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[25515] Re:[25513] [25508] 既知からの自由1−5(2) 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/18(Mon) 11:17  

> > >  もう一度はっきり述べましょう。私は自分が自分の存在の根源から完全に変化しなければならないことを見ます。伝統はこの巨大な怠惰、受容、服従をもたらしたので、私はもはやどのような伝統にも依存することはできません。変わるのを助けてくれるよう他人に頼ることはとてもできません。どんな教師にも、どんな神、どんな信念、どんな体系、どんな外部の圧力あるいは影響にも。その時何が起きるでしょうか?
> >
> > >  まず第一に、あなたは全ての権威を拒否できますか? もし出来るなら、それはあなたはもはや恐れていないことを意味します。何世代も自分と共に持ち運んできた偽りのものを拒否するとき、どんな種類の重荷であれ捨て去るとき、何が起きるでしょうか? あなたはより多くのエネルギーを持っているのではないでしょうか? より多くの能力、より多くの精力、より大きな強烈さと活力を持っています。もしこれを感じないなら、その時は重荷を捨て去っていません、権威の死んだ重さを捨ててはいないのです。
> >
> > >  しかしそれを捨て去り、全く恐怖のない ― 過ちを犯すという恐怖のない、正しいあるいは間違ったことをするという恐怖のない ― このエネルギーを持つとき、その時そのエネルギー自体が変容ではないでしょうか? 私たちは途方もない量のエネルギーを必要とし、それを恐怖を通じて浪費していますが、あらゆる形の恐怖を捨て去ることから生じるこのエネルギーがあるとき、そのエネルギー自体が根本的な内面の革命を生み出します。それについてしなければならないことは何もありません。
> >
> > >  それゆえあなたは自分自身と共に残されます。それがこのこと全てについて真剣である人にとって、あるべき実際の状態です。そしてもはや助けを求めて誰かや何かに頼っていないので、あなたはすでに自由に発見できます。自由があるとき、エネルギーがあります。自由があるときは決して間違ったことをすることができません。自由は反抗とは全く違います。自由があるときには、正しかったり、間違ったりするというような事はないのです。あなたは自由であり、その中心から行動します。それゆえ恐怖はなく、そして恐怖のない心は大いなる愛が可能です。そして愛があるときは望むことをすることができます。
> >
> >
> > クリシュナムルティは世界を根本的に変える変容の内容を、ここではっきり言ってくれました。実に明瞭です。
> >
> > でも私は疑問があります。人間の群れ集って言語を交わし伝達しあって進んでいくこの性質は、これまで同様大いに活用すべきものなのかどうか? もちろん変容してもですが。そこが私にはまだよくわかりません。
>
>
>  ネアンデルタール人は、この>人間の群れ集って言語を交わし伝達しあって進んでいくこの性質−−、これがホモ・サピエンスと比べて、非弱であったようです(NHK『人類誕生』より)。。
>
>  ただし、その分、観念の伝達も弱く、現にあるものと親密に交えることができたのかもしれません。すなわち、条件付けの伝搬も弱かったのではないでしょうか。。
>
>  知的生命体は、一旦は条件付けの世界へ落ちて、それから這い上がることがてきるのか・・。これが「生」として重要なことがらかもしれません。
>
>  もしも、条件付けの世界を知らない知的生命体(例えばネアンデルタール人もそうかもしれません・・)が生存していたとすれば、それは条件付けられた知的生命体に搾取されるからです。あるいは、条件付けられた知的生命体に対応する術を知らないと先々が危ぶまれるのではないでしょうか。。
>
>  条件付けの危険性さえ知っていれば、>人間の群れ集って言語を交わし伝達しあって進んでいくこの性質−−、これは有用に働くのではないでしょうか。。


人間の群れをつくる性質についてのコメントありがとうございます。

群れをつくると理性は働きにくくなるんでしょうか? 常に効果があるのは感情に訴える煽りとか、気をてらうパフォーマンス、オンオフ的な単純論理など感情を操作する術策です。専門家のコメントも常に賛成と反対があって何が正しいかわかりません、考え抜く気がしません。

人間といっても実態は世代ごとに違う社会で条件づけられ、考え方も、言語ですらも通じません。それで群れてやっていけず、閉じこもる人もあります。社会の混乱、矛盾の性質がどんどん変わっていく気がします。

