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[24910] Re:[24909] [24900] 消去の過程 その1 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/12(Fri) 23:06  

> >  >これから抜け出るのが難しいようです。−−、それを示唆する文面が、『白い炎』p89にあるようなので、引用します。
> >  長いのでいくつかに分けて投稿したいと思います。
> >
> >
> >   『白い炎』p89 より引用 (コスモス・ライブラリー 発行 大野純一 編訳)
>
> 私は第二次大戦終了後にKが大衆に向けて説き始めたトークの本から読み始め、当時出版された本もそうであったのですが、古い本は読みませんでした。
> 前にも引用で読ませていただきましたが、今回読んで、その差は正直驚くほどでした。私にはそれは若さの生硬さとまず思いましたが、星の教団内でなく世間に出て話すことで感じることが多かったと思います。
>
> どのように私が感じるか、各引用の気になる箇所でコメントを入れ、全体を振り返るという形で話し合いになればいいなと思います。


 はい。よろしくお願いします。

 クリシュナムルティが述べるには、70年間の講話や対話において、陳述内容に一貫性があり、内容に変化(追加や改定など)は無いとのことです。

 対機説法で、聴衆によってその言い回しが変わって来るのだと思います。尚、大野純一氏によると、40年代から陳述の形式(起承転結のような進行等)が洗練され、晩年まで続いた旨の解説がありました。


> >  「消去の過程」の章
> >
> >  <以下は、1929年にオランダにある「星の教団」の拠点アイルダー城で、団員に向かっていかにして理解力を働かせ、真理の実現にとって不要なものを消去したらいいかを説いたトークである>
> >
> >  私は、私たち一人ひとりが根源的に変わらなければならない、そういう時が来たと強く感じます。−−すなわち、理解したがゆえに、過去のあらゆるものと手を切らなければならない、そういう時が。あなた方の内面にはまだ過去からの十分な断絶がありません。で、そのような断絶は、取り去られたものに取って換わる永続的な満足、理解、慰めを与えてくれる何かをあなた方が本当に真剣に見出そうと思っているときにのみ起こりうるのです。
> >  過去からのこの絶対的断絶なしには、あなた方は自分自身の中にも、外の世界にもけっして新たな何かを創造することはできないでしょう。
> >  あなた方がここに参集されたのは、私に傾聴し、私が言っていることを理解するためです。この理解にまず必要なこと、不可欠なことは、過去によって築き上げられたすべての障害物−−すべての迷信、すべての先入見など、明晰な検証と明晰な思考の妨げになるあらゆるもの−−を打破することです。過去からの断絶と過去への反抗があることが絶対に必要なのです。もしあなた方私が言っていることを理解すれば、あなた方は自分自身、自分の性質を理解し、自分があの自由という完成に向けて成長していることに気づき、ゆえにその成長を促すようになるでしょう。そのことを理解する時、あなた方は私を、ひいては他のあらゆる人を理解するようになるでしょう。が、自分自身を理解するためには、あなた方は常に自分の環境、伝統、自分が真実だと信じているもの、目標にとって不可欠だと思い込んでいるもの、人から言われたこと、自分が読んだことにとらわれないようにしなければなりません。あらゆるものを手放さなければなりません。あなた方が、身体的、感情的、精神的にまったくとらわれがなくなるやいなや、あなた方は人間の進化の全構造を理解することができるでしょう。
> >  あなた方は強くなければなりません。さもなければこの新しい夜明け、この新鮮な理解はだいなしにされ、消え失せてしまうからです。
>
> 消え失せるというのはその前にあった理解等の質が何だっとという事ですが、まここまではほぼわかります。(ゴト)


 あるいは、ブッダの二の舞になるということかもしれません。ブッダ誕生の直後、>新しい夜明け、この新鮮な理解−−、これは確かにあった。しかし、やがて滅び去ってゆく。


> >  なぜ人々が霊的・宗教的な価値、精神的・道徳的な価値を破壊することを恐れるのか、私にはわかりません。結局、あなた方が何かを精神的、感情的に破壊する時、あなた方は何かその代わりのものを築いているのです。それについてどうか熟考してください。そうすれば私が何を言いたいのかおわかりになるでしょう。あなた方が外部の道徳によって縛られなくなり、もはやいかなる宗教的迷信−−過去のそれであれ、現在のそれであれ−−にも隷属しなくなる時、あなた方は自動的に、自分自身の不可欠の部分である何かを築き上げていくのです。
> >  私は、このことを理解し、それを身体的、感情的、精神的に−−統合的に、全体として−−生きる人々が欲しいのです。そのような人々が二千人いるか二人しかいないかは問題ではありません。私は、人数にも、どんな仕事をすべきかにも、どんな土地あるいは城を持つべきかにも、世界中に無数の地所を持つべきかどうかにもまったく関心はありません。そういったすべては取るに足りないのです。私たちがしなければならないこと−−少なくとも私がしたいこと、しようとしていること−−は、人間によって作り上げられてきた、真実性に欠ける、偽りのすべての古い伝統、観念、神々、迷信を破壊することです。で、まさにその破壊の過程によって、各人の内なる自治を確立しそれを支持する新しい伝統、たゆみない思考によって、永遠なるものからけっして離れない伝統となる、そういう新しい精神のあり方を生み出すのです。私は、自動的に行動に移され、他の人々の遇し方に現される、そういう新しい種類の思考、新しい種類の生き方を確立したいのです。
> >  あなた方自身の内にこの断絶を生み出すには勇気、弁別力が必要ですが、あなた方はまだそれをお持ちではない。あなた方は、自分に好都合な程度までは歩みますが、けっして最後まで歩もうとはしません。
>
> ここのところでは過去のものが古い道徳、宗教的迷信や権威を恐れもなく破壊する新しい精神構造を持った人が誕生することを望んでいます、説いています。そして断固として行うところまで行った人はまだいないと。(ゴト)


 たとえクリシュナムルティに触れたとしても、何冊か本を読んだとしても、幾度か講話を聴いたとしても・・。。>あなた方は、自分に好都合な程度までは歩みますが、けっして最後まで歩もうとはしません。−−、本国の邦訳者達、その価値に魅かれて邦訳出版をするも、それでも、自分に好都合な程度までは歩みますが、けっして最後まで歩もうとはしない。

 その困難さとは・・。


> >  二種類の英知があります。一つはこの世界のそれ、もう一つは真実の世界に属するそれです。私が話しているのはこの世界の英知ではなく、真実の世界のそれです。すなわち、磨き抜かれた識別力で、真実で本質的なものと、偽りで不毛なものとを見分ける力を持った英知のことです。それが真の英知なのです。
> >  英知をもって反抗するためには、あなた方は集中しなければなりません。ただし、いわゆる瞑想などの実践によってではなく、一意専心によって−−弱虫の精神状態ではなく、強者の集中によって−−です。
> >  あなた方は、慣習とか他人の意見といった無数のものを恐れておられる。現在の瞬間を自分のまわりのあらゆるものと折り合わせようと望んでおられる。過去に語られてきたことを現在と折り合わせようと望んでおられる。相変わらずの旧態依然たる仕方で歩み、これまでどおりのマスターやグルを仰ぎ、崇拝形式や儀式を固守し、そしてそういったすべてを私が言っていることと折り合わせようと望んでおられる。あなた方はけっして過去および未来と共に生きることはできません。「私は弱く、だからこの支えを必要としている、私を励ましてくれる誰かを必要としている」とあなた方は言うかもしれません。が、それは本当の励ましではないのです。もしあなた方が自分の幸福、成長のために誰かを頼れば、あなた方はますます強くなるどころか、ますます弱くなってしまうからです。
> >  けっして外部からの救いを求めてはなりません。さもなければ、古い慣習のかわりに新しい慣習にとらわれてしまうでしょう。私たちが生み出さねばならないのは、みずからの内なる救いを確信しており、強く、自分の目的について確固としており、そして外部の慰め、権威、励ましを求めていない、そういう人々です。そのように集中するには、絶えず思慮深くあることが必要です。気づいていないこと、明晰に考えないことは、あなた方がおそらく持ちうる最大の不幸です。気づきの欠如は慰めへの必要を生み出します。あなた方は自分の人生の真の目的を絶えず想起しなければなりません−−ただし、おわかりのように人為的にではなく、バランスのとれた自己想起を充分にすることが必要なのです。
>
> あなた方は怖れる。そしてグルや権威に頼る。それは自らを弱くするのみで、他人に頼る限り、それは新しい習慣になるだけですと。(ゴト)


 クリシュナムルティ理解を求めながら、しかし、枕はいつも南か東を向いている。神棚や仏壇を粗末にしない。先だった血縁者を頼みとしている。妻子にも心理的に依存している。交友関係にも気を遣う・・。


