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[24237] Re:[24227] [24224] [24203] 個人とは 投稿者:宮啓 投稿日:2017/08/22(Tue) 09:55  

> > > ここに書いた個人はもちろん人間の個体のことですが、個人とは何か?、言葉として知ってはいるが、その実際を自分なりに深く考えたことはなかった。それを考えるとともに、群れや社会についても考えていこうと思っている。
> > >
> > > 現実の個人は様々な体格、人格を持ち、多様であるが、精神的には似たり寄ったりで同じような問題をもって差がないとKは言う。そして精神は思考により断片化して矛盾を内部に孕んでいる。したがって統合された個人はいないともいう。
> > >
> > > それで自分の心の状況を探究のために言うなら、静かに感じていればわかることだが、種々のコンプレックスや肉体の各部の反応というかフィードバックが、変わり(事件)のあった時に起こる。
> > >
> > > それはめったに起こりはしないが、起こればわかる。たとえばガッツ(腸)などは言葉は使えないらしく、グフッという感じでうねるとか。
> > > それは私は当時仕事で、少しうまく行きだして、それでも絶対油断してはならぬと心を鉄の意志で引き締めていた。それがさすがにもういいかなと思った瞬間、反応が起こった。
> > >
> > > それが自己が、それは人間のシンクタンクなのだろうか、初めて自分自身の個体の中での他の部分の反応を知った時です。
> > >
> > > 今では自己はかなり静かに自分や世界を観照しています。全体が動いていくのについていくという感じです。わからないけれど、自分が見、聴き感じることが、個体全体の情報となっている感じです。自己は自分という個体の統治者です。以前の自己は独裁的でした。今は統合者的になって自分の意志と身体ほかの部分とは大きな矛盾なしに生きているようです。
>
> ここまでのコメントは明確ではありませんね。個人のことはおいて、もっと一般的にはっきり言ってみます。
>
> 結局、自我の終焉とか、心が空になる事、あるいは既知のものから自由であるという状態は、自我、あるいは自己の計らい、自分が何とかしなければという幻想・錯覚が終わり、自分が肉体やマインドを含めた全体的存在であり、他人、社会、自然と離れていない動的な存在であることをわかって、マインドがその持ち分を果たしている状態とでも言いましょうか。


 はい。クリシュナムルティが述べるところの「見る」「聞く」、すなわち全的に見る・聞くというところには、自我の終焉や既知のものからの自由、あるいは時間の終焉が含まれているように感じます。そこには生の全体性が在り、個体の統合をも超えて宇宙的な統合としての全体的な存在となっているように思います。その意味において、私はすぐには見る・聞くができないようです。


> > >
> > > 国家の統治者は民衆の個人の自己のありようの反映なのだろうか?
> > >
> > > 人を群れとして見る時、国家の中にいくつかの群れの流れという見方を入れる必要がないだろうか? これが今の私の中にある疑問です。
>
> さらに補足するとヒトは遺伝子、社会的自然的環境に恵まれるか否かで、世界的にいくつかの階層というか、格差というか、群れ、別れた流れを作る気がします。恵まれた人と恵まれない人、反抗の思いを持つ人等。人間の平等をうたう事は簡単ですが、冷厳な事実というものがあります。人類という種はこれに関してどのような対応のエネルギーを持っているのでしょうか?


 大きく分けて2種類の対応があるように感じます。ひとつが従来型対応の流れ。もう一つがクリシュナムルティ財団等が行っている新型対応の流れ(クリシュナムルティオンラインやクリシュナムルティ陳述記録の無償公開等々)。

> > > >
> > > 余談 米国にオピオイド中毒が蔓延。
> > >
> > > 中国は昔アヘンが蔓延していた。人の働く気をなくすという。中国共産党が絶滅したと聞く。どうしたかはしらない。
> > > 心理的問題ではあろうが、政治の力がいるのではないか。これはどのようにして起こるのか? アメリカにとっては戦争どころではない問題かもしれない。
> >
> >
> >
> >  自然科学的には、個人は2種のデータのようです。一つは遺伝子情報、もうひとつは脳内のネットワーク情報(記憶や配線状況等)。つまるところ、「個人」とは「2枚のDVDデータ」ということです。
>
> そうなんですが、人間のそれは可塑性を持つというか、動的なものです。スタティックな普通のDVDではありません。


