雑感
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[23972] Re:[23969] [23967] [23965] [23961] [23959] [23956] 英知 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/12(Mon) 21:53  

> > >  動物は全知覚の塊みたいなもの。生きるのに必死。
> >
> > いや、人間も動物も知覚は脳を経由して運動を起こす。これはさすがに確かです。ただ緊急の場合は意識すること抜きに行われる。人間の場合は、それほど緊急でないときは意識してから中止するか否かを決定できるるらしい。
>
>  人間は明白だが動物の脳の役割って何だろう。獲物を見分ける能力か。動物は皆同じような顔、姿をしても親子というのはわかる。臭いでわかるという説も。動物は種の保存と個体の維持が生きる目的。

感覚を受け取って行動するのは動物でも脳の役割。それによって動物は個体として統合的に生きているのでしょう。
それから種の保存と固体の維持を目的として意識しているかはわからない。人間から見ると結果的にそうなっているという事でしょう。

>  それでお聞きしたいが「脳死」の人はどうだろう。体はそのまま生きているというとき。体をつねっても「痛い」という感覚はない?

つねられた付近の細胞は何か感じ、反応するかもしれない。神経は何らかの信号を脳に送るが、何かでそれが脳に届かないか、脳そのものが死んで何もできないか、ほかの場合もあるでしょうが、人間としての統合的対応はとれないという事ですね。

> >
> > 無意識と言うものがあるというより、意識抜きでそうするようです。
>
> もちろん思考抜きです。
> >
> > >  たとえば我々一隊が、ジャングルの中を歩いているとしましょう。いつ何がくるかわからない。それで我々は嫌でも「意識的」に成らざるを得なくなる。それが「注意の状態」です。全身全霊で研ぎすます、全身全霊で。当然われわれの意識は、はっきり見ざるを得ない。そういった意味で「意識的」ということです。いうまでもなく思考など入る隙間がない。はっきり見る。
> >
> > そう、思考で認識しているのでは間に合わない。直覚みたいな認識で運動が起きなければ一流のアスリートとは言えない。
>
>  かって長嶋選手は動物的カンを養うために猛練習した。
> >
> > > > 意識は大変複雑なので、人間が出来事を意識するまでは0.3〜0.5秒かかるのだそうです。それで咄嗟の場合の行動は意識に関係なく小脳が行うようにできているらしいです。
>
> > あなたの言う意識はかなり違う意味みたいな気がする。
>
>  志向性の説明です。この学問(現象学)はほんの一部の人しか知りません。もちろんクリシュナムルティも知りません。他の覚者も。
>  私も実はある人間の意識の探求者の研究結果(論文の一部)を報告してるだけです。ですから勉強していない人には何のことやら分からないと思います。
>
> > 今私が言っているのは、眠るときはなくなっている医師の言う意識のことです。脳波で、今意識があるかないか判定できる意識のことです。
>
>  以前にもいいましたが医者の言い方には二通りあります。
>  一つは「意識はなくなりました。ご臨終です」というときの意識。
>  もう一つは「意識を失う」とか、失神したときの意識。
>  前者は死んでいる。後者は生きている。
>  両者共「意識を失う」。
>  それで眠っている状態ですが、眠っているときは意識がないのですか?

はい。

>  寝てるときは夢を見てますよ。寝てる時は「意識がない」とは表現しません。たんに眠っているといいます。

夢を見ている時はそれは立派な意識だそうです。

>  赤ちゃんが寝てるとき、「意識がない」というでしょうか。
> 「意識がない」といったら死んだことになっちゃう。うかつに「意識がない」とはいえない。

意識はないが死んではいません。赤ちゃんなら呼吸もしているし、脈もあります。お休み中です。実際には清掃したり、動いたものをもとのように整理したり、また活動するための準備をしているらしい。確かにそれは必要かもしれません。脳波はあり、意識のある時と違っている(単純?)そうです。

>  余談ですが、夢をみてるものと、起きているときとは「主体」が違います。これも意識を研究しないと分からない分野。
> >
> > >  それと考えることと、意識することは別な事柄です。
> > >  現代学問や心理学は、どうとらえているか知りませんが。
> >
> > 医者は死の判断が意識の回復の可能性の有無で決まるから、そこで意識を決めます。でも半年や1年たって意識が回復することもあったので難しいものらしいですよ。
>
>  しかし、安楽死は認める方向に行くべきでしょう。いたづらに医療費が
> かさむだけ。寝たきりではどうしょうもないし、生きる回復のない人も。
>  日頃、命など考えない唯物論の人が、このときだけ「尊厳死」を持ち出す。矛盾もはなはだしいです。
>  あなた個人のお考えはどうですか。まったく生きる望みのない人。はやく楽にしてあげたいですか。それとも命が尽きるまで身守りますか。

