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[24754] 生の中の聖なるもの(2) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/06(Mon) 18:47  

私は見出したいのです。私の心は知識のレベルで生き、また同時に、知識を持ちながら未知を動かす両方をし、それでそれら両方が調和して一緒に生きている、一緒に動いていることができるかどうか? 私の質問がわかったでしょうか? さてそれを見出すことができるなら、そのとき私はあなたの質問すべてに答えているでしょう―あなたはあなた自身ですべての質問に答えているでしょう。既知のもの、数世紀にわたって蓄積された知識である既知のものをどうやって取り扱うか、そしてまた同時に、どうやって未知のものが動くことに入り、あるいは認め、そこで二つが調和して一緒に働くようにするか。それはあなたのすべての質問に答えるでしょうか?

ゴト: ここは(1)の中に入っていますが、ここから再開します。ここは少し難しいです。
知識を使い問題を理解する(心の)働きと、未知の動きの世界に入り理解する働きが調和して働くことがありうるなら、それがあるならあなたはすべての問題に自分で答えを見出すことができるのはないだろうかとKは言っています。

質問: はい。

K: あまり早く「はい」と言い、それからあとで物理的生存のことを持ち出さないでください。私は問題を持っています。ひとは問題を持っています。すなわち、睡眠、死、教育、強い感情、熱情、思考によって制御され、そして思考は次第に強くなり、人の感情、感受性、直感、好奇心のすべてを破壊します―これらすべてが生の問題です。私が堕落していない、汚れていない、歪んでいない、非常に明確な心を持っているなら、そのとき、そのような心はあらゆるこれらの質問に答えるでしょう。

ゴト: 私の心は思考に頼り過ぎ、疲れて、直感や感受性、好奇心等は鈍くなっている。そのようなせいのもんだいもひとはかかえている。

さて、その心は何でしょうか―それはこれだとか、あれであると言わないでください。描写は描写されたものではなく、言葉はものではないからです。そこで直面するどんな問題も解決し進むその心は何であるか見出したいのです。それは荷物になりません。際限なく心配する何かになりません。

さて、私たちは今朝しばらく、その心の性質が何であるかを見出そうとして過ごしていいでしょうか?―脳、感覚、肉体的組織全体、全体的なものである心、分割された身体、感情、知性、脳ではなくて、全体的存在。さてあなたはどうやって見出すことに取り掛かりますか? 生存は仕事、食事、衣服、住居を意味します。生存はこの労苦、この戦い、この苦闘、苦痛、心配、罪の意識、悲しみのすべてを意味します。生存は二人の人間の間の関係を意味します。生存は眠って過ごす時間を意味します。生存は愛を意味します。それは嫉妬、憎しみと解釈されています―そのすべて、それに睡眠、死、瞑想―そのすべてが含まれています。私は、本を読んだのではなく、私自身で見出したい。そして私はこのすべてについて何の本も読みたくないのです―私はその心が何であるか見出したいと思います。私は非常に好奇心があります。それを討論しましょうか? どうかそれについておざなりでないでください。**

質問: はい。

ゴト: ここはハイと答えることに異議ありません。

クリシュナムルティ: 私はあなたの激励を望みません、おわかりですね―私はこれを私の歩みの中でしたいのです。さてどうやって私は見出しましょうか。非常に明確な心、葛藤を持たない心―理想ではなく、実際に葛藤を持たない―完全に静かであることができる心、眠るときそれ自身を新しくする、「ミー」の完全な不在の中で生きている心、「ミー」は葛藤の本質です。さて私はそれにどうやって取り組んだらいいでしょうか。なぜなら私は好奇心があります。私は十分なエネルギーを得ました。調査の結果が何であろうと、私は恐れていません。私はお金や食べ物を誰にも頼っていません―それは私に関心を抱かせません。あなたが私に食べ物をくれるなら受取るでしょう。くれないならそれで結構です。私は関心がありません。私の関心全部はこのことです。

