雑感
[トップに戻る] [留意事項] [ワード検索] [管理用]
おなまえ
Eメール メールアドレスは入力禁止
タイトル
コメント 【コメント中のURLは先頭のhを抜いて書き込んで下さい。】
コメント中には参照先URLと同じURLを書き込まないで下さい
参照先
暗証キー (記事メンテ用)

[24830] 反応に気づく 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/19(Sun) 14:25  


> >  私の場合は、別に心が騒いでもいいわけです。それが反応ですから。

 つけくわえると、それが普通の人間です。それでも反応が起きないというのなら検討はできません。
 Kのいう「反応に気づく」という検討もできない。
 Kのいうのは人は誰でも反応するが、反応に気づく人はいないということ。
 鳥の声には気づくが、鳥の声に反応することには気づかない。
>
> ようやく違いが出てきましたね。まだよくわかりませんが。
> 私の言っていることはあなたの推定するような、なるべくカチンと来ないように、静かにするように、心が騒がないように心がけて見るという事ではありません。
>
> 見ている心の質が異なる状態であるので、騒ぐ、動揺する、反応するという事がないのです。

それではお聞きしますが、あなたは人並みの喜怒哀楽の感情はないのですか? それとも無味乾燥な冷徹人間ですか。
 喜んだり、笑ったり、悲しんだりといったことはないのかな。
 人は身近な人が急に亡くなったときは動揺しますよ。当たり前じゃないですか。
 Kの言ってるのは、人並みの感情を捨てろということではない。怒る時は怒るんですよ。権力に対して。理不尽さに対して。不正に対して。
 子供が悪さをしたら怒ります。当たり前じゃないですか。叱る時は叱る。
 このように覚者、賢者と言われる人は感情を上手に使う。
 しかし、普通の人間は、逆に感情に振り回される。
 ようするに思考感情を使う側に回れということ。使われるのではなく。


>しかし、車が来れば避けるという行為は直覚的に起こります。地震が来ればどうなっていくか見ています。大きければ何とか行動するでしょう。

 自転車がくればよけますよ。当たり前の話だ。
>
> 心が騒いでよい、つまり馬鹿野郎と言われればカッとし、お前こそ大馬鹿野郎だと言い返すという事でしょうか?

 何をおっしゃってるんですか?馬鹿野郎といわれて、言い返すことではないですよ。それだと普通の喧嘩です。言い合い、ののしりあいじゃないですか。
 人に馬鹿野郎といわれたときは誰でも何かしらの反応というものが起きるでしょう。起きないと言わればそこで話は終わり。検討になりません。

>それなら同じ質の思考の過程が続いているだけではないでしょうか?

 違います。その思考過程をつぶさに見るということを言っています。
 今まで何回も例をあげて言ってるのですが。
 馬鹿野郎と言われたとき、瞬時に自分の意識を内面に向けるということです。
 人間というのは普段、意識は「外方」に向いています。
 座禅。瞑想というのは、意識を「内面」に向けることです。
 ですから、相手から馬鹿野郎と言われたとき、瞬時に「内面」に向ける。
 これをやらないと、相手を非難し、正当化する過程が起きる。人間にはこの過程が習慣的に身に付いている。
 クリシュナムルティは意識の方向性(志向性)を説く現象学を知らないので、こうした説明ができず、ただ見る、ただ聞くとしか言及しない。
 ただ見る、ということだけでは普通の人間にはわからないし、誤解を受ける。
>
> 見ることはどこにも起きていないと思います。

 見ることはどこにも起きていないって、どういう意味?

>しかし、あなたはそれを客観的に見ていると言います。見ていることが起こるなら、言い返しの思考の過程はどこで止まるのか、相手がまたお前は大馬鹿だと言いつのったら、またまた大馬鹿だと言い返すのでしょうか?、

