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[24044] Re:[24043] [24038] [24037] [24036] [24035] [24032] [24031] [24027] [24026] [23991] [23990] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:ゴト 投稿日:2017/07/13(Thu) 18:59  

>  単純なことです。「考え事」していると周りの動きに気づかない。よくあるでしょう。私たちの日常に。

> 「静寂の状態が実現すると、周りが見えてくる。思考が騒いでいると周りが見えない」

この二点で同意ができました。先に進みましょう。

>  思考過程がよく見える。「なんだこのやろー」がよくみえる。
>  普通は頭が熱くなって、意識の矛先を敵に向け、「このやろー」という。だから周りが見えない。冷静でないから。

そうですね。

>  今日はお昼から、出かけようと思っている。何も計画しないで行動する人はいない。

そうです。実際的行動はそうですね。

> > >  いつもの手慣れた思考で行動するのは楽ですが、パターン化された行動にそうだけです。そういうセコハン(中古)人間というのではないでしょうか。

> > 将棋の中盤に差し掛かると知識の範囲を超えるから、自分げ読んで、次の一手を指すしかない。それが創造的な一手。

>  ここでもお互いに「創造」という言葉の使い方が使う。

私はセコハン的パターンから抜け出ているのが創造的行為だと思います。

>  ここがクリシュナムルティと相容れない所。Kは「人類の未来」の中で橋を造る思考は除外とあった。このことでわかるようにKは心理的な事柄しか述べてないことが明らか。其れを踏まえて読まないと、とんだ勘違いをする。Kの思考、思考といってるのはすべて心理的思考。ですから普通の思考とごっちゃにするとわけがわからなくなる。極端になると人間の行動そのものを否定するようになる。人間、何のために生きてるのか。争うためか?

Kが心理的思考をを取り上げていることは明確です。

>  人間の負の部分だけを取り上げ「楽しい、素晴らしい人生」というものをまるっきり否定しまっている。

負の部分が「素晴らしい人生」に苦悩、葛藤、悲しみをもたらしている。それで負の部分を理解する必要がある。

>  地球上には巨万の富を得て人生を横臥している人たちはゴマンといる。その人は何何だということになる。その人らは恵まれない人達への寄付も怠らない。これがほんとの金持ち。大富豪。増やすのと稼ぐのとは違う。

その人は自分の組織体・システムを持っており、今年の収益に劣らぬ収益を上げようという目標を持つのが大部分で、お互いに世界の中で格闘している。
それで現在会社は史上最高の現金を持っているが、利益を上げる投資先が見つからずに内部留保され、賃金には回らない。
この安全と繁栄を求める欲求は執着となり、いつ何が起こるかわからない状況にある。

では素晴らしい人生とは何なのだろう。



[24043] Re:[24038] [24037] [24036] [24035] [24032] [24031] [24027] [24026] [23991] [23990] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/07/13(Thu) 10:50  


 ここまでの対話で感じることですが、どうも言葉が足らないようですね。説明不足というのかな。私の知人は、読書量の差だといっています。どれだけの言葉を知ってるか、と。
 読書というのは、たんに知識を取り入れるだけでなく、その人がどのような言葉の使い方をしてるか学ぶためでもあります。(その人の弁)

>
> 能動的状態になれば、誰でも(敏感な人でも)気づかなくなる。私の言っていることはそれだけです。

 クリシュナムルティを読んでいるとみなしてのコメントでしょうか。
 逆にクリシュナムルティを読んでいない人には、ここでいってることがよくわからないでしょう。
 「能動的状態になれば気づかない」といっても。
 その「能動的状態」というのは、どのようなことなのか説明を求められます。
 私自身はあなたと違って、クリシュナムルティを全面的に信用しているわけではない。
 「能動的状態になると気づかない」ここは保留して次へ。

> > > >  それを発揮するのに邪魔をしてるのが、(心理的)思考ということになる。
> > >
> > > そうです、そうです、その通りです。

 思考の空白を実現しないと回りは見えない。
 単純なことです。「考え事」していると周りの動きに気づかない。よくあるでしょう。私たちの日常に。
 周りをよく見るには、はっきり見る。あたりまえのことです。そのとき心理的思考の介入はない。
 周りをよく見ないで、考え事しながら歩いていると、自転車にぶつかります。
> > >

> > > >  静寂の状態が実現すると、周りが見えてくる。思考が騒いでいると周りが見えない。たんにそういうことではないだろうか。
>
> 「たんに」はちょっと自信がないが、思考が騒いでいると周りが見えないことはそうです。

「たんに」というのは言葉のアヤ。この言葉はなくてもいい。

いいかえると
「静寂の状態が実現すると、周りが見えてくる。思考が騒いでいると周りが見えない」
 当たり前のことです。

> > > >  条件づけを理解する、という記述も今イチわからない表現。

 思考過程がよく見える。「なんだこのやろー」がよくみえる。
 普通は頭が熱くなって、意識の矛先を敵に向け、「このやろー」という。だから周りが見えない。冷静でないから。
> > >
> > > 例えば、自我は意志的、能動的な行動を条件づけられています。その中心です。
> >  それは別なテーマです。人間というのは、そういう生き物でしょう。自身の意志で能動的な行動をする。
>
> その意志が、感情含みの心理的思考から出る意志なら心は騒いでいる。条件でけられているからそういう存在とは言えない。人は条件付けを悟って(よく理解して)、変化して乗り越えることができる存在でもあります。
> 動物だって適応してきたから今日があります。抗生物質に対して耐性菌ができる。鳥インフルエンザが、人にも感染するようになる。つまりどんどん変化している。

 急にむずかしい話になりましたね。人間は基本的に、まず頭で組み立ててから行動する。
 今日はお昼から、出かけようと思っている。何も計画しないで行動する人はいない。
>
> >  その能動的な行動に対し、条件づけを伴っているかどうかが問題。いつもの習慣的な思考、マンネリズムな思考では創造的行為とかけ離れたものになります。
> >  いつもの手慣れた思考で行動するのは楽ですが、パターン化された行動にそうだけです。そういうセコハン(中古)人間というのではないでしょうか。
> >  自分自身も同じことを毎日繰り返してるだけですから中古人間でしょう。この年になると新しいことには挑戦しません。

例えば、80歳を超えた三浦雄一郎。(スキー)。常に新しいことにチャレンジ。とても真似できない。
>
> 将棋の中盤に差し掛かると知識の範囲を超えるから、自分げ読んで、次の一手を指すしかない。それが創造的な一手。

 あれっ将棋の話になりましたか。「新手一生」とは、故升田九段の言葉。常に独創的な手を考えていた。誰も思いつかないような。
 ここでもお互いに「創造」という言葉の使い方が使う。

 普通の棋士が指してるのは創造とは言いません。誰も真似できない手を指すのが創造。あるいは新手を編み出すこと。
 将棋の世界では、そういった意味でしか創造という言葉は使いません。特別の人だけ。

 余談ですが

 ちなみに宇宙哲学の巨人アダムスキーは、宇宙の創造と、人間の想像とはまったくの「同一」と述べている。インド哲学の創造原理「アートマン」「ブラフマン」と共通。何故そうなのかは、本を読んでもらうしかない。
 ここがクリシュナムルティと相容れない所。Kは「人類の未来」の中で橋を造る思考は除外とあった。このことでわかるようにKは心理的な事柄しか述べてないことが明らか。其れを踏まえて読まないと、とんだ勘違いをする。Kの思考、思考といってるのはすべて心理的思考。ですから普通の思考とごっちゃにするとわけがわからなくなる。極端になると人間の行動そのものを否定するようになる。人間、何のために生きてるのか。争うためか?
 人間の負の部分だけを取り上げ「楽しい、素晴らしい人生」というものをまるっきり否定しまっている。
 地球上には巨万の富を得て人生を横臥している人たちはゴマンといる。その人は何何だということになる。その人らは恵まれない人達への寄付も怠らない。これがほんとの金持ち。大富豪。増やすのと稼ぐのとは違う。





