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[24064] Re:[24063] 脳のパターンを全面的に解体する 投稿者:ゴト 投稿日:2017/07/24(Mon) 12:13  

>  『境界を越える英知』p5 より引用
>
>  みなさんがこんなことを試したことがあるかどうか、わたしは知りません。それは、この話し手が何を言うにしても、その言葉を聞いて、そこに真理を見出すことです。知的にではなく、また、それなりの疑いを抱きつつ、というだけでもなく、同時に、いかなる抵抗もなしに聞くのです――それは、受け入れるという意味ではなく、非常に深く、大いなる注意とともに聞くことを意味しており、そのときには、聞くという行為そのものが、脳のパターンを全面的に解体するのです。(出典:1980.7.17 ザーネン・トーク)
>
>  − − − 以上引用 − − −
>
>  反応は自我を増幅させ、行為は自我を弱らせる(脳のパターンの解体)。これは、『真理の種子』あとがき にも触れられていたことです。
>
>  この「聞く」は「見る」にも当てはまることと察します。
>
>  以前、ゴトさんは、国会中継だけは抵抗なく「聞く」ことに苦労した旨を述べられていました。
>
はい、そうです。興味を持っているのですが聴くに堪えなくなって、ついにはスイッチを切るという感じでした。

>  ゴトさんが「見る」・「聞く」に入っているときには、脳のパターン(条件付け)の解体が起こっているのでしょうか・・。
>
解体が起こっているかどうかはわかりませんが、反応・判断なしに聞く状態が生じているわけです。普通の判断や解釈、あるいは非難正当化が起きている意識状態と違っています。

>  解放とは、「見る」・「聞く」という行為だけで完結するのかもしれません。
>
そうかもしれませんね。心理的思考が起こってもそれはただ知覚されています。

>  『真理の種子』でクリシュナムルティは述べています。
>
>  「自由」とは、私が好きなことをする自由ではない。あくせくとせかされ、駆り立てられて活動することから免れる自由であると。
>
>  解放とは、そのような自由を得ることであり、これが生の解放のようです。「見る」・「聞く」が即、解放であり、ゴトさんが述べる無意識性あるいは空の境地でしょうか。

ここなんですが、哺乳類のような高等動物は知覚が脳の中で人間と同じようにニューロンのネットワークの中を駆け巡っているのは確かだと思いますが、それは無意識性というか、意識があると言ったらいいのか、そこがわかりません。

国会中継はそのように見ることができなくとも、山や海に行ってただ景色を見、波の音を聞いている時は動物のような意識状態なのかもしれません。

国会中継もそのように見ているなら、>――それは、受け入れるという意味ではなく、非常に深く、大いなる注意とともに聞くことを意味しており、そのときには、聞くという行為そのものが、脳のパターンを全面的に解体するのです、−−

つまり、非難正当化のパターンは解体されるのかもしれませんね。

人は科学を発展させる能力を持つに至ったことは結構として、今の混乱は何が起こっているのかな???

観念、イメージを追いかけるという事が問題とすれば、人はどうすればいいのでしょう。簡単には手放さない気がする。


[24063] 脳のパターンを全面的に解体する 投稿者:宮啓 投稿日:2017/07/24(Mon) 10:02  

 『境界を越える英知』p5 より引用

 みなさんがこんなことを試したことがあるかどうか、わたしは知りません。それは、この話し手が何を言うにしても、その言葉を聞いて、そこに真理を見出すことです。知的にではなく、また、それなりの疑いを抱きつつ、というだけでもなく、同時に、いかなる抵抗もなしに聞くのです――それは、受け入れるという意味ではなく、非常に深く、大いなる注意とともに聞くことを意味しており、そのときには、聞くという行為そのものが、脳のパターンを全面的に解体するのです。(出典:1980.7.17 ザーネン・トーク)

 − − − 以上引用 − − −

 反応は自我を増幅させ、行為は自我を弱らせる(脳のパターンの解体)。これは、『真理の種子』あとがき にも触れられていたことです。

 この「聞く」は「見る」にも当てはまることと察します。

 以前、ゴトさんは、国会中継だけは抵抗なく「聞く」ことに苦労した旨を述べられていました。

 ゴトさんが「見る」・「聞く」に入っているときには、脳のパターン(条件付け)の解体が起こっているのでしょうか・・。

 解放とは、「見る」・「聞く」という行為だけで完結するのかもしれません。

 『真理の種子』でクリシュナムルティは述べています。

 「自由」とは、私が好きなことをする自由ではない。あくせくとせかされ、駆り立てられて活動することから免れる自由であると。

 解放とは、そのような自由を得ることであり、これが生の解放のようです。「見る」・「聞く」が即、解放であり、ゴトさんが述べる無意識性あるいは空の境地でしょうか。


[24062] Re:[24061] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/07/24(Mon) 09:23  