老人はともかく若い人はどう生きるか、そこを見出すことが難しいでしょうね。自分も難しいですが。。


[25514] エネルギーを何に使うか 投稿者:虚無 投稿日:2018/06/18(Mon) 10:58  

寝につく時は疲れていて、溜まっているエネルギーが減って低い状態。
朝目が覚めたときは減ったエネルギーが充電されてエネルギーがたっぷり溜まっている、いわばエネルギー量が高い状態。

そういう意味で高い、低いと言っています。朝は一般に高い状態。夜は低い状態。

それで見るにはエネルギーを消耗はしませんが、溜まっているエネルギー量が低いとぼんやり見ている感じ。エネルギーがたっぷり溜まって疲労もない時は明晰に見える感じ。

エネルギーを消費しているという事ではない。努力していないから。情熱を注ぐのは見ることに対してでなく、溜まっているエネルギーが高ければ高いほど、明晰で敏感に気づく。

情熱を注ぐのは見ることに対してでなく、関心に向かって注ぐ。集中して見ると、見てもエネルギーを消耗する。受動的に見ている人は消耗しない。ヘラブナ釣りで、浮きの見方は前者はへぼ、認識しようとしている。初心者は仕方がないが。後者は達人、直覚している。

そうすると、夜はエネルギーが低いので「見る」ことはできないということですか?
「見る」ことは昼間やる?

ですので、夜にトラブルが起きると葛藤にさい悩ませる。
葛藤のエネルギーは強大です。
夜遅く帰って、家族に八つ当たりする。何が不機嫌なのか「バカヤロー」と怒鳴る。
昼夜に限らず、どうこうしようとしている時はエネルギーが高まる。
どうこうしようと「しない」ときは、エネルギーは、ない。
というより、(生きる)エネルギーが均等になっている。
ようするにそのエネルギーをどのように使うか。
さっきのケースでは「怒り」に使うと言うことです。




[25513] Re:[25508] 既知からの自由1−5(2) 投稿者:宮啓 投稿日:2018/06/18(Mon) 09:01  

> >  もう一度はっきり述べましょう。私は自分が自分の存在の根源から完全に変化しなければならないことを見ます。伝統はこの巨大な怠惰、受容、服従をもたらしたので、私はもはやどのような伝統にも依存することはできません。変わるのを助けてくれるよう他人に頼ることはとてもできません。どんな教師にも、どんな神、どんな信念、どんな体系、どんな外部の圧力あるいは影響にも。その時何が起きるでしょうか?
>
> >  まず第一に、あなたは全ての権威を拒否できますか? もし出来るなら、それはあなたはもはや恐れていないことを意味します。何世代も自分と共に持ち運んできた偽りのものを拒否するとき、どんな種類の重荷であれ捨て去るとき、何が起きるでしょうか? あなたはより多くのエネルギーを持っているのではないでしょうか? より多くの能力、より多くの精力、より大きな強烈さと活力を持っています。もしこれを感じないなら、その時は重荷を捨て去っていません、権威の死んだ重さを捨ててはいないのです。
>
> >  しかしそれを捨て去り、全く恐怖のない ― 過ちを犯すという恐怖のない、正しいあるいは間違ったことをするという恐怖のない ― このエネルギーを持つとき、その時そのエネルギー自体が変容ではないでしょうか? 私たちは途方もない量のエネルギーを必要とし、それを恐怖を通じて浪費していますが、あらゆる形の恐怖を捨て去ることから生じるこのエネルギーがあるとき、そのエネルギー自体が根本的な内面の革命を生み出します。それについてしなければならないことは何もありません。
>
> >  それゆえあなたは自分自身と共に残されます。それがこのこと全てについて真剣である人にとって、あるべき実際の状態です。そしてもはや助けを求めて誰かや何かに頼っていないので、あなたはすでに自由に発見できます。自由があるとき、エネルギーがあります。自由があるときは決して間違ったことをすることができません。自由は反抗とは全く違います。自由があるときには、正しかったり、間違ったりするというような事はないのです。あなたは自由であり、その中心から行動します。それゆえ恐怖はなく、そして恐怖のない心は大いなる愛が可能です。そして愛があるときは望むことをすることができます。
>
>
> クリシュナムルティは世界を根本的に変える変容の内容を、ここではっきり言ってくれました。実に明瞭です。
>
> でも私は疑問があります。人間の群れ集って言語を交わし伝達しあって進んでいくこの性質は、これまで同様大いに活用すべきものなのかどうか? もちろん変容してもですが。そこが私にはまだよくわかりません。