この板でそういう重みのある個人的な意見を他人に求めることは原則的にしないでください。

私は既にそれを経験しています。関係ある肉親と話し合って決めました。その場で決めることです。主義主張の問題ではないです。

>
> > > > その意識する場所の性質は多量の情報が脳細胞の中で共有されている。つまり各神経細胞がお互いに情報を交換し、統合されて、つながりあっているのだそうです。
>
>  そうですか。脳の詳細についてはわかりません。医学の分野ではないですか。脳専門の学者にまかせます。
>
>
> > 21世紀に入ってから科学は、専門化から統合の方向に入って変貌がすごいようですよ。
>
>  科学はそうかもしれまんが、心、意識、いわば人間の探求は全然進んでいないように見けられます。ある賢者の言。私のいってることは100年後にわかればいいと。通信技術の急速な発達は、人間の心にどのように影響するのでしょうか。退歩?スマホでないと男女交際ができない。対話ができない。将来ロボットに人間に振る舞わされる。クリシュナムルティもお釈迦さんも、こんな事体は想定しなかったでしょう。

21世紀に入ってからの科学の進歩は想像外の変化を生みつつあります。もう10年か20年生きてその変化を見たい。無理でしょうが。


[23971] Re:[23970] [23966] 無題 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/12(Mon) 19:17  

>  私の個人的な感触では、「空白の壁」とは、「透明で見えない壁」の意味として捉えました。

 まったくの見当違い(苦笑い)。あなたはその程度の理解しかないのか。
まさしく自己の壁ならぬ。馬鹿の壁。
>
>  クリシュナムルティがそれは「私」であると指摘しているので、その壁が自我であると分かるのですが、その指摘がなければ・・、どの方角からアタックしても登頂できない未知の山の頂としてそびえ続けていたであろう「壁」ではなかろうか。

 何もクリシュナムルティだけが指摘しているのではない。
 愚さんの次の言葉を忘れたか。

「クリシュナムルティ、ユング、道元、瑩山、臨済、みな、まったく同じことをいっています。なにもしない、流れにまかせる、イメージとしては、寅さんになっちゃうんですが・・・」

 何もしないという愚さんに対して、あなたはいつも何かをもがこうとする。
「何もしない」というのは重要な真理。Kにいわせれば「受動的気づき」。あなたは何もわかっていない。能動的に何かやろうとする。
>
>
>  あの渡辺氏でも、その壁の前で苦戦しているところと察しています(そこのところを確かめたくて、渡辺さんの掲示板へ投稿しました)。

 失礼千万(苦笑い)何もわかっていないあなたが、渡辺氏に対して失礼な物言い。誰が壁の前で苦戦してるのか。それこそあなただろう。
 渡辺氏は悟ってますよ。新しい芽氏も同じ。彼らのコメントを読めばわかる。数少ないKの理解者。
 でなければ
 「なんかややっこしく聞こえますが、簡単なんです。雲は自由だから、あのように、生まれ、変形し、消えていきます。風とひとつになっています。わたしたちの問題は、雲と風をわけてしまい、そのわけたうえで雲に自由意志があると思いこんでいることです。」

 このようなコメントは出ない。あなたは何のためにKB会に出入りしているのか。クリシュナムルティを引用し皆の前で優越意識にしたりたいのだろうか?
俺だけがKを読んでいると。

>
>  その壁の鉄壁さを嘆くことはありません。その壁の向こうにあるエネルギーを悪用されないための、フィルターとしての効用があるからです。

 支離滅裂。壁など、はじめから「ない」! 幻想だ。
>
>  いかに狡猾な新興宗教の教祖が求めても至れないフィルターとしての「空白の壁」。
 まさにクリシュナムルティ教の信者の言い草です。オウムの信者の弁と似ている。オウムが教祖を絶対視するように、クリシュナムルティを絶対視する。
 これはK自身がおそれていたこと。(そのために教団を解散した)
 いいかげんクリシュムルティを「特別視」するのをやめたらどうだ。Kにとっても迷惑。K自身は、自身を疑えとさえいっている。信じるなと。
 クリシュナムルティは数ある覚者、賢者の一人にすぎない。それぞれのアプローチに敵した人を選べばいいのであって、そのことをとやかくいうことはない。
 クリシュナムルティだけが真理を語っている発想は、それこそ他者を排除する論理。クリシュナムルティの本を読まなきゃ、人類は救われないというのは、本末転倒。
 悟った人は歴史上無数にいる。それぞれのアプローチがある。多種多様。




