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[23947] Re:[23935] 意識について(2) 投稿者:宮啓 投稿日:2017/06/09(Fri) 16:11  

> とにかく人間は写真とは違って絵をかきます。写実的な絵ばかりでなく抽象的な絵をかき、人はそれを感じ取ります。
>
> これは意識があるからできることなのでしょうか?高度な思考がしているのとは違うのでしょうか?
> 絵筆を動かしているのは脳です。無意識的に動かしていても脳です。意識は思考でないとすれは心、あるいは精神(マインド)なのでしょうか?
>
> 意識には動詞形もあって、気づいているとか、注意しているというのを含んだようなことでしょうか。日本語では注意していると言うと志向性が含まれている感じです。
>
> 結局思考や感情や感覚とを統合して認識する働きや、認識された結果を意識と言うのでしょうか?
> そしてその結果に対しての応答が必要な際は咄嗟に応答するでしょうが、それは意識の命令によるのでしょうか、そうでなくそれはその部門が自発的に(無意識的に)行動するのでしょうか?
>
> そんなことを考えなくとも応答して人類はちゃんと生きてきているのだから考える必要はないと言えばそれまでですが、戦争は止まらないし、かなり不満や不安を感じる人もいるし、知を愛すると言って考えるのが好きな人も古来いるので考えるのは止まりそうもないですね。
>
> それで、意識は脳の物質的な過程の一部なのでしょうか、それとも物質的な過程とは違うものなのでしょうか?
> もし違うとすれば、脳からの思考なり感覚なりのものすごく多数の経路をたどって発される刻々の電気信号をどうやって意識は受け取るのか?、いったいそんなことがありうるでしょうか?
> また応答する側に対し、意識はどのようにその情報を送るのかそれも同じように考えられません。
>
> ま、人間にはまだまだ考えもできないようなことは山ほどあるはずですから、意識は脳内の物質的過程であるとは断言できないですが、意識は精神的過程であると断言できるかどうか?
> ひょっとすると行動は、咄嗟の場合は意識を経ずに実行されるのだろうか、そうでない間に合わない?


 『時間の終焉』にて、意識の中身の各々は心理的時間の結果である旨がクリシュナムルティによって述べられています。

 心理的時間が個体を「個人」として認知できるようになる旨が述べられています。

 心理的時間が「区別」として認知できるようになる旨も述べられています。

 そして心理的時間が暗黒の根源であることが見えるか。それを全体的に見ることが洞察とのことです。

 その洞察は、心理的時間を一掃し、それゆえに「個人」が解消し、意識が空っぽになるとのことです。そのとき脳細胞内で神経細胞同士の結合が変化することも述べられています。


 心理的時間が暗黒の根源であることが、なかなか直接見えない。


[23946] 無題 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/09(Fri) 09:38  

 昨日NHKEテレで「モーガンフリーマン時空を超えて 心の闇は根絶出来るのが?」というのをやってました。
 例のごとく実験映像が多く出て、憎しみの物質は脳のどこにあるのか、という話になりました。よくわからなかったというのが正直な感想。現代の学問はまだ「波動」という概念にはいきつかないのでしょうか。思考はエネルギーというように、憎しみもある種のエネルギー、それが脳のどこかにあるなんて発想は、いかに唯物的です。
 人間の想念はエネルギー。そのエネルギーが外界に伝搬し、「場に対して大きな影響を及ぼす。精神科学では、そのようなことが古くから言われている。現代科学は、今もって追いつかない?前頭葉とか何とか。まだ心はどこにあるのか、あるいは意識はどこにあるのかとか、まだそういったことを科学はやってるのだろうか。それでは人間の心の解明は、ほど遠い。


[23945] Re:[23942] 感情のコントロール 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/08(Thu) 17:34  

>  ゴトさんのテーマは何で人は争いごとをするのかにご関心があるようです。

はい、そうです。Kも人間は戦争ばかりしていると言うところから始まります。

> つきつめていくと、人間の感情の問題になるのではないでしょうか?その感情。欲望とからみあってコントロールするものなのだろうか。あるいはある程度抑制するものなのだろうか。たとえば禁欲。という疑問が浮かぶます。

感情というものは燃え上がってしょうがないものでしょうか?、それとも見る間に冷えるものでしょうか?、はたまた長く尾を引いて残る始末に負えないものでしょうか?

