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[23816] Re:[23814] 「思考を見る」と「思考をそのまま」に。 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/13(Sat) 22:51  

>  「思いが起これば、そのままにしておけばいい」ということではないですか。
>  でなければ座る意味がない。日常は応用編。
>
>  問題はクリシュナムルティのいう「見る」ということとどう違うのか、ということです。それに対してゴトさんは疑問を投げかけている。それが一番はじめの文だと思います。

想いが起こればそのままにしておくというのは、無視しておくという事ではなく見ている、聴いている、感じているという事です。もちろん批評や非難をすることなしにです。
これは見ている、気づいているのと同じことです。

これは実行することは困難です。仏教やKの講話を聞いて探求しないと肝心の時にそうすることはまずできないでしょう。

人が憎しみや恨み、許せないなどの念を持つとき、必ず苦しみがあります。人はその自分の苦しみすらよく見たことがないと思います。私がそうでしたから。

座る、読経、唱題などをしていると、憎しみ等の念が延々と浮かびます。それが見えます。そして自分の苦しみをリアルに初めて知ります。そして延々と続くこの念は、じっと見続けていると終わります。それは大変うれしいことです。寝ても覚めてもついてまわったその念が消えたわけですから。

しかし、翌日また同じことを繰り返し、家に帰ってまたそれを消さなければなりません。それゆえ、現場でエネルギーを傾注して、見たらと私は言います。始めから見れないでも当たり前、少々うまくいかないからと言ってあきらめるならそこで終わり。

これでいいでしょうか?


[23815] 思考なしに直面する 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/05/13(Sat) 11:06  

> > > >  「ぶっ殺してやりたい・・」→「刑務所行き」→「面目まるつぶれ」→「こんなことを考えることは止めよう」→抑圧
> > > >
> > > >  こんな感じで、それを自由にさせることができず、非難・正当化の投影が影響してきます。

「ぶっ殺してやりたい」というテーマを出すというなら、それではいったいどういうときにそのような気持ちになるのか。実際に調べてみたらどうですか。頭で構築するのではなく。実際にです。それには極端なケースをあげたらいいでしょう。
 たとえば、あなたの奥さんと不倫した男性がいるとしましょう。あなたはその男性に対して「ぶっ殺してやりたい」という気持ちになるでしょうか。想像してみたらどうですか。
 ゴートパルの奥さんとクリシュナムルティは長年不倫の関係にあった。ゴートパルの気持ちになって下さい。(代償は大きくKが亡くなるまで裁判は続きました)
 相手がもし、クリシュナムルティだったらあなたは許せるのでしょうか。
 クリシュナムルティを尊敬してるから。
 仮に宗教団体の教祖が幹部の奥さんに手をつけるということはよくありますが、その幹部は、教祖様なら、自分の妻を寝取られても仕方がないと思うのか。
 そういったことを考えて見たらどうですか。
 クリシュナムルティは独り身なので逆の立ち場はありません。その気持ちがわかるどうかはわかりません。相手が結婚していようがしていまいが、好きなものは好きと言われると側近としては立つ瀬がない。
 「ぶっ殺してやりたい」
 親しい人が、殺されたとき。あるいかストーカーに子供を無惨の殺されたとき、犯人に対してどんな気持ちになりますが。
「ぶっ殺してやりたい」という気持ちになりますか。
 私は当然なります。(実際にやるかどうか)は別問題。

 クリシュナムルティの言葉で長年ひっかかっていることがある。

「自我の終焉」281P 
怒りを言語化しないで、直接経験する人はほとんでいない、とある。最大の疑問。ほとんどいないというなら、できないことと同じことではないですか。
できないというのなら、空理空論です。「出来る人」というのはいままで聞いたことがない。
 新しい芽氏がいうには「何か」を実践するということではないということです。「見る」ことを実践するのではなく、その都度都度「気づく」ことにある。
 ここが一般の人ではついていけないところ。
 巷のように、方法、メソッドを用意してやった方が楽。型にはまるというやつ。
 Kのいうのはそういった「とっかかり」がない。

> > >
> > > 見るに入っていると「ぶっ殺してやりたい・・」が今自分がまさに思って創り出す想いではなく、突然飛び出した想いとして感じられるなら同一化はなく、想いに語らせているのを聞いている。想いを開花させている。予期なしに飛び出てくる想いを聞いている。

