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[24900] 消去の過程 その1 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/10(Wed) 21:33  

 >これから抜け出るのが難しいようです。−−、それを示唆する文面が、『白い炎』p89にあるようなので、引用します。
 長いのでいくつかに分けて投稿したいと思います。


  『白い炎』p89 より引用 (コスモス・ライブラリー 発行 大野純一 編訳)

 「消去の過程」の章

 <以下は、1929年にオランダにある「星の教団」の拠点アイルダー城で、団員に向かっていかにして理解力を働かせ、真理の実現にとって不要なものを消去したらいいかを説いたトークである>

 私は、私たち一人ひとりが根源的に変わらなければならない、そういう時が来たと強く感じます。−−すなわち、理解したがゆえに、過去のあらゆるものと手を切らなければならない、そういう時が。あなた方の内面にはまだ過去からの十分な断絶がありません。で、そのような断絶は、取り去られたものに取って換わる永続的な満足、理解、慰めを与えてくれる何かをあなた方が本当に真剣に見出そうと思っているときにのみ起こりうるのです。
 過去からのこの絶対的断絶なしには、あなた方は自分自身の中にも、外の世界にもけっして新たな何かを創造することはできないでしょう。
 あなた方がここに参集されたのは、私に傾聴し、私が言っていることを理解するためです。この理解にまず必要なこと、不可欠なことは、過去によって築き上げられたすべての障害物−−すべての迷信、すべての先入見など、明晰な検証と明晰な思考の妨げになるあらゆるもの−−を打破することです。過去からの断絶と過去への反抗があることが絶対に必要なのです。もしあなた方私が言っていることを理解すれば、あなた方は自分自身、自分の性質を理解し、自分があの自由という完成に向けて成長していることに気づき、ゆえにその成長を促すようになるでしょう。そのことを理解する時、あなた方は私を、ひいては他のあらゆる人を理解するようになるでしょう。が、自分自身を理解するためには、あなた方は常に自分の環境、伝統、自分が真実だと信じているもの、目標にとって不可欠だと思い込んでいるもの、人から言われたこと、自分が読んだことにとらわれないようにしなければなりません。あらゆるものを手放さなければなりません。あなた方が、身体的、感情的、精神的にまったくとらわれがなくなるやいなや、あなた方は人間の進化の全構造を理解することができるでしょう。
 あなた方は強くなければなりません。さもなければこの新しい夜明け、この新鮮な理解はだいなしにされ、消え失せてしまうからです。
 なぜ人々が霊的・宗教的な価値、精神的・道徳的な価値を破壊することを恐れるのか、私にはわかりません。結局、あなた方が何かを精神的、感情的に破壊する時、あなた方は何かその代わりのものを築いているのです。それについてどうか熟考してください。そうすれば私が何を言いたいのかおわかりになるでしょう。あなた方が外部の道徳によって縛られなくなり、もはやいかなる宗教的迷信−−過去のそれであれ、現在のそれであれ−−にも隷属しなくなる時、あなた方は自動的に、自分自身の不可欠の部分である何かを築き上げていくのです。
