雑感
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[23999] Re:[23993] [23992] [23988] [23987] 『最初で最後の自由』の序文 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/25(Sun) 17:14  

> > ヒトも観念を抱えて、なぜかわからないで苦悩を味わっています。それを誰の目にも明らかになるようにするにはどうすればいいでしょうか?
> >
> > オルダス・ハクスリーの目には、彼は間違いなく天才ですが、見えていました。個人あるいは大衆が観念を持つ害に目覚めなければならないでしょう。
> >
> > だが世間的常識は揺らいでいません。どこが急所なのか!?
>
>
>  危機感の欠如が蔓延しているように感じます。
>
>  クリシュナムルティの時代は、二つの世界大戦の時代でした。その後の冷戦で核戦争をも想定していました。
>
>  もしも、本国が第二次世界大戦に参加していなければ、すなわち太平洋戦争が無ければ、クリシュナムルティの著作が、本国でこれほどまでに出版されることはなかったのではないでしょうか。
>
>  すなわち、新しい芽さんやゴトさんがクリシュナムルティに取り組むことはなかったのではないでしょうか。
>
>  二つの世界大戦がクリシュナムルティの出現に不可欠であったように感じます。

確かに第2次世界大戦は日本の国民に深い影響を与えました。その後の平和は明るさを与えました。両方とも無意識的であったかもしれませんが。

当時の人にとっては、戦争は単なるシンボルではなく、夫を戦場に送ったり、米軍の無差別爆撃下に自分が逃げ回り、肉親の死を目のあたりにするリアリティであり、二度と繰り返すまいという気持ちは非常に強いのです。平和も壮年の男手が家にあるという事のありがたさ、嬉しさが明るい気持ちであるという事を知っています。

でもそれは同世代やその子供の世代ぐらいの間で語り継がれるだけで、だんだん別の世界の話になりつつあります。

それで一般に通じるわかりやす言葉で、真実と虚偽をリアルに語ることが必要だと思います。論理や説明でなく、感受性、あるいは情緒的に直感で理解できるようにです。

何から始めるかな、やはり戦争と平和についてのお化け(観念)を明るみに出すことかな。創造的にトライしてみよう。


[23998] 大聖ダンテスダイジの言葉 投稿者:YHWH 投稿日:2017/06/25(Sun) 15:14  


女性にとっては全面的な愛情が全てであり、それによって自ずから男性とのSEXがエクスタシーそのものを開示する。

だが男性にとっては、ただ愛情があるというだけではダメなのである。
そこには、さめた知性が必要なのだ。

愛情があればSEXにおいて女性は努力を全く必要としない。
だが男性はある種の努力が必要なのである。

この由に男性の至福への道は、死をかけた何物かを必要とするのである。

男性は一人の女性に対して全面的愛情を感じたとしても、それは一切の問題の解決とはなりえないであろう。


それ故、男性は自己の生命を捨ててもいいという風に生きなければ悟り、至福、エクスタシーに目覚めることはないのだ。

純粋なる坐禅冥想は勿論、全面的な死への道であり、全面的な至福への道であるが、それはごく限られた人々のものでしかない。


そこで男性は、職業、家庭、友情、使命などに生命をかけねばならないのである。

それらが自己満足としてあるのではなく、自己放棄としてあらねばならない。

つまり、自己満足の虚しさと恐怖の構造を理解して、自己満足ではない、純粋に正しい行為を生きつづけるのだ。

たとえ、その行為の結果が完全に失敗に終わっても、である、

自己を豊かにしてはならない。
自己満足を目標にしてはならない。
エゴの肥大こそが虚しさと鈍感さと不安と恐怖の原因であることに気づきなさい。

女性は本当の愛情を自覚した時が、人間的悟り、成熟といってよい。
そしてそこから、そのエクスタシーから、その成熟から、健全な未来の子供達を出産するのである。
愛情のあるSEXからの出産は単に産みの苦しみといった様なものではない。
それは苦しみであると同時にエクスタシーからのエクスタシーなのだ。