質問: あなた、私は知りたがりません―私は脅えます。私はそれを獲得したいのです。

クリシュナムルティ: 彼は知りたがりませんがそれを獲得したいのです。私はそれを得たいと思いません。どうして私の愚かな小さい心がそれを獲得できるでしょうか―それはできないのではないでしょうか。なぜなら私が獲得の見地で、成功の見地で、何かを得る見地で考えるからです。それが私の動機です。しかし私は言います。私は動機を持っていない。私はそのような心がどのようなものであるか見たい。違いがわかりますね?

質問: そのようなものがあるなら。

クリシュナムルティ: 私は見出そうとしているのですよ、あなた。まさにそれです。それが存在するかどうか私は知りません。なぜなら、私は導師を持っていないからです。ありがたい。私は教師を持っていません。私は何の記述も、他人がそれについて何を言おうと受け入れません―私はそのすべてを無視します。それらは思い違いかもしれないし、彼らはペテン師であるかもしれません。そこで私はそれらに関心がありません。私はそのような心があるかどうか、ただ見出したいだけです。

さて、どんなふうに私は始めればいいでしょうか、どんなふうに出発すればいいでしょうか? どうか進んでください。私を助けてください。どこから私は出発すればいいでしょうか? 私が想像することのできる、それゆえ現実でない未知の結果から? あるいは、矛盾なしに、努力なしに、否定、犠牲、強いることなしに対応できるこの心を見出すことを、どこから始めればいいでしょうか? どこから私は始めればいいでしょうか?

質問: この問題すべてが何故起こったかを尋ねることによって始めては?

クリシュナムルティ: この問題すべてが何故生じるかを尋ねることによってあなたは始めたいのですか? 見てください、あなた、私たちは十日間、三週間にわたって話しました。そのすべてを経てきました。私はそのような心があるかどうか尋ねることを始めます。そして見出すためには私は知らないで始めなければなりません。私はそれについて一つも知りません。あなたは知っていますか? さあ、あなた。あなたは人々が何を言ったか読んだかもしれません。人々が何を言ったか聞いたかもしれません。私はそのすべてを捨てます。私が知っているすべては、私は知らない、です。あなたもまたその立場、そのような心が存在するかどうか、そしていったい、それに到ることができるのかどうか知らないという立場にいるでしょうか。あなたは知りません―振りをしないでください、それがすべてです。私は知りません。「私は知らない」と言う心は、それゆえ自由に調べることができます。

自由があります。それは最初の一歩で最後の一歩です。それをゆっくりと踏み出してください。私は知らないと私が言うとき、誰にも、何の環境にも、過去のものや未来のもののどちらにも頼っていません。あなたはその立場にいますか? でなければ、あなたは隠れた大師、隠れた案内、隠れた記憶を持っていて、知らない振りをしているのです。

質問: 知っているのか知らないのかを私は本当に知らないと私は思います。

クリシュナムルティ: どうか、このことはあまりにまじめなことです。言葉をもてあそばないでください。そのような心があるかどうか私は知らないと、あなたは正直に自分自身に言えますか? それゆえ私は自由に尋ねることができます。したがって探求は最初に自由であることを必要とします。最初に自由なこと、終りではなく―あなたの禅から自由なこと、あなたの瞑想、あなたの方式、あなたの神、あなたの神話、あなたの導師、あなたの概念から自由なこと―放棄してください、そういったすべてを放棄してください。あなたはキリスト教徒でも仏教徒でもイエスの信奉者でもありません―放棄してください。そのとき自由に探求することができます。それは心が恐れていない、一人であるのを恐れていないということです。

