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[24860] Re:[24859] [24858] Kの言っていること 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/16(Sat) 12:56  

> > あとがき
> > 本の3,4日前まで、まさかこんな恐れ多い題で一文を投稿するなど夢にも考えられませんでした。ところが「心を変える瞑想」をこの掲示板で読もうと思たとき、瞑想に取り掛かる前にKは我々に何を話してくれたのだろうと思いました。それがはっきりと言えないで瞑想の話をしてもしょうがないのではないかと。
> >  だが、さすがにそれは大変です。「最初で最後の自由」を要約するだけでも大変です。だが私にはヒントがあったのです。「思考のネットワーク」は1981年のザーネン・トークとアムステルダム・トークからなるのですが、後者はたった2回なのです。トーク2は死・宗教と題され、その前のトーク1は、真の宗教心を説く前の、教えの要約的位置にあると、私は直感したのです。だがそれは大変でした。短い文章ですが、4日かかっています。苦吟してわかりにくい文章です。つまり悪文ですね。
> >  ですが、書いてみて初めて自分がどう理解しているかがおぼろげに浮かび上がっている気がします。皆さんにどしどし、質問や突っ込みを入れて頂いてまともにわかるものにできたらいいなと思っています。厚かましいお願いですが、どうかよろしく。
>
>
>  私も昨晩から『英知へのターニングポイント(旧タイトル:思考のネットワーク)』を初めから読んでいます。
>
>  これがクリシュナムルティの要約であるかもしれないことは気づきませんでした。
>
>  この本を読む機会を与えて頂き、感謝しております。

私はその中のアムステルダム・トークの1を要約の位置づけにあると思っただけですが、それはともかく、ザーネントークの方も人間が社会の中に創り出した無数のシステムを見ながらの論じ方に入っていると感じていました。

欲望論の第1巻も届いたので、書店に今日でも行ってきます。「Kの言っていること」も悪文から徐々に筋道だった私の文に再録しなけば。最新の哲学(竹田青嗣:欲望論)とどう違うかもはっきりさせなければといろいろ考えています。どうかよろしく。


[24859] Re:[24858] Kの言っていること 投稿者:宮啓 投稿日:2017/12/16(Sat) 10:26  

> あとがき
> 本の3,4日前まで、まさかこんな恐れ多い題で一文を投稿するなど夢にも考えられませんでした。ところが「心を変える瞑想」をこの掲示板で読もうと思たとき、瞑想に取り掛かる前にKは我々に何を話してくれたのだろうと思いました。それがはっきりと言えないで瞑想の話をしてもしょうがないのではないかと。
>  だが、さすがにそれは大変です。「最初で最後の自由」を要約するだけでも大変です。だが私にはヒントがあったのです。「思考のネットワーク」は1981年のザーネン・トークとアムステルダム・トークからなるのですが、後者はたった2回なのです。トーク2は死・宗教と題され、その前のトーク1は、真の宗教心を説く前の、教えの要約的位置にあると、私は直感したのです。だがそれは大変でした。短い文章ですが、4日かかっています。苦吟してわかりにくい文章です。つまり悪文ですね。
>  ですが、書いてみて初めて自分がどう理解しているかがおぼろげに浮かび上がっている気がします。皆さんにどしどし、質問や突っ込みを入れて頂いてまともにわかるものにできたらいいなと思っています。厚かましいお願いですが、どうかよろしく。


 私も昨晩から『英知へのターニングポイント(旧タイトル:思考のネットワーク)』を初めから読んでいます。

 これがクリシュナムルティの要約であるかもしれないことは気づきませんでした。

 この本を読む機会を与えて頂き、感謝しております。


[24858] Kの言っていること 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/12(Tue) 23:37  

1)皆さんと話し手と一緒に、世界がどのようになったかを観察していくのです。外面的な出来事だけでなく、内面で心理的に起こっていることも含めて。政治家も学者も、誰も人類の問題を解決できませんでした。それゆえ、他人に頼ることはできないのです。

2)危機は経済的世界や政治的世界にはありません。危機は意識の中にあるのです。意識は信念、結論、国家主義、恐怖、快楽、死という問題をも含んでいます。これらが意識の中身です。これは人類の意識なのです。個人の意識のことではありません。人類の身体は直立二足歩行型です。それと同じく、動物とは違う人類共通の[人類の意識]です。そのなかに危機があるのです。

3)私たちのお互いの関係は問題が多く、よく見れば愛はなく、思考がまとめ上げたイメージの関係なのです。それで私たちは思考のあらゆる動きを理解しなければなりません。
 人は思考とは何なのか、なぜ人間は思考に基づいて生きるのか、思考の驚くべきエネルギーと偉大な能力を理解するとともに、戦争や、関係の中の愛の欠如等の混沌や悲しみをなにゆえもたらすのか調べなければなりません。

4)[人類の意識]は格段の記憶と言語、思考を持ち、自己意識を知るようになり、過去、現在、未来というイメージ・幻想時間を持つようになりました。このことは伝達・通信の画期的拡大を通じて科学の発達、文明社会、文化を創り出し、それらは今も発達中です。しかし、精神的な分野でも動物の盲目的本能から脱して、高貴な真、善、美の世界の出現が期待されたのですがそうはいきませんでした。新しくできた意識から多くの厄介な問題が現れたのです。それらは思考の副産物とも言えるので、思考では解決しません。と言ってむき出しの暴力的制裁ではまた別の問題が生じます。

5)[人類の意識]で、現れたいくつかの現象を見て見ると欲望があります。幼児の無垢な欲求から、留まることを知らない欲望自体が目的化した貪欲まで。思考がかっこいいというイメージを創り上げ、欲望が発生します。それは長期にわたり継続されもします。ヒトは欲望のエネルギーで生きているようにも思えるほどです。 恐怖というものがあります。恐怖は記憶にある暗いイメージが未来にひどいことを引き起こすのを恐れるという、これも幻想時間の中での運動です。また、快楽の追求という事もあります。快楽はよく見ればこれも思い出、記憶の中にあるものです。

6)記憶、言語、思考はとてつもない利器ですが、一方で世界に大きな混乱と悲しみをもたらしています。その利器がどういうふうに混乱を引き起こすのか、人はその実際をありのままに観察し、気づくという事をしません。よく見てはっきりとわかれば、そんなことはしないです。
 我々の矛盾対立、それが生む悲惨を見る時悲しみがあります。思考の生じ方次第で矛盾、分裂が生じます。それが無秩序です。無秩序が観察と理解で起こらなくなるとき、悲しみはなく、秩序があります。平和な心があります。