何で言い返すんですか?それだと今までと同じではないですか。

>どこで思考の過程が終わるのですか?あなたのいうきゃっかんてきにみているじょうたいがよくわかりません。

 見れば言いわけです。見れば思考は止まります。体験すればすぐわかります。
 これまで同じことを何度も言っています。
 いいですか。わかりやすい例をいうと、人から馬鹿野郎といわれたとき、踏み留まるんですよ。瞬時に。今までどうり、馬鹿野郎といわれて、言い返したら、今までと同じではないですか。
 瞬時に踏みとどまる。それが思考の間隔ということです。やってみればわかかります。
 瞬時に間をあければ思考の勢いは急に萎んでいきます。体験すればわかるでしょう。起きた事実を言っているわけですから。
 つまり感情というのは思考の栄養がなければ大きくならないということです。
 それと思考というのは、長時間「考える」というのができません。必ず止まる瞬間がある。脳がそれを要求する。それが思考の間隔。
 自覚するしないのに関わらず、人間はそれをやっている。
 それでクリシュナムルティは、それを意識的にやれといってるわけです。
 意識的に「間」をあける。それが「見る」ということです。
 意識的というとすぐにあなたは抵抗するが、無意識ではできませよ。こういうことは。
 思考を静めるという意味というのは、新しいアイデアをもらうためでもあるわけです。ですから、様々な分野の人は、あえて自ら思考を止めるということをします。思考が再生する。

 客観的に見るということですが、こんなわかりやすい言葉はありません。かえって「見る」という言葉の方がわかりにくい。広すぎて。
 あるいは自覚する。今何やってるのか、ということを自覚する。そのとき自分の行動を確認する。再確認。




[24829] Re:[24827] [24825] [24824] [24809] [24807] [24800] [24797] [24792] [24791] [24790] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/18(Sat) 18:12  

> > > >超越的に見ていると言われてもこまるのですが、比喩でなく話すことはできませんか? ま、あなたが超越的に実際に見ているなら結構なことです。
> > >
> > >  イライラしていることが起きたら、そのまま見ているだけです。手をつけずに。
> >
> > すると、見ている心は静かですね、それが私のただ見ている時の実際です。
> >
> > >  わかりやすくいえば、イライラしている自分を、客観的にみている。
> >
> > 客観的なら、見ている心は静かですね。それが私のただ見ている時の実際です。
> >
> > >  イライラしている自分と、そのことを見ている自分とは別なものだということです。
> >
> > つまり、見ている自分は別でその心は静かですね? それがただ見ている自分です。イライラしている思考は自分ではないことがはっきり見えています。
> > で、いつも静かな自分で見ているなら結構なことです。私はそのことばかり言っています。
>
>  あなたは「静寂」というものをそのように理解していることがわかりました。思考なしに、ただ見ていることが静寂だと。そのことを「静か」という言葉に結びつけている。
>  つまり平静を保つ。物事に動じない。それが不動心につながる。クリシュナムルティはそのように言っていると、あなたはとらえている。
>  いかなる場合でも、平静な心を保つ。
>
>  そのことと「客観的に見ている」状態とは別な事柄です。
>  イライラしているというのは、文字ドウリ心を騒いでいるということです。
>  その状態を客観的に見れるかどうか、ということです。
>  静かな心とは関係ありません。
>  家人から用事を頼まれ、カチンとくる。それを客観的に見れるどうか。
>  あなたの言ってることは、家人から用事を頼まれたとき、カチンと来ないように見ている、ということのように見受けられます。
>  それが思考なしに見る。違いますか。つまり人に言われたとき、なるべくカチンと来ないように心がけている。それが思考なしに見る。静かにするように。心が騒がないように。
>  私の場合は、別に心が騒いでもいいわけです。それが反応ですから。

ようやく違いが出てきましたね。まだよくわかりませんが。
私の言っていることはあなたの推定するような、なるべくカチンと来ないように、静かにするように、心が騒がないように心がけて見るという事ではありません。

見ている心の質が異なる状態であるので、騒ぐ、動揺する、反応するという事がないのです。しかし、車が来れば避けるという行為は直覚的に起こります。地震が来ればどうなっていくか見ています。大きければ何とか行動するでしょう。

心が騒いでよい、つまり馬鹿野郎と言われればカッとし、お前こそ大馬鹿野郎だと言い返すという事でしょうか? それなら同じ質の思考の過程が続いているだけではないでしょうか?