 ネアンデルタール人は、この>人間の群れ集って言語を交わし伝達しあって進んでいくこの性質−−、これがホモ・サピエンスと比べて、非弱であったようです(NHK『人類誕生』より)。。

 ただし、その分、観念の伝達も弱く、現にあるものと親密に交えることができたのかもしれません。すなわち、条件付けの伝搬も弱かったのではないでしょうか。。

 知的生命体は、一旦は条件付けの世界へ落ちて、それから這い上がることがてきるのか・・。これが「生」として重要なことがらかもしれません。

 もしも、条件付けの世界を知らない知的生命体(例えばネアンデルタール人もそうかもしれません・・)が生存していたとすれば、それは条件付けられた知的生命体に搾取されるからです。あるいは、条件付けられた知的生命体に対応する術を知らないと先々が危ぶまれるのではないでしょうか。。

 条件付けの危険性さえ知っていれば、>人間の群れ集って言語を交わし伝達しあって進んでいくこの性質−−、これは有用に働くのではないでしょうか。。


[25512] Re:[25509] クリシュナムルティの教えの欠点 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/17(Sun) 22:43  

> クリシュナムルティは人間の感情の問題についておざなりにしている。何でもかんでも「思考」という言葉にひとくくりにしてしまっている。思考と感情は違う。
> 何で人間は感情的になるのかという言及はない。

感情について、その役割はちゃんと言っている。おいおい出てくるさ。

そしてKは何もかにも言及しているわけではない。例を挙げると、彼は成熟した人に話しているので、赤ん坊からの精神の発育過程については何も話していない。


[25511] Re:[25510] [25497] [25494] 体験談 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/17(Sun) 22:28  

> どうも話が伝わりませんね。権威云々の話になっている。権威に背を向けている人はいくらでもいます。アウトロー的な生き方。

アウトロー的な生き方をしている人とは多くいる?…ほんとかな? もう一度Kの文章を読みましょう。


> > >  しかしそれを捨て去り、全く恐怖のない ― 過ちを犯すという恐怖のない、正しいあるいは間違ったことをするという恐怖のない ― このエネルギーを持つとき、その時そのエネルギー自体が変容ではないでしょうか? 私たちは途方もない量のエネルギーを必要とし、それを恐怖を通じて浪費していますが、あらゆる形の恐怖を捨て去ることから生じるこのエネルギーがあるとき、そのエネルギー自体が根本的な内面の革命を生み出します。それについてしなければならないことは何もありません。
> > >
> > >  それゆえあなたは自分自身と共に残されます。それがこのこと全てについて真剣である人にとって、あるべき実際の状態です。そしてもはや助けを求めて誰かや何かに頼っていないので、あなたはすでに自由に発見できます。自由があるとき、エネルギーがあります。自由があるときは決して間違ったことをすることができません。自由は反抗とは全く違います。自由があるときには、正しかったり、間違ったりするというような事はないのです。あなたは自由であり、その中心から行動します。それゆえ恐怖はなく、そして恐怖のない心は大いなる愛が可能です。そして愛があるときは望むことをすることができます。

このような人がいるかいないか、Kは確認できないから一人もいないと言った。
しかし、上に引用した文章を自分のこととして理解出来る人はかなりいるだろうよ。自分から名乗りを上げないだろうがね。
誰も名乗りを上げないのもあるがままの事実とすれば、そう認めればいい。

> 例えば会社勤めが嫌なら、自分で起業すればいい。
> そういった外部の話ではなく、自身の中に「権威」というものが潜んでいないかです。そこを調べる。プライド、ポリシー、男としての親父としての権力などなど。

