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[25830] 時間は実在しない 投稿者:無明 投稿日:2018/08/27(Mon) 16:14  

>Kは数十年にわたって彼の教えを説いてきた。『時間の終焉』を何回も読んできたが、自分でKはこう言っていますとは話せなかったけれどようやく話せるようになったので話します。

人間は、数千年来ブッダやキリストを始めとする教えを聞いてきたが、心理的時間―ビカミングの過程に捉えられ、変化することができなかった。

Kは確固として説く。心理的時間―ビカミングの過程を捨てよ!決してその古いパターンに戻るなと。

ビカミング?何ですか。念のため調べてみたら「ふさわしい」となっている。
心理的時間って何ですか?
心理的時間イコールふさわしいということですか?
単純な疑問ですが、実生活で、心理的思考と実用的な思考とどうやって区別するのですか?
実際には明確には分けられないでしょう。
たとえば心理的思考はダメ、実用的な思考はいいと。
釣り銭を間違えたのは必要な思考。その間違えたコンビニの店員に怒るのは無駄な思考。ということですか。
会社の会議で意見を出しあう。技術的思考と心理的思考、微妙に混じり合っている。

いずれにしろ、確実に言えるには人間瞬時瞬時想起しているということです。内容が何にしろ。

>ほかに道はありません。(これは私の余計な一言。『時間の終焉』4章参照)

余計ですね。そんなことはありません。
心理的思考のプロセスを捨てるということではなく、その過程を見るということです。思考過程を観察する。ボンボリのように。

渡辺氏がいうには、観察者は観察されるもの、というように自分の見てる世界は、結局は自身のイメージの投影ではないかと、という問いかけです。
一切は自身の心の影ではないのか?一人相撲をとっているのではないか。手のひらで踊っているだけではないか、という問いかけ。
これは別にクリシュナムルティの専売特許ではなく、古くから覚者たちが言ってることです。
覚者たちは、究極的に「時間は実在しない」ということを悟ります。

その中で飯尾氏の手法はユニーク。徹底的に自身の思考を疑うというもの。ほんとかどうか。事実かどうか。心理的思考かどうかは関係なく、一切の思考を疑う。彼にはクリシュナムルティのくの字もない。
自身の言葉で話す。イエスのいう「自身の想念に寝ずの番人をせよ」という教えをそのまま実践したということでしょう。自身のエゴに一切妥協しない。(このような自己に厳しい人は他にも知っています。私たちには真似できない)

最後に疑問なのですが、たとえばの話。あなたは1億人全てが悟らない限り、真の平和はないと考えているのでしょうか。あなた流の「気づき」でもいいです。世界の人全員が気づけば、平和が訪れる。
お言葉ですが、人間、意識(魂)レベルに差があります。人間「同じ」ではありません。





[25829] Re:[25828] 既知からの自由9−2 投稿者:ゴト 投稿日:2018/08/27(Mon) 12:03  

> 9章ー2[死]
>
>  さて多くの人にとって大変な問題である死の問題を取り上げましょう。あなたは死を知っています。死は毎日あなたの傍らを歩いています。死について問題を全く作り出さないほど完全に死に出会うことが可能でしょうか? その様に死に出会うためには、死についての全ての信念、全ての希望、全ての恐怖は終わらなければなりません。さもなければ、この途方もないものに結論やイメージやあらかじめ考えられた心配と共に出会っているのであり、それゆえ死に時間と共に出会っているのです。


時間と共に出会っている、はい。


>  時間は観察者と観察されるものの間の間隔です。すなわち、観察者、あなた、は死と呼ばれるこのものに出会うことを恐れています。あなたはそれが何を意味するか知りません。あなたはそれについてあらゆる種類の希望と理論を持っています。輪廻転生、復活、あるいは魂と呼ばれるあるもの、アートマン、時間を超えた、いろいろな名前で呼ばれる霊的な存在を信じます。さて自分自身で魂があるかどうか見いだしましたか? それともそれはあなたに伝えられてきた考えですか? 永遠で継続的で、思考を超えている何かがあるのですか? 思考がそれについて考えることができるならそれは思考の領域内にあり、従ってそれは永久的ではあり得ません。なぜなら思考の領域内には永久的なものは何もないからです。何物も永久的ではないということを発見することはものすごく重要です。というのはそのときのみ心は自由であり、そのときあなたは見ることができ、その中に大いなる喜びがあるからです。


