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[23932] Re:[23928] [23924] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/02(Fri) 20:24  

> > 目的、時間について。
> >
> > 実際的・物理的世界において目的と時間はある。空間と時計的時間にまたがる運動がある。
>
>  はい。
> >
> > 心理的に、「〜であるもの」から「〜ありたいもの」を目指す運動がある。
>
>  若者が夢を見る。「〜〜になりたい」「〜〜にあこがれる」。いわば願望。簡単な例。プロ野球選手になりたい。子供の頃そう思いました。長嶋選手にあこがれて。
>  学生は、いい就職にありつけたい。社会に出て成功したい。いい人と巡り会いたい。
>  ナポレオン・ヒルの本に「思考は現実化する」というのがあります。ひと頃「ポスティブシンキング」という本が流行しました。
>  人間どうせ考えるなら、いい方に考えた方がいいです。ポシティブに。
>
> >これは心理的時間の中の運動ですが、「永久運動」の達成と同じく仮想のものです。
>  仮想?ですか。こうありたいが仮想?
>
> >これは心理的思考がもたらしたものと言えるかもしれません。これが人間の暗部、敵かもしれません。
>
>  夢を持つことが暗部?
>  しかし、今の大文明を築いたのは紛れもなく人間の思考では。
>  こうありたい、というのは人間の基本的欲求ではないですか。
>  出世したい、家を持ちたい、課長になりたい、いい嫁さんをもらいというのは、普通のことではないですか。
>  何で、それが何で衝突を呼ぶのでしょうか?それが苦しみ悩みを呼ぶのでしょうか。それがわからない。そういうことと良好な人間関係を築くことは別のことです。

いい嫁さんをもらいたいは普通のようで、嫁さんに、ほかの人が好きになったから離婚してと言われて、かっとして……というふうに夢通りにならないのが普通。夢は仮想。先のことなど分からないが事実。

良好な人間関係もみんなと結ぶことができないで、敵と味方ができたりする。

>  会社の中で、それぞれ与えられた役目の中で、人は動いています。

それで何とかうまくやっていたつもりでいたら、嫁さんに愛想をつかされていたとか。

> >
> > そこで人間の暗部をどうやって晴らすかという、第7章−死にはほとんど意味がない−に入るわけですが、
>
>  人間の暗部?わかりません。お言葉ですが、人間は不完全にできていると思われているようですが、人間そのものは完璧ですよ。コンピューターは人間の能を見本としています。カメラは人間の目を見本としている。この宇宙に不完全なものがあるはずがない。そう思うならそれこそ人間は傲慢。自然に対する畏敬の念もない。自然を支配できるといった奢った発想が、混乱を呼んでいる。大陸に上陸し、原住民を滅ぼしたヨーロッパの列強が悪の権現。イギリス、スペイン。

ええと、始め人間は完璧にできていると言って、終わりでは悪の権化が出てきた。それが人間にある闇なんですが。
ついでに言うと囲碁のAI AlphaGoは5月末中国の第一人者カケツ九段を三番勝負全勝でやぶって囲碁から引退するそうです。今後は医療介護の方面でAIとして検討するとのこと。

> > 憎しみには憎しみを返すのが自然だと多くの人は言います。
>
>  それは自然ではなく、それこそ思考の産物。仕返しの論理。目には目を、歯には歯を。憎しみの連鎖。イスラム対キリスト。1000年戦争。

仕返しは思考の産物なのですね。

> > しかし、憎しみには憎しみで返さないのが自然だと覚者が言います。
>
> 憎しみというのは心理的思考の代表格。
> 動物の世界を見てみましょう。動物は憎しみを持ってるでしょうか。
> 子供がライオンにやられたら、仕返しをする。これは憎しみでしょうか。
> NHKの動物番組をよく見るのですが、子供がライオンに殺されると、たいていの親はあきらめます。もう少し知能の高い象や水牛は、子供が襲われたとき、ライオンに歯向かって行きました。

一般に動物は本能的に子供を守って戦います。これは仕返しではないと私も思います。

> 私がもし仮の話だが、自分の愛する娘がストーカーにあって殺されたら、その犯人を殺します。私は聖人君子ではない。それで死刑になればそれでいい。それが親が思う正直な気持ち。偽善者にはなりたくない。それでは聞こう。何で犯人を殺したらまずいのだろうか。娘が殺されて黙って見てろというのか。たぶん反論があるだろうな。(世界では、そうした悲惨なことが毎日起きている。自爆テロがそう。現場で遭遇した人はいかがばかりか。胸が痛い)

幼い眼で親が惨殺されるのを見た子供が自爆テロを正義と信じて行う事もあろうか。
仕返しは人間独特で思考から出るのだろうか?思考との同一化がやまない限り、仕返しは続くのだろうか。

