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[24206] Re:[24205] [24199] 生と死 投稿者:南方 投稿日:2017/08/19(Sat) 15:48  

>
>
> 今、知恵袋で精神的な死とは何かの答えとして
> 「それまでの発想が180度転換するようなものじゃないですかね」
> という意見にヒットしました。
>



すいません、一人でつらつらと呟く形になって恐縮です。

上述の意見が本当かどうかKに聞いてみたところ、違うという返事がきました。

Kは言います。肉体的な死を考えてごらんなさいと。それは、焼かれ土にかえり水に流され風に吹かれると。そのようであるはずだと。精神的な死もまた。


真偽のほうは分かりません。ここで精神的に死ぬとはどんなことかと他人に聞くことは、ドグマにはまる恐れもあるので、独り在ることが大切かと思います。

以上でした。ながながつらつらとすいませんでした。


[24205] Re:[24199] 生と死 投稿者:南方 投稿日:2017/08/19(Sat) 15:33  

> 「既知からの自由」より
>
> 引用
>
> 私たちはどう生きればいいのか知りません。それゆえ、どう死ねばいいのかも知らないのです。
>
> 中略
>
> その時、生と死は同一です。
>
> 中略
>
> 愛することは死ぬことだからです。
>
>
>
> 以上引用終わり
>
>


今、知恵袋で精神的な死とは何かの答えとして
「それまでの発想が180度転換するようなものじゃないですかね」
という意見にヒットしました。

私たちはどう生きるか?それがわからなければ当然どう死ぬのかはわからないでしょう。

どう生きるかはどう精神的に(上述のように)死ぬかにかかっているのですから。




[24204] Re:[24202] [24201] [24199] 生と死 投稿者:南方 投稿日:2017/08/19(Sat) 15:08  


>
> 今を生きると死を考えるは同義かな。
>
>




つまり死を今に置くというイメージ。
精神的に今死ねないなんて条件付けで、肉体的に死ぬときに精神的に死ぬならば、今死ぬことだってできるはずである。
先のことだから、という条件付けを外し今精神的に死ぬ。
それが精神には可能なはずである。なぜなら、精神の自由はあるからだ。そう思いこまされてきた刷り込みが嘘だと精神が理解した時、死は起こるだろう。



[24203] 個人とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/08/19(Sat) 14:14  

ここに書いた個人はもちろん人間の個体のことですが、個人とは何か?、言葉として知ってはいるが、その実際を自分なりに深く考えたことはなかった。それを考えるとともに、群れや社会についても考えていこうと思っている。

現実の個人は様々な体格、人格を持ち、多様であるが、精神的には似たり寄ったりで同じような問題をもって差がないとKは言う。そして精神は思考により断片化して矛盾を内部に孕んでいる。したがって統合された個人はいないともいう。

それで自分の心の状況を探究のために言うなら、静かに感じていればわかることだが、種々のコンプレックスや肉体の各部の反応というかフィードバックが、変わり(事件)のあった時に起こる。

それはめったに起こりはしないが、起こればわかる。たとえばガッツ(腸)などは言葉は使えないらしく、グフッという感じでうねるとか。
それは私は当時仕事で、少しうまく行きだして、それでも絶対油断してはならぬと心を鉄の意志で引き締めていた。それがさすがにもういいかなと思った瞬間、反応が起こった。

それが自己が、それは人間のシンクタンクなのだろうか、初めて自分自身の個体の中での他の部分の反応を知った時です。

今では自己はかなり静かに自分や世界を観照しています。全体が動いていくのについていくという感じです。わからないけれど、自分が見、聴き感じることが、個体全体の情報となっている感じです。自己は自分という個体の統治者です。以前の自己は独裁的でした。今は統合者的になって自分の意志と身体ほかの部分とは大きな矛盾なしに生きているようです。

国家の統治者は民衆の個人の自己のありようの反映なのだろうか?