[23970] Re:[23966] 無題 投稿者:宮啓 投稿日:2017/06/12(Mon) 15:59  

> 「空白の壁」ページを知らせてくださってありがとうございました。
> 何を指しているかもわかりました。
>
> 空白の状態を心に描いて求めるのでなく、見る、聴くに入ることにトライすれば、それはよく知っていることなので、ひょいと入るかなと思います。そこで思考が介入してくれば気づく。


 私の個人的な感触では、「空白の壁」とは、「透明で見えない壁」の意味として捉えました。

 クリシュナムルティがそれは「私」であると指摘しているので、その壁が自我であると分かるのですが、その指摘がなければ・・、どの方角からアタックしても登頂できない未知の山の頂としてそびえ続けていたであろう「壁」ではなかろうか。


 あの渡辺氏でも、その壁の前で苦戦しているところと察しています(そこのところを確かめたくて、渡辺さんの掲示板へ投稿しました)。


 その壁の鉄壁さを嘆くことはありません。その壁の向こうにあるエネルギーを悪用されないための、フィルターとしての効用があるからです。

 いかに狡猾な新興宗教の教祖が求めても至れないフィルターとしての「空白の壁」。


[23969] Re:[23967] [23965] [23961] [23959] [23956] 英知 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/12(Mon) 11:35  


> >  動物は全知覚の塊みたいなもの。生きるのに必死。
>
> いや、人間も動物も知覚は脳を経由して運動を起こす。これはさすがに確かです。ただ緊急の場合は意識すること抜きに行われる。人間の場合は、それほど緊急でないときは意識してから中止するか否かを決定できるるらしい。

 人間は明白だが動物の脳の役割って何だろう。獲物を見分ける能力か。動物は皆同じような顔、姿をしても親子というのはわかる。臭いでわかるという説も。動物は種の保存と個体の維持が生きる目的。
 それでお聞きしたいが「脳死」の人はどうだろう。体はそのまま生きているというとき。体をつねっても「痛い」という感覚はない?
>
>
> 無意識と言うものがあるというより、意識抜きでそうするようです。

もちろん思考抜きです。
>
> >  たとえば我々一隊が、ジャングルの中を歩いているとしましょう。いつ何がくるかわからない。それで我々は嫌でも「意識的」に成らざるを得なくなる。それが「注意の状態」です。全身全霊で研ぎすます、全身全霊で。当然われわれの意識は、はっきり見ざるを得ない。そういった意味で「意識的」ということです。いうまでもなく思考など入る隙間がない。はっきり見る。
>
> そう、思考で認識しているのでは間に合わない。直覚みたいな認識で運動が起きなければ一流のアスリートとは言えない。

 かって長嶋選手は動物的カンを養うために猛練習した。
>
> > > 意識は大変複雑なので、人間が出来事を意識するまでは0.3〜0.5秒かかるのだそうです。それで咄嗟の場合の行動は意識に関係なく小脳が行うようにできているらしいです。

> あなたの言う意識はかなり違う意味みたいな気がする。

 志向性の説明です。この学問(現象学)はほんの一部の人しか知りません。もちろんクリシュナムルティも知りません。他の覚者も。
 私も実はある人間の意識の探求者の研究結果(論文の一部)を報告してるだけです。ですから勉強していない人には何のことやら分からないと思います。

> 今私が言っているのは、眠るときはなくなっている医師の言う意識のことです。脳波で、今意識があるかないか判定できる意識のことです。

 以前にもいいましたが医者の言い方には二通りあります。
 一つは「意識はなくなりました。ご臨終です」というときの意識。
 もう一つは「意識を失う」とか、失神したときの意識。
 前者は死んでいる。後者は生きている。
 両者共「意識を失う」。
 それで眠っている状態ですが、眠っているときは意識がないのですか?
 寝てるときは夢を見てますよ。寝てる時は「意識がない」とは表現しません。たんに眠っているといいます。
 赤ちゃんが寝てるとき、「意識がない」というでしょうか。
「意識がない」といったら死んだことになっちゃう。うかつに「意識がない」とはいえない。
 余談ですが、夢をみてるものと、起きているときとは「主体」が違います。これも意識を研究しないと分からない分野。
>
> >  それと考えることと、意識することは別な事柄です。
> >  現代学問や心理学は、どうとらえているか知りませんが。
>
> 医者は死の判断が意識の回復の可能性の有無で決まるから、そこで意識を決めます。でも半年や1年たって意識が回復することもあったので難しいものらしいですよ。

 しかし、安楽死は認める方向に行くべきでしょう。いたづらに医療費が
かさむだけ。寝たきりではどうしょうもないし、生きる回復のない人も。
 日頃、命など考えない唯物論の人が、このときだけ「尊厳死」を持ち出す。矛盾もはなはだしいです。
 あなた個人のお考えはどうですか。まったく生きる望みのない人。はやく楽にしてあげたいですか。それとも命が尽きるまで身守りますか。