 実際に「ぶっ殺したい」という気持ちになったのかどうか。あまりに教条的にものをいっている。
 見近で殺された人がいましたか。それとも想像ですか?
 現実に「ぶっ殺したい」という気持ちが一瞬芽生えても、とても持続できるものではない。心が疲弊してしまう。




[23814] 「思考を見る」と「思考をそのまま」に。 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/05/13(Sat) 10:22  


> > 私は、思ったままにしておくのが容易という事に疑問があります。その思いが起こった現場で見ることに入ることが重要だと思います。そうでなければ嫌な気分が増大するからです。
>
>
>  はい。私も同感です。

 えっ?同感?あなたはその点について愚さんに質問しましたか。

>禅用語で、その思いが起こった現場でそこに留まる力を「定力(じょうりき)」と呼ぶそうです。

 解説はいりません。愚さんは、そのように言っていますか。愚さんは「座れ」と言っている。いつもやっている「接心」というもの。
 それと、思いが起った現場でそこに留まる、というのは意味がわかっていってますか。それとも知識ですか。

 このコメントを見て、わかっているのか、そうでないのかよくわからない。
 愚さんのコメントを再録すると

「実際は、難しくないんですが・・・やはり、坐禅とか瞑想がいいということになっちゃいますが・・・坐っているだけなら、失業も、家庭崩壊もしないわけですから、安心して、思うがままにしておけばいいだけです。
 ただ、思うがままにしておくことが難しいので、そこにまた思いを重ねてしまうんですが、それがマズイということを理解しておくだけにして、思いが起これば、そのままにしておけばいいだけです。
 ですから、これには失敗がありません。どこまで、失敗しても、そこで止めればいいだけですから、絶対に成功します。
 本性は、思考や思いに汚染されることはありません。必要なのは、落ち着きと、安心です。心配しなくていいんです。うまくやろうとしなくていいんです。というのは、うまくいくからです。

ライナス・愚・スペースエクスプローラー

 質問があれば愚さんに聞けばいいわけです。クリシュナムルティのいう「見る」とはどう違うのか。その違いがあなたにはわかっていない。
 つまり座禅をするのはいいが、日常生活で「見る」ことが可能かどうか。
 愚さんが、何で毎度毎度「接心」するのかわからない。
>
>
> > それゆえ後で座って見ている。それならできるという事になります。しかし、現場で見ることにならなければ、その場での対処は不十分なものになるわけです。そこが気になります。
>
>
>  クリシュナムルティが述べるには、不十分な対処では、それは根を張り成長し、とてもやっかいなことになる旨を述べています。

 その点を愚さんについたらどうですか。何て返事が返ってくるか。
>
>
> > これで私の疑念はお伝えしました。あとは実際の場で答えを見つけましょう。
>
>
>  はい。
>
>
> > なお、愚さんの板とのクロスの交流は微妙は面を含むことがわかりました。原則としてやめてください。ご自分の疑問として問答されるのにはもちろん差し支えありません。
>
>
>  はい。分かりました。
>
>  クリシュナムルティ理解においても、なかなか多様な見解はまとまらないように見受けられます。

 そうではなく、あなたが実際に現場でやってみることです。他人の見解はどうでもいい。

 愚さんの「思いが起これば、そのままにしておけばいいだけです。」というのは、座る間だけ、というのではなく。日常の現場でも
 「思いが起これば、そのままにしておけばいい」ということではないですか。
 でなければ座る意味がない。日常は応用編。

 問題はクリシュナムルティのいう「見る」ということとどう違うのか、ということです。それに対してゴトさんは疑問を投げかけている。それが一番はじめの文だと思います。


[23813] Re:[23812] 直面 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/12(Fri) 19:19  

> > > > > >  「ぶっ殺してやりたい・・」→「刑務所行き」→「面目まるつぶれ」→「こんなことを考えることは止めよう」→抑圧
> > > > > >
> > > > > >  こんな感じで、それを自由にさせることができず、非難・正当化の投影が影響してきます。
>
> 自由にさせるという表現が奇妙。「ぶっ殺してやりたい」というのは、憤懣やるかたない気持ちを言語化したもの。

ちょっとコメントさせてください。

自由にさせるというのは「ぶっ殺してやりたい」という憤懣やるかたない気持ちを自由に話させてあげて聞いていることです。自由にその気持ち通りに行動させることではないので、念のため。