>何物も永久的ではないということを発見することはものすごく重要です。というのはそのときのみ心は自由であり、そのときあなたは見ることができ、その中に大いなる喜びがあるからです。−− これはほとんどの人にとって未発見の事柄ですが、Kは述べてくれています。解説はありません。


>  未知のものを恐れることはできません。未知のものが何であるか知らないので、そこで恐れさせられる何もないのです。死は言葉です。恐怖をつくり出すのはその言葉、イメージです。そこで死を、死のイメージなしに見ることができるでしょうか? そこから思考が生じるイメージが存在する限り、思考は常に恐怖をつくるに違いありません。そして自分の死の恐怖を合理化し、避けられないものに対して抵抗するか、あるいは死の恐怖から自分を守るために無数の信念をつくりだします。それであなたと恐れているものとの間にギャップがあります。この時空の間隙の中に恐怖や不安や自己憐憫である葛藤があるに違いありません。死の恐怖を生み出す思考は「死を延期しよう、それを避けよう、できるだけ遠くにおいておこう、それについて考えないようにしよう」と言います ― しかしそれについて考えています。「それについて考えまい」と言うとき、すでにそれをどうやって避けるか考えだそうとしています。あなたが死を恐れるのは死を後回しにしたからです。


イメージがあるという事はギャップが、間隔、分離、時間があるという事ですが、こういう説明は議論、思考を呼び、時間をやめるのを妨げる延期、ガラクタになります。
 これら古いパターンをやめよ!というKの声明をよく聴くのみ(『時間の終焉』4章参照)。


> ([死]は)2回に分けて掲載します)


[25828] 既知からの自由9−2 投稿者:ゴト 投稿日:2018/08/26(Sun) 09:08  

9章ー2[死]

 さて多くの人にとって大変な問題である死の問題を取り上げましょう。あなたは死を知っています。死は毎日あなたの傍らを歩いています。死について問題を全く作り出さないほど完全に死に出会うことが可能でしょうか? その様に死に出会うためには、死についての全ての信念、全ての希望、全ての恐怖は終わらなければなりません。さもなければ、この途方もないものに結論やイメージやあらかじめ考えられた心配と共に出会っているのであり、それゆえ死に時間と共に出会っているのです。

 時間は観察者と観察されるものの間の間隔です。すなわち、観察者、あなた、は死と呼ばれるこのものに出会うことを恐れています。あなたはそれが何を意味するか知りません。あなたはそれについてあらゆる種類の希望と理論を持っています。輪廻転生、復活、あるいは魂と呼ばれるあるもの、アートマン、時間を超えた、いろいろな名前で呼ばれる霊的な存在を信じます。さて自分自身で魂があるかどうか見いだしましたか? それともそれはあなたに伝えられてきた考えですか? 永遠で継続的で、思考を超えている何かがあるのですか? 思考がそれについて考えることができるならそれは思考の領域内にあり、従ってそれは永久的ではあり得ません。なぜなら思考の領域内には永久的なものは何もないからです。何物も永久的ではないということを発見することはものすごく重要です。というのはそのときのみ心は自由であり、そのときあなたは見ることができ、その中に大いなる喜びがあるからです。

 未知のものを恐れることはできません。未知のものが何であるか知らないので、そこで恐れさせられる何もないのです。死は言葉です。恐怖をつくり出すのはその言葉、イメージです。そこで死を、死のイメージなしに見ることができるでしょうか? そこから思考が生じるイメージが存在する限り、思考は常に恐怖をつくるに違いありません。そして自分の死の恐怖を合理化し、避けられないものに対して抵抗するか、あるいは死の恐怖から自分を守るために無数の信念をつくりだします。それであなたと恐れているものとの間にギャップがあります。この時空の間隙の中に恐怖や不安や自己憐憫である葛藤があるに違いありません。死の恐怖を生み出す思考は「死を延期しよう、それを避けよう、できるだけ遠くにおいておこう、それについて考えないようにしよう」と言います ― しかしそれについて考えています。「それについて考えまい」と言うとき、すでにそれをどうやって避けるか考えだそうとしています。あなたが死を恐れるのは死を後回しにしたからです。

([死]は)2回に分けて掲載します)


