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[24733] Re:[24732] [24730] 偽の見性 投稿者:南方 投稿日:2017/10/26(Thu) 07:03  

> > 最近宮啓氏やゴト氏、外野氏の発言をよく読んだが
> >
> > 見性を経て宮啓氏やゴト氏は悩み葛藤迷いがなくなってよかったとしきりに連呼しておられる。
> >
> >
> >
> > 私の行きついた見性とは忘我・エクスタシーであるが、それは
> > 我を忘れるというとコントロールが効かなくなるイメージがあるが、私の行きついた今のところの見性は「我を忘れて宇宙を、世界を思う」である。
> >
> > 他人と比較して見性をどうのこうのと述べるのは気が進まないが、宮啓氏やゴト氏の見性は自分の葛藤悩み迷いがなくなって嬉しいと幸福であると言っているのを、今までの掲示板の発言から察するが、そのような見性は極めて自己中心的であると思う。
>
>
> 自己中心的だと葛藤せざるを得ない気がするが、なぜそう思うの?自分の幸せを追及しているように見えるという事?


そうですね。迷いがなくなった葛藤がなくなったなどと連呼することが自己中心的ではないでしょうか。この掲示板をよんでおられる方に誤解を与えかねないということです。
見性という言葉が嫌ならただ見るでもいいでしょうが、上述のような表現をすると投影していしまう可能性が後進の方に与えてしまう危険性があるということです。





[24732] Re:[24730] 偽の見性 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/25(Wed) 23:34  

> 最近宮啓氏やゴト氏、外野氏の発言をよく読んだが
>
> 見性を経て宮啓氏やゴト氏は悩み葛藤迷いがなくなってよかったとしきりに連呼しておられる。
>
>
>
> 私の行きついた見性とは忘我・エクスタシーであるが、それは
> 我を忘れるというとコントロールが効かなくなるイメージがあるが、私の行きついた今のところの見性は「我を忘れて宇宙を、世界を思う」である。
>
> 他人と比較して見性をどうのこうのと述べるのは気が進まないが、宮啓氏やゴト氏の見性は自分の葛藤悩み迷いがなくなって嬉しいと幸福であると言っているのを、今までの掲示板の発言から察するが、そのような見性は極めて自己中心的であると思う。


自己中心的だと葛藤せざるを得ない気がするが、なぜそう思うの?自分の幸せを追及しているように見えるという事?
なお見性という言葉は、私はよくは知らないので、自分のことには使わないけれど。


[24731] Re:[24729] [24726] [24723] [24718] [24717] [24714] [24713] [24712] [24711] [24709] オカルトについて 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/25(Wed) 22:11  

> > 私はクリシュナムルティは人類にその転機のための、最大の援助と私は言いたいのですが、指摘、示唆、ヒントを与えてくださったのではないでしょうか。
> > ここで、「くださった」という言葉を使ったのはKを権威として敬語を使ったのではなく、感謝の意を表したい気持ちが湧いたからです。
>
>
>  はい。
>
>  「活動」とは「逃避」のことである−−とは、クリシュナムルティの言葉です。
>
>  人は勤務中に何をしているのか・・、それは逃避である。人はなぜ結婚し家庭を築くのか・・、それは回避である。

これは実際に見てのことでしょうか?、それとも最初の「活動は逃避である」という言葉からの論理的な結論として出てきたことなのでしょうか?
実際の仕事は単なる利己的な行為(=活動なのです。Kの用語法)と決まったものでしょうか? 結婚し家庭を築くことも逃避でしょうか?若い人が未知の世界に胸をどきどきさせながら入って行くという事はないでしょうか。それを見て分かっていくのでないなら、レッテル貼りになりはしませんか?