見ることはどこにも起きていないと思います。しかし、あなたはそれを客観的に見ていると言います。見ていることが起こるなら、言い返しの思考の過程はどこで止まるのか、相手がまたお前は大馬鹿だと言いつのったら、またまた大馬鹿だと言い返すのでしょうか?、どこで思考の過程が終わるのですか?あなたのいうきゃっかんてきにみているじょうたいがよくわかりません。

> >
> > >  夢を見ている自分と、こうしている日常眼が醒めて起きている自分とは違うように。
> >
> > この比喩が話を分からなくする。夢を見ている自分と醒めている自分は違うのかな?
>
>  これは比喩ではない。事実のことです。だいいち人間は毎日夢を見ます。
> >
> > >  (夢の話は、学習しないとわかりません。夢だけでも一大テーマ)
> >
> > そんな話なら比喩には使わないでください。
>
>  夢について探求しない人間は、この話を聞くと驚くということ。聞いたことがないので。
>  夢を見る人間に話かけると、返事をする。ところが、起きたときそのことを話しても本人はは記憶がない。
>  催眠術をかけられた人間は過去の記憶を話すが、本人が目が覚めている時は、本人にはその記憶はまったくない。
>  つまり私はある事柄について意識しているが、私の心は自覚していない。
> というパラドックスが起きる。
>  人間の心が二重構造になってることの証明。
>  詳しくはその方面の書物を読みたし。人間の意識の探求の一部。ほんのさわり。
> >
> > 随分長かったので、整理して、はっきりしているところだけにしました。

この部分は上記の問題とと直接関係がないようなので、このままにしておきます。


[24828] Re:[24826] [24823] [24821] [24820] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/11/18(Sat) 10:40  

> > > > 私が統合失調症ならば、世間のほとんどの人は統合失調症ではないだろうか。
>
>  ウィキで、「総合失調症」を調べました。
>
> 「統合失調症は脳をはじめとした神経系に生じる慢性の病気である。
> 統合失調症は、さまざまな刺激を伝えあう脳をはじめとした神経系が障害される慢性の疾患です。詳細は不明な部分もあるものの、ドーパミン系やセロトニン系といった、緊張‐リラックスを司る神経系や、意欲やその持続に関連する系列、情報処理・認知に関する何らかの系列にトラブルが起きているといわれています。」以降省略。
>  
>
>  これを見ると、ある種の病気のようです。
>

このwikiの説はあくまでも仮説です。私が生きた証明です。統合失調症は治る病気です。脳の異常からくるものという仮説はロボトミー手術という非人道的な歴史をたどりました。今はそれが穏やかになり、薬という手段に変えているだけで、根本にある思想は変わりません。また精神の異常からくるものという仮説も魔女狩りという悲惨な歴史をたどりました。この二元性からのアプローチでは限界があります。そもそも二元性を作り出すところから「統合」失調症というのです。だから、世間の人も「統合」されていないという意味で統合失調症です。ただ、表立って迷惑をかけていないというだけで、内面は争い対立・葛藤だらけでしょう。
世界というものを一つの単位とし見た場合でも、明らかに統合失調症です。分離争い対立だらけ。それは誰が作っているかと言ったら世間一般に人でしょう。だから、世間一般の人は統合失調症なのです。



> > > >
> > > > Kのいうことを理解できないなら統合失調症では・・・。
> > > > 何故世間の人達は普通に暮らせているのだろうか?
> > > > 或いは狂気の沙汰で暮らしているのか。
>
>  Kのいうことを理解出来ない人は総合失調症ですか?
>  理解出切る人は正常?
>  しかし、世間の人は普通に暮らしてますよ。99パーセント。トラブルを起こす人は、ほんの一部です。
> > >
> > > 総合失調症というのはどんな症状ですか。
> >
> >
> > 一言で言うと「あるがまま」の分離です。
>
>  えっ?それは総合失調症と呼ぶ病気とは関係ないんじゃないですか。
>  「あるがままの分離」ってどういうことですか。
>  クリシュナムルティと関係あるのですか。


幻聴・幻視・幻味・幻臭、妄想が、おもな症状として表れます。アダムスキーは4感と心は繋がっており心とは想念を運ぶ媒体だと書いてます。つまり、あるがままの原初の想念がある種の分裂を起こし、コントロールがきかなくなった状態を病状として捉えることができます。治すには、分裂したあるがままの原初の想念に一旦戻り、コントロール機能を回復させる必要があります。そうすると、根本治癒に繋がるわけです。




