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[24788] Re:[24787] [24786] 反応への気づき 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/11(Sat) 22:38  

> ここまでは特にいう事もありませんが、間を持つというのが実際は言うは易いが実行は難しいという事はありますが。

間を持つというのは実際に間を持つことであり、簡単もむずかしいもない。
間を持てばいい。

>しかしこのことに関心をもって実際によく見るなら実現します。そうですよね。

違います。
間を持つだけです。思考が終わると再生します。このことは自身を観察しないことにはわかりません。
>
> >  思考なしに見るという表現は誤弊があります。私たちは瞬時瞬時、思考が想起しているのはまぎれもなく事実のことです。
> >  どのように気づいているか、どのように見ているのか、聞いているのかが重要です。ただ見てるというのではなく。
> >  次次湧いてくる思考を、「思考なしで見る」という言い方は妙な表現です。
>
> 実際は審査なしに、解釈や判断なしに見ていればいいわけで、ここを考え始めると言葉を使うのが難しくなります。

 違います。どのように気づいているのかが肝要です。判断なしということではなく。

>簡略な書き方で、実際にやっていればわかるぐらいでどうですか?

 簡単な書き方だと、肝心要めの重要点が抜けています。

>言葉は実際ではないのだから。ドアと言う言葉はドアではない。実際にあるものを見ていましょう。

 どのように見るかが肝要です。
 どのように気づいているか。どんなふうに気づいているか。

 一つ質問しましょう。
 思考が次々想起しているとき、どうやって「見る」んですか。
 そのとき思考を止めるんですか?
 ドアを見ればいいのに、何で「あるもの」という抽象的な言葉を使うのですか。
 ドア(木)を見るのは誰でもできますよ。こんなのは問題ではない。当たり前の話です。
 問題は反応を見る、ということです。
 反応が起きたとき、「誰」が見ますか?
 火中の栗では、火は見えません。火の外に出なければ。


[24787] Re:[24786] 反応への気づき 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/11(Sat) 17:09  

ここまでは特にいう事もありませんが、間を持つというのが実際は言うは易いが実行は難しいという事はありますが。しかしこのことに関心をもって実際によく見るなら実現します。そうですよね。

>  思考なしに見るという表現は誤弊があります。私たちは瞬時瞬時、思考が想起しているのはまぎれもなく事実のことです。
>  どのように気づいているか、どのように見ているのか、聞いているのかが重要です。ただ見てるというのではなく。
>  次次湧いてくる思考を、「思考なしで見る」という言い方は妙な表現です。

実際は審査なしに、解釈や判断なしに見ていればいいわけで、ここを考え始めると言葉を使うのが難しくなります。簡略な書き方で、実際にやっていればわかるぐらいでどうですか? 言葉は実際ではないのだから。ドアと言う言葉はドアではない。実際にあるものを見ていましょう。


[24786] 反応への気づき 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/11(Sat) 10:15  

クリシュナムルティ

途中略

「そういうわけでその木の、その鳥の、そのドアの表面の気づきがあり、それに対して思考や感覚や感情といった反応があります。さて私たちがこの反応に気づき始めるとき、私たちはそれを気づきの第二段階と呼べましょう。その薔薇について気づきがあり、その薔薇に対する反応について気づきがあります。しばしば私たちはその薔薇に対するこの反応に気づきません。」

 薔薇に対するこの反応への気づきについて、これまで何人かのK信者にお聞きしたことがあるが、今もって明解な答えは得られていない。
 Kのいう「見る」「聞く」を実践していると自称するならば、このことは明解に答えられるのではないだろうか。やっていればです。
 答えられないとすれば,やっていないと同じ。
 具体的な事例を出せと言っても、抽象的な言葉を駆使するだけ。
 それぞれ見て下さいというだけ。

 反応に気づくとは、どういうことか。
 例えば家人から用を頼まれたとしよう。頼まれごとをやって手が離せないというとき、思わず「うるさい」と感情的に反応してしまう。こういうことは誰でも経験があるだろう。今までたくさん生きているうちで。もちろん事例は何でもいい。思わず感情的に反応してしまう。心が騒いだケース。
 このとき反応に気づくとはどういうことか、ということである。
 Kは普通の人はこの反応に気づいていないという。もちろん、このとき「うるさい」といったは明確に記憶している。
 反応に気づいていないとは。
 反応がわからないということではない。
 「うるさい」というのは思考の反応ということはわかる。しかし、とっさに言葉が出てしまう。
 私流に、いうと反応に気づくというのは「踏みとどまる」ということであある。一瞬「間」(ま)をあける。
 つまり、人に用を頼まれたときに、瞬時に間(ま)をあける。
 普通は間一髪
、瞬時に反応してしまうのが常ではないだろうか。それが習慣的になっている。瞬間湯沸かし器のように。

