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[24089] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/08(Tue) 09:42  

 渡辺さんの掲示板にて、「自己認識の追求と日々のさ中にある自我の理解」拝見しました。

日々、ポチポチと関係の中で生きている、いいですねえ。

有難うございます。


[24088] Re:[24087] 自己認識の追求と日々のさ中にある自我の理解 投稿者:南方 投稿日:2017/08/08(Tue) 01:54  

>  渡辺さんの掲示板にて、「自己認識の追求と日々のさ中にある自我の理解」のタイトルで投稿いたしました。
>
>  ご参考までに。http://6926.teacup.com/mitsuruwatanabe/bbs の[7450]
>

拝見させて頂きました。

ゴールという意味ではなく通過点としての悟りを悟りと言っていいなら、悟りはあるかな、とも思います。

マインドでは解決できないことがKの場合多いので、
まぁ行き過ぎると危険かなとは思いますが、ある程度の客観性を保ちながら、見えないKの存在に身を委ねてます。

これを、拝見した掲示板の場合、生きた人間に求めているように感じました。
それは、Kが星の教団を解散した一つの危険性を孕んだ理由なのかな、と思います。

禅では師から悟り許可証がでるとかでないとか。


[24087] 自己認識の追求と日々のさ中にある自我の理解 投稿者:宮啓 投稿日:2017/08/07(Mon) 19:28  

 渡辺さんの掲示板にて、「自己認識の追求と日々のさ中にある自我の理解」のタイトルで投稿いたしました。

 ご参考までに。http://6926.teacup.com/mitsuruwatanabe/bbs の[7450]



[24086] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/08/05(Sat) 20:50  

人間の業をとことん肯定するのが落語だって

立川談志が、いつか言っていた。


[24085] Re:[24084] [24083] [24082] [24081] [24080] [24079] [24078] [24076] [24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/05(Sat) 08:30  

> > 《大乗仏教、特にナーガールジュナを祖とする中観派の哲学者たちは次のように主張した。――何物も真に実在するものではない。あらゆる事物は、見せかけだけの現象に過ぎない。その真相についていえば急きょである。

ここの急きょは空虚の間違いです。お詫びして訂正します。

> > その本質を「欠いて」いるのである。(シュ−ニャという語はサンスクリット語においては「……を欠いている」という意味に用いられている)。無も実在ではない。あらゆる事物は他の事物に条件づけられて起こるのである。(空)というものは無や断滅ではなくて、肯定や否定、有と無、常在と断滅というような、二つのものの対立を離れたものである。したがって空とは、あらゆるものとの依存関係(relationality)に他ならない。》「竜樹」p.16


> > >  死の恐怖からのフリーを貰うだけでもありがたいのかもしれません。

はい。


> > >  クリシュナムルティ以外の指導者は、あの世・天国・転生輪廻・復活・魂の永続等々の観念によって、死の恐怖を緩和する手法に終始した。その観念は、それと対立する観念と不和を生じさせ、差別や戦争によって苦悩や死を増長させた。
> >
> > 思考(心理的)そのものが不安を安んじようとするもの(傾向性)であるのでしょうか。それが何をもたらすのかが間違ってフィードバックされているのだろうか、当座楽になった気がするので?
> >
> > それで、皆がその傾向性を強化しているのでしょうか? それならいい加減気が付きそうなのにとも思うのですが、はて?
> > 議論にしてしまうやり方だとだめみたいです。
>
>
>  混乱した精神は、更に混乱を増長させる選択を為す。とはクリシュナムルティの述べるところです。
>
>  混乱した精神は、なかなかクリシュナムルティを選択しないということになります。
>
>  はじめ、旨みを付けて、誘い出す手が効果的なのか‥?新興宗教によくみられる手なので・・、まずいかも・・。
>
>  とにもかくも、本人たちしか、クリシュナムルティの許へやって来る選択を為しえないのかもしれません。

ああ、最初は偶然や何かの欲望からという事がありますが、「見る」ことに入るのは本人の行為ですね。彼の全体から起きる行為。はい。


[24084] Re:[24083] [24082] [24081] [24080] [24079] [24078] [24076] [24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/08/04(Fri) 19:41  