[25827] Re:[25826] わかりやすい説明 投稿者:ゴト 投稿日:2018/08/25(Sat) 12:18  

> 渡辺氏の講話はユーチューブで見ることができる。その中身は仏教、物理学、クリシュナムルティなど多岐にわたる。とくに彼のクリシュナムルティの解説はわかりやすかった。自ら訳した「時間の終焉」についての解説もある。「ああクリシュナムルティは、こういうことをいってるのか」と改めて理解した次第。やはり独学では限界があり、真理がある程度わかっておられる方の話も聞くことが肝要だ。一人では知識が乏しくKの解釈が独善的になりやすい。
> 私は今まで大野氏や高橋氏の「クリシュナムルティの会」、飯尾氏や古澤氏などのKの読書会に出入りしたが、クリシュナムルティの解説はあっても、クリシュナムルティの教えに関する解説はなかった気がする。そい言った意味でKB会での、クリシュナムルティの解説は貴重なものとなるだろう。いかんせん私は、その存在を知るのがあまりにも遅かった。森本武氏のKsポイントもそうである。
> その時には、他の人の本に関心がうつっていった。
> 飯尾氏の会はKの読書会と銘打っているが、Kというのは対話のきっかけであり、Kについての解説は、ほとんどなかったに等しい。自身の問題点を出して、皆で話し合う。趣旨はわからないでないが、プライベートな部分は、各自ほとんど出さないので、突っ込んだ話とはならなかった。うわべだけで、大部分は飯尾氏が話して終わり。
> 神秘体験とは何かと尋ねても、毎日毎日が神秘体験と称して終わり。
> 要するに飯尾氏はグルではない。クリシュナムルティ流を通した。自分で考え抜けと。言ってることは正しいかもしれないが、我々は「手がかり」「ヒント」というか、そういったものがなければどうしようもない。他では、それを明示している。
>
>
Kは数十年にわたって彼の教えを説いてきた。『時間の終焉』を何回も読んできたが、自分でKはこう言っていますとは話せなかったけれどようやく話せるようになったので話します。

人間は、数千年来ブッダやキリストを始めとする教えを聞いてきたが、心理的時間―ビカミングの過程に捉えられ、変化することができなかった。

Kは確固として説く。心理的時間―ビカミングの過程を捨てよ!決してその古いパターンに戻るなと。

ほかに道はありません。(これは私の余計な一言。『時間の終焉』4章参照)


[25826] わかりやすい説明 投稿者:無明 投稿日:2018/08/25(Sat) 10:50  

渡辺氏の講話はユーチューブで見ることができる。その中身は仏教、物理学、クリシュナムルティなど多岐にわたる。とくに彼のクリシュナムルティの解説はわかりやすかった。自ら訳した「時間の終焉」についての解説もある。「ああクリシュナムルティは、こういうことをいってるのか」と改めて理解した次第。やはり独学では限界があり、真理がある程度わかっておられる方の話も聞くことが肝要だ。一人では知識が乏しくKの解釈が独善的になりやすい。
私は今まで大野氏や高橋氏の「クリシュナムルティの会」、飯尾氏や古澤氏などのKの読書会に出入りしたが、クリシュナムルティの解説はあっても、クリシュナムルティの教えに関する解説はなかった気がする。そい言った意味でKB会での、クリシュナムルティの解説は貴重なものとなるだろう。いかんせん私は、その存在を知るのがあまりにも遅かった。森本武氏のKsポイントもそうである。
その時には、他の人の本に関心がうつっていった。
飯尾氏の会はKの読書会と銘打っているが、Kというのは対話のきっかけであり、Kについての解説は、ほとんどなかったに等しい。自身の問題点を出して、皆で話し合う。趣旨はわからないでないが、プライベートな部分は、各自ほとんど出さないので、突っ込んだ話とはならなかった。うわべだけで、大部分は飯尾氏が話して終わり。
神秘体験とは何かと尋ねても、毎日毎日が神秘体験と称して終わり。
要するに飯尾氏はグルではない。クリシュナムルティ流を通した。自分で考え抜けと。言ってることは正しいかもしれないが、我々は「手がかり」「ヒント」というか、そういったものがなければどうしようもない。他では、それを明示している。