>現実には同じ気づきがその薔薇を見て、この反応を見ます。

 薔薇を見るように反応を見る。はたしてたやすいことなのか。ある人がいうように、自然にできるものなのか。無意識に。

>これは一つの動作であり、外的な気づきとか内的な気づきとか言うのは間違いです。その木を見ていかなる心理的な関わり合いも持たなければ、関係に分離はありません。

木を見るだけでは、何の関わりもない。

>でもその木に対する心理的な反応があれば、その反応は条件付けられた反応であり、それは過去の記憶や経験の反応であり、その反応は関係の分離です。

この男は、嫌いだ。虫が好かぬ。合いそうもない。これは自分自身の過去の反応。それをこの人に名づけている。つまり「嫌い」というレッテルを張っている。色眼鏡。赤いと思えば赤く見える。

>この反応が私たちが関係において「私」とか「私以外」と呼ぶことになるものの始まりです。

心理的にいうと、「嫌いと思っている自分」と「嫌いと思われている相手」が出現したということ。分離。源泉は同一。これが相争う自分。
観音様の手のひらで踊っている二人の自分。
実際はそこに相手がいるだけ。

>これはあなたがどのようにご自身を世界と関係づけるかということです。これはあなたがどのように個人と共同体を考案するかということです。世界はあるがままではなく、記憶の「私」との種々の関わりにおいて見られます。この分離が「私」の人生であり、私たちが心理的なことと呼ぶ全てのことの百花繚乱であり、ここから全ての対立や分断が生じます。あなたはこれに気づいていることがはっきりしていますか?

対立や分断は、すべて思考の為せる業。
ここで間違えてならないのは、区別と差別は違うということ。
区分、区別は現実にあります。男と女は違う。

>その木の気づきがあるとき、評価はありません。でもその木に対する反応があれば、その木が好き嫌いで判断されれば、この意識の中に「私」と「私以外」として、観察される対象とは違う「私」として分離が起きます。この「私」は、関係において、過去の記憶や経験の反応です。では、いかなる審査も伴わないその木の気づきや観察はあり得るでしょうか、いかなる審査も伴わない反応や反動の観察があり得るでしょうか?こうして私たちは分離の原理-「私」と「私以外」の原理-を根絶します、その木と私たち自身の両方を見ることによって。

 思考なしに見るという表現は誤弊があります。私たちは瞬時瞬時、思考が想起しているのはまぎれもなく事実のことです。
 どのように気づいているか、どのように見ているのか、聞いているのかが重要です。ただ見てるというのではなく。
 次次湧いてくる思考を、「思考なしで見る」という言い方は妙な表現です。



[24785] 思考の隙間 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/11(Sat) 08:54  

> > > 質問: 思考の間に間隙があります。
> > >
> > > クリシュナムルティ: 二つの思考の間に間隙があります。女性の方がそうだと言います。私はその間隙を知っていますと彼女は言います。さてその間隙に何が起こりますか? それは飽きたことによる間隙でしょうか―どうか調べてください―はい とか いいえと言わないでください―飽きたことによる、退屈による、白昼夢による間隙、それともそれは意識のある間隙でしょうか?
> > >
> > > 質問: (聞き取れない)
> > >
> > > クリシュナムルティ: 私はあなたのために質問しているのです。私のためではなく。
> > >
> > > 質問: あなたはそれを皆のために尋ねているのではない?
> > >
> > > クリシュナムルティ: 私はここにいる皆のために尋ねています。
> > >
> > > 質問: それならあなたはあなたのために尋ねています。それはあなたのためです。私たちは一緒に動いているでしょうか?
> > >
> > > クリシュナムルティ: いいえ、一緒に動いていません。単純な理由のためです。あなたはこの問題を決して調べたことがありません。心は、それは思考の道具です、それは記憶、経験、知識、そういったすべてである思考です―いつも働いているのでしょうかどうでしょうか? そして私はあなたのために調べていると言います。あなたはこの思考が自然に終る時間を少しでも見つけますか? あるいは二つの思考の間に間隙がありますか? あるいはその間隙は怠惰、怠慢、疲労であるのか、それともあなたはこの間隙に気づいているのでしょうか? そしてこの間隙に気づいているなら、そのとき何が起こりますか?
> > >
> > > 質問: その間隙にはエネルギーがあります―それがエネルギーであるものです。
> > >
> > > クリシュナムルティ: エネルギーがその間隙の中にある。また他の思考を取り上げるために? あなたは推測しているのですか? 不幸にも―これは私たちの悩みです―あなたはこれを調べていません。
> > >
> > > ゴト: 思考の間隙、これがなんであるか、私たちは調べたことがない! これは本当です。私も。

