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[24642] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/10/08(Sun) 14:56  

Kの、何故退屈のままでいなのか?という問いかけに自分を見つめることの怖さというものを読んで、実際に実践してみました。

なんせ経済的には困らない富裕層の独り身。
知足という言葉を借りれば、満たされないほうがおかしい境遇。

しかし、満たされないのが今の私である。なにが満たされないのか。要は刺激の持続です。美しい女性を思い浮かべ、それを所有する。それは快楽です。テレビ、ラジオ、ネットを見る。刺激です。そして、より強い刺激へと進んでいく。
これではきりがない。
そう思い、知足ということを実践してみることにしました。

自分をみつめることに多くを費やすと、いかに自分が浅はかで自己中心的かということに気づかされ、見たくないと思う。それで、テレビを見て現実逃避。
あれやこれやの刺激で盛りだくさんの画面の中。
そうだ!マクドナルドを食いに行こう、と。
そして、コレステロールを取りすぎたといそいそウォーキングにはげむ。次の日はもっとうまいもんをとあくせく働く。そして、ウォーキング。

こんな、かごの中のネズミみたいな生活が日本中で営まれている。ひたすら、逃避する毎日。そして、いつしか精神は疲れ果て鬱になる。それでも、昔はよかったと逃避する人も多々。

なんだかなって感じの世の中で、厭世的にもならず、虚無的でもなく、自然を見つめて感動する生き生きとした精神を持てた自分は幸せだと思う。

それもこれもKの本に出会ったから。

ホモサピエンス全史でも狩猟採集から農耕になって、生活は逆に窮屈になった人が大半だったと書いてある。それもうなずける話で、周りを見渡せば今日も狂乱して買い物客で賑わう町中でした。


[24641] Re:[24638] [24637] [24635] [24633] [24628] [24626] [24625] [24624] [24623] [24621] [24616] [24614] [24613] サバイバルとは? 投稿者:宮啓 投稿日:2017/10/07(Sat) 17:59  

> 正確に言うと長時間動くと疲れるし、回復には今までより長い休養を必要とすること。まだまだ探究するし、書くぞ。
>
> その一例。私の「待つ」というのは自分の言葉で話していたが、今日読み終えた「境涯を超える英知――人間であることの核心」@で、クリシュナムルティも「待つ」という事について述べていることがわかった。291ページ以降にある。


 「待つ」を(再度)読んでみました。

 「待つ」は「結論(答え)を求めない」という意味と、もうひとつ「動機や方向をもたない」という意味が含まれているように思います。

 『境界を超える英知』p256 より引用

 あなたが動機や方向をもっているなら、「こうしなければならない」と言うなら、そのときは、完全な注意を向けることはできません――それでは、何事も起こらないでしょう。
――― 以上引用 ―――


 私は以前から本国の禅とクリシュナムルティの整合性に関心がありました。

 クリシュナムルティが本国の禅についてコメントしていないことと、渡辺氏が禅とクリシュナムルティの整合性を謳いながらも、「クリシュナムルティが述べることが起こらない」と吐露していたからである。

 この本を読んで、本国の禅とクリシュナムルティは整合性がないことに気づきつつあります。これはクリシュナムルティが常日頃から陳述していることでもあります(すべての既成の瞑想の否定)。

 渡辺さんにおいてクリシュナムルティが述べたことが起こらなかったのではなく、先に引用した「あなたが動機や方向をもっているなら、「こうしなければならない」と言うなら、そのときは、完全な注意を向けることはできません――それでは、何事も起こらないでしょう。」、これが起こったのではないでしょうか。

 すなわち、渡辺さんにおいても、クリシュナムルティが陳述していたことが正に起こっていたのです。

 これに気づいてほしいのですが・・今では連絡がとれません。

 渡辺さんにおいても、是非ともクリシュナムルティ理解に取り組み続けてほしいものです‥。


[24640] Re:[24639] [24638] [24637] [24635] [24633] [24628] [24626] [24625] [24624] [24623] [24621] [24616] [24614] [24613] サバイバルとは? 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/05(Thu) 22:34  

