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[23806] Re:[23801] [23799] [23796] [23787] [23783] [23782] [23780] [23776] さみしさ 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/10(Wed) 22:26  

> > ロウソクの科学を知らなかったので検索しました。
> > しかし、「ないものからあるものへと化けていく思考回路」という意味は検索からはよくわかりませんでした。
> >
>
>
> 原子は陽子と中性子から成っている。その周りを陽子と同じ数だけ電子が回っていて、それは陽子とは反対のマイナス性質を持っている。
> それは、心でも同じだと思うのです。プラスという正当化がありマイナスという非難がある。その中間にある迷いがある。といった具合に。
> そのような思考回路という意味です。

思いがけないレスをいただいて嬉しくもあり、しかし考えてしまいました。

電子は他のもの(含む電子)に影響を与えます。光は光同士は干渉しません。何も影響なしに通り抜けるだけです。電子同士は反発するので同じ位置に重なることはできません。動物のオス同士みたいですね。

人間社会は個人同士がお互いに影響しあって、一刻もとどまることなく流転していきます。今日、新潮文庫の「複雑系」という本を読み始めました。「科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち」という副題です。すごく面白いです。

今までの科学は断片に分解しての究明でした。断片を集めると全体になる場合にのみ、それは実際と合います。
しかし生はそうではなく、断片の寄せ算は実際と合いません。複雑系とは味もそっけもない命名ですが、言えてるような気もします。

今まで読んだところでは偶然、非条理でありながら、法則性があって創造的に自己組織化が進んでいくという感じがします。

一人勝手なつぶやきですみませんが、私の頭の中の関心を書きました。

>


[23805] 無題 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/05/10(Wed) 19:50  

> > >  次に「フラワリング」です。
> > >
> > >  この言葉の用法は、私と渡辺さんではほぼ一致していると察しています。
 何で実名を出すのか。失礼千万な話。 KB会の掲示板では「愚」さんとして通しているわけだから、あえて実名を臥せるのが礼儀だろう。
 何でネット上で匿名をするのかこの男にはわからないようだ。これでは個人情報保護法に接触する。
 だいいち愚さんはフラワリング何てわけのわからない言葉に関しては何ら説明していない。何が同じ見解だ。何が用法の一致だ。
 
>  結局、ナッシングでなければ、何かを投影するようです。これが真の難問のようです。

 愚さんは次のように言っている。

「実際は、難しくないんですが・・・やはり、坐禅とか瞑想がいいということになっちゃいますが・・・坐っているだけなら、失業も、家庭崩壊もしないわけですから、安心して、思うがままにしておけばいいだけです。
 ただ、思うがままにしておくことが難しいので、そこにまた思いを重ねてしまうんですが、それがマズイということを理解しておくだけにして、思いが起これば、そのままにしておけばいいだけです。
 ですから、これには失敗がありません。どこまで、失敗しても、そこで止めればいいだけですから、絶対に成功します。
 本性は、思考や思いに汚染されることはありません。必要なのは、落ち着きと、安心です。心配しなくていいんです。うまくやろうとしなくていいんです。というのは、うまくいくからです。

ライナス・愚・スペースエクスプローラー

 思うがままにする。思考は現れては消えていく。花は咲いてはいずれ萎む。
 たまたま以前にKB会の映像を見ていたら、東京のクリシュナムルティの会を主催しているS氏の姿を拝見した。東京荻窪で月1回KB会の集会をやっているようなので一度参加してみたい。




[23804] Re:[23798] [23795] [23792] [23791] [23788] [23784] [23781] [23779] [23778] [23777] [23772] [23768] [23766] [23765] [23764] [23761] [23759] [23757] [23750] [23748] [23746] [23744] [23737] [23736] [23735] [23734] [23733] [23732] [23731] [23723] [23721] [23719] [23718] [23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:宮啓 投稿日:2017/05/10(Wed) 19:13  