> > > その意識する場所の性質は多量の情報が脳細胞の中で共有されている。つまり各神経細胞がお互いに情報を交換し、統合されて、つながりあっているのだそうです。

 そうですか。脳の詳細についてはわかりません。医学の分野ではないですか。脳専門の学者にまかせます。


> 21世紀に入ってから科学は、専門化から統合の方向に入って変貌がすごいようですよ。

 科学はそうかもしれまんが、心、意識、いわば人間の探求は全然進んでいないように見けられます。ある賢者の言。私のいってることは100年後にわかればいいと。通信技術の急速な発達は、人間の心にどのように影響するのでしょうか。退歩?スマホでないと男女交際ができない。対話ができない。将来ロボットに人間に振る舞わされる。クリシュナムルティもお釈迦さんも、こんな事体は想定しなかったでしょう。


[23968] 愚語録 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/12(Mon) 10:04  

>  渡辺さんの掲示板へ「空白の壁」のタイトルで投稿しました。
>
>  参考:[6941]http://6926.teacup.com/mitsuruwatanabe/bbs

 渡辺氏の掲示板では、今議論がかなり伯仲している。そこに出てくる人はかなり意識レベルというか、問題意識が高い。真理の探究者の集まりの人たち。
 その対話の際中に、割り込むようにKの引用をいれるのだから、あきれかえる。内容はというと、空白の壁が越えられないといった個人のボヤキといった内容のないもの。誰も相手にしない。
 わからないのは、何故Kの引用を掲げたくなるのだろうか?そのへんのところをこの人は分析したことがあるのだろうか。
 自分は対話に加われないので、Kの引用を振りかざしたい。これを読めと。
 そういうことなのだろうか。Kの引用がやりたければここでやればいい。いずれにしろこの人は力量がなさすぎる。彼のこれまでの理解力ではKを読みこなすのは無理と思われる。いずれにせよ渡辺氏のグループに加われる程の力量はないようです。
 空白に壁などあるはずはない。「自己」の壁を破壊しないと、空白は見えてこない。ようするに「空」(くう)の意味がわかっていない。

 寓語録を一部紹介します。。様々な質問の中で軽妙なコメントで返している。
「問い 神そのものになっていく作業とは何かになる作業でなく元から神だったことに気づく作業に思われます。
 答え そりゃそうです。だって、あなたは、いま、この文章を読んでるでしょ。その読んでる主体は神なんです。あなたが読んでいるんではないんです。」

 このコメントを見ると、この人はわかっていらっしゃる。たとえばの話。音を聴くのは耳ではなく、「あなた自身」です。
 「あなた」が耳という感覚器官を通して音を聞く。

「問い 余計なものというのは何ですか?

 答え 条件付け、トラウマ、心配、怖れ、恐怖、不安、憎しみ、欲望・・・ようするに、サラサラ流れるのを妨げるものです。鼻が詰まっているときは、鼻をかみたくなります。その邪魔者を取り除くにはどうするかといえば、なにもしなければいいんです。不安なときは不安を味わえばいいだけです。それが不安の除去です。
 クリシュナムルティ、ユング、道元、瑩山、臨済、みな、まったく同じことをいっています。なにもしない、流れにまかせる、イメージとしては、寅さんになっちゃうんですが・・・
 ですから、身体は、不安なときは不安というふうに、適切に対応しています。これで完璧です。ですから、動かなければいいだけです。どのような感情も条件付けも一時的です。これらは、忘れるという意味で解決することはできませんが、悪さはしなくなります。それは、十分に味わえばいいだけです。」

 不安を味わう。苦しみを味わう。

「要するに、言っていることは単純です、バラバラなものとしては、自由意志は不可能だが、全体としては自由意志であらざるをえない。バラバラなものは存在しないので、あらゆるものは自由意志である。」

「なんかややっこしく聞こえますが、簡単なんです。雲は自由だから、あのように、生まれ、変形し、消えていきます。風とひとつになっています。わたしたちの問題は、雲と風をわけてしまい、そのわけたうえで雲に自由意志があると思いこんでいることです。」

 この雲の説明はわかりやすい。雲が独自に自由を得ているのではない。風と一体にある。風が吹けば雲は動く。空を見ていると雲は自由自在に動いているように見える。風は見えない。




[23967] Re:[23965] [23961] [23959] [23956] 英知 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/11(Sun) 23:54  

