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[23992] Re:[23988] [23987] 『最初で最後の自由』の序文 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/24(Sat) 18:18  

> > これはKをある程度読んだ読者には必読の序文ではないかと思うのでご紹介いたします。
>
>
>  昨晩、読んでみました。
>
>  イメージ・シンボル、すなわち「観念」を私たちは生きているようです。
>
>  ときたま起こる、直接の知覚はなかなか記憶にも残らず、過ぎ去るまま・・。

ヒトが簡単に意識できないような具合でどこかに、何らかの形で残されているかもしれません。

>  北朝鮮からのミサイルが届いたならば、それは「観念」から届いたのでしょう。
>
>  他人事ではない「観念」。
>
>  人類が激減するならば、それは「観念」と核エネルギーの結合による事柄でしょう。
>
>  核エネルギーがない時代には、人類を激減させるほどの力は「観念」には無かったのだが・・。

ヒトも観念を抱えて、なぜかわからないで苦悩を味わっています。それを誰の目にも明らかになるようにするにはどうすればいいでしょうか?

オルダス・ハクスリーの目には、彼は間違いなく天才ですが、見えていました。個人あるいは大衆が観念を持つ害に目覚めなければならないでしょう。

だが世間的常識は揺らいでいません。どこが急所なのか!?


[23991] Re:[23990] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/23(Fri) 18:40  

いや今日は暑かった。朝からヘラブナ釣りに行っていたが、帰りの半時間ほどの歩きの道が、日差しを遮ってくれるものが何もなく、いやー暑かったですね。もう秋まで、曇りで小雨が降るかもという日でないと、釣りには行きません。


>  お互いこれまで生きてきた人生のスタンスが違うので、最後はお互いの人生観、価値感の違いになるようです。あなたのコメントを見てそう思いました。

はて、今の私に人生観とか、価値観があるのだろうか?

>  ここで聞きにくいことを一つお聞きしたいのですが、心理的なことについてです。あなたは今や長く生きて人生の先輩になりここまで生きてきました。これまでで、たとえば自分の年下のものに、指摘というか、ああだこうだいわれたとき、どんな気持ちになるかということです。
>  同僚や先輩なら、ああだこうだいわれても、そうは腹がたたないものですが、後輩、あるいは若輩のものにああだこうだといわれると気持ちのいいものではない。私なら当然腹がたつ。それが図星であっても。もちろん口にしませんが。「◯◯にいわれたくない」と。こういうのは、学校でも会社でもよくあることです。
>  さて貴方は、今や「気づき」を実現してるので、もし、仮に若い人から注意を受けても、動揺しない。平常心を保つということでしょうか。

ええと若い人というのは確かにいます。しかしそれは新参者、目下のもの、若輩という意識あるいは観念なしです。
私には子供もいるし、孫もいるし、ひ孫もいます。彼らも世の人のほとんどが確かに若い。それだけです。
だから何か言われたたらその事を考えます、もっともなこともあるし、誤解もあるし、いろいろあるでしょうが、まじめに受け取るべきだと思ったことは考えて返事するだけです。

>  分かりやすい例を言いうと、あなたは仮に釣りが未熟だとする。(あくまでたとえ。実際はわかりません。)釣りが上手な若い人にああだこうだ指摘を受けたとする。どう反応するか。これは釣りに限らず将棋でも何でもいいです。

私が下手なことは釣りをやっている人が少し見ればわかるでしょう。うまい人は普通自分からは声をかけないと思います。しかしもし声をかけてくれれば黙って聞きます。

>  あなたは人を、「若い」「中年」などと判別しないで受け取るということでしょうか。私なら人を見て反応する。

若いとか、中年はよくわかる実際のことと結びついています。
反応の仕様がありません。

>  自分の若輩なのに、明らかにその人は悟っていると見る時、自分は力量不足でまだ悟りには程遠い。そのとき「やっかみ」が起きるかどうか。こいつわかいくせに。これも比較の論理ですが。
>  腹が立たないのではなく、腹がたったで、その都度「見る」。その「見る」の継続。継続すればその内腹が立たなくなる。

一度見るとそれは終わるのでは?それ以外のことが起きれは新たに見る。

>  それとも、本当に「気づき」が出来れば,二度と腹立ちが起きなくなる。そういうことですか。

「気づき」は見えたことの別の言い方。
本当に気づきができればとおっしゃいますが、タラレバでは言葉は操れてもその実際は見えないからわからないでしょう。
それは実際に何を意味するかはっきりしません。いや象徴的な意味で使われているのはわかります。変化することなのでしょうが、それもその実際はあなたにとって言葉的には覚者になることなどと言えますが、実際に何が起こるか言えないでしょう。

>  普通は前者、見ることを継続しようとしたが、そのうち見ることをやめる。

実際とのつながりが実はわかっていない観念を使って行動を決めるという事、これが実は問題ではないですか?