> >  では、あなた方はそれにどう乗り出しますか?あなた方がこれらの集会に参加して、毎日私の話を聞いても、もし明晰な理解が生じ、それによってそれが真に生きられなければ、何の意味もないのです。
> >
> >  私の関心は新しい理論、新しい哲学、新しい方式、あるいはそれらの新しい組合せにではなく、もっぱら生きられることができる−−生きられなければならない−−観念、思考および感情にあるのです。私は自分にとって絶対的に確かなもの、絶対的に真実なもの−−相対的にではなく、絶対的に確かで真実なもの−−を見出したのです。ですから私は、自分が見出したそれらの観念が万人によって生きられうること、生きられねばならないことを示したいのです。それらは特権者たちのためのものではありません。完成は風変わりなことではなく、自然なことなのです。それは、たゆみない精進、たゆみない注意深さ、気づき、自己想起の結果なのです。それは、いかなる外部的環境、外部的権威、外部的影響、悲しみあるいは喜びによっても左右されえない真理に向けて絶えず傾注し続ける努力の結果なのです。
> >  もしあなた方が私の言っていることに同意なさるなら、あなた方はすべての外部的状態ないし条件からの自己解放を遂げるべく努力すべきです。
>
> Kはここで私は自分にとって絶対的確かな生きることを、そのマインド&ハートを見出したという。それは万人によって生きられるし、生きられねばならないし、そう生きてほしい、努力してほしいと。(ゴト)


 ここで述べられている「努力」とは、思考が主体となって生み出された観念に従った行動(反応)とは異なり、「見る」がゆえに自ずと起こる行為としての「努力」・・。

 若き日のクリシュナムルティは、「努力」「観念」「私」等々の用語が、晩年のその用語とは異なる用い方をしていますが、クリシュナムルティを読み込んでいる者たちには、誤解なく通ずることを感じます。


> >  私が到達したものは万人によって到達されねばなりません。それは少数者の特権ではなく、全人類、全世界の人々が遂げるべき開花なのです。世界中のあらゆる人が時間と空間、苦しみ、悲しみ、苦痛、快楽の輪にからみついているので、私は彼らがその輪−−つかの間のもの、非本質的なもの、真実ではないもの、錯覚に基づくものの輪−−から離脱し、そしてまさにその離脱によって、疑いの余地のない絶対的な確信をみずからの力で確立してほしいのです。
> >  あなた方の大半は、三年間にわたって私に聞いてこられましたが、にもかかわらず誰かに対して自分の確信を主張できずにいます。あなた方は私の言葉を引用−−誤って、または正しく−−しますが、それにはなんの価値もありません。私の言葉が真実であることをあなた方がわかり、ゆえに強くなるまでは、震えなしに他人の前に立つことはできないからです。が、それこそはまさに私があなた方にしてほしいと願っていることなのです。私は単に「ええ」とうなずく人々は望みません。が、もし同意するのなら、他のあらゆることに異議を唱えるほど完全に同意し、他のあらゆることを燃やし尽くす炎にならねばなりません。どちらか一方でなければなりません。中立的であることはできないのです。もしあなた方が炎の方なら、その時にはあなた方の全存在−−あなた方の顔つき、態度、感情、思考、体つきといったあらゆるもの−−がその炎の表現にならねばならないのです。もしあなた方が同意しないのであれば、同意するのと等しく激しくそれに逆らい、立ち去ってください。わたしがこう申し上げる理由は、あなた方が現在していることはまったく非生産的だからです。あなた方の同意にどんな価値があるのでしょうか?ないも同然です!
>
> あなた方は3年間私の言う事を聞いてきたが、まだ人に説かない。説くことができない。それだけの確固たるものを築き上げていないと。(ゴト)


 3年間も間近でクリシュナムルティから直接、陳述を聴くことに恵まれた人々が居たのですね・・。なんと恵まれたことか!しかし、それでも、その困難さ(>これから抜け出るのが難しいようです。−−)、これを乗り越えられなかった・・。
 そして、宙ぶらりんが塗炭の苦しみを招くので、半端であれば去れ・・と指示している。

 しかし、要領よく、どちらの世界からも恵みを受け取りたいと宙ぶらりんに留まっている者どもが居る。神智学協会会員たち。


> >  どのようにあなた方は外の人々を変えましたか?どのようにあなた方は自分自身の環境、自分自身の人生を変えましたか?あなた方の同意はなんの変化ももたらさなかったのであり、ですから実は同意していないも同然なのです。あなた方は世間一般の人々と同じくびくびくしており、軟弱で、迷信や権威や慣習を恐れています。あなた方の同意は強い人間、あらゆるものに無頓着だがしかし自分自身の力を確信している、そういう人間を生み出さなかったのです。
>
> 今はありとあらゆることが人に訴えられています。あらゆる種類の媒体で。そしてお金がかかります。社会の変貌があります。(ゴト)


 しかし、神智学協会会員レベルの者どもは、ありとあらゆる訴えが、取るに足らないものであることを、知り尽くしている。クリシュナムルティのトークを直に3年間も聴いているゆえに・・。その知り尽くした上であっても、尚、>あなた方は、自分に好都合な程度までは歩みますが、けっして最後まで歩もうとはしません。−−、私たちを含め、そうではないだろうか・・。


> >  ですから両方とも持つことはできないのです。偶像崇拝者でありながら、にもかかわらず自由を口にすることはできないのです。聖画の崇拝者でありながら、にもかかわらず真実について話すことはできないのです。奴隷でありながら、同時に探求から生まれる真の理解についての内的確信から起こる解放について話すことはできないのです。方式の信奉者でありながら、同時に自由について話すことはできないのです。どちらか一方−−熱いか冷たいか−−でなければならないのです。もしあなた方が熱いのであれば、すべての外面的なものごとを焼き尽くし、すべての雑草、迷信、恐怖、神々、偽りのもの、人生の非本質的なものごとを一掃しなさい。もし冷たいのであれば、私が言っていることを顧慮することなく、利己的で、偏狭で、恐れていなさい。遠慮は無用です。いずれか一方を確信しなさい。一方を把握し、しかる後にそれを歪曲して他方に合わせようとしても無駄です。一方を歪曲して二つ−−新しいものと古いもの−−を折り合わせることはできません。そんなことをすれば、かえってよりおおきな悲しみ、より大きな誤解、より大きな苦闘を招くだけだからです。
> >  私はあなた方をいずれか一方に誘い込もうとしているのではありません。あなた方がわたしに同意するかしないかは問題ではないのです。結局は私は、全世界を向こうにまわして戦うほどこのことに一意専心するごくわずかの人を見出すだけかもしれません。が、そのような人が一人、二人、あるいは六人いれば充分です。ですからあなた方が私に同意するかしないかは
> 問題ではないのです。で、結局は同意しないことでしょう。もし今同意しなければ、あなた方が同意するのは一億年後のことになるでしょう。私が話しているのは、世界の精華、全人類にとっての芳香、美のことだからです。
>
> 電灯をつけ、大西洋を渡るのにエジソンやコロンブスである必要はないというのは間違った比喩だったのか!(ゴト)


 そうではなく、もしも「クリシュナムルティの陳述」が地上に無かったならば、電灯をつけ、大西洋を渡るのにエジソンやコロンブスである必要があった・・という意味ではないでしょうか。

 幸いにも、地上に「クリシュナムルティの陳述」がある。ゆえに・・あなたや私の苦悩はエジソンやコロンブスほどでなくとも済む・・、という意味ではないでしょうか‥。


> >  私の願いはあなた方に催眠術をかけることではなく、あなた方が自分自身の目でものごとを明晰に見てほしいのです。あなた方は光と闇、確実と不確実、本質的なものと非本質的なものに同時に属することはできないのです。
> >  もしあなた方の思考、観念がつかの間のものに属するなら、その時には私が話していることを見出すことはけっしてないでしょう。それらが永遠なるものの花を生じる種子かどうかを発見するためには、あなた方は消去の過程、あなた方が身に付けてきたすべてのものからの完全な離脱の過程を経なければなりません。
> >  あなた方の観念は永遠なるものに根ざしてはいません。なぜなら、あなた方はまだ永遠なるものを発見していないからです。いったんあなた方がそれを見出せば、あなた方の理想は自然にあの不死、あの確かさの形をとって現れるでしょう。
> >
> >  − − − 以上引用 − − −
> >
> >  つづく
>
> 結局、世界の人がKの言ったことを常識として持つのは一億年、つまり途方もないくらい先のことで、しかし、実際に今見始める、方向転換をするという事は重要なことではなかろうか。でも1929年からは実に99年たっています。どんな言葉で語ったらいいでしょうか?続く。
> 順番に読んでいくつもりですが、今回私の言ったことをまぜっかえして言葉ゲームをしていただけたらと思います。私は言葉が足りない傾向があるし、何より何か発見があるかもしれません。そちらからの興味あることを提起して下さるのを歓迎します。(ゴト)


