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[23987] 『最初で最後の自由』の序文 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/21(Wed) 09:51  

『最初で最後の自由』には「自我の終焉」には省略されていたオルダス・ハクスリーの序文が載っています。(「自我の終焉」では省略されていた)

これを私は初めて読んだのですが、実に素晴らしい序文で、現代の社会における問題点と、Kのこの著作が持つ意義を実によく、簡潔であるが丁寧にまとめてあります。

Kの指摘については、熱心な読者はよく読んでいらっしゃるでしょう。しかし、現代にいたるまでの人間はシンボルのシステムを作って使っており、そこに文明文化が生じるとともに、それは致命的欠陥を持つことにもなっています。

そしてKの指摘は、人間の精神生活を通して、その欠陥の指摘でもあります。シンボルとその実際との照合は科学の世界では慎重に実行されてきました。その他の世界では観念が大手を振ってまかり通っています。

こういった問題をオルダス・ハクスリーは明快に述べています。またKの指摘と社会との関連についての簡潔なビューも述べられています。

これはKをある程度読んだ読者には必読の序文ではないかと思うのでご紹介いたします。


[23986] Re:[23985] [23983] [23981] [23980] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/19(Mon) 14:56  

> > > > >  Kは「人類の未来」の中で、頭脳と精神は別個であるといっている。これをあなたはどうとらえますか。又、頭脳は道具ともいっている。
> > > >
> > > > 脳は実体のあるものです。精神は私にとってはその言葉が何を指しているかわかりません。精神は心のことなのでしょうか? 
> > >
> > >  その精神はスピリットを意味するのでしょうか。ならば意味が通じます。マインドなら意味は通じません。
> >
> > スピリットでなくマインドと思いますが。
>
> 「人類の未来」73ページから。K曰く
> 「頭脳は条件づけられているが、精神はそうではないという意味で別のもの」「精神は時間と関係していない。つまり体とも頭脳とも関係していない」
> 「精神は英知」
>  つまりここで出てくる精神という言葉を一般のマインドをイメージして読むとここでの文章は、意味はわからなるようです。

Kは時間の終焉では個別的精神と普遍的精神という言い方をしています。個別的精神とは条件づけられている精神でしょう。それが心理的条件付けを空にした時、別のもの(普遍的精神?)に変化します。それを指して言っているのでしょうか?

>  「頭脳が沈黙し、空間のあるときに、精神と頭脳の接触がある。」
>  こうしてみてみると、覚者と物理学者の代表者の対談となります。
>  私も「精神」という意味を取り違えていました。一般の概念として。
> >
> > > >魂という別の言葉を持ち出さないといけないでしょうか? 思考なら私でも実際に知覚しますからまあわかると言えます。

「頭脳が沈黙し、空間のある時、自由がある」と言えばそれで十分に事実を述べていると思います。違うでしょうか?

> >
> > 普通の人は本当の自分は精神だと言ってもぴんと来ないと思います。たとえば腕を一本なくしても精神はありますが、脳をなくしたら何もかもおしまいだと普通の人は思います。真の私というのは脳にありそうです。
>
>  やはりあなたは脳から心が生じるという現代学問を信じているようですね。言わば科学信仰。私たちはそのように学校教育を受けてきました。

でも現代の科学が統合的に伸び始めたのは最近の10年ですよ。あなたの受けた学校教育は古典力学の範囲内だと思います。

>  それだとKのいう精神と脳は別個であるということが理解できなくなる。脳から心が生じるという現代学問とはKの言ってることは明らかに違う。
>  普通の人はピンと来ないといわれますが、当たり前ですよ。そういうことは学習していないのですから。今の学校は唯物教育です。真の「心の教育」やってますか。宇宙の法則を教えてますか。子供達にです。真理教育などどこもやっていない。
>  お言葉ですが、真の私は脳にあるという「覚者」は一人もおりません。
>  あなたが読まれる本は科学、物理畑が中心で、精神世界と言われる本はよんだことがあまりないようですね。たとえば禅、仏教、インド関係など。
>  「真の私は脳にある」というコメントには驚きました。これでは、愚さんのいっていることもわからないし、私とも話が合いません。

道元の言う只管打座なら知っていますが、これなら具体的にわかる話言葉です。実際にやってみることができます。しかし生計を立てながらひたすら座って居よと言われても困りますが。

> > > > まあそんなふうに見ています。言葉の実際が見えにくい。
> > > >
> > > > >  ならば、道具を上手く使うしかないでしょう。脳を上手に使う。
> > > >
> > > > さて、誰が使うのでしょう? 
>
>  ですから、「真の私は脳にある」というのでは、そういうことはわかりません。
> > >
> > >  はい。さっきいった「本当の自分」です。音は耳で聞くのではなく、『本当の自分」で聞く。それが道具を使うものです。
> > >  手のひらを見ている観音様がそれです。孫悟空は相争う自我。
> >
> > 脳をなくしたら三重苦になるだけではないです。意識もなくなり、体も動かなくなり、心臓も呼吸も止まります。
>
>  え〜とあなたは医学の立ち場からいってますか。
>  
これは普通の人はだれでも納得する事実だと思いますが。

> > 真の自分が精神として脳と別にあるというのは、普通の人はどう思うでしょうね。脳の働きに精神的な部分があるというとわかる気がします。
>
>  どう思おうが、思うまいが、まぎれもなくそれは「事実」です。こうして毎日生きている。ですから「覚者」と言われる人は、そのことを古来から主張している。汝自身を知れ。
>  私たちは、瞬時瞬時、こうしている生きているのですから!!