 いつも見る、聞くを推奨しているあなたが、思考の間隔について調べたことがないとは!

 この思考の隙間について、Kは様々な著書で述べています。「自我の終焉」でもあります。
> > >
> >
> >
> >
> >
> > 思考の間隙は「私」に直面することの困難による「私」分離の飛躍ではないでしょうか。

 この南方さんの質問は違うような気がします。
> >
> >
>
> 実際にはいろいろの場合がありましょう。長い間隙、一瞬の間隙、悩みぬいていた問題が解消してのしばしの憩いの間隙、誰かの本心の爆発が他の全員の思考を断ち切って生じる深い沈黙の間隙、物事がクライマックスに差し掛かり、思考が止まって皆が見、聴くために待機に入った間隙などなど。

 これはあなたの見解ですか。それともあなたの実際ですか。
>
> あなたのおっしゃった間隙はこの文言だけではわかりませんが、ご自身で見つめるとわかるのかも知れません。



クリシュナムルティは「思考は自然に終わる」と文面で述べているのではないですか?
これは誰にでも起こるまぎれないもない事実のことです。自分を見れいればわかるでしょう。普通の人はそれに気づかないだけです。
脳は必ず休憩をとります。
人間は長期間、考え続ける、悩み続けるというのはありえない。必ずふっと休み瞬間がある。

それと「見ること」と「思考すること」は両立しません。
嘘だと思うなら、自分で確かめればいい。




[24784] Re:[24781] [24778] [24761] [24756] 聖なるもの? 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/11(Sat) 06:16  

> > >  そもそも「生の中の聖なるもの」の聖なるものって何?
> >
> >  クリシュナムルティにいわせれば、「生の中の聖なるもの」とは、思考の産物。つまり空想やイメージであって実体のないもの。
>
> クリシュナムルティは、思考が聖なるものと認識した(つまり分別した)ものは聖なるものではないと言っています。
> 思考の過程が動いていない心を聖なるもの(the sacred)と言っています。まあ、[24776]を読んで確かめてください。

だったら、「聖なるもの」と名付ける必要はない。
辞書で調べると「神聖な」という意味です。
その「神聖なもの」というのは、個個で名付けているにすぎない。

具体的にいうと例えばの話、キリスト教の人はマリア像、イスラムの人はコーランを「神聖なもの」とみなすだろう。普通の人にとって、神聖でも何でもないもの。ところが信者の人たちはそれらを踏みつけることはできないということだ。
その「神聖なもの」というものを。われわれの「大事なもの」「大切なもの」も置き換えてみればわかる。
人によっては、大切なものだが、人によっては大切なものではない。
つまり、人人は、それらを「大切なもの」とネーミングしているにすぎない。

従って、この世界には、「神聖なもの」「大切なもの」というのは「ない」というです。

インド人にとってガンジス河は「聖なる川」だが。我々日本人には、たんなる「どぶ川」である。
インド人がいいたいのは、聖も濁も一緒だということだ。人間が様々にネーミングしているにすぎない。すべては一つ。アローン。全てを包有する。




[24783] Re:[24779] [24774] [24773] [24772] [24770] [24769] [24767] [24764] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/10(Fri) 17:35  

> 条件付けられた事実に直面したくないために分離して別の「私」を作り上げるその繰り返しのメカニズムがあり、それがなくなったとき一連の気づきだけがあるということで理解し、今そのようなことが起こっている最中です。
>
> それがゴトさんの言う、直接の知覚ですか?私の今までの理解は不十分で分離した「私」があり、そこからの判断・解釈・心理的反応なしの見るということをおっしゃっていると思っておりました。
>