 提起させて貰えるならば、次のことです。

 私たちは、結局、1億年後まで、待たねばならないのではないでしょうか・・。


[24909] Re:[24900] 消去の過程 その1 投稿者:ゴト 投稿日:2018/01/11(Thu) 19:18  

>  >これから抜け出るのが難しいようです。−−、それを示唆する文面が、『白い炎』p89にあるようなので、引用します。
>  長いのでいくつかに分けて投稿したいと思います。
>
>
>   『白い炎』p89 より引用 (コスモス・ライブラリー 発行 大野純一 編訳)

私は第二次大戦終了後にKが大衆に向けて説き始めたトークの本から読み始め、当時出版された本もそうであったのですが、古い本は読みませんでした。
前にも引用で読ませていただきましたが、今回読んで、その差は正直驚くほどでした。私にはそれは若さの生硬さとまず思いましたが、星の教団内でなく世間に出て話すことで感じることが多かったと思います。

どのように私が感じるか、各引用の気になる箇所でコメントを入れ、全体を振り返るという形で話し合いになればいいなと思います。

>
>  「消去の過程」の章
>
>  <以下は、1929年にオランダにある「星の教団」の拠点アイルダー城で、団員に向かっていかにして理解力を働かせ、真理の実現にとって不要なものを消去したらいいかを説いたトークである>
>
>  私は、私たち一人ひとりが根源的に変わらなければならない、そういう時が来たと強く感じます。−−すなわち、理解したがゆえに、過去のあらゆるものと手を切らなければならない、そういう時が。あなた方の内面にはまだ過去からの十分な断絶がありません。で、そのような断絶は、取り去られたものに取って換わる永続的な満足、理解、慰めを与えてくれる何かをあなた方が本当に真剣に見出そうと思っているときにのみ起こりうるのです。
>  過去からのこの絶対的断絶なしには、あなた方は自分自身の中にも、外の世界にもけっして新たな何かを創造することはできないでしょう。
>  あなた方がここに参集されたのは、私に傾聴し、私が言っていることを理解するためです。この理解にまず必要なこと、不可欠なことは、過去によって築き上げられたすべての障害物−−すべての迷信、すべての先入見など、明晰な検証と明晰な思考の妨げになるあらゆるもの−−を打破することです。過去からの断絶と過去への反抗があることが絶対に必要なのです。もしあなた方私が言っていることを理解すれば、あなた方は自分自身、自分の性質を理解し、自分があの自由という完成に向けて成長していることに気づき、ゆえにその成長を促すようになるでしょう。そのことを理解する時、あなた方は私を、ひいては他のあらゆる人を理解するようになるでしょう。が、自分自身を理解するためには、あなた方は常に自分の環境、伝統、自分が真実だと信じているもの、目標にとって不可欠だと思い込んでいるもの、人から言われたこと、自分が読んだことにとらわれないようにしなければなりません。あらゆるものを手放さなければなりません。あなた方が、身体的、感情的、精神的にまったくとらわれがなくなるやいなや、あなた方は人間の進化の全構造を理解することができるでしょう。
>  あなた方は強くなければなりません。さもなければこの新しい夜明け、この新鮮な理解はだいなしにされ、消え失せてしまうからです。

消え失せるというのはその前にあった理解等の質が何だっとという事ですが、まここまではほぼわかります。(ゴト)

>  なぜ人々が霊的・宗教的な価値、精神的・道徳的な価値を破壊することを恐れるのか、私にはわかりません。結局、あなた方が何かを精神的、感情的に破壊する時、あなた方は何かその代わりのものを築いているのです。それについてどうか熟考してください。そうすれば私が何を言いたいのかおわかりになるでしょう。あなた方が外部の道徳によって縛られなくなり、もはやいかなる宗教的迷信−−過去のそれであれ、現在のそれであれ−−にも隷属しなくなる時、あなた方は自動的に、自分自身の不可欠の部分である何かを築き上げていくのです。
>  私は、このことを理解し、それを身体的、感情的、精神的に−−統合的に、全体として−−生きる人々が欲しいのです。そのような人々が二千人いるか二人しかいないかは問題ではありません。私は、人数にも、どんな仕事をすべきかにも、どんな土地あるいは城を持つべきかにも、世界中に無数の地所を持つべきかどうかにもまったく関心はありません。そういったすべては取るに足りないのです。私たちがしなければならないこと−−少なくとも私がしたいこと、しようとしていること−−は、人間によって作り上げられてきた、真実性に欠ける、偽りのすべての古い伝統、観念、神々、迷信を破壊することです。で、まさにその破壊の過程によって、各人の内なる自治を確立しそれを支持する新しい伝統、たゆみない思考によって、永遠なるものからけっして離れない伝統となる、そういう新しい精神のあり方を生み出すのです。私は、自動的に行動に移され、他の人々の遇し方に現される、そういう新しい種類の思考、新しい種類の生き方を確立したいのです。
>  あなた方自身の内にこの断絶を生み出すには勇気、弁別力が必要ですが、あなた方はまだそれをお持ちではない。あなた方は、自分に好都合な程度までは歩みますが、けっして最後まで歩もうとはしません。

ここのところでは過去のものが古い道徳、宗教的迷信や権威を恐れもなく破壊する新しい精神構造を持った人が誕生することを望んでいます、説いています。そして断固として行うところまで行った人はまだいないと。(ゴト)

>  二種類の英知があります。一つはこの世界のそれ、もう一つは真実の世界に属するそれです。私が話しているのはこの世界の英知ではなく、真実の世界のそれです。すなわち、磨き抜かれた識別力で、真実で本質的なものと、偽りで不毛なものとを見分ける力を持った英知のことです。それが真の英知なのです。
>  英知をもって反抗するためには、あなた方は集中しなければなりません。ただし、いわゆる瞑想などの実践によってではなく、一意専心によって−−弱虫の精神状態ではなく、強者の集中によって−−です。
>  あなた方は、慣習とか他人の意見といった無数のものを恐れておられる。現在の瞬間を自分のまわりのあらゆるものと折り合わせようと望んでおられる。過去に語られてきたことを現在と折り合わせようと望んでおられる。相変わらずの旧態依然たる仕方で歩み、これまでどおりのマスターやグルを仰ぎ、崇拝形式や儀式を固守し、そしてそういったすべてを私が言っていることと折り合わせようと望んでおられる。あなた方はけっして過去および未来と共に生きることはできません。「私は弱く、だからこの支えを必要としている、私を励ましてくれる誰かを必要としている」とあなた方は言うかもしれません。が、それは本当の励ましではないのです。もしあなた方が自分の幸福、成長のために誰かを頼れば、あなた方はますます強くなるどころか、ますます弱くなってしまうからです。
>  けっして外部からの救いを求めてはなりません。さもなければ、古い慣習のかわりに新しい慣習にとらわれてしまうでしょう。私たちが生み出さねばならないのは、みずからの内なる救いを確信しており、強く、自分の目的について確固としており、そして外部の慰め、権威、励ましを求めていない、そういう人々です。そのように集中するには、絶えず思慮深くあることが必要です。気づいていないこと、明晰に考えないことは、あなた方がおそらく持ちうる最大の不幸です。気づきの欠如は慰めへの必要を生み出します。あなた方は自分の人生の真の目的を絶えず想起しなければなりません−−ただし、おわかりのように人為的にではなく、バランスのとれた自己想起を充分にすることが必要なのです。

あなた方は怖れる。そしてグルや権威に頼る。それは自らを弱くするのみで、他人に頼る限り、それは新しい習慣になるだけですと。(ゴト)

>  では、あなた方はそれにどう乗り出しますか?あなた方がこれらの集会に参加して、毎日私の話を聞いても、もし明晰な理解が生じ、それによってそれが真に生きられなければ、何の意味もないのです。
>
>  私の関心は新しい理論、新しい哲学、新しい方式、あるいはそれらの新しい組合せにではなく、もっぱら生きられることができる−−生きられなければならない−−観念、思考および感情にあるのです。私は自分にとって絶対的に確かなもの、絶対的に真実なもの−−相対的にではなく、絶対的に確かで真実なもの−−を見出したのです。ですから私は、自分が見出したそれらの観念が万人によって生きられうること、生きられねばならないことを示したいのです。それらは特権者たちのためのものではありません。完成は風変わりなことではなく、自然なことなのです。それは、たゆみない精進、たゆみない注意深さ、気づき、自己想起の結果なのです。それは、いかなる外部的環境、外部的権威、外部的影響、悲しみあるいは喜びによっても左右されえない真理に向けて絶えず傾注し続ける努力の結果なのです。
>  もしあなた方が私の言っていることに同意なさるなら、あなた方はすべての外部的状態ないし条件からの自己解放を遂げるべく努力すべきです。