心理的観念が私はいつの間にかなくなっているのです。それで感情が煮えくり返るとい事がありません。
気づきの継続とか、見ることの継続ではなく、自分の握りしめていた思い込みの中の怪しげなものが消えればそれで終わりです。

心理的なイメージのシステムが構築されています。そのなかにお化けがいるのです。そのお化けの正体が見えればそれまでなのです。心理的なシステムが崩壊します。

どうやってお化け退治をやるか、それが世界に通じるようにする必要があります。
とりあえず、新参者、若輩者、目下、こう言った観念はお化けだ!という事でいいでしょうか?


[23990] Re:[23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/23(Fri) 11:14  

 お互いこれまで生きてきた人生のスタンスが違うので、最後はお互いの人生観、価値感の違いになるようです。あなたのコメントを見てそう思いました。

 ここで聞きにくいことを一つお聞きしたいのですが、心理的なことについてです。あなたは今や長く生きて人生の先輩になりここまで生きてきました。これまでで、たとえば自分の年下のものに、指摘というか、ああだこうだいわれたとき、どんな気持ちになるかということです。
 同僚や先輩なら、ああだこうだいわれても、そうは腹がたたないものですが、後輩、あるいは若輩のものにああだこうだといわれると気持ちのいいものではない。私なら当然腹がたつ。それが図星であっても。もちろん口にしませんが。「◯◯にいわれたくない」と。こういうのは、学校でも会社でもよくあることです。
 さて貴方は、今や「気づき」を実現してるので、もし、仮に若い人から注意を受けても、動揺しない。平常心を保つということでしょうか。
 分かりやすい例を言いうと、あなたは仮に釣りが未熟だとする。(あくまでたとえ。実際はわかりません。)釣りが上手な若い人にああだこうだ指摘を受けたとする。どう反応するか。これは釣りに限らず将棋でも何でもいいです。
 あなたは人を、「若い」「中年」などと判別しないで受け取るということでしょうか。私なら人を見て反応する。
 自分の若輩なのに、明らかにその人は悟っていると見る時、自分は力量不足でまだ悟りには程遠い。そのとき「やっかみ」が起きるかどうか。こいつわかいくせに。これも比較の論理ですが。
 腹が立たないのではなく、腹がたったで、その都度「見る」。その「見る」の継続。継続すればその内腹が立たなくなる。
 それとも、本当に「気づき」が出来れば,二度と腹立ちが起きなくなる。そういうことですか。
 普通は前者、見ることを継続しようとしたが、そのうち見ることをやめる。

 今日はここまで




[23989] Re:[23988] [23987] 『最初で最後の自由』の序文 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/23(Fri) 10:37  


> > これはKをある程度読んだ読者には必読の序文ではないかと思うのでご紹介いたします。

やはり、クリシュナムルティの本を読みこなすには、それなりの読解力や力量が要求されるようです。人の力量いかんによってはクリシュナムルティの本はさまざまに解釈されてしまう。
以下のコメントは失礼ながら読むこなしているとは思われません。
>
>
>  昨晩、読んでみました。
>
>  イメージ・シンボル、すなわち「観念」を私たちは生きているようです。

観念を私たちは生きている?妙な表現。
この人は観念という言葉をどうとらえているのだろうか?
>
>  ときたま起こる、直接の知覚はなかなか記憶にも残らず、過ぎ去るまま・・。

 ときたま起こる直接の知覚? 意味不明。
 直接の知覚は記憶に残らない?直接の知覚と言うが何をイメージしてるのか?
>
>  北朝鮮からのミサイルが届いたならば、それは「観念」から届いたのでしょう。

 トッ拍子もない文章。何で「北朝鮮」という単語が出てくるのか。
 観念から届いた?意味不明の文章。
>
>  他人事ではない「観念」。


>
>  人類が激減するならば、それは「観念」と核エネルギーの結合による事柄でしょう。

 支離滅裂。なおかつ意味不明。
>
>  核エネルギーがない時代には、人類を激減させるほどの力は「観念」には無かったのだが・・。

 いったいこの人は何をいっているのか。力量不足を露にしている。

 愚さんの掲示板は博識ある人達の集まり。これでは、はいりこめない。

 エネルギーとは「内側で働く」ということがわかっているのだろうか。
 思考と英知は違うということをわかっているのだろうか。
 頭脳と精神は違うということがわかっているのだろうか。

 本質がわかっていないから、目に見える現象論だけ追う。「北朝鮮」などと。
 自身の内面に目を向けることもない。


[23988] Re:[23987] 『最初で最後の自由』の序文 投稿者:宮啓 投稿日:2017/06/22(Thu) 16:06  

> 『最初で最後の自由』には「自我の終焉」には省略されていたオルダス・ハクスリーの序文が載っています。(「自我の終焉」では省略されていた)
>
> これを私は初めて読んだのですが、実に素晴らしい序文で、現代の社会における問題点と、Kのこの著作が持つ意義を実によく、簡潔であるが丁寧にまとめてあります。
>
> Kの指摘については、熱心な読者はよく読んでいらっしゃるでしょう。しかし、現代にいたるまでの人間はシンボルのシステムを作って使っており、そこに文明文化が生じるとともに、それは致命的欠陥を持つことにもなっています。
>
> そしてKの指摘は、人間の精神生活を通して、その欠陥の指摘でもあります。シンボルとその実際との照合は科学の世界では慎重に実行されてきました。その他の世界では観念が大手を振ってまかり通っています。
>
> こういった問題をオルダス・ハクスリーは明快に述べています。またKの指摘と社会との関連についての簡潔なビューも述べられています。
>
> これはKをある程度読んだ読者には必読の序文ではないかと思うのでご紹介いたします。


