雑感
[トップに戻る] [留意事項] [ワード検索] [管理用]
おなまえ
Eメール メールアドレスは入力禁止
タイトル
コメント 【コメント中のURLは先頭のhを抜いて書き込んで下さい。】
コメント中には参照先URLと同じURLを書き込まないで下さい
参照先
暗証キー (記事メンテ用)

[24870] Re:[24869] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/12/31(Sun) 08:26  

> とうとう竹田青嗣氏の欲望論を読み終えました。自然科学と違って人文系の学はその立脚点、正当性がどこにありうるか、いまだ不明でここから議論しなければならない状況にある。
>
> 上掲書は哲学の歴史を、最近の脳科学に至るまでその成果と過誤を述べて、、哲学の進め方に根本的な改定を加えるものであると私は読みました。
>
> 第2巻はそれに従って人間と社会がいかに生成されてきたかを示し、心がいかに生成されるかを論じています。
>
> 第3巻は倫理と正義をしっかりした立脚点に基づいて示してくれるとのことですが、刊行が何年後になるか不明とのことです。
>
> 哲学の来し方を見ると思考というのは実に迷路に入りやすい代物であるという事がわかります。だがそれによって社会をつくり、動物の生とは異なる生を営んでいます。そこに哲学はどのような秩序をどのようにして創ることができるでしょうか。
>
> またKの言っている世界は、竹田氏の言っている世界とどういう関係があるのでしょうか? 今の私にはまだ全然わかりません。


 以下は、私の考察です。

 「思考」がクリシュナムルティ的世界を理解するには、とてつもないエネルギーと緻密さを要するのではないでしょうか。

 そして、そのエネルギーと緻密さを「脳」は備えている。

 しかし、そのエネルギーと緻密さが「抜け目ない自我の防衛と快楽」に用いられている。

 その抜け目なさは、竹田氏とて免れ得ていない。

 上記が、>Kの言っている世界は、竹田氏の言っている世界との関係−−ではないでしょうか。


[24869] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/30(Sat) 21:08  

とうとう竹田青嗣氏の欲望論を読み終えました。自然科学と違って人文系の学はその立脚点、正当性がどこにありうるか、いまだ不明でここから議論しなければならない状況にある。

上掲書は哲学の歴史を、最近の脳科学に至るまでその成果と過誤を述べて、、哲学の進め方に根本的な改定を加えるものであると私は読みました。

第2巻はそれに従って人間と社会がいかに生成されてきたかを示し、心がいかに生成されるかを論じています。

第3巻は倫理と正義をしっかりした立脚点に基づいて示してくれるとのことですが、刊行が何年後になるか不明とのことです。

哲学の来し方を見ると思考というのは実に迷路に入りやすい代物であるという事がわかります。だがそれによって社会をつくり、動物の生とは異なる生を営んでいます。そこに哲学はどのような秩序をどのようにして創ることができるでしょうか。