愛情あるSEXは女情(誤字??)を自ずから成る性的エクスタシーへ導きそこに女性としての大いなる成熟があるのだ。
これだけで現代女性のかかえている全問題は解決したといってよい。



死んでもいいと言う程の生き方、それこそ現代人は自覚しているといないとにかかわらず、求めているものである。


一般に女性にとってそれは一人の男性との性愛であり、男性にとっては天職とか家庭ということになるのだが、

現状では、そうは問屋がおろさなくなっている。


というのは現代人一般があまりにも快楽、権力、金の奴隷になっているからである。

従って今や天命としての職業なぞありはしないのだ。



警告する!
快楽と自己満足の為に生きるのをやめなさい。
女は女でなく、男は男でなく、人間は人間でなく、家庭は家庭でなく、社会は社会でなく、自然は自然でなくなっているのだから。

本当に正直に答えて欲しい。
あなたはむなしくありませんか?

現代の女性は本当の恋愛を知らない。
現代の男性は本当の天職を知らない。
現代の人間はその天命を知らないのだ。

性的快楽のみを求める女性に、むなしさから逃げるために満足を求める女性に、どうして本物の恋愛が起こるであろうか。


金、権力、地位、名声、快楽を求める男性にどうして本当の天職が発見できるであろうか。

そこで現代人一般は享楽的なSEX、ほんのささやかな趣味娯楽、或いは美容、健康、SEXの様々なテクニックに自閉的な満足を求めているという次第である。



現代文明にとって最も必要なことは、出産、性愛、死という人間としての根本的基盤に目覚めることなのだ。

神秘を知性的に分析して解明するのではなく、神秘を神秘として目覚めるのだ。

この目覚めが実現しなければ、この西洋商工業都市文明は今世紀一杯で自滅するであろう


[23995] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/06/25(Sun) 14:31  

本能と愛は、違う。本能より、愛は大きい。

愛は本能を内包する。

たとえば、年下から何かいわれるとむかつく。というのは、動物本能だ。

下克上を恐れる種の保存システムがある。

愛とは、本能を超えている。




[23994] 無題 投稿者:YHWH 投稿日:2017/06/25(Sun) 12:38  

恨みに報いるに徳をもってす

とは、偽善的大義ではなく、強烈な英知により、もはや他者の憎悪などにも、反応しないほどの鋭敏な意識を意味してるのである。

それは、動物的本能や過去の記憶からの脱却なのである。


[23993] Re:[23992] [23988] [23987] 『最初で最後の自由』の序文 投稿者:宮啓 投稿日:2017/06/24(Sat) 19:37  

> > > これはKをある程度読んだ読者には必読の序文ではないかと思うのでご紹介いたします。
> >
> >
> >  昨晩、読んでみました。
> >
> >  イメージ・シンボル、すなわち「観念」を私たちは生きているようです。
> >
> >  ときたま起こる、直接の知覚はなかなか記憶にも残らず、過ぎ去るまま・・。
>
> ヒトが簡単に意識できないような具合でどこかに、何らかの形で残されているかもしれません。
>
> >  北朝鮮からのミサイルが届いたならば、それは「観念」から届いたのでしょう。
> >
> >  他人事ではない「観念」。
> >
> >  人類が激減するならば、それは「観念」と核エネルギーの結合による事柄でしょう。
> >
> >  核エネルギーがない時代には、人類を激減させるほどの力は「観念」には無かったのだが・・。
>
> ヒトも観念を抱えて、なぜかわからないで苦悩を味わっています。それを誰の目にも明らかになるようにするにはどうすればいいでしょうか?
>
> オルダス・ハクスリーの目には、彼は間違いなく天才ですが、見えていました。個人あるいは大衆が観念を持つ害に目覚めなければならないでしょう。
>
> だが世間的常識は揺らいでいません。どこが急所なのか!?