 私は、このことを理解し、それを身体的、感情的、精神的に−−統合的に、全体として−−生きる人々が欲しいのです。そのような人々が二千人いるか二人しかいないかは問題ではありません。私は、人数にも、どんな仕事をすべきかにも、どんな土地あるいは城を持つべきかにも、世界中に無数の地所を持つべきかどうかにもまったく関心はありません。そういったすべては取るに足りないのです。私たちがしなければならないこと−−少なくとも私がしたいこと、しようとしていること−−は、人間によって作り上げられてきた、真実性に欠ける、偽りのすべての古い伝統、観念、神々、迷信を破壊することです。で、まさにその破壊の過程によって、各人の内なる自治を確立しそれを支持する新しい伝統、たゆみない思考によって、永遠なるものからけっして離れない伝統となる、そういう新しい精神のあり方を生み出すのです。私は、自動的に行動に移され、他の人々の遇し方に現される、そういう新しい種類の思考、新しい種類の生き方を確立したいのです。
 あなた方自身の内にこの断絶を生み出すには勇気、弁別力が必要ですが、あなた方はまだそれをお持ちではない。あなた方は、自分に好都合な程度までは歩みますが、けっして最後まで歩もうとはしません。
 二種類の英知があります。一つはこの世界のそれ、もう一つは真実の世界に属するそれです。私が話しているのはこの世界の英知ではなく、真実の世界のそれです。すなわち、磨き抜かれた識別力で、真実で本質的なものと、偽りで不毛なものとを見分ける力を持った英知のことです。それが真の英知なのです。
 英知をもって反抗するためには、あなた方は集中しなければなりません。ただし、いわゆる瞑想などの実践によってではなく、一意専心によって−−弱虫の精神状態ではなく、強者の集中によって−−です。
 あなた方は、慣習とか他人の意見といった無数のものを恐れておられる。現在の瞬間を自分のまわりのあらゆるものと折り合わせようと望んでおられる。過去に語られてきたことを現在と折り合わせようと望んでおられる。相変わらずの旧態依然たる仕方で歩み、これまでどおりのマスターやグルを仰ぎ、崇拝形式や儀式を固守し、そしてそういったすべてを私が言っていることと折り合わせようと望んでおられる。あなた方はけっして過去および未来と共に生きることはできません。「私は弱く、だからこの支えを必要としている、私を励ましてくれる誰かを必要としている」とあなた方は言うかもしれません。が、それは本当の励ましではないのです。もしあなた方が自分の幸福、成長のために誰かを頼れば、あなた方はますます強くなるどころか、ますます弱くなってしまうからです。
 けっして外部からの救いを求めてはなりません。さもなければ、古い慣習のかわりに新しい慣習にとらわれてしまうでしょう。私たちが生み出さねばならないのは、みずからの内なる救いを確信しており、強く、自分の目的について確固としており、そして外部の慰め、権威、励ましを求めていない、そういう人々です。そのように集中するには、絶えず思慮深くあることが必要です。気づいていないこと、明晰に考えないことは、あなた方がおそらく持ちうる最大の不幸です。気づきの欠如は慰めへの必要を生み出します。あなた方は自分の人生の真の目的を絶えず想起しなければなりません−−ただし、おわかりのように人為的にではなく、バランスのとれた自己想起を充分にすることが必要なのです。
 では、あなた方はそれにどう乗り出しますか?あなた方がこれらの集会に参加して、毎日私の話を聞いても、もし明晰な理解が生じ、それによってそれが真に生きられなければ、何の意味もないのです。

