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> > > > > >  『クリシュナムルティの生と死』にて、クリシュナムルティが述べていることの中に、以下のことがあります。
> > > > > >
> > > > > >  「生に与(くみ)する者は、生に与するものと繋がろうとする。これは愛である。(旨)」
> > > > > >
> > > > > >  愛の働きは、先を読むことができない。
> > > > > >
> > > > > >  しかし、愛が英知であるならば、愛が導いてゆくのかもしれません。。
> > > > >
> > > > >
> > > > > ホントにそうですね。人の振る舞いはゆがんだ思考から出る反応(自尊心や知識や先入観等々)は実に多種多様なものがあるし、愛から出る気づかいや慈愛に満ちた行為もあるに違いない。しかしながら人はそれに対し鋭敏な感受性を持っているのですが、その感受の仕方に個人的癖があって混乱し、カオスに陥っているままに社会やシステムを含めて乱走状態になっているのでしょう。
> > > > >
> > > > >
> > > > > やっぱりこの盲目的な状態を直さなければならないが、人は結構天狗になっているので、そうはならない。優劣にとらわれ、嫉妬し、所有欲にかられと言い出せばキリがない。どうすればいいのか?
> > > > >
> > > > > 魚類や鳥類の大きな群れが乱れずに集団行動するのは簡単な原則があればよいので、それは個体同士が近づきすぎず、離れないで同一方向に向かうという事だけだそうです。
> > > > >
> > > > > 判断なしに見ている。葛藤なしに生きる。自分を含めての全体を見る。こんな簡単なことがなぜ、Kの本を読んだ人でさえできないのか、Kとボームに頼らないで、自分たちみんなで考えて、話し合ってみたらどうでしょう。
> > > > >
> > > > > 私は新しい芽さんの会で、当時、まだそのように尋ねることができなかった。
> > > >
> > > >
> > > >  それは哲学の延長となるように思うのですが・・。。
> > >
> > >
> > > うーむ、意外なレスをいただきました。哲学は同じところを循環し、過ちを正していくのは不可能なこととお考えですか? 思考は、いや話し合う事は無意味とお考えですか?
> > >
> > > 私は何気なく人の言ったことが心に飛び込んではっと目が覚めたようにわかるという経験を何度もしました。人が実際に会っての話し合いがよいのですが、掲示板のやり取りでも人は影響されます。もちろん静かに見、聴いていない限り、その受け取り方は良くも悪しくもになりますが、私は話し合いに期待します。それはある不思議さを持っていないですか?
> >
> >
> >  そこに、なぜ、クリシュナムルティなしに、ボームなしにと、限定を入れるのかが分かりません。
>
>
> Kとボームに{頼る}ことなしにと書きました。排斥でなく、依存なしに自分の頭で考えるということです。Kも「私が言ったからでなく、自分で見て、あるいは考えて理解するように」とよく言っています。ここが立脚点なのかもしれません。
>
> しかし、そこに人間には条件付けがあります。それゆえ意見の対立もあり得ます。しかし、よく相手の言う事を聴きながら話をすることもできます。ただし、論理だけで話が通じることは狭く限定された事柄に限られます。心が通じ合うこと(交感)が必要です。これはそう簡単なことではありません。
>
> 「Kですら間違っているかもしれない」、これが度を過ぎた懐疑心になると前に進めないことも確かですが、要は「最初に自由がある」ことですか。
>
> だがやはり、混乱を含んだ話し合いがカギになると思っています。



 はい。

 そこで、重要なことは、クリシュナムルティの陳述内容で、ひっかかりがあるところが要となるように思います。

 ひっかかっているにも関わらず、クリシュナムルティは嘘をつかないから、クリシュナムルティは絶えず正しいから。真実を述べるからと、ひっかかりを脇に置いて、そのままスルーして、陳述されたとおりに受け入れることを、クリシュナムルティはそれを正すために、>Kも「私が言ったからでなく、自分で見て、あるいは考えて理解するように」−−、という陳述が出たのだと思います。

