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[24106] Re:[24103] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/12(Sat) 00:31  

> ぼさつ  すぐ   ちえ        しょうじ
> 菩薩は勝れし知慧を持ち、なべて生死の尽きるまで
>
> つね  しゅじょう               おもむ
> 恒に 衆生の利をはかり、たえてねはんに趣かず。
>
>          ほうべん     さが  はんにゃ
> 世にあるもの[=方便]も、その性[=般若]も、智慧の及ばぬものはなし。
>
>           う          ほう          みな きよ
> もののすがた[=有]も、そのもの[=法]も、一切のものは皆清浄し。
>
> 欲が世間をととのえて、よく浄らかになすゆえに、
>
> すぐれしもの
> 有頂天 もまた悪も、みなことごとくうちなびく。
>
> はちす             よごれ  けが
> 蓮は 泥に咲きいでて、花は垢に 染されず。
>
> すべての欲もまたおなじ。そのままにして人を利す。
>
> だい     きよき       らく    さか
> 大なる欲は清浄なり、大なる楽に富み饒う。
>
> このよ 
> 三界の 自由身につきて、固くゆるがぬ利を得たり


ほさつしょうけいしゃ  だいししんせいし   こうさくしゅうせいり  じふしゅでっぱん
 菩薩勝慧者  乃至盡生死   恒作衆生利  而不趣涅槃


はんじゃきゅうほうべん   ちとしつかち   しょほうきゅうしょゆう  いっせいかいせいせい
 般若及方便   智度悉加持  諸法及諸有   一切皆清浄

よくとうちょうせかん  れいとくせいちょこ   ゆうていきゅうあくしゅ  ちょうふくしんしょゆう
 欲等調世間   令得浄除故  有頂及悪趣    調伏盡諸有

じょれんていほんぜん   ふいこそぜん   しょよくせいえきぜん   ふぜんりきんせい
 如蓮體本染  不為垢所染  諸欲性亦然   不染利群生

たいよくとくせいせい  たいあんらくふうじょう  さんかいとくしさい   のうさけんこり
 大欲得清浄   大安楽富饒   三界得自在  能作堅固利



[24105] Re:[24100] [24099] 実在とは? 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/11(Fri) 23:37  

> > 実在とは何かが今気になっています。
> >
> > 私のような普通の常識人にとっては、人でも猫でも、碁盤や碁石も、チョコレートでもみんな実際にあるものです。
> >
> > チョコレートなど食べればなくなりますし、猫も人も寿命はあります。
> >
> > 実在というものは初めも終わりもないものでしょうか?
> >
> > これは宗教的、あるいは精神的なもので、現実的には言語化できないものでしょうか?
> >
> > 心の動きなしに、タイムレスの状態で見、聴き、感じている時見えているものが実際にある(あるいは、今生起している)ものという事で、いいでしょうか?
> >
> > このマインドの動きなしに見ている状態の純度が99%とか、99,9999%、いや、そういうことはなくオンかオフだとかは気にしてはいかんのでしょうね。
> >
> > ただ、マインドの動きに気づいている。
>
>
>  実在とは、どうも在るような気がするが・・、よく分からない・・。本当に知らないもの・・。だけれども、どうも在るように感じてしょうがない・・。

個々のもの―人間の個人のみならず、生物や物質にの個々のものにおいても―それらは実在するように思う。

だがよく見ると、細胞から量子論的領域に入ると、それらは得体のしれないものと化し、個は全体性の中に埋没してしまう。

人は大宇宙を眺めて自分の身の微小さに儚さを感じるかもしれない。しかし人の身に6〜70兆もある細胞は小さいながら血液が運ぶ酸素や栄養を摂取し、遺伝子を解読して各種たんぱく質を作り、それを適応すする個所に送り、老廃物を排出するいわば生きているミクロコスモスである。

人間は細胞より、階層が上の(独立性の高い)生き物と言えるだろうが、尚且つ、その環境と切り離されては生きていけない。

この相互依存性とでも言うべき性質は個別的な実在を否定すると言っていいだろうか?生の全体性と言うしかないのだろうか?