ここには精神という言葉は入っていないし、覚者という言葉はやや紛らわしく、判別できないですが、生きているのは事実です。

>  一部の脳が生かしているのではない。

もちろん60兆もの細胞が人間の中にいて、それがまず生きており、多くは2,3か月で生まれ換わります。それらは数多くの機能を持つ呼吸系、循環系、運動系等々の組織からなる人間という個体に統合され、個々の細胞より階層の高い個体として生きています。
その個々の細胞は一個一個が人間の遺伝子と持っていてそれを使って再生するのです。思えば神秘的ですねえ。

一部省略

> > > > >  アダムスキーの金言。「考えぬく」という点ではクリシュムルティと共通しています。
> > > >
> > > > しかし学者になるならともかく、実用的思考はそんなに考える必要がないし、心理的思考を考え抜くのは変でしょう?
> > >
> > >  むしろ逆でしょう。実用的思考は考え抜くことです。自分の進路を真剣に考える。いいかげんに欲得で進路を考えるから、進路を誤る。
> > >  人生を振り返ってみると、重大な岐路に立つことが何度かあります。
> > >  学校を選ぶとき、会社を選ぶとき、結婚相手を選ぶとき。あるいは会社をやめるかいなか。離婚するかいなか。
> > >  真剣に考え向けば、そう間違うことはないでしょう。考えて考え抜き、ふと止んだ思考の合間から、素晴らしい答えが浮かんできます。神の知恵というもの。
> > >  しかし、人間は好き嫌い、いい悪いといった心理的思考できめがちです。欲得、計算。ろくに考えもせずにです。だからあとで後悔するのです。
> > >  「ああすりゃよかった」「こんなはずではなかった」
> > >  人はだいたい第一印象があってる場合が多いようです。思考が介入していない。しかしきめられず、だんだんと計算がはいってくると心理的思考が介入し失敗するということです。
> >
> > 大部分の実用的思考は大したことはない。専門家になると大変だが。
> > 進路や就職、結婚等は、考え抜くと思考では答えが出ずにあれこれ迷うばかりだという事がわかるから、
>
> 考え抜くことと、悩むこととは違いますよ。悩み(苦しむ)というのはまさに心理的思考の為せる業です。

でも結婚するとき、相手が健康に一生過ごすか、気が変わって離縁すると言い出さないかは、いくら考えても答えは出ませんよ。

> >あとは感受性か英知でぱっと決めてください。最初から見ていれればいいけれども、そうはいかないよね。
>
>  ですから、クリシュナムルティは、その思考の合間から。ふと英知がやってくるというのです。示唆、指示として。それに従っていれば間違わない。ところが人は「自力」とやろうとするから、間違える。

英知は身分証明書をぶら下げたりしていないんだが大丈夫かな。もし、思ったようにいかなかったら誰が責任を取るのだろう。

>  ちょうどいいときに、ちょうどいいことが起きるのが真の悟り。
>  よくいう「絶対他力」という意味がわかるような気がします。一生懸命祈れば知恵を授かると。

これは正直に言って、思い込みというか信心の類に見える。心理的思考が混じっていないか?


> > > > > > もし心の中で葛藤があるなら、その個体は秩序が乱れてると言えると私は思っています。しかし葛藤は必要だ、それが精神を磨くという人もいます。ここから始める必要があるのかもしれません。
> > > > >
> > > > >  ここは議論を深める必要があります。
> > >
> > >  自分の心を成長させるのは、ある程度葛藤と向き合う方がいいと言います。
> > > 葛藤から逃げるのではなく。直面する。
> > >  人間はある程度、苦労、苦難を経てきた方が、大きく成長する。波あり谷あり、波乱の人生。とくに大正後期、昭和初期に生まれた方々に敬服します。
> >
> > 苦労、苦難が葛藤と混同されている。葛藤は、狭義では個人の中での分裂、対立。広義では人間同士の中での分裂、対立。たとえば地震のための苦労、苦難は葛藤ではない。
>
>  初めて聞きました。苦労苦難は葛藤ではない?たとえば野球選手がスランプを脱出しようと苦闘する姿は、まぎれもなく葛藤でしょう。

葛藤は大変な苦悩をもたらします。
しかし心理的思考を起こさないなら、地震による苦悩は葛藤ではありません。

>  このたびの3・11の地震にあわれた方の避難生活はまさしく葛藤の連続。心の休まるときはない。いつもあのときの映像が浮かんでしまう。
> >
> > >  文字ドウリ苦難の連続。地震あり、戦争あり、しかも今のような電気製品もない。人々は重労働の連続。
> > >  人間である以上,悩み、苦しみのない人はいない。だったら上手につきあう。
> > >  逆に悩み、苦しみのない人間っているのかと思う。誰でも周囲から「死」という悲しみに直面する。
> >
> > 葛藤は個人のように本来矛盾対立のないはずのものに起こるから無意味なのです。しかし、それが見えないで多くの人が葛藤し、苦しむ。苦労して、それが無意味とわかって抜け出した人はよかったね。
>
>  葛藤をどうとらえるか、どう向き合うのかの話。無意味かどうかではなく。試練ととらえれば意味があるものになる。逃げると葛藤は無意味に成る。

やはり葛藤から始めなければだめか?「時間の終焉」ではそれすらわからないで必要なことだという人がいると言われているが。

>
>  最後にお聞きしますが、人と対立するのが葛藤であって、個人的悩みは葛藤ではない。ということですか。

個人の心が分裂してお互いに対立、抗争するのが葛藤です。
あるがままの心が遊びたいのに対し、思考があるべき姿を持ち出してガリ勉しろと言います。これが葛藤の一例です。
全身全霊で事に当たる時は葛藤はありません。矛盾はなく、調和と秩序があります。全体一丸とでも言いましょうか。


[23985] Re:[23983] [23981] [23980] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/19(Mon) 10:53  

> > > >  Kは「人類の未来」の中で、頭脳と精神は別個であるといっている。これをあなたはどうとらえますか。又、頭脳は道具ともいっている。
> > >
> > > 脳は実体のあるものです。精神は私にとってはその言葉が何を指しているかわかりません。精神は心のことなのでしょうか? 
> >
> >  その精神はスピリットを意味するのでしょうか。ならば意味が通じます。マインドなら意味は通じません。
>
> スピリットでなくマインドと思いますが。