> >
> > そして最後にはi am that iam で終わります。

調べてみましたが本来はi am that/i am (that)/i am /・・・
という風に続くようです。thatは関係代名詞。人が人や世界と交わるということを示唆してる言葉かと思われます。



[24827] Re:[24825] [24824] [24809] [24807] [24800] [24797] [24792] [24791] [24790] 無題 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/18(Sat) 09:42  

> > >超越的に見ていると言われてもこまるのですが、比喩でなく話すことはできませんか? ま、あなたが超越的に実際に見ているなら結構なことです。
> >
> >  イライラしていることが起きたら、そのまま見ているだけです。手をつけずに。
>
> すると、見ている心は静かですね、それが私のただ見ている時の実際です。
>
> >  わかりやすくいえば、イライラしている自分を、客観的にみている。
>
> 客観的なら、見ている心は静かですね。それが私のただ見ている時の実際です。
>
> >  イライラしている自分と、そのことを見ている自分とは別なものだということです。
>
> つまり、見ている自分は別でその心は静かですね? それがただ見ている自分です。イライラしている思考は自分ではないことがはっきり見えています。
> で、いつも静かな自分で見ているなら結構なことです。私はそのことばかり言っています。

 あなたは「静寂」というものをそのように理解していることがわかりました。思考なしに、ただ見ていることが静寂だと。そのことを「静か」という言葉に結びつけている。
 つまり平静を保つ。物事に動じない。それが不動心につながる。クリシュナムルティはそのように言っていると、あなたはとらえている。
 いかなる場合でも、平静な心を保つ。

 そのことと「客観的に見ている」状態とは別な事柄です。
 イライラしているというのは、文字ドウリ心を騒いでいるということです。
 その状態を客観的に見れるかどうか、ということです。
 静かな心とは関係ありません。
 家人から用事を頼まれ、カチンとくる。それを客観的に見れるどうか。
 あなたの言ってることは、家人から用事を頼まれたとき、カチンと来ないように見ている、ということのように見受けられます。
 それが思考なしに見る。違いますか。つまり人に言われたとき、なるべくカチンと来ないように心がけている。それが思考なしに見る。静かにするように。心が騒がないように。
 私の場合は、別に心が騒いでもいいわけです。それが反応ですから。

>
> >  夢を見ている自分と、こうしている日常眼が醒めて起きている自分とは違うように。
>
> この比喩が話を分からなくする。夢を見ている自分と醒めている自分は違うのかな?

 これは比喩ではない。事実のことです。だいいち人間は毎日夢を見ます。
>
> >  (夢の話は、学習しないとわかりません。夢だけでも一大テーマ)
>
> そんな話なら比喩には使わないでください。

 夢について探求しない人間は、この話を聞くと驚くということ。聞いたことがないので。
 夢を見る人間に話かけると、返事をする。ところが、起きたときそのことを話しても本人はは記憶がない。
 催眠術をかけられた人間は過去の記憶を話すが、本人が目が覚めている時は、本人にはその記憶はまったくない。
 つまり私はある事柄について意識しているが、私の心は自覚していない。
というパラドックスが起きる。
 人間の心が二重構造になってることの証明。
 詳しくはその方面の書物を読みたし。人間の意識の探求の一部。ほんのさわり。
>
> 随分長かったので、整理して、はっきりしているところだけにしました。


[24826] Re:[24823] [24821] [24820] 無題 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/18(Sat) 08:59  

> > > 私が統合失調症ならば、世間のほとんどの人は統合失調症ではないだろうか。

 ウィキで、「総合失調症」を調べました。

「統合失調症は脳をはじめとした神経系に生じる慢性の病気である。
統合失調症は、さまざまな刺激を伝えあう脳をはじめとした神経系が障害される慢性の疾患です。詳細は不明な部分もあるものの、ドーパミン系やセロトニン系といった、緊張‐リラックスを司る神経系や、意欲やその持続に関連する系列、情報処理・認知に関する何らかの系列にトラブルが起きているといわれています。」以降省略。
 