[25825] 印可証明 投稿者:無明 投稿日:2018/08/25(Sat) 09:47  

渡辺充氏とは

ウィキより

「1950年生まれ。1974年東京大学理学部物理学科卒業後、同年4月に三菱商事入社。2001年1月退社。主にIT・教育関連の複数社の役員を経て、現在会社役員。

1980年に坐禅を始め、2003年に曹洞宗、原田祖岳禅師門下、佐藤正真老師より印可証明を受ける。その後も参禅中。

現在、KB会(クリシュナムルティvsデビッド・ボームの会)を主宰し、主にJ・クリシュナムルティとD・ボームの対談集『時間の終焉』をテキストにした勉強会を開いている。」

現在勉強会は中止、今も参禅中。
本筋は「禅」。たまたま縁あってクリシュナムルティの翻訳をしたが、クリシュナムルティなど問題にしていない。
方法無くして真理に到達しえない。師がいらぬというのは極論。
Kの問題点は、多々あるが、肉体面の言及がない。人間の根源である
感情のコントロールについての言及もなし。一切喝采「思考」という言葉にくくりつけてしまうことに無理がある。Kは肝心なことになると言葉をぼかしてしまう。ボームとの対話で明らか。しどろもどろになる。たとえばアラウンドとは何かとボームに尋ねられても、明確に答えられない。

その渡辺氏に対して「罠に陥っている」とは笑止千万。
仏教の世界で、印可証明を受けるというには、とんでもないことだ。
そのお方に対して、真理がわかってないとでもいいたいようだ。しかも本人にあったこともない。いった何様のつもりだろう。
沖縄の孤島にあって情報を得るのは本と ネットだけ。
外に出て生身のクリシュムルティ関係者と会わなければ、Kの本当のことはわからぬ。誇大妄想もほどがある。
インドにもアメリカにも行ったことがない。
全くの「クリシュナムルティ教」の信者。大野龍一氏からいわせると、このような人を「クリシュナムルティ病」と呼んでいる。

繰り返すと渡辺氏が罠に陥っているというのは、ふざけた一文。
人のことより、心理的に罠に陥っているのは、宮啓まさに「お前」の方だろう。


[25824] Re:[25822] [25821] [25818] [25817] [25816] [25815] [25814] 既知からの自由9−1 投稿者:宮啓 投稿日:2018/08/24(Fri) 22:42  

> > > > > > > 9章ー1[時間・悲しみ]
>
>
> > >  >内的に立ち止まる−−、これは過去、何千年もの間、取り組まれてきたスピリチュアル的な事柄です。しかし、この取り組みはどこにも辿り着かないことが、クリシュナムルティによって、『時間の終焉』にて陳述されています。
> >
> >
> > ここを読んで驚きました。>内的に立ち止まる−− これは「既知からの自由」のいま読んでいるところで、クリシュナムルティが言っていることではないですか? しかしこの取り組みはどこにもたどり着かない? Kが後年『時間の終焉』の中で否定したと? 俗流瞑想が効果をもたらさなかったという事なら分かります。そういう文脈なのでしょうか?
> >
> > >  これが、渡辺さんが陥った罠です。
> > >
> > >  その対応についても、『時間の終焉』にてクリシュナムルティによって陳述されています。
> > >
> > >  結局は、『時間の終焉』の理解が不可欠となることでしょう。
> >
> > ともかく『時間の終焉』を探し出して読んでみますが、いったいどんな罠なのだろうか? はっきりさせる必要があります。
>
>
> 以下自己レスです。『時間の終焉』を見つけ、今第1章を読んだところです。
>
> 第1章で初めて目が開け、クリシュナムルティ理解の骨格がわかりました。
>
> 動物はサピエンスのような記憶を持たず、秩序がありました。
> サピエンスは記憶を持ち、時間(過去・現在・未来)の中で生きるようになり、外的世界の中で現在の文明、文化を造り出しました。
>
> 他方内的世界に心理的時間=ビカミングからなる思考を持ち込んだために、矛盾、葛藤、混乱、対立、抗争が生じ、秩序は失われました。
> 内的な精神の世界では、直観、洞察、即時の理解でしか問題は解決できないのです。
>
> 心理的知識、経験はすべて心理的時間(罠)です。


 そのようなことで、私はネアンデルタール人に興味をもったのです。

 ネアンデルタール人の社会組織は、大家族程度(20〜30人)に留まっていたことが、先日のNHK特集で放映されました(ゴトさんもこれを視聴したとのことでした)。

 すなわち、ネアンデルタール人の「組織化」は、本能的な範囲での必要最小限に留まっているのです。

 とても家族的ないい雰囲気を感じ、愛着を誘います。

 本当のところは不確定ですが・・。


> どうもありがとうございました。


[25823] Re:[25821] [25818] [25817] [25816] [25815] [25814] 既知からの自由9−1 投稿者:宮啓 投稿日:2018/08/24(Fri) 22:36  