> > それは区別がそもそもないのだ。区別は闇が作り出すものだ。光と闇の区別などないと覚者は喝破します。
>  たとえば単純な話でライオンとシマウマの区別はあります。親と子の区別もある。区別、区分は必要不可欠。トイレを男女一緒はあり得ない。
>  憎しみと親しみは区別ではなく「対語」(ついご)です。表裏一体。
>  男と女は区別。男の方が女より優るというのは差別。あるいは劣る。心理用語。日本人と朝鮮人は区別。日本人が朝鮮人を見下すのが差別。
>  この差別こそが人類の病根。「個」を尊重する教育が世界にない。白人と黒人は違う。違いの認識。「同じ」人間ではない。「同じ」と思うから「違い」が気になってしまう。

言葉、思考が、長所もあるが病根でもあるという事か。

> >神と人間の区別さえないと。生と死の区別はあるのだろうか、始めと終わりはあるのだろうか?
>  あります。現実に。人間はいつか死ぬ。神をどのようにとらえるかで見解は変わる。神と人間の区別?
>  キリスト教は、神を人間の外に置く。仏教、インド哲学は、神(仏)を人間の内に置く。
>  かの有名なチャップリンは、「独裁者」という映画の中で、神は人間の中にいるといった。はたしてどういう意味か。ラストシーンは今でも鮮やかに蘇る。
>  ラーマクリシュナは、人間は神の化身といった。はたしてどう意味か。
>  アダムスキーは、神とは人間の意識といった。はたして意味は。
>  キリスト教の一派で、内在する神我というように、人間の中に神があるという説をとる宗教もあります。エマーソンではなかったっけ。

上記もみんな思考の産物なのか。動物には当てはまらないように思うが。

> > Kは脳がいったんこの区別などないという感覚を把握したら、もう後戻りすることはないだろうと言います。
>
>  言ってることが今イチわかりません。区別という感覚がなかったらおかしなことになるでしょう。女子トイレに入ったら捕まります。区別がつかなかったでは理由に成らない。

人間にのみある区別。区別は分離とも訳す。
以下記憶は別途やりましょう。話が長くなる。


[23931] Re:[23927] [23925] [23923] 目に見えないものへの確認 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/02(Fri) 18:05  

この問題は私のKに対するスタンスを聞きたいという事でした。もう一度できるだけに簡明に答えます。

> >そうでなく苦しみをぬぐってくれたか、喜びを与えてくれたかが私の注目点です。

これが私のKに対するスタンスです。
副次的には「いったい私は何をしているんだろう」と、その助けになる自分に問い続けていて、その助けが欲しかったです。

>  そういうのはあくまで個人的な問題でしょう。悩み、苦しみから脱するのは様々な方法がある。たとえば念仏すれば救われる。あるいは写経。など
>  一番簡単な方法は「考えた方」を変えるということです。小難しい本はいりません。あなたは、クリシュナムルティの本があっていたということでしょう。それは否定しない。しかし、Kの方法を万人に当てはめることは疑問。
> 座禅、瞑想と言ったことに慣れていない人は不可能。「内面を見る」ということが、普通の人にはわからない。

この苦しみが個人的なものか人類の苦しみなのかわかりませんが、そういう立場から見ていました。その苦しみは姿を変えて付きまといました。最後にもうこれでいいかなと思えて翻訳を終了しました。それ以後基本的に苦悩を抱え込むことはありません。

今はKに関しての、特に「見る」ことについてのしっかりした質問に答えることが一つ。
もう一つは自分の関心や疑問を気の赴くままに書く。
これが今のスタンスです。


[23930] Re:[23926] [23920] [23918] [23917] [23912] [23910] [23909] [23908] [23907] [23906] 目的もしくは目標 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/02(Fri) 14:58  

