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[26877] Re:[26876] [26874] [26872] [26868] [26865] [26860] [26855] [26854] [26851] [26850] [26849] [26848] 『英知へのターニングポイント』 投稿者:宮啓 投稿日:2019/04/05(Fri) 22:25  

> > > > > 死んで見ていると形容するときは、事が致命的に大きいと自分に思える時のことです。
> > > > >
> > > > > >
> > > > > >  心理的に死ぬことが、難しい。。
> > > > >
> > > > >
> > > > > 事が致命的であることがわかるとき、それは起こります。あなたが獲得することではないから、難しいと言うのは見当はずれです。
> > > >
> > > >
> > > >  事が致命的であることがわかるとき、そのときには「見る」が起こっているのでしょうか。それとも、「見る」が起こる前に事が致命的であることがわかるのでしょうか。
> > >
> > > あ、ごめんなさい。言葉が足りなせんでした。
> > >  最初に思考が致命的に危険と確信し騒ぎ始めます。行動し始めると、すでに自分の手に負えない状態であるのがわかります(ここが洞察かな)。そこでじたばたせずに心理的に死にます。これでいいですか。
> >
> >
> >  実際に肉体が死ぬときに、意識があれば、その過程を辿ることができればいいですね。
> >
> >  死にかけているとき、じたばたしない。あの世は無く、先に死んだ親や祖父母のお迎えは無い。もちろん、生まれ変わりも無い。ただあるのは四文字のみ。「完全消滅」。
> >
> >  これを悟るのが洞察。致命的な危機を悟る。
> >
> >  クリシュナムルティが述べるには、そこで人はじたばたして、悲しみの大河へと入ってゆくとのこと。
> >
> >  そこでじたばたしなければ、心理的に死ぬ、肉体の死と共に。
> >
> >  これを死の床まで待たずして、生きている内に事が起こる。
> >
> >  そのような「致命的な危機」が、こちらから招くことなく、向こうからやって来る。
> >
> >  そのとき、じたばたしなければ何が起こるか?「見る」。
>
>
> そのとき未知のもの、無量のものがある。と言っても言葉だけという事になるなあ。もしあなたが小説『白鯨』(モービィディック)を読んだことがあるなら、そのエピローグのイシュメルが一人海に残り、空の棺桶にすがって救助される間の描写がそれに一番近いと思う。
>
> ほとんど一昼夜のあいだ、私はしめやかな挽歌の曲のごとき海原に泛びただよった。無害な鮫どもはまるでその口に錠をおろしたように傍をすべり、狂猛な海鷹はその嘴に鞘をはめて飛翔してきた。二日目、一層の帆船が近づき、さらに近づき、…… 田中誠二郎訳 「白鯨」新潮文庫


 質問に応じていただき、ありがとうございます。

 「白鯨」は読んだことがないので、上記の表記にて、おおよそを察することしかできませんが・・。

 だだ、ゴトさんには未知のもの・無量のものがあると感じられるのですね。。

 ありがとうございました。

 人生、何があるか分かりません。

 私も、船から落ちて大海原を漂流するかもしれません。

 あるいは、それに匹敵する「致命的な危機」と遭遇するかもしれません。死の床を待たずして。

 そのようなものと遭遇したくないと願うのは、すでに非難・正当化する思考と共に生きているということなのかもしれません。。


[26876] Re:[26874] [26872] [26868] [26865] [26860] [26855] [26854] [26851] [26850] [26849] [26848] 『英知へのターニングポイント』 投稿者:ゴト 投稿日:2019/04/05(Fri) 21:07  