> > > > > 見るに入っていると「ぶっ殺してやりたい・・」が今自分がまさに思って創り出す想いではなく、突然飛び出した想いとして感じられるなら同一化はなく、想いに語らせているのを聞いている。想いを開花させている。予期なしに飛び出てくる想いを聞いている。
>
>  言語化すればそういうことになるが、そのときは何とも言えないやり切れない気持ち、憤懣やるかたない気持ちがリアルタイムで沸き起こっている。それだけです。そのあと「命名」が起きる。

憤懣やるかたない気持ちがリアルタイムで沸き起こっているのが単に知覚されて、まったくそれに影響されないでいるのでないとただ見ていると言えない。

> > > >
> > > >  私の場合、外側を内側と共に見るときに、「突然飛び出した想い」ではなく、「私」から飛び出した想いとして知覚されます。すなわち、その感覚・知覚は自己同一化されています。

あるいは非難正当化なしの知覚にはなっていないという事ですね。

しかし、うじゃうじゃしたそういう思いが沸き上がってきているなら来ているで、どんな思いが沸き上がっているか、ひょいと切り替えて見始めることは必ず起こります。その最中におやこの思いを見てみようと思いつく、あるいは心が自分の都合ばかり気にしだしたなと気が付けば、転換が起こるでしょう。
根気よく取り組んでください。「見る」ことに関心を注いでください。そのエネルギーにしか実現するところの力はありません。


[23812] 直面 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/05/12(Fri) 10:48  


> > > > >  例えば、何か嫌なことがあったとします。
> > > > >  これを抑圧すればいったん消え去るように感じるのだが、後日、その記憶を思い出して再度嫌な思いをする。


嫌な思いを抑圧すれば消える?嫌な思いを抑圧すればますますその思いが鬱積するのでは。たまりたまっていく。ようするに消えません。真逆です。ようするに嫌な思いが生じたら、その思いをさわらずに、そのままほっとく。するとその思いはすぐに消えていく。又思い出しても記憶だけに留まり実働しない。
> > > > >
> > > > >  ところが、何か嫌なことがあったときに、その嫌な気分を自由にさせておく。
 嫌な気分を自由にさせる?妙な表現。嫌な気分というのは、不自由そのもの。何故ならその嫌な事象に囚われているから。嫌な思いに執着している。まさに不自由。
> > > > >
> > > > >  ただし、それを自由にさせることがなかなかできない。

> > > > >
> > > > >  「ぶっ殺してやりたい・・」→「刑務所行き」→「面目まるつぶれ」→「こんなことを考えることは止めよう」→抑圧
> > > > >
> > > > >  こんな感じで、それを自由にさせることができず、非難・正当化の投影が影響してきます。

自由にさせるという表現が奇妙。「ぶっ殺してやりたい」というのは、憤懣やるかたない気持ちを言語化したもの。実際にそう思っても、現実にやってしまうのは稀でしょう。瞬時に「自制」が働くからです。こわれた人間は別にして。思考で殺したら刑務所に入れられるから、相手を殺さないということではない。瞬時に起きる気持ち。
そりゃ、自分の奥さんが、相手の男に寝取られたら、その男をぶっころしてやりたいと瞬時に思うでしょう。
あるいは、自分の知らぬ間に、同僚と自分の奥さんが恋中になってた。相手をぶんなぐりたいという以上の気持ちになる。
> > > >
> > > > 見るに入っていると「ぶっ殺してやりたい・・」が今自分がまさに思って創り出す想いではなく、突然飛び出した想いとして感じられるなら同一化はなく、想いに語らせているのを聞いている。想いを開花させている。予期なしに飛び出てくる想いを聞いている。

 言語化すればそういうことになるが、そのときは何とも言えないやり切れない気持ち、憤懣やるかたない気持ちがリアルタイムで沸き起こっている。それだけです。そのあと「命名」が起きる。
> > >
> > >
> > >  私の場合、外側を内側と共に見るときに、「突然飛び出した想い」ではなく、「私」から飛び出した想いとして知覚されます。すなわち、その感覚・知覚は自己同一化されています。