 危機感の欠如が蔓延しているように感じます。

 クリシュナムルティの時代は、二つの世界大戦の時代でした。その後の冷戦で核戦争をも想定していました。

 もしも、本国が第二次世界大戦に参加していなければ、すなわち太平洋戦争が無ければ、クリシュナムルティの著作が、本国でこれほどまでに出版されることはなかったのではないでしょうか。

 すなわち、新しい芽さんやゴトさんがクリシュナムルティに取り組むことはなかったのではないでしょうか。

 二つの世界大戦がクリシュナムルティの出現に不可欠であったように感じます。


[23992] Re:[23988] [23987] 『最初で最後の自由』の序文 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/24(Sat) 18:18  

> > これはKをある程度読んだ読者には必読の序文ではないかと思うのでご紹介いたします。
>
>
>  昨晩、読んでみました。
>
>  イメージ・シンボル、すなわち「観念」を私たちは生きているようです。
>
>  ときたま起こる、直接の知覚はなかなか記憶にも残らず、過ぎ去るまま・・。

ヒトが簡単に意識できないような具合でどこかに、何らかの形で残されているかもしれません。

>  北朝鮮からのミサイルが届いたならば、それは「観念」から届いたのでしょう。
>
>  他人事ではない「観念」。
>
>  人類が激減するならば、それは「観念」と核エネルギーの結合による事柄でしょう。
>
>  核エネルギーがない時代には、人類を激減させるほどの力は「観念」には無かったのだが・・。

ヒトも観念を抱えて、なぜかわからないで苦悩を味わっています。それを誰の目にも明らかになるようにするにはどうすればいいでしょうか?

オルダス・ハクスリーの目には、彼は間違いなく天才ですが、見えていました。個人あるいは大衆が観念を持つ害に目覚めなければならないでしょう。

だが世間的常識は揺らいでいません。どこが急所なのか!?


[23991] Re:[23990] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/23(Fri) 18:40  

いや今日は暑かった。朝からヘラブナ釣りに行っていたが、帰りの半時間ほどの歩きの道が、日差しを遮ってくれるものが何もなく、いやー暑かったですね。もう秋まで、曇りで小雨が降るかもという日でないと、釣りには行きません。


>  お互いこれまで生きてきた人生のスタンスが違うので、最後はお互いの人生観、価値感の違いになるようです。あなたのコメントを見てそう思いました。

はて、今の私に人生観とか、価値観があるのだろうか?

>  ここで聞きにくいことを一つお聞きしたいのですが、心理的なことについてです。あなたは今や長く生きて人生の先輩になりここまで生きてきました。これまでで、たとえば自分の年下のものに、指摘というか、ああだこうだいわれたとき、どんな気持ちになるかということです。
>  同僚や先輩なら、ああだこうだいわれても、そうは腹がたたないものですが、後輩、あるいは若輩のものにああだこうだといわれると気持ちのいいものではない。私なら当然腹がたつ。それが図星であっても。もちろん口にしませんが。「◯◯にいわれたくない」と。こういうのは、学校でも会社でもよくあることです。
>  さて貴方は、今や「気づき」を実現してるので、もし、仮に若い人から注意を受けても、動揺しない。平常心を保つということでしょうか。

ええと若い人というのは確かにいます。しかしそれは新参者、目下のもの、若輩という意識あるいは観念なしです。
私には子供もいるし、孫もいるし、ひ孫もいます。彼らも世の人のほとんどが確かに若い。それだけです。
だから何か言われたたらその事を考えます、もっともなこともあるし、誤解もあるし、いろいろあるでしょうが、まじめに受け取るべきだと思ったことは考えて返事するだけです。

>  分かりやすい例を言いうと、あなたは仮に釣りが未熟だとする。(あくまでたとえ。実際はわかりません。)釣りが上手な若い人にああだこうだ指摘を受けたとする。どう反応するか。これは釣りに限らず将棋でも何でもいいです。