その通りだが、それ(自分自身の中の権威)は1−6にKの言葉がある。以下に引用しておきます。

> 自分自身の精神の構造の内部に完全な革命をもたらす中で、どんな外部の権威にも依存できないことを理解しても、自分自身の内部の権威、自分自身の特定の小さな経験と蓄積された意見、知識、観念と理想という権威を拒否するという、より遥かに大きな困難があります。あなたは昨日何かをあなたに教えるある経験をしました。そしてそれがあなたに教えたことは新しい権威になります ― そしてその昨日の権威は千年の権威と同じように破壊的です。自分自身を理解するためには昨日の権威も千年の権威も必要ではありません。なぜなら私たちは生きたものであり、常に動き、流れ、決して休んではいないからです。昨日の権威をもって自分自身を見る時は、生きている動きとその動きの美と質を理解損なうでしょう。

> 全ての権威から、自分自身のそして他人の経験から自由であることは、昨日のあらゆる事に対して死ぬことであり、その結果あなたの心は常に新鮮で、常に若く、天真爛漫で、活気と情熱に満ちています。人が学び観察するのはそのような状態の中のみです。そしてこのためには大変な気付きが必要とされます。自分自身の内部で起こっている事についての、修正したり、どうあるべきかどうあるべきでないか告げたりしない、実際の気づきが必要です。なぜならそれを修正する瞬間、あなたは別の権威、検閲者を確立してしまうからです。


私にこの気づきがあるかないかは個人情報で言う必要はない。本人は知っている。当たり前だが。



[25510] Re:[25497] [25494] 体験談 投稿者:虚無 投稿日:2018/06/17(Sun) 19:33  

> > >  しかしそれを捨て去り、全く恐怖のない ― 過ちを犯すという恐怖のない、正しいあるいは間違ったことをするという恐怖のない ― このエネルギーを持つとき、その時そのエネルギー自体が変容ではないでしょうか? 私たちは途方もない量のエネルギーを必要とし、それを恐怖を通じて浪費していますが、あらゆる形の恐怖を捨て去ることから生じるこのエネルギーがあるとき、そのエネルギー自体が根本的な内面の革命を生み出します。それについてしなければならないことは何もありません。
> > >
> > >  それゆえあなたは自分自身と共に残されます。それがこのこと全てについて真剣である人にとって、あるべき実際の状態です。そしてもはや助けを求めて誰かや何かに頼っていないので、あなたはすでに自由に発見できます。自由があるとき、エネルギーがあります。自由があるときは決して間違ったことをすることができません。自由は反抗とは全く違います。自由があるときには、正しかったり、間違ったりするというような事はないのです。あなたは自由であり、その中心から行動します。それゆえ恐怖はなく、そして恐怖のない心は大いなる愛が可能です。そして愛があるときは望むことをすることができます。

ここまでは重複しているにで消したいのだが、アイパットではうまく、いきません。パソコンだとすぐ消せるのだが。
> >
> > いつも思うのだが、クリシュナムルティの言ってることを実際に実現している人がいるのでしょうか。
> > 少なくとも日本ではそういった体験談の本は日本では見たことがない。外国でそのような本を出版しているのだろうか。あったとしても、訳されていないのか。それはわかりません。
>
> 権威を否定した人は体験本を欲しがったり、書いたりはしないのじゃないだろうか。

そういう人だけではない。ほんとにそういうことか起きるかどうか確かめたい人もいるだろう。Kの言ってることが本当かどうか。
宗教の信者が世界に多数いる。
とくに仏教、キリスト教、ヒンズー教の信者。これらの人はKのいうことにカチンと来ている。何にために信仰か。

>  変容が実現しているかどうかは普通は会っても分からないんじゃないだろうか。刺青やバッジをしているわけではないからな。

Kが本当に「誰も変わらなかった」というのでは普遍性はない。特別な人だけのものになる。
>
> > クリシュナムルティの研究者、探求者、訳者、信奉者、愛読者という人はおられます。変容した人は?

Kの言葉で言うと誰もいないとなる。

> > 没後32年世界は何ら変わっていない。ますます混乱の道へ。
>
> >変容した人は?−− それがなぜ気になるの? さっそくその人に会って、気に入ればだが、権威としてその人の言葉を集めたいから? それとも結果を見て支持、不支持を決めたいから? 一人立つ者はそんなことしないよね。

変容した人がいないと言うことであれば、Kの言葉は普遍性はありません。K一人だけのものになる。
他の世界では変容した人はいくらでも知っている。

どうも話が伝わりませんね。権威云々の話になっている。権威に背を向けている人はいくらでもいます。アウトロー的な生き方。
例えば会社勤めが嫌なら、自分で起業すればいい。
そういった外部の話ではなく、自身の中に「権威」というものが潜んでいないかです。そこを調べる。プライド、ポリシー、男としての親父としての権力などなど。


