雑感
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[24257] Re:[24227] [24224] [24203] 個人とは 投稿者:南方 投稿日:2017/08/23(Wed) 07:30  

>
> 唯物論でなく、その先に何かがあるという事はまだ不明だと私は思います。私にはわかりません。その先に何かがあるという方に、なぜそう思うかの理由を聞きたいと思います。
>



エイリアン(地球外知的生命体)の高度な文明。詳しくは知りませんが。

ホーキングは言っています。

それはアメリカの先住民がコロンブスに出会うようなものだと。先住民は、どうなったか?地球はどうなったか。

少なくとも、先住民は喜ばしいことだとは思わなかったと。


エイリアンに私たちは見逃してもらっていると。


[24256] 無題 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/23(Wed) 01:28  

全知でありたい、地に足のついた自信が欲しい。

過去の因果を知り尽くし、持てる潜在能力のすべてを開花させたい。


https://www.youtube.com/watch?v=aY7sB4NRRcI


[24255] 無題 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/23(Wed) 00:33  

三人目も、海の見えるところで、子供達に学問を教えてた。と言った。

四人目は、露天商を中国でやってたと言った。


中後国生まれ変わったことがあるというのは、三人から言われたことになる。


[24254] 無題 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/22(Tue) 23:46  

霊媒師二人ほどに、前世を尋ねたら、

海が見えるところで、誰かに学問を教えていた生があるという点は共通していた。


後一つ前の前世が、中国人であるということも共通していた。


[24253] 愚さんの言葉 投稿者:外野 投稿日:2017/08/22(Tue) 22:54  

煩悩即菩提

愚さんの言葉を引用させてもらいました。やかりこの人はただものではない。わかっていらっしゃる。


 お金が欲しい、偉くなりたい、あいつを殺したい・・、これらは自然にわいてくる思考や感情であり、これら自体は煩悩でも悟りでもありません。
 これらを取り込んで自己同一化し、自分の思考、自分の感情と位置付け、それらに振り回されてしお金を得るためには偉くならなければならない。
 そのためには、あいつが邪魔だ。あいつを陥れるためにはどうすればいいか・・という具合です。

 安心を得るためには悟らなければならない。そのためには自我が邪魔だ、自我を滅却するにはどうすればいいか・・も同じ構図です。

 自然にわいてくる思考や感情の源は自我ではなく、全体です。
 自我は、自分の波長に合うものを取り込み、自己同一化する機能に過ぎません。

 自然にわいてくる思考や感情は止められない。けれども、それらは自分のものではない。
 ということが腑に落ちれば、自己同一化することなく眺めておいて、瞬間瞬間に現れることを、黙々とこなしていくことが出来るようになります。
 それが今の私の日常ですが、全く飽きることもないし、何が起こるか分からないのでそれなりに楽しませてくれます。
 そしてこの日常が、これまで必死に求めても得られなかった、「安心」の状態なのかもしれません。




[24252] 愛の実践 投稿者:外野 投稿日:2017/08/22(Tue) 22:42  

 彼らはクリシュナムルティを題材にしての不毛の論議を続けている。以下の南方さんのように生きた日常の話がない。
 クルシュナムルティの自然描写には感銘を受ける。自然から学ぶ姿勢。
 新しい芽氏は、日常での野菜作りでの学びをしばしば述べた。いわば創意工夫の話。(なにげない日常の話が好きです。家庭菜園からの学び。自然観察)
 それで感性は鋭い。自然から培われたものだ。
 ここはそういった日常の話はない。活字を相手にした無機質の話しだけである。活字だけでは感性は育たない。

> > 僕は買い物に行くときも、最近は心理的に死にその従業員の方々と接するようにしています。
>
>  つまり愛をもってということでしょう。言葉を変えれば「親密」に接する。
>
> > 不思議と嫌な感じが消え失せ、親近感を覚え、相手もまた親切にしてくれるようです。
>
>  それが愛の実践の一つです。慈愛をもって接する。分け隔てなく。
>
 このようにクリシュナムルティのいっていることは結局は愛の実践にすぎない。それが「気づき」ということである。そのことを南方さんは実践している。本など不要。

 私は毎朝、家の前を掃除してる。夜飲食店から出されたゴミ袋が朝に成ったらゴミが散らかっている。たぶんホームレスが袋をこじあけて残飯を取り出し、散らかしたのだろう。
 それを毎日掃除している。あと空きカン、ペットボトルを拾い集める。最近範囲を広げた。家の前だけでなく。別にこれは動機も目的もない。ただ掃除するだけだ。無心に。たまに出る不法ゴミも、掃除させて頂くという心境。ただ掃除する。分け隔てなく。
 家の裏へ行くと、立つ小便。野糞のあと。それも黙々と片ずける。
 この前、毎朝、たばこの吸い殻を拾っているおじさんと話をした。
そのおじさん曰く「どうしょうもねえなあ。禁煙地区なのにタバコを吸いやがって」
 文句をいうならやらない方がまし。彼がいなくても誰かが片付ける。ここの大通りは、家の前の人が原則掃除をする。
 まさに愛の実践。無打算、無功徳。無目的。動機なし。これこそ「気づき」なり。
 無理をせず、できる範囲内での愛の実践。人が見ていようと見てまいと。機会は、いくらでもころがっている。
 スーパーでのレジの後、買い物篭から出してレジ袋に詰める。その出した篭とは片付けて帰る。ところが、篭を片付けないで帰る客がいる。次のお客の邪魔になる。そこで私は黙ってそのまま机においてある篭をかたづける。
 

