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[23962] Re:[23960] [23957] [23954] [23952] [23949] [23948] [23947] [23935] 意識について(2) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/11(Sun) 16:05  

> > > > > > このプロセス、メカニズムが見えれば、しがみつく力は解けて消える。……?
> > > > >
> > > > >
> > > > >  しがみついているものランキング。
> > > > >
> > > > >  1.個体の存続・発展
> > > > >  2.個体の存続・発展に有益な事物(妻子・仕事・クリシュナムルティ・知識)
> > > > >
> > > >
> > > > ここを検討したいと思います。なぜなら、これは個人的でなく人類の執着ともいえる代表的な執着かもしれないからです。
> > > >
> > > > 執着の裏にはそれを行えない恐怖があるかと思います。つまり、生活にある程度の余裕がないと自分のしたいことが、多くはささやかなものですが、できなくなります。その時あるのは無秩序のみではないでしょうか?
> > > >
> > > > そこで私は俗な言い方しか思いつきませんが、衣食足って礼節を知るです。社会はこれを目指すべきでしょう。
> > > >
> > > > ところが政治家は大きな権力を握り、それで崇高?な目標を掲げて実現しようとするから、おかしなことになります。
> > > >
> > > > それでうっかりしていると今のささやかなゆとりもなくなるという恐怖があり、それを忘れて見ていることが途轍もない困難になるのかな。見ることがサガ(性)になっているという事は本来自然なことであるのですが。
> > > >
> > > > 見るという事は哲学的卓見を得ることではなく、恐怖などを忘れて見ているという事だけで、成果は問いません。それだけで恐怖はすでにわきにやられています。光があるのです。
> > >
> > >
> > >  はい。
> > >
> > >  しかし、私はそこで足るを知らず、更に先に行きたいと欲する。
> > >
> > >  『時間の終焉』にその先が記されている。
> > >
> > >  心理的時間の終焉が「空」を生じさせ、そこにはとてつもないエネルギーがある旨が述べられています。
> > >
> > >  そして、クリシュナムルティは述べます。これを体験するか、それとも観念として生涯理屈をこねまわすか・・。
> > >
> > >  これが起こらなければ、観念をこね回す生涯となるとクリシュナムルティは述べます。
> > >
> > >  それゆえに、意識が空っぽになることが起こることを欲する。
> > >
> > >  足るを知らないようです。
> >
> > 意識が空っぽになること、意識の中味のない状態。これは考えるとわけがわからなくなるが、文字通り思考とか願望のない状態なのですが…
>
>
>  クリシュナムルティによれば、それは中心がなく、心理的時間がなく、心理的知識がない、注意のみがあるようです。
>
>  一般的には「空白の壁」によって立ち入れない領域として『時間の終焉』では陳述されています。

「空白の壁」によって立ち入れない?
これは「時間の終焉」はかなり読んだつもりなのですが、記憶がない。見当もつかない。ちょっと簡単に教えていただけませんか?


[23961] Re:[23959] [23956] 英知 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/11(Sun) 14:57  

> >  今「人類の未来」第3章を読んでいる。英知について(「英知の覚醒」より)。
> >  Kのいう英知について、いままでさんざん説明を受けていますが、今イチよくわからない。他の覚者、賢者の本では「英知」(叡智)について見事にわかりやすく説明している。それに対し、Kの説明はよくわからない。

昨日実は上記第3章を最後まで読んでレスを書いた。しかしない! 投稿しないで閉じてしまったか。あらためて書きます。
「英知」についてはあまりはっきりした説明がなされていないのはそう私も思います。私は英知でなく聡明さと訳そうかと思うくらいです。

> >  ボームの説明では、英知とは奥を読み取る、言外の意味を受け取る。精神の敏捷さ。
> >  思考は、本の上の情報。英知はその意味を読み取る。思考は物理的、科学的な過程。英知はその過程の秩序、時間の秩序を持たない。思考と英知は別。