またKの言っている世界は、竹田氏の言っている世界とどういう関係があるのでしょうか? 今の私にはまだ全然わかりません。


[24868] Re:[24867] [24866] [24865] 気づきとは。 投稿者:宮啓 投稿日:2017/12/26(Tue) 16:19  

> > > クリシュナムルティを学んでいるものとして、さらに今哲学を読んでいるわけですが、気になることがあります。
> > >
> > > Kを読んでいると、心理的思考という語がよく使われますが、哲学では出てきません。情動、感情、不安、恐怖、欲望などと使われます。思考は理性的な面が、これら情動を抑制し、人間性を保つ役割を18,9世紀当たりでは期待されていたが、どうも思考(あるいは理性)は情動に勝てない感じがあって、そこらから混乱してしまったようです。自然科学の勃興が天地創造神話や神、絶対精神などに水を差し、主観を知るだけの人間が客観を認識できるのかという事が、物理的にはともかく、心的問題に入ると行き詰ったという事でしょうか。
> >
> >
> >
> >  思考が歪みなく見ることができるのか・・?
> >
> >  思考は「心理的思考」を「思考」から切り離して、「感情」等々と分類するするようです。
>
>
> 自分の心の中での思考感情、知覚などなどの動きを、私は思ったほど調べていないようです。思考がゆがみなく見れるのは、その件に思いを巡らさず無条件に見ている時なのかな。
>
> 心理的思考が分類されるというのは、心にとって異なる関係性の反応を起こさせるというとなのだろう。しかもそれが記憶される。
>
>
> > > それでクリシュナムルティの話に戻りますが、思考、情動、感情、不安、恐怖、欲望、怒りなどをあるがままに観察しているでしょうか?それらに押し流されて、何とか対処しようとあれこれあがいていることは知っています。実際にある衝動、その耐え難く迫る感覚を知覚しているのではなく、慌てふためいているという事でしょうか?
> > >
> > > そうでなくその強迫的な感情をしっかり知覚する、それが気づいているという言い方もされますが、知覚しているという言い方の方がはっきりして明晰でないかと思い始めました。その時、無意識という事はなくなるのかな。
> > >
> > > このように知覚して生きている時注意があり、Kの言う意味で瞑想の状態にあるあるという事ですか。
> >
> >
> >  知覚している中心がなく、思考(時間)ではない世界。
>
> この中心がないという事はわかっているようで、実はむつかしい表現ですね。実際にそれが起きていればそれまでなのですが。
> 自由に見ているという事は主体があっての話のような気がするし、行為があるとして、その行為は主体なしの行為なのかな??
> こういう質問を読書会でで聞いた記憶がありません。私もしなかった。どなたかコメントしてくださるかな。哲学の本を読んでいるとこう言うふうに頭はすっと働く。よしあし抜きに。


 猿は猿のことを知らず、思考は思考のことを知らない。

 地上にいて天動説と地動説、どちらが正しいか知覚できない。地球から脱してはじめて直接知覚できる。

 青春時代のただ中で「青春時代」を知らず、恋愛中に「恋愛」を知らない。

 時間の中にいて時間の世界を知らず、思考のネットワークの中に居て、思考の産物を知らない。
 

> > 今、『英知へのターニングポイント(旧タイトル:「思考のネットワーク」)』を読んでいます。昨日、第W章を読み終えました。
>
>
> 熟読しなければならない本が増えます。この頃疲れないように休み休み読まないと無理だとわかりました。年のせいですね。


 クリシュナムルティが述べるには(『英知へのターニングポイント』より)、講話をする度に、新しい発見がクリシュナムルティに起こるとのこと。

 探求にゴールはないようです。

 ただし、変容の緊急性は唱え続けています。

 世界がこの調子で進めば、20〜30年後には、核弾頭が数百発、朝鮮半島北部に保有されることでしょう。ロケットエンジン付きの弾頭。

 先進各国は、核シェルターの整備率が今現在においても高い割合を保持しています。

 本国は、国民一人あたり一千万円の借金があるので、核シェルターの整備費をクリシュナムルティ普及活動資金に回した方が、今ある借金が爆発的に増えない唯一の手法に思えるのですが・・。

 若い世代は、若い世代で苦悩が絶えないようです・・。


[24867] Re:[24866] [24865] 気づきとは。 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/26(Tue) 12:17  

> > クリシュナムルティを学んでいるものとして、さらに今哲学を読んでいるわけですが、気になることがあります。
> >
> > Kを読んでいると、心理的思考という語がよく使われますが、哲学では出てきません。情動、感情、不安、恐怖、欲望などと使われます。思考は理性的な面が、これら情動を抑制し、人間性を保つ役割を18,9世紀当たりでは期待されていたが、どうも思考(あるいは理性)は情動に勝てない感じがあって、そこらから混乱してしまったようです。自然科学の勃興が天地創造神話や神、絶対精神などに水を差し、主観を知るだけの人間が客観を認識できるのかという事が、物理的にはともかく、心的問題に入ると行き詰ったという事でしょうか。
>
>
>
>  思考が歪みなく見ることができるのか・・?
>
>  思考は「心理的思考」を「思考」から切り離して、「感情」等々と分類するするようです。