あとがき
本の3,4日前まで、まさかこんな恐れ多い題で一文を投稿するなど夢にも考えられませんでした。ところが「心を変える瞑想」をこの掲示板で読もうと思たとき、瞑想に取り掛かる前にKは我々に何を話してくれたのだろうと思いました。それがはっきりと言えないで瞑想の話をしてもしょうがないのではないかと。
 だが、さすがにそれは大変です。「最初で最後の自由」を要約するだけでも大変です。だが私にはヒントがあったのです。「思考のネットワーク」は1981年のザーネン・トークとアムステルダム・トークからなるのですが、後者はたった2回なのです。トーク2は死・宗教と題され、その前のトーク1は、真の宗教心を説く前の、教えの要約的位置にあると、私は直感したのです。だがそれは大変でした。短い文章ですが、4日かかっています。苦吟してわかりにくい文章です。つまり悪文ですね。
 ですが、書いてみて初めて自分がどう理解しているかがおぼろげに浮かび上がっている気がします。皆さんにどしどし、質問や突っ込みを入れて頂いてまともにわかるものにできたらいいなと思っています。厚かましいお願いですが、どうかよろしく。


[24857] Re:[24856] [24855] [24854] [24853] [24852] [24851] [24847] [24840] [24836] [24832] 絶対的な価値 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/12(Tue) 19:43  

> > > > > > 美というものは理性で論理的に判断するものとは違うのです。そうでなく感覚的なものであり、心に情動を引き起こすのです。感受されるものです。そして実用的有効性とは無縁のものです。花の美しさがわかる子供はすでに感受性が育ち始めているのでしょうね。音楽はより直接心の情感に働きかけます。それで形状性を持たないが美を伝えうるのでしょう。
> > > > >
> > > > > 感受性は育まれるものなんですね。美の感覚は思考のものでないなら、最初から備わっている、あるいはその種はあったんだと思いますが、たしかに子供の頃はあまり興味が無かった気がします。
> > > >
> > > > 感受性だけでなく、知性も、運動も言語もみんな人間の親とのやり取りの中で子供に育っていくものなんですね。もちろん言葉のわからないうちから親にかけられる言葉や身振り、まなざしすべてからの親の意の推理、そして自分の状況、欲求を伝える試み、受容から拒否、こういったところから心は育つのでしょうね。えらいこっちゃ。
> > >
> > > そうですね。何も知らないところから、言葉を使えるようになっていくんですから凄いことです。
> >
> > 幼児はだんだん、母親による禁止に出会い始めます。まだよくわからない言葉やまなざしで制止され、受け入れると親の安どの表情や歓待を通じて禁止の受容を学びます。葛藤がないわけではないのでしょうが、この辺では無垢の範囲内にありそうです。
>
> 幼児は親に限らず相手の表情から想いを読み取る事が出来るようですね。それとも想いの方が先に感じられて、それと表情を結びつけるようになるのでしょうか。いや、その可能性は低そうですね。

幼児は人見知りを割合することそうでない子がいるようですが、まあ親がおっとりしているといないとか、兄弟が既にいるとか、大家族だとかまあいろいろあるでしょうね。


> > 悪意が生じるのは自分が悪いとわかっていて言葉を使って自分の正当化をなすときが始めだそうです。自己意識が生じているのですね。だから動物には悪意はない、つまりそこが人間との違いで、それゆえ動物は生きている有機体ではあるが、自然と見なされるという事でしょうか。
>
> 「自分が悪い」と思う「悪」とはなんでしょうね。誰かを困らせてしまったとか、泣かせてしまったとか、怒られそう、責められそうな行為を「しでかした」って事でしょうか。
> もしそんなつもりではない行為だったなら「悪意」ではないでしょうね。悪意とは誰かを辛い目にあわせてやろうという考え、またそれと単に法律などを犯そうとする考えではないでしょうか。そのような場合、それらを行わせる衝動の原因があるでしょう。それをそのまま正当化の理由にしたり、明らかな逆恨みとかなら、どうにかして理由を作り上げて。
> だとしますと、正当化以前に悪意はあることになります、、というか悪意だけなら正当化は無さそうですが、悪意による悪行と正当化がセットで生まれるんじゃないかという気がします。

私はある人に何かで怒っていて、相手を傷つけようと憎しみの言葉の刃を相手に突き立てようと繰り出したことがあります。相手が傷つきは舌が動じなかったようで、罪の意識に駆られたりはしなかったが、そういう事があったというだけで済んでいます。相手の対応で善悪は変わるのでしょうか? そもそもどこに焦点を合わせたらいいのか私にはよくわかっていません。


> > > > > > ただ美は、思春期の異性関係の中で特別の様相を持って再発見されます。いかに古今の芸術家がこれに取り組んだかは誰でも知っています。当事者はすごいエネルギーで天上に舞い上がります。死も破滅も眼中になく。聖なる狂気と言われるのもわかります。そこに現れる本質を直視する人がその狂気を乗り越えるのですかねえ。
> > > > >
> > > > > 恋も備わっていたものですね。それが人生のある時期に現れてきます。それを考えますと、幼い頃は身体の成長の為に食べ物以外にはあまり興味が湧かないようになっているのかも知れないと思います。
> > > >
> > > > たぶん順番があるのでしょうね、すそ野が広がると好奇心が広がり、周囲に目敏く新奇なものを見つけて挑戦するし、いやでも向こうから押しかけてきたりしますから大変です。きちんとしたカリキュラムみたいに進めばいいですが、運命というのは何がやってくるかわからない。ここは一つの大きな問題かもしれません。
> > >
> > > 民族とか地域によって、成長の過程のある段階で皆一様に課せられるものなどがありますね。
> > > 現代社会、特に日本のように急激で大きな変化が無い社会では、様々な好奇心を引くものがあるのと引き換えに「こうでなくてはならない」という価値観が積み重なって押し寄せてきます。
> >
> > むき出しの暴力に常時さらされながら生きるようなことはないが、社会規範の締め付けは大きいという事でしょうか。それも耐え難い社会というか生き様ですね。そんなことはだれも望んでいないのにそういう社会が出現する。それをどうしていいかわからない。これも人間の抱える悲惨の一つでしょうか。
>
> 特に昨今はインターネットがありますからね。様々な出来事に対して様々な意見が大量に流れていて、それをまとめる人もいて「こんな意見が大勢ですよ」などとやってますね。
> 反社会的とみられる人達は規範から自由かと思ったりしますが、よく考えますと昔から極道とかナントカ族とかあるように。群れる人達の場合はその人達なりの規範や価値観が普通の人よりも多く、しかも強くありそうですね。
> 自由や解放を求めて宗教組織に入ると足かせが増えるのと似てるのかもですね。面白いです。