> > > > 死んで見ていると形容するときは、事が致命的に大きいと自分に思える時のことです。
> > > >
> > > > >
> > > > >  心理的に死ぬことが、難しい。。
> > > >
> > > >
> > > > 事が致命的であることがわかるとき、それは起こります。あなたが獲得することではないから、難しいと言うのは見当はずれです。
> > >
> > >
> > >  事が致命的であることがわかるとき、そのときには「見る」が起こっているのでしょうか。それとも、「見る」が起こる前に事が致命的であることがわかるのでしょうか。
> >
> > あ、ごめんなさい。言葉が足りなせんでした。
> >  最初に思考が致命的に危険と確信し騒ぎ始めます。行動し始めると、すでに自分の手に負えない状態であるのがわかります(ここが洞察かな)。そこでじたばたせずに心理的に死にます。これでいいですか。
>
>
>  実際に肉体が死ぬときに、意識があれば、その過程を辿ることができればいいですね。
>
>  死にかけているとき、じたばたしない。あの世は無く、先に死んだ親や祖父母のお迎えは無い。もちろん、生まれ変わりも無い。ただあるのは四文字のみ。「完全消滅」。
>
>  これを悟るのが洞察。致命的な危機を悟る。
>
>  クリシュナムルティが述べるには、そこで人はじたばたして、悲しみの大河へと入ってゆくとのこと。
>
>  そこでじたばたしなければ、心理的に死ぬ、肉体の死と共に。
>
>  これを死の床まで待たずして、生きている内に事が起こる。
>
>  そのような「致命的な危機」が、こちらから招くことなく、向こうからやって来る。
>
>  そのとき、じたばたしなければ何が起こるか?「見る」。


そのとき未知のもの、無量のものがある。と言っても言葉だけという事になるなあ。もしあなたが小説『白鯨』(モービィディック)を読んだことがあるなら、そのエピローグのイシュメルが一人海に残り、空の棺桶にすがって救助される間の描写がそれに一番近いと思う。

ほとんど一昼夜のあいだ、私はしめやかな挽歌の曲のごとき海原に泛びただよった。無害な鮫どもはまるでその口に錠をおろしたように傍をすべり、狂猛な海鷹はその嘴に鞘をはめて飛翔してきた。二日目、一艘の帆船が近づき、さらに近づき、…… 田中誠二郎訳 「白鯨」新潮文庫


[26875] Re:[26871] [26869] [26867] [26866] [26864] [26863] 例えば 投稿者:ゴト 投稿日:2019/04/05(Fri) 19:09  

> > > >クリシュナムルティという先達を我々は持っています。
> > >
> > >
> > > クリシュナムルティという人間がいた。
> > >
> > > 持っている、というとKの「ようになりたい」という幻影を産み出す。
> >
> >
> > はい、クリシュナムルティという人間がいた。その足跡をたどると人の生き方として感じるところが多くあり、それを調べるとともに21世紀の人間と社会の問題を全体的に観察したい。こんなところでどうでしょうか。
> >
>
>
> 問題を作り出すのは自分の思考です。
>
> 「人間と社会の問題」なんて存在しない。
>
> あるというなら、それは自分の思考の問題であり、「人間と社会の問題」という切り離されたものではない。


人間の持つ思考が問題を作り上げるのは、個人の問題でなく、人間全体の相互に絡んだ網の目の中に生じていることです。それが人間全体であり、社会です。それは個人に大きな影響をもたらし、個人はまた全体に大きく影響します。そしてそれは何10兆もの数の規模の中での出来事の絡み合った結果で、コンピュータでも解けません。事実を直視できない限り、問題は人間の社会にはあるのではないでしょうか?

個人の思考が問題という幻想を起こしているというのは個人的に見ている限りそう見えるところがあります。しかし社会全体が秩序の中にあるのではなく、問題が現実として存在するのは確かだと思います。人間が全体として幻想に目覚め始めることが必要だと私は思うのですが。

目覚めた人が見れば目覚めない人間が苦しみ悩むのは当然の因果かもしれません。しかし、だから因果の法則は正確に働いている、問題はないという事には組することができません。皆に目覚めが広がるように、具体的な課題を探ることにはならないでしょうか? 何ができるかという事がじたばたすることで、何もすることはないという事が言われますが、私にはその理由がわからないのです。

真の啓蒙という事はないのでしょうか?