>
>  日々の活動が幻想活動であり、それが幻想(イメージ)を強化し、それゆえ自我を増長させていく。
>
>  幻想という巨大な砂場に築かれた楼閣。すなわち社会。
>
>  そのど真ん中で生きているヒトに対して、現にあるものを見よ・・と示唆しても、それは見えず聞こえない。たとえブッダが、あるいはクリシュナムルティが声高に叫んだとしても。

しかし幻像や幻聴でなく見る、聴く以外に道はないのではないでしょうか。自分で作った思考の投影を見るという事に気づいている人はたくさんいます。

>  ヒトは巨大な砂場に築かれた楼閣にふっと気づいたとしても、社会に緻密に張り巡らされた娯楽による回避ネットワークに捕まると、その気づきは不要な個人的な心配事・不安として片付けられる・・。
>
>  それゆえに、死して30年も経ずして、逸れが生ずる。
>
>  そのように逸れやすいクリシュナムルティ理解において、クリシュナムルティの裾から離れよ・・と示唆するヒト達が、そもそもクリシュナムルティを十分理解しておらず逸れているのではないでしょうか。

とにかく観察を続けましょう。

>
>  クリシュナムルティ理解は、それほど生やさしいものではなく、十分な理解なしにはクリシュナムルティから離れてはならない、逸れてしまう、ということではないでしょうか・・。
>
>
>  しかし、「逸れ」を許さないヒト達がいる。『ブッダとクリシュナムルティ』や『境界を超える英知』を編集したヒトなど・・。
>
>  言いたいことは、クリシュナムルティの陳述からの引用を用いて言う。これは逸れない。
>
>  そのような手法に、ただただ感心します。
>
>  そのような手法によって述べられる真理は、クリシュナムルティやブッダが述べる真理と同一と感じられます。


[24730] 偽の見性 投稿者:南方 投稿日:2017/10/25(Wed) 18:32  

最近宮啓氏やゴト氏、外野氏の発言をよく読んだが

見性を経て宮啓氏やゴト氏は悩み葛藤迷いがなくなってよかったとしきりに連呼しておられる。



私の行きついた見性とは忘我・エクスタシーであるが、それは
我を忘れるというとコントロールが効かなくなるイメージがあるが、私の行きついた今のところの見性は「我を忘れて宇宙を、世界を思う」である。

他人と比較して見性をどうのこうのと述べるのは気が進まないが、宮啓氏やゴト氏の見性は自分の葛藤悩み迷いがなくなって嬉しいと幸福であると言っているのを、今までの掲示板の発言から察するが、そのような見性は極めて自己中心的であると思う。


[24729] Re:[24726] [24723] [24718] [24717] [24714] [24713] [24712] [24711] [24709] オカルトについて 投稿者:宮啓 投稿日:2017/10/25(Wed) 17:00  