> > > > > > > > だが上に述べた無意識脳は、表象に目的というような言葉を用いません。天敵を見れば即座の理解と行動があります。
> > > > > > > >
> > > > > > > > ここ(無意識脳?)に人類の危機を知らす必要があるのでしょうか、それとも、意識が人類の危機をまざまざと悟ることが必要なのでしょうか?
> > > > > > >
> > > > > > >
> > > > > > >  無意識脳が危機を感じても、自我意識は大阪城のような堀で防御を鉄壁にしているので、その危機が他人事として感じるようです。「私」さえ安全であれば・・と他人事として人類の危機を二の次とするように感じます。
> > > > > >
> > > > > > 動物的無意識が動き出せば意識は為すすべがないと私は感じていますが、それよりKの言うところが動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるかがが気になります。
> > > > >
> > > > >
> > > > >  クリシュナムルティの陳述を読むときに、>動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるか−−、このような読み方がポイントになるのですね。
> > > >
> > > >
> > > > 無意識なんですが、いつか散歩の途中でドーンというような遠い音を聞きました。私は戦後の南海大地震に遭って、その遠くからの地鳴りのような音を聞いたので、似た音を聞いたときは自然に立ち止まって聞きます。
> > > >
> > > > そのときも立ち止まってしばらく聞いていたのですが、何かわからないけれど心配はなさそうだと思って、また歩き出そうとしたのです。しかし身体は動こうとしません。それで体の様子をじっと見ていると、しばらくして緊張を解いたので散歩を続けました。
> > > >
> > > > そのように無意識をときに感じることがあるのですが、Kを読んでいる時、特に翻訳をしている時は無意識が先に立って読んでいるのを感じていました。
> > > >
> > > > 当時は、無意識について、動物からの(言葉以前の)無意識という観念を持ってはいなかったのですが、今思うとそれは言葉以前の脳の機能と思います。
> > >
> > >
> > >  クリシュナムルティとボームが『時間の終焉』で述べるところの「普遍的精神」が、その無意識に近いのかもしれません。
> > >
> > >  普遍的精神でクリシュナムルティの陳述を聴く。
> >
> > その無意識は人間の開拓した思考を通じて抽象化された概念や知識を理解することができる。
> >
> > これは非常に大きなことかもしれません。これが人間にどう顕現するかわかりませんが。ひょっとすると葛藤の終りがある!?
>
>
>  その無意識が普遍的精神であれば、その普遍的精神と祖父母や父母の普遍的精神との差異はほとんど無いということになるやもしれぬ。
>
>  その普遍的精神は、私を可愛がってくれた祖母の普遍的精神でもあるなら、まさに女神的に私に無償の愛を与えてくれても不思議ではない。
>
>  さらに、人類すべての普遍的精神として繋がっているのならば、永遠不滅の全知全能の神であっても不思議ではない。
>
>
>  太古に、このように普遍的精神を感じた後に、それを継続された観念として保持した人々が居たのかもしれない。
>
>  しかし、クリシュナムルティは、これに対しても刻々に死ぬことを求めている。
>
>  死んで、更に見ること聴くことを介して、新たに普遍的精神に繋がる。
>
>  この、先述の観念として保持するか、捨て去り、刻々に見るのか、この分かれ目において、人類は進路を間違えたのかもしれない。

人間は言語を使いだしてから急速に発展してきましたがまだまだ幼稚で、この先もどんどん発達していくのではないかと思います。
動物から継承している脳の部分はもちろんあり、運動はその太古からの部分が扱っているのだそうです。プロのゴルファーが打つとき、脳のその部分が覚醒して準備しているならナイスショットになるわけですが、そうでないとミスをする。当たり前みたいですが、脳がぼけていた?事は意識できない。しかし今の脳科学は外部からそれを計測できるので失敗するかどうか30秒ぐらい前にわかるらしい。

そのような言葉以前の脳が赤ん坊を世話しているなら頼もしい気もしますが、その太古の脳も初めて生んだ赤ん坊を世話するのはへたくそで、数を踏むと上手になるそうです。そこで慣れた人の手助けと学習が有効でしょうね。

ただ愛は別物でしょうね。培うもののできないもの。しかし、オスはメスを手に入れたとき、その雌の子を殺そうとします。
しかし、オスが性交や生殖を経験するとそうい事が減って、子供をかわいがるようになると。愛を栽培することはできなくとも創造する、あるいはされることは可能なのだろうか?

ここが唯物論が成立するか、しないかのポイントの一つかな。

この最初に表象という言葉を使いましたが、表象はあいまいな言葉で使いにくい代物のようです。もう少しきっちり話す必要がありますが、つまりよくわからない領域のようです。すみませんが、少し宙ぶらりんにしておきましょう。


[23929] Re:[23928] [23924] 無題 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/02(Fri) 10:09  


> > ここまでにします。内容が多いですし、本を直接読まれた方がいいでしょう。
 ここは勘違いしてました。ここで本というのはクリシュナムルティの「時間の終焉」ということのようです。Kの本を直接読んで下さいと。
 私が手元にあるのは、1993年発行の「人類の未来」クルシュナムルティvsデビットボーム対話集。時間の終焉というのはその改訂版なのでしょうか。
訳者渡辺氏は1950年生まれですから、現在67歳。元商社マンのようです。東大理学部物理学科卒。
 相変わらずKの本というのは頭を使う。疲れる。意識、無意識という言葉がひんぱんに出てくる。彼らはどのような意味で使っているのだろうか。
 ボームも物理学者。渡辺氏も物理学出身。はて?精神世界を読み慣れた人間にとって、いささか違和感を覚える。「無意識」の定義がはっきりしない。それと「意識」の意味を他の精神世界の本と比べ真逆にとらえているようだ。現代学問では「無意識」の定義はどうなってるのだろう。それを踏まえて彼らは論議してるのだろうか。それとも訳者の「意訳」がはいっているのだろうか。
 ある賢者は「意識的に生きよ」ということを提唱している。ここではその言葉は通用しない。それと人間の想像力について、彼らはどのようにとらえているのだろうか?単なる空想の産物として切り捨てるのだろうか?