 昨晩、読んでみました。

 イメージ・シンボル、すなわち「観念」を私たちは生きているようです。

 ときたま起こる、直接の知覚はなかなか記憶にも残らず、過ぎ去るまま・・。

 北朝鮮からのミサイルが届いたならば、それは「観念」から届いたのでしょう。

 他人事ではない「観念」。

 人類が激減するならば、それは「観念」と核エネルギーの結合による事柄でしょう。

 核エネルギーがない時代には、人類を激減させるほどの力は「観念」には無かったのだが・・。 


[23987] 『最初で最後の自由』の序文 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/21(Wed) 09:51  

『最初で最後の自由』には「自我の終焉」には省略されていたオルダス・ハクスリーの序文が載っています。(「自我の終焉」では省略されていた)

これを私は初めて読んだのですが、実に素晴らしい序文で、現代の社会における問題点と、Kのこの著作が持つ意義を実によく、簡潔であるが丁寧にまとめてあります。

Kの指摘については、熱心な読者はよく読んでいらっしゃるでしょう。しかし、現代にいたるまでの人間はシンボルのシステムを作って使っており、そこに文明文化が生じるとともに、それは致命的欠陥を持つことにもなっています。

そしてKの指摘は、人間の精神生活を通して、その欠陥の指摘でもあります。シンボルとその実際との照合は科学の世界では慎重に実行されてきました。その他の世界では観念が大手を振ってまかり通っています。

こういった問題をオルダス・ハクスリーは明快に述べています。またKの指摘と社会との関連についての簡潔なビューも述べられています。

これはKをある程度読んだ読者には必読の序文ではないかと思うのでご紹介いたします。


[23986] Re:[23985] [23983] [23981] [23980] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/19(Mon) 14:56  

> > > > >  Kは「人類の未来」の中で、頭脳と精神は別個であるといっている。これをあなたはどうとらえますか。又、頭脳は道具ともいっている。
> > > >
> > > > 脳は実体のあるものです。精神は私にとってはその言葉が何を指しているかわかりません。精神は心のことなのでしょうか? 
> > >
> > >  その精神はスピリットを意味するのでしょうか。ならば意味が通じます。マインドなら意味は通じません。
> >
> > スピリットでなくマインドと思いますが。
>
> 「人類の未来」73ページから。K曰く
> 「頭脳は条件づけられているが、精神はそうではないという意味で別のもの」「精神は時間と関係していない。つまり体とも頭脳とも関係していない」
> 「精神は英知」
>  つまりここで出てくる精神という言葉を一般のマインドをイメージして読むとここでの文章は、意味はわからなるようです。

Kは時間の終焉では個別的精神と普遍的精神という言い方をしています。個別的精神とは条件づけられている精神でしょう。それが心理的条件付けを空にした時、別のもの(普遍的精神?)に変化します。それを指して言っているのでしょうか?

>  「頭脳が沈黙し、空間のあるときに、精神と頭脳の接触がある。」
>  こうしてみてみると、覚者と物理学者の代表者の対談となります。
>  私も「精神」という意味を取り違えていました。一般の概念として。
> >
> > > >魂という別の言葉を持ち出さないといけないでしょうか? 思考なら私でも実際に知覚しますからまあわかると言えます。

「頭脳が沈黙し、空間のある時、自由がある」と言えばそれで十分に事実を述べていると思います。違うでしょうか?

> >
> > 普通の人は本当の自分は精神だと言ってもぴんと来ないと思います。たとえば腕を一本なくしても精神はありますが、脳をなくしたら何もかもおしまいだと普通の人は思います。真の私というのは脳にありそうです。
>
>  やはりあなたは脳から心が生じるという現代学問を信じているようですね。言わば科学信仰。私たちはそのように学校教育を受けてきました。

でも現代の科学が統合的に伸び始めたのは最近の10年ですよ。あなたの受けた学校教育は古典力学の範囲内だと思います。

>  それだとKのいう精神と脳は別個であるということが理解できなくなる。脳から心が生じるという現代学問とはKの言ってることは明らかに違う。
>  普通の人はピンと来ないといわれますが、当たり前ですよ。そういうことは学習していないのですから。今の学校は唯物教育です。真の「心の教育」やってますか。宇宙の法則を教えてますか。子供達にです。真理教育などどこもやっていない。
>  お言葉ですが、真の私は脳にあるという「覚者」は一人もおりません。
>  あなたが読まれる本は科学、物理畑が中心で、精神世界と言われる本はよんだことがあまりないようですね。たとえば禅、仏教、インド関係など。
>  「真の私は脳にある」というコメントには驚きました。これでは、愚さんのいっていることもわからないし、私とも話が合いません。