> 私は背景から自由であることが自由だと言いました。Kは「既知のものからの自由」という題名をメアリー・ルチエンスの編集したトーク集につけています。空:EmptyとKが言う時、そういう意味と思っていたし、あなたもそういう意味で、その現実のありさまを検討してくださいました。
>
> しかし、空については「私」(既知のものの束)というものが実在でないという意味に立つこともでき、それを理解するとき自由であるとも言える。
>
> 《大乗仏教、特にナーガールジュナを祖とする中観派の哲学者たちは次のように主張した。――何物も真に実在するものではない。あらゆる事物は、見せかけだけの現象に過ぎない。その真相についていえば急きょである。その本質を「欠いて」いるのである。(シュ−ニャという語はサンスクリット語においては「……を欠いている」という意味に用いられている)。無も実在ではない。あらゆる事物は他の事物に条件づけられて起こるのである。(空)というものは無や断滅ではなくて、肯定や否定、有と無、常在と断滅というような、二つのものの対立を離れたものである。したがって空とは、あらゆるものとの依存関係(relationality)に他ならない。》「竜樹」p.16
>
> 空とか実在はKの講話の中でときに出てきますが、これらを哲学的に考え出すとわけがわからなくなります。知識は不必要なのかな。
>
> Kを知り、理解が進む前は、過去を現在、未来に投影するようにして自由を失っていることを知ります。
> それを単純にみんなに伝達するにはどうすればいいのだろう?
>
>
> > > 変容というと、私は「最初で最後の自由」の第2部の最後の章「変容」が一番リアルに述べられていると思います。
> > >
> > > それで、Kのトークが変容や戦争をなくすための方法でないならそれは何なのかと言うと、Kからの愛の贈り物をいただいたというよりほかにないように思います。
> >
> >  死の恐怖からのフリーを貰うだけでもありがたいのかもしれません。
> >
> >  クリシュナムルティ以外の指導者は、あの世・天国・転生輪廻・復活・魂の永続等々の観念によって、死の恐怖を緩和する手法に終始した。その観念は、それと対立する観念と不和を生じさせ、差別や戦争によって苦悩や死を増長させた。
>
> 思考(心理的)そのものが不安を安んじようとするもの(傾向性)であるのでしょうか。それが何をもたらすのかが間違ってフィードバックされているのだろうか、当座楽になった気がするので?
>
> それで、皆がその傾向性を強化しているのでしょうか? それならいい加減気が付きそうなのにとも思うのですが、はて?
> 議論にしてしまうやり方だとだめみたいです。


 混乱した精神は、更に混乱を増長させる選択を為す。とはクリシュナムルティの述べるところです。

 混乱した精神は、なかなかクリシュナムルティを選択しないということになります。

 はじめ、旨みを付けて、誘い出す手が効果的なのか‥?新興宗教によくみられる手なので・・、まずいかも・・。

 とにもかくも、本人たちしか、クリシュナムルティの許へやって来る選択を為しえないのかもしれません。


[24083] Re:[24082] [24081] [24080] [24079] [24078] [24076] [24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/04(Fri) 00:13  

> > > > そういった背景からフリーである心が空なる心であると私は確信するのですが、では背景からフリーな心とはどういう心であるのかを定義でなくリアルに明らかにする必要があります。
> > >
> > >
> > >  クリシュナムルティが「心理的アウトサイダー」と呼ぶものかもしれません。
> > >
> > >  失職を恐れない。他者からの批評を恐れない。災難に遭遇することを恐れない。死を恐れない。
> >
> >
> > 日本人の多くの人が「空」という大乗仏教の思想にある言葉を知っています。
> >
> > 私はだいぶ以前この掲示板でこの空観を確固たるものにしたナーガールジュナ(竜樹)の生涯、思想、著作についての中村 元 著「竜樹」(講談社学術文庫)を教えて頂き、読みましたが、当時はよく理解できませんでした。
> >
> > 背景からフリーである心の状態が空であると言いましたが、この仏教の思想をもう一度チェックしようと思っています。ただ上掲書はそう簡単に読める本ではないですが……
>
>
>  一般的には、自身の悟りや空は、自身の内側で完結できるように思われています。
>
>  しかし、クリシュナムルティは自身の内側と外側を分けることはできないと述べます。
>
>  失職を恐れていて空であることはない。他者からの批評を恐れていて空はない。災難に遭遇することを恐れて空はない。死を恐れて空はない。
>
>  自身の外部が自身の内部であるので、背景(外部)からのフリーは、即、内側のフリーに繋がっているように感じます。
>
>  結婚当時、私は人一倍幸せな者と感じていたが、3年も経つと周囲の独身貴族を、少しばかり羨んでいた。フリーの喪失を感じていたようだ。
>
>  家屋敷を入手したとき、自慢の家屋敷が誇らしかった。しかし、その後の人生が決定されたように感じていた。ローンを負っているので、簡単には転職はできない。この仕事が還暦まで続くことが決定されたように感じていた(よっぽどのアクシデントがないかぎり)。フリーの喪失を感じていた。
>
>  今現在、子らが順調に育って、巣立ってゆくことが目前に感じられるようになった(下は未だ高校生)。
>
>  子らが巣立てば、フリーが許される。