> > 正確に言うと長時間動くと疲れるし、回復には今までより長い休養を必要とすること。まだまだ探究するし、書くぞ。
> >
> > その一例。私の「待つ」というのは自分の言葉で話していたが、今日読み終えた「境涯を超える英知――人間であることの核心」@で、クリシュナムルティも「待つ」という事について述べていることがわかった。291ページ以降にある。
> >
> > 丁寧に書く根気がないのでそれだけ言っておきます。気が向いたら読んでみてください。個人的な経験ではないです。
> > 宮啓さんから紹介いただいたこの本は確かに異色の編集で、重要な文献です。
>
>
>  私も、とても重要な文献と感じます。
>
>  続けて読むと消化不良を起こしそうなので、休み休み、ゆっくりと読んでいます。それで、未だ読み終えていません。
>
>  クリシュナムルティを読み込んでおり、これからは読むことで大きな発見は無いだろうと思うのだが、なぜかいつも新しい、大きな発見が続出する。だから、続けて読むと消化不良を起こし、十分吸収しないまま次に進むといけないので、一晩寝て次に進む、ということをやっていました。だから、まだ読み終えていません。
>
>  生活の中で実践で確かめながら取り組む。そのような人にとって最適な本のように感じます。
>
>  私もまだまだ探求するし、書きたいと思っています。

あなたのそのセンス、感受性が素晴らしい。

私は読書会「新しい芽」で、論理的に体系的観念の構築に進むのではなく、クリシュナムルティの言う事を初めて聞くように聴くことから入ることを学びました。これを自分で学ばすという意味で新しい芽さんは偉大な教師であったし、ほかにそういう方を狭い私は知りません。

しかしこの本はそういう目で編集されていると私は感じます。これが世界の大きな流れとしてあるとき、分裂・矛盾のない社会がそこにあるでしょう。


[24639] Re:[24638] [24637] [24635] [24633] [24628] [24626] [24625] [24624] [24623] [24621] [24616] [24614] [24613] サバイバルとは? 投稿者:宮啓 投稿日:2017/10/05(Thu) 11:51  

> 正確に言うと長時間動くと疲れるし、回復には今までより長い休養を必要とすること。まだまだ探究するし、書くぞ。
>
> その一例。私の「待つ」というのは自分の言葉で話していたが、今日読み終えた「境涯を超える英知――人間であることの核心」@で、クリシュナムルティも「待つ」という事について述べていることがわかった。291ページ以降にある。
>
> 丁寧に書く根気がないのでそれだけ言っておきます。気が向いたら読んでみてください。個人的な経験ではないです。
> 宮啓さんから紹介いただいたこの本は確かに異色の編集で、重要な文献です。


 私も、とても重要な文献と感じます。

 続けて読むと消化不良を起こしそうなので、休み休み、ゆっくりと読んでいます。それで、未だ読み終えていません。

 クリシュナムルティを読み込んでおり、これからは読むことで大きな発見は無いだろうと思うのだが、なぜかいつも新しい、大きな発見が続出する。だから、続けて読むと消化不良を起こし、十分吸収しないまま次に進むといけないので、一晩寝て次に進む、ということをやっていました。だから、まだ読み終えていません。

 生活の中で実践で確かめながら取り組む。そのような人にとって最適な本のように感じます。

 私もまだまだ探求するし、書きたいと思っています。


[24638] Re:[24637] [24635] [24633] [24628] [24626] [24625] [24624] [24623] [24621] [24616] [24614] [24613] サバイバルとは? 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/04(Wed) 22:21  

> > 私も最後の説明をしました。余計なことを言ったかもしれません。勘弁してください。
>
> 「金持ちとは思っていませんが、去年あたりから急激に体力、気力ともに衰えを感じています。」
>
>  というと思考力も衰えを感じる?
>  そういうことですか。であれば、ここで対話を終わりにしましょう。
>  長い間どうも。ご自愛ください。