Kはここで私は自分にとって絶対的確かな生きることを、そのマインド&ハートを見出したという。それは万人によって生きられるし、生きられねばならないし、そう生きてほしい、努力してほしいと。(ゴト)

>  私が到達したものは万人によって到達されねばなりません。それは少数者の特権ではなく、全人類、全世界の人々が遂げるべき開花なのです。世界中のあらゆる人が時間と空間、苦しみ、悲しみ、苦痛、快楽の輪にからみついているので、私は彼らがその輪−−つかの間のもの、非本質的なもの、真実ではないもの、錯覚に基づくものの輪−−から離脱し、そしてまさにその離脱によって、疑いの余地のない絶対的な確信をみずからの力で確立してほしいのです。
>  あなた方の大半は、三年間にわたって私に聞いてこられましたが、にもかかわらず誰かに対して自分の確信を主張できずにいます。あなた方は私の言葉を引用−−誤って、または正しく−−しますが、それにはなんの価値もありません。私の言葉が真実であることをあなた方がわかり、ゆえに強くなるまでは、震えなしに他人の前に立つことはできないからです。が、それこそはまさに私があなた方にしてほしいと願っていることなのです。私は単に「ええ」とうなずく人々は望みません。が、もし同意するのなら、他のあらゆることに異議を唱えるほど完全に同意し、他のあらゆることを燃やし尽くす炎にならねばなりません。どちらか一方でなければなりません。中立的であることはできないのです。もしあなた方が炎の方なら、その時にはあなた方の全存在−−あなた方の顔つき、態度、感情、思考、体つきといったあらゆるもの−−がその炎の表現にならねばならないのです。もしあなた方が同意しないのであれば、同意するのと等しく激しくそれに逆らい、立ち去ってください。わたしがこう申し上げる理由は、あなた方が現在していることはまったく非生産的だからです。あなた方の同意にどんな価値があるのでしょうか?ないも同然です!

あなた方は3年間私の言う事を聞いてきたが、まだ人に説かない。説くことができない。それだけの確固たるものを築き上げていないと。(ゴト)

>  どのようにあなた方は外の人々を変えましたか?どのようにあなた方は自分自身の環境、自分自身の人生を変えましたか?あなた方の同意はなんの変化ももたらさなかったのであり、ですから実は同意していないも同然なのです。あなた方は世間一般の人々と同じくびくびくしており、軟弱で、迷信や権威や慣習を恐れています。あなた方の同意は強い人間、あらゆるものに無頓着だがしかし自分自身の力を確信している、そういう人間を生み出さなかったのです。

今はありとあらゆることが人に訴えられています。あらゆる種類の媒体で。そしてお金がかかります。社会の変貌があります。(ゴト)

>  ですから両方とも持つことはできないのです。偶像崇拝者でありながら、にもかかわらず自由を口にすることはできないのです。聖画の崇拝者でありながら、にもかかわらず真実について話すことはできないのです。奴隷でありながら、同時に探求から生まれる真の理解についての内的確信から起こる解放について話すことはできないのです。方式の信奉者でありながら、同時に自由について話すことはできないのです。どちらか一方−−熱いか冷たいか−−でなければならないのです。もしあなた方が熱いのであれば、すべての外面的なものごとを焼き尽くし、すべての雑草、迷信、恐怖、神々、偽りのもの、人生の非本質的なものごとを一掃しなさい。もし冷たいのであれば、私が言っていることを顧慮することなく、利己的で、偏狭で、恐れていなさい。遠慮は無用です。いずれか一方を確信しなさい。一方を把握し、しかる後にそれを歪曲して他方に合わせようとしても無駄です。一方を歪曲して二つ−−新しいものと古いもの−−を折り合わせることはできません。そんなことをすれば、かえってよりおおきな悲しみ、より大きな誤解、より大きな苦闘を招くだけだからです。
>  私はあなた方をいずれか一方に誘い込もうとしているのではありません。あなた方がわたしに同意するかしないかは問題ではないのです。結局は私は、全世界を向こうにまわして戦うほどこのことに一意専心するごくわずかの人を見出すだけかもしれません。が、そのような人が一人、二人、あるいは六人いれば充分です。ですからあなた方が私に同意するかしないかは
問題ではないのです。で、結局は同意しないことでしょう。もし今同意しなければ、あなた方が同意するのは一億年後のことになるでしょう。私が話しているのは、世界の精華、全人類にとっての芳香、美のことだからです。

電灯をつけ、大西洋を渡るのにエジソンやコロンブスである必要はないというのは間違った比喩だったのか!(ゴト)

>  私の願いはあなた方に催眠術をかけることではなく、あなた方が自分自身の目でものごとを明晰に見てほしいのです。あなた方は光と闇、確実と不確実、本質的なものと非本質的なものに同時に属することはできないのです。
>  もしあなた方の思考、観念がつかの間のものに属するなら、その時には私が話していることを見出すことはけっしてないでしょう。それらが永遠なるものの花を生じる種子かどうかを発見するためには、あなた方は消去の過程、あなた方が身に付けてきたすべてのものからの完全な離脱の過程を経なければなりません。
>  あなた方の観念は永遠なるものに根ざしてはいません。なぜなら、あなた方はまだ永遠なるものを発見していないからです。いったんあなた方がそれを見出せば、あなた方の理想は自然にあの不死、あの確かさの形をとって現れるでしょう。
>
>  − − − 以上引用 − − −
>
>  つづく

結局、世界の人がKの言ったことを常識として持つのは一億年、つまり途方もないくらい先のことで、しかし、実際に今見始める、方向転換をするという事は重要なことではなかろうか。でも1929年からは実に99年たっています。どんな言葉で語ったらいいでしょうか?続く。
順番に読んでいくつもりですが、今回私の言ったことをまぜっかえして言葉ゲームをしていただけたらと思います。私は言葉が足りない傾向があるし、何より何か発見があるかもしれません。そちらからの興味あることを提起して下さるのを歓迎します。(ゴト)


[24908] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/01/11(Thu) 00:41  

今、「消去の過程」その1〜8を読みました。
『白い炎』はわたしは持っています。しかし読んではいませんでした。第2次世界大戦終戦後のものしかKの著作を読んでいないからです。今ちょっと捜したのですが見当たりませんでした。

投稿有難うございます。熟慮して返信します。


[24907] 消去の過程 その8 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/10(Wed) 21:48  

 『白い炎』p115 より引用 (コスモス・ライブラリー 発行 大野純一 編訳)