科学ですら仮説によって派ができます。しかし実験できることもあり、割合協力し合って、事実に基づいて動くようです。宗教だって大宗教はさすがにもう宗教戦争はしない。だが偽善があるともいえるかもしれませんが、それを言い出すとわけがわからなくなる。しかし共同体の中にある暗黙の縛りはきつく、しかも慇懃のようでやりきれなさを伴う場合もある。ホントは私なぞ、ほんのわずかの身の回りの人を見ているだけみたいな気がします。


> > > > > > そこにおいて常に美は普遍性と永遠性を持って、真、善と並んでその超越性を表します。だがです。
> > > > > >
> > > > > > 《善と倫理がなければ我々は闘争によって互いに滅ぼしあう。しかし、美がなければ生の根本的な理由が枯死する。》『欲望論2』(竹田青嗣 2017 411)
> > > > >
> > > > > 何を善とするかという倫理は、暗に人の欲望に操作されて戦争に利用されてますね。たいていは自分が悪だと宣言して戦いを始めるわけではなく、本当に正義だと考えていたりします。でも噂では利益の為に戦争をけしかけたりする人間もいるとのことですね。
> > > >
> > > >
> > > > そう、そう、理性が世の中を理想社会に導くと期待していたロマン的な時代は過ぎ去りました。理想とか理念の信用はがた落ちです。それはそれで、ささやかな幸福が次第にみんなの目に見えてくるのかどうか、どうなんでしょうね?
> > >
> > > いや本当にどうなんでしょうね。それでも人々は世の中を何とかしようとするなら理想を掲げるしかないと考えているんじゃないでしょうか。夢と希望が必要だと。
> > > 一般に考えられている理性とは、欲望や怒りなどの感情を抑えることでしょう。「理性的であれ」は理解や洞察ではなくて抑圧の意味になってしまっています。
> >
> > そうです。理性というのは西欧のローカルな一時期の考えであって、現在は破たんしているのではないでしょうか?生というものはもっと情念的な欲望というか、エネルギーに満ちた主体の生きる世界だと思うのですが。それゆえにこそKを読むのですが…。
>
> 情熱ですね。多分それが本当の理性を働かせるんだと思います。
>
>
> > > > > > Kが聖につい語るとき、必ず美を知らなければなりませんという話が先立ちます。真と善については欲望論1にあるので、読む気でいます。
> > > > >
> > > > > 愛と美は切り離せない、といいますか同根だったりもするのでしょうか。
> > > > > 「欲望論1」面白いところがあれば、またご紹介下さい。

発注しましたがまだ手元に届きません。


> > > > 生の根本的な意味は何にかかっているのか? 美よりも私は愛とか聖という言葉がどちらかというと頭に登ります。これはどういう事を示しているのでしょうか?人間はどうも何か信じるものが欲しいのでしょうか。そしてそこへ結晶化して固着したいのか。
> > >
> > > 愛や聖と呼ばれるものが生の意味だとしたいと? 事実そうだと見極めるのではなくて、そうだと信じる方に流れてしまうということでしょうか。
> > > 一般的に人は「〜を信じれば救われる」などの信仰や、何とか論などの考え方の基盤とか、こうしていれば大丈夫だというものを求めるようですね。また、ナンバーワンだとかオンリーワンとか、自分の存在価値を高めたいというのもありますね。そこに生の意味を求めようとしている気がします。
> > > でも実際のところ、あえて言う必要は無いかもですが、僕には生の意味が解りません。Kは「基底」を悟らなけらば「生に意味はない」みたいなことを言ってました。さて、このまま無意味で空しい生を続けるしかないのか、あがいていくか、それとも他に何かあるんでしょうか。
> > >
> > >
> > > > Kの言っていることを分かりたいことが一つ。そして竹田氏が今までの哲学の総括を試み、新境地を明らかにするのを理解したいのがひとつ。まだまだ呆けてはいられません。
> > >
> > > イエスの「求めなさい」は実際には「求め続けなさい」の意味があるそうです。常に、何時も、求め続けていくこと。なので結論など持たないってことですね。
> >
> > 私はKは自然発生的に創られ、育っていく心に対して、トークを通じて、英知に心を目ざまそうと話し続けてくれたように思えてきました。若い柔軟な可塑性を持ち、先入見なしに彼のトークを聞くなら、英知ある母親に育てられるように、柔軟な心が育つでしょう。人間の英知は、竹田青嗣が言っているように、心にかかわるすべてに対する一瞥性の本質直感――嬰児の持つそれ(洞察)――を基底とするほかにありえないから。
>
> Kは問いかけてくれましたね。自分で考えるように。自分で見るように。洞察が基底だとは、なるほどそうなんでしょうね。

Kは何と言っているのか私の目に移るままをまとめてみようという欲望が出てきて、たたき台を別項で提出します。ヨミさんはじめ皆さんにつついてもらって、欠けている急所をあぶりだし、そうなんだと言えるようになるといいなと思っています。


[24856] Re:[24855] [24854] [24853] [24852] [24851] [24847] [24840] [24836] [24832] 絶対的な価値 投稿者:ヨミ 投稿日:2017/12/12(Tue) 01:01  