正確に言うと長時間動くと疲れるし、回復には今までより長い休養を必要とすること。まだまだ探究するし、書くぞ。

その一例。私の「待つ」というのは自分の言葉で話していたが、今日読み終えた「境涯を超える英知――人間であることの核心」@で、クリシュナムルティも「待つ」という事について述べていることがわかった。291ページ以降にある。

丁寧に書く根気がないのでそれだけ言っておきます。気が向いたら読んでみてください。個人的な経験ではないです。
宮啓さんから紹介いただいたこの本は確かに異色の編集で、重要な文献です。


[24637] Re:[24635] [24633] [24628] [24626] [24625] [24624] [24623] [24621] [24616] [24614] [24613] サバイバルとは? 投稿者:外野 投稿日:2017/10/04(Wed) 09:53  


> 私も最後の説明をしました。余計なことを言ったかもしれません。勘弁してください。

「金持ちとは思っていませんが、去年あたりから急激に体力、気力ともに衰えを感じています。」

 というと思考力も衰えを感じる?
 そういうことですか。であれば、ここで対話を終わりにしましょう。
 長い間どうも。ご自愛ください。



[24636] Re:[24634] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/03(Tue) 19:40  

> 24629には、コメントしません。論点がづれているように思います。
> 真に悟った人であれば、政治経済の動きなど関心持たないと思います。あちらを立てば,こちらが立たずで、矛盾のドツボに入るのが目に見えている。キリがない。

私は見えたことを言っています。そして問いを発してまた見ています。世界は矛盾葛藤そのもののようですが、そうも言いきれないところもあるようで、言いきれません。


[24635] Re:[24633] [24628] [24626] [24625] [24624] [24623] [24621] [24616] [24614] [24613] サバイバルとは? 投稿者:ゴト 投稿日:2017/10/03(Tue) 19:32  

> > > > > > 私は静かに聞いています。シンプルな理解が訪れるのを待っています。
> > >
> > >  訪れるのを待っている?
>  あなたは「シンプルな理解が訪れるのを待っている」といわれた。
>  それがまさに「時間」でしょう。いつかくるというような。

ああ、待っているという言葉に引っかかりましたか。そうですね、なんと言えばいいのかな? ただ見ている。
>
> >
> > >  ですからawareness というのは、何も特別なことではなく、一般の人が実現していることです。このことは愚さんとの対話で確認しました。
> >
> > 時間経過の感覚がないことがあるのは、非常に多くの人が日常生活の中で知っています。
>
>  知っているというのは知識という意味ですか。一般の人は、時間のない感覚は、いちいち意識しないし、自覚もない。

そうですね。普通、忘我を気にしていない。

> > >  先週、Eテレの「宗教の時間」で、唯識の話をしていました。唯識というのは「気づきの仏教」と言われています。やはり同じことを言ってました。真理は「今」だと。
> > >  気づくというのは、無意識ではなく、自覚する。はっきりと明確に。
> >
> > そうです。
>
> ?
> あなたはこれまで、これに関し抵抗してきた。あくまで「無意識」だと言い張った。

?気づくというのはわかることです。私は言葉化しないことを言っていたと思います。

> >
> > > >その中にふっと理解が生じる。簡単なことなら速やかに、複雑な難しいことなら、意識されないが、びっくりするほど物理的時間がたっていたり。
>
>  「ふっと理解が生じる」というのが、おかしいと前々から私は疑問を呈している。
> > >
> > >  それはあなたの個人的なとらえかただと思います。あくまで個人的なこと。
> >
> > 簡単なことなら即座です。難しいことなら知りません。考えて分からないことは心のどこかに留まっているのでしょうが、当座はわきに置くしかありません。、エネルギーのある人は面壁九年、はっとわかります。しかし時間に頼って求めていたわけではありません。これは私個人のことではありません。個人的ことではなく、普遍的なことです。
>
>  「ふっと理解が生じる」というのはあなただけの個人的なことです。
>  普遍的という意味は誰でもが共通だということです。
>  「ふっと理解が生じる」なんて聞いたことがない。