 指摘させていただきたいことは、−−で、これは以前すでに言いましたが、−−私が言っていることは、すでに存在している無数の理論、哲学、思想体系に追加されるべき新しい理論ではありません。それは、そういったすべてとは無関係なのです。それは、私がみなしているものとしての<生>−−その全体−−なのです。で、私はそれを生きているので、それはすべての生の精髄であり、すべての生の極致であり、すべての生の開花だと申し上げているのです。私は、私の生、ひいては万人の生の実現について話しているのです。ですから、私が言っていることを考察されるべき知的理論として、あるいは享受されるべき感情の動きとして扱わないでください。
 私は、自分にとって真実である何か、自分が生きている何かについて話しているのです。が、そのすべてはあなた方には異質です。なぜなら、依然として進化するための理論、信念、方式に耽っているからです。私が言っていることは、本質的、決定的に、単に少数にとってでなく、万人にとって完璧にされねばならない生、あの日常的生に関わっているのです。
 私が<生>という時、私はそれに特別な意味を込めています。すなわち、あなた方や私のそれとしての部分としての生ではなく、あなた方や私のそれを含むあの全体としての生−−すべてのものの種子である生、動きかつ不動なる生、つかの間のものでありかつ永遠なるものである生−−を意味しているのです。それはあらゆるものなのです。あらゆるものの種子であり、人間と神を創造したあの生のことです。神とは単に、気高く自由になった人間のことです。そしてその神である人間は、永遠なるものとしての生と和合しているのです。自分の「私」、自分の自己を永遠なるものと和合させること−−それが人間に課せられた役割です。あなた方がこの和合を確立するのは、瞑想や哲学によってではなく、苦闘、制御、そしてさらなる苦闘によってであり、で、それをあなた方はお望みではない。あなた方は苦闘を望まず、安易な、滑らかな道を望んでおられる。この調和は、われわれの各々の中にあるつかの間のものと、やはりわれわれの各々の中にある不変不易なるものとの間に確立されねばならないのです。
 <生>は人間を創造し、そして彼を完全に独立した存在、腐敗しやすく、制限された存在、環境の奴隷とします。彼は独立しており、自由なので、自分の判断で選ぶことはできます。が、真偽を見分ける力がなく、本質的なものを知らないので、彼は自分のまわりの取るに足りないものを選んでしまうのです。
 もしあなた方が自分自身を検証してみれば、これがあなた方の各々に言えることがおわかりになるでしょう。もしあなた方が自分自身の内面を覗き込んでみれば、変わりやすい「私」と不変の「私」があることに気づくでしょう。これらを「エゴ」と「モナド」[訳注:いわゆる高次の自己、ないし真の自己のこと]として翻訳して、安心したりしないようにしてください。あなた方は、私が言っていることについて知らないのと同様に、それらについて何も知らないのです。もしあなた方が自分自身の内面を見つめてみれば、変わりやすい、けっして静かにしていない、絶えず変わり続けている自己がいることがわかるでしょう。違いますか?それと同時に、一定不変の、静かな、確固不動の自己がいるのです。その自己についてあなた方は何もご存じないのです。
 いずれにせよそれら二つの自己があり、ゆえに私たち各人の関心は変わりやすい「私」、変わりやすい自己を、不変のものに変える、というよりはむしろ変容させねばならないのです。なぜなら、あなた方は不変のものを変わりやすいものに引き下げ、永遠なるものをつかの間のものに引き込むことはできないのであり、むしろ浄化によって、奮闘、否定、犠牲、たゆみない苦闘によって、変わりやすいものを変容させ、それを不変なるものに引き上げねばならないからです。永遠なるものをつかの間のものに引き込み、永遠なる自己を引き下ろして、変わりやすい、前進的な自己と和合させることはできないので、あなた方はその前進的な変わりやすい自己を永遠なる自己に変じさせねばならないのです。ところが、誰もがしようとしていることは、永遠なるものをつかの間のものに引き込むことです。あなた方はすべての苦闘、苦痛、悲しみを避けることを欲し、変容をもたらすかわりに回避することを望んでいるので、慰めてくれるもの、哲学、神々、寺院、教会、宗教といったすべてに庇護を求めるのです。あなた方は避け、忘れ、そして永遠なるものに飛び込むことを望むのです。が、それは不可能です!腐敗しやすいものがあるところには、不壊なるものは存在できません。不完全があるところでは、完全が支配することは不可能です。
 ですからあなた方は、あの前進的な、変わりやすい、絶えず変化している「私」を、腐敗しがたい、不変不易の、すべてを維持し、すべてを保持している永遠の「私」−−存在でも非存在でもなく、知恵でも無知でもない「私」−−に変えねばならないのです。
 真理は、単なる達成の中にではなく、変容の過程の中にあるのです。最終的到達の中にではなく、永遠なるものをめざしてあなた方が前進している途中に真理があるのです。最終的到達は、連続的前進過程の自然な結果なのです。前進的なものを不変なるもの、永遠なるものに変容させる過程の最中に、あの真理、あの<生>、あの解放、あの幸福を探さなければならないのです。それゆえあなた方は前進的である「私」に関心を向けねばならないのであり、そしてその面倒を見、それを純粋で、強く、剛胆にし、すべての錯覚を払い去らせてそれ自体の内で完全にさせること−−まさにその過程に永遠なるものとの調和があるのです。

 − − − 以上引用 − − −

 長々と引用させていただき、お許しください。

 そのような厳しい「消去の過程」をも厭わない、「見る」。
 見るがゆえの行為としての「消去の過程」。


 >これから抜け出るのが難しいようです。−−、その厳しさゆえに難しいのではないでしょうか‥。


[24906] 消去の過程 その7 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/10(Wed) 21:41  

 『白い炎』p113 より引用 (コスモス・ライブラリー 発行 大野純一 編訳)


 先日言いましたように、「私」−−すなわち、全体から分離した個人−−の真の教育は、永遠の「私」と、あらゆるものと絶えず闘いながら前進する「私」があることに気づくことにあるのです。その「私」の一方の要素は永遠であり、他方の要素は前進するのです。すなわち、訓練と教育を必要とする「私」は、常に永遠なるものへと前進していくのです。で、永遠なる部分と前進する部分とが統合・結合される時、自由と真理が実現されるのです。前進していく「私」は知的でも感情的でもありません。<生>は純粋に知的でも純粋に感情的でもありません。あなた方は純粋に知的でも純粋に感情的でもなく、その両者の混合物なのです。
 社会、集団は常に個人を抑圧しようとする傾向があり、ゆえに絶えず社会と闘い、集団と闘っている個人−−そういう個人、前進する「私」−−は、集団、大衆から完全に離れ、ゆえに彼らによって支配され、コントロールされ、抑圧されえない基準、価値をもつべきです。ただし、この基準はすっかり個人主義的であるべきだというのではありません。というのは、個人主義的基準は時々変わるので、さほど重要ではないからです。が、「私」、前進的な「私」が、消去の過程を経た後にみずからの内に確立する基準は永遠です。自分自身の力で発見し、すべての集団、すべての個人主義的願望を超越し、あの前進的な「私」と永遠なる「私」を統合するためには、前進的な「私」−−絶えず経験を求め、願望に駆り立てられ、恐怖に支配され、外部環境によって制限され、腐敗しやすい愛、憎しみ、情熱、慰めを求めようとする願いによって左右され、外面的権威に適合し、孤独を恐れている「私」−−としてのあなた方は、そういったすべてのものを克服しなければならないのです。
 前進的な「私」を理解しないかぎり、あなた方は永遠なる「私」−−普遍的な「私」、あなた方のものであり、私のものでもある「私」、世界中のあらゆる人の「私」、全人類の「私」、存在でも非存在でもなく、知でも非知でもなく、行為でも無行為でもない「私」−−に至り、それに避難することはできません。前進的な「私」を回避して、初めも終わりも持たず、静謐で、あらゆる走者の前にあるあの「私」に至ることはできないのです。前進的な「私」と永遠なる「私」が統合され、両者の調和がもたらされる時、真の祝福、真の幸福があり、苦闘、時間と空間、誕生と死、存在に終止符が打たれるのです。しかしこれが否定的・消極的な状態だと想像しないでください。それは否定的でも肯定的でもないのです。制限された前進的な「私」が−−経験によって、苦闘、悲嘆、奮闘、恍惚、苦痛によって−−絶えず追求しているこの幸福、この真理、この自由に至り、それを掌中に収めるには、つかの間のものと永遠のもの、前進的なものと永続的なものとの間に調和をもたらさねばなりません。
 自分自身以外の誰も自分を救うことはできない−−そこに人間の偉大さがあるのです。人間の中に宇宙は潜在的に存在しており、そして彼の目的はそれを悟ることです。その絶対的状態に至るには、前進的な「私」は、経験によって、熟慮、思慮によって、恐怖に駆られないことによって、前進的な「私」と永遠の「私」の統合を阻んでいるものを退け、除去しなければならないのです。これは単に思弁をめぐらされるべき哲学でも、単なる知的体操でもありません。それは、生きられ、身体的にあなた方のすべての行動に現されなければならない、<生>それ自体であり、その全体なのです。

 − − − 以上引用 − − −

 つづく


[24905] 消去の過程 その6 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/10(Wed) 21:40  

『白い炎』p108 より引用 (コスモス・ライブラリー 発行 大野純一 編訳)