> >  次に「フラワリング」です。
> >
> >  この言葉の用法は、私と渡辺さんではほぼ一致していると察しています。
> >
> >  例えば、何か嫌なことがあったとします。
> >  これを抑圧すればいったん消え去るように感じるのだが、後日、その記憶を思い出して再度嫌な思いをする。
> >
> >  ところが、何か嫌なことがあったときに、その嫌な気分を自由にさせておく。
> >
> >  ただし、それを自由にさせることがなかなかできない。
> >
> >  「ぶっ殺してやりたい・・」→「刑務所行き」→「面目まるつぶれ」→「こんなことを考えることは止めよう」→抑圧
> >
> >  こんな感じで、それを自由にさせることができず、非難・正当化の投影が影響してきます。
>
> 見るに入っていると「ぶっ殺してやりたい・・」が今自分がまさに思って創り出す想いではなく、突然飛び出した想いとして感じられるなら同一化はなく、想いに語らせているのを聞いている。想いを開花させている。予期なしに飛び出てくる想いを聞いている。


 私の場合、外側を内側と共に見るときに、「突然飛び出した想い」ではなく、「私」から飛び出した想いとして知覚されます。すなわち、その感覚・知覚は自己同一化されています。

 ただ、後になって、静かな時、内側でこれを見るときにフラワリングが起こることがあります。


[23802] Re:[23800] [23799] [23796] [23787] [23783] [23782] [23780] [23776] さみしさ 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/10(Wed) 08:07  

> > ロウソクの科学を知らなかったので検索しました。
> > しかし、「ないものからあるものへと化けていく思考回路」という意味は検索からはよくわかりませんでした。
> >
> > 科学はずいぶん進歩したようで、わかったことは実は限られた狭い範囲でしかないようです。
> >
> > 畏敬の念を人はどうやって知るのでしょう。
>
> ロウソクの科学はクリスマスに子供達に向かって語りかける、というものだったと思います。僕も立ち読みで、パラパラとしか読んでいないのですが。
> 印象に残っている言葉は「神聖」でした。科学を説明するのに「神聖」という言葉を持ち出しているんだな、と思ったくらいで詳しい内容はわかりません。
>
> 自然への畏敬の念、みえないものへの畏敬の念、確かに今はどこかへいってしまったように思います。
>
> 僕なんかは、日本的ではなくて恐縮ですが、空を見上げている時、中世の絵画のようだと感じ、畏敬の念をよく覚えます。
>
> テレビやネットばかりの感受性では、墨絵や油絵のように風景が見える、実際にですが、そういうことはなくなって、写真とう機械的な受け取り方、しかも、それを加工するという事態にまで今はきている。
> それでは、畏敬もなにもあったもんではないですね。

そうですね。西欧的理性がもたらした文明社会は精神に潤いを与えなくなったように思います。

> 二宮尊徳の話は非常に興味深いものでした。自然が訴えかける何かを感じ取る。この間、久々に、カラスの鳴き声が「アホーアホー」と昔話のように聞き取れました。何かと厄介もの扱いされるカラスですが、親しみを覚えました。

大自然の中にいて夜が白々と明け、ついに太陽ががぬっとあらわれて世界に光輝が満ちる時、人間に限らず動物も含めて宗教的感覚を感じるのではないでしょうか。ご来光を拝む気持ちは今も残っています。

しかし、科学はそのような機械性を人間社会にもたらしましたが、その科学者たちは、例えば量子力学を創ったボーア達や、アインシュタインらそれに反対する人も、宗教的と言ったら言い過ぎでしょうが、パッションに憑かれたようであったそうです。

ご来光はだれでもハートで感じられるが、量子力学は天才的頭脳が要る所がちがいますが。
この憧れは何か根本的な原動力であって、現れ方が人それぞれなのかもしれません。
それを天下統一することは不可能に思います。


[23801] Re:[23799] [23796] [23787] [23783] [23782] [23780] [23776] さみしさ 投稿者:南方 投稿日:2017/05/10(Wed) 05:03  

>
> ロウソクの科学を知らなかったので検索しました。
> しかし、「ないものからあるものへと化けていく思考回路」という意味は検索からはよくわかりませんでした。
>