 はい。正確には刻々のデータ内容となります。


> >  これは、クリシュナムルティの死が迫ったインドでの対話で、クリシュナムルティがそれとなくほのめかしています(『明日が変わるとき』参照)。その対話の中で、クリシュナムルティが注目する事項として、コンピュータ技術と遺伝子研究の今後の発展が重要との旨、陳述していることと不思議ながら重なって見えます(あれから30年後に、2種のデータの概念が発見されました)。
> >
> >  クリシュナムルティは、「思考」は機械的である、物質的であるとしばしば述べますが、それがようやくここにきて自然科学的に認められつつあるということです。
> >
> >  「私」は存在せず、2枚のDVDがあるだけ。これが今後、人の世に真実として周知してゆけるのか・・。ただし、唯物論としてではなく、この2枚のDVDを超えたところに、人の独自性(ユニークネス)、すなわち生の本然性があるという、真理を周知してゆけるのか。
>
> しかし脳内の配線状況というのは1000億と言われる神経細胞が、DVDやcpのように直列ではなく、6階層の膨大な並列回路で、一つの神経細胞がめちゃくちゃ多くの数のほかの神経細胞とつながっている。それをシュミレーションするには量子コンピュータの開発が必要だろう。遺伝子がDVDだというのはその通りだと思うが突然変異というものがある。


 容量については構造解明が将来的に更に進みDVDに納まらなくなればチップに代えることもできます。遺伝子の突然変異については、刻々更新すればよいということです(将来的に)。


> 唯物論でなく、その先に何かがあるという事はまだ不明だと私は思います。私にはわかりません。その先に何かがあるという方に、なぜそう思うかの理由を聞きたいと思います。


 まず、時間の存在としての個人が、実は機械であったという事実はコペルニクス的転回を要する重要な気づきではないでしょうか。
 機械は感情がない(コンピュータなど)、しかし、個人には感情があるではないか・・。このような弁は、近代の脳科学によって感情が化学反応であることが解明されることによって否定されています(『脳内麻薬』中野信子著 参照)。

 この脳内化学物質は、遺伝子情報(脳の個別的特性)と脳内のネットワーク情報のふたつの領域が重なり合うところであるために神秘的に感じる部分でもあります。

 クリシュナムルティは、このような脳内科学物質の働きがまだ未知の領域にあるときから(30年前から)、思考・感情が物質的・機械的であることを見抜いていたのです。


 しかし、それだけで唯物論が正しかったと結論づけることができるのでしょうか。多くにとって、偶然の出来事(たまたま、あの人が居てくれたおかげで・・等々の経験があると思います。あのとき、たまたま〇〇のおかげで、●●の災難を逃れた等々)、超自然的現象(予感や直感等々)の経験はあるのではないでしょうか。

 クリシュナムルティは直接的に個人の生について、唯物的存在の先にある「本然の生」について述べています(『真理の種子』最終盤参照)。


> >  とにもかくも、クリシュナムルティは自然科学にフィットしているようです。又、自然科学はクリシュナムルティを支えてくれるように感じます。
>
> 創造という事があります。これが科学の範囲内にあるかどうか教えてください。


 まず、物理学者のおよそ半分が「神」的な存在を感じています。ボームのように。それは物理法則が、あたかも「神の性質」のように、多くを創造している様を目の当たりにしているからです。「自然の法則」そのものが「創造」を含んでいるということです。


[24236] Re:[24235] 無題 投稿者:vaamana 投稿日:2017/08/22(Tue) 08:48  

> 愚さんの掲示板では、この程愚さんが復活してにぎやかになりました。南方さんも参加。わたしもすでに乱入しています。
>
> それにしてもYHWHさん。ここでの同じ文章の二重投稿をやめて下さい。
> いくらえらそうな真理なる御託を並べても、世間常識をわきまえないのでは話にならない。
> ここでも、あちらでも、挨拶なしに、突然乱入して機関銃のように連続投稿を続ける。
> まさに非常識きわまる。
> さっそく愚さんから、いわれました。「あなたはレベルが高いから立ち去ってくれ」と。
> いくらで口でえらそうなことをいっても、実際に生活で生かさなければ絵に描いた餅でしょう。口だけなら誰でも言える。
> 人は、その人の行動を見ている。
>
> 何で愚さんの掲示板には入れたかというと、ここの宮啓氏が、愚さんの掲示板のアドレスを教えたからのようです。それであちらはえらい迷惑している。
> 宮啓氏が、あちらで自分の文章を掲載し、ゴトさんに見てほしいために、あちらのアドレスを教えたことにある。
> 自分自身は、自分でネットで調べて入りました。ですからむやみやたらによそのアドレスを貼付けていい、というものでない。
>
> いくらクリシュナムルティの本を読んでも。こうした生活の場で、細かい気配りと言うか、人に対する配慮というか、こうしたことがなおざりにされては、Kのいう「愛」の生き方どころではないだろう。
> 日常生活というのは、そうした「愛」の実践(Kのいう気づき)の積み重ねではないだろうか。それには「終わり」はない。