でも達磨大師の面壁9年は聞いたことがあるでしょう。

>  あなたはこれまで、シンプルに理解が訪れるのを待っていれば、ふっと理解が生じると、何回も同じことを主張されている。
> >
> > >  私には残念ながらピンとこない。
>
>  そういうことです。

はい、わかりました。もうあなたには聞かれない限り言いません。

> > >  ですから、あくまでそれは普遍的なものではなく、個人的なとらえかたです。
> > >  それで、あなたのいう「ふっと理解が生じる」ことができない人がいる、とすれば何なのかということです。
> > >  あなたのとらえかたでは、その人は「見る」ことができていないという理屈になります。
> > >  もう一度繰り返すと、ただ見ることが実現すると、ふと理解するのは、あなただけなのでしょうか。
> >
> > 見ることが実現すると、まず刻々と見えていることからわかることがあります。例えば人が行き来しているとか元気がないとか。誰かを何故か憎んでいるとか、ああ、自分はトンボをとても好きに思っているんだとか。
>
>  やはりあなただけのようです。
> >
> > >  それ以外の人は、ただ見ることができても、理解は訪れることはない。
> > >  そういうことでしょうか。

そうではなく、{ただ}見ることが簡単にはできない、難しいという事を言っています。

> > いえ、見て分かることはいっぱいあると思います。しかし先入観があると、関連したとことはあるがままに見れないのではないのではないでしょうか? ただ見ていない、実は先入観があることはなかなか見えない、気づくことが難しい。
>
>  しかし、あなたにはふっと理解が訪れる。

いや、ただ見るという事ができないと焦り、もがく。しかし意図して得ようとすればするほど{ただ}見ることができない。もがくこともやまった時、ふと見ることが起きる(訪れる)ということです。

> > さらに難しいのは例えば、政治の世界などでは実に様々な主張が対立していますが、その真意を見抜くことはかなり難しいのではないでしょうか?これは即時の理解とはなかなか言えないように思います。面壁九年でも不思議でもないでしょう。
>
>  あなたにはシンプルな理解を訪れるのを待っているので、するとふっと理解が生じる。
>  あなた以外の人は、シンプルな理解を訪れるのを待っていないので、ふと理解が生じない。
>  そういうことのようですね。
> >
> > >  私が言っているのは「思考過程」(プロセス)を見ていること事体が理解です。それが沈黙、静寂、注意の状態。
> >
> > 本当に見たらそれは終わります。知覚する、意味が分かる、終わる、これらは一体のものですが、言葉はその面に応じていくつかあるという事ですね。
>
>  本当に?って何ですか。普通の人は本当に見ていないということですか。

そうです。ただ見るという事は非難正当化なしにとか、無選択にとか、判断なしにとか、イメージ(を創ること)なしにとか、条件付けの作動なしにとかを意味します。これは絶望的に困難であるとも言えます。意識の中に詰まっている過去の条件付けが絡んできます。それが反応して動き出すゆえに、例えば判断なしに見るという事は難しいのです。

> >
> > >  見ているのは、ホントの私(真我)仏教では「本当の自分」。
> > >  見られている思考過程というのは自我。
> > >  これは「分離」ということではありません。分離というのは、対立を生む思考を指しています。「わたし」と「あなた」
> > >  思考の性質というのは元々二元性のものです。
> > >  心理的に「みるもの」と「みられるもの」
> > >  ですから思考の二元の動きがわかるには、一歩離れた自分がいなければならないということです。
> > >  わかりやすい比喩が、手のひらで相争う(孫悟空)自分を見ている観音様。(仏様)
> > >  クリシュナムルティの本には、こういった説明が一切ないでしょう。
> > >  一体何が見ているかは。