[24042] 無題 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/07/13(Thu) 09:38  

 私個人のことをいわせてもらえば「苦しみ」と呼べるものは一切ない。あるがまま生きる。それだけである。怒りたければ怒る。権力の横暴に対して。このたびの政府のやりかたに対して。家の前で不法ゴミを捨てるものに対して怒る。しかしそれは一瞬のことであって後々までひきづることはない。
 私のいうあるがまま生きるというのは、意のままに生きるということ。
思考なしに生きる、といった大げさなことではない。そういうのはKの読者にまかせる。
 断斜離という言葉がある。できるだけ身の回りにある不要なものを捨てるということである。物があるというのは執着のあらわれ。結局ほんとに必要なものとはわずか。その中から少しづつ処分することが「終活」のはじまり。
 残りの人生、どうやって生きるのかの模索の毎日。
 よく人からお金など残してもしょうがないので,そのお金を使ってもっと楽しんで生きたらと。アドバイスを受ける。はて?
 自分のやりたいことは何か。そういうことだろうか。


[24041] 苦しみに直面する 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/07/12(Wed) 10:57  

愚さんの掲示板での引用だが、この会話は面白かった。

M氏 
『真理の種子』でクリシュナムルティが述べます。「時間の根元に恐怖がある」。苦しみは現にあるので、苦しみを恐怖しないことが仏陀やクリシュナムルティのエッセンスのような気がします。

愚さん
 そのための教え。要するに、苦しい目にはあいたくない、ということでしょ・・・・それはもっともなんじゃないですか?

ライナス・愚・スペースエクスプローラー

 人は苦しみを避けようとして何とかしようとする。ようするに苦しい目にはあいたくない。
 ここのM氏は、今まで苦しみから逃れようとして、その手がかりを得ようと、さかんにKを読む。何とかしよう。何とかしよう。と、もがく。
 愚さんがいうには、苦しみは苦しみのままでいいのではないかと、言ってる様な気がします。苦しみを味わえと。いわば「何もしない」。愚さん流にいえば「座る」のみ。

 私も若いときには、苦しみから逃れるために、クリシュナムルティの「気づき」を実践しようと試みことがあった。他に超越瞑想。ビバアサナ式の気づきのトレーニングも試みた。いま考えると全くの徒労。
 苦しければ苦しいままでいいという。葛藤が起きるなら葛藤のままでいい。それがあるがまま。
 必要なのは、かのイチロー選手がいみじくも言われたように、苦しみが起きたら逃げないで直面するということ。葛藤が起きたら、葛藤に直面する。葛藤と対峙する。葛藤がいつの間にか葛藤でなくなる。




[24040] Re:[24039] [24036] [24035] [24032] [24031] [24027] [24026] [23991] [23990] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:ゴト 投稿日:2017/07/10(Mon) 17:11  

今日も暑いですね。何だか頭がこんがらがって、同じことを繰り返しているような気がします。
それで、思い切って筋だけを追い、短くすることに努めました。

>  人間というのは、能動的動きをしない状態というのは、どういうことが考えれますか。

>  というか、能動的な動きについて、お互いにイメージが違いますね。そのように感じてきました。

能動的な動きというのは心理的目的のある思考の動きです。

>  人間、まず思考で組み立て意志をもって行動してるのではないですか。誰でも。意志のない人間などいない。

心理的目的を持つことを話しています。実用的なことは話していません。

>  動物だって意志を持って行動している。神から与えられた意志として。私の言う動物というのは、NHKでやっている「ダーウインから来た」をイメージしてください。

はい。動物は人間ほど心理的ではないから、必要な時に今は限りましょう。

> 危険に出会った時は誰でも「注意の状態」になります。簡単な例をいうと、山登り、ハイキングは気をつけて歩きます。すべらないよう。

これは実用的な場合で、心理的場合と違います。

>  もう一度お尋ねしますが、「能動的動きなし」とは、どういうことを指しますか。

心理的思考が動いていない状態のことです。

> >しかし心理的思考と言っても普通の人はわからないとはあなたの説だった。

>  わからないから、全ての思考を疑う。その内実用的思考は自然に捨てられるのでは。

>  残ったものが、心理的なもの。心理的思考。それらは何をしでかすかわからないので、じっと見守る。蛇を見るように。

> >そうです。私は現代の闇の中の危険が何かを明快に、普通の人がわかるようにしたいと言っています。

>  危険って何ですか?思考そのものが危険ですか?思考との同一化することが危険ですか?

> > Kは分離を生み出すからと言います。暴力だとはっきりわかりますね。

>  私は「分離」といってもピンとこない。心理的に分離している「わたし」と「あなた」。

>  しかし現実を見ると「違い」は明らか。

違いはあっても特に分離(切り離すこと)はしなくてよい。

>  区分は現存するが、差別はよくないということ。

そういう事です。分離と差別、言葉の違いかな?

> > >  思考は危険ではなく、同一化してしまうことが問題です。

そうかもしれません。同一化した思考が心理的(思考)なのかもしれません。

>  当然心理的思考のことをいっています。面子、プライド、ポリシー。

>  格下と「思われる」者に何か言われると、「何をこのやろー」ということです。口に出そうが出すまいが。

>  女性に何かいわれると、「何いってんだ、このアマー」

>  人を見下す態度。卑下する態度。

>  信頼から裏切られたと見ると、反撃する

>  こういうことはあたりまえになっていて、間違っても自分に対して疑問を向けることはしないでしよう。ある意味核心(確信?)となっている。

>  間違っても、自分が間違っているとは思わない。当然だと思っている。

>  過ちとわかったとしても非は絶対に認めない。

>  目上にはぺこぺこ。下には虚勢をはる。

そう、ここが核心の場面です。ここで慈愛を持って聴くことができるか。憤慨なしに静かな心で見聞きすることができるか。注意の状態でいることができるか。それだけが問題です。誇りや自尊心でなく、見ることに関心が移ればその時マインドは自由であるのです。これが私の伝えたいことなのです。

どんな返信がいただけるか楽しみにしています。


[24039] Re:[24036] [24035] [24032] [24031] [24027] [24026] [23991] [23990] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/07/10(Mon) 11:21  

今日は昨日よりさらに暑いとか。年寄りはこたえます。

続き
>
> > > >  次に「頭脳が静かであれば、より奥底にあるものを聴くことができるということがわかる」とある。
> >
> >  ここは意味深です。

 我々一般の読者は、素人なので、こういった神秘的?なことは、文献で確かめるしかないです。
 文献を読んで「ああ、こういったことか」とわかります。体験していない人には知識になりますが、知らないよりは知っておいた方がいいです。
「奥底にあるもの」とは?
> >
> > > >  この沈黙は、静寂と同じ意味で、Kに限らず、ほとんどの覚者がいっている。たとえば竜王文庫「沈黙の声」
> > >
> > > そうでしょうね。陰にやられていた敏感さがよみがえる。

「奥底にあるもの」を聴き取るには、敏感さが必要ということではないでしょうか。
 そのためには頭脳の静寂(沈黙)は必至。
> >
> >  簡単にいうと「神の声」。内面からの指示、指令、示唆。このへんのことは、他の文献で調べたので、割愛します。
> >  これらの本を読んでない人に、説明する程の度量はないということです。
 御察しください。
> >  ようするに、一般の人間の頭は常に雑事で一杯なので、これらがきてもわからないということ。又これらについて知らない人がほとんど。
> >  これらというのは、あらためていうと「神の声」。それらは、直観という形になって顕れる。

