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[23917] Re:[23912] [23910] [23909] [23908] [23907] [23906] 目的もしくは目標 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/31(Wed) 18:27  

> > > > だが上に述べた無意識脳は、表象に目的というような言葉を用いません。天敵を見れば即座の理解と行動があります。
> > > >
> > > > ここ(無意識脳?)に人類の危機を知らす必要があるのでしょうか、それとも、意識が人類の危機をまざまざと悟ることが必要なのでしょうか?
> > >
> > >
> > >  無意識脳が危機を感じても、自我意識は大阪城のような堀で防御を鉄壁にしているので、その危機が他人事として感じるようです。「私」さえ安全であれば・・と他人事として人類の危機を二の次とするように感じます。
> >
> > 動物的無意識が動き出せば意識は為すすべがないと私は感じていますが、それよりKの言うところが動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるかがが気になります。
>
>
>  クリシュナムルティの陳述を読むときに、>動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるか−−、このような読み方がポイントになるのですね。


無意識なんですが、いつか散歩の途中でドーンというような遠い音を聞きました。私は戦後の南海大地震に遭って、その遠くからの地鳴りのような音を聞いたので、似た音を聞いたときは自然に立ち止まって聞きます。

そのときも立ち止まってしばらく聞いていたのですが、何かわからないけれど心配はなさそうだと思って、また歩き出そうとしたのです。しかし身体は動こうとしません。それで体の様子をじっと見ていると、しばらくして緊張を解いたので散歩を続けました。

そのように無意識をときに感じることがあるのですが、Kを読んでいる時、特に翻訳をしている時は無意識が先に立って読んでいるのを感じていました。

当時は、無意識について、動物からの(言葉以前の)無意識という観念を持ってはいなかったのですが、今思うとそれは言葉以前の脳の機能と思います。


[23916] Re:[23911] 継続の終了 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/05/31(Wed) 18:08  

続き

> このところ、思考の持つ目的とそれを目指しての継続が、現状を見ると、止まるとも思えないという話をしてきました。
>
> これをどうすればよいかは「時間の終焉」の第6章(洞察は脳細胞に変容をもたらすことができるかどうか?)から始まっていて、非常に興味あることが論じられています。
>
> まず洞察というのはKは別として人はよくわからないので論議が進められません。
>
> それで人間の暗黒の一つとして憎しみが出てきて、愛や洞察には原因と結果がないが、憎しみにはそれがあるという事が取り上げられました。つまり、継続、時間があるという事です。
>
> ここで洞察が一瞬にして無知を晴らすとか、それはどうやって起こるかとかが言われますが、どうやっては禁句ですから行き詰ります。

 Kは洞察という言葉を、どのように使っているのだろうか。
>
> そして、人が愛を持つのは自然なことではないのだろうか、憎しみに憎しみで返さないことは自然のことではないのか、人が洞察を持つのは自然のことではないのか?

 愛イコール洞察?ですか。

> これらは覚者には自然のことであるのだがとKが言います。

 覚者には自然、凡人は不自然?
>
> この辺で話は第7章に移りますが、私はまだよく読めていません。
>
> 私はここが急所で、育つ環境が因果を培うか、気づきを与えるかの相違ではないかと思います。

 環境?

> 気づきを与えるという事は子供が無意識にやったことの幼稚さ、無知さ、非道さを言葉・観念でなく子供が感じるという事です。
> 子供の素質については、今までのところ覚者も人間の両親から生まれたことに差はないという事が言われています。

