雑感
[トップに戻る] [留意事項] [ワード検索] [管理用]
おなまえ
Eメール メールアドレスは入力禁止
タイトル
コメント 【コメント中のURLは先頭のhを抜いて書き込んで下さい。】
コメント中には参照先URLと同じURLを書き込まないで下さい
参照先
暗証キー (記事メンテ用)

[24084] Re:[24083] [24082] [24081] [24080] [24079] [24078] [24076] [24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/08/04(Fri) 19:41  

> 私は背景から自由であることが自由だと言いました。Kは「既知のものからの自由」という題名をメアリー・ルチエンスの編集したトーク集につけています。空:EmptyとKが言う時、そういう意味と思っていたし、あなたもそういう意味で、その現実のありさまを検討してくださいました。
>
> しかし、空については「私」(既知のものの束)というものが実在でないという意味に立つこともでき、それを理解するとき自由であるとも言える。
>
> 《大乗仏教、特にナーガールジュナを祖とする中観派の哲学者たちは次のように主張した。――何物も真に実在するものではない。あらゆる事物は、見せかけだけの現象に過ぎない。その真相についていえば急きょである。その本質を「欠いて」いるのである。(シュ−ニャという語はサンスクリット語においては「……を欠いている」という意味に用いられている)。無も実在ではない。あらゆる事物は他の事物に条件づけられて起こるのである。(空)というものは無や断滅ではなくて、肯定や否定、有と無、常在と断滅というような、二つのものの対立を離れたものである。したがって空とは、あらゆるものとの依存関係(relationality)に他ならない。》「竜樹」p.16
>
> 空とか実在はKの講話の中でときに出てきますが、これらを哲学的に考え出すとわけがわからなくなります。知識は不必要なのかな。
>
> Kを知り、理解が進む前は、過去を現在、未来に投影するようにして自由を失っていることを知ります。
> それを単純にみんなに伝達するにはどうすればいいのだろう?
>
>
> > > 変容というと、私は「最初で最後の自由」の第2部の最後の章「変容」が一番リアルに述べられていると思います。
> > >
> > > それで、Kのトークが変容や戦争をなくすための方法でないならそれは何なのかと言うと、Kからの愛の贈り物をいただいたというよりほかにないように思います。
> >
> >  死の恐怖からのフリーを貰うだけでもありがたいのかもしれません。
> >
> >  クリシュナムルティ以外の指導者は、あの世・天国・転生輪廻・復活・魂の永続等々の観念によって、死の恐怖を緩和する手法に終始した。その観念は、それと対立する観念と不和を生じさせ、差別や戦争によって苦悩や死を増長させた。
>
> 思考(心理的)そのものが不安を安んじようとするもの(傾向性)であるのでしょうか。それが何をもたらすのかが間違ってフィードバックされているのだろうか、当座楽になった気がするので?
>
> それで、皆がその傾向性を強化しているのでしょうか? それならいい加減気が付きそうなのにとも思うのですが、はて?
> 議論にしてしまうやり方だとだめみたいです。


 混乱した精神は、更に混乱を増長させる選択を為す。とはクリシュナムルティの述べるところです。

 混乱した精神は、なかなかクリシュナムルティを選択しないということになります。

 はじめ、旨みを付けて、誘い出す手が効果的なのか‥?新興宗教によくみられる手なので・・、まずいかも・・。

 とにもかくも、本人たちしか、クリシュナムルティの許へやって来る選択を為しえないのかもしれません。


[24083] Re:[24082] [24081] [24080] [24079] [24078] [24076] [24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/04(Fri) 00:13  

