雑感
[トップに戻る] [留意事項] [ワード検索] [管理用]
おなまえ
Eメール メールアドレスは入力禁止
タイトル
コメント 【コメント中のURLは先頭のhを抜いて書き込んで下さい。】
コメント中には参照先URLと同じURLを書き込まないで下さい
参照先
暗証キー (記事メンテ用)

[25631] Re:[25629] [25628] [25627] [25622] 葛藤なしに見る?という幻想 投稿者:ゴト 投稿日:2018/07/11(Wed) 11:03  

> 問題をすり替えましたね。今、普遍的なテーマ、嫉妬の感情について、検討しようとしている。
> 自分の妻がよその男と浮気したとき、どんな気持ちになるか。実際に体験がなくても、誰でも状況がわかる話。
> 普通なら、その相手に「敵対心」が起きるということ。
>
> ここで一体何が起きるか。観察者とは何か、全注意とはどういうことかという話。


そういう話をすると、一向にリアルな話にならず、気づきを議論していた、車が山羊を引いたのに気づかない紳士たちのようになってしまう。まあ同思の人とやってみてください。

> もし、こうしたリアルな問題に対して取り上げたくないというならこの件は無視してください。

私はリアルに答えたが、これで満足できないなら、実は思考の道を求めているのではないか。嫉妬が実際に生じたら、その動静に気づきながらその場にいるしかないと思うよ。

議論は好きな人やればいいが、少なくともその前提として、彼女と彼氏の間に所有、依存、支配関係があるかないか、対等の立場があるかないか、それらがどう絡んでいるかぐらいは示してね。

>
> つまり、こうしたことは経験がない。その時になってみなければわからないので検討しない。つまり何言っても想像になるから。事実と違う。

私はリアルな話をしているぜ。個人的な事情は抜かしたけれど。


[25630] ふと?やx 投稿者:無明 投稿日:2018/07/11(Wed) 11:02  

> >  したがって、外の現にあるものを、そのまま見ることはできず、内面にある現にあるものを、そのまま見ることができないようです。

ここでいう「内」「外」って何ですか。
脳内現象に内も外もないでしょう。すべて頭の中の話なのだから。
つまり思考が発するのは頭の中。だから脳内現象。
> > >
> > >  このフィルターすなわち条件付けを見ることができるか。


条件付けを見る、ということではなく、条件付けに気付けるかどうか。
> >
> > 条件付けはいつか必ず発動します。その一瞬は条件付けの生の姿がいやおうなしに出ます。それに気づく。

気づくも何も 、自分の妻が浮気したら烈火のごとく怒ります。当然だ。
> >
> > 条件付けが今思考によって練って、練って、練り上げて出ている時は思考に覆われて直接見れません。


思考に覆われて直接見えない。どういうこと?

>観察者は思考者なのです。

観察者は思考者?

自分の妻が浮気した時、烈火のごとく怒る夫の思考が観察者ですか?

(注 )
平和な家庭を営んでいるあなたにとって不愉快かもしれないが、普遍的なテーマとして、わかりやすい例を出している。あなたには関係ないかもしれないが、私自身、何組もそう言った例を知っている。世の中平和な家庭ばかりではない。
私がもしそういう立場になれば腹わらが煮え繰りかえるいうこと。
即刻、荷物をまとめてお引き取り願う。


>しかし、感情が、思考が形づくる間もなく飛び出るとき(以前本音が飛び出すときと書きました)、

裏切った妻に罵声を浴びせます。つまり本音をいう。

(注)一つの例です。2時間ドラマでよくあるシーン


>いやでも直視されてしまいます。見えてしまいます。

何が?

>これがチャンスです。それは図らずしてやってきます。不図(ふと)やってきます。予期することなしにやってきます。だからあるがままの姿を見ることができます。


ここは全く意味がわかりません。何か話がいっきょに飛躍しているように感じられます。

あなたの独自な個人的な体験でしょうか。
いったいどういう状況のとき、そういった体験が出て来るのでしょうか。以前お話されたタバコが止まった経験でしょうか。

何が「ふと」してやって来るのでしょうか?
さっぱりわかりません。クリシュナムルティの探求者何人か聞いてますが、そのような話は聞いたことがない。
やはり、あなたの独自な経験としか言いようがないです。
>
>
>  それは条件づけられた感情ではないでしょうか。