 又奇妙なコメントを繰り出した。ここは頭で構築するのではなく、そのとき起きた気持ちを言語化すればいいだけです。
 感覚知覚は自己同一化させるとか、外側と内側を同時に見るなんてありえないでしょう。
 思考と同一化ということなら意味が通じる。人から侮辱され「何だこのやろう」と反応するのは、思考に同一化されている。馬鹿と言われ、このやろうと返す。馬鹿という言葉に反応している。
 知覚、即ち五感は見る、聞く、臭、味覚、触
 それと人間の意識というのは、常に一定方向に向いているので、外側と内側を同時に見るのは通常ありえない。訓練は別にして。
 人間というのは考え事をしているかしていないかどちらか。

 元に戻って。
 「ぶっ殺してやりたい」という物騒な言葉が出てきたのにはびっくりした。
 「ぶん殴ってやりたい」というのなら、わからないではないが。

 どういうときに「ぶっ殺してやりたい」という気持ちが起るのだろうか?
 考えられるケースとして、自分の奥さんが、よその男と不倫したとき。
 はたしてクリシュナムルティのいう「思考なしに直面する」ということは可能なのだろうか。という疑問。これがいつもつきまとう至上命題。
 Kの教えがはたして実践できるかどうか。これ以上の恰好のテーマはない。
 こういうことを書くつもりはなかったが「ぶっ殺してやりたい」という物騒な言葉が出てきたのであえて出した次第。今までどうりこれはつぶやき、独り言なので、無視して下さい。
 自分自身の経験では「相手をぶんなぐってやりたい」という気持ちはあっても「相手はぶっ殺したい」という気持ちになったことはありません。
 又、社会に出て相手をぶん殴ってやりたい気持ちはあっても、身内以外実際に殴ったことはありません。殴ればクビなどの社会的制裁が待っているからです。ですから我慢、あるいはこらえるしかない。その鬱憤を趣味やスポーツで晴らすと言うわけ。ごく一般。




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> >  これは『英知の教育』大野純一 訳 p200 第2部 11章「開花(フラワリング)について」に詳しく述べられています。
> >
> >
> >  この部分の引用を全文載せることもできますが、いかがでしょうか・・。
>
> もし開花について疑問があるなら、必要な点を引用してその疑問を提起してください。一緒に調べましょう。特に疑問をお持ちでないなら不要です。


 特に疑問はありません。


> 私は、思ったままにしておくのが容易という事に疑問があります。その思いが起こった現場で見ることに入ることが重要だと思います。そうでなければ嫌な気分が増大するからです。


 はい。私も同感です。禅用語で、その思いが起こった現場でそこに留まる力を「定力(じょうりき)」と呼ぶそうです。


> それゆえ後で座って見ている。それならできるという事になります。しかし、現場で見ることにならなければ、その場での対処は不十分なものになるわけです。そこが気になります。


 クリシュナムルティが述べるには、不十分な対処では、それは根を張り成長し、とてもやっかいなことになる旨を述べています。


> これで私の疑念はお伝えしました。あとは実際の場で答えを見つけましょう。


 はい。


> なお、愚さんの板とのクロスの交流は微妙は面を含むことがわかりました。原則としてやめてください。ご自分の疑問として問答されるのにはもちろん差し支えありません。


 はい。分かりました。

 クリシュナムルティ理解においても、なかなか多様な見解はまとまらないように見受けられます。


[23810] Re:[23808] [23807] [23804] [23798] [23795] [23792] [23791] [23788] [23784] [23781] [23779] [23778] [23777] [23772] [23768] [23766] [23765] [23764] [23761] [23759] [23757] [23750] [23748] [23746] [23744] [23737] [23736] [23735] [23734] [23733] [23732] [23731] [23723] [23721] [23719] [23718] [23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/11(Thu) 22:59  

>  これは『英知の教育』大野純一 訳 p200 第2部 11章「開花(フラワリング)について」に詳しく述べられています。
>
>
>  この部分の引用を全文載せることもできますが、いかがでしょうか・・。

もし開花について疑問があるなら、必要な点を引用してその疑問を提起してください。一緒に調べましょう。特に疑問をお持ちでないなら不要です。

私は、思ったままにしておくのが容易という事に疑問があります。その思いが起こった現場で見ることに入ることが重要だと思います。そうでなければ嫌な気分が増大するからです。

それゆえ後で座って見ている。それならできるという事になります。しかし、現場で見ることにならなければ、その場での対処は不十分なものになるわけです。そこが気になります。