 これを見ると、ある種の病気のようです。

> > >
> > > Kのいうことを理解できないなら統合失調症では・・・。
> > > 何故世間の人達は普通に暮らせているのだろうか?
> > > 或いは狂気の沙汰で暮らしているのか。

 Kのいうことを理解出来ない人は総合失調症ですか?
 理解出切る人は正常?
 しかし、世間の人は普通に暮らしてますよ。99パーセント。トラブルを起こす人は、ほんの一部です。
> >
> > 総合失調症というのはどんな症状ですか。
>
>
> 一言で言うと「あるがまま」の分離です。

 えっ?それは総合失調症と呼ぶ病気とは関係ないんじゃないですか。
 「あるがままの分離」ってどういうことですか。
 クリシュナムルティと関係あるのですか。
>
>
> 上下左右前後にあるがままのものが分離していきます。


> 想像に想像を重ねて、その世界を自分で勝手に構築していきます。


思考のこと?
>
> そして最後にはi am that iam で終わります。ここは研究課題です。マハラジをご存じでしょうか?

 「私は誰か?」で有名なマハラシなら知っています。著書「不滅の意識」。

マハラジはi am thatで終わってます。 thatの後にiamと続くのが統合失調症の特徴ではないかと思ってます。


総合失調症は関係ないでしょう。
>
> これは一連の気づきの中で起こっているという結論です。

気づき?


[24825] Re:[24824] [24809] [24807] [24800] [24797] [24792] [24791] [24790] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/11/17(Fri) 15:36  

> >超越的に見ていると言われてもこまるのですが、比喩でなく話すことはできませんか? ま、あなたが超越的に実際に見ているなら結構なことです。
>
>  イライラしていることが起きたら、そのまま見ているだけです。手をつけずに。

すると、見ている心は静かですね、それが私のただ見ている時の実際です。

>  わかりやすくいえば、イライラしている自分を、客観的にみている。

客観的なら、見ている心は静かですね。それが私のただ見ている時の実際です。

>  イライラしている自分と、そのことを見ている自分とは別なものだということです。

つまり、見ている自分は別でその心は静かですね? それがただ見ている自分です。イライラしている思考は自分ではないことがはっきり見えています。
で、いつも静かな自分で見ているなら結構なことです。私はそのことばかり言っています。

>  夢を見ている自分と、こうしている日常眼が醒めて起きている自分とは違うように。

この比喩が話を分からなくする。夢を見ている自分と醒めている自分は違うのかな?

>  (夢の話は、学習しないとわかりません。夢だけでも一大テーマ)

そんな話なら比喩には使わないでください。

随分長かったので、整理して、はっきりしているところだけにしました。


[24824] Re:[24809] [24807] [24800] [24797] [24792] [24791] [24790] 無題 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/17(Fri) 11:44  

> > > >   反応をどうこうしようとすることなしに見ている、よく感じていることがすべてです。それが理解です。
> > > >
> > > >  (注)これは事実?それとも仮説?
>
> これは誰かとの会話の中で相手が反応した時、あるいは私が頭の中で反応した時、私にとって事実です。
> (注)私は今まであなたはKの本を読んだ人として話してきましたがそれをやめて、全く新しく話し直します。
>
> >  主観的事実も何も、あなたに起きた事実を述べるだけでいいのではないですか。
> >  反応というのは誰でも起きるものでしょう。違いますか。人の心内はわかりません。覗くことはできない。だからこうして話し合っているのです。
>
> はい、起きた事実を話しましょう。
>
> >  たとえば、皆で共通の映画を見て、終わったあと皆が感想をいう。そこではじめて個個の考え方、感じ方の違いがわかるのではないですか。
>
> そうですね。
>
> > 再録
> > > >   反応をどうこうしようとすることなしに見ている、よく感じていることがすべてです。それが理解です。
> >
> >  ある人に注意されて,イライラが起きる。そのとき起きたイライラした心をそのまま見るということです。
>
> イライラが起きたとき、気づき、ただ見始めます。心は静かです。イライラしていません。思考が続けて文句を言えば、それは知覚します。