[24104] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/11(Fri) 22:44  

煩悩を持ったままで解脱できるんだよ。

ありのままでいいんだよ。


そのありのままに感じてる君が菩薩なんだよ。


ということをいっている。


[24103] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/11(Fri) 22:43  

ぼさつ  すぐ   ちえ        しょうじ
菩薩は勝れし知慧を持ち、なべて生死の尽きるまで

つね  しゅじょう               おもむ
恒に 衆生の利をはかり、たえてねはんに趣かず。

         ほうべん     さが  はんにゃ
世にあるもの[=方便]も、その性[=般若]も、智慧の及ばぬものはなし。

          う          ほう          みな きよ
もののすがた[=有]も、そのもの[=法]も、一切のものは皆清浄し。

欲が世間をととのえて、よく浄らかになすゆえに、

すぐれしもの
有頂天 もまた悪も、みなことごとくうちなびく。

はちす             よごれ  けが
蓮は 泥に咲きいでて、花は垢に 染されず。

すべての欲もまたおなじ。そのままにして人を利す。

だい     きよき       らく    さか
大なる欲は清浄なり、大なる楽に富み饒う。

このよ 
三界の 自由身につきて、固くゆるがぬ利を得たり


[24102] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/11(Fri) 22:22  

心が気持ちよくなることは、脳内麻薬物質のβエンドルフィンが出る。その結果、知覚的な状態になる。
それを経典では菩薩の境地と歌う。
昔の密教の行者はそれを知っていた。




[24101] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/11(Fri) 22:16  

妙適C淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
慾箭C淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
觸C淨句是菩薩位 - 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
愛縛C淨句是菩薩位 - 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
一切自在主C淨句是菩薩位 - 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
見C淨句是菩薩位 - 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
適スC淨句是菩薩位 - 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
愛C淨句是菩薩位 - 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
慢C淨句是菩薩位 - 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
莊嚴C淨句是菩薩位 - ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
意滋澤C淨句是菩薩位 - 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
光明C淨句是菩薩位 - 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
身樂C淨句是菩薩位 - 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
色C淨句是菩薩位 - 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
聲C淨句是菩薩位 - 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
香C淨句是菩薩位 - この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
味C淨句是菩薩位 - 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である


[24100] Re:[24099] 実在とは? 投稿者:宮啓 投稿日:2017/08/11(Fri) 16:57  

> 実在とは何かが今気になっています。
>
> 私のような普通の常識人にとっては、人でも猫でも、碁盤や碁石も、チョコレートでもみんな実際にあるものです。
>
> チョコレートなど食べればなくなりますし、猫も人も寿命はあります。
>
> 実在というものは初めも終わりもないものでしょうか?
>
> これは宗教的、あるいは精神的なもので、現実的には言語化できないものでしょうか?
>
> 心の動きなしに、タイムレスの状態で見、聴き、感じている時見えているものが実際にある(あるいは、今生起している)ものという事で、いいでしょうか?
>
> このマインドの動きなしに見ている状態の純度が99%とか、99,9999%、いや、そういうことはなくオンかオフだとかは気にしてはいかんのでしょうね。
>
> ただ、マインドの動きに気づいている。


 実在とは、どうも在るような気がするが・・、よく分からない・・。本当に知らないもの・・。だけれども、どうも在るように感じてしょうがない・・。


[24099] 実在とは? 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/10(Thu) 17:24  

実在とは何かが今気になっています。

私のような普通の常識人にとっては、人でも猫でも、碁盤や碁石も、チョコレートでもみんな実際にあるものです。

チョコレートなど食べればなくなりますし、猫も人も寿命はあります。

実在というものは初めも終わりもないものでしょうか?

これは宗教的、あるいは精神的なもので、現実的には言語化できないものでしょうか?

心の動きなしに、タイムレスの状態で見、聴き、感じている時見えているものが実際にある(あるいは、今生起している)ものという事で、いいでしょうか?