> > > > そういった背景からフリーである心が空なる心であると私は確信するのですが、では背景からフリーな心とはどういう心であるのかを定義でなくリアルに明らかにする必要があります。
> > >
> > >
> > >  クリシュナムルティが「心理的アウトサイダー」と呼ぶものかもしれません。
> > >
> > >  失職を恐れない。他者からの批評を恐れない。災難に遭遇することを恐れない。死を恐れない。
> >
> >
> > 日本人の多くの人が「空」という大乗仏教の思想にある言葉を知っています。
> >
> > 私はだいぶ以前この掲示板でこの空観を確固たるものにしたナーガールジュナ(竜樹)の生涯、思想、著作についての中村 元 著「竜樹」(講談社学術文庫)を教えて頂き、読みましたが、当時はよく理解できませんでした。
> >
> > 背景からフリーである心の状態が空であると言いましたが、この仏教の思想をもう一度チェックしようと思っています。ただ上掲書はそう簡単に読める本ではないですが……
>
>
>  一般的には、自身の悟りや空は、自身の内側で完結できるように思われています。
>
>  しかし、クリシュナムルティは自身の内側と外側を分けることはできないと述べます。
>
>  失職を恐れていて空であることはない。他者からの批評を恐れていて空はない。災難に遭遇することを恐れて空はない。死を恐れて空はない。
>
>  自身の外部が自身の内部であるので、背景(外部)からのフリーは、即、内側のフリーに繋がっているように感じます。
>
>  結婚当時、私は人一倍幸せな者と感じていたが、3年も経つと周囲の独身貴族を、少しばかり羨んでいた。フリーの喪失を感じていたようだ。
>
>  家屋敷を入手したとき、自慢の家屋敷が誇らしかった。しかし、その後の人生が決定されたように感じていた。ローンを負っているので、簡単には転職はできない。この仕事が還暦まで続くことが決定されたように感じていた(よっぽどのアクシデントがないかぎり)。フリーの喪失を感じていた。
>
>  今現在、子らが順調に育って、巣立ってゆくことが目前に感じられるようになった(下は未だ高校生)。
>
>  子らが巣立てば、フリーが許される。

私は背景から自由であることが自由だと言いました。Kは「既知のものからの自由」という題名をメアリー・ルチエンスの編集したトーク集につけています。空:EmptyとKが言う時、そういう意味と思っていたし、あなたもそういう意味で、その現実のありさまを検討してくださいました。

しかし、空については「私」(既知のものの束)というものが実在でないという意味に立つこともでき、それを理解するとき自由であるとも言える。

《大乗仏教、特にナーガールジュナを祖とする中観派の哲学者たちは次のように主張した。――何物も真に実在するものではない。あらゆる事物は、見せかけだけの現象に過ぎない。その真相についていえば急きょである。その本質を「欠いて」いるのである。(シュ−ニャという語はサンスクリット語においては「……を欠いている」という意味に用いられている)。無も実在ではない。あらゆる事物は他の事物に条件づけられて起こるのである。(空)というものは無や断滅ではなくて、肯定や否定、有と無、常在と断滅というような、二つのものの対立を離れたものである。したがって空とは、あらゆるものとの依存関係(relationality)に他ならない。》「竜樹」p.16

空とか実在はKの講話の中でときに出てきますが、これらを哲学的に考え出すとわけがわからなくなります。知識は不必要なのかな。

Kを知り、理解が進む前は、過去を現在、未来に投影するようにして自由を失っていることを知ります。
それを単純にみんなに伝達するにはどうすればいいのだろう?


> > 変容というと、私は「最初で最後の自由」の第2部の最後の章「変容」が一番リアルに述べられていると思います。
> >
> > それで、Kのトークが変容や戦争をなくすための方法でないならそれは何なのかと言うと、Kからの愛の贈り物をいただいたというよりほかにないように思います。
>
>  死の恐怖からのフリーを貰うだけでもありがたいのかもしれません。
>
>  クリシュナムルティ以外の指導者は、あの世・天国・転生輪廻・復活・魂の永続等々の観念によって、死の恐怖を緩和する手法に終始した。その観念は、それと対立する観念と不和を生じさせ、差別や戦争によって苦悩や死を増長させた。

思考(心理的)そのものが不安を安んじようとするもの(傾向性)であるのでしょうか。それが何をもたらすのかが間違ってフィードバックされているのだろうか、当座楽になった気がするので?