> ヒトの持つ問題は何か、Kの説いたところは何かは大きな問題で一筋縄ではいかない。
> そこで、問いを換え、ギリシャ的精神とインド精神の心の在り方の違いについて考えてみましょう。
>
> ギリシャ精神は理性的、意識的、知的自己が、無意識的・獣的な部分を、教化・馴致し、支配する社会を築くというものである。
> これは日本人でも皆かなり知っているのではないかと思う。
>
> インド精神においては、心神合一というか忘我の境地が原始の自然・環境の中で心の平穏を与える境地と認識され、それを中心において社会が構成された。
>
> ただし、この境地は祭文の詠唱、ソーマ、食事ほかの行によって、人の側から招くことの出るものであった。
> これらの人為性はKによって否定されていることは明白でしょう。
>
> ここで、意識性と無意識、あるいは空の境地が大きな差を持つものとして登場するが、これが何であるのかは、心理学の意識、無意識に捉われることなく、よく理解する必要があると思う。


 はい。

 特にクリシュナムルティ理解を通じての理解が重要に感じています。

 すなわち自己理解、自己認識、自己開示の先にある、招くことのできないものとしての「空」等々。

 これに対して、坐禅等々の人々を見ていると、自己理解よりも「空の境地」等々の理解に力点が置かれているように感じます。小悟何回、大悟何回、最終の悟り、等々。悟りの階段のどのレベルにいるのか・・等々。

 これに対してクリシュナムルティは、空の理解は副次的なものであり、自己理解が最優先であるとして説いているように感じます。

 これほど禅が普及している本国において、禅に取り組む者が、なかなかクリシュナムルティに入ってゆかない。あるいは、すこし入って、その難解さゆえに、興味・感心を萎えさせてしまう。読み込まない。

 私の個人的見解としては、禅に取り組む者でクリシュナムルティに触れても、そこに深く入ってゆかない者は、自己理解よりも悟りの獲得に重点を置いているように思います。


[24061] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/07/23(Sun) 14:18  

ヒトの持つ問題は何か、Kの説いたところは何かは大きな問題で一筋縄ではいかない。
そこで、問いを換え、ギリシャ的精神とインド精神の心の在り方の違いについて考えてみましょう。

ギリシャ精神は理性的、意識的、知的自己が、無意識的・獣的な部分を、教化・馴致し、支配する社会を築くというものである。
これは日本人でも皆かなり知っているのではないかと思う。

インド精神においては、心神合一というか忘我の境地が原始の自然・環境の中で心の平穏を与える境地と認識され、それを中心において社会が構成された。

ただし、この境地は祭文の詠唱、ソーマ、食事ほかの行によって、人の側から招くことの出るものであった。
これらの人為性はKによって否定されていることは明白でしょう。

ここで、意識性と無意識、あるいは空の境地が大きな差を持つものとして登場するが、これが何であるのかは、心理学の意識、無意識に捉われることなく、よく理解する必要があると思う。


[24060] Re:[24059] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/07/23(Sun) 09:16  

> アリストテレスの「政治学」の中から欲望について取り上げます。
>
> 実際的な欲求はその用を満たすとそれで終わりで済むが、願望(デザイア)という事になると、財がその代表的なものですが、とめどもないことになりやすく、これは国家の姿をゆがめる。
>
> それゆえ、国家はそれを抑制する徳を備えている必要があり、国民も節制の徳を備えるようでなければならないし、それがよい国家であると説かれています。
>
> ギリシャの昔からこのことは明快に説かれていたことに驚くとともに、確かに現代でもこのことは変わってはいない、いまだ問題のままだと思います。
>
> そこには言葉と意識、イメージを使うようになったヒトの、動物とは違う独自性があるのでしょう。
>
> それに複雑な社会の諸組織からなる国家組織を創り出す試行錯誤の過程が、文明、文化の発達と相互に作用しながら世界的に進行している現代であるのでしょう。
>
> それ以前の動物の段階ではコズミックな秩序があった。そこでは本能的な欲求は脳の偏桃体によって抑制されていたし、その存在のままに生ききるしかなかった。
>
> さて、ヒトも、自分自身の創り出す文明、文化の目まぐるしい進化との相互作用の中で、個々人は、あっとかうっとかもがきながら与えられた日々を生ききるしかないように思うが、そこで問題は何だろう?Kは何を説いたのだろう?