[25509] クリシュナムルティの教えの欠点 投稿者:虚無 投稿日:2018/06/17(Sun) 18:54  

クリシュナムルティは人間の感情の問題についておざなりにしている。何でもかんでも「思考」という言葉にひとくくりにしてしまっている。思考と感情は違う。
何で人間は感情的になるのかという言及はない。
(K自身は「恋愛感情」が克服できなかった。又、晩年は裁判や後継者問題を抱えて「平安」でいられぬはずはない)
もう一つ、無から有を生み出す人間の想像力を否定してしまっている。イメージと心理的思考の混同。
何でもかんでも「思考」を目の敵にしている。
ようするに周囲というのは「道具」であり、使い方の問題なのである。


クリシュナムルティの信奉者、あるいはKの言葉を信じ切って人は、上の文を読むと感情的になるだろう。あるいは血相変えておこる?
そうではなく、Kの信奉者は明確に自分の言葉で反論できるだろうか?Kをよく読むでは説得力はない。


[25508] 既知からの自由1−5(2) 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/17(Sun) 16:34  

>  もう一度はっきり述べましょう。私は自分が自分の存在の根源から完全に変化しなければならないことを見ます。伝統はこの巨大な怠惰、受容、服従をもたらしたので、私はもはやどのような伝統にも依存することはできません。変わるのを助けてくれるよう他人に頼ることはとてもできません。どんな教師にも、どんな神、どんな信念、どんな体系、どんな外部の圧力あるいは影響にも。その時何が起きるでしょうか?

>  まず第一に、あなたは全ての権威を拒否できますか? もし出来るなら、それはあなたはもはや恐れていないことを意味します。何世代も自分と共に持ち運んできた偽りのものを拒否するとき、どんな種類の重荷であれ捨て去るとき、何が起きるでしょうか? あなたはより多くのエネルギーを持っているのではないでしょうか? より多くの能力、より多くの精力、より大きな強烈さと活力を持っています。もしこれを感じないなら、その時は重荷を捨て去っていません、権威の死んだ重さを捨ててはいないのです。

>  しかしそれを捨て去り、全く恐怖のない ― 過ちを犯すという恐怖のない、正しいあるいは間違ったことをするという恐怖のない ― このエネルギーを持つとき、その時そのエネルギー自体が変容ではないでしょうか? 私たちは途方もない量のエネルギーを必要とし、それを恐怖を通じて浪費していますが、あらゆる形の恐怖を捨て去ることから生じるこのエネルギーがあるとき、そのエネルギー自体が根本的な内面の革命を生み出します。それについてしなければならないことは何もありません。

>  それゆえあなたは自分自身と共に残されます。それがこのこと全てについて真剣である人にとって、あるべき実際の状態です。そしてもはや助けを求めて誰かや何かに頼っていないので、あなたはすでに自由に発見できます。自由があるとき、エネルギーがあります。自由があるときは決して間違ったことをすることができません。自由は反抗とは全く違います。自由があるときには、正しかったり、間違ったりするというような事はないのです。あなたは自由であり、その中心から行動します。それゆえ恐怖はなく、そして恐怖のない心は大いなる愛が可能です。そして愛があるときは望むことをすることができます。


クリシュナムルティは世界を根本的に変える変容の内容を、ここではっきり言ってくれました。実に明瞭です。

でも私は疑問があります。人間の群れ集って言語を交わし伝達しあって進んでいくこの性質は、これまで同様大いに活用すべきものなのかどうか? もちろん変容してもですが。そこが私にはまだよくわかりません。



[25507] Re:[25503] [25495] [25493] [25491] [25489] エネルギー 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/17(Sun) 15:16  