原子は陽子と中性子から成っている。その周りを陽子と同じ数だけ電子が回っていて、それは陽子とは反対のマイナス性質を持っている。
それは、心でも同じだと思うのです。プラスという正当化がありマイナスという非難がある。その中間にある迷いがある。といった具合に。
そのような思考回路という意味です。



[23800] Re:[23799] [23796] [23787] [23783] [23782] [23780] [23776] さみしさ 投稿者:南方 投稿日:2017/05/10(Wed) 04:55  

> > > > > > > あなたは、さみしいから恋人が欲しい、セックスがしたいというのですね?さみしさはどこにありますか?どこか外にさみしいというものがありますか?
> > > > > > >
> > > > > > > あなたが、さみしさです。あなたが、さみしさなのに他の誰かがさみしさを無くすことができますか?
> > > > > > >
> > > > > > > よく考えてください。ありきたりの言葉を使わずに。
> > > > > > >
> > > > > > >
> > > > > > >
> > > > > > >
> > > > > > >
> > > > > > > という課題がKから与えられた。
> > > > > >
> > > > > >
> > > > > > 物質性を薄め、非物質的な何かにひかれ、それを神と呼ぶなら
> > > > > >
> > > > > > 神に助けられ、私は徹底的に今ここにいることができるように
> > > > > > なった。その、喜びと静けさは何にも例えようがない。
> > > > > >
> > > > > > 今ここには、さみしさが入り込む余地はない。
> > > > > >
> > > > > > Kと神と、すべての霊魂に感謝を込めて。
> > > > >
> > > > >
> > > > > うーむ、さみしさから脱却されたようでおめでたい。
> > > > >
> > > > > (しかし物質性と非物質性の二元論があるようで、そこは大丈夫なのかが気になる(岩陰の声))
> > > >
> > > >
> > > >
> > > > 僕は常々思うのですが、kを慕う人は、あまり神や霊魂等の言葉を発しないように思う。
> > > >
> > > > シュタイナーとkが別れた理由やkが星の教団を解散したのはどうもそこらへんにあるのかなと思ったりもしています。
> > > >
> > > > 勉強不足であまりわかりません。
> > >
> > > そうですねえ、私にとって神とは何なのだろう? そう問うとキリスト教のゴッドは関係なく、「古池や 蛙飛び込む 水の音」「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」とかがかえってきます。直接ではないが感じさせられる何かという意味で。
> > >
> >
> >
> > キリスト教がどうこうではなく、自分のキリスト教に対する考え方を観て感じる。或いは仏教に対するそれを。
> > システムではなく私たちのシステムに対する関係が混乱していれば、それが世界の混乱になる。
> >
> > そういう意味で言えば、僕の神はどこにも属していない神だろうと思う。
> >
> >
> >
> >
> > > >
> > > > 一つ言えるのは、僕はこの先、どうやって親から自立し、生活していくかということですね。生活から脱却せず宗教的精神を持っていくか。この先長い人生どうすんべかな。失礼。
> > >
> > > 宗教的精神とは何だろうというのが、この投稿を拝見してまず浮かんだ問いでした。結局私に浮かぶものは「この秋は雨か風かは知らねども 今日の勤めに 田草とるなり」という二宮尊徳翁の歌で、昔は稲を植えても、収穫できるか否かは誰にもわからないことだったのですね。二宮翁は天保の大飢饉のとき、夏の茄子に秋茄子の味がすると言って干ばつを予感し、青々としている稲を抜いて、芋など干ばつに強い作物に切り替えた人です。多くの半信半疑ながら見倣った人は大いに助けられたようです。
> > >
> > > つまり生きるための行いは、それがどこに行きつくか人知の及ぶところでなかった。それでも日々の勤めをする。……どこかで神にゆだねている。そこが宗教心だと感じるのです。
> > >
> > > 生きていくのは、生はそれゆえに聖なのかな。
> > >
> > > 今は、人間はうぬぼれているのかな。
> >
> >
> > 受験化学では、物質がこうなっているんだよとは説明しても、
> > 岩波文庫のロウソクの科学のように、ないものからあるものへと化けていく思考回路が説明されていない。
> > そこの回路が決定的に受験教育では欠けていると思う。
>
> ロウソクの科学を知らなかったので検索しました。
> しかし、「ないものからあるものへと化けていく思考回路」という意味は検索からはよくわかりませんでした。
>
> 科学はずいぶん進歩したようで、わかったことは実は限られた狭い範囲でしかないようです。
>
> 畏敬の念を人はどうやって知るのでしょう。