> > >  最後は、ガラガラヘビの話でしめくくる。飛び上がるのは「無意識」。「意識的」だと遅くなる。この話も逆ではないのか。
> >
> > いいえ、これは正しいです。
> > 人の運動を起こすのは小脳です。これは人の意識に関係を持ちません。小脳が障害を受けてダメになっても人間の意識には支障がないそうです。運動障害が起きるだけです。人間の脳のニューロンは約一千億、小脳はそのうち800億を使っているらしいが、意識とは関係ないそうです。
>
>  以前にもいいましたが、蛇を見て飛び上がるのは、生物に内在されている「生体防御本能」です。人間は他の動物に比べ警戒心の弱い生物ですが、それでも「生体防御本能」は具わっています。危険を察知すると瞬間的に反応する。これは意識とは無関係です。感覚器官による察知能力。
>  自転車が来たら、我々は無意識に反応する。考え事していたらぶつかりまう。
>  それと脳というのは我々肉体の一部で、すべてではありません。危険を察知するのは全知覚です。そのとき知覚が総動員する。脳は無関係。
>  動物は全知覚の塊みたいなもの。生きるのに必死。

いや、人間も動物も知覚は脳を経由して運動を起こす。これはさすがに確かです。ただ緊急の場合は意識すること抜きに行われる。人間の場合は、それほど緊急でないときは意識してから中止するか否かを決定できるるらしい。

>  ですから,クリシュナムルティの無意識がそうさせるというのは誤り。

無意識と言うものがあるというより、意識抜きでそうするようです。

>  たとえば我々一隊が、ジャングルの中を歩いているとしましょう。いつ何がくるかわからない。それで我々は嫌でも「意識的」に成らざるを得なくなる。それが「注意の状態」です。全身全霊で研ぎすます、全身全霊で。当然われわれの意識は、はっきり見ざるを得ない。そういった意味で「意識的」ということです。いうまでもなく思考など入る隙間がない。はっきり見る。

そう、思考で認識しているのでは間に合わない。直覚みたいな認識で運動が起きなければ一流のアスリートとは言えない。

> > 意識は大変複雑なので、人間が出来事を意識するまでは0.3〜0.5秒かかるのだそうです。それで咄嗟の場合の行動は意識に関係なく小脳が行うようにできているらしいです。
>
>  意識の志向性は瞬時です。時間ではありません。判断は、おっしゃるように少し時間が、かかります。
>  蛇を見て、どうしようかと判断してたら噛まれます。
>  志向性のことですが、簡単な例をあげると、夜、月を見る。そのときあなたの意識は瞬時に月にいっているのではないですか。月とあなたの間には時間はありません。もちろん月まで物理的時間はあります。
>  月についてあれこれ考えるのは判断であり、意識とは関係ありません。

あなたの言う意識はかなり違う意味みたいな気がする。
今私が言っているのは、眠るときはなくなっている医師の言う意識のことです。脳波で、今意識があるかないか判定できる意識のことです。

>  それと考えることと、意識することは別な事柄です。
>  現代学問や心理学は、どうとらえているか知りませんが。

医者は死の判断が意識の回復の可能性の有無で決まるから、そこで意識を決めます。でも半年や1年たって意識が回復することもあったので難しいものらしいですよ。

> > >  ボームは物理学者。彼の話は論理的でよくわかるが、それに対しKの話はよくわからないし、さっぱり要領を得ない。
> >
> > 私はどっちもわかりにくい。
> >
> > 前に意識について質問があったので分かったことだけ書いておきます。
> > 意識に寄与している脳の部位は視床―皮質系と呼ばれるところだそうです。その中でたとえばテニスをしているのを意識するとき活動する場所と、家の中を歩いている意識の場所は脳の中で違う場所だそうです。
>
> 脳の構造についてはわかりません。それと脳というのはあくまで道具です。
> 「人類の未来」にも出てたかな。頭脳と精神は別。とすると、我々の心(マインド)の意味合いが違っている。現代学問は脳から心が生まれるという考え方。
> >
> > その意識する場所の性質は多量の情報が脳細胞の中で共有されている。つまり各神経細胞がお互いに情報を交換し、統合されて、つながりあっているのだそうです。
>
>  それは脳学者にまかせます。
> >
> > とすると人間の各細胞は生きてはいるが意識はないのかな。それともちょっぴりした細胞並みの意識はあるのかな。単能的、専門的な仕事についているという事なのか。
>
>  細胞に意識があるというとらえ方は、アダムスキー関連の文献に記されているもので、無視してもいいです。あくまで参考程度に留めて下さい。
>  そこでいう「意識」の意味の理解がないと、彼の言ってることは分かりません。私が最初に読んだとき「意識」と「心」は別だという記述に驚いた次第。その二つは同じだと学校で習ったので。
>
>  若いとき精神世界に興味をもち、神智学をはじめ、ヨガ関連の文献など、一般の学問では得られないものが、記述されており。そういったものに興味を持った次第。いわば常識と言われる既成学問には興味はありまえん。
>  たとえば人間と恐竜は共存してたという本が出ていますが、一般の学説では一笑に付すでしょう。いわば「異端」。そこに興味はあります。