わたしは、愚さんのレヴェルを少し、超える話をしてしまった。

彼に、危険の中で生きる人は覚者にちかい。といったところから、かれが特攻隊はどうかという話になり、わたしが、その瞬間は覚醒してるが、覚者とは、普通の人の、その瞬間的覚醒が持続するのだ、と述べた。


そのあと、かれが善悪を超えて、金銭欲や殺意がありのままに悟りの姿である。という議論を始めた。

わたしは、個別的自我がなければ、それは分離した自我がないから、ありのままの感情が仏性だろうと述べた。

三重の火から水がなぜ生じたのか。という禅問答に彼がこたえられなかっただけ。






[24235] 無題 投稿者:外野 投稿日:2017/08/22(Tue) 06:31  

愚さんの掲示板では、この程愚さんが復活してにぎやかになりました。南方さんも参加。わたしもすでに乱入しています。

それにしてもYHWHさん。ここでの同じ文章の二重投稿をやめて下さい。
いくらえらそうな真理なる御託を並べても、世間常識をわきまえないのでは話にならない。
ここでも、あちらでも、挨拶なしに、突然乱入して機関銃のように連続投稿を続ける。
まさに非常識きわまる。
さっそく愚さんから、いわれました。「あなたはレベルが高いから立ち去ってくれ」と。
いくらで口でえらそうなことをいっても、実際に生活で生かさなければ絵に描いた餅でしょう。口だけなら誰でも言える。
人は、その人の行動を見ている。

何で愚さんの掲示板には入れたかというと、ここの宮啓氏が、愚さんの掲示板のアドレスを教えたからのようです。それであちらはえらい迷惑している。
宮啓氏が、あちらで自分の文章を掲載し、ゴトさんに見てほしいために、あちらのアドレスを教えたことにある。
自分自身は、自分でネットで調べて入りました。ですからむやみやたらによそのアドレスを貼付けていい、というものでない。

いくらクリシュナムルティの本を読んでも。こうした生活の場で、細かい気配りと言うか、人に対する配慮というか、こうしたことがなおざりにされては、Kのいう「愛」の生き方どころではないだろう。
日常生活というのは、そうした「愛」の実践(Kのいう気づき)の積み重ねではないだろうか。それには「終わり」はない。


[24233] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/21(Mon) 23:09  

いや、厳密にいうと、深いイドのレヴェルが顕在化すると表層意識はそれ自体の利己的意志を失う。


[24232] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/21(Mon) 23:05  

君はすべてを知ってる。

植物も全宇宙を知っている。

ただそれが十分に意識化できないだけだ。

思い出せないだけだ。


[24231] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/21(Mon) 22:53  

それは普段は小さいが、勃起すると大きくなる。

それと同じように、万物にやどる意志は、精妙でわずかにみえても、
すべてを知る。

仏陀が言っただろ、すべてが悟ってる。

すべてが仏陀だって、
すべてが全知なんだよ。

これが一切生類悉有仏性という意味だ。


[24230] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/21(Mon) 22:49  

矮小だと思われているが、実は巨大な潜在力をひめているのは、

意志である。

万物にやどる意志は全知であり、天と地を支配し、

思考なしにものごとを知る。

意志は男根のようだ。

愛が子宮ならば。




[24229] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/21(Mon) 22:22  

恋愛すると他者について考える。

しかし、他者の思考を直観的にしる。ということがある。

覚者とは、闇夜のカラスのごとしといわれたには理由がある。


それは無思考を達成し、全体と調和し、もはや抵抗する自我、マインドがないことを意味する。


[24228] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/21(Mon) 21:36  

ありのままの感情、嫉妬、怒り、無知などが、すべて仏であるということがわかるだろうか?

感情を名づけるな。

それはエネルギーにすぎない。


善悪の判断はあなたの観念だ。

名づけることによってそれは葛藤を生んでいるにすぎない。

そして、覚者にとっては、感情は存在しない。


[24227] Re:[24224] [24203] 個人とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/21(Mon) 18:50  