ロウソクの科学はクリスマスに子供達に向かって語りかける、というものだったと思います。僕も立ち読みで、パラパラとしか読んでいないのですが。
印象に残っている言葉は「神聖」でした。科学を説明するのに「神聖」という言葉を持ち出しているんだな、と思ったくらいで詳しい内容はわかりません。

自然への畏敬の念、みえないものへの畏敬の念、確かに今はどこかへいってしまったように思います。

僕なんかは、日本的ではなくて恐縮ですが、空を見上げている時、中世の絵画のようだと感じ、畏敬の念をよく覚えます。

テレビやネットばかりの感受性では、墨絵や油絵のように風景が見える、実際にですが、そういうことはなくなって、写真とう機械的な受け取り方、しかも、それを加工するという事態にまで今はきている。
それでは、畏敬もなにもあったもんではないですね。

二宮尊徳の話は非常に興味深いものでした。自然が訴えかける何かを感じ取る。この間、久々に、カラスの鳴き声が「アホーアホー」と昔話のように聞き取れました。何かと厄介もの扱いされるカラスですが、親しみを覚えました。


[23799] Re:[23796] [23787] [23783] [23782] [23780] [23776] さみしさ 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/10(Wed) 00:03  

> > > > > > あなたは、さみしいから恋人が欲しい、セックスがしたいというのですね?さみしさはどこにありますか?どこか外にさみしいというものがありますか?
> > > > > >
> > > > > > あなたが、さみしさです。あなたが、さみしさなのに他の誰かがさみしさを無くすことができますか?
> > > > > >
> > > > > > よく考えてください。ありきたりの言葉を使わずに。
> > > > > >
> > > > > >
> > > > > >
> > > > > >
> > > > > >
> > > > > > という課題がKから与えられた。
> > > > >
> > > > >
> > > > > 物質性を薄め、非物質的な何かにひかれ、それを神と呼ぶなら
> > > > >
> > > > > 神に助けられ、私は徹底的に今ここにいることができるように
> > > > > なった。その、喜びと静けさは何にも例えようがない。
> > > > >
> > > > > 今ここには、さみしさが入り込む余地はない。
> > > > >
> > > > > Kと神と、すべての霊魂に感謝を込めて。
> > > >
> > > >
> > > > うーむ、さみしさから脱却されたようでおめでたい。
> > > >
> > > > (しかし物質性と非物質性の二元論があるようで、そこは大丈夫なのかが気になる(岩陰の声))
> > >
> > >
> > >
> > > 僕は常々思うのですが、kを慕う人は、あまり神や霊魂等の言葉を発しないように思う。
> > >
> > > シュタイナーとkが別れた理由やkが星の教団を解散したのはどうもそこらへんにあるのかなと思ったりもしています。
> > >
> > > 勉強不足であまりわかりません。
> >
> > そうですねえ、私にとって神とは何なのだろう? そう問うとキリスト教のゴッドは関係なく、「古池や 蛙飛び込む 水の音」「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」とかがかえってきます。直接ではないが感じさせられる何かという意味で。
> >
>
>
> キリスト教がどうこうではなく、自分のキリスト教に対する考え方を観て感じる。或いは仏教に対するそれを。
> システムではなく私たちのシステムに対する関係が混乱していれば、それが世界の混乱になる。
>
> そういう意味で言えば、僕の神はどこにも属していない神だろうと思う。
>
>
>
>
> > >
> > > 一つ言えるのは、僕はこの先、どうやって親から自立し、生活していくかということですね。生活から脱却せず宗教的精神を持っていくか。この先長い人生どうすんべかな。失礼。
> >
> > 宗教的精神とは何だろうというのが、この投稿を拝見してまず浮かんだ問いでした。結局私に浮かぶものは「この秋は雨か風かは知らねども 今日の勤めに 田草とるなり」という二宮尊徳翁の歌で、昔は稲を植えても、収穫できるか否かは誰にもわからないことだったのですね。二宮翁は天保の大飢饉のとき、夏の茄子に秋茄子の味がすると言って干ばつを予感し、青々としている稲を抜いて、芋など干ばつに強い作物に切り替えた人です。多くの半信半疑ながら見倣った人は大いに助けられたようです。
> >
> > つまり生きるための行いは、それがどこに行きつくか人知の及ぶところでなかった。それでも日々の勤めをする。……どこかで神にゆだねている。そこが宗教心だと感じるのです。
> >
> > 生きていくのは、生はそれゆえに聖なのかな。
> >
> > 今は、人間はうぬぼれているのかな。
>
>
> 受験化学では、物質がこうなっているんだよとは説明しても、
> 岩波文庫のロウソクの科学のように、ないものからあるものへと化けていく思考回路が説明されていない。
> そこの回路が決定的に受験教育では欠けていると思う。