> > > 私が何を望み、どのようにクリシュナムルティを理解したかは上に述べました。
> > >
> > > 例えばの話ですが、超常感覚の持ち主でこの世間の中に生きる人は、悩みと言っても相当に違うものがあるでしょう。Kをよく読んだ後の生き方も私にはわからないものがあるでしょう。宗教哲学に深く入った人はまたそれとの対決?がいるかと思います。
> > >
> > > 真理というものは生きた瞬時瞬時のもので、教条と言ったものでないゆえ、ほかの人の理解を洞察するのはそう簡単ではないように思います。むしろ自分のイメージの投影を疑う事が先にあるものかもしれません。私など、Kにじかに触れたこともありません。Kを読み、実際に生きる中で学んだ言葉化されない何か、つまり私の理解があるだけではないかと思います。そういう意味では常に用心深い気付きがいるのでしょうか。
> >
> >
> >  とても丁寧なご回答、ありがたく感じています。
> >
> >  ブッダの時、どこかで逸れたのではないでしょうか。現在の既成の仏教はどの宗派もブッダから逸れていると感じています(空海の密教は分かりません)。
> >
> >  なぜ逸れたのか、どこで逸れたのか。ブッダの教え自体が不十分(不完全)ではなく、教える術(言葉を用いて、数十年の限られた期間で、録音機材や記録文書なしに)が不十分であったから逸れたのか・・。
> >
> >  私は、教える術が不十分であったから・・逸れたのではなく、その逸れ方が、今現在、クリシュナムルティからの逸れにおいて現れているように見えるのです。
>
> 最初に前回重要な誤記がありました。
> 「低観念」という言葉は「固定観念」の誤記でした。あるいは察していたただいたかもしれませんが、すみませんでした。
>
> 本題の「逸れ」はいくつかの要素を含んでいるかもしれません。私は原始仏教の経典、特に岩波文庫の「真理の詩」「感興の詩」あたりが好きです。釈迦牟尼の教えの生きた風格を伝えてくれる気がするのです。しかし、教えの言語の論理的取りまとめとなると、言語の限界に突き当たり、多くの諸派が出るという事は避けられないかも。
>
> 教えのカリキュラムみたいなものを構成するとすると、これもどうしても種々の派が成立するでしょう。
> そして個人がどういうふうに回心の天機をつかむかも、種々の場合があるでしょう。
>
> Kのトークについては文章の記録もあるし、後期には録音、録画もあります。その中から真実のものを受け取ることは、たぶん、なぜか困難なのです。ましてそれが社会に、全体的に顕現するという事はなぜか困難なのです。
>
> それでも私は人間が、真実を直覚する力を持っていることを確信します。それは普通鈍磨してしまい、感じない、あるいは逆に受け取ったりする場合がほとんどかも知れません。しかし、それでもふと転機(疑い)が生じる時があります、ないでしょうか?
>
> 私はクリシュナムルティは人類にその転機のための、最大の援助と私は言いたいのですが、指摘、示唆、ヒントを与えてくださったのではないでしょうか。
> ここで、「くださった」という言葉を使ったのはKを権威として敬語を使ったのではなく、感謝の意を表したい気持ちが湧いたからです。


 はい。

 「活動」とは「逃避」のことである−−とは、クリシュナムルティの言葉です。

 人は勤務中に何をしているのか・・、それは逃避である。人はなぜ結婚し家庭を築くのか・・、それは回避である。

 日々の活動が幻想活動であり、それが幻想(イメージ)を強化し、それゆえ自我を増長させていく。

 幻想という巨大な砂場に築かれた楼閣。すなわち社会。

 そのど真ん中で生きているヒトに対して、現にあるものを見よ・・と示唆しても、それは見えず聞こえない。たとえブッダが、あるいはクリシュナムルティが声高に叫んだとしても。

 ヒトは巨大な砂場に築かれた楼閣にふっと気づいたとしても、社会に緻密に張り巡らされた娯楽による回避ネットワークに捕まると、その気づきは不要な個人的な心配事・不安として片付けられる・・。

 それゆえに、死して30年も経ずして、逸れが生ずる。

 そのように逸れやすいクリシュナムルティ理解において、クリシュナムルティの裾から離れよ・・と示唆するヒト達が、そもそもクリシュナムルティを十分理解しておらず逸れているのではないでしょうか。

 クリシュナムルティ理解は、それほど生やさしいものではなく、十分な理解なしにはクリシュナムルティから離れてはならない、逸れてしまう、ということではないでしょうか・・。


 しかし、「逸れ」を許さないヒト達がいる。『ブッダとクリシュナムルティ』や『境界を超える英知』を編集したヒトなど・・。

 言いたいことは、クリシュナムルティの陳述からの引用を用いて言う。これは逸れない。

 そのような手法に、ただただ感心します。

 そのような手法によって述べられる真理は、クリシュナムルティやブッダが述べる真理と同一と感じられます。


[24728] Re:[24727] 高齢化 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/25(Wed) 11:35  