私が下手なことは釣りをやっている人が少し見ればわかるでしょう。うまい人は普通自分からは声をかけないと思います。しかしもし声をかけてくれれば黙って聞きます。

>  あなたは人を、「若い」「中年」などと判別しないで受け取るということでしょうか。私なら人を見て反応する。

若いとか、中年はよくわかる実際のことと結びついています。
反応の仕様がありません。

>  自分の若輩なのに、明らかにその人は悟っていると見る時、自分は力量不足でまだ悟りには程遠い。そのとき「やっかみ」が起きるかどうか。こいつわかいくせに。これも比較の論理ですが。
>  腹が立たないのではなく、腹がたったで、その都度「見る」。その「見る」の継続。継続すればその内腹が立たなくなる。

一度見るとそれは終わるのでは?それ以外のことが起きれは新たに見る。

>  それとも、本当に「気づき」が出来れば,二度と腹立ちが起きなくなる。そういうことですか。

「気づき」は見えたことの別の言い方。
本当に気づきができればとおっしゃいますが、タラレバでは言葉は操れてもその実際は見えないからわからないでしょう。
それは実際に何を意味するかはっきりしません。いや象徴的な意味で使われているのはわかります。変化することなのでしょうが、それもその実際はあなたにとって言葉的には覚者になることなどと言えますが、実際に何が起こるか言えないでしょう。

>  普通は前者、見ることを継続しようとしたが、そのうち見ることをやめる。

実際とのつながりが実はわかっていない観念を使って行動を決めるという事、これが実は問題ではないですか?

心理的観念が私はいつの間にかなくなっているのです。それで感情が煮えくり返るとい事がありません。
気づきの継続とか、見ることの継続ではなく、自分の握りしめていた思い込みの中の怪しげなものが消えればそれで終わりです。

心理的なイメージのシステムが構築されています。そのなかにお化けがいるのです。そのお化けの正体が見えればそれまでなのです。心理的なシステムが崩壊します。

どうやってお化け退治をやるか、それが世界に通じるようにする必要があります。
とりあえず、新参者、若輩者、目下、こう言った観念はお化けだ!という事でいいでしょうか?


[23990] Re:[23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/23(Fri) 11:14  

 お互いこれまで生きてきた人生のスタンスが違うので、最後はお互いの人生観、価値感の違いになるようです。あなたのコメントを見てそう思いました。

 ここで聞きにくいことを一つお聞きしたいのですが、心理的なことについてです。あなたは今や長く生きて人生の先輩になりここまで生きてきました。これまでで、たとえば自分の年下のものに、指摘というか、ああだこうだいわれたとき、どんな気持ちになるかということです。
 同僚や先輩なら、ああだこうだいわれても、そうは腹がたたないものですが、後輩、あるいは若輩のものにああだこうだといわれると気持ちのいいものではない。私なら当然腹がたつ。それが図星であっても。もちろん口にしませんが。「◯◯にいわれたくない」と。こういうのは、学校でも会社でもよくあることです。
 さて貴方は、今や「気づき」を実現してるので、もし、仮に若い人から注意を受けても、動揺しない。平常心を保つということでしょうか。
 分かりやすい例を言いうと、あなたは仮に釣りが未熟だとする。(あくまでたとえ。実際はわかりません。)釣りが上手な若い人にああだこうだ指摘を受けたとする。どう反応するか。これは釣りに限らず将棋でも何でもいいです。
 あなたは人を、「若い」「中年」などと判別しないで受け取るということでしょうか。私なら人を見て反応する。
 自分の若輩なのに、明らかにその人は悟っていると見る時、自分は力量不足でまだ悟りには程遠い。そのとき「やっかみ」が起きるかどうか。こいつわかいくせに。これも比較の論理ですが。
 腹が立たないのではなく、腹がたったで、その都度「見る」。その「見る」の継続。継続すればその内腹が立たなくなる。
 それとも、本当に「気づき」が出来れば,二度と腹立ちが起きなくなる。そういうことですか。
 普通は前者、見ることを継続しようとしたが、そのうち見ることをやめる。