人を群れとして見る時、国家の中にいくつかの群れの流れという見方を入れる必要がないだろうか? これが今の私の中にある疑問です。

余談 米国にオピオイド中毒が蔓延。

中国は昔アヘンが蔓延していた。人の働く気をなくすという。中国共産党が絶滅したと聞く。どうしたかはしらない。
心理的問題ではあろうが、政治の力がいるのではないか。これはどのようにして起こるのか? アメリカにとっては戦争どころではない問題かもしれない。



[24202] Re:[24201] [24199] 生と死 投稿者:南方 投稿日:2017/08/19(Sat) 11:04  

> > 「既知からの自由」より
> >
> > 引用
> >
> > 私たちはどう生きればいいのか知りません。それゆえ、どう死ねばいいのかも知らないのです。
> >
> > 中略
> >
> > その時、生と死は同一です。
> >
> > 中略
> >
> > 愛することは死ぬことだからです。
>
>  ここは、あくまで心理的思考の話であって、実際に「死ぬ」ということではありません。当然ながら。
>  何かを愛するとき、心理的思考の入る余地はありません。好き嫌いの二元的思考は心理的思考ですが、ここでの愛は、二元を超えたもの。
>  
> > 以上引用終わり
> >
> >
> > 一般の生は記憶からの思考、そして判断と続く繰り返しです。
> > 必要な記憶は別として、好き嫌い善い悪い等の判断の元になる
> > 思考群とそのまた元の記憶からの自由が生であるという。
>
> 思考や記憶からの自由が生ということですか?
>



思考や記憶からの自由というよりも、そこからの判断の自由といったほうがいいと思います。

思考群(価値観、固定観念等)や記憶の刷り込み等からの自由は各自やり方があるようです。僕の場合、Kとマントラを唱えます。



> > これは、わかります。体現しているかどうかは別として。
>
> 思考記憶は過去の経験知識といっても、実際私たちは使わないわけにはいきません。



はい、必要なものと不必要なものとがあると思います。外野さんがおっしゃっていた通り、感情を伴う心理的思考などと実践的思考と。





> >
> > わからないのは、いや、わかろうとしないのかもしれませんが死がこれと同じ躍動的で自由だということです。
>
>  死が自由?


肉体的に死んだとします。残るのは意識と記憶、そして思考群からの判断。永遠の繰り返し。まさに地獄。
ここでいう死が自由とは生を瞬間瞬間に死にながら、肉体的に死んだ時、それ以上の爽快感があるのではないかということです。だからと言って、別に希死念慮があるわけではないのですが。


> >
> > ここまで書いてきて、肉体という制約がなければ、さらに躍動的で自由もあるかなと思い直しました。
>
>  Kのいう死は心理的思考の死ではないですか。
>  思考は現れては消える。思考は現れては消える。その消えることが思考の死。
>  これをあやまってとらえると肉体を粗末にする自殺願望になる。崖に飛び込めば自由だと。あるいは平気で自爆テロというように肉体を粗末に扱う。



肉体を粗末に扱うのは生きるものとして許される行為ではないが、肉体にとらわれすぎるのもまた心というものを粗末にする。現代においては、そのバランスが欠けている。





>  何アのマンデラ大頭領は、私はたとえ牢獄にいようとも自由だといった。肉体は牢屋にいれられ自由に活動できないが、思想考え方は自由だと。ようするに思考への執着はない。
>



政治家となる人が失礼ながら、思考の自由があるとは思えない。詳しくは知りませんが。大衆を牢獄に(思想的に)閉じ込めるのが政治家ではないですか?


> >
> > しかしながら、死の恐怖が消えることはまだありません。様々な記憶からくる思考の判断のせいでしょう。
>
>  肉体の死が怖いというのは誰でも同じ。その恐怖をやわらげるためにある宗教は輪廻転生を説いた。死んだら極楽を生けると。
>  しかし、死は誰でもくるものですが、実際そのことを考えてもしょうがない。
>  仮に、がんが発見され余命1年と言われたとき、どのような気持になるか想像つきません。




前述したように、その時になってからでは遅いと思うのですね。死と向き合うとは今と向き合うと同義だと思います。そういう感じでとらえていただければと思います。決して先のことではない今死ぬかもしれない。人間いつ死ぬかなんてわからない。先かもしれないし今かもしれない。その心の準備は必要不可欠。