「神の声」という言葉を使わせて頂きました。あなたはこういった言葉には抵抗するでしょうが。
> >
> > > はい。能動的な動きをしないで受動的に見る。その通りです。
> >
> >  人には必ず能動的動きがやむ瞬間があるということ。頭脳は長時間考えられない。必ず休みを求める。人には何も考えない「ポカーン」とする間(ま)が必要。
>
> 確かに頭は休憩や睡眠をとった後は鎮まるが、日中、関係の中で人に注意を受けたりすると、とたんに心は騒ぎ出す。そうなると元の木阿弥。

 どうも伝わらないようですが、能動的動きをしないということと、自ずと止むというのとは違うのではないですか。
 人間というのは、能動的動きをしない状態というのは、どういうことが考えれますか。
 というか、能動的な動きについて、お互いにイメージが違いますね。そのように感じてきました。
 人間、まず思考で組み立て意志をもって行動してるのではないですか。誰でも。意志のない人間などいない。
 動物だって意志を持って行動している。神から与えられた意志として。私の言う動物というのは、NHKでやっている「ダーウインから来た」をイメージしてください。
>
> > > >  ですから、これらが自動的に起きるかと言うと,そうではないというのが私の見解。
>
> 時たまの静かさではなく、肝心かなめの時(危険に出会った時)、注意、もしくは気づき、静かさ、感受性がなくてはならない。

危険に出会った時は誰でも「注意の状態」になります。簡単な例をいうと、山登り、ハイキングは気をつけて歩きます。すべらないよう。

>
> > > 能動的な動きがないならいいのです。受動的なら向こうが語ってくれて分かるとか。自動的という言い方が気に入らなかったら捨ててください。「能動的な動きなしに」に絞りましょう。

 もう一度お尋ねしますが、「能動的動きなし」とは、どういうことを指しますか。
 私の方はさんざん説明したが、あなたの説明は伺っていない。
 お互い違うことをいってるような気がするなあ。

> 毒蛇は「心理的思考」を指しているのですか?

 現実に人は蛇を見ると、「注意の状態」になるでしょうか。即座に。

>しかし心理的思考と言っても普通の人はわからないとはあなたの説だった。

 わからないから、全ての思考を疑う。その内実用的思考は自然に捨てられるのでは。
 残ったものが、心理的なもの。心理的思考。それらは何をしでかすかわからないので、じっと見守る。蛇を見るように。
 Kが蛇の例を出したのは例えとして。

>そうです。私は現代の闇の中の危険が何かを明快に、普通の人がわかるようにしたいと言っています。

 危険って何ですか?思考そのものが危険ですか?思考との同一化することが危険ですか?

> Kは分離を生み出すからと言います。暴力だとはっきりわかりますね。

 私は「分離」といってもピンとこない。心理的に分離している「わたし」と「あなた」。
 しかし現実を見ると「違い」は明らか。
 だいいち、私とあなたは、違うでしょう。生き方も生い立ちもスタンスも考え方も。
 Kは心理的にあなたもわたしも「同じ」だという。悩み苦しみを持っていることには共通だと。それはわからないではないが誤解を受ける。
 区分は現存するが、差別はよくないということ。

> >  見れば言い訳だから。人間は危険を察知すると、自ずと「注意の状態」になります。
>
> そうですが、現代の毒蛇が飛び出す肝心かなめの時に、心は心理的思考と同一化して対立し、暴力的になってしまう。
> アウェアネスはだれでも即座になるというのは、心がたまたま暇で落ち着いている時だけ言えることで、実際の肝心な時は乱れに乱れてしまう。
>
> >  この状態になることを目指して修練を積む(時間をかける)というのは本末転倒。商売人の発想。気づきのトレーニングと称して金をとる。
> > >
> > > 現在の根源的危険は外部にあるだけでなく、内部にあります。それで自分自身を知ろうと言っています。
> >
> >  さっきから根源的危険という言葉が出てきますが、一体何のことですか。
>
> 人々の間に分離をもたらすおおもとの覆面怪人。あえて言いましょう。自我です。

 これも議論が必要。自我=エゴ? エゴは単独では成立しない。関係の中では判明する。
>
> > > 自分の内の危険を知ると、実際の危険が腑に落ちて敏感にわかるようになります。
> >
> > ?
>
> 自分の中の分裂やほかの人々の間の分裂・対立を引き起こす怪人Xを発見、理解すると、もう即座に気づくようになる。



> > > 思考は時に危険物となります。しかしそれは何のせいかな!同一化したりしないで使えば、これほど有用なものはないのではないでしょうか。しかし危険を知らないらしい(ひょっとして誤用?)。
> >
> >  思考は危険ではなく、同一化してしまうことが問題です。
> >  クリシュナムルティは、思考は危険物だとあえて大げさにいって、人類に対して警告したわけです。人間はよほど頭を打たないと目覚めないので。
>
> 実用的思考は危険でないと言ったのですが…、心理的思考はそれ自体危険でないのかなあ…。

 当然心理的思考のことをいっています。面子、プライド、ポリシー。
 格下と「思われる」者に何か言われると、「何をこのやろー」ということです。口に出そうが出すまいが。
 女性に何かいわれると、「何いってんだ、このアマー」
 人を見下す態度。卑下する態度。
 信頼から裏切られたと見ると、反撃する
 こういうことはあたりまえになっていて、間違っても自分に対して疑問を向けることはしないでしよう。ある意味核心(確信?)となっている。
 間違っても、自分が間違っているとは思わない。当然だと思っている。
 過ちとわかったとしても非は絶対に認めない。
 目上にはぺこぺこ。下には虚勢をはる。

> 心理的思考と言うと、これは抽象語なので種類がいっぱいあって、返ってぴんと来ない。
 今具体的にいいました。他にあるなら教えて下さい。

> 思考と同一化するという本人は利己性を持つ「自分」、「私」ですね。同一化するのが心理的思考なのかな。


> >  親分ではなく、同一化しないことにつきる。
> >  このことは,悟っているか、悟っていないかは関係ないようです。
> >  同一化の典型
> >  ある国の指導者は、自分の思いどうりに行かない時は、そのことについて罰を加える。
> >  思うドウリにいく時は悦に。いかない時は激怒する。
>
> 同一化は思考と同一化する者が要る。

「思考と同一化するもの」って何ですか。ここでK語の登場ですか。例の「観察するものと観察されるもの」
 単純に言えば、人から注意されて何云ってんだこのヤローとすぐ様反応するのが同一化です。違いますか。
 言葉に反応してるわけだから。

>そのものは心理的思考と同一化しきっていると言っていいくらい、すぐさま同一化する。その同一化大好き者は誰か!

 好きか嫌いかのはなしではないでしょう。事実起きていることを言っている。
> それをほっといて同一化を止めると言っても空論ではないだろうか?

 空論ではなく、実際そうでしょう。生きた事実を言っている。
 身内から小言を言われたとき「うるせえ。ほっといてくれ」というのが、心理的思考との同一化の典型。
 同一化しないには、どうしたらいいか。「聞く」しかないでしょうか。そうではないですか。自身の反応はそのままにして、黙って聞く。
 相手に対して、聞こうとする気持ちが芽生えないと、相手の話を聞けません。「慈愛」とまではいいません。聞こうとする姿勢。こういうと能動的だといわれそうですが、意味が違う。手始めに尊敬の念を向ける。
 しかし、現実の日常ではハナから相手を小馬鹿にしては聞けません。これは誰しも経験するところです。


> 心理的思考と同一化大好き者が出合わせば、即座に同一化してしまうのは火を見るより明らか。

 大好きって何ですか?