>


[24251] 無題 投稿者:外野 投稿日:2017/08/22(Tue) 21:56  

又この男はクリシュナムルティの引用をはじめた。黙っての引用は著作権法違反ということを知らないだろうか。クリシュナムルティ財団に許可を得たのか。出版社もたまったものではない。本の中身を公表されてしまっている。只で。よく見るとクリシュナムルティの陳述ではなく、ウオードハウスの評価分。

クリシュナムルティの訳文については、ここのゴトの読書室にて公表されている。何故それを使わないのか。


[24250] 無題 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/22(Tue) 20:30  

一夜限りの荘厳なる意識の夢幻

官能にまみれた性奴隷のような女との短い間の燃え上がる愛は

ただ闇夜の一本の蝋燭のように神々しい邪気を帯びていた。

サヴィトリーの望ましい光!

まるで鏡の間にたちつくす一人の少女のように、

狼狽し躊躇いながら、

恍惚に打ち震え

脳内に意識のネクタルを垂らしながら、

ただ一人、目を光らせていた。

覚醒の火花よ!

断じて、冬の海でマストを折らしてはならん!

魂の憧れが、春の美景を望むなら、
冬の夢幻の美しさもまた去り行くのみ。

ああ、なんと美しいんだろう!
ああ、禍々しくも不吉な、
夜の一羽の鳥が、
胸騒ぎするこの私の自我を
削り取り啄ばんでいくではないか!
王者の城よ! 思い返せば、たくさんの艱難辛苦があった。

無執着の白檀の香りを主のみ足に捧げて、
血塗られた心臓より零れ落ちる血で拭い、

時を越えたあの壮麗なる大空のように、
自在ですがすがしく、それが

ああ、物思いの冬を吹き飛ばしてくれたら!

https://www.youtube.com/watch?v=aY7sB4NRRcI&feature=youtu.be


[24249] Re:[24237] [24227] [24224] [24203] 個人とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/22(Tue) 19:50  

丁寧に返信くださってありがとうございます。長文になってきたので少し削りました。

前略

> > ここまでのコメントは明確ではありませんね。個人のことはおいて、もっと一般的にはっきり言ってみます。
> >
> > 結局、自我の終焉とか、心が空になる事、あるいは既知のものから自由であるという状態は、自我、あるいは自己の計らい、自分が何とかしなければという幻想・錯覚が終わり、自分が肉体やマインドを含めた全体的存在であり、他人、社会、自然と離れていない動的な存在であることをわかって、マインドがその持ち分を果たしている状態とでも言いましょうか。
>
>
>  はい。クリシュナムルティが述べるところの「見る」「聞く」、すなわち全的に見る・聞くというところには、自我の終焉や既知のものからの自由、あるいは時間の終焉が含まれているように感じます。そこには生の全体性が在り、個体の統合をも超えて宇宙的な統合としての全体的な存在となっているように思います。その意味において、私はすぐには見る・聞くができないようです。

結局、過去の記憶の反応は劇的に消える時もあるでしょうが、多くはマラソンで先頭集団がだんだんばらけてきて、いつの間にか一人二人と見えなくなるようなものだそうです。
反応に巻き込まれないで見ているなら、それはすでに見ているのであり、浄化の過程なのですが、それは少なくともその時はわからないのです。ぽつぽつと行きましょう。

> > > >
> > > > 国家の統治者は民衆の個人の自己のありようの反映なのだろうか?
> > > >
> > > > 人を群れとして見る時、国家の中にいくつかの群れの流れという見方を入れる必要がないだろうか? これが今の私の中にある疑問です。
> >
> > さらに補足するとヒトは遺伝子、社会的自然的環境に恵まれるか否かで、世界的にいくつかの階層というか、格差というか、群れ、別れた流れを作る気がします。恵まれた人と恵まれない人、反抗の思いを持つ人等。人間の平等をうたう事は簡単ですが、冷厳な事実というものがあります。人類という種はこれに関してどのような対応のエネルギーを持っているのでしょうか?
>
>
>  大きく分けて2種類の対応があるように感じます。ひとつが従来型対応の流れ。もう一つがクリシュナムルティ財団等が行っている新型対応の流れ(クリシュナムルティオンラインやクリシュナムルティ陳述記録の無償公開等々)。