とここまで書いて、何かもやもやとわかってきたような気もしないでもないです。死と向き合うということと今を生きるということの表裏一体性。漠然と。



> >
> >
> > 愛することは死ぬこと。
>
> あやまってとらえると大変なことに。心中とか。
>



おもしろいこといいますね。

> > あの人がああだったこうだった、こうあるべきだとイメージが先行して関係すれば、愛することがどうしてできるでしょう。
>
>  愛する対象ができたときは、それらは関係ありません。



僕は買い物に行くときも、最近は心理的に死にその従業員の方々と接するようにしています。
不思議と嫌な感じが消え失せ、親近感を覚え、相手もまた親切にしてくれるようです。




> >
> >
> > なにが質問かと言えば、肉体的死の恐怖は心理的に死ねてないからなんでしょうか?それともそれは生存本能?
>
>  あれこれ先のことを考えるのは人間の習慣。性(さが)。先のことは厳密にはわからない。「今」を生きるには、心理的に過去を捨てるしかないでしょう。過去を捨てることが心理的思考の死。肉体の死が怖いというのもKによれば過去の経験記憶情報の産物ということになります。そのときになってみなければわからない。
> >



今を生きると死を考えるは同義かな。







[24201] Re:[24199] 生と死 投稿者:外野 投稿日:2017/08/19(Sat) 10:04  

> 「既知からの自由」より
>
> 引用
>
> 私たちはどう生きればいいのか知りません。それゆえ、どう死ねばいいのかも知らないのです。
>
> 中略
>
> その時、生と死は同一です。
>
> 中略
>
> 愛することは死ぬことだからです。

 ここは、あくまで心理的思考の話であって、実際に「死ぬ」ということではありません。当然ながら。
 何かを愛するとき、心理的思考の入る余地はありません。好き嫌いの二元的思考は心理的思考ですが、ここでの愛は、二元を超えたもの。
 
> 以上引用終わり
>
>
> 一般の生は記憶からの思考、そして判断と続く繰り返しです。
> 必要な記憶は別として、好き嫌い善い悪い等の判断の元になる
> 思考群とそのまた元の記憶からの自由が生であるという。

思考や記憶からの自由が生ということですか?

> これは、わかります。体現しているかどうかは別として。

思考記憶は過去の経験知識といっても、実際私たちは使わないわけにはいきません。
>
> わからないのは、いや、わかろうとしないのかもしれませんが死がこれと同じ躍動的で自由だということです。

 死が自由?
>
> ここまで書いてきて、肉体という制約がなければ、さらに躍動的で自由もあるかなと思い直しました。

 Kのいう死は心理的思考の死ではないですか。
 思考は現れては消える。思考は現れては消える。その消えることが思考の死。
 これをあやまってとらえると肉体を粗末にする自殺願望になる。崖に飛び込めば自由だと。あるいは平気で自爆テロというように肉体を粗末に扱う。
 何アのマンデラ大頭領は、私はたとえ牢獄にいようとも自由だといった。肉体は牢屋にいれられ自由に活動できないが、思想考え方は自由だと。ようするに思考への執着はない。

>
> しかしながら、死の恐怖が消えることはまだありません。様々な記憶からくる思考の判断のせいでしょう。

 肉体の死が怖いというのは誰でも同じ。その恐怖をやわらげるためにある宗教は輪廻転生を説いた。死んだら極楽を生けると。
 しかし、死は誰でもくるものですが、実際そのことを考えてもしょうがない。
 仮に、がんが発見され余命1年と言われたとき、どのような気持になるか想像つきません。
>
>
> 愛することは死ぬこと。

あやまってとらえると大変なことに。心中とか。

> あの人がああだったこうだった、こうあるべきだとイメージが先行して関係すれば、愛することがどうしてできるでしょう。

 愛する対象ができたときは、それらは関係ありません。
>
>
> なにが質問かと言えば、肉体的死の恐怖は心理的に死ねてないからなんでしょうか?それともそれは生存本能?