思考は本の上の情報?、しかし本を書いたのも思考ですが…… ボームが言ったなら乱暴な議論ですね。

> > 英知の目覚める条件は思考の休止………。
> >  ボームの言葉を抜き書き。124ページまで。
>
>  えっ?英知はエネルギー?思考はエネルギーというのはわかるが。それが思考を超えたもの?
>  思考は秩序。英知は無秩序。むしろ逆ではないのか?
>  今の世界が無秩序になったのは思考ではないのか。とK自身がいってるはずだが。
>  秩序というのは統制がとれていることです。無法ではない。
>  体の仕組みがそうです。まさに調和、バランス。一体。宇宙もそう。
>  大宇宙、小宇宙。見事なバランス。何一つ欠ける物がないという意味で「完全」これを究極的な「愛」と表現する人もいる。
>  それを乱して、資源の乱獲(略奪)をしてるのが人間。有史以来。

それでいいと思いますが。人間がなぜ調和を崩しているかを突き止める必要があります。

>  本のあとの方で、又「源泉」という不可識な言葉が出てくる。これも意味不明。

太陽があり地球があり鉱物、植物、動物が発生している。その源があるはずだ――ではどうでしょう。

>  Kのいうのは、あくまで「脳内現象」なのだろうか?という疑問が生じました。

その気持ちはよくわかります。まだ正確に答えられる人はいないでしょうが。

>  最後は、ガラガラヘビの話でしめくくる。飛び上がるのは「無意識」。「意識的」だと遅くなる。この話も逆ではないのか。

いいえ、これは正しいです。
人の運動を起こすのは小脳です。これは人の意識に関係を持ちません。小脳が障害を受けてダメになっても人間の意識には支障がないそうです。運動障害が起きるだけです。人間の脳のニューロンは約一千億、小脳はそのうち800億を使っているらしいが、意識とは関係ないそうです。

意識は大変複雑なので、人間が出来事を意識するまでは0.3〜0.5秒かかるのだそうです。それで咄嗟の場合の行動は意識に関係なく小脳が行うようにできているらしいです。

>  ボームは物理学者。彼の話は論理的でよくわかるが、それに対しKの話はよくわからないし、さっぱり要領を得ない。

私はどっちもわかりにくい。

前に意識について質問があったので分かったことだけ書いておきます。
意識に寄与している脳の部位は視床―皮質系と呼ばれるところだそうです。その中でたとえばテニスをしているのを意識するとき活動する場所と、家の中を歩いている意識の場所は脳の中で違う場所だそうです。

その意識する場所の性質は多量の情報が脳細胞の中で共有されている。つまり各神経細胞がお互いに情報を交換し、統合されて、つながりあっているのだそうです。

とすると人間の各細胞は生きてはいるが意識はないのかな。それともちょっぴりした細胞並みの意識はあるのかな。単能的、専門的な仕事についているという事なのか。


[23960] Re:[23957] [23954] [23952] [23949] [23948] [23947] [23935] 意識について(2) 投稿者:宮啓 投稿日:2017/06/11(Sun) 11:16  

> > > > > このプロセス、メカニズムが見えれば、しがみつく力は解けて消える。……?
> > > >
> > > >
> > > >  しがみついているものランキング。
> > > >
> > > >  1.個体の存続・発展
> > > >  2.個体の存続・発展に有益な事物(妻子・仕事・クリシュナムルティ・知識)
> > > >
> > >
> > > ここを検討したいと思います。なぜなら、これは個人的でなく人類の執着ともいえる代表的な執着かもしれないからです。
> > >
> > > 執着の裏にはそれを行えない恐怖があるかと思います。つまり、生活にある程度の余裕がないと自分のしたいことが、多くはささやかなものですが、できなくなります。その時あるのは無秩序のみではないでしょうか?
> > >
> > > そこで私は俗な言い方しか思いつきませんが、衣食足って礼節を知るです。社会はこれを目指すべきでしょう。
> > >
> > > ところが政治家は大きな権力を握り、それで崇高?な目標を掲げて実現しようとするから、おかしなことになります。
> > >
> > > それでうっかりしていると今のささやかなゆとりもなくなるという恐怖があり、それを忘れて見ていることが途轍もない困難になるのかな。見ることがサガ(性)になっているという事は本来自然なことであるのですが。
> > >
> > > 見るという事は哲学的卓見を得ることではなく、恐怖などを忘れて見ているという事だけで、成果は問いません。それだけで恐怖はすでにわきにやられています。光があるのです。
> >
> >
> >  はい。
> >
> >  しかし、私はそこで足るを知らず、更に先に行きたいと欲する。
> >
> >  『時間の終焉』にその先が記されている。
> >
> >  心理的時間の終焉が「空」を生じさせ、そこにはとてつもないエネルギーがある旨が述べられています。
> >
> >  そして、クリシュナムルティは述べます。これを体験するか、それとも観念として生涯理屈をこねまわすか・・。
> >
> >  これが起こらなければ、観念をこね回す生涯となるとクリシュナムルティは述べます。
> >
> >  それゆえに、意識が空っぽになることが起こることを欲する。
> >
> >  足るを知らないようです。
>
> 意識が空っぽになること、意識の中味のない状態。これは考えるとわけがわからなくなるが、文字通り思考とか願望のない状態なのですが…