これは各人様々なものでしょうか?
感情には原因があり起こるものでしょう。その目的は全心身が一致して目標目指して邁進するための掛け声みたいなものでしょうか? すると自分自身がバラバラになっている人には必要な機能で感情も激しく統一を図るが、自分が個人としてまとまっている人はやろうと思うだけで全体が動くからそれで終わり。そんなところかな。あるいは自信のない人ほど声が大きいとかもあるかもしれない。

感情的対立という事は国と国がそれぞれに国民一同心を同じくして、感情的に対立することだから、実は最低のこと。感情は裏に心理的思考、考え方があって燃え上がる。それが政府やマスコミによって操作される。
政府が国民を統一できないとき、外の危険をあおって国内問題から目をそらそうとするのはよくやられてきたことです。

>  ところがクリシュナムルティの著作類には感情についての言及はあまりないように見受けられます。いかがでしょうか。すべて「思考」という言葉で感情もその中でくくられてしまうのでしょうか。ほとんどの本は、感情というのは、ある程度コントロールするものだという人が多いです。Kのいうのは、思考を見る?感情を見る?といいながら怒りに直面する人はいない?

普通はよく見ないから世間の通念で操作されてしまう。

>  人は社会人になると、感情をむやみに振り回すことはしなくなります。あくまで常識をわきまえた人です。とりみだすことはしないし、みっともない。でないと社会で生きていけません。それでコントロール術を学ぶ。たとえば会社で上司に無理難題をふっかけられても、ぐっとこらえる。コントロ−ルする。これは抑制とか我慢ということではない。ここがむずかしいところ。怒りたくても怒らない。感情を自分でなだめる。まあまあ。(怒るとクビ)

それでいつもはけ口を探している。無意識的に。

>  クリシュナムルティは特上の美人の前ではからっきり弱かったように、私たちも美人の前ではメロメロになるでしょうか。しかし人妻と聞けばさっと引き下がる。これが感情のコントロールです。分をわきまえている。一般論として。
>  何故争うのかは、何故怒るのかにつながる。何故怒るのかと聞かれても答えようがない。正直怒りたいから怒る。思考の理由はいくらでも出てくるでしょう。喜怒哀楽。おかしいから笑う。笑うからおかしいのではなく。
>
>  ま、一つ言えることは、怒るのはたいていの人のせいにしてるということです。怒りに原因を外に求める。

それを燃え上がらせる思考には気づかない。それでいて感情をコントロールしようとしてもガソリンをかけているのでは火の手は収まらない。


[23944] Re:[23943] [23935] 意識について(2) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/08(Thu) 12:51  

> > 意識には動詞形もあって、気づいているとか、注意しているというのを含んだようなことでしょうか。日本語では注意していると言うと志向性が含まれている感じです。

>  気づいている。注意しているというのは、ある一定方向に、意識が向いているということ。何かに気づいている、というのも同じ。
>  以前、気功をやっていて、からだの一部に、焦点をあてると、そこがむずむずする。たとえば手のひら。
>  折れない手。腕を折り曲げ、そこに意識すると、誰がぶらさがってびくともしない。逆に意識しないと、倒れてしまう。
>  気功の先生は、そこに意識を向けて下さい、という表現を使う。
>  ですから、一部の学者は意識とは志向性のことである。あるいは志向性を有する。と定義しています。それは全生物に共通ということです。その意味で全生命に意識があるということ。どれでも志向性をもっている。何かに向かう働き。
>  人間はその中で特別。意識された対象に対しての判断評価推理という働きが「心」と呼ぶべきもの。ですから、意識と心は別個の働きです。