私は背景から自由であることが自由だと言いました。Kは「既知のものからの自由」という題名をメアリー・ルチエンスの編集したトーク集につけています。空:EmptyとKが言う時、そういう意味と思っていたし、あなたもそういう意味で、その現実のありさまを検討してくださいました。

しかし、空については「私」(既知のものの束)というものが実在でないという意味に立つこともでき、それを理解するとき自由であるとも言える。

《大乗仏教、特にナーガールジュナを祖とする中観派の哲学者たちは次のように主張した。――何物も真に実在するものではない。あらゆる事物は、見せかけだけの現象に過ぎない。その真相についていえば急きょである。その本質を「欠いて」いるのである。(シュ−ニャという語はサンスクリット語においては「……を欠いている」という意味に用いられている)。無も実在ではない。あらゆる事物は他の事物に条件づけられて起こるのである。(空)というものは無や断滅ではなくて、肯定や否定、有と無、常在と断滅というような、二つのものの対立を離れたものである。したがって空とは、あらゆるものとの依存関係(relationality)に他ならない。》「竜樹」p.16

空とか実在はKの講話の中でときに出てきますが、これらを哲学的に考え出すとわけがわからなくなります。知識は不必要なのかな。

Kを知り、理解が進む前は、過去を現在、未来に投影するようにして自由を失っていることを知ります。
それを単純にみんなに伝達するにはどうすればいいのだろう?


> > 変容というと、私は「最初で最後の自由」の第2部の最後の章「変容」が一番リアルに述べられていると思います。
> >
> > それで、Kのトークが変容や戦争をなくすための方法でないならそれは何なのかと言うと、Kからの愛の贈り物をいただいたというよりほかにないように思います。
>
>  死の恐怖からのフリーを貰うだけでもありがたいのかもしれません。
>
>  クリシュナムルティ以外の指導者は、あの世・天国・転生輪廻・復活・魂の永続等々の観念によって、死の恐怖を緩和する手法に終始した。その観念は、それと対立する観念と不和を生じさせ、差別や戦争によって苦悩や死を増長させた。

思考(心理的)そのものが不安を安んじようとするもの(傾向性)であるのでしょうか。それが何をもたらすのかが間違ってフィードバックされているのだろうか、当座楽になった気がするので?

それで、皆がその傾向性を強化しているのでしょうか? それならいい加減気が付きそうなのにとも思うのですが、はて?
議論にしてしまうやり方だとだめみたいです。


[24082] Re:[24081] [24080] [24079] [24078] [24076] [24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/08/03(Thu) 09:06  

> > > そういった背景からフリーである心が空なる心であると私は確信するのですが、では背景からフリーな心とはどういう心であるのかを定義でなくリアルに明らかにする必要があります。
> >
> >
> >  クリシュナムルティが「心理的アウトサイダー」と呼ぶものかもしれません。
> >
> >  失職を恐れない。他者からの批評を恐れない。災難に遭遇することを恐れない。死を恐れない。
>
>
> 日本人の多くの人が「空」という大乗仏教の思想にある言葉を知っています。
>
> 私はだいぶ以前この掲示板でこの空観を確固たるものにしたナーガールジュナ(竜樹)の生涯、思想、著作についての中村 元 著「竜樹」(講談社学術文庫)を教えて頂き、読みましたが、当時はよく理解できませんでした。
>
> 背景からフリーである心の状態が空であると言いましたが、この仏教の思想をもう一度チェックしようと思っています。ただ上掲書はそう簡単に読める本ではないですが……