 もし私が言わんとしていることをあなた方が理解されれば、あなた方の行為、活動は、−−真の「私」を見出したがゆえに、−−悲しみをもたらしたり、悲しみの元になる束縛を招いたりしなくなるでしょう。そのようにしてすべての動揺がやむことによって、錯覚あるいは迷妄からの自由が起こるのです。
 もし任意の時にあなたの精神・心が動揺させられうるなら、その時には永遠なるものについての真の把握、真の理解はやみます。「私」が動揺しないようにし、それによって純粋で、しなやかで、冷静で、強く、決然としており、バランスのとれた精神・心を持つためには、あなた方は任意の時に精神・心の均衡を乱しかねないすべての非本質的なものを消去しなければなりません。真の「私」−−万人の内なる「私」−−についての真の理解は、すべての非本質的なものからの離脱から起こるのです。そして非本質的なものは、束縛する恐怖、限定、願望の産物です。消去の過程によってのみ、あなた方はすべての錯覚から自由になり、あの確信の状態に至ることができるのです。
 全体から「私」が分離しているかぎり、限定、苦痛、悲観、生と死、時間、空間、そして錯覚があるのです。
 完成はすべての不完全を退けるがゆえに、「私」は腐敗を免れ、自由に他ならないあの美、あの全体の部分にならねばならないのです。そして蜜蜂たちが春を、香しい花々を待ちわびるように、人は「私」を発見する時を待ちわびるのです。少なくともここにおられる間は、あなた方はこの一事に集中し、本質的なものについてのあの確信を培い、すべての非本質的なものを退けるようにしていただきたい。なぜなら、それが真の「私」の特質である純粋な英知だからです。
 もしあなた方が自分が放棄しているもののことを知らなければ、放棄にはなんの価値もありません。もしあなた方が、私がそうするように言うがゆえに、または恐れのゆえに放棄するのなら、あなた方は少しも放棄しているのではなく、古いものにかわって新しいものを築いているのです。
 真理−−で、それによって私が何を意味しているかを慎重に説明したわけですが−−は、すべての社会、すべての組織化された信念、すべての思想体系にとって危険なものとなります。もし個人−−あなた、または他の誰か−−がこの真理を持てば、彼は自動的に、自分のまわりのすべての非本質的なものを爆破する火薬庫になるでしょう。が、彼はそれを組織化することはできません。もしあなた方がその真理を知覚し、その真理を生き、そしてその真理の一部になれば、その時にはあなた方はすべての靄(もや)を晴らす日光のようになるのです。
 私が話している真理は、非本質的なすべてのものにとって危険なものです。が、何が非本質的で何が本質的かは、あなた方自身が見出さなければなりません。私の口からそれを告げることはできないのです。
 <生>あるいは真理を組織化すること(組織を作って追求すること)はできません。もし私がロンドンに行きたければ、私に切符を与えてくれる組織を私は利用します。が、もし組織が私を天国に導くことができると主張したら、私はそれを用いないでしょう。なぜなら私は、天国は私の外にある場所ではないことを知っているからです。言わんとしていることがおわかりですか?
 すべての信念、救済についてのすべての観念、特定の天国に導かれるという観念は、思考を組織化しようとする企てです。が、思考を組織化し、それによって精神を虜(とりこ)にすることはできないのです。
 重要なのはあなた方自身であって、世界を変えるためにあなた方が何をするかでも、どのようにするかでもないのです。もしあなた方が心優しくて親切なら、もしあなた方の表情があなた方の思考・感情を示していれば、そしてもしあなた方が本当に嬉々としていれば、その時には、なぜあなた方がこの混乱した世界でそのようにしていられるのかを見るために、あらゆる人があなた方のところにやって来るでしょう。
 そこで要点に戻りましょう。非本質的なすべてのものを一掃するあのダイナミックなエネルギーの中心にならなければならないのは、個人としてのあなた方であって、組織の一員としてのあなた方ではないのです。もしあなた方が、何かが真実であると知っているがゆえにそれについて確固としていれば、その時にはあなた方は世界を変えるでしょう。が、もしもあなた方自身が不確かなら、世界を変えることはできないのです。私が言っていることの真実を確信するためには、あなた方はどうすべきなのでしょう?
 まず第一に、あなた方の人生が権威に基づいて築かれているかどうか、あなた方の神々や恐怖が本当に存在するのかどうかを熟考し、それから内面的な消去の過程によって人生の真の価値を見出し始めなければなりません。本質的なものを内面的に確立すること、それがあなた方の最も重要な仕事なのです。
 昨日私が救済にまつわる恐怖について話した時、私は崇拝、祈り、外面的な神々、権威、迷信、儀式、教会、寺院、聖所といったものにすがりつくことを意味したのです。そういったすべてを恐れることは、あなた方が依然として非本質的なものにすがりついていることを示しています。偽善的にならず、本当に正直にしてください。そうすればあなた方は、いかにそれらのものがあなた方の人生を左右しているかがわかるでしょう。
 あなた方はクリシュナムルティが言っていることを世の中に向かって告げ知らせようとしておられる。もしクリシュナムルティがこれこれのことは非本質的だと言い、しかるにあなた方がそれらの非本質的なものをおこない、それらに耽っていれば、部外者は当然こう言うでしょう。「もしクリシュナムルティがあなた方の人生を変えなかったのなら、もしあなた方自身の精神と心が変わらなかったら、私に告げても無駄なのではありませんか?」。私はあなた方を納得させたいのではなく、ただ私が言っている本質的なことをあなた方が本当に確信するやいなや、あなた方は自然に自分自身を変えるであろうと言うことに気づいてほしいのです。それこそが重要なのです。


 あなた方は、何が「私」に非腐敗性の衣をまとわせる本質的なものかについて充分に確信し、そしてその衣をまとっているがゆえに、腐敗しやすいすべてのものにとって危険な存在にならねばならないのです。
 非本質的なものを作り上げるのは、あなた方個々人です。それらはひとりでに出てくるわけではありません。あなた方がそれらを作り上げるのは、本質的なものと非本質的なものとをどう識別したらいいかわからないからです。世界中のモスクや寺院や教会を築いたのは誰でしょう?迷信深い人々、司祭たち−−すなわち、あなた方や私のような個々人です。そしてその私たちに永続的なものとつかの間のものを見分ける力が欠けているからです。
 あなた方が非本質的なものを表に出さなくなる時、自然に本質的なものを創り出すでしょう。そしてその創造は最大の重要性を持つでしょう。なぜなら、それは単に古いものから手を引くことではなく、新しいものを創造することだからです。
 私にはあなた方が何を考えているか、私が言っていることをどのように解釈しているかわかりません。結局私は、私が話していることを、あなた方の思い描くようにではなく、私が理解しているとおりに理解していただきたいのです。毎朝私が話したことがどんな結果を生んだか、お互いにどのように理解したか?それが重要なのであり、それこそが私たちが討論すべきことなのです。
 私が話していることは生の全体についてであり、ですからそれを30分で理解してしまおうとしたり、何気なく坐って私が言うことを軽々しく討論したりしないでいただきたい。私が話している間はとても集中し、それ以外の時間は他の無数のことがらで頭をいっぱいにしていれば、理解はおぼつかないのです。正しい理解は一瞬にして起こるわけではありません。それはたゆみない努力の結果です。あなた方が真の理解力を身に付けるのは、たゆみない再調整、置換、破壊、収集によってなのです。
 私がこれまでお見受けしたかぎりでは、あなた方は私が言っていることの一部だけを受け入れ、その部分だけを切り取って、それについて議論しているようです。で、その小さな部分は、全体から切り離されているので、なんの価値も持っていません。重要なのは全体、一個の具体的なまとまりとしての生の全体なのです。そしてその中の様々な苦闘、苦痛、悲しみは、あなた方が全体を一瞥した時にのみ理解されうるのです。

 − − − 以上引用 − − −

 つづく


[24904] 消去の過程 その5 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/10(Wed) 21:39  

 この消去の過程の後、以上すべての非本質的なものから手を切った後に何が残るでしょう?お教えしましょう。動揺させられることのない静謐な精神と心、柔軟で、活気に満ち、情熱的な精神と心です。それらすべてを拒否した人の精神と心はバランスがとれ、強く、確信に満ち、恍惚とし、明晰で純粋で、決然としているのです。
 そしてあなた方がその状態に至ると、永遠なるものの衣を纏うことができるのです−−それに至る以前にではなく。もしあなた方の精神と心の中に少しでも腐敗因子があれば、あなた方は腐敗を免れることはできません。
 さらに人間は、自由であるがゆえに、進んでみずからに制限を加える[訳注:好き勝手なことをしたり、放縦になることをみずからに許さない]のです。すなわち、人間は、彼を導くいかなる外部の権威も持たず、いかなる神の支配も受けないがゆえに、まさに自由に自分の望みどおりにするのです。彼は元来自由なのですが、みずからに制限を加えることによってみずからを自由にすべく努めていくのです。自由であるがゆえに(非本質的なものを)拒絶し、そのようにしてみずからを制限することによって、自由へと成長していくのです。あなた方は自由ではないでしょうか?まさに自分の望みどおりのことをしています。誰もあなた方を導いておらず、何が正しく何が間違っているかを誰もあなた方に教えてはいません。あなた方は、自分がすべき行為の選択、自分が感じるべき感情の選択、自分が考えるべき思考の選択においてまったく自由なのです。あなた方はまさに自由であるがゆえに、制限されるのです。たとえあなた方を導き、監督し、支配している超人的存在がおり、その存在は自由だとしても、あなた方自身はなお制限され、自由ではないのです。まさにあなた方は自由に自己選択できるがゆえに、あなた方の選択は制限され、それゆえあなた方の願望、思考は制限されるのです。自由であるがゆえにみずからに制限を加えるのです。獲得し、しかる後に放棄し、集め、しかる後に捨てることによって、あなた方は自分が意識するしないにかかわらずその部分になっているあの(本然の)<生>に他ならない自由に向かって成長するのです。自由であるがゆえに、あなた方は願望によって経験を蓄えるのです。願望は経験を求めます。経験はそのはけ口なのです。そして経験によってあなた方はあの状態−−すべての経験を味わい、あらゆる願望を持ったがゆえに至る、それらを越えたあの状態−−へと成長していくのです。
 あなた方が「私」の本質、その純粋さ、その力を知らないかぎり、「私」に対して鈍感なのです。あの輝ける「私」を発見し、あの静謐、あの乱しがたい状態、あの力と確信を備えるためには、以上述べたような消去の過程を経なければなりません。もし「私」が腐敗を免れ、完全に至るべきなら、それは徹底的に不完全さを免れなければなりません。なぜなら、完成はすべての不完全を拒むからです。消去、拒否、放棄−−あるいは、これらに相当するあなた方のお気に入りのもの−−の過程によって、あなた方は「私」が静謐で、明晰で、純粋で、決然とし、エネルギッシュで情熱的な状態にある、そういう精神と心の状態に至らねばなりません。で、あなた方がその状態に至る時、あなた方は「私」を教育し始めることができます。精神と心を永遠なるものの見地で陶冶するためには、すべての非本質的なものを取り除かねばならないのです。別の機会に言いましたように、非本質的なものは恐怖によって引き起こされるので、それらを取り除くことによって、あなた方は永遠なるもの、永続的なるもの、すなわち「私」に至るのです。それは、あなた方が世界を離れ、修道院に籠もり、あるいは出家しなければならないという意味ではなく、「私」の表現であるこの世界に住みながら、「私」の本性を理解しなければならないということです。そしてこの「私」を発見するためには、(非本質的な)あらゆるものを剥ぎ取らねばならないのです。それが唯一の直進路なのです。