とても興味深く読みました。意識をどこかに集めると、特別の状態が現れる。たぶん火事場の馬鹿力などはそういう事でしょうね。注意の一つの現れ方にそういう事がある。

ところで普通の人間の表面意識、これはだれでも知っていますがそれに限って話をすると、私は思考をある程度深める(熟考する)ためには意識を注ぐことが必要な気がします。今の科学や文明、文化が発達するには、このしっかりした思考が不可欠だと思います。
たわいないおしゃべりは無意識にもできますが。

そしてこの機能は動物になく、人間が言葉と共に獲得した強力な新機能です。それが物質的実用面に関係している限りは問題ないが、それは実際に効果が確かめることができ、間違っていることは捨てられていくからですが、そうでない分野があります。

それはひっくるめて心理的(思考)と言われますが、その内容と、それがなぜ間違っているかはよくわかっていません。どうもそれに意識、注意はあまり向けられないように思います。

いや、向けられるのですが、自分の思いを貫徹するために意識が向くので、その心理的思考を検討する方向には向かない。勝者と敗者に分かれ、勝者は相手が悪いのだとし、敗者は恨みや憎しみを相手に抱くのでは仕方ないです。どうするか。

自分の思いを貫徹するのではなく、何が起こっているかに意識を向ける。これが見る、聴く、知覚すると言われていることかな。すると「私の」思いを貫徹しようとしていることが発見されるのだろうか?


[23943] Re:[23935] 意識について(2) 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/08(Thu) 10:50  

再び書いてみます。普段こういった問題は、文献を厳密に調べて書くものが、とちあえず何も参考にしないで頭に浮かんだことを書きます。

> とにかく人間は写真とは違って絵をかきます。写実的な絵ばかりでなく抽象的な絵をかき、人はそれを感じ取ります。

 え〜と絵を書く。音楽を作曲する。小説を書くというのは創作活動と言われるのではないですか。
 私自身、小学5年生で金賞をとったことがあります。写生ですが。中学になってからは、絵と縁が切れました。今は絵画を見ても何がいいのかわかりません。ルーブル美術館にいってもさっぱり。うまいのはわかるが。
>
> これは意識があるからできることなのでしょうか?高度な思考がしているのとは違うのでしょうか?

 絵を書くのは思考?でしょうか。絵そのものは言葉と無縁に思えます。

> 絵筆を動かしているのは脳です。無意識的に動かしていても脳です。意識は思考でないとすれは心、あるいは精神(マインド)なのでしょうか?

 現代学問では、何もかも脳がコントロールしているというが主流。しかし少数派ですが、脳でさえも道具であり、脳を使うものがいるといいます。
 現代医学は切った貼ったの唯物論の代表。脳死のケース。脳死なのに体は正常。これを何ととらえるか。脳以外のものが肉体をコントロールしているとしかいいいようがない。
>
> 意識には動詞形もあって、気づいているとか、注意しているというのを含んだようなことでしょうか。日本語では注意していると言うと志向性が含まれている感じです。
 気づいている。注意しているというのは、ある一定方向に、意識が向いているということ。何かに気づいている、というのも同じ。
 以前、気功をやっていて、からだの一部に、焦点をあてると、そこがむずむずする。たとえば手のひら。
 折れない手。腕を折り曲げ、そこに意識すると、誰がぶらさがってびくともしない。逆に意識しないと、倒れてしまう。
 気功の先生は、そこに意識を向けて下さい、という表現を使う。
 ですから、一部の学者は意識とは志向性のことである。あるいは志向性を有する。と定義しています。それは全生物に共通ということです。その意味で全生命に意識があるということ。どれでも志向性をもっている。何かに向かう働き。
 人間はその中で特別。意識された対象に対しての判断評価推理という働きが「心」と呼ぶべきもの。ですから、意識と心は別個の働きです。


ここまで。



[23942] 感情のコントロール 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/08(Thu) 10:14  