さて、私は調べるところです。なぜなら私は何が起きようとしているか知らないからです。私は結果を求めていません。私はそれを見つけることあるいは見つけないことを望んでいるのではありません。なぜなら私の主張は、心は自由に調べることができなければならない、したがって一瞬の歪みも決してあってはならないということだからです。動機があるとき歪みがあります。私は動機を持っていません、私は気にしていません。その心が存在するか、存在しないか気にしていません。私の調査は動機がなく、終りがなく、どんな権威も、過去も未来もまったく持っていません。したがってそれは自由に調べることができます。さあ、あなた、私と一緒に動いてくれますか。(続く)

−−−−−−−−−−

ゴト: 何も言えず聞き入っています。



[24753] 生の中の聖なるもの(1) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/06(Mon) 12:49  

生の中の聖なるもの

J.Krishnamurti Saanen 6th Public Dialogue 7th August 1972
The Sacred in Life

K: 私たちはもう二つの討論があります。今朝と明日の朝、合わせて二つの討論です。そこで今朝、何を話しましょうか?

質問: あなた、私は生の三分の一、生の約三分の一を、二十四時間の期間毎に眠って過ごします。そして歳を取るにつれて、私自身と調和して眠る能力はますます少なくなるように思われ、そのため、私の得る休息の質は、昼間のために十分に実際に備えていないのを見出しています。

K: あなたは睡眠の機能は何か討論したいのでしょうか?

質問: はい。

質問: 生存の問題を論議できるでしょうか?

K: 生存の問題―それはこの十日間私たちが話してきたことではないでしょうか?

質問: あなた、どうやって瞑想に十分なエネルギーを集めることが出来るでしょうか。

K: 瞑想に十分なエネルギーをどうやって集めるか。あなたは瞑想を討論したいのでしょうか? どうか確信をもってください。なぜならそれは非常に真面目な主題であるからです。そして「なるほど、それは話すのにもってこいの主題だ」というようなことを言わないでください。それに本当に興味があるなら、私たちはエネルギーの問題を調べさえすればいいのではなく、調和、そして睡眠の作用は何であるかを調べなければなりません―これらすべてが瞑想に含まれています。ただ足を組んで座り、何かの空想状態に陥るのではなく。それであなたは本当にこれを討論したいのでしょうか?

質問: はい。

質問: 同様に教育について話せるでしょうか?

K: 同様に教育を論じられないでしょうか?

質問: 一緒に

K: 誰を教育しているのでしょう? 子供たち、あるいは教育者?

質問: 両方

K: 待ってください―両方。教育者は子供を本当に教育することが出来るでしょうか? いいえ。あなたはいいえですか? 彼女は賛成です―いいえです。それは教育者は、部門の中でではなく、技術 科学 その他と分類するのではなく、生存の問題全体を理解しなければならないということです。彼は理解しなければなりません。本当によい、有能な、値打ちのある教育者であるつもりなら、彼は生存の問題全体を理解しなければなりません。さて、この三週間の間、私たちは生存について話してきたのです―私たちは多分教育という言葉に言及しませんでしたが、しかし、もし聞く気があるなら、教育者はこのテントの中のここで教育されています。ほかのことを続けましょう―それは私たちの教育の一部です。

質問: あなた、私たちはこの三週間、瞑想を話してきたのではないでしょうか?

K: ええ、あなた―彼は、この三週間の間、私たちは瞑想について話してきたのではないかと言っています。

質問: (聞き取れず)

K: 生存を理解する能力、それは個人、生物学上の構造、あるいは彼の性向、性格、特異性に依存しますか、あるいは生存の理解は...

質問: それは人間すべてに共通でしょうか。

K: それは人間すべてに共通でしょうか―私はそれはあらゆる生物に共通であると考えるべきでしたね。私は特定の性向、特定の特異性と人格を持っているかもしれませんが、確かに理解はそういったすべてを超えるに違いありません。そこでそれは共通です。一人の人の性格、身体などによって制限されません。

質問: 死について話せないでしょうか。

K: 死―あなたはとても若いのではないでしょうか? 彼女は死を討論することを望んでいます。

質問: そして健康と病気、事故について話したいのですが。

K: 健康、病気、事故、そのようなものすべて。さて、どうやってこういった全てをまとめられるでしょうか―健康、病気、死、教育、感情を殺す思考、睡眠、瞑想、そして死? どうやってこういった全てをまとめることができるでしょう?