 私の感ずるところは、>こんな簡単なことがなぜ、Kの本を読んだ人でさえできないのか−−、その理由として、クリシュナムルティの陳述内容を理解できていないからと捉えています。

 『時間の終焉』や『英知へのターニングポイント』を翻訳した渡辺氏でさえ、>こんな簡単なことがなぜ、Kの本を読んだ人でさえできないのか−−、これに当てはまるのです。

 あのような最高品質の邦訳を為したものでさえ、クリシュナムルティの陳述内容を理解していないのです。

 そして、私が痛感していることは、クリシュナムルティの陳述内容の理解なしに、クリシュナムルティの裾から離れることは、絵に描いた餅となると常々感じています。

 クリシュナムルティなしに、ボームなしに・・、これはクリシュナムルティの陳述内容の理解が大前提となるのではないでしょうか。

 クリシュナムルティの陳述内容の理解なしに、「クリシュナムルティなしに、ボームなしに・・」、これは、クリシュナムルティの回避にしか聞こえないのです。。

 したがって、もしも、>混乱を含んだ話し合い−−を望むのであれば、それは真っ先に、クリシュナムルティの陳述内容で、ひっかかりがあるところ・・、まずこれを洗い出し、ひとつひとつ、丁寧に、>混乱を含んだ話し合い−−へと持ち込むことが、建設的ではないでしょうか。。


[25363] Re:[25362] [25361] [25360] [25359] [25356] [25354] [25350] [25349] [25343] [25339] [25337] [25334] 人間の持つ五感 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/06(Wed) 09:38  

> > > > >  『クリシュナムルティの生と死』にて、クリシュナムルティが述べていることの中に、以下のことがあります。
> > > > >
> > > > >  「生に与(くみ)する者は、生に与するものと繋がろうとする。これは愛である。(旨)」
> > > > >
> > > > >  愛の働きは、先を読むことができない。
> > > > >
> > > > >  しかし、愛が英知であるならば、愛が導いてゆくのかもしれません。。
> > > >
> > > >
> > > > ホントにそうですね。人の振る舞いはゆがんだ思考から出る反応(自尊心や知識や先入観等々)は実に多種多様なものがあるし、愛から出る気づかいや慈愛に満ちた行為もあるに違いない。しかしながら人はそれに対し鋭敏な感受性を持っているのですが、その感受の仕方に個人的癖があって混乱し、カオスに陥っているままに社会やシステムを含めて乱走状態になっているのでしょう。
> > > >
> > > >
> > > > やっぱりこの盲目的な状態を直さなければならないが、人は結構天狗になっているので、そうはならない。優劣にとらわれ、嫉妬し、所有欲にかられと言い出せばキリがない。どうすればいいのか?
> > > >
> > > > 魚類や鳥類の大きな群れが乱れずに集団行動するのは簡単な原則があればよいので、それは個体同士が近づきすぎず、離れないで同一方向に向かうという事だけだそうです。
> > > >
> > > > 判断なしに見ている。葛藤なしに生きる。自分を含めての全体を見る。こんな簡単なことがなぜ、Kの本を読んだ人でさえできないのか、Kとボームに頼らないで、自分たちみんなで考えて、話し合ってみたらどうでしょう。
> > > >
> > > > 私は新しい芽さんの会で、当時、まだそのように尋ねることができなかった。
> > >
> > >
> > >  それは哲学の延長となるように思うのですが・・。。
> >
> >
> > うーむ、意外なレスをいただきました。哲学は同じところを循環し、過ちを正していくのは不可能なこととお考えですか? 思考は、いや話し合う事は無意味とお考えですか?
> >
> > 私は何気なく人の言ったことが心に飛び込んではっと目が覚めたようにわかるという経験を何度もしました。人が実際に会っての話し合いがよいのですが、掲示板のやり取りでも人は影響されます。もちろん静かに見、聴いていない限り、その受け取り方は良くも悪しくもになりますが、私は話し合いに期待します。それはある不思議さを持っていないですか?
>
>
>  そこに、なぜ、クリシュナムルティなしに、ボームなしにと、限定を入れるのかが分かりません。