[26874] Re:[26872] [26868] [26865] [26860] [26855] [26854] [26851] [26850] [26849] [26848] 『英知へのターニングポイント』 投稿者:宮啓 投稿日:2019/04/05(Fri) 13:18  

> > > 死んで見ていると形容するときは、事が致命的に大きいと自分に思える時のことです。
> > >
> > > >
> > > >  心理的に死ぬことが、難しい。。
> > >
> > >
> > > 事が致命的であることがわかるとき、それは起こります。あなたが獲得することではないから、難しいと言うのは見当はずれです。
> >
> >
> >  事が致命的であることがわかるとき、そのときには「見る」が起こっているのでしょうか。それとも、「見る」が起こる前に事が致命的であることがわかるのでしょうか。
>
> あ、ごめんなさい。言葉が足りなせんでした。
>  最初に思考が致命的に危険と確信し騒ぎ始めます。行動し始めると、すでに自分の手に負えない状態であるのがわかります(ここが洞察かな)。そこでじたばたせずに心理的に死にます。これでいいですか。


 実際に肉体が死ぬときに、意識があれば、その過程を辿ることができればいいですね。

 死にかけているとき、じたばたしない。あの世は無く、先に死んだ親や祖父母のお迎えは無い。もちろん、生まれ変わりも無い。ただあるのは四文字のみ。「完全消滅」。

 これを悟るのが洞察。致命的な危機を悟る。

 クリシュナムルティが述べるには、そこで人はじたばたして、悲しみの大河へと入ってゆくとのこと。

 そこでじたばたしなければ、心理的に死ぬ、肉体の死と共に。

 これを死の床まで待たずして、生きている内に事が起こる。

 そのような「致命的な危機」が、こちらから招くことなく、向こうからやって来る。

 そのとき、じたばたしなければ何が起こるか?「見る」。


[26873] ただ気づくにでは、どのように気づいているか 投稿者:無明 投稿日:2019/04/05(Fri) 11:49  

ただ気づいているのではなく、どのように気づいているか。残された新しい芽氏の言葉を最近調べて、このことを学びました。遅まきながら。

ただ、気づいている。
ただ、見えている。
ただ、知覚されている。
思考なしに。

ここまでの人はいる。一般のクリシュナムルティ読者。

どんなふうに気づいているか?
どのように気づいているか?
自己欺瞞、思考のまやかしに気づいている人は、ほぼいない。
ズル賢い思考のトリックに気づく人はいない。

クリシュナムルティに関わった関係者で、思考の欺瞞について鋭く言及し、自ら取り組んだ人は、私に知る限り日本では新しい芽氏のみです。

わかりやすくいうと、クリシュナムルティの一般の読者、研究者は
「見えている」「気づいている」「知覚されている」
ということを学び実践しようとする。

新しい芽氏は違う。そうではなく
どのように気づいているか、どんなふうに気づいているか、思考の動きをよく見るということ。思考のトリックを見破るために。

他のクリシュナムルティ研究者は、ここまで言及しない。
ただ、見えている、気づいている、と言うのみ。

追記
ここの掲示板でもそうですが、過去のものを蘇っても、無意識に知らず知らず、事実に基づかず、自分の思考を正当化している人が、大多数です。その人にそのことを指摘しても、気づくことはないでしょう。正当化するのみです。
人間はそのことに習慣的になっているようだ。反発するというのが、その証拠です。怒りや批難というには、体に如実に現れるので、そのときの気持ちがわかるが、思考の欺瞞、まやかしというのは、何も現れないから、かえって厄介。
自身を正当化する。このテーマについての議論は、あまりにも少ない。非難はあるが。


[26872] Re:[26868] [26865] [26860] [26855] [26854] [26851] [26850] [26849] [26848] 『英知へのターニングポイント』 投稿者:ゴト 投稿日:2019/04/05(Fri) 10:04  