 − − − 以上引用 − − −

 つづく


[24903] 消去の過程 その4 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/10(Wed) 21:37  

 さらにあなた方は慣習、隣人たちが言うことへの恐れから自由でなければなりません。が、これはかなり困難です−−神々への恐れから自由になることよりもずっと困難なのです。慣習は弱虫たちのために作り上げられるのであり、弱虫は慣習によって作り上げられるのです。が、慣習への恐れからの自由は放縦を意味するわけではありません。慣習は、弱い人を力づくで道を外させないようにしておくために作り上げられます。が、もしあなた方が慣習への恐れから自由なら、それは自分が正しい行為をするよう、より厳しい要求を自分自身にすることを意味しているのです。あなた方は皆、殺人を犯そうと望んでいる一般人から慣習の束縛を取り除いたらどうなるか、心配しています。それは、誰の心にもすぐに浮かぶ問いです。心配無用です。彼を生み出し、彼の弱さ、彼の願望を生み出したのはあなた方なのです。なぜなら、あなた方自身が恐れていたからです。ですからあなた方が変わり、隣人たちが言うこと、家族が考えていること、社会が考えていることへの慣習的な恐れ、グルへの恐れといった、すべての無数の幼稚な恐れから自由にならなければならないのです。
 それからあなた方は喪失と獲得−−金銭的、物質的、感情的、精神的喪失と獲得−−への恐れから自由にならなければなりません。あなた方は自分自身に対する責任があります。これは、変わりやすいあらゆるものに言えるということにどうか注意してください。お金、力、愛といった無数のものには喪失と獲得両方の可能性があるのです。よくよく考えてみれば、おわかりになるでしょう。
 再び、生と死への恐怖から自由でなければなりません。<生>には生も死もありません。それは連続的過程であり、けっしてやむことなく、常に変化していくのです。<生>の中には、ある瞬間に誕生が、そして他の瞬間に死があるということはありえません。変わるのは身体的表現だけです。で、あなた方は皆生よりも死の方をより多く追い求めており、生において何が起こるかよりは死後何が起こるかにより多く関心があるのです。なぜなら、あなた方には生と死、すなわち誕生と死があるからです。昼と夜、光と闇があるように、誕生と死があるのです。あなた方はそれについての恐れから自由にならなければなりません。もしあなた方が自分自身の純粋さを発見し、自分自身の基準を立てることを願うのであれば、そうした恐れから自由にならなければならないのです。
 次に、孤独への恐れや仲間欲しさに駆られてはなりません。あなた方は独りぼっちでいることを恐れ、単独であることができません。誰か頼れる人がいてくれることを望み、励まされ、叱咤され、あるいは「よくやった」とほめてくれる人を欲しています。ちやほやされ、お世辞を言われたいのです。あなた方の全宗教はまさに賞罰に訴え、寄り添って、孤独をまぎらわしてもらいたがる心性につけ込むのです。火なしには純金を生み出すことはできませんが、ちょうどそのように、逆境なしには強い人間を生み出すことはできません。理解するためには泣き笑いしなければならないかもしれませんが、しかし<生>には笑いも涙もありません。あなた方は孤独や仲間付き合いに無頓着にして、単独でなければなりません。なぜなら、もしあなた方が<生>を愛すれば、孤独を恐れたり仲間欲しさに駆られたりしなくなるからです。それは”ただある”のです。
 さらにあなた方は、不確かさへの恐れから自由にならなければなりません。ここに聞きに来られた方々およびキャンプに滞在している方々の大半は不確かです。ある基準が掲げられていたのですが、それが崩されてしまったので、今や不確かになっているのです。あなた方は皆、問題を解決し、どうすればいいか教えてくれる指導者が欲しいのです。が、指導者たちが問題を解決してくれるわけではないのです。なぜなら、ここで話しているような種類の問題においては指導者も子供もないからです。あなた方が自分自身で問題を解決し、一定のことが疑う余地もなく正しいとみずから確信すれば、まさにそのような確信があなた方を不確かさへの恐れから自由にするのです。


 ですからあなた方はあらゆるものを疑い、まさにその懐疑の炎の中で確信を得るようにしなければならないのです。ものごとにうんざりしている時、不幸な時に疑ってはだめです。それなら誰にでもできます。あなたが恍惚に浸っている瞬間にのみ疑わなければなりません。なぜならその時、それでもなお残るものが真実か虚偽かを見出すことができるからです。
 再び、あなた方は権威から−−私の権威だけでなく、他のあらゆる権威から−−自由にならなければなりません。「私たちは、何世紀も前から今まで、これこれのことをするようにと言われてきました」とあなた方は言うかもしれませんが、それではだめです。あなた方は、誰かに言い聞かされる子供ではないのですから。霊的・宗教的なことがらにおいては、権威というものは一瞬たりとも通用しないのです。重要なのはあなた方の個人的体験であって、権威ではないのです。あなた方は、世界中のあらゆる宗教の中で、あなた方自身の理解によってのみ、あらゆる虚偽を拒絶することによってのみ真実を見出すと、繰り返し言われてきたにもかかわらず、なおも権威に従うのです。なぜなら、その方がずっと楽だからです。権威への恐れから自由になりなさい。それは木のように切り倒し、完全に崩すことができるのです。
 それからあなた方は、身体的、感情的、精神的慰藉への願望から自由にならなければなりません。慰藉は避難場への願望を生み出し、避難場は神の形をとって現われ、そしてその神は神殿、教会または寺院に祀られるのです。その神は恐怖から生まれるのです。ですから、身体的、感情的、精神的慰藉あるいは鼓舞から自由になりなさい。私が提供しているのは冷淡な哲学ではありません。私は<生>について話しているのであって、それは熱くも冷たくもなく、哲学でもなければ学説でもないのです。
 さらにあなた方は愛着や憎しみから自由でなければなりません。すなわち、自分が好かれているかいないかへのこだわりから自由であり、また自分が憎まれているかいないかに無頓着でなければならないのです。あなた方自身の行為は、愛憎からではなく、あなた方自身の固有の願いから生まれなければならないのです。どうかこれについて熟考していただきたい。愛着や憎しみを介在させてあなた方の判断を歪めさせてはならないのです。もしあなた方が、誰か特定の人への愛着ゆえに一定のことをしたり、一定の仕方で変わるのなら、それは本当の愛でもなければ、行為への本当の理由でもないのです。行為は無私なる動機から起こるべきです。なぜ私がこういったすべてをしていると思いますか?あなた方全員が私を好きだからですか?私がこうしているのは、それが正しいと思うからであり、他の誰かのせいではありません。私がこうしているのは、あの不変不易の<生>、終わりも誕生も死も持たず、いかなる恐怖の獄舎にも縛られていないあの<生>と和合しているからです。が、これはあなた方がお互いに愛し合ってはならないという意味ではありません。
 さらに、自分自身を表現しそこなうことへの恐れがあります。が、もしありのままの自分のことを知らなかったら、いかにして自分自身を表現することができるでしょう?ありのままの自分を見出すためには、以上述べたようなすべてのものから自由にならなければなりません。
 願望にまつわる恐れ、野心、嫉妬、羨望、競争にまつわる恐れ、さらに苦痛や悲しみへの恐れ−−最後に残る永遠なるものを発見するためには、あなた方はこれらすべてから自由でなければならないのです。自分が自由であると想像し、その自由を身体的表現に移してごらんなさい。もしあなた方が世界を変えるつもりなら、そのいずれかの部分に属することはできないのです。
 少しだけ変えても無駄です。完全な断絶がなければなりません−−それが前進するための唯一の道なのです。