 クリシュナムルティによれば、それは中心がなく、心理的時間がなく、心理的知識がない、注意のみがあるようです。

 一般的には「空白の壁」によって立ち入れない領域として『時間の終焉』では陳述されています。


[23959] Re:[23956] 英知 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/11(Sun) 09:15  

>  今「人類の未来」第3章を読んでいる。英知について(「英知の覚醒」より)。
>  Kのいう英知について、いままでさんざん説明を受けていますが、今イチよくわからない。他の覚者、賢者の本では「英知」(叡智)について見事にわかりやすく説明している。それに対し、Kの説明はよくわからない。
>
>  ボームの説明では、英知とは奥を読み取る、言外の意味を受け取る。精神の敏捷さ。
>  思考は、本の上の情報。英知はその意味を読み取る。思考は物理的、科学的な過程。英知はその過程の秩序、時間の秩序を持たない。思考と英知は別。
> 英知の目覚める条件は思考の休止………。
>  ボームの言葉を抜き書き。124ページまで。

 えっ?英知はエネルギー?思考はエネルギーというのはわかるが。それが思考を超えたもの?
 思考は秩序。英知は無秩序。むしろ逆ではないのか?
 今の世界が無秩序になったのは思考ではないのか。とK自身がいってるはずだが。
 秩序というのは統制がとれていることです。無法ではない。
 体の仕組みがそうです。まさに調和、バランス。一体。宇宙もそう。
 大宇宙、小宇宙。見事なバランス。何一つ欠ける物がないという意味で「完全」これを究極的な「愛」と表現する人もいる。
 それを乱して、資源の乱獲(略奪)をしてるのが人間。有史以来。

 本のあとの方で、又「源泉」という不可識な言葉が出てくる。これも意味不明。
 Kのいうのは、あくまで「脳内現象」なのだろうか?という疑問が生じました。
 最後は、ガラガラヘビの話でしめくくる。飛び上がるのは「無意識」。「意識的」だと遅くなる。この話も逆ではないのか。
 ボームは物理学者。彼の話は論理的でよくわかるが、それに対しKの話はよくわからないし、さっぱり要領を得ない。



[23958] Re:[23955] [23953] [23951] [23944] [23943] [23935] 意識について(2) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/10(Sat) 22:26  

> > > 「私」という表現が今イチわからない。Kの本にはよく出てきますが。
> > > 単純に考えると、自分のことしか考えないとうのが私の思考ということでしょうか。人のことを常に考えている人は、私ではない?思考
> >
> > 「私」は自分のこと、つまり自分の考え、自分の都合、自分の損得、自分の感情などばかりが心に浮かんでそれに占められて、他人の事情を思いやる想像力の欠如している状態でしょう? いわゆる自己中心。想像力も推理力も判断、解釈も自己中心で回っている。
>
>  それではお聞きしますが、一般の人たち(大多数はサラリーマンですが)は、全て自己中心で生きているのでしょうか?自分のことしか考えない。
>  サラリーマンのお父さん方は毎日通勤(痛勤)電車にゆられて会社に通う。これはすべて家族のためです。家族を養うために。上司に疎まれながら。自分のためではない。立派な「自己犠牲」。家族のために。
>  独身者は責任がないので,自分だけですが。自分さえ考えればいい。
>  又、この社会には一定のルールがあって、自分勝手には生きられないようになっている。駅でも割り込むような人間はいない。交通のルールは守るのが基本。スーパーでも篭を片づけないのはほんの一部。もちろんルールを守らない不逞の輩はどこにもいます。