道元の言う只管打座なら知っていますが、これなら具体的にわかる話言葉です。実際にやってみることができます。しかし生計を立てながらひたすら座って居よと言われても困りますが。

> > > > まあそんなふうに見ています。言葉の実際が見えにくい。
> > > >
> > > > >  ならば、道具を上手く使うしかないでしょう。脳を上手に使う。
> > > >
> > > > さて、誰が使うのでしょう? 
>
>  ですから、「真の私は脳にある」というのでは、そういうことはわかりません。
> > >
> > >  はい。さっきいった「本当の自分」です。音は耳で聞くのではなく、『本当の自分」で聞く。それが道具を使うものです。
> > >  手のひらを見ている観音様がそれです。孫悟空は相争う自我。
> >
> > 脳をなくしたら三重苦になるだけではないです。意識もなくなり、体も動かなくなり、心臓も呼吸も止まります。
>
>  え〜とあなたは医学の立ち場からいってますか。
>  
これは普通の人はだれでも納得する事実だと思いますが。

> > 真の自分が精神として脳と別にあるというのは、普通の人はどう思うでしょうね。脳の働きに精神的な部分があるというとわかる気がします。
>
>  どう思おうが、思うまいが、まぎれもなくそれは「事実」です。こうして毎日生きている。ですから「覚者」と言われる人は、そのことを古来から主張している。汝自身を知れ。
>  私たちは、瞬時瞬時、こうしている生きているのですから!!

ここには精神という言葉は入っていないし、覚者という言葉はやや紛らわしく、判別できないですが、生きているのは事実です。

>  一部の脳が生かしているのではない。

もちろん60兆もの細胞が人間の中にいて、それがまず生きており、多くは2,3か月で生まれ換わります。それらは数多くの機能を持つ呼吸系、循環系、運動系等々の組織からなる人間という個体に統合され、個々の細胞より階層の高い個体として生きています。
その個々の細胞は一個一個が人間の遺伝子と持っていてそれを使って再生するのです。思えば神秘的ですねえ。

一部省略

> > > > >  アダムスキーの金言。「考えぬく」という点ではクリシュムルティと共通しています。
> > > >
> > > > しかし学者になるならともかく、実用的思考はそんなに考える必要がないし、心理的思考を考え抜くのは変でしょう?
> > >
> > >  むしろ逆でしょう。実用的思考は考え抜くことです。自分の進路を真剣に考える。いいかげんに欲得で進路を考えるから、進路を誤る。
> > >  人生を振り返ってみると、重大な岐路に立つことが何度かあります。
> > >  学校を選ぶとき、会社を選ぶとき、結婚相手を選ぶとき。あるいは会社をやめるかいなか。離婚するかいなか。
> > >  真剣に考え向けば、そう間違うことはないでしょう。考えて考え抜き、ふと止んだ思考の合間から、素晴らしい答えが浮かんできます。神の知恵というもの。
> > >  しかし、人間は好き嫌い、いい悪いといった心理的思考できめがちです。欲得、計算。ろくに考えもせずにです。だからあとで後悔するのです。
> > >  「ああすりゃよかった」「こんなはずではなかった」
> > >  人はだいたい第一印象があってる場合が多いようです。思考が介入していない。しかしきめられず、だんだんと計算がはいってくると心理的思考が介入し失敗するということです。
> >
> > 大部分の実用的思考は大したことはない。専門家になると大変だが。
> > 進路や就職、結婚等は、考え抜くと思考では答えが出ずにあれこれ迷うばかりだという事がわかるから、
>
> 考え抜くことと、悩むこととは違いますよ。悩み(苦しむ)というのはまさに心理的思考の為せる業です。

でも結婚するとき、相手が健康に一生過ごすか、気が変わって離縁すると言い出さないかは、いくら考えても答えは出ませんよ。

> >あとは感受性か英知でぱっと決めてください。最初から見ていれればいいけれども、そうはいかないよね。
>
>  ですから、クリシュナムルティは、その思考の合間から。ふと英知がやってくるというのです。示唆、指示として。それに従っていれば間違わない。ところが人は「自力」とやろうとするから、間違える。

英知は身分証明書をぶら下げたりしていないんだが大丈夫かな。もし、思ったようにいかなかったら誰が責任を取るのだろう。

>  ちょうどいいときに、ちょうどいいことが起きるのが真の悟り。
>  よくいう「絶対他力」という意味がわかるような気がします。一生懸命祈れば知恵を授かると。

これは正直に言って、思い込みというか信心の類に見える。心理的思考が混じっていないか?