質問: 好奇心。

K: 好奇心。それを全てに持ってください。

質問: それはすべて瞑想の中にあるのではないでしょうか?

質問: 私には、家は今も燃えています。そして世界には明確な目を持つ多くの人たちがいると感じています。しかし権力者は変化を引き起こすことができません。どうやって私たちは権力者の中に変化を引き起こすことができるでしょうか?

K: はい、わかります、奥様。明確に見る人たちがいますが、それは非常に限られていますし、権力者たちの中にどうやって影響を及ぼすか、どうやってハートのものである変化を引き起こすか。

質問: 自由の意味は何でしょうか?

K: 自由の意味は何でしょうか? 今たくさんのそれが。

質問: 悲しみと教育。

質問: 愛を持つにはイメージの終りで十分でしょうか?

K: イメージの終りは、それは愛を持つのに十分でしょうか? 承知しました、あなた。

質問: 瞑想は努力でしょうか?

K: はい、あなた、瞑想とよき古い努力。それをすべて投げ込みましょう、あなた、すべてを一緒にしましょう。

質問: あなた、見出そうという好奇心、欲求という非常に単純な一つのものを除いて、私たちは理解しようするあらゆる種類の動機づけを持っているように私には思われます。なぜ動機は私たちを妨げてこれらの問題を理解させないようにするのでしょうか、そしてなぜ私たちは見出そうという好奇心、欲求をそんなにも僅かしか持っていないのでしょうか?

K: ねえ、あなた、これらすべてのものは含まれるのではないでしょうか―好奇心、死、教育と悲しみ、睡眠、思考の全機構、感情、その他―これらすべてのことは中心的な論点を持っています。それらは私たちが出発することのできる中心点を持っています。それをしていいでしょうか?

さて、中心点、幹と多くの枝、葉を持つ根は何でしょうか。もしも私たちがこの生の全過程を、それは根ですが、理解できれば、そのとき私たちは、すべての枝を、すべての葉、枯れ葉と新しい葉、芽生える葉と古い葉を扱うでしょう、あるいは扱う能力を持っています。さて、中心的論点は何であると思いますか?

質問: 愛。

K: 飛躍しないでください。愛と言わないでください。それは愛かもしれませんが、少しの間考えてください。一度飲めばすべての問題に返事し、答え、解決するような英知をもたらす源、泉、水があるかどうか、私は見出したいのです。私の質問がおわかりですか?

私は見出したいのです。私の心は知識のレベルで生き、また同時に、知識を持ちながら未知を動かす両方をし、それでそれら両方が調和して一緒に生きている、一緒に動いていることができるかどうか? 私の質問がわかったでしょうか? さてそれを見出すことができるなら、そのとき私はあなたの質問すべてに答えているでしょう―あなたはあなた自身ですべての質問に答えているでしょう。既知のもの、数世紀にわたって蓄積された知識である既知のものをどうやって取り扱うか、そしてまた同時に、どうやって未知のものが動くことに入り、あるいは認め、そこで二つが調和して一緒に働くようにするか。それはあなたのすべての質問に答えるでしょうか?