 あれこれ先のことを考えるのは人間の習慣。性(さが)。先のことは厳密にはわからない。「今」を生きるには、心理的に過去を捨てるしかないでしょう。過去を捨てることが心理的思考の死。肉体の死が怖いというのもKによれば過去の経験記憶情報の産物ということになります。そのときになってみなければわからない。
>


[24200] 心理的思考 投稿者:外野 投稿日:2017/08/19(Sat) 09:17  

 南方さんから、重要な問題提起を出されました。これからなるべく「クリシュナムルティ」だけに絞って対話しようと思います。他のことはひとまずおいといて。
 ある人によると、クリシュナムルティというのは、真理の探求者ではなく、あくまで心理的な事柄のみの言及だといわれました。いわば「全人幸福」を願う平和主義者?とか。そのための講演。
 同じ思考といっても、実用的思考と心理的思考があり、問題となるのは心理的思考。とはいっても私たちの日常で、これは心理的思考、これは実用的思考といちいちわけられるでしょうか。いや否です。
 (簡単な例。釣り銭が足らない。実用的思考。釣り銭が足らないことに店員に告げる。これだけでは問題はない。事実を告げただけ。釣り銭が足らないことに文句をいう。これは心理的思考。文句をいうには理由があり1回だけであなく、何回か繰り返すと相手を責める。)


 ですから新しい芽氏のいうように全ての思考を疑えという方も出てきます。思考全般を疑う。ほんとかどうか。
 イエスの『自身の想念に対して寝ずの番人をせよ」というのは有名な言葉ですが、新しい芽氏の「思考全般」を疑え、と通じるものがあります。
 しかし、実際のところ、私たちに日常で,自身の思考を24時間見張ることは可能でしょうか。(もとろん起きてる間だけです)
 新しい芽氏が、このようにやったかどうはわかりません。
 又、心理的思考というのは、感情がついてまわるので、感情の起伏によって、それが心理的思考が判別できます。感情というのは思考過程が誘導するので、よくわかる。怒り、悲しみなど。
 ところがやっかいなのは、プライド、ポリシー、権威欲というやつ。生まれたこの方無意識に刻まれているので、日頃当たり前になっている。間違っても疑うようがない。たとえばアメリカと北朝鮮の指導者は、互いに「面子」「プライド」にこだわっていることは。傍目では明らか。もちろん他人の声も耳を貸さない。本人達はその「自覚」はまったく。まさに「価値感」の塊。
 面子、プライド、ポリシー、価値感などは、まさに心理的思考の王様。それなくして人は生きられない?
 大黒柱の世のお父さんの方々。「誰が飯(おまんま)を食わしているのか」


[24199] 生と死 投稿者:南方 投稿日:2017/08/19(Sat) 05:53  

「既知からの自由」より

引用

私たちはどう生きればいいのか知りません。それゆえ、どう死ねばいいのかも知らないのです。

中略

その時、生と死は同一です。

中略

愛することは死ぬことだからです。



以上引用終わり


一般の生は記憶からの思考、そして判断と続く繰り返しです。
必要な記憶は別として、好き嫌い善い悪い等の判断の元になる
思考群とそのまた元の記憶からの自由が生であるという。
これは、わかります。体現しているかどうかは別として。

わからないのは、いや、わかろうとしないのかもしれませんが死がこれと同じ躍動的で自由だということです。

ここまで書いてきて、肉体という制約がなければ、さらに躍動的で自由もあるかなと思い直しました。

しかしながら、死の恐怖が消えることはまだありません。様々な記憶からくる思考の判断のせいでしょう。


愛することは死ぬこと。
あの人がああだったこうだった、こうあるべきだとイメージが先行して関係すれば、愛することがどうしてできるでしょう。


なにが質問かと言えば、肉体的死の恐怖は心理的に死ねてないからなんでしょうか?それともそれは生存本能?



[24198] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/19(Sat) 00:25  

一生懸命生きてたら、気づいたら、「普通」や「標準」という岸辺から大きく離れた絶海の真ん中にいた。

何でこんな風になったのかと考えたら、「自我」と「個性」以外のものをすべて捨ててきたからだと思う。

人間性を失うくらいならむしろそれ以外のすべてを捨てようという筋金入りのマッドさ。


[24197] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/08/18(Fri) 22:57  

https://www.youtube.com/watch?v=Uh1FAwznGlQ

清らかさを保つことによって単一性が手に入り、それに伴って神性がもたらされます。あなたハートを、純粋性、単一性、神性という三位一体の住処にしなければなりません。身に付けた教育を真の知識と見なすのは誤った考えです。なぜなら、身に付けた教育は書物の知識だからです。実際的な知識が真の教養です。


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