イエスは幼子のようにならなければ真理はつかめないといいます。つまり白紙になれと。
>
> 余計なことを書いたかもしれませんが、とても面白く読んだのであしからず。

 余談 
 テレビで「昼顔」という不倫ドラマを見ていた。
 何一つ不自由なく平凡な暮らしをしている旦那が、突然奥さんから「好きな人が出来たから家から出ていきます」といわれたらどうだろう。
 それを聞いた旦那の気持ちは?
 一瞬はらわたが煮えくり返るのだろうか。その奥さんにこう尋ねる。何の不満があってそうなるのか。妻曰く「好きなものは好き」これでは旦那は立つ瀬がない。これはあくまでドラマであり、そんなことはないとたいていの人はいうだろう。ウチ(家)はありえない。だから一笑に伏してKを読み、そこで愛を論じあう。愛とは?洞察とは?なんて。あくまでそれは他人事。
 自分の奥さんが不倫するのは対岸の火事か。ありえない。しかし、本を読んで愛や哲学談義をするのも結構だが、実際にそういうことになったらどうふるまうのだろうか。そのことを検討することの方が重要ではないだろうか。自分の奥さんが不倫なんてありえないとは言わずにだ。若い時に回帰してもし?
 この議題は愛、憎しみ、洞察など、検討する意味で恰好の材料だろう。
 自分の奥さんから告白される。「好きな人ができた」
 そこで、洞察とは、見るとは。
 優等生の答えは、まず話を聞く。腹を立てずなるべく冷静を装う。一時の恋煩いのせいもあり、ほとぼりが過ぎれば醒める可能性もある。それでしばらく身守る。それではドラマにならないので、妻は真剣に愛しているという設定。
 凡人は血相かえて怒る。「今まで誰が食わしてやってるんだ」という決まり文句。修羅のはじまり。


[23915] Re:[23911] 継続の終了 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/05/31(Wed) 10:51  

 継続の終了
 この題名を見て一瞬この掲示板の終了かと思いましたが、以下を読んでそうではなかったようです。

 「自我の終焉」というのは、Kの本の題名ですが、それでは「終焉」というのは、いったいどういう意味なのか。はっきり明確な人はそうはいないのではないだろうか。思考の終焉とか。「終わる」というのはどういうことか。Kは瞬間瞬間死ねと言っている。明日に持ち越すな、という意味だろうか。ようするに明日にひきづらない。たとえば肉親が突発事故にあっても明日は忘れろと。

 この掲示板は,いつか「終わる」。その終わりとどう違うのか。



[23914] Re:[23905] [23903] [23902] [23901] [23895] [23892] [23890] [23886] 見るに入る 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/05/31(Wed) 10:41  


> 個別精神というのは人間における個々の個体が持っている条件づけられた精神です。だから一人一人違う。

 一人一人見方感じ方考え方が違う。それを「個性」と呼ぶかはわかりません。夫婦兄弟有人皆違う。それが当たり前。「個」の尊重。
 しかし、現実は違う。その「違い」を認識せずに、人に対し自分と「同じもの」を強要する。
 たとえば人は、同じ趣味の人をみつけるだろう。その方が話があう。趣味が違う人とは、話があわないように思える。そこがトリック。その人はそれだけで永遠に没交渉。理解とは、趣味、指向の違う人を理解することにある。そうなると長続きする。相互理解。
 現実の世界は「異文化」を嫌う。はてしない対立。身近でも「男」と「女」というだけで対立を呼ぶ。同じ人間。それぞれ役目が違うだけなのに。いじめの元凶はそこ「異」を嫌う。

> 普遍的精神はその(心理的)条件付けがない、したがって個別性(平たく言えば利己性)がない精神です。個別の事柄には利己意識でなく英知で対応する精神です。

 凡人と覚者とわけてしまえばわかりやすいですが、それだと「何か」を取り見逃す嫌いがあります。一般の人の間でも、それぞれの分野で英知で対応する人は、いくらでもいらっしゃる。Kを知らずとも。
 その一つの例。
 最近,ある人から勧められた「ユダヤ人大富豪の教え」にはいたく感銘を受けた。ここでいわれていることは賢人のいってることと同じ。真の金持ちとは
欲得を捨て、邪心を捨て、ものがその存在にありのままに見ること。物事の本質を見抜く目を見ることとある。結果はあとからついてくる、と。(詳細は省略)いくら金持ちでも、時間の自由がなければ、本当の自由ではない。たとえば会社を経営するというのは、きこえがいいが、ほとんどそのことに時間を費やれる。お金を稼ぐことと、増やすこととは違う。
>
> > >
> > > >  ですから,目的、動機なしに生きている人はいない。
> >
> > > > そう、ほとんどの人が個別的に見ていますね。