 いらいらしていること事体が、心が騒いでいるということです。そこはおわかりですか。それで何で静かになるの?
 そのまま見るというのは、イライラしているという心の状態を自覚しているかどうかです。そこが問題。
 自覚すると言う意味がわかりますか。
>
> >  これは自身を見てればわかることではないですか。これは皆共通でしょう。
>
> 共通でないかもしれませんよ。イライラしない静かな心で見ていないかも。

 何で共通じゃないの。今、イライラしてるという心の状態を調べている。
イライラするというのが誰でも経験するものです。
 あなたが生まれたこの方イライラしたことがないというのであれば、この話はできません。
 たとえば外国へ行ったことのある人とない人とでは体験が共有できないように。
>
> >  イライラしている心をそのまま見ることが出来なければ、そのイライラに思考がつかまってしまうことは、私たちはよく経験します。
>
> はい、そうです。私も昔そうでした。
>
> >  イライラの過程に目を向くのではなく、そのイライラした原因の方に目が向き、原因とされた相手に意識の矛先がいってしまうということは私たちがよくやることです。そして相手を非難する。
>
> 確かに一般にそうです。その時見ることではなく、相手に批判の目が向いています。
>
> >  クリシュナムルティの「アローン」というのは、人間は皆同じ悩みや苦しみを抱えているという意味で、「人類は一つ」といってるのではないでしょうか。心理的な意味でです。
>
> これはあなたの意見ですね。あなたの事実はどうなのかな。

 「はい、そうです」ではなかったようで。何でここをつっこむのか。

 これは新しい芽氏から聞いた言葉。ですからあなたも知ってるはず。何で「あなたの意見」という言葉が出てくる?
 ついで、私の意見は違うということは過去に再三述べているはず。
 あなたと私とは、明らかに違う。意見も何もかもあわない。共通点も何もない。お互いに「クリシュナムルティ」を知っているだけ。
>
> > > >  反応は頭の中だけで見られていることもあるし、咄嗟に声なり何なり表に出るのもあるでしょう。
>
> ここまでは事実です。
>
> > > > その分離をもたらすときは思考が行動の主体になっているわけです。
>
> これは説明言葉ですね、分離がもたらされる場合の。しかし事実でもあります。カットしても結構です。

はい。意味不明。
>
> >  分離とおっしゃいますが何かことばにとらわれていませんか。あるいは「私」という言葉も,あなたはよく使う。
> >  分離とか「私」というのは、Kが使う言葉であって、その意味をとらえればいいのであって、私たち同士の会話では使うことはないと思います。普通の言葉で話せばいい。
> >  たとえば一般の人に「分離」といってもわからない。
> >  クリシュナムルティをお互い読んでいるという了解の上で、分離という言葉を使っているのでしょうか。
>
> そうですが。しかし分離が気に入らないならカットします。Kを知らない人として話します。

分離という言葉が誤解を生む。自分を観る、つまり自観する。あるいは客観的に自分を見るというのは、分離ではない。
分離というのは、思考というものが、元々二元的な性質をもっているということ。「みるもの」と「みられるもの」というように。「自分」と「あなた」
>
> > > >  しかし、気づきの知覚がしっかりと見られている時は主体は思考ではなく気づき、知覚であるわけです。その時理解があります。
> >
> >  気づく「主体」がいるでしょう。つまり観音様です。この観音様が出現しないと、「観察するものは観察されるもの」というのは理解出来ません。
>
> 観音様は比喩的な表現で、事実を言うと、心は静かで事実を知覚している。観察者はいない状態ですね。

 それでは説明不足。言葉不足で誤解を生む。それだったら誰だってやってますよ。本を読む時は静かに読むでしょう。当たり前ですが。
 「何か」を見たり、聞いたりするときは、心を静めるのは当たり前の話で。
 学校で、生徒が騒いでいるとき、先生は「静かにしなさい」!
>
> >  この観音様の出現が実は驚くべき状態でなのです。私でない私の発見。
>
> これは説明もしくは意見ですね。