>ええと、今現に出た生のものを名付けずに見ているわけですね。それは一瞬に出て終わる叫びです。

現実には名付けてしまうでしょう。
例えば自分の妻と恋仲になった男に
「何やってんだ、この野郎!!人の女房に手を出しやがってうんぬん」などなど。
この時の心情がわかるでしょう。憤懣やるかたない気持ち。

>事後に伝達するために言えば鋭い尖った声音、語調です。普通他人がいる時は言葉は柔らかく取り繕って話します。そうではなく、それなしに飛び出てしまった生の本音。そのときそれは条件付けられているかもしれないし、感情交じりの心理的思考かもしれないが、名付けられていないリアルな何かをじかに見たのです。それが理解と変容を自分にもたらし、そしてその場にいる人全部に伝わり、雰囲気の変化があります。

理解と変容?
何で?
自分の妻の浮気を容認することが「変容」ですか?
浮気は事実。その時のリアルタイムの反応。その時に起きる思考感情は過去の記憶の反応ですか?だから事実ではない。現場でそうやって割り切れるものだろうか。名付けたものは、死んだもので事実ではない、と。
何か妙ですね。腑に落ちません。
だいたい葛藤というのは、起きる元は「人間関係」です。とくに男女関係。その問題を素通りすることは真理もへったくれもないとある人が言ってました。
クリシュナムルティに言わせれば、言葉、記憶は「死んだもの」「無機質なもの」らしい。
しかし、記憶から繰り出される「言葉」はリアルタイムのエネルギーである。日本では古来「言霊」というのがある。
まさに聖書の「初めに言葉ありき」。






[25629] Re:[25628] [25627] [25622] 葛藤なしに見る?という幻想 投稿者:無明 投稿日:2018/07/11(Wed) 10:03  

> > 刺激が強ければ次の例でいい。自分の好きな女性が、よそのイケメン男性と仲良く話している時、なんともいえない嫉妬の感情が噴出しする。誰しも経験があるはずだ。とくに学生時代。
>
>
> 若くて恋に落ちる時、彼女が仲間のパーティに行ってダンスをして過ごすというだけで、悶々として一夜を明かす。その感情と苦しさはよく知っている。
>
> もちろんまだKもユングも盤珪禅師も何も知らない時の話。
>
> 彼女を手に入れれば一生そのたぐいの彼女と男の何でもない交友は続くのは決まりきったこと。そして知らない誰かと一線を越えるようなことがあるかもしれないという事も、彼女が人間ならば起こって不思議はないこともわかっている。
>
> 嫉妬の問題だけでなく、結婚するとき身分のつり合いがどうかも考えた。つまりどちらが得をするかを。損をしたら大損だと。
>
> こんなことは考えて決着のつくことではない。
>
> 結局のところ、二人はお互いがお互いと一緒にいたいことを自覚というか、悟り、損得抜きに、誰とどうなろうがそれ抜きに、彼女が去らないなら面倒を見ると心に決めた。それは言葉に出して言ったわけではないが、ちゃんと伝わった。
>
> その時から、二人の間には損得も嫉妬も未来を恐れるとか、世間の見る目を恐れるという意味での恐怖もなかった。
>
>
問題をすり替えましたね。今、普遍的なテーマ、嫉妬の感情について、検討しようとしている。
自分の妻がよその男と浮気したとき、どんな気持ちになるか。実際に体験がなくても、誰でも状況がわかる話。
普通なら、その相手に「敵対心」が起きるということ。

ここで一体何が起きるか。観察者とは何か、全注意とはどういうことかという話。

もし、こうしたリアルな問題に対して取り上げたくないというならこの件は無視してください。

つまり、こうしたことは経験がない。その時になってみなければわからないので検討しない。つまり何言っても想像になるから。事実と違う。



[25628] Re:[25627] [25622] 葛藤なしに見る?という幻想 投稿者:ゴト 投稿日:2018/07/10(Tue) 17:57  

> 刺激が強ければ次の例でいい。自分の好きな女性が、よそのイケメン男性と仲良く話している時、なんともいえない嫉妬の感情が噴出しする。誰しも経験があるはずだ。とくに学生時代。


若くて恋に落ちる時、彼女が仲間のパーティに行ってダンスをして過ごすというだけで、悶々として一夜を明かす。その感情と苦しさはよく知っている。

もちろんまだKもユングも盤珪禅師も何も知らない時の話。

彼女を手に入れれば一生そのたぐいの彼女と男の何でもない交友は続くのは決まりきったこと。そして知らない誰かと一線を越えるようなことがあるかもしれないという事も、彼女が人間ならば起こって不思議はないこともわかっている。