21世紀に入ってから科学は、専門化から統合の方向に入って変貌がすごいようですよ。


[23966] 無題 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/11(Sun) 22:49  

「空白の壁」ページを知らせてくださってありがとうございました。
何を指しているかもわかりました。

空白の状態を心に描いて求めるのでなく、見る、聴くに入ることにトライすれば、それはよく知っていることなので、ひょいと入るかなと思います。そこで思考が介入してくれば気づく。




[23965] Re:[23961] [23959] [23956] 英知 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/11(Sun) 19:31  

> > >  今「人類の未来」第3章を読んでいる。英知について(「英知の覚醒」より)。
> > >  Kのいう英知について、いままでさんざん説明を受けていますが、今イチよくわからない。他の覚者、賢者の本では「英知」(叡智)について見事にわかりやすく説明している。それに対し、Kの説明はよくわからない。
>
> 昨日実は上記第3章を最後まで読んでレスを書いた。しかしない! 投稿しないで閉じてしまったか。あらためて書きます。
> 「英知」についてはあまりはっきりした説明がなされていないのはそう私も思います。私は英知でなく聡明さと訳そうかと思うくらいです。

 英知の原文はintelligence
 辞書で調べると知能、理解力、思考力、知性、聡(そう)明、(すぐれた)知恵、機転、知恵、賢明にもこと、知性的存在
 このようになっています。

> > > >  ボームの説明では、英知とは奥を読み取る、言外の意味を受け取る。精神の敏捷さ。
> > >  思考は、本の上の情報。英知はその意味を読み取る。思考は物理的、科学的な過程。英知はその過程の秩序、時間の秩序を持たない。思考と英知は別。
>
> 思考は本の上の情報?、しかし本を書いたのも思考ですが…… ボームが言ったなら乱暴な議論ですね。
>
> > > 英知の目覚める条件は思考の休止………。
> > >  ボームの言葉を抜き書き。124ページまで。
> >
> >  えっ?英知はエネルギー?思考はエネルギーというのはわかるが。それが思考を超えたもの?
> >  思考は秩序。英知は無秩序。むしろ逆ではないのか?
> >  今の世界が無秩序になったのは思考ではないのか。とK自身がいってるはずだが。
> >  秩序というのは統制がとれていることです。無法ではない。
> >  体の仕組みがそうです。まさに調和、バランス。一体。宇宙もそう。
> >  大宇宙、小宇宙。見事なバランス。何一つ欠ける物がないという意味で「完全」これを究極的な「愛」と表現する人もいる。
> >  それを乱して、資源の乱獲(略奪)をしてるのが人間。有史以来。
>
> それでいいと思いますが。人間がなぜ調和を崩しているかを突き止める必要があります。
これは難しいテーマ。今まで様々な人が様々な意見を述べている。以前来日した世界で一番貧しい大統領は、人間は「見方」「考え方」を改めよと言っている。ある人は、人間の正しい思考の教育を怠っていると。ある人は既成宗教が争いの元凶だという。何千年も続くイスラムとキリスト教の対立。
>
> >  本のあとの方で、又「源泉」という不可識な言葉が出てくる。これも意味不明。
>
> 太陽があり地球があり鉱物、植物、動物が発生している。その源があるはずだ――ではどうでしょう。

 元の元。そのような物理的地球を生み出す根源的なもの。根源的エネルギー。はたらき。
 般若心経ではそのエネルギーを「無」と表現している。この宇宙は根源的なエネルギーで満ちあふれている。「無」というのは、何も無いという意味ではないようです。逆に満ち溢れている。
 ですから、Kの本に出てくる「空白」の意味が正確にとらえられていないのではないでしょうか。何も無い「空っぽ」という意味ではないようで。
 そうではなく目に見えないエネルギーが充満している。思考のベールで隠されているだけ。

>
> >  Kのいうのは、あくまで「脳内現象」なのだろうか?という疑問が生じました。
>
> その気持ちはよくわかります。まだ正確に答えられる人はいないでしょうが。
 難しいですね。
>
> >  最後は、ガラガラヘビの話でしめくくる。飛び上がるのは「無意識」。「意識的」だと遅くなる。この話も逆ではないのか。
>
> いいえ、これは正しいです。