自分の心の中での思考感情、知覚などなどの動きを、私は思ったほど調べていないようです。思考がゆがみなく見れるのは、その件に思いを巡らさず無条件に見ている時なのかな。

心理的思考が分類されるというのは、心にとって異なる関係性の反応を起こさせるというとなのだろう。しかもそれが記憶される。


> > それでクリシュナムルティの話に戻りますが、思考、情動、感情、不安、恐怖、欲望、怒りなどをあるがままに観察しているでしょうか?それらに押し流されて、何とか対処しようとあれこれあがいていることは知っています。実際にある衝動、その耐え難く迫る感覚を知覚しているのではなく、慌てふためいているという事でしょうか?
> >
> > そうでなくその強迫的な感情をしっかり知覚する、それが気づいているという言い方もされますが、知覚しているという言い方の方がはっきりして明晰でないかと思い始めました。その時、無意識という事はなくなるのかな。
> >
> > このように知覚して生きている時注意があり、Kの言う意味で瞑想の状態にあるあるという事ですか。
>
>
>  知覚している中心がなく、思考(時間)ではない世界。

この中心がないという事はわかっているようで、実はむつかしい表現ですね。実際にそれが起きていればそれまでなのですが。
自由に見ているという事は主体があっての話のような気がするし、行為があるとして、その行為は主体なしの行為なのかな??
こういう質問を読書会でで聞いた記憶がありません。私もしなかった。どなたかコメントしてくださるかな。哲学の本を読んでいるとこう言うふうに頭はすっと働く。よしあし抜きに。


> 今、『英知へのターニングポイント(旧タイトル:「思考のネットワーク」)』を読んでいます。昨日、第W章を読み終えました。


熟読しなければならない本が増えます。この頃疲れないように休み休み読まないと無理だとわかりました。年のせいですね。


[24866] Re:[24865] 気づきとは。 投稿者:宮啓 投稿日:2017/12/25(Mon) 16:49  

> クリシュナムルティを学んでいるものとして、さらに今哲学を読んでいるわけですが、気になることがあります。
>
> Kを読んでいると、心理的思考という語がよく使われますが、哲学では出てきません。情動、感情、不安、恐怖、欲望などと使われます。思考は理性的な面が、これら情動を抑制し、人間性を保つ役割を18,9世紀当たりでは期待されていたが、どうも思考(あるいは理性)は情動に勝てない感じがあって、そこらから混乱してしまったようです。自然科学の勃興が天地創造神話や神、絶対精神などに水を差し、主観を知るだけの人間が客観を認識できるのかという事が、物理的にはともかく、心的問題に入ると行き詰ったという事でしょうか。



 思考が歪みなく見ることができるのか・・?

 思考は「心理的思考」を「思考」から切り離して、「感情」等々と分類するするようです。


> それでクリシュナムルティの話に戻りますが、思考、情動、感情、不安、恐怖、欲望、怒りなどをあるがままに観察しているでしょうか?それらに押し流されて、何とか対処しようとあれこれあがいていることは知っています。実際にある衝動、その耐え難く迫る感覚を知覚しているのではなく、慌てふためいているという事でしょうか?
>
> そうでなくその強迫的な感情をしっかり知覚する、それが気づいているという言い方もされますが、知覚しているという言い方の方がはっきりして明晰でないかと思い始めました。その時、無意識という事はなくなるのかな。
>
> このように知覚して生きている時注意があり、Kの言う意味で瞑想の状態にあるあるという事ですか。


 知覚している中心がなく、思考(時間)ではない世界。

 今、『英知へのターニングポイント(旧タイトル:「思考のネットワーク」)』を読んでいます。昨日、第W章を読み終えました。


[24865] 気づきとは。 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/25(Mon) 10:50  