[23928] Re:[23924] 無題 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/01(Thu) 23:44  

> 最近話題が拡散気味なので整理をしましょう。

申し訳ありません。テーマが拡散しました。23927は無視してください。
>
> 目的、時間について。
>
> 実際的・物理的世界において目的と時間はある。空間と時計的時間にまたがる運動がある。

 はい。
>
> 心理的に、「〜であるもの」から「〜ありたいもの」を目指す運動がある。

 若者が夢を見る。「〜〜になりたい」「〜〜にあこがれる」。いわば願望。簡単な例。プロ野球選手になりたい。子供の頃そう思いました。長嶋選手にあこがれて。
 学生は、いい就職にありつけたい。社会に出て成功したい。いい人と巡り会いたい。
 ナポレオン・ヒルの本に「思考は現実化する」というのがあります。ひと頃「ポスティブシンキング」という本が流行しました。
 人間どうせ考えるなら、いい方に考えた方がいいです。ポシティブに。

>これは心理的時間の中の運動ですが、「永久運動」の達成と同じく仮想のものです。
 仮想?ですか。こうありたいが仮想?

>これは心理的思考がもたらしたものと言えるかもしれません。これが人間の暗部、敵かもしれません。

 夢を持つことが暗部?
 しかし、今の大文明を築いたのは紛れもなく人間の思考では。
 こうありたい、というのは人間の基本的欲求ではないですか。
 出世したい、家を持ちたい、課長になりたい、いい嫁さんをもらいというのは、普通のことではないですか。
 何で、それが何で衝突を呼ぶのでしょうか?それが苦しみ悩みを呼ぶのでしょうか。それがわからない。そういうことと良好な人間関係を築くことは別のことです。
 会社の中で、それぞれ与えられた役目の中で、人は動いています。
>
> そこで人間の暗部をどうやって晴らすかという、第7章−死にはほとんど意味がない−に入るわけですが、

 人間の暗部?わかりません。お言葉ですが、人間は不完全にできていると思われているようですが、人間そのものは完璧ですよ。コンピューターは人間の能を見本としています。カメラは人間の目を見本としている。この宇宙に不完全なものがあるはずがない。そう思うならそれこそ人間は傲慢。自然に対する畏敬の念もない。自然を支配できるといった奢った発想が、混乱を呼んでいる。大陸に上陸し、原住民を滅ぼしたヨーロッパの列強が悪の権現。イギリス、スペイン。

> 憎しみには憎しみを返すのが自然だと多くの人は言います。

 それは自然ではなく、それこそ思考の産物。仕返しの論理。目には目を、歯には歯を。憎しみの連鎖。イスラム対キリスト。1000年戦争。

> しかし、憎しみには憎しみで返さないのが自然だと覚者が言います。

憎しみというのは心理的思考の代表格。
動物の世界を見てみましょう。動物は憎しみを持ってるでしょうか。
子供がライオンにやられたら、仕返しをする。これは憎しみでしょうか。
NHKの動物番組をよく見るのですが、子供がライオンに殺されると、たいていの親はあきらめます。もう少し知能の高い象や水牛は、子供が襲われたとき、ライオンに歯向かって行きました。
私がもし仮の話だが、自分の愛する娘がストーカーにあって殺されたら、その犯人を殺します。私は聖人君子ではない。それで死刑になればそれでいい。それが親が思う正直な気持ち。偽善者にはなりたくない。それでは聞こう。何で犯人を殺したらまずいのだろうか。娘が殺されて黙って見てろというのか。たぶん反論があるだろうな。(世界では、そうした悲惨なことが毎日起きている。自爆テロがそう。現場で遭遇した人はいかがばかりか。胸が痛い)
>
> それは区別がそもそもないのだ。区別は闇が作り出すものだ。光と闇の区別などないと覚者は喝破します。
 たとえば単純な話でライオンとシマウマの区別はあります。親と子の区別もある。区別、区分は必要不可欠。トイレを男女一緒はあり得ない。
 憎しみと親しみは区別ではなく「対語」(ついご)です。表裏一体。
 男と女は区別。男の方が女より優るというのは差別。あるいは劣る。心理用語。日本人と朝鮮人は区別。日本人が朝鮮人を見下すのが差別。
 この差別こそが人類の病根。「個」を尊重する教育が世界にない。白人と黒人は違う。違いの認識。「同じ」人間ではない。「同じ」と思うから「違い」が気になってしまう。

>神と人間の区別さえないと。生と死の区別はあるのだろうか、始めと終わりはあるのだろうか?
 あります。現実に。人間はいつか死ぬ。神をどのようにとらえるかで見解は変わる。神と人間の区別?
 キリスト教は、神を人間の外に置く。仏教、インド哲学は、神(仏)を人間の内に置く。
 かの有名なチャップリンは、「独裁者」という映画の中で、神は人間の中にいるといった。はたしてどういう意味か。ラストシーンは今でも鮮やかに蘇る。
 ラーマクリシュナは、人間は神の化身といった。はたしてどう意味か。
 アダムスキーは、神とは人間の意識といった。はたして意味は。
 キリスト教の一派で、内在する神我というように、人間の中に神があるという説をとる宗教もあります。エマーソンではなかったっけ。
>
> Kは脳がいったんこの区別などないという感覚を把握したら、もう後戻りすることはないだろうと言います。