> > > > > > もし心の中で葛藤があるなら、その個体は秩序が乱れてると言えると私は思っています。しかし葛藤は必要だ、それが精神を磨くという人もいます。ここから始める必要があるのかもしれません。
> > > > >
> > > > >  ここは議論を深める必要があります。
> > >
> > >  自分の心を成長させるのは、ある程度葛藤と向き合う方がいいと言います。
> > > 葛藤から逃げるのではなく。直面する。
> > >  人間はある程度、苦労、苦難を経てきた方が、大きく成長する。波あり谷あり、波乱の人生。とくに大正後期、昭和初期に生まれた方々に敬服します。
> >
> > 苦労、苦難が葛藤と混同されている。葛藤は、狭義では個人の中での分裂、対立。広義では人間同士の中での分裂、対立。たとえば地震のための苦労、苦難は葛藤ではない。
>
>  初めて聞きました。苦労苦難は葛藤ではない?たとえば野球選手がスランプを脱出しようと苦闘する姿は、まぎれもなく葛藤でしょう。

葛藤は大変な苦悩をもたらします。
しかし心理的思考を起こさないなら、地震による苦悩は葛藤ではありません。

>  このたびの3・11の地震にあわれた方の避難生活はまさしく葛藤の連続。心の休まるときはない。いつもあのときの映像が浮かんでしまう。
> >
> > >  文字ドウリ苦難の連続。地震あり、戦争あり、しかも今のような電気製品もない。人々は重労働の連続。
> > >  人間である以上,悩み、苦しみのない人はいない。だったら上手につきあう。
> > >  逆に悩み、苦しみのない人間っているのかと思う。誰でも周囲から「死」という悲しみに直面する。
> >
> > 葛藤は個人のように本来矛盾対立のないはずのものに起こるから無意味なのです。しかし、それが見えないで多くの人が葛藤し、苦しむ。苦労して、それが無意味とわかって抜け出した人はよかったね。
>
>  葛藤をどうとらえるか、どう向き合うのかの話。無意味かどうかではなく。試練ととらえれば意味があるものになる。逃げると葛藤は無意味に成る。

やはり葛藤から始めなければだめか?「時間の終焉」ではそれすらわからないで必要なことだという人がいると言われているが。

>
>  最後にお聞きしますが、人と対立するのが葛藤であって、個人的悩みは葛藤ではない。ということですか。

個人の心が分裂してお互いに対立、抗争するのが葛藤です。
あるがままの心が遊びたいのに対し、思考があるべき姿を持ち出してガリ勉しろと言います。これが葛藤の一例です。
全身全霊で事に当たる時は葛藤はありません。矛盾はなく、調和と秩序があります。全体一丸とでも言いましょうか。


[23985] Re:[23983] [23981] [23980] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/19(Mon) 10:53  

> > > >  Kは「人類の未来」の中で、頭脳と精神は別個であるといっている。これをあなたはどうとらえますか。又、頭脳は道具ともいっている。
> > >
> > > 脳は実体のあるものです。精神は私にとってはその言葉が何を指しているかわかりません。精神は心のことなのでしょうか? 
> >
> >  その精神はスピリットを意味するのでしょうか。ならば意味が通じます。マインドなら意味は通じません。
>
> スピリットでなくマインドと思いますが。

「人類の未来」73ページから。K曰く
「頭脳は条件づけられているが、精神はそうではないという意味で別のもの」「精神は時間と関係していない。つまり体とも頭脳とも関係していない」
「精神は英知」
 つまりここで出てくる精神という言葉を一般のマインドをイメージして読むとここでの文章は、意味はわからなるようです。
 「頭脳が沈黙し、空間のあるときに、精神と頭脳の接触がある。」
 こうしてみてみると、覚者と物理学者の代表者の対談となります。
 私も「精神」という意味を取り違えていました。一般の概念として。
>
> > >魂という別の言葉を持ち出さないといけないでしょうか? 思考なら私でも実際に知覚しますからまあわかると言えます。
> >
> >  色々な呼び名がありますが、本当の自分でどうですか。魂だと誤解を受けます。
> >  宗派によっては「真我」あるいは「本当の自我」あるいは「宇宙意識」と呼びます。
>
> 普通の人は本当の自分は精神だと言ってもぴんと来ないと思います。たとえば腕を一本なくしても精神はありますが、脳をなくしたら何もかもおしまいだと普通の人は思います。真の私というのは脳にありそうです。

 やはりあなたは脳から心が生じるという現代学問を信じているようですね。言わば科学信仰。私たちはそのように学校教育を受けてきました。
 それだとKのいう精神と脳は別個であるということが理解できなくなる。脳から心が生じるという現代学問とはKの言ってることは明らかに違う。
 普通の人はピンと来ないといわれますが、当たり前ですよ。そういうことは学習していないのですから。今の学校は唯物教育です。真の「心の教育」やってますか。宇宙の法則を教えてますか。子供達にです。真理教育などどこもやっていない。
 お言葉ですが、真の私は脳にあるという「覚者」は一人もおりません。
 あなたが読まれる本は科学、物理畑が中心で、精神世界と言われる本はよんだことがあまりないようですね。たとえば禅、仏教、インド関係など。
 「真の私は脳にある」というコメントには驚きました。これでは、愚さんのいっていることもわからないし、私とも話が合いません。
>
>
> > > まあそんなふうに見ています。言葉の実際が見えにくい。
> > >
> > > >  ならば、道具を上手く使うしかないでしょう。脳を上手に使う。
> > >
> > > さて、誰が使うのでしょう? 