> > > > > 美というものは理性で論理的に判断するものとは違うのです。そうでなく感覚的なものであり、心に情動を引き起こすのです。感受されるものです。そして実用的有効性とは無縁のものです。花の美しさがわかる子供はすでに感受性が育ち始めているのでしょうね。音楽はより直接心の情感に働きかけます。それで形状性を持たないが美を伝えうるのでしょう。
> > > >
> > > > 感受性は育まれるものなんですね。美の感覚は思考のものでないなら、最初から備わっている、あるいはその種はあったんだと思いますが、たしかに子供の頃はあまり興味が無かった気がします。
> > >
> > > 感受性だけでなく、知性も、運動も言語もみんな人間の親とのやり取りの中で子供に育っていくものなんですね。もちろん言葉のわからないうちから親にかけられる言葉や身振り、まなざしすべてからの親の意の推理、そして自分の状況、欲求を伝える試み、受容から拒否、こういったところから心は育つのでしょうね。えらいこっちゃ。
> >
> > そうですね。何も知らないところから、言葉を使えるようになっていくんですから凄いことです。
>
> 幼児はだんだん、母親による禁止に出会い始めます。まだよくわからない言葉やまなざしで制止され、受け入れると親の安どの表情や歓待を通じて禁止の受容を学びます。葛藤がないわけではないのでしょうが、この辺では無垢の範囲内にありそうです。

幼児は親に限らず相手の表情から想いを読み取る事が出来るようですね。それとも想いの方が先に感じられて、それと表情を結びつけるようになるのでしょうか。いや、その可能性は低そうですね。


> 悪意が生じるのは自分が悪いとわかっていて言葉を使って自分の正当化をなすときが始めだそうです。自己意識が生じているのですね。だから動物には悪意はない、つまりそこが人間との違いで、それゆえ動物は生きている有機体ではあるが、自然と見なされるという事でしょうか。

「自分が悪い」と思う「悪」とはなんでしょうね。誰かを困らせてしまったとか、泣かせてしまったとか、怒られそう、責められそうな行為を「しでかした」って事でしょうか。
もしそんなつもりではない行為だったなら「悪意」ではないでしょうね。悪意とは誰かを辛い目にあわせてやろうという考え、またそれと単に法律などを犯そうとする考えではないでしょうか。そのような場合、それらを行わせる衝動の原因があるでしょう。それをそのまま正当化の理由にしたり、明らかな逆恨みとかなら、どうにかして理由を作り上げて。
だとしますと、正当化以前に悪意はあることになります、、というか悪意だけなら正当化は無さそうですが、悪意による悪行と正当化がセットで生まれるんじゃないかという気がします。


> > > > > ただ美は、思春期の異性関係の中で特別の様相を持って再発見されます。いかに古今の芸術家がこれに取り組んだかは誰でも知っています。当事者はすごいエネルギーで天上に舞い上がります。死も破滅も眼中になく。聖なる狂気と言われるのもわかります。そこに現れる本質を直視する人がその狂気を乗り越えるのですかねえ。
> > > >
> > > > 恋も備わっていたものですね。それが人生のある時期に現れてきます。それを考えますと、幼い頃は身体の成長の為に食べ物以外にはあまり興味が湧かないようになっているのかも知れないと思います。
> > >
> > > たぶん順番があるのでしょうね、すそ野が広がると好奇心が広がり、周囲に目敏く新奇なものを見つけて挑戦するし、いやでも向こうから押しかけてきたりしますから大変です。きちんとしたカリキュラムみたいに進めばいいですが、運命というのは何がやってくるかわからない。ここは一つの大きな問題かもしれません。
> >
> > 民族とか地域によって、成長の過程のある段階で皆一様に課せられるものなどがありますね。
> > 現代社会、特に日本のように急激で大きな変化が無い社会では、様々な好奇心を引くものがあるのと引き換えに「こうでなくてはならない」という価値観が積み重なって押し寄せてきます。
>
> むき出しの暴力に常時さらされながら生きるようなことはないが、社会規範の締め付けは大きいという事でしょうか。それも耐え難い社会というか生き様ですね。そんなことはだれも望んでいないのにそういう社会が出現する。それをどうしていいかわからない。これも人間の抱える悲惨の一つでしょうか。

特に昨今はインターネットがありますからね。様々な出来事に対して様々な意見が大量に流れていて、それをまとめる人もいて「こんな意見が大勢ですよ」などとやってますね。
反社会的とみられる人達は規範から自由かと思ったりしますが、よく考えますと昔から極道とかナントカ族とかあるように。群れる人達の場合はその人達なりの規範や価値観が普通の人よりも多く、しかも強くありそうですね。
自由や解放を求めて宗教組織に入ると足かせが増えるのと似てるのかもですね。面白いです。


> > > > > そこにおいて常に美は普遍性と永遠性を持って、真、善と並んでその超越性を表します。だがです。
> > > > >
> > > > > 《善と倫理がなければ我々は闘争によって互いに滅ぼしあう。しかし、美がなければ生の根本的な理由が枯死する。》『欲望論2』(竹田青嗣 2017 411)
> > > >
> > > > 何を善とするかという倫理は、暗に人の欲望に操作されて戦争に利用されてますね。たいていは自分が悪だと宣言して戦いを始めるわけではなく、本当に正義だと考えていたりします。でも噂では利益の為に戦争をけしかけたりする人間もいるとのことですね。
> > >
> > >
> > > そう、そう、理性が世の中を理想社会に導くと期待していたロマン的な時代は過ぎ去りました。理想とか理念の信用はがた落ちです。それはそれで、ささやかな幸福が次第にみんなの目に見えてくるのかどうか、どうなんでしょうね?
> >
> > いや本当にどうなんでしょうね。それでも人々は世の中を何とかしようとするなら理想を掲げるしかないと考えているんじゃないでしょうか。夢と希望が必要だと。
> > 一般に考えられている理性とは、欲望や怒りなどの感情を抑えることでしょう。「理性的であれ」は理解や洞察ではなくて抑圧の意味になってしまっています。
>
> そうです。理性というのは西欧のローカルな一時期の考えであって、現在は破たんしているのではないでしょうか?生というものはもっと情念的な欲望というか、エネルギーに満ちた主体の生きる世界だと思うのですが。それゆえにこそKを読むのですが…。