 私の関心は新しい理論、新しい哲学、新しい方式、あるいはそれらの新しい組合せにではなく、もっぱら生きられることができる−−生きられなければならない−−観念、思考および感情にあるのです。私は自分にとって絶対的に確かなもの、絶対的に真実なもの−−相対的にではなく、絶対的に確かで真実なもの−−を見出したのです。ですから私は、自分が見出したそれらの観念が万人によって生きられうること、生きられねばならないことを示したいのです。それらは特権者たちのためのものではありません。完成は風変わりなことではなく、自然なことなのです。それは、たゆみない精進、たゆみない注意深さ、気づき、自己想起の結果なのです。それは、いかなる外部的環境、外部的権威、外部的影響、悲しみあるいは喜びによっても左右されえない真理に向けて絶えず傾注し続ける努力の結果なのです。
 もしあなた方が私の言っていることに同意なさるなら、あなた方はすべての外部的状態ないし条件からの自己解放を遂げるべく努力すべきです。
 私が到達したものは万人によって到達されねばなりません。それは少数者の特権ではなく、全人類、全世界の人々が遂げるべき開花なのです。世界中のあらゆる人が時間と空間、苦しみ、悲しみ、苦痛、快楽の輪にからみついているので、私は彼らがその輪−−つかの間のもの、非本質的なもの、真実ではないもの、錯覚に基づくものの輪−−から離脱し、そしてまさにその離脱によって、疑いの余地のない絶対的な確信をみずからの力で確立してほしいのです。
 あなた方の大半は、三年間にわたって私に聞いてこられましたが、にもかかわらず誰かに対して自分の確信を主張できずにいます。あなた方は私の言葉を引用−−誤って、または正しく−−しますが、それにはなんの価値もありません。私の言葉が真実であることをあなた方がわかり、ゆえに強くなるまでは、震えなしに他人の前に立つことはできないからです。が、それこそはまさに私があなた方にしてほしいと願っていることなのです。私は単に「ええ」とうなずく人々は望みません。が、もし同意するのなら、他のあらゆることに異議を唱えるほど完全に同意し、他のあらゆることを燃やし尽くす炎にならねばなりません。どちらか一方でなければなりません。中立的であることはできないのです。もしあなた方が炎の方なら、その時にはあなた方の全存在−−あなた方の顔つき、態度、感情、思考、体つきといったあらゆるもの−−がその炎の表現にならねばならないのです。もしあなた方が同意しないのであれば、同意するのと等しく激しくそれに逆らい、立ち去ってください。わたしがこう申し上げる理由は、あなた方が現在していることはまったく非生産的だからです。あなた方の同意にどんな価値があるのでしょうか?ないも同然です!
 どのようにあなた方は外の人々を変えましたか?どのようにあなた方は自分自身の環境、自分自身の人生を変えましたか?あなた方の同意はなんの変化ももたらさなかったのであり、ですから実は同意していないも同然なのです。あなた方は世間一般の人々と同じくびくびくしており、軟弱で、迷信や権威や慣習を恐れています。あなた方の同意は強い人間、あらゆるものに無頓着だがしかし自分自身の力を確信している、そういう人間を生み出さなかったのです。
 ですから両方とも持つことはできないのです。偶像崇拝者でありながら、にもかかわらず自由を口にすることはできないのです。聖画の崇拝者でありながら、にもかかわらず真実について話すことはできないのです。奴隷でありながら、同時に探求から生まれる真の理解についての内的確信から起こる解放について話すことはできないのです。方式の信奉者でありながら、同時に自由について話すことはできないのです。どちらか一方−−熱いか冷たいか−−でなければならないのです。もしあなた方が熱いのであれば、すべての外面的なものごとを焼き尽くし、すべての雑草、迷信、恐怖、神々、偽りのもの、人生の非本質的なものごとを一掃しなさい。もし冷たいのであれば、私が言っていることを顧慮することなく、利己的で、偏狭で、恐れていなさい。遠慮は無用です。いずれか一方を確信しなさい。一方を把握し、しかる後にそれを歪曲して他方に合わせようとしても無駄です。一方を歪曲して二つ−−新しいものと古いもの−−を折り合わせることはできません。そんなことをすれば、かえってよりおおきな悲しみ、より大きな誤解、より大きな苦闘を招くだけだからです。
 私はあなた方をいずれか一方に誘い込もうとしているのではありません。あなた方がわたしに同意するかしないかは問題ではないのです。結局は私は、全世界を向こうにまわして戦うほどこのことに一意専心するごくわずかの人を見出すだけかもしれません。が、そのような人が一人、二人、あるいは六人いれば充分です。ですからあなた方が私に同意するかしないかは問題ではないのです。で、結局は同意しないことでしょう。もし今同意しなければ、あなた方が同意するのは一億年後のことになるでしょう。私が話しているのは、世界の精華、全人類にとっての芳香、美のことだからです。
 私の願いはあなた方に催眠術をかけることではなく、あなた方が自分自身の目でものごとを明晰に見てほしいのです。あなた方は光と闇、確実と不確実、本質的なものと非本質的なものに同時に属することはできないのです。
 もしあなた方の思考、観念がつかの間のものに属するなら、その時には私が話していることを見出すことはけっしてないでしょう。それらが永遠なるものの花を生じる種子かどうかを発見するためには、あなた方は消去の過程、あなた方が身に付けてきたすべてのものからの完全な離脱の過程を経なければなりません。
 あなた方の観念は永遠なるものに根ざしてはいません。なぜなら、あなた方はまだ永遠なるものを発見していないからです。いったんあなた方がそれを見出せば、あなた方の理想は自然にあの不死、あの確かさの形をとって現れるでしょう。