 その個別的とは心理的条件づけのことですか。いわば利己性。
> >
> >  個別的ってどういう意味ですか。目的や動機を持つことが個別的ですか。釣りや囲碁をやっておられようですが、当然それをやる「動機」がある。
> >  まさか目的もなく動機もなく、釣りをやっているとはいわないでしょうね。
> > 「うまくなりたい」というのは立派な動機です。違いますか。
>
> 個別性とは利己性といった方がわかりますか。「私個人」という事がついてまわることです。
> 釣りに行くとき、自分がうまくなりたいとか、人に負けずに釣りたいとか、自分の健康維持のために行こうとか。

 それでいいのではないですか。はじめはです。

> ただ行き、無心で釣る。意識していないけれど充実した今がある。究極の意識されない悦び。

 だんだんやっていくうちに、奥義を究めたいとか、本質を求めたいということになります。「道」とはそういうことです。

> 日本人は剣術と言わずに剣道といって、その境地にある人を名人と称した。

 きっかけは些細な動機何でもいいです。段々進むうち、道を究めたいとなる。
 これはすべての分野でも共通でしょう。クリシュナムルティの本でも、はじめに関心もたなければ人は読みません。
>

> >  目的動機の話から、何でこんな話になるのですか。
>
> 目的、動機は思考の創作物ではないかと言っています。

 そうとは限らないでしょう。朝、散歩したいのは、思考の創作ですか?「内面」あるいは体からの欲求です。
 真から望むものと、思考からの願望とは違います。一体何をしたいのか、真から自分(の心)に尋ねるしかない。何をしたいのか。
 人はそうすることをせず、ただ思考やイメージで動いているがほとんどです。今あるのは「思いどうり」の結果。思いどうりにいかないというのは、ありえない。思いどうりに生きてきたのが,今の実際の現実。それを選択したのだから、人生思いドウリいかなかったというのは嘘。
>

> 目的や動機は言葉ができて初めて生じたのではないだろうかと言っています。思考の創作物。

 その考えにくみしません。大いに疑問です。Kがそういっているからですか。動植物は言葉がなくても目的を遂行しています。彼らのやることは「固体の維持と種の保存」のみ。神から与えられた目的。
 人間も同じです。しかし人間は神から「言葉」を与えられました。それによって脅威の文明を持ちました。両刃の剣として。しかし、人間は言葉の使い方が今もって「今イチ」。宝の持ち腐れです。
 それと「生きる」ということは根本的な欲求があるということです。あらゆる生命において。

 ここまで。目的と動機については、まだ言い足らないようです。目的と動機を持つとエゴにつながるといたいのでしょうか?あるいは利己性だと。




[23913] Re:[23911] 継続の終了 投稿者:宮啓 投稿日:2017/05/30(Tue) 19:49  

> このところ、思考の持つ目的とそれを目指しての継続が、現状を見ると、止まるとも思えないという話をしてきました。
>
> これをどうすればよいかは「時間の終焉」の第6章(洞察は脳細胞に変容をもたらすことができるかどうか?)から始まっていて、非常に興味あることが論じられています。
>
> まず洞察というのはKは別として人はよくわからないので論議が進められません。
>
> それで人間の暗黒の一つとして憎しみが出てきて、愛や洞察には原因と結果がないが、憎しみにはそれがあるという事が取り上げられました。つまり、継続、時間があるという事です。
>
> ここで洞察が一瞬にして無知を晴らすとか、それはどうやって起こるかとかが言われますが、どうやっては禁句ですから行き詰ります。
>
> そして、人が愛を持つのは自然なことではないのだろうか、憎しみに憎しみで返さないことは自然のことではないのか、人が洞察を持つのは自然のことではないのか?
> これらは覚者には自然のことであるのだがとKが言います。
>
> この辺で話は第7章に移りますが、私はまだよく読めていません。
>
> 私はここが急所で、育つ環境が因果を培うか、気づきを与えるかの相違ではないかと思います。
> 気づきを与えるという事は子供が無意識にやったことの幼稚さ、無知さ、非道さを言葉・観念でなく子供が感じるという事です。
> 子供の素質については、今までのところ覚者も人間の両親から生まれたことに差はないという事が言われています。