正確に記述すると、
「そして、ガラガラ蛇の音を聞き、飛び上がりました。体を飛び上がらせたものは無意識でした」155p

> 人の運動を起こすのは小脳です。これは人の意識に関係を持ちません。小脳が障害を受けてダメになっても人間の意識には支障がないそうです。運動障害が起きるだけです。人間の脳のニューロンは約一千億、小脳はそのうち800億を使っているらしいが、意識とは関係ないそうです。

 以前にもいいましたが、蛇を見て飛び上がるのは、生物に内在されている「生体防御本能」です。人間は他の動物に比べ警戒心の弱い生物ですが、それでも「生体防御本能」は具わっています。危険を察知すると瞬間的に反応する。これは意識とは無関係です。感覚器官による察知能力。いわば全身です。脳ではありません。
 自転車が来たら、我々は無意識に反応する。考え事していたらぶつかります。
 それと脳というのは我々肉体の一部で、すべてではありません。危険を察知するのは全知覚です。そのとき知覚が総動員する。脳は無関係。
 動物は全知覚の塊みたいなもの。生きるのに必死。すべてに鋭敏。
 ですから,クリシュナムルティの無意識がそうさせるというのは誤り。
 たとえば我々探検隊が、アフリカの奥深いジャングルの中を歩いているとしましょう。いつ何がくるかわからない。それで我々は嫌でも「意識的」に成らざるを得なくなる。それが「注意の状態」です。全身全霊で研ぎすます、当然われわれの意識は、はっきり見ざるを得ない。そういった意味で「意識的」ということです。いうまでもなく思考など入る隙間がない。はっきり見る。一挙手一挙。
 意識的という言葉をもう一度説明すると、我々習い事をするときに、動作を覚えるはじめての時は、一つ一つ意識的にやるでしょう。私も太極拳を覚えるときは、はじめは動作を覚えるために意識的にやりました。動作をおぼえてくると、段々と無意識に自然にできるようになります。すべてのスポーツ、武術、ダンス、踊りは最終的に体で覚えさす。はじめはもちろん意識的。
>
> 意識は大変複雑なので、人間が出来事を意識するまでは0.3〜0.5秒かかるのだそうです。それで咄嗟の場合の行動は意識に関係なく小脳が行うようにできているらしいです。

 意識の志向性は瞬時です。時間ではありません。判断は、おっしゃるように少し時間が、かかります。
 蛇を見て、どうしようかと判断してたら噛まれてしまいます。
 自転車がきて、よけようかどうか考えていたらぶつかってしまう。
 よけるのは無意識ではなく、脳ではなく、全身の知覚。
 文字ドウリ無意識だったら(気がつかなったら)ぶつかる。
 志向性のことですが、簡単な例をあげると、夜、月を見る。そのときあなたの意識は瞬時に月にいっているのではないですか。月とあなたの間には時間はありません。もちろん月まで物理的時間はあります。
 月についてあれこれ考えるのは判断であり、意識とは関係ありません。
 それと考えることと、意識することは別な事柄です。
 現代学問や心理学は、どうとらえているか知りませんが。
>
> >  ボームは物理学者。彼の話は論理的でよくわかるが、それに対しKの話はよくわからないし、さっぱり要領を得ない。
>
> 私はどっちもわかりにくい。
>
> 前に意識について質問があったので分かったことだけ書いておきます。
> 意識に寄与している脳の部位は視床―皮質系と呼ばれるところだそうです。その中でたとえばテニスをしているのを意識するとき活動する場所と、家の中を歩いている意識の場所は脳の中で違う場所だそうです。

 脳の構造についてはわかりません。それと脳というのはあくまで道具です。
「人類の未来」にも出てたかな。頭脳と精神は別。とすると、我々の心(マインド)の意味合いが違っている。現代学問は脳から心が生まれるという考え方。
しかし、頭脳は道具と言う見地に立てば、道具を使うものがいるということになる。本当の自分。真我。あるいは宇宙意識。からだの真の司令塔。つまり本当の自分自身。思考を使うもの。
>
> その意識する場所の性質は多量の情報が脳細胞の中で共有されている。つまり各神経細胞がお互いに情報を交換し、統合されて、つながりあっているのだそうです。
 それは脳科学者にまかせます。あるいは脳の研究家。
>
> とすると人間の各細胞は生きてはいるが意識はないのかな。それともちょっぴりした細胞並みの意識はあるのかな。単能的、専門的な仕事についているという事なのか。

 細胞に意識があるというとらえ方は、アダムスキー関連の文献に記されているもので、無視してもいいです。あくまで参考程度に留めて下さい。
 そこでいう「意識」の意味の理解がないと、彼の言ってることは分かりません。私が最初に読んだとき「意識」と「心」は別だという記述に驚いた次第。その二つは同じだと学校で習ったので。