 − − − 以上引用 − − −

 つづく


[24899] Re:[24898] [24897] [24896] [24895] 「心を変える瞑想」(5) 投稿者:ゴト 投稿日:2018/01/10(Wed) 18:49  

>  クリシュナムルティは死の直前に音声録音を行いました。そこでは、クリシュナムルティの周囲の誰もが根源的変容を遂げることはなかった・・旨が述べられています。
>
>  このことと、渡辺氏といえど、根源的変容が未だ訪れていない。
>
>  上記の二つにより、根源的変容をもしも遂げることができなかったとしても、特に大きな問題はないと感じています。
>
>  それよりも問題が大きいことは、根源的変容が遂げられていないにも関わらず、それを遂げたと誤って見ることではないでしょうか。
>
>  人にできることは、日常生活で見ること。クリシュナムルティの陳述を通して見ること。
>
>  >あなたはただ見ることができるでしょうか、それはあなたは見ることに気をつけるに違いない、見ることを愛するに違いないということです。−−、見ることを愛すること。


じっと物事あるいは社会を見守る。何か感じたとき、人はこうするのが普通なのですが、その後が何か活動したくなるのでしょうか? いつも見守るのがが難しいようで、何かしなければいられないのがもう一つの普通のように見えます。

これから抜け出るのが難しいようです。なぜなのでしょうか、不思議です。私もそうなんですが・・・



[24898] Re:[24897] [24896] [24895] 「心を変える瞑想」(5) 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/09(Tue) 21:40  

> > > ゴト: 人の生に時たまにせよ愛と美がきらめく時があるなら、周囲の人はそれに気づき、思考のみの競争的生を忘れ、愛と美の香気に気づきます。調和、秩序があります。
> > > それがないと、生の衰退堕落が進むのみです。これが自分の事実としてわかれば、人は新しい生を生きます。聖人とか覚者というイメージに煩わされることなしに。
> > > これで「心を変える瞑想」は終わりです。最後に重要な質問が並びました。
> > > (訳者: N.Goto)2003.09.掲載
> >
> >
> >  先日、『英知のターニングポイント(思考のネットワーク)』のアムステルダムトーク1回目が、クリシュナムルティ本人によるクリシュナムルティの発信の要約であり神髄である旨をゴトさんと確認しましたが、その要約とは、神髄というよりは、60年間のクリシュナムルティの講話内容の聴衆向けの要約であることを感じていました。
> >
> >  そこで、この「心を変える瞑想」は、もしも、ブッダとクリシュナムルティが語り合うことができたとすれば、クリシュナムルティがブッダに対して、要約して述べるであろう事柄のように感じています。その辿り着く先のことまで丁寧に述べられています。仏教でいうところの般若心経的なダイジェストのように感じています。
> >
> >  すなわち、もしも長い旅に出かけるとするならば、その時、何かクリシュナムルティの書物を持ってゆくとするならば、荷物として、最もコンパクトなこの「心を変える瞑想」をプリントアウトして持ってゆくということです。
>
>
> 私はとどのつまり、直感的に本質を見る(本質直感)、あるいは断片化せずに全体観的に一瞥のもとに観取する、洞察するところから行為が起こると言います。そこの基本がわかればむしろ簡単、と言う事ができるようなことです。見ることに入るとも言います。
> それを何年も、何十年もかけて精錬しなければと言うのは、見当違いでよくわからないからかと思うのです。
>
> だがそれが難しいのはみんなの目が、どうしても観念の中で断片的に見るのが自然だと思ってしまうからです。特に会社などの社会組織、国家間の間のことになると対立・抗争、未来を考えて不安、恐怖を感じ、安全を求めるように心理的時間の中に入り込んでしまいます。考えの世界の中に入り込んでしまいます。そう言われても私もわからなかったのですが…
>
> 竹田青嗣氏も哲学を再建しようとしていて、基礎にフッサールの現象学的意識の直感を置くのはいいですが、その現場は主体が能動的に直感に基づいて行動するのですが、そのエロス的欲望は、結局もっともっとと膨らんで、欲望の資本主義と言われるところに行きはしないか、主体とは何か、そこがよく読み取れません。
>
> そのなかに悪の発生とは何かという事が書いてあり、興味深くはあったが短く、第3巻が出なければ、それは善や正義、倫理を扱うらしいのですが、だいぶ先のことでしょう。この能動的に求めてやまないものの正体が何かがはっきりしない。竹田青嗣氏はフッサールの純粋意識とか知覚直感、本質直感には詳しく触れていてさすがと思いますが、このエネルギーが成長に伴ってどう動きだすかが問題だと思います。
>
> 実は倫理には現状は混乱を極めているというだけで踏み込んでいないけれど、意識が美や芸術を感じるとはどういうことかという事はかなり詳しく書かれていて、大いに関心があるのですが、よく理解できていないのです。この話はまた次の機会にしましょう。