これで私の疑念はお伝えしました。あとは実際の場で答えを見つけましょう。

なお、愚さんの板とのクロスの交流は微妙は面を含むことがわかりました。原則としてやめてください。ご自分の疑問として問答されるのにはもちろん差し支えありません。


[23809] Re:[23775] [23774] [23771] 真の難問 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/05/11(Thu) 15:34  

> > >  [23768]で引用した文面を「真の難問」のタイトルで渡辺さんの掲示板へ投稿しましたのでお知らせします。

「実際は、難しくないんですが・・・やはり、坐禅とか瞑想がいいということになっちゃいますが・・・坐っているだけなら、失業も、家庭崩壊もしないわけですから、安心して、思うがままにしておけばいいだけで」 一部抜粋。

 と、むずかしくないと愚さんに一蹴された。「座る」だけでいい。
 このコメントでもわかるように、この愚さんという人は元々「禅」の人。クリシュナムルティとは相入れない。
 仏教とクリシュナムルティの記述とは、似て非なるもの。両者の違いはいったい何のか考えてほしい。安易に両者を並べるのではなく。
 真理とは「形」(かたち)ではない!

 それにしても何でよそのサイトに「二重投稿」をするのだろうか。その心理をあなたは調べたことがあるのだろうか。
 人に対して「ええかっこ」したい。悦になりたい。もっというとクリシュナムルティの言葉を掲げて優越感にしたりたい。
 ようするに、自身に潜む「優越意識」が現れたものではないだろうか。
 あなたは力量不足を自覚しているので、普通にはみんなの対話に加われない。それでつい「クリシュナムルティの言葉」に依存する。これを読めと。
> > >
> > >  フラワリングと職場でも可能か・・等々の話となっております。

 「もしかしたら」あなたは失業の危機?にあうことを恐れている。もし、フラワリング(開花)をしてしまうと会社をやめざるを得なくなる。だから今は家庭や職場と妥協する。しいては退職後に真理を探究したい。というのが、あなたの願望。ずっとそのことを主張している。
> > >
> > >  参考:http://6926.teacup.com/mitsuruwatanabe/bbs
> > >  [6751]・[6753]・[6756]参照。
> > >
> > >  ※尚、事後承諾ですみませんが・・、この掲示板でのやりとりを参照として紹介させてもらっています。お許しください。

 人に打診せず勝手にやって、あとで許してくれとは。
> >
> > 拝見しました。
> > やり取りは、今それがあなたの問題になっていることは明らかなので、いいですが、この場からの引用は最低限にしておきましょう。

 ここでは引用は最小限にしようと言われたばかり。
>
>
>  分かりました。なかなか合議には至らないようなので、これからは、この場からの引用は最小限にいたします。

 舌の根も乾かぬうちに23808では
「これは『英知の教育』大野純一 訳 p200 第2部 11章「開花(フラワリング)について」に詳しく述べられています。 この部分の引用を全文載せることもできますが、いかがでしょうか・・。」

 という。全文載せろとは。
 各自本を購入して読めばすむこと。厳密にいうと、本の中身をまだ読んでない人に見せるのは「著作権」侵害にあたる。ようするに大野氏の許可がいることだ。無断でのせるなということ。ただでさえ経営は苦しい。本を買わなければ経営は成り立たない。
 さきほど「フリーブックス」というネット上のサイトが、本や雑誌が発売する前に中身を公開して、問題になったばかり。
 クリシュナムルティといえども、すでに発売されている本の中身をネット上で公開してしまうのは、いかがなものか。
 ずっとあなたの行動を見てきたが、あまりにも軽はずみな行動が多すぎるように思う。

 ここでの「ゴトの読書室」では、Kの訳文が一般公開されている。何でそれらを利用しないのか。


> > 23772からの見ることについての対話が進むといいなと思っています。
>
>  よろこんで、対話れは『英知の教育』大野純一 訳 p200 第2部 11章「開花(フラワリング)について」に詳しく述べられています。
を進めることを嬉しく思います。

 あなたが読めばいいこと。そこで学んだことを,ここの掲示板で自分の言葉で話す。そこに意義がある。
 自分の言葉で消化しなければ、いつまでやっても先に進まない。
 新しい芽氏は、最後にはKの本もいらなくなったといっている。