> > > > 私は見るという事を知識でなく実際に理解するという点から入りました。それは個人的悩みからの解放を願ったからです。その意味では悩みも葛藤も、基準などの低観念もなくなりました。大雑把に言ってですよ。
>
>  悩みも葛藤もなくなったとはよくいえたものだ。これから超高齢化時代を向かえるというのにだ。あなたはその当事者ではないのか。
>  何で現実をはっきり見ようとしないのか。
>  人に手をかけず、ぽっくり死ねばそれにこしたことはないし、多くの人はそれをのぞむだろう。ところがいざ、何らかの病気をして、自分の体が動かなくなった場合、いったい誰がめんどうをみるのか。あるいはそのときの病院不足の問題。ヘルパーの問題。考えること対策は山ほどある。老人ホームに今から入るというのも一つ。今やどこにいってもキャンセル待ちとか。
>  それでも以前のように、そのときになってみなければわからないというのだろうか。それがあなたのスタンスか。先のことはわからない。考えるだけ無駄とということか。
>  ま、人それぞれだから、こちらがとやかくいうことではないか。
>  今から、その対策を練るというのは、あなたのいうイメージの世界ではない。考え抜くことの一貫。そのときになって周囲に迷惑かけないためにも。
>
>  人間誰だって残る時間が短くなれば、残された時間をどう生きるのか。残された時間を大切にしようと考えるだろう。どう使うのか。有意義に。今までの集大成として。
>  クリシュナムルティも新しい芽氏も、自分自身が悩みも葛藤もなくなったなんて話は聞いたことがない。
>  晩年のクリシュナムルティだって、後継者問題に悩み、裁判のことで頭を痛めていたと聞く。それが「人間」ではないだろうか。
>  新しい芽氏は、常に問題意識を持ち続けたということ。ホントかどうか。
>  事実かどうか。常に問い続けた。
>  問題は、真理をつかまえているどうか、悟っているかどうかだろう。
>  悩みでも人のためなら大いに悩んだ方がいい。
>  自分自身も、人様に迷惑かけたくないというのが常に頭にある。性分だから仕方がない。
>
>  ま、そういったリアルな現実は抜きにして、思いの世界に浸ってればいいということかな。このサイトは。

確かに、私も高齢になってきて、老いというものに直面している。生きていくという事は大変なことだと初めてわかる。爪を切るとか、ふろに入るとかが困難になる。すぐ疲れてボーっとしている時間が長くなり、何事にも時間がかかる。休み休みでないと、体調が狂ってなにもできなくなる。

ほんの1,2年前と比較してでさえ明らかな低下がある。比較と評価、体力の継続に対する執着があるとそれは問題となる。比較や執着がなく、現実をありのままに見ることができるのは、大きな救いだ。

私は周囲に夫婦もいずれは一人になり、子供の世話になる人も、子供のいない人も見てきた。甥も姪もいないで孤独死した人も知っている。近所の人が気づいて公的機関に通報し、ひっそりとしめやかに処理が済んだらしい。

思考がその役割を知っていれば心理的な問題は起こらない。死んだ人の遺品を処理したこともある。その時捨てるに忍びないと思ったものもあり、残したが、自分の遺品は執着はないから忖度なしに子供が処理するだろう。


[24727] 高齢化 投稿者:外野席 投稿日:2017/10/25(Wed) 10:19  


> > > 私は見るという事を知識でなく実際に理解するという点から入りました。それは個人的悩みからの解放を願ったからです。その意味では悩みも葛藤も、基準などの低観念もなくなりました。大雑把に言ってですよ。

 悩みも葛藤もなくなったとはよくいえたものだ。これから超高齢化時代を向かえるというのにだ。あなたはその当事者ではないのか。
 何で現実をはっきり見ようとしないのか。
 人に手をかけず、ぽっくり死ねばそれにこしたことはないし、多くの人はそれをのぞむだろう。ところがいざ、何らかの病気をして、自分の体が動かなくなった場合、いったい誰がめんどうをみるのか。あるいはそのときの病院不足の問題。ヘルパーの問題。考えること対策は山ほどある。老人ホームに今から入るというのも一つ。今やどこにいってもキャンセル待ちとか。
 それでも以前のように、そのときになってみなければわからないというのだろうか。それがあなたのスタンスか。先のことはわからない。考えるだけ無駄とということか。
 ま、人それぞれだから、こちらがとやかくいうことではないか。
 今から、その対策を練るというのは、あなたのいうイメージの世界ではない。考え抜くことの一貫。そのときになって周囲に迷惑かけないためにも。