嫉妬の問題だけでなく、結婚するとき身分のつり合いがどうかも考えた。つまりどちらが得をするかを。損をしたら大損だと。

こんなことは考えて決着のつくことではない。

結局のところ、二人はお互いがお互いと一緒にいたいことを自覚というか、悟り、損得抜きに、誰とどうなろうがそれ抜きに、彼女が去らないなら面倒を見ると心に決めた。それは言葉に出して言ったわけではないが、ちゃんと伝わった。

その時から、二人の間には損得も嫉妬も未来を恐れるとか、世間の見る目を恐れるという意味での恐怖もなかった。

そんな問題は越えて結婚してほしい。



[25627] Re:[25622] 葛藤なしに見る?という幻想 投稿者:無明 投稿日:2018/07/10(Tue) 11:58  

> 自分の妻が、よその男と浮気する。これこそ葛藤にふさわしい題材は他にない。逆に男性側がよその女性と浮気する例は枚挙にいともがない。女性側の心情は知る由もないが、たいていは「泣き寝入り」になるのがおちだろう。
>
> 例えば、ゴートバルが自分の妻をクリシュナムルティに寝取られたのは有名な話。ゴートパルは、その事実を聞いた時、クリシュナムルティに対して怒りに震えたという。詳細は避けるが、世間でもよくある話。
> 妻が浮気されたとき、平然といられる亭主がどこにいるのか!
> 聖人君子じゃあるまいし。ある意味妻の裏切りである。
> まずは怒りに震えるだろう。妻に対し、あるいは浮気相手に対してだ。
> 極端に言えば殺してやりたいくらいの感情が噴出するだろう。
> 葛藤なしに見るとはよくいえたものだ。
> クリシュナムルティは口では偉そうなことをいうが、浮気された側の心情を考えたことが少しでもあるのだろうか。
> 自身の基本テーゼ
> 「観察者は観察されるもの」
> を先程の例に当てはめ、クリシュナムルティは具体的に説明したことがあるのだろうか。
> 読者に対し納得した説明ができるのか。
> でなければ文字どうり絵に描いた餅である。

Kの信奉者たちは、自分の妻が浮気した件に関し
「経験がない」「そのときになってみなければわからない」などと逃げ口上をして検討から逃げる。
あげくはプライバシーの保護とか個人情報などと言い出すには何おか言わんや。あらゆる言い訳をして、真剣に検討しようとはしない。
自分の妻が浮気するというには、その時のことを想像すれば、誰でもおおよそ検討がつくだろう。
そのとき、どう自分が振る舞うのか?
刺激が強ければ次の例でいい。自分の好きな女性が、よそのイケメン男性と仲良く話している時、なんともいえない嫉妬の感情が噴出しする。誰しも経験があるはずだ。とくに学生時代。
その男を殴ってやりたいという感情だ。非難正当化の嵐が吹く。

クリシュナムルティに言わせれば、その男を殴ってやりたいという感情というのは、過去の経験記憶から来るという。だから何だ。殴ってやりたいというにはリアルタイムの感情である。
名付けなければ葛藤は起きない?
自分の妻が浮気したことが事実である。その時起きる反応に名付けなければ葛藤は起きないというのだろうか?
私にはたわごととしか思えない。じっと我慢というのがオチ。帰って鬱積し感情が爆発するだろう。
K自身も、怒りを言葉なしに直面する人は、ほとんどいないと言っている。だったらできないと同じだろう。
葛藤なしに見る。思考なしに見る、ただ見るというのは不可能。
繰り返すと、自分の妻が浮気したという時、自身にリアルタイムの反応が起きる。思考が素早く反応し、いざ葛藤がリアルタイムで起きてるという時、何で「葛藤なしに見る」ことが可能なのか?これほどの矛盾はない。
殴ってやりたいという感情が起きてるときにだ。



[25626] 既知からの自由 4−1 投稿者:ゴト 投稿日:2018/07/10(Tue) 09:02  

4章 [快楽の追求・欲望・思考による歪曲]

前の章で喜びは快楽とは全く違った何かだと言いました。そこで快楽には何が含まれているか、また快楽ではなく、喜び、至福の途方もない感覚の世界に生きることが、果たして可能かどうか見いだしましょう。