Kとボームに{頼る}ことなしにと書きました。排斥でなく、依存なしに自分の頭で考えるということです。Kも「私が言ったからでなく、自分で見て、あるいは考えて理解するように」とよく言っています。ここが立脚点なのかもしれません。

しかし、そこに人間には条件付けがあります。それゆえ意見の対立もあり得ます。しかし、よく相手の言う事を聴きながら話をすることもできます。ただし、論理だけで話が通じることは狭く限定された事柄に限られます。心が通じ合うこと(交感)が必要です。これはそう簡単なことではありません。

「Kですら間違っているかもしれない」、これが度を過ぎた懐疑心になると前に進めないことも確かですが、要は「最初に自由がある」ことですか。

だがやはり、混乱を含んだ話し合いがカギになると思っています。


[25362] Re:[25361] [25360] [25359] [25356] [25354] [25350] [25349] [25343] [25339] [25337] [25334] 人間の持つ五感 投稿者:宮啓 投稿日:2018/06/05(Tue) 19:23  

> > > >  『クリシュナムルティの生と死』にて、クリシュナムルティが述べていることの中に、以下のことがあります。
> > > >
> > > >  「生に与(くみ)する者は、生に与するものと繋がろうとする。これは愛である。(旨)」
> > > >
> > > >  愛の働きは、先を読むことができない。
> > > >
> > > >  しかし、愛が英知であるならば、愛が導いてゆくのかもしれません。。
> > >
> > >
> > > ホントにそうですね。人の振る舞いはゆがんだ思考から出る反応(自尊心や知識や先入観等々)は実に多種多様なものがあるし、愛から出る気づかいや慈愛に満ちた行為もあるに違いない。しかしながら人はそれに対し鋭敏な感受性を持っているのですが、その感受の仕方に個人的癖があって混乱し、カオスに陥っているままに社会やシステムを含めて乱走状態になっているのでしょう。
> > >
> > >
> > > やっぱりこの盲目的な状態を直さなければならないが、人は結構天狗になっているので、そうはならない。優劣にとらわれ、嫉妬し、所有欲にかられと言い出せばキリがない。どうすればいいのか?
> > >
> > > 魚類や鳥類の大きな群れが乱れずに集団行動するのは簡単な原則があればよいので、それは個体同士が近づきすぎず、離れないで同一方向に向かうという事だけだそうです。
> > >
> > > 判断なしに見ている。葛藤なしに生きる。自分を含めての全体を見る。こんな簡単なことがなぜ、Kの本を読んだ人でさえできないのか、Kとボームに頼らないで、自分たちみんなで考えて、話し合ってみたらどうでしょう。
> > >
> > > 私は新しい芽さんの会で、当時、まだそのように尋ねることができなかった。
> >
> >
> >  それは哲学の延長となるように思うのですが・・。。
>
>
> うーむ、意外なレスをいただきました。哲学は同じところを循環し、過ちを正していくのは不可能なこととお考えですか? 思考は、いや話し合う事は無意味とお考えですか?
>
> 私は何気なく人の言ったことが心に飛び込んではっと目が覚めたようにわかるという経験を何度もしました。人が実際に会っての話し合いがよいのですが、掲示板のやり取りでも人は影響されます。もちろん静かに見、聴いていない限り、その受け取り方は良くも悪しくもになりますが、私は話し合いに期待します。それはある不思議さを持っていないですか?