情熱ですね。多分それが本当の理性を働かせるんだと思います。


> > > > > Kが聖につい語るとき、必ず美を知らなければなりませんという話が先立ちます。真と善については欲望論1にあるので、読む気でいます。
> > > >
> > > > 愛と美は切り離せない、といいますか同根だったりもするのでしょうか。
> > > > 「欲望論1」面白いところがあれば、またご紹介下さい。
> > >
> > > 生の根本的な意味は何にかかっているのか? 美よりも私は愛とか聖という言葉がどちらかというと頭に登ります。これはどういう事を示しているのでしょうか?人間はどうも何か信じるものが欲しいのでしょうか。そしてそこへ結晶化して固着したいのか。
> >
> > 愛や聖と呼ばれるものが生の意味だとしたいと? 事実そうだと見極めるのではなくて、そうだと信じる方に流れてしまうということでしょうか。
> > 一般的に人は「〜を信じれば救われる」などの信仰や、何とか論などの考え方の基盤とか、こうしていれば大丈夫だというものを求めるようですね。また、ナンバーワンだとかオンリーワンとか、自分の存在価値を高めたいというのもありますね。そこに生の意味を求めようとしている気がします。
> > でも実際のところ、あえて言う必要は無いかもですが、僕には生の意味が解りません。Kは「基底」を悟らなけらば「生に意味はない」みたいなことを言ってました。さて、このまま無意味で空しい生を続けるしかないのか、あがいていくか、それとも他に何かあるんでしょうか。
> >
> >
> > > Kの言っていることを分かりたいことが一つ。そして竹田氏が今までの哲学の総括を試み、新境地を明らかにするのを理解したいのがひとつ。まだまだ呆けてはいられません。
> >
> > イエスの「求めなさい」は実際には「求め続けなさい」の意味があるそうです。常に、何時も、求め続けていくこと。なので結論など持たないってことですね。
>
> 私はKは自然発生的に創られ、育っていく心に対して、トークを通じて、英知に心を目ざまそうと話し続けてくれたように思えてきました。若い柔軟な可塑性を持ち、先入見なしに彼のトークを聞くなら、英知ある母親に育てられるように、柔軟な心が育つでしょう。人間の英知は、竹田青嗣が言っているように、心にかかわるすべてに対する一瞥性の本質直感――嬰児の持つそれ(洞察)――を基底とするほかにありえないから。

Kは問いかけてくれましたね。自分で考えるように。自分で見るように。洞察が基底だとは、なるほどそうなんでしょうね。


[24855] Re:[24854] [24853] [24852] [24851] [24847] [24840] [24836] [24832] 絶対的な価値 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/08(Fri) 17:53  

> > > > 美というものは理性で論理的に判断するものとは違うのです。そうでなく感覚的なものであり、心に情動を引き起こすのです。感受されるものです。そして実用的有効性とは無縁のものです。花の美しさがわかる子供はすでに感受性が育ち始めているのでしょうね。音楽はより直接心の情感に働きかけます。それで形状性を持たないが美を伝えうるのでしょう。
> > >
> > > 感受性は育まれるものなんですね。美の感覚は思考のものでないなら、最初から備わっている、あるいはその種はあったんだと思いますが、たしかに子供の頃はあまり興味が無かった気がします。
> >
> > 感受性だけでなく、知性も、運動も言語もみんな人間の親とのやり取りの中で子供に育っていくものなんですね。もちろん言葉のわからないうちから親にかけられる言葉や身振り、まなざしすべてからの親の意の推理、そして自分の状況、欲求を伝える試み、受容から拒否、こういったところから心は育つのでしょうね。えらいこっちゃ。
>
> そうですね。何も知らないところから、言葉を使えるようになっていくんですから凄いことです。

幼児はだんだん、母親による禁止に出会い始めます。まだよくわからない言葉やまなざしで制止され、受け入れると親の安どの表情や歓待を通じて禁止の受容を学びます。葛藤がないわけではないのでしょうが、この辺では無垢の範囲内にありそうです。
悪意が生じるのは自分が悪いとわかっていて言葉を使って自分の正当化をなすときが始めだそうです。自己意識が生じているのですね。だから動物には悪意はない、つまりそこが人間との違いで、それゆえ動物は生きている有機体ではあるが、自然と見なされるという事でしょうか。


> > > > ただ美は、思春期の異性関係の中で特別の様相を持って再発見されます。いかに古今の芸術家がこれに取り組んだかは誰でも知っています。当事者はすごいエネルギーで天上に舞い上がります。死も破滅も眼中になく。聖なる狂気と言われるのもわかります。そこに現れる本質を直視する人がその狂気を乗り越えるのですかねえ。
> > >
> > > 恋も備わっていたものですね。それが人生のある時期に現れてきます。それを考えますと、幼い頃は身体の成長の為に食べ物以外にはあまり興味が湧かないようになっているのかも知れないと思います。
> >
> > たぶん順番があるのでしょうね、すそ野が広がると好奇心が広がり、周囲に目敏く新奇なものを見つけて挑戦するし、いやでも向こうから押しかけてきたりしますから大変です。きちんとしたカリキュラムみたいに進めばいいですが、運命というのは何がやってくるかわからない。ここは一つの大きな問題かもしれません。
>
> 民族とか地域によって、成長の過程のある段階で皆一様に課せられるものなどがありますね。
> 現代社会、特に日本のように急激で大きな変化が無い社会では、様々な好奇心を引くものがあるのと引き換えに「こうでなくてはならない」という価値観が積み重なって押し寄せてきます。

むき出しの暴力に常時さらされながら生きるようなことはないが、社会規範の締め付けは大きいという事でしょうか。それも耐え難い社会というか生き様ですね。そんなことはだれも望んでいないのにそういう社会が出現する。それをどうしていいかわからない。これも人間の抱える悲惨の一つでしょうか。


> > > > そこにおいて常に美は普遍性と永遠性を持って、真、善と並んでその超越性を表します。だがです。
> > > >
> > > > 《善と倫理がなければ我々は闘争によって互いに滅ぼしあう。しかし、美がなければ生の根本的な理由が枯死する。》『欲望論2』(竹田青嗣 2017 411)
> > >
> > > 何を善とするかという倫理は、暗に人の欲望に操作されて戦争に利用されてますね。たいていは自分が悪だと宣言して戦いを始めるわけではなく、本当に正義だと考えていたりします。でも噂では利益の為に戦争をけしかけたりする人間もいるとのことですね。
> >
> >
> > そう、そう、理性が世の中を理想社会に導くと期待していたロマン的な時代は過ぎ去りました。理想とか理念の信用はがた落ちです。それはそれで、ささやかな幸福が次第にみんなの目に見えてくるのかどうか、どうなんでしょうね?
>
> いや本当にどうなんでしょうね。それでも人々は世の中を何とかしようとするなら理想を掲げるしかないと考えているんじゃないでしょうか。夢と希望が必要だと。
> 一般に考えられている理性とは、欲望や怒りなどの感情を抑えることでしょう。「理性的であれ」は理解や洞察ではなくて抑圧の意味になってしまっています。