 クリシュナムルティは死の直前に音声録音を行いました。そこでは、クリシュナムルティの周囲の誰もが根源的変容を遂げることはなかった・・旨が述べられています。

 このことと、渡辺氏といえど、根源的変容が未だ訪れていない。

 上記の二つにより、根源的変容をもしも遂げることができなかったとしても、特に大きな問題はないと感じています。

 それよりも問題が大きいことは、根源的変容が遂げられていないにも関わらず、それを遂げたと誤って見ることではないでしょうか。

 人にできることは、日常生活で見ること。クリシュナムルティの陳述を通して見ること。

 >あなたはただ見ることができるでしょうか、それはあなたは見ることに気をつけるに違いない、見ることを愛するに違いないということです。−−、見ることを愛すること。



[24897] Re:[24896] [24895] 「心を変える瞑想」(5) 投稿者:ゴト 投稿日:2018/01/08(Mon) 22:46  

> > ゴト: 人の生に時たまにせよ愛と美がきらめく時があるなら、周囲の人はそれに気づき、思考のみの競争的生を忘れ、愛と美の香気に気づきます。調和、秩序があります。
> > それがないと、生の衰退堕落が進むのみです。これが自分の事実としてわかれば、人は新しい生を生きます。聖人とか覚者というイメージに煩わされることなしに。
> > これで「心を変える瞑想」は終わりです。最後に重要な質問が並びました。
> > (訳者: N.Goto)2003.09.掲載
>
>
>  先日、『英知のターニングポイント(思考のネットワーク)』のアムステルダムトーク1回目が、クリシュナムルティ本人によるクリシュナムルティの発信の要約であり神髄である旨をゴトさんと確認しましたが、その要約とは、神髄というよりは、60年間のクリシュナムルティの講話内容の聴衆向けの要約であることを感じていました。
>
>  そこで、この「心を変える瞑想」は、もしも、ブッダとクリシュナムルティが語り合うことができたとすれば、クリシュナムルティがブッダに対して、要約して述べるであろう事柄のように感じています。その辿り着く先のことまで丁寧に述べられています。仏教でいうところの般若心経的なダイジェストのように感じています。
>
>  すなわち、もしも長い旅に出かけるとするならば、その時、何かクリシュナムルティの書物を持ってゆくとするならば、荷物として、最もコンパクトなこの「心を変える瞑想」をプリントアウトして持ってゆくということです。


私はとどのつまり、直感的に本質を見る(本質直感)、あるいは断片化せずに全体観的に一瞥のもとに観取する、洞察するところから行為が起こると言います。そこの基本がわかればむしろ簡単、と言う事ができるようなことです。見ることに入るとも言います。
それを何年も、何十年もかけて精錬しなければと言うのは、見当違いでよくわからないからかと思うのです。

だがそれが難しいのはみんなの目が、どうしても観念の中で断片的に見るのが自然だと思ってしまうからです。特に会社などの社会組織、国家間の間のことになると対立・抗争、未来を考えて不安、恐怖を感じ、安全を求めるように心理的時間の中に入り込んでしまいます。考えの世界の中に入り込んでしまいます。そう言われても私もわからなかったのですが…

竹田青嗣氏も哲学を再建しようとしていて、基礎にフッサールの現象学的意識の直感を置くのはいいですが、その現場は主体が能動的に直感に基づいて行動するのですが、そのエロス的欲望は、結局もっともっとと膨らんで、欲望の資本主義と言われるところに行きはしないか、主体とは何か、そこがよく読み取れません。

そのなかに悪の発生とは何かという事が書いてあり、興味深くはあったが短く、第3巻が出なければ、それは善や正義、倫理を扱うらしいのですが、だいぶ先のことでしょう。この能動的に求めてやまないものの正体が何かがはっきりしない。竹田青嗣氏はフッサールの純粋意識とか知覚直感、本質直感には詳しく触れていてさすがと思いますが、このエネルギーが成長に伴ってどう動きだすかが問題だと思います。

実は倫理には現状は混乱を極めているというだけで踏み込んでいないけれど、意識が美や芸術を感じるとはどういうことかという事はかなり詳しく書かれていて、大いに関心があるのですが、よく理解できていないのです。この話はまた次の機会にしましょう。


[24896] Re:[24895] 「心を変える瞑想」(5) 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/08(Mon) 17:34  

> ゴト: 人の生に時たまにせよ愛と美がきらめく時があるなら、周囲の人はそれに気づき、思考のみの競争的生を忘れ、愛と美の香気に気づきます。調和、秩序があります。
> それがないと、生の衰退堕落が進むのみです。これが自分の事実としてわかれば、人は新しい生を生きます。聖人とか覚者というイメージに煩わされることなしに。
> これで「心を変える瞑想」は終わりです。最後に重要な質問が並びました。
> (訳者: N.Goto)2003.09.掲載


 先日、『英知のターニングポイント(思考のネットワーク)』のアムステルダムトーク1回目が、クリシュナムルティ本人によるクリシュナムルティの発信の要約であり神髄である旨をゴトさんと確認しましたが、その要約とは、神髄というよりは、60年間のクリシュナムルティの講話内容の聴衆向けの要約であることを感じていました。

 そこで、この「心を変える瞑想」は、もしも、ブッダとクリシュナムルティが語り合うことができたとすれば、クリシュナムルティがブッダに対して、要約して述べるであろう事柄のように感じています。その辿り着く先のことまで丁寧に述べられています。仏教でいうところの般若心経的なダイジェストのように感じています。

 すなわち、もしも長い旅に出かけるとするならば、その時、何かクリシュナムルティの書物を持ってゆくとするならば、荷物として、最もコンパクトなこの「心を変える瞑想」をプリントアウトして持ってゆくということです。


[24895] 「心を変える瞑想」(5) 投稿者:ゴト 投稿日:2018/01/07(Sun) 08:21  

「心を変える瞑想」(5)

ゴト: Kのトークを終わって質問に入ります。

質問者: 愛とは何でしょうか?