 そこに、なぜ、クリシュナムルティなしに、ボームなしにと、限定を入れるのかが分かりません。


[25361] Re:[25360] [25359] [25356] [25354] [25350] [25349] [25343] [25339] [25337] [25334] 人間の持つ五感 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/05(Tue) 18:23  

> > >  『クリシュナムルティの生と死』にて、クリシュナムルティが述べていることの中に、以下のことがあります。
> > >
> > >  「生に与(くみ)する者は、生に与するものと繋がろうとする。これは愛である。(旨)」
> > >
> > >  愛の働きは、先を読むことができない。
> > >
> > >  しかし、愛が英知であるならば、愛が導いてゆくのかもしれません。。
> >
> >
> > ホントにそうですね。人の振る舞いはゆがんだ思考から出る反応(自尊心や知識や先入観等々)は実に多種多様なものがあるし、愛から出る気づかいや慈愛に満ちた行為もあるに違いない。しかしながら人はそれに対し鋭敏な感受性を持っているのですが、その感受の仕方に個人的癖があって混乱し、カオスに陥っているままに社会やシステムを含めて乱走状態になっているのでしょう。
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> >
> > やっぱりこの盲目的な状態を直さなければならないが、人は結構天狗になっているので、そうはならない。優劣にとらわれ、嫉妬し、所有欲にかられと言い出せばキリがない。どうすればいいのか?
> >
> > 魚類や鳥類の大きな群れが乱れずに集団行動するのは簡単な原則があればよいので、それは個体同士が近づきすぎず、離れないで同一方向に向かうという事だけだそうです。
> >
> > 判断なしに見ている。葛藤なしに生きる。自分を含めての全体を見る。こんな簡単なことがなぜ、Kの本を読んだ人でさえできないのか、Kとボームに頼らないで、自分たちみんなで考えて、話し合ってみたらどうでしょう。
> >
> > 私は新しい芽さんの会で、当時、まだそのように尋ねることができなかった。
>
>
>  それは哲学の延長となるように思うのですが・・。。


うーむ、意外なレスをいただきました。哲学は同じところを循環し、過ちを正していくのは不可能なこととお考えですか? 思考は、いや話し合う事は無意味とお考えですか?

私は何気なく人の言ったことが心に飛び込んではっと目が覚めたようにわかるという経験を何度もしました。人が実際に会っての話し合いがよいのですが、掲示板のやり取りでも人は影響されます。もちろん静かに見、聴いていない限り、その受け取り方は良くも悪しくもになりますが、私は話し合いに期待します。それはある不思議さを持っていないですか?


[25360] Re:[25359] [25356] [25354] [25350] [25349] [25343] [25339] [25337] [25334] 人間の持つ五感 投稿者:宮啓 投稿日:2018/06/05(Tue) 10:41  

> >  『クリシュナムルティの生と死』にて、クリシュナムルティが述べていることの中に、以下のことがあります。
> >
> >  「生に与(くみ)する者は、生に与するものと繋がろうとする。これは愛である。(旨)」
> >
> >  愛の働きは、先を読むことができない。
> >
> >  しかし、愛が英知であるならば、愛が導いてゆくのかもしれません。。
>
>
> ホントにそうですね。人の振る舞いはゆがんだ思考から出る反応(自尊心や知識や先入観等々)は実に多種多様なものがあるし、愛から出る気づかいや慈愛に満ちた行為もあるに違いない。しかしながら人はそれに対し鋭敏な感受性を持っているのですが、その感受の仕方に個人的癖があって混乱し、カオスに陥っているままに社会やシステムを含めて乱走状態になっているのでしょう。
>
>
> やっぱりこの盲目的な状態を直さなければならないが、人は結構天狗になっているので、そうはならない。優劣にとらわれ、嫉妬し、所有欲にかられと言い出せばキリがない。どうすればいいのか?
>
> 魚類や鳥類の大きな群れが乱れずに集団行動するのは簡単な原則があればよいので、それは個体同士が近づきすぎず、離れないで同一方向に向かうという事だけだそうです。
>
> 判断なしに見ている。葛藤なしに生きる。自分を含めての全体を見る。こんな簡単なことがなぜ、Kの本を読んだ人でさえできないのか、Kとボームに頼らないで、自分たちみんなで考えて、話し合ってみたらどうでしょう。
>
> 私は新しい芽さんの会で、当時、まだそのように尋ねることができなかった。