質問: はい。

K: あまり早く「はい」と言い、それからあとで物理的生存のことを持ち出さないでください。私は問題を持っています。ひとは問題を持っています。すなわち、睡眠、死、教育、強い感情、熱情、思考によって制御され、そして思考は次第に強くなり、人の感情、感受性、直感、好奇心のすべてを破壊します―これらすべてが生の問題です。私が堕落していない、汚れていない、歪んでいない、非常に明確な心を持っているなら、そのとき、そのような心はあらゆるこれらの質問に答えるでしょう。

さて、その心は何でしょうか―それはこれだとか、あれであると言わないでください。描写は描写されたものではなく、言葉はものではないからです。そこで直面するどんな問題も解決し進むその心は何であるか見出したいのです。それは荷物になりません。際限なく心配する何かになりません。

さて、私たちは今朝しばらく、その心の性質が何であるかを見出そうとして過ごしていいでしょうか?―脳、感覚、肉体的組織全体、全体的なものである心、分割された身体、感情、知性、脳ではなくて、全体的存在。さてあなたはどうやって見出すことに取り掛かりますか? 生存は仕事、食事、衣服、住居を意味します。生存はこの労苦、この戦い、この苦闘、苦痛、心配、罪の意識、悲しみのすべてを意味します。生存は二人の人間の間の関係を意味します。生存は眠って過ごす時間を意味します。生存は愛を意味します。それは嫉妬、憎しみと解釈されています―そのすべて、それに睡眠、死、瞑想―そのすべてが含まれています。私は、本を読んだのではなく、私自身で見出したい。そして私はこのすべてについて何の本も読みたくないのです―私はその心が何であるか見出したいと思います。私は非常に好奇心があります。それを討論しましょうか? どうかそれについておざなりでないでください。 (続く)

−−−−−−−−−

今朝何を話すかで、ずいぶん多くの問題が出てきました。それらはいずれも複雑な答えるに難しいといです。Kはそれらの中心的な、根っこにに当たる問題、それがわかればすべての派生する問題がわかるようなそういう問題を見出したいと言っています。

人間の好奇心、欲求は私には非常に大きく強いと、私は思います。ただやや断片的なのです。そうでないと取り付けないのです。ただそれがどこまでのつながり、あるいは広がりを与えてくれるかという事はありますが。

ここまでは特に私は引っかかるところはなかったです。



[24752] 生きること、ほか 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/06(Mon) 00:24  

生きることというのは生計を立てるという事にもとれますが、実は熱情、パッションという事があって、生計も、自分に対する毀誉褒貶も顧みることなく、身体の生命も忘れ、家庭や一族さえも捨てて行動するというぐらいのパッションを燃やす事がないと、ほんとに生きたと言えないようなところがあります。

パッションは頭文字を大文字でザ・パッションと書くとキリストの受難を言うのだそうで、これは立派過ぎて我々が言うのは僭越でしょうが、世間に知られるかどうかに関係なく、そのように生きることを何らかの形で人は望んでいるのではないでしょうか?
その望む「何か」はその人個人の感性が死んでもいいくらいに受け止める何かであり、他人の評価を越える何かです。恋愛でも、犯罪とか狂気と言われるものでもです。

さて、現実の我々個人は、この2,30年急速に社会が変貌し、大きな機械仕掛けの仕組みの中で、情報、仕事、給与や娯楽休養を与えられ、マスとして悪く言えば飼育?されています。精神を持った主体性を持つ個人として表面では取り扱われていますが……。

意識的思考を持った人間の諸学はどんどん進んでいきます。一方否応なく進んでいく社会組織は本当に人間に生きる場を与えるのでしょうか? もちろん社会と人間は相互に反応しあいながら日々変化しています。自然環境も含めてです。急速に大規模な変貌が進む社会に、私は何らの指針も持つことができません。