このマインドの動きなしに見ている状態の純度が99%とか、99,9999%、いや、そういうことはなくオンかオフだとかは気にしてはいかんのでしょうね。

ただ、マインドの動きに気づいている。


[24098] Re:[24093] ミクロコスモス的マクロコスモスな私 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/10(Thu) 00:17  

> 「私は誰か?」と問えば、それは精子であり卵子であり、
>
> それを形成した食物群であり、食物群は太陽の恵みやら空気
>
> 土水などの宇宙からできており、そして、科学は宇宙とは何か
>
> と研究している。
>
> つまり、私を知ることは宇宙を知ることであり、宇宙を知る
>
> ことは私をしることである。
>
> 本物の科学者と本物の宗教家がやろうとしていることは
>
>
> つまるところ、同じである。
>
> だから、宗教とは人が幸せになる何かを信じることではなく
>
> あくなき探求であるべきである。
>
> そして、科学も宇宙とは何かと定義するのではなく、あくなき
>
> 探求であるべきである。
>
> そうでなければ、人を世界を固定化することになり、それは
>
> 宗教団体がやっていることと同じである。
>
> 科学も宗教も「あくなき探求」である。
>
> だから、「私」とは宇宙の中心でもあるし、宇宙の一部でも
>
> あるわけである。
>
>
>
> Kの全体性とは、こういうことかと僕なり考えました。
>

うーむ、全体性という事について随分考えたのですが、難しいお話なので何も書くことがありません。

実は宇宙という事について何もよく考えたことがありません。子供の時から星を見ることは好きで、星座についてはよく知っていたのですが、眺める以上のことは何もなかったのです。トンボの飛ぶのやセミやカエルの鳴き声を聞くのが好きと一緒です。

ユニバースか、コスモスか、Kはコスモス(=秩序ある統一体)として言及することが多かった。地球から見える自然ぐらいでいいのだろうか。ま、宇宙のどの方面にしろ、探求したい人に任せればいいという事なのだろう。




[24097] Re:[24090] [24089] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/09(Wed) 20:45  

> > 日々、ポチポチと関係の中で生きている、いいですねえ。
> >
> > 有難うございます。

この意味が簡単すぎて通じないかと思って書き足します。私の心にお陰様でゆったりした気分が生じました。それゆえのありがとうです。


>  日常の人間関係に興味を抱きます。人間関係というよりも、関係の鏡を通した「私」の反応に興味を抱きます。その反応によって「私」の無意識のありようが見えてくるのです。
>
>  その見えてくるままに、「全的に見る」ことができるか・・?禅の用語では「定力(じょうりき)」というようです。それが見えたときに、一般的にはハッと逃避の反応が起こります。そこを逃避せずに留まる。その留まる力を「定力」というようです。その上で、クリシュナムルティの「見る」が始まります。すなわち、自己同一化せずに「見る」。
>
>  おそらく、禅の「定力」には、この自己同一化せずに見ることは意識されていないのではないか・・?と気になっているところです。
>
>  禅の「定力」は、それに成りきることを主眼にしているように感じています(渡辺さんの話から考察して・・)。
>
>  クリシュナムルティと禅の相違に興味を有しています。
>
>  ただ一つ、はっきりしていることは、クリシュナムルティの瞑想は、論理的に明文化されている。禅の瞑想は、経典や口伝、そして不立文字として伝わるので、先の問題提起(成りきることと自己同一化との差異)等の細かな論点に対応することが難しいように感じています。

私は禅の定を知りませんが、心(マインド)の動きをわきに置いて見ているという事は同じでしょう。そのため公案から入るとか、ひたすら座すところとかありますね。それで意識的に入るところが違うのでしょうか?

私も意識的に集中して「見る」ことを欲しがってやったのですが、これは違うと感じたし、欲望がぎらぎらという感覚もわかったので、そしてなによりKが、意識するとき自己が強化されるという事をしっかりと述べてくれていたので、ひょいと見え始めてという感じで入っていきました。意識的認識というのは少なくとも一瞬後で、あるいはかなり後であれがそうであったかという感じです。
即時の理解というのも同じで後のことです。

>  私は未だ、ゴトさんが述べるような「全的に見る」ことが、すぐにはできないようです。
>
>  ボチボチ、生のさ中でやってゆくことを心がけています。

「見る」という心のものが忘れられて生きているなら、実は見て、気づいて生きているかもしれず、それが学びの姿でしょう。


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