クリシュナムルティを学んでいるものとして、さらに今哲学を読んでいるわけですが、気になることがあります。

Kを読んでいると、心理的思考という語がよく使われますが、哲学では出てきません。情動、感情、不安、恐怖、欲望などと使われます。思考は理性的な面が、これら情動を抑制し、人間性を保つ役割を18,9世紀当たりでは期待されていたが、どうも思考(あるいは理性)は情動に勝てない感じがあって、そこらから混乱してしまったようです。自然科学の勃興が天地創造神話や神、絶対精神などに水を差し、主観を知るだけの人間が客観を認識できるのかという事が、物理的にはともかく、心的問題に入ると行き詰ったという事でしょうか。

それでクリシュナムルティの話に戻りますが、思考、情動、感情、不安、恐怖、欲望、怒りなどをあるがままに観察しているでしょうか?それらに押し流されて、何とか対処しようとあれこれあがいていることは知っています。実際にある衝動、その耐え難く迫る感覚を知覚しているのではなく、慌てふためいているという事でしょうか?

そうでなくその強迫的な感情をしっかり知覚する、それが気づいているという言い方もされますが、知覚しているという言い方の方がはっきりして明晰でないかと思い始めました。その時、無意識という事はなくなるのかな。

このように知覚して生きている時注意があり、Kの言う意味で瞑想の状態にあるあるという事ですか。


[24864] ちょっと報告 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/23(Sat) 00:13  

今日、竹田青嗣著『欲望論』第1巻 第一部 存在と認識 を読了し、後半の第二部 世界と欲望 に入ったところです。

第一部はウパニシャッド哲学、仏教哲学等の宗教的哲学からギリシャ哲学、その後の西洋近代哲学から現代思想まで、実に詳細にその功績と迷誤を検討している。それが新しく建設すべき哲学の構想を次第に浮かび上がらせる。とにかく第1巻は約700ページの大著ですから。

《我々の世界に現れ出ているさまざまな信念対立、宗教、主義、思想信条、道徳的、政治的諸理念などの対立は、思想がその妥当性、正当性、普遍性の根拠をどこにも見出しえないことから現れている。》(上掲書 29ページ)

そう、それが問題です。竹田氏はフッサールの現象学の意識に浮かぶ知覚直観と本質直観をより深めて、認識の基礎とするようです。それに対する世界は人間の欲望と相関して現れる? それが第2部の主題かな。これから楽しみにして読みます。


[24863] Re:[24862] [24861] 哲学の新しい夜明け 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/17(Sun) 21:54  

> > 今、竹田青嗣著「欲望論」1の序文を読み終わったところです。これは真に哲学を、根源から新しい基盤に据え、その役につけなおそうという革命の、獅子吼の書です。23年前フッサールの現象学の入門書として竹田氏著の2冊の本を読んでいたおかげで、欲望論の新聞広告に気づき、読むことができて幸せです。
> >
> > 内容の概略は、戦争や競争――暴力原理が吹き荒れる時、人間らしい営みや思考は為すすべがありません。そういう惨禍を防ぐための努力は為されてきましたが、はっきりした方向性は見出されず、人類は混迷の中にあります。つまり、哲学こそが方向を指し示すべき学なのですが、その役目を果たせずにいます。
> >
> > そこで序文が今までの哲学の根本的間違い(本体があるという思考)を指摘し、暴力原理に対抗できる普遍的な力を人類は言語ゲ−ムを通じて持たなければならない。従来の哲学が与えていた真理とか価値の意味を根本的に再構築して、世界をも生きている人間の目から見た、エロス的な生きている世界として見なければならない……といった具合ですが、これはやはりもう怪文と言うほかない気がします。どうかこれでこの書の真価を見誤らないでくださいね。とにかく素晴らしい本が出たという事です。哲学におけるノーベル賞級の本です。
> >
> > やっぱり20ページ(序文が約20ページ)かけて、諄々と説くしかないか。今晩は眠れそうにないが、どうするかなあ。
>
>
>  ゴトさんも、クリシュナムルティに出会う前から、真理探究を行っていたのですね‥。。