クリシュナムルティ: ここの紳士は愛とは何か知りたいと望んでいます。話し手が愛が何かを述べれば、あなたは愛を持つでしょうか? あなたが空腹なときに、あなたが食べようとしている食べ物を描写すれば、あなたは描写で満足するでしょうか? なぜあなたは愛が何であるか質問するのでしょうか、それはあなたが愛を持っていないことを意味します。あなたが愛を持っていないなら、愛が何であるか見出すことができるでしょうか? あなたができることのすべては、何が愛でないかを見出すことです。いいですか? 愛は嫉妬ではありません。あなたが力、地位を追求しているとき、あなたが性的快楽を追い求めているとき、愛はありません。あなたがするように、金を第一に置くとき、愛はありません。そこであなたは、愛が何であるか見出すために、あなたはあなたの野心をやめますか? あなたの嫉妬をやめますか? あなたの競争的攻撃性をやめますか? それは従順になるということではありません。あなたにとってそれらは愛より遥に重要なので、あなたはやめないのではないかと私は気がかりです。そして保証しますが、愛を持たないなら、あなたは思いやりを持ちません。あなたの社会は消えるよう運命づけられており、あなたの堕落は保証されています。そしてあなたは「はい、私は気にしません、私は私の野心、私の貪欲、私の金と共に進みましょう」と言います。あなたが関わっていることのすべては、あなた自身と共にあります。

ゴト: この質問「愛とは何でしょうか」は、思考で愛をとらえようとして出たものだと思います。愛や美は思考でとらえられるものでしょうか。しかし、心は愛(気遣いを持って見守ること)も美も意識せずとも知っているのではないでしょうか?
心の全体で生を感じ生きていきましょう。


質問者: 見るために、よく見るために、心は唯一の道具です。しかし心は過去のものからできています。

クリシュナムルティ: よく見るために、見るために、心は私たちの唯一の道具であり、その道具は過去のもので組み立てられています。したがって、どうやって私は過去のものなしに見たらいいでしょうか? あなたが木を見るとき、何が起きますか? ただちにあなたは木に命名したり、その木についての自分の偏見や楽しみを導入します。それゆえあなたとその木の間には、言葉のスクリーン、偏見のスクリーン、知識のスクリーン、あなたの欲望のスクリーンがあります。それゆえあなたはけっして、けっしてその木を見ないでしょう。あなたはあなたのスクリーンを脇にやることができるでしょうか、そのすべてを脇にやリ、ただ見ることができるでしょうか? あなたは隣人、政治家、教授、導師、妻と子供を、そしてあなた自身を、あらゆるイメージ、スクリーン、観念、偏見、恐怖なしに見ることができるでしょうか? あなたはただ見ることができるでしょうか、それはあなたは見ることに気をつけるに違いない、見ることを愛するに違いないということです。あなたの心があなた自身の欲望を背負っているなら、あなた自身の悲しみを背負っているなら、あなたは女性や男性や子供の美、天空の美、鳥の美、木の、山の美を見ることはできません。あなたが見ることを望むなら、それらの重荷は見るために捨てられるに違いありません。そしてあなたが見るとき、気遣いがあります、愛情があります、何かの美を見つめる愛があります。

ゴト: そう、これなんですね。


質問者: 時間を越えた心がどうやってこの世界で機能できるのでしょうか?