 一人の人間の根本的変容は、人類全体へ影響を与える旨がクリシュナムルティによって述べられています。

 そのような変容が、ひとつずつ積み上げられてゆくことが、唯一の過程かもしれません。

 誰もクリシュナムルティを読まないとつぶやかれながら、しかし、毎年、新刊が出ている。

 大野純一氏は、ご高齢となっているが・・、しかし、後輩たちが翻訳を続けている。

 このコツコツとした生命のような流れは絶えないのかもしれない。


[24059] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/07/23(Sun) 00:37  

アリストテレスの「政治学」の中から欲望について取り上げます。

実際的な欲求はその用を満たすとそれで終わりで済むが、願望(デザイア)という事になると、財がその代表的なものですが、とめどもないことになりやすく、これは国家の姿をゆがめる。

それゆえ、国家はそれを抑制する徳を備えている必要があり、国民も節制の徳を備えるようでなければならないし、それがよい国家であると説かれています。

ギリシャの昔からこのことは明快に説かれていたことに驚くとともに、確かに現代でもこのことは変わってはいない、いまだ問題のままだと思います。

そこには言葉と意識、イメージを使うようになったヒトの、動物とは違う独自性があるのでしょう。

それに複雑な社会の諸組織からなる国家組織を創り出す試行錯誤の過程が、文明、文化の発達と相互に作用しながら世界的に進行している現代であるのでしょう。

それ以前の動物の段階ではコズミックな秩序があった。そこでは本能的な欲求は脳の偏桃体によって抑制されていたし、その存在のままに生ききるしかなかった。

さて、ヒトも、自分自身の創り出す文明、文化の目まぐるしい進化との相互作用の中で、個々人は、あっとかうっとかもがきながら与えられた日々を生ききるしかないように思うが、そこで問題は何だろう?Kは何を説いたのだろう?


[24058] 解放の習慣 投稿者:宮啓 投稿日:2017/07/22(Sat) 12:26  

 『真理の種子』を読んでのコメントを渡辺さんの掲示板へ投稿しました。

 ご参考までに、http://6926.teacup.com/mitsuruwatanabe/bbs の[7227]


[24057] Re:[24056] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/07/21(Fri) 20:30  

> ユングの書いた挿話の一つ。
>
> とある原始部族にイギリスの宣教師が初めて入り、良好な関係を何とか築いていた。或る朝、その日は女王陛下の誕生日であったので、牧師はユニオンジャックの旗を教会に掲げた。
>
> その日部落に大事件が起こった。部族の洗濯場で洗濯をしていた女がワニに襲われたのである。そこはどうしてもワニが来るわけのない場所であったのである。
>
> 部落の長老、賢者が集まって協議したが、気のつくことはその日に限って掲げられたユニオンジャックの旗以外に何も思い当たらなかった。
>
> それでその宣教師は哀れにも殺されたが、なぜ自分が殺されなければならなかったかは最後まで分からなかったろうとユングは書いている。
>
> もちろん、ユニオンジャックの旗を掲げたのは邪悪なワニを呼び寄せた呪術的行為と解釈されたのだろう。
>
> このような素朴な事柄もあるだろうが、それとは別に瞑想というか、心神合一というか、忘我の境地という精神の状態があって、祭式はその状態を生じさせる過程でもあり、祭官のみならず、祭主も精進潔斎を行うものでもあった。
>
> 現代の精神世界ではこの境地と悟りの境地が混合していて個別的に求められている気がしますが、Kは真実、実在に触れる唯一の立脚点として説いている気がします。
>
>
> [24055]では沖縄の歴史を教えてくださってありがとうございます。
>
> 「真理の種子」の全部を見通して何か書くのもいつになるかわからないので、今私の持っている問題意識をぽつぽつと書いて見ようかと思っています。


 はい。いつも楽しみにしています。

 昨日、『インド思想史』を注文しました。ご紹介頂きありがとうございます。

 本日、先日注文していた『境界を超える英知〜人間であることの核心〜』J.クリシュナムルティ著 コスモスライブラリー が届きました。2000年クリシュナムルティ財団(イギリス)発行、2017年2月邦訳初版発行の本です。

 本日、先ほど、『真理の種子』を読み終えました。

 新たに学ぶことが多くあることに驚いています。

 なぜ、他の人たちは読まないのかが不思議でなりません‥。


[24056] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/07/21(Fri) 19:30  

ユングの書いた挿話の一つ。

とある原始部族にイギリスの宣教師が初めて入り、良好な関係を何とか築いていた。或る朝、その日は女王陛下の誕生日であったので、牧師はユニオンジャックの旗を教会に掲げた。