そうです。理性というのは西欧のローカルな一時期の考えであって、現在は破たんしているのではないでしょうか?生というものはもっと情念的な欲望というか、エネルギーに満ちた主体の生きる世界だと思うのですが。それゆえにこそKを読むのですが…。


> > > > Kが聖につい語るとき、必ず美を知らなければなりませんという話が先立ちます。真と善については欲望論1にあるので、読む気でいます。
> > >
> > > 愛と美は切り離せない、といいますか同根だったりもするのでしょうか。
> > > 「欲望論1」面白いところがあれば、またご紹介下さい。
> >
> > 生の根本的な意味は何にかかっているのか? 美よりも私は愛とか聖という言葉がどちらかというと頭に登ります。これはどういう事を示しているのでしょうか?人間はどうも何か信じるものが欲しいのでしょうか。そしてそこへ結晶化して固着したいのか。
>
> 愛や聖と呼ばれるものが生の意味だとしたいと? 事実そうだと見極めるのではなくて、そうだと信じる方に流れてしまうということでしょうか。
> 一般的に人は「〜を信じれば救われる」などの信仰や、何とか論などの考え方の基盤とか、こうしていれば大丈夫だというものを求めるようですね。また、ナンバーワンだとかオンリーワンとか、自分の存在価値を高めたいというのもありますね。そこに生の意味を求めようとしている気がします。
> でも実際のところ、あえて言う必要は無いかもですが、僕には生の意味が解りません。Kは「基底」を悟らなけらば「生に意味はない」みたいなことを言ってました。さて、このまま無意味で空しい生を続けるしかないのか、あがいていくか、それとも他に何かあるんでしょうか。
>
>
> > Kの言っていることを分かりたいことが一つ。そして竹田氏が今までの哲学の総括を試み、新境地を明らかにするのを理解したいのがひとつ。まだまだ呆けてはいられません。
>
> イエスの「求めなさい」は実際には「求め続けなさい」の意味があるそうです。常に、何時も、求め続けていくこと。なので結論など持たないってことですね。

私はKは自然発生的に創られ、育っていく心に対して、トークを通じて、英知に心を目ざまそうと話し続けてくれたように思えてきました。若い柔軟な可塑性を持ち、先入見なしに彼のトークを聞くなら、英知ある母親に育てられるように、柔軟な心が育つでしょう。人間の英知は、竹田青嗣が言っているように、心にかかわるすべてに対する一瞥性の本質直感――嬰児の持つそれ(洞察)――を基底とするほかにありえないから。


[24854] Re:[24853] [24852] [24851] [24847] [24840] [24836] [24832] 絶対的な価値 投稿者:ヨミ 投稿日:2017/12/08(Fri) 00:40  

> > > > > > > 美(例えば花の美しさ)の意味を子供時代に知るなら、これは高度の感覚?が備わったと言えるかもしれません。
> > > > > >
> > > > > > 美しさって何でしょうか。たしかに成長に従ってその感覚に気付いたり変化したりするように思えますが、条件付けなどではないような気がします。かといって音楽のように自然界には無かったはずのものに美を感じるのも不思議です。
> > > > >
> > > > >
> > > > > 美について何か言えるようになったら必ず書きます。でも今は書く力がありません。
> > > > > ただ、対象化した対象に美を感じていたのですが、その知覚をもたらしてくれるたまたまのぴったりの陽光と背景があることと、それを美しく感じる自分は何なのだろうと思いました。
> > > >
> > > > そうなんですね。ゴトさんでも。
> > > > 美を問うことは、生を問うくらいに深いものなのかもですね。
> > >
> > > 長らくお待たせしました。ようやく少し話せるようになりました。
> >
> > こちらこそ。ありがとうございます。
> >
> >
> > > 美というものは理性で論理的に判断するものとは違うのです。そうでなく感覚的なものであり、心に情動を引き起こすのです。感受されるものです。そして実用的有効性とは無縁のものです。花の美しさがわかる子供はすでに感受性が育ち始めているのでしょうね。音楽はより直接心の情感に働きかけます。それで形状性を持たないが美を伝えうるのでしょう。
> >
> > 感受性は育まれるものなんですね。美の感覚は思考のものでないなら、最初から備わっている、あるいはその種はあったんだと思いますが、たしかに子供の頃はあまり興味が無かった気がします。
>
> 感受性だけでなく、知性も、運動も言語もみんな人間の親とのやり取りの中で子供に育っていくものなんですね。もちろん言葉のわからないうちから親にかけられる言葉や身振り、まなざしすべてからの親の意の推理、そして自分の状況、欲求を伝える試み、受容から拒否、こういったところから心は育つのでしょうね。えらいこっちゃ。

そうですね。何も知らないところから、言葉を使えるようになっていくんですから凄いことです。


> > > ただ美は、思春期の異性関係の中で特別の様相を持って再発見されます。いかに古今の芸術家がこれに取り組んだかは誰でも知っています。当事者はすごいエネルギーで天上に舞い上がります。死も破滅も眼中になく。聖なる狂気と言われるのもわかります。そこに現れる本質を直視する人がその狂気を乗り越えるのですかねえ。
> >
> > 恋も備わっていたものですね。それが人生のある時期に現れてきます。それを考えますと、幼い頃は身体の成長の為に食べ物以外にはあまり興味が湧かないようになっているのかも知れないと思います。
>
> たぶん順番があるのでしょうね、すそ野が広がると好奇心が広がり、周囲に目敏く新奇なものを見つけて挑戦するし、いやでも向こうから押しかけてきたりしますから大変です。きちんとしたカリキュラムみたいに進めばいいですが、運命というのは何がやってくるかわからない。ここは一つの大きな問題かもしれません。

民族とか地域によって、成長の過程のある段階で皆一様に課せられるものなどがありますね。
現代社会、特に日本のように急激で大きな変化が無い社会では、様々な好奇心を引くものがあるのと引き換えに「こうでなくてはならない」という価値観が積み重なって押し寄せてきます。


> > > そこにおいて常に美は普遍性と永遠性を持って、真、善と並んでその超越性を表します。だがです。
> > >
> > > 《善と倫理がなければ我々は闘争によって互いに滅ぼしあう。しかし、美がなければ生の根本的な理由が枯死する。》『欲望論2』(竹田青嗣 2017 411)
> >
> > 何を善とするかという倫理は、暗に人の欲望に操作されて戦争に利用されてますね。たいていは自分が悪だと宣言して戦いを始めるわけではなく、本当に正義だと考えていたりします。でも噂では利益の為に戦争をけしかけたりする人間もいるとのことですね。
>
>
> そう、そう、理性が世の中を理想社会に導くと期待していたロマン的な時代は過ぎ去りました。理想とか理念の信用はがた落ちです。それはそれで、ささやかな幸福が次第にみんなの目に見えてくるのかどうか、どうなんでしょうね?

