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[26887] Re:[26886] [26885] [26884] [26877] [26876] [26874] [26872] [26868] [26865] [26860] [26855] [26854] [26851] [26850] [26849] [26848] 『英知へのターニングポイント』 投稿者:宮啓 投稿日:2019/04/08(Mon) 20:17  

> >  まず、死を避けて生きよう生きようとする営みの中では、時間の外に居ることはありません。ビカミングのただ中にいます。
> >
> >  その生きよう生きようとする営みは、非難・正当化、分離・断片化から自由であることはできません。
> >
> >  生きよう生きようとする営みが、自分と他者、私の部族・地域・国とあなたの部族・地域・国という境界線を必然的に引きます。
> >
> >  すなわち、生きよう生きようとする営みは、葛藤を免れ得ないと言うことです。
> >
> >  クリシュナムルティは、度々尋ねます。「あなたは、なぜ、変わらないのか?」。
> >
> >  その答えは、「心理的に死ねないから・・」ということではないでしょうか。
>
>
> この生きよう生きようとする営みは、ひょっとすると他の動物にはない人間だけにある意識(あるいは思考)から来るものでしょうか?
>
> 他の動物の意識は無意識的な意識かも知れませんが、とにかく単純率直で、それゆえすがすがしいと言っては変ですが、カーストをつくらない、奴隷を使用しない。そこで人間を除くとコスモス的秩序の中にあるとKをして言わしめます。
>
> カースト制や奴隷制、こういう差別扱いを私は人間の悪としていま告発していますが、日本でも士農工商の別がありましたが当時はそれでそれが普通であり、疑問も持たなかったのでしょう。農村と都会の人間に、カースト的に戸籍上の差別があるなら現代では大問題でしょう。正社員と派遣社員に戸籍的差別がついてまわるなら大変です。
>
> そうでなく、例えば愛別離苦の悲しみのような心理的問題が不幸なのでしょうか? 涙が流れるままに生きるしかないのでしょうが、原因が自然でなく人間にあるとなると復讐とか裁きが問題になります。世の中が告訴社会になるという事はとても大きな問題です。
>
> クリシュナムルティの言う通りにはできないというのも問題です。どこかに単純率直でないところがあります。ある種の依存かな。
>
> 問題を自分流に考え始めてわけがわからなくなりました。どなたか助けてください。



 例えば、いじめを受け、お先真っ暗となって、死を考えるとします。そこで、もう死んだつもりとなって、いつ死んでも良いという覚悟で、日々、淡々と死んだように生きる。

 するとどうなるのでしょうか。卒業と共に、扉が開くのではないでしょうか。すなわち、自ら死なない限り、決して死ねないのではないでしょうか。

 このことを、そのいじめられているまさにその時に、知る(見る)ことができるでしょうか。

 すなわち、これを知らないから(見えないから)自死が起こるのではないでしょうか。

 その時に、それを知る(見る)ことが、クリシュナムルティが述べていることであり、心理的に死ぬことではないでしょうか。

 心理的に死ぬことによって、努力無しに淡々と生きることができるのではないでしょうか。


[26886] Re:[26885] [26884] [26877] [26876] [26874] [26872] [26868] [26865] [26860] [26855] [26854] [26851] [26850] [26849] [26848] 『英知へのターニングポイント』 投稿者:ゴト 投稿日:2019/04/08(Mon) 19:26  

>  まず、死を避けて生きよう生きようとする営みの中では、時間の外に居ることはありません。ビカミングのただ中にいます。
>
>  その生きよう生きようとする営みは、非難・正当化、分離・断片化から自由であることはできません。
>
>  生きよう生きようとする営みが、自分と他者、私の部族・地域・国とあなたの部族・地域・国という境界線を必然的に引きます。
>
>  すなわち、生きよう生きようとする営みは、葛藤を免れ得ないと言うことです。
>
>  クリシュナムルティは、度々尋ねます。「あなたは、なぜ、変わらないのか?」。
>
>  その答えは、「心理的に死ねないから・・」ということではないでしょうか。


この生きよう生きようとする営みは、ひょっとすると他の動物にはない人間だけにある意識(あるいは思考)から来るものでしょうか?