「人類の未来」73ページから。K曰く
「頭脳は条件づけられているが、精神はそうではないという意味で別のもの」「精神は時間と関係していない。つまり体とも頭脳とも関係していない」
「精神は英知」
 つまりここで出てくる精神という言葉を一般のマインドをイメージして読むとここでの文章は、意味はわからなるようです。
 「頭脳が沈黙し、空間のあるときに、精神と頭脳の接触がある。」
 こうしてみてみると、覚者と物理学者の代表者の対談となります。
 私も「精神」という意味を取り違えていました。一般の概念として。
>
> > >魂という別の言葉を持ち出さないといけないでしょうか? 思考なら私でも実際に知覚しますからまあわかると言えます。
> >
> >  色々な呼び名がありますが、本当の自分でどうですか。魂だと誤解を受けます。
> >  宗派によっては「真我」あるいは「本当の自我」あるいは「宇宙意識」と呼びます。
>
> 普通の人は本当の自分は精神だと言ってもぴんと来ないと思います。たとえば腕を一本なくしても精神はありますが、脳をなくしたら何もかもおしまいだと普通の人は思います。真の私というのは脳にありそうです。

 やはりあなたは脳から心が生じるという現代学問を信じているようですね。言わば科学信仰。私たちはそのように学校教育を受けてきました。
 それだとKのいう精神と脳は別個であるということが理解できなくなる。脳から心が生じるという現代学問とはKの言ってることは明らかに違う。
 普通の人はピンと来ないといわれますが、当たり前ですよ。そういうことは学習していないのですから。今の学校は唯物教育です。真の「心の教育」やってますか。宇宙の法則を教えてますか。子供達にです。真理教育などどこもやっていない。
 お言葉ですが、真の私は脳にあるという「覚者」は一人もおりません。
 あなたが読まれる本は科学、物理畑が中心で、精神世界と言われる本はよんだことがあまりないようですね。たとえば禅、仏教、インド関係など。
 「真の私は脳にある」というコメントには驚きました。これでは、愚さんのいっていることもわからないし、私とも話が合いません。
>
>
> > > まあそんなふうに見ています。言葉の実際が見えにくい。
> > >
> > > >  ならば、道具を上手く使うしかないでしょう。脳を上手に使う。
> > >
> > > さて、誰が使うのでしょう? 

 ですから、「真の私は脳にある」というのでは、そういうことはわかりません。
> >
> >  はい。さっきいった「本当の自分」です。音は耳で聞くのではなく、『本当の自分」で聞く。それが道具を使うものです。
> >  手のひらを見ている観音様がそれです。孫悟空は相争う自我。
>
> 脳をなくしたら三重苦になるだけではないです。意識もなくなり、体も動かなくなり、心臓も呼吸も止まります。

 え〜とあなたは医学の立ち場からいってますか。
 
> 真の自分が精神として脳と別にあるというのは、普通の人はどう思うでしょうね。脳の働きに精神的な部分があるというとわかる気がします。

 どう思おうが、思うまいが、まぎれもなくそれは「事実」です。こうして毎日生きている。ですから「覚者」と言われる人は、そのことを古来から主張している。汝自身を知れ。
 私たちは、瞬時瞬時、こうしている生きているのですから!!
 一部の脳が生かしているのではない。

>
> > >思考者は思考です。実用的思考は問題なく使っています。
> >
> >  はい。観察者が観察されるものと理解するのは、観音様にあたる本当の自分です。いわば、真の観察者。手のひらにのる二人の孫悟空は、観察するものと観察されるもの。
> >  一般の大部分の人間は、思考すなわち観察するものと観察されるものを自分だと錯覚している。それがKのいう「私」です。過去の経験記憶。
>
> ご苦労様。でもこの比喩はいただけないな。

 単純明快。Kのいうのは、手のひらの上だけの言及。いわば思考の一人相撲。これを見るには、一歩離れた「客観者」がいないとわからない。
 実際に観察者が観察されるものと理解するのは、もう一人の観察者がいないことにはわからない。(Kはそのことには言及しない)
 一般人は火中の栗。火を見るには栗が外に出なければ見えない。
>
>
> > > >  一説によると人間は脳細胞の70パーセントは使わないで死んで行くという。文字ドウリ宝の持ち腐れ。いかに人間は「考え抜く」という作業をやっていないか。
> > > >  現代の教育系統の一大欠陥
> > > >  「もし人間が如何に考えるべきかを知りさえすれば!」
>
> 脳細胞に使わない部分があるのは余裕をもって予備があるという事で、そのうち、結線が使われていない部分にも広がっていくかもしれない。それにその多すぎるかもしれない余裕が都合の悪いことを引き起こしているという事も見つかっていない。

 脳のしくみ、あるいは生理学に随分関心ありますね。
>
> > > >  アダムスキーの金言。「考えぬく」という点ではクリシュムルティと共通しています。
> > >
> > > しかし学者になるならともかく、実用的思考はそんなに考える必要がないし、心理的思考を考え抜くのは変でしょう?
> >
> >  むしろ逆でしょう。実用的思考は考え抜くことです。自分の進路を真剣に考える。いいかげんに欲得で進路を考えるから、進路を誤る。
> >  人生を振り返ってみると、重大な岐路に立つことが何度かあります。
> >  学校を選ぶとき、会社を選ぶとき、結婚相手を選ぶとき。あるいは会社をやめるかいなか。離婚するかいなか。
> >  真剣に考え向けば、そう間違うことはないでしょう。考えて考え抜き、ふと止んだ思考の合間から、素晴らしい答えが浮かんできます。神の知恵というもの。
> >  しかし、人間は好き嫌い、いい悪いといった心理的思考できめがちです。欲得、計算。ろくに考えもせずにです。だからあとで後悔するのです。
> >  「ああすりゃよかった」「こんなはずではなかった」
> >  人はだいたい第一印象があってる場合が多いようです。思考が介入していない。しかしきめられず、だんだんと計算がはいってくると心理的思考が介入し失敗するということです。
>
> 大部分の実用的思考は大したことはない。専門家になると大変だが。
> 進路や就職、結婚等は、考え抜くと思考では答えが出ずにあれこれ迷うばかりだという事がわかるから、