 一般的には、自身の悟りや空は、自身の内側で完結できるように思われています。

 しかし、クリシュナムルティは自身の内側と外側を分けることはできないと述べます。

 失職を恐れていて空であることはない。他者からの批評を恐れていて空はない。災難に遭遇することを恐れて空はない。死を恐れて空はない。

 自身の外部が自身の内部であるので、背景(外部)からのフリーは、即、内側のフリーに繋がっているように感じます。

 結婚当時、私は人一倍幸せな者と感じていたが、3年も経つと周囲の独身貴族を、少しばかり羨んでいた。フリーの喪失を感じていたようだ。

 家屋敷を入手したとき、自慢の家屋敷が誇らしかった。しかし、その後の人生が決定されたように感じていた。ローンを負っているので、簡単には転職はできない。この仕事が還暦まで続くことが決定されたように感じていた(よっぽどのアクシデントがないかぎり)。フリーの喪失を感じていた。

 今現在、子らが順調に育って、巣立ってゆくことが目前に感じられるようになった(下は未だ高校生)。

 子らが巣立てば、フリーが許される。


> 変容というと、私は「最初で最後の自由」の第2部の最後の章「変容」が一番リアルに述べられていると思います。
>
> それで、Kのトークが変容や戦争をなくすための方法でないならそれは何なのかと言うと、Kからの愛の贈り物をいただいたというよりほかにないように思います。

 死の恐怖からのフリーを貰うだけでもありがたいのかもしれません。

 クリシュナムルティ以外の指導者は、あの世・天国・転生輪廻・復活・魂の永続等々の観念によって、死の恐怖を緩和する手法に終始した。その観念は、それと対立する観念と不和を生じさせ、差別や戦争によって苦悩や死を増長させた。


[24081] Re:[24080] [24079] [24078] [24076] [24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/02(Wed) 23:42  

> > そういった背景からフリーである心が空なる心であると私は確信するのですが、では背景からフリーな心とはどういう心であるのかを定義でなくリアルに明らかにする必要があります。
>
>
>  クリシュナムルティが「心理的アウトサイダー」と呼ぶものかもしれません。
>
>  失職を恐れない。他者からの批評を恐れない。災難に遭遇することを恐れない。死を恐れない。


日本人の多くの人が「空」という大乗仏教の思想にある言葉を知っています。

私はだいぶ以前この掲示板でこの空観を確固たるものにしたナーガールジュナ(竜樹)の生涯、思想、著作についての中村 元 著「竜樹」(講談社学術文庫)を教えて頂き、読みましたが、当時はよく理解できませんでした。

背景からフリーである心の状態が空であると言いましたが、この仏教の思想をもう一度チェックしようと思っています。ただ上掲書はそう簡単に読める本ではないですが……

変容というと、私は「最初で最後の自由」の第2部の最後の章「変容」が一番リアルに述べられていると思います。

それで、Kのトークが変容や戦争をなくすための方法でないならそれは何なのかと言うと、Kからの愛の贈り物をいただいたというよりほかにないように思います。


[24080] Re:[24079] [24078] [24076] [24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/08/02(Wed) 15:35  

> 政治というか、ヒトはこのことにどういうふうに取り組んできたか。
>
> まず、人は社会的動物で大勢の人が集まって暮らすという事は必然というか自然の姿です。そこで多くの人の協働という事が必要になりますが、専門化した分業とその分配だけでも大変ですが、さらに国家規模になると法と統治という事が必要になるようです。
>
> これは県や市町村にも、もろもろの会社などの組織にもあります。人間にも細胞にも組織と秩序があります。もっとも、人間は個人として統合されているかどうかは怪しくて、葛藤、矛盾を抱えている場合が多いですが。
>
> それでも人は家族、知己の間では直接知覚できるので意識的無意識的に協働できる可能性があります。しかし直接であっても初期は警戒心を持って探り合うでしょう。民族的にあるいは階級がある場合は階級的な差の有無はその態度に大きく影響するでしょう。
>
> こういうのが人のマインドの普通の背景にあると見て、それを客観的に見て政治を行うのが政治学の姿なのだろうか?
> すると、今の世界では常備軍を持つという姿勢になるが、それでは軍需産業を成立させるには戦争が不可欠になるから、平和を望むなら常備軍を持ってはならないと言ったのはカントらしい。
>
> そういった背景からフリーである心が空なる心であると私は確信するのですが、では背景からフリーな心とはどういう心であるのかを定義でなくリアルに明らかにする必要があります。


 クリシュナムルティが「心理的アウトサイダー」と呼ぶものかもしれません。

 失職を恐れない。他者からの批評を恐れない。災難に遭遇することを恐れない。死を恐れない。


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