他の動物の意識は無意識的な意識かも知れませんが、とにかく単純率直で、それゆえすがすがしいと言っては変ですが、カーストをつくらない、奴隷を使用しない。そこで人間を除くとコスモス的秩序の中にあるとKをして言わしめます。

カースト制や奴隷制、こういう差別扱いを私は人間の悪としていま告発していますが、日本でも士農工商の別がありましたが当時はそれでそれが普通であり、疑問も持たなかったのでしょう。農村と都会の人間に、カースト的に戸籍上の差別があるなら現代では大問題でしょう。正社員と派遣社員に戸籍的差別がついてまわるなら大変です。

そうでなく、例えば愛別離苦の悲しみのような心理的問題が不幸なのでしょうか? 涙が流れるままに生きるしかないのでしょうが、原因が自然でなく人間にあるとなると復讐とか裁きが問題になります。世の中が告訴社会になるという事はとても大きな問題です。

クリシュナムルティの言う通りにはできないというのも問題です。どこかに単純率直でないところがあります。ある種の依存かな。

問題を自分流に考え始めてわけがわからなくなりました。どなたか助けてください。




[26885] Re:[26884] [26877] [26876] [26874] [26872] [26868] [26865] [26860] [26855] [26854] [26851] [26850] [26849] [26848] 『英知へのターニングポイント』 投稿者:宮啓 投稿日:2019/04/07(Sun) 19:24  

> > > > > > > 死んで見ていると形容するときは、事が致命的に大きいと自分に思える時のことです。
> > > > > > >
> > > > > > > >
> > > > > > > >  心理的に死ぬことが、難しい。。
> > > > > > >
> > > > > > >
> > > > > > > 事が致命的であることがわかるとき、それは起こります。あなたが獲得することではないから、難しいと言うのは見当はずれです。
> > > > > >
> > > > > >
> > > > > >  事が致命的であることがわかるとき、そのときには「見る」が起こっているのでしょうか。それとも、「見る」が起こる前に事が致命的であることがわかるのでしょうか。
> > > > >
> > > > > あ、ごめんなさい。言葉が足りなせんでした。
> > > > >  最初に思考が致命的に危険と確信し騒ぎ始めます。行動し始めると、すでに自分の手に負えない状態であるのがわかります(ここが洞察かな)。そこでじたばたせずに心理的に死にます。これでいいですか。
> > > >
> > > >
> > > >  実際に肉体が死ぬときに、意識があれば、その過程を辿ることができればいいですね。
> > > >
> > > >  死にかけているとき、じたばたしない。あの世は無く、先に死んだ親や祖父母のお迎えは無い。もちろん、生まれ変わりも無い。ただあるのは四文字のみ。「完全消滅」。
> > > >
> > > >  これを悟るのが洞察。致命的な危機を悟る。
> > > >
> > > >  クリシュナムルティが述べるには、そこで人はじたばたして、悲しみの大河へと入ってゆくとのこと。
> > > >
> > > >  そこでじたばたしなければ、心理的に死ぬ、肉体の死と共に。
> > > >
> > > >  これを死の床まで待たずして、生きている内に事が起こる。
> > > >
> > > >  そのような「致命的な危機」が、こちらから招くことなく、向こうからやって来る。
> > > >
> > > >  そのとき、じたばたしなければ何が起こるか?「見る」。
> > >
> > >
> > > そのとき未知のもの、無量のものがある。と言っても言葉だけという事になるなあ。もしあなたが小説『白鯨』(モービィディック)を読んだことがあるなら、そのエピローグのイシュメルが一人海に残り、空の棺桶にすがって救助される間の描写がそれに一番近いと思う。
> > >
> > > ほとんど一昼夜のあいだ、私はしめやかな挽歌の曲のごとき海原に泛びただよった。無害な鮫どもはまるでその口に錠をおろしたように傍をすべり、狂猛な海鷹はその嘴に鞘をはめて飛翔してきた。二日目、一層の帆船が近づき、さらに近づき、…… 田中誠二郎訳 「白鯨」新潮文庫
> >
> >
> >  質問に応じていただき、ありがとうございます。
> >
> >  「白鯨」は読んだことがないので、上記の表記にて、おおよそを察することしかできませんが・・。
> >
> >  だだ、ゴトさんには未知のもの・無量のものがあると感じられるのですね。。
> >
> >  ありがとうございました。
> >
> >  人生、何があるか分かりません。
> >
> >  私も、船から落ちて大海原を漂流するかもしれません。
> >
> >  あるいは、それに匹敵する「致命的な危機」と遭遇するかもしれません。死の床を待たずして。
> >
> >  そのようなものと遭遇したくないと願うのは、すでに非難・正当化する思考と共に生きているということなのかもしれません。。
>
>
> 心理的に死ぬのが難しい――これがテ−マなのですね。しかし、木の葉が秋には枯葉となって舞い落ちていくのはごく自然な流れかもしれません。人間のような多細胞生物では、細胞の死が遺伝子によって組み込まれており、どんどん更新されています。
>
> 人間も歳をとると体の機能がまさに寿命が来たというのか、視力も、聴力も、知能、(例えば記憶)もどんどんおとろえていきます。なるほど、死によってどんどん若い元気な人に更新しなければえらいことになりますね。
>
> しかし顕在意識は死にたくありません。個体の保存をその主要な役目としているからなのでしょうか。個体をどんどん再生産して生きる生物という存在は何なのでしょうね。遺伝子でセットされている死はアポトーシスと呼ばれ、それは「離れて」「下降する」という意味だそうです(2002年ノーベル賞)。私はがんについての本を読んでこういうことを初めて知りました。