クリシュナムルティ: 何と容易にあなたはそのような状態−時間を越えた心−を、それについて何も知らないで、そのような心の息吹と香りを持つこともなしに受け入れるのでしょうか? そのような心がどんなふうにここで機能するのだろうかとあなたは尋ねています。私はあなた方に、私たちは共に新しい世界を創造する必要があると言いました。したがって、あなたがそのような心を持つ必要があります。話し手ではなく。話し手は重要ではありません。重要なことはあなたがそのような心を持つことです。そのときあなたはどんなふうに機能するか、どんなふうに違った生を生きるか、どんなふうに宗教的な心を持ち、この世界の中で生きるかを見出すでしょう。しかしそれを見出すことなしに「それについて思索してみたい」と言うのは、あなたはけっしてあなた自身で見出さないのではないかと気がかりです。それで、まずあなたの生に秩序をもたらしてください、あなたが毎日生きている無秩序の生に気づいてください−一つのことを言い 別のことをする、あることを思い ほかのことを装う−不正直、節操のない生き方。そのすべてに気づくことが、あなたの生に秩序をもたらすことです。あなたの日常の生活の中にその秩序なしには、瞑想は場所を持ちません、それはただの逃避です。そしてあなたが社会の変容に関わっているなら、あなたは変わる必要があります。社会は不道徳であり、腐敗しているので、社会はものすごい変化を要します。そして集団的にあなたが社会を造り出したので、集団的にあなたは変わる必要があります。なぜならあなたは集団であるからです。あなたは世界であり、世界はあなたです。あなたが集団として変わらないなら、かわいそうに。あなたは大きな危険に、大きな災厄に直面しています。あなたの家は燃えており、あなたは目を閉じることはできません。あなたは閉じたいかも知れませんが、しかしあなたの子供、あなたの孫は、あなたが今していることのために支払うでしょう。それゆえあなた方、あなたが自分の日常生活の中で秩序、美、愛を持っていないなら、あなたは美と愛のまさに本質である、あの名前のない、始まりも終わりもないものに出会うことはできません。

ゴト: 人の生に時たまにせよ愛と美がきらめく時があるなら、周囲の人はそれに気づき、思考のみの競争的生を忘れ、愛と美の香気に気づきます。調和、秩序があります。
それがないと、生の衰退堕落が進むのみです。これが自分の事実としてわかれば、人は新しい生を生きます。聖人とか覚者というイメージに煩わされることなしに。
これで「心を変える瞑想」は終わりです。最後に重要な質問が並びました。
(訳者: N.Goto)2003.09.掲載


[24894] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/01/06(Sat) 10:54  

今日はこれから一日中出掛けます。また明日。


[24893] Re:[24890] [24888] [24886] 「心を変える瞑想」(3) 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/06(Sat) 09:50  

> > > ゴト: ヒトが聖と言ってきたものも思考によってつくられた聖だったのです。思考を通して作動している心は思考から自由になれるでしょうか、完全に断片化されずにいることができるでしょうか? 人の主体性というのは思考のそれ、そのものなのでしょうか? 続く。
> >
> >
> >  クリシュナムルティ理解に取り組むことにも動機がある。その動機(方向性)をも許さないもの。
> >
> >  年末年始休で明日のことを考えずに済むゆとりある生活では、動機(方向性)少なく穏やかにいることができるが、仕事が始まって生計を立てることにあくせくしている。
> >
> >  生計を立てることは、私の神的存在である妻子と家屋敷を失わないためである。
>
>
> あなたの心的存在である妻子や家屋敷、妻子をを守ることには動機があるのでしょうか?
>
> 引き換えに何かの見返りを求めていますか? 生計を立てるために働くことが、ひどい悪事なのでしょうか?
>
> そうではなく、主体が思考にあって、言葉からなる観念・結論に従って行為がある状態が実際の現実です。だがそうだと結論を出し、変容をするための行動を始めるのでなく、見ている。行為は思考と関係なく起こる・・・


 「動機がない行為」・・。

 空腹のとき食することをクリシュナムルティは「動機がある行為」とは言っていないですね。思春期花盛りでその機会に恵まれたときに繁殖行動を行うことも「動機がある行為」ではない。繁殖行動によってしでかした子どもを子育て本能によって育てることも「動機ある行為」ではない・・。ということですね。
 分かりやすく言えば、動物は「動機がある行為」を行わない。

 「動機がある行為」とは、ゴトさんが述べるように>主体が思考にあって、言葉からなる観念・結論に従って行為がある状態−−、これがクリシュナムルティが述べるところの「動機がある行為」ということですね。


 >見ている。行為は思考と関係なく起こる・・・−−、職場においても、見ているがゆえに自然と起こる行為があることに気づきました。


 >あなたの心的存在である妻子や家屋敷、妻子をを守ることには動機があるのでしょうか?−−、見ていると動機でないものと動機である部分が重なっているようです。初めて気づきました。
 動機である部分としては、私は「ひとかどの人間」でありたい。私の老後の安心のためという動機。
 動機ではない部分としては、見るがゆえに妻子の苦悩が見える。将来の苦悩も含めて。暗黒の中において暗黒とは知らず楽観していきている様が見える。見えるがゆえに守り、そして備える。