いや本当にどうなんでしょうね。それでも人々は世の中を何とかしようとするなら理想を掲げるしかないと考えているんじゃないでしょうか。夢と希望が必要だと。
一般に考えられている理性とは、欲望や怒りなどの感情を抑えることでしょう。「理性的であれ」は理解や洞察ではなくて抑圧の意味になってしまっています。


> > > Kが聖につい語るとき、必ず美を知らなければなりませんという話が先立ちます。真と善については欲望論1にあるので、読む気でいます。
> >
> > 愛と美は切り離せない、といいますか同根だったりもするのでしょうか。
> > 「欲望論1」面白いところがあれば、またご紹介下さい。
>
> 生の根本的な意味は何にかかっているのか? 美よりも私は愛とか聖という言葉がどちらかというと頭に登ります。これはどういう事を示しているのでしょうか?人間はどうも何か信じるものが欲しいのでしょうか。そしてそこへ結晶化して固着したいのか。

愛や聖と呼ばれるものが生の意味だとしたいと? 事実そうだと見極めるのではなくて、そうだと信じる方に流れてしまうということでしょうか。
一般的に人は「〜を信じれば救われる」などの信仰や、何とか論などの考え方の基盤とか、こうしていれば大丈夫だというものを求めるようですね。また、ナンバーワンだとかオンリーワンとか、自分の存在価値を高めたいというのもありますね。そこに生の意味を求めようとしている気がします。
でも実際のところ、あえて言う必要は無いかもですが、僕には生の意味が解りません。Kは「基底」を悟らなけらば「生に意味はない」みたいなことを言ってました。さて、このまま無意味で空しい生を続けるしかないのか、あがいていくか、それとも他に何かあるんでしょうか。


> Kの言っていることを分かりたいことが一つ。そして竹田氏が今までの哲学の総括を試み、新境地を明らかにするのを理解したいのがひとつ。まだまだ呆けてはいられません。

イエスの「求めなさい」は実際には「求め続けなさい」の意味があるそうです。常に、何時も、求め続けていくこと。なので結論など持たないってことですね。


[24853] Re:[24852] [24851] [24847] [24840] [24836] [24832] 絶対的な価値 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/05(Tue) 14:30  

> > > > > > 美(例えば花の美しさ)の意味を子供時代に知るなら、これは高度の感覚?が備わったと言えるかもしれません。
> > > > >
> > > > > 美しさって何でしょうか。たしかに成長に従ってその感覚に気付いたり変化したりするように思えますが、条件付けなどではないような気がします。かといって音楽のように自然界には無かったはずのものに美を感じるのも不思議です。
> > > >
> > > >
> > > > 美について何か言えるようになったら必ず書きます。でも今は書く力がありません。
> > > > ただ、対象化した対象に美を感じていたのですが、その知覚をもたらしてくれるたまたまのぴったりの陽光と背景があることと、それを美しく感じる自分は何なのだろうと思いました。
> > >
> > > そうなんですね。ゴトさんでも。
> > > 美を問うことは、生を問うくらいに深いものなのかもですね。
> >
> > 長らくお待たせしました。ようやく少し話せるようになりました。
>
> こちらこそ。ありがとうございます。
>
>
> > 美というものは理性で論理的に判断するものとは違うのです。そうでなく感覚的なものであり、心に情動を引き起こすのです。感受されるものです。そして実用的有効性とは無縁のものです。花の美しさがわかる子供はすでに感受性が育ち始めているのでしょうね。音楽はより直接心の情感に働きかけます。それで形状性を持たないが美を伝えうるのでしょう。
>
> 感受性は育まれるものなんですね。美の感覚は思考のものでないなら、最初から備わっている、あるいはその種はあったんだと思いますが、たしかに子供の頃はあまり興味が無かった気がします。

感受性だけでなく、知性も、運動も言語もみんな人間の親とのやり取りの中で子供に育っていくものなんですね。もちろん言葉のわからないうちから親にかけられる言葉や身振り、まなざしすべてからの親の意の推理、そして自分の状況、欲求を伝える試み、受容から拒否、こういったところから心は育つのでしょうね。えらいこっちゃ。


> > ただ美は、思春期の異性関係の中で特別の様相を持って再発見されます。いかに古今の芸術家がこれに取り組んだかは誰でも知っています。当事者はすごいエネルギーで天上に舞い上がります。死も破滅も眼中になく。聖なる狂気と言われるのもわかります。そこに現れる本質を直視する人がその狂気を乗り越えるのですかねえ。
>
> 恋も備わっていたものですね。それが人生のある時期に現れてきます。それを考えますと、幼い頃は身体の成長の為に食べ物以外にはあまり興味が湧かないようになっているのかも知れないと思います。

たぶん順番があるのでしょうね、すそ野が広がると好奇心が広がり、周囲に目敏く新奇なものを見つけて挑戦するし、いやでも向こうから押しかけてきたりしますから大変です。きちんとしたカリキュラムみたいに進めばいいですが、運命というのは何がやってくるかわからない。ここは一つの大きな問題かもしれません。


> > そこにおいて常に美は普遍性と永遠性を持って、真、善と並んでその超越性を表します。だがです。
> >
> > 《善と倫理がなければ我々は闘争によって互いに滅ぼしあう。しかし、美がなければ生の根本的な理由が枯死する。》『欲望論2』(竹田青嗣 2017 411)
>
> 何を善とするかという倫理は、暗に人の欲望に操作されて戦争に利用されてますね。たいていは自分が悪だと宣言して戦いを始めるわけではなく、本当に正義だと考えていたりします。でも噂では利益の為に戦争をけしかけたりする人間もいるとのことですね。


そう、そう、理性が世の中を理想社会に導くと期待していたロマン的な時代は過ぎ去りました。理想とか理念の信用はがた落ちです。それはそれで、ささやかな幸福が次第にみんなの目に見えてくるのかどうか、どうなんでしょうね?