 事実です。これは自身に起きたことです。だからこうしていえるわけです。あなたは今だこのことに確信に至っていないようだ。
 あなたはこれまで見る、聞くと言っておきながら。何のためにやってるの。
 宗教や哲学の目的は。これを知ることに在る。
 色んな覚者、賢者と言われる人の話を聞いたらどうですか。
「汝自身を知れ」というホントの意味がここにある。
 この話が「まゆつば」と思うなら、あなたは一般の科学者と同じ「唯物論者」ということになる。目に見えるものしか信じない。
>
> > >仏教の言葉で言うと妙観察知が働きます。心は全体、自分の全組織のみでなく、周囲にも働くようです。そしてその反応も自分を理解し消えていくようです。それはその場ではなく、のちにわかることですが。ここに書いたことはKの言った事ではなく、私の観察からの仮説です。

あなたは渡辺充氏のように仏教を探求なされたか。仏教を勉強したければユーチューヴで,いつでも見れる。
> >
> > やっぱりあなたの仮説ですか。了解。
> >
> > > >  これは自分自身に起きた事実のことを書いているのではなく「仮説」ということですか。つまり説明?
>
> 自身に起きて感じたことです。従って事実ではあるのですが、終わるというのは厳密にいうと何年たてば終わりと言えるかという事がある。しかし私には既に問題でなくなって忘れているなら終わりと言えるでしょう。禁煙が本当かと言うと30年以上たつが、来年も吸う事がぶり返さないかは誰にもわからない。それで終わるが入ると仮説と言っています。

何で「終わる」という話がここで出てくるのか。
自分自身を観察すれば、いつか思考が終わることがわかります。それが思考の間です。これはよく見ていないとわからない。
こういう話と違うようで。

それとあなたはよくタバコの例を持ち出すが、それはくまで個人的なものであって、問題は人間関係です。人間関係の対応です。私たちの大半の苦しみは人間関係です。そこが問題ということです。

Kspoinの例題にもなったが
第13回 【憎悪】Hate
 孤立から憎悪が生まれる。そこで、憎悪は、愛と接点を持たない、とKはいう。
 ヘイトスピーチに愛がないことは分かりやすいが、もっと潜在した、不可視の意識に働く憎悪にわれわれはちゃんと気づいているだろうか。

 これが最も大きな問題ということです。


>
> > > 自分自身に起きる事実を自分の言葉で書いています。一般化して書いているので説明にもなっています。これも証明できることではありません。
> >
> >  証明といいますが、人の心内は見えないものでしょう。目で確認するものではない。何考えるかなんて、はたではわからない。だから会話するわけです。
> >  ああそういうことかと。
>
> そういうふうに書きましょう。
>
> > > >  Kの言ったこと?ではなく、自論?ですか。
> > > >  あなたはこれまでKのいったことを疑いもなくそのまま追随しておられるのではなかったか。意外な言葉です。
>
> 違います。何か自分で思うことなしに人の言葉通りに書くなどできません。
>
> > > Kの言葉を自分で主観的に体験して、たぶんKの言う事はこういう事だろうと思ってはいます。ヒントとして受け取ってもいます。しかし体験を自分の言葉で描写し、一般化して言っています。それゆえ、自分で間違っていると思えば謝って取り消します。しかし自分が独創的に発見したという意味の自論ではありません。
> >
> > ?
>
> こういうことは理解していただけないようだ。言うのをやめましょう。
>
> > > >  観察とは自身で起きてることを、ただ見てるということではなかったか。
>
> 相手は伝えたいことを言ったらこちらの応答を求めます。何か行動しないといけない場合がほとんどでしょう。それが日常生活でしょう。自分だけでも、次々といろいろなことをするはずです。あ、洗い物を忘れていたとか。

そうです。
>
> > > ただ見るという「ただ」は自分の条件付けで反応しないという事を範囲を一般的に拡大して言っているわけです。非難正当化なしにとか、選択なしにとか観察者のいない観察とか、言い始めれば場合場合でキリがない。
> >
> >  反応が起きたとき、思考で色付けしないということです。言語化せずに見る。
> >  イライラが起きたとき、そのままイライラの過程を見る。
> >  Kはよく「思考過程」という。プロセス。
> >  その見ている状態が、すでに「超越的」だということ。
> >  チェンジオブステージ。舞台の転換。まさに変容。
>
> あなたの言う事はお話、物語的で実際にイライラなり何なりをどんなふうに見ているかがわからない。

