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[24151] Re:[24150] [24144] [24129] [24128] [24126] [24121] [24117] [24105] [24100] [24099] 実在とは? 投稿者:外野 投稿日:2017/08/14(Mon) 10:16  


> 愚という男のページをちょっと見てみたがなかなかできる人みたいだ。

愚さんの掲示板にお邪魔してますね。そこは論客がずらり。骨っぽい人ばかり。
ここは骨っぽいのがいないので論争にも成らない。


[24150] Re:[24144] [24129] [24128] [24126] [24121] [24117] [24105] [24100] [24099] 実在とは? 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/14(Mon) 01:29  

> > > 昔から宗教の中心に至福、幸い、神人合一、あるいは悟りの境地、時を超えた(永遠の)存在などの観念があります。
>
>  それらは観念ではなく、実際に「真実在」を体験するものです。たとえば悟りの境地とは、宇宙との「一体感」を味わうというもの。涅槃、ニルバーナ。恍惚の境地。今でいう神秘体験、至高体験、宇宙意識との一体化体験。
>  覚者、賢者と言われた方々は、これらを体験しています。それを基にそれぞれ真理というものを具現化しています。
>  それらは単なる観念とか思いとかというような実体のないものとは違います。各自が体験するもの。
>
> > > これは安全安心を願う心の投影そのものなのでしょうか?
>
>  いや、真理の探求者は最終的にそのような境地になる。それがゴールといわれる所以。
>  安心安全を願うのは、我々一般です。俗人。凡人の心理。真理の探究者は、宇宙と何ぞや、自己を知りたいというのが、大きな動機です。安全安心とは違う。
>
> > > Kは身近なところから始めなさいと言います。
>
>  世界の貧しい人を救いたいと思うのは、ある種の傲慢。まず見近な人から愛することが先決。それが広がれば自然と人は平和に導く。
>  身近な家族をないがしろにして、世界平和も悟りもへったくれもない。
>  身近な人を愛せないで、クリシュナムルティ理解も何もない。
> > >
> > > 戦争は結局個別の心・意識の奉じるところの、これは譲れないというところから来るのではないかと思います。ちょっとした過去の紛争の拡大です。それを解けない宗教も政治もどこかで方向が違っているのです。
>
>  ようするに過去の呪縛から抜けない中古(セコハン)政治。セコハン宗教。過去を手放さない。過去にしがみつく。過去が大事。
>  過去を素に未来を見るから、「今」が見えないことに。
> > >
> > > それを誰にも明確にわかるようにしたいのですが、どうしてこんなに縺れているのでしょう?
>
>  賢人、賢者は、ほんの一部。少数派。地球上のすべての人間が目覚めるというのは不可能。意識レベルに差がある。魂に格段の差があるということ。
> >
> >
> >  まず、クリシュナムルティの陳述内容が科学的な事実であることが、明確に人々に伝わっていないと思います。
>
>  何で科学的事実なのですか。Kは一介の宗教者ですよ。科学者もしくは真理の探究者はありません。
> >
> >  自然科学は「生の全体性」を実証的に確立しているにもかかわらず観念形成に留まっています。
>
>  自然科学は宗教ではない。観念形成に留まっているのは既成宗教です。
> >
> >  これをクリシュナムルティの陳述をフルに活用して、観念的な事柄から体感的な真理へと、個々の内面において定着させたいものです。
>