[23808] Re:[23807] [23804] [23798] [23795] [23792] [23791] [23788] [23784] [23781] [23779] [23778] [23777] [23772] [23768] [23766] [23765] [23764] [23761] [23759] [23757] [23750] [23748] [23746] [23744] [23737] [23736] [23735] [23734] [23733] [23732] [23731] [23723] [23721] [23719] [23718] [23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:宮啓 投稿日:2017/05/11(Thu) 12:11  

> > > >  次に「フラワリング」です。
> > > >
> > > >  この言葉の用法は、私と渡辺さんではほぼ一致していると察しています。
> > > >
> > > >  例えば、何か嫌なことがあったとします。
> > > >  これを抑圧すればいったん消え去るように感じるのだが、後日、その記憶を思い出して再度嫌な思いをする。
> > > >
> > > >  ところが、何か嫌なことがあったときに、その嫌な気分を自由にさせておく。
> > > >
> > > >  ただし、それを自由にさせることがなかなかできない。
> > > >
> > > >  「ぶっ殺してやりたい・・」→「刑務所行き」→「面目まるつぶれ」→「こんなことを考えることは止めよう」→抑圧
> > > >
> > > >  こんな感じで、それを自由にさせることができず、非難・正当化の投影が影響してきます。
> > >
> > > 見るに入っていると「ぶっ殺してやりたい・・」が今自分がまさに思って創り出す想いではなく、突然飛び出した想いとして感じられるなら同一化はなく、想いに語らせているのを聞いている。想いを開花させている。予期なしに飛び出てくる想いを聞いている。
> >
> >
> >  私の場合、外側を内側と共に見るときに、「突然飛び出した想い」ではなく、「私」から飛び出した想いとして知覚されます。すなわち、その感覚・知覚は自己同一化されています。
> >
> >  ただ、後になって、静かな時、内側でこれを見るときにフラワリングが起こることがあります。
>
> はい。あります。その時見ている。感情がまた新たに起こって強化されていないですね。


 はい。

 フラワリングの度に、感情は弱くなっていくようです。

 また、完全なフラワリングでは、それでおしまいになります。そのときに、大きな浄化をともなっています。

 クリシュナムルティは、完全なフラワリングの時に、それが萎んで消え去るときに、自我も時間も消え去る旨述べています。

 私もそう思います。

 これは『英知の教育』大野純一 訳 p200 第2部 11章「開花(フラワリング)について」に詳しく述べられています。


 この部分の引用を全文載せることもできますが、いかがでしょうか・・。


[23807] Re:[23804] [23798] [23795] [23792] [23791] [23788] [23784] [23781] [23779] [23778] [23777] [23772] [23768] [23766] [23765] [23764] [23761] [23759] [23757] [23750] [23748] [23746] [23744] [23737] [23736] [23735] [23734] [23733] [23732] [23731] [23723] [23721] [23719] [23718] [23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/10(Wed) 22:36  

> > >  次に「フラワリング」です。
> > >
> > >  この言葉の用法は、私と渡辺さんではほぼ一致していると察しています。
> > >
> > >  例えば、何か嫌なことがあったとします。
> > >  これを抑圧すればいったん消え去るように感じるのだが、後日、その記憶を思い出して再度嫌な思いをする。
> > >
> > >  ところが、何か嫌なことがあったときに、その嫌な気分を自由にさせておく。
> > >
> > >  ただし、それを自由にさせることがなかなかできない。
> > >
> > >  「ぶっ殺してやりたい・・」→「刑務所行き」→「面目まるつぶれ」→「こんなことを考えることは止めよう」→抑圧
> > >
> > >  こんな感じで、それを自由にさせることができず、非難・正当化の投影が影響してきます。
> >
> > 見るに入っていると「ぶっ殺してやりたい・・」が今自分がまさに思って創り出す想いではなく、突然飛び出した想いとして感じられるなら同一化はなく、想いに語らせているのを聞いている。想いを開花させている。予期なしに飛び出てくる想いを聞いている。
>
>
>  私の場合、外側を内側と共に見るときに、「突然飛び出した想い」ではなく、「私」から飛び出した想いとして知覚されます。すなわち、その感覚・知覚は自己同一化されています。
>
>  ただ、後になって、静かな時、内側でこれを見るときにフラワリングが起こることがあります。

はい。あります。その時見ている。感情がまた新たに起こって強化されていないですね。


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