> >  あなたの世界を憂う気持ちはわかります。しかし現実には日本は隣国の暴発はいつくるかの怯える毎日。確実に言えるのは日本は少子化で、なおかつ養老大国の日本には経済の発展はなく未来というものがありません。今の経済をどうにかもちこたえるのは、東京オリンピックまでというのが大方の体勢。
>
> 別に世界を憂うわけではないが、自我に気づけばいいがと思います。

 自我に気づく?
>
> >  このままいくと、戦時中にやった預金封鎖が現実味?万札が紙切れ?こうしたことを自身の身内や小さな孫達にどうやって伝えるのでしょうか。世界を憂うより、そういったことの方が重要ではないでしょうか。子供達を守る。どうやって?生き抜く知恵を生み出す。
> >  なるようになるというのスタンス。先のことを考えてもしょうがないですか?たしかに。
>
> 預金封鎖なんて大したことではなかった。

 実際あったら大変なことですよ。今その手の本が出回っている。関心を持って経済セミナーに参加すると、かららずその話題が出る。日本は破産寸前。

>青壮年の男たちはずいぶん死んだがかなり戻ってきたし、戦争が今やないという事は約束されていた。それで軍への供出はなかった。田圃は地主から小作人の手に渡った。平和裏の農地解放。戦争のための生産が中止になった。
> 富国強兵的なスローガンに騙されるなと言っておく。昔の道をまたたどるな!戦後には明るさがあった。

 現政権は「いつか来た道」にまっしぐら。その手始めに共謀罪が近々施行される。


[24038] Re:[24037] [24036] [24035] [24032] [24031] [24027] [24026] [23991] [23990] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:ゴト 投稿日:2017/07/09(Sun) 12:06  

>  能動的なときは心が占領されている。おっしゃるとおりです。私などはいつも雑事にかまけている。うっかりすると、そのものごとと関係ないことに占領されている。気がつくとすぐ戻る。
> >
> > >  能動的動きが止めば自ずと見えてくるものではないだろうか。別に敏感ではなく。
> >
> > そうですが、自ずと見えるのは敏感さでしょう?気づきがあると言ってもよい。
>  能動的動きが止めば、自ずと周りが見える。鏡のように。これは普通の人に万人に起こることであって、敏感かどうかは関係ないのではないでしょうか。
>  それとも敏感でなければ、周囲は見えないのでしょうか。

能動的状態になれば、誰でも(敏感な人でも)気づかなくなる。私の言っていることはそれだけです。

>  クリシュナムルティのいっている敏感さというのは、「あちら」からやってくる英知と呼ぶものを捉えることだと思います。そのために「空白」の心を作る。実現する。
>  「あちら」というのは、思考を超えたものです。言語化できないもの。

はい、とりあえずそうしておいて先に進んでみましょう。


> > >  それを発揮するのに邪魔をしてるのが、(心理的)思考ということになる。
> >
> > そうです、そうです、その通りです。
> >
> > > > >  ここで、「自身の条件づけを理解することにより自然に生まれてくる」とある。そういうことだろうか。
> > > >
> > > > ええ、そういう事です。
> > >
> > >  静寂の状態が実現すると、周りが見えてくる。思考が騒いでいると周りが見えない。たんにそういうことではないだろうか。

「たんに」はちょっと自信がないが、思考が騒いでいると周りが見えないことはそうです。

> > >  条件づけを理解する、という記述も今イチわからない表現。
> >
> > 例えば、自我は意志的、能動的な行動を条件づけられています。その中心です。
>  それは別なテーマです。人間というのは、そういう生き物でしょう。自身の意志で能動的な行動をする。

その意志が、感情含みの心理的思考から出る意志なら心は騒いでいる。条件でけられているからそういう存在とは言えない。人は条件付けを悟って(よく理解して)、変化して乗り越えることができる存在でもあります。
動物だって適応してきたから今日があります。抗生物質に対して耐性菌ができる。鳥インフルエンザが、人にも感染するようになる。つまりどんどん変化している。

>  その能動的な行動に対し、条件づけを伴っているかどうかが問題。いつもの習慣的な思考、マンネリズムな思考では創造的行為とかけ離れたものになります。
>  いつもの手慣れた思考で行動するのは楽ですが、パターン化された行動にそうだけです。そういうセコハン(中古)人間というのではないでしょうか。
>  自分自身も同じことを毎日繰り返してるだけですから中古人間でしょう。この年になると新しいことには挑戦しません。

将棋の中盤に差し掛かると知識の範囲を超えるから、自分げ読んで、次の一手を指すしかない。それが創造的な一手。
 
> > >  ですから
> > > 「自身の条件づけを理解することにより自然に生まれてくる」
> > > という記述が私にはわからない。むしろ逆ではないか。
> >
> > どういうことか伺いましょう。
> >
> > >  ある人は湖面を例に出して説明している。湖の湖面が静かであれば、写っている月はよく見える。湖の湖面が荒々しいと写っている月は見えない。
> >
> > よくわかります。たまたま静かであればよく見えるし、たまたま風があれば見えない。
>
> たまたま?

ええ、風は吹いたり、吹かなかったりします。

> > >  自身の条件づけを理解することによって頭脳が静まるのではなく、頭脳が静まることによって条件づけは理解される。思考過程が見えるということ。

あ、それならそれで結構です。


> > 頭脳が静まるのには何を理解すればいいのですか?
>
>  頭脳が静まるのに何を理解すればいいか?何も理解する必要はないです。

条件付けが見えて即時の理解があったと私は受け取りましたが。

> ただ見てればいい。何かを見つめれば頭脳は静まる。まさに注意の状態。
>  何かを見ている状態。私たちはいつもやっているでしょう。花を見ている。
> 運転するとき前方を見ている。そのとき考え事していて思考で騒いでいれば、事故に遭う。蛇や熊を見てるとき、「かわいい」なんて思っていると噛まれてしまう。
>  一般での注意は、こういうことですかが、Kのいう注意とどう違うのかと対比する意味で使いました。
>  Kのいう注意は、「全注意」というべきもの。いわば対象がない。見る対象がない注意。受動的状態。すべてを受け入れている状態。思考のバリヤーがない。
> (人間の赤ちゃんは5歳くらいまでそういう心の状態だという人がいます。イエスは「幼子のような心でなければ天国に入れない」と)。
>
>  自動車の運転と比較するとわかります。運転は緊張状態で、運転が終わるとどっと疲れます。同じ「注意」でもだいぶ違う。といってKの注意は弛緩の状態、くつろいでいる状態ではありません。いわば車でいえば「ニュートラル」(中和)の状態です。緊張もせず、弛緩もせず。それがawareness 。同じ注意として、ここを混同する読者が見られます。
>
>  10時半になったので、ここまで。今日は暑すぎて外に出られません。

今日は暑いですね。
続き、つまりたまたまでなく、肝心かなめの時に気づくことをどうあなたが説かれるかを楽しみにしています。


[24037] Re:[24036] [24035] [24032] [24031] [24027] [24026] [23991] [23990] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/07/09(Sun) 10:30  


> >  敏感さ?
> >  敏感というのは、普通の意味では、すばやいということ。あるいはすばしっこい。鋭敏。感覚が鋭どいとか。運動神経が人より発達している。動物的「カン」を持っているとか。
> >  はて?我々にこういったものが要求されるのだろうか。
>
> 能動的な時は心がある点に占有されている。それで感受性に目がいかない。敏感さが働かない状態にある。