>  何をおっしゃっているのか。Kの暴露本が出て以来、Kは下火になり、世界でKを読む人は、ほとんどいません。Kをもちあげているのは日本であなただけです。
>  嘘と思うならアメリカに行った友人に聞いて下さい。今、精神世界で何が読まれているか。
> >
> >  クリシュナムルティの本は一定以上読まれているにも関わらず、これが更に広がる気配を見せないのは、その読者が観念形成に留まっていることを暗示しているように私には感じられます。
>
>  何で読者の責任になるのか。あなたはKのスポークスマンですか。K財団というのは利益優先です。Kの翻訳に関して日本に理不尽な要求をする。その間に立って仲介したのがT氏。大野氏のブログに詳細。
>
> >
> >  その観念に留まっているクリシュナムルティ読者が、よく口にすることは、「クリシュナムルティの裾から離れて、自身の言葉で語れ・・」です。
>
>  おっしゃるとおり。
>  新しい芽氏からさんざんいわれたのでは。「クリシュナムルティ理解」というわけのわけらぬ言葉を使わないでくれと。
>  自分の言葉で話せないならKのコピーでしょう。
>  新しい芽氏は「クリシュナムルティ」というロジックは一切出さず自分の言葉でしゃべりました。
>  Kのいうのは自身の心の過程を見ることにあるのですから、本は入りません。
>  Kの言葉を消化してしまえば、本はいらないでしょう。
> >
> >  それに対して、私はよく「クリシュナムルティの陳述内容の理解なしに、クリシュナムルティの裾から離れることは、絵に描いた餅になるのではないか・・」と、指摘しております。
>
>  それについて愚さんの掲示板で一蹴されました。再録します。
> M氏
>  クリシュナムルティの陳述の理解が不完全にもかかわらず、クリシュナムルティの裾から離れることは、絵に描いた餅になりかねません。まずは、しっかりと陳述内容を理解することが肝要ではないでしょうか。
>
>  S氏の指摘
>  逆です。離れるのも「今」、理解するのも「今」です。しかし、今離れたくても、いえ、離れたくない、離れられないから、十分・不十分、完全・不完全という概念を導入してお茶を濁すのではないでしょうか。いつか、十分に理解して、離れられるだろうと。それは、クリシュナムルティがあれほど問題視した「時間」ではありませんか?
>
>  S氏の言葉を噛み締めて下さい。
>  クリシュナムルティ理解より、まずは自分自身を理解せよということです。Kは、そのことを口酸っぱく言ってるのではなかったか。
>  Kは私の言ってることは、ガラクタ(中古)と同じといっている。
>
>  「四季の瞑想」 前書き5ページ
>
> 「話し手が申していること自体には、何の重要性もありません。本当に重要なのは、精神が何の努力もせずに目覚めており、その結果、常に理解の状態にあるということです。もし理解しないで、単に言葉に耳を傾けるだけならば、私たちはどうしても一連の概念、観念を信じ込んでしまい、そこからパターンを確立して、今度は日常生活、もしくはいわゆる霊的生活の中で、それに順応しようとしてしまいます。」と。
>  クリシュナムルティは真理を理解するプロセス、己を見るプロセスにおいて、彼自身のことを大して重要でなければ、必要でもないとみなしていました。あるときなど、クルシュナムルティは自分自身のことを、聴衆に利用されるだけの電話器、機械装置と呼んだ時があります。
>
>  自分自身を理解することは即座です。それをぼちぼちやるとか、定年後フリーになったらやるとかというものではありません。まさに「時間」に縛られている。「いつか」やると。この「いつか」が迷いの現れ。
>  今やらずにいつやるのか。まさに「今でしょ」
>  即座の理解。
>  家族というのは自分がフリーになることの障害なのだろうか。重荷なのだろうか。マンデラ大統領の言葉「私は、たとえ牢獄にいようと自由=フリーである」
>  あなたはとんでもない勘違いをしているようだ。
>
>  
>
>