> > > > > > 9章ー1[時間・悲しみ]
>
>
> >  思考があるとき、その心理のより深いところの運動に気づくことはできない。
> >
> >  その心理のより深いところに運動(意識されないうちは無意識と呼ばれる隠れた思考)があれば、それよりも更に深いところにある運動に気づくことはできない。
> >
> >  人は、それよりも更に深いところにある運動がビカミングしていることに気づくことができるのだろうか。。
> >
> >  人は、そのような気づきに乏しい場合において、>今のリアルな問題−−を理解できるのでしょうか。
>
>
> 気づけない時はあきらめるしかないでしょう。気づけないことはないことと同じですから。


 「気づけないことは無いことと同じ」、これは性急な結論付けではないでしょうか。
 地球の裏側の出来事に気づくことができないのだから、それは「無い」と結論付けるのではなく、「不確定」でよいのではないでしょうか。。


> ただ身体の運動はどの筋肉をどう動かそうと意識しないでも無意識で事が足ります。計らいなしで用が足ります。だから思考は意味がないのかもしれません。これは盤珪禅師の悟りのようです。必要なことは静かにしていると気づくかも。鳥の鳴き声に気づくように。
>
>
> > > 分けるというのは過去現在未来のことではないのですか? 自我の終焉とは本の題名でなく自他の全き終焉ですか? 自他があって差別なしにいることでいいですか? いつも忘我でいなければなりませんか? 空気を読めることは敏感ないいことですか?
> > >  おかしいな、これが白昼夢というものかな、自信がなくなった。
> >
> >
> >  これらのことについては『時間の終焉』にて、ボームとの対話が収録されています。
> >
> >  最終的には、『時間の終焉』におけるクリシュナムルティの陳述内容の理解が不可欠となるように思えます。
>
>
> そうですか、読んでみようとして捜したのですが、『自我の終焉』が見つかりません。そのうち捜して読みます。
>
>
> >  「無意識がない」ということは、表面が静かになれば、深層が知覚できるという意味として受け取っています。
> >  すなわち、「無意識」は知覚されればもはや無意識ではなく「意識」であるということです。
>
>
> これはやや難しい問題です。健康な時は体のことなど意識しないが具合が悪いと気づきます。気づきは必要があるときと必要なものがあるように思います。それが受動的に行われたり、能動的に探したりする。
>
>
> >  >内的に立ち止まる−−、これは過去、何千年もの間、取り組まれてきたスピリチュアル的な事柄です。しかし、この取り組みはどこにも辿り着かないことが、クリシュナムルティによって、『時間の終焉』にて陳述されています。
>
>
> ここを読んで驚きました。>内的に立ち止まる−− これは「既知からの自由」のいま読んでいるところで、クリシュナムルティが言っていることではないですか? しかしこの取り組みはどこにもたどり着かない? Kが後年『時間の終焉』の中で否定したと? 俗流瞑想が効果をもたらさなかったという事なら分かります。そういう文脈なのでしょうか?
>
> >  これが、渡辺さんが陥った罠です。
> >
> >  その対応についても、『時間の終焉』にてクリシュナムルティによって陳述されています。
> >
> >  結局は、『時間の終焉』の理解が不可欠となることでしょう。
>
> ともかく『時間の終焉』を探し出して読んでみますが、いったいどんな罠なのだろうか? はっきりさせる必要があります。


[25822] Re:[25821] [25818] [25817] [25816] [25815] [25814] 既知からの自由9−1 投稿者:ゴト 投稿日:2018/08/24(Fri) 21:26  

> > > > > > 9章ー1[時間・悲しみ]