ええと、いつも自己中心的に考えているという事ではないのですが、ある時に、自分のことばかり考えているなら、それが「私」が前面に出てきているという事です。

> >
> > 自分だけでなく他人を含めた全体に思いが及ばない。
>
>  現在地下鉄の駅では、工事中が多く、係員が増えました。狭いこと狭いこと。人が線路に落ちぬよう注意する。まさに全体への気配り。

結構なことです。

> > この時、視野が狭くて自分のことだけを知らず知らずに考えている。
>
>  え〜〜と具体的には、どういった人間を指していますか。挨拶がろくにできない人間ですか。気配りなしとか。電車で年寄りに席を譲らないとか。

誰がとか言っていません。人は時たまそんな状態になりませんか? あらわれ方は様々あるでしょうが。

>  そりゃ〜毎日新聞を見ると事件を起こす人間はいますが、ほんの一部。
>  人に迷惑かけなればそれでいいのでは。社会の一員として。

そうです。しかし時には人間だから不注意に自分優先にもなる。それは誰でもあることです。特に疲れた時など。

>  それともKの定義では、はじめから人間をエゴの塊と決めつけている、ということですか。人間は自己中心的だと。だったらどうしようもないですね。
> それだと◯◯につける薬はない。

政治家もエゴの塊だけとは言えないかもしれませんね。

>  今までたくさんの精神関連の本を読みましたが、このようなことをいうのはKだけで、私もKの主張には賛同しかねます。
>  人間を含め動物には、自分の固体を守る「生体防御本能」がある。生物は元々自己中心的に生きているといえます。自分の命をつなぐのが最優先。そして自分の家族を守る。
>  人間は心理的に「自己」という壁を築いている。

しかし、そこだけ見ると全体が見えなくなる。

> > それに気づいてパッと目が覚めてように心が注意深く全体を見始めれば一件落着。意識が目覚めていると言ってもいいかもしれない。
>
>  自己中心的な思考にパッと気づけば、それで終わり?
>  私の個人的見解では、思考を静める真のねらいは、思考の隙間からやってくる英知の獲得にある。覚者、賢者の意見は共通。汝自身を知れ。
>  はじめから自己中心、自己中心と言うと自分を責めることにつながりやしないだろうか。あるいは自分を裁く。エゴから向け出ないと。自分を許せなくなる。

そうなっては大変です。自分が自分を責める。葛藤です。自己中心は悪として排除しようとする念があると、自分が自分を対象化して戦う事になります。葛藤は自己を錬磨すると言わないでやめましょう。

> > >  Kの定義では過去の経験記憶一切喝采が「私」。というと、常日頃考えている私たちの思考は、「私」ということになる。
> >
> > 自己中心で回っていて気づかないと「私」中心になる。
>
>  自己中心で回る、というのがわからない。
>  具体的に言うと、経済的に余裕のある人は、他者に寄付はできますが、ほとんどの日本人は自分の生活だけで手一杯ですよ。外国の大富豪はいくらでも寄付します。
>  単純にいうと私たちの日常は、すべて自分のことしか考えていないのだろうか。具体的にいうと、人の役に立つことに何があるのだろうか。出来ることはたかが知れている。

ええ、日本人は少数の人以外はあまりゆとりがなかった。

> > >  又、心理的思考と言っても、その前に自分たちの思考の動きをまずみて見ないことにはわかりません。それが心理的思考なんのか、そうでないのか。
> >
> > 今、自分に関係したことばかり次々浮かんでいるかどうかですぐわかる。
>
>  いい悪い、比較、区分、プライド、権威。簡単にいうと「自己」を基軸として考えているかどうか。自身にノルマを課す。目的、目標を設定して努力する。
>  それでは「自己」をはずしたらどうなるのだろう。