そこで、改めてクリシュナムルティの指摘、示唆を聞こうと思います。明日から始めます。「生の中の聖なるもの」から読み始めます。


[24751] Re:[24750] [24749] こころの時代を視て 投稿者:宮啓 投稿日:2017/11/05(Sun) 08:24  

> >  今日のNHK「こころの時代」は、〜こころはいかに生まれるか〜のテーマで、脳外科医と禅僧との対話でした。
> >
> >  こころの機能が脳科学で解明されつつあり、思考現象が最新の科学によって解明されつつあるようです。
> >
> >  そこで仮説が生まれるのですが‥。どうも、クリシュナムルティとの整合性が欠くところもあるようで・・、これからの進展に期待するところです。
> >
> >  もしも、脳科学者がクリシュナムルティ理解に取り組むならば、その進展がさらに早く深いものになることを、つくづくと感じさせられました。
>
>
> 投稿ありがたく読ましていただきました。私は今夜、NHK特集の「古代ピラミッドの謎の空間?」かなんかを観ました。人間の好奇心というかエネルギーはすごいものだと思います。国際的な協力もあります。
>
> しかし矛盾、無秩序があります。それは人間、あるいは人間の心、心理と関係しているようです。哲学も思想もそれを研究しているし、脳科学者も脳の働き方を調べるという事で、多くの人が研究しています。
>
> それで確かにどこかKの言う事とは異質の感が私にあります。人間(の心)がまだ私にはよくわからないのです。人は時に「タイやきくん」のようにいやになっちゃって狂気に走り、非合理の内に生きたい衝動にかられる、実際にそうするという事があります。


 はい。

 職場へゆき、人の湯船の中に居ると大サーカスの舞台の上にいるようです。>Kの言う事とは異質の感−−、善悪判断の転倒、意志・努力・理想・順応の尊重、暴力的言動・・。

 それを、尊いことだ・・偉いことだ・・建設的なことだ・・前向きなことだ・・合理的なことだ・・等々と見誤る。

 大サーカス地獄を現にあるものとして見ない。

 それが混乱、葛藤、悲しみを生み出すということですね。


[24750] Re:[24749] こころの時代を視て 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/05(Sun) 00:05  

>  今日のNHK「こころの時代」は、〜こころはいかに生まれるか〜のテーマで、脳外科医と禅僧との対話でした。
>
>  こころの機能が脳科学で解明されつつあり、思考現象が最新の科学によって解明されつつあるようです。
>
>  そこで仮説が生まれるのですが‥。どうも、クリシュナムルティとの整合性が欠くところもあるようで・・、これからの進展に期待するところです。
>
>  もしも、脳科学者がクリシュナムルティ理解に取り組むならば、その進展がさらに早く深いものになることを、つくづくと感じさせられました。


投稿ありがたく読ましていただきました。私は今夜、NHK特集の「古代ピラミッドの謎の空間?」かなんかを観ました。人間の好奇心というかエネルギーはすごいものだと思います。国際的な協力もあります。

しかし矛盾、無秩序があります。それは人間、あるいは人間の心、心理と関係しているようです。哲学も思想もそれを研究しているし、脳科学者も脳の働き方を調べるという事で、多くの人が研究しています。

それで確かにどこかKの言う事とは異質の感が私にあります。人間(の心)がまだ私にはよくわからないのです。人は時に「タイやきくん」のようにいやになっちゃって狂気に走り、非合理の内に生きたい衝動にかられる、実際にそうするという事があります。

それを思うと、哲学書を読むという事に私の場合なります。何も知らない状態から始めるという事と矛盾しているのかな。しかしまあ、読まないとらちが明かないような気がして読んでいますが、キリがないようにも思います。ぱっと見通せるといいのですが。

お勉強中のゴトですね。おやすみなさい。


[24749] こころの時代を視て 投稿者:宮啓 投稿日:2017/11/04(Sat) 17:08  

 今日のNHK「こころの時代」は、〜こころはいかに生まれるか〜のテーマで、脳外科医と禅僧との対話でした。

 こころの機能が脳科学で解明されつつあり、思考現象が最新の科学によって解明されつつあるようです。

 そこで仮説が生まれるのですが‥。どうも、クリシュナムルティとの整合性が欠くところもあるようで・・、これからの進展に期待するところです。

 もしも、脳科学者がクリシュナムルティ理解に取り組むならば、その進展がさらに早く深いものになることを、つくづくと感じさせられました。


[24748] Re:[24747] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/11/04(Sat) 11:51  