 − − − 以上引用 − − −

 つづく


[24902] 消去の過程 その3 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/10(Wed) 21:36  

『白い炎』p99 より引用 (コスモス・ライブラリー 発行 大野純一 編訳)

 <以下は、1929年にオランダにある「星の教団」の拠点アイルダー城で、団員に向かっていかにして理解力を働かせ、真理の実現にとって不要なものを消去したらいいかを説いたトークである>

 「消去の過程」の章 <消去の過程>

 正しい価値、正しい基準を見出すためには、消去の過程を経なければなりません。が、それは単に知的または感情的にそうすれば済む問題ではありません。消去し、片付けたら、それは具体的な結果として現れなければならないのです。ここで注意すべきことは、真に理解する人にとっては、放棄とか自己犠牲はないということです。いかにしてありうるでしょう?自分に押しつけられたすべてのもの、自分が身に付けてきたすべてのものを片付け、何が自分の全存在の本質的核心なのかを見出すこと。そのように片付けることは放棄ではなく、"浄化"なのです。
 すべての外面的なものからの自由を持ち、自分の真の本質を発見するためには、恐怖から自由でなければなりません。
 まず第一に、救いにまつわる恐怖から。なぜなら、あなた方自身以外の誰もあなた方を救うことができないからです。いかなる教会を建てようと、いかなる神々や神像を崇めようと、いかなる祈りや崇拝や儀式をおこなおうと、それによってあなた方はあの内なる理解と静謐さを与えられはしないのです。どうか私が掛け値なしにこう申し上げているということをご理解いただきたい。後で、「あの人が言いたいことは違うことなのだ」と言わないようにしてください。強い人間、腐敗しない人間、明晰なビジョンを持ち、明晰な理解を持った世代をこの世界に生み出すこと−−それが私の関心なのです。
 次にあなた方は古代および現代の神々から自由にならなければなりません。あなた方はどうされようとしているのですか?自由になろうとしていますか、それとも弱い子供のように、導かれ、助けの手を差し伸べてもらおうとしているのですか?結局、人はたくましく成長し、すべての神々から自由にならなければなりません。なぜなら、"彼自身が潜在的に神的な存在だからです"。彼は唯一の神であり、他のいかなる神もいないのです。ですから、なんの価値もない外部のものをなぜ崇めるのですか?奇妙にも、あなた方は常に神々を崇めていますが、けっして野良仕事をしている人、あなた方自身、労働者を崇めようとはしません。あなた方が崇め奉る神とは誰なのですか?どうやって隣人と仲良く暮らしたらいいかも知らないのに、ずっと遠くにいる神様を崇めているのです!
 次にあなた方は、伝統的な正邪の観念から自由にならなければなりません。あなた方は今何をしているでしょう?古い信念、伝統、恐怖、神々、マスター、神、人類が至らなければならない何かについてなのです。しかるにあなた方は中間的な段階のものを崇めており、それはなんの価値もないのです。もし世界を変えたければ、−−それを覆っている影を払い、健全で、純粋で、強固なものにしたければ、−−あなた方自身が強くなり、そういったすべてへの恐れから自由にならなければなりません。それこそは私があなた方に望んでいることです。あなた方は偽りの、非本質的なもの、迷信や混乱をもたらすものを打破しなければなりません。で、そうするためには、あなた方自身が恐怖の魔手に捕らえられてはならないのです。
 さらにあなた方は、罰への恐れと報いの誘惑から自由でなければなりません。あなた方の多くがなぜここにおられるのか、私にはわかりません。私に聞くことによって何か特別の報い、特別の天国を手に入れられるとでも思っておられるのですか?それとも、聞かなければ罰を受けるとでも思っておられるのですか?あなた方は自分自身の本質によって報われ、自分自身の思考によって罰せられるのであって、他の誰もあなた方を妨げたり、罰や報いをあなたに与えたりはできないのです。ですからあなた方は、世界中に存在しているあの脅しから自由でなければなりません。「正しいことをすれば報われるであろう。悪いことをすれば罰せられるであろう」。あなた方はヒンドゥー教やキリスト教の伝統的な天国と地獄は片付けたかもしれませんが、しかしそれらに劣らず災いの元で、非現実的で、偽りの、別のそれらを考え出してきたのです。もしあなた方が自分自身の清浄さ、自分自身の理解、自分自身の力を発見したければ、賞罰の観念から自由にならなければなりません。

 − − − 以上引用 − − −

 つづく


[24901] 消去の過程 その2 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/10(Wed) 21:34  

(後略)これより先、「消去の過程」の実践的説明が述べられています。


 私は、あの<生>−−万人の<生>、変化するがにもかかわらず不変不易のあの<生>−−について話しているのです。なぜなら、不完全が個人性を生み出すからです。そして自由に他ならないあの完成は、あらゆる人間の開花なのです。相対的で制限されたものではなく、絶対的な<生>あるいは真理に他ならない完成を遂げるには、その前にそれに至るいかなる道もないことを悟らなければなりません。真理に至るいかなる道もないのです。それは道なき領域なのです。大洋はすべての道を受け入れます。ある川はある国を通り、他の川は他の国を通り、異なった気候にさらされ、異なった樹木、民族、人種を養い、あるいは砂漠地帯を通過するかもしれません。けれども、それらはすべて同じ海へと向かいます。ちょうどその道なき海のように、この真理には道がないのです。
 <生>は自由であり、無条件であり、制約できず、そしてそれに至るためには、あなた方は束縛され、制限されたいかなる道をたどってもならないのです。なぜなら、真理は全体であって部分ではないからです。むらのある、中途半端に発達した知性と感情でそれに至ることはできません。なぜなら、真理は完璧な調和、精神と心の完璧な均衡、つまりは<生>だからです。あらゆる男性、あらゆる女性、この世のあらゆるものは、悲しみ、苦痛あるいは恍惚を味わいつつ、すべての生の完成・成就であり、けっして乱されることのないこの自由を求めてもがき、苦闘しているのです。
 あなた方は自由でなければなりません。いかなる神、いかなる宗教、いかなる宗派にも縛られてはなりません。過去または現在のいかなる権威にもへつらってはなりません。なぜなら、すべての権威は非生産的だからです。
 もしあなた方の精神と心が崇拝、祈り、恐怖、不安によって抑制されていれば、その時にはあなた方の観念は完成であるところのあの永遠なるもの、あの不滅なるものに根ざすことはできません。ですから、そういったすべてのものにとらわれないようにしてください。どうか私が言っていることを持ち帰って、「あの人は違うことを言いたいのだ。彼は私たちがこの特定の教会、またはあの特定の宗教、または他の特定のことのためにわれわれが働くように言っているのだ」と言わないようにしてください。それは、あなた方が真理を見出すことができないがゆえの言い訳なのです。あなた方はそういったすべてのものの奴隷であり、それらの影の中に生きているのです。どうすれば日光を理解できると思いますか?あなた方自身以外の誰も、あなた方を日の下に引き出すことはできません。他の誰かに救いを求めることは実に幼稚です。誰もあなた方を救い出すことはできないのです。あなた方自身が多大の努力を払って、影から飛び出さねばならないのです。もしあなた方が闇の中に留まっていれば、「私は闇の中で満足し、それを楽しむのだ」と言うでしょう。あなた方にはそうするための完全な権利があります。が、もし光とその明るさ、清浄さ、静けさを味わいたければ、あなた方は闇から抜け出さねばならないのです。
 すぐ外に一羽の大アオサギがいますが、それは魚を捕らえるため何時間もじっと集中し、一意専心して待ち続けています。同様にして、真の自己想起をおこなうには、集中する必要があるのです−−この一時間だけでなく、日中ずっと。で、それははるかに困難です。
 おしゃべりやうわさ話ばかりしてすべてのエネルギーを費やしてしまえば、あなた方は自分自身を発見することはできないのです。
 私が話していることはなんら超常的なことではありません。それは、個的および普遍的な生の極致、究極的完成のことなのです。このことを理解し、理論を日常的行動での実践に移すためには、あなた方はすべての外面的、客観的影響から自由でなければなりません。今まであなた方は一定の基準を持ち、それらに従ってこられたわけですが、しかし権威に反抗し、それを打破することによって、それらの基準をすべて切り崩さなければならないのです。が、それには大いなる気迫が必要です。今必要なことは各人が自分自身にとっての新たな価値、ガイドの役を果たしてくれる真の基準を確立することなのです。

 − − − 以上引用 − − −

 つづく


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