 言ってることが今イチわかりません。区別という感覚がなかったらおかしなことになるでしょう。女子トイレに入ったら捕まります。区別がつかなかったでは理由に成らない。
 脳ほど完璧なものはない。現実には、ほとんど使われないで人間は死ぬ。
 話は変わるが、人間の「記憶」について今だ現代の学問では解明されていない。
 記憶とは何か。生まれて今までのデータはどこに貯蔵されているのだろう  
 か。何が引っ張り出すのだろうか。前世の記憶というものもある。脳を解剖しても、記憶はどこにもない。私たちの細胞一つ一つにも記憶があるという。まさに「意識の座」。記憶が内在している。

> 覚者の言う事がなぜ普通の人に感受されるかというと、覚者の言が明確で確固としているからだそうです。それで感覚が研ぎ澄まされるから。

 覚者の言うことが普通の人に感受されるってどうことですか。普通の人は鈍感なので感受されないのでは。感覚が研ぎすまされるというのは,常日頃思考に頼らない。思考を出しゃばらせない。ニュートラルにする。

 覚者は思考の隙間から常に情報を得ている。神と直結。神との対話。つまり叡智(英知)。そのためいつも思考が静まっている。静寂。なおかつ感覚が鋭敏。
 普通の人間は、思考がいつも騒いでいるので、宇宙からの英知を得ることはない。その上感覚は鈍感。もちろん一般の人でも知らぬ間に得ることは多々あります。ポカンとしてるとき、くつろいでいるとき。本人はそのことに自覚しない。
 古今の教え「汝自身を知れ」と言うのは、そういう意味。汝の思考を静めて神と直結する。それを「沈黙」と称する。「注意」「理解」「静寂」同じ意味。
 荒荒しい湖面は月をとらえることはできない。湖面が静まったとき月(真理)をとらえることができる。湖面に月がよく写る。波が立つと見えない。
>
> ここまでにします。内容が多いですし、本を直接読まれた方がいいでしょう。
 はい。
 エドガー・ケーシー  「超能力の秘密」
 ルドルフ・シュタイナー「神智学入門」
 ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」「生命の科学」「テレパシー」
 ラーマクリシュナ   「不滅の言葉」(コタムリト)
 スワミ・ヴィベーナンダ「生きる秘訣」
 マハリシ・マヘッシュ・ヨーギ「超越瞑想入門」
 スワミ・ヨガナンダ  「ヨガ行者の一生」
 ラマナ・マハリシ   「不滅の意識」
 あとは「ヒマラヤ聖者の探求」「解脱の真理」「神秘学大全」「竜王文庫」三浦関造シリーズ「エメラルドタブレット」「シャンバラ」など。
やはり、インド関係が多いですね。はじめのきっかけは「ヨガによる健康の秘訣」沖正弘著を読んでからです。そこからインドに興味を持ちました。今あげた本は若い時に読みました。最近の本ではやはりエックハルト・トゥールの「ニューアース」が秀逸。
 私が影響を受けた日本の賢人の方々。
 沖正弘 「ヨガ入門」「ヨガ叢書」「ヨガによる病気の治し方」
 内垣日親「仏陀再誕」全3巻「超人世界」
 山口修源「仏陀再現」
 島田明徳「気の輝きに包まれて」「気の意味」「悟りの意味」「タオの教え」
 山本佳人「宇宙意識の哲学的研究」「宇宙につながった日」「生命宇宙論」
 すべて神秘体験(至高体験)を経験した方々です。検索すれば一部のっています。すべてお目にかかっている。内3人は故人。

    


[23927] Re:[23925] [23923] 目に見えないものへの確認 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/01(Thu) 22:27  


> >  あるサイトで、クリシュナムルティは典型的な唯物論者だと評した人がいて驚いたが、そうした人が読むとKは唯物論に思えるのだろうか?
>
> 私は唯物論を知っていると言う気はない。イメージなどいい加減なもの。それゆえこのような問題はへええー、と言って特に考えない。唯物論が正しいかどうかには関心があるけれど、特に今考えるところにはない。

正しいかどうかではありません。単純な話。唯物論は、見に見えないもの、科学で実際に実証されないものは認めないということです。ようするに「モノ」がすべて。人間の心も「モノ」ととらえる。思考はエネルギー。対極が唯心論。それは宗教の世界。すべての現象は心の影」。いずれも極論。もう一つ「唯識論」というのがある。
>
> >  神秘体験とは、たんなる「てんかん」の一種だとは。何をいわんや。
>
> 私はそれをうんぬんする医学的素養がない。