考え抜くことと、悩むこととは違いますよ。悩み(苦しむ)というのはまさに心理的思考の為せる業です。

>あとは感受性か英知でぱっと決めてください。最初から見ていれればいいけれども、そうはいかないよね。

 ですから、クリシュナムルティは、その思考の合間から。ふと英知がやってくるというのです。示唆、指示として。それに従っていれば間違わない。ところが人は「自力」とやろうとするから、間違える。
 ちょうどいいときに、ちょうどいいことが起きるのが真の悟り。
 よくいう「絶対他力」という意味がわかるような気がします。一生懸命祈れば知恵を授かると。
>
> > > > >
> > > > > もし心の中で葛藤があるなら、その個体は秩序が乱れてると言えると私は思っています。しかし葛藤は必要だ、それが精神を磨くという人もいます。ここから始める必要があるのかもしれません。
> > > >
> > > >  ここは議論を深める必要があります。
> >
> >  自分の心を成長させるのは、ある程度葛藤と向き合う方がいいと言います。
> > 葛藤から逃げるのではなく。直面する。
> >  人間はある程度、苦労、苦難を経てきた方が、大きく成長する。波あり谷あり、波乱の人生。とくに大正後期、昭和初期に生まれた方々に敬服します。
>
> 苦労、苦難が葛藤と混同されている。葛藤は、狭義では個人の中での分裂、対立。広義では人間同士の中での分裂、対立。たとえば地震のための苦労、苦難は葛藤ではない。

 初めて聞きました。苦労苦難は葛藤ではない?たとえば野球選手がスランプを脱出しようと苦闘する姿は、まぎれもなく葛藤でしょう。
 このたびの3・11の地震にあわれた方の避難生活はまさしく葛藤の連続。心の休まるときはない。いつもあのときの映像が浮かんでしまう。
>
> >  文字ドウリ苦難の連続。地震あり、戦争あり、しかも今のような電気製品もない。人々は重労働の連続。
> >  人間である以上,悩み、苦しみのない人はいない。だったら上手につきあう。
> >  逆に悩み、苦しみのない人間っているのかと思う。誰でも周囲から「死」という悲しみに直面する。
>
> 葛藤は個人のように本来矛盾対立のないはずのものに起こるから無意味なのです。しかし、それが見えないで多くの人が葛藤し、苦しむ。苦労して、それが無意味とわかって抜け出した人はよかったね。

 葛藤をどうとらえるか、どう向き合うのかの話。無意味かどうかではなく。試練ととらえれば意味があるものになる。逃げると葛藤は無意味に成る。

 最後にお聞きしますが、人と対立するのが葛藤であって、個人的悩みは葛藤ではない。ということですか。




[23984] 寓語録2 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/19(Mon) 09:35  

>神とか、無字、仏、という言葉は、肯定的な響きがあります。空(くう)も、若干、肯定的です>そうですね・・・仏教的に整理すると、般若経典群は、諸法空相、をあらわし、法華経は、諸法実相、ということになります。

>簡単に言えば、空と色、で>この空を徹底したのが、真空という感じです。物がいっさいない、というところ、公案でいえ>ば、無字の根源、これが基底でしょう。神の根源、ソース、です。

>空の徹底が真空なのですね。クリシュナムルティが無や空を超えたものが基底だという意味がいまいちわからなかったのですが、これではっきりしました。

>この真空、基底から、万物が生まれます。なぜか、ホーキングの理論と似てるんですが・・・>ブラックホールから物がうまれる・・・

>空即是色でもいいです。洒落た感じだと、真空妙有(しんくうみょうう)。禅の十牛図でいえ>ば、八番目が、真空、九番目が、真空妙有。

 愚さんと言う人はかなりの博識。しかも現代科学にも精通している。

 愚さんのいっている基本的理解がないと、いくら覚者と言われる人の本を読んでもわからないと思います。真理の理解は困難。 
 とくに現代科学を盲信している学者の人は理解は不能だろう。何故なら目に見えないものしか信じない唯物論者だから。
 Kのいう「基底」も理解不能。
 現代科学は原因を追求せず、ひたすら現象しか信じない。目で確かめたものしか。
 しかし、目に見える世界など、ほんの一部。氷山の一角。

 クリシュナムルティはいったい人々に対してどういうことを伝えたかったのだろうか?
 あるいは、釈尊をはじめ、他の覚者のいうことと違ったことをいってるのだろうか。
 言ってることは同じで、各自のアプローチの違いと愚氏はいう。
  
 同じクリシュナムルティを読むにしても、精神世界に精通してる人と唯物論者では見解が異なる。



[23983] Re:[23981] [23980] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/18(Sun) 13:45  

> > >  Kは「人類の未来」の中で、頭脳と精神は別個であるといっている。これをあなたはどうとらえますか。又、頭脳は道具ともいっている。
> >
> > 脳は実体のあるものです。精神は私にとってはその言葉が何を指しているかわかりません。精神は心のことなのでしょうか? 
>
>  その精神はスピリットを意味するのでしょうか。ならば意味が通じます。マインドなら意味は通じません。

スピリットでなくマインドと思いますが。

> >魂という別の言葉を持ち出さないといけないでしょうか? 思考なら私でも実際に知覚しますからまあわかると言えます。
>
>  色々な呼び名がありますが、本当の自分でどうですか。魂だと誤解を受けます。
>  宗派によっては「真我」あるいは「本当の自我」あるいは「宇宙意識」と呼びます。

普通の人は本当の自分は精神だと言ってもぴんと来ないと思います。たとえば腕を一本なくしても精神はありますが、脳をなくしたら何もかもおしまいだと普通の人は思います。真の私というのは脳にありそうです。