 それは哲学の延長となるように思うのですが・・。。


[25359] Re:[25356] [25354] [25350] [25349] [25343] [25339] [25337] [25334] 人間の持つ五感 投稿者:ゴト 投稿日:2018/06/04(Mon) 23:54  

>  『クリシュナムルティの生と死』にて、クリシュナムルティが述べていることの中に、以下のことがあります。
>
>  「生に与(くみ)する者は、生に与するものと繋がろうとする。これは愛である。(旨)」
>
>  愛の働きは、先を読むことができない。
>
>  しかし、愛が英知であるならば、愛が導いてゆくのかもしれません。。


ホントにそうですね。人の振る舞いはゆがんだ思考から出る反応(自尊心や知識や先入観等々)は実に多種多様なものがあるし、愛から出る気づかいや慈愛に満ちた行為もあるに違いない。しかしながら人はそれに対し鋭敏な感受性を持っているのですが、その感受の仕方に個人的癖があって混乱し、カオスに陥っているままに社会やシステムを含めて乱走状態になっているのでしょう。


やっぱりこの盲目的な状態を直さなければならないが、人は結構天狗になっているので、そうはならない。優劣にとらわれ、嫉妬し、所有欲にかられと言い出せばキリがない。どうすればいいのか?

魚類や鳥類の大きな群れが乱れずに集団行動するのは簡単な原則があればよいので、それは個体同士が近づきすぎず、離れないで同一方向に向かうという事だけだそうです。

判断なしに見ている。葛藤なしに生きる。自分を含めての全体を見る。こんな簡単なことがなぜ、Kの本を読んだ人でさえできないのか、Kとボームに頼らないで、自分たちみんなで考えて、話し合ってみたらどうでしょう。

私は新しい芽さんの会で、当時、まだそのように尋ねることができなかった。


[25358] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/06/04(Mon) 20:07  

言葉には意図してない無意識まで現れる。


[25357] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/06/04(Mon) 20:05  

意見そのものよりもその背後に見えるその人やそのひとが見てる世界が大事


[25356] Re:[25354] [25350] [25349] [25343] [25339] [25337] [25334] 人間の持つ五感 投稿者:宮啓 投稿日:2018/06/04(Mon) 17:34  