 簡単です。見てるだけです。これだけじゃわからないので、具体的に言うと自分の意識を内面に向けてイライラしている自分を見ている。
 普段人間というのは、意識を「外部」に向けています。当たり前ですが。
 イライラが生じた瞬間、瞬時に「内」に向ける。
 すると、花が萎むように、イライラと呼ぶ反応が治まっていきます。波がひくように。
 しかし、人は不快な気持ちを避けようとします。相手から注意され不快な気持ちが起きる。イライラが起きる、するとこんな不快な目にあわせた相手に意識の矛先が向くのは必然の流れ。そこで相手への非難がはじまるということです。これは普通の人間の定番。
 Kのいうのは怒りを味わう。不快な気持ちを味わう。怒りを直接経験するのは、ほとんどいないとある。
 確かに人間は、怒りを相手に昇華するのであって、自分に昇華することはない。
 自分を責めることはよくあります。いわば自己批判。「何でこんなことしてしまったのか」自問自答する。反省の日々。自分を慰める。

 怒りを味わう。そういう怒る場面に遭遇しないと中々味わえない。
 摩擦をなるべく避けようとする人には。その機会は訪れない。

>超越的に見ていると言われてもこまるのですが、比喩でなく話すことはできませんか? ま、あなたが超越的に実際に見ているなら結構なことです。

 イライラしていることが起きたら、そのまま見ているだけです。手をつけずに。
 わかりやすくいえば、イライラしている自分を、客観的にみている。
 イライラしている自分と、そのことを見ている自分とは別なものだということです。
 夢を見ている自分と、こうしている日常眼が醒めて起きている自分とは違うように。
 (夢の話は、学習しないとわかりません。夢だけでも一大テーマ)


[24823] Re:[24821] [24820] 無題 投稿者:南方 投稿日:2017/11/17(Fri) 11:31  

> > 私が統合失調症ならば、世間のほとんどの人は統合失調症ではないだろうか。
> >
> > Kのいうことを理解できないなら統合失調症では・・・。
> > 何故世間の人達は普通に暮らせているのだろうか?
> > 或いは狂気の沙汰で暮らしているのか。
>
> 総合失調症というのはどんな症状ですか。


一言で言うと「あるがまま」の分離です。


上下左右前後にあるがままのものが分離していきます。
想像に想像を重ねて、その世界を自分で勝手に構築していきます。

そして最後にはi am that iam で終わります。ここは研究課題です。マハラジをご存じでしょうか?マハラジはi am thatで終わってます。 thatの後にiamと続くのが統合失調症の特徴ではないかと思ってます。

これは一連の気づきの中で起こっているという結論です。


[24822] Re:[24813] [24812] [24810] [24808] [24805] [24796] [24776] 生中の聖なるもの(4) 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/17(Fri) 10:20  

> > > 至福を求めるというか、エネルギーの気に入るはけ口を求めているようにも思います。
> > > そして結局思考を頼りにするのか、暴発を含むエネルギーの発露に頼るか、そんなふうに生きているようにも思います。
> >
> >
> >  そんなふうな生の中で、クリシュナムルティと共に歩むことは、>新しい世代−−ではないでしょうか・・。
>
> 今、どうしても動物、そして人間とはどういう生き物なのかを、あるいは存在なのかを、哲学的に、あるいは現象学的に見つめ、調べなければならないように思います。やってみます。

 もう少し問題意識を明確にされたらいかがですか。調べるといっても文献を読みあさるだけでは?

 真理を把握した人、悟った人というのはそういうことは卒業してる。今だ求めているということかな。

 何を調べるのかさっぱりわからない。


[24821] Re:[24820] 無題 投稿者:外野席 投稿日:2017/11/17(Fri) 10:13  

> 私が統合失調症ならば、世間のほとんどの人は統合失調症ではないだろうか。
>
> Kのいうことを理解できないなら統合失調症では・・・。
> 何故世間の人達は普通に暮らせているのだろうか?
> 或いは狂気の沙汰で暮らしているのか。

総合失調症というのはどんな症状ですか。


[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69] [70] [71] [72] [73] [74] [75] [76] [77] [78] [79] [80] [81] [82] [83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90] [91] [92] [93] [94] [95] [96] [97] [98] [99] [100]

処理 記事No 暗証キー
- LightBoard - Modified by isso