 私たちはみな何らかの形で快楽の追求に携わっています ― 知的な、感覚的あるいは文化的快楽、改革し、他人に何をすべきか教え、社会の悪を修正し、よいことを行う快楽 ― より多くの知識の快楽、より多くの肉体的満足、より大きな経験、より偉大な生の理解、利口で抜け目のない心の物事のすべて ― そして究極の快楽は、もちろん、神を持つことです。

 快楽は社会の構造です。子供の時から死ぬまで、私達は密かに、抜目なく、あるいはあからさまに快楽を追求しています。ですから快楽の形が何であれ、それが人生を導き形作るので、それについて非常に明確でなければならないと私は考えます。したがって私達の一人一人がこの快楽の問題を、綿密に、ためらいながら、細心の注意をして調べることが重要です。というのは快楽を見いだし、そしてそれを育て維持することは生の基本的要求であり、それなしでは生きることは退屈で、馬鹿げて、単独で、無意味になるからです。

 ではなぜ生は快楽によって導かれるべきではないのかとあなたは尋ねるかも知れません。それは快楽は苦痛、欲求不満、悲しみ、そして恐怖をもたらし、そして、その恐怖から暴力をもたらすに違いないという非常に簡単な理由からです。もしそのように生きたいなら、そのように生きなさい。世界の大多数は、ともかく、そうします。しかし悲しみから自由でありたいなら快楽の構造の全体を理解しなければなりません。

 快楽を理解することはそれを否定することではありません。快楽を非難したり、それが正しいとか間違っているとか言っているのではなく、快楽を求めるならいつも快楽を探し求めている心は不可避的にその影、苦痛を見いださなければならないことを知って、両目を開けて、そうしましょう。私達は快楽を追いかけ、苦痛を避けようと努めますが、快楽と苦痛は分離することはできません。


 さてなぜ心は常に快楽を要求しているのでしょうか? なぜ私達は快楽の底流のもとに高貴なあるいは下劣なことをするのでしょうか? なぜ私達は快楽の細い糸の上で犠牲を供し、苦しむのでしょうか? 快楽とは何であって、それはどんなふうに生じるのでしょうか? 誰か自分自身にこれらの問いを尋ねて、答えをその最後まで追ったことがあるのかどうか、私は疑問に思います。

 快楽は四つの段階 ― 知覚、感覚、接触、欲望、を通じて生じます。私は美しい自動車を見ます。次にそれを見て感覚、反応を得ます。それからそれに触り、またはそれに触ることを想像し、そして次には所有しその中の自分を見せびらかそうとする欲望があります。あるいは美しい雲を見ます。あるいは空にくっきりとそびえたつ山、春に芽吹いたばかりの木の葉、魅力と壮麗さに満ちた深い峡谷、素晴らしい夕焼け、あるいは美しい顔、聡明で、生き生きして、自分を意識してそれゆえもはや美しくないのではなく。私はこれらのものを強い歓喜を持って見、そしてそれらを観察するとき観察者はなくただ愛のような純粋の美があるだけです。一瞬、すべての問題、心配、惨めさを抱える私は不在です ― あの素晴らしいものがあるだけです。私はそれを喜びを持って見ることができ、次の瞬間それを忘れます。そうでなければ心が入り込み、それから問題が始まります。私の心は見たものを思い巡らしそれはいかに美しかったか考えます。それをまた見たいと何度も自分自身に話します。思考は比較、判断をし始め、「私は明日また同じ経験をしなければ」と言います。瞬間的に歓喜を与えた経験の継続が、思考によって維持されます。

 静的な欲望あるいはどんな形のほかの欲望についても同じです。欲望に何も間違ったことはありません。反応することは完全に正常です。もしあなたが私にピンを刺すならマヒしていない限り私は反応するでしょう。しかしその後で思考が入り込み、喜びをよく考え、それを快楽に変えます。思考は経験を繰り返そうと望み、繰り返せば繰り返すほど、それはますます機械的になります。それについて考えれば考えるほど、思考はますます快楽に強さを与えます。それゆえ思考は欲望を通じて快楽をつくりだして維持し、それに継続性を与え、したがって美しいものに対する欲望の自然な反応は、思考によって歪曲されます。思考はそれを記憶に変え、そして記憶はその後何度もそれについて考えることによって強められます。