ロウソクの科学を知らなかったので検索しました。
しかし、「ないものからあるものへと化けていく思考回路」という意味は検索からはよくわかりませんでした。

科学はずいぶん進歩したようで、わかったことは実は限られた狭い範囲でしかないようです。

畏敬の念を人はどうやって知るのでしょう。


[23798] Re:[23795] [23792] [23791] [23788] [23784] [23781] [23779] [23778] [23777] [23772] [23768] [23766] [23765] [23764] [23761] [23759] [23757] [23750] [23748] [23746] [23744] [23737] [23736] [23735] [23734] [23733] [23732] [23731] [23723] [23721] [23719] [23718] [23715] [23708] [23706] [23705] 生物とは 投稿者:ゴト 投稿日:2017/05/09(Tue) 23:25  

>  次に「フラワリング」です。
>
>  この言葉の用法は、私と渡辺さんではほぼ一致していると察しています。
>
>  例えば、何か嫌なことがあったとします。
>  これを抑圧すればいったん消え去るように感じるのだが、後日、その記憶を思い出して再度嫌な思いをする。
>
>  ところが、何か嫌なことがあったときに、その嫌な気分を自由にさせておく。
>
>  ただし、それを自由にさせることがなかなかできない。
>
>  「ぶっ殺してやりたい・・」→「刑務所行き」→「面目まるつぶれ」→「こんなことを考えることは止めよう」→抑圧
>
>  こんな感じで、それを自由にさせることができず、非難・正当化の投影が影響してきます。

見るに入っていると「ぶっ殺してやりたい・・」が今自分がまさに思って創り出す想いではなく、突然飛び出した想いとして感じられるなら同一化はなく、想いに語らせているのを聞いている。想いを開花させている。予期なしに飛び出てくる想いを聞いている。


[23797] 無題 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/05/09(Tue) 22:36  

見る・聴く・知覚することについて、クリシュナムルティの以下の陳述があります。
> > > > > >
> > > > > >
> > > > > >  『ブッダとクリシュナムルティ』p147 より引用
> > > > > >

以下省略 

宮啓という男は、文章をまったく切ろうとしないから、上記のような同じ文章が何度も何度も何度も出てくる。ですからどんどん文章が長くなる一方。つくづく他者への気遣いというか配慮のない人間である。
ゴトさんとの対話でつぶさに検証すると、文章を少しづつ切っているのは相手方のゴトさんであることがわかる。
もし、両者が文章をまったく切らないとしたら、文章がどんどん長くなるということを考えないのだろうか。だいいち目も疲れるし、読みづらくてしょうがないだろう。
対話というのは、両者の言葉のやりとりがわかればいいのであって、同じ文章を何度も何度も掲げる必要はない。1回読めば流れがわかるだろう。この件は私が勝手に言っているのではなく、かってこの掲示板で新しい芽氏が読者に向けた言葉だ。いくら本を読んでも、実践しなければ何にも成らないというのは氏の言葉。知行合一あるのみ。常に他者のことを考えよ。相手がどう思うとも。
慈悲心とは自分のことなど一切捨てて常に相手のことを慮ることである。そうした愛の欠如が普段の掲示板上でも現れる。たぶん日常でもそうだろう。職場でも家庭でも。常に対立と妥協の連続。気の休まる間(ま)もない。