> > Kが聖につい語るとき、必ず美を知らなければなりませんという話が先立ちます。真と善については欲望論1にあるので、読む気でいます。
>
> 愛と美は切り離せない、といいますか同根だったりもするのでしょうか。
> 「欲望論1」面白いところがあれば、またご紹介下さい。

生の根本的な意味は何にかかっているのか? 美よりも私は愛とか聖という言葉がどちらかというと頭に登ります。これはどういう事を示しているのでしょうか?人間はどうも何か信じるものが欲しいのでしょうか。そしてそこへ結晶化して固着したいのか。

Kの言っていることを分かりたいことが一つ。そして竹田氏が今までの哲学の総括を試み、新境地を明らかにするのを理解したいのがひとつ。まだまだ呆けてはいられません。


[24852] Re:[24851] [24847] [24840] [24836] [24832] 絶対的な価値 投稿者:ヨミ 投稿日:2017/12/05(Tue) 08:18  

> > > > > 美(例えば花の美しさ)の意味を子供時代に知るなら、これは高度の感覚?が備わったと言えるかもしれません。
> > > >
> > > > 美しさって何でしょうか。たしかに成長に従ってその感覚に気付いたり変化したりするように思えますが、条件付けなどではないような気がします。かといって音楽のように自然界には無かったはずのものに美を感じるのも不思議です。
> > >
> > >
> > > 美について何か言えるようになったら必ず書きます。でも今は書く力がありません。
> > > ただ、対象化した対象に美を感じていたのですが、その知覚をもたらしてくれるたまたまのぴったりの陽光と背景があることと、それを美しく感じる自分は何なのだろうと思いました。
> >
> > そうなんですね。ゴトさんでも。
> > 美を問うことは、生を問うくらいに深いものなのかもですね。
>
> 長らくお待たせしました。ようやく少し話せるようになりました。

こちらこそ。ありがとうございます。


> 美というものは理性で論理的に判断するものとは違うのです。そうでなく感覚的なものであり、心に情動を引き起こすのです。感受されるものです。そして実用的有効性とは無縁のものです。花の美しさがわかる子供はすでに感受性が育ち始めているのでしょうね。音楽はより直接心の情感に働きかけます。それで形状性を持たないが美を伝えうるのでしょう。

感受性は育まれるものなんですね。美の感覚は思考のものでないなら、最初から備わっている、あるいはその種はあったんだと思いますが、たしかに子供の頃はあまり興味が無かった気がします。


> ただ美は、思春期の異性関係の中で特別の様相を持って再発見されます。いかに古今の芸術家がこれに取り組んだかは誰でも知っています。当事者はすごいエネルギーで天上に舞い上がります。死も破滅も眼中になく。聖なる狂気と言われるのもわかります。そこに現れる本質を直視する人がその狂気を乗り越えるのですかねえ。

恋も備わっていたものですね。それが人生のある時期に現れてきます。それを考えますと、幼い頃は身体の成長の為に食べ物以外にはあまり興味が湧かないようになっているのかも知れないと思います。


> そこにおいて常に美は普遍性と永遠性を持って、真、善と並んでその超越性を表します。だがです。
>
> 《善と倫理がなければ我々は闘争によって互いに滅ぼしあう。しかし、美がなければ生の根本的な理由が枯死する。》『欲望論2』(竹田青嗣 2017 411)

何を善とするかという倫理は、暗に人の欲望に操作されて戦争に利用されてますね。たいていは自分が悪だと宣言して戦いを始めるわけではなく、本当に正義だと考えていたりします。でも噂では利益の為に戦争をけしかけたりする人間もいるとのことですね。


> Kが聖につい語るとき、必ず美を知らなければなりませんという話が先立ちます。真と善については欲望論1にあるので、読む気でいます。

愛と美は切り離せない、といいますか同根だったりもするのでしょうか。
「欲望論1」面白いところがあれば、またご紹介下さい。


[24851] Re:[24847] [24840] [24836] [24832] 絶対的な価値 投稿者:ゴト 投稿日:2017/12/02(Sat) 11:37  

> > > > 美(例えば花の美しさ)の意味を子供時代に知るなら、これは高度の感覚?が備わったと言えるかもしれません。
> > >
> > > 美しさって何でしょうか。たしかに成長に従ってその感覚に気付いたり変化したりするように思えますが、条件付けなどではないような気がします。かといって音楽のように自然界には無かったはずのものに美を感じるのも不思議です。
> >
> >
> > 美について何か言えるようになったら必ず書きます。でも今は書く力がありません。
> > ただ、対象化した対象に美を感じていたのですが、その知覚をもたらしてくれるたまたまのぴったりの陽光と背景があることと、それを美しく感じる自分は何なのだろうと思いました。
>
> そうなんですね。ゴトさんでも。
> 美を問うことは、生を問うくらいに深いものなのかもですね。

長らくお待たせしました。ようやく少し話せるようになりました。

美というものは理性で論理的に判断するものとは違うのです。そうでなく感覚的なものであり、心に情動を引き起こすのです。感受されるものです。そして実用的有効性とは無縁のものです。花の美しさがわかる子供はすでに感受性が育ち始めているのでしょうね。音楽はより直接心の情感に働きかけます。それで形状性を持たないが美を伝えうるのでしょう。

ただ美は、思春期の異性関係の中で特別の様相を持って再発見されます。いかに古今の芸術家がこれに取り組んだかは誰でも知っています。当事者はすごいエネルギーで天上に舞い上がります。死も破滅も眼中になく。聖なる狂気と言われるのもわかります。そこに現れる本質を直視する人がその狂気を乗り越えるのですかねえ。

そこにおいて常に美は普遍性と永遠性を持って、真、善と並んでその超越性を表します。だがです。

《善と倫理がなければ我々は闘争によって互いに滅ぼしあう。しかし、美がなければ生の根本的な理由が枯死する。》『欲望論2』(竹田青嗣 2017 411)

Kが聖につい語るとき、必ず美を知らなければなりませんという話が先立ちます。真と善については欲望論1にあるので、読む気でいます。


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