 人間誰だって残る時間が短くなれば、残された時間をどう生きるのか。残された時間を大切にしようと考えるだろう。どう使うのか。有意義に。今までの集大成として。
 クリシュナムルティも新しい芽氏も、自分自身が悩みも葛藤もなくなったなんて話は聞いたことがない。
 晩年のクリシュナムルティだって、後継者問題に悩み、裁判のことで頭を痛めていたと聞く。それが「人間」ではないだろうか。
 新しい芽氏は、常に問題意識を持ち続けたということ。ホントかどうか。
 事実かどうか。常に問い続けた。
 問題は、真理をつかまえているどうか、悟っているかどうかだろう。
 悩みでも人のためなら大いに悩んだ方がいい。
 自分自身も、人様に迷惑かけたくないというのが常に頭にある。性分だから仕方がない。

 ま、そういったリアルな現実は抜きにして、思いの世界に浸ってればいいということかな。このサイトは。



[24726] Re:[24723] [24718] [24717] [24714] [24713] [24712] [24711] [24709] オカルトについて 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/24(Tue) 19:32  

> > >  >これで私の探求は終わりかな。−−、と言われる前に、ひとつお伺ってみたいことがあります。
> >
> > それはこの掲示板を閉じるという事ではありません。もし質問があれば、一緒に調べましょう。
> >
> > >
> > >  渡辺氏や船江氏(F氏)は、クリシュナムルティ理解に取り組んだにも関わらず、その基軸はクリシュナムルティオンリーではなく、クリシュナムルティを含む他のいくつかの哲学・宗教体系を併せて基軸としているように見受けられます。
> >
> > あのー、F氏は船江氏という方ではありません。古沢さんです。
> > それから渡辺氏も古沢氏も私は特に区別しないですが。。
> > 私にとっては集会や訳書によって大変お世話になった方です。
> > 新しい芽さんには長い間、直接お目にかかって話をする機会がありましたが、それでもとても格の違いがあって、その深さはいかんともし難いところがありました。
> >
> > >
> > >  私としては、なぜ他のものを必要とするのかが分かりません。
> > >
> > >  クリシュナムルティだけでは物足りないのなら、それは理解不充分と私なら解釈しますが、渡辺氏や船江氏は、物足りないのはクリシュナムルティ自体が不充分(不完全)として解釈しているのでしょうか。
> > >
> > >  『生と覚醒のコメンタリー4(新装版)』の訳者あとがきにて、訳者の大野純一氏が述べています、−−クリシュナムルティの探求もそろそろ終わりと思っていた・・、その矢先『クリシュナムルティは誰だったのか(英文)』が出版され、探求がまだ先まであるようだ・・の旨、そして当文献を邦訳出版する予定である旨−−が、あとがきに記されています。
> > >
> > >  先日のゴトさんのコメントにもありました。『時間の終焉』を読む前までは、葛藤のない日々だけでは物足りなくなった旨・・。
> > >
> > >  クリシュナムルティは、読み方によっては物足りなくなるようです。
> > >
> > >  その物足りなさは、クリシュナムルティ自体の不完全さから生ずるものなのか・・それとも、理解の不十分さから生ずるものなのか・・。
> > >
> > >  渡辺氏や船江氏は、どこで物足りなさを感じたのか・・。
> >
> > まず私のことを言います。
> > 私は見るという事を知識でなく実際に理解するという点から入りました。それは個人的悩みからの解放を願ったからです。その意味では悩みも葛藤も、基準などの低観念もなくなりました。大雑把に言ってですよ。
> >