それで、皆がその傾向性を強化しているのでしょうか? それならいい加減気が付きそうなのにとも思うのですが、はて?
議論にしてしまうやり方だとだめみたいです。


[24082] Re:[24081] [24080] [24079] [24078] [24076] [24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/08/03(Thu) 09:06  

> > > そういった背景からフリーである心が空なる心であると私は確信するのですが、では背景からフリーな心とはどういう心であるのかを定義でなくリアルに明らかにする必要があります。
> >
> >
> >  クリシュナムルティが「心理的アウトサイダー」と呼ぶものかもしれません。
> >
> >  失職を恐れない。他者からの批評を恐れない。災難に遭遇することを恐れない。死を恐れない。
>
>
> 日本人の多くの人が「空」という大乗仏教の思想にある言葉を知っています。
>
> 私はだいぶ以前この掲示板でこの空観を確固たるものにしたナーガールジュナ(竜樹)の生涯、思想、著作についての中村 元 著「竜樹」(講談社学術文庫)を教えて頂き、読みましたが、当時はよく理解できませんでした。
>
> 背景からフリーである心の状態が空であると言いましたが、この仏教の思想をもう一度チェックしようと思っています。ただ上掲書はそう簡単に読める本ではないですが……


 一般的には、自身の悟りや空は、自身の内側で完結できるように思われています。

 しかし、クリシュナムルティは自身の内側と外側を分けることはできないと述べます。

 失職を恐れていて空であることはない。他者からの批評を恐れていて空はない。災難に遭遇することを恐れて空はない。死を恐れて空はない。

 自身の外部が自身の内部であるので、背景(外部)からのフリーは、即、内側のフリーに繋がっているように感じます。

 結婚当時、私は人一倍幸せな者と感じていたが、3年も経つと周囲の独身貴族を、少しばかり羨んでいた。フリーの喪失を感じていたようだ。

 家屋敷を入手したとき、自慢の家屋敷が誇らしかった。しかし、その後の人生が決定されたように感じていた。ローンを負っているので、簡単には転職はできない。この仕事が還暦まで続くことが決定されたように感じていた(よっぽどのアクシデントがないかぎり)。フリーの喪失を感じていた。

 今現在、子らが順調に育って、巣立ってゆくことが目前に感じられるようになった(下は未だ高校生)。

 子らが巣立てば、フリーが許される。


> 変容というと、私は「最初で最後の自由」の第2部の最後の章「変容」が一番リアルに述べられていると思います。
>
> それで、Kのトークが変容や戦争をなくすための方法でないならそれは何なのかと言うと、Kからの愛の贈り物をいただいたというよりほかにないように思います。

 死の恐怖からのフリーを貰うだけでもありがたいのかもしれません。

 クリシュナムルティ以外の指導者は、あの世・天国・転生輪廻・復活・魂の永続等々の観念によって、死の恐怖を緩和する手法に終始した。その観念は、それと対立する観念と不和を生じさせ、差別や戦争によって苦悩や死を増長させた。


[24081] Re:[24080] [24079] [24078] [24076] [24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/02(Wed) 23:42  

> > そういった背景からフリーである心が空なる心であると私は確信するのですが、では背景からフリーな心とはどういう心であるのかを定義でなくリアルに明らかにする必要があります。
>
>
>  クリシュナムルティが「心理的アウトサイダー」と呼ぶものかもしれません。
>
>  失職を恐れない。他者からの批評を恐れない。災難に遭遇することを恐れない。死を恐れない。


日本人の多くの人が「空」という大乗仏教の思想にある言葉を知っています。

私はだいぶ以前この掲示板でこの空観を確固たるものにしたナーガールジュナ(竜樹)の生涯、思想、著作についての中村 元 著「竜樹」(講談社学術文庫)を教えて頂き、読みましたが、当時はよく理解できませんでした。

背景からフリーである心の状態が空であると言いましたが、この仏教の思想をもう一度チェックしようと思っています。ただ上掲書はそう簡単に読める本ではないですが……

変容というと、私は「最初で最後の自由」の第2部の最後の章「変容」が一番リアルに述べられていると思います。

それで、Kのトークが変容や戦争をなくすための方法でないならそれは何なのかと言うと、Kからの愛の贈り物をいただいたというよりほかにないように思います。


[24080] Re:[24079] [24078] [24076] [24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/08/02(Wed) 15:35  