 クリシュナムルティが述べるには、子供の教育は若ければ若いほど良い旨が述べられています。

 条件付けが強まって(年齢が高くなって)再教育することは、より手間暇がかかるようです。

 育つ環境において条件付けが少ない方が覚者の話が通じやすいのでしょう。

 育つ環境が逆境か順風か、守られているかいないか、愛情に満ちているのか否か・・には関わらず、条件付けが多いか少ないか!これは大きいということですね。


[23912] Re:[23910] [23909] [23908] [23907] [23906] 目的もしくは目標 投稿者:宮啓 投稿日:2017/05/30(Tue) 19:37  

> > > だが上に述べた無意識脳は、表象に目的というような言葉を用いません。天敵を見れば即座の理解と行動があります。
> > >
> > > ここ(無意識脳?)に人類の危機を知らす必要があるのでしょうか、それとも、意識が人類の危機をまざまざと悟ることが必要なのでしょうか?
> >
> >
> >  無意識脳が危機を感じても、自我意識は大阪城のような堀で防御を鉄壁にしているので、その危機が他人事として感じるようです。「私」さえ安全であれば・・と他人事として人類の危機を二の次とするように感じます。
>
> 動物的無意識が動き出せば意識は為すすべがないと私は感じていますが、それよりKの言うところが動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるかがが気になります。


 クリシュナムルティの陳述を読むときに、>動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるか−−、このような読み方がポイントになるのですね。



[23911] 継続の終了 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/30(Tue) 16:25  

このところ、思考の持つ目的とそれを目指しての継続が、現状を見ると、止まるとも思えないという話をしてきました。

これをどうすればよいかは「時間の終焉」の第6章(洞察は脳細胞に変容をもたらすことができるかどうか?)から始まっていて、非常に興味あることが論じられています。

まず洞察というのはKは別として人はよくわからないので論議が進められません。

それで人間の暗黒の一つとして憎しみが出てきて、愛や洞察には原因と結果がないが、憎しみにはそれがあるという事が取り上げられました。つまり、継続、時間があるという事です。

ここで洞察が一瞬にして無知を晴らすとか、それはどうやって起こるかとかが言われますが、どうやっては禁句ですから行き詰ります。

そして、人が愛を持つのは自然なことではないのだろうか、憎しみに憎しみで返さないことは自然のことではないのか、人が洞察を持つのは自然のことではないのか?
これらは覚者には自然のことであるのだがとKが言います。

この辺で話は第7章に移りますが、私はまだよく読めていません。

私はここが急所で、育つ環境が因果を培うか、気づきを与えるかの相違ではないかと思います。
気づきを与えるという事は子供が無意識にやったことの幼稚さ、無知さ、非道さを言葉・観念でなく子供が感じるという事です。
子供の素質については、今までのところ覚者も人間の両親から生まれたことに差はないという事が言われています。

余計なことを書いたかもしれませんが、とても面白く読んだのであしからず。


[23910] Re:[23909] [23908] [23907] [23906] 目的もしくは目標 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/29(Mon) 21:22  

> > レス傾聴しました。以下全体がとてもよくわかります。
> > それに対して、少し私の視点を追加して検討したいと思います。
> >
> > >  社会や人類としての前進。
> > >
> > >  これを希求すると、目的もしくは目標となるのではなかろうか・・。
> > >
> > >  思考がある限り、人は目的もしくは目標を保持するのではなかろうか‥。
> >
> > そうでしょうね。ちょっとやそっとではそこから出ることができない。
> >
> > しかしこれは人間が言葉を使うようになってからの機能で、その前に動物でも持っている脳の機能があります。カエルや猫などでのえさの認知、捕食と捕食行動、その習得など。もちろん肉体の管理にも脳は関与していて、生理系が無意識的に処理されていても脳が働いています。
> > このような意識系以前で働いている脳はいわばアナログ処理でスピードが速いのです。意識系は言葉系に変換するのでスピードが遅いのではないかな。
> >
> > それで、例えば多くのことが熟練すれば無意識的に、早く正確にできます。
> >
> > ここはどう動くのでしょうか?
>
>
>  言葉とイメージと感情。言葉にはイメージと感情が含まれているようです。そしてイメージ・感情を含めた言葉の記憶。言葉で綴られた知識(既知のもの)。これらが継続を希求するようです。