私はごく一般的に思考なしに、あるいは見ることだけがあるというような状態をただ見る、聴く、知覚すると表現していただけです。しかし何かの思考の反応なしに見ているというのは簡単なようで、難しいようで、なかなかのもんですね。


[24782] Re:[24780] [24776] 生中の聖なるもの(4) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/10(Fri) 17:19  

> > 質問: 思考の間に間隙があります。
> >
> > クリシュナムルティ: 二つの思考の間に間隙があります。女性の方がそうだと言います。私はその間隙を知っていますと彼女は言います。さてその間隙に何が起こりますか? それは飽きたことによる間隙でしょうか―どうか調べてください―はい とか いいえと言わないでください―飽きたことによる、退屈による、白昼夢による間隙、それともそれは意識のある間隙でしょうか?
> >
> > 質問: (聞き取れない)
> >
> > クリシュナムルティ: 私はあなたのために質問しているのです。私のためではなく。
> >
> > 質問: あなたはそれを皆のために尋ねているのではない?
> >
> > クリシュナムルティ: 私はここにいる皆のために尋ねています。
> >
> > 質問: それならあなたはあなたのために尋ねています。それはあなたのためです。私たちは一緒に動いているでしょうか?
> >
> > クリシュナムルティ: いいえ、一緒に動いていません。単純な理由のためです。あなたはこの問題を決して調べたことがありません。心は、それは思考の道具です、それは記憶、経験、知識、そういったすべてである思考です―いつも働いているのでしょうかどうでしょうか? そして私はあなたのために調べていると言います。あなたはこの思考が自然に終る時間を少しでも見つけますか? あるいは二つの思考の間に間隙がありますか? あるいはその間隙は怠惰、怠慢、疲労であるのか、それともあなたはこの間隙に気づいているのでしょうか? そしてこの間隙に気づいているなら、そのとき何が起こりますか?
> >
> > 質問: その間隙にはエネルギーがあります―それがエネルギーであるものです。
> >
> > クリシュナムルティ: エネルギーがその間隙の中にある。また他の思考を取り上げるために? あなたは推測しているのですか? 不幸にも―これは私たちの悩みです―あなたはこれを調べていません。
> >
> > ゴト: 思考の間隙、これがなんであるか、私たちは調べたことがない! これは本当です。私も。
> >
>
>
>
>
> 思考の間隙は「私」に直面することの困難による「私」分離の飛躍ではないでしょうか。
>
>

実際にはいろいろの場合がありましょう。長い間隙、一瞬の間隙、悩みぬいていた問題が解消してのしばしの憩いの間隙、誰かの本心の爆発が他の全員の思考を断ち切って生じる深い沈黙の間隙、物事がクライマックスに差し掛かり、思考が止まって皆が見、聴くために待機に入った間隙などなど。

あなたのおっしゃった間隙はこの文言だけではわかりませんが、ご自身で見つめるとわかるのかも知れません。

註 あなたの投稿の最後の空行が少し長かったので縮めました。ご了解ください。



[24781] Re:[24778] [24761] [24756] 聖なるもの? 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/10(Fri) 16:37  

> >  そもそも「生の中の聖なるもの」の聖なるものって何?
>
>  クリシュナムルティにいわせれば、「生の中の聖なるもの」とは、思考の産物。つまり空想やイメージであって実体のないもの。

クリシュナムルティは、思考が聖なるものと認識した(つまり分別した)ものは聖なるものではないと言っています。
思考の過程が動いていない心を聖なるもの(the sacred)と言っています。まあ、[24776]を読んで確かめてください。

>  だったら「生の中の聖なるもの」といった思わせぶりなタイトルをつけるのではない。

あなたはKの言っていることを勝手に解釈して一人で思い違いをしている。

> 「生の中の聖なるもの」とは何か、という好奇心をもった読者に対しては最後はいつものは肩すかし。

自分の好みの答えでないと我慢できない貪欲がある。無選択に聞いていない。

>  すべては思考の産物なり(クリシュナムルティ)。この考えは唯識と同じ。

Kは、そうは言っていない。

>  すべては「識」なり。(唯識論)
>  生長の家「全ては心の影」
>
>  はたしてそうだろうか?

