」でしか得られない。
強烈な気づき。受動的な心の状態(注意)が実現した時、おのずと起こる。これがawareness。



[26205] Re:[26204] [26203] [26202] [26198] [26192] [26191] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/11/02(Fri) 19:34  

> > > > > > 神も仏もいない真っ暗闇を通り抜けてこそ悟れる。
> > > > >
> > > > >
> > > > > 何を悟るんですか?  自分で自分自身を生む。本当に自由に生きられる。闇も醜いものも乗せられる。
> > >
> > >
> > > 条件付けを外してあるがままに生きる、有り体に言えばそういうこと、か。
> >
> >
> > 条件付けが外れている時思考に規律がある。あるがままに生きる時、観察に規律がある。順応でなく、流動的な自由な規律。摩擦のないエネルギーの流れ。
>
>
> 世の中ではそれは屁理屈として蔑まされている。いいんです、屁理屈。


そう、世の中では少数の人を除いてはそれを自分自身で尋ねない。屁理屈とか言って直面を避ける。
 しかしそれをめげずに議論する人が増えることが必要ですね、エネルギーのある人が。


[26204] Re:[26203] [26202] [26198] [26192] [26191] 無題 投稿者:南方 投稿日:2018/11/02(Fri) 18:43  

> > > > > 神も仏もいない真っ暗闇を通り抜けてこそ悟れる。
> > > >
> > > >
> > > > 何を悟るんですか?  自分で自分自身を生む。本当に自由に生きられる。闇も醜いものも乗せられる。
> >
> >
> > 条件付けを外してあるがままに生きる、有り体に言えばそういうこと、か。
>
>
> 条件付けが外れている時思考に規律がある。あるがままに生きる時、観察に規律がある。順応でなく、流動的な自由な規律。摩擦のないエネルギーの流れ。


世の中ではそれは屁理屈として蔑まされている。いいんです、屁理屈。

http://


[26203] Re:[26202] [26198] [26192] [26191] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/11/02(Fri) 16:47  

> > > > 神も仏もいない真っ暗闇を通り抜けてこそ悟れる。
> > >
> > >
> > > 何を悟るんですか?  自分で自分自身を生む。本当に自由に生きられる。闇も醜いものも乗せられる。
>
>
> 条件付けを外してあるがままに生きる、有り体に言えばそういうこと、か。


条件付けが外れている時思考に規律がある。あるがままに生きる時、観察に規律がある。順応でなく、流動的な自由な規律。摩擦のないエネルギーの流れ。


[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69] [70] [71] [72] [73] [74] [75] [76] [77] [78] [79] [80] [81] [82] [83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90] [91] [92] [93] [94] [95] [96] [97] [98] [99] [100]

処理 記事No 暗証キー
- LightBoard - Modified by isso