> 政治というか、ヒトはこのことにどういうふうに取り組んできたか。
>
> まず、人は社会的動物で大勢の人が集まって暮らすという事は必然というか自然の姿です。そこで多くの人の協働という事が必要になりますが、専門化した分業とその分配だけでも大変ですが、さらに国家規模になると法と統治という事が必要になるようです。
>
> これは県や市町村にも、もろもろの会社などの組織にもあります。人間にも細胞にも組織と秩序があります。もっとも、人間は個人として統合されているかどうかは怪しくて、葛藤、矛盾を抱えている場合が多いですが。
>
> それでも人は家族、知己の間では直接知覚できるので意識的無意識的に協働できる可能性があります。しかし直接であっても初期は警戒心を持って探り合うでしょう。民族的にあるいは階級がある場合は階級的な差の有無はその態度に大きく影響するでしょう。
>
> こういうのが人のマインドの普通の背景にあると見て、それを客観的に見て政治を行うのが政治学の姿なのだろうか?
> すると、今の世界では常備軍を持つという姿勢になるが、それでは軍需産業を成立させるには戦争が不可欠になるから、平和を望むなら常備軍を持ってはならないと言ったのはカントらしい。
>
> そういった背景からフリーである心が空なる心であると私は確信するのですが、では背景からフリーな心とはどういう心であるのかを定義でなくリアルに明らかにする必要があります。


 クリシュナムルティが「心理的アウトサイダー」と呼ぶものかもしれません。

 失職を恐れない。他者からの批評を恐れない。災難に遭遇することを恐れない。死を恐れない。


[24079] Re:[24078] [24076] [24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/01(Tue) 23:52  

> > > 「私たちが表面的なものの中や、周辺上で生きている限り、問題は存在はします。その周辺とは「私」やその感情のことであり、……」
> > >
> > > 「マインドは感情です。マインドは蓄積された感情と反応の結果であり、それが触れるものは何であれきっと悲惨や混乱、果てしない問題を作り出すのです」
> > >
> > > Kはここではっきりと心・マインドが人間の問題(それは表面的なものです)を作り出すと言っています。で、これは実際にどういう事か、昨日我が家にそれが起こりました。
> > >
> > > 私が出先で入れ歯を一時外すため、入れ歯入れをきれいに洗って持ち出したのですが、それが何と妻のものだったのです。それで帰ってから「私のを持って行ったでしょう」「いや、そんな馬鹿な」と言い合いになりました。
> > >
> > > 確かに感情の問題で表面的な周辺の出来事です。人間の問題のすべてはこんなふうに表面的なことなんですかね。

感情の問題と一言で言ってしまいましたが、この例でいうと実は感覚的問題のようです。
必ずしも利己的という事ではないけれど「私」という個別的感覚が働いているのですが、これは生理的なものでもあり、かなり深いものがあるかもしれません。

例えば、この頃のムシムシする暑さの中で、お互いが近づきすぎるのは避けたいです。しかし大地震でも起これば、確かにそんなことは消し飛びますが。

> > > 問題はこのようなものかという事と、実際にこれを起こしているマインドの動きを「気づく」という事は、簡単なことのようで難しんですかね。
> > >
> > > 国会の議論は延々と続きます。ちょっと尻切れトンボ的ですが、ここまでにしておきます。
> >
> >
> >  表面的な問題ではあるが、「悪」と呼ばれる所以ともなる。
> >
> >  殺人、自殺、戦争の原因。また、犯罪の原因ともなる、表面的な問題。
>
>
> そうですね。表面的事柄にも好き、きらい、善悪、仲間と敵のようなレッテルを張ると、些細なことが見えないで問題になります。
>
> 一例として、いじめは些細なことから始まるのでしょうが、恐怖、付和雷同などが起こり、大事に至ることもあります。
>
> このマインドの動きをマインドの観点から見るのでなく、聡明に見る、聴く、知覚するなら、即時の理解(表面的さじとの理解)があり、完全な対処ができるでしょう。
>
> しかし出来事の中に暴力を背景にした脅迫、それから来る恐怖の発生などがあるときはどうでしょう。このとき生死が絡むのですが、この時は致命的問題であると言えるのでしょうね。
>
> さて、政治学を読むと、このマインドから発生する人の感情、非合理性、暴力性は大衆のあるがままの姿としてよく認識されています。そこで統治とか主権が発生する方向に向かいます。なおよく読んでみますが。
>
> Kはマインド、感情の動きそのものを看破して変容をもたらすことでの根本的解決を指摘しています。
>
> とりあえず、こういう感じを持ちました。