 もちろん記憶はあるレベルの持ち場があります。毎日の生活において記憶がなければ全く機能できません。それ自体の場の中ではそれは効率的であるに違いありませんが、記憶の持ち場が殆どない心の状態があります。記憶によって損なわれていない心は真の自由を持っています。

(続く)


[25625] Re:[25623] [25619] [25616] [25614] [25609] Timeless Stillness より 投稿者:ゴト 投稿日:2018/07/09(Mon) 22:09  

> > > > 命名が古い軌道を走り出すきっかけなのだ!とKが言います。
> > > >
> > > > 名づけずに見ている。これが第一の関門ですが、これはコメントとしてはっきりしています。
> > > >
> > > > 名づけることなしに見ていることは困難だと言われればそうですが…
> > > >
> > > > > ここに感情があります。それは事実です。精神はその事実になんらかの用語や、意見や、評価や、非難がましい態度をもってアプローチします。それらは死んだものです。理解できますか? それらは死んでいるものです。何の価値もありません。それらはただの記憶、その事実のうえで働く記憶です。
> > > >
> > > > どうしても名づける前の嫉妬の感情の噴出に気づく! その時何が起こるかわかりませんが、それこそが多分唯一の入口でしょう。ここから先に進みましょう。
> > > >
> > > > > Bombay 8th Public Talk 28th March 1956
> > >
> > >
> > >  「条件付け」が目に見えるもの、内面で感じられるものにフィルターをかけているようです。。
> > >
> > >  したがって、外の現にあるものを、そのまま見ることはできず、内面にある現にあるものを、そのまま見ることができないようです。
> > >
> > >  このフィルターすなわち条件付けを見ることができるか。
> >
> > 条件付けはいつか必ず発動します。その一瞬は条件付けの生の姿がいやおうなしに出ます。それに気づく。
> >
> > 条件付けが今思考によって練って、練って、練り上げて出ている時は思考に覆われて直接見れません。観察者は思考者なのです。しかし、感情が、思考が形づくる間もなく飛び出るとき(以前本音が飛び出すときと書きました)、いやでも直視されてしまいます。見えてしまいます。これがチャンスです。それは図らずしてやってきます。不図(ふと)やってきます。予期することなしにやってきます。だからあるがままの姿を見ることができます。
>
>
>  それは条件づけられた感情ではないでしょうか。

ええと、今現に出た生のものを名付けずに見ているわけですね。それは一瞬に出て終わる叫びです。事後に伝達するために言えば鋭い尖った声音、語調です。普通他人がいる時は言葉は柔らかく取り繕って話します。そうではなく、それなしに飛び出てしまった生の本音。そのときそれは条件付けられているかもしれないし、感情交じりの心理的思考かもしれないが、名付けられていないリアルな何かをじかに見たのです。それが理解と変容を自分にもたらし、そしてその場にいる人全部に伝わり、雰囲気の変化があります。


私はこの感じをリアルに伝えられないかとトライしています。名づけや分別のまったくなしの場があることを分かってほしいのです。


>  「条件づけられた感情」として、あるがままに見る。なら、分かりますが・・。
>
>  その感情は現にあるものに触れての感情ではなく、条件づけられた感情ではないでしょうか。
>
>  『ボームの思考論』は、これに触れていて、知覚はすでに条件づけられており、現にあるものを知覚することはできない旨が述べられています。
>
>  クリシュナムルティは感情と思考を区別していません。両方とも機械的運動として捉えられています。
>
>  すなわち、脳機能なしに感情はないということです。
>
>  感情は思考と同様に、不確かなのではないでしょうか。
>
>  知覚が不確かであるのと同じように。
>
>  『思考の限界』でも、同様な主旨が述べられています。


[25624] Re:[25620] [25619] [25616] [25614] [25609] Timeless Stillness より 投稿者:宮啓 投稿日:2018/07/09(Mon) 19:39  

> > 条件付けはいつか必ず発動します。その一瞬は条件付けの生の姿がいやおうなしに出ます。それに気づく。
> >
> > 条件付けが今思考によって練って、練って、練り上げて出ている時は思考に覆われて直接見れません。観察者は思考者なのです。しかし、感情が、思考が形づくる間もなく飛び出るとき(以前本音が飛び出すときと書きました)、いやでも直視されてしまいます。見えてしまいます。これがチャンスです。それは図らずしてやってきます。不図(ふと)やってきます。予期することなしにやってきます。だからあるがままの姿を見ることができます。
>
>
> この時の見る自分は断片化していないんだ。全体として見ているんだ。歪みなしに!(投稿した瞬間にわかりました)