 まず、死を避けて生きよう生きようとする営みの中では、時間の外に居ることはありません。ビカミングのただ中にいます。

 その生きよう生きようとする営みは、非難・正当化、分離・断片化から自由であることはできません。

 生きよう生きようとする営みが、自分と他者、私の部族・地域・国とあなたの部族・地域・国という境界線を必然的に引きます。

 すなわち、生きよう生きようとする営みは、葛藤を免れ得ないと言うことです。

 クリシュナムルティは、度々尋ねます。「あなたは、なぜ、変わらないのか?」。

 その答えは、「心理的に死ねないから・・」ということではないでしょうか。


[26884] Re:[26877] [26876] [26874] [26872] [26868] [26865] [26860] [26855] [26854] [26851] [26850] [26849] [26848] 『英知へのターニングポイント』 投稿者:ゴト 投稿日:2019/04/07(Sun) 17:33  

> > > > > > 死んで見ていると形容するときは、事が致命的に大きいと自分に思える時のことです。
> > > > > >
> > > > > > >
> > > > > > >  心理的に死ぬことが、難しい。。
> > > > > >
> > > > > >
> > > > > > 事が致命的であることがわかるとき、それは起こります。あなたが獲得することではないから、難しいと言うのは見当はずれです。
> > > > >
> > > > >
> > > > >  事が致命的であることがわかるとき、そのときには「見る」が起こっているのでしょうか。それとも、「見る」が起こる前に事が致命的であることがわかるのでしょうか。
> > > >
> > > > あ、ごめんなさい。言葉が足りなせんでした。
> > > >  最初に思考が致命的に危険と確信し騒ぎ始めます。行動し始めると、すでに自分の手に負えない状態であるのがわかります(ここが洞察かな)。そこでじたばたせずに心理的に死にます。これでいいですか。
> > >
> > >
> > >  実際に肉体が死ぬときに、意識があれば、その過程を辿ることができればいいですね。
> > >
> > >  死にかけているとき、じたばたしない。あの世は無く、先に死んだ親や祖父母のお迎えは無い。もちろん、生まれ変わりも無い。ただあるのは四文字のみ。「完全消滅」。
> > >
> > >  これを悟るのが洞察。致命的な危機を悟る。
> > >
> > >  クリシュナムルティが述べるには、そこで人はじたばたして、悲しみの大河へと入ってゆくとのこと。
> > >
> > >  そこでじたばたしなければ、心理的に死ぬ、肉体の死と共に。
> > >
> > >  これを死の床まで待たずして、生きている内に事が起こる。
> > >
> > >  そのような「致命的な危機」が、こちらから招くことなく、向こうからやって来る。
> > >
> > >  そのとき、じたばたしなければ何が起こるか?「見る」。
> >
> >