 感受性とか、敏感さといった言葉をよくお使いになられますが、そういうものは、人によって違うのではないですか。人によって固有差がある。感性の鋭い人、又はそうでない人。運動神経にも個人差がある。ちなみに私にはありません。感受性とか敏感さといわれるもの。
 そうではなく、気づきというものは人共通のものではないですか。人によって違うというものではない。人共通の機能。
 誰か気づいて、誰かが気づかない、というものではない。
 私の知人に感受性の強いナイーブな人がいます。すぐ感情に出る。心がこわれやすいとか。すぐ折れる。うっかりジョークも言えない。すぐ本気にする。
 又、神経過敏な人もいます。何でも気にする人。感受性、敏感というと、このような人たちを思い浮かべます。潔癖性もそう。
 能動的なときは心が占領されている。おっしゃるとおりです。私などはいつも雑事にかまけている。うっかりすると、そのものごとと関係ないことに占領されている。気がつくとすぐ戻る。
>
> >  能動的動きが止めば自ずと見えてくるものではないだろうか。別に敏感ではなく。
>
> そうですが、自ずと見えるのは敏感さでしょう?気づきがあると言ってもよい。
 能動的動きが止めば、自ずと周りが見える。鏡のように。これは普通の人に万人に起こることであって、敏感かどうかは関係ないのではないでしょうか。
 それとも敏感でなければ、周囲は見えないのでしょうか。
 今ビルの10階にいますが、パソコンから目を放し、周囲の景色がよく見えます。自分が今何考えてるかもわかる。10時からNHK杯将棋トーナメントがはじまる。ということが今頭にある。
 別に敏感さを感じていません。むしろ鈍感ではないかな。思考の隙間からくる英知を見逃してばかり。まさに鈍感。
 クリシュナムルティのいっている敏感さというのは、「あちら」からやってくる英知と呼ぶものを捉えることだと思います。そのために「空白」の心を作る。実現する。
 「あちら」というのは、思考を超えたものです。言語化できないもの。
>
> >  それを発揮するのに邪魔をしてるのが、(心理的)思考ということになる。
>
> そうです、そうです、その通りです。
>
> > > >  ここで、「自身の条件づけを理解することにより自然に生まれてくる」とある。そういうことだろうか。
> > >
> > > ええ、そういう事です。
> >
> >  静寂の状態が実現すると、周りが見えてくる。思考が騒いでいると周りが見えない。たんにそういうことではないだろうか。
>
> >  条件づけを理解する、という記述も今イチわからない表現。
>
> 例えば、自我は意志的、能動的な行動を条件づけられています。その中心です。
 それは別なテーマです。人間というのは、そういう生き物でしょう。自身の意志で能動的な行動をする。
 その能動的な行動に対し、条件づけを伴っているかどうかが問題。いつもの習慣的な思考、マンネリズムな思考では創造的行為とかけ離れたものになります。
 いつもの手慣れた思考で行動するのは楽ですが、パターン化された行動にそうだけです。そういうセコハン(中古)人間というのではないでしょうか。
 自分自身も同じことを毎日繰り返してるだけですから中古人間でしょう。この年になると新しいことには挑戦しません。
 
>
> >  ですから
> > 「自身の条件づけを理解することにより自然に生まれてくる」
> > という記述が私にはわからない。むしろ逆ではないか。
>
> どういうことか伺いましょう。
>
> >  ある人は湖面を例に出して説明している。湖の湖面が静かであれば、写っている月はよく見える。湖の湖面が荒々しいと写っている月は見えない。
>
> よくわかります。たまたま静かであればよく見えるし、たまたま風があれば見えない。

たまたま?
>
> >  自身の条件づけを理解することによって頭脳が静まるのではなく、頭脳が静まることによって条件づけは理解される。思考過程が見えるということ。
>
> 頭脳が静まるのには何を理解すればいいのですか?

 頭脳が静まるのに何を理解すればいいか?何も理解する必要はないです。
ただ見てればいい。何かを見つめれば頭脳は静まる。まさに注意の状態。
 何かを見ている状態。私たちはいつもやっているでしょう。花を見ている。
運転するとき前方を見ている。そのとき考え事していて思考で騒いでいれば、事故に遭う。蛇や熊を見てるとき、「かわいい」なんて思っていると噛まれてしまう。
 一般での注意は、こういうことですかが、Kのいう注意とどう違うのかと対比する意味で使いました。
 Kのいう注意は、「全注意」というべきもの。いわば対象がない。見る対象がない注意。受動的状態。すべてを受け入れている状態。思考のバリヤーがない。
(人間の赤ちゃんは5歳くらいまでそういう心の状態だという人がいます。イエスは「幼子のような心でなければ天国に入れない」と)。

 自動車の運転と比較するとわかります。運転は緊張状態で、運転が終わるとどっと疲れます。同じ「注意」でもだいぶ違う。といってKの注意は弛緩の状態、くつろいでいる状態ではありません。いわば車でいえば「ニュートラル」(中和)の状態です。緊張もせず、弛緩もせず。それがawareness 。同じ注意として、ここを混同する読者が見られます。

 10時半になったので、ここまで。今日は暑すぎて外に出られません。






[24036] Re:[24035] [24032] [24031] [24027] [24026] [23991] [23990] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:ゴト 投稿日:2017/07/08(Sat) 15:43  

> > >  気づくことが自ずと起こる?ここがわからない。
> >
> > 能動的であることやめると自ずと敏感さが起こる。
>
>  敏感さ?
>  敏感というのは、普通の意味では、すばやいということ。あるいはすばしっこい。鋭敏。感覚が鋭どいとか。運動神経が人より発達している。動物的「カン」を持っているとか。
>  はて?我々にこういったものが要求されるのだろうか。

能動的な時は心がある点に占有されている。それで感受性に目がいかない。敏感さが働かない状態にある。

>  能動的動きが止めば自ずと見えてくるものではないだろうか。別に敏感ではなく。

そうですが、自ずと見えるのは敏感さでしょう?気づきがあると言ってもよい。

>  それを発揮するのに邪魔をしてるのが、(心理的)思考ということになる。

そうです、そうです、その通りです。

> > >  ここで、「自身の条件づけを理解することにより自然に生まれてくる」とある。そういうことだろうか。
> >
> > ええ、そういう事です。
>
>  静寂の状態が実現すると、周りが見えてくる。思考が騒いでいると周りが見えない。たんにそういうことではないだろうか。

>  条件づけを理解する、という記述も今イチわからない表現。

例えば、自我は意志的、能動的な行動を条件づけられています。その中心です。

>  ですから
> 「自身の条件づけを理解することにより自然に生まれてくる」
> という記述が私にはわからない。むしろ逆ではないか。

どういうことか伺いましょう。

>  ある人は湖面を例に出して説明している。湖の湖面が静かであれば、写っている月はよく見える。湖の湖面が荒々しいと写っている月は見えない。

よくわかります。たまたま静かであればよく見えるし、たまたま風があれば見えない。

>  自身の条件づけを理解することによって頭脳が静まるのではなく、頭脳が静まることによって条件づけは理解される。思考過程が見えるということ。

頭脳が静まるのには何を理解すればいいのですか?

> > >  次に「頭脳が静かであれば、より奥底にあるものを聴くことができるということがわかる」とある。
>
>  ここは意味深です。
>
> > >  この沈黙は、静寂と同じ意味で、Kに限らず、ほとんどの覚者がいっている。たとえば竜王文庫「沈黙の声」
> >
> > そうでしょうね。陰にやられていた敏感さがよみがえる。
>
>  簡単にいうと「神の声」。内面からの指示、指令、示唆。このへんのことは、他の文献で調べたので、割愛します。
>  これらの本を読んでない人に、説明する程の度量はないということです。
>  ようするに、一般の人間の頭は常に雑事で一杯なので、これらがきてもわからないということ。又これらについて知らない人がほとんど。
>  これらというのは、あらためていうと「神の声」。それらは、直観という形になって顕れる。
>
> > はい。能動的な動きをしないで受動的に見る。その通りです。
>
>  人には必ず能動的動きがやむ瞬間があるということ。頭脳は長時間考えられない。必ず休みを求める。人には何も考えない「ポカーン」とする間(ま)が必要。