愚という男のページをちょっと見てみたがなかなかできる人みたいだ。


[24149] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/14(Mon) 01:02  

仏教でいう大いなる放棄は、かならずしもゴータマ王子のように家庭を捨てるという意味ではなく、地上のものにたいする無執着を達成すること。


[24148] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/14(Mon) 00:46  

愛着は人を安心に導く
愛情は人を幸福に導く。
愛は人を至福に導く。

愛の至福のレヴェルにあるひとを菩薩という、しかし、愛着や愛情の段階にあるだけでも高度な段階。

1 情欲 力
2 愛着 安心
3 愛情 幸福
4 愛 慈悲
5 自由 調和

4つ目が菩薩であり、5つめが如来。


[24147] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/14(Mon) 00:22  

誰も死にはしない。外的な形が変わるにすぎない。生命は不死だ。


[24146] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/14(Mon) 00:16  

天上にも地上にも愛しか存在しない。

いろいろな愛に見えないすべてのことの根底にも愛があるのである。


[24145] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/14(Mon) 00:09  

この世界のすべてが絶対的に愛であることを見抜けるかどうか


[24144] Re:[24129] [24128] [24126] [24121] [24117] [24105] [24100] [24099] 実在とは? 投稿者:外野 投稿日:2017/08/13(Sun) 23:13  

> > 昔から宗教の中心に至福、幸い、神人合一、あるいは悟りの境地、時を超えた(永遠の)存在などの観念があります。

 それらは観念ではなく、実際に「真実在」を体験するものです。たとえば悟りの境地とは、宇宙との「一体感」を味わうというもの。涅槃、ニルバーナ。恍惚の境地。今でいう神秘体験、至高体験、宇宙意識との一体化体験。
 覚者、賢者と言われた方々は、これらを体験しています。それを基にそれぞれ真理というものを具現化しています。
 それらは単なる観念とか思いとかというような実体のないものとは違います。各自が体験するもの。

> > これは安全安心を願う心の投影そのものなのでしょうか?

 いや、真理の探求者は最終的にそのような境地になる。それがゴールといわれる所以。
 安心安全を願うのは、我々一般です。俗人。凡人の心理。真理の探究者は、宇宙と何ぞや、自己を知りたいというのが、大きな動機です。安全安心とは違う。

> > Kは身近なところから始めなさいと言います。

 世界の貧しい人を救いたいと思うのは、ある種の傲慢。まず見近な人から愛することが先決。それが広がれば自然と人は平和に導く。
 身近な家族をないがしろにして、世界平和も悟りもへったくれもない。
 身近な人を愛せないで、クリシュナムルティ理解も何もない。
> >
> > 戦争は結局個別の心・意識の奉じるところの、これは譲れないというところから来るのではないかと思います。ちょっとした過去の紛争の拡大です。それを解けない宗教も政治もどこかで方向が違っているのです。

 ようするに過去の呪縛から抜けない中古(セコハン)政治。セコハン宗教。過去を手放さない。過去にしがみつく。過去が大事。
 過去を素に未来を見るから、「今」が見えないことに。
> >
> > それを誰にも明確にわかるようにしたいのですが、どうしてこんなに縺れているのでしょう?

 賢人、賢者は、ほんの一部。少数派。地球上のすべての人間が目覚めるというのは不可能。意識レベルに差がある。魂に格段の差があるということ。
>
>
>  まず、クリシュナムルティの陳述内容が科学的な事実であることが、明確に人々に伝わっていないと思います。

 何で科学的事実なのですか。Kは一介の宗教者ですよ。科学者もしくは真理の探究者はありません。
>
>  自然科学は「生の全体性」を実証的に確立しているにもかかわらず観念形成に留まっています。

 自然科学は宗教ではない。観念形成に留まっているのは既成宗教です。
>
>  これをクリシュナムルティの陳述をフルに活用して、観念的な事柄から体感的な真理へと、個々の内面において定着させたいものです。

 何をおっしゃっているのか。Kの暴露本が出て以来、Kは下火になり、世界でKを読む人は、ほとんどいません。Kをもちあげているのは日本であなただけです。
 嘘と思うならアメリカに行った友人に聞いて下さい。今、精神世界で何が読まれているか。
>
>  クリシュナムルティの本は一定以上読まれているにも関わらず、これが更に広がる気配を見せないのは、その読者が観念形成に留まっていることを暗示しているように私には感じられます。

 何で読者の責任になるのか。あなたはKのスポークスマンですか。K財団というのは利益優先です。Kの翻訳に関して日本に理不尽な要求をする。その間に立って仲介したのがT氏。大野氏のブログに詳細。