> >  >内的に立ち止まる−−、これは過去、何千年もの間、取り組まれてきたスピリチュアル的な事柄です。しかし、この取り組みはどこにも辿り着かないことが、クリシュナムルティによって、『時間の終焉』にて陳述されています。
>
>
> ここを読んで驚きました。>内的に立ち止まる−− これは「既知からの自由」のいま読んでいるところで、クリシュナムルティが言っていることではないですか? しかしこの取り組みはどこにもたどり着かない? Kが後年『時間の終焉』の中で否定したと? 俗流瞑想が効果をもたらさなかったという事なら分かります。そういう文脈なのでしょうか?
>
> >  これが、渡辺さんが陥った罠です。
> >
> >  その対応についても、『時間の終焉』にてクリシュナムルティによって陳述されています。
> >
> >  結局は、『時間の終焉』の理解が不可欠となることでしょう。
>
> ともかく『時間の終焉』を探し出して読んでみますが、いったいどんな罠なのだろうか? はっきりさせる必要があります。


以下自己レスです。『時間の終焉』を見つけ、今第1章を読んだところです。

第1章で初めて目が開け、クリシュナムルティ理解の骨格がわかりました。

動物はサピエンスのような記憶を持たず、秩序がありました。
サピエンスは記憶を持ち、時間(過去・現在・未来)の中で生きるようになり、外的世界の中で現在の文明、文化を造り出しました。

他方内的世界に心理的時間=ビカミングからなる思考を持ち込んだために、矛盾、葛藤、混乱、対立、抗争が生じ、秩序は失われました。
内的な精神の世界では、直観、洞察、即時の理解でしか問題は解決できないのです。

心理的知識、経験はすべて心理的時間(罠)です。

どうもありがとうございました。


[25821] Re:[25818] [25817] [25816] [25815] [25814] 既知からの自由9−1 投稿者:ゴト 投稿日:2018/08/24(Fri) 16:08  

> > > > > 9章ー1[時間・悲しみ]


>  思考があるとき、その心理のより深いところの運動に気づくことはできない。
>
>  その心理のより深いところに運動(意識されないうちは無意識と呼ばれる隠れた思考)があれば、それよりも更に深いところにある運動に気づくことはできない。
>
>  人は、それよりも更に深いところにある運動がビカミングしていることに気づくことができるのだろうか。。
>
>  人は、そのような気づきに乏しい場合において、>今のリアルな問題−−を理解できるのでしょうか。


気づけない時はあきらめるしかないでしょう。気づけないことはないことと同じですから。

ただ身体の運動はどの筋肉をどう動かそうと意識しないでも無意識で事が足ります。計らいなしで用が足ります。だから思考は意味がないのかもしれません。これは盤珪禅師の悟りのようです。必要なことは静かにしていると気づくかも。鳥の鳴き声に気づくように。


> > 分けるというのは過去現在未来のことではないのですか? 自我の終焉とは本の題名でなく自他の全き終焉ですか? 自他があって差別なしにいることでいいですか? いつも忘我でいなければなりませんか? 空気を読めることは敏感ないいことですか?
> >  おかしいな、これが白昼夢というものかな、自信がなくなった。
>
>
>  これらのことについては『時間の終焉』にて、ボームとの対話が収録されています。
>
>  最終的には、『時間の終焉』におけるクリシュナムルティの陳述内容の理解が不可欠となるように思えます。


そうですか、読んでみようとして捜したのですが、『自我の終焉』が見つかりません。そのうち捜して読みます。


>  「無意識がない」ということは、表面が静かになれば、深層が知覚できるという意味として受け取っています。
>  すなわち、「無意識」は知覚されればもはや無意識ではなく「意識」であるということです。


これはやや難しい問題です。健康な時は体のことなど意識しないが具合が悪いと気づきます。気づきは必要があるときと必要なものがあるように思います。それが受動的に行われたり、能動的に探したりする。


>  >内的に立ち止まる−−、これは過去、何千年もの間、取り組まれてきたスピリチュアル的な事柄です。しかし、この取り組みはどこにも辿り着かないことが、クリシュナムルティによって、『時間の終焉』にて陳述されています。


ここを読んで驚きました。>内的に立ち止まる−− これは「既知からの自由」のいま読んでいるところで、クリシュナムルティが言っていることではないですか? しかしこの取り組みはどこにもたどり着かない? Kが後年『時間の終焉』の中で否定したと? 俗流瞑想が効果をもたらさなかったという事なら分かります。そういう文脈なのでしょうか?

>  これが、渡辺さんが陥った罠です。
>
>  その対応についても、『時間の終焉』にてクリシュナムルティによって陳述されています。
>
>  結局は、『時間の終焉』の理解が不可欠となることでしょう。

ともかく『時間の終焉』を探し出して読んでみますが、いったいどんな罠なのだろうか? はっきりさせる必要があります。


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