> > そのとき未知のもの、無量のものがある。と言っても言葉だけという事になるなあ。もしあなたが小説『白鯨』(モービィディック)を読んだことがあるなら、そのエピローグのイシュメルが一人海に残り、空の棺桶にすがって救助される間の描写がそれに一番近いと思う。
> >
> > ほとんど一昼夜のあいだ、私はしめやかな挽歌の曲のごとき海原に泛びただよった。無害な鮫どもはまるでその口に錠をおろしたように傍をすべり、狂猛な海鷹はその嘴に鞘をはめて飛翔してきた。二日目、一層の帆船が近づき、さらに近づき、…… 田中誠二郎訳 「白鯨」新潮文庫
>
>
>  質問に応じていただき、ありがとうございます。
>
>  「白鯨」は読んだことがないので、上記の表記にて、おおよそを察することしかできませんが・・。
>
>  だだ、ゴトさんには未知のもの・無量のものがあると感じられるのですね。。
>
>  ありがとうございました。
>
>  人生、何があるか分かりません。
>
>  私も、船から落ちて大海原を漂流するかもしれません。
>
>  あるいは、それに匹敵する「致命的な危機」と遭遇するかもしれません。死の床を待たずして。
>
>  そのようなものと遭遇したくないと願うのは、すでに非難・正当化する思考と共に生きているということなのかもしれません。。


心理的に死ぬのが難しい――これがテ−マなのですね。しかし、木の葉が秋には枯葉となって舞い落ちていくのはごく自然な流れかもしれません。人間のような多細胞生物では、細胞の死が遺伝子によって組み込まれており、どんどん更新されています。

人間も歳をとると体の機能がまさに寿命が来たというのか、視力も、聴力も、知能、(例えば記憶)もどんどんおとろえていきます。なるほど、死によってどんどん若い元気な人に更新しなければえらいことになりますね。

しかし顕在意識は死にたくありません。個体の保存をその主要な役目としているからなのでしょうか。個体をどんどん再生産して生きる生物という存在は何なのでしょうね。遺伝子でセットされている死はアポトーシスと呼ばれ、それは「離れて」「下降する」という意味だそうです(2002年ノーベル賞)。私はがんについての本を読んでこういうことを初めて知りました。



[26883] Re:[26879] 単純な疑問 投稿者:ゴト 投稿日:2019/04/07(Sun) 09:15  

> >真の啓蒙という事はないのでしょうか?
>
> ゴトさんに単純な疑問をぶつけます。
> あなたは人をどうこうしたいのですか?

いいえ。

> 人をどうこうされたいのでしょうか?、人を変えたい?
> 具体的にいうと、人を救いたい。

いいえ。

> あなたは、釈迦、キリストですか。人類の教師ですか?
> 救世主になりたい?
> そういう願望を抱いてるということですか。

いいえ、とんでもない。

> 自分自身、自分の家族、親戚、身の回りの人が、幸せに生きていれば、それでいいのではないでしょうか?

あなたはそうなのでしょう。その幸せはあなたのよい資質が、いい意味での努力がもたらしたのでしょう。よかったですね。

> それで不足なのですか?