ここでの感情はいわゆる人間らしい感情ですね。

>  時間の終焉、自我の終焉、既知のものからの自由。
>
>  但し、時間の中で、自我の中で、既知のものの中で、無意識も働いているようです。

はい。この無意識は意識のうち、普段表面に現れない意識のことですね。

ほかに動物にもある情動、えさを見つけたときの興奮や敵を見つけた時の興奮のような短期的なものがあります。ここの部分はもちろん人間にもあり、それと人間の意識との関係は多くの人にとって不明確な部分です。

>
> > >  思考がある限り、人は生まれ変わりを欲し、あの世を欲し、すなわち継続を欲する。
> > >
> > >  そして、思考の除去を希求するがゆえに、目的もしくは目標を有する。
> > >
> > >  しかし、現にあるものとして、それは避けられないように見える。
> > >
> > >  その避けられないものと共に、死にゆき、生きゆく。
> >
> > 確かに現にあるものとして、それは避けられないように見えます。
> >
> > だが上に述べた無意識脳は、表象に目的というような言葉を用いません。天敵を見れば即座の理解と行動があります。
> >
> > ここ(無意識脳?)に人類の危機を知らす必要があるのでしょうか、それとも、意識が人類の危機をまざまざと悟ることが必要なのでしょうか?
>
>
>  無意識脳が危機を感じても、自我意識は大阪城のような堀で防御を鉄壁にしているので、その危機が他人事として感じるようです。「私」さえ安全であれば・・と他人事として人類の危機を二の次とするように感じます。

動物的無意識が動き出せば意識は為すすべがないと私は感じていますが、それよりKの言うところが動物的無意識に届いているか、届くように読んでいるかがが気になります。

それから深い溝は、変容とか、自我の終焉とかが継続に対する押し付け・妨害・束縛と感じられ、抵抗、反発を生むのではないかと思っています。

>
> > 昨日NHKスペシャルで、南スーダンを初めてするPKOの状況を見ました。かなり良くオランダの状況を交えてまとめてありますが、なぜこれほどの民族紛争が起こるかには触れていません。
> > 情報はどうしても断片的です。全体を見るという事は実際にはまだまだとても難しいという事でしょうか?
>
>
>  大阪城の堀の外に全体を見ているように思います。
>
>  堀の内側に様々なイベントや建造物をこしらえ、有意義さを醸しだし、意味のある人生をあくせくとこしらえている自我意識は、堀の外の危機は他人事であり、二の次のようです。

そうですか。私は理性的に見ている気がしました。つまり非難も正当化もなしに。そして報道することがその道の人にできることかなと思います。
しかし、民族間の紛争を動画で表すのは、取材もとても困難なのだろうと思います。番組の時間もあるだろうし。

>
>  教育を変えることなく、堀を自ら埋める社会(多くの個人)を醸し出すことは可能でしょうか。
>
>  百人中、百人が時間の中に生きている教師達の中で、堀を自ら埋める生徒が出てくることは可能でしょうか。

混沌の中には新生の芽もないとも言い切れません。


[23909] Re:[23908] [23907] [23906] 目的もしくは目標 投稿者:宮啓 投稿日:2017/05/29(Mon) 16:08  

> レス傾聴しました。以下全体がとてもよくわかります。
> それに対して、少し私の視点を追加して検討したいと思います。
>
> >  社会や人類としての前進。
> >
> >  これを希求すると、目的もしくは目標となるのではなかろうか・・。
> >
> >  思考がある限り、人は目的もしくは目標を保持するのではなかろうか‥。
>
> そうでしょうね。ちょっとやそっとではそこから出ることができない。
>
> しかしこれは人間が言葉を使うようになってからの機能で、その前に動物でも持っている脳の機能があります。カエルや猫などでのえさの認知、捕食と捕食行動、その習得など。もちろん肉体の管理にも脳は関与していて、生理系が無意識的に処理されていても脳が働いています。
> このような意識系以前で働いている脳はいわばアナログ処理でスピードが速いのです。意識系は言葉系に変換するのでスピードが遅いのではないかな。
>
> それで、例えば多くのことが熟練すれば無意識的に、早く正確にできます。
>
> ここはどう動くのでしょうか?