政治というか、ヒトはこのことにどういうふうに取り組んできたか。

まず、人は社会的動物で大勢の人が集まって暮らすという事は必然というか自然の姿です。そこで多くの人の協働という事が必要になりますが、専門化した分業とその分配だけでも大変ですが、さらに国家規模になると法と統治という事が必要になるようです。

これは県や市町村にも、もろもろの会社などの組織にもあります。人間にも細胞にも組織と秩序があります。もっとも、人間は個人として統合されているかどうかは怪しくて、葛藤、矛盾を抱えている場合が多いですが。

それでも人は家族、知己の間では直接知覚できるので意識的無意識的に協働できる可能性があります。しかし直接であっても初期は警戒心を持って探り合うでしょう。民族的にあるいは階級がある場合は階級的な差の有無はその態度に大きく影響するでしょう。

こういうのが人のマインドの普通の背景にあると見て、それを客観的に見て政治を行うのが政治学の姿なのだろうか?
すると、今の世界では常備軍を持つという姿勢になるが、それでは軍需産業を成立させるには戦争が不可欠になるから、平和を望むなら常備軍を持ってはならないと言ったのはカントらしい。

そういった背景からフリーである心が空なる心であると私は確信するのですが、では背景からフリーな心とはどういう心であるのかを定義でなくリアルに明らかにする必要があります。


[24078] Re:[24076] [24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/07/30(Sun) 11:53  

> > 今「最初で最後の自由」質疑、応答21「セックスについて」を読んでいます。さすがにこれは引っかかるところなしで済むかと思ったら、上記タイトルのところに引っかかりました。
> >
> > 「私たちが表面的なものの中や、周辺上で生きている限り、問題は存在はします。その周辺とは「私」やその感情のことであり、……」
> >
> > 「マインドは感情です。マインドは蓄積された感情と反応の結果であり、それが触れるものは何であれきっと悲惨や混乱、果てしない問題を作り出すのです」
> >
> > Kはここではっきりと心・マインドが人間の問題(それは表面的なものです)を作り出すと言っています。で、これは実際にどういう事か、昨日我が家にそれが起こりました。
> >
> > 私が出先で入れ歯を一時外すため、入れ歯入れをきれいに洗って持ち出したのですが、それが何と妻のものだったのです。それで帰ってから「私のを持って行ったでしょう」「いや、そんな馬鹿な」と言い合いになりました。
> >
> > 確かに感情の問題で表面的な周辺の出来事です。人間の問題のすべてはこんなふうに表面的なことなんですかね。
> >
> > 問題はこのようなものかという事と、実際にこれを起こしているマインドの動きを「気づく」という事は、簡単なことのようで難しんですかね。
> >
> > 国会の議論は延々と続きます。ちょっと尻切れトンボ的ですが、ここまでにしておきます。
>
>
>  表面的な問題ではあるが、「悪」と呼ばれる所以ともなる。
>
>  殺人、自殺、戦争の原因。また、犯罪の原因ともなる、表面的な問題。


そうですね。表面的事柄にも好き、きらい、善悪、仲間と敵のようなレッテルを張ると、些細なことが見えないで問題になります。

一例として、いじめは些細なことから始まるのでしょうが、恐怖、付和雷同などが起こり、大事に至ることもあります。

このマインドの動きをマインドの観点から見るのでなく、聡明に見る、聴く、知覚するなら、即時の理解(表面的さじとの理解)があり、完全な対処ができるでしょう。

しかし出来事の中に暴力を背景にした脅迫、それから来る恐怖の発生などがあるときはどうでしょう。このとき生死が絡むのですが、この時は致命的問題であると言えるのでしょうね。