> > 死んで見ていると形容するときは、事が致命的に大きいと自分に思える時のことです。
> >
> > >
> > >  心理的に死ぬことが、難しい。。
> >
> >
> > 事が致命的であることがわかるとき、それは起こります。あなたが獲得することではないから、難しいと言うのは見当はずれです。
>
>
>  事が致命的であることがわかるとき、そのときには「見る」が起こっているのでしょうか。それとも、「見る」が起こる前に事が致命的であることがわかるのでしょうか。

あ、ごめんなさい。言葉が足りなせんでした。
 最初に思考が致命的に危険と確信し騒ぎ始めます。行動し始めると、すでに自分の手に負えない状態であるのがわかります(ここが洞察かな)。そこでじたばたせずに心理的に死にます。これでいいですか。


[26871] Re:[26869] [26867] [26866] [26864] [26863] 例えば 投稿者:南方 投稿日:2019/04/05(Fri) 09:48  

> > >クリシュナムルティという先達を我々は持っています。
> >
> >
> > クリシュナムルティという人間がいた。
> >
> > 持っている、というとKの「ようになりたい」という幻影を産み出す。
>
>
> はい、クリシュナムルティという人間がいた。その足跡をたどると人の生き方として感じるところが多くあり、それを調べるとともに21世紀の人間と社会の問題を全体的に観察したい。こんなところでどうでしょうか。
>


問題を作り出すのは自分の思考です。

「人間と社会の問題」なんて存在しない。

あるというなら、それは自分の思考の問題であり、「人間と社会の問題」という切り離されたものではない。


[26870] Re:[26866] [26864] [26863] 例えば 投稿者:南方 投稿日:2019/04/05(Fri) 09:38  

> 直視して生きる時、自分の描き出す幻影なしに生きる道があります。クリシュナムルティという先達を我々は持っています。



どのように生きるか?=自分の描き出す幻影なしに生きる。

これかー、Kが言いたかったことは。


[26869] Re:[26867] [26866] [26864] [26863] 例えば 投稿者:ゴト 投稿日:2019/04/05(Fri) 09:29  

> >クリシュナムルティという先達を我々は持っています。
>
>
> クリシュナムルティという人間がいた。
>
> 持っている、というとKの「ようになりたい」という幻影を産み出す。


はい、クリシュナムルティという人間がいた。その足跡をたどると人の生き方として感じるところが多くあり、それを調べるとともに21世紀の人間と社会の問題を全体的に観察したい。こんなところでどうでしょうか。



[26868] Re:[26865] [26860] [26855] [26854] [26851] [26850] [26849] [26848] 『英知へのターニングポイント』 投稿者:宮啓 投稿日:2019/04/05(Fri) 09:06  

> > > >  ゴトさんも、「死」の廃止を感じて(見て)生きているのでしょうか。。
> > >
> > >
> > > いいえ。私は死んで物事の推移を見ていることしか知りません。肉体の死後どうなるか知りません。というかそういう観点は思考でしか持ちえません。
> >
> >
> >  すでに心理的に死んでいるのですね。
>
> 大きく二度ほど心理的に死んだことがあります。しかし、その時の問題が本当に消失するとともに、死んでいる感覚はいつの間にか消えます。
>
> >  それゆえに、未来に対して無頓着でいることができる。
>
> 心理的に死んでいるという事は心がもはやじたばたしないという事。
>
> >  心理的に死んでものごとの推移を「見ている」。
> >
> >  >判断なしに見ている、見ることだけがあるということ:見る基本−−、これは>死んで物事の推移を見ている−−、この基盤の上に成り立つことなのですね。。
>
> 死んで見ていると形容するときは、事が致命的に大きいと自分に思える時のことです。
>
> >
> >  心理的に死ぬことが、難しい。。
>
>
> 事が致命的であることがわかるとき、それは起こります。あなたが獲得することではないから、難しいと言うのは見当はずれです。


 事が致命的であることがわかるとき、そのときには「見る」が起こっているのでしょうか。それとも、「見る」が起こる前に事が致命的であることがわかるのでしょうか。


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