観察者は観察されるものであると言っています。観察者のいない観察とか、見ることだけがあるとか。

>  本当の自分が見ている。真我が見ている。それが真の観察者。それが出現しないと「観察者は観察されるもの」というのが理解できない。
> >
> > 一歩離れた自分がいるというのがそもそも思考で、二元性の元かもしれませんよ。
>  違います。
>  意識的にはっきり見てるとき、真我が出現し、分離が消えるということです。
>  観音様の比喩が、今だおわかりにならないようですね。
> >
>
> > >  ですから「考え事」しながら対象を見ても理解出来ないと言うのは当たり前の出来事です。
> >
> > 考え事をしなくとも、無意識の思考というものがあって、そこから反応が出てくるのです。
>
>  無意識の思考って何ですか?又、わけのわからんことを言い出しましたね。
>  無意識と言っても表面で出てこないことにはわからないでしょう。
>  考え事をしているというのは表面意識のことです。意味がわかりますか。
>  考え事をしているというのは、今何を考えているのかは自分が自分を見てればわかることです。
>
>
> >無意識も意識なのです。
>
>  無意識も意識?何をおっしゃっているのですか。
>  あなたの無意識というのは、人間寝てるときの意識のない状態のことですか。
>  それとも表面に出ていない潜在意識のことですか。
>
> >そのなかに条件付けがあります。
>
>  無意識なのに、何でわかるのですか。それが条件づけだという。

意識の表面に出てくるからです。

> >それが気づかれ、終わりになっていくにしたがって意識は空になっていきます。
>  無意識の世界のこと?
>  私たちは寝てるとき以外起きてますよ。目が覚めて活動している。

表面意識だけでなく意識全体の中にある既成概念が時と場合に反応し出します。それら(心の傷と言いましょうか)が出ては見られて終わることによって反応は出なくなってきます。

> >?心理的反応が出なくなってきます、ただ見る状態が出るようになります。
>
> いったい何をおっしゃってるのでしすか。
>
> 無意識で何で心理的反応が見れるのか?不思議でしょうがない。

別にそんなことは言っていない。表面に出てきた反応がわかるだけ。

> > これは言葉の上だけのことではなく体験しているからそういいます。しかし個人的なことでなく普遍的なことです。私はごく普通の人だと言います。
>
>  話を聞いた限り個人的なことのようです。普遍的なことでありません。
>
>  私の場合は、無意識でなく、意識的にはっきり見ます。意識的に見る。まさに意識的知覚。内外で起きていることをはっきりと傾聴する。身守る。心を静かにして思考過程を見続ける。すると騒々しい自我が静まり、全ての現象は「プロセス」のみと喝破される。
>  これは万人に可能であり、普遍的です。
>
>  ここできてあなたとの違いが明確になってきたようです。
>  といってあなたにあれこれいうつもりはありません。
>  あなたはあなたの信じる道に進んで下さい。

私も最後の説明をしました。余計なことを言ったかもしれません。勘弁してください。


[24634] 無題 投稿者:外野 投稿日:2017/10/03(Tue) 11:27  

24629には、コメントしません。論点がづれているように思います。
真に悟った人であれば、政治経済の動きなど関心持たないと思います。あちらを立てば,こちらが立たずで、矛盾のドツボに入るのが目に見えている。キリがない。


[24633] Re:[24628] [24626] [24625] [24624] [24623] [24621] [24616] [24614] [24613] サバイバルとは? 投稿者:外野 投稿日:2017/10/03(Tue) 11:19  

> > > > > 私は静かに聞いています。シンプルな理解が訪れるのを待っています。
> >
> >  訪れるのを待っている?
> >  愚さんも、そのことにふれていましたが、クリシュナムルティの次の言い方を指摘していました。
> >  「真理はあちらからやってくる」
> >  これでは誤解のある物言いで、これでは「時間」が介在してしまうことになると。
> >  「いつかやってくる」ということになりやしないかと。
> >  あちらからやってくるといわれると、何か神秘的なイメージが形成されます。まさに思わせぶりないいかた。
>
> それは求めている心の解釈ではないでしょうか。