 ですから、「真の私は脳にある」というのでは、そういうことはわかりません。
> >
> >  はい。さっきいった「本当の自分」です。音は耳で聞くのではなく、『本当の自分」で聞く。それが道具を使うものです。
> >  手のひらを見ている観音様がそれです。孫悟空は相争う自我。
>
> 脳をなくしたら三重苦になるだけではないです。意識もなくなり、体も動かなくなり、心臓も呼吸も止まります。

 え〜とあなたは医学の立ち場からいってますか。
 
> 真の自分が精神として脳と別にあるというのは、普通の人はどう思うでしょうね。脳の働きに精神的な部分があるというとわかる気がします。

 どう思おうが、思うまいが、まぎれもなくそれは「事実」です。こうして毎日生きている。ですから「覚者」と言われる人は、そのことを古来から主張している。汝自身を知れ。
 私たちは、瞬時瞬時、こうしている生きているのですから!!
 一部の脳が生かしているのではない。

>
> > >思考者は思考です。実用的思考は問題なく使っています。
> >
> >  はい。観察者が観察されるものと理解するのは、観音様にあたる本当の自分です。いわば、真の観察者。手のひらにのる二人の孫悟空は、観察するものと観察されるもの。
> >  一般の大部分の人間は、思考すなわち観察するものと観察されるものを自分だと錯覚している。それがKのいう「私」です。過去の経験記憶。
>
> ご苦労様。でもこの比喩はいただけないな。

 単純明快。Kのいうのは、手のひらの上だけの言及。いわば思考の一人相撲。これを見るには、一歩離れた「客観者」がいないとわからない。
 実際に観察者が観察されるものと理解するのは、もう一人の観察者がいないことにはわからない。(Kはそのことには言及しない)
 一般人は火中の栗。火を見るには栗が外に出なければ見えない。
>
>
> > > >  一説によると人間は脳細胞の70パーセントは使わないで死んで行くという。文字ドウリ宝の持ち腐れ。いかに人間は「考え抜く」という作業をやっていないか。
> > > >  現代の教育系統の一大欠陥
> > > >  「もし人間が如何に考えるべきかを知りさえすれば!」
>
> 脳細胞に使わない部分があるのは余裕をもって予備があるという事で、そのうち、結線が使われていない部分にも広がっていくかもしれない。それにその多すぎるかもしれない余裕が都合の悪いことを引き起こしているという事も見つかっていない。

 脳のしくみ、あるいは生理学に随分関心ありますね。
>
> > > >  アダムスキーの金言。「考えぬく」という点ではクリシュムルティと共通しています。
> > >
> > > しかし学者になるならともかく、実用的思考はそんなに考える必要がないし、心理的思考を考え抜くのは変でしょう?
> >
> >  むしろ逆でしょう。実用的思考は考え抜くことです。自分の進路を真剣に考える。いいかげんに欲得で進路を考えるから、進路を誤る。
> >  人生を振り返ってみると、重大な岐路に立つことが何度かあります。
> >  学校を選ぶとき、会社を選ぶとき、結婚相手を選ぶとき。あるいは会社をやめるかいなか。離婚するかいなか。
> >  真剣に考え向けば、そう間違うことはないでしょう。考えて考え抜き、ふと止んだ思考の合間から、素晴らしい答えが浮かんできます。神の知恵というもの。
> >  しかし、人間は好き嫌い、いい悪いといった心理的思考できめがちです。欲得、計算。ろくに考えもせずにです。だからあとで後悔するのです。
> >  「ああすりゃよかった」「こんなはずではなかった」
> >  人はだいたい第一印象があってる場合が多いようです。思考が介入していない。しかしきめられず、だんだんと計算がはいってくると心理的思考が介入し失敗するということです。
>
> 大部分の実用的思考は大したことはない。専門家になると大変だが。
> 進路や就職、結婚等は、考え抜くと思考では答えが出ずにあれこれ迷うばかりだという事がわかるから、

考え抜くことと、悩むこととは違いますよ。悩み(苦しむ)というのはまさに心理的思考の為せる業です。

>あとは感受性か英知でぱっと決めてください。最初から見ていれればいいけれども、そうはいかないよね。

 ですから、クリシュナムルティは、その思考の合間から。ふと英知がやってくるというのです。示唆、指示として。それに従っていれば間違わない。ところが人は「自力」とやろうとするから、間違える。
 ちょうどいいときに、ちょうどいいことが起きるのが真の悟り。
 よくいう「絶対他力」という意味がわかるような気がします。一生懸命祈れば知恵を授かると。
>
> > > > >
> > > > > もし心の中で葛藤があるなら、その個体は秩序が乱れてると言えると私は思っています。しかし葛藤は必要だ、それが精神を磨くという人もいます。ここから始める必要があるのかもしれません。
> > > >
> > > >  ここは議論を深める必要があります。
> >
> >  自分の心を成長させるのは、ある程度葛藤と向き合う方がいいと言います。
> > 葛藤から逃げるのではなく。直面する。
> >  人間はある程度、苦労、苦難を経てきた方が、大きく成長する。波あり谷あり、波乱の人生。とくに大正後期、昭和初期に生まれた方々に敬服します。
>
> 苦労、苦難が葛藤と混同されている。葛藤は、狭義では個人の中での分裂、対立。広義では人間同士の中での分裂、対立。たとえば地震のための苦労、苦難は葛藤ではない。