 言葉とイメージと感情。言葉にはイメージと感情が含まれているようです。そしてイメージ・感情を含めた言葉の記憶。言葉で綴られた知識(既知のもの)。これらが継続を希求するようです。

 時間の終焉、自我の終焉、既知のものからの自由。

 但し、時間の中で、自我の中で、既知のものの中で、無意識も働いているようです。


> >  思考がある限り、人は生まれ変わりを欲し、あの世を欲し、すなわち継続を欲する。
> >
> >  そして、思考の除去を希求するがゆえに、目的もしくは目標を有する。
> >
> >  しかし、現にあるものとして、それは避けられないように見える。
> >
> >  その避けられないものと共に、死にゆき、生きゆく。
>
> 確かに現にあるものとして、それは避けられないように見えます。
>
> だが上に述べた無意識脳は、表象に目的というような言葉を用いません。天敵を見れば即座の理解と行動があります。
>
> ここ(無意識脳?)に人類の危機を知らす必要があるのでしょうか、それとも、意識が人類の危機をまざまざと悟ることが必要なのでしょうか?


 無意識脳が危機を感じても、自我意識は大阪城のような堀で防御を鉄壁にしているので、その危機が他人事として感じるようです。「私」さえ安全であれば・・と他人事として人類の危機を二の次とするように感じます。


> 昨日NHKスペシャルで、南スーダンを初めてするPKOの状況を見ました。かなり良くオランダの状況を交えてまとめてありますが、なぜこれほどの民族紛争が起こるかには触れていません。
> 情報はどうしても断片的です。全体を見るという事は実際にはまだまだとても難しいという事でしょうか?


 大阪城の堀の外に全体を見ているように思います。

 堀の内側に様々なイベントや建造物をこしらえ、有意義さを醸しだし、意味のある人生をあくせくとこしらえている自我意識は、堀の外の危機は他人事であり、二の次のようです。


 教育を変えることなく、堀を自ら埋める社会(多くの個人)を醸し出すことは可能でしょうか。

 百人中、百人が時間の中に生きている教師達の中で、堀を自ら埋める生徒が出てくることは可能でしょうか。


[23908] Re:[23907] [23906] 目的もしくは目標 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/29(Mon) 12:22  

レス傾聴しました。以下全体がとてもよくわかります。
それに対して、少し私の視点を追加して検討したいと思います。

>  社会や人類としての前進。
>
>  これを希求すると、目的もしくは目標となるのではなかろうか・・。
>
>  思考がある限り、人は目的もしくは目標を保持するのではなかろうか‥。

そうでしょうね。ちょっとやそっとではそこから出ることができない。

しかしこれは人間が言葉を使うようになってからの機能で、その前に動物でも持っている脳の機能があります。カエルや猫などでのえさの認知、捕食と捕食行動、その習得など。もちろん肉体の管理にも脳は関与していて、生理系が無意識的に処理されていても脳が働いています。
このような意識系以前で働いている脳はいわばアナログ処理でスピードが速いのです。意識系は言葉系に変換するのでスピードが遅いのではないかな。

それで、例えば多くのことが熟練すれば無意識的に、早く正確にできます。

ここはどう動くのでしょうか?

>
>  思考がある限り、人は生まれ変わりを欲し、あの世を欲し、すなわち継続を欲する。
>
>  そして、思考の除去を希求するがゆえに、目的もしくは目標を有する。
>
>  しかし、現にあるものとして、それは避けられないように見える。
>
>  その避けられないものと共に、死にゆき、生きゆく。

確かに現にあるものとして、それは避けられないように見えます。

だが上に述べた無意識脳は、表象に目的というような言葉を用いません。天敵を見れば即座の理解と行動があります。

ここ(無意識脳?)に人類の危機を知らす必要があるのでしょうか、それとも、意識が人類の危機をまざまざと悟ることが必要なのでしょうか?

昨日NHKスペシャルで、南スーダンを初めてするPKOの状況を見ました。かなり良くオランダの状況を交えてまとめてありますが、なぜこれほどの民族紛争が起こるかには触れていません。
情報はどうしても断片的です。全体を見るという事は実際にはまだまだとても難しいという事でしょうか?



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