[23796] Re:[23787] [23783] [23782] [23780] [23776] さみしさ 投稿者:南方 投稿日:2017/05/09(Tue) 18:57  

> > > > > あなたは、さみしいから恋人が欲しい、セックスがしたいというのですね?さみしさはどこにありますか?どこか外にさみしいというものがありますか?
> > > > >
> > > > > あなたが、さみしさです。あなたが、さみしさなのに他の誰かがさみしさを無くすことができますか?
> > > > >
> > > > > よく考えてください。ありきたりの言葉を使わずに。
> > > > >
> > > > >
> > > > >
> > > > >
> > > > >
> > > > > という課題がKから与えられた。
> > > >
> > > >
> > > > 物質性を薄め、非物質的な何かにひかれ、それを神と呼ぶなら
> > > >
> > > > 神に助けられ、私は徹底的に今ここにいることができるように
> > > > なった。その、喜びと静けさは何にも例えようがない。
> > > >
> > > > 今ここには、さみしさが入り込む余地はない。
> > > >
> > > > Kと神と、すべての霊魂に感謝を込めて。
> > >
> > >
> > > うーむ、さみしさから脱却されたようでおめでたい。
> > >
> > > (しかし物質性と非物質性の二元論があるようで、そこは大丈夫なのかが気になる(岩陰の声))
> >
> >
> >
> > 僕は常々思うのですが、kを慕う人は、あまり神や霊魂等の言葉を発しないように思う。
> >
> > シュタイナーとkが別れた理由やkが星の教団を解散したのはどうもそこらへんにあるのかなと思ったりもしています。
> >
> > 勉強不足であまりわかりません。
>
> そうですねえ、私にとって神とは何なのだろう? そう問うとキリスト教のゴッドは関係なく、「古池や 蛙飛び込む 水の音」「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」とかがかえってきます。直接ではないが感じさせられる何かという意味で。
>


キリスト教がどうこうではなく、自分のキリスト教に対する考え方を観て感じる。或いは仏教に対するそれを。
システムではなく私たちのシステムに対する関係が混乱していれば、それが世界の混乱になる。

そういう意味で言えば、僕の神はどこにも属していない神だろうと思う。




> >
> > 一つ言えるのは、僕はこの先、どうやって親から自立し、生活していくかということですね。生活から脱却せず宗教的精神を持っていくか。この先長い人生どうすんべかな。失礼。
>
> 宗教的精神とは何だろうというのが、この投稿を拝見してまず浮かんだ問いでした。結局私に浮かぶものは「この秋は雨か風かは知らねども 今日の勤めに 田草とるなり」という二宮尊徳翁の歌で、昔は稲を植えても、収穫できるか否かは誰にもわからないことだったのですね。二宮翁は天保の大飢饉のとき、夏の茄子に秋茄子の味がすると言って干ばつを予感し、青々としている稲を抜いて、芋など干ばつに強い作物に切り替えた人です。多くの半信半疑ながら見倣った人は大いに助けられたようです。
>
> つまり生きるための行いは、それがどこに行きつくか人知の及ぶところでなかった。それでも日々の勤めをする。……どこかで神にゆだねている。そこが宗教心だと感じるのです。
>
> 生きていくのは、生はそれゆえに聖なのかな。
>
> 今は、人間はうぬぼれているのかな。


受験化学では、物質がこうなっているんだよとは説明しても、
岩波文庫のロウソクの科学のように、ないものからあるものへと化けていく思考回路が説明されていない。
そこの回路が決定的に受験教育では欠けていると思う。




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