さて、政治学を読むと、このマインドから発生する人の感情、非合理性、暴力性は大衆のあるがままの姿としてよく認識されています。そこで統治とか主権が発生する方向に向かいます。なおよく読んでみますが。

Kはマインド、感情の動きそのものを看破して変容をもたらすことでの根本的解決を指摘しています。

とりあえず、こういう感じを持ちました。


[24077] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/07/30(Sun) 07:31  

「いや!悟ってない」という自分もあるがままに受け入れる。一つの極があれば反対の極もある。

8のように、あるいは∞のように、行っては来て、やってきては去っていく。流れる川のように。

堰き止まったところがあれば、それもまたよし。流れるまで考える。そして、またあるがままに。

一晩寝て、でた答えがひとまずこんなところでした。

これからも、人と接し、本を読み、自然と触れ合い、引っかかるところがあれば、考え抜く。そのあとは、あるがままに。

他人がきにいらない自分もあるがままに。他人がそうであることもあるがままに。




[24076] Re:[24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/07/29(Sat) 21:03  

> 今「最初で最後の自由」質疑、応答21「セックスについて」を読んでいます。さすがにこれは引っかかるところなしで済むかと思ったら、上記タイトルのところに引っかかりました。
>
> 「私たちが表面的なものの中や、周辺上で生きている限り、問題は存在はします。その周辺とは「私」やその感情のことであり、……」
>
> 「マインドは感情です。マインドは蓄積された感情と反応の結果であり、それが触れるものは何であれきっと悲惨や混乱、果てしない問題を作り出すのです」
>
> Kはここではっきりと心・マインドが人間の問題(それは表面的なものです)を作り出すと言っています。で、これは実際にどういう事か、昨日我が家にそれが起こりました。
>
> 私が出先で入れ歯を一時外すため、入れ歯入れをきれいに洗って持ち出したのですが、それが何と妻のものだったのです。それで帰ってから「私のを持って行ったでしょう」「いや、そんな馬鹿な」と言い合いになりました。
>
> 確かに感情の問題で表面的な周辺の出来事です。人間の問題のすべてはこんなふうに表面的なことなんですかね。
>
> 問題はこのようなものかという事と、実際にこれを起こしているマインドの動きを「気づく」という事は、簡単なことのようで難しんですかね。
>
> 国会の議論は延々と続きます。ちょっと尻切れトンボ的ですが、ここまでにしておきます。


 表面的な問題ではあるが、「悪」と呼ばれる所以ともなる。

 殺人、自殺、戦争の原因。また、犯罪の原因ともなる、表面的な問題。


[24075] 表面的、あるいは周辺上の問題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/07/29(Sat) 19:56  

今「最初で最後の自由」質疑、応答21「セックスについて」を読んでいます。さすがにこれは引っかかるところなしで済むかと思ったら、上記タイトルのところに引っかかりました。

「私たちが表面的なものの中や、周辺上で生きている限り、問題は存在はします。その周辺とは「私」やその感情のことであり、……」

「マインドは感情です。マインドは蓄積された感情と反応の結果であり、それが触れるものは何であれきっと悲惨や混乱、果てしない問題を作り出すのです」

Kはここではっきりと心・マインドが人間の問題(それは表面的なものです)を作り出すと言っています。で、これは実際にどういう事か、昨日我が家にそれが起こりました。

私が出先で入れ歯を一時外すため、入れ歯入れをきれいに洗って持ち出したのですが、それが何と妻のものだったのです。それで帰ってから「私のを持って行ったでしょう」「いや、そんな馬鹿な」と言い合いになりました。

確かに感情の問題で表面的な周辺の出来事です。人間の問題のすべてはこんなふうに表面的なことなんですかね。

問題はこのようなものかという事と、実際にこれを起こしているマインドの動きを「気づく」という事は、簡単なことのようで難しんですかね。

国会の議論は延々と続きます。ちょっと尻切れトンボ的ですが、ここまでにしておきます。


[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69] [70] [71] [72] [73] [74] [75] [76] [77] [78] [79] [80] [81] [82] [83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90] [91] [92] [93] [94] [95] [96] [97] [98] [99] [100]

処理 記事No 暗証キー
- LightBoard - Modified by isso