あなたは知識に基づいている?



[24780] Re:[24776] 生中の聖なるもの(4) 投稿者:南方 投稿日:2017/11/10(Fri) 15:57  

>
> 質問: 思考の間に間隙があります。
>
> クリシュナムルティ: 二つの思考の間に間隙があります。女性の方がそうだと言います。私はその間隙を知っていますと彼女は言います。さてその間隙に何が起こりますか? それは飽きたことによる間隙でしょうか―どうか調べてください―はい とか いいえと言わないでください―飽きたことによる、退屈による、白昼夢による間隙、それともそれは意識のある間隙でしょうか?
>
> 質問: (聞き取れない)
>
> クリシュナムルティ: 私はあなたのために質問しているのです。私のためではなく。
>
> 質問: あなたはそれを皆のために尋ねているのではない?
>
> クリシュナムルティ: 私はここにいる皆のために尋ねています。
>
> 質問: それならあなたはあなたのために尋ねています。それはあなたのためです。私たちは一緒に動いているでしょうか?
>
> クリシュナムルティ: いいえ、一緒に動いていません。単純な理由のためです。あなたはこの問題を決して調べたことがありません。心は、それは思考の道具です、それは記憶、経験、知識、そういったすべてである思考です―いつも働いているのでしょうかどうでしょうか? そして私はあなたのために調べていると言います。あなたはこの思考が自然に終る時間を少しでも見つけますか? あるいは二つの思考の間に間隙がありますか? あるいはその間隙は怠惰、怠慢、疲労であるのか、それともあなたはこの間隙に気づいているのでしょうか? そしてこの間隙に気づいているなら、そのとき何が起こりますか?
>
> 質問: その間隙にはエネルギーがあります―それがエネルギーであるものです。
>
> クリシュナムルティ: エネルギーがその間隙の中にある。また他の思考を取り上げるために? あなたは推測しているのですか? 不幸にも―これは私たちの悩みです―あなたはこれを調べていません。
>
> ゴト: 思考の間隙、これがなんであるか、私たちは調べたことがない! これは本当です。私も。
>




思考の間隙は「私」に直面することの困難による「私」分離の飛躍ではないでしょうか。





[24779] Re:[24774] [24773] [24772] [24770] [24769] [24767] [24764] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/11/10(Fri) 12:56  

> > > > > 私の言う「ただ見る」を追っかけて、直接の知覚・気づきのようなものだととらえてくださったようで、どうもありがとうございます。
> > > > >
> > > > > 心の状態について話し合えるといいですね。
> > > >
> > > >
> > > > 今朝がた気づいたのですが、Kを読んで世の中と不調和になっている自分の心が何故そうなったのかと観察、実験していました。それでKを教えとしてではなく実際のことを言っているかどうかと思いましたが、まだ確証はできませんが実際のことを言っているのかな・・・という段階で止まっておいて自分で確認することにします。
> > > >
> > > > そしてKを読んで、ああ世の中はこうだと判断、解釈して絶望している自分に気づきました。Kは判断、解釈なしに実際を見なさいといっていますが。
> > > >
> > > > ここのところはどうですか?
> > > >
> > >
> > > 判断、解釈なしに実際を見ているは、短く言えば、ただ見ているであり、そこから理屈抜きに行為が出てくるというふうに、割合単純に生きています。この掲示板に書くときはかなり考えが浮かばないで探している時間が多いです。
> >
> >
> > ただ見ているは感情が無いですか?
> >
> > 感情が揺さぶられる時、判断解釈が生じてます。なくすと感情が消えます。それは喜びでも楽しみでも注意が必要ですね。
>
> 感情が何を指すかが問題ですが、判断から生じる怒りとか好き嫌いという感情なら、それは反応ですからありません。あるなら、ただ見ることができない感じですが。
>
> ただ自由に見ている時のフィーリングのようなものがあるときもある気がします。


条件付けられた事実に直面したくないために分離して別の「私」を作り上げるその繰り返しのメカニズムがあり、それがなくなったとき一連の気づきだけがあるということで理解し、今そのようなことが起こっている最中です。

それがゴトさんの言う、直接の知覚ですか?私の今までの理解は不十分で分離した「私」があり、そこからの判断・解釈・心理的反応なしの見るということをおっしゃっていると思っておりました。



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