医学的教養は無関係。神秘体験を検索すればいくらでも出てくる。至高体験。宇宙体験。それぞれ呼び名は違うが。

> Kのプロセスなど多くの人が見て知っているらしいよ。

Kの側近のことですか。側近が身近でKのプロセスを見てると。その辺のいきさつは「ノートブック」に詳実されている。この現象はK特有のものらしい。神秘体験の類は無数の人が体験している。

> 脳外科医は意識のない人を死亡と認定するのにすごく神経を使うらしい。数か月、あるいは1年たって意識が戻る場合があるから。実際にわからないときは根気よく待つんだそうだ。

 意識の「ある」「ない」について。おっしゃることは脳死のことでしょうか。脳は死んでいるが、体は正常な状態。いわば植物人間。
 この場合、回復の見込みはないので、酸素呼吸器は、はずすのがその人のためではないだろうか。いたずらに延命を願うのは医療費がかさむ。だから「安楽死」の問題が出てくる。
 それで意識があるないについてですが、普通人が亡くなったとき、医者は「意識がありません」あるいは「意識」がなくなりました。ご臨終ですと、いわないだろうか。この場合の意識とは、「生命」を指すのは明白です。
 日常で、「意識を失う」というのは、脳しんとうを起こしたとき、頭をうったとき、つまり失神。それを意識がないと言う。しかし、体は生きている。
 このように意識という言葉は様々な意味として使う。時には矛盾した概念として。たとえば脳死は意識があるのだろうか。ないのだろうか。意識はないが生きている。
 普段の日常では、何か特別なものに関心が生じた状態が、意識的になる状態。意識過剰というのは、自分というものを意識しすぎてしまう。
 そこで、よくKの本でも、ここの掲示板でも「無意識」という言葉が出てくる。本当の意味を理解されているのだろうか。
 無意識とは自分を特に意識していないことなのか、あるいは眠っている状態なのか。それ以外の意味なのかが明確ではない。私は、いちいち意識して行動していない。これは無意識なのだろうか?あるいは表面に現れていない意識?これほどわからぬ言葉はない。
>

> あなたは今持っている価値観やイメージから簡単にそう言えるし、疑わない。
 価値感やイメージからいってるのではありません。紛れもなく事実です。

>私は結果の出る世界に育っているから軽々に言えない。そこに差があると思う。
 結果の出る世界?
>
> 神智学の教義や組織、ブラフマンという哲学用語について調査熟考したことは、私はないが、失礼ながらあなたはどうなのかと思う。

真理の探求は、その手の求道者のまかせておけばいい。何なら何冊か紹介しましょうか。例えば山口修源の「仏陀再誕」は、けた違い。といってあなたにはまったく関心ないようだ。現代の学問のほうがいいらしい。

>そうでなく苦しみをぬぐってくれたか、喜びを与えてくれたかが私の注目点です。
 そういうのはあくまで個人的な問題でしょう。悩み、苦しみから脱するのは様々な方法がある。たとえば念仏すれば救われる。あるいは写経。など
 一番簡単な方法は「考えた方」を変えるということです。小難しい本はいりません。あなたは、クリシュナムルティの本があっていたということでしょう。それは否定しない。しかし、Kの方法を万人に当てはめることは疑問。
座禅、瞑想と言ったことに慣れていない人は不可能。「内面を見る」ということが、普通の人にはわからない。


[23926] Re:[23920] [23918] [23917] [23912] [23910] [23909] [23908] [23907] [23906] 目的もしくは目標 投稿者:宮啓 投稿日:2017/06/01(Thu) 19:17  

> > > > > > > だが上に述べた無意識脳は、表象に目的というような言葉を用いません。天敵を見れば即座の理解と行動があります。
> > > > > > >
> > > > > > > ここ(無意識脳?)に人類の危機を知らす必要があるのでしょうか、それとも、意識が人類の危機をまざまざと悟ることが必要なのでしょうか?
> > > > > >
> > > > > >
> > > > > >  無意識脳が危機を感じても、自我意識は大阪城のような堀で防御を鉄壁にしているので、その危機が他人事として感じるようです。「私」さえ安全であれば・・と他人事として人類の危機を二の次とするように感じます。
> > > > >
> > > > > 動物的無意識が動き出せば意識は為すすべがないと私は感じていますが、それよりKの言うところが動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるかがが気になります。
> > > >
> > > >
> > > >  クリシュナムルティの陳述を読むときに、>動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるか−−、このような読み方がポイントになるのですね。
> > >
> > >
> > > 無意識なんですが、いつか散歩の途中でドーンというような遠い音を聞きました。私は戦後の南海大地震に遭って、その遠くからの地鳴りのような音を聞いたので、似た音を聞いたときは自然に立ち止まって聞きます。
> > >
> > > そのときも立ち止まってしばらく聞いていたのですが、何かわからないけれど心配はなさそうだと思って、また歩き出そうとしたのです。しかし身体は動こうとしません。それで体の様子をじっと見ていると、しばらくして緊張を解いたので散歩を続けました。
> > >
> > > そのように無意識をときに感じることがあるのですが、Kを読んでいる時、特に翻訳をしている時は無意識が先に立って読んでいるのを感じていました。
> > >
> > > 当時は、無意識について、動物からの(言葉以前の)無意識という観念を持ってはいなかったのですが、今思うとそれは言葉以前の脳の機能と思います。
> >
> >
> >  クリシュナムルティとボームが『時間の終焉』で述べるところの「普遍的精神」が、その無意識に近いのかもしれません。
> >
> >  普遍的精神でクリシュナムルティの陳述を聴く。
>
> その無意識は人間の開拓した思考を通じて抽象化された概念や知識を理解することができる。
>
> これは非常に大きなことかもしれません。これが人間にどう顕現するかわかりませんが。ひょっとすると葛藤の終りがある!?