不足どころか分に過ぎているかもしれないと思っています。

> 平成が、もうすぐ終わりますが、平成は、日本が戦争に巻き込まれなかった、「きゆう」の時代です。
> 幸福を噛みしめています。いけませんか。

いえ、いいです。

私は世界の人が必ずしも幸せでないのが悲しいのでKを読んだり、このサイトを今でも開いています。


[26882] Re:[26878] [26875] [26871] [26869] [26867] [26866] [26864] [26863] 例えば 投稿者:ゴト 投稿日:2019/04/07(Sun) 08:40  

> > > あるというなら、それは自分の思考の問題であり、「人間と社会の問題」という切り離されたものではない。
> >
> >
> > 人間の持つ思考が問題を作り上げるのは、個人の問題でなく、人間全体の相互に絡んだ網の目の中に生じていることです。それが人間全体であり、社会です。それは個人に大きな影響をもたらし、個人はまた全体に大きく影響します。そしてそれは何10兆もの数の規模の中での出来事の絡み合った結果で、コンピュータでも解けません。事実を直視できない限り、問題は人間の社会にはあるのではないでしょうか?
> >
> > 個人の思考が問題という幻想を起こしているというのは個人的に見ている限りそう見えるところがあります。しかし社会全体が秩序の中にあるのではなく、問題が現実として存在するのは確かだと思います。人間が全体として幻想に目覚め始めることが必要だと私は思うのですが。
> >
> > 目覚めた人が見れば目覚めない人間が苦しみ悩むのは当然の因果かもしれません。しかし、だから因果の法則は正確に働いている、問題はないという事には組することができません。皆に目覚めが広がるように、具体的な課題を探ることにはならないでしょうか? 何ができるかという事がじたばたすることで、何もすることはないという事が言われますが、私にはその理由がわからないのです。
> >
> > 真の啓蒙という事はないのでしょうか?
>
>
>
> 「真の啓蒙」ということで考えてみます。
> 人間には喜怒哀楽がある。それらを求めるためにあがき、またはなくそうとあがく、ことに苦しみというものが生じるます。
> ですから、人間が苦しんでいる時、喜怒哀楽に寄り添う。
>
> 喜怒哀楽とは何か?それは反感と共感による作用だと思います。共感を得られなければ寂しいし、得られれば楽しい。なのでやれることと言えば、共感を持って人間と接し、反感を恐れずものを言うことではないでしょうか?


なるほど。そのつもりで皆にレスしよう。


[26881] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2019/04/06(Sat) 10:19  

今日はこれから出かけます。溜まっているレスは、順番はレスのむずかしさによって前後はありますが、していきます。


[26880] Re:[26873] ただ気づくにでは、どのように気づいているか 投稿者:ゴト 投稿日:2019/04/06(Sat) 10:04  

> ただ気づいているのではなく、どのように気づいているか。残された新しい芽氏の言葉を最近調べて、このことを学びました。遅まきながら。
>
> ただ、気づいている。
> ただ、見えている。
> ただ、知覚されている。
> 思考なしに。
>
> ここまでの人はいる。一般のクリシュナムルティ読者。
>
> どんなふうに気づいているか?
> どのように気づいているか?
> 自己欺瞞、思考のまやかしに気づいている人は、ほぼいない。
> ズル賢い思考のトリックに気づく人はいない。
>
> クリシュナムルティに関わった関係者で、思考の欺瞞について鋭く言及し、自ら取り組んだ人は、私に知る限り日本では新しい芽氏のみです。


見るという事がよく取り上げられます。クリシュナムルティはこの見ることにたびたび言及しています。

曰く、非難正当化なしに見る、思考の干渉なしに見る、判断解釈なしに見る、比較なしに見る、選択なしに見る、動機なしに見る、全体的に見る、直接に見る、親身に見る等々。これはどんなふうに見るかの具体的説明です。もちろん、わかりやすくしかも重要な断片を取り上げているわけです。

見ている状態を直接記述したものとしては見ることだけがあるという記述があります。私はただ見ているといいました。これは思考感情等の一切のものの不在を意味していて、見ることだけがあるという記述と同じつもりでいます。