確かに頭は休憩や睡眠をとった後は鎮まるが、日中、関係の中で人に注意を受けたりすると、とたんに心は騒ぎ出す。そうなると元の木阿弥。

> > >  ですから、これらが自動的に起きるかと言うと,そうではないというのが私の見解。

時たまの静かさではなく、肝心かなめの時(危険に出会った時)、注意、もしくは気づき、静かさ、感受性がなくてはならない。

> > 能動的な動きがないならいいのです。受動的なら向こうが語ってくれて分かるとか。自動的という言い方が気に入らなかったら捨ててください。「能動的な動きなしに」に絞りましょう。
>
>  能動的な動きは止んだ瞬間に、自ずと「答え」が現れる。思考でいくら考えてもわからなかったのが。そのことを「知恵」(智慧)というのでしょうか。
>  我々が進路を誤ってしまうのは、こうしたものを無視するからです。思考で解決を図ろうとする。
>  自分の過去をふりかえってみると、第一印象というのは、結構あってい
> ることに気づきます。思考が介入し、過去の経験記憶が出てくると迷うことになる。何でもそうです。
> >
> > >  一番いい例が「蛇」の例。自分の部屋に、毒蛇が現れたとする。
> > >  我々は噛まれてはいけないので、蛇の動きを全身全霊で注視する。これがまさしく注意の状態。心理的思考のはいる隙間がありません。蛇を見てるとき、他のことを考えてたら、それこそ噛まれてしまう。
>
>  これは「既知からの自由」33ページに出てくる例です。ただ、あとで聞くと、新しい芽氏は、この例はよくないといってました。何がよくないのかはわかりませんが。
> >
> > ただ、毒蛇はその危険を人は動物の時代にさかのぼって身にしみて知っている。
>  そんな難しいことを言われなくても、現実に蛇に噛まれたらあなたは死ぬ危険性があることを知っているでしょう。命の危機にある。
>  だから、蛇の動きを、一瞬一瞬身守るわけです。その蛇がこちらにかかってくるようになるなら、一目散に逃げる。
>  まさに全身全霊。この意味は、一寸たりとも、「心理的思考」が入りようがないというもの。油断すると噛まれます。怖いと思う暇がない。

毒蛇は「心理的思考」を指しているのですか?しかし心理的思考と言っても普通の人はわからないとはあなたの説だった。そうです。私は現代の闇の中の危険が何かを明快に、普通の人がわかるようにしたいと言っています。

> >今の根源的危険が何なのかを知らない。だから全身全霊にならない。
>
>  噛まれると死ぬから、人は蛇に対して全身全霊になる。この蛇というのは、まぬしとかハブ。毒蛇です。ペットではない。
>  「既知からの自由」のKのいう蛇は、ぺットなのでしょうか?
>  その動きを一寸一寸身守る。まさに「注意の状態」。注意がそれると、蛇を見失うことに。
> >
> > >  この「蛇」を、「思考の動き」に置き換えればKの言いたいことがよくわかります。思考を動きを注視する。これが注意の状態。はっきり見てる状態。我々は注意の状態に、即座に成ればいいのであって、それは自然に起きるとは違うのではないですか。
> >
> > 思考はしょっちゅう実用的に使っているから危険なものとは思はないし、時に危険なものが現れても、敏感な人以外はわからないので注意しない。
>
>  そうです。クリシュナムルティが思考は危険というだけで,普通の人は、そういうことは全然思っていない。何故危険かというと、心理的思考は暴力を生み出すからです。たとえば「このやろう。俺に対して何やってんだ」と。

Kは分離を生み出すからと言います。暴力だとはっきりわかりますね。

>  危険とみなさないと、人は「見る」ということをしないから、Kは例えで警告するわけです。しかし、人は耳を貸そうとはしない。ときの権力者は安住することを第一に望む。地位を脅かされないよう。隣の隣国がいい見本。生きた見本。
>
> > すべての「思考の動き」が根源的危険ではない。もちろん思考の動きを注意の状態で知覚していることはよいことです。
>
>  心理的な思考の動きが、暴力を生み出す。Kが再三訴えているのがここ。
> つまり人は、常に心理的思考と同一化している。
>  具体的にいうと権威、プライド、ポリシー、「らしさ」といったもの。
>  北朝鮮とアメリカのトップの心理状態がまさにそうでしょう。常に面子を考えている。
>  人は社会に出ると、それらのものを身につけていく。生きていくために。処世術といったもの。
>  その同一化を避けるための手始めに、Kは「見る」と言うことを提唱した。
>  まずは、awarenessの状態を実現しろと。
> >
> > >  ですからKのいう
> > >  「自身の条件づけを理解することにより自然に生まれてくるという記述に疑問を感じます」
>  繰り返しますが、awarenessの状態には、誰でも即座に成ることが出来る。
>  見れば言い訳だから。人間は危険を察知すると、自ずと「注意の状態」になります。

そうですが、現代の毒蛇が飛び出す肝心かなめの時に、心は心理的思考と同一化して対立し、暴力的になってしまう。
アウェアネスはだれでも即座になるというのは、心がたまたま暇で落ち着いている時だけ言えることで、実際の肝心な時は乱れに乱れてしまう。

>  この状態になることを目指して修練を積む(時間をかける)というのは本末転倒。商売人の発想。気づきのトレーニングと称して金をとる。
> >
> > 現在の根源的危険は外部にあるだけでなく、内部にあります。それで自分自身を知ろうと言っています。
>
>  さっきから根源的危険という言葉が出てきますが、一体何のことですか。

人々の間に分離をもたらすおおもとの覆面怪人。あえて言いましょう。自我です。

> > 自分の内の危険を知ると、実際の危険が腑に落ちて敏感にわかるようになります。
>
> ?

自分の中の分裂やほかの人々の間の分裂・対立を引き起こす怪人Xを発見、理解すると、もう即座に気づくようになる。

> > >  危険を感じれば。誰でも即座の注意に成る。Kは思考を危険物とみなす。しかし、人間は思考は快楽を保証するので、手放そうとはしない。人は心地よいものには貪欲。
> >
> > その通りです。
> > 思考は時に危険物となります。しかしそれは何のせいかな!同一化したりしないで使えば、これほど有用なものはないのではないでしょうか。しかし危険を知らないらしい(ひょっとして誤用?)。
>
>  思考は危険ではなく、同一化してしまうことが問題です。
>  クリシュナムルティは、思考は危険物だとあえて大げさにいって、人類に対して警告したわけです。人間はよほど頭を打たないと目覚めないので。

実用的思考は危険でないと言ったのですが…、心理的思考はそれ自体危険でないのかなあ…。
心理的思考と言うと、これは抽象語なので種類がいっぱいあって、返ってぴんと来ない。
思考と同一化するという本人は利己性を持つ「自分」、「私」ですね。同一化するのが心理的思考なのかな。

> > > > > > 気づきの継続とか、見ることの継続ではなく、自分の握りしめていた思い込みの中の怪しげなものが消えればそれで終わりです。
> > > > >
> > > > >  「思い込みの中の怪しげなもの」?
> > >
> > > 心理的な思考のこと?
>
>  ある国の指導者は、自身の面子に対し目を向けようとはしない。意識は常に外部に向いている。
> >
> > それが何か二人で見つけましょう。それがこの対話の論点です。
>
>  同一化してるかどうかが問題。人に何か言われたとき、腹を立ててすぐ怒るのは、それこそ「同一化」の典型ではないですか。観念と一体化している。
>  「馬鹿野郎」といわれてすぐ怒るのは、その『馬鹿野郎」という言葉と一体化している。だからすぐに反応している。
>  同一化されていなけば。、「馬鹿野郎」という言葉に反応することはなく、逆に相手に尋ねるでしょう?
>  何故「馬鹿野郎」というのですか?言われた理由がわからないので。
>  いつだったが新しい芽氏から、こういった説明を受けたことがある。
>  常に「何故」?
>
> > だから大親分一人を見つけましょう。いくつかの別名を持っているかもしれませんが。
>
>  親分ではなく、同一化しないことにつきる。
>  このことは,悟っているか、悟っていないかは関係ないようです。
>  同一化の典型
>  ある国の指導者は、自分の思いどうりに行かない時は、そのことについて罰を加える。
>  思うドウリにいく時は悦に。いかない時は激怒する。