 それが「注意」の意味なのかもしれません。。


[25623] Re:[25619] [25616] [25614] [25609] Timeless Stillness より 投稿者:宮啓 投稿日:2018/07/09(Mon) 19:36  

> > > 命名が古い軌道を走り出すきっかけなのだ!とKが言います。
> > >
> > > 名づけずに見ている。これが第一の関門ですが、これはコメントとしてはっきりしています。
> > >
> > > 名づけることなしに見ていることは困難だと言われればそうですが…
> > >
> > > > ここに感情があります。それは事実です。精神はその事実になんらかの用語や、意見や、評価や、非難がましい態度をもってアプローチします。それらは死んだものです。理解できますか? それらは死んでいるものです。何の価値もありません。それらはただの記憶、その事実のうえで働く記憶です。
> > >
> > > どうしても名づける前の嫉妬の感情の噴出に気づく! その時何が起こるかわかりませんが、それこそが多分唯一の入口でしょう。ここから先に進みましょう。
> > >
> > > > Bombay 8th Public Talk 28th March 1956
> >
> >
> >  「条件付け」が目に見えるもの、内面で感じられるものにフィルターをかけているようです。。
> >
> >  したがって、外の現にあるものを、そのまま見ることはできず、内面にある現にあるものを、そのまま見ることができないようです。
> >
> >  このフィルターすなわち条件付けを見ることができるか。
>
> 条件付けはいつか必ず発動します。その一瞬は条件付けの生の姿がいやおうなしに出ます。それに気づく。
>
> 条件付けが今思考によって練って、練って、練り上げて出ている時は思考に覆われて直接見れません。観察者は思考者なのです。しかし、感情が、思考が形づくる間もなく飛び出るとき(以前本音が飛び出すときと書きました)、いやでも直視されてしまいます。見えてしまいます。これがチャンスです。それは図らずしてやってきます。不図(ふと)やってきます。予期することなしにやってきます。だからあるがままの姿を見ることができます。


 それは条件づけられた感情ではないでしょうか。

 「条件づけられた感情」として、あるがままに見る。なら、分かりますが・・。

 その感情は現にあるものに触れての感情ではなく、条件づけられた感情ではないでしょうか。

 『ボームの思考論』は、これに触れていて、知覚はすでに条件づけられており、現にあるものを知覚することはできない旨が述べられています。

 クリシュナムルティは感情と思考を区別していません。両方とも機械的運動として捉えられています。

 すなわち、脳機能なしに感情はないということです。

 感情は思考と同様に、不確かなのではないでしょうか。

 知覚が不確かであるのと同じように。

 『思考の限界』でも、同様な主旨が述べられています。


[25622] 葛藤なしに見る?という幻想 投稿者:無明 投稿日:2018/07/09(Mon) 19:24  

自分の妻が、よその男と浮気する。これこそ葛藤にふさわしい題材は他にない。逆に男性側がよその女性と浮気する例は枚挙にいともがない。女性側の心情は知る由もないが、たいていは「泣き寝入り」になるのがおちだろう。

例えば、ゴートバルが自分の妻をクリシュナムルティに寝取られたのは有名な話。ゴートパルは、その事実を聞いた時、クリシュナムルティに対して怒りに震えたという。詳細は避けるが、世間でもよくある話。
妻が浮気されたとき、平然といられる亭主がどこにいるのか!
聖人君子じゃあるまいし。ある意味妻の裏切りである。
まずは怒りに震えるだろう。妻に対し、あるいは浮気相手に対してだ。
極端に言えば殺してやりたいくらいの感情が噴出するだろう。
葛藤なしに見るとはよくいえたものだ。
クリシュナムルティは口では偉そうなことをいうが、浮気された側の心情を考えたことが少しでもあるのだろうか。
自身の基本テーゼ
「観察者は観察されるもの」
を先程の例に当てはめ、クリシュナムルティは具体的に説明したことがあるのだろうか。
読者に対し納得した説明ができるのか。
でなければ文字どうり絵に描いた餅である。


[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69] [70] [71] [72] [73] [74] [75] [76] [77] [78] [79] [80] [81] [82] [83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90] [91] [92] [93] [94] [95] [96] [97] [98] [99] [100]

処理 記事No 暗証キー
- LightBoard - Modified by isso