自己を外すというより、相手のことも考える。すると相手の求めていることもわかり、自分の都合と両方合わせて考えることができる。すると共感がわく。いい知恵も湧くかもしれない。



[23957] Re:[23954] [23952] [23949] [23948] [23947] [23935] 意識について(2) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/10(Sat) 21:25  

> > > > このプロセス、メカニズムが見えれば、しがみつく力は解けて消える。……?
> > >
> > >
> > >  しがみついているものランキング。
> > >
> > >  1.個体の存続・発展
> > >  2.個体の存続・発展に有益な事物(妻子・仕事・クリシュナムルティ・知識)
> > >
> >
> > ここを検討したいと思います。なぜなら、これは個人的でなく人類の執着ともいえる代表的な執着かもしれないからです。
> >
> > 執着の裏にはそれを行えない恐怖があるかと思います。つまり、生活にある程度の余裕がないと自分のしたいことが、多くはささやかなものですが、できなくなります。その時あるのは無秩序のみではないでしょうか?
> >
> > そこで私は俗な言い方しか思いつきませんが、衣食足って礼節を知るです。社会はこれを目指すべきでしょう。
> >
> > ところが政治家は大きな権力を握り、それで崇高?な目標を掲げて実現しようとするから、おかしなことになります。
> >
> > それでうっかりしていると今のささやかなゆとりもなくなるという恐怖があり、それを忘れて見ていることが途轍もない困難になるのかな。見ることがサガ(性)になっているという事は本来自然なことであるのですが。
> >
> > 見るという事は哲学的卓見を得ることではなく、恐怖などを忘れて見ているという事だけで、成果は問いません。それだけで恐怖はすでにわきにやられています。光があるのです。
>
>
>  はい。
>
>  しかし、私はそこで足るを知らず、更に先に行きたいと欲する。
>
>  『時間の終焉』にその先が記されている。
>
>  心理的時間の終焉が「空」を生じさせ、そこにはとてつもないエネルギーがある旨が述べられています。
>
>  そして、クリシュナムルティは述べます。これを体験するか、それとも観念として生涯理屈をこねまわすか・・。
>
>  これが起こらなければ、観念をこね回す生涯となるとクリシュナムルティは述べます。
>
>  それゆえに、意識が空っぽになることが起こることを欲する。
>
>  足るを知らないようです。

意識が空っぽになること、意識の中味のない状態。これは考えるとわけがわからなくなるが、文字通り思考とか願望のない状態なのですが…


[23956] 英知 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/10(Sat) 17:39  

 今「人類の未来」第3章を読んでいる。英知について(「英知の覚醒」より)。
 Kのいう英知について、いままでさんざん説明を受けていますが、今イチよくわからない。他の覚者、賢者の本では「英知」(叡智)について見事にわかりやすく説明している。それに対し、Kの説明はよくわからない。

 ボームの説明では、英知とは奥を読み取る、言外の意味を受け取る。精神の敏捷さ。
 思考は、本の上の情報。英知はその意味を読み取る。思考は物理的、科学的な過程。英知はその過程の秩序、時間の秩序を持たない。思考と英知は別。
英知の目覚める条件は思考の休止………。
 ボームの言葉を抜き書き。124ページまで。



[23955] Re:[23953] [23951] [23944] [23943] [23935] 意識について(2) 投稿者:外野(ガイヤ) 投稿日:2017/06/10(Sat) 17:10  


> > 「私」という表現が今イチわからない。Kの本にはよく出てきますが。
> > 単純に考えると、自分のことしか考えないとうのが私の思考ということでしょうか。人のことを常に考えている人は、私ではない?思考
>
> 「私」は自分のこと、つまり自分の考え、自分の都合、自分の損得、自分の感情などばかりが心に浮かんでそれに占められて、他人の事情を思いやる想像力の欠如している状態でしょう? いわゆる自己中心。想像力も推理力も判断、解釈も自己中心で回っている。