 私は少しでも動機が含まれていれば、それを動機ある行為と見なしていたことに気づきました。ひとつの行為においても結論づけられないのですね・・。。

 妻子への愛が「愛」か?という問いは、100パーセント「愛」ということはなくとも、見ることによる行為が含まれていたのですね。

 



[24892] Re:[24889] [24888] [24886] 「心を変える瞑想」(3) 投稿者:宮啓 投稿日:2018/01/06(Sat) 09:00  

> >  クリシュナムルティ理解に取り組むことにも動機がある。その動機(方向性)をも許さないもの。
> >
> 自我の終焉 第9章 自我とは何か 4行目  から以下引用。
> あなたが精神の動きをじっと見つめ、
> 完全に知り尽くしてしまったとき、
> あなたは非常に静かになるのではないでしょうか。
> しかもそれは強制や報酬や、あるいは恐怖によって生まれた静けさではありません。
> 精神のすべての活動は単に自我を強化する雛形にほかならないことを認識して、
> それを注意深く見守り、理解したとき、
> また活動している精神を完全に知り、
> 観念や言葉や、投影された経験によるのでなく、
> あなたが本当にその核心に迫ったとき、
> そのときあなたは、精神が完全に静止して、
> もう創作する力が無いことに気づくでしょう。
> 精神が創作するものはすべて一つの円の中にあり、
> 自我の領域の中にあるのです。
> ですから、精神が創作を止めたとき初めて、
> 認識作用ではない真の創造が生まれるのです。
> ーー 以上引用 −−
> 大事なのは時々刻々の内面の動きをただ観察する事だと思います。
> その中で何らかの気づきが発生するかも知れません。
> こころに動揺が走るような場面ではそこに自我の働きがあるはずで、
> そこはより一層注意深い観察により自分のこころにある何かに気づく可能性が高いと思います。
> あなたの発言の「その動機(方向性)をも許さないもの」の「許す」のあたりが気になります。
> 動機があるのを悪いと捉え、動機がなければそれは良い事と考えていませんか?
> 心配事がなく穏やかに生活していて動機がなく平和でも
> そこには何の価値もないように思います。
> また何か動揺を起こさせる事にぶつかったらまた心が乱れるだけでしょう。
> 大事なのは気づき・理解が発生して根本的に静かになる事だと思います。
> だから個々の動機とかに捕らわれずだた見ているのが良いと思います。
> そうすれば運が良ければ気づき・理解がやってくるのでは?
> 自我の働き・構造を理解して根源的に変化するわけですから。
> 老婆心かも知れませんが。



 お久しぶりです。

 久々の投稿を嬉しく思っています。

 クリシュナムルティの引用は力がありますね・・。

 私は読書会には参加したことがないのですが、このように引用を活用した読書会のようなものがあったらいいなと思っています。
 更にネットワークを活用すれば、多様な引用が共有できる のでネット上の読書会などいかがでしょうか。
 今更気づくのですが、ゴトさんとそのような読書会を以前から行っているようです。。

 KMさんがご指摘のような「見る」ことは、私の場合、ある程度自然に身についているようです。そのため職場でも、以前と比べて内面の深いところでは落ち着いているようです。
 そして、ご指摘のように>こころに動揺が走るような場面ではそこに自我の働きがあるはずで、そこはより一層注意深い観察により自分のこころにある何かに気づく可能性が高いと思います。−−、これが起きています。

 「関係」は鏡の働きをする貴重な存在として、関係が数多くそして多様な職場は、クリシュナムルティ理解への取り組みにおける最善の場だと感じています。

 >あなたの発言の「その動機(方向性)をも許さないもの」の「許す」のあたりが気になります。−−という問いに答えるには、渡辺充氏のことを持ち出すことになります。

 氏はクリシュナムルティが述べることがご自身には起きない旨を述べていました。氏は曹洞宗と臨済宗の二つで印可証明を受けています(ふたつで印可証明を受けた人は歴史上でも稀にしかいないとのことです)。
 そのような氏であっても、今のところどこにも辿り着けないのです。

 それゆえに、私もどこにも辿り着けないかもしれない。が・・、探求はやめないだろう・・ということです。

 「動機」とは不思議なことに、クリシュナムルティはところどころで叱咤激励を行っていますね。「精励」や「情熱」等々の言葉を用いていますが、「動機」も言葉としてはクリシュナムルティの言わんとするところのそのものを示すことはできないのかもしれません。

 そして、その示すところに鍵があるのかもしれないのです。


[24891] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2018/01/06(Sat) 00:02  

KMさん、お久しぶりです。

投稿 有難うございます。


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