>
>  その観念に留まっているクリシュナムルティ読者が、よく口にすることは、「クリシュナムルティの裾から離れて、自身の言葉で語れ・・」です。

 おっしゃるとおり。
 新しい芽氏からさんざんいわれたのでは。「クリシュナムルティ理解」というわけのわけらぬ言葉を使わないでくれと。
 自分の言葉で話せないならKのコピーでしょう。
 新しい芽氏は「クリシュナムルティ」というロジックは一切出さず自分の言葉でしゃべりました。
 Kのいうのは自身の心の過程を見ることにあるのですから、本は入りません。
 Kの言葉を消化してしまえば、本はいらないでしょう。
>
>  それに対して、私はよく「クリシュナムルティの陳述内容の理解なしに、クリシュナムルティの裾から離れることは、絵に描いた餅になるのではないか・・」と、指摘しております。

 それについて愚さんの掲示板で一蹴されました。再録します。
M氏
 クリシュナムルティの陳述の理解が不完全にもかかわらず、クリシュナムルティの裾から離れることは、絵に描いた餅になりかねません。まずは、しっかりと陳述内容を理解することが肝要ではないでしょうか。

 S氏の指摘
 逆です。離れるのも「今」、理解するのも「今」です。しかし、今離れたくても、いえ、離れたくない、離れられないから、十分・不十分、完全・不完全という概念を導入してお茶を濁すのではないでしょうか。いつか、十分に理解して、離れられるだろうと。それは、クリシュナムルティがあれほど問題視した「時間」ではありませんか?

 S氏の言葉を噛み締めて下さい。
 クリシュナムルティ理解より、まずは自分自身を理解せよということです。Kは、そのことを口酸っぱく言ってるのではなかったか。
 Kは私の言ってることは、ガラクタ(中古)と同じといっている。

 「四季の瞑想」 前書き5ページ

「話し手が申していること自体には、何の重要性もありません。本当に重要なのは、精神が何の努力もせずに目覚めており、その結果、常に理解の状態にあるということです。もし理解しないで、単に言葉に耳を傾けるだけならば、私たちはどうしても一連の概念、観念を信じ込んでしまい、そこからパターンを確立して、今度は日常生活、もしくはいわゆる霊的生活の中で、それに順応しようとしてしまいます。」と。
 クリシュナムルティは真理を理解するプロセス、己を見るプロセスにおいて、彼自身のことを大して重要でなければ、必要でもないとみなしていました。あるときなど、クルシュナムルティは自分自身のことを、聴衆に利用されるだけの電話器、機械装置と呼んだ時があります。

 自分自身を理解することは即座です。それをぼちぼちやるとか、定年後フリーになったらやるとかというものではありません。まさに「時間」に縛られている。「いつか」やると。この「いつか」が迷いの現れ。
 今やらずにいつやるのか。まさに「今でしょ」
 即座の理解。
 家族というのは自分がフリーになることの障害なのだろうか。重荷なのだろうか。マンデラ大統領の言葉「私は、たとえ牢獄にいようと自由=フリーである」
 あなたはとんでもない勘違いをしているようだ。

 




[24143] Re:[24142] [24141] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/13(Sun) 22:32  

> > 明日より3日ほど出かけ留守にします。
>
> ということで、YHWHさん。投稿を少し控えましょう。それと覚者の言葉の丸写しはいくら何でもまずいでしょう。いくら何でもここの趣旨からはずれている。
> 覚者の言葉から学ぶということならいいですが。


学んでる。明確に道を照らし出す必要がある。


[24142] Re:[24141] 無題 投稿者:外野 投稿日:2017/08/13(Sun) 21:54  

> 明日より3日ほど出かけ留守にします。

ということで、YHWHさん。投稿を少し控えましょう。それと覚者の言葉の丸写しはいくら何でもまずいでしょう。いくら何でもここの趣旨からはずれている。
覚者の言葉から学ぶということならいいですが。


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