はい。今上掲書の本論を読み始めていますが、その内容は宗教、哲学の最初からの見直し、その功績と誤りの全貌の把握です。私には無理なんですが、何とかついています。2巻から読み始めてのは価値というものが一番現代で混迷していると思ったからですが、ずっと読みやすかった。幸運でしたね。

インド哲学、仏教を経てギリシャ哲学がほぼ終わりました。まだ西欧紀元前ですね。しかし近代の哲学者の見方(評価と批判の両方)はどんどん出てきます。まだ1/5くらいですからこれからです。また報告します。


[24862] Re:[24861] 哲学の新しい夜明け 投稿者:宮啓 投稿日:2017/12/17(Sun) 09:18  

> 今、竹田青嗣著「欲望論」1の序文を読み終わったところです。これは真に哲学を、根源から新しい基盤に据え、その役につけなおそうという革命の、獅子吼の書です。23年前フッサールの現象学の入門書として竹田氏著の2冊の本を読んでいたおかげで、欲望論の新聞広告に気づき、読むことができて幸せです。
>
> 内容の概略は、戦争や競争――暴力原理が吹き荒れる時、人間らしい営みや思考は為すすべがありません。そういう惨禍を防ぐための努力は為されてきましたが、はっきりした方向性は見出されず、人類は混迷の中にあります。つまり、哲学こそが方向を指し示すべき学なのですが、その役目を果たせずにいます。
>
> そこで序文が今までの哲学の根本的間違い(本体があるという思考)を指摘し、暴力原理に対抗できる普遍的な力を人類は言語ゲ−ムを通じて持たなければならない。従来の哲学が与えていた真理とか価値の意味を根本的に再構築して、世界をも生きている人間の目から見た、エロス的な生きている世界として見なければならない……といった具合ですが、これはやはりもう怪文と言うほかない気がします。どうかこれでこの書の真価を見誤らないでくださいね。とにかく素晴らしい本が出たという事です。哲学におけるノーベル賞級の本です。
>
> やっぱり20ページ(序文が約20ページ)かけて、諄々と説くしかないか。今晩は眠れそうにないが、どうするかなあ。


 ゴトさんも、クリシュナムルティに出会う前から、真理探究を行っていたのですね‥。。


[24861] 哲学の新しい夜明け 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/16(Sat) 23:56  

今、竹田青嗣著「欲望論」1の序文を読み終わったところです。これは真に哲学を、根源から新しい基盤に据え、その役につけなおそうという革命の、獅子吼の書です。23年前フッサールの現象学の入門書として竹田氏著の2冊の本を読んでいたおかげで、欲望論の新聞広告に気づき、読むことができて幸せです。

内容の概略は、戦争や競争――暴力原理が吹き荒れる時、人間らしい営みや思考は為すすべがありません。そういう惨禍を防ぐための努力は為されてきましたが、はっきりした方向性は見出されず、人類は混迷の中にあります。つまり、哲学こそが方向を指し示すべき学なのですが、その役目を果たせずにいます。

そこで序文が今までの哲学の根本的間違い(本体があるという思考)を指摘し、暴力原理に対抗できる普遍的な力を人類は言語ゲ−ムを通じて持たなければならない。従来の哲学が与えていた真理とか価値の意味を根本的に再構築して、世界をも生きている人間の目から見た、エロス的な生きている世界として見なければならない……といった具合ですが、これはやはりもう怪文と言うほかない気がします。どうかこれでこの書の真価を見誤らないでくださいね。とにかく素晴らしい本が出たという事です。哲学におけるノーベル賞級の本です。

やっぱり20ページ(序文が約20ページ)かけて、諄々と説くしかないか。今晩は眠れそうにないが、どうするかなあ。


[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69] [70] [71] [72] [73] [74] [75] [76] [77] [78] [79] [80] [81] [82] [83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90] [91] [92] [93] [94] [95] [96] [97] [98] [99] [100]

処理 記事No 暗証キー
- LightBoard - Modified by isso