> > まあそんなふうに見ています。言葉の実際が見えにくい。
> >
> > >  ならば、道具を上手く使うしかないでしょう。脳を上手に使う。
> >
> > さて、誰が使うのでしょう? 
>
>  はい。さっきいった「本当の自分」です。音は耳で聞くのではなく、『本当の自分」で聞く。それが道具を使うものです。
>  手のひらを見ている観音様がそれです。孫悟空は相争う自我。

脳をなくしたら三重苦になるだけではないです。意識もなくなり、体も動かなくなり、心臓も呼吸も止まります。 
真の自分が精神として脳と別にあるというのは、普通の人はどう思うでしょうね。脳の働きに精神的な部分があるというとわかる気がします。

> >思考者は思考です。実用的思考は問題なく使っています。
>
>  はい。観察者が観察されるものと理解するのは、観音様にあたる本当の自分です。いわば、真の観察者。手のひらにのる二人の孫悟空は、観察するものと観察されるもの。
>  一般の大部分の人間は、思考すなわち観察するものと観察されるものを自分だと錯覚している。それがKのいう「私」です。過去の経験記憶。

ご苦労様。でもこの比喩はいただけないな。


> > >  一説によると人間は脳細胞の70パーセントは使わないで死んで行くという。文字ドウリ宝の持ち腐れ。いかに人間は「考え抜く」という作業をやっていないか。
> > >  現代の教育系統の一大欠陥
> > >  「もし人間が如何に考えるべきかを知りさえすれば!」

脳細胞に使わない部分があるのは余裕をもって予備があるという事で、そのうち、結線が使われていない部分にも広がっていくかもしれない。それにその多すぎるかもしれない余裕が都合の悪いことを引き起こしているという事も見つかっていない。

> > >  アダムスキーの金言。「考えぬく」という点ではクリシュムルティと共通しています。
> >
> > しかし学者になるならともかく、実用的思考はそんなに考える必要がないし、心理的思考を考え抜くのは変でしょう?
>
>  むしろ逆でしょう。実用的思考は考え抜くことです。自分の進路を真剣に考える。いいかげんに欲得で進路を考えるから、進路を誤る。
>  人生を振り返ってみると、重大な岐路に立つことが何度かあります。
>  学校を選ぶとき、会社を選ぶとき、結婚相手を選ぶとき。あるいは会社をやめるかいなか。離婚するかいなか。
>  真剣に考え向けば、そう間違うことはないでしょう。考えて考え抜き、ふと止んだ思考の合間から、素晴らしい答えが浮かんできます。神の知恵というもの。
>  しかし、人間は好き嫌い、いい悪いといった心理的思考できめがちです。欲得、計算。ろくに考えもせずにです。だからあとで後悔するのです。
>  「ああすりゃよかった」「こんなはずではなかった」
>  人はだいたい第一印象があってる場合が多いようです。思考が介入していない。しかしきめられず、だんだんと計算がはいってくると心理的思考が介入し失敗するということです。

大部分の実用的思考は大したことはない。専門家になると大変だが。
進路や就職、結婚等は、考え抜くと思考では答えが出ずにあれこれ迷うばかりだという事がわかるから、あとは感受性か英知でぱっと決めてください。最初から見ていれればいいけれども、そうはいかないよね。

> > > >
> > > > もし心の中で葛藤があるなら、その個体は秩序が乱れてると言えると私は思っています。しかし葛藤は必要だ、それが精神を磨くという人もいます。ここから始める必要があるのかもしれません。
> > >
> > >  ここは議論を深める必要があります。
>
>  自分の心を成長させるのは、ある程度葛藤と向き合う方がいいと言います。
> 葛藤から逃げるのではなく。直面する。
>  人間はある程度、苦労、苦難を経てきた方が、大きく成長する。波あり谷あり、波乱の人生。とくに大正後期、昭和初期に生まれた方々に敬服します。

苦労、苦難が葛藤と混同されている。葛藤は、狭義では個人の中での分裂、対立。広義では人間同士の中での分裂、対立。たとえば地震のための苦労、苦難は葛藤ではない。

>  文字ドウリ苦難の連続。地震あり、戦争あり、しかも今のような電気製品もない。人々は重労働の連続。
>  人間である以上,悩み、苦しみのない人はいない。だったら上手につきあう。
>  逆に悩み、苦しみのない人間っているのかと思う。誰でも周囲から「死」という悲しみに直面する。

葛藤は個人のように本来矛盾対立のないはずのものに起こるから無意味なのです。しかし、それが見えないで多くの人が葛藤し、苦しむ。苦労して、それが無意味とわかって抜け出した人はよかったね。

一部省略

> > >  固体の闇って何ですか?あらためて聞きますが。
> >
> > 仕返しをする、心理的により良いものになろうとしてあるがままを変えようとする(=葛藤)。代表的な例としてどうでしょう。
>
>  葛藤が固体の闇ですか。人は何で争いをするのかにつながる。
> >
> > >  殺戮ですか。動物は食べるために相手を殺します。人間もそう。家畜を毎日殺している。しかし動物は不必要な殺しはしない。人間は必要以外に、心理的に満足のために殺す。殺して悦に成る。それは脳に問題があるのかな?キレる?一部の権力者がそうさせるだけ。

殺すはその極端なものですが、葛藤は一個人や人間の集団間で起こるとき、つまり同種の間での争いを言います。その結果人間が殺戮されるなど、悲惨の最たるものです。

> > > >
> > > > なかなかそれも見えませんが。
> >
> > 隠れたことはたくさんあります。
>
> 大きくは戦争ですが、身近で何で争い事が絶えないのかということです。
> 一部でが、争い事が少ない国もあります。ブータンなど。国が自然保護をしている。北欧もありません。