> > > > エネルギーなんて簡単だ。ヘラブナ釣りにいそいそ出かける時はエネルギーは十分ある。何となく行く気がしないときはエネルギーがない。
> > > >
> > > > 努力して過労死したらエネルギーの使い過ぎ。葛藤があるなら、あるいは嫌々ながらするときは摩擦があり、その時はエネルギーの浪費。
> > >
> > > はい。ここまではわかります。問題は次。
> > > >
> > > > ただ見ている時はエネルギーの浪費されていない高い状態。
>
> ?
> エネルギーが「高い」?状態。
> ただ見てる時はエネルギーは使いません。何か集中するときエネルギーを使います。ギュっと。
> 私の経験です。
> > >
> > > 何で急に「見る」話になるのですか?
> >
> > ナンだってさ、あなたが、>このサイトは、よく「思考なしに見る」「ただ見る、ただ聞く」と言う言葉がよく出てくるが、このことはエネルギーというものがいるものだろうか。−−
> >  とつぶやきか質問かをしたから見る話をしたんです。
>
>
> そうです。その状態はエネルギーはいりません。
> >
> > > > 活動はエネルギーがたっぷりないとできないぜ。
> > >
> > > そうです。エネルギーの話はそうです。
> > >
> > > 私にとって見ること、聞くことは自然です。努力もエネルギーも、いりません。なぜなら自然と聞こえるのですから。
> > > 鳥の声を聞くのに、何で努力がいるのですか?
> >
> > 努力は確かに要らない。努力の浪費・消失はないです。だから高いエネルギー状態があるでしょう。
>
>
> エネルギーが高い?普通でしょう。
> >
> > > 何か私は勘違いしているのでしょうか?
> > > それとも「見ることはエネルギー」とおっしゃりたい?
> > > クリシュナムルティがそういってるからですか。
> > > 見ることはエネルギーがいるということは、力任せに金剛力で「見る」ということですか。
> >
> > 違います。そのような状態が続くわけはない。
> >
> > > そうしないと見ることはできないと。
> >
> > そうやって金剛力で思考を止めていると、思考なしに話している状態が起こってそれが見えてしまう。探究時代の一つの出来事。
> >
> > > そうすると一体何を見るんですか、ということになります。
> > > 初心者の質問として。
> >
> >
> > 思考のスクリーンを通さないで見ると、あるがままのものが見える。
> ですから、その状態はエネルギーはいりません。
>
> さっきのKの話ですが、「全く恐怖のないエネルギーを持つ時、そのエネルギー自体が変容」といっています。その時起きたエネルギーというのは、私たちの日常とは違う「異質」のエネルギーが起きたということではないでしょうか?
>
> 単純に、ただ見る、聞くということではないと思います。簡単にスクリーンを通さないで、あるがままに見るという話ではない。
> そう言った無機質な言い方ではなく、そこには心がともなっていなければならないでしょう。そこには情熱がいるということです。情熱を注ぐ。
>
> 今まであなた方は、(あなた方というのは飯尾さんも含めて)、
> 見ることについて、ふと起きる、あるいは自然に起きる、無意識に起きるとか、言われてきたように思います。つまり努力なし、だとしたらエネルギーなどいらないのではと、あなた方に問題を提起したということです。今でもこれについて納得がいかなった次第。


寝につく時は疲れていて、溜まっているエネルギーが減って低い状態。
朝目が覚めたときは減ったエネルギーが充電されてエネルギーがたっぷり溜まっている、いわばエネルギー量が高い状態。

そういう意味で高い、低いと言っています。朝は一般に高い状態。夜は低い状態。

それで見るにはエネルギーを消耗はしませんが、溜まっているエネルギー量が低いとぼんやり見ている感じ。エネルギーがたっぷり溜まって疲労もない時は明晰に見える感じ。

エネルギーを消費しているという事ではない。努力していないから。情熱を注ぐのは見ることに対してでなく、溜まっているエネルギーが高ければ高いほど、明晰で敏感に気づく。

情熱を注ぐのは見ることに対してでなく、関心に向かって注ぐ。集中して見ると、見てもエネルギーを消耗する。受動的に見ている人は消耗しない。ヘラブナ釣りで、浮きの見方は前者はへぼ、認識しようとしている。初心者は仕方がないが。後者は達人、直覚している。


[25506] Re:[25500] [25496] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/06/17(Sun) 13:32  

> > 非難正当化せずにありのままに見ると楽になりますよ。という簡単な話。事実の受容
>
> 非難正当化なしに見ている人はすでにすべての権威を拒否した人なのだろうか?  文化や権威に組み込まれることへの抵抗がありそれらを超脱しているでしょう。


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