 ゴトさんのテーマは何で人は争いごとをするのかにご関心があるようです。つきつめていくと、人間の感情の問題になるのではないでしょうか?その感情。欲望とからみあってコントロールするものなのだろうか。あるいはある程度抑制するものなのだろうか。たとえば禁欲。という疑問が浮かぶます。
 ところがクリシュナムルティの著作類には感情についての言及はあまりないように見受けられます。いかがでしょうか。すべて「思考」という言葉で感情もその中でくくられてしまうのでしょうか。ほとんどの本は、感情というのは、ある程度コントロールするものだという人が多いです。Kのいうのは、思考を見る?感情を見る?といいながら怒りに直面する人はいない?
 人は社会人になると、感情をむやみに振り回すことはしなくなります。あくまで常識をわきまえた人です。とりみだすことはしないし、みっともない。でないと社会で生きていけません。それでコントロール術を学ぶ。たとえば会社で上司に無理難題をふっかけられても、ぐっとこらえる。コントロ−ルする。これは抑制とか我慢ということではない。ここがむずかしいところ。怒りたくても怒らない。感情を自分でなだめる。まあまあ。(怒るとクビ)
 クリシュナムルティは特上の美人の前ではからっきり弱かったように、私たちも美人の前ではメロメロになるでしょうか。しかし人妻と聞けばさっと引き下がる。これが感情のコントロールです。分をわきまえている。一般論として。
 何故争うのかは、何故怒るのかにつながる。何故怒るのかと聞かれても答えようがない。正直怒りたいから怒る。思考の理由はいくらでも出てくるでしょう。喜怒哀楽。おかしいから笑う。笑うからおかしいのではなく。

 ま、一つ言えることは、怒るのはたいていの人のせいにしてるということです。怒りに原因を外に求める。


[23941] Re:[23939] [23936] [23933] [23929] [23928] [23924] 無題 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/08(Thu) 09:35  


> >  さっきいったように目を瞑ればいくらでも思考イメージがわいてきます。目をあいているときは、外界の刺激が強いのでわからないだけです。
> >  のべつくまなく、思考がわいてくる。たびたび休憩をはさんで。人はそれを自覚していない。
>
> それほど思考がわいてくるかな?

 人間というのは、ひょっと気が緩むと考え事をしています。「もちろんスポーツや仕事に集中してるときは別です。
 禅や瞑想の初心者は、次々と出てくる雑念にさいなやまされるでしょう。私も日常、何で今こんなことを考えるているのかとふと我に戻るときがある。今やっていることとは全然関係ない思考。いわば雑念。
 日常、実務的な思考と雑多な思考とが、まざりあって思考がわいているように思います。

> >  今「人類の未来」を読んでいますが、頭脳と精神は違うとか、思考を超えたものとか、たびたび不可識な言葉が出てきます。
> >  現代学問では、脳から心が生まれるとしている。それでは、ここでの精神とはどういう意味だろうか?一般では精神という言葉は心(マインド)と比べ崇高なイメージがあります。思考は当然脳からだから、頭脳と精神は別だとはどういうことだろう?思考を超えたもの?
>
> 心とは思考、感情のことなのですか。それは脳の起こしている過程という事でいいでしょうか?それらを一切含めてマインドと呼ぶという事でしょうか。精神の訳語もマインドですが。

 精神はスピリットとも訳されます。それだと別な意味合いが。精神とは心を意味しますが、この精神という言葉。何で心に「神」という言葉が使われるのだろうか。精神とは、もっと崇高なものという意味合いなのだろう。普段、心と呼ぶものよりも。

 辞典から
 精神
 1、人間の心、また、その知的な働き。「健全なーー」
 2、物質に対し、人間を含む生命一般の原理とみなされた霊魂。たましい。

 通常、精神というと、二番目の意味を連想するのですが、K関係では、1番目の意味、特に「心の知的な側面」という意味で用いているようです。

 




[23940] Re:[23937] [23934] 意識について 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/08(Thu) 00:10  

23937は話がよく通じているように思います。

意識については今日は遅くなったのでまた明日に書きます。今日は生命や生物に関する本を読んでいました。
なお23939は少し散漫なところがあるようで、レスは無くても結構です。関心のあるところがあったら、そこだけおっしゃってください。