 その無意識が普遍的精神であれば、その普遍的精神と祖父母や父母の普遍的精神との差異はほとんど無いということになるやもしれぬ。

 その普遍的精神は、私を可愛がってくれた祖母の普遍的精神でもあるなら、まさに女神的に私に無償の愛を与えてくれても不思議ではない。

 さらに、人類すべての普遍的精神として繋がっているのならば、永遠不滅の全知全能の神であっても不思議ではない。


 太古に、このように普遍的精神を感じた後に、それを継続された観念として保持した人々が居たのかもしれない。

 しかし、クリシュナムルティは、これに対しても刻々に死ぬことを求めている。

 死んで、更に見ること聴くことを介して、新たに普遍的精神に繋がる。

 この、先述の観念として保持するか、捨て去り、刻々に見るのか、この分かれ目において、人類は進路を間違えたのかもしれない。


[23925] Re:[23923] 目に見えないものへの確認 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/01(Thu) 16:15  

>  前置きが長くなったが、お聞きしたいのは、あなたはあくまで科学者や物理学者の立ち場からクリシュナムルティを読んでいるのだろうか?

私は理系の一介の技術者に過ぎず、科学者とかの気持ちは知りません。
クリシュナムルティを読んだのは人生の成り行きで、若造なのに過重な責任を負う羽目になってひどく苦しかったからです。

>  こう聞くのは、いつも食い違うので、あらためてお聞きした次第。失礼ながらあなたのスタンスをお聞きしたい。
>  クリシュナムルティを読む人はもちろん精神世界畑の人であり、その中で仏教から人が多いようです。そうなると宗教に興味なく、物理畑の人がKを読むと、当然違ったとらえ方になる。

そうですね、そういう目では精神世界の本は割合読んでいたけれど何せ素人で、Kを裸の目で読んだというのが近いかもしれない。

>  あるサイトで、クリシュナムルティは典型的な唯物論者だと評した人がいて驚いたが、そうした人が読むとKは唯物論に思えるのだろうか?

私は唯物論を知っていると言う気はない。イメージなどいい加減なもの。それゆえこのような問題はへええー、と言って特に考えない。唯物論が正しいかどうかには関心があるけれど、特に今考えるところにはない。

>  神秘体験とは、たんなる「てんかん」の一種だとは。何をいわんや。

私はそれをうんぬんする医学的素養がない。

>  生きた人間と死んだ人間。何が違うのかが明確なように、「命」があるないか。その命の働きは、目に見えないものであり、顕微鏡で見ても「ない」。それはモノではなく働き。俗に言う「自然治癒力」。それは目に見えないからと言って、あるとかないとか,信じるとか信じないというはなしではありません。現にこうして生きているわけだから。事実として。正確にいうと生かされている。昔からこうした働きを喝破した人は、それに対し「畏敬の念」を抱いたきたというわけです。神と呼ぼうが仏と呼ぼうが単なる呼び名。神社仏閣というのは形として顕したもの。

Kのプロセスなど多くの人が見て知っているらしいよ。
脳外科医は意識のない人を死亡と認定するのにすごく神経を使うらしい。数か月、あるいは1年たって意識が戻る場合があるから。実際にわからないときは根気よく待つんだそうだ。

>  最大の疑問はクルシュナムルティ。彼は神智学の教育を受けながら、真逆に転じ、神や仏、あるいはブラフマンを人間の思考の産物と表現した。これでは唯物論者といわれても仕方なく、神社、お寺の関係者から総スカンを食うだろう。今イチ日本人にあわないところがここにある。日本人の心には昔から仏教文化が根ついている。生活にも。死者をたむらい毎日お祈りをする。チーンと。

あなたは今持っている価値観やイメージから簡単にそう言えるし、疑わない。私は結果の出る世界に育っているから軽々に言えない。そこに差があると思う。

神智学の教義や組織、ブラフマンという哲学用語について調査熟考したことは、私はないが、失礼ながらあなたはどうなのかと思う。そうでなく苦しみをぬぐってくれたか、喜びを与えてくれたかが私の注目点です。