> > ここに書いた個人はもちろん人間の個体のことですが、個人とは何か?、言葉として知ってはいるが、その実際を自分なりに深く考えたことはなかった。それを考えるとともに、群れや社会についても考えていこうと思っている。
> >
> > 現実の個人は様々な体格、人格を持ち、多様であるが、精神的には似たり寄ったりで同じような問題をもって差がないとKは言う。そして精神は思考により断片化して矛盾を内部に孕んでいる。したがって統合された個人はいないともいう。
> >
> > それで自分の心の状況を探究のために言うなら、静かに感じていればわかることだが、種々のコンプレックスや肉体の各部の反応というかフィードバックが、変わり(事件)のあった時に起こる。
> >
> > それはめったに起こりはしないが、起こればわかる。たとえばガッツ(腸)などは言葉は使えないらしく、グフッという感じでうねるとか。
> > それは私は当時仕事で、少しうまく行きだして、それでも絶対油断してはならぬと心を鉄の意志で引き締めていた。それがさすがにもういいかなと思った瞬間、反応が起こった。
> >
> > それが自己が、それは人間のシンクタンクなのだろうか、初めて自分自身の個体の中での他の部分の反応を知った時です。
> >
> > 今では自己はかなり静かに自分や世界を観照しています。全体が動いていくのについていくという感じです。わからないけれど、自分が見、聴き感じることが、個体全体の情報となっている感じです。自己は自分という個体の統治者です。以前の自己は独裁的でした。今は統合者的になって自分の意志と身体ほかの部分とは大きな矛盾なしに生きているようです。

ここまでのコメントは明確ではありませんね。個人のことはおいて、もっと一般的にはっきり言ってみます。

結局、自我の終焉とか、心が空になる事、あるいは既知のものから自由であるという状態は、自我、あるいは自己の計らい、自分が何とかしなければという幻想・錯覚が終わり、自分が肉体やマインドを含めた全体的存在であり、他人、社会、自然と離れていない動的な存在であることをわかって、マインドがその持ち分を果たしている状態とでも言いましょうか。

> >
> > 国家の統治者は民衆の個人の自己のありようの反映なのだろうか?
> >
> > 人を群れとして見る時、国家の中にいくつかの群れの流れという見方を入れる必要がないだろうか? これが今の私の中にある疑問です。

さらに補足するとヒトは遺伝子、社会的自然的環境に恵まれるか否かで、世界的にいくつかの階層というか、格差というか、群れ、別れた流れを作る気がします。恵まれた人と恵まれない人、反抗の思いを持つ人等。人間の平等をうたう事は簡単ですが、冷厳な事実というものがあります。人類という種はこれに関してどのような対応のエネルギーを持っているのでしょうか?

> >
> > 余談 米国にオピオイド中毒が蔓延。
> >
> > 中国は昔アヘンが蔓延していた。人の働く気をなくすという。中国共産党が絶滅したと聞く。どうしたかはしらない。
> > 心理的問題ではあろうが、政治の力がいるのではないか。これはどのようにして起こるのか? アメリカにとっては戦争どころではない問題かもしれない。
>
>
>
>  自然科学的には、個人は2種のデータのようです。一つは遺伝子情報、もうひとつは脳内のネットワーク情報(記憶や配線状況等)。つまるところ、「個人」とは「2枚のDVDデータ」ということです。

そうなんですが、人間のそれは可塑性を持つというか、動的なものです。スタティックな普通のDVDではありません。

>  これは、クリシュナムルティの死が迫ったインドでの対話で、クリシュナムルティがそれとなくほのめかしています(『明日が変わるとき』参照)。その対話の中で、クリシュナムルティが注目する事項として、コンピュータ技術と遺伝子研究の今後の発展が重要との旨、陳述していることと不思議ながら重なって見えます(あれから30年後に、2種のデータの概念が発見されました)。
>
>  クリシュナムルティは、「思考」は機械的である、物質的であるとしばしば述べますが、それがようやくここにきて自然科学的に認められつつあるということです。
>
>  「私」は存在せず、2枚のDVDがあるだけ。これが今後、人の世に真実として周知してゆけるのか・・。ただし、唯物論としてではなく、この2枚のDVDを超えたところに、人の独自性(ユニークネス)、すなわち生の本然性があるという、真理を周知してゆけるのか。

しかし脳内の配線状況というのは1000億と言われる神経細胞が、DVDやcpのように直列ではなく、6階層の膨大な並列回路で、一つの神経細胞がめちゃくちゃ多くの数のほかの神経細胞とつながっている。それをシュミレーションするには量子コンピュータの開発が必要だろう。遺伝子がDVDだというのはその通りだと思うが突然変異というものがある。

唯物論でなく、その先に何かがあるという事はまだ不明だと私は思います。私にはわかりません。その先に何かがあるという方に、なぜそう思うかの理由を聞きたいと思います。

>  とにもかくも、クリシュナムルティは自然科学にフィットしているようです。又、自然科学はクリシュナムルティを支えてくれるように感じます。

創造という事があります。これが科学の範囲内にあるかどうか教えてください。


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