> > > > >  ところで、で人類の課題は戦争をなくすことなのか覚者になることなのかという問いが浮かんできました。これはおかしな問いでしょうか?いや、戦争をやめることは個人ではできず、個々の国家をも超えた人類の問題です。覚者になることは個人的に現れるようです。この違いが妙に引っ掛かります。
> > > >
> > > >
> > > >  二者択一的な問いとして考えてみるということですね。
> > >
> > > ああ、そうでしたね、なんかこの質問は変な感じがしていたのですが、二者択一と言っても同じことの両極の選択でなく、異質なものが出てきたという感じなのですね。どうしてなのだろう。
> > >
> > > >  一番の理想は、覚者が増えて、自ずと人類が変容し、戦争が止む。これが一番なのですが、それが難しいとして、覚者を増やすことを優先すべきか、戦争を無くすることを優先すべきか・・?
> > > >
> > > >  この二つの中から選ぶということですね。
> > >
> > > うーん、なんなのだろう。覚者を増やすといってもそれがどういう事かはほとんどの人にとっては観念的ですが、戦争をやめるという事はかなり実際的です。
> > >
> > > >  今後、覚者が増えることなく、人類が何百年と科学技術的な発展を遂げた暁には、何が起こるのでしょうか。
> > > >
> > > >  ヨーロッパ人が新大陸の先住民を駆逐して、その血の上に国を作ったように、他の知的生命体が住む惑星を、第二のアメリカにすることがないでしょうか。
> > > >
> > > >  しかし、時間の存在であり、なりゆく過程にある、自我は、それを受け入れるのではないでしょうか。
> > > >
> > > >  中世のヨーロッパ人が、インディアンを虐殺したときに、それをヨーロッパの老若男女が受け入れたように。
> > > >
> > > >  生は、それを許すのでしょうか。
> > > >
> > > >  この地球において、家畜の解放はいつになるのでしょうか。。
> > > >
> > > >  永遠に不可能でしょうか。
> > >
> > >
> > > 戦争は人類社会の創発の例だと思います。創発はウキペディアによると部分の性質の単純な挿話にとどまらない性質が全体として現れることで、局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成されるのだそうです。
> > >
> > > 人間は主体性をもって自由に生きることができると私は思っていますし、実際にそうしているといいますが、この複雑な社会は国家レベルでも思ったようにはならないし、世界的には大変な状態です。戦争反対と叫べば止まるというようなものではないです。原発の核のごみの最終処分場でさえ決まらないではないですか、しかし突然何かが起きて、何とかなってしまうかもしれないけれど。
> > >
> > > 結局、個人の変容は人類の変容で、それしかないのそれは戦争をやめるという事とは違う何かで、幸福が何かの副産物であるように、戦争がなくなるのも副産物の一つなのかもしれません。
> >
> >
> >  はい。
> >
> >
> >  まず、クリシュナムルティ理解に取り組んでいる者たちは、互いに繋がろうとするのではないでしょうか。。
> >
> >  ここで行われているように。
> >
> >  今、国内の離れた地域で繋がっているように、国の内外を問わずに広く繋がってゆけるように思います。
> >
> >  コンピュータによる翻訳によって、世界共通語である英語が身近になっています。
> >
> >  [25346]で紹介したサイトも、右クリックで出てくる「日本語へ翻訳」で、読むことができました。
> >
> >  私は国際クリシュナムルティ財団へは、一度しかメールでのやり取りを行ったことがありませんが、コンピュータの翻訳を頼りに、これから世界との連携が為される可能性を感じています。
> >
> >  身近にクリシュナムルティ理解に取り組んでいる人が、圧倒的に少ない現在では、住んでいる距離には関係なく、どんなに遠くても、言葉が通じなくても、繋がってゆこうとすることでしょう。
> >
> >  これが恒久平和への動きなのかもしれませんね。。
>
>
> 上文、傾聴させていただきました。つながりが広まる、いいですね!
>
> クリシュナムルティ理解についてですが、竹田哲学は世界全体の理解に努め、力の論理がまかり通るのを防止する事を希求しています。
>  しかし、クリシュナムルティの教えは人間の苦痛(心の歪みによるもの)をいかにして解消するかにあると思います。それは個人的なことのようで、実は、むしろ戦争等の世界的事柄の唯一の解決なのかもしれないですね。
>
> しかも竹田哲学はその心理的歪みの発生する過程を綿密に調べ、どうして歪みが発生するかを明らかにします。それが歪みを解消する役に立つという先入観があるのでしょう。
>  他方、Kは歪みがあろうがあるまいが、その現在のあるがままから出発します。そしてその歪みを自分自身で見て理解し、それから自由になる道を示唆します。抑制、葛藤の道を通ることなく。変えようという目的との距離・時間なしに。
>
> これがようやく私に芽生えたクリシュナムルティ理解のようです。


 『クリシュナムルティの生と死』にて、クリシュナムルティが述べていることの中に、以下のことがあります。

 「生に与(くみ)する者は、生に与するものと繋がろうとする。これは愛である。(旨)」

 愛の働きは、先を読むことができない。

 しかし、愛が英知であるならば、愛が導いてゆくのかもしれません。。


[25355] 無題 投稿者:青空の慈悲 投稿日:2018/06/04(Mon) 17:31  

ヴァルだマーなはすべての意見の前にそれは私の意見によればという前置きを置くべきだといった。新しい芽氏がクリシュナムルティもまた間違っているかもしれないといったことを思い出す。


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