[23924] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/01(Thu) 14:22  

最近話題が拡散気味なので整理をしましょう。

目的、時間について。

実際的・物理的世界において目的と時間はある。空間と時計的時間にまたがる運動がある。

心理的に、「〜であるもの」から「〜ありたいもの」を目指す運動がある。これは心理的時間の中の運動ですが、「永久運動」の達成と同じく仮想のものです。これは心理的思考がもたらしたものと言えるかもしれません。これが人間の暗部、敵かもしれません。

そこで人間の暗部をどうやって晴らすかという、第7章−死にはほとんど意味がない−に入るわけですが、
憎しみには憎しみを返すのが自然だと多くの人は言います。
しかし、憎しみには憎しみで返さないのが自然だと覚者が言います。

それは区別がそもそもないのだ。区別は闇が作り出すものだ。光と闇の区別などないと覚者は喝破します。神と人間の区別さえないと。生と死の区別はあるのだろうか、始めと終わりはあるのだろうか?

Kは脳がいったんこの区別などないという感覚を把握したら、もう後戻りすることはないだろうと言います。
覚者の言う事がなぜ普通の人に感受されるかというと、覚者の言が明確で確固としているからだそうです。それで感覚が研ぎ澄まされるから。

ここまでにします。内容が多いですし、本を直接読まれた方がいいでしょう。


[23923] 目に見えないものへの確認 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/01(Thu) 11:13  

 一般の人の大部分というのは学校から教えられた科学を信じており、目に見えない話をしようとするものなら、それは迷信だといってとりあわない。とくに医学を信じている人がほとんど。たとえば、癌が利くものを紹介しようとしてもとりあわない。医者を信じているので。お医者様を信じ、様々な治療法をやってみたが一向に改善しない。最後にわらをつかむ思いで、やっと民間療法を考える。というのがほとんど。ごく一部医者を信じない人がたまにいる。現代医学というのは原因を追及せず、現象面に現れた物だけを対象にするから、治るわけはない。切ったはったの技術の世界。物理学も現象にあらわれたものだけ。何故そうなるかの何故がない。
 心の問題もそうです。一般ではそういったことが話題にあがることはない。私の身の回りでもそういった話は出ない。何らかの宗教をやっている人がそういった話題を出すのみ。心の悩みがあれば心理カウンセラーへなる。
 そうした心理を扱う学問でも、唯物論が基礎となっているので、真の解決は得られない。しかし、反面宗教で救われたという話を何度も聞くが、それは何故なのだろうか。

 そこでお聞きしたい。あなたは見に見えないものを信じない唯物論の方なのだろうか。こちこちの科学信仰ということか。というのは、一向に議論がかみあわないからです。科学とはご承知のように、現象を追う学問です。たとえば電気。目に見えないものでも、実証されれば認められる。それは「あるもの」として。中医学で扱う「気」は、現代科学では「迷信」。鍼灸気功など。
 心はどうか。意識とは。それらは電気のように実証されるものなのだろうか。アメリカで研究がさかんなようだが。
 医学や科学、物理というのは、権威主義の象徴であり、前例のないものは一蹴する。異端を認めない世界。

 前置きが長くなったが、お聞きしたいのは、あなたはあくまで科学者や物理学者の立ち場からクリシュナムルティを読んでいるのだろうか?
 こう聞くのは、いつも食い違うので、あらためてお聞きした次第。失礼ながらあなたのスタンスをお聞きしたい。
 クリシュナムルティを読む人はもちろん精神世界畑の人であり、その中で仏教から人が多いようです。そうなると宗教に興味なく、物理畑の人がKを読むと、当然違ったとらえ方になる。
 あるサイトで、クリシュナムルティは典型的な唯物論者だと評した人がいて驚いたが、そうした人が読むとKは唯物論に思えるのだろうか?
 神秘体験とは、たんなる「てんかん」の一種だとは。何をいわんや。

 生きた人間と死んだ人間。何が違うのかが明確なように、「命」があるないか。その命の働きは、目に見えないものであり、顕微鏡で見ても「ない」。それはモノではなく働き。俗に言う「自然治癒力」。それは目に見えないからと言って、あるとかないとか,信じるとか信じないというはなしではありません。現にこうして生きているわけだから。事実として。正確にいうと生かされている。昔からこうした働きを喝破した人は、それに対し「畏敬の念」を抱いたきたというわけです。神と呼ぼうが仏と呼ぼうが単なる呼び名。神社仏閣というのは形として顕したもの。
 最大の疑問はクルシュナムルティ。彼は神智学の教育を受けながら、真逆に転じ、神や仏、あるいはブラフマンを人間の思考の産物と表現した。これでは唯物論者といわれても仕方なく、神社、お寺の関係者から総スカンを食うだろう。今イチ日本人にあわないところがここにある。日本人の心には昔から仏教文化が根ついている。生活にも。死者をたむらい毎日お祈りをする。チーンと。


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