書き上げたコメントを間違って消してしまったとのこと、私も何回か覚えがあります。がっくりしますね。
後の尾を引かないでもう一度書くしかないのですが、疲れますね。

ではまた明日。


[23939] Re:[23936] [23933] [23929] [23928] [23924] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/07(Wed) 17:24  

> > 想像については予測という事は行動に関して重要な機能で、動物も使っていると確信します。
>
>   動物も想像力を使っている、ということですが、動物は思考はもちません。どういう意味で想像力という言葉を使って使ってらっしゃるのでしょうか。一部の猿には知恵らしきものがありますが、あくまで例外です。人間で言えば幼児程度。

動物は意識も思考もないのですか?
獲物を見つけると風下から忍び寄りとびかかります。
逆に自分を餌にする害獣に気が付くと、耳を立て注意を払い、危険と察知すると逃げたりします。運動神経は人間よりずっと機敏で発達しています。飛んでいるハエをぱっと舌でとらえる。高度の予測制御が行われていると思う。しっかりと獲物は視覚や嗅覚で獲物像として把握されている気がします。

>  動物がイメージをして行動している?それはありえません。想像力は人間だけに与えられた特権です。その創意工夫によって文明が急速に進歩しました。
>  (ありえないことですが,動物が思考を持ってたら人間は生きていけません)

言葉を使った高度の文明文化を持っているという事はその通りでしょう。

>  動物と人間の違いは、けた違いに知覚力が優れていることです。五感すべて。

少なくとも哺乳類、鳥類はそうでしょうね。運動力も勝っています。

>  渡り鳥やウミガメは、必ず産卵場所に帰ってくる。一部の動物は地震の波動をキャッチする。超音波を読む。

嗅覚と言うのはまだ十分には科学的に解明されていないが海の中でも自分の故郷を間違えないらしい。地磁気の磁力線も感じるらしい。それらは量子力学的な機構によるともいわれている。

>  人は目を瞑ると、いくらでもイメージがわいてくる。それが想像力です。モノをつくるのもそうです。創意工夫。はじめに頭の中にイメージして「設計図」を生み出す。そこから具体化する。初めは妄想でも何でもいいからイメージする。そこから徐々に現実的に修正されて行きます。そのプロセスが重要。
>  ラジオの波動と同じ。段々とチャンネルがあってくる。
>  私が街を歩いているとき、いつも驚嘆するのはビルの建設。よくこんなものがつくるれなあと関心する。高層建築には脱帽。

>  動物が神から与えられた役目は種の保存と固体の維持。この地球上で絶妙なバランスをとっている。増えすぎず、減りすぎず。海の生物は卵を産んでもほとんど食べられてしまう。残るのはほんの一部。これも神の計算ずくなのだろうか。
> 大部分の生命は他の動物に命を与えている。大きな見地に立てば、これを究極の愛の姿だという人もいる。
>  もちろん自然の掟を破る人間を除いての話。
>
>
> >しかしそれは脳の神経細胞のネットワークの無意識になすところです。
>
>  この「無意識」の意味がわからない。「人間の未来」の最後の方で、Kの記述にこういうのがありました。ガラガラヘビを見たら急に飛び上がった。それは「無意識」がそうさせたと。

意識する前に咄嗟の行動がある。意識する間もなく行動が起こる。つまり無意識ですぐ行動する。

>  蛇を見て警戒するのは、体の備わっている生体防御本能の為せる業です。私たちには元々動物的本能が備わっている。散歩中、向こうから自転車がきてよけるのは、瞬時に危険を察知するからです。「無意識」だと自転車にぶつかってしまいます。意識が「ない」から。

まず本能と言うけれど、実際には人間にも動物にも太古からの運動をつかさどる脳の大きな部分があり、危機にはそれが咄嗟に働きます。本能と取り立てて言うほどのものがあるのかしら。レッテルという事であればわかるが。