> > しかし、社会、戦争という問題は手の届かない別世界にあり、それは個人の人格の練磨という事で済ませておけない感じがあり、それは私が読んだKの本、時代はこのサイトに載っているころですが、その限界と私の持つ人間社会への理解の不足があったと思います。
> > 「人類の未来」「時間の終焉」「思考のネットワーク」を読んで、ほかに普通の各種の本も読みましたが、私は人間社会を含めての理解に広がったので、上述の疑問は消えています。
> >
> > 宗教の分野ではまだ多くのことがあるでしょうが、私は関心がないのです。宗教心についてはアムステルダム・トーク2で済みです。
> >
> > >
> > >  私の場合は探求の基軸がクリシュナムルティ一本なので、基軸が複数(クリシュナムルティを含めて他の数本)あることに違和感を覚えます。
> > >
> > >  そして、もしもクリシュナムルティをより深く理解したいのであれば、探求の芯はクリシュナムルティ一本とし、他の哲学・宗教体系は補助的支柱とならなければ、クリシュナムルティ理解は叶わないと感じています。
> > >
> > >  すなわち、渡辺氏や船江氏はクリシュナムルティ理解から逸れたと感じています。
> > >
> > >  ゴトさんのご意見をお聞かせ頂ければ幸いです。
> >
> > 私が何を望み、どのようにクリシュナムルティを理解したかは上に述べました。
> >
> > 例えばの話ですが、超常感覚の持ち主でこの世間の中に生きる人は、悩みと言っても相当に違うものがあるでしょう。Kをよく読んだ後の生き方も私にはわからないものがあるでしょう。宗教哲学に深く入った人はまたそれとの対決?がいるかと思います。
> >
> > 真理というものは生きた瞬時瞬時のもので、教条と言ったものでないゆえ、ほかの人の理解を洞察するのはそう簡単ではないように思います。むしろ自分のイメージの投影を疑う事が先にあるものかもしれません。私など、Kにじかに触れたこともありません。Kを読み、実際に生きる中で学んだ言葉化されない何か、つまり私の理解があるだけではないかと思います。そういう意味では常に用心深い気付きがいるのでしょうか。
>
>
>  とても丁寧なご回答、ありがたく感じています。
>
>  ブッダの時、どこかで逸れたのではないでしょうか。現在の既成の仏教はどの宗派もブッダから逸れていると感じています(空海の密教は分かりません)。
>
>  なぜ逸れたのか、どこで逸れたのか。ブッダの教え自体が不十分(不完全)ではなく、教える術(言葉を用いて、数十年の限られた期間で、録音機材や記録文書なしに)が不十分であったから逸れたのか・・。
>
>  私は、教える術が不十分であったから・・逸れたのではなく、その逸れ方が、今現在、クリシュナムルティからの逸れにおいて現れているように見えるのです。

最初に前回重要な誤記がありました。
「低観念」という言葉は「固定観念」の誤記でした。あるいは察していたただいたかもしれませんが、すみませんでした。

本題の「逸れ」はいくつかの要素を含んでいるかもしれません。私は原始仏教の経典、特に岩波文庫の「真理の詩」「感興の詩」あたりが好きです。釈迦牟尼の教えの生きた風格を伝えてくれる気がするのです。しかし、教えの言語の論理的取りまとめとなると、言語の限界に突き当たり、多くの諸派が出るという事は避けられないかも。

教えのカリキュラムみたいなものを構成するとすると、これもどうしても種々の派が成立するでしょう。
そして個人がどういうふうに回心の天機をつかむかも、種々の場合があるでしょう。

Kのトークについては文章の記録もあるし、後期には録音、録画もあります。その中から真実のものを受け取ることは、たぶん、なぜか困難なのです。ましてそれが社会に、全体的に顕現するという事はなぜか困難なのです。

それでも私は人間が、真実を直覚する力を持っていることを確信します。それは普通鈍磨してしまい、感じない、あるいは逆に受け取ったりする場合がほとんどかも知れません。しかし、それでもふと転機(疑い)が生じる時があります、ないでしょうか?