 若いとき精神世界に興味をもち、神智学をはじめ、ヨガ関連の文献など、一般の学問では得られないものが、記述されており、そういったものに興味を持った次第。ですからいわば常識と言われる学校でならった既成学問には興味はありまえん。
 たとえば精神科学でのアカシックレコードなんて教えてもらえない。人間の想念はエネルギーとして空間に伝搬するというとまゆつばととらえらる。非科学的だと。私からいわせればそこまで科学が進んでいない。
 たとえば人間と恐竜は共存してたという本が出ていますが、一般の学説では一笑に付すでしょう。いわば「異端」。ノアの箱船は実話。聖書の中で宇宙船の記述が頻繁に出てくる。そこに興味はあります。


[23964] 空白の壁 投稿者:宮啓 投稿日:2017/06/11(Sun) 17:44  

 渡辺さんの掲示板へ「空白の壁」のタイトルで投稿しました。

 参考:[6941]http://6926.teacup.com/mitsuruwatanabe/bbs


[23963] Re:[23962] [23960] [23957] [23954] [23952] [23949] [23948] [23947] [23935] 意識について(2) 投稿者:宮啓 投稿日:2017/06/11(Sun) 16:57  

> > > > > > > このプロセス、メカニズムが見えれば、しがみつく力は解けて消える。……?
> > > > > >
> > > > > >
> > > > > >  しがみついているものランキング。
> > > > > >
> > > > > >  1.個体の存続・発展
> > > > > >  2.個体の存続・発展に有益な事物(妻子・仕事・クリシュナムルティ・知識)
> > > > > >
> > > > >
> > > > > ここを検討したいと思います。なぜなら、これは個人的でなく人類の執着ともいえる代表的な執着かもしれないからです。
> > > > >
> > > > > 執着の裏にはそれを行えない恐怖があるかと思います。つまり、生活にある程度の余裕がないと自分のしたいことが、多くはささやかなものですが、できなくなります。その時あるのは無秩序のみではないでしょうか?
> > > > >
> > > > > そこで私は俗な言い方しか思いつきませんが、衣食足って礼節を知るです。社会はこれを目指すべきでしょう。
> > > > >
> > > > > ところが政治家は大きな権力を握り、それで崇高?な目標を掲げて実現しようとするから、おかしなことになります。
> > > > >
> > > > > それでうっかりしていると今のささやかなゆとりもなくなるという恐怖があり、それを忘れて見ていることが途轍もない困難になるのかな。見ることがサガ(性)になっているという事は本来自然なことであるのですが。
> > > > >
> > > > > 見るという事は哲学的卓見を得ることではなく、恐怖などを忘れて見ているという事だけで、成果は問いません。それだけで恐怖はすでにわきにやられています。光があるのです。
> > > >
> > > >
> > > >  はい。
> > > >
> > > >  しかし、私はそこで足るを知らず、更に先に行きたいと欲する。
> > > >
> > > >  『時間の終焉』にその先が記されている。
> > > >
> > > >  心理的時間の終焉が「空」を生じさせ、そこにはとてつもないエネルギーがある旨が述べられています。
> > > >
> > > >  そして、クリシュナムルティは述べます。これを体験するか、それとも観念として生涯理屈をこねまわすか・・。
> > > >
> > > >  これが起こらなければ、観念をこね回す生涯となるとクリシュナムルティは述べます。
> > > >
> > > >  それゆえに、意識が空っぽになることが起こることを欲する。
> > > >
> > > >  足るを知らないようです。
> > >
> > > 意識が空っぽになること、意識の中味のない状態。これは考えるとわけがわからなくなるが、文字通り思考とか願望のない状態なのですが…
> >
> >
> >  クリシュナムルティによれば、それは中心がなく、心理的時間がなく、心理的知識がない、注意のみがあるようです。
> >
> >  一般的には「空白の壁」によって立ち入れない領域として『時間の終焉』では陳述されています。
>
> 「空白の壁」によって立ち入れない?
> これは「時間の終焉」はかなり読んだつもりなのですが、記憶がない。見当もつかない。ちょっと簡単に教えていただけませんか?


 空っぽ、空に至るため心理的時間や心理的知識を投げ捨てたい。しかし、そこに空白の壁が立ちはだかる。
 空っぽ、空を体験してハイレベルの境地に至りたいというビカミングがすでに心理的時間を有している。それゆえに、どうしてもそこに至れない。

 その空白の壁を追求してみると、それが自我であることが分かる旨、ボームとの対話で陳述されています。

 『時間の終焉』第9〜第11章の間くらいに陳述されいます。私は朗読本で聴いているので、確かな章番号を確認していません。おおよその章番号を参考のために挙げています。


 追記

 「空白の壁」を見つけることができました。

 『時間の終焉』p392です。


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