> 随分長くなりました。用事の間には休養と、私のサイトの特別掲載:「生の中の聖なるもの」 「心を変える瞑想」を読みました。
>
> よくもこの2編を訳して掲載しておいてくれたと思いました。
> これは訳した当時はほんとにはわからないでいて、今読むとまさに仕上げの、締めのトークでありました。
>
>
> 銀河系宇宙の中に太陽系が生まれ、地球というかなり質量のある惑星ができ、水と空気を保持し、生物:植物、動物が生じた。そしてついに言葉と結びついた意識を持つ人間: 我々が生まれる。
>
> この生き物というものは長い時間の間には多種多様の変化が生まれた。シーラカンスのように3〜4千万年も変わらない種もあるが。人間は急速に発達する社会生活が進行しており、それは多くの悲劇喜劇を生み、それがどこに行くか誰も知らない。
>
> それを我々はどのようにして探究し、見出していけばいいのか⁉ そこに上記の2編は真正面から触れている。


 昨晩、「生の中の聖なるもの」を数年ぶりに読んでみました。

 生の中の混乱は、現にあるものをあるがままに見ることなしに、色眼鏡を通して見るがゆえに心理的混乱が生ずることが陳述されています。

 「見る」とは、混乱を鎮め、秩序を敷く基本であることが改めて分かりました。


[24747] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/03(Fri) 11:30  

随分長くなりました。用事の間には休養と、私のサイトの特別掲載:「生の中の聖なるもの」 「心を変える瞑想」を読みました。

よくもこの2編を訳して掲載しておいてくれたと思いました。
これは訳した当時はほんとにはわからないでいて、今読むとまさに仕上げの、締めのトークでありました。


銀河系宇宙の中に太陽系が生まれ、地球というかなり質量のある惑星ができ、水と空気を保持し、生物:植物、動物が生じた。そしてついに言葉と結びついた意識を持つ人間: 我々が生まれる。

この生き物というものは長い時間の間には多種多様の変化が生まれた。シーラカンスのように3〜4千万年も変わらない種もあるが。人間は急速に発達する社会生活が進行しており、それは多くの悲劇喜劇を生み、それがどこに行くか誰も知らない。

それを我々はどのようにして探究し、見出していけばいいのか⁉ そこに上記の2編は真正面から触れている。


[24746] Re:[24745] [24744] また、驚異的な本に出会う。 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/29(Sun) 22:25  

> > 興味あるのは左脳の機能が崩壊するとき、自分というものがどう意識されるか記述されていることです。自分という肉体があって、それは外界とはっきりした境界を持って区別される個体であるという意識、あるいは認識は左脳が創り出した認識で、左脳の機能が止まると崩壊するらしい。この認識は人間という生物が生き延びるために発達した機能なのでしょうね。
> >
> > では、肉体という境界のない世界はどういう世界か、右脳はどのように認識するのかというと世界はエネルギーと原子、電子といった粒子の流れであり、流体のように境界がなく、宇宙は一つなのです。そして右脳は{いま}の宇宙の全情報を感じているという形で、過去、現在、未来という形はない、そこには非常な安らぎ、愛という感覚があるという事です。ニルバーナ、それが一番ぴったりした言葉のようです。
> >
> > それで、本から離れて現実の問題に戻ると、右脳意識だけでは、人間と言う生き物としてやっていけません。左脳の意識をこの脳卒中にかかった著者も一生懸命リハビリして8年かかって再開発しました。
> >
> > 右脳と左脳はもちろん太い神経の束でつながれており、我々は統合された人格を持って生きていると思っています。だがその二つの意識のかかわり方というのはいったいどういうふうにすればいいのでしょうか? Kの示唆の持つ意味を分かりたいです。
>
>
>  この女性は以前NHK特集でも取り上げられていました。私はその番組で知りました。
>
>  >その二つの意識のかかわり方というのはいったいどういうふうにすればいいのでしょうか?−−、ということですが、その一つとして大事なことは、監獄の扉の鍵を自ら持つということではないでしょうか。すなわち、たとえ監獄の網に囚われてしまったとしても、必要に応じてその鍵を自由に行使してその外に出ることができる、ということが重要になると思います。そのための左脳。