>  だから意識的に歩きなさいと提唱するわけです。よく「見る」ということ。これが意識的に見る。はっきりと見る。

ところが意識的に注意すると普通は集中的になるから返って疲労もするし、気づきにくくなる。ここは言葉の使い方と関係してくるが。

>  イエスは無意識に習慣的に生きている人間に「目覚めよ」と説く。普段の人間は見てるようで見ていない。ある意味盲目(無知と言う意味)

憎しみには憎しみで返す人は無意識に習慣的に生きているのかもしれない。ある意味無知なのか。

>  さっきいわれた「脳の神経細胞のネットワーク」は私から言わせれば、すべて意識的に連携されているということです。からだの隅々まで。又細胞一つ一つがすべて「意識的」であるといっています。体に一部故障が起きれば、皆助けにいく。はたして「司令塔」というものはいるのでしょうか?それとも各自。自立的に動いているのだろうか?

そういう意味での意識なら、生物は皆意識があると言えますね。司令塔と言うのはないでもネットワークは実によくできているのかもしれません。しかし全体像を皆に見せて理解させるという機能は意義があります。しかしそれが、自我となって思考で指令しだすと葛藤になるでしょうね。

>  こうなると「意識」の意味がまるで違っています。細胞に意識があるといっても「心」があるという意味ではありません。
>  ある人は、全生物、全生命に「意識」があり、すべて根源的意識でつながっているといいます。根源的な宇宙のネットワーク。いわば宇宙意識。ここの意識の意味は、人間の心すなわち思考感情とは別のものです。
>  すべての全生命は、根底でつながっている。根源的テレパシーとして。
> >
> > 意識的な創造、空想の働きは難しい。心理的に気分を楽にするような働きがあることもありますし、ほら吹きのように気分を相手に伝達するための誇張された話もあります。
>
>  さっきいったように目を瞑ればいくらでも思考イメージがわいてきます。目をあいているときは、外界の刺激が強いのでわからないだけです。
>  のべつくまなく、思考がわいてくる。たびたび休憩をはさんで。人はそれを自覚していない。

それほど思考がわいてくるかな?

> > 太陽の日の出をあがめ、自分たちの行う儀式ゆえに世界の人が今日の太陽を拝めるのだと信じ、誇りを持つ人たちもいます。
>
>  富士山を登る人はご来光が楽しみだとか。
> >
> > 創造は現実です。想像の内容は非現実のような気もします。その想像があるのは現実です。これは思考の性質ですね。それがどこから出ているのかもわかれば重要な意味があるのかもしれません。面白いですね。
>
>  非現実から、現実を生み出すのも思考の役割です。すべて人の頭の中からはじまります。古代インド人は、それを想像といった。それを宇宙のはじまりと対比しました。創造として。人間の意識を、宇宙にそっくりあてはめたのが宇宙意識。インド哲学ではブラフマン。創造原理のことです。すべてそこからはじまる。宇宙の胎として。今も。瞬時、瞬時。

下手すると欲望になって妙なことにならなければいいが。

>  追記
>
>  今「人類の未来」を読んでいますが、頭脳と精神は違うとか、思考を超えたものとか、たびたび不可識な言葉が出てきます。
>  現代学問では、脳から心が生まれるとしている。それでは、ここでの精神とはどういう意味だろうか?一般では精神という言葉は心(マインド)と比べ崇高なイメージがあります。思考は当然脳からだから、頭脳と精神は別だとはどういうことだろう?思考を超えたもの?

心とは思考、感情のことなのですか。それは脳の起こしている過程という事でいいでしょうか?それらを一切含めてマインドと呼ぶという事でしょうか。精神の訳語もマインドですが。


[23938] 無題 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/07(Wed) 17:05  

23935についてコメントを書いたのですが、書き終わったあと、急に携帯電話がかかってきて、あやまって全部消してしまいました。まさに「不注意」。
電話に気をとられて注意がそれてしまいました。又同じことを書けるでしょうか。記憶が頼り。最近,人の名前がすぐに出なくなりました。それでは出かけます。飲み会に。


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