そう、内部に分裂がないようです。外部とも仲良くしているようです。相手を悪とすることがないようです。


[23982] 本を読んでる主体は? 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/17(Sat) 19:13  

寓語録を一部紹介します。。様々な質問の中で軽妙なコメントで返している。
「問い 
 神そのものになっていく作業とは何かになる作業でなく元から神だったことに気づく作業に思われます。
 答え 
 そりゃそうです。だって、あなたは、いま、この文章を読んでるでしょ。その読んでる主体は神なんです。あなたが読んでいるんではないんです。」

 読んでる主体は「神」とはどういうことだろうか?「あなた」が読んでるのではなく。

 ここがわからないと、いくら精神世界やKの本を読んでもわからない。基本中の基本。目に見えないものを認めない現象論の物理学者にはわからない。
 普通は本を読んでるのは「自分」だと思っている。



[23981] Re:[23980] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/17(Sat) 19:06  


> >  Kは「人類の未来」の中で、頭脳と精神は別個であるといっている。これをあなたはどうとらえますか。又、頭脳は道具ともいっている。
>
> 脳は実体のあるものです。精神は私にとってはその言葉が何を指しているかわかりません。精神は心のことなのでしょうか? 

 その精神はスピリットを意味するのでしょうか。ならば意味が通じます。マインドなら意味は通じません。

>魂という別の言葉を持ち出さないといけないでしょうか? 思考なら私でも実際に知覚しますからまあわかると言えます。

 色々な呼び名がありますが、本当の自分でどうですか。魂だと誤解を受けます。
 宗派によっては「真我」あるいは「本当の自我」あるいは「宇宙意識」と呼びます。

> まあそんなふうに見ています。言葉の実際が見えにくい。
>
> >  ならば、道具を上手く使うしかないでしょう。脳を上手に使う。
>
> さて、誰が使うのでしょう? 

 はい。さっきいった「本当の自分」です。音は耳で聞くのではなく、『本当の自分」で聞く。それが道具を使うものです。
 手のひらを見ている観音様がそれです。孫悟空は相争う自我。

>思考者は思考です。実用的思考は問題なく使っています。

 はい。観察者が観察されるものと理解するのは、観音様にあたる本当の自分です。いわば、真の観察者。手のひらにのる二人の孫悟空は、観察するものと観察されるもの。
 一般の大部分の人間は、思考すなわち観察するものと観察されるものを自分だと錯覚している。それがKのいう「私」です。過去の経験記憶。
>
> >  一説によると人間は脳細胞の70パーセントは使わないで死んで行くという。文字ドウリ宝の持ち腐れ。いかに人間は「考え抜く」という作業をやっていないか。
> >  現代の教育系統の一大欠陥
> >  「もし人間が如何に考えるべきかを知りさえすれば!」
> >  アダムスキーの金言。「考えぬく」という点ではクリシュムルティと共通しています。
>
> しかし学者になるならともかく、実用的思考はそんなに考える必要がないし、心理的思考を考え抜くのは変でしょう?

 むしろ逆でしょう。実用的思考は考え抜くことです。自分の進路を真剣に考える。いいかげんに欲得で進路を考えるから、進路を誤る。
 人生を振り返ってみると、重大な岐路に立つことが何度かあります。
 学校を選ぶとき、会社を選ぶとき、結婚相手を選ぶとき。あるいは会社をやめるかいなか。離婚するかいなか。
 真剣に考え向けば、そう間違うことはないでしょう。考えて考え抜き、ふと止んだ思考の合間から、素晴らしい答えが浮かんできます。神の知恵というもの。
 しかし、人間は好き嫌い、いい悪いといった心理的思考できめがちです。欲得、計算。ろくに考えもせずにです。だからあとで後悔するのです。
 「ああすりゃよかった」「こんなはずではなかった」
 人はだいたい第一印象があってる場合が多いようです。思考が介入していない。しかしきめられず、だんだんと計算がはいってくると心理的思考が介入し失敗するということです。
>
> > >
> > > もし心の中で葛藤があるなら、その個体は秩序が乱れてると言えると私は思っています。しかし葛藤は必要だ、それが精神を磨くという人もいます。ここから始める必要があるのかもしれません。
> >
> >  ここは議論を深める必要があります。

 自分の心を成長させるのは、ある程度葛藤と向き合う方がいいと言います。
葛藤から逃げるのではなく。直面する。
 人間はある程度、苦労、苦難を経てきた方が、大きく成長する。波あり谷あり、波乱の人生。とくに大正後期、昭和初期に生まれた方々に敬服します。
 文字ドウリ苦難の連続。地震あり、戦争あり、しかも今のような電気製品もない。人々は重労働の連続。
 人間である以上,悩み、苦しみのない人はいない。だったら上手につきあう。
 逆に悩み、苦しみのない人間っているのかと思う。誰でも周囲から「死」という悲しみに直面する。

> メンツと言うものは実際にあるものでしょうか?言葉のお化けに踊らされているだけなら、悲惨ですねえ!日本だって体面を気にするのは同じことです。

「面子」という幻想に踊らされている。国会の政府側の答弁がその典型。先に立つのは「保身」。
 その中に入れば、誰でもそうなる。私もです。歯車になる。「男」としての面子がある。

> >  Kは政治的発言はしてましたか。
>
> 簡単に言うと、あなたは世界ですという言い方をしました。

 それは違うでしょう。自身の講話を聞く聴衆にです。Kの生きてた「冷戦」の時代。もし政治的発言をしたら講演できません。
 あくまで聴衆に向かって語りかけた。Kの講話を聞いてデモ行進をしたというのはありません。
 (余談ですが、ヒットラーと同年に生まれたチャプリンは、戦争中にもかかわらず、「独裁者」をつくりあげた。命をかえりみず)
>
> >  固体の闇って何ですか?あらためて聞きますが。
>
> 仕返しをする、心理的により良いものになろうとしてあるがままを変えようとする(=葛藤)。代表的な例としてどうでしょう。