あ、そういう番組があって、ご存じだったのですか、それならお互いに話し合えます。ゆっくりと考えて話したいのですが、明日からとびとびに用事が入っていますので、暇な時に書きます。

>
>
>  『英知へのターニングポイント(旧タイトル:思考のネットワーク)』を読み終えました。
>
>  数年前に読んで、しばらく読んでいなかったのですが、新たに読み返し感無量です。
>
>  読み返すきっかけをいただきました。ありがとうございます。

「奇跡の脳」を読んだ今、もう一度読まなければという気がしています。


[24745] Re:[24744] また、驚異的な本に出会う。 投稿者:宮啓 投稿日:2017/10/29(Sun) 16:52  

> 金曜日の晩に夕食の材料を買いにいつものスーパーに行った。
> そこで行きがけに小さな書店をちょっと覗いたら、8刷めの新潮文庫の「奇跡の脳」という本が目に止まり、迷ったが安価なので買った。
>
> そのまま忘れていたが、もう寝ようとしたときにその本が目にとまり、読み始めた。それは驚くべき内容の本だった。
>
> それはアメリカの神経解剖学者(当時37歳、女性)が左脳内脳卒中で倒れ、8年かかって恢復する間の体験が書いてあり、左脳の機能が破壊され、右脳意識が残り、体も自由に動かせない中から、赤ん坊が成長するように左脳の機能が再生していくさまがよくわかります。
>
> 興味あるのは左脳の機能が崩壊するとき、自分というものがどう意識されるか記述されていることです。自分という肉体があって、それは外界とはっきりした境界を持って区別される個体であるという意識、あるいは認識は左脳が創り出した認識で、左脳の機能が止まると崩壊するらしい。この認識は人間という生物が生き延びるために発達した機能なのでしょうね。
>
> では、肉体という境界のない世界はどういう世界か、右脳はどのように認識するのかというと世界はエネルギーと原子、電子といった粒子の流れであり、流体のように境界がなく、宇宙は一つなのです。そして右脳は{いま}の宇宙の全情報を感じているという形で、過去、現在、未来という形はない、そこには非常な安らぎ、愛という感覚があるという事です。ニルバーナ、それが一番ぴったりした言葉のようです。
>
> それで、本から離れて現実の問題に戻ると、右脳意識だけでは、人間と言う生き物としてやっていけません。左脳の意識をこの脳卒中にかかった著者も一生懸命リハビリして8年かかって再開発しました。
>
> 右脳と左脳はもちろん太い神経の束でつながれており、我々は統合された人格を持って生きていると思っています。だがその二つの意識のかかわり方というのはいったいどういうふうにすればいいのでしょうか? Kの示唆の持つ意味を分かりたいです。


 この女性は以前NHK特集でも取り上げられていました。私はその番組で知りました。

 >その二つの意識のかかわり方というのはいったいどういうふうにすればいいのでしょうか?−−、ということですが、その一つとして大事なことは、監獄の扉の鍵を自ら持つということではないでしょうか。すなわち、たとえ監獄の網に囚われてしまったとしても、必要に応じてその鍵を自由に行使してその外に出ることができる、ということが重要になると思います。そのための左脳。


 『英知へのターニングポイント(旧タイトル:思考のネットワーク)』を読み終えました。

 数年前に読んで、しばらく読んでいなかったのですが、新たに読み返し感無量です。

 読み返すきっかけをいただきました。ありがとうございます。


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