 ですからあなたに質問したわけです。
 「シンプルな理解が待っている」
 というあなたの言葉には時間が介在しているのではないか。
 即座とは違う。
>
> > > >  心が静寂であれば、外部で起きていることを、ただ見ているだけです。
> > > >  只見ていることが、理解です。
> > > >  外部で起きていることについて,いちいち反応しません。反応が起きれば起きたで、それを見て終わりです。後々まで引きずることはありません。
> > >
> > > ただ見ている、その中にのみ理解があり得るというのが正しいのではないですか? 
> >  
> >  ただ見ていること事体が理解です。

 ただ見ている中にのみ理解があるのではない。

> >  沈黙、静寂、注意、それとawareness等など。これらの言葉はすべて同じ意味ではないでしょうか。同じことを指していると思われます。
> >  それが思考が介在しない「今」です。
>
> はい。ですから「いま」には(心理的)時間経過の感覚がありません。

 あなたは「シンプルな理解が訪れるのを待っている」といわれた。
 それがまさに「時間」でしょう。いつかくるというような。

>
> >  ですからawareness というのは、何も特別なことではなく、一般の人が実現していることです。このことは愚さんとの対話で確認しました。
>
> 時間経過の感覚がないことがあるのは、非常に多くの人が日常生活の中で知っています。

 知っているというのは知識という意味ですか。一般の人は、時間のない感覚は、いちいち意識しないし、自覚もない。
 
> >  先週、Eテレの「宗教の時間」で、唯識の話をしていました。唯識というのは「気づきの仏教」と言われています。やはり同じことを言ってました。真理は「今」だと。
> >  気づくというのは、無意識ではなく、自覚する。はっきりと明確に。
>
> そうです。


あなたはこれまで、これに関し抵抗してきた。あくまで「無意識」だと言い張った。

>
> > >その中にふっと理解が生じる。簡単なことなら速やかに、複雑な難しいことなら、意識されないが、びっくりするほど物理的時間がたっていたり。

 「ふっと理解が生じる」というのが、おかしいと前々から私は疑問を呈している。
> >
> >  それはあなたの個人的なとらえかただと思います。あくまで個人的なこと。
>
> 簡単なことなら即座です。難しいことなら知りません。考えて分からないことは心のどこかに留まっているのでしょうが、当座はわきに置くしかありません。、エネルギーのある人は面壁九年、はっとわかります。しかし時間に頼って求めていたわけではありません。これは私個人のことではありません。個人的ことではなく、普遍的なことです。

 「ふっと理解が生じる」というのはあなただけの個人的なことです。
 普遍的という意味は誰でもが共通だということです。
 「ふっと理解が生じる」なんて聞いたことがない。

 あなたはこれまで、シンプルに理解が訪れるのを待っていれば、ふっと理解が生じると、何回も同じことを主張されている。
>
> >  私には残念ながらピンとこない。

 そういうことです。

> >  ですから、あくまでそれは普遍的なものではなく、個人的なとらえかたです。
> >  それで、あなたのいう「ふっと理解が生じる」ことができない人がいる、とすれば何なのかということです。
> >  あなたのとらえかたでは、その人は「見る」ことができていないという理屈になります。
> >  もう一度繰り返すと、ただ見ることが実現すると、ふと理解するのは、あなただけなのでしょうか。
>
> 見ることが実現すると、まず刻々と見えていることからわかることがあります。例えば人が行き来しているとか元気がないとか。誰かを何故か憎んでいるとか、ああ、自分はトンボをとても好きに思っているんだとか。

 やはりあなただけのようです。
>
> >  それ以外の人は、ただ見ることができても、理解は訪れることはない。
> >  そういうことでしょうか。
>
> いえ、見て分かることはいっぱいあると思います。しかし先入観があると、関連したとことはあるがままに見れないのではないのではないでしょうか? ただ見ていない、実は先入観があることはなかなか見えない、気づくことが難しい。