 葛藤が固体の闇ですか。人は何で争いをするのかにつながる。
>
> >  殺戮ですか。動物は食べるために相手を殺します。人間もそう。家畜を毎日殺している。しかし動物は不必要な殺しはしない。人間は必要以外に、心理的に満足のために殺す。殺して悦に成る。それは脳に問題があるのかな?キレる?一部の権力者がそうさせるだけ。
>
> そうですね、人間だけが人間を殺すことを法の名のもとに正当化します。大衆の目にさらしての残虐刑はなくなっているのかな。しかし戦争になると何が起こるかわかりません。

 たとえば今シリアで何がおこなれているかは報道がありません。断片的なものはありますが。
>  
> > >
> > > なかなかそれも見えませんが。
>
> 隠れたことはたくさんあります。

大きくは戦争ですが、身近で何で争い事が絶えないのかということです。
一部でが、争い事が少ない国もあります。ブータンなど。国が自然保護をしている。北欧もありません。


[23980] Re:[23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/16(Fri) 09:30  

> > 人間の脳は右脳と左脳があり、神経の束で連結されています。これが切断されると二つの意識・人格が現れるそうです。それで一方の手が例えばもう一方の手をつねろうとし、他方の手は逃げ回るとか、思いがけないことが起こるそうです。
> >
> > すると、左脳と右脳がしっかり神経束で連結している時は分離がない統合された状態であり、秩序がある状態と大雑把に言えるのではないかと考えました。
>
>  脳に対しての言及が多いですが、脳そのものに問題があるのでしょうか。

個人の脳はさまざまに周囲からの影響を受けて形成されます。問題もあるでしょうね。

>  脳にかぎらず、あなたにとっては、人間のからだというのは欠陥品なんでしょうか。DNAはでたらめに配列してるのでしょうか。

いえ、非常によく出来上がった驚異的な有機統合体です。DNAは実によくできた指示書です。設計図ではなく。各細胞がDNAを持ち、身体各所の異なる細胞として育ち、連携しています。

>  結局、あなたの問題意識は何ですか。
>  争いの元凶は脳にあるとでも?

個人において悩み、迷い、葛藤します。個人間の人間関係も必ずしもうまくいきません。
一国の中でもいっぱい問題が生じます。
それらがなんであるか、何が起こっているかと言うのが私の問題意識です。脳は容疑者の一人です。

>  自分の平和より、世界の平和?それともその「自他」がないということですか。

自身については問題がありません。しかしみんながそうではないようです。上位の階層の組織もそうです。それを調べたい。

>  世界の苦しみは、即自分の苦しみだと。
>  新聞に出てましたが、ある主婦がいてもたってもいられず、国会にいって、共謀罪の反対デモに参加したという。何故なら自分たちの子供の将来に、とても不安に思って参加したという。子供達のことを思って。
>  こういう人たちは、自己中心的なのだろうか。いわばデモに参加する人。
>  この人たちは世界平和を思わない?と。
>  もし、本気で世界の平和を謳うなら、仕事を投げうってでも国会前のデモに参加するでしょう。子供の未来のために。
>  でなければ「世界の平和」など口にはできないと思います。

それで問題が解決するかどうか、まったく自信が持てません。

> >
> > もし一国の中で無法地帯が存在するなら、あるいは内戦があったりしたら、秩序がないと言えるでしょう。
>
>  脳には秩序がないということでしょうか。

個人の脳はダイナミックなものですからその時その時で、矛盾したりしなかったりでしょう。一概には言えません。
国の中の脳とは一体何でしょうか? 国の中のどこに秩序が失われているのでしょうか? 違う信念が戦っているのでしょうか、そんなことではなく、食うか食われるかで憎悪を込めて戦っているのでしょうか? とにかく分裂があるのかな。二人の人が常に戦う事はないので、何か害意や恐怖みたいなものが介在しますね。

>  Kは「人類の未来」の中で、頭脳と精神は別個であるといっている。これをあなたはどうとらえますか。又、頭脳は道具ともいっている。

脳は実体のあるものです。精神は私にとってはその言葉が何を指しているかわかりません。精神は心のことなのでしょうか? 魂という別の言葉を持ち出さないといけないでしょうか? 思考なら私でも実際に知覚しますからまあわかると言えます。
まあそんなふうに見ています。言葉の実際が見えにくい。

>  ならば、道具を上手く使うしかないでしょう。脳を上手に使う。

さて、誰が使うのでしょう? 思考者は思考です。実用的思考は問題なく使っています。

>  一説によると人間は脳細胞の70パーセントは使わないで死んで行くという。文字ドウリ宝の持ち腐れ。いかに人間は「考え抜く」という作業をやっていないか。
>  現代の教育系統の一大欠陥
>  「もし人間が如何に考えるべきかを知りさえすれば!」
>  アダムスキーの金言。「考えぬく」という点ではクリシュムルティと共通しています。

しかし学者になるならともかく、実用的思考はそんなに考える必要がないし、心理的思考を考え抜くのは変でしょう?

> >
> > もし心の中で葛藤があるなら、その個体は秩序が乱れてると言えると私は思っています。しかし葛藤は必要だ、それが精神を磨くという人もいます。ここから始める必要があるのかもしれません。
>
>  ここは議論を深める必要があります。
>
> >でも今は置いといて、少し上の階層・国家に目を向けましょう。結局、葛藤・分離の問題に戻るかもしれませんが。
>
>  国家間はメンツの争い。まさに心理的思考。権威が先に立つ。立ち場を強固に守る。大国や北朝鮮を見れば明らかでしょう。すべてにおいて心理的思考が先にたつ。彼らはせっかく手に入れた「権力」は何が何でもしがみつく。