それでどんなふうに見ているか?は、その見ている状態の中に何か思考的なものが存在してはいませんかという問いかけです。初心者には実にいい問いかけで、新しい芽さんの教育的才能が光ります。他に大事なことは「答えを先に言っていけない」という事です。自分で見出だすようにするためです。これがどれほど有難かったことか。自分はそれがまだできません。というよりその資質がないのです。

思考の欺瞞を見出すことは非常に高級なことですが、それは見ることだけがある見、聴き、知覚することの基本の基に初めて展開することです。一般に出版される本を読むと非常に知見が広がります。同時に足、あるいは見当違いではないかと思われる思考がいっぱい飛び込んできます。じっと見ています。


[26879] 単純な疑問 投稿者:無明 投稿日:2019/04/06(Sat) 09:53  

>真の啓蒙という事はないのでしょうか?

ゴトさんに単純な疑問をぶつけます。
あなたは人をどうこうしたいのですか?
人をどうこうされたいのでしょうか?、人を変えたい?
具体的にいうと、人を救いたい。
あなたは、釈迦、キリストですか。人類の教師ですか?
救世主になりたい?
そういう願望を抱いてるということですか。

自分自身、自分の家族、親戚、身の回りの人が、幸せに生きていれば、それでいいのではないでしょうか?
それで不足なのですか?

平成が、もうすぐ終わりますが、平成は、日本が戦争に巻き込まれなかった、「きゆう」の時代です。
幸福を噛みしめています。いけませんか。



[26878] Re:[26875] [26871] [26869] [26867] [26866] [26864] [26863] 例えば 投稿者:南方 投稿日:2019/04/06(Sat) 07:30  

> > > > >クリシュナムルティという先達を我々は持っています。
> > > >
> > > >
> > > > クリシュナムルティという人間がいた。
> > > >
> > > > 持っている、というとKの「ようになりたい」という幻影を産み出す。
> > >
> > >
> > > はい、クリシュナムルティという人間がいた。その足跡をたどると人の生き方として感じるところが多くあり、それを調べるとともに21世紀の人間と社会の問題を全体的に観察したい。こんなところでどうでしょうか。
> > >
> >
> >
> > 問題を作り出すのは自分の思考です。
> >
> > 「人間と社会の問題」なんて存在しない。
> >
> > あるというなら、それは自分の思考の問題であり、「人間と社会の問題」という切り離されたものではない。
>
>
> 人間の持つ思考が問題を作り上げるのは、個人の問題でなく、人間全体の相互に絡んだ網の目の中に生じていることです。それが人間全体であり、社会です。それは個人に大きな影響をもたらし、個人はまた全体に大きく影響します。そしてそれは何10兆もの数の規模の中での出来事の絡み合った結果で、コンピュータでも解けません。事実を直視できない限り、問題は人間の社会にはあるのではないでしょうか?
>
> 個人の思考が問題という幻想を起こしているというのは個人的に見ている限りそう見えるところがあります。しかし社会全体が秩序の中にあるのではなく、問題が現実として存在するのは確かだと思います。人間が全体として幻想に目覚め始めることが必要だと私は思うのですが。
>
> 目覚めた人が見れば目覚めない人間が苦しみ悩むのは当然の因果かもしれません。しかし、だから因果の法則は正確に働いている、問題はないという事には組することができません。皆に目覚めが広がるように、具体的な課題を探ることにはならないでしょうか? 何ができるかという事がじたばたすることで、何もすることはないという事が言われますが、私にはその理由がわからないのです。
>
> 真の啓蒙という事はないのでしょうか?



「真の啓蒙」ということで考えてみます。
人間には喜怒哀楽がある。それらを求めるためにあがき、またはなくそうとあがく、ことに苦しみというものが生じるます。
ですから、人間が苦しんでいる時、喜怒哀楽に寄り添う。

喜怒哀楽とは何か?それは反感と共感による作用だと思います。共感を得られなければ寂しいし、得られれば楽しい。なのでやれることと言えば、共感を持って人間と接し、反感を恐れずものを言うことではないでしょうか?




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