私は実は生計がゆとりをもって立てられるかどうか、体制派、アンチ体制派などを考えていました。

中略
> > >
> > >
> > >  自然科学的には、個人は2種のデータのようです。一つは遺伝子情報、もうひとつは脳内のネットワーク情報(記憶や配線状況等)。つまるところ、「個人」とは「2枚のDVDデータ」ということです。
> >
> > そうなんですが、人間のそれは可塑性を持つというか、動的なものです。スタティックな普通のDVDではありません。
>
>
>  はい。正確には刻々のデータ内容となります。
>
>
> > >  これは、クリシュナムルティの死が迫ったインドでの対話で、クリシュナムルティがそれとなくほのめかしています(『明日が変わるとき』参照)。その対話の中で、クリシュナムルティが注目する事項として、コンピュータ技術と遺伝子研究の今後の発展が重要との旨、陳述していることと不思議ながら重なって見えます(あれから30年後に、2種のデータの概念が発見されました)。
> > >
> > >  クリシュナムルティは、「思考」は機械的である、物質的であるとしばしば述べますが、それがようやくここにきて自然科学的に認められつつあるということです。
> > >
> > >  「私」は存在せず、2枚のDVDがあるだけ。これが今後、人の世に真実として周知してゆけるのか・・。ただし、唯物論としてではなく、この2枚のDVDを超えたところに、人の独自性(ユニークネス)、すなわち生の本然性があるという、真理を周知してゆけるのか。
> >
> > しかし脳内の配線状況というのは1000億と言われる神経細胞が、DVDやcpのように直列ではなく、6階層の膨大な並列回路で、一つの神経細胞がめちゃくちゃ多くの数のほかの神経細胞とつながっている。それをシュミレーションするには量子コンピュータの開発が必要だろう。遺伝子がDVDだというのはその通りだと思うが突然変異というものがある。
>
>
>  容量については構造解明が将来的に更に進みDVDに納まらなくなればチップに代えることもできます。遺伝子の突然変異については、刻々更新すればよいということです(将来的に)。

私は脳の結線の複雑度が増すと、相が変わるというか、神秘的に感じる働きを創り出すのではないかと思います。

>
> > 唯物論でなく、その先に何かがあるという事はまだ不明だと私は思います。私にはわかりません。その先に何かがあるという方に、なぜそう思うかの理由を聞きたいと思います。
>
>
>  まず、時間の存在としての個人が、実は機械であったという事実はコペルニクス的転回を要する重要な気づきではないでしょうか。
>  機械は感情がない(コンピュータなど)、しかし、個人には感情があるではないか・・。このような弁は、近代の脳科学によって感情が化学反応であることが解明されることによって否定されています(『脳内麻薬』中野信子著 参照)。
>
>  この脳内化学物質は、遺伝子情報(脳の個別的特性)と脳内のネットワーク情報のふたつの領域が重なり合うところであるために神秘的に感じる部分でもあります。
>
>  クリシュナムルティは、このような脳内科学物質の働きがまだ未知の領域にあるときから(30年前から)、思考・感情が物質的・機械的であることを見抜いていたのです。
>
>
>  しかし、それだけで唯物論が正しかったと結論づけることができるのでしょうか。多くにとって、偶然の出来事(たまたま、あの人が居てくれたおかげで・・等々の経験があると思います。あのとき、たまたま〇〇のおかげで、●●の災難を逃れた等々)、超自然的現象(予感や直感等々)の経験はあるのではないでしょうか。
>
>  クリシュナムルティは直接的に個人の生について、唯物的存在の先にある「本然の生」について述べています(『真理の種子』最終盤参照)。

読みました。結構鉛筆で傍線が入れてありました。また、[24240]に関連文献を紹介してくださってありがとうございます。ようやくわかりました。聖なるものは思考が反応することなく、我々が進化のどの段階にあろうが我々の現実を見ている時、聖なるもの(場)があるのですね。
有難うございました。

>
> > >  とにもかくも、クリシュナムルティは自然科学にフィットしているようです。又、自然科学はクリシュナムルティを支えてくれるように感じます。
> >
> > 創造という事があります。これが科学の範囲内にあるかどうか教えてください。
>
>
>  まず、物理学者のおよそ半分が「神」的な存在を感じています。ボームのように。それは物理法則が、あたかも「神の性質」のように、多くを創造している様を目の当たりにしているからです。「自然の法則」そのものが「創造」を含んでいるということです。

創造についてはまだよくわかりません。もう少し考えてみます。


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> > > >
> > > >
> > > > 食う飯にこまる人は、霊性どころじゃない!
> > >
> > >
> > > 野菜を育てるそれ自体を愛すること。野菜一つに宇宙をみること。自給自足であっても霊性と並行することはできる。
> >
> >
> > 育てる野菜もないアフリカで飢え死ぬことしかできない人たちをほっといて霊性などない。
>
>
>
> では、まずあなたのそのレベルの高い霊的探究を辞めて、アフリカにいってボランティアでもしたらどう?
>
> まぁこれは冗談としても、まず足元固めなきゃね。

ちょっとでも、まわりに愛を広める、光を与え、力づけることしかできない。


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