同一化は思考と同一化する者が要る。そのものは心理的思考と同一化しきっていると言っていいくらい、すぐさま同一化する。その同一化大好き者は誰か!
それをほっといて同一化を止めると言っても空論ではないだろうか?
心理的思考と同一化大好き者が出合わせば、即座に同一化してしまうのは火を見るより明らか。

> > > > > > 心理的なイメージのシステムが構築されています。そのなかにお化けがいるのです。そのお化けの正体が見えればそれまでなのです。心理的なシステムが崩壊します。
> > >
> > >  心理的システムとは?
> >
> > 旗はただのものですが、国旗とか国歌、愛国心となるとお化け的要素が加わっている気がしませんか?
>
>  学校で、日の丸の国旗を掲げたとき、席を立たない先生がいるというニュースが何年か前に報じられたことがあったが、今はどうなったのだろう。
>  国家をうたわない。始業式とか、終業式の説目には、日の丸を掲げ、国家をうたう。一部はそれに反発する。
>  はたして、どっち側が旗にとらわれているのだろうか。
>  国旗を掲げる側と、其れを見る側。
>  戦中派のあなsたは、日の丸の旗を見ると、「国家主義」がおもい浮かぶのでしょうか。戦後派の私は何も思わない。学校側から言われた通り、旗を見て、国家をうたうだけです。

国歌を聞くと今でもその短調のメロディが心を動かす。シンボルと感情。

>  どちらが、とらわれていますか?

君が代を聞く機会があなたの世代とは根本的に違います。回数も場合も。
あなたの世代は国歌には割合自由でしょう。

> > > > >  感情のコントロールせよというのは、ほとんどの覚者がいうわけですが、クリシュナムルティは、感情についての言及があまり見受けられない。思考、思考というだけで。
> >
> > 新しい芽さんの「最初で最後の自由」第13章欲望にかなり多数の感情という言葉が出てきます。
>
>  そうですか。欲望の章ですね。欲望はコントロールするものなのだろうか。
> この社会は、欲望のままというのは許されない。

> > 意見が各人それぞれあり、、結局各人が思うままにふるまう。それで、その時権力を握った人間が自分の意見を押し通す。これが現状。その現状の擁護者が根源的問題(毒蛇のように危険な大親分)に気づく気を起こすか否かであるけれど、難しそうだな。
> >
> > 結局、あなたは凡人容認で、これでやって行こう、覚者の言う通りにはできないという事をおっしゃっているのですか?
> >
> > 非難の目でなく慈愛の目で見ていると自分自身を知ることができるかな。現在の毒蛇がだれの目にも危険とわかる日まで、個人にも世界にも、苦闘苦悩の絶え間はない。
>
>  あなたの世界を憂う気持ちはわかります。しかし現実には日本は隣国の暴発はいつくるかの怯える毎日。確実に言えるのは日本は少子化で、なおかつ養老大国の日本には経済の発展はなく未来というものがありません。今の経済をどうにかもちこたえるのは、東京オリンピックまでというのが大方の体勢。

別に世界を憂うわけではないが、自我に気づけばいいがと思います。

>  このままいくと、戦時中にやった預金封鎖が現実味?万札が紙切れ?こうしたことを自身の身内や小さな孫達にどうやって伝えるのでしょうか。世界を憂うより、そういったことの方が重要ではないでしょうか。子供達を守る。どうやって?生き抜く知恵を生み出す。
>  なるようになるというのスタンス。先のことを考えてもしょうがないですか?たしかに。

預金封鎖なんて大したことではなかった。青壮年の男たちはずいぶん死んだがかなり戻ってきたし、戦争が今やないという事は約束されていた。それで軍への供出はなかった。田圃は地主から小作人の手に渡った。平和裏の農地解放。戦争のための生産が中止になった。
富国強兵的なスローガンに騙されるなと言っておく。昔の道をまたたどるな!戦後には明るさがあった。


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> >  気づくことが自ずと起こる?ここがわからない。
>
> 能動的であることやめると自ずと敏感さが起こる。

 敏感さ?
 敏感というのは、普通の意味では、すばやいということ。あるいはすばしっこい。鋭敏。感覚が鋭どいとか。運動神経が人より発達している。動物的「カン」を持っているとか。
 はて?我々にこういったものが要求されるのだろうか。
 能動的動きが止めば自ずと見えてくるものではないだろうか。別に敏感ではなく。
 向こうから自転車が来れば、誰でもよける。ぶつかるのは、たんなる不注意。考え事していた。
 人によって感性の鋭い人はいます。それと今回の気づきとは関係ありません。人の持っている普通の機能です。
 それを発揮するのに邪魔をしてるのが、(心理的)思考ということになる。
 
> >  ここで、「自身の条件づけを理解することにより自然に生まれてくる」とある。そういうことだろうか。
>
> ええ、そういう事です。

 静寂の状態が実現すると、周りが見えてくる。思考が騒いでいると周りが見えない。たんにそういうことではないだろうか。
 条件づけを理解する、という記述も今イチわからない表現。
 ですから
「自身の条件づけを理解することにより自然に生まれてくる」
という記述が私にはわからない。むしろ逆ではないか。

 ある人は湖面を例に出して説明している。湖の湖面が静かであれば、写っている月はよく見える。湖の湖面が荒々しいと写っている月は見えない。

 自身の条件づけを理解することによって頭脳が静まるのではなく、頭脳が静まることによって条件づけは理解される。思考過程が見えるということ。
>
> >  次に「頭脳が静かであれば、より奥底にあるものを聴くことができるということがわかる」とある。

 ここは意味深です。

> >  この沈黙は、静寂と同じ意味で、Kに限らず、ほとんどの覚者がいっている。たとえば竜王文庫「沈黙の声」
>
> そうでしょうね。陰にやられていた敏感さがよみがえる。

 簡単にいうと「神の声」。内面からの指示、指令、示唆。このへんのことは、他の文献で調べたので、割愛します。
 これらの本を読んでない人に、説明する程の度量はないということです。
 ようするに、一般の人間の頭は常に雑事で一杯なので、これらがきてもわからないということ。又これらについて知らない人がほとんど。
 これらというのは、あらためていうと「神の声」。それらは、直観という形になって顕れる。
>

> はい。能動的な動きをしないで受動的に見る。その通りです。

 人には必ず能動的動きがやむ瞬間があるということ。頭脳は長時間考えられない。必ず休みを求める。人には何も考えない「ポカーン」とする間(ま)が必要。
>
> >  ですから、これらが自動的に起きるかと言うと,そうではないというのが私の見解。
>
> 能動的な動きがないならいいのです。受動的なら向こうが語ってくれて分かるとか。自動的という言い方が気に入らなかったら捨ててください。「能動的な動きなしに」に絞りましょう。

 能動的な動きは止んだ瞬間に、自ずと「答え」が現れる。思考でいくら考えてもわからなかったのが。そのことを「知恵」(智慧)というのでしょうか。
 我々が進路を誤ってしまうのは、こうしたものを無視するからです。思考で解決を図ろうとする。
 自分の過去をふりかえってみると、第一印象というのは、結構あってい
ることに気づきます。思考が介入し、過去の経験記憶が出てくると迷うことになる。何でもそうです。
>
> >  一番いい例が「蛇」の例。自分の部屋に、毒蛇が現れたとする。
> >  我々は噛まれてはいけないので、蛇の動きを全身全霊で注視する。これがまさしく注意の状態。心理的思考のはいる隙間がありません。蛇を見てるとき、他のことを考えてたら、それこそ噛まれてしまう。

 これは「既知からの自由」33ページに出てくる例です。ただ、あとで聞くと、新しい芽氏は、この例はよくないといってました。何がよくないのかはわかりませんが。
>
> ただ、毒蛇はその危険を人は動物の時代にさかのぼって身にしみて知っている。
 そんな難しいことを言われなくても、現実に蛇に噛まれたらあなたは死ぬ危険性があることを知っているでしょう。命の危機にある。
 だから、蛇の動きを、一瞬一瞬身守るわけです。その蛇がこちらにかかってくるようになるなら、一目散に逃げる。
 まさに全身全霊。この意味は、一寸たりとも、「心理的思考」が入りようがないというもの。油断すると噛まれます。怖いと思う暇がない。