 それではお聞きしますが、一般の人たち(大多数はサラリーマンですが)は、全て自己中心で生きているのでしょうか?自分のことしか考えない。
 サラリーマンのお父さん方は毎日通勤(痛勤)電車にゆられて会社に通う。これはすべて家族のためです。家族を養うために。上司に疎まれながら。自分のためではない。立派な「自己犠牲」。家族のために。
 独身者は責任がないので,自分だけですが。自分さえ考えればいい。
 又、この社会には一定のルールがあって、自分勝手には生きられないようになっている。駅でも割り込むような人間はいない。交通のルールは守るのが基本。スーパーでも篭を片づけないのはほんの一部。もちろんルールを守らない不逞の輩はどこにもいます。
>
> 自分だけでなく他人を含めた全体に思いが及ばない。

 現在地下鉄の駅では、工事中が多く、係員が増えました。狭いこと狭いこと。人が線路に落ちぬよう注意する。まさに全体への気配り。

> この時、視野が狭くて自分のことだけを知らず知らずに考えている。

 え〜〜と具体的には、どういった人間を指していますか。挨拶がろくにできない人間ですか。気配りなしとか。電車で年寄りに席を譲らないとか。
 そりゃ〜毎日新聞を見ると事件を起こす人間はいますが、ほんの一部。
 人に迷惑かけなればそれでいいのでは。社会の一員として。

 それともKの定義では、はじめから人間をエゴの塊と決めつけている、ということですか。人間は自己中心的だと。だったらどうしようもないですね。
それだと◯◯につける薬はない。
 今までたくさんの精神関連の本を読みましたが、このようなことをいうのはKだけで、私もKの主張には賛同しかねます。
 人間を含め動物には、自分の固体を守る「生体防御本能」がある。生物は元々自己中心的に生きているといえます。自分の命をつなぐのが最優先。そして自分の家族を守る。
 人間は心理的に「自己」という壁を築いている。
>
> それに気づいてパッと目が覚めてように心が注意深く全体を見始めれば一件落着。意識が目覚めていると言ってもいいかもしれない。

 自己中心的な思考にパッと気づけば、それで終わり?
 私の個人的見解では、思考を静める真のねらいは、思考の隙間からやってくる英知の獲得にある。覚者、賢者の意見は共通。汝自身を知れ。
 はじめから自己中心、自己中心と言うと自分を責めることにつながりやしないだろうか。あるいは自分を裁く。エゴから向け出ないと。自分を許せなくなる。
>
> >  Kの定義では過去の経験記憶一切喝采が「私」。というと、常日頃考えている私たちの思考は、「私」ということになる。
>
> 自己中心で回っていて気づかないと「私」中心になる。

 自己中心で回る、というのがわからない。
 具体的に言うと、経済的に余裕のある人は、他者に寄付はできますが、ほとんどの日本人は自分の生活だけで手一杯ですよ。外国の大富豪はいくらでも寄付します。
 単純にいうと私たちの日常は、すべて自分のことしか考えていないのだろうか。具体的にいうと、人の役に立つことに何があるのだろうか。出来ることはたかが知れている。
>
> >  又、心理的思考と言っても、その前に自分たちの思考の動きをまずみて見ないことにはわかりません。それが心理的思考なんのか、そうでないのか。
>
> 今、自分に関係したことばかり次々浮かんでいるかどうかですぐわかる。

 いい悪い、比較、区分、プライド、権威。簡単にいうと「自己」を基軸として考えているかどうか。自身にノルマを課す。目的、目標を設定して努力する。
 それでは「自己」をはずしたらどうなるのだろう。




[23954] Re:[23952] [23949] [23948] [23947] [23935] 意識について(2) 投稿者:宮啓 投稿日:2017/06/10(Sat) 15:55  