 しかし、あなたにはふっと理解が訪れる。

> さらに難しいのは例えば、政治の世界などでは実に様々な主張が対立していますが、その真意を見抜くことはかなり難しいのではないでしょうか?これは即時の理解とはなかなか言えないように思います。面壁九年でも不思議でもないでしょう。

 あなたにはシンプルな理解を訪れるのを待っているので、するとふっと理解が生じる。
 あなた以外の人は、シンプルな理解を訪れるのを待っていないので、ふと理解が生じない。
 そういうことのようですね。
>
> >  私が言っているのは「思考過程」(プロセス)を見ていること事体が理解です。それが沈黙、静寂、注意の状態。
>
> 本当に見たらそれは終わります。知覚する、意味が分かる、終わる、これらは一体のものですが、言葉はその面に応じていくつかあるという事ですね。

 本当に?って何ですか。普通の人は本当に見ていないということですか。
>
> >  見ているのは、ホントの私(真我)仏教では「本当の自分」。
> >  見られている思考過程というのは自我。
> >  これは「分離」ということではありません。分離というのは、対立を生む思考を指しています。「わたし」と「あなた」
> >  思考の性質というのは元々二元性のものです。
> >  心理的に「みるもの」と「みられるもの」
> >  ですから思考の二元の動きがわかるには、一歩離れた自分がいなければならないということです。
> >  わかりやすい比喩が、手のひらで相争う(孫悟空)自分を見ている観音様。(仏様)
> >  クリシュナムルティの本には、こういった説明が一切ないでしょう。
> >  一体何が見ているかは。

 本当の自分が見ている。真我が見ている。それが真の観察者。それが出現しないと「観察者は観察されるもの」というのが理解できない。
>
> 一歩離れた自分がいるというのがそもそも思考で、二元性の元かもしれませんよ。
 違います。
 意識的にはっきり見てるとき、真我が出現し、分離が消えるということです。
 観音様の比喩が、今だおわかりにならないようですね。
>

> >  ですから「考え事」しながら対象を見ても理解出来ないと言うのは当たり前の出来事です。
>
> 考え事をしなくとも、無意識の思考というものがあって、そこから反応が出てくるのです。

 無意識の思考って何ですか?又、わけのわからんことを言い出しましたね。
 無意識と言っても表面で出てこないことにはわからないでしょう。
 考え事をしているというのは表面意識のことです。意味がわかりますか。
 考え事をしているというのは、今何を考えているのかは自分が自分を見てればわかることです。


>無意識も意識なのです。

 無意識も意識?何をおっしゃっているのですか。
 あなたの無意識というのは、人間寝てるときの意識のない状態のことですか。
 それとも表面に出ていない潜在意識のことですか。

>そのなかに条件付けがあります。

 無意識なのに、何でわかるのですか。それが条件づけだという。

>それが気づかれ、終わりになっていくにしたがって意識は空になっていきます。
 無意識の世界のこと?
 私たちは寝てるとき以外起きてますよ。目が覚めて活動している。

>?心理的反応が出なくなってきます、ただ見る状態が出るようになります。

いったい何をおっしゃってるのでしすか。

無意識で何で心理的反応が見れるのか?不思議でしょうがない。
>
> これは言葉の上だけのことではなく体験しているからそういいます。しかし個人的なことでなく普遍的なことです。私はごく普通の人だと言います。

 話を聞いた限り個人的なことのようです。普遍的なことでありません。

 私の場合は、無意識でなく、意識的にはっきり見ます。意識的に見る。まさに意識的知覚。内外で起きていることをはっきりと傾聴する。身守る。心を静かにして思考過程を見続ける。すると騒々しい自我が静まり、全ての現象は「プロセス」のみと喝破される。
 これは万人に可能であり、普遍的です。

 ここできてあなたとの違いが明確になってきたようです。
 といってあなたにあれこれいうつもりはありません。
 あなたはあなたの信じる道に進んで下さい。



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