 初めて聞きました。苦労苦難は葛藤ではない?たとえば野球選手がスランプを脱出しようと苦闘する姿は、まぎれもなく葛藤でしょう。
 このたびの3・11の地震にあわれた方の避難生活はまさしく葛藤の連続。心の休まるときはない。いつもあのときの映像が浮かんでしまう。
>
> >  文字ドウリ苦難の連続。地震あり、戦争あり、しかも今のような電気製品もない。人々は重労働の連続。
> >  人間である以上,悩み、苦しみのない人はいない。だったら上手につきあう。
> >  逆に悩み、苦しみのない人間っているのかと思う。誰でも周囲から「死」という悲しみに直面する。
>
> 葛藤は個人のように本来矛盾対立のないはずのものに起こるから無意味なのです。しかし、それが見えないで多くの人が葛藤し、苦しむ。苦労して、それが無意味とわかって抜け出した人はよかったね。

 葛藤をどうとらえるか、どう向き合うのかの話。無意味かどうかではなく。試練ととらえれば意味があるものになる。逃げると葛藤は無意味に成る。

 最後にお聞きしますが、人と対立するのが葛藤であって、個人的悩みは葛藤ではない。ということですか。




[23984] 寓語録2 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/19(Mon) 09:35  

>神とか、無字、仏、という言葉は、肯定的な響きがあります。空(くう)も、若干、肯定的です>そうですね・・・仏教的に整理すると、般若経典群は、諸法空相、をあらわし、法華経は、諸法実相、ということになります。

>簡単に言えば、空と色、で>この空を徹底したのが、真空という感じです。物がいっさいない、というところ、公案でいえ>ば、無字の根源、これが基底でしょう。神の根源、ソース、です。

>空の徹底が真空なのですね。クリシュナムルティが無や空を超えたものが基底だという意味がいまいちわからなかったのですが、これではっきりしました。

>この真空、基底から、万物が生まれます。なぜか、ホーキングの理論と似てるんですが・・・>ブラックホールから物がうまれる・・・

>空即是色でもいいです。洒落た感じだと、真空妙有(しんくうみょうう)。禅の十牛図でいえ>ば、八番目が、真空、九番目が、真空妙有。

 愚さんと言う人はかなりの博識。しかも現代科学にも精通している。

 愚さんのいっている基本的理解がないと、いくら覚者と言われる人の本を読んでもわからないと思います。真理の理解は困難。 
 とくに現代科学を盲信している学者の人は理解は不能だろう。何故なら目に見えないものしか信じない唯物論者だから。
 Kのいう「基底」も理解不能。
 現代科学は原因を追求せず、ひたすら現象しか信じない。目で確かめたものしか。
 しかし、目に見える世界など、ほんの一部。氷山の一角。

 クリシュナムルティはいったい人々に対してどういうことを伝えたかったのだろうか?
 あるいは、釈尊をはじめ、他の覚者のいうことと違ったことをいってるのだろうか。
 言ってることは同じで、各自のアプローチの違いと愚氏はいう。
  
 同じクリシュナムルティを読むにしても、精神世界に精通してる人と唯物論者では見解が異なる。



[23983] Re:[23981] [23980] [23979] [23975] 意識の統合と分裂 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/18(Sun) 13:45  

> > >  Kは「人類の未来」の中で、頭脳と精神は別個であるといっている。これをあなたはどうとらえますか。又、頭脳は道具ともいっている。
> >
> > 脳は実体のあるものです。精神は私にとってはその言葉が何を指しているかわかりません。精神は心のことなのでしょうか? 
>
>  その精神はスピリットを意味するのでしょうか。ならば意味が通じます。マインドなら意味は通じません。

スピリットでなくマインドと思いますが。

> >魂という別の言葉を持ち出さないといけないでしょうか? 思考なら私でも実際に知覚しますからまあわかると言えます。
>
>  色々な呼び名がありますが、本当の自分でどうですか。魂だと誤解を受けます。
>  宗派によっては「真我」あるいは「本当の自我」あるいは「宇宙意識」と呼びます。

普通の人は本当の自分は精神だと言ってもぴんと来ないと思います。たとえば腕を一本なくしても精神はありますが、脳をなくしたら何もかもおしまいだと普通の人は思います。真の私というのは脳にありそうです。


> > まあそんなふうに見ています。言葉の実際が見えにくい。
> >
> > >  ならば、道具を上手く使うしかないでしょう。脳を上手に使う。
> >
> > さて、誰が使うのでしょう? 
>
>  はい。さっきいった「本当の自分」です。音は耳で聞くのではなく、『本当の自分」で聞く。それが道具を使うものです。
>  手のひらを見ている観音様がそれです。孫悟空は相争う自我。

脳をなくしたら三重苦になるだけではないです。意識もなくなり、体も動かなくなり、心臓も呼吸も止まります。 
真の自分が精神として脳と別にあるというのは、普通の人はどう思うでしょうね。脳の働きに精神的な部分があるというとわかる気がします。