>今の根源的危険が何なのかを知らない。だから全身全霊にならない。

 噛まれると死ぬから、人は蛇に対して全身全霊になる。この蛇というのは、まぬしとかハブ。毒蛇です。ペットではない。
 「既知からの自由」のKのいう蛇は、ぺットなのでしょうか?
 その動きを一寸一寸身守る。まさに「注意の状態」。注意がそれると、蛇を見失うことに。
>
> >  この「蛇」を、「思考の動き」に置き換えればKの言いたいことがよくわかります。思考を動きを注視する。これが注意の状態。はっきり見てる状態。我々は注意の状態に、即座に成ればいいのであって、それは自然に起きるとは違うのではないですか。
>
> 思考はしょっちゅう実用的に使っているから危険なものとは思はないし、時に危険なものが現れても、敏感な人以外はわからないので注意しない。

 そうです。クリシュナムルティが思考は危険というだけで,普通の人は、そういうことは全然思っていない。何故危険かというと、心理的思考は暴力を生み出すからです。たとえば「このやろう。俺に対して何やってんだ」と。
 危険とみなさないと、人は「見る」ということをしないから、Kは例えで警告するわけです。しかし、人は耳を貸そうとはしない。ときの権力者は安住することを第一に望む。地位を脅かされないよう。隣の隣国がいい見本。生きた見本。

> すべての「思考の動き」が根源的危険ではない。もちろん思考の動きを注意の状態で知覚していることはよいことです。

 心理的な思考の動きが、暴力を生み出す。Kが再三訴えているのがここ。
つまり人は、常に心理的思考と同一化している。
 具体的にいうと権威、プライド、ポリシー、「らしさ」といったもの。
 北朝鮮とアメリカのトップの心理状態がまさにそうでしょう。常に面子を考えている。
 人は社会に出ると、それらのものを身につけていく。生きていくために。処世術といったもの。
 その同一化を避けるための手始めに、Kは「見る」と言うことを提唱した。
 まずは、awarenessの状態を実現しろと。
>
> >  ですからKのいう
> >  「自身の条件づけを理解することにより自然に生まれてくるという記述に疑問を感じます」
 繰り返しますが、awarenessの状態には、誰でも即座に成ることが出来る。
 見れば言い訳だから。人間は危険を察知すると、自ずと「注意の状態」になります。
 この状態になることを目指して修練を積む(時間をかける)というのは本末転倒。商売人の発想。気づきのトレーニングと称して金をとる。
>
> 現在の根源的危険は外部にあるだけでなく、内部にあります。それで自分自身を知ろうと言っています。

 さっきから根源的危険という言葉が出てきますが、一体何のことですか。

> 自分の内の危険を知ると、実際の危険が腑に落ちて敏感にわかるようになります。


>
> >  危険を感じれば。誰でも即座の注意に成る。Kは思考を危険物とみなす。しかし、人間は思考は快楽を保証するので、手放そうとはしない。人は心地よいものには貪欲。
>
> その通りです。
> 思考は時に危険物となります。しかしそれは何のせいかな!同一化したりしないで使えば、これほど有用なものはないのではないでしょうか。しかし危険を知らないらしい(ひょっとして誤用?)。

 思考は危険ではなく、同一化してしまうことが問題です。
 クリシュナムルティは、思考は危険物だとあえて大げさにいって、人類に対して警告したわけです。人間はよほど頭を打たないと目覚めないので。

> > > > > 気づきの継続とか、見ることの継続ではなく、自分の握りしめていた思い込みの中の怪しげなものが消えればそれで終わりです。
> > > >
> > > >  「思い込みの中の怪しげなもの」?
> >
> > 心理的な思考のこと?

 ある国の指導者は、自身の面子に対し目を向けようとはしない。意識は常に外部に向いている。
>
> それが何か二人で見つけましょう。それがこの対話の論点です。

 同一化してるかどうかが問題。人に何か言われたとき、腹を立ててすぐ怒るのは、それこそ「同一化」の典型ではないですか。観念と一体化している。
 「馬鹿野郎」といわれてすぐ怒るのは、その『馬鹿野郎」という言葉と一体化している。だからすぐに反応している。
 同一化されていなけば。、「馬鹿野郎」という言葉に反応することはなく、逆に相手に尋ねるでしょう?
 何故「馬鹿野郎」というのですか?言われた理由がわからないので。
 いつだったが新しい芽氏から、こういった説明を受けたことがある。
 常に「何故」?

> だから大親分一人を見つけましょう。いくつかの別名を持っているかもしれませんが。

 親分ではなく、同一化しないことにつきる。
 このことは,悟っているか、悟っていないかは関係ないようです。
 同一化の典型
 ある国の指導者は、自分の思いどうりに行かない時は、そのことについて罰を加える。
 思うドウリにいく時は悦に。いかない時は激怒する。

> > > > > 心理的なイメージのシステムが構築されています。そのなかにお化けがいるのです。そのお化けの正体が見えればそれまでなのです。心理的なシステムが崩壊します。
> >
> >  心理的システムとは?
>
> 旗はただのものですが、国旗とか国歌、愛国心となるとお化け的要素が加わっている気がしませんか?

 学校で、日の丸の国旗を掲げたとき、席を立たない先生がいるというニュースが何年か前に報じられたことがあったが、今はどうなったのだろう。
 国家をうたわない。始業式とか、終業式の説目には、日の丸を掲げ、国家をうたう。一部はそれに反発する。
 はたして、どっち側が旗にとらわれているのだろうか。
 国旗を掲げる側と、其れを見る側。
 戦中派のあなsたは、日の丸の旗を見ると、「国家主義」がおもい浮かぶのでしょうか。戦後派の私は何も思わない。学校側から言われた通り、旗を見て、国家をうたうだけです。
 どちらが、とらわれていますか?

> > > >  感情のコントロールせよというのは、ほとんどの覚者がいうわけですが、クリシュナムルティは、感情についての言及があまり見受けられない。思考、思考というだけで。
>
> 新しい芽さんの「最初で最後の自由」第13章欲望にかなり多数の感情という言葉が出てきます。

 そうですか。欲望の章ですね。欲望はコントロールするものなのだろうか。
この社会は、欲望のままというのは許されない。


> 意見が各人それぞれあり、、結局各人が思うままにふるまう。それで、その時権力を握った人間が自分の意見を押し通す。これが現状。その現状の擁護者が根源的問題(毒蛇のように危険な大親分)に気づく気を起こすか否かであるけれど、難しそうだな。
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> 結局、あなたは凡人容認で、これでやって行こう、覚者の言う通りにはできないという事をおっしゃっているのですか?
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> 非難の目でなく慈愛の目で見ていると自分自身を知ることができるかな。現在の毒蛇がだれの目にも危険とわかる日まで、個人にも世界にも、苦闘苦悩の絶え間はない。

 あなたの世界を憂う気持ちはわかります。しかし現実には日本は隣国の暴発はいつくるかの怯える毎日。確実に言えるのは日本は少子化で、なおかつ養老大国の日本には経済の発展はなく未来というものがありません。今の経済をどうにかもちこたえるのは、東京オリンピックまでというのが大方の体勢。
 このままいくと、戦時中にやった預金封鎖が現実味?万札が紙切れ?こうしたことを自身の身内や小さな孫達にどうやって伝えるのでしょうか。世界を憂うより、そういったことの方が重要ではないでしょうか。子供達を守る。どうやって?生き抜く知恵を生み出す。
 なるようになるというのスタンス。先のことを考えてもしょうがないですか?たしかに。


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