その日部落に大事件が起こった。部族の洗濯場で洗濯をしていた女がワニに襲われたのである。そこはどうしてもワニが来るわけのない場所であったのである。

部落の長老、賢者が集まって協議したが、気のつくことはその日に限って掲げられたユニオンジャックの旗以外に何も思い当たらなかった。

それでその宣教師は哀れにも殺されたが、なぜ自分が殺されなければならなかったかは最後まで分からなかったろうとユングは書いている。

もちろん、ユニオンジャックの旗を掲げたのは邪悪なワニを呼び寄せた呪術的行為と解釈されたのだろう。

このような素朴な事柄もあるだろうが、それとは別に瞑想というか、心神合一というか、忘我の境地という精神の状態があって、祭式はその状態を生じさせる過程でもあり、祭官のみならず、祭主も精進潔斎を行うものでもあった。

現代の精神世界ではこの境地と悟りの境地が混合していて個別的に求められている気がしますが、Kは真実、実在に触れる唯一の立脚点として説いている気がします。


[24055]では沖縄の歴史を教えてくださってありがとうございます。

「真理の種子」の全部を見通して何か書くのもいつになるかわからないので、今私の持っている問題意識をぽつぽつと書いて見ようかと思っています。


[24055] Re:[24054] [24053] [24052] [24051] [24050] アリストテレスの政治学 投稿者:宮啓 投稿日:2017/07/20(Thu) 15:22  

> >  この本の内容は、クリシュナムルティをかなり読み込んだ人向けの内容に感じます。
> >
> >  要点がうまく整理され、数学の教科書のように展開してゆきます。
>
>
> 熱心に読んでいらっしゃると拝察したので、私も第1部の1,2,3章を読みました。
>
> 2章の中ほどで心理的安心という言葉が出てドキッとしました。
>
> 心の安定があれば物質的安定は問題でないという事が改めてはっきりとわかりました。
>
> 3章で神秘という事が話されています。この辺のところは私はあまり取り上げてこなかったところですが、少し探求してみようかなと思います。
>
> それは岩波文庫のJ.ゴンダ:「インド思想史」をちらっと読むと、第1章が「ヴェーダ――潜在力への信仰と祭式、神々との交流」となっていて、この章は明らかに太古的な呪術的祭式の祭文としてのヴェーダの成り立ちが書いてあります。
>
> 自然から受ける圧倒的な何かと、それを知覚しようとする探求は、ギリシャとは全く異なる宗教的色彩を帯びているわけです。
>
> それで最後の14章は「革新的思想と唯物論」で、それとてもその伝えられているのは西暦紀元前六世紀ごろらしいから、ずいぶん古くから痛烈な戦い(来世なく、再生なく、カルマなし)が繰り広げられていたらしいです。
>
> 理論闘争だけでなく、祭式の否定に及ぶので社会的闘争でもあります。
>
> クリシュナムルティは神智学とわかれたのですが、その根はどこまで深いのだろうかと思います。


 ゴトさんが読んでいる『インド思想史』に興味を持ちました。

 この沖縄では約一千年前まで狩猟採取時代(貝塚時代)であり、原始シャーマニズム花盛りでした、そして、数百年の間に農耕文明、グスク(城)時代(縄張りを主張して互いに覇権を争う時代)、三山(沖縄本島の北部・中部・南部の諸勢力)時代、そして、三山が統一されたのが15世紀となっています。その統一された国の規模が、ちょうど卑弥呼の時代の邪馬台国を含む諸国の大きさ(規模)です。

 この数百年間に狩猟採取時代から統一王朝時代へ一気に時代が進んだ事例は、世界史で唯一の事例とのことです。

 さて、現在も遺っている沖縄シャーマニズムですが、これは世界に現存する最も保存状態がよい>太古的な呪術的祭式の祭文−−ということになるのでしょう・・(※久高島のイザイホーは映像でしか遺っていませんが・・)。

 また、クリシュナムルティのシャーマニズム的側面は、『クリシュナムルティとは誰だったのか』で詳述されていますが、クリシュナムルティはシャーマニズムの結晶とも呼べる存在であったことが分かります。

 クリシュナムルティが神智学から分かれた根は、いかに深かろうが、すぐそこにある(沖縄では身近な)シャーマニズムに照らし、シャーマニズムが時間の世界(すなわち現世利益)にあることに対して、クリシュナムルティは時間の世界を超えたところのものを説いている。それゆえに、おのずと神智学と分かれたのではないかと感じています。

 そして、禅に対しても袂を分かつのか?その鍵が『真理の種子』に書かれているような感じも受けつつ、読み進めています。

 禅が仏陀に関係するのか無関係なのか?この大事は、クリシュナムルティ理解によって確かめられることのように感じます。



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