> >思考者は思考です。実用的思考は問題なく使っています。
>
>  はい。観察者が観察されるものと理解するのは、観音様にあたる本当の自分です。いわば、真の観察者。手のひらにのる二人の孫悟空は、観察するものと観察されるもの。
>  一般の大部分の人間は、思考すなわち観察するものと観察されるものを自分だと錯覚している。それがKのいう「私」です。過去の経験記憶。

ご苦労様。でもこの比喩はいただけないな。


> > >  一説によると人間は脳細胞の70パーセントは使わないで死んで行くという。文字ドウリ宝の持ち腐れ。いかに人間は「考え抜く」という作業をやっていないか。
> > >  現代の教育系統の一大欠陥
> > >  「もし人間が如何に考えるべきかを知りさえすれば!」

脳細胞に使わない部分があるのは余裕をもって予備があるという事で、そのうち、結線が使われていない部分にも広がっていくかもしれない。それにその多すぎるかもしれない余裕が都合の悪いことを引き起こしているという事も見つかっていない。

> > >  アダムスキーの金言。「考えぬく」という点ではクリシュムルティと共通しています。
> >
> > しかし学者になるならともかく、実用的思考はそんなに考える必要がないし、心理的思考を考え抜くのは変でしょう?
>
>  むしろ逆でしょう。実用的思考は考え抜くことです。自分の進路を真剣に考える。いいかげんに欲得で進路を考えるから、進路を誤る。
>  人生を振り返ってみると、重大な岐路に立つことが何度かあります。
>  学校を選ぶとき、会社を選ぶとき、結婚相手を選ぶとき。あるいは会社をやめるかいなか。離婚するかいなか。
>  真剣に考え向けば、そう間違うことはないでしょう。考えて考え抜き、ふと止んだ思考の合間から、素晴らしい答えが浮かんできます。神の知恵というもの。
>  しかし、人間は好き嫌い、いい悪いといった心理的思考できめがちです。欲得、計算。ろくに考えもせずにです。だからあとで後悔するのです。
>  「ああすりゃよかった」「こんなはずではなかった」
>  人はだいたい第一印象があってる場合が多いようです。思考が介入していない。しかしきめられず、だんだんと計算がはいってくると心理的思考が介入し失敗するということです。

大部分の実用的思考は大したことはない。専門家になると大変だが。
進路や就職、結婚等は、考え抜くと思考では答えが出ずにあれこれ迷うばかりだという事がわかるから、あとは感受性か英知でぱっと決めてください。最初から見ていれればいいけれども、そうはいかないよね。

> > > >
> > > > もし心の中で葛藤があるなら、その個体は秩序が乱れてると言えると私は思っています。しかし葛藤は必要だ、それが精神を磨くという人もいます。ここから始める必要があるのかもしれません。
> > >
> > >  ここは議論を深める必要があります。
>
>  自分の心を成長させるのは、ある程度葛藤と向き合う方がいいと言います。
> 葛藤から逃げるのではなく。直面する。
>  人間はある程度、苦労、苦難を経てきた方が、大きく成長する。波あり谷あり、波乱の人生。とくに大正後期、昭和初期に生まれた方々に敬服します。

苦労、苦難が葛藤と混同されている。葛藤は、狭義では個人の中での分裂、対立。広義では人間同士の中での分裂、対立。たとえば地震のための苦労、苦難は葛藤ではない。

>  文字ドウリ苦難の連続。地震あり、戦争あり、しかも今のような電気製品もない。人々は重労働の連続。
>  人間である以上,悩み、苦しみのない人はいない。だったら上手につきあう。
>  逆に悩み、苦しみのない人間っているのかと思う。誰でも周囲から「死」という悲しみに直面する。

葛藤は個人のように本来矛盾対立のないはずのものに起こるから無意味なのです。しかし、それが見えないで多くの人が葛藤し、苦しむ。苦労して、それが無意味とわかって抜け出した人はよかったね。

一部省略

> > >  固体の闇って何ですか?あらためて聞きますが。
> >
> > 仕返しをする、心理的により良いものになろうとしてあるがままを変えようとする(=葛藤)。代表的な例としてどうでしょう。
>
>  葛藤が固体の闇ですか。人は何で争いをするのかにつながる。
> >
> > >  殺戮ですか。動物は食べるために相手を殺します。人間もそう。家畜を毎日殺している。しかし動物は不必要な殺しはしない。人間は必要以外に、心理的に満足のために殺す。殺して悦に成る。それは脳に問題があるのかな?キレる?一部の権力者がそうさせるだけ。

殺すはその極端なものですが、葛藤は一個人や人間の集団間で起こるとき、つまり同種の間での争いを言います。その結果人間が殺戮されるなど、悲惨の最たるものです。

> > > >
> > > > なかなかそれも見えませんが。
> >
> > 隠れたことはたくさんあります。
>
> 大きくは戦争ですが、身近で何で争い事が絶えないのかということです。
> 一部でが、争い事が少ない国もあります。ブータンなど。国が自然保護をしている。北欧もありません。

そう、内部に分裂がないようです。外部とも仲良くしているようです。相手を悪とすることがないようです。


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