メンツと言うものは実際にあるものでしょうか?言葉のお化けに踊らされているだけなら、悲惨ですねえ!日本だって体面を気にするのは同じことです。

> >
> > なぜなら、今は自分の家の周辺の土地で自活できません。どうしても社会的生産に頼らざるを得ません。
>
>  もちろん分業制です。今やグローバルの時代。一つの例。最近のテレビで、国内の木材業者は中国を相手にしないとやっていけない。ということが報道されていました。何の分野でも国内だけではだめ。
>
> > 個人の生活はどうしても社会的な大きな階層で満たすしかありません。
>
> 問題は、富が平等に分配されているかどうか。一部の偏りに問題がある。
> >
> > Kは個体に生じている闇は社会の闇と違わないと言いましたが、社会の創造的な自己組織化は時間がかかると思います。その二つの闇の連環を知ることは個人の闇を知ることでもあり、意義があると思います。
>
>  Kは政治的発言はしてましたか。

簡単に言うと、あなたは世界ですという言い方をしました。

>  固体の闇って何ですか?あらためて聞きますが。

仕返しをする、心理的により良いものになろうとしてあるがままを変えようとする(=葛藤)。代表的な例としてどうでしょう。

>  殺戮ですか。動物は食べるために相手を殺します。人間もそう。家畜を毎日殺している。しかし動物は不必要な殺しはしない。人間は必要以外に、心理的に満足のために殺す。殺して悦に成る。それは脳に問題があるのかな?キレる?一部の権力者がそうさせるだけ。

そうですね、人間だけが人間を殺すことを法の名のもとに正当化します。大衆の目にさらしての残虐刑はなくなっているのかな。しかし戦争になると何が起こるかわかりません。
 
> >
> > なかなかそれも見えませんが。

隠れたことはたくさんあります。


[23979] Re:[23975] 意識の統合と分裂 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/15(Thu) 14:34  

> 人間の脳は右脳と左脳があり、神経の束で連結されています。これが切断されると二つの意識・人格が現れるそうです。それで一方の手が例えばもう一方の手をつねろうとし、他方の手は逃げ回るとか、思いがけないことが起こるそうです。
>
> すると、左脳と右脳がしっかり神経束で連結している時は分離がない統合された状態であり、秩序がある状態と大雑把に言えるのではないかと考えました。

 脳に対しての言及が多いですが、脳そのものに問題があるのでしょうか。
 脳にかぎらず、あなたにとっては、人間のからだというのは欠陥品なんでしょうか。DNAはでたらめに配列してるのでしょうか。
 結局、あなたの問題意識は何ですか。
 争いの元凶は脳にあるとでも?

 自分の平和より、世界の平和?それともその「自他」がないということですか。
 世界の苦しみは、即自分の苦しみだと。
 新聞に出てましたが、ある主婦がいてもたってもいられず、国会にいって、共謀罪の反対デモに参加したという。何故なら自分たちの子供の将来に、とても不安に思って参加したという。子供達のことを思って。
 こういう人たちは、自己中心的なのだろうか。いわばデモに参加する人。
 この人たちは世界平和を思わない?と。
 もし、本気で世界の平和を謳うなら、仕事を投げうってでも国会前のデモに参加するでしょう。子供の未来のために。
 でなければ「世界の平和」など口にはできないと思います。
>
> もし一国の中で無法地帯が存在するなら、あるいは内戦があったりしたら、秩序がないと言えるでしょう。

 脳には秩序がないということでしょうか。
 Kは「人類の未来」の中で、頭脳と精神は別個であるといっている。これをあなたはどうとらえますか。又、頭脳は道具ともいっている。
 ならば、道具を上手く使うしかないでしょう。脳を上手に使う。
 一説によると人間は脳細胞の70パーセントは使わないで死んで行くという。文字ドウリ宝の持ち腐れ。いかに人間は「考え抜く」という作業をやっていないか。
 現代の教育系統の一大欠陥
 「もし人間が如何に考えるべきかを知りさえすれば!」
 アダムスキーの金言。「考えぬく」という点ではクリシュムルティと共通しています。

>
> もし心の中で葛藤があるなら、その個体は秩序が乱れてると言えると私は思っています。しかし葛藤は必要だ、それが精神を磨くという人もいます。ここから始める必要があるのかもしれません。

 ここは議論を深める必要があります。

>でも今は置いといて、少し上の階層・国家に目を向けましょう。結局、葛藤・分離の問題に戻るかもしれませんが。

 国家間はメンツの争い。まさに心理的思考。権威が先に立つ。立ち場を強固に守る。大国や北朝鮮を見れば明らかでしょう。すべてにおいて心理的思考が先にたつ。彼らはせっかく手に入れた「権力」は何が何でもしがみつく。
>
> なぜなら、今は自分の家の周辺の土地で自活できません。どうしても社会的生産に頼らざるを得ません。

 もちろん分業制です。今やグローバルの時代。一つの例。最近のテレビで、国内の木材業者は中国を相手にしないとやっていけない。ということが報道されていました。何の分野でも国内だけではだめ。

> 個人の生活はどうしても社会的な大きな階層で満たすしかありません。

問題は、富が平等に分配されているかどうか。一部の偏りに問題がある。
>
> Kは個体に生じている闇は社会の闇と違わないと言いましたが、社会の創造的な自己組織化は時間がかかると思います。その二つの闇の連環を知ることは個人の闇を知ることでもあり、意義があると思います。

 Kは政治的発言はしてましたか。
 固体の闇って何ですか?あらためて聞きますが。
 殺戮ですか。動物は食べるために相手を殺します。人間もそう。家畜を毎日殺している。しかし動物は不必要な殺しはしない。人間は必要以外に、心理的に満足のために殺す。殺して悦に成る。それは脳に問題があるのかな?キレる?一部の権力者がそうさせるだけ。
 
>
> なかなかそれも見えませんが。


[23978] いつか見た道 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/15(Thu) 13:31  

共謀罪が今朝成立。日本は「いつかきた道」にまっしぐら。いくら反対しても数の力で押し切られてしまうのだから、どうしようもない。それでも国民の現政権への支持は下がらない。大多数の国民が支持をしていることになる。


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