> > > このプロセス、メカニズムが見えれば、しがみつく力は解けて消える。……?
> >
> >
> >  しがみついているものランキング。
> >
> >  1.個体の存続・発展
> >  2.個体の存続・発展に有益な事物(妻子・仕事・クリシュナムルティ・知識)
> >
>
> ここを検討したいと思います。なぜなら、これは個人的でなく人類の執着ともいえる代表的な執着かもしれないからです。
>
> 執着の裏にはそれを行えない恐怖があるかと思います。つまり、生活にある程度の余裕がないと自分のしたいことが、多くはささやかなものですが、できなくなります。その時あるのは無秩序のみではないでしょうか?
>
> そこで私は俗な言い方しか思いつきませんが、衣食足って礼節を知るです。社会はこれを目指すべきでしょう。
>
> ところが政治家は大きな権力を握り、それで崇高?な目標を掲げて実現しようとするから、おかしなことになります。
>
> それでうっかりしていると今のささやかなゆとりもなくなるという恐怖があり、それを忘れて見ていることが途轍もない困難になるのかな。見ることがサガ(性)になっているという事は本来自然なことであるのですが。
>
> 見るという事は哲学的卓見を得ることではなく、恐怖などを忘れて見ているという事だけで、成果は問いません。それだけで恐怖はすでにわきにやられています。光があるのです。


 はい。

 しかし、私はそこで足るを知らず、更に先に行きたいと欲する。

 『時間の終焉』にその先が記されている。

 心理的時間の終焉が「空」を生じさせ、そこにはとてつもないエネルギーがある旨が述べられています。

 そして、クリシュナムルティは述べます。これを体験するか、それとも観念として生涯理屈をこねまわすか・・。

 これが起こらなければ、観念をこね回す生涯となるとクリシュナムルティは述べます。

 それゆえに、意識が空っぽになることが起こることを欲する。

 足るを知らないようです。


[23953] Re:[23951] [23944] [23943] [23935] 意識について(2) 投稿者:ゴト 投稿日:2017/06/10(Sat) 15:37  

> > 自分の思いを貫徹するのではなく、何が起こっているかに意識を向ける。これが見る、聴く、知覚すると言われていることかな。すると「私の」思いを貫徹しようとしていることが発見されるのだろうか?
>
>  Kの比喩は、鳥の声を聞くように、内面に関心を向ける。注意を向けるでもいいです。
>  火中の栗を拾う、という比喩があるが、火中から出ないと栗は拾えません。
>
> 「私」という表現が今イチわからない。Kの本にはよく出てきますが。
> 単純に考えると、自分のことしか考えないとうのが私の思考ということでしょうか。人のことを常に考えている人は、私ではない?思考

「私」は自分のこと、つまり自分の考え、自分の都合、自分の損得、自分の感情などばかりが心に浮かんでそれに占められて、他人の事情を思いやる想像力の欠如している状態でしょう? いわゆる自己中心。想像力も推理力も判断、解釈も自己中心で回っている。

自分だけでなく他人を含めた全体に思いが及ばない。
この時、視野が狭くて自分のことだけを知らず知らずに考えている。

それに気づいてパッと目が覚めてように心が注意深く全体を見始めれば一件落着。意識が目覚めていると言ってもいいかもしれない。

>  Kの定義では過去の経験記憶一切喝采が「私」。というと、常日頃考えている私たちの思考は、「私」ということになる。

自己中心で回っていて気づかないと「私」中心になる。

>  又、心理的思考と言っても、その前に自分たちの思考の動きをまずみて見ないことにはわかりません。それが心理的思考なんのか、そうでないのか。

今、自分に関係したことばかり次々浮かんでいるかどうかですぐわかる。

>  わかりやすくいうと、国会の答弁をみると、首相はじめ大臣の方々は「自己保身」が先にたって答弁している(失言しないようにとか)。あとは各自。経験記憶に従って答弁する。
>  本人自身、「自己保身」が先に立って答弁しているいう自覚はまったくないということです。あらゆる言い訳を用意して首相の座を守ることが至上命題。
>  (あの学園問題は、誰が見ても首相が口利きしたことは明白。それを御用新聞初めマスコミが擁護している。)

国民はそれがよくわかっているようだが、自我むき出しのように見える人たちが票をもらって当選している。なぜか?


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