 今日はここまで




[23989] Re:[23988] [23987] 『最初で最後の自由』の序文 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/23(Fri) 10:37  


> > これはKをある程度読んだ読者には必読の序文ではないかと思うのでご紹介いたします。

やはり、クリシュナムルティの本を読みこなすには、それなりの読解力や力量が要求されるようです。人の力量いかんによってはクリシュナムルティの本はさまざまに解釈されてしまう。
以下のコメントは失礼ながら読むこなしているとは思われません。
>
>
>  昨晩、読んでみました。
>
>  イメージ・シンボル、すなわち「観念」を私たちは生きているようです。

観念を私たちは生きている?妙な表現。
この人は観念という言葉をどうとらえているのだろうか?
>
>  ときたま起こる、直接の知覚はなかなか記憶にも残らず、過ぎ去るまま・・。

 ときたま起こる直接の知覚? 意味不明。
 直接の知覚は記憶に残らない?直接の知覚と言うが何をイメージしてるのか?
>
>  北朝鮮からのミサイルが届いたならば、それは「観念」から届いたのでしょう。

 トッ拍子もない文章。何で「北朝鮮」という単語が出てくるのか。
 観念から届いた?意味不明の文章。
>
>  他人事ではない「観念」。


>
>  人類が激減するならば、それは「観念」と核エネルギーの結合による事柄でしょう。

 支離滅裂。なおかつ意味不明。
>
>  核エネルギーがない時代には、人類を激減させるほどの力は「観念」には無かったのだが・・。

 いったいこの人は何をいっているのか。力量不足を露にしている。

 愚さんの掲示板は博識ある人達の集まり。これでは、はいりこめない。

 エネルギーとは「内側で働く」ということがわかっているのだろうか。
 思考と英知は違うということをわかっているのだろうか。
 頭脳と精神は違うということがわかっているのだろうか。

 本質がわかっていないから、目に見える現象論だけ追う。「北朝鮮」などと。
 自身の内面に目を向けることもない。


[23988] Re:[23987] 『最初で最後の自由』の序文 投稿者:宮啓 投稿日:2017/06/22(Thu) 16:06  

> 『最初で最後の自由』には「自我の終焉」には省略されていたオルダス・ハクスリーの序文が載っています。(「自我の終焉」では省略されていた)
>
> これを私は初めて読んだのですが、実に素晴らしい序文で、現代の社会における問題点と、Kのこの著作が持つ意義を実によく、簡潔であるが丁寧にまとめてあります。
>
> Kの指摘については、熱心な読者はよく読んでいらっしゃるでしょう。しかし、現代にいたるまでの人間はシンボルのシステムを作って使っており、そこに文明文化が生じるとともに、それは致命的欠陥を持つことにもなっています。
>
> そしてKの指摘は、人間の精神生活を通して、その欠陥の指摘でもあります。シンボルとその実際との照合は科学の世界では慎重に実行されてきました。その他の世界では観念が大手を振ってまかり通っています。
>
> こういった問題をオルダス・ハクスリーは明快に述べています。またKの指摘と社会との関連についての簡潔なビューも述べられています。
>
> これはKをある程度読んだ読者には必読の序文ではないかと思うのでご紹介いたします。


 昨晩、読んでみました。

 イメージ・シンボル、すなわち「観念」を私たちは生きているようです。

 ときたま起こる、直接の知覚はなかなか記憶にも残らず、過ぎ去るまま・・。

 北朝鮮からのミサイルが届いたならば、それは「観念」から届いたのでしょう。

 他人事ではない「観念」。

 人類が激減するならば、それは「観念」と核エネルギーの結合による事柄でしょう。

 核エネルギーがない時代には、人類を激減させるほどの力は「観念」には無かったのだが・・。 


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