私はクリシュナムルティは人類にその転機のための、最大の援助と私は言いたいのですが、指摘、示唆、ヒントを与えてくださったのではないでしょうか。
ここで、「くださった」という言葉を使ったのはKを権威として敬語を使ったのではなく、感謝の意を表したい気持ちが湧いたからです。


[24725] Re:[24723] [24718] [24717] [24714] [24713] [24712] [24711] [24709] オカルトについて 投稿者:外野席 投稿日:2017/10/24(Tue) 17:38  


ここまでの文章は載せる必要はない。

> > >  ゴトさんのご意見をお聞かせ頂ければ幸いです。
> >
> > 私が何を望み、どのようにクリシュナムルティを理解したかは上に述べました。
> >
> > 例えばの話ですが、超常感覚の持ち主でこの世間の中に生きる人は、悩みと言っても相当に違うものがあるでしょう。Kをよく読んだ後の生き方も私にはわからないものがあるでしょう。宗教哲学に深く入った人はまたそれとの対決?がいるかと思います。
> >
> > 真理というものは生きた瞬時瞬時のもので、教条と言ったものでないゆえ、ほかの人の理解を洞察するのはそう簡単ではないように思います。むしろ自分のイメージの投影を疑う事が先にあるものかもしれません。私など、Kにじかに触れたこともありません。Kを読み、実際に生きる中で学んだ言葉化されない何か、つまり私の理解があるだけではないかと思います。そういう意味では常に用心深い気付きがいるのでしょうか。
>
>
>  とても丁寧なご回答、ありがたく感じています。

以下のコメントはクリシュナムルティ教の信者と思わせる文章。
上記のゴトさんの文章とは関係ない文章。つながっていない。
>
>  ブッダの時、どこかで逸れたのではないでしょうか。現在の既成の仏教はどの宗派もブッダから逸れていると感じています(空海の密教は分かりません)。
>
>  なぜ逸れたのか、どこで逸れたのか。ブッダの教え自体が不十分(不完全)ではなく、教える術(言葉を用いて、数十年の限られた期間で、録音機材や記録文書なしに)が不十分であったから逸れたのか・・。
>
>  私は、教える術が不十分であったから・・逸れたのではなく、その逸れ方が、今現在、クリシュナムルティからの逸れにおいて現れているように見えるのです。

 どうでもいい話。内容なし。空想の産物。現実離れの妄想。
 それにして何で文章を消さないのか。同じものをのせる必要はない。
 パソコンではなくスマホで投稿してるのか。

 それもしても何で「現実」に起きてる話をしないのか。



[24724] 介護 投稿者:外野席 投稿日:2017/10/24(Tue) 17:23  

 今や高齢化時代。いやおうもなく我々のベビーブーム世代にとって避けられない問題。自分がもし介護の立ち場になったら、どうふるまうのだろうか。まさに深刻。
 自分がもし介護の身になったら。又される側になったら。おしめをかえられることができるだろうか。そのとき平静を保てるだろうか。女性は男性に対してさほど抵抗はないだろうが、逆は苦痛だろう。自分の両親は、さほど手をかけずに死んでしまったが、はたして自分は人に迷惑かけずに死ねるだろうか。いずれにせよ葛藤のない日など幻想にすぎぬことを痛感する。
 先程、老老介護について、テレビで拝聴したが、人は内心「この人さえいなければ」と思うかもしれない。しかしそのことは口に避けてもいえぬ。それほど老老介護の現状は悲惨ということだ。ましては、このあと超高齢化社会がすぐにやってくる。病院はどこも満杯。自宅介護が基本になる。しかもヘルパーはいない。人で不足ときた。

 個人的なことだが東京オリンピックが終わったら「終活」に入ろうと思う。不要なものは今から少しずつ処分する。自分が死んだとき、残された自分の所有物を人に見られるのは抵抗がある。死ぬ時